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21.10.5
ひとがどのようにして歌詞を書くのか、本人のみぞ知るそのやり方を勝手に想像しては真似っこする。それでも、結局そこには自分だけが残る。だってそれは想像だから。夢をみることで記憶が増幅していき、なかったことがあったことになるのと似ている。
モチーフがあるひとの歌詞は信用できる。結局のところ、同じこと���、場面や言葉を変えただけでずっと言い続けているだけの歌にほっとする。しかしそれは、一貫とした考えや信念があることに対する信用ではない。むしろ、考えは恥ずかしげもなくころころ変わっていたほうがいい。きっと同じことを考え続けてしまうひとがいることへの安堵に近いと思う。
憧れるあの人のモチーフを真似するのはどこからどうみたってちがう。それっぽいことをして満足できてしまうのは、手っ取り早いようで遠ざかっている。なにかが自分のなかに入り込んでその都度熱が出て、ようやくほっと吐いた息が見たこともない熱を帯びている。それをいちばんそばで見ている人がいちばん驚いて、いちばん期待して、いちばんそれみろ!という顔をして立っている。私は私の切実さのようなものを、いちばん近いところにいながら、なるべく遠いところからじっと眺めていたい。
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21.9.22
下北半島に棲んでいたころ、よく白鳥に餌をあげていたような気がする。それは遠足の記憶なのか、家族で出掛けた記憶なのかはわからない。もしかすると、夢にまで出てきて見るうちに記憶が増幅したのかもしれない。たしか餌は食パンの耳で、とても寒いなか、その食パンの耳がこれまで見たことのない食べ物のように美味しそうに思えたことを覚えている。
自分以外にも児童がいた気がするのでやはり遠足の記憶なのかもしれない。食パンの耳に集まる白鳥の集団、あの中にならようやく私の居場所があるのではないか、初めて馴染めるのではないか、そう思ってなかなかその場を立ち去れなかった。未だに、なにかが群れをなすとき、あの白鳥の集団ほど自分にとって魅力でそこに居つづけたいと思う光景には出会っていない。
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21.9.20
8月、惨めたらしくまだ死にたくないななどと堰を切ったように押し寄せてきては太極拳の呼吸をして元の位置に戻る。日記を書くのは死んだあとどうこうなわけがない。ただ入り口を探すためだけ。入ってしまったら自然と足が前に前に進んでいくしかない入り口を探して見つけては、入るきっかけとタイミングをじりじりはかっている。きっかけさえあればあとは進むだけ。日記はそうでないともうわからない。
わたしが死んだときにわたしにまつわるなにかを語り始めるような人間はひとつ残らず呪い殺すような夢をみました。たとえ死んでも歌など歌わずに海が見えるようドアを半分だけ開けておくようなひととできれば。
9月、死ぬかもしれないという恐怖心は、いまや、中島らもの焼きじゃがいも事件みたいな心持ちへと変わっていた。
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21.9.12 剥がす人間
今日はひたすらノートに墓という字を書いて過ごした。墓という漢字が好きなことに気がついた。墓場になるともっといい。ふたつの文字が絶妙なバランスで支え合っている感じが書いていてより気持ちが良い。
隣のいびきが鳴り響き、別隣から唸り声と吐く音が聞こえるその真ん中で、点滴を9度失敗した。両腕がバレーの全国大会出場をかけたリベロくらい痣だらけになっている。ちょうどバレーボールのチームを作るなら塚本邦雄とチームメイトになりたいと思っていたところだったのでよかった。
筋トレ頑張ってきたんですけどねと言うと、筋トレで血管が太くなるというのはマユツバだと言われてしまった。なんのための筋トレかわからなくなった。いよいよ全国大会を目指すときなのかもしれない。
塚本とは同じ学年でしかも同じクラスメイトだった。彼のほうは一年のときからもうすでにレギュラーに選ばれていて、そのことで一部の先輩(主に二年)にやっかまれることはあったが、レギュラーに選ばれている三年からはむしろ可愛がられていた。塚本は歳上にもまった���物怖じしなかったし、むしろ的確な発言でチームメイトたちから頼りにされていた。彼は四六時中バレーボールのことで頭がいっぱいだった。コートの中での姿を知っていると余計に、昼食にものすごい集中力で母親の作った大きめの弁当を食べている姿が可笑しく感じられた。
塚本に対して羨ましい気持ちや嫉妬のようなものはなかった。それに近いものはあったかもしれないが、すべて自分もバレーを上手くなりたいという気持ちに変わるだけだった。おそらく彼がいなかったら、なんとなく周りの様子を伺いながら、上を目指していくことをまた躊躇していただろう。
何の遠慮もいらない世界を躊躇いなく進んでいく。人一倍負けたくないなら勝つしかない。負けないためにはなから闘わないなんてことはもう私の中に存在していない。やるべきことはバレーボールで勝つこと、単純。好きなことをするのだ、そういう無垢さと残酷さが塚本をより強くする。
バレーボールを前にして、やれないこと、わからないこと、知りたいこと、勝つために必要なこと、いちまいいちまい剥がしていく。人がわからないことを諦め、わからないことに対して理不尽に怒り、ただ得体の知れないものとしてなんかすごいなどという怠惰な言葉で片付ける、もしくはそもそも言葉にすることを諦めたようなものを何度も何度もしつこいくらいに剥がしていく。やるのも見るのも疲れるようなこと。わからないものが身体にはいり幾度となく熱を出しても、それでも剥がす人間がいることに私は心底安心している。知りたいことを知らないままではいられない貪欲さに心の底から救われた心地がしている。
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21.9.11
猫背になることでまもられていた時期があるように、いまはぜったいに猫背でいちゃいけない時期だと思うので必要以上に背筋をのばしている
ひとの前を通るときは特に余計に余分に
病人の病人らしさを蹴飛ばす
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21.9.10
トイレの夢をよく見る
もちろん現実でトイレに行きたいだけの浅はかさ
そして大体がうまくいかない
その中でも個室の仕切りがまったくない、
便器の向きもバラバラに配置された夢を見ることがよくある
これが地味にしんどい
トイレ��ことでかなり深刻に悩んでいると言うと平和な悩みに思えなくもないがそれはあくまでもそちら側の人間にすぎない
いざ直面したときにその深刻さを知る
入院病棟にあるトイレは、個室のほかに、介助が必要なひとのためにカーテンで仕切るだけのトイレが存在している
それだけではなく、さらに奥のほうに常時扉の開いた部屋があって、患者が用を足しているそばで看護師が普通に会話をしていたりする
これまで見てきたしきりのないトイレの夢のモチーフはこれだったのかもしれないと思うほど
扉を隔ててひとの気配がする
それが、ただの気配ではなく見られているという気配だったとき、直接見られているよりも怖いかもしれないなと思う
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寂しい集め
病院帰りの電車のなか
どいつもこいつも薄いカーテンをしやがって!
と怒鳴りながら、持っている傘を地面にガンガンと叩きつける男と乗り合わせた
男がガンガン、どんどんと傘や足を鳴らすたび窓際に立っていた女性はびくっとして、この女性だけではなく数人が目を合わせないようにしながら別の車両に移動していった
しかし乗客に怒っているというよりは、窓の外に向かって、ここにはいないけれどいるなにかを想定しながら怒っているようにも見えた
実は以前も同じ人を見かけたことがあった
それも一度だけではない
はじめは昨年、ちょうど夏が終わる頃に、実家住まいだった彼女の家の庭でしけった手持ち花火をやった帰りの電車で
二度目はたしか今年に入ってすぐ、初詣の帰りにふたりしてけっこうな距離を寝過ごしてしまい、どうせなら散策してみようかと降りた見知らぬ駅の商店街で、そのときは夕方ごろだったと思う
前見た人もたしか、どいつもこいつも薄いカーテンをしやがってと同じように怒っていたのだが、どうも全員同じ人物だとは思えなかった
こんなにも印象に残る出来事なのに、その男性の顔も服装も背丈もまったく覚えていない
普通に考えたら同じ人物に違いないと思うはずだが、毎回時間帯も場所も路線も違う、でもそのことよりももっと決定的ななにかが違うような
電車のなかで、つぎからつぎへと流れていく景色を共有しようとするのは難し��
指をさしている間に景色が変わる
向かいの席の大きな窓全体を目で捉えながら眺める景色は、電車のスピードにしてはゆっくりに見える気がするのに、ひとつ対象を決めて見ようとするとすぐに流されていく
以前、電車から外を眺めていたとき、彼女に瞳を覗き込まれそのままにして!見たい!と言われたことがあった
どうやら私の瞳が景色を捉えようとして、目玉がぎょろぎょろと行ったり来たりする様に驚いたらしい
流れる景色を追えば誰だって自然と目玉が動くのにいつまでも見つめられているので恥ずかしかった
彼女は電車を降りたあと、自力で目玉を速く動かそうと挑戦していたが、先程の私の目玉のスピードにはなっていないと悔しそうにしていた
それでも一瞬で捉える、降りもしない駅に暮らしているひとたちの生活
高いマンションにも古びたアパートにも一軒家にも薄いカーテンがひかれている
その中を覗くことはできない
ベランダに干された洗濯物がせめてもの、そのひとをそのひとたらしめるなにか、生活のひとかけらだった
きっとそういうことだろうなと
初めて男を見たときから私はわかっていた
きっと薄いカーテンに怒っていたのは一人だけではない
本当はずっと見ていたい
私も誰かが暮らしているところを
ひとの姿はいらない
物から感じる、たしかにひとが生きている気配をずっと眺めていたかった
男も私もただ寂しかったのかもしれない
つぎの駅で降りる
それまであと5分あるな
これもなにかの
なんだ
でもどうせすぐ降りる
どうせ降りるなら
今日は、今日から私は
気がついたら、まぁわかりますがと言いながら男の肩を抱きなだめていた
誰もこちらを見ていないけれど車両にいる全員の視線を感じる、余計なことをするな穏便にすませろという視線
すると男の力がふにゃっと抜けて
わかってしまったのか
と言いながら私を見つめた
さっきまでの威勢は何処へやら、力が抜けしゅんと落とす肩がもの哀しかった
私はすっかり元気のなくなった男と一緒に電車を降り改札の方へと向かった
たまたま降りる駅が同じようだった
一緒に歩くでもなくそそくさと行ってしまうわけでもなく微妙な距離感で、何故か男のほうが気まずそうに肩をすぼめながら歩いていた
どうやら電車に乗っている間にまた雨が降ってきたようで、階段をのぼるとき濡れた傘を地面と平行に持つ人が目の前にいた
そのうえ携帯電話をいじりながらだらだらとのぼっている
この日の私はなんだかずっと頭がぼーっとしていたけれどやるべきことだけははっきりとわかる気がした
怒鳴っている男の肩を抱き慰めるなんてことを普段の私がするはずないし、自分の傘で迷惑なその傘を弾くなんてことは絶対にしないのに
気づいた��きには腕を振るたびに先端が目に当たりそうなその傘を、自分の傘でぺしっと叩いていた
先程まであれだけ舐めるように携帯電話を見ていた男が振り返りこちらを睨み付ける
薄いカーテンの男は決まり悪そうにしていて気づいたら居なくなっていた
もしかするととっくに居なくなっていたかもしれない
きっと肩を抱いたときにはすでに
私がわかったと言葉にしたときにはすでに
寂しさに守られていた男はこれまでのように薄いカーテンに怒りを露わにすることはもうないだろう
きっと
男も私も寂しいだけで
寂しいだけだった
この日の私はこのどこにでもあるような寂しさだけでなんでもできるような気がしていた
傘の男は舌打ちをするだけして素早く階段をのぼり、そばにいた人が「私もさっき目に当たりそうになって注意しようと思っていたんですよ」と話しかけてきた
その瞬間全身ふにゃっと力が抜けて、流れる景色を追うようにぎょろぎょろと動く目玉だけがそこに取り残された
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21.9.2
実家から送られてきたスイカを兄にわけた
先日夢にボブディランの話題が出てきてからなんとなく聞きなおしているところに、兄がボブディラン特集みたいな雑誌を持ってきてくれた
やっぱり夢、こうしてことごとくなタイミングでやってくるなにかしら
スイカは中玉くらいだったが持つと重い
でもやっぱり写真に撮ると小さく感じる
猫とスイカと一緒に写真を撮ってくれと言って撮ってもらった
「死にそうな顔をしている」と言われた
仮にもこれから手術を控えている人間に言う言葉じゃないなと思い元気が出た
不安は人間の非情さを以ってやわらぐことがある
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21.8.31
うたたねをした
これまであまり話をしたことのなかった同級生が
ひょんなことからボブディランを好きだということがわかり、そのまま話をしていると友部正人が好きでボブディランを聞きはじめたということを教えてくれた
しばらく話し込み
なんの目もだれの目も気にならなかった
何年も経ったあとに突然こうしてなかったことがあったことになり夢と現実の境目は曖昧にあったことはなかったことになかったことはあったことになっていく
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21.8.1 いきつけの図書館
よく行く図書館の閉館日をうっかり忘れてしまい検索をすると下のほうにレビューが出てきた
いまは図書館にもレビューがつくのか
見てみると、緑に囲まれていて落ち着く、静か、憩いの場などと好意的なものしか書かれていなかったのですこしほっとした
ひとりだけ無料で水とお茶が飲めることをこれでもかと推している人がいてゆっくりとパソコンを閉じる
図書館に対して感じているなにかはやさしさではなく干渉しあわない居心地の良さなのかもしれなくて
いつも図書館に向かうまでの道は
無職日々枯園に美術館ありき
を思い出しては何度も何度も反芻している
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21.731 うなぎチャンス
先日の土用の丑の日、兄が鰻を買ってわたしにもあげようかと考えていたらしいのだが
母親の、こいつはたれと山椒さえ与えときゃ満足するという発言によってあげるのをやめたそうだ
知らぬ間に鰻チャンスを逃していたうえにいないところで馬鹿にされていた
実際に、たれと山椒があれば、いや山椒を舐めるだけで鰻食ったなという心地がするので悔しい
わたしは良い鰻と良い蟹を食べたことがない
しかしそれよりも、兄が暦のなにか季節のなにかに反応を示し買ってみようと行動していることにすこしの感動を覚えたので正直馬鹿にされたことはすぐに忘れた
母もまさか兄が鰻を買うなんてとしばらくのあいだ感心していた
七夕に笹を飾りつけたり鯉のぼりを用意したりと、なぜかわたし自身も今年は特に季節の行事を意識している
気に留めていないふりをして視界に入る場所にあるよりも思い切りこれでもかとやってしまったほうが気持ちが良い
それだけを見つめているものとそれからいつも眼を逸らすものとでは結局似たようなものだ、
まさに
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21.7.29 ロード第15章
近い将来の骨のことがとにかく心配なのでなるべく散歩をしているが最近は暑く��たまらない
今日は途中でブックオフに寄った
慣れた頃に本棚の配置が変わるので目当ての本がなかなか見つからない
漫画コーナーは全然人がいなかったのに小説を置いている棚には5,6人いて、みな男性だった
ルーティーンのようにとりあえず寺山の本を探していると、店内のラジオからTUBEのあー夏休みタンゴバージョンが流れてきた
そこにいる全員の動きが鈍くなったように思えた
少なくとも私は本を適当に目で追いながらもあー夏休みタンゴバージョンが気になって仕方なかった
以上あー夏休みタンゴバージョンでしたと聞こえたあとすぐに辺りがまた通常通りの速度で動き始めた気がした
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21.725
コロナ云々で久しく会えていない先輩と
いつだったか服を買いに行ったとき
ふたりして子どもを産んだ気になって会話をしていることに同時に気がついて恐ろしがったことを突然思い出した
そういえばいつも明るいうちに解散する先輩は会話が途切れた隙間を縫ってふつうに鼻歌を歌う
互いにローテンションでいるので四コマのなかにいる気分になる
路上ライブとかするなよ、ごきげんよう、と一度も振り返らずに去っていった以来おそらく会えていないので云々がどうにか落ち着いたころ一緒にしょっぱいケーキ食べに行きたい
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21.7.22
当時不気味に思っていた父親の本棚
断じて読むまいとあれだけ反発してきたというのに、結局のところ自分の部屋の本棚がほとんど父親の本棚のようになっていることに気がつく
避けてきたばっかりに随分と遠回りをして
読んできたわけでもないのに結局たどり着いたところがそこだったのは不思議だし不思議じゃない
わたしはずっと気がついていて
気がついていて、ピントを合わせきってしまうことをいまだに恐れている
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21.7.21
ここ数日手っ取り早く目に見えることから思考が始まってしまう気味の悪さで、瞬発力だけでものを言ってしまいそうだったので日記���書くのをやめた
そもそも瞬発力が毎日書く意義なのかもしれないけれど、あまりに安易すぎるのではと恥ずかしくなった
全員が、みんなが、同じ、局面にいて、同じ、ことを考えていると思い込んでいるときはそれに対してなにか言っても言わなくても主張をしたことになるのでこわいなと思う
見ているときに見ている
というのは本来そういうことではないと信じたい
とんでもなく晴れた朝に珍しくカーテンを開けて、ベランダからとんでもない朝焼けととんでもない鰯雲を見た日、夕方たまたま会った兄が今日の鰯雲すごかったよな!と言ってきたとき、なんの疑いもなく当然のように同じものを見ているに違いないと決めつける思い込みは、こういうときのためだけにあると思った
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21.718
人形劇をやるとして
いろいろ考える
わたしの都合で喋らせてしまったときを悔やむ
そんなことをしなくても喋る
いまのところわたしじゃなくて人形が人形劇をやるというのがいちばんしっくりくる
本人の意思
どうやって確認したらいい
保険証の裏
よりもっと
ひとり暮らしの七夕の笹に自分以外の短冊が五つ
すらすらと淀みなく五つ
それがいちばんよい形だなと思う
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21.7.16 言い切る人への憧れだけが
言葉を持つ人と話をすることができたら
暑さや寒さ、痛みや痒み、空腹や眠気も忘れてしまうほど会話に夢中になってしまうんだろうなと思いながら目を閉じる、おそらく明日も
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