Tumgik
nitsumaruan · 7 years
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しかをみる
大学は、山の中にあった。住んでいた寮も、その敷地内にあった。だから、クマ注意の看板のとなりでカモシカを見たという人がたくさんいる。
ともかく、シカを見に行った。彼は牡鹿半島にいる。リアス式海岸の海と森に囲まれた浜辺に、今も立っている(はずだ)。
仙台から車で1時間少し、石巻で高速を降りて、そこからさらに40分走った。橋を渡って牡鹿半島に入ると、急に山道が続く。リアス式海岸の海辺に降りて行くための、いくつかの小道を通りすぎると、リボーン・アート・フェスティバルのために作られた食堂が見えてくる。
荻浜・牡鹿ビレッジは、お正月で閉まっていた。もともとフェスティバル自体もとっくに終わっていて、賑わいはない。車を停めると目の前はお墓で、たまに車が通りすぎるばかり。
小さなマップを頼りに、鹿を探す。とにかくイベントが終わっているのでヒントが少ない。
隣の丘に間違えて登り、JAのカキ工場の脇をこっそり抜けて、ようやくパイロンに貼られた一枚のインフォメーションを見つけた。
「名和晃平の[white deer]は現在展示しておりません。これより先は地盤が崩れやすくなっており…」
つまり、この先へ行けばあのシカに会えるのだ。パイロンの脇を、こっそりすり抜けた。
左手は海。そこから小さな崖になっていて、その中腹の道を歩いて進む。道の左側には竹、右側には松が生えている。落ち葉を踏みしめながら歩いていくと、木のスキ間から突然、大きな白いシカが遠くに見えた。
歩みを早めて、シカに会いにいく。
素晴らしい作品だった。
大きい。真っ白で、汚れそうなモノなのになぜかキレイだった。雲も、同じくらい白い。人のいない時に来てよかったと、勝手に思った。勝手だな、やっぱり…。
帰りにこっそり、流木を拾った。大きな鍋で煮沸して、池澤夏樹の「スティル・ライフ」を立てかける。こうして、冬休みを終えた。
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nitsumaruan · 7 years
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ナスのソテー
旅や出張に行くとき、朝ごはん(もしくは昼ご飯)用に、サンドイッチを作っていく。 食パンに、トマト、ハム、レタスやキャベツ、チーズ、あるいは甘く焼いた玉子焼きを挟んで。オリーブや辛子があれば、それも一緒に挟むと味にメリハリが出て、口に入れたときの旨味が引き立つ。 近頃の大ヒットは、「ナスのソテー」。土井善晴氏のおすすめメニューで、縦に薄切りにしたナスを、オリーブオイルで弱火〜中火で焼く。 これをトマト、チーズと一緒にパンに挟んだサンドイッチは絶品。野菜が美味しいと、マヨネーズどころか塩もいらないと感じさせる。 夏から秋。ナスの美味しい季節になった。疲れた夜は、ナスのソテーに強めの塩コショウを振りかけて、梅ビネガーで晩酌。今年は忙しさにかまけて、梅仕事をやり損ねた。来年の梅の季節まで、ストックしてある梅酒は持つだろうか…。
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nitsumaruan · 7 years
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本と。
週に一度は図書館に行くようにしている。 気分に合った軽めの本を選んだり、今気になっているテーマについてまとめて何冊か借りて、掘り下げていくのにとても役立つ。 先日、一度詳しく読んでみたいと思っていた本を、図書館で見つけることができた。池澤夏樹の「知の仕事術」。 なにせ、こういうノウハウ本の類は書かない人なのだ。エッセイにしても、「セーヌの川辺で」「インパラは転ばない」「虹の彼方に」など、美しく、読み手の世界観を拡げるようなタイトルをつける。 その筆者が、自身の仕事の進め方、本の選び方や読み方、取材の仕方など、流石というべき軽妙な文体で書いてくれている。 読めば読むほど、というべきか。やはり、まずもって基本的な準備と時間が必要なのだな、というのが感想。仕事術が道具だとすれば、大事なのは道具そのものでなく、それを使って何かを作ってきた時間の方だろう。 これを読んだだけで池澤夏樹と同じ仕事ができれば、苦労はない。もちろん参考になることはたくさんあるが、むしろ、仕事場にまつわるエッセイとして読んだときにものすごく面白い。 同じく仕事ノウハウ本では、「荒木飛呂彦の漫画術」も、読めば読むほど、ノウハウどころか荒木飛呂彦の天才ぶりを見せつけられるというハチャメチャに面白い本だった。 池澤夏樹はこの本の中で、本棚について書いている。本は、様々なところを巡るべきものだから、なるべくきれいに読んで古本屋に持って行き、次の人の手に渡るようにする。本棚にはストックとフローがあって、ストック(取っておく本)は少なくして、なるべくフローに回す、と。 図書館は私にとって、フローの本を回してくれる非常に有難い存在だ。しかし「知の仕事術」は、池澤夏樹の、ある種職人のような仕事ぶりを間近に感じられるエッセイとして、我が家の本棚にストックされることになりそうだ。
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nitsumaruan · 7 years
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ホワイトベルグ
ホワイトベルグは、SAPPOROがベルギービールをリスペクトして作ったホワイトビール。日本の酒税法では、オレンジピールやコリアンダーシードを添加すると「ビール」の扱いから外れるため、発泡酒として売られている。 しかし、大手各社がこぞって作っている「ピルスナー」とはまた違った、爽やかな香りの高い味わいで、うまい。 さて、2018年、酒税法の改正が行われる。ビールに関して、適正な競争を行わせるのが趣旨だそうだ。 今まで発泡酒として扱われていた、ホワイトベルグのようなスパイス添加の発泡酒も、酒税法上ビールとして扱われることになる。おそらく値上げにもなるだろう。逆に小規模醸造のビール(クラフトビール)は、大手各社のビールも値上げになるため、価格差が縮まり有利になる。 さてさて、ビール大国ベルギーでは、村ごとに自慢のビールがあり、各家庭でも自家醸造をしているという。 しかし、いまの日本の酒税法は、自家醸造を禁止している。 (ドブロク特区に関しても、観光地として売り出すためのドブロクの話であって、各家庭で楽しむという話ではない) 味噌や醤油や沢庵、ぬか漬け。手前味噌という言葉がある通り、発酵はそもそも家庭の文化だ。 法の改正で、経済の適正化も良いがその前に。豊かな文化を生み出す家庭の可能性を、広げることもできるのではないか。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170710-10000001-mbsnews-l27
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nitsumaruan · 7 years
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みずだし
暑くなってきた。風呂上がりは浴衣が心地良い。 蚊が飛び始めたので、作ってもらった、クローブとハッカ油の虫除けを手足に塗って何とかしのぐ。蚊取り線香も風情があって良いが、それだけでは防ぎきれないのが哀しいところだ。 そろそろドリップでコーヒーを入れるのもツライので、水出しコーヒーを試してみた。 コーヒーの粉をお茶のパックに入れて、水を注いだポットに放り込む。常温の水で、時間をかけてゆっくりコーヒーが入る。 インターネットで調べると、一晩置いておく、という淹れ方が多かったが、2時間くらいで美味しく飲めた。やってみないと分からないものだ。 ドリップとはまた違う、角の取れた味がする。なめらかで、牛乳を足しても美味しい。 ほうじ茶も、水筒に入れて水出しにしてみた。こちらも1時間ほどからすぐ飲める。まろやかで美味しい。あちこち移動しながら時間を置きすぎたのか、底の方には、少しえぐみも出ていた。 水は、そのまま調味料だ。野菜は、水に浸けておくことで美味しくなるものもある。サラダのレタスは必須。逆に玉ねぎは、水にさらさず空気に長めにさらす方が旨味が凝縮される。 茹でた肉や野菜に、濃いめに取って冷やしておいただし汁をかけて食べる「冷やし鍋」も、夏に食べやすく、良い。
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nitsumaruan · 7 years
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ビニール傘のケーザイ
東京で、雨が降り出した。折り畳み傘は持ってきておらず、上着でしのげるような雨でもない。仕方なく、薬局で500円のビニール傘を買った。 まずもって、使ってすぐ捨ててしまわれるようなものは好きではないのだが、背に腹は代えられない。 ところが、さしてみると中々良い。割と大きいし、しっかり雨をしのいでくれる。それ以上に、同じように雨に降られた人が手に取ったのであろうビニール傘が、たくさんビルの間に伸びているのが、何となく美しく見えてくる。透明で無機質なビニール傘が、コンクリートとガラスで出来たビルの景色によく馴染む。ビニール傘をさしている面々を見渡し、それぞれの事情を想像して楽しむ。 ビニール傘は、しっかり仙台まで持って帰ってきた。家の玄関に置かれると、そんなに綺麗に見えない。 で、出かけたときに雨に降られて、またビニール傘を買った。2本になった。やはり、あまり美しくない。 作って、使ってすぐに捨てる。丸いビニールと骨組みが、ビルの間を通り抜けて、おそらく海か山に埋められる。その順序を逆に辿るように、お金が動く。ビニール傘はつくづく都会的な産物だと思い知った。都会の経済性を肯定した時だけ、ビニール傘は美しい。しかし…。 軽く、小さい、100g以内の折り畳み傘を探すことにした。
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nitsumaruan · 7 years
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そういえばてぬぐい
てぬぐいが大好きで、たくさん持っている。首に巻いて汗取りにも防寒にもなるし、頭に巻けば帽子にもなる。使い方の応用が効く。 江戸時代には、古くなった手ぬぐいは掃除用の雑巾やはたきになり、最後には焚きつけになったという。 (この話、本当なのだろうか?青森では明治期まで、どんな小さなハギレや糸も、貴重な財産として嫁入り道具になった。一方お江戸では、汚れたら焚きつけにした、というのはあやしいのではないか。今度しっかり調べてみよう) そういえばブータンでは、交差点に信号機をつけた役人がクビになったそうだ。理由は「人を操るような機械を取り入れようとした」というもの。 道具が人を使うのではない。人が道具を使うのだ。 (しかし、この信号機の話、本当かなぁ?)
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nitsumaruan · 7 years
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出汁巻きたまご
先日はオムレツの話を書いたが、出汁巻きたまごも好きだ。 何と言っても、名前の響きがいい。だしまきたまご。美味しくて幸せ!という感じがする。 コツは、出汁をしっかり、濃く取ること。家で作るときは、柄の長いステンレスの軽量カップが役に立つ。水を少しだけ入れて、昆布とかつお節はたっぷり。コンロにかけると、カップが小さいのですぐに沸き、出汁が取れる。ちなみに、かつお節は沸騰する直前が基本。 出汁が多いと巻くのが難しいので、濃く、量は少なく。これは、土井善晴がどこかの雑誌に書いていた。この通りにやると、焼くとき綺麗に巻きやすい。味付けは、塩と、薄口しょうゆ。砂糖は入れても入れなくてもいい。 フライパン(家に玉子焼き器はない)に油を敷いたら、しっかり温めて、たまごを入れる。ボウルから、ちょうどフライパンが埋め尽くされるくらい。すぐに火が通るので、箸かフライ返しで巻いていく。油が薄くなってきたら足しながら、これを何度も繰り返す。少しずつ巻いて大きくなっていくのは、雪だるまを作るときの感覚に近いだろうか。みるみる大きくなる玉子焼きを、綺麗に巻いていくのは楽しい。 小林カツ代のエッセイに出ていた話。家庭から料亭に、料理の勉強に行った人がひとこと「何が違うって、だしの掴み方が違う。それだけざんすね」と。その人はもともと料理が上手かったのだが。 だから美味しくしたいときは、かつお節と昆布の量をたっぷりたっぷり入れる。出汁巻きでも、そばでもうどんでも。うまいのは、まずもって「だし」のうまみだ。
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nitsumaruan · 7 years
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梅しごと
6月になると梅の季節だ。毎年、2kgの梅を手に入れて、梅仕事をする。半分は梅干し、もう半分は梅酒。
まずは梅をよく洗い、爪楊枝でひとつずつヘタを取る。というのが定番の流れだが、時間がないときはヘタを取らなくても大丈夫。そのままでも漬けられる。
梅干しの方は、ジップロックで漬ける。まずは焼酎を少し入れて消毒し、続いて梅と塩。重し代わりに広辞苑を重ねて一週間ほど置くと、白梅酢があがってくる。これは、塩がきいてすっぱくて、そうめんや野菜にかけると美味しい。白梅酢をビンに回収したら、赤シソを入れて天日干し。これはジップロックのままでもできる。天日干しが終わって再び重しを乗せて漬ける。3ヶ月くらいから美味しい。
梅酒の方は、素材をケチらないととても美味しくできる。我が家では毎年、焼酎とハチミツ。良い分量だけドバドバとビンに入れて、半年くらいから飲める。黒砂糖もかなり良い。
家の場合、梅酒は消費が早い。梅干しは、1kgだと少し多くて、だんだんと年代ものの梅干しが漬かっていく。今年は、梅酒だけたくさん作ろうかと思っている。
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nitsumaruan · 7 years
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まくら
落語家が、本題のネタの前にお客さんの反応を見るためにふる話題を「まくら」という。 たいていは噺の内容に沿って、決まったまくらがあるが、もちろん独自で考えたり、その場で、お客さんを見て決めるまくらもある。 このまくらというのが好きで、筆者は落語家ではないのだが、人前で話をしたり、文章を書くときにも頻繁に「まくらのようなもの」を入れる。 全然関係ないような、何の話か分からない話題をふることで、聞き手に「何の話かな?」と思ってもらえたら、次の話が聞いてもらいやすくなる。 というよりも本当は、いきなり本題に入ったときに、上手く話を進めていく自信がないだけかもしれない。 もう一つ気付いたのだか、文章の構成を書くとき、必ずサゲ(オチ)をつけたがる癖もある。うーん、落語からこんなにも影響を受けているとは…(確かに、子どものころから志ん生を聞いて育ち、今は小三治師匠の落語がしみじみ良いと思っている)。 というワケで、今日はまくらが本題である。 落語家論/柳家小三治
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nitsumaruan · 7 years
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トリツカレ男のオムレツ
ここ半年、ほぼ毎朝オムレツを焼いている。 
卵をボウルに割り入れて、塩や、コショウ、時にはチーズも入れて溶く。フライパンは油を敷いて温め、菜箸に卵を着けてフライパンの表面を走らせる。じゅっという音と共に卵が固まったら適温。ここからはスピード勝負だ。 
ボウルの卵をフライパンに流し入れ、間髪入れずに菜箸でかき混ぜる。この時、フライパンも前後に振るのがコツ。半熟の部分がまだ多いうちに、フライパンの向こうの方にオムレツをまとめていき、柄をトントンとたたいてひっくり返していく。外はふわっと焼けていて、中はとろとろ、というのがいい塩梅。白いお皿に盛って食べる。 毎朝焼いているとコツも覚え、だんだん、オムレツの出来でその日の体調が測れるようになってきた。 焼き加減は、気温や湿度、油の量や馴染み具合によって変わってくる。これを見極めて、調整しながら焼いていく。しかも朝の忙しい最中、お茶を入れたり野菜を蒸す作業も同時にこなす。 
ぐっすり眠って体調の良いときは、オムレツもキレイに焼ける。その逆もしかり。 いしいしんじの「トリツカレ男」は、ひとつのことに取り憑かれたように取り組んでは、ある日パタッとやめてしまい、また別の何かに取り憑かれるという男の物語だ。
 たとえば三段跳びに取り憑かれたときには、どこへ行くにも、移動するときは常に「ホップ・ステップ・ジャンプ!」。研究を重ね、遠くまで跳べる���うになり、大会にまで出場する。さて、いよいよスタートの合図!というところで、別のものに取り憑かれるという具合。 筆者はこのトリツカレ男に通ずるところが多々あって、何かに集中的に取り組んでは、また別のものに興味が移る。
 最近、オムレツの頻度は週に3回ほどになった。かわりに今、取り憑かれているのは、文章を書いてみることなのかもしれない。 
トリツカレ男/いしいしんじ
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nitsumaruan · 7 years
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エコバック・パッカーのすすめ
昨日書いた内容とリンクするところがある気がするので、5年前に書いた記事を転載する。 荷物の話が出てくるが、この件は半分はこちらの過失だった。読み返してみると、考え方も、粗忽も、あまり変わっていない。成長しないなぁ。 以下転載。 バックパッカーとは、リュックひとつ担いで移動する旅人のことだ。 よく話に聞く海外放浪一人旅もそうだし、山道のロングトレイルをバックパック一つで歩く人たちもそう呼ばれる。 初めて海外に一人旅に出たのは、21歳の春、バリ島への旅行だった。 それまでも、北海道や沖縄、京都大阪四国などに バックパックを担いで長い貧乏旅行に出たことがあった。 だから今回もバックパッカーで行こうと考え、カメラや着替え、タオルなどを、使い込んだリュックにいっぱいに詰め込んで、はりきって出発した。 そのリュックが、成田空港まで届かなかった。手違いで、成田までの夜行バスに積まれていなかったのだ。私は、手荷物のエコバックひとつ持って、呆然として空港に立ち尽くしていた。 しかたがないので、そのエコバック(B5サイズのちいさなもの)に、最低限の着替え、手帳、手ぬぐいだけを放り込んで、バリ島行きの飛行機に乗り込んだ。 機内持ち込みのものだけでも、その飛行機の乗客のなかで、私の荷物が一番が小さかった。 私は、エコバックひとつで悠々とグラライ国際空港に降り立ち、1週間のバリ旅行を堪能した。ガイドブックも会話集も、地図すらない代わりに、とにかく持ち物が少ない。フットワークも軽く、なけなしの英語とインドネシア語を駆使して宿や食事を確保する旅は、面白かった。 だから今回のベトナム旅行では、最初からエコバックひとつで出かけた。バックパッカーがエコバックパッカーになったのだ。出発前に会った人々は、「いってきます」という私を見て、まさか今から海外旅行に行くとは思いもしなかっただろう。 ベトナムで会ったフランス人には「小さいバッグだな」と笑われ、帰って来てからの日本の税関では、「本当にそれだけですか?」と疑われた。 私にとって旅とは、その場所の空気に浸りに行くことで、写真をとったり買い物をしたりすることではない。ほんの少しの荷物をもって、ちょっとそこまで、という感覚でいくのが面白い。落語ではよく「手ぬぐいひっかけて湯へでかけたまま三年戻らない」という表現を使うが、それを地でいく身軽さだ。 もちろんそれを実行するためには、現地の人間となんとかコミュニケーションを取らなければいけないし、危機管理も必要だ(ものを盗まれる心配だけはほとんどないが)。 能力と感性をフルに使って、「旅の空気」に浸るには、エコバック・パッキングは最良の方法なのだ。 エコバック・パッカーのすすめ/2012.2.22の旧ブログより転載
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nitsumaruan · 7 years
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羽根のように
Special Educationの概念は、「教育の受け手に合わせて、環境を整える」という基本的な考え方を教えてくれた。 つまり、「人を見て、人に合わせたモノや仕組みをつくる」ということだ。 例えば、今日の予定が分からないと不安な人がいる。1日の流れを把握できないと不安で、予定外のことが起こるとパニックになる。そういった場合には、朝、1日の予定を書き出し、見て※、読み上げて確認する。それで安心して、1日を過ごすことができる。その予定は、いつも見えるところに置いておく、という具合。 この考え方を、自分自身にも適用している。 ・忘れ物、失くし物が多い。 ・物が何かに隠れていると、その物が無いように思える。 ・一覧しないと把握できない。 ・視覚情報でないと認識しづらい。 以上が、筆者の特徴である。 そこで、ドミニック・ローホーのこの言葉が役に立つ。 ・・・・・ 小さく、軽く、より心地よいものを ・・・・・ ここには言外のメッセージとして、「より少なく」も入ってくる。 つまり、物が多ければ多いほど、それを入れるポーチが増えれば増えるほど、認識ができなくなって、忘れ物、失くし物が増える。 そこで、まず認識し易くするため持ち物を減らす。ポーチで隠れてしまうと認識できなくなるので、使わないか、透明のジップロックにする。一覧のリストを作って、荷物に入れたかどうか確認する。 これで、ずいぶん間違いは少なくなる。 (もちろんなくなる訳ではない。筋金入りの粗忽者は、どれだけ工夫を凝らしても何かしらのことを引き起こすものだ。 先日は大事な出張で、電車の上りと下りを間違えて大変なことになった。) より軽い、というのもとても大事だ。大きくて重いと、持ち運ぶときに大変になり、床に置いてそのまま忘れてくることになる。 軽ければ、全てポケットに入れておけば良い。ポケットやカバンに余裕ができるので、一瞥して中身を把握しやすい。 そんな訳で、軽く、小さく、心地よいアイテムをいつも探している。 ノートは和綴で作ってもらったオリジナルで、お気に入りの水性ペンと合わせても、重さは20g。 いつも持ち歩きたいお手玉3つは、腰に下げるポーチ(メッシュで中身が見える)に入れて全部で100g。 上着はパタゴニアのウィンドブレーカー。折り畳み可能で、重さはやはり100gほど。 持ち物が小さく軽いと、旅にも出やすくなる。それだけ持ってどこまでも行ける。実際には機会はなかなかないが、そんなことを想像するだけで楽しい。 今は、小さい携帯電話を探している。小さすぎて、存在を忘れたまま失くしてしまえるような電話機。ご存知の方は教えてください。 ※視覚情報、聴覚情報、触覚、嗅覚。人によって受け取りやすい情報は違う。視覚情報は、いつでも確認できる点が優れていて、よく使われる。 小さいものと豊かに暮らす/ドミニック・ローホー LIFE PACKING/高城剛
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nitsumaruan · 7 years
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小鳥のごとく
椎名誠の「怪しい探検隊」は、野外炊飯、野外宿泊の名作エッセイだ。 その魅力は、なんといっても「ランボー」なこと。男ばかり10数名が、目的もなく、時代遅れの重い天幕(テントというようなシロモノではない)やバカでかい鍋釜を担いで離れ島に行き、様々な苦難(荷物が重い、蚊に刺されるなど)に見舞われながら数日を過ごす。あまりの辛さに隊員からは不満が漏れるが、隊長(椎名誠)ににらまれて黙ってしまう。 もちろん、隊員はどこかでその理不尽を楽しんでもいるのだが。 怪しい探検隊のハイライトは、超巨大焚火とともに繰り広げられる大宴会だ。 浜で、大きな流木の焚火を燃やし、鍋料理に鉄板料理、なんでも煮て焼いて食い、ビール、ウイスキーその他アルコール類をあおりながら、歌い踊る。文章を読んでいるだけで、幸せな気分になれる。 本の中には、椎名が大学の山岳部に同行したときの話も出ている。いつも、とにかく食べ物だけはたっぷり用意していく椎名は、山岳部の登山時の昼食を見て驚く。その日の昼食は、粉々に砕けた、ナッツとレーズン、それに味の薄い紅茶だったのだ。いわゆる「行動食」と呼ばれるものだ。 「バックパッキング教書」という本がある。「ウィルダネス(野外)」で遊ぶための、応用の効く知恵がたくさん詰まっており、随分前の本だが今でも役に立つ。 いま読み返してみると、持ち物や、歩き方、洗剤を使わない食事の仕方など、日々の生活で何気なく行っていることは、ほとんどこの本がベースになっている。 この本の中に、「ウォーカーは小鳥のごとく食べよ」というキー・ワードが出てくる。ウィルダネスを踏破するバック・パッカーは、常にカロリーを消費し続けている。そのため、ドライフルーツやナッツ、(それに楽しみのために用意した一粒のチョコレート)をパックに入れ、胃が小さい小鳥のように、歩きながら食べよ、という教えだ。 筆者の胃は子ども並みで、お腹が空くとすぐに機嫌が悪くなり、判断力が鈍って、しまいに動けなくなる。 そんなわけで、行動食はかかせない。カシューナッツやトマト甘納豆などを少しだけ、いつもポケットに忍ばせている。 ちなみに、今日はドライマンゴーだ。 怪しい探検隊/椎名誠 メイベル男爵のバックパッキング教書/シェリダン・アンダーソン 田渕義雄
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nitsumaruan · 7 years
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あー!と
「びじゅつのびはびっくりのび」というのは、鉄の彫刻家にして美術館のなんでも相談係、齋正弘のことば。美しいにしろ、汚いにしろ、「うわー!」という心の動きが、美術というものの基本だ。 大野左紀子は、「アート・ヒステ��ー」の中で、アートを「市場」「教育制度」「父殺し」の3つの視点から説明する。 要約すると、今までにない新しい概念や価値の転換を提示する「父殺し」によって価値を得た美術作品は、「市場」の力によって値段が上がる※。そして、(美術館に所蔵され教科書に載ることで)「教育制度」の中に組み込まれ、あらたな「父」(既存の価値観)となる、という流れだ。 美術作品は、この流れの中に組み込まれることになる。 大野は、このアートの流れの始まりには、アートという存在そのものをゆるがす仕組みが組み込まれていることを看破する。既存の価値観を破壊する「父殺し」が現代アートの本質だとすれば、その矛先は必ずアートの存在そのものにも向かうからだ。そして実際、アートは少しずつ自己解体され始めているように思える。 さて、大野は本の最後で、この流れとは別の「何か」を掴んでいる。それは次のような言葉で表現される。 ・・・・・ 「実際何になるのかわからないが、やらずにはいられない」 ・・・・・ それは、作品になるかどうか、社会的にアートとして成立するかどうかを抜きにした、「つくる」という行為。その中には、「関係性をつくる」ことも含まれている。 闇にボールを放り投げて、返ってくるか来ないか。そんな「出会い損ない」も辞さない「やらずにはいられない」行為が、「つくる」ということ。 齋正弘が、スティーブ・メイヤーミラーとのセッションで話した言葉を思い出す。 「彼は、『暗闇に向かう』と平気で言った。それが、ハンディのある人と活動するとき、最も大切なことですね」。 福祉は、英語では「welfare」という。つまり「良く生きる」ということだが、fareの語源は旅。良く生きるということは、何があるか分からない暗闇に向かって歩を進めていくことだったのだ。 その時、「福祉」の導き手とは、果たしてどのような人だろうか? ・・・・・ 僕たちは、彼らに社会の秩序というものを教える立場ではない。彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。(しょうぶ学園統括施設長・福森伸) ・・・・・ ※このことについては、「アートは資本主義の行方を予言する/山本豊津」に詳しい。 大きな羊の見つけ方/齋正弘 アート・ヒステリー/大野左紀子 創ってきたこと、創っていくこと/福森伸(編)
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nitsumaruan · 7 years
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で、サイン
デザインとは、物事を整理することだ。 コミュニティデザイナーの山崎亮は、「デザイン(design)とは、記号的な美しさ(sign)を脱して(de)課題の本質をつかみ、解決すること」と捉えている。 デザインは、キレイに絵を描いたり配置すること、と捉えられがちな側面もあるが、それは最後の「アウトプット」の部分でしかない。 発泡酒「極生」のパッケージ、「ふじようちえん」の園舎、ユニクロの店舗などのデザインを手がける佐藤可士和は、自身の仕事を紹介した整理術の本で次のように書いている。 ・・・・・ (前略)ひとつのデザインを生み出すことは 、対象をきちんと整理して 、本当に大切なもの 、すなわち本質を導き出してかたちにすることだと思うからです 。 ・・・・・ 整理をすることは、デザイナーの仕事を円滑に進める技術というよりは、デザイナーの仕事そのものだと述べている。 この本のなかでは、「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」の三段階に分けて、自身の仕事を例に挙げながら、整理の方法を紹介している。本の内容そのものが、まさに見事に「整理」されているベストセラーだ。 無印良品のディレクションを手がける原研哉も、自著の中で「デザインは、モノの持つ本質をクリアにする」と述べている。 原研哉の仕事は、プロダクトに留まらず、出版、エキシビションなど多岐に渡る。著書「デザインのデザイン」では、遂に実現されることのなかった、プレゼンテーション段階の愛知万博について触れている。プランは、江戸時代に描かれた「本草図説」をモチーフに、テクノロジーを駆使して「自然へのアプローチ」を捉え直す試みで、エキシビションを通して見えないものへの「気づき」を促すものだった。 まさしく、日本の持つ独自の世界観を整理し直し「本質をクリアにする」もので、この案が実現しなかったのは残念でならない。 筆者の大学での専門は「Special Education」で、日本語に訳すと「抜群の教え方」だ(と勝手に思っている※)。 「抜群に伝わりやすい教え方」。コツは、「主体は教育の受け手にあること」と「個人の能力によらず、環境や仕組みによること」。 この「環境や仕組みによること」が大事で、教育においても、伝えるべきことが整理されていなかったり、教室が散らかって情報が多かったりすると非常に伝わりづらい。Special Educationでは、教育の受け手に合わせて、環境(部屋、道具)や視覚(チェックリスト、写真)を整理し、最大限伝わりやすい工夫をこらす。教育におけるデザインである。 Special Educationの対象は、いわゆる障がいのある児童、生徒とされる。しかし、先に挙げたコツは、受け手の障がいの有無に関わらず、分かりやすく伝えるための非常に有効な手法と言える。 そしてもう一つ。デザイン的な手法は、受け手の持つ「抜群の才能」を開花させるのにも役立つ。 ところで、冒頭に挙げた山崎亮は、designの本当の語源も知っていた。語源は「作品に署名すること」。 さて、なぜ作品に署名するのか? そして、もう一つの疑問が湧いてくる。もし、デザインが混沌として散らかった世界を「整理」するものだとすれば、もう一つの側面である「混沌」を担うべき技法は何か?つまり、これを担うのがアートと言えるかも…。 というところで、話は次回に続く。 ※文科相的には、「特別支援教育」となる。 コミュニティデザインの時代/山崎亮 佐藤可士和の超整理術/佐藤可士和 デザインのデザイン/原研哉
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nitsumaruan · 7 years
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小さなカブ
久しぶりにバイクに乗った。月に数度は、車が使えない日があり、かわりにバイクに乗る。 愛車はホンダスーパーカブの110。110というのは排気量が110ccということで、高速道路は走れないが2人乗りは許されている不思議なサイズだ。国道は法定速度通りに走れるから、下道を走ってどこまでも行ける。 ホンダスーパーカブには、沢山の逸話がある。 燃費はリッターあたり100km(ということは1mlのガソリンが「バン」と爆発すると、その力で100メートル走るということだ)とか、揚げ物をした油でも走るとか、ビルの屋上から落とした直後でも走り出すとか。後の2つは、実際に検証した人がいて、動画が上がっている。 燃費も、カブ110でリッターあたり50kmは走るから、やはり本当なのだろう。 ベトナムを始めとした東南アジアでは、カブはまさに交通と流通の要となっている。 HANS KEMPの写真集では、ベトナムの人が小さなカブに、金魚や鶏、大きなタライ、柱や扉といった建材、庭木に至るまで、ありとあらゆるものを積み込んで走る様子を観ることができる。 積む、という言葉が正しいのかどうか定かではない。明らかに「乗っけてるだけ」「手で押さえてるだけ」という人たちがたくさんいるからだ。 邦題では「それ行け!!珍バイク」という凄まじい名前だが、原題は「Bikes of BURDEN」。自身も優秀なバイク・タクシーに乗せてもらいながら撮影した作者の、小さなバイク(それを運転する人々)への敬意にあふれた名作だ。 国民的な人気を誇るバラエティ番組「水曜どうでしょう」でも、カブに乗って日本、さらにはベトナムを駆け抜ける企画が登場する。 「風と、匂いと、危険を感じるんだよ!」という名言は、カブに乗る出演者が後ろの車で安穏としているディレクターに向けて発した心の叫びから生まれた。この関係性が、何とも面白い。 最後に、池澤夏樹が、自身のライフワークの1つとも言えるテーマ「人間と世界」について書いた、美しい文章を引用したい。 ・・・・・ この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。 (中略) でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。 (中略) 大事なのは、(中略)一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。 たとえば、星を見るとかして。 ・・・・・ 星を見るかわりに、あるいは、星を見るように、小さなカブに乗る。そして、風と匂いと危険を感じて走るのだ。たまに。 それ行け!!珍バイク/HANS KEMP スティル・ライフ/池澤夏樹
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