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2022.08.14 望月通陽さんの型染作品を買いました 本当は別のもう少し小さい作品を買うつもりでいたのですが、この先もこの世界でがんばれるようにお守りの気持ちでこちらに 作品を買うことは悪魔的な魅力があると知る https://www.instagram.com/p/CiCiohohku6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022.08.16 くまチャン https://www.instagram.com/p/ChZpRDcB97J/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022.08.13 この時計高3の冬に受験に備えて買ってもらった、もう10年近く使っていることになる 私は飽き性のため持ち物も結構頻繁に変えてしまうので、年単位でずっと使っている道具は本当に自分にとって必要なもの、自分に適した形態と機能を備えたものなのだろうなと思う そういうものだけで生活していけたらいいのに、最近私の家にはものがありすぎるのではないか……とずっと考えているのでなおさらそう思う この間調べたらこのモデルはどうやらもう売ってないみたいだからなおのこと大事にしなくてはね(ほかのモデルは売ってるっぽいよ) https://www.instagram.com/p/ChRG2gmBnD9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022.01.24 友人で同居人の風音ちゃんの展示が シーシャ場 円 -en- で始まりました 設営のお手伝いをしました🔨 ふうねちゃんにぜひ感想のDMしてね @fune_m (シーシャ場 円 -en-) https://www.instagram.com/p/CZGUzXrBAqb/?utm_medium=tumblr
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うつくしい術を
2022.01.09
12月は仕事の関係でゴタゴタしたので、年末年始の休みは絶対にのんびりしてやる、絶対にだ、デジタルデトックス、メールもSNSも見ないぜ!と心に決めて実家へ帰った。なるべくディスプレイに向かわない、本を読むのよと思って出てきたくせに、肝心の本を持ってこなかった。
計画倒れが過ぎる!
とはいえ「実家の薪ストーブの前で読書する」ことへの欲は止み難く、ごうごうと降りしきる雪のなか地元のTSUTAYAへ行った大晦日。
小さい店舗なので、今度何か読むためのものを買いたいと思った時に、と後回しにしていたタイトルが置いていなかったりする。あれもないこれもないとあちこち探して、ようやく『いっぱしの女』を見つけた。以前からなんとなく気に入るだろうなと思っていたが、いつも「まあ次でもいいか」と思ってきた。これしかないということは今が買い時なのだろう。
いざ読み始めてみると、何度も「どうして私は今まで買わないでいたのかしら」と思った。
ふたりの友人と暮らしていたときの思い出を綴った「夢の家で暮らすために」、共感のみを求められることの淋しさをしたためた「詠嘆なんて大嫌い」など、愛すべき友人に対して感じたさまざまな気持ちが、丁寧に言語化されている。
現在2度目のルームシェア生活をしていることもあり、「夢の家に暮らすために」など「同じようなことを考えたことがある...!」とうれしくなりながらするすると読んでいた。
すると「一番とおい他人について」にたどり着く。
私たちはふだん、友人だから、女同士だから、親子だから、恋人だからという理由で、相手のなにかをわかった気になっているけれど、それ自体は、なんの根拠にもならないのだということ。いつも、自分はほんとうにわかっているのかを自問したほうがいいこと。共感によりかかった態度は、決して誠実とはいえないこと。(中略)恋人のように、あるいは異性のように、女もまた、女にとっては理解しにくい他人であることに変わりはないはずなのに、不用意につかう「女は」という一般名詞は、��知の他人に対して、当然持つはずの距離感を失わせてしまってはいないか。(「一番とおい他人について」50-51頁)
ふいに弱点を言い当てられて、手が止まった。
私はいわゆるオタクな気質があり、なかでも何かに心打たれた時に語彙力を失うタイプのオタクである(失わない人間もいる。大好きな我が友人は創作意欲が爆発する側の人間で時折SSを書いているのですごい)。
前々からうっすら自覚し、内心焦っていたこと。それは同じ嗜好を持つ友人たちと話すとき、私は「わかる」という言葉のニュアンスにかなり頼っているところがあるということだ。そうでなくても、気心の知れた人と話すとき、「(自分と似ているから)これは雰囲気で伝わるだろう」と言葉を選び、また解釈し、その曖昧な共感にどれほど甘えていることだろう。
軽率にすぐ「わかる」と口にしてしまうけれど、どこまでわかっているのか。そしてその共感のどこまでが相手に伝わっているのだろう。
今まで読んだところで浮かんだ感想も、そんな感じじゃなかったかしら?「わかる」って思ってなかったかしら?ああ、全然誠実じゃなかった!
ともするとすっかり知った気になってしまう近しい人たちに向かうとき、「ほんとうにわかっているか」を問うことができるから、氷室さんの言葉はこんなにも深く鋭く、誠実なものに感じられるのかもしれない。曖昧に委ねてしまうこともできるけれど、自分の気持ちの輪郭をもう一寸シャープにするための言葉たち。
愛する年上の友人に対する文章など、どうしてこんなにぴったりの言葉が出てくるのだろうと感動してしまう。
ただ、私が聞きたいのはこういうことだったのだ。(中略)ばかばかしくくだらない、でも楽しい、少なくとも楽しくしようとふたりで努力する限られた時間、それが記憶に残って、また何年も私たちを幸福にするためのなにかがあるはずではなかったの、と。あなたが夫にもいえずに胸底にためていた詠嘆を聞くためにだけ、私が今ここにいるのなら、あなたに共感するほかのどんな役割も求められていないのなら、私はとても淋しい、と。(「詠嘆なんて大嫌い」33頁)
いつも私にいろいろな話をしてくれるあなたたちにも読んでもらいたくて、この文章を書いている。あなたの感想を聞きたいと思うから。「詠嘆」を聞くためではなく、本の感想を通して「私たち」について話すための時間を、未知の他人を知るための時間を、私も氷室さんのように宝石に変えていつまでも大切にとっておきたいと願っているから。
共感に形を与え、伝えるための術を手に入れたい、手に入れなければと思う。
氷室冴子『新版 いっぱしの女』筑摩書房(2021)
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復讐されない人生がありえるか
2021.05.12
「もしあの時、違う方を選んでいたら今どうなっていたんだろう」
一度だって考えたことがない人なんていないだろう。ていうか毎日思ってる!そうやってぐるぐるぐるぐる悩んでしまう状況に、窒息しそうなほどぴったりな表現がこのかわいい表紙の中に隠れている。それは「捨てた選択肢に常に復讐される」。
私がいつも心の奥で戦っているルサンチマンそのものを言い当てられて、ギュッと締め上げられた気持ちだ。こんなに的確で錐みたいにするどい言葉をどうやったら探し当てられるんだ?
中村うさぎさんと三浦しをんさんが「どうして生きづらいのかな〜、ということを、『女子について語る』ことを通して」語る本書。
男性はメインストリームとなるようなライフプランのモデルがあり、それに倣うべきというある種のプレッシャーが存在するけれど、女性は専業主婦やキャリアウーマンなど選択肢が多く、プレッシャーから比較的自由でいられるのではないか、と三浦さんは言う。そこでうさぎさんは言うのだ、「その代わり、女子は捨てた選択肢に常に復讐される」。
「専業主婦は、キャリアウーマンに対して『自分の自由になる金を持ってていいよな』って羨望とやっかみがあり、キャリアウーマンは、専業主婦に対して『あたしはこんなに頑張って働いているのに、専業主婦はラクでいいよな』って羨望とやっかみがある。どっちも『あたしが、もし、あそこで、こっちを選んでいたら、その方が良かったのかな?』って、捨てた選択肢に復讐されてるんだよね。」 (第5章 女の王道、174頁)
「捨てた選択肢」、無生物(?)で実態がないくせに、こんなにも長々と我々を苦しめるの、猟奇的すぎる。選択肢、捨てられたとて復讐するほど私に思い入れなどないくせに...。
否、思い入れがあるのはこちらの方なのだ。こちらの執着が強すぎるから、執着されている選択肢の方が「ウルセ〜〜〜〜〜!!!!知らね〜〜〜〜〜〜!!!!」と殴り返してくるだけの話なのである。捨てられた選択肢の側からすれば捨てられたあげく未だに付きまとわれていい迷惑である。
専業主婦とキャリアウーマンだけじゃなく、たくさんの「こっちを選んでいたら?」が日常にはひそんでいる。毎日の選択の積み重ねで私の世界ができているのだから、捨てた選択肢も星の数ほどありチクチクと「復讐」してくる。ただしそれはこちらの被害妄想なのであり、専業主婦のあなた(私はキャリアウーマンなので)は私の作り出した仮想敵にすぎない。
捨てた選択肢に復讐されない人生なんてあり得ないだろうけれど、うさぎさんはパワフルに、三浦さんは飄々と生きていらっしゃるので、復讐されても生きていける術があるのだとなんだかほっとした。
中村うさぎ・三浦しをん『女子漂流』文春文庫(2019)
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2020.05.09
腰がほんまに終わっとる。
4月末のイベントのあたりから「あれ?」という感じがし始めていたのには気づいていたけど、気づかないふりをしていた。4月の間に参加していたある講座で、「自分の感覚を無視し続けると、自分の魂との信頼関係がどんどん崩れてしまう」と言われたから「このまま無視してちゃだめだな...」とは思っていたし、ゲッターズ飯田の占いでも今年は健康管理の年なので、ちゃんと病院行かなきゃ��思ってた矢先、ここ2、3日で急激にヤバくなってしまった。
全体的に前屈動作ができない、しゃがむときは垂直に腰を落とさないと腰をいわす。垂直にすとんと膝をつくとき、いつぞやに一瞬能をやっていた記憶を思い出すね。
今日はだんだんひどくなって、椅子から立ち上がる時が一番辛かった。だんだん背骨が伸びる感じがだめみたいだ。立っていたり、座っていたりしてじっとしていると比較的マシ。
あまりにひどいのでtwitterとインスタにも書いたら、高校の同期がバンテリンサポーターの存在をすぐさま教えてくれた。高かったけどなりふり構わず買った。腰の方が大事。
業務中も「腰いて〜😂」ってずっと思ってて、上司に相談して明日は休みをとった。水曜まで行けば連休なんだけど、あと2日待てる気がしない。
心当たりがないのが厄介、早くなんとかなってくれ〜〜〜
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2020.10.29
琉球弧の写真
@東京都写真美術館
初めてTOPに行った。恵比寿のビル街の中にドンとある。
中はつるつるしていて、外にはなんとなくハイソな感じのビジネスマンや有閑マダムっぽい人たちがいた。
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2021.03.04 あのこは貴族 (長野相生座・ロキシー) https://www.instagram.com/p/CN9BCNyhl8s/?igshid=zh0r69y4q3k0
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2020.02.17
2年住んだ家を退去した。
もとはルームメイトと2人で暮らしていたので、余計に広い感じがする。
駅もスーパーも大学も近くて、線路が近いわりに静かで(ただ国道に面していたのでバイクがうるさかった)、すごく住み良い家だった。管理人さんも親切だった。
この2年はルームメイトも私もほんとうに忙しなく、あまり家に長居することはなかったのに、なんだか引っ越してきたのが随分前のことのような気がするから不思議である。これはわたしだけが感じているのではなく、わたしの母やルームメイトの親御さんも「4年くらい住ん��たような気がするね」と言っていた。
この2年、ここしばらくでかなりQOLが高かった(前の家のレベルがかなり低いというのも無視できないが)。正直、人生という点では(人生という点?)、激しい2年間でストレスも多かった。とはいえ、なのである。いい家だったことも大きいが、一番はルームメイトがいたことだろう。
近くに信頼できる人間がいるということは、かくも人に安らぎを与えるものか、と感動した。別に大層なことは何もしていなくて、本日のやらかしを懺悔、入浴をめちゃくちゃ応援する、意味のないダンスを踊る、などなどをお互いにやっているだけ。しかし、これがほんとうにストレスを軽減してくれるのである。そりゃ人間、群れて暮らす訳である。真理すぎる。
ひとと暮らすのがあんまり楽しいので、うっかりひとり暮らしのやり方を忘れてしまった。実家を離れたときより寂しい気がする。いま、仮暮らしのドミトリーでこれを書きながら、ひとりで大学にも行かないと、マジで知り合いに会わないんだ...とめちゃくちゃ寂しくなってる。
どうせすぐにひとりの暮らしにも慣れるのだろうけど、この2年には敵わないだろう。ほんとうにいい2年間だった。老後にまた、ルームメイトや仲良しのみんなで一緒に暮らすようなことができたらいいなあ。
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2020
2020.01.18
あけましておめでとう。
2020年がはじまって早18日、1月も1/3が終わろうとしているということにびっくりしてしまうよ。
昨日は久しぶりに仲の良い3人と会って、引っ越し前の「我が家お別れパ(ーティー)」を開催した。2月の半ばには引っ越ししないといけないので、今の家で集まれるのは最後かもしれないからだ。
友人とルームシェアして暮らしていたこの2年間、ほんとうにQOLが高く最高な暮らしをしてしまったので一人暮らしができるか心配だ。これはマジの話です。
夜中の3時くらいまでずっとおしゃべりしていた、こんなにずっと盛り上がっていられる仲間がいてよかったな。4月からはぱっと会えないのが寂しい。
そういえば、2020年のテーマは「自尊心の筋トレ」にした。目標は「他人の庭をジャングルにせず、自分の庭を荒野にしない」である。テーマは長田杏奈さんの『美容は自尊心の筋トレ』からとった。
わたしの欠点は、嫉妬深いところ、ルサンチマンを感じるときに態度に出やすいとこ��。しかし原因は、わたしの努力が足りず、他者が努力しているというだけの話である。
周り���傷つけないために、わたしは自信をつけなくてはいけない。美容に限らず自尊心を鍛えて、他者と比較して過度に落ち込む/過大評価することをやめなくてはいけない。よりニュートラルな思考を手に入れよう、それぞれの庭に芝を生やすために。
具体的な目標は4つ。
・環境問題や政治など、大人として取り組むべき課題をスルーしない。どんなに小さいことでもいいから、気になった問題について最低1つ行動する(調べる、買い物の仕方を変えてみる、募金/署名してみるなど)
・展覧会を月に3本見る。できない時は最低1本見る。
・月に3冊本を読む。最低1冊。
・英語かフランス語か、語学の試験を1度以上受ける。
あまりたくさん掲げてもできないし、ひとまずこれで進めてみよう。今年は中途半端になるよりも、ひとつずつ土台をかためる年にしたい。小さい「できた」を積み重ねて、自尊心を鍛えよう。
任期付きだが仕事も決まった、2020年もやっていこうな。
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夢のはなし
眠くて昼寝したら、この前受験した美術館の学芸員さんたちが、富山県美にある李禹煥作品(なぜか現物より小さい)を机に載せて囲んでいて、その部屋にわたしが入っていって困惑するという夢を見た。
「この人…まだ未練があるわ!」(ポーの一族/メリーベル)状態である。アラン・トワイライトになれるならべつになんでもいいですが……
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2019.11.16
前回の試験で来た時は凶引いたんだけど(別のおみくじだけどね)今回は大吉!
多分ダメだけど、前回よりは良くなったよってことなのかなあ。
良いときはますます努めて、悪いときは必ず後でいいことがあるから精進しなさいとのこと。
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2019.11.16
試験が終わった足ですぐさま善光寺へ向かって、お礼のご挨拶。
もっと頑張れるよう、閻魔達磨を頂いてきた。
目を入れて、学芸員になるまで努力。
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おれもお前も全員100点
就職試験が週末に迫り、面接用の原稿と小論文用のテーマ出しをひたすらやってて頭がおかしくなりそう。
「はやく仕事させてくれよォ〜〜〜〜!!!」と頭の中で唸るが、そうは問屋が卸してくれないこの世界。
同期は着々と進捗を生んでいるのにアタシはまだ...とお気持ちつら太郎よ。
比べたってどうしようもないよと、お心の自意識過剰娘をなだめすかして、もう少しやるぜ。
しかし、就職活動ってのはしんどいな、こんなにメンタルを打ち砕いてくるイベントを通過した人全員ほんとうにえらい。
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災い転じて
2019.11.12
クレカの支払いをミスって(分割にしたら限度額を超えていて強制的に一括になった)素寒貧になったのでまじめに自炊して、お弁当もつくるようになった。
久しぶりに米、しかも新米を買ったらとってもおいしくてびっくりした。
そして添加物を食べる量が相対的に減ったのか、毎日お菓子を食べてるけど前より肌荒れもましな気がする。
自炊......只者じゃないな......
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春じゃなくても桜が見られるね
2019.10.04 金
新しくたたるという大阪中之島美術館の新収蔵作品、サラ・モリスの《SAKURA》を見にB1へ行ってきた。
いろいろな言い訳をつけて後回しにしてきたツケで、ぜんぜん埋まらない発表原稿をなんとか半分書き終えて、いつもよりちょっと早めに研究室を出る。いろいろなことと向き合わなくてはいけなくてじわじわとつらい。今日はこれだけが楽しみだった。
1時間もない作品だったと思うけど、19時には閉館だから、18時には着いてたい。大学から梅田までは実は思ったより時間がかかる。もうずいぶん同じ道のりをくりかえして慣れてしまったから、体感的にはすぐなのだが、到着する頃にはいつも思っている3倍の時間が経っている。
目と鼻の先にあるバイト先��インターン先は毎週のように通っているのに、B1に来るのは久しぶりだ。あたらしい美術館の概要とか、過去の展示のカタログが置いてある。建物はなくても作品はもっていたから、これまでも展示は行なっていたという。美術館は実際にかたちになるまで10年近くかかったそうだ。
美術館のことはほとんど見ないで、そのまま奥のブースに入った。
入った時はおよそ映像の半分くらいのところ、ゴミ処理場の映像が写っていた。
実のところ、もっと叙情的で静かな雰囲気の作品なのかと思っていたので、結構な音量でBGMが鳴っていたのに驚いた。BGMじゃなくて、撮影した時の音とかが流れるもんだと思ってた。ずいぶん勝手な想像をしていたんだな。SAKURA(桜)という言葉が自分のうちにかなり偏ったイメージ(なんとなくナショナリスティックだ)をつくりあげているという事実に直面する。
BGMの力は絶大だ。梅田のビル街、バイト先の近くの中之島の景色、文楽。自分にとってなじみの場所も、いつもと同じ音が聞こえないだけで知らない場所のように思える。音によって風景が(あるいは自分が)くるまれてしまって、目の前にあるのにさわれない、にせものみたいな気持ちになってくる。
担当学芸員の大下裕司氏のテキストには、「観光とは常に迷子であり、」作品が「大阪という場所の面白さを映し出して伝えると同時に、大阪という世界を迷子として彷徨うことを促している」とある。「迷子」。言い得て妙だ。
どれもが知っている景色なのに、耳慣れない音のせいで全然違うものみたい。あっという間に迷子になれる、観光客じゃないのに。
タイトルがSAKURAとついているだけあって、たびたび桜が登場する。冒頭に出てきた桜吹雪が舞うシーンは、なぜか冷静に「いい絵が撮れたね...」とか思ってしまった。
桜の映像なんて毎年何度もテレビで見るはずなのに、いざ見てみると美しさに涙がこぼれそうになってしまった。想像しているよりもずっと、桜はさまざまな感情や意味をともなって自分の裡にあることに、また気づかされる。
エンドクレジットのシーンが、日が暮れて暗くなった万博記念公園(たぶん)の桜並木なのもよかった。ゴシック字のタイトルが大きく写るのも。
暗闇の中にぼんやり広がる桜、それはお花見のあとの景色に似てる。《SAKURA》を見終わってうちのめされているわたしたちに、現実に戻らなくてはいけないと、景色が明確に「終わり」を告げる。
新しい美術館の収蔵品になるこの作品は常設で展示されるのだろうか。
きっと美術館ができたら私は頻繁に通うだろうから、常設展示でいつも流れているとしたらきっと慣れてしまうだろう。
「そうしたらもうあたらしい気持ちで作品に向き合えないだろうか?」ちょっと不安になったが、よくよく考えれば、優れた作品は常にわたしたちになにかを考えさせるし、どんな気持ちになるかはその時の自分のコンディション次第でしかない。杞憂だな。はやく、あの黒々としたハコの中でもう一度《SAKURA》に会いたい。
帰り際に通り過ぎた中之島公会堂では、文楽のイベントをやっていて、十数分前に見た映像がますます幻のような気がしてきた。
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