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“「燃えよドラゴン」の「don’t think, feel」という有名なセリフは「直感を信じよ」という意味ではない。本編を見れば、「目標設定を誤るな」「修練そのものに囚われるな」という意味だとわかる。(以前も書きましたけど) もともとは、弟弟子と組手をする際、打ち出す手に注目してしまう弟弟子に、 「Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon.」と言って、 「月を指差す時は指でなく月を見るだろ? 目的を間違うな」という意味で言った言葉です。 (割とこの言葉は人生訓のひとつなんで)”
— Twitter / @mnishi41
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“技能や藝能を身につけようとする人は、「上手にできないうちは、うかつに人に知られまい。ひそかに学んで十分熟達してから、人前に出るようにすれば、たいへん奥ゆかしく見えるであろう」などとよく言うようであるが、こんなふうに言う人が、一藝も習得したためしはない。
まだまったく未熟なうちから、名人のなかに入って、貶されたり笑われたりしても悪びれず、平気な顔で通して稽古に励む人が、生まれつきの素質はなくとも、倦まず弛まず勝手をせず年月を過ごすと、才能はあるが稽古に励まない者よりも、けっきょくは名人の地位に達し、貫禄もつき他人からも認められて並ぶ者のない名声を得ることになる。”
(「徒然草」・p366)
ここでも同じようなこと言ってる。
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(via Xユーザーのしゅごしゅぎさん: 「"決意"をしたあと寿司頼んだみたいになっちゃってるな https://t.co/LcRg4VOnF8」 / X)
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最近数年、ヒップホップミュージシャンがよく私の外来に訪れます。大麻取締法で逮捕されたのを機に、弁護士さんから「治療プログラムに参加しなさい」と指示されてやってくるわけです。 ほぼ全員が20年あまりの長きにわたって毎日タバコ感覚で大麻を吸ってきた人たちです。いずれもこれといった健康被害もなく、よきミュージシャン、よき家庭人でした――大麻愛好家であることを除いては。 しかし、逮捕を機に生活を改め、それこそ20年ぶりに大麻なしの生活を始めます。大麻の場合、覚醒剤のような強烈な渇望感を自覚することもないので、みなさん、拍子抜けするほどあっさり断薬します。 ただ、周囲はかなり迷惑します。実際、家族から、「大麻をやめたのはよかったが、最近キレやすく、物忘れやなくし物が増えた。大麻の後遺症ではないか?」と相談されます。 しかし、よくよく話を聞いてみると、大麻使用以前からの問題であることが判明するわけです。たとえば、小学校時代は授業中に私語が多いとか、突然、教室内を歩き回ったり、教室から出て行ったりして、始終教師から注意されたり、親の呼び出しを受けたり、自分だけ教壇に横に机を置かれて授業を受けさせられたり、といったエピソードです。 つまり、大麻愛好家ラッパーの多くがADHDであり、どうやら大麻――それも特に「サティバ種」――にもまた、ADHD治療薬としての効能があるようなのです。 そこで、治療のなかで大麻の代わりにADHD治療薬を投与することがあります。もちろん、効果はあります。態度は穏やかになり、物事を落ち着いて判断できるようになります。 しかし、問題もあります。「治療しすぎてしまう」のです。ADHD治療薬を服用すると、多動を解消するついでに、ラッパー独特の手振り身振りが目立たなくなり、その人からラッパーっぽさが消えてしまいます。 それから、治療薬はADHD独特の「過集中」を改善してしまいます。大麻の場合には「過集中」を改善しないので、それを生かしてラップのリリック書きに没頭できます。ところが、治療薬の場合には変にまったりとしてしまい、あの、一気呵成にリリックを書き上げる勢いが失せてしまうようです。 誤解を怖れずにいうと、ヒップホップミュージシャンにとっての大麻とは、ADHDを治療しすぎずに「その人らしさ」を残す、という魔法の治療薬なのかもしれません。
「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦) – OHTABOOKSTAND
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“子供は出しっ放しのレゴブロックを踏みつけた時の痛みで部屋を片付ける事の大切さを学ぶし、大人だってマックのポテト全サイズ150円キャンペーンでLを頼んだ時の胃もたれで適量を学ぶし、基本的に人は失敗から学んでいくので、怪我のしない道だけを子供に歩かせてやるのが大人の仕事じゃないんだよ”
— 海さんのツイート (via hutaba)
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“インターネットのコンテンツみて怒っている場合、「怒らされている」っていうのを自覚した方がいい”
— Xユーザーの筆禍@コミティア う43bさん (via wwwwwwwwwwww123)
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“なぜかこの選挙中、メールで、候補者に×をつける投票も認めようとか、入れる人がいないから白票を入れるので白票の数も数えて云々という意見が 多く寄せられた。 民主主義はそんなに甘いものではない。立候補している候補者はろくでもない、気に 入らない、だから×、あるいは白票を入れよう、自分は安全なところで何もしない。そんな都合のいいことが通るわけはない。 民 主主義には権利と義務がつきまとう。権利は選挙権であり、被選挙権だ。そして、義務も全く同様に選挙権であり、被選挙権だ。 手 を挙げようとしている人間がろくでもないというならば、彼らに×をつけて非難するのではなく、自分が手を挙げる。それが民主主義だ。自分が手を挙げる覚悟 も勇気もなくて、手を挙げた人間の悪口を言って事が済むほど世の中は甘くない。 手を挙げた人間がろ くでもないならば、自分が手を挙げる。自分が手を挙げる覚悟と勇気がないならば、それを持って手を挙げた人間の中からベストを選ぶ。それが民主主義だ。 選 挙権を持った国民、被選挙権を持った国民それぞれがフィールドに立っているプレイヤーだ。自分はPKを蹴らないけれど、外した奴の批判はする、では通らな い。あいつはPK外しそうだというならば、自分が蹴ろうとするべきだ。”
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河野太郎公式サイト | 民主主義の権利と義務 (via tatsukii) (via pedalfar) (via etecoo) (via kml) (via ipodstyle)
これ選挙スレのテンプレになるな
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