nanane-novel
7 posts
Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
第一話「不可思議と影」 (6)
「ハノちゃんって、いうのかい? 花が咲くような、大地にうるおいを与えるような素敵な名だね……僕はユエ、一応このフライハイトに所属している者さ」 青年はやわらかにほほ笑んで、礼儀正しく会釈をした。 ハノは、はっとして辺りを見回した。壁に飾られた、雄々しい白い鳥が描かれた旗を見つけて確信する。この建物は昨晩村長にも教わった冒険者協会フライハイトそのものだったのだ。民間人の護衛や情報収集、魔物の退治など様々な依頼を承っている、いわゆるなんでも屋のようなものだ。 清潔感漂う小奇麗な木造の建物で、大きく育った観葉植物がところどころに飾られている。それに数個ほどならべてある木の丸テーブルやイスも、使い古されているのか、傷はあれどまだまだ丈夫そうだ。スプリードの一番広い部屋より広い、酒場を思わせるような場所だ。“定職にもつかず、武器を振り回すならず者”と呼ばれる者たちのすみかにはとても見えなかった。 しかし、そこにいるがたいのいい男らは剣や斧をテーブルに立てかけ、傷だらけでごつごつした大きな手でジョッキを握り、豪快に酒を飲み交わしている。やはり、ハノが想像する冒険者のすみかなのである。 「アンタみたいなすごいひとに出会えてよかったよ。あぶないところを助けてくれてほんとうにありがとう、ユエ!」 ハノが握手をもとめると、ユエもそれを快く受け入れてくれた。 「どういたしまして。君は無邪気であたたかくて、まるで太陽を思わせるようだね。そんな魅力的な女性に出会えたことを僕は誇りに思うよ」 これが一般的には口説かれているのだということに気がつくはずもなく、彼のつむぐ言葉やどことなく優雅なしぐさが、森に住む少女にはとても神妙に映った。はじめて会ったひとは彼を一目見て冒険者だとはわからないだろう。 細身で長身である彼のいでたちは、温暖なこの国には不釣合いな北国のものだった。コートの襟や袖にあしらわれた黒い毛皮、その下にまとったチュニックは金糸で紡がれた優美な模様が描かれ、首元をリボンタイでまとめた純白のブラウスが、高貴で上品な香りを漂わせていた。白い肌にかかった長い白藤色の髪はリボンでゆるく束ねられている。貴族のような美しい装いの青年であったが、そういうひとびとに慣れていないハノにも、近寄りがたいとか親しみにくさというものはなかった。 「なにをしでかしたのかなんて野暮なことは聞かないけれど、ユミリア王国軍には気をつけたほうがいいよ。君みたいなかわいい少女にだって容赦しないからね」 水のように澄んだ青い瞳が、ハノの表情を映す。あっけにとられたような顔だ。 「ユミリア王国軍ってまさか……」 肝心なことが頭から抜けてしまうのは、ハノの悪いくせである。村長に叩き込まれた知識が、滝のようにハノの脳内に流れて出てくる。その瞬間最初に理解できたのが、逃げきれたのは運がよかったということ。彼らはこの国が率いる兵士達で、そしてその中でも黒服を着た集団は特別治安部隊”セイバー”と呼ばれている優秀な人材を集めた者たちだ。彼らはなにか大事な任務を成し遂げようとしていたのかもしれない。おそらくハノは、その邪魔をした敵と思われているに違いないだろう。 「オレはただ、鳥人のおんなのこを助けただけなのに」 ハノはうつむいて、ささやくようにひとりごちる。ユエの眉がわずかに動いて、そっと彼女の顔を覗きこんだ。 「鳥人のおんなのこ、とは?」 「……綺麗なみどり色の目をした子だったよ。王国軍の――黒い眼帯をしている男を見てすごく怯えていたんだ。あれはただ事じゃないと思ってさ、それで思わず逃がしたんだ」 「なるほど、君は共犯とでも思われたのだろうね」 その時の状況を思い出し、ルビーの瞳は輝きをにごらせる。治安部隊に追われるということは、あの少女がなにか悪事を働いたのだろうと、ユエは予想しているのだ。しかしハノにはどうしてもそうは思えなかった。明確な根拠があるわけではない。ただ、涙に濡れなにかを訴えるようなエメラルドの瞳が脳裏に焼きついて離れないのだ。 「あの子は、悪いことをして逃げているようには見えなかった」 その言葉を聞いて、ユエはすこし考えるような仕草をした。それから一瞬おどろいたような、おもいついたようにも見える表情をすると、ハノを手招いて小声でつぶやいた。 「だとしたらそのおんなのこは、この国で起きている事件の被害者かもしれないね」 「……事件って、どんな?」 ユエの表情がわずかにくもったような気がした。ハノは聞いてはまずかったかと思いながら、物語るように淡々と話を進める彼に耳をかたむけた。 「精霊病と呼ばれた病を患ったひとがいる。そのひとは何かにとり憑かれたように、暴れまわり周囲の人間に被害を与える。ただ一般人が暴れるだけなら僕たちには止められるんだけど、厄介な事にその病にかかったひとは人間でも、鳥人が使うような魔法を使えるんだ。それも結構強力なものをね」 鳥人には、男性が鳥に変化することができ、女性は風を起こす力を持っていることは、ハノも知っていた。万物に宿る精霊に力を借りるだとかそんな話を聞いたことがある。人間にはその精霊の姿も声も聞こえないはずだった。 「そこで鳥人の王族に病にかかった人間を見せたら、なにか精霊と近いものの気配がすると言ったそうだ。精霊は純粋な血統を持つ鳥人ではない限りその姿を見たり、話したりすることはできない。見ることができても、止められなければ意味がないけどね……王族でも気配を感じ取るだけで精一杯だった。だから、今のところとり憑かれたひとを隔離するしか、対処のしようがない」 諦めたようなユエの言葉に、ハノは思わず身を乗り出していた。 「鳥人なんて街にたくさんいるだろ! 誰かひとりくらいはどうにかできるんじゃないか?」 ユエは参ったというように肩をすくめて、 「いや、ここは鳥人が治める国だけど、人間の数も半分ちかくいるだろう? 純粋な血統は年々途絶え、今は王族だけといわれているんだよ。でも、その王族も役に立たなかった。それで、さっきのユミリア王国軍のデスティ・リューリスはその精霊に取り憑かれた人を助けるべく、殺すという選択を実行してい���」 そう語る時の瞳はどこか遠くをみつめていた。 ハノは驚きのあまり言葉もでなかった。助けるために殺さなければならないなんて、それは助けるとは言わない。胸の奥から、言い表せないなにかがふつふつと沸いてくる。 「当然とり憑かれた人間が亡くなれば、騒ぎはしばらく治まるけど、憑きものが消滅したわけではないから……また別の人に乗り移る可能性は大きい。根本的な解決にはならないんだ。実際にもう十人以上は被害に遭っているし」 「さっきのおんなのこが、その病気にかかっているっていうのか?」 「あくまでも、憶測だよ」 念を入れるように、冷静な声でユエは言った。 こんな悲惨な事件があったなんて、全く知るよしもなかった。自分のなくしものをのん気に探している場合なのだろうか。己の無知さにハノは拳を強く握るしかない。この街は豊かで活気のある、平和な街だと思っていたのに。 ユエはうつむいているハノを見、ちいさくため息をついて、苦い笑みをうかべた。 「ああ、ごめんね。会ったばかりの君にこんな話をするつもりはなかったんだけど」 気にしなくて良いという意を込めて、ハノは黙って首を横に振った。そのあと、無意識に心のなかにうずまいていた決意が勝手に口をついてでてきた。 「なあ、ユエ! あの鳥人のおんなのこが殺されるなんて納得いかないよ。助けたい」 「その子は、君の知り合いなのかい?」 「……そうじゃないけど、ほっとけないよ。だってあの男、絶対本気だ」 まるで憎悪をぶつけるかのような紅い瞳を思い出すと、今でも背筋が凍りつく。あれを殺気というのだろうか。 ハノは先ほどからずっと、目の前にある旗を見ていた。女性の鳥人には、この旗に描かれた鳥のように大空を羽ばたく力はない。この城塞の檻の外に逃げることなんてできない無力な雛。助けてくれる者が必要なのだ。 ユエはふと、木窓の外をちらりと横目で見てから、ハノの方に視線を戻した。 「君はやさしいんだね。でも、今は自分の心配をしたほうがいいと思うよ」 ハノは理由を問うように、ユエの顔を見た。そこにはいつものようにおだやかな笑みはなく、無表情でありながらも警戒の色がうかがえた。 「三人……いや、四人かな」 「……なんのことだ?」 「この協会の周りを張っているネズミの数さ。僕が見張られているのか、もしかしたら君が出てくるのを待っているのかもしれない。どっちにしても僕は彼らからとことん信用されていないらしいね」 噂をすればなんとやらか――そう言ってやれやれと肩をすくめる時の表情は、どこか楽しんでいるようにも見えた。まるで他人事のようである。 ハノは一瞬、背筋に黒い影が通り抜けたような気がした。 「……もしかして、王国軍がいるのか?」 ハノがつぶやいたちょうどその時、カウンターの奥の扉から妙齢の女性が姿を現した。おそらく協会の職員だろうか。読書にふけっていたのか、ぶあつい本を片手に抱え、来客に今しがた気づいた様子だった。目についたハノをもの珍しそうに頭の先からつま先まで見たあと、その傍らにいたユエの方へ視線を向けあきれた風に口を開いた。 「やはりユエさんでしたか。女性をたぶらかしている場合ではありませんよ」 「やあ、ノア。君も気づいたのかい? さすがユミリアの野に咲く美しい薔薇だ。突然だけど、ここを頼めるかな」 彼女の冷めた視線を溶かすように、ユエが向ける瞳はとても嬉々たるものだった。先ほどまではハノにもそんな視線を向けていたので、どうやら彼は女性とあらばいつもこの調子なのだろう。 ノアと呼ばれた真面目そうな女性はといえば、ユエの頼みを聞いているのか聞いてないのか、さりげなく握られた手を押しのける���ハノの方へ歩み寄って軽く会釈をした。 「ようこそ、冒険者協会フライハイトへ。お話は伺っています。私は依頼の受付を担当しているノアと申します。あなた様のお名前は?」 「ハノだ」 「ハノ様、うちの冒険者がご迷惑をおかけしました。あなた様の安全は彼がお守りしますので、ご心配なく」 ノアは切れ長の目で睨みつけるようにユエを見た。それでも彼は、余裕しゃくしゃくたる態度でのん気に笑っている。ご機嫌にノアの手を握って別れを言ったあと、片手でハノの肩を抱きカウンターの奥の部屋へと促した。 ハノにはなにがなんだか把握できず、されるがままの状態でユエの横顔を見上げた。 「ユエ、これからどうするんだ?」 「僕と愛の逃避行なんてどうかな? 秘密のデートコースがあるんだ」 「無駄口は逃げ切れてからお願いします」 背後から聞こえたノアの声に、ユエは片目を閉じて合図を送った。
0 notes
Text
第一話「不可思議と影」 (5)
「今だ、早く行け!」 戸惑いがちだった鳥人の少女はハノの声をきっかけに、人ごみの中へと駆け込んでゆく。人が多いのが救いか、その数秒たらずでも少女��姿がすぐに見えなくなった。 白銀髪の男は駆け出そうとして、目の前に立ちふさがった赤髪の少女を怪訝な目で見下ろした。空気が張りつめるような、威圧感のある、それでいてどこか冷ややかな雰囲気を放っている黒い眼帯の青年。 無視して通り抜けようとする彼をハノが右手で阻止した。そして隠し持っていたものを投げようと振りかぶった瞬間に、青年に手を掴まれる。一瞬ひるんだハノだったが、不敵な笑みを浮かべると手に掴んだそれを思いっきり握りつぶした。同時に黒い煙が辺りに広がり、彼は素早く手を放す。ハノが後ろへ跳びのく。 ハノはよし、と呟いた後、煙に隠れた青年がいるであろう方へ体を向け、できる限り少女が逃げる時間を稼ごうと思った。 「悪い、ちょっと手がすべったんだ。アンタがそんな物騒なもの持ってるからさ」 次の瞬間、彼女の目の前で突風が起った。しかし、視界が開けど青年の姿は見当たらない。探す暇もなく突然どこからか腕を掴まれ、勢いよく壁際に叩きつけられた。背中に走る衝撃と行き場のない恐怖。目を開けた瞬間に飛び込んできたのは首元に突きつけられた刃先と、青年の姿だった。 周りは一連の騒動にざわめいていたが、ふたりの沈黙に釣られるようにしんと静まり返った。 時間がゆっくりと流れているという感覚は今のことを言うのだろう。ハノの視界にあるのは、彼の鋭い片眼だけ。血のような、深い赤色の宝石。決して燃えることのない、黒く染まりゆくような、赤。ハノのルビーの瞳はその赤から離すことができなかった。 ――殺される。とっさにそう思った。こんなところで死ぬわけにはいかない。ハノは震える手を動かそうとした。しかしその前に、突きつけられた剣はあっけなく下ろされ、青年はハノから身を引いたのだ。 口をぽっかりと開け、壁に身を預けたまま立ち尽くすハノに、青年がなにかを言いかけた時だった。 「デスティ隊長! こんなところにいたんですか、探しました!」 白銀髪の男は表情一つ変えず振り向く。人ごみを掻き分け、息を切らせながら現れたのは、デスティと同じ黒服を着た冴えない青年だった。上司がよっぽど怖いのか、青年は目を合わせた途端蛇にでも睨まれたかのようにその場に固まってしまった。 「なんの用だ?」 「あっ、はい! ル、ルーウェン副隊長が探しておられました。今回の事件についてわかったことがあると。えーと、あの……そこの女性は?」 ハノは我に返った。デスティは背を向けている。逃げるならば今が絶好の機会だ! 「通りすがりの田舎者、ハノ・ウィシュライトだよ!」 叫びながら、着ていたマントをデスティへ向かって脱ぎ捨てた。無我夢中で露店のイスやテーブルを伝い、壁をよじ登り、二階建ての屋上まで跳び移って見せる。火事場の馬鹿力とはこのことだろうか。街の人々の視線は彼女に釘付けだった。 捕まえろ。そんな声が聞こえた気がしたが、ハノは足を止めるわけにはいかなかった。そのまま反対側の道へ飛び降りて、隠れる場所はないかと辺りを見回す。追っ手の足音が迷わずこちらに近づいてくる気がした。 「このままじゃまずいな……」 「なんだかお困りのようだね? お嬢さん」 今の状況には不相応な、穏やかで陽気な青年の声。ちょうど背後の建物に寄りかかっていた、見知らぬそのひとがハノへと手を差し伸べてきた。助けてくれるということだろうか。胡散臭くはあったが、一か八かハノはその手を信じてみることにした。手を掴むと同時にほほ笑む青年と目が合う。 迷いも無く大きく引かれた手に導かれ、すぐさま建物に放り込まれる。彼が外に出たままだということに気づいたのは、もうすっかり息が落ち着いた頃だった。 ハノは外の様子を探ろうと、壁際に寄りかかりそっと耳を澄ましてみる。 「ここに赤い長髪の女が来なかったか?」 「ああ、来たよ」 聞こえてきた会話に心臓が跳ね、思わず息を潜めた。自分の鼓動が嫌に大きく、静まり返った室内に響いている気がする。やはりひとりで逃げるべきだっただろうか。足を踏み出そうとも、どうしてかうまく足が上がらない。ハノは青年たちの会話を聞いているほかになかった。 「確か、一時間前に……依頼者のご婦人だったかな、それはもう三人の子の親とは思えないほどに絶世の美女でね」 「いや、もっと若い少女だ」 「おや? 僕の勘違いだったかな? しかし女性はみな誰もが少女のようなか弱き心を持っている。少女と言ってもおかしくはないだろう?」 「こっちが言っているのはそのままの意味の少女なんだが」 ハノは青年の話している内容に自分がいないことに気がついた。相手をする王国軍の隊員の方も青年のペースに乗せられている。隣に居た隊員が青年と話す隊員へ耳打ちをする。青年は飄々とした調子を崩さずに話を進める。 「なるほど、それじゃあもしかしてご婦人の子供の方が目当てというわけ――」 「……もういい。フライハイトの問題児に聞いたのが間違いだった。他を探すぞ」 そんな呆れたような男の声を最後に、複数の足音はあわただしく遠ざかってゆく。ハノはまたぽかんと口を開けるしかなかった。やがて扉を開ける音で我に返る。 「やあ。待っていてくれたんだね。もうだいじょうぶだよ、近くに敵の気配はなくなった」 さきほどの青年がにこやかに建物の中へと顔を覗かせれば、ハノはそれと同時に一気に力が抜けて、崩れるようにその場に腰を落としたのだった。
0 notes
Text
第一話「不可思議と影」 (4)
背伸びをしながらぐんと空を仰ぎ見た。ハノは太陽の周りを囲むように飛ぶトンビを細目で眺め、だいぶ歩いたなあとひとりごちた。森の木々は色を変えず、赤髪の少女を静かに見守っているようだ。 どこまでも続くような木々と、生い茂る色とりどりの草花、たわわに実る果実の香りが広がる森。リスやうさぎが木の影から顔を出してこちらの様子を覗いているように見えた。穏やか、平和。そんな言葉が似合う森だった。豊かであるのに、危険は感じない。 ここに住まう者だけが知るひみつの領域、邪なものは近づくことさえ許されないような、ふしぎな――神聖な森も、世間ではよその者が入ったら出て来れない、恐ろしい迷いの森と呼ばれているらしい。 順調に歩き進めるうちに、街道と共に灰色の門が緑の中から顔を覗かせた。森から抜けたのは久方ぶりだ。まっすぐな青空と、大地をつつみこむような入道雲、まだ緑が多い街道にどっしりと身を置く灰色の城塞都市は、重く冷たい印象だが、どこかたくましくも見えた。多くのひとびとはこの中で生まれ育ち、ほとんど外の世界を知ることなくやがて生まれた場所で死にゆくのだ。一生森で暮らす予定のハノも同じようなものだが。 森から出たということは、魔物に遭遇する確率もあがったことになる。ハノは首に下げた赤い魔除けの石を握り、早々と街道を進んでいった。 無事にアーチ状の城門まで着くと、その両端には灰色の甲冑を身にまとった兵士が石像のように佇んでいた。 「女一人旅か。どこからの者だ?」 「えーと、ス……違った。アマギ司祭の弟子だよ」 「アマギ司祭? ……ああ、森に住んでる変わり者か。弟子がいたとはな」 少し不思議そうな目は向けられはしたが、やがて門を開けてもらったハノは、石のアーチをくぐる。ぶあつい城門を抜ければ、少し長い石畳の通路が続き、またふたつ目の門が姿を現した。これもなかなかにぶあつい。その門と門の間には道があり、商人らしきひとの姿や他の都市への移動手段である馬車がいくつか止めてある。 ハノは未知の世界に期待を寄せながら、ターリナスへと足を踏み入れた。 「わあ……!」 思わず感嘆の声を上げるほど、外面から眺めた印象とはちがう世界だった。 最初に足を踏み入れたのは、大きな広��だ。石畳の模様が絵を描いたように色とりどりに並べられており、その中央にあるレンガに丸く囲まれた花畑が印象的だった。白くてかわいらしい、確かこの花は飴のような名だったはずだ。 その四方八方には道が繋がっており、立派な石造りや木の建物、様々な店や露店が立ち並び、商人たち��多くの客を呼び寄せようと盛んに声をあげている。 ハノはなによりも、凄まじい人の数に感心するばかりだった。耳の尖ったひと、翼の生えたひと、自分たちとおなじひとまでさまざまだ。中には頭上を飛んで荷物を運ぶ大きな鳥の姿もあった。 まるで祭りを連想させるような光景だった。道ゆく人々もみな、笑顔が絶えず、純粋にこの幸せの一時を過ごしているのだろうとハノは思った。 やがて北東の方角に、灰色の高い城が目についた。中央には城に刺さったかのような、釣鐘塔が空高く伸びている。その周りを囲む凸凹の城壁、花びらにも見える窓の形が特徴だ。この王国を治める鳥人の王族が住んでいるらしい。歴史ある城だとかなんとか言っていた村長の知識は、ハノの頭からはるか彼方へ飛んでしまっていた。 そんな活気溢れる街にカラスが大量発生どころか、一羽たりといる気配はない。 ハノは腰のかばんからちいさく折りたたんだ地図を取り出して、いざ開いたはいいものの、すぐそれを戻してしまった。そういえば、この街の地図なんて持っているはずがなかった。 「……よし、勘で行くか!」 迷える田舎者の少女は、仕方なく城を目指して歩くことにした。そのうち歩いていればみつかるだろうと思うと同時に、少しこの街を見てまわりたい好奇心に駆られたのだ。森以外を探索するなど何年ぶりだろう。 ハノがなんとなく入った広い道は両端に店が並ぶ通路が続く、商店街のようだった。ふわりと漂う甘い香りは蜂蜜のパンケーキだろうか。その後には香ばしいバターような香りが漂い、食欲を誘うばかり。ハノは空腹から気をそらすために、城を見ながら歩き続ける。正面をみて歩こうとも、人通りの多さゆえに、数歩先の道もわからないほどだ。 すると突然、曲がり角から飛び出してきたなにかとぶつかってしまった。同時に果物やパンが周りに散乱する。道行く人は一瞬視線を浴びせたが、ぶつからないように避けて通るだけだった。 ハノは地面に座り込んでいた少女――おそらくぶつかった相手――に、あわてて手を差しのべる。 「悪い、だいじょうぶか?」 すぐに少女と目が合った。透き通ったエメラルドのような瞳を揺るがせ、白いローブのフードを素早くかぶりなおす。一瞬見えた長い耳は、おそらく亜人――鳥人の証だろう。彼女は差し出された手を取ることはなく、周りに散乱しているパンや果物をいそいそと拾い始めた。見ず知らずのハノを警戒しているのだろうか。 ぽかんとしていたハノもやがてああそうか、と納得したような顔をすると、拾うのを手伝い始める。 すると、ふと視界の隅にひと筋の黒が過ぎった。カラスかと顔を巡らせるが、違う。胸に十字架を着飾った黒い服、裏地の赤いマントが風に揺れている。人ごみの中から歩いて来たのは白銀髪の男。ハノは思わず手を止めた。彼の左手には剣が握られ、道ゆくひとびとが恐れおののいたように、道を開けだしたからだ。 状況が把握できず、ハノはその疑問を少女へと投げた。 「なあ、あの男はアンタの知り合いか?」 されどその返事は、少女が手に持っていたりんごがするりと落ちるだけだった。地面とぶつかる寸前にハノの手がその間に滑り込んで、その赤い果実を差し出す。 「ほら、落ちたぜ」 「……」 少女の怯えた瞳はハノではなく、黒服の男だけに向けられていた。まるで吸い込まれてしまったかのように。 心配になったハノがそっと近づき少女の肩に手を置くと、か弱いそれは小さく跳ね、かすかに震えていた。瞳からこぼれ落ちている雫が、かぐわしい花の香りと共にしずかに風に飛ばされる。 宝石のような透き通ったな瞳と目が合った。助けて。ハノにはそう言っているように見えた。 ハノは男との距離を確認すると、とっさに少女に耳打ちをした。それを聞いて目を見開いた少女に、だいじょうぶとほほ笑えむ。拾ったりんごを少女の抱えている袋に押し込んで、心なしか重い足取りで青年のところへ向かう。だいじょうぶ、怖くはない。魔物を追い払うようにすればいいのだ。
0 notes
Text
第一話「不可思議と影」 (3)
いつものスプリードの朝は日の出と共に始まり、ちいさな森の住民たちはそれぞれ畑仕事や朝食の準備、洗濯など分担された仕事を黙々と始め、朝食の匂いに誘われ食卓へと集まり、みんなで手を合わせ、賑やかな――いや、戦争のような朝食の時間を迎えるというのが基本だった。 ハノの部屋は二階の端にあるひとり部屋だ。今日だけはその戦争に巻き込まれなくてすむのだと思うと、目覚めがよかった。すこし歪な手作りの木のベッドから勢い良く起き上がり、まだ太陽が眠る薄暗い森を窓から眺め、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込む。 やがて軽い朝食――好物の野菜スティックをほおばりながら、お金や地図、携帯ランプといった最低限の荷物をちいさなかばんに詰め、それを腰にくくる。いつもは使わないふるぼけた茶色のマントを羽織れば出発の準備は完了だ。 ハノは踏むたびに、ぎぃと音を立てる木の階段をゆっくりと降りながら、魔物との戦闘を覚悟しなければと心に留めていた。加護の森の外のことはよく知らない、魔物が出るかもしれないということだけだ。戦いは好まないが、追い払う術くらいはある。 まだぐっすり寝ている子どもたちを起こさないように、そっと扉を開けて外へ。ほどよくひんやりとした風を頬に受けながら、くわえていた野菜を食べほし空を見上げる。藍と青のグラデーション、点々と瞬く星たちに視線は吸い込まれる。今日も加護の森は美しかった。 「おはよう、ハノちゃん」 静まりかえった森に響く声にはっとする。家の裏にある菜園の方から、ちょうど村長が顔を出したところだった。 彼がいつも着ている白いローブはところどころ土で汚れ、背中にカゴを担いだその姿はさながら農夫のようだと見るたびいつも思う。いっそ転職したらどうか。使い古された道具がよりいっそうそれを印象づける。 「おはよう、村長。こんな早くに起きて、体はだいじょうぶなのか?」 「なあに、平気さ。最近は調子がいいんだ」 そうは言っているが、村長は体が強いほうではない。このとおり元気だと言わんばかりに腕まくりをして、悠々と笑って見せる。そのしぐさは華奢な彼には似あうとは言いがたく、ハノは思わず苦笑いをこぼした。無理はするなよ、という意をこめて。 村長はふいにカゴを下ろし、その中へと手を伸ばした。 「今日は珍しいものが採れたよ。なんだか不吉だ」 取り出されたのは手のひらに収まるほどの黒くて丸いもの。なにかの石だろうか、実だろうか、近づいてよく目を凝らすと、どこかで見たような、いや、ハノにとっては馴染みのある形をしている。 「これは、黒い……トマト?」 「よくわかったね。最近までは緑色の実をつけていたんだが、どうしてか突然黒くなってしまって」 「……今までこんなことなかったよな」 不思議なこともあったものだと、感心の眼差しを送るハノ。 「ああそれと、ただ黒いだけではないみたいなんだ。見てごらん」 村長が手ほどきするようにそれを握りつぶして見せると、まるでえんまくのように煙を上げ、さらさらと砂がこぼれ落ちる。ハノは更に目を見張った。トマトは水分の多い野菜のはずだが、これは水分という水分が一滴も見あたらなかった。ただ単に突然変異というわけでもあらず、悪魔に魔法でもかけられたような不気味さ。 ハノがそれを興味深くじっと見ている始終、村長は思いつめるように押し黙っていた。 「なあ、村長これ食べれるかな。って、村長……?」 ハノが覗き込むようにして俯き気味の村長の顔を見る。彼の曇った表情を隠すように風で木々がざわめき、手のひらに残された砂も、はかなく空気中に消えゆく。村長は跳ねるように顔をあげると、ごまかすような笑みをハノへ向けた。 「ああ、すまない。さすがにこれはおいしくはなさそうだな……」 真っ黒な砂まみれになった村長の右手、宙に消えてゆく黒い煙をまたじっと見つめて、ハノはいいアイディアを思いついた。素早く顔を上げ、村長が驚いて飛びのく勢いで接近する。 「そうだ! そのトマト、他にもあるんだろ? いらないならオレにくれよ」 「おや、なにに使うんだ?」 ハノはふふん、と得意気に笑う。 「魔物にそれ投げつければ目潰しになるに違いない! きっと効果抜群だぜ!」 活きがいい声が森じゅうに響き渡ったのか、朝の合唱を繰り広げはじめていた小鳥たちが一斉に羽ばたきだした。子供たちを起こしてしまうと気づいて、ハノは慌て��自分の口を塞ぐ。その様子に村長はくすくすと笑っていた。 「そうだな、ありがとうハノちゃん。でもだいじょうぶ、魔除けの石は貸してあげるさ」 村長は懐から、ネックレスをとり出した。透き通った赤い石だけがついたシンプルなものだ。 ハノは少し意外そうな表情を浮かべた。 「それだと村が危険なんじゃないか?」 加護の森の外にゆく時は魔物に出会わないようにと、魔除けの石を持つ必要があった。だがハノの場合、盗まれたみどり色の石がその役目を果たしていたのだ。魔除けの石はまだ一般的には出回っておらず、高価で貴重なものであり、ほかに村にあるのは今差し出されたものだけ。 おそらくこの森に魔物が少ないのだって、その魔除けの石の効果だろう。ハノが持ち出してしまったら、どうなるのか。もしかしたら魔物が一気に押し寄せて――無意識に嫌な情景が浮かんでハノはかぶりを振った。 しかし村長から返ってきた言葉はいつになく力強いものだった。 「私だって子どもたちだって、伊達に何年も森に住んでるわけじゃない。だいじょうぶさ! この間だって、君が呑気に寝てる間、熊を追っ払ったじゃないか」 子どもたちがやたらと木の棒を振り回しながら、将来は戦士や騎士になれるぞ! などと得意気だったのが印象に残っている、その時のことだろうか。そして口々に「ハノねえちゃんを守ってあげる」そう言ってくれたのだ。守るのは年上である自分のほうなのに。 ハノは村長が手にした石を見つめながら、そんな小さな森の戦士たちを信じてみようと思った。 「わかったよ。なるべく早く帰ってくるようにする」 「ありがとう、ハノちゃん」 「礼を言うのはオレの方だ。それに、村長がくれたお守りだってあるしな!」 ふたりは同時に笑みを重ねた。ハノが片耳につけていた羽のイヤリングがふわりと揺れていた。 「あ。でもトマトはもらっていくな! 珍しいから高価で売れるかも」 「ははは。そういうところだけは抜け目がないね」 村長は留守はまかせてくれと言わんばかりに自信満々で、ネックレスをハノの首にかけてやった。小さいが、これが魔物にとっては嫌な気を放っているらしい。 もう少し村長と話していたいところだったが、日も昇り始め、そろそろ出発しなければならなくなった。子どもたちが起きてきたら着いてゆくなどと言いかねない。ハノは名残惜しい気持ちでマントをひるがえした。 「それじゃあ、いってくる!」 「ああ、いってらっしゃい…気をつけてな」 陽だまりのようなやさしい父に見送られながら、ハノは何度も元気良く手を振ってスプリードを出発する。 こうして遠くから見るスプリードの古びたログハウスは、ここに来てからずっと変わらないな、と思った。きっとこれからもそうに違いない。そうしてハノはスプリードへ背を向けたのだった。
0 notes
Text
第一話「不可思議と影」 (2)
話が終わったのか、村長は満足げにほほ笑んだ。 「その中のひとつの世界、正でも負でもない調和の世界がこの世界だと言われているというわけ��」 子どもたちはこぞって関心の声を上げていたが、ハノは頬杖をついて、ぼんやりと意識を睡魔の世界に巡らせながらふと思う。どこかで聞いたことがあるような話だ。 「そこでみんなは、精霊がどこにいるのか考えたことはあるかい?」 ほとんどの子どもたちは、首を横に振る。もちろん、ハノもだ。そもそも精霊が存在するという常識など、人間の自分たちにはなかったからである。閉鎖された、不思議な加護の森の空間に住んでから、ハノはこのユミリア王国の街にさえ行ったことがない。平和ぼけしそうなくらいだ。 村長が元司祭だったことをハノは覚えている。だけど今まで聖書を読ませられるなんてことはなかったし、教わりもしなかった。そんなことよりも、どうやって生活していくか、森にある果実や動物は食べても無害なものなのかを教えてくれ、そして共に学んだ。 「精霊はね、誰の目にも見えない」 「それって、いるって言えるのかな」 ハノが覇気のない声で独り言のようにつぶやく。村長はまるでそれを予想していたかのようにほほ笑み、人差し指を口元に添えると、辛うじて皆に聞えるようにつぶやいた。 「だけどね、いいかい。みんな、目をつむって耳をすませてごらん」 一同は不可解な表情を浮かべながらも、村長が先に目をつむったので、それにつられるような形になった。 すると耳に入ってくるのは、木々のざわめき、すきま風の音、鳥の歌声、水の流れる音――いつも聞いている自然の音だった。それと、音ではないが、窓から差し込む温かな日差しや、かすかに肌を撫ぜるそよ風の感触。それに運ばれるように香る花の香り。ハノにとって、いつもそばにいてくれた安心するもの、それこそ母のようなものだった。子どもたちや村長もきっと同じだろう。 村長の真意を考える以前に、ハノは心地よすぎて眠りの世界へと落ちそうであった。 「ね。ちゃんときこえただろう?」 子どもたちは目を開けたと同時に、首をひねりながら顔を見合わせているだけだった。村長は「やっぱりむずかしかったかな」と笑う。同時にハノが勢いよく机に顔面をぶつける音が響いて、一同はやれやれと苦笑いした。 ひとりの少年がハノを起こそうと、彼女の長い髪を引っぱる。ハノが「いてっ!」と叫びながら起き上がると、周りに笑いが起った。彼女は子どもたちよりひと回りもおおきかったが、まるで彼らと調和するように、幼い面影を持っているかのようである。 村長は額をさするハノの顔を見て、おかしいなとでも言うように首をかしげた。 「ハノちゃん、いつもつけてるサークレットはどうしたんだい」 「それがさ、カラスに盗まれちゃって」 石のついていない飾りを見せながらハノが答えると、村長は更に首を傾げる。 「カラス? カラスがこの森にいるなんてめずらしいな」 そういえばそうだ、とハノは言われてから気がついた。わざわざ自分の石を盗みにはるばる外からやってきたとでもいうのだろうか。なぜ盗まれたのかといえば、ハノが窓をあけっぱなしにしたまま、サークレットを窓辺に置いて寝てしまったのが原因だった。しかも盗まれる瞬間を夢うつつではあるが、しっかりと目撃していたのである。 なにかを考えているように視線を宙に泳がせていた村長は、思い出したようにまた口を開いた。 「そういえば、さっきの話を教えてくれた吟遊詩人から妙な話も聞いた」 「どんな?」 「ターリナスというおおきな都市に、カラスが大量発生してるとかなんとか」 「なんだって!」 ハノは机を叩きながら勢いよく立ち上がった。振動に合わせるように、子どもたちがびくっと飛び上がって彼女に注目する。 いくら探してもカラスがこの辺りにいなくなったのも、もしかしたらその都市に行ったのかもしれない。 「村長、オレ今すぐターリナスに行く!」 「今から?」 村長は驚いたようにハノを見つめた後、幾分なにかを考え込んでいるようだった。 ハノは返事も聞かないまま、家の外へ駆け出そうとしていたが、数人の子どもたちが、彼女にしがみつくように一斉に周りを囲みだした。 「ハノねえちゃんどこいくの? お勉強がおわったら、あそんでくれるって約束したのに」 「悪い、オレ大事な用事ができちゃって……。明日! 明日たっぷり遊ぼうな!」 「えーっ!」 声をそろえて嫌だ嫌だと騒ぎ立てる聞き分けのない子どもたち。ハノは悪いと思いながらも走り出そうとして、急に肩を掴まれてよろめいた。振り向くと、妙に暗いオーラを放ち、真剣な眼差しをした村長と目が合う。 「ターリナスまでは歩いて四半日かかる。今から行っても日が暮れるから、明日にしなさい」 「えーっ!」 「行くなと言っているわけではないんだぞ。明日にしなさい」 「……わかったよ」 ハノは納得がいかないような声色で、しぶしぶうなずく。村長の口元は笑っていれど、目がつり上がっているように見えたのだ。 すると村長は突然気合を入れたように「よし」と言って、部屋の奥にある書庫からたくさんのぶあつい本を運んできて、どさっとテーブルの上に置いた。同時にみんなの視線がその本へ集まる。 「で、この本はなんだ?」 「なにって、街について勉強するための本だよ。もちろん子どもたちも一緒に」 「えーっ!」 村長を除く一同は不満そうな声をそろえる。それからハノと子どもたちは、日が落ちるまでターリナスの知識を頭につめこまれるという、地獄を味わうのだった。
0 notes
Text
第一話「不可思議と影」 (1)
あたたかな木漏れ日が差しこんだ穏やかな森。きらきらと輝く澄んだ泉のほとりに、一羽の小鳥が羽を休めていた。しかし、突然やってきた大きな黒い鳥に追いやられ、逃げるように空へと飛び去ってゆく。黒い鳥は口にきらめく石のようなものをくわえていた。 そこへあわただしく通り過ぎる複数の足音。泉の水しぶきをあげ、黒い鳥もまた森の奥へ飛び去ってゆく。 数人の幼い子どもたちが集まった先には、緑が生い茂る一本の長い木と、そこにしがみついていた少女の赤い長髪がゆれていた。 ハノ・ウィシュライトは、木の下にやってきた子どもたちの気配に気づくと、挨拶代わりに手を振ろうとしたが、ふいにぐらりと視界が傾いて、反射的に木にしがみつくだけにとどまった。 そんな危なっかしさに子どもたちがあわて��ためく中、当の本人はなんでもないかのように、無邪気な笑みを向けてみせた。しかし、子どもたちは相変わらず、不安げな眼差しで彼女を見上げているだけだ。 「ハノねえちゃん、だいじょうぶ?」 「だいじょうぶ、だいじょうぶ! 木のぼりは得意なんだ」 今しがた落ちかけたことなど忘れたかのように、おおきなルビー色の瞳を得意げに細めて、にいっと笑うハノ。 「よーく、見ておけよ?」 それからてっぺんまで登りきるのはあっという間だった。まるでサルみたいだ、と子どもたちが感心しているのが耳に入ってくる。今度は手を振るのに成功したが、そよ風と木々のざわめきを肌に感じ、あわててしがみつく。やがて目的のものを目の前にしたハノの顔つきは真剣になった。 木の天辺には枝やつるを丁寧に絡み合わせてできた、ちいさな鳥の巣。数羽のカラスがそれを壊されまいとすごい剣幕でつついてくる。 ハノはカラスを手で追い払いつつ、目の前にある巣の中を片手でそっと探る。いつの間に集めてきたのやら、光もののガラクタであふれ返っている。あれでもない、これでもないと探すうちに、やがて左手に手ごたえを感じた 「よかった、あった……!」 それは小金色に輝くサークレットだった。金具のひもを二本網んでわっかにし、そこにひとつアクセント的に飾りを取りつけて作ったような至って単純なものだ。サークレットなどと名乗るものなら、王族や貴族が怒るかもしれない。 ハノはカラスにつつかれないように気をつけながら、それを素早く取りあげた。が、いつもより妙に軽いのだ。案の定、中心部分にあるはずの大事な石がついていなかったのである。 「どこにいったんだ?」 辺りを見回してみても、木に止まっているカラスたちが、ただこちらを���っと見ているだけだ。ハノは鉄のひもと空の縁だけになったサークレットを口にくわえ、更に上にのぼり、そっと木の枝の上に立った。大して太い枝ではないからか、ぐらぐらと揺れる。子どもたちはハノが落ちるのではないかと、緊張の眼差しで見つめている。 そして、ハノは数羽のカラスたちが飛び立ってゆく姿を追うように見上げる。ほぼ同時に、遠くの木に止まっていた大きなカラスと目が合った。偶然にもみどり色の石をくわえているではないか。 「あっ! オレの石ー!」 そう、指を差しながら叫ぶと同時に、大きなカラスは空へと飛び立ってしまった。 ハノはあわてて木から滑り落ちると、待っていた子どもたちに構わず、カラスが飛んでいった方目掛けて走る。辛うじて見えるところまで追いつくと、ハノの呼び声など聞こえていないかのように、どんどん遠ざかって――あっという間に見えなくなってしまった。 肩で息をしながらハノは立ち止まった。鳥になりたいと思ったのはこれで何度目だっただろうか。 遠くから正午を知らせる鐘の音が響いた。 泉から数分ほど歩いた先にはハノたちが住む、スプリード村がある。村と呼ばれてはいるが、ユミリア王国の地図にはのっていないだろう。というのは、身寄りのない子どもが集まった孤児院のようなもので、十人前後が住めるほどの木造の二階建ての家と、菜園や畑、馬小屋があるだけのひっそりとした秘密の場所だからだ。さっきの正午の鐘も、ここから一番近い漁村から聞こえてくるものだ���た。 「今日は、この世界に伝わる精霊の話をしよう」 眠気を誘うような穏やかな声色が、スプリードの一室に響いた。 虫に食われた木の長テーブルを囲む、十数人の子どもたち。背筋を伸ばしてイスに座り、皆の視線の先に立つ白いローブの青年の顔をじっと見つめていた。落ち着いた茶色の短髪にやさしげな灰まじりの青い瞳をしている彼は、スプリードの村長と呼ばれていた。 ハノはといえば、ぐったりとテーブルに顎をついて、眠そうな目つきであさっての方を向いていた。結局あの後、正午の鐘が鳴るまで、散々森の中を探し回ったが、石どころかカラスすら見つからなかったのだ。 ふいに聞こえた咳払いで我に返ったハノは、いつの間にかみんなの視線を浴びていることに気づき、あわてて起き上がった。今はアマギ村長による、恒例の勉強会だったことを忘れていた。いつもなら文字書きを教わるのだが、今日は気でも変わったらしい。どっちにしても退屈なのは変わりはないだろうが。 村長は姿勢を正したハノにほほ笑むと、気を取り直して話しはじめた。 「それはむかしむかしの話です。あるところにふたりの精霊がおりました。そのふたりは大変仲が悪く、いつも争いが絶えませんでした。ひとりは正義感が強い優しい精霊でしたが、もうひとりはイタズラ好きで乱暴な精霊で、神様の間では、正と負の精霊と呼ばれました。 ある日神様はふたりに告げました。どちらかを滅ぼそうと争うものなら、自らの身をも滅ぼすだろうと。それを聞いたふたりの精霊は、相手を殺したら自分も死んでしまうのだと思い、やがて争うのをやめ、お互いの手の届かないところへゆくことになりました。しかし、ひとりになったふたりは争うこと以外、なにもできないことに気づいてしまったのです。 なにもできなくなったふたりは、存在意義を見出せずにこのままでは消えてなくなってしまいそうでした。 それを見兼ねた神様はふたりの間にもうひとりの精霊を生み出しました。調和の精霊と呼ばれたそれはあっという間に美しい世界を作りあげ、ふたりの精霊をひどく感動させました。 ふたりの精霊は調和の精霊のように世界を作り出そうとしましたが、うまくいきませんでした。そこで調和の精霊は、自分の世界は力が大きすぎるから、力を貰って欲しいと言いました。すると正と負の精霊にも世界を作ることができたのです。そうして、みっつの世界は生まれたのでした」
0 notes
Text
プロローグ
こんな寂れたおおきな檻の中では、逃げゆく道など空の彼方だけだ。 だけど、彼女には翼がない。 両手いっぱいに赤い果実を抱えて街角を飛び出したのは、まだ年端もいかない少女。冷たい灰色の石畳をただ夢中で駆けてゆく姿は、 元は白かったかもしれない灰色に薄汚れたワンピースで、その下から伸びた細い素足は青あざや血で滲んで、 ところどころ泥で汚れている。 例えるならば、捨てられた子猫のようだった。だけど首から下げた緑の石だけは、そのみすぼらしさを打ち消すかのように輝く。 あともう少しだ。曲がり角にさしかかった刹那、少女の上におおきな影が重なった。「待て」と聞こえる間もなく、慌てて体の向きを反転させた時にはもう、遅い。少女は甲冑の男に強く手首を掴まれ、抱えていた赤い果実がひとつ、それを追 うようにふたつ、みっつ落ちて、地面に花を咲かせる。 残った果物は落とすまいと細い腕でしっかりと抱えて、そんな果実のように鮮やかな髪が波打つように激しく揺れた。 「放して」 「大人しく着いてこい」 「いや!」 子猫は牙をむく。敵わないとわかっていながらも逃れようと必死にもがく。猫は猫でも海猫であったならば、この檻から だれにも届かないところへ飛び立つことができたのだろうか。 兵士に引っ張られながらも抵抗の意思を叫び続け、やがて暗い街角から、明るい通りへと出た。強い日差しが目に痛い。 道行くひとたちは少女とは比べ物にならないくらい綺麗で洒落た服を身にまとい、どんなに大きな声を上げようとも、こぞ ってすました顔で通り過ぎてゆく。まるでそこに少女など存在しないかのように。 それが急に恐ろしくなって、抵抗する腕の力が弱まった時だった。 「なんの騒ぎですか」 凛とした若い男の声と共に、風に揺れる白いローブが視界に飛び込んできた。首から下げた十字架を揺らしながら、司祭 の青年が白い教会からこちらへ走ってくる。 このひとは道行くひととは違うのだろうかと、さながら絵画でも眺めているかのように、少女がぼんやりと見つめる。 兵士は青年を一瞥するなり面倒そうにため息を吐いたが、しぶしぶと事情を話し始めた。 「このガキ、盗人なんです。身売りから逃げてきたんでしょうが、最近毎日のように食べ物をあちらこちらから盗んでまし てね、今ようやく捕まえたところです」 「そう、ですか……」 兵士がこちらを顎で差すと、青年が少女をちらりと見た。 一瞬灰混じりの青眼と目が合ったが、青年は俯きがちに表情を曇らせるだけ。 盗人と呼ばれ、その子どもも否定もしないとなれば信じるほかないのだろうか。それは言わずとも事実であり、少女は嘘をつきたくはなかったのだ。しかしここからは逃れたい。 「司祭様も悪ガキに構っていられるほど暇ではないでしょうし、俺も忙しいので、これで失礼します」 いら立ちと嫌味が垣間見えるかのように言い放ち、兵士は青年に背を向けた。 「さあ行くぞ。犯罪者が助けてもらおうなんて思わないことだな」 心の内を読まれたように言われ、少女はただ力まかせに引きずられてゆくだけ。手首がちぎれそうな痛みに負われながら も、地面についた両足に力を込める。じりじりと傷口が傷んで、にわかに手に残っていた最後の果実がすべり落ちてしまっ た。反射的に手を伸ばそうとも届かず、やがては青年の足元に転がってゆく。 「いやだ、放して! たす��て! パパ、ママ!」 「おまえにパパとママなんているのか?」 叫んでも無駄だと言わんばかりにひと蹴りされ、全身の力が抜けた。少女は気づいてしまったのだ。 動かなくなった少女に、ついに観念したかと兵士がひとりごちて、まるで彼女が荷物でもあるかのように軽々と脇に抱え る。 空腹もついに限界だろうか、少女は抵抗する力さえも出せない。瞳から音も立てずに雫がこぼれて、大地を儚く叩き続け た。 空っぽの体をなにかで満たせようとして、脳裏にひとつの淡い幻想を抱いては、ただ砂のようにさらさらと消えゆくだけ。 自分はとても大事なことを忘れている。思い出せない。 「お待ちください」 少女の幻想をよみがえらせたのは、青年の声音。 彼女は濡れたルビーのような瞳で、滲んだ青年の影を見ることしかできなかった。彼が、最後の希望のような気がした。 ぼやける視界をぬぐうと、すぐに目が合って、青年はやさしくほほ笑むのだ。まるで安らぎの言葉でもかけてくれている かのように。 兵士は足を止めて、怪訝そうな表情で青年のほうへ振り返った。 そして青年は決心したように兵士の方を見据えると――嘘を、吐いた。 「その子どもは、ウィシュライトは私の娘です」 こんなさびれた檻の中で、消えた幻想の砂が積もり、涙で海ができて、少女の心にはしずかな海辺が広がった。
0 notes