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第2次大戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人の遺骨について、米軍将校が「太平洋の上空から私がまいた」と記した公文書が、6日までに見つかった。米軍による具体的なA級戦犯の遺骨処理の方法が公文書で判明するのは初。遺骨は遺族に返還されず、太平洋や東京湾にまかれたとの臆測はあったが、行方は昭和史の謎だった。 文書は、占領期に横浜市に司令部を置いた米第8軍が作成。日本大生産工学部の高澤弘明専任講師(法学)が米国立公文書館で入手した。詳細が記載されていたのは、7人が処刑された1948年12月23日付など2種類の極秘文書。
https://news.yahoo.co.jp/articles/da4098c1709252edba67716f37bd274f3a161a84
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古代中国の思想家、孔子(こうし)(前551ごろ~前479)と弟子との対話などをまとめた「論語(ろんご)」の注釈書の一つ「論語義疏(ぎそ)(論語疏)」について、6~7世紀初めに中国で書かれたとみられる写本が日本で確認された。調査した慶応義塾大学を中心とする研究チームによれば、日本に伝わり、国内の寺社や家々などで大切に保管されてきた伝世品(でんせいひん)では最古の論語の写本の可能性が高いという。
新選組の拠点、やっぱりここだった 京都のホテル付近
論語義疏は中国では12世紀ごろには失われており、仏典以外のまとまった紙の写本としては現存最古級とみられる。中国では論語は主に注釈書(解説書)を通じて伝わってきており、専門家は日中の思想史や交流史などの研究にとって貴重な史料と注目する。
確認されたのは、中国が南北に分裂していた南北朝時代の南朝、梁(りょう)(502~557)の学者・皇侃(おうがん)(王侃)が執筆した論語義疏の「巻5」に相当する部分(今回の写本では表題が巻6)。20枚の紙をはりあわせ、縦27・3センチの巻子(かんす)状(巻物)に仕立てられている。慶応大が2017年に古書店から購入。学内で書誌学や中国文学、日本文学、日本史などの専門家からなる研究チームをつくって18年度から調査を進め、文字の形などから南北朝末~隋(ずい)の時代に書かれた可能性の高いことが明らかになった。研究チームは「出土品を除けば、最古の論語の写本と考えられる」としている。
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【9月26日 AFP】美術史上、最大級の謎がついに解き明かされたようだ。フランスの写実主義の画家ギュスターブ・クールベ(Gustave Courbet)が1866年に制作した「世界の起源(The Origin of the World)」。女性の下腹部を描いたこの作品は19世紀で最もわいせつな絵画とも言われるが、このほど専門家によってモデルの身元がほぼ確実に特定された。
研究者たちは長年にわたり、モデルはクールベの愛人だったアイルランド人モデル、ジョアンナ・ヒファーナン(Joanna Hiffernan)だと考えてきた。ヒファーナンはクールベの友人の米国人画家ジェームズ・ホイッスラー(James Whistler)とも恋愛関係にあり、パリでは珍しくない三角関係にあった。
しかし、ヒファーナン説に対しては疑問も根強くあった。主な理由は、絵に描かれた黒々とした陰毛が、ヒファーナンの燃えるように赤い髪の巻き毛と一致しない点だ。
そしてこのほど、「三銃士(The Three Musketeers)」などで知られる作家アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas)の息子と作家ジョルジュ・サンド(George Sand)がやり取りした手紙の中から、パリ・オペラ座バレエ団(Paris Opera Ballet)の元バレリーナ、コンスタンス・クニョー(Constance Queniaux)がモデルだと直接言及する証拠が見つかった。
作品が描かれた1866年夏当時、クニョーはトルコの外交官ハリル・ベイ(Khalil Bey)ことハリル・シェリフ・パシャ(Halil Sherif Pasha)の愛人だった。そしてパシャこそが、官能コレクション収集の一環として、クールベに「世界の起源」の制作を依頼した人物だった。
このつながりに気付いたのは仏歴史学者クロード・ショプ(Claude Schopp)氏。自著の資料集めとしてデュマの手紙の写しを調べていた際に発見したという。
■「99%確信」
ショプ氏は、特に「パリ・オペラ座バレエ団のミス・クニョーの最もデリケートで、最も堂々とした『インタビュー』を描写できる者はいない」と書かれた一節に困惑させられたと言う。手書きの原本を調べてようやく、写しには転記ミスがあり、「インタビュー(interview、アンテルビュー)」は「内部、秘部」を意味する「intérieur(アンテリユール)」の間違いだったことに気付いたという。
この発見をテーマにした今週発売の新刊の中で、ショプ氏は「いつもは発見は長年取り組んだ後にくるのだが、今回はすぐだった。不当という気さえする」と自嘲気味に書いている。
フランス国立図書館(French National Library)のシルビー・オーブナ(Sylvie Aubenas)氏は、これまでクニョー説を唱えてきた。ショプ氏から発見を伝えられたオーブナ氏はAFPに対し、「当時のこの証拠のおかげで、クールベのモデルがコンスタンス・クニョーだと99%確信できた」と述べた。
クニョーはモデルをした当時34歳で、オペラ座バレエ団を退団。有名な高級売春婦マリアンヌ・ドゥトルベ(Marie-Anne Detourbay)とパシャの寵愛(ちょうあい)を争っていた。
ドゥトゥルベは有名なサロンの主人で、後にロワイヌ(Loynes)伯爵夫人となった。ドゥトゥルベも「世界の起源」のモデル候補の一人に挙げられてきた。
クールベのこの作品の衝撃は現代になっても薄れず、交流サイト(SNS)最大手の米フェイスブック(Facebook)は2011年まで、この絵をプロフィール写真に使うことを制限していた。(c)AFP/Alain JEAN-ROBERT, Fiachra GIBBONS
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この夫は、生物学的に「キメラ」と呼ばれ、生まれる前は二卵性双生児だったが、母親の胎内で兄弟の身体を吸収し、その結果一人で生まれてきたということが分かった。
つまり、吸収された兄弟の細胞が体の中にまだあり、それが兄弟の精子を作っていたことになる。
「これには遺伝学者もビックリだ」と、遺伝子検査を行なった米国スタンフォード大学の遺伝学者バリー・スター氏は言う。
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JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。 空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、今回、偶然見つかって非常に驚いた。安全性には問題ないが、当時の建設計画は詳細が分からず謎が残る」と話しています。
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突然、ストーンヘンジを取り巻くミステリーがさらに深まった。最新の研究では、イギリス南部にあるストーンヘンジと周辺の地中には、今まで発見されていなかった、未知の遺跡が15も隠れているという。
研究員たちは地中探査レーダーや3Dレーザースキャンなどさまざまな調査を行った。全地域の詳細な地中マップを作るためである。この研究の協力機関のひとつで、考古学探査法と考古学復元方法を担当するルートヴィヒ・ボルツマン研究所は次のように発表している。ここで使われた技術は、採掘を主とした今までの調査技術に比べ、遺跡を破壊することがずっと少ないという点で注目に値する。
「ストーンヘンジの隠された景観プロジェクト」として4年間行われた研究によると、この地域ではこれまで考えられていた以上に多くの遺跡があると、新たに発見された遺跡から明らかになった。
新しく発見されたものとして、「カーサス」という名で知られる、東西に走る溝を二分する古代の谷がある。イギリス・バーミンガム大学の考古学者で、このプロジェクトに関わるヴィンス・ガフニー教授が科学雑誌「スミソニアン」に述べた。
ガフニー教授は次のような推測をしている。「カーサス遺跡は春分、秋分時の日の出の線に沿っており、新しく発見された谷は南方向にあるストーンヘンジの���心に向かって人々が行列をなして進んでいく儀式に使われたのではないか」 この谷以外に新しく発見された他の遺跡からも、考古学者のストーンヘンジに対する見方が「完全に変わった」とガグニー教授は述べている。しかし、「実際に発掘するまではどんなものが出てくるかわからない」とも認めている。
この新しい研究は、ストーンヘンジ周辺地域で、古代イギリス人が住んでいた場所としては最古のものであるという2013年10月の研究結果を基にしている。この調査に関わる研究者たちの見解では、ストーンヘンジ周辺では紀元前8820年ごろから人が住んでいた可能性があるという。
研究の詳細は、「スミソニアン」2014年9月号に掲載されている。
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【9月3日 AFP】経済的な繁栄は少数言語の最大の敵だとする研究が3日、英学術専門誌の英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)に発表された。現在、少数言語が失われる恐れの高い「ホットスポット」はオーストラリアと北米の一部という。
研究チームは、動植物の絶滅リスクの判定に使われる基準を用い、存在が知られている世界6906言語の4分の1に消滅の危険性があると結論付けた。
■北米や豪州で失われる先住民の言語
米アラスカ(Alaska)州では、2009年時点で先住民族アサバスカン(Athabaskan)の言語の話者が24人しかおらず、その子どもたちはその言語を学習していなかった。また、現在はオクラホマ(Oklahoma)州に居住する先住民族のウィチタ(Wichita)の言語は2008年の時点で、流ちょうに話せるのは1人しかいなかった。
オーストラリアでは、同国の先住民族アボリジニの言語マルグ(Margu)が近年消滅した。また研究チームによると、消滅の危��にあるレンバルンガ(Rembarunga)語も「ますます消滅しかかっている」という。
「北米やオーストラリアなど、経済的に発展した地域では、すでに多くの言語が消滅した」と研究チームは述べた上で、ブラジルやネパールなど熱帯の多くやヒマラヤ(Himalaya)地域など、急速に経済成長する地域でも少数言語に消滅の危険性があると警告した。
■経済成長で失われる多様性
研究チームは少数言語の話者の人数と地理的な分布、成長しているか減少しているかを調査し、グローバリゼーションや環境、社会経済的変化など、考えられる影響を比較検討した。
結果、「一人当たりのGDPのレベルは言語多様性の消失と関連があることが分かった。経済的に成功するほど、言語の多様性はより速く失われていた」と、英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)の声明は述べた。
論文の共著者、英ケンブリッジ大学動物学部の天野達也(Tatsuya Amano)氏は、経済が発展するに連れ、ある一つの言語がその国の政治や教育空間を支配するようになると説明する。「人々は支配的な言語に適応することを強いられる。さもなければ経済的・政治的に取り残される危険性にさらされる」と、天野氏は述べた。(c)AFP
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平安から鎌倉時代に活躍した歌人、藤原定家(1162~1241)の日記「明月記(めいげつき)」に記された天文学的に貴重な情報の部分は、自身の記述ではなく、陰陽師(おんみょうじ=天文博士)に調べさせた報告文をそのまま張った可能性が高いと天文学者が指摘している。陰陽師の元の資料は見つかっておらず、定家の「切り張り」のおかげで記録の紛失が免れたようだ。
明月記には、寿命が尽きた星が���後に起こす大爆発「超新星」について、定家の生まれる前に現れた3個が記されている。現れた日付と正確な位置がわかるため、超新星の仕組みなどを知る天文学上の貴重な手がかりになっている。
小山勝二・京都大名誉教授(X線天文学)は、超新星の情報がある1230年11月の部分を詳しく調べた。そのころに彗星(すいせい)が現れ、台風や凶作や政情不安などとの関連を気にした定家は、陰陽師の安倍泰俊に過去の事例を問い合わせたとあった。その次の段落には定家とは違う豪快な筆跡で泰俊からの返書と思われる文章があり、さらに別な筆跡の細かい字で超新星に関する記録が続く。写本ではわからないが、原本を見ると紙を張り付けたような跡があ���た。泰俊が弟子に調べさせた報告書を返事の手紙に同封し、定家がそのまま明月記に張り付けたとみている。
泰俊は安倍晴明の子孫で代々天文博士を務めてきた。毎日定時に天文観測し、超新星や彗星などの異変があれば、その解釈とともに天皇に密書で報告する。明月記に張られたと見られる報告書は、安倍家に保存されていた資料からつくったと考えられるが、原文は見つかっていないという。小山さんは「定家のコピペのおかげで科学的に貴重で正確な記録が残った」と話している。(鍛治信太郎)
◇
〈明月記と超新星〉 超新星は寿命が尽きた星が最後に起こす大爆発。突然明るく輝き、新しい星が現れたように見えるため、この名が付いた。明月記には史上もっとも明るかったとされる1006年の超新星や、その残骸が、かに星雲として有名な1054年の超新星が記録されている。一部は中国などにも似たような記述が残っているが、出現した日や位置などが正確にわかる記録は世界でも明月記のみ。この情報から、爆発の仕組みや爆発によってつくられた元素がどれぐらい宇宙に広がるのかといった知識が得られる。
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今月死去した南アフリカの���ンデラ元大統領が、1960年代、イスラエルの諜報機関から反政府活動や武器の取り扱いなどの訓練を受けていたことを記した公文書が見つかり、マンデラ氏がアパルトヘイト=人種隔離政策と闘ううえで、さまざまな手段を模索していたことを示すものとみられています。
この公文書は、1962年、諜報機関モサドからイスラエル外務省などに宛てられたもので、マンデラ元大統領に関して、「エチオピアで政府に対する妨害活動や武器の取り扱いの訓練を受けた」という記述があり、エチオピアでモサドから訓練を受けたことを伝えています。 訓練を受けたとき、マンデラ氏は偽名を使って正体を隠し、またイスラエル建国前に現地を委任統治していたイギリスへの破壊活動などを実行したユダヤ人の軍事組織「ハガナ」の手法に関心を示したということです。 マンデラ氏は、反アパルトヘイトの一環で1961年に軍事組織を設立して武装闘争にも身を投じており、今回の文書で記されたモサドとの接触は、その翌年に当たります。 文書を見つけたイスラエルの研究者ダビド・ファッフラーさんはNHKの取材に対し、「マンデラ氏が、人種隔離政策と闘うためには何でもやろうとしていたことがうかがえる点で重要だ」と話しています。
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壁画は8~9月の調査で神殿最上階の4階から見つかり、高さは約1メートル、幅約5~7メートル。2面とも粘土製で上部が破壊されているが、高さ約3メートルと推測される。新たな神殿建設の際に砂や石で埋められたため、色鮮やかで保存状態は良好という。
怪物の顔は、巨人の両足に描かれ、巨人の足は宙に浮き、すねの骨が白く透けたように表現されている。
類似した壁画は2005年調査の3階部分でも見つかったが、足は地に着き、すねの骨も透けていなかったことから、芝田准教授は「宗教的指導者が幻覚剤を摂取し、宙に浮かんで超人的に変身していく様子が、下から上の階にかけて描かれたのでは」と推測する。
さらにもう一面には、猛獣の顔のように見える猛禽(もうきん)類の胴部や尾翼、足が描かれている。古代アンデス文明ではしばしば鳥が「天空」の象徴とされ、前回に2階部分で見つかったジャガーが「大地」とされる。
芝田准教授は「神殿全体が壁画で装飾されていた可能性があり、当時の宗教世界観を解明する手がかりになる」としている。
【5本の指に入る】
国立民族学博物館の関雄二教授(アンデス考古学)の話 これだけ形や色の保存状態がいい壁画の発見は非常にまれ、20世紀以降で考えてもペルーで5本の指に入る。宗教がどのようなものだったのかなど、多くのことを考えられる貴重な情報になる。
【古代アンデス文明】
ペルー中部海岸地域で神殿を中心に祭祀(さいし)を行う共同体が紀元前3000年ごろから発展し、形成された。ワカ・パルティーダ神殿遺跡は首都リマの北西約400キロ。神殿は4階建てで、幅約28メートル、高さ約10メートル、奥行きは少なくとも30メートルと推測される。
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隠れキリシタンの里として知られる長崎県平戸市生月町の民家で、ご神体を描いた「お掛け絵」が見つかった。市の博物館「島の館」が6日発表した。閻魔(えんま)大王を思わせるがっちりとした体格の肖像だが、額にはキリスト教のシンボルの十字が赤く描かれ、大天使ミカエルをモデルとしているという。
聖画の掛け軸をお掛け絵と呼ぶ。見つかったのは縦30センチ、横15センチの和紙で、一部が破損しているが、黒や水色、黄色などで男の立像が描かれている。描かれた時期は不明だが、江戸時代の禁教下で描かれた可能性が高い。
右手には西洋風の両刃の剣、左手には宝珠とみられる球状のものを手にし、ブーツのような靴を履いているという特徴から、キリスト教の守護者であるミカエルに間違いないという。
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【11月4日 AFP】ドイツ南部ミュンヘン(Munich)にあるアパートの1室から、第二次世界大戦前~戦中にかけてナチス・ドイツ(Nazi)がユダヤ人から略奪した絵画1500点近くが見つかった。独週刊誌フォークス(Focus)が3日、報じた。見つかった作品の中には、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)やアンリ・マチス(Henri Matisse)のものも含まれており、時価総額で10億ユーロ(約1330億円)相当の価値があるという。
フォークス誌によると絵画は2011年、脱税容疑でこの部屋に警察の家宅捜索に入った際に発見された。部屋の所有者のコルネリウス・グルリット(Cornelius Gurlitt)容疑者は、父親がナチス幹部と親しかった美術収集家のヒルデブラント・グルリット(Hildebrand Gurlitt)氏で、今回見つかった絵画は1930~40年代に同氏が入手したものだという。
見つかった絵画は、アパート内の薄暗い室内で古いジャムの瓶やがらくたと一緒に50年以上にわたって隠されていた。グルリット容疑者は無職で隠遁生活を送っており、これまでに絵画数点を売却し、その売り上げで生活していたという。
父親のヒルデブラント・グルリット氏は祖母がユダヤ人だったが、美術品の審美眼と人脈の広さからナチスの「第三帝国(Third Reich)」の幹部たちにとって必要な人材となった。当時のヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)宣伝相は、ナチ党が退廃的だとみなした芸術作品(退廃芸術)の売買責任者にグルリット氏を任じた。
ナチスは当時、ドイツや欧州各地でユダヤ人の所有する美術品を多数、没収したり買いたたいたりして略奪した。フランスでは1940年~44年、絵画、芸術作品、タペストリー、古美術品など計10万点が、ナチス占領下の政権によって定められた人種差別的な法律の下でユダヤ人から没収された。(c)AFP
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