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【かっとび一斗最終回考察】宗近アキラは敗北の末に何を見たか?
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《はじめに》
こんにちは。令和の世にして「かっとび一斗」に魂持っていかれた人こと ゆり乃です。
こんな僻地にたどり着いた方ということは、もうとっくにこの作品に魂を持っていかれ済みの方であると思います。かっとび一斗ってすごいですよね。サッカーしてるか乱闘しているかサッカーが乱闘かのどれかなのにすごい面白いですよね。大好きです。
でも本当に個人的な意見なんですが、この作品って、ただ普通に読んでいる分にもめちゃくちゃに面白いんですけど、あまりに細かすぎる描写をつなぎ合わせていくとわりと考えるのが止まらなくなるタイプの漫画でもあると思っています。それぐらい含蓄に富んだ描写の切片が多いんです。
今回は表題にある通り、魂持ってかれた最大の元凶原因でもある最終話に関して書いていきたいと思います。
作中に登場する最大のライバル・宗近アキラという素敵なキャラクターがいますね。彼は作中最初期から登場し、後半になるにつれて嵩永推しの自分ですら「あ?」となるくらいの変貌を遂げたキャラクターです。しかし最終回まで読んで、彼に関する一連の描写に納得のいく解釈を得た結果号泣したので、それについて述べます。簡潔にまとめると以下の通りです。
2期嵩永戦前から試合中にかけて、宗近アキラに関する3つの問いがほのめかされた
その答えは、最終話でも明確な言葉として示されることはなかった
しかしその答えは最終話における台詞のない1コマで提示されている
以下、「宗近アキラに関する問いとは何か?」「ラスト1コマで示されたその答えとは?」「答えの先に何があるのか?」について順を追ってなんとかします。
《1. 宗近アキラに関する三つの問い》
まずは作中で提示された3つの問いを時系列に沿って確認していきます。
《1-1 宗近アキラに関する問い①(40巻p.64)》
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1つ目がこちらのシーンです。このシーンは平木がかつての仲間・清雅学園にライバルとして再び対峙し、敗れた直後、準決勝前の嵩永学園と鉢合わせをした時のものです。このコマの直前のシーンにて、敗北した平木に「残念だったな」と発言したアキラに対して、平木はこう返します。
「なあーに試合だ 負けることもあるさ」
「お前さんも一度ぐらい負けてみるのもいいかも知れんぜ
勝ちっぱなしじゃあみえねえ世界がみえてくる」
これに対し我らが宗近アキラは「はあ?」みたいなテンションでいろいろ言うわけですが、そのあたりはとりあえず原典を見ていただければと思います。
ここで重要なのは、この後のアキラの敗北が話の展開上確実であったこと。そして何よりも、平木の言う「勝ちっぱなしでは見えない世界」とは宗近アキラにとってはどんなものであるか?という問いがほのめかされたことです。
《1-2 宗近アキラに関する問い②(42巻p.51)》
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2つ目がこちらの清雅vs嵩永の前半戦におけるシーン。清雅にまさかの先取点を許した嵩永学園は何とかフリーキックの機会を得ます。しかしそのフリーキックのさなか、清雅のGKで双子の弟でもあるマコトが至近距離にいたにも関わらず、アキラは得点をあげるため、やむを得ずそのままボールを全力で蹴りつけるというプレーをしました。マコトはその衝撃に顔面から蹴り倒されます。そしてその後、倒れたまま立ち上がれないマコトに背を向けるアキラが、駆け寄るカズマと目があった末に自問自答したのが上のシーンです。彼は以下のように胸中で自問自答します。
「変わってしまったのはオレだけなのか…」
フリーキックの直前には、小学生だった宗近兄弟の回想シーンが挟まれていました。マコトを殴った中学生を怒りのあまりアキラが殴り返したのはいいものの、返り討ちにあいボコボコにされる。しかし自分のケガには構わず、アキラは兄として、泣いているマコトを励ましたという尊いオブ尊い回想シーンです。
自問自答の中でアキラは、自身が「変わってしまった」ことを決定事項としています。しかしアキラは本当に変わってしまったのでしょうか? 変わったとしたら、何が変わったのでしょうか?
《1-3 宗近アキラに関する問い③(44巻p.18)》
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最後はこちらのシーンから。試合の後半も後半、同点に並んできた清雅に対し総攻撃を仕掛けている最中のアキラの独白です。
「ここで負けたら何のためにお前(※カズマ)や弟のマコトと別れ」
「名門嵩永でサッカーにうちこんだこの3年間の意味がなくなってしまう」
ここ作者さん疲れてたんか文法的にちょっとアレな気がするので言い換えます。要は「誰よりも強くなるために親友のカズマや弟のマコトと別れて名門嵩永へ行きサッカーに打ち込んだのにも関わらず、別れた相手に負けてしまったらなぜ自分が一人で嵩永に行ったのか、その意味がわからなくなってしまう」ということですね。文法大丈夫?
自身が嵩永に行った意味についてアキラが言及するシーンはいくつかありますが、一番「問い」感のあったこちらのシーンを取り上げました。
本記事ではシンプルに「宗近アキラが一人で嵩永に行った意味とは何だったのか?」について考えてみます。
《2.最終話の一コマで提示された各問いに対する答え》
ここでもう一度、作中で提示された問い的なやつについて整理します。
宗近アキラが敗北の末に見た世界とは何か?
宗近アキラは変わったのか? 何が変わったのか?
宗近アキラが一人で嵩永に行った意味とは?
以下、ラストシーンとそこで示された答えについて述べていきます。
《2-1 宗近アキラが初めて見た世界 ~視線の移動より》
延長戦の末、清雅に敗北を喫したアキラは試合終了後、カズマに対し「おめでとう」と祝福しながら握手を交わします。そしてマコトに対して「ナイスキーパーだったぞ」と笑顔で言いながら、背中を向けた瞬間には、悔しさのあまり拳を握りしめます。
その後すぐ、「宗近アキラが敗北の末に見た世界とは何か?」という問いに物理的に答えを出したラストシーンが46巻最終話、p.102からp.103、特に最後の1コマです。
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宗近アキラが何を見たか?
「痛みを共有できる相手」です。
それは一人で頂点に居続けたときには絶対に見ることのなかった、むしろできなかったものでした。以下、詳しく見ていきます。
最終戦から前に起きていたことを振り返ると、宗近アキラが誰かと痛みや苦しみを共有する場面は一度として描かれていないのです。共有できないのです。なぜならそれまで宗近アキラただ一人が作中の頂点に君臨する存在だったからです。
そのことに言及しているのが先ほども述べた40巻の大船浦と嵩永が会った直後、アキラに対する大船浦の日尾野と操谷の発言です。
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「いやな野郎だ 自分が頂上(てっぺん)だと信じてやがる」
「仕方ねえわな 嵩永が負けねえ限り
やはりあいつが頂上(てっぺん)だ」
注目すべきなのは、どちらも「自分」「あいつ」と宗近アキラのみを指しており、「自分ら」「あいつら」などとは言っていない点です。つまりこのシーン��点で頂点にいたチームは嵩永学園であり、その中の頂点が宗近アキラです。
そして1期時点から嵩永のナンバー2的な存在として描かれた城之内ですが、城之内はアキラと同学年であるにも関わらずアキラを「主将」と呼んだり敬語で話したりと、その立場は決して対等ではありません。以上のことから、実力的にも立場的にもアキラに並び立つ人間が存在していなかったことがわかります。
そしてこの城之内は、宗近アキラを語る上ではわりとキーパーソンとなる人間だと個人的に思うんですが、その理由の一つが「宗近アキラの苦悩については一番(唯一?)正答に近い認識を持っている人間であるにも関わらず、様々な理由から何もできない」という稀有な立場を形成しているからですね。そうした関係性を象徴しているシーンがいくつかあります。
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ここで取り上げたのは、1期嵩永戦において左鎖骨に大けがを負っているのにも構わず、煮え切らないプレーをするカズマに左肩からぶつかり、ついに流血に至るまでケガが悪化した直後のシーン(14巻p.137)。1期嵩永戦後にアキラが倒れたシーン(15巻p.184)。そして、清雅が決勝進出を決めた後の準決勝にて、いつもの様子とは異なる「強引な」プレーをするアキラに対して城之内がその心情を察するシーンです(40巻p.91)。
これらの共通点は「城之内がアキラの背中側を見ていること」、そして「城之内はアキラの苦悩に対しては直接的な行動を起こせないこと」です。
しかしそれが最終話においてだけは逆になります。
最終話で描かれたラストシーンにおいては、宗近アキラの方が泣き崩れる城之内の背中を見て、そして手を伸ばすのです。
先述の通り、他のチームとは違い嵩永の中には同学年にあっても強さに応じた明確なヒエラルキーが存在します。そしてその頂点にいるのは宗近アキラ、ただ一人だけです。勝利するためには宗近アキラを先頭にした流れに、城之内を始めとした他の人間がついていくのが嵩永の基本的なスタイルです。特に顕著なのは1期にて、大けがをしている宗近アキラを庇って城之内が退場したという出来事。宗近アキラを含め、誰もこの選択を責めなかったのは、勝つためにはそれが最善だったというのが嵩永の総意だからではないでしょうか。
城之内はチームの中でも一番、勝つためには宗近アキラが何を見ているかを把握し、その背中についていくことが最善だと知っている人間です。そして先ほど挙げたシーンや、1期における「主将ならだれにポイントを置くんだ」「おれじゃ主将のかわりはつとまらねえんだ」などの台詞に表れているように、決して自分は宗近アキラと同じことができないし対等ではないことを知っています。だからこそ、城之内は主将であるアキラの見ているものを見ようとする、そしてそれに後ろから従うというルールを多くの場面でひたすら守り続けたわけです。しかしそんな城之内は、ラストシーンにおいては主将である宗近アキラがどれほど強く悔しがっていようがそちらを向くことはありませんでした。負けたからです。向く意味がないですよね。まして並び立つことはしませんし、そもそもできません。今までがそうであったように。
相手の方を向くこと、そして相手に並び立つことに対しての意味と選択権があったとすればアキラの方です。
宗近アキラが今までそれらをしなかったのは根本的にできないからではなく、後ろにいる人間を振り返ったら負けるからです。何度も述べているように、嵩永が勝者であり続けるためには宗近アキラが先頭に立ち常に前を見なければならない。見るべきは後ろにいる味方ではなく前にいる敵、だから痛みや苦悩も共有することができないし、そもそも同じ痛みをもった人間がいなかった。でもラストシーンではそれら全ての制��が外れます。負けたからです。負けたからこそ他者と自分の心に「同じ痛み」が生じ、それを共有することのできる人間の方をアキラは向くことができたのです。
宗近アキラは敗北したからこそ、今まで自分と同じ方向を後ろから見続けてきた城之内という人間の背中を見ることが、そしてそこに並び立ち、手を伸ばすことができたのではないでしょうか。そしてその相手は、同じ痛みを共有できる人間という、宗近アキラにとって初めて見ることが叶った人間だったのではないでしょうか。
それらすべてを含めて、「宗近アキラが敗北して初めて見ることのできた世界」と呼べるのではないかと思います。
《2-2 変わらないこと、変わったこと ~同じ構図を持つ二つのシーンの異同》
次に二つ目の問い「宗近アキラは変わったのか? 何が変わったのか?」について見ていきたいと思います。ここではラストシーンを含む以下の二つのシーンの異同について見てみます。
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上のシーンは1-2でも述べた、幼いころの回想シーンにて、マコトを殴った中学生に挑むも殴り返されたアキラが、ボロボロになりながらそれでも兄として傷ついたマコトを励ましたシーンです。
この二つをただ見るだけでも、宗近アキラが根本まで変わることができなかったのは一目瞭然かと思います。しかしもう少し詳しく見てみます。
まず宗近アキラから見たときに、マコトと城之内はかなり大きな共通点を持っています。マコトも城之内も、アキラにとって「暗黙の上下関係の中で下の立場にある人間」なんですね。マコトとアキラは兄弟ですが、彼らは一卵性の双子です。同じく一卵性双生児である外豪の中山兄弟は互いに「右近」「左近」呼びをしておりそこに上下関係はありませんが、マコトはアキラを「兄さん」と呼び、上の立場の人間として認識しています。城之内が同学年でありながらアキラと対等でないというのは2-1で述べた通りです。
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回想の中におけるケガの程度を見るに、より傷ついているのはマコトではなくアキラの方です。そして最終戦においても、負けてはならない理由をより多く持っていたのはおそらく城之内ではなくアキラの方です。
さらに加えて言うなれば、この二つのシーンはどちらとも敗北を喫した後のシーンであるという共通点があります。
以上のことから、この両シーンはかなり似た構図で描かれていると捉えていいかと思います。
二つのシーンを見るに、宗近アキラは変わりきることはできなかったわけです。自分の近くにいる目下の人間が傷ついているとあれば、何かをしようと思う人間のままだった。たとえ自分の方が深く傷ついていたとしてもです。
そしてこの二つのシーン間で異なることと言えば、見ればわかることですがアキラの手の位置です。マコトには背中、城之内に対しては手です。マコトの時点では上の立場の人間として励ます(=痛みを慰めている)、城之内に対してはむしろもう少し対等の位置に並び立とうとしている(=痛みの共有)、とするのが無難かなという気がします。しかし、ラストシーンにおいて宗近アキラが城之内に対して「何をしようとしているか?」はかなり不透明かなと思っています。ただその一点こそがこのラストシーンをラストシーンたらしめる理由の一端だとも思っています(後述)。
ちなみに「宗近アキラは何が変化したか?」については他にも面白いなあと感じる描写があったのですが、そういえばラストシーンという本筋からちょっと離れてました。なので割愛します。まことにごめんなさい。
《2-3 選びとったもの ~未来と過去と回帰》
そして最後に、「宗近アキラが一人で嵩永に行った意味とは?」について触れてみたいと思います。
宗近アキラは最終戦前から最中にかけてたびたび、自身の過去の決断とその意味について振り返ります。(嵩永に対しての起点が今ではなく過去にあるので、嵩永に「来た」というより「行った」に近いのかなと。)そして延長戦の後半に差し掛かる陣地交換の際には、すれ違うカズマに対して「いいチームだな…」と呟きます。嵩永に行くと決めた時には、カズマとマコトが未来を見据えたアキラの背中を見ていたのに対し、最後に近づくにつれてアキラの方が過去の選択を振り返っているんですね。
アキラは本来、「清雅に行かなかった」人間なのではなく、「嵩永に行く」と決めた人間だったはずです。最終戦においては「自分のした選択が正しかったことを証明するため」に戦っていたアキラですが、それは「誰よりも強くなりたい」という当初の目的からは逸脱したものです。カズマとマコトと別れたのは確かかもしれませんが、新たに得た仲間たちがいたはずです。でもアキラがそちらに言及したことはあまりない。プレイヤーとして以外ではほぼ皆無。
しかし最後の最後に清雅の二人に背を向け、同じ痛みを持っ��人間へと近づいたラストシーンは、自分がかつて未来を見据えて下した選択の結果選び取った過去=嵩永というチームへの回帰だったのではないでしょうか。そしてその瞬間にたどり着くために、宗近暁は嵩永へと「来た」のではないでしょうか。敗北の先に見た世界やそこに見出した意味は、宗近暁というひとりの人間にとっては悪いことばかりではなかったのではないかと。
敗北した嵩永の背中を見つめるカズマとマコトは、かつてアキラが嵩永に行くと決めたときのように、再び自分たちとは違う道を進みだしたアキラを見ていることの表れでもあるのかと思います。
《3.答えの後に》
Q. それでは宗近アキラがたどり着いた答えの先には、何があるのでしょうか。
A. わかりません。
それこそがこのラストシーンをラストシーンたらしめる理由だと思います。
最後の最後、アキラの手は城之内に伸ばされたわけですが、結局のところ「これ具体的に何しようとしてるの?」に関してはかなり不透明です。さらに言えば、「宗近アキラが他者に働きかけた結果、その相手(=城之内)はどうするのか?」という一点だけは決して明かされることはない、というのがこのラストシーンでは最重要だと思っています。(続編があることはもちろん知っておりますがここで言いたいのは次の瞬間の話です)
嵩永に来てからおそらく初めてひとりの人間として他者に向き合おうとした宗近アキラと、その相手である城之内が描かれたのを最後に(彼らの)物語の幕が引かれるので、アキラからゆだねられた選択権を果たして城之内がどうするのか? そしてその結果何が起こるのか? ということは唯一読者側の想像にかかっているのが、このラストシーンは非常に美しいラストシーンだなあと思った最大の由縁です。ラストシーンであっても、そこから続いていくだろう今までとは違った「何か」がわずかにほのめかされているところ。
宗近暁は最後の試合中に、未来を見据えて下したかつての選択を何度も何度も振り返った結果、「意味がなくなる」とまで言い切った敗北を喫した先に、自らがした過去の選択に再び立ち返る。そしてその選択の結果出会った他者に気づくと共に、その他者に向き合い、かつて別れた友とは別の未来に再び進もうとしている。けれどその次の瞬間に何が起こるかは決して読者側には分からない。だからこそ未来である。
とても美しいラストシーンだと思いました。泣くわこんなん。
《おわりに》
ここまで読んでいただいた猛者の方いらっしゃいましたら本当に、心から感謝いたします。正気ですか?とっても嬉しいです。
最後に言いたいのは、当たり前ですが今まで書いてきたのは考察と言いつつあくまで「私自身の解釈」でしかないということです。正解がないところが大好きなので。
あと言いたいことがあるとすれば「猛者ついでにかっとび一斗のKindle化リクエストを是非」ということだけです。
改めて、閲覧どうもありがとうございました!
(2020/06/29)
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