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Bleu
記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成されたりもする。��れは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レンタカーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意���を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開いた物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
小さなゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度も弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータグラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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Novelmber-#19.遺失物
傘を置き忘れてしまったのは、何度目だろう? そして、それに慣れてしまったのはいつからだろう?
雨のち晴れの日が一番危険であると、理屈は承知している。家を出る時に雨が降っていたら誰だって傘を持っていく。問題は、雨が降っていないにも関わらず傘に意識を向け続けなければならない帰りだ。職場の傘立て、鉄道の券売機、地下鉄の手すり、駅前のラーメン屋、そして最後の関門としてのコンビニエンスストア。雨が降っていない限りありとあらゆる場所が傘を飲み込もうと顎門を開いている。
周りの人たちに聞く限り、自分は特に傘を忘れやすい人間らしい。大なり小なり人は傘を忘れるが、自分ほど傘を忘れやすい人間には今のところあったことがない。そして、傘以外のものを自分が忘れることは滅多にないのだ。ただ注意が散漫というだけでは済まない、特別な絆が自分と傘との間にあるのかもしれない。あるいは、特別絆が弱い、のかもしれない。事実、自分は自分の傘に何の思い入れもない。自分を通り過ぎて誰かから誰かへと流れすぎていく硬貨のように、ひと時自分と共に過ごすもの。そんな存在だ。
人が宇宙へ行っても、人の体の一部分を人工的に代替できるようになっても、人工知能が将棋で人を圧倒するようになっても。今日も人は頭の上の布一枚で雨を凌いでいる。
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Novelmber-#17.比喩
終電間際の地下鉄で、美術展の吊り広告を見た。抽象画が主体の展示会だった。乗客たちのほとんどは���マートフォンの画面に視線を落��していて、吊り広告の存在自体を認識していないようだった。自分自身、お世辞にも美術に詳しいとは言えない。それでも、抽象画には思うところがある。
あれはまだ、多くの人々が原子力発電所の安全性を無邪気に信じていられた頃の話だ。勿論、不織布越しの呼吸を強いられてもいなかった。その頃、自分には絵描きの友人がいた。といっても画業で生計を立てていたわけではなく、あくまで趣味として絵を描いていた。自分にはないものを持つ相手との会話は楽しいものだ。学校の美術の授業のほかには絵画に触れる機会のなかった自分も、いつしか友人に連れられて美術館に行くようになった。
その時見ていた絵が誰のものだったか、その絵がどんな絵だったか正直覚えていない。ただ、タイトルだけはよく覚えている。無題。正確に言えばそれはタイトルではなく、タイトルがない、という状態のようなものだ。と友人に教えてもらった。
「言葉にできるのなら、絵を描く必要はない」
併設のカフェでアイスコーヒーを飲みながら、訥々と説明してくれた。おそらくそれは本来言葉にするべきでなく、口にすれば損なわれてしまうようなものなのだ。多分それは、外国語を日本語に翻訳するよりは、絵に値段をつけるような行為なのかもしれない。と、いう比喩さえもおそらく何かを零し続けている。観察することによって状態が変化する量子のように、匂いを感じた時にはすでに揮発が始まっているアロマオイルのように。
きみはまだ、絵を描いていますか?
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2020年になって結構経ちますが
あけましておめでとうございます。ご無沙汰しておりますみつまるです。
2019年は、振り返れば仕事ばかりしていたような気がします。特に秋以降の仕事の集中ぶりが中々のもので、人生を見直すよい機会となりました。
2015年(もう5年前!)に手術をして、透析から解放された僕はなくしたものを取り戻そうとするかのように旅行に行ったりジムに通ったり本気でキャリアアップを目指したりしてみたわけだけど、それは本当に自分が望んでいたことなのかとこの年末年始問い直していました。
病から解き放たれた自分の本来の能力を金銭によって定量的に証明してみせる。 稼いだお金を使うことで、病によってかつて奪われたものを取り戻す。 そんな強迫観念があったのかもしれないな、と。
そんなわけで、2020年は仕事による自己実現を卒業し、自分の手持ちのスキル(とポテンシャル)をできるだけ短時間で高く買ってくれる場所へと移る予定です。社会に対してインパクトのあるビジネスの一翼を担うエグゼクティブの夢を見るのはそれなりに楽しかったですが、ゲームして旅行して本作る方がずっと楽しいですもんね。
かくあるべき、の鎖を断ち切り、こんなことをしている場合ではない、と思う時間を減らす2020年を生きてみようと思います。
追伸:第二回旅チケット(2020/7/4@綿商会館)申し込みました!
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第五回文学フリマ金沢参加いたします
いよいよ来週に迫った第五回にして、一旦の最終回であるところの文学フリマ金沢、参加いたします。文学フリマ金沢は、僕自身母からの生体腎移植を受け、再び旅行できるようになってから初めての国内旅行かつ初めての地方開催イベント遠征ということでとても印象に残っている文フリです。
当時(第二回文学フリマ金沢)参加時の記録
前年度、文学フリマ金沢が北陸新幹線の開通と共に始まった時には手術の直前で、無事に終わったら来年は遠征するぞ、と心に決めていたのを覚えています。
イベントそのものも、会場の規模もある意味丁度よく、来場者の方がゆっくりと熱心にブースを観ていたのが印象的です。あれから三年経っているにも関わらず、再録豪華版の「彼は誰の花」だけで、本当の意味での新刊がないことに少し自分でも衝撃を受けています。とはいえ、「彼は誰の花」は間違いなく美しい本ですので、是非一度お手にとっていただければと思います。
「彼は誰の花」の装丁についての記事
それでは、金沢(とその周辺)のみなさま、20日にお会いしましょう!
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第二十七回文学フリマ東京ありがとうございました!
本日2018/11/25(日)に開催された第二十七回文学フリマ東京にいらしてくださった皆さん、ありがとうございました!
新刊、「彼は誰の花」をそれなりの数の方に手にとっていただくことができました。自分で作っておきながら予想以上の美しい刷り上がりでしたので、一人でも多くの方に手にとって頂けたら、と思っています。ということで、早速ではありますが、BOOTHでの通販も開始しました。発送までは少々お時間を頂戴するかも知れませんが、受付は本日から承っております。
文学フリマ東京は大きなイベントになり、初めて足を運んだ人も結構多かったようです。既に行き渡りきったと思っていた「カトル・セゾン」を予想以上に多くの方が手にとってくださったのが印象的でした。やはり、ファンタジよりは現代ものの方が間口が広い、ということなのかもしれません。
とはいえ、「前から欲しいと思っていたんです」と熱く語って頂き、新刊共々「雨の匂い、石の祈り」をお買い求め下さった方もいらっしゃいましたので、ファンタジ世界を表現する、美しい本を作る、という路線も続けていきたいと思っています。
今後は、
第五回文学フリマ金沢(2019/4/20)
第二十八回文学フリマ東京(2019/5/6)
に参戦します(本日申し込みを完了しました)。本日のペーパーには記載しましたが、今後の発行予定としては
インドネシア旅行記
パリ旅行記
夜をテーマにした短編集「ウィヌィ」
です。ウィヌィは当時に比べて自分が大きく変わってしまったので、用意していた八個のプロットのいくつかは根本から練り直しになりそうですが、企画自体は形にしたいと思っております。
それでは、また。Merci et á bientôt!
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かねてから告知していた「彼は誰の花」、無事に印刷所から納品されました! 予定通り2018/11/25(日)に開催される第二十七回文学フリマ東京にて頒布予定です。蜜丸とサークルpamplemousseはブース「イ-62」で皆様をお待ちしております(Webカタログ)。「彼は誰の花」の頒布価格は1000円となっております。
今回は以前から告知していた通りzngoさんに
表紙:兄ナトト・夜
裏表紙:弟ワルル・昼
背表紙:二人の手・黄昏
というオーダーで描いて頂いています。昼の世界を生きる弟ワルルと、夜の世界を生きる兄ナトトは夜明けと黄昏にだけ交わる。そんな物語の構造をみごとに描いて下さいました。なので、本をひっくり返すと全く雰囲気の違う絵になっています。
この装画を最大限活かすために、タイトルロゴをその上に出来る限り載せたくないと思っていました。ということで、タイトルロゴを透明カバーの上に白インクで刷り、透明カバーを外すと装画を存分に堪能できる装丁としています。
最初は単純にロゴだけを透明カバーに印刷する予定だったのですが、白い花びらが舞う美しい装画でしたので、風を表現するべく絵の中心の花びらは表紙に、絵の周辺の花びらは透明カバーに印刷することにしました。
こうすることで、カバーに印刷された花びらの影が、表紙に落ちるのです。絵の中から、こちら側に風が吹いて花びらが飛んできているような、そんな効果を狙ってみました。是非実際に触ってみ��ください。
「彼は誰の花」を初めとして、同じようにzngoさんに装画をお願いし、日下田さんにブックケースを造って頂いた文庫三冊化粧箱入りの「雨の匂い、石の祈り」など、小説本を取りそろえてお待ちしております。
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秋の文学フリマ東京で頒布予定の文庫、「彼は誰の花」のタイトルロゴを日下田(@higeta)さんに制作頂きました。色々なパーツが出揃ってきて、いよいよという感じになってきました。
熱帯が舞台のお話しですので、ボタニカルな要素を含んだタイトルロゴにしたいと思っていました。色々な話をする中で、「俺の屍を越えていけ」のロゴのような……というアイディアから方向性が決まっていった感じです。植物が繁茂して文字が埋もれつつも可読性を維持するという絶妙な塩梅に調整頂いております。
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文庫タイトル「彼は誰の花」に決定しました
文学フリマ大阪で当日ペーパーを受け取ってくださった方はもうご存じですが、秋の文学フリマ東京合わせで制作している「腐れ街の蛇」と「花と鍛冶師」の文庫のタイトルを「彼は誰の花(かはたれのはな)」に決定しました。昼の世界を生きる鍛冶師の弟ワルルと、夜の世界を生きる殺し屋の兄ナトトが同じ時間を過ごすかはたれ時、それこそがこの本の題名に相応しいと考えています。
装画は以前からお知らせしているように「雨の匂い、石の祈り」でも装画を担当頂いたzngoさん(@zngoron)、題字と表紙デザインを同じく「雨の匂い、石の祈り」で化粧箱デザインを担当しただいた日下田さん(@higeta)にお願いしております。今回も物理的な本として存在することに意味のある本、を目指しています。装画を最大限に生かし、「雨の匂い、石の祈り」とは異なる方向で本に触れたくなる、そういうものが出��上がると思います。
また、「彼は誰の花」には書き下ろしの短い番外編を収録する予定で現在執筆中です。二つの物語を繋ぐという意味を込めて、荷運び人のカファルにスポットを当てることにしました。昼と夜両方を軽やかに行き交う船は何を運ぶのでしょうか。
見本誌の提出をしている時に新刊を随分と出せていないことを思い知ります。最後の新刊は「赤い分銅」で2016年の春です。このtumblrを振り返っても制作中の本の予告ばかりでなかなか形に出来ていないので、思うところはあります。とはいえ、この2年間の苦闘は必ず何らかの形で物語に昇華して元を取りたいと思っています。まずは秋の第二十七回文学フリマ東京「彼は誰の花」でお会いしましょう!
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第六回文学フリマ大阪ありがとうございました!
去る2018/09/09(日)に開催された第六回文学フリマ大阪にいらしてくださった皆さん、ありがとうございました!
今回は文学フリマ大阪が会場を天満橋のOMMビルに移したこともあり、初めての文学フリマ大阪への参戦となりました。新大阪から淀屋橋乗り換えで直ぐに天満橋なので、アクセスが格段に良くなりました。毎回は難しいかもしれませんが、大阪か京都かどちらかには参加出来ればいいなあと思います。
やはり関西圏だけで活動されていて、東京へはなかなか遠征できないという方はいらっしゃるようで、Print-Onさんの装丁総選挙で気になっていたのですが……、といいながら手にとってくださった方などいました。僕自身は比較的軽率に遠征する方なので、今後もあちこち旅行がてら行けたらいいなと思っています。
今後は、
第二十七回文学フリマ東京(2018/11/25)
第二十八回文学フリマ東京(2019/5/6)
が確定です。京都と広島も考えてはいますが、本業の状況次第といったところでしょうか。
秋の文庫についてはエントリを分けます。
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秋の文学フリマ東京合わせで制作中の文庫ですが、zngoさんの装画でナトトとワルル兄弟の手の描写が理想通りだったので、そこを抜き出して中扉を制作したい旨お伝えしたところ、線画を書き起こして下さいました。 二つの画像を重ねると、元々の装画と同じになります(レイアウトの関係上少しだけ位置を調整していますが)。兄と弟、殺し屋と鍛冶師、奪う手と生み出す手。全体が対になっている二つの物語に相応しい中扉が出来たように思います。
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今回お試し版を制作するにあたって、zngoさんから現時点で貰っているラフを分割してそれぞれの表紙にしたのですが、一枚絵として美しいだけでなく、分割した時に昼と夜のまるで違う絵のように見えるのが想像以上に美しく、同じイメージを共有して下さっていることが本当に嬉しく思いました。
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制作中の文庫、頒布は第二十七回文学フリマ東京です
先日より告知している、「腐れ街の蛇」「花と鍛冶師」の文庫化計画、ゆっくりではありますが進捗しています。第二十七回文学フリマ東京(2018/11/25)にて頒布いたしますので、どうぞよろしくお願いします。
初版がA5版でしたので、文庫版にレイアウトを変更するにあたって、改行、改ページ等を整え読みやすい本になるように努力しているところです。こういう時に、自分が電子書籍ではなく紙の本を作っているのだ���強く感じます。お試し版をboothにご用意したので、良ければご覧下さい。A5版の本を手にとって下さった方も、文庫版では異なる雰囲気になっていることを感じ取って頂けるかもしれません。
装画のzngo(@zngoron)さんが7/7-7/8の二夜に渡って作画の過程を配信して下さっていて、それを見る機会があったのですが、自分が発注したとは言え、目の前で自分の書いたキャラクタに命が吹き込まれていくのを見るのは何だかとても奇妙な経験でした。今回の文庫だけでなく、前回の「雨の匂い、石の祈り」についても配信の中で言及して下さっていて、こういう宣伝の方法もあり得るんだなあ……、としみじみ思いました。僕が自分自身のために本を作っているところがあるのですが、色々な人を巻き込んで本を作るのならもう少し宣伝を頑張ってもいいのかな、と思います。
今後のイベント参加予定ですが、
第六回文学フリマ大阪(2018/9/9)
第二十七回文学フリマ東京(2018/11/25)
が、確定です。大阪は初出店になります。今回の文庫は間に合わないのですが「雨の匂い、石の祈り」は持参します。また、旅行記の新刊が大阪合わせで出せたら言いな、と思っています。
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「腐れ街の蛇」「花と鍛冶師」の文庫化計画、少しずつ進捗しています。zngoさんから、とても素敵なラフを頂きました。熱帯好きという共通点からか、いつも僕のイメージを的確に具体化して頂けて本当に嬉しいです。今回は兄ナトトと弟ワルルをできるだけ対照的に、対になるように描いて頂いています(初案に比べて、ナトトは少し筋肉盛って頂きました)。
「背」という文字が上方に見えるように、表1表4全面の美麗な文庫を目指して制作を続けていきます。キャラクタもさることながら、美しい熱帯の風景もこれから描き込んで頂けるとのことなので、僕も今から楽しみです。
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これは、Dear, Summer FriendとFish in the Seaという晋太郎(@shintarawl)さんが暫くのブランクを経てつい最近リリースした小説の感想から始まる、私信でありエッセイである。
Dear, Summer Friend (Amazon)
Fish in the Sea (Amazon)
誤解を怖れずに言うならば、この2作品は晋太郎という小説書きが再び小説を書くために必要だった作品であり、晋太郎という一人の人間がもう一度前を向いて生きていくために必要だった作品である。だから僕は思うのだ。もう一度こうして読むことができてよかった、と。
Twitterというのはとても不思議なものだと、この2作品を読んで心底感じた。それは、はじめてインターネットに触れた時のような衝撃ではない。じんわりと、実はこれってすごいことじゃないか、と沁みてくるような感慨だ(単に自分が年を取っただけかもしれない)。 僕は、晋太郎さんと話したことはない(その昔文学フリマにブースを出されていた時に、少し言葉を交わしたことはあるかもしれない)。それなのに、晋太郎さんの人生のターニングポイントをTwitterを通じて知っている。知ってしまっている。知ってしまっている僕は、この2作品を平気な顔で読むことはできない。作者と作品は別物だ、なんて建前は何の役にも立たない。
昔から、晋太郎さんの作品には私小説的なところが多分にあった。昨今、小説や漫画をWebで発表する際に作者自身がコンテンツになっている、だなんて言説を目にする機会があるが、晋太郎さんは間違いなく本人がTwitter上でコンテンツになっているタイプの小説書きだと思う。代表作(と言って差し支えないであろう)「ナイン・ストーリーズ」は高校球児と夏への愛が炸裂した、まさしく彼でなければ書けない作品であったし、だからこそあれほどの輝きを放った。
しかし、この2作は「ナイン・ストーリーズ」とは比べものにならない生々しい傷の痛みに満ちている。本人も述べているように、作品としての完成度としてはもっと高めることができたのかもしれない。どこかで見切りを付けて発表した、という側面もあるのだろう。だが、だからこそ���そこには無濾過の衝動が脈打っている。
Dear, Summer Friendはキラキラした夏と青春の輝きに満ちていて、一見すると傷などないように思える。僕自身、読んでいて快く「いつものやつ」に浸ることができた。村上春樹が自作の中でするジャズの話のように次々に繰り出される音楽たち。僕以外にも、そうそうこれが読みたかった、と思った人は多かっただろう。 しかし、これが今このタイミングで発表されたことに、僕は傷の痛みを想像せずにはいられない。晋太郎さんが久しく小説というものに向き合えず、書いた作品を発表することができずにいたことを僕は知ってしまっているからだ。だからこそ、これは、小説、というものに再び向き合い、人生の一部分にしていく為に必要な助走であったのだと感じる。即ち、自分が一番得意とする、「いつものやつ」。特に深く考えるまでもなく、好きなモノを好きなように、ある意味手癖で書く。きっと、書いていて楽しかったのだろうということが伝わってくる。 書いていて楽しい、これは、物書きにとってとても重要な感覚だ。誰しも、書き始めた時はただ単に楽しいから書く。そこに他の要素はない。書き続けていくうちに、純粋さは喪われる。もっと上手くなりたい、違うタイプの話を書きたい、長いものに挑戦したい、といった内面からの欲望。他の人に読んでもらいたい、本を売りたい、感想を貰いたい、といった外部への欲望。欲望は不可避だし、ある程度までなら健全だと思う。しかし、時に欲望は物書きをがんじがらめにして書くことへの楽しさを壊してしまう。 晋太郎さんもそうだったと思うし、だからこそ、もう一度書くために原点に帰る必要があったのだ。そう、思った。
一方で、Fish in the Seaはもっと露骨な、血の滴るような傷そのものだ。下世話な勘繰りであることは重々承知ではある。それでも、作品の体を取った懺悔のようにすら読めてしまう。それほどまでに主人公の年下の恋人への激しい愛と別れ、そして何より、その後に残る後悔はここ数年の「Twitter上で吐き出された」晋太郎さん自身を想起させずにはいられない。 いつか、晋太郎さんと「書かずにはいられない感情」についてreplyのやりとりをしたような記憶がある。Fish in the Seaに込められているのは、作品に昇華しなければやりきれないような激しい感情だったのだ。うっかりすると呑み込まれて二度と戻ってはこられないような深淵。人生をそのまま駄目にしてしまうことがフィクションでも現実でも珍しくないような、そんな感情の坩堝の中で、晋太郎さんはきっとこれを書いた。 物語も後半に進めば、「物語として形にしよう」という意志を感じるようになる。もしかしたら、初めはこれも作品として発表するつもりはなく、ただ単に書かずにいられなかったから書いたのかもしれない。それこそ、ドアのモチーフで思い出さずにはいられないコメディアンの馬を観たりしながら。だからこそ、「できすぎなくらい綺麗に」物語として形にまとめることができた、ということそのものが、この物語を書いたことによる効能なのかもしれない。この物語を書き、発表し、周りから様々なコメントを貰うこと自体が、何かしらの癒しになっていればいい、そう思う。
どうしてこれほどまでにこの物語に心を動かされ、こんなにも長い文章を書いているのか、少し自分を振り返ってみる。多分それは、自分自身が同じように「物語を紡げていない」状態が続いていたこと、そして「長年連れ添った伴侶のような会社に対して別れを告げたこと」、この二つの要素が激しく共鳴したからだと思う。同じ物書きとして、同じ愛着を持った存在との別れから再び立ち上がろうとしているいい年をした人間として、この再生に向けた物語に何かを書かずにはいられなかった。きっと、自分自身も同じような物語を書かずにはいられないのだ。ということが納得出来たから。
長々と書いてきたけれど、言いたいことは一つである。またこうして読むことができて嬉しい。おかえりなさい。
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「腐れ街の蛇」「花と鍛冶師」文庫化します
先日もtumblrに書いた通り、完売した既刊「腐れ街の蛇」を文庫化します。「雨の匂い、石の祈り」で三人の主人公を美しい背景と共に具体化して下さったzngoさん(@zngoron)に引き続いて装画を依頼し、あの雨が降る化粧箱をデザインして下さった日下田さん(@higeta)に今回は表紙のデザインを依頼しております。
「雨の匂い、石の祈り」となる三部作を描いたことで、熱帯ファンタジを書くということにある程度の手応えを得たので、経験を活かして別の角度から次の熱帯ファンタジを書いたのが「腐れ街の蛇」と対になる「花と鍛冶師」です。
「雨の匂い、石の祈り」が年齢も職業も異なる三人の主人公の物語を並べることで、架空の熱帯の王国とそこでの生活を描き出せるのではないか、というコンセプトで書かれた物語であるならば、この「腐れ街の蛇」と「花と鍛冶師」はもっとキャラクタを全面に押し出すことを試みた物語です。そういう意味で、僕の本の中では手に取りやすい本と言われたこともあります。
娼館の用心棒兼暗殺者として夜の世界を生きる兄ナトトと鍛冶師見習いとして昼の世界で暮らす弟ワルル。雨季が近づき、「花祭り」を控えてざわつく猥雑な熱帯の都で同じ時間をそれぞれの視点から描いています。
■文学フリマWebカタログ紹介ページ
「腐れ街の蛇」
「花と鍛冶師」
***
今回の文庫化制作に当たって、この所考えていることを少しだけ。 蜜丸は自作を電子書籍化するつもりはありません。その方が色々な方に物語をより手軽に読んで貰えるだけでなく、金銭面でも楽なことはわかっています。それでも、僕は物体としての本を愛し、自分の作品を表現する手段としての装丁を愛しているからこそ、こうして紙の本を作り続けています。
「雨の匂い、石の祈り」を制作した時も思ったのですが、「結局のところ、この物語とは何なのか?/何だったのか?」という問いに明確な答えを持たない限り、心から満足のいくような装丁を制作することはできないのではないかと思います。そしてそれは物語を書き上げた時点では作者本人の中でも言語化できるようなものではなく、ある程度時間が過ぎ去った後で次第に形を成してくるものなのではないでしょうか(単純に〆切ギリギリまで原稿に手を入れているせいで、客観化できていないだけなのかもしれませんが)。
今回も電子書籍では決してできない、装丁それ自体に価値があるようなそのような本を制作していきます。制作過程も適宜、ここで紹介できればと思います。どうぞご期待下さい。
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pamplemousse再始動します
ご無沙汰しております。蜜丸です。
2017年5月の第二十四回文学フリマ東京以後、本格的に職場の状況が悪化してしまい、創作活動どころではなくなってしまっていました。色々ありましたが、また活動したいなという気持ちが湧いてきたので再開します。
2018年のイベント参加ですが、
2018/9/9:第六回文学フリマ大阪
2018/11/25:第二十七回文学フリマ東京
を予定しています。
特にイベントに合わせるつもりはないのですが、今後の制作予定としては、
完売した「腐れ街の蛇」の文庫化
インドネシア旅行記
ウラジオストク旅行記
短編集「Huit Nuit」
メソアメリカ長編ファンタジ
となっています。できあがったところから、直近のイベントに持っていく、そんなゆるめのスタイルでやっていけたらと思います。
冬眠中もBOOTHの方では「雨の匂い、石の祈り」を何冊かお求めいただいていました。大した宣伝もしていないのに、誰かの目に止まったのだ、と思うと嬉しくなります。今後は、新刊はBOOTHにも出してみようかなと思います。 http://pamplemousse.booth.pm/
それでは、また!
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