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ももクロ 15周年ツアー 雑感(ネタバレっていうか妄想全開っすよ)
8月1日追記: 「はじめに」の前のさらにはじめにw 7月末日に公開された玉井さんのAEインタビューで、周年ツアーの演出やスタッフに触れる記述がありました。その内容を汲むとクソ恥ずかしいほどに的外れなコトを書いている部分だらけなんですが、そもそも妄想まとめなので、そこは寛大なココロで生温かく見守ってやっていただけると幸いでございますw ====== はじめに ライブの感想っていうより、あのライブを通じて自分が受け取ったモノというか、勝手な妄想ですw セトリ、演出、あと細かいコト、もろもろを全部つないでった結果、自分が感じたのは、このライブって「メンバーからノフに対しての、今後のももクロライブについてのプレゼン」ではないか?ということでした。 ======
行ったのは、2公演目となる名古屋公演。 まずはセトリから…ですが、自分の記憶があまりにも曖昧だったので、先に上がっていた複数の方のネタバレ等を参考にさせていただきました←
■周年ツアー セトリ(多分) ・走れ! ・DNA狂詩曲 ・PUSH ・笑一笑 自己紹介1 = ・another world ・じゃないほう = ・バイバイでさようなら ・Guns N' Diamond ・PLAY! ・ゴリラパンチ ・Nightmare Before Catharsis(ラケットでボール打ち) 自己紹介2 ・Re:volution ・HAND ・リバイバル = ・あーソロメドレー ・赤い幻夜 = ・天国のでたらめ ・GOUNN ・MONONOFU NIPPON ・いちごいちえ (ももパン → 一味同心メドレーを挟み込み) ・行くぜっ!怪盗少女 =En= ・DECORATION ・吼えろ = ====== ということで、ライブを観終わって、つらつらと考えたことを。 最初にもってきたけど、いろいろ思い巡らせて、わりと後になって、頭に浮かんだことが以下になります。
●周年ツアーの意味と役割
15周年という区切りのツアーだけど、おめでとうとこれまでを振り返るよりも、こっからを作るための、実験的な試みを含んだライブという印象。年月を経て、メンバーもノフも歳を取って、これからも一緒に歩んでいくにはどんなライブにしていけばいいか?自分たちが進みやすいやり方にモノノフを導くには?そんなことが裏テーマにあるんだろうなと。 ひとことで言えば…
「サステナブルなももクロライブ」を作り続けるためのライブ
で、それがなぜこのツアーなのか ・15周年という区切りの年だから「変わる」ことも不自然ではない。 ・メンバープロデュースだから、自分たちの意思を明示しやすい(文句も出にくいw) ・複数公演だからいろいろ実験ができるし、繰り返すことで浸透しやすくできるかもしれない。 みたいな感じですかね。 ====== プレゼンと感じたのは、今までと違うものをいくつか提示されたように思えたから。以下、それを含めた雑感もろもろです。
●自己紹介変えたい…よね?
自己紹介パートが2回あった。 1回目は、スクリーンに名前が表示され、センターに出てきてポーズ&ひとこと。 2回目はいつもの自己紹介。 たしかに30越えて今の自己紹介をやり続けるのはキツイ。正直いえば自分はあの呪縛から解放してあげたいとここ数年思ってる。客観的に見て、あの年齢であの自己紹介はイタイっしょ。新たな自己紹介に変えたいが、反応はどうか?どういう自己紹介がいいか?そこを探ってる気がした。なので、ここは千秋楽まで変化する可能性のあるパートだと思う。 いつもの自己紹介もやったのは、一気に変えちゃうとビックリして拒否反応を示すノフもいると思うので、それを避けるためのクッションじゃないかと。ひょっとすると、先日の「あちこちオードリー」がメディア出演でラストの自己紹介、貴重な映像になるかもなぁ…とか思った。
●怪盗少女のカタチ変えたい…のか?
百田さんの腰への負担もあり、落ちサビ前間奏のアクロバットをなくす方への動きなのか、順���にアクロバットするところは、メンバーによる「ハイ、ハイ、ハイ」の煽りに。 一瞬、違和感を感じ、そして「これは、大天使口上打ちづれぇ…」と。目の前で、あーりんが「ハイ、ハイ」煽ってるのブチ破って口上打つ勇気なんかなかったw 結局、ももクロMIXをギリギリ打てただけだった。 でも、これ座席がステージに近過ぎた(実質2列目)から、そ��なっただけで、離れてたら違った(普通に全力で大天使口上打ってたw)とも思う。
●生まれ変わりますからね宣言?
第2ブロックのスタートが「バイバイでさようなら」で、ここにちょっと違和感を覚えたんすよ。新しいブロックをなぜ死んじゃう曲からスタートするのかって。で、第3ブロックが「でたらめ」で始まり「GOUNN」につながって、あ…生まれ変わるってことか…と。
「バイバイで」→「ガンズ」(第2ブロック) 死んじゃって
なんやかんやあって
「でたらめ」→「GOUNN」(第3ブロック) 生まれ変わる
の流れは、生まれ変わって新しいものを提示してくからという意思表示じゃないかと。アルバム(Amaranthus)では「ガンズ」「バイバイで」の順だったけど、その順を入れ替えたのは、足掻きとか迷いとか空想とかその後のなんやかんや(「PLAY!」は “Welcome to 次なる世界”だし、「リバイバル」は復活の意味合いを含んでたりしするし…って、ゴリパンを説明できないから、こじつけでしかないんですけどもw)を経て「でたらめ」への道筋を作っているようにも思った。
で、衣装早替えで生まれ変わってからの「GOUNN」。輪廻転生をテーマにした「GOUNN」のフリがまるっと変更されてるのが、このブロックの胆。こんなの唸るしかないべ。そっからのヒャダイン新曲。変えてく、変わってくけど、楽しいことは続けてくよ宣言みたいな。 何が言いたいかというと「若かった頃のももクロのやり方とはお別れするけど、生まれ変わっても楽しいモノを届けてくからね」ってメッセージが込められてるんじゃないかと。 なお、その「MONONOFU NIPPON」ですが、めちゃめちゃハードです。たとえば10年後にパフォーマンスするとか想像できないレベルのハードさw。で、楽しい。タイトルやコンセプト、曲調、歌詞、ノリ含めて、世界的にバズらせること狙ってるよな…あ…OVERTUREをバズらせたら、ここにつなぐってなシナリオか…とか思うなどw
●GOUNNのフリの今後
フリを一新された「GOUNN」。あのブロックの構成上、これ以上に適した曲はないことは理解できる。演出としても素晴らしい。でも、GOUNNのフリコピ大好きマンとしてはやっぱり寂しさも感じるわけで。ただ、MCで、大きくフリを変更した曲について、このツアー限定で…みたいな���ュアンスのことを言ってたと思うので、そこに望みをつなげたいと思う。
●「いちごいちえ」の演出
「いちごいちえ」の間に過去曲メドレー(2009年「ももいろパンチ」から2022年「一味同心」まで)を挟み込み、過去から今までを辿る構成。今では変わってしまったフリも昔のフリを使ってるところも含めて、この曲自体の演出は、過去も全部未来に持ってくから置き去りにしないから、で、楽しいことを続けてくからね。みたいな気概を感じた。
●メンバーのソロの使い方
メンバーのソロ曲をインタールード的に挟み混んで衣装替えの時間として活用する。これまでもイベント等ではやったことはあるけど、ここまで明確に役割持たせてやるのはなかった気がする。これ、めっちゃアリだと思うし、今後バンバンやってほしい。
●4人でのハモ
「走れ!」「リバイバル」でイントロ・アウトロ等でのハモアレンジ。多分、自分の席が音の環境的に良くなかったのだと思う。ガチャガチャうるさくしか聞こえなかったので、PAさん頑張ってくださいw
●演出について
全体的な演出イメージとしては、歌詞の世界観を大事にしたというか歌詞をパフォーマンスに落とし込んだモノが多い気がして、最近の傾向で考えると、そのあたりは、やっぱりあーりんがイニシアチブ取ってるっぽいって思っちゃうんすよね。
●ももクロにとってのモノノフ
心強い味方である人が些細なことで敵に変わるなんてことはよくあることで、彼女たちはそのこともものすごくわかってると思う。だから、説明もなしに、一気に舵を切るのはリスクが伴う。媚びてはないけど、今回の変わろうとしている中で、まずはノフを納得させる、同意を得る、共犯にする。そういった部分への配慮はめちゃめちゃ感じられる。思えば、これまでもちょっと刺してみて、これくらいなら大丈夫かな。ってリアクションが得られれば、次はもうちょっと攻めてみるか…みたいな感じで、受け入れエリアを広げてきた感はある。間違えたらそのやり方はやめて、次の手で探る。ライブの現場はダイレクトにリアクションが受け取れるし、ツアーだとそれが繰り返しできるから、いろいろ試しやすいよな~とか思ったりもした。 ====== あとがき 観たライブで受けた印象から、いろいろ妄想してんの楽しい← 今回のツアー、そもそもセルフプロデュースで何をするか…にいちばん興味があったんすけど、ぶっちゃけ自分は、エンタメとしてどういう構成、表現、手法を持ってくるんだろうと、そっちにしか意識が行ってなかったんすよね。 だから、お恥ずかしいことに、裏テーマに、ももクロのライブをこれからも続けていくにはどうすればいいか…みたいなことがあるとかまったく想像してなくて。その可能性に気づいた時に、やっぱももクロおもしれぇ。って嬉しくなったし、わかった!着いてくから。って気持ちを新たにした感じがありました。��ても、自分の勝手な解釈と妄想なだけで、実際はそんな裏テーマなんてないかもしんないけどw ツアー期間が長いので、変わってく部分もあると思うし(あってほしいw)、できたら10月の武蔵野森は行きたいんすけど、チケ取れてないので、なんとか頑張って確保したいと思っております。 ====== 私からは以上です。
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muro式の芝居の価値は カーテンコールに
(本編ネタバレはほぼゼロですが、カーテンコールのネタバレしまくりです)
◎公演名:muro式 9.5 「答え」
◎観劇日:2016年9月5日(月)名古屋公演初日
去年行った「muro式9」の感想はここ
▼なぜ、9.5?なぜ、ひとり芝居?
去年、「来年muro式10を盛大にやります」って約束を反故にして…「muro式9.5」というひとり芝居を打ったムロツヨシ。muro式の規模が大きくなるに連れて、共演者(ヨーロッパ企画)他とのスケジュールの調整が難しくなってきて、今年は無理だな…と思っていたところに社長から連絡が入る、「ムロ、能楽堂が取れたぞ」と。いや、無理だぞ、今年はできないぞ…と最初は断る予定だったらしいです。そのつもりで社長に会いにいったのに、話してるうちに「ひとり芝居なら…」ってうっかり自分で言っちゃって9.5をやることになった…と。
ひとり芝居で、演出までするのは、めずらしいかもしれないけど、muro式はそういう場だからやりたいコトやるみたいなコト言って「ムロなんちゃら」なキーワードも発してた気がするんですが、ほかのことに気を取られていたので、この話、あんまり覚えてないですw
▼のぼり
劇場入り口には、役者さんや関係者ののぼりがいっぱい並んでいて、それがめちゃめちゃいい雰囲気だったんですが、あれは、芸歴20年40歳になってそろそろそういうお願いをしてもいいんじゃないかなぁ〜と、先輩や後輩、飲み仲間に、お花の代わりに今回はのぼりを出したい…ということでご協力いただいたものだそうです。けど、中には「お花なんて出すつもりなかった…」という人がいてそういう人には「察しろ!」ということで無理矢理出してもらった「察しのぼり」もいくつかあるんですが、それがどれかは内緒です。とのことでした。あ…星野源ののぼりとばっかり写真撮りやがって…とかも言ってましたw
◎のぼり出てた人を画像と記憶の限りに…(順不同)
福田雄一/笑福亭鶴��/内村光良/阿部サダヲ/荒川良々/唐沢寿明/本多力/永野宗典/山田孝之/松田龍平/瑛太/小栗旬/綾野剛/新井浩文/小泉孝太郎/鈴木亮平/青木崇高/塚地武雅/星野源/松本潤/生田斗真/TEAM NACS/新垣結衣/笠原秀幸/勝地涼/山崎育三郎/濱田岳/柳楽優弥/西田尚美/吉田羊/白田あさみ/木南晴夏/黒木華/ココリコ田中…
おい、ももクロののぼりがナイじゃねーかよ!!!
▼アンケートについて
アンケートの話もいっぱいしてました。というか、感想を書いてほしいとお願いしてる感じ。 ちゃんと全部見てます。いっぱい言いたいことを書いた挙句に「でも、映像はよかった」とか映像だけ褒めるのやめろ、どうせなら「映像もよかった」にしろ。とかw 実際にmuro式のオープニング映像ってめちゃめちゃ凝ってて、今回もプロジェクションマッピングで、能舞台の壁面にある松の絵を下地にもんすごいカッコイイ映像が展開されてました。当然のことながら会場ごとに松の絵が違うので、映像担当(名前失念)がその都度、松のパスを取ってるの、大変なの、だから労ってあげて、書いてあげてくださいみたいなコトも言ってました(なんだよ、いい人かよw)
▼本番中の感想とか
それから…能舞台なんて、厳かすぎて自分が立っちゃいけない気がする。とも言ってましたね。能の神様、怒ってんじゃないかとかなんとか。とにかく普通の舞台と勝手��違うというか、客側も能楽堂という雰囲気に飲まれちゃって、緊張感が半端なかったのは確か。開演のために暗転した瞬間、客席の空気が止まった感じがしたんすもん(咳とか物音とか出したら殺されるんじゃないかと思ったくらいw)。そのくらい、能舞台という圧がすごかったんす。 揚幕が上がって、橋掛かり(舞台までの廊下みたいなヤツ)を歩いてる間、その客側の緊張感がビンビンに伝わってきたらしいです。この公演最大の600席分の緊張が…。歩きながら、うわー、ナニコレ〜ってなりつつも、この感じを覚えておこうと思ってたとのこと。 あと、ウケなかったトコも。600人の「ん?」「今のなに?」的なスベった空気がドワ~っと襲ってくるらしい。それも覚えておきますと。今日やってみて、そういった部分は変えていくって言ってました。 あとは…能舞台って上に屋根があるから正面に柱が2本あるんです。なので、舞台上にどうしても死角ができちゃう。ソレをなんとかしよう…というか、逆手に取って面白くしてやろうという下手側に向けて無駄な動きが入れてたんすが(ここはウケてたw)、終わってから見づらくてゴメンナサイって謝ってました。加えて言えば、それは東京公演でもやってたことで、名古屋の会場に来てみたら、上手側にも同じ死角ができてた(東京の会場は上手の柱向こうに座席はなかった)と…けど、本番中に死角をフォローする動きを取り入れられず、ごめんなさい。と、その後、該当座席の方向に向かって「好き♪」を連発してました。多分、2日目には本番中の動きに何か加えられてるんじゃないかなと思います。
▼最後に
客に迎合するわけじゃないけど、客のリアクションをものすごく大事にする、ライブの人(どこぞの誰に対するイヤミとかじゃないからねw)。自分の中ではそういう認識。 前回、初めてムロ式を体験して、カーテンコール、こないに喋るんかーい!って、そのことにビックリして、内容の記憶をすっとばされたわけですが、今回も一緒でした。ただ、喋り始めに「初めて来られた方は驚くかもしれませんが、カーテンコールいっぱい喋るんです、なんでかって?病気だからです!」って、前置きしてました。「あれは、何の時間だったんだろうと…舞台の内容は忘れて帰っていただきたい!」みたいなコト言ってたから、なんだワシ、ムロツの思うツボじゃねーかよとか思ったけど。 去年、その独特のカーテンコールが体感で15〜20分な感じがしたんですが、実際に時計は見てなかったので、今回は「よーし、何分喋る気だ」って時計を確認しました。幕が下りたのが20時14分…そして喋りまくったカーテンコールが終わったのが20時33分。ホンマに20分くらい喋ってました。
もうすでにお気づきだとは思いますが、ここに書かれている内容の大半は、カーテンコールでムロさんが喋った話ですw。ひとり芝居で70分弱(押してたからもっと短いかも)、あのボリュームのセリフを喋った後に、20分マシンガンのように喋るとかおかしい…うん、やっぱ病気ですよ。あの人。それがイヤか?と問われれば、そうではなくて、むしろチケ代の何割かをこのカーテンコールに支払いたいよね。くらいにはなってるんすよ。 このツラツラ並べたくだらない話を���ってるかどうかで、間違いなくムロツヨシという役者への興味の度合いが変わる。実際に9を観て、9.5を観に行くようになったんだから。 そんでもって10も観に行きますよ、チケットが取れれば。
ということで、本編の感想すっとばして終わりますが、今回も最終的に思ったのは、やっぱりムロツヨシに「せのしすたぁ」のまおさんを当てたい。二人でなんかやってるの見たい!でした。
私からは以上です。
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「夢の劇」感想とか
2016/4/29・神奈川芸術劇場・6列目
女優・早見あかりの舞台「夢の劇」を観てきました。 そう、きっちり女優でした、主演女優。カテコもカンパニー引っ張ってる感じしてたし、堂々としてました。ももクロ時代は追体験で知るのみですが、ここまでをなんだかんだで気にしながら見てきたから、自分の足でああいう場所にしっかり立ってるのを見れて嬉しかったし、頼もしかったです。
(部分的にネタバレあるのでご注意ください)
あかりんの演技に関しては、ものすごく優等生で、特に気になるところもなく、よかったです。けど、逆にいえば、いい意味での引っ掛かりもなかったんですよね(ディスってるんじゃないからね、誤解しないでくださいね)。
もちろん、初主演であの作品であそこまでやれるのは、スゴイんす。実際、自分が想像していた以上によかったので(偉そうでゴメンナサイ)。観たのは、東京公演の楽前日ってのもあって、かなり角が取れてきたんだろうなぁ〜と想像できるくらいの自然な演技。なんですけど、あえてカライことをいえば、あの年齢であのくらいできる子は山盛り居てて、もちろん「早見あかり」というネームバリューはあるんすが、そこからアタマひとつ抜けるにはその人だからこその武器が必要。作る側が、自分の作品にこの子を使いたい!と衝動的に思わせる武器。それがあかりんは何なのかなぁ〜と。ひょっとすると、自分がももクロを介してあかりんを知ってる(知り合いみたいに書くなw)から、それが見えてないだけかもしれないんですよね。例えば、田中圭くんを目当てで観劇にきたお客さんにスゴいインパクト与えてるかもしれないし…。とにかく、これからの女優・早見あかりに盛大に期待したい、そんな気持ちになる舞台でした。
作品としては、いろいろ考えを巡らせられる余白の多い舞台ですごく面白かったです。ただ全部辿ってくと厄介なので、印象深かった部分のメモ感想だけ。
〈美術とか演出とか〉
●舞台美術も空間を意識させる演出が最高に楽しかったっす。完全に異空間なのに、寂れた田舎の遊園地みたいな騒々しさとゴチャってした雰囲気のせいで、勝手にノスタルジックになってましたw
●開演前の舞台セットは、パッと見、ものものしく廃墟っぽい。人の気配も時間の流れも感じさせない空気。そんな空間に、演者と音楽、光が一気になだれ込むオープニング。「ほら、今からはじめっぞ!」という圧倒的なオープニング感は大好物なヤツでした。そこだけみて、この作品「もう好き!」って思いましたもんw
●白井さんは演者として「オケピ!」で観ただけで、演出作品を見たことなかったので、どんな感じなんだろうと思ってたんですが、今回の作品に関しては、ざっくりした見た目の世界だけでいうと、串田和美さんの演出で観たことあるのに近かったです。よくわかってないまま言いますが、昔の劇場みたいな、舞台を客席で囲むとか、後ろにバンドいるとか…。
〈役者さん〉
●あかりんの最初の登場シーン、天空をイメージした、移動式の、そこそこ高さのあるセットに登ってって腰掛けるんですけど、腰掛けた瞬間めちゃめちゃ揺れてたんすよ。が、表情ひとつ変えねぇし、揺れることにビビってセーブした動きでもないし、あぁ、この子、すげぇ肝座ってる、大丈夫だ。って、そこで安心しました(ってか、やっぱり観る前はどうかな、大丈夫かな…っていろいろ心配してましたw)
●田中圭くんは存在感の出し入れがちゃんとできる役者さんでした。地味なバイプレイヤーな印象が強いですが、パーンと圧を出せるトコは出せる。それを生で見られてよかったです。
●山崎さんのポールダンス?が年齢を感じさせないくらいスゴかったですw
〈お話のはなし〉
●神様の娘アグネスが人間界をちょっと見てくるってな話なのですが、行って・見て・帰るの「帰る」部分が「人間における死」として描かれていました。ある意味、今生の別れだから、なるほど…って思いましたが、人間の「生まれる」「死ぬ」が神様だとちょっとお出かけ感覚って捉え方が面白かったです。アグネスはちょっと行って見て帰ってくるだけの行為…と捉えて軽んじてみたものの、帰る瞬間には経験がもたらした記憶や感情に抗えなくなり、その重さに気づくんですね。けど、コレって逆に考えてみれば、人が死ぬってコトは元の場所に帰ること…という解釈もできるわけで、悲しみや辛さを和らげてくれる思考なんでは?とか思い始めました。そうやって考えると死って怖くないんだよ。って思えるよね…バイバイでさよなら的な。
●何も知らない無垢な神の娘・アグネスが人間界で生まれて死ぬまでのお話…って思ったら、なんだかAMARANTHUSっぽいんすよ。
●何かが起こると人を糾弾する人たちが出てくる、それが正しいか正しくないかは別の話。その勢いは同調する人が増えれば増えるほど止められなくなる、雪だるま式に糾弾はエスカレートしていく。 でも、そこには誰も悪い人なんていない…それをしているのは「みんな」という得体の知れない化物。作品内で描かれる、恐ろしく皮肉なテーマは100年以上たっても変わらないなんて「人間って憐れ」で滑稽なんですよね。ネットでのフクロダタキなんていわゆる「善良な市民」であろう人たちがやってるんすから。自分は安全圏に身をおいてお手軽に叩けるんだから、今の方がタチが悪いんすけども。
●「人間って憐れ」のエピソードが山盛り並べられてるんですが、だから人間は素晴らしい、愛おしいって思ったのは、ある程度守られた日本で、現代で…だからなんでしょうね。生まれによる格差の話もあって、いろいろ今に近いよね…って思ったりもしたんですが、そもそもどこまでが原作に忠実なのかとかわかんないから、パンフレット買ってくればよかった…orz
●エピソード盛りだくさんの流れを、アグネスを裕福な現代の子どもと仮定してみるとそれはそれで違う皮肉な感じに捉えられました。生き方が多様化した現代人が、アレをちょっとつまんで、コレをちょっとつまんで…あー、もう飽きた、ヤダやめる…みたいな姿にも重ね合わせられるんですよね。って、これはかなり歪曲した見方ですね。
●個人的には「緑の網」のくだりが一番重かったっすかね。憧れて憧れて苦労してやっと手に入れたものが、実は思ったのと違ってて、でもずっと抱いてた思いとかモロモロを考えると、正面きって不満を言えない感じ。今までの自分全否定だもんなぁ〜、できないよなぁ〜、ごっつうわかるwww
〈その他〉
●隣の隣が爆睡して、すっげーイビキまでかいてた…夢の劇だからしゃあないのかw
●終演後、劇場で吉岡先生とすれ違いました。たまたまどなたかに挨拶するのにマスク外したタイミングだから気づけたものの、それがなかったら素通りしてました。オーラどうこうではなく普通の人、なのに作品の中だと完全に違う人になるんだから、スゴイんすよね。
●劇場がめちゃめちゃカッコよかった。この連休後半に上演される「まつもと市民芸術館」(こっちは串田さんが芸術監督やってはります)もカッコいい劇場で当初は松本に行くつもりだったんですが、結果的にKAATで観られてよかったです。
私からは以上です。
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劇場・スジナシ 夏菜子回メモ
Evernoteを掘ってたらスジナシの感想メモ的なのが出てきたので、今更ですがこっちに残しとくことにします。
・2014/7/10(木) ・名鉄ホール ・上手5列目から観劇
こんときは、ひょっとすると夏菜子は舞台向きかも…と思ってましたw 以下は、観劇後に思いついたコトを好き勝手書いてるだけです。
【夏菜子の舞台の可能性的な何か】
●意識下と無意識下で動くもの。 鶴瓶の名前、夏菜子のダンス、���。探り探りの中での瞬発力、やっぱ直感の人(ピストル伏線回収はバラスイシ)。 「会えるなら会いたいよねー…20歳になる前に…」のセリフもセリフ回しもよかった。
●セリフを覚えられるかどうかは心配ないけど、意味と理解が問題。たとえば、シュプレヒコールはわかってないと演じられない。
●結局、夏菜子はライブの人。人の感情を揺さぶれる波動みたいなの持ってる。 松さんもドラマよりは映画、映画よりは舞台。舞台の圧倒的度は異常。多分、一般の人たちがイメージしてる松たか子と舞台上の松たか子は別物。取り憑かれたようなトリッキーな演技はファンでもうぉおっ!ってなる。芝居がうまいって話だけじゃ片付かない。 松さんは青い炎、夏菜子は赤い炎。 ●夏菜子が悪い役やるの想像つかねー。 ●満島ひかり、やっぱスゲーな。 ●表現の幅。見たことある範囲(自分の持ってるもの)だけであそこまでやれるなら、やっぱその先を見たい。 ただ直感の人が、繰り返される稽古の中で、その直感のよさをどうやって残していけるかも課題。でも、そこは5DやGOUNNツアーで同じことを詰めていくということを経験してるし、その難しさや楽しさも知ってるから心配ないか。
●松さんのやった芝居の中で夏菜子にやってもらいたいのはオイル。 ●現実的な話、芝居は稽古に1ヶ月、公演1ヶ月とかだから、これだけ売れてる状態だとまだまだ無理だよねー。5年後くらいかなぁ〜 ●ミュージカルの筋も見えてきた(けども、ミュージカルなんかもっと公演期間長いからさらに無理だよねー)
【内容に絡むハナシ】 ●持道��持ち過ぎの上の、手に余っての扱い方が雑過ぎ。帽子とサングラスをソファの角に、浮き輪を床に放置するなwww
●鶴瓶はかなりサービスしてたと思う。クイズも赤潮もももクロとファンを知ってる上でのサービス。テレビ収録だったらアレはやんなかった気もする。 ●やっぱ慣れてないだろうから…と、ホストに回った鶴瓶。展開としての無茶なブッコミはしてない。夏菜子は積極的に攻めてたように見えて、やっぱり手のひらの上。運びやすいようにコントロールしていたと思う。けど、ところどころで思ってもみなかったところの返球に戸惑ってる部分は見えた。その最たるものが「えー、親父とちゃうのー?」 ●ナムルでkwkmがサイレン鳴らして救済してくれたのに、どうしてその後、流れの軌道修正しちゃったのか? 普通ならわかってない(カッコ悪い、恥ずかしい状況)に助け舟が来たらそこのっかって逃げるのに、どうして戻る(バカなのか?)すっげーはずかしがって、もう最悪ー!とかいうくせに、どうして飛んで火にいる夏の虫なのか? ●父親と会えると聞いて涙したのは、もう完全にトモミだった。 鶴瓶による父親の説明「丸坊主でぽっちゃりメガネで今日は黒のTシャツ」を事前に聞いてるのに、あの涙を流せるのは、それがkwkmだという認識に至らない状態だったからだと思われ。 どこでスイッチが切り替わったか…kwkmが登場した瞬間の夏菜子の表情を見れていないので、そこは見とけばよかったなーと。 カットがかかった瞬間「最悪ー!」を連呼してたから、ここの切り替えはもんすごく気になった。 ●どうしてプレビュートークのときにkwkmを呼ばなかったんだ…orz
●板付きスタートで見たかった…
●突き詰めて考えていくと、この時の演技がどうとかこうとかいう話ではなく、この時の夏菜子は何モードだったか…のくだらない分析になってくな。
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ドルヲタが観た muro式.9『=』
今日のmuro式.9「=」を観て…というかムロさんの舞台を初めて思ったこと。誤解を恐れずにいえば、ムロツヨシとせのしすたぁのまおさん、似てる。アタマいいし、サービス精神旺盛だし、腕もある。なのに、ホントは臆病。それが2人とも1公演で滲み出てる(とワシが勝手に思てるだけですw)。あ、誉めてます。そんでもって2人とも大好きです。
と…「せのしすたぁ」を知らないとまったくなんのこっちゃかわかんない感想からスタートしてますが…ドルヲタ視点なのでご了承くださいw
そもそもワシ、ムロさんをちゃんと観るの初めてで。テレビ全然見てないので、「幕が上がる以前」は「新解釈・日本史」で話題になった役者さん(番組は見てないですが)ってくらいの認識でした。で「幕が上がる」で、あー、あのムロさんかぁ〜くらいな(コラ
実際の芝居観て、ムロさんの演技、どこまで計算されてるのか、アドリブなのか、ホンマにわからん(ガチに素のリアクションなとこはさすがにわかりますがw)。あと、集中力を途切れさせることなく、あのとんでもなく高いテンションの芝居ができるのは、やっぱこの人、スゴイな、ただのお調子者じゃないなって思いましたwww。
お芝居��、オムニバス形式。タイトルの「=」は、「=兄弟」「=他人」「=親友」の3つの話に。で、それをつなぐのはムロさんの「ホクロ」。それぞれの話もおもしろかったし、まとめ方もキレイだったし、よかったです。
でも、いちばん度肝抜かれたのが、カーテンコール。ホントに怒られるかもしんないけど、あのカテコは本編超えるわw いや、もう、あんなに喋るんかい!と。時計見てなかったから正確なトコはわかんないんですが、体感時間で15〜20分。ひょっとすると、もっとかも…もちろん完全にフリートーク。しかも、中身にバンバン触れちゃう。ランドリーのキャラは東京のお客さんに受けが悪かった、嫌がられたとかw さ行の言えない閻魔は東京公演の後半に生まれたキャラクターとか。 楽しかったんですが、そんなにいっぱいお話聞かせてもらったおかげで、ワシ、お腹いっぱいになって満足してパンフ買うのやめましたw
あとね…このカテコに演者が喋りまくる感じが、地下アイドル現場とすごく似てるなとか思った。
通常のお芝居ってカーテンコールでは演者はほぼ喋らない。初日と千秋楽はお礼の挨拶をするってパターンがあるにしても、あんなフリートークみたいに「いつまで喋んだよ!」って客が思うまで喋んないw
だから、客との距離が、ものすごく地下っぽいって感じたのかも。指差しか!ってくらい、客席をじーっと見つめるわけですよ。アンケートもめっちゃ読んでて、それをレスポンスとして次の公演とかで話するわけですよ。だからね、アンケートの回収率がめちゃめちゃいい。350人定員の会場なのに、アンケート回収BOXがまんまんになってました。ワシも書きました、「今後とも、ももクロをよろしくお願いします」って書きましたwww
来年はmuro式10、ムロさん40歳、役者生活20年なので、なんかデカイのやりたいって言うてましたんで、もしチケ取れれば行きたいです。
あ、グッズは、デニムトートバッグ(1,500円)だけ買いました。モノは売り切れてて受注生産で予約票を書いたんですが、送料無料でご自宅までお届けだそうです。太っ腹やな。
ちょっとぉ、ス◯ーチさん、聞いてます?w
私からは以上です。
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転校生メモ
さて、では… 「転校生」を8/29のソワレと8/30のマチネで観てきました。
▼��じめに 自分の中で「幕が上がる」は映画・舞台ともに、ももクロじゃない他の役者さんが演じたらどうなったのか見てぇ…と思ってたくらいなので、コレは観に行かない理由なんてなく、速攻チケ取りました。 8/29:ソワレ13列目 8/30:マチネ20列目 最初は8/30は12列目を取ってたんすが、 客席の前ブロックを潰してステージにって話が確定になってから、 そんなの後ろから観たいじゃーん!って、再度後方で再手配。
▼初見時の感想 あの年代の頃に感じてた 社会に対してのやり場のないモヤモヤした感じとか、 なんかよくわからないまま抱え持ってた不安とか、 「そーよな、いろいろ悩んだり、もがいたりしてたよなー」的な 自分を懐かしむ感じが、ぶぁーって襲ってきて、 途端にステージの上の役者さん、みんなが愛しくなっちまって、 気がついたら、なんか泣いてたw 終わった直後、AEイベントの感想戦に向かう途中でのツイ https://twitter.com/mcz_orz/status/637583835236990976 感想をひと言で…って聞かれたら、多分、これに集約されます。
▼ワシなりの解釈のネタバレ 8/30のマチネに一緒に行った約2名が観終わって、まったくわからん。って言ってたこともあり、ワシの目から見えたこんな話ってのを、ホントにザックリ。 (長くなるので、あんまり踏み込みませんw) 「朝起きたら、この学校の生徒になっていた…」 転校生・大西由美(桜井美南)が突然来たことで描かれたモノ
1) 大人になるとはどういうことか 2)終わることへの不安
とその前に…
◎女子高生の日常って 同時多発会話のあの世界まんまなんすよね(多分w)。 不条理、どうして生まれてきたのか、死、結婚、自分の親のこと、解剖、恋愛…いろんなコトが多発的に話される。不安、不満、謎。 少しずつ知識を得て何かを経験して、ただ変わらない毎日が続いてると思ってるけど、その積み重ねでちょっとずつ大人になってる。本人たちは気づいてなくても。 転校生が来たことは、そういう1つの出来事になった…
1)大人になるとはどういうことか 掃除の時間→ みんなの様子がいつもと違う…と話すクラスメイト 放課後→ 明日もまたこの学校に来たいという由美の理由が 「みんな仲良いし…」。 でも、いつもはそうじゃないと答える、 転校するかもしれない野本小百合(清水葉月)
つまり、転校生が来たことによって、 みんな大人の振る舞いをしていた…と。 それが顕著にあらわれてるシーンは 「お昼ご飯」のトコだと思います。 おそらく、小百合と由美のことがなければ、 屋上でお昼をみんなで食べてはなかったはず。 絶対、かったるいから行かねーよって言ってるヤツおったはずw 小百合だって、自分が転校しちゃうかも…ってのがなけりゃ みんなを屋上に誘ってなかったはず。
端的に言えば、空気を読んだ。それって気を使って大人がすること。 空気読むって表現、あんまり好きじゃないけど「人のことを思いやって、ちょっと成長した」っていうより「空気読む」って方がしっくり来るのは、多分ワシがひねくれてるからですw。
2)終わることへの不安 放課後のシーン。 親の都合で学校を離れるかもしれない小百合。 明日起きたら元の学校に戻ってるかもしれない由美。 自分の力じゃどうにもできない不安を抱えた2人。 変わらない日常(自分)に不満を抱く一方で、 終わりが来ることには不安を抱いてる。 映画「幕が上がる」でのさおりの自分へのイラ立ちとか 明美ちゃんの「部活って残酷です」とかのセリフも 同じ線状にあるモンなんすよね。 大学に行こうと思うと答えたさゆり。 何がしたいではなく、もっとちゃんとできるかな…ここではないどこかに行けば、解決できるんじゃないか…というすんごい浅い考え。こういうの、身に覚えあるんすよね。大学に行けばなんとかなるんじゃないかな。って意識とか、漠然とした不安抱えて、大人の年齢になるのが怖くて、面倒くさくて、でも逃げ場なんてなくて。 という感じで、共感しまくっておりました(笑)
▼演出とかそれ以外の話(まとまらないので箇条書き) ◎本広監督が言ってた「演劇と映画の融合」は興味深かったです。 ・俯瞰からの誰もいない教室の画。アレがあったおかげで、 よりリアルな教室の感じが出てた気がします。 ・最後のシーンの「暗転」は ステージの暗転じゃなく映像の暗転だったのも面白かった。 ・新聞記事とか、実際にその場で生徒が撮って出してるのは 2回目に観た時に気づきました。 ◎冒頭でベストを着ていた由美が最後のシーンでは着ていなくて、 代わりに小百合が着てる。2人の立場というか位置の変化を 見せる象徴的な演出。何役の誰々が主役という話じゃないから、 こういう演出がより効果的になるんだろうなぁ〜と。 それをもっと引いていくと… この舞台にはももクロのメンバーは出られないなぁ〜とか、 もし、出られるとしたら杏果くらいかなぁ〜とか思ったり。 ◎上演時間75分って短いなぁ〜って思ったけど、 同時多発会話のトコでいつも以上の集中力が必要だから、 この時間は妥当でした。 ◎ってか、同時多発会話っておそろしく高度なことやってるし、 そんな本書くオリザさん、やっぱバケモンw
▼最後に 普通の日常を描くこと、演じること。そこに隠れてるドラマを引っ張りだすお話って結構好きなんすよね。この芝居って一応、メインになる子が居てるけど、主役は出てる子たちみんななんですよね。もっと言うと、そこらへん歩いてる女子高生も。平気な顔してっけど、ホンマはめっちゃもがいてるんすよ、みんな。みたいな。 最初に書いた「ももクロじゃない他の役者さんが演じたらどうなったのか」って部分についても今回、この作品を観られてホンマによかったって思ってます。 2回観たけど、あれだけ複雑な作りだったら、観る度に新しい発見があると思うし、まだ数回観たいって久々に思った作品でした。
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舞台「幕が上がる」楽前日・楽日
▼まずは、派手に言い訳しときますw 前に書いた幕が上がるの感想は、23日の観劇に行く前に自分の中のモヤモヤを吐き出して、少しでも穏やかな精神状態で観たいと…一気にわぁーっ!って書いたら愚痴まとめみたいになりました。不快な思いをさせた方には、謝ります、ごめんなさい。 ▼楽前日・楽日の動き 【5/23】映画「幕が上がる、その前に」→映画「幕が上がる」→舞台「幕が上がる」夜公演 【5/24】LV「幕が上がる 千秋楽」
▼2週間ぶりの観劇(5/23・夜公演) 結論からいえば、夏菜子がものすごく良くなっていました。物語の冒頭、ただ不機嫌さをまき散らす、アレそんなキャラだったっけ?と感じた高橋さおりでなく、映画の、あの体育館の翌日からつながっても不自然ではない高橋さおりになっていたと思います。演技的には少しニュアンスが変わっただけなのかもしれないけど、作品全体がこんなに変わるモンなのか…と思ったほど。 たとえば「私を、信じてついてきてください…お願いします」のセリフひとつでも受けた印象がまるで違いました。5/9夜は、圧力をかけた物言いで、部員たちを押さえつけるパワハラ部長っぽかったのが、5/23夜は、自分にも言い聞かせるような静かな強さ、そこに懇願するニュアンスが足されたような感じ。こうなると、その後に続く部員たちの「はい」もまったく違うものになります(ちな��に5/9夜はオリザさんがブログで夏菜子が���んでいると言及した回です)。 多分、ダメ出しを元に悩み抜いて、自分なりの解釈ができるようになったんじゃないかと。それは単純に芝居が変わったということだけではなく、演じている彼女から迷いが見えなくなり、存在感が出たことからも感じられました。
▼作品のテーマについて 高橋さおりの存在が立つことで、自分の中で、初回にぼやっとしていたテーマもはっきり見えてきました。 「離別と成長」…一人は劇中劇のジョバンニ、もう一人は高橋さおり(他にも、いっぱいいろんなテーマはあるんですが、長くなっちゃうので、とりあえずコレだけで)。それぞれにとって大切な人を失った後、前に踏み出すまでの過程を二重構造で描いている。これがなぜ初回観た時にわからなかったのか…「大人」という言葉がいろんなトコで出てきてたんですが、これが「それが大人なんだもん、しょうがないよね」っていう諦めというか投げやりな感じしか伝わってこなかった。だから「私は、吉岡先生を許さない。でもね、私は先生を憎まない、恨まない…」からのセリフが言ってるだけにしか聞こえなかった、高橋さおりにみんなで一緒に前に進んでいこうという、映画のエンディングにつながる気概が感じられなかったんだ…と、23日の夜に同じセリフを聞きながら思ったほどです。そこが、見事なまでにストンと落ちました。そうか、高橋がジョバンニか…ここのセリフってジョバンニのエンディングと重なってんのか…と。
▼屋上シーンについて 「間」の悪さが気になって芝居が入ってこないこのシーンも、かなりスムーズに流れるようになってました。セリフが変えられていたのかどうかまではわからないですが。
▼演出について 5/9夜に観た時からいろいろ変わってました。お話としてわかりやすいように、という演出が増えていた気がします。印象深かったトコだけ、とりあえず。
◎エンディング 一番変わったのはエンディング。 前回の感想では触れてないですが、初回に観た時の演出はものすごく中途半端に感じていました。あきらかに稽古場のシーンにしたいのはわかるけど、県大会の本番と解釈できなくもない、やっぱり幅持たせたのかな…けど、さおりがいるから無理か…あれ?中西さんが帰ってきた感がない…とかそういうモヤモヤ。自分は県大会の本番に飛びたい派だったので、このシーンにはさおりが居ない方が広がりが出るんじゃないかと勝手に思ったりもしてました。 きっちり中西さんに声をかけてハグ…これを足したことで、エンディングはキレイにまとまったと思います。それに、どっからがカーテンコールかわかりづらいのも解消された気がします。
◎行ってこようか?までの「間」 中西さんがカラオケボックスで震災の話をした後にみんなから逃げるように去るシーンで、がるるが高橋部長に「行ってこようか?」と尋ねるまでの「間」。1回目観たときよりもかなり時間が長く、相当タメていたように思ったんですが、あそこって最初からあんなに長くなかったですよね?あれだけの「間」ってなかなか作るの難しいんですが、カラオケボックスのシーンはかなり濃密で気持ちしっかり作れてるからやれるんだろうな…というようなことを思いました。
▼作品の仕上がり 23日夜の公演を観終わって、真っ先に思ったのは、このレベルから初日が切れたらよかったのにな…ということ。そんなのこの段階で言うのも野暮な話だと思いましたが、まだまだ粗いトコはあるし、まだまだ詰められると思うし、その先の進化を観たかったです。逆にいえば、27公演あって本当によかったよね…なんですが。
▼千秋楽LV ◎カット割 わりと広めのカットが多く、寄ってもバストショットくらいまでで、ドアップは数えるほどだったかと思います。演出が観せたいものが明確になるので、お話としてはより掴みやすくなってましたね。エンディングの部分もジョバンニに高橋部長のアップをオーバーラップさせるとか象徴的な見せ方をしていたし、ジョバンニとカンパネルラのシーンでは高橋部長もしっかりフレームに入っていました。 面白かったのは、客席でも観られない舞台袖からのカット。手前にカンパネルラのお父さん、奥にジョバンニ。このシーンはグッときました。ジョバンニの表情もすごくよかったです。
◎劇場とLV 劇場で観た人は感じたと思うんですが、LVに慣れるまでちょっと時間がかかりました。劇場で好き勝手に向けてた視点を固定されちゃうんだから、そりゃストレスですよね。ってもスグ慣れたんですが。あ、でも、高田がセットのキューブに頭を押し付けるくだりは途中から見せてもらえなくなって、むぅ…ってなりましたけどw
◎LVで引き立ったのは… やっぱり青年団の人たちでした。寄りで見られると演者の表情とかもハッキリ見えるので、メンバーのいい表情とか細かい演技とかもわかるんですが、それ以上なわけで。まぁ比べたらアカンちゃアカンのですが。 あとは、カラオケボックスのマイクがゼンハイザーとか、袴田ちゃんの台本にはすっげーデカイ字で「袴田」って書いてあるとか。それと、公演中はまったく見えない「床」が見えたことに喜んでしまいました(笑)
◎役者として LVを観てあらためて思ったのは、舞台に向いてるのは有安なんだろうなということ。役を作るということを知っていて、その丁寧さが芝居にもはっきり出ていた。感情の吐き出し方もうまいし、表情でも演技ができる。LVで青年団の人には負けるてなコトを書きましたけど、あそこに戦いを挑んでいける武器を、メンバーの中で一番持ってるのが有安だと思います。それから、コンプレックスである滑舌の悪さ。多分いろいろ苦労したんだと思うんですけど、本当に気にならなかった。そのコトに後で気がついてビックリしたくらいです。 役と真摯に向き合って、作り上げていく作業。冷静さや客観視できる力も必要で…とかなんとか考えてたら…あー、こんな作業、きっと夏菜子苦手だ(笑) でも、LoGiRLで「できればもう演劇はやりたくない」(と公演中に言うなよw)と言っていた夏菜子が、千秋楽の挨拶で「またやりたいかも」的な発言をしていたのは嬉しかったです、演劇を嫌いにならなくて。 けど、この舞台を観て、初舞台メンツの中で、もしピンで使うとしたら誰を選ぶか…と考えると…メンバーでなく伊藤沙莉さんか芳根京子さんなんですよね。芳根さんに至っては、ここのところ引っ張りだこな理由がはっきりわかりました。もちろん適正とかあるわけですが、そういう初めて観た人におっ!て思わせる力って大事だなと。藤松さんの複式とか発声とか、そこだけで持ってかれますからね。
▼カーテンコール(LV) なんかスゴイもんを観た。ってのが、率直な感想です。 サイリウム演出もそうなんですが、あそこまで爆発的に感情が発露されたカーテンコールって見たことない。一人の演者がどうしようもなく号泣してる…ってのはあるんですが、演者全員、そんでもって観客も。会場全体が熱を帯びまくってるカーテンコール。なんだこれは…って感じでした。青年団の人たちの、もう何が起こってるかわかんないって顔がすごく印象的で、多分あんな体験は後にも先にもないんじゃないかと思っています。 けど、この熱量って「作品」に対しての賞賛じゃなくて走りきった演者たちに対するモンなんだろうなぁーと思いながら見てました。もらい泣きしまくってましたけど(笑)。初舞台、よくここまで頑張った、お疲れ様でした!なんですよね。それがダメって話はまったくないし、ほんとに5人はよくやったと思うし、ともすれば、こうやって終われたんだから、細かいことは、もうどうでもいいじゃん!とか思いかけてたぐらいです。
◎カーテンコールのサイリウム演出 千秋楽に配られたサイリウムにより観客も一緒になって作品のゴールを作る。ミルキーウェイ、なるほどそういうことか…と。そっから考えてみると、公演の数日前にサイリウムの話を持ち出したのは、これを自然発生的にやりたかったんじゃないかという気がしています。でも、その話にモノノフは乗らなかった。結果的にそれでよかったんじゃないかと思います。
◎青春賦 ついでに言うと、カーテンコールで観客に「青春賦」を大合唱させたかったんじゃないかってことも思ってます。モノノフJAPANみたいなヤツ。1回目はインスト、2回目はボーカルありだったし。みんなで涙を流しながら大団円みたいなコトも考えてたんじゃないかな…と。
▼結局のところ… さて、話をまた険しいトコロへ…
◎もと◯ろさんのやりたかったコト 千秋楽LVでカーテンコールを観て、先の感想に書いた「あつのりんがやってきたコトを演劇という世界でもう一回やりたい」って思ってるんじゃないか…というのは、的外れではなかったなぁ〜と。そこから、さらに引いてあのtwitterでのネガティブ発言もその演出の1つだったと考えれば、なんか腑に落ちるんですよね。あの人の頭の中には、あのカーテンコールの画があって、あそこに至るまでにどんな演出をすれば効果的なのか…つまり、ワシ、踊らされてたんかいw みたいな。 劇場型ディレクション(言葉的には行って戻ってだw)とでも言えばいいんすかね。客はリアルタイムでその状況を知らされて、不安になったり気にしたりするから、テン��ョンはどんどん上がってく。実際に観に行った時の気持ちの入り方だって違うし、千秋楽に向けてみんなの気持ちが一つの方向に向かっていく「しっかりみんなで走り切ろう」。で、あのカーテンコール。もと◯ろさんのドヤ顔が浮かびますわ(笑)
◎ももクロらしさ あのカーテンコールを見て「こういう終わり方は、ももクロらしいな」と感じました。自分は5/9夜の12公演目を観た時に、未完成のままで幕上げちゃったなと、それは興行としてNGだと思いました。でも、別の見方もできるんじゃないかとも思い始めました。
ももクロというグループは、いろんな常識破りを重ねてここまで来ました。つまり、今回は演劇の常識も破りに来たんじゃないかと。出来上がってないまま幕を上げるのは、興行としてNGだけど、そこも見せて(間に合わなかったのはワザとじゃないと思いますが)エンターテイメント化しようとした。すごく乱暴な言い方をすれば、1公演1公演じゃなくて、27公演まとめて1つの「幕が上がる」を完成させる。それにしても、最後はきっちり観せられるモノに辿り着かなければ、お話にはならないんですが。
よそ者が突然来てなんか新しいコトをやろうとすると「この世界ではこうあらなければならない…」と考える頭の固い人がわぁーわぁー言うんです(今回の場合は自分もw)。だいたいパイオニアって叩かれるけど、それを怖がってちゃ世界は変えられない。 間違いなく、彼女たちは演劇を通していろんなモノを得たと思います。逆に演劇の世界にも、いろんなモノを投げ込んだんじゃないかな。モノノフが演劇に興味を持つってのも一つだし、青年団のメンバー、オリザさんにも大きな影響を与えてるんじゃないかと、そうだったらいいなと思います。
▼最後に… 舞台「幕が上がる」は作品の解釈がどうだ…って話の前に、その外側のことを考え過ぎました。自分が観た舞台の中で、いろいろ考えるという点では間違いなく一番しんどい舞台でした。というか、普段、難しいことなんて考えずに純粋に作品を楽しんでるだけなんだなぁ〜、それって幸せだなぁ〜とか思ったくらいに(笑) おそらく、こんなにしんどい思いをして観る舞台はおそらくもうナイと思います。多分、次にメンバーの誰かが主役という舞台があれば、視点が演技に寄っていくんだとは思いますが、とりあえず6/4の東京03舞台は、あーりんはゲストなので、そんな目では観ませんw(あーりん推しです) そういえば、23日に映画イッキミしたことも書こうとしてたのを思い出したけど、もう書くのがしんどいんでやめときますw
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舞台「幕が上がる」
きっちりカタチを作って、幕を上げるってコトができてないから、��話にならなかった… ▼はじめに… 映画「幕が上がる」は結局7回、 「幕が上がる、その前に」は1回観ました。 舞台は… 1回目:5/9(土)夜 6列目 2回目:5/10(日)昼 17列目 そして、 3回目:5/23(土)夜 6列目 の観劇を残した状態です。 初見で、冒頭のことを感じてしまって、10日の公演を観るのをやめようかと思ったレベルでした。とはいえ、俯瞰で見れば違うかも…と無理矢理観にいきましたが、1日で変わるわけもなく…。 当初4回観る予定にしていたんですが、これは4回も観る必要ないな…と1枚は知り合いに譲ることに。手持ちのチケットで一番最後の公演となる5/23の夜の分は、もしかすると化けるかもしれない…という可能性というか願望のもと、とりあえず手元に置くことにしました。 作品として採点するなら今のところ30点ぐらい…時間が経ってクオリティも上がってるようなので、最後に観る時にはもっと上がるとは思いますが。一度観てつまらなかった作品をもう一回観ろって言われたらなかなかキツイもんありますやん。そういうのに近い(勝手なこと言うてますが、なら観るなって話は勘弁しといてくださいw)。残念ながら、ももクロが近くで観られるとか、ずーっとあーりんが観られるから…とか、そういうフェーズには辿り着けませんでした。だから、つまんないものはつまんないまんま。 ということで、モンモンと抱え持ってたモノを吐き出しますw 感想っていうか…どっちかっていうと愚痴ですねwww
▼プロの仕事として スタートがダメだったのなら、よくなるように努力や工夫をするのは当たり前。日を追って良くなってるってツイも見かけるようになり…というか演出自身がそう言ってますしね。けど…たった一度の観劇がGW中だった人だってたくさん居ると思うんです。となると…その人たちに不完全なモノを見せたコトになるんですよね…それってプロの仕事としてどうか。仕上がりを初日に間に合わせられなかった。それを良しとはしないで欲しい。というか、舞台ってそれで良いんだ、そうやって作るモンだってあの子たちが誤解するのが非常にマズイ。次回の舞台仕事の時に大ヤケドを負っちゃうの本人たちなんだからね。 「計算しつくされた演技を繰り返す」原作・映画のセリフにも出てくるコトを実際の舞台でカタチとして見せられなかったのは、この作品としていちばん残念なトコだと思います。
▼舞台の作り方 本来であれば、初日の幕を上げる前にちゃんとカタチができて、そこから千秋楽に向けて「熟成」させていく。アドリブだったり、ちょっとした演出だったり。舞台は生き物、初日と千秋楽は変わっていくもの…というのは、そういうことなんだと思ってます。けど、この舞台はカタチができる前に、時間切れで走り始めちゃった。しかも、物語の軸となる、重要な役を百田夏菜子が自分の中に取り込めていないまま。だから、初日が開けてからやってきたのは熟成ではなく「形成」。形を作る・クオリティを上げる作業になってしまってるんだと思います。結果的にそうなっちゃったのかもしれないけど、どうも演出がその前提でやってるように見えるのがやっぱり問題だと思いましたね。
▼公演前の不安 公演直前の状態から考えると、間に合わないのは仕方ないと思ってました。 1ヶ月前に稽古に入ったと聞いたときは、ちゃんと舞台も時間取ってやらせてもらえるんだとちょっとホッとしてたんです。けど、他の仕事で稽古時間を削られていってるってのがわかるに連れて、不安がどんどん大きくなっていって…結果、やっぱりそうなるか…と。ちなみに、舞台のパンフレットを買って、自分が食い入るように見た写真は、夏菜子の後ろに貼られた稽古スケジュールでした(笑)
▼もと○ろバカヤローwww 大好きだった人を、一気に大嫌いになる経験もしました。かなりの踊る好きだったんすけどね…ネスレシアターのリグレットなんか何回見たかわからんし。 嫌いになった理由が、オリザさんの脚本と演出がチグハグだとか、過剰なモノノフ演出してるからとか、サイリウム持ってこいってバカじゃねーのwとか、そういう話ではないんす。 ただネガティブな話をツイッター等で、いちいち外に出しちゃったことなんですよね。「まだまだ上を目指さなくては」だの「イメージするラストシーンにならない」だの…5ステ目で「やっとカーテンコール成功」的なつぶやきを見た時は…ホントにフリーズしました。1回しか観れなかった公演を、演出にダメだった…って言われた人の気持ちを、お前は想像できないのか…。そもそもお金を払って観に来てくれてる客に失礼でしょ。客を舐めてるというかモノノフに甘えてるというか…この件が舞台の出来よりも何よりも最悪でしたね。才能云々よりも人として、プロとしてどうなんソレって話。なにかマズイ状態にあっても観る側には隠さなきゃ…劇場にエンタメを求めて客は来るんだから。ミッキーマウスの中の人を見せたらアカンのと同じです。 おそらく、あの人はメンバーの成長物語をリアルと混ぜ込んで描きたかったんだろうなぁー。あつのりんがやってきたコトを演劇という世界でもう一回やりたいと思っちゃったのかなぁーとか。けど、ももクロはもう「下手クソでも一生懸命」が通じる段階ではないと思うんです。もう若くないし、そこそこ表現者としてのキャリアも積んできてるから、要求されるモノだって変わってきてる。もし、演出の自己満に利用されちゃってるとしたら気の毒で仕方がないです。
▼メンバーの演技とか 全体としてのパフォーマンス、エンタメとしてどうか。ってトコでひっかかっちゃったもんだから、ももクロメンバーの個人の演技がどうこうって深く掘り下げるトコまで辿りつけてないんですが、個々についてざっくり思ったことだけ。 大きくわけると、玉井、高城、有安がよかった組で、あーりん、夏菜子��ダメ組。 玉井は、映画撮影期間中から劇中劇も繰り返しやってるし、積み重ねられたジョバンニ役を通して、ユッコという役柄を自分の中に取り込めてた。エンディングのジョバンニが素晴らしいのは、去年の夏から時間をかけて役を作ってこれたというアドバンテージがあってのこと。同じラインで用意ドン!ならあそこまで行けてないと思います。あとカラオケ歌った後に、口ずさむシーンはよかったです(ただし、1回目に限るw)。唯一、無条件でおっ!と思えたシーンでした。 高城は、役どころにどこか1つでもシンクロできれば、その役にするっとハマれるタイプなんじゃないかって気がしてます。そういう点では、玉井より器用なんじゃないかと、本能的にw 天使とジャンプでも、映画・幕が上がるでも出てたよさを、今回の舞台でも感じることができました。あと、人を思いやるというか人の心を察知する能力があの子はホントに優れてると思うので、そのあたりは役作りでも大きな武器になるんじゃないかと思ってます。 有安は、すごく丁寧な役作りをしてたと、ちゃんと考えて自分の中で中西さんを消化ができていたと思います。原作とも元々キャラが違って、舞台ではさらに違う一面を上乗せされてた(あ、震災のエピソード追加は肯定派です)。そこをちゃんと作り込めてたからよかったのと、役に真摯に向き合ってる感じがして、すごく好感が持てました。あと、舞台上に居るということがメンバーの中でまだ自然にみえたのは、やっぱり経験なのかなと思ったり。 あーりんは、全部が同じというか、芝居に変化をつけられておらず。特に台詞渡しのところがひどくて、他の役をやってようが、全部、先生役だったw。あとは、バレイベのラジオドラマの時から気になってた「間」の悪さ。これは、夏菜子もそうで、どうやら台本を前にした時の間の取り方が気持ち悪いくらいに良くない。 なので、観るに耐えられないのが、部長と明美ちゃん2人だけの屋上のシーン。いろいろ探り合う感じのため、セリフがそういう構造になってるのもわかりはするんですが、まぁ、ヘタ過ぎて…結果、そっちに気を取られて芝居が入ってこないという…最悪の状態。オリザさん、お願いですから、あの場面、セリフ書き換えてやってください。って本気で思ったっすもん。 で、夏菜子。彼女は悪くないですよ。今回の高橋部長の役はホントに表現するのが難しいと思います。この舞台と映画の時系列を突き合わせると、混乱しない方がおかしい。映画では(間違ってたらゴメンナサイ)体育館のシーンの後、先生の手紙をクルクル回して過ごした夜。から滝田先生の授業で何かを掴み、決心して部室へ向かう。この一連の中で高橋部長の心が決まっていく流れはとても自然に感じたし、すごく穏やかに力強く進んでいってるんです。が、舞台の高橋部長は、体育館の翌日、大荒れでスタート。これ、観てる方も戸惑ったんじゃないかと…。映画の中の高橋さおりと舞台の高橋さおりが別人に見えてしまってるレベル。映画で観た高橋さおりの魅力が一切出てこない…芝居として演じてはいるものの、役を自分の中で消化できてないんだな…というのを、ものすごく感じてしまったわけです。 あとは、青年団の人たちとの差。何もしていない時に自然でいることの難しさ。これ、実は松たか子が初舞台に立った時に思ったことなんです。「ただ、板の上に立っているということが一番難しい」と。 たとえば��誰かの声に反応して首を向ける芝居は、セリフが来たら振り向くってインプットされちゃうと意識や筋肉が構えてしまうから、どうしても生活の中での動作とは違ってしまう。とはいえ、舞台上で要求されるのはそんな日常での自然な動作ではない。これが必要とされるのは、単純に芝居を観てる客に、変なひっかかりを持たせないってだけの話なんですけどね。セリフ回しや間も同じ。印象的なセリフや演技を立たせるために、ジャマになっちゃいけない。まぁ、それができてなかったのが…あーりんと夏菜子って話です。
▼最後に… まだ終わってないですけど、メンバーに取って今回の経験はとんでもなく大きなモノになってると思います。だから次につなげていって欲しいです。某赤い子が、できればもう演劇やりたくないって言ってますがw もっと解釈の難しいというか広い舞台に出て欲しいっす。叶わないとは思いますが…NODA MAPで使ってもらえないすかね…メンバー全員。多分、あいつら、野田さんの本難しすぎて書いてあることがわかんなくてアタマ沸騰してウンウン唸って、多分、夏菜子は人差し指でこめかみタタキっぱなしになって、タタキすぎてそこだけハゲると思いますw。けど、あの中で跳ねたらトンデモナイことになると思うのね。 と…散々険しいことを書き連ねてきたので、楽しい妄想で平和に終わりたいと思いますwww
あ、ちなみにこの週末は 【5/23】 ◯映画「幕が上がる、その前に」 ◯映画「幕が上がる」 ◯舞台「幕が上がる」 【5/24】 ◯LV「幕が上がる 千秋楽」 という、とても贅沢な流れで観ます。 が、初回に観た時と変わらずダメなままだったら、地獄でしかありませんw
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幕が上がるメモ 03
【2回目(2015.02.28・公開初日・ベイシティ名古屋)】
ベイシティ名古屋での舞台挨拶に行けなかったため、約20日ぶりの鑑賞となり、その間に反芻しまくって、気がついたら高橋部長とおそろのスニーカーと履いて、初日に観に行く惚れっぷりw
なんだこれはwww
◎今回のテーマ「素直に楽しんでみよう」
前回、斜に構えすぎて残念な結果になってしまったので、余計なコトは考えず、素直に楽しむコトにした。
前半の芝居の下手さも、めざましのオッサンがタオルちらちらさせてるのも、芝居の邪魔するがごとくがるるが踊りまくってるのも、すべて織り込み済みで、見なくていいところには勝手にフィルターがかかるというか、わざとそっちに目を向けなくなってたw
するってーとですね、スルスルと物語が入ってくる。初見時にはまったくできなかった主人公への感情移入ができてたり、他の登場人物の心の揺れ方が見えたり…なんだコレ、めっちゃいい作品やん…と。
特にがるるに邪魔された中西さんとゆっこの2人のシーンと、最後の地区大会始まる寸前が特に見え方が違った。中西さんとゆっこのシーンは、原因はがるるなのは明確で。クライマックスの地区大会始まる寸前がなぜあんなに集中できなかったのか…って考えると、やっぱりカメオ出演とか(エキストラのヲタさんとかw)が邪魔だった。あとは「え?劇中劇のトコそんな使い方なの?」とか。
総じて言えば…というか、そんなコト言うまでもないことなんだけど、結局、集中力欠くような演出すんなよ、本広!(あ、ワシ、怒ってるw)
と、そんな感じ。作品としては、初見よりも断然楽しめた。
それだけに残念に思ったのも確か。アレがなければ…って思いが強くなった。でも、ももクロじゃない俳優で見たい…って気持ちは薄らいだ。
泣きのポイントはそんなに変わらなかったすかね。
◎さらにワシの怒りを煽るプロジェクト発表w
はい、ドキュメントですね。なんか派手に裏切られた気分になった。もちろん、ビジネスですから、ヤレルことは全部ヤレってのはわかるです。多分、アレね、発表のタイミングが恐ろしく悪かったんだと思います。最初から知ってたらそんなに怒らないし、逆に応援してたと思う。
なんで裏切られたって思ったか…(まぁ、ワシが甘ちゃんで鈍いって話だけですが)
自分はこの作品作りに対して、その作り方をものすごく評価していたんす。2時間の映画を取るために���その先に舞台があるとはいえ…ワークショップをし、順撮りの撮影、稽古のシーンも実際にやっている部分を撮り、本編ではほぼ出ない舞台の本番もきっちり演じてる。クリエイティブの方法として、とても真摯かつ贅沢。その中で女優としてのももクロも成長して、できあがった作品をまた全員一丸となって売ろうとしてる…なんだ、このプロジェクトすげーじゃーん!ももクロのこれまでの成長なぞってるみたいじゃーん!って思ってた。
で、ドキュメント映画発表…
「あ、君の感動してる部分、全部お金に変えるからね」って言われた気分…orz
一気にテンション下がるwww
◎全国行脚を含めたプロモーション
数々のプロモーション、全国行脚にボロボロになりながらも全力でやり遂げていくももクロを見て、kwkm報われたな…って思った。
沢尻エリカの一件。おそらく、kwkmにとっては、トラウマな出来事だったはず。すでに「ももドラ」で映画の記者会見的なことは経験してると思うけど、ここまで世間やマスコミに注目されての状態…それとはまるっと状況が違うもんね。今回、映画のプロモーションでいろんな情報が飛び交う中、ふとそんなことが脳裏を横切った。
◎PR番組「映画「幕が上がる」のここが熱い」(観たのは2回目鑑賞後)
とりあえず、タイトルがダサすぎて死んだw
内容は…ちょっとしんどかった気がする。飛ばし飛ばしのつまみつまみの内容が初めて見る人にどんな風に映ってるのかわからず。ワークショップにしても、それぞれのシーンの撮影風景にしても尺が短すぎてバタバタしてる印象が強く…ただ、肖像画のところと、部長の「行こう、全国」の前は見せられて、「おっ!」ってなった。これもすでに観てるから、引きこまれた感じかなぁ〜。30分だとホントに難しいっすよね。
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幕が上がるメモ 02
【原作を読んで】
・1回目の鑑賞後、しばらくしてから原作を読み始める。
・仕事の都合で2/13の舞台挨拶に行けず。
◎鑑賞1回目の感想後
「ほぼ映画に登場しない劇中劇こそが…ストーリーの中心ではないか!」とか思い始めて、わけわかんなくなって、ちょっと考えるのやめてたけど、結局、そこに辿り着いた。アイドル映画としてのももクロの見せ場は、やっぱりあの映画外の映像。あそこにモノノフさんいらっしゃいの罠が仕掛けられてる。 ガムシャラに真摯に、ただただ真っ直ぐ進んでく「これぞ ももクロ」があの映像に詰まってる、いや、意図的に詰め込んで、こっそり(?)���に出した。本広監督ずるいw これってももクロ自体の売り方と同じなんじゃないか。映画のプロモーション展開も含めて。 そもそも、ももクロはこれまで色んな物をむき出しにして、晒してきた。ダメなときも、グループの危機(じゃないかもしれない)も、成長する過程も「ももクロChan」がその最たるもの。ライブでちょっと気になった人が、動画漁ったりしてむき出しになった部分をうっかり見ちゃってハマる。 で、今回の映画。「映画(=ライブ)」「劇中劇(=Chanとかの動画)」みたいな構造。 「映画」の裏っ側(劇中劇)を見て初めて、うっそ!こんなに撮ってたの…でも、使ったの、ほんのちょっとじゃん。そこでその作品への思いや作り手の情熱なんかを受け取ってしまう。うん、ずるい。
鑑賞直後は、劇中劇の映像を事前に見てしまったことを「失敗だ」と思ってたけど、そこも別の捉え方をし始めてる。ひょっとして、事前に観ておいた方がいいんじゃね?完全に真逆の意識。そう思えたのは、観てた方が本編がより深く心に残るんじゃないかと。 多分、公開直前のPR番組ではこの映像フルで流すくらいのことヤルんじゃないかな。そこまでもすべて練られてたコトなんすよね…あざといワw
◎劇中劇の話の続き
明日、公開だってぇのに、原作まだ読み終わってない。そんでもって、文庫本読んでる途中でいろいろ思ってるコトもまだ書き始められないままなんすが、劇中劇映像を事前に見ないで映画を観た人に話を聞けたので、そこをメモ。
「最後の畳み掛けられてくトコロはグッときた」…で、めっちゃ安心した。劇中劇映像を観たワシにはかいつまんだ映像という印象しかなかった部分が効果的な演出になってるなら、もう心配することなんてない。加点5点で80点。…あ…ももクロの演技以外w
◎原作を読んで(2回目鑑賞後)
ようやく本題。結局、読み終わったのは2回目鑑賞後。 演劇を知り尽くしたオリザさんだからこその作品。描写も細かく丁寧で、芝居わからなくてもその世界がどういうものかわかる内容だったと思う。そんないい本であるって前提は、とりあえず置いといて、映画化されての違いとか、ももクロと絡めてどうだったか…そっちの話を。 ▼映画と原作 とにかく、喜安さんの脚本のウマさを感じないわけにはいかなかった。原作でのエピソードを物語の中に振り分けて、前後関係が変わっても破綻することなく、実にうまくまとめてる。バッサリ、カットされているブロックがある一方で(もちろん入らないから仕方がない)、原作の中のセリフもそのままのところも結構あった。なんというか原作をすごくリスペクトして書かれてる感じがする。 原作そのままのセリフが結構あったことに驚いたのは、おそらくももクロのメンバーへのあて書きみたいなコトをやってると思ってたのが、そうじゃなかった点。そう感じた理由は…めっちゃ持ち上げていえば、演じていく中でメンバーがそれぞれその役になっていった、その役を生きたからかもしれないな…って気がする。何よりもリアルがいちばん強いっすもんね。 映画でめちゃめちゃ気になったモノローグ。初見で気になってる人、自分も含めて多いようですが、原作がアレなら仕方がないです、はい。 ▼吉岡先生 吉岡先生の存在感は、原作よりも圧倒的に映画。高橋さおりは、映画よりも原作。っていえば、役者としての力量が見える。夏菜子をdisってるわけではなく、黒木華がスゴイってことを言いたい。確実にこの人の持ってる炎は青い。舞台に出始めた頃の松さんと同じ空気を感じるので、ワシ、ガチで推し増しそうですw これで、おっさんキャラならもう文句のつけようがありませんwww ▼ほか、気になったコトとか ・夏菜子が読んでたマンガは、めちゃめちゃカギになるものだった ・オリザさんが相対性理論を知っていた ・わび助…orz ・つか、なんで女子部員ばっかりにしたのか…恋愛沙汰は邪魔だったからか ・「練習」を「稽古」って言い出す部分、結構好きで、それが本の中にあってよかった ・高校演劇のお偉方、お願いですから3年生が全国大会に出られるようなスケジュールにしてやってください。なんで来年なん?
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幕が上がるメモ 01
【1回目(2015.02.07・ふじのくに映画フェア試写)】
◎観る前の前提
多分かなり斜に構えてたというか、いつもの素直に映画を楽しもうというスタンスで見られなかったのは確か。理由は、試写の感想や本広監督やオリザさんの絶賛コメントを懐疑的にみてたから。そこには、単純に期待値を上げすぎて自分が失望したくなかった、というのと、一般の人が見て映画作品として満足できるものかどうか…ももクロがさらに世間に認められるものであるのかどうかという不安があった。
◎鑑賞直後
「幕が上がる」が世間に認められる作品であるかどうかを、メディアの評判でなく自分でジャッジする…なんてコトを考えてたけど、ただの傲慢でした。モノノフである限り、フラットな見方、公平なジャッジなんてできないんだって。 観終わった瞬間は、そのせいで答えが出てこなかった。「え?どうしたらいいの、コレ」、逆に混乱してた。すぐ感想を求められて思ったのが「お話はよかった…けど絶賛する感じでもない…佳作ってところか?」。 という状態だったため、これは1つ1つ思ったことを熟考する必要があると思い「公開日までに整理します」と呟いた次第。 ▼お話として ストーリーはよかった。本がよかった。あの終わり方は王道と言えば王道。青春映画は、ああいうフォーマット化されてるものの方が一般受けしやすいと思う。それだけに主演が「ももクロじゃなかったら…」と思ってしまった。いちばん残念なのはももクロじゃないデ��る役者たちで観たいと思っちゃったこと。あと、本広監督の「モノノフさんが楽しめる隠しネタ」みたいなのもない状態で見たかった。アレ、邪魔w 「踊る〜」でもいっぱいあったし、それが楽しかったからわかるんですが、マジメに見ようとしてるとノイズにしかならない。 展開に関しては、モノローグから入り、さおりを中心に描いていた印象を持たせといて、いつのまにか群像劇に変わってたのはうまいなぁ〜と。「桐島、部活やめるってよ」もそんな空気だった気がする。脚本が喜安浩平っていうのがやっぱり大きいのか…。 ▼モノローグ・夏菜子の演技 映画はさおりのモノローグをベースにスタートする。これが第一のポイント…夏菜子が下手過ぎて一気に不安になる。本広監督がしきりに「最初は下手ですけど、登場人物と同じでどんどんうまくなっていく」というのを、いろんなところで言ってる理由がわかった。そうやって聞いてなければ、見るのを途中でやめてしまおうかって思うくらいに下手。最初の方の夏菜子と玉井がチャリ漕ぎながら下校するシーン、ぎこちなさが気になってセリフ全然入ってこない…とか、途中、ホントにその下手さが苦痛になる。通常、モノローグ・心象を描いていて進行していく場合、観てる側はだいたいその人(主人公)に感情移入しやすくなる。はずなのに、まったく入っていけなかった。そして、どこにも感情移入できないまま観終わってしまった。 ただ、本広監督が言うように、夏菜子の演技の成長度は、映画を観てる中でも感じられた。黒木華が出てきてから別人のように変わる。吸収の早さというか、そこは夏菜子の天性の才能を感じざるを得なかった。けど…一般的な視点では、そんな風に好意的に捉えられては貰えないんですよね。頭の印象の下手さがもったいない… じゃあ、演技が成熟したところで、冒頭から撮り直すか…というと、それは別の話。経験したコトを白にして(白にする必要はないけど)、その時に戻って主人公の感情を演じろ…なんてそんなコトできるほど器用じゃないし、演技としてやらせれば嘘っぽくなってしまうのは見えてる。だから、あの下手なままで行かせたんだろうなって思う。その方がももクロらしいしw ▼劇中劇の「銀河鉄道の夜」 映画本編では、カット的にしか登場しない。これは驚いたけど、そりゃそうか…とも思った。今回、この作品をフラットに観るって部分で、情報をあまり入れないようにしてたのに…ここに超デカイ落とし穴があった。事前公開されてたYOUTUBEの動画を全部観てしまってた。本読み・稽古・本番の映像を使って編集された劇中劇。これを観てると観ていないとでは映画の印象はまったく違うし、本編に入れなかったコトもやたらと納得できる。けど、あそこまでダイジェスト扱いにするとは読めなかった…正直、この30分ほどの映像を観たときに、これが本編の一部ならクソ映画かもしれないと思ってた…だから、観るのが怖かったってのはある。 が、結果的に、そこで本広監督さすが…となった。 あれはモノノフには楽しめる映像だが、作品に入れてしまえば、ただ単に冗長的な部分を作ってしまう���けのもの。だから、映画で長尺使うつもりなんてハナからなく、あの映画を完成させる上で(ひいて言えば、その先にある舞台につなげるための)必要なプロセスとして撮ったんだと思う。順撮りもそう。演技の経験がほとんどない子たちを作品の中でその役として生きさせるための手段。あの映画が丁寧に作られているというのは、そういうことだ。 でも、それって、あの映画だけを観た人には伝わらない、わかってもらえない。映画を観て興味をもった人が能動的にあの映像を観ることではじめてわかる裏の部分。本広さんっぽいといえば、ぽい。踊る大捜査線がアレだけの現象になって何年もマニアに遊ばれるようになったのと同じフォーマット。「青春賦」のPVでその後を描くというのもその一部だと思う。 そういう仕掛けは裏にいっぱいある、だからこそ、あの作品自体にソコまでお客を引っ張ってこれる力があるか否か…。そこに連れて来られれば確実にハメラレるし、そういう人がいっぱいいれば「幕が上がる現象」といううねりも作れるはず。オリザさんが辿り着きたいのはそういうトコロだと思う。 ▼アイドル映画というジャンル 映画の説明でよく聞いたものの中に「ももクロのメンバーが作品の中で成長していくドキュメンタリーでもある」なんてのがあったけど、正直言えば「それ、言い訳みたいなもんだよね?」と思ったのも確か。でも「アイドル映画」というジャンルとして捉えるとアリなんですよね、多分。アイドルのファンが観る前提で作られてるから。過去、アイドル映画といわれるモノで、唯一観たのが「超能力研究部の3人」。あの映画にヒドさしか感じなかったのは、それを「アイドル映画」として観ようとしなかったから…ということに、気づきもした。 結局、ターゲットはファン、幕が上がるに関してはモノノフが一番楽しめる映画が作れればいい。ファンの母数も大きい、前売券が売れる仕掛けもある(舞台の優先購入権抽選)から、公開する前から興行的には成功が約束されているようなものなんすよね。 本広さんが狙ってるのは「アイドル映画での成功」。ワシが望んでいるのは「あらゆる表現者としてももクロが世間に認められること」。作品に対する目的が違えば、見方も変わる。散々考えて辿り着いた答えの1個。でも、それに気づいてちょっとモヤモヤ取れた。 ▼各個人の演技 夏菜子については前述。 トータルで見て、一番安定してたのは、高城。これはホントに不思議で、天使とジャンプ!の時も、同じ印象。オリザさんが役にハマれば…ということを言ってたけど、それなのかどうかはわからない。心情表現の演技が少なかったからか…とかも思ったけど、次で確認することに。 有安は…激しい芝居が見たいなぁーって、ちょっとだけ映った強豪校のシーンで思わせるんだからやっぱ力あると思う。 玉井さんは、やっぱ器用で95点なんす。引っ掛かりがないから残らない。 あーりんは…これはバレイベのラジオドラマでも思ったんすが、課題は間の取り方のような気がする。下手じゃないんだけど、学芸会っぽかった。 メンバーの演技力の印象は、天使とジャンプ!の時とあまり変わらないのかも、それよりも作品としてどうかってコトに目が向いてたから、それほど注意深くは見てなかったんだと思う。夏菜子が前半下手でどうしようもないって話は、主人公でセリフもモノローグも…とやたらと出番が多いから目立ったってことで、夏菜子だけがヒドイって話ではない。 ▼メンバー以外 黒木華ってスゴイ役者なんすね。「小さいおうち」でしか見たことなかったから、あそこまで雰囲気変わるものかと。特に肖像画のシーン、なんかゾクッとした。飛龍伝の主役やってると知って、なるほど、と思った。舞台作品観たいと思った。で、年齢知ってもっと驚いた。24歳…高城と3つしか違わない。高城さんは24になっても多分あのまんまだと思う。 ムロさん、いい意味でいうコト何もない。やり過ぎって言われてるけど、鑑賞してる人が笑うトコロになってたから「緩」の役割を果たしてたと思う。 志賀廣太郎、ええ声。 カメオ出演のメンツは、どうでもいいです。モノノフがエキストラで出たい…ってのとおんなじノリと捉えておくことにする。 ▼主題歌・挿入歌 そんなものを意識している余裕なんかなかったw 唯一気づいたのは、世代交代式みたいなヤツの後に流れたピアノが「あの空〜」だったことくらい。 ▼泣いた? 泣いた。結構、途切れず泣いてたけど、なんで泣いてたのか理由がわからないw ▼総合点 75点くらい。鑑賞直後は60点行ってなかったが、その後いろいろ考えることで納得することが増えた結果の点数上昇。 ずーっといろいろ考えてたら、ほぼ映画に登場しない劇中劇こそが…ストーリーの中心ではないか!とか思い始めたので、そろそろ限界かと思い、一旦ここまでとする(頭おかしいw)。
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