matumuranaoki
“かきたいこと”
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matumuranaoki · 5 years ago
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 池田エライザさんの『恍惚のブルース』すごくいい。よかったら聴いてみてください。今の時代だからこそ、沁みるものがあるのかもしれない。本当にいい声。
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matumuranaoki · 6 years ago
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宝塚歌劇の話し。男役。
 私、宝塚歌劇、好きなんですよ。それを話すと、意外、とか、え?君が?とか、人は分からないもんだな、とか言われるのですが、私が見たって良いじゃないか、宝塚。年に1回は兵庫にある宝塚大劇場に観劇行ってるし、いつか東京にある東京宝塚劇場にだって行ってみたいなって思ってる次第にござります。魅力はなにかといいますと、知ってましたか?宝塚って、在籍してる劇団員の方、全員女性なんですよ、女性だけであれだけのものを表現し、男性、女性、人外問わず演じるって、すごいことだと思うんですよね、男性を演じる人を男役、女性を演じる人を娘役っていうんです。花、月、雪、星、宙、専科、に分かれておりまして、それぞれ組のカラーや特徴がちがうのです。今日はそんな宝塚において過去、今はテレビにあんまり出てらっしゃらないけど、こんな素晴らしい男役のトップスターの方が居たんだよって話を2名、名前と詳細をほんの少し、紹介しようと思うのです。紹介する方は宝塚を卒業された現在も、舞台やミュージカルで活躍されてます。
 霧矢大夢さん
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霧矢さんは2010年2月~2012年4月まで、月組のトップだった方です。霧矢さんはね~声がいい、歌わせたら、技術?聞かせ方?うまく言葉がでてこないけど、とにかく歌唱力がえげつないんです。あと、彼女は、宝塚の男役は身長が高くてもかなわない魅力があるってことを教えてくれた方なんです。霧矢大夢さんは身長167㎝なのですが、宝塚の男役の中では、それほど身長、高いほうではないんですね、でも、先に述べた歌唱力や、演技の表現力、舞台の上での存在感、つまり魅せる技術で、宝塚の1つの組のトップになった方なんですねー。演技の月組といわれる月組ですが、その演技の月組にふさわしいトップさんでした。現在も舞台を中心に女優としてご活躍されております。見てほしい作品は霧矢さんの卒業公演となった『エドワード8世-王冠を賭けた恋-』 ですね、ぜひご覧になっていただきたい。
 
 大空祐飛さん
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 大空祐飛さんです。青いバラ、持ってますねー、これは宝塚を卒業された、サヨナラ公演のミュージカル『華やかなりし日々』の時の写真ですね。 祐飛さんは2009年8月~2012年7月まで宙組のトップだった方です。なんといっても、スーツ着せたら過去最高に宝塚の中でもカッコイー男役さんでした。演技もかなり渋い、でもまったく嫌にはならない絶妙なところを突いてくる、良い渋さなのです、その渋さの中にある大空祐飛さんにしか演じることのできない男役像を、現役時代は堪能されたファン、多かったんじゃないでしょうか。余談ですが、 祐飛さん月組時代は、先に紹介した霧矢大夢さんと共に、当時の月組のトップだった瀬奈じゅんさんを支えていました。現在は改名され、大空祐飛さんから大空ゆうひさんとなり、女優としてご活躍されております。お勧めの作品はたくさんあるのですが『ヴァレンチノ』という作品ですね、はい。
 最後に宝塚歌劇を見たことのない方に是非、見ていただきたいというお勧めの作品があります。そ・れ・は、羽山紀代美振付家30周年記念 ダンシング・リサイタル『ゴールデン・ステップス』という作品です、これはね、ほんとにすごいよ、私が宝塚を好きになったきっかけでもある作品なんだけどね、宝塚の魅力が詰まった作品なんですよね、多くは言わない、とにかく見ておくれ。見たら、わかるからさっ。
 いかがだったでしょうか?少し月組カラーが出過ぎた感がございますが、宝塚に過去在籍していらした2名の方をご紹介しました。もちろんこの2人の他にも、もっと紹介したい男役の方たくさんいるんだけどね、私的な都合上、今日は2人しか紹介できなかったな、宝塚歌劇をご覧になったことのない方に、ほんの紙切れ1枚分の厚さぐらい、宝塚に興味をもって頂く機会となったのであれば、私は嬉しいですよ、ええ、嬉しいです。ではまた。
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matumuranaoki · 6 years ago
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お墓まいり。
 昨日は車でお墓まいり、行ってきたんです。久々に車を運転したものだから、不安もあったけど、無事に行って、帰ってまいりました。お彼岸ということもあり、たくさんの方、参られておりましたね。私が住んでるのは和歌山県の和歌山市というところ、母方の曾祖父と曾祖母のお墓があるのは和歌山県の下津町というところなのですが、なかなか遠いのですよ。
 恥ずかしいことに、私、車の免許を取るのがかなり遅かったほうなのですが、やっぱり苦手ですね、運転。自動車学校の頃から苦手だったのですが、今思えば、本当に苦手……というより苦痛だったのは、運転ではなく横に乗っていただく教官の存在のほう……だったのかもしれません。だって、人により運転について言うことが違うのだもの。でも「人づきあいが苦手」だとか「あの人の性格や喋り方が苦手」とかいう戯言は、これから、もとい、今まで社会に出ていて言ってる暇、本当はなかったのかもしれないな、だって、人はそれぞれ考え方や性格、違って当然。気づくのが遅かったな、私は。
 お墓に手を合わせ、タオルで拭き、花を添え「南無阿弥陀仏」と心で唱え、また来ますと言い、帰ってきました。
 下津長は、私の住んでるまあまあの田舎である市内とは違い、それはもうかなりの田舎なのですが、やはり高齢者の方がかなり目立ちました、少子高齢化で和歌山はどんどん若い方が居なくなり、もう私も若いとは自分では言えない年齢になった今、ふと、若い人の需要って増えてるんじゃないかなって、想うのです、例えば、高齢者の方が利用する介護福祉施設だって、人がいないと回らないし、介護ヘルパーや、デイケアといった方、人手不足は目で見える形で分かっていること。医療の進歩は良いことだ、救える命が増えるのだから、そこにはには文句は言わない、言うつもりもない。だが、若い人、少なくなってくることは今後明らかなのに、健康寿命は伸びている日本のこの現状。冷静に見定めると、やっぱり若い人が住みやすい環境や、しくみ、都会のことだけじゃなく、こんな私がすんでる田舎のこと、自分が選挙で当選するかしないかで頭が命一杯政治家じゃなくて、今のこの現状、考えてくれる政治家、いてもいいんじゃないかなって、そう、想うのです。
 政治家の話が必然的に出て��まったので言うけど、例えば自民党の二階さん、この方、私が住んでいる和歌山の議員さんなんだけど、この方が、何故当選し続けるのかが、私、全く分からない、個人を批判するつもりはない、ただ、何故当選するのかが分からないと言ってるだけ。分かろうとしたんだ、どこか良い面があるんじゃないかと想ったから、だけれども、分かろうとした上で、当選する理由が分からない。すごい権力や、、財力、、持ってるのはそりゃあ分かるけど、当選する理由がわからない、和歌山に住んでいる私ですら、あの方が和歌山に尽くしているな、と思ったことが、ない。どっちかといえば、最近は和歌山ではなく、東京のほうが興味おありの様だし、党の運営?統率?に手を焼いている感じ、がするのです。そりゃ幹事長なんだから、そうだろう、政治家になるくらいのかただから、さぞ優秀なのだろう、私の見えないところで、そりゃ努力、したんだろう、労力を注いだのだろう。だけども、何度も言ってごめんなさい、分からない。
 和歌山の武器って、漁業、林業、自然を生かしたモノづくり、だろ?だって海、ある、山、それこそ山ほどある、もしかして二階さん、和歌山より東京の千代田区にある国会議事堂での自分の存在意義や、東京都政?次の東京の知事が誰だとか、オリンピックのことで頭いっぱい?なら、私は思うのです、和歌山から選挙、出るなよ、東京から選挙出ろよ、出馬すればいいのにって。和歌山に、オリンピックは、こない。和歌山の知事は小池さんじゃなくて、二坂さんです。
 だめだ、これ以上続けてもなんにもならない。今日は私が住んでいる和歌山の将来のこと、そして母方の曾祖父母のお墓に参りに行ってきたお話でした。お正月に行って以来、お墓には手を合わせに行ってなかったから、久々にいけて良かった。堅い話になってごめんなさいね、では、また。
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matumuranaoki · 6 years ago
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高橋 淳さんの話
 高橋淳さん。ご存じだろうか?じつはこの方、世界最高齢のパイロットとして、ギネスにも登録されている方なんです。この方の人生が、個人的に好きなので、今日は高橋さんについて、書こうと思うのです。
 高橋さんは1922年東京都大田区で生まれました、だから、今年で96歳になるのか、現在もご存命です。パイロット歴は70年以上になるんだって。子供のころから飛行機が好きだったらしい。どうしたらパイロットになれるかを考えた挙句、当時日本海軍が航空兵を育成するための制度の1つだった、海軍飛行予科練生に志願。ちなみに、このころの予科練の競争率は70倍、つまり……約70人に1人しか入れなかったわけだけど、猛勉強の末、合格したらしい。授業の筆記テストは、授業で習ったモールス信号を巧みに駆使し、机を教官に分からぬ様、鉛筆でたたいて、周りに答えを教えたり、教えてもらったりしたそうです。やるね、高橋さん。だが、その予科練生だった19歳の終わり頃に、日本がハワイ真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まった、時が進むにつれ、ベテランの操縦士が次々と落とされていた日本海軍は、急きょ予科練生の訓練期間を短縮、そして日本海軍に入隊したんだってさ。
 当時の海軍の花型といえば、いわゆる『ゼロ戦』そう、零式艦上戦闘機。同期や高橋さん自身も、すんごく零戦、乗りたかったんだって。でも、高橋さんには零戦に乗りたくても乗れない理由があったんだ、じつは高橋さん、当時では珍しく、身長が180数センチあったそう。今では普通だけど、昔は相当身長、高いほうだったんだって。(現在は少し縮んで、178くらいだそうです。)予科練生時代に訓練で乗った戦艦『山城』でも、艦内が狭いのと、天井が低すぎて、しょっちゅう頭や肩をぶつけてたんだって、分かってないよな……日本海軍……。零戦はその名のとうり、艦上戦闘機なので、空母からの離発着、空母への帰還任務が主。戦局もまだ、なんとか持ちこたえてた頃。つまり、零戦のパイロットは空母暮らしになることが多く「駄目だ……こんな狭い日本の艦船で暮らせるかよっ……息がつまる……」ってことで、結局、陸上基地を発着する大型の戦闘機に搭乗することになったんだって。(因みにこの空母を主とする海軍機動部隊、後のミッドウェー海戦で、殆どが沈められます。当時のアメリカ太平洋艦隊も、空母の重要性、つまりアメリカは、もう戦争は戦艦、重巡洋艦の重要性が低く、飛行機の時代だって分かってたんだよな……海の上に突如、燃料が補給可能な滑走路が出現するのと同じだから、アメリカとしても、真珠湾の一件もあるし、何より日本の空母を叩く必要性がある。し・か・も、これが痛いのだが、なんと言っても、当時の連合艦隊司令長官は、かの有名な【山本五十六】大将。日本海軍機動部隊長官は【南雲忠一 】中将。南雲さんといえば、生粋の軍拡派、そして、山本さんと海軍兵学校同期で唯一無二の親友だった【堀 悌吉 】中将を、先のロンドン海軍軍縮会議の流れからなる大角人事で、堀さんを予備役に追いやった張本人なんだよな……。ちなみに山本さんは、堀さんと同じ立場で、国同士のいざこざは、戦争��はなく外交で解決すべきだという条約派……。条約派の山本さんと軍拡派の南雲さん……この2人が相容れることは無かったってわけだ。当時の日本海軍にも、わかりやすく言えば今の相撲協会曰く、派閥があった……。アメリカ海・空軍は、暗号の解読・傍受、火力、国力、そして何より指揮系統、全てで上をいってたんだよな。)
 話を戻そう。高橋さんは海軍入隊後、1943年10月、マレー半島南部にあるアエルタワル基地に着任。本土の防衛、敵艦への攻撃を主な任務とする第732海軍航空隊に配属されることになりました。そして希望どうり、当時最新鋭だった大型の攻撃機『一式陸上攻撃機』通称『一式陸攻』に乗ることに、この一式陸功、最新鋭とはいっても、主翼は25メートル、長距離を飛ぶために設計されたため、その主翼内部に大きな燃料タンク、しかもその燃料タンクには防弾装置、無い……そんで、着任後すぐの若さで、人員不足から機長に任命されることに。めちゃくちゃだな、当時の日本。アメリカのパイロットは当時この一式陸攻を空で見かけると「One Shot Lighter 」って呼んでたんだって、まあ……訳すると、「1発当たればライターみたいに火がつく」ってことだな。一式陸攻の搭乗員の方は、戦死された方、多いんだよな。
 そんな一式陸攻の操縦で、高橋さんが一番嫌だったと言ってるのが、雷撃、そう、魚雷での攻撃なんだって、一式陸攻での雷撃の怖さを撮らえた写真が残ってるんですね、こちらです。
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 初めて見たときは、え……なにこれって思いましたね、私。そうなんです、一式陸攻は、機体の性能上、ここまで高度を下げないと魚雷、撃てないんですね。めちゃくちゃだな、当時の日本(本日2度目)。しかもここまで機体を下げるのには理由があって、雷撃は艦船へ攻撃するため、ある程度、敵艦船に近づく必要があるんですね、でも、一式陸攻、最高時速が正式な記録だと高度4200メートルで453.7km/h ……おっ遅い……で、この一式陸功、自重が6.741kgあるんですよ……おっ重い……海面スレスレなので、より遅く飛ぶ必要があるのですって。もともとが重くて遅いのでね、すぐに弾、当たっちゃうんでね、結果的に機銃掃射が届きにくい位置は、艦船上にある機銃座と海面との間のスペースで、空の上ではこの位置が、一番安全だった……ということらしい���ですが……めちゃくちゃだな当時の日本(本日3度目)、仲間が��日、連日、戦死していったんだって。高橋さんの証言によると「ショックだったよね、最初は、でも毎日毎日それが、続くわけ、慣れてきちゃうんだよねこれが、アイツ、何か良いもの残してなかったかな、なんて、こんな具合になっちゃう。」戦争の怖いところだよね、人の心を壊してしまう。
 そして連日のように仲間が落とされ、部隊に機体がほぼ無くなってしまったのだとか、そして1944年7月、部隊は解隊に。そして、1945年3月、沖縄戦が始まり、高橋さんは鹿児島県出水基地に着任、ここでも沖縄沖の敵艦隊への攻撃で出撃しています、だがここでも部隊は解隊、そして1945年8月、北海道美幌基地への移動中、終戦を迎えました。遅すぎたかもしれないよな、戦争を、終わらせるのが。
 その後、1952年、日本での航空禁止令が解除されると、高橋さんは大手航空会社に就職、でも、日本人ではパーサーしかやらせてもらえないと聞き、すぐさま退職。それでも空への想いが断ち切れなかった高橋さんは、1953年、新日本グライダー研究会を立ち上げた、そして1956年、後輩たちがつくった、社団法人日本飛行連盟に合流、教官となり、たくさんのパイロットを育てたんだって。つまり、日本航空業界の発展に貢献したってことだな、自衛隊にも招かれ、自衛官にも講演する機会があるそう。すごいよな、高橋さん、その他にも全くのボランティア活動として災害時に医薬品やらを現場に届ける、赤十字飛行隊の設立なんかもしてるんだなー。やるじゃないか、高橋さん。そして2017年6月時点で、戦時中も含めると、通算飛行時間は、2万5000時間を超えたらしい。気力が違うね、高橋さん。つまり、人生の内、2年と半年は飛行機で空飛んでたってわけだな、高橋さんは。
 高橋さんが言うには「戦争中、9割5分くらい仲間が死んでるけど、今もその連中が僕を守ってくれてるんだと想います、ま~100歳までパイロットだったらおもしろいね、わははははは」だそうです。かっこいいおじいちゃんだな。私たちにできることは、日本で戦争があった事実と、その戦争で命を落とした方が、いるってことを、忘れないってことだけだ。
 今日は、日本最高齢のパイロット、高橋淳さんのお話でした。はじめてこちらで画像写真を入れてみました、文脈が長いのは、いつものこと、ごめんね。ただ、なんとなく、高橋さんのことを、自分が生まれた平成のうちに、平成が終る前に、何故か書いておきたかったのですよ、内容は昭和の話だけど。理由はない。長かったですが、96歳の方の人生だから、本当は私が知らないことも含め、短すぎるくらいだ。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。では、また。
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matumuranaoki · 6 years ago
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金魚を眺める
 やあやあ。お久ぶりですね。最近は、ともよべないほど、こちらには全く来ておりませんでしたが。何をしていたのか……それはですね、卒論と、卒論発表のパワーポイントをカチカチしておりました。パワーポイントってあれですよね、エクセルとかワードとか、そういう類の名前だけれども、町中でもし出会ったら、すごく力くれそうな名前ですよね、パワーポイントって。
 卒論発表の約一週間前に、約2年ほど私に仕えたパソコンが、突如お釈迦になるという絶望的アクシデントが発生しましたが、なんとかやりきりましたよ、ええ、やりきりました。発表話というと、まあ……カミカミでしたね、パワーポイントをカチカチ作って、発表でカミカミした私です。人前で話すのがすごく苦手な私だけれども、良くやったよ、と、言ってやりたいです。
 ずっと水族館いきたかったんですよ、ええ、でもなかなか時間がなくて、私が暮らしている地域にも、すいぞっかん(以後、水族館のことをすいぞっかんと述べる)無いことはないんですが、たいしたことがないのですよ、近くのすいぞっかん、なら、どーせなら、魚綺麗に見たいのでね、綺麗に眺めたいので、大阪の海遊館いきたいなーって、思ったんです。でも、なかなか時間がとれない、てか、一緒に行こうとしてる方との時間が合わない。で、なんだかんだ言ってる間に、2月ですよ、ええ、まったくもってまったくですよ。と、いうことで、1月の半ばから金魚を飼い始めたんですね。
 いやーいいですね、金魚、癒されます、なにより、赤いのがいい。「じゃー君、リンゴでもポストでも眺めておけばいいのだよっ」と言わずとも思ってるあなた、それは間違いです。だってー金魚、餌を食べる姿が良いのですよ、なにより魚ですしね生きてますし(←魚と書いた後に、すしと書く不道徳さ。及び、生きるという言葉の後に、すしと書く不道徳さ)エサを与えると、水面でエサをパクパクするんですよ、まあ私は卒論発表カミカミしたんですけどね。それがいいんですよ、ポストは、はがき食べますでしょう? リンゴは、こっちが食べるものでしょう? だから全くかわいくないんですねー(椎名林檎、否、ハイヒールのリンゴさん、否、スティーブジョブスに謝れ)いや、生き物を飼うことの面白さや楽しさをここ1ヶ月、実感している私でございます。
 てな感じで、私は今日も通常運転でございます、4月から就職も決まり、残すところ、大学生活は卒業式のみ。高校の頃の友人が、今の私をみたらびっくりするんだろうな、まったくもって、怠け者の私だったからな、あのころの私は。
 なにやってんだろ、あのころの仲間は……
 まーいい、私は私の人生を懸命に生きねばならぬのだから。懸命の想いで人前にでて、懸命の想いで言葉を口から発して、懸命の想いで生きている人が、報われる世の中であってほしいと、今日も金魚を眺め、金魚のパクパクの効果音を耳に、そう思うのです。では、また。
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matumuranaoki · 6 years ago
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短編『ある男の手記』
 顔色ばかりを窺う政治家が国のトップになった。名前は※※※※。彼は、兼ねてより熱望した理念により、憲法改正を強行採決により断行した。国民の過半数の賛成と同意を得るという表向きの条件は、無論、国家操作による画策であり、尚それによってもたらされる結果もまた、事実とは異なる陰謀である。生まれ持っての身体的機能を奪わんとするその法案は、国民の議論となり、日々、テレビ等で討論された。
 去る20○×年、その強烈たる不信感の渦中において、その法案は可決されるに至る。
 そして国に、新たに一つの憲法が生まれた。
憲法第▲条 【表情の制限】  国民は、幼児期、幼少期において、人生におけるすべての表情を 使い果たさなければならない。 2.成人した国民は、性別を問わず、この義務を果たしていなければならない。
 彼は以前から、自身を批判するメディア、野党の議員、自らを否定する有識者らが浮かべる表情に苦言を呈していた。周囲の親しい者の笑顔ですら、不信感を覚えるようになった。これ以上、自身に向けられる表情は、耐えがたいものであり、生命の危機すらも感じるほどの恐怖であり、脅威なのである。昨今では、自身の生命線ともいえる国会演説ですら、並べられた顔の数に比例し、精神に異常をきたすほどであった。ならば誰にも合わず、山奥で一人で暮らせば良いだろうにと野党は揄揶したが、彼は自らの政治生命をかけ上り詰めた総理の座を、やすやすと手放すには惜しかったのである。幸い、自らが党首である与党は、国会の過半数以上の大多数を占めており、党の権力を握る彼の判断に、意を唱える者は誰も���なかった。    憲法であるが故、企業ですらもその法を厳守せざるをえず、法案可決翌日から国民の携帯画面に顔文字が消え、書店、図書館は蔵書を��斉回収。辞典からも、表情に関する記載が塗りつぶされる事態となった。憲法厳守の判断の有無、その識別を虐げられたのは人口のロボットである。数十年前から国民に配布されていたマイナンバー制度が仇となり、表情を崩した人間の眼球をインプットすれば、戸籍が判明する仕組みを、念蜜なる計画のもとに実用化。国はそのような人口ロボットを、考えうるありとあらゆる場所に配備した。もはや、国民にとってプライベートな場所は皆無となり、月日が経つと共に、アップデートされる文明の力とその精度に、反抗する者もいなくなった。
 人々は今も服を着た犬に違和感を覚えるが、電飾が巻かれた木々に違和感を覚えない。街中にはタレントが載る広告が減り、文字のインパクトを追求したものが随分と多くなった。『顔面力』という言葉が流行語に選ばれ、テレビのコマーシャルは商品と構図、音と色と誰かの声、表情とは隔離された演出で購買欲を促すものが増えた。大人はというと、ここ数年で変わってしまった、変わらざるをえなかった。変わらないのは、公園や小学校の校庭で遊ぶ子供と、教員を除いた生徒らが騒ぐ教室だけだ。大人たちは無表情で泣き、無表情で笑い、無表情で怒る。その他の感情もそうだ、悔しさ、侘しさ、虚しさ、惨めさ。全て無表情だと国が決めたのだから。だが大人は気づきはじめていた、それはあの憲法ができる前から、不意にしていたことだと。子供たちもそれを理解している、大人になれば表情は崩せないのだと、今のうちに表情を出し尽くさねばと言わんばかりに泣き、笑い、怒る。成人式という言葉は死語になり、無表情の式典という別名ができた。某チップスも廃止となり、人の大多数が味を忘れた。くしゃみ等の生理現象はどうするのか、無論、胃の中でするのだ。人により違うのだが主流は、胃の中でくしゃみ、喉の奥であくび、肺で咳をする、すべて体内で終える。それぞれがそれぞれの方法で、人は表情を変えぬ技術を思案した。    公園のベンチで、遊ぶ子供を眺めて老人が云う。あのころは良かった、と。改正された憲法のせいか、或いは老い先短い自らの境遇を自負し、言うのか。傍から見ていて私は解せなかったが、あのころは良かったと、何度もそう云う。そのあと、少し睨まれたような気がしたが、人口ロボットは何故か、老人には反応しなかった。どこかおかしい、この国は、どこか、おかしい。
―追伸.  表情の自由無き現在故、苦肉の想いを内に秘め、密かに、近年開発されたタイムマシンにこの手記を乗せ、��かな可能性を託し、過去を生きる君に送る。現在政府の監視下となった企業が開発するマシンには重量制限があり、人が乗れるものは無く、残念である。制限により、紙切れ4枚という選択肢しかなかった。送り終わった後、私の生きる今、この世界が、昔の様に、人々の表情に溢れていることを願う。
PS.雨の降り方が変なら、企業がマシンの実験の為にそちらに送り込んだ、雨粒です。
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matumuranaoki · 6 years ago
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秋めいてまいりましたね。
 梅雨の半ばの更新を最後に、何をしていたかって?そんなのここで書くわけないでしょう……うん、書かない。平成最後の夏が終わり、平成最後の秋になりましたが、そういえば平成の中ごろの夏休みを思いだし「あのころは良かったなあ…」などとしみじみ思ったりしております。秋ですね、そう、秋。わたくし、秋、好きなんですよ、何でかって?馬鹿おっしゃい、1年で一番何もない季節だからですよ、そのうち到来する冬みたく、何かしらのイベントがあるわけでもなく、過ぎ去った夏みたく花火やら夏祭りやらの娯楽が町中を騒がせるでもなく、ただただ時間が過ぎ去ってゆく秋が、私は好きです。それに年中の退屈なアスファルトの灰色に、落葉樹が色を添えてくれる季節ですし。ただただ平凡な秋が、秋のいいところなんですね。
 それはそうと、書きたいことがあったので、久しぶりにここに書いているのですが、それは少し残念なことで、実は最近、私の住む地域に唯一残っていた駄菓子屋さんが、店を閉めてしまったのでございます。その駄菓子屋さんは私が物心つく頃にはすでにおばあちゃんと呼んでさしつかえない奥様が経営していらっしゃって、小学生のころはよく百円玉握りしめて、店に駆け込んで行ったほどでございます。まあいわゆる後継者不足と言いますか、奥様も高齢になられて、今年の夏休みを最後に、店終い、というかたちになりました。もう随分前から「8月末で店、閉めます」という味のある字の張り紙をお見かけしていたのだけれど、実際に閉ってしまうと、なんとも寂しいといいますか、一つの時代の終わりを感じるのでございます。でもまあよく、平成最後の夏まで営業をしてくれたなと、感謝と、それとやっぱり名残惜しさが感じられて、まあ、なんとも言えない感情になった次第でございます。
 これからは子供たちはスーパーやコンビニでお菓子を買うのか……あの駄菓子屋さんのなんとも言えない雰囲気好きだったのだけれど、今の小さい子供たちには関係ないのかもしれないな、まあ、手軽にお菓子が買��る国に住めているだけでも、ありがたいと思うことにしよう。
 追伸……最近、缶やペットボトルばかりになり、ビンのラムネを見かけなくなったと思っておりましたが、8月上旬に川に捨てられていた、珍しく久ぶりに見たビンのラムネを見て「平成の最後の夏に居てくれてありがとう」と、言ってしまいそうになりました。
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matumuranaoki · 6 years ago
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もう梅雨なのかしら
 RADWIMPSのことをRASWIMPSと書いていて、その間違いに気づかず放置していたのはどこのどいつだぁ~い?……私だよっ!!ということで梅雨めいてまいりましたね、町中では紫陽花がちらほら綺麗な色をアスファルトに飾る季節になりましたが、雨も多いし、鞄の中には雨傘が常時配備の最近です。
 最近紫陽花が綺麗なそんな町中で、気づいたことがあったので書こうと思うのです、この前私が道を歩いておりますと、小学生のちびっこ達がちらほらとこちらに歩いてきたのですよ、「やあやあ」といった感じで私が顔を向けると、「こんにちは」とあいさつするちびっこ達、丁度時間帯は小学校低学年くらいの子たちが下校する時間帯、道にはおしゃべりに夢中のちびっこばかり、「あ~懐かしいな~私にもあんな時期があったのか…信じられない…全くもって信じられない」と懐かしんでいたその時、私はなんとなく、今の小学生に違和感を覚えたのです。それは、小学生のちびっこ達が背負っているランドセルの“色”そう、色なのです。
 あいさつをしてくれたちびっこは男の子だったのだけれど、その子が背負っていたランドセルの色が確か、薄い紫の様な…何といったらいいのだろう、藤色?のような淡い色で、すれ違うちびっこたちを見ると女の子は水色、ピンク、男の子は、濃い緑や、青色、ブラウンなど、とても色鮮やかだったのでございます。私が小学生だった頃は、ランドセルの色と言えば、男子は定番で黒、女子は大体が赤、といった様な感じだったと思うのですが…そうなのです、ここ数年で、ランドセルはとても鮮やかになっているのです。家に帰りきになりランドセルで有名な、『フィットちゃんランドセル』さんの公式サイトで調べてみたところ、販売をしているだけでなんとランドセルのカラーは47色、よ…47色だと!!家のパソコンの前でランドセルについて検索しながら食べていたケバブが口から吹き飛びましたよ、ええ、吹き飛びました、「47色だと!!」と叫んだのですが、正確には口内にケバブがあったため、耳で聞こえた声は「よっskだ9うyhd!!」でしたね、ええ(何か意味不明な言語を急に叫んだ私)まあいい、話をケバブ語からランドセルに戻す、そうなのですここ数年でランドセルの色のバリエーションは途方もなく増えたのです。でもこれって、いいことっちゃーいいことだと思う、ランドセルは生涯で6年間しか使わないものだし、それぞれ、その子その子に個性もあっていいと思うし、販売業界も選択肢を顧客に提供するにあたり、選べることの楽しさを提供できていると思うから。
 でもまあ、その子本人がランドセルの色を選ぶとするならば、もし幼稚園や保育園から小学生に進学する段階で、自分の好みで選んだランドセルの色が、小学校高学年の頃になると「あれ、オレ、わたし、これちょっと違ったかもしれない…」なんてことも、あるのかもしれないな。実際にネットで調べてみると、『ランドセル 色』と検索すると予測変換で“いじめ”や“後悔”と出てくる。��学校の6年間でランドセルを買い替えるなんてこと、まあ、私の感覚ではあまり無いことだろうなと思うから、まあ…なんというか、ある程度数年後の将来のことも考えて、お母様お父様方はランドセルの色、選んであげてほしいなって個人的には思いましたね、ええ。
 だがしかし、その子が何色のランドセルを背負っていようと、それはそれで個性だし、自分が気に入っているのなら周りからどうこう言われる筋合いなんてないと思うのだけれど、でも子供同士で、ランドセルの色についていじめられて、そこで言い返せるメンタルを持ち合わせている小学生がいるのかは、少し疑問符が残る。ま~そうですね…そんなことで“いじめ”なんて予測変換で出てきてしまう世の中が、少し残念に思う。
 今日はここまでにしておこう、また長くなってしまいましたね、読んでいただいた皆様、ありがとうございます。最後に一言「みんな、私の着ているものを見て笑ったわ、でもそれが私の成功の鍵、みんなと一緒の格好なんてしなかったから。 ―ココ.シャネル」まあ、個性は武器だってことだな、その武器の表現方法は、目で見えるもの見えていないものにかかわらず、音、文字、絵、色、形、その他諸々も含め、人それぞれでいいと思うんだよな。ランドセルの色くらいで、イジメなんて起こらないでほしいと、ランドセルの色くらいで傷つく子が増えないことを、もし誰かから指摘されて傷ついたとしても、小学校の6年間よりもその先の長い人生が素晴らしいということに気づかせてくれるような、子供の手助けになる大人がその子の近くに居ることを、切実に願う。
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matumuranaoki · 7 years ago
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なんか、色々と。
 寝たいのに寝れないのはつらいですね。この先の、自分の将来に脅かされるのはつらいですね。
 「辛い辛いとはよく言うが 苦悩で死んだ例は無し」amazarashi『ポルノ映画の看板の下で』より引用
 大学生活も4回生になり、自分の時間を有効に使えるものだとは思っていたのだけれど、なにかとそうではない。いや、甘えてるだけだな、有効に時間を使える技量というものが、私には、無い。履歴書に、その他色々に、脅かされている。
 そういえばそうと、卒業論文、何書きゃいいのさ…能の無い頭で色々と考えてはいるのだけれど、まったく浮かばない、カモン!知恵!ってな感じです、そんな感じです、ええ、そんな感じです。家の縁側で無駄にタバコの本数だけが消費されていく、神様に「お前、寿命と引き換えに、何無駄に時間過ごしてんの?バカなの?」って、聞こえたわけではないが、言われているような気がする。今までは、単位修得の為に、時間を使い、授業を受けて、レポートやテスト勉強を与えられただけ答えようと、時間を使い、時間の使い道が明確に定められていただけに、そこだけ見ていれば良かったが、卒業単位もほぼすべてクリアし、あとは必修の4単位だけとなった今、ああ、あと任意で取ろうとしている資格のための2単位か…それだけになった今、なんともパッとしない。いや、パッとしないのは今までも同じなのだけれど、いや、何というか、うん、時間を全く有効に使えてる気がしないのです。今までは、時間の使い方があらかじめ使うための手段が限られていただけ、安易だったのかもしれない。今は、何かと難しい、南無阿弥陀仏。
 お前、何のためにもならない文字をダラダラと…って、まただ、いや、もーなんというか、駄目だな、駄目だ。(酔ってはいない、ええ、体内ノンアルコールです)
 最近久しぶりにamazarashiをじっくりと聞く折があったのですよ、いや、すごいな、amazarashiは、ここまで心に抉るような歌詞を綴り、メロディ-を作り、声帯で放ち、表現するとは。amazarashiには高校生の頃から、いや、中学の頃からかな、何回も救われてきたが、またその歌詞に、音に、叫びに、救われたのだと思う。いや、秋田ひろむさんすごいよ、すごい…
 あと、久しぶりに、BUMP OF CHIKENを、何年ぶりくらいだ…おそらく6年ぶりかくらいに聞いたのだけれども、私が知らないうちにいい歌何曲も出ててびっくりしたのですよ、つい最近まで、君の縄(←おい、名はだろ)の主題歌を歌ってるの BUMP OF CHIKENだと思ってた私ですが、私が聞かなくなったのは『宇宙飛行士の手紙』くらいの時期だから、あれ何年前の曲だあれ…久しぶりに聞いてみたら、やっぱりいい曲だし、最近のでは『記念撮影』とか『リボン』を聞きました、本当に久しぶりに色々聞いてみて『メーデー』『イノセント』とか『花の名』ALWAYS三丁目の夕日の主題歌だったなー懐かしいな~とか、思って聞いとりました。
 先に上げたのだけれど、ホント声似てると思う、RASWIMPSと BUMP OF CHIKEN。 RASWIMPSは君の縄のやつしか聞いたことないのだけれど、 BUMP OF CHIKENよりかはリアリストの様な感じがする、現実主義というのか...主観ですが、一方で BUMP OF CHIKENは��いころの夢とか記憶とか、空想家...?というか、現実から離れたものとか、あ、あと宇宙ですね、イメージとしては。つまるところリアリストとロマンチストってことですね。でもまあともかく、どうこう言わずに「嗚呼、良い曲だな...」と思って聞いているのが一番いいのですが、なんか私は歌詞の意味とか、言葉の意味とか、探りたくなってしまう。
 なんか色々と最近、しんどいことや、疲れることが多いけど、そりゃ必死こいて生きてりゃねー、私はまだ、生きとります、、頑張っとります、、、今日は、それだけです。
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matumuranaoki · 7 years ago
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面白い記事みつけたんです。
 ネットで面白い記事を見つけたんです。内容は日々の生活でふと耳にする言葉の“対義語”を考えてみたら、可笑しくなるという記事。記事の中身がなかなか逸材で、笑えてくるのです。 
 中身はこんな感じ。
「全米が泣いた」=「一部のパン達が爆笑」
「世界の中心で愛を叫ぶ」=「宇宙の最果てで下ネタをポツリ」
「ゲスの極み乙女」=「ほんのりピュア親父」
「おいでよどうぶつの森」=「くるなよにんげんの町」
「おかあさんといっしょ」=「おとうさんはべっきょ」
「謎解きはディナーの後で」=「犯罪は朝飯前です」
「ほんとにあった怖い話」=「ほんとはなかった楽しい話」
「つらたん」=「ハッピーターン」
「ちびまる子ちゃん」=「でか四角くん」
 などなど、いや、私、爆笑しましたね。見つけた時は笑ってしまった。こういうユーモアのセンスすごいと思う。
 そこで私もいくつか考えてみたのです。こちら。
「きれいな顔してるだろ、ウソみたいだろ、死んでるんだぜ」=「普通の顔してるだろ、ホントだろうが、生きてるんだぜ」
「そんなんじゃ社会に出たら通用しないぞ」=「それだけの力があれば幼稚園では無敵だったろうに」
「おーい、お茶」=「ちかよるな!紅茶」
「可愛い子には、旅をさせろ」=「いや、君は家にいたほうがいい」
「海賊王に、オレはなる!」=「山賊奴隷に、アタイはならない!」
「月が綺麗ですね」=「大気汚染の根源はあなたですね」
「ガリレオ真夏の方程式」=「エジソン氷結の解答欄」
「隣の客はよく柿食う客だ」=「遠くのほうで何か口からもどしてる人がいるよ」
「よっしゃ~やっと夏休みだ~」=「うわぁ…悶絶レポート地獄だ…」
「アンパンマン」=「カスタードウーマン」
「えっ���お前の家こんな遠いの?」=「どこでもドア~」
などなど
以上です。すこしでもフッてなっていただけたら。この投稿が日々の鬱憤を晴らす、ほんの気晴らしにしていただけたのなら、私は幸いです、ええ。
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matumuranaoki · 7 years ago
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死因は言葉、立証できるか。
 今日は友人と回転ずしに馳せ参じてきたのだけれども。やっぱりお寿司はいいですね、あったかいお茶、おいしいお魚、そしてなによりリーズナブル、回転ずしだから。誰でも入りやすい雰囲気、ちょっとこ洒落た喫茶店なんかより、よっぽど入りやすい。
 サシで店に入り、サシで2時間くらいかな…話し込んでしまった、話題に上がった1つが『死因は言葉、立証できるか』というお話。まあ、私たちの口に入る為ということが死因の、すでに切り身になったお魚さんたちを横目にしながら、お魚さんたちにはかなり失礼な話をしていたんだけれども。これがなかなか面白いお話だったので、書こうと思うのです。
 人の死因といえば、すぐに思い浮かぶのが、窒息死、水死、餓死、事故、性的暴行、ネグレクトなど、また寿命が原因の老衰というものやら、その他色々あるのだが。その原因が不明の場合や、なんらかの事件性などが疑われる場合、遺族は、解剖という選択肢をとることが多いのだけれども、つまり、死んだ人にメスを入れ、その人が死に至った原因を明確にし、解明するということ。たとえば、性的暴行で死亡した場合、加害者の体液やDNAが被害者の体内に残っている場合があるそうで、そのDNAが加害者を発見しうる大きな手掛かりになることがほとんどらしいんですね。これは、物理的に目に見える形で残っているものだから、科学や、解剖学で明確に明にできること、でもこの解剖という仕組みに関し、明確に忘れられている“穴”があるというお話を、回転ずしで致しておりました。
 相手の言葉が殴られるよりも痛い、誰しも経験したことがある話だろう。例えば職場の言葉によるパワーハラスメント、学校での言葉によるイジメなど。この問題の被害者が行き着く先の選択肢の1つとして、自殺、というものがあるが、この自殺、確かに死因だろう。でも残念なことに死んだ人は喋らないし、遺族は泣くしかない、でも加害者は?明日も、昨日と同じ日々の繰り返し。自ら「私が放った言葉で、あの人は死んだかもしれません」なんてことを名乗り出る人はほとんどいない、この先の自分の人生や、社会的立場のほうが可愛いし、惜しいからだ。この問題、加害者側がいつまでも被害者の自殺との関係性を黙っていたら、罪にも問われないし、あるいは次の被害者を出してしまうという可能性も、なきにしもあらずだ。
 『人は、他人から故意に放たれた言葉で、死ぬ場合もある』
 これを確実に立証でき、証明できる学問、科学、が、この地球上に、この世界のどこにも“無い”。
 残念だ、先に挙げた解剖学という理論。この理論上、人の骨格への外傷、皮膚の変色、体毛の状況、歯形、血液の異常、その他もろもろ、あらゆる死因が特定可能といえる解剖学、そして加害者への手掛かりまでもが特定可能と言われている解剖学においてでも、他人の言葉によって、この人は死にましたといえる可能性は、0%。耳を切開して、鼓膜に他人の口から出た、この人が傷ついたであろう言葉が張り付いているわけもないし、胸を切開し、「心が極端に傷ついていますね、おや、加害者の言葉が刺さっていましたので、これが死因ですね」などと言えるわけもない。
 でも人は、喋る生き物ですよね、コミュニケーションとして、言葉、をつかいますよね、勿論、声ではなく、手話の人もいるだろう。これが相手を殺すナイフになってはいけないと、私は思うのです。でも、不意に放ってしまうこともありますよね、それが自覚できた時には、あっ今、傷つけたなって思った時には、抱きしめるなり、「ごめん」と言うなり、ケアできる手段がいくらでもあるはずなんだけど、それを私たちは忘れてしまいがちだ。
 長々と書いてきて、これって、友人と回転ずしでしなければならない話だったんだろうかと、今更思ってきたのだけれど、まあ、彼といるといつもマニアックな話になる、事実その彼のマニアックさ事態を私はキライになれないということも事実。有意義な時間を彼と過ごせたわけだし、まあ、良しとしよう。今日一日で、すれ違ったのが、人よりお寿司のほうが多いというメルヘンな一日でしが、久しぶりに彼と話ができて良かった。
 今日書くのは、これくらいにしておこう、あくまで、2人のつまらない男の会話の中身のお話です。いつも何かを伝えたくて書いているつもりなんだけれど、伝わってるのか…まあいい、伝わり方なんてすぐにでもなくていい。
 それではごきげんよう。
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matumuranaoki · 7 years ago
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哀愁
 日曜日の朝、食事もそこそこに高校二年の息子が出かけた。目の覚めるような白のシャツに、頭髪にはワックス、いつもとは違う真新しい靴で。どうしたんだと訊いたが、何も答えなかった。妻がトーストを頬張りながら、あの靴、あの子が買ってきたの、デートだって、と言う。親ながら気恥ずかしくなったので、ハッハッ…と声に出して笑うと、中学一年生の娘が、気持ち悪い笑い方やめてよ、と言ったが、娘もやはりニヤけている。六月の日差しを浴びた庭木も鮮やかに光っている。食べ終えてから二杯目のコーヒーを飲む。なんと素晴らしい朝なのだろう。妻も娘も出かける支度をする、デパートへ行くのだ。服くらい自分で選びたいんだけど、といいながらも娘は明らかにはしゃいでいる。妻も若々しく見える。夫であり父親である男を家に残して出かけることがそんなにも楽しいのだろうかと、女二人を見ながら、また嬉しくなる。出がけに妻が、お昼は冷凍のソバがあるし、昨夜のご飯とおかずもあるし、と言うので、はいはい、男一人の休日を寂しく過ごすことにしますよ、と笑って送り出した。
 読むこともせず新聞をめくった。明るい話題には自然と頬がゆるみ、事件や不倫の記事が目に入ると、眉間からこめかみにかけて力が入った。不倫された女が不倫相手の家に火を放ったと言う記事、一家共々4人が死亡したとある。子どもたちをこんな目に遭わせないためなら、自分の命を差し出しても悔いはない。本当にそう思って、怖いと同時に誠実な己が多少誇らしくもあった。リビングへ行き、テレビをつけた。バラエティーや政治討論を素通りし、最初からそのつもりだった大リーグ中継に、やはりたどり着いた。普段から野球を熱心に見るわけでもないが、休日の午前を一人で過ごす男にはこれが一番だ、と平凡に考えただけのことだった。
 平凡なのがまた、嬉しかった。本当にいい休日だと思えた。大きなスタジアムの観客には、半袖の若者もいれば、上半身は裸で、最前列に陣取る老人もいる。向こうは土曜の朝だ。これから休日を迎える人たちと、いま休日を楽しんでいる自分がつながった気がして、面白かった。見事なホームランが出て観客が総立ちになった。ピッチャーの唖然とした顔も、休日を飾る贅沢な光景だった。その後は、ぱったりと点が入らなくなった。アルコールが欲しくなったが、つまみも酒もない。ソバにしよう。大きい鍋に水を張って火をかける。冷蔵庫を開け長ネギを、下の野菜室から取り出す。ボテボテの当りが三遊間を割る。久しぶりのヒットだ。流しの上の網棚に干してあった、また板と包丁を下ろし、長ネギを出来るだけ細かく切ったところで、ダシのためにもう一つ鍋が必要だったなと、ポットの湯を片手鍋に移し、コンロに乗せ、点火する。じんわり沸騰し始め気泡が出る。食器棚から器を一つ持ってくる。フォワボールで、一���二塁になる。冷蔵庫を開け、��ラスチック容器に入れたハンバーグや四日前のカレーやラップに包んだ愛人の足首やアイスクリームなどをよけて、ソバのパックを取り出し、封を切る。四角く固まった麺、濃縮されたつゆと揚げ玉の小袋が出てくる。この揚げ玉があるのとないのとでは味が違う。タイムリーが出た、同点だ。近くのコンビニへ、ビールを買いにいこうかと考えて、また、嬉しくなった。
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matumuranaoki · 7 years ago
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無言が無理という人の心理
 私には幼い頃から疑問に思っていることがあるのです。それは無言が無理という人の心理、例えば人付き合いとかで。あれ、本当に何言ってるのか分からない。よく私は過去のバイト先やら学校なんかで、少し冗談なんかを言うと「喋らない人だと思ってた」と言われるのです、今日もまたしかり。それを吐くほとんどの人が、普段話しかけてこない方が多い。喋りたい時に、自然に喋ることができれば、それで良いんじゃないのか、と、私は思うのです。 自分が知っているその人の全てが、本当にその人の全てだと勘違いをしている方が多々いらっしゃる様に思うのだけれど、人には、親しい人にしか見せない部分や、家族の前でしか見せたくない、弱い部分が少なからず、全ての人にあると私は思っていて、頭の中であの人はこういう人だと勝手に決めつけるのはいかがなものかと、私は思うのです。
 例えば目隠しをして、相手を犯した場合。相手は行為よりも、待たされる時間に恐怖を感じるらしいんですね。つまり、次に来る身体への衝撃の瞬間の時の痛みよりも、衝撃がくるまでの時間の方が、精神的に痛いというわけらしいのだが、これって、言葉に関してもそうじゃないのかなって、私は思うのですよ。
 普段道理に、人と喋っていてその人が突然黙った時、目に見えないその人の口から次に吐かれる言葉が怖い、その怖い間合いを潰すために、こちらはまくし立てて喋ってしまう、それはまあ分かる。でも、その人は次に出す言葉を選んでいるのかも知れないし、相手への伝わり方を意識して、慎重に言葉を選んでいるだけかも知れないわけです。だから、その人は喋らないんじゃなくて、気を使って言葉を選ぶのに悩んでいる、だけなのかもしれない。その言葉を選ぶ時間を潰すのは、限りなく双方にとってフェアに行われる“会話”という行為にとって、私はタブーだと思っている。実は吐く言葉を選んでいて、その選ぶ時間が長すぎるがあまりに、普段喋らない様に見えてしまうことだって、あるんじゃないかな。
 ここまで書いてきて、この画面上で伝えたい事が伝わっているのかが、少し不安なのだけれど、頭が痛くなってきたな。うーん………もっと上手��言葉で伝えたいのだけれど、まあ、私の器量ではこれが限界です。それではごきげんよう。
 
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matumuranaoki · 7 years ago
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地球屋とバロンの話。
 地球屋、知っていますか?ジブリでバロンがいた店の名前です。そうです『耳をすませば』や『猫の恩返し』で登場した彼です。彼を作ったのは貧しい見習いの人形職人で、その職人がバロンに人を愛する想いや願い、そういうものを込めて彼を作ったらしいです。だから彼には心が宿っているし、人や他者を思いやれる性格なんだとか。因みに彼のフルネームはフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵、い…言いにくい…。彼には想う人、いや、人じゃないな…猫がいます、名前はルイーゼと言います、まあ、奥さんですね。『耳をすませば』では二人は離ればなれなのですが、バロンが地球屋に来たのは地球屋のおじいさんがドイツ留学中に、バロンに一目惚れし、連れて帰りました。でもその時、奥さんのルイーゼは修理中で最初は断られたらしいのですが、おじいさんと一緒にいた女性が「必ず将来2人を一緒にする」と約束し、バロンだけを連れて日本へ帰ることになっりました、だけれどその後、戦争があり二人は会えないまま月日が流れているという裏設定らしいです。そんなルイーゼを想うバロンの気持ちはまだ続いており、『耳をすませば』から7年後に発表された『猫の恩返し』ではバロンがいる“猫の事務所”に、離ればなれになったルイーゼの絵が実は飾られています。細かいですね、ジブリ。ジブリ映画は過去の作品で登場したキャラクターが、劇中で登場することで有名だけど、そんな遊び心を忘れない、宮崎 駿の繊細さが垣間見れますね。
 そんな彼がいた地球屋、じつはモデルとなった喫茶店があるらしいんですよ。東京都多摩市にある『珈琲店 邪宗門』さんという店、ただ諸説あるらしく実際にはモデルではないとの声もあるらしい、あくまで情報まで。しかもこのお店2012年に閉店してしまったらしく、今は営業をしていないのだとか、それを私が知ったのが去年なので時既に遅し。連れていきたい人も、その人と共有したい時間もあったのだけれど、残念だな。
 『耳をすませば』に登場した地球屋の、あの雰囲気が単純に好きだ、あとジブリでは、『ハウルの動く城』に出てきた、ハウルの寝室の雰囲気も好きです。よく自分が暮らしている街の雑貨屋さんなんかにふらりと立ち寄ると、なぜか思い出したりします。
 まあ、ここまでにしておこう。今日はまあジブリの話でした、長かったですね、こんなくだらない男の話をここまで読んだくださったあなた、さては相当な変わり者ですね、私と同じく。それでは、ごあいさつまで。
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matumuranaoki · 7 years ago
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起源、期限。
 丁度真夜中を過ぎた頃、街の人々は、遠海から響いて来たとてつもなく大きな音によって眠りを妨げられた。何かと何かがぶつかった様でもあったし、何かが泣き叫んだ様な音でもあった。70年ほど前の戦争で、深海へ大量にばらまかれた爆弾がいまようやく爆発したのだ、いや、新しい戦争が始まった合図だ、いや、そんなところではなく、深海の深い深いそれまた深いところに住んでいる魚が、何千年かに一度のくしゃみをしただけだ、などと人々は口々に言い合い、真実を確かめようと暗いうちに家を出て、まだ職場や学校へ行く時間では無いからと、それぞれが各々の日々の生活の中で生産された、退屈や疲れや嫉妬や絶望や緊張や欲を原動力に、東の谷底で眠っていた太陽に縄をかけて、真相を確かめるため太陽を引き釣り上げた。
 太陽の下に人々が見たのは、海峡にがっちりと挟まり、動けなくなっている一頭の巨大な鯨であった。自分の体の中で一番大きな部分である頭部が、海峡よりほんの少し大きかったことを、彼は気づかなかったらしい。頭の先から尾ビレまでの長さがどれ位あるのかを、はかり知るのに何日もの時間と、労力がかる位の大きさである。昨夜の音は、鯨が海峡に激突した時のものだったのか、それともその瞬間に鯨が発した断末魔だったのだろうかと、人々の間で議論が起きた。
 少し動きながら苦しそうにしている鯨の身体のあちらこちらには、大人が4人がかりで手を回さなければ抱えきれない程の大きなフジツボがこびり付いている。カンボジア期の地層からしか見つかっていない古来の生物の化石も張り付いていたし、無数に打ち込まれた銛や槍や矢の類いの中には、人間の手によって造られたとは到底思えない、奇妙な素材や形のものが幾数もあった。剥き出しにされて波に洗われている円錐形の歯と歯の間には、鯨に噛み砕かれ飲み込まれたらしい、世界中のあらゆる国と、文明と、あらゆる時代の、珍しい捕鯨船の残骸が挟まっていて、その中にもまた、他の惑星まで泳いで行って戦った証拠でもあるかの様な、船とも洗車とも潜水艦とも飛行機とも呼べる、不思議な色や形をした鉄の塊で造られた破片が、無数に��ざっていた。
 これらのことから人々は、この鯨は人間が生まれる遥か前から、ひょっとすると宇宙が誕生する遥か前から、色々な都市や海域を旅してきたのかもしれない、そんなことを政治家や学者、テレビのコメンテーター、普段旦那の悪口がネタの主婦同士の立ち話やらで、それぞれがそれぞれに言い合い、その話題は尽きることが無かった。
 しかし、鯨が浜に打ち上げられ動けなくなった一週間後、鯨はついに最期の時を迎えようとしていた。一週間の間、何故か不思議と人々に安心感を与えていた呼吸音と、鯨の心臓から発生し、地面を伝って足底で確かに感じること可能な心音が乱れてきたのだ。神、仏が死ぬなどということがあるだろうか、やっぱりただの鯨だ、早いとこ鯨油をせしめてしまおうと、人々は手に銛をもって、鯨の身体に打ち込もうとしたが、国からかき集めた力自慢の男たちの腕力や、近代が産み出したどんな器械を使っても、鯨の身体には歯が立たなかった。
 鯨はひときわ大きな息を、潮吹き穴から吐いた。目は輝いていた、人々はその巨大な身体の一番弱いであろう眼球の球体内部に、鯨が見てきた宇宙の過去が映し出されているのを発見し、大きな銛を集めてその眼球だけをどうにか抉り取ったが、眼球は途端にひび割れ、粉々に砕け散り、あとには人の拳ほどの真っ黒い石が残っただけであった。もう片方の眼球には宇宙の起源が映っている筈だと、人々は反対の眼球へ向かおうとしたが、過去を映していた目を抉った穴から轟音とともに血が流れ出し、鯨は瞬く間にしぼみ、海峡の両岸をやっと離れ、海の底へと沈んでゆき、二度と浮かんではこなかった。
 あれほどの大きな鯨はそのあと、世界中のどこの海でも発見されなかった、人々は宇宙の起源を知りたくて今も捕鯨船に乗るが、捕まえることが容易い、ほどほどの大きさの鯨のその眼球を覗き込んでみても、ただただ人間の顔ばかりが映し出されるだけである。
 あの真っ黒い石は、いまも海峡に臨む街に祀られている。起源が無理なら過去だけでもと、人々はその石を覗いてみるのだが、一本のただただ平凡な銛が、切っ先をこちら側へと向けられているのが見えるだけである。
 あの鯨が生まれてから最期まで、眼球という球体で見てきたものは何だったのか、人々はあらゆる推測や憶測、妄想で真実かの様に語るのだが、真相は今でも分からないままである。未だに人々の関心は、もう一つ抉る筈だった片方の眼球に映っていた筈の宇宙の起源の正体が何だったのかを探ろうとすることだ、そして、鯨の身体から剥ぎ取った石に映る銛が向いている方向の意味を、解っているつもりでいる。彼らに、期限はまだ残されているだろうか。
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matumuranaoki · 7 years ago
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募金活動してきたんです。
 今日は駅前で募金活動に勤しんできたのだけど、私が住んでいる和歌山市のラジオ、WBS和歌山放送ラジオが主宰している、第32回ラジオ・チャリティー・ミュージックソンのお手伝いとして参加させて頂いた。寄付していただいたお金は、聴覚、視覚障害者の方がより便利に暮らせるように、音の出る信号機や、その他諸々の社会福祉に利用されるそうで、そのほんのささくれ程度でも、なんの力も役にもたたない私が協力させていただけたのなら、まあ良かったなと思っている次第です。
 印象的だったのは、タクシーから降りてすぐに、そのおつりを財布にしまわないで「私、募金するの好きやねん」と言って、千円札をガッポリと募金箱にねじ込んでいただいたお姉さんや、これは車椅子の男性なのだけれど「障害者のオレが、障害者の為に募金すんのも粋やから、協力したるわ」といって、わざわざ車椅子を止めてまで車椅子の真後ろにある鞄から財布を取り出し、募金していただいたお兄さん、本当にありがたかった。一緒に活動していた人も感じているだろうけど、普段の生活じゃ言えないくらいの目一杯の感謝をこめて「ありがとうございます!」を言えて、私も気持ちが良かったな。和歌山に住んでいながら和歌山は城と海とパンダが観れるだけだと思っていた私も、和歌山の方の粋に触れた気がして、和歌山も棄てたものではないなと感慨深くなりました。
 多分今日1日で、日頃生活している3週間分くらいの声量と言葉を身体から出したので、家に帰った後すぐに爆睡し、今に至ります。とにかく今日は参加できて良かった、先に書いた方以外にも、沢山の方に寄付を頂いて、小さいお子さんや、老人の方、妊婦の方まで、本当にありがたかったな、こんなこと滅多に言わないのだけれども、機会があれば是非来年も参加させていただきたい。無償の奉仕の価値を、あらためて感じた1日だったな。
 綺麗事ばかりが嫌いな私だけれど、綺麗事だけで終わる1日が、1年の365日の間に1日くらいあっても、決して卑屈じゃない、自分にできることを精一杯やることはやったのだから、今日はもうこれでいい、ここまで書いてきてまた眠くなってきたな、まだ今日酷使した声帯と足が回復してないらしい、まあ心地良い疲れだから良いのだけれども。
 
駄目だ……瞼が閉じたがってる、また寝よう、おやすみなさい。
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matumuranaoki · 7 years ago
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好きなキャラの話
 「誰が殺してくれないかな、自殺する勇気がないから、誰かが殺してくれるのを待ってる、そんな惨めな感情だ」
アニメ『ボールルームへようこそ』より                釘宮 方美 
 最近、生活が昼夜逆転続きで、精神面と肉体面がだいぶ殺られている私です。何が辛いって夜眠れないのが、辛い。ここまで数行書いてきて辛いと幸いって漢字が似てるくせに意味は真逆だな……とかなんとか考えながら、幸せとは縁遠い私です。まあいい、話を戻す。以前から不眠症で、医者から貰うジフェンヒドラミンやらミルタザピンを体内にぶち込む日々が3年弱続いているのだが、いくら薬に頼っても寝れないときは寝れないのです、はっきりと言おう、断じて寝れない。そんなこんなで、深夜におめめパッチリの私は深夜アニメをみることが多いのだが、上記に書いたセリフはそんな深夜アニメで放送されている『ボールルームへようこそ』の中での釘宮というキャラのセリフの一説。久しぶりに気になるキャラだな、愚直だがあの屈折している感じが良い。コミックの単行本が約2年ぶりに発売されるとあって、観初めたのだけれど、なかなか面白い。その他には『魔術師の嫁』やら、その他諸々まんべんなく観ているが、最初は一話だけ観るつもりが時間が経つに従い、次回も気になり観てしまうのが、アニメのもつ魔力か…魅力か…まあどちらにせよ、深夜はアニメ以外には通販番組が何回もループされ放送されたり、無駄に長く無駄に誇張しながら流れてくるクラシック音楽にのせた天気予報やらが流れてきたりと、なんの実にもならないものばかりなので、眠りにつきたいのにつけない時は、アニメが一番良いのです。
 あの深夜の通販番組、中には海外のものを日本語に吹き替えして放送しているものもあるのだけれど、あのテンションの高さ、凄いと思う、吹き替えしてる人の吹き替えしてる時の声と、実際に家に帰って発する声のテンションの高低差を、虫籠に入れて観察してやりたいと想うくらい、テンション高い声での吹き替え。
 アニメの話だって書いてんだから、アニメの声優の話するんじゃなのか?なんで深夜通販の声の吹き替えの話してるんだ?と思った皆さま、すまない…学が無いもんで、こっちでは好き勝手に書いていきます。今後も。
 ここまで長く書いてきたから、今日はもう短くまとめよう、眠れない時のアニメは良い、そして釘宮は良い、そんでもって深夜通販の吹き替えの声のテンションは、人にモノを買わすにはおかしいテンション、以上。
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