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leicostudio · 9 years ago
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leicostudio · 10 years ago
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leicostudio · 10 years ago
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leicostudio · 10 years ago
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leicostudio · 11 years ago
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You’ve likely never pondered what your web activity might sound like…yes, sound like, if it were converted into sound. Thankfully, Max community member Leico, from Japan, has constructed ray.sniff~, a Max patch to answer the looming mystery of broadband exploration we never thought of asking ourselves: what does the internet sound like?
Inspired by Alva Noto’s unitxt album, in which tracks are “generated from converting pure data of programs, jpgs or other digital files into sound material,” Leico’s ray.sniff~ converts the pure data of a network into signal data, which is encoded as audio. Essentially as infinite as your deepest Wikipedia session, all of the sonified data transmitted from an internet joyride is noisy, glitchy, and unsettling. ray.sniff~ seems to serve as a larger metaphor about our erratic and addictive online habits. 
Leico invites us “to [a] new relationship with the Web as [an] amazing sound source.” Be sure to open a new window.
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leicostudio · 11 years ago
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leicostudio · 11 years ago
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Christina Kubisch
Electrical Walks
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leicostudio · 11 years ago
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leicostudio · 11 years ago
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leicostudio · 11 years ago
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Luigi Russolo
Intonarumori
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leicostudio · 11 years ago
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Robert Raushenberg
White Painting
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leicostudio · 11 years ago
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Aesthetics of Failure要約
ディジタル革命は終わった/過ぎた。
Nicholas Negroponte
1998
メディウムは既にメッセージではなくなっている事を強調する。作曲家はコンピュータそれ自身に興味を持っていないし、理解力も少ない。むしろ様々なコンピュータ上のツールがメッセージになり始めている。
Webを媒介に様々な流行が生まれたのは驚くべきことではないだろう。教育を受けていない作曲家は様々なチュートリアルや文章を手に入れられる。作曲の基礎を理解できる。
だが、アカデミックな作曲家と独学の作曲家の交流は残念ながら、MaxやPdを例外としてなかった。独学の作曲家たちは今も新しいツールが様々なWebで発表されることを切望している。しかしながら、オーディオ・ソフトウェアハウスは未だ新時代の美学を完全に掴めていない。結果として、使えない、使いにくいソフトが生まれている。
この文章は教育者と商業音楽ソフト開発者両方にどのようなソフトウェアが新時代の作曲家に使われるかを示し、電子音楽の形態とコンテンツに影響を与える事を試みる。
失敗は革命へのガイドである。完全なものは改善、上達へのやる気を生み出さない。
Colson Whitehead
1999
様々な電子デバイスに囲まれた昨今、それらの放つ動作音、より明確に、デジタルデータのエラーから生まれるノイズによりポストディジタル時代の美学は生まれてきた。作曲家たちはそのエラー音を自らの音楽に取り入れてきた。
この辺はエレキギターのディストーションを彷彿とさせる。
大概のオーディオツールはノイズを消去する方向に注力する。しかし作曲家はノイズの作用に興味を持つ。実際に失敗は多くのアート作品とともに突出した美学になっている。同時に、テクノロジーを制御しているのは幻想であり、ディジタルツールは作る人達にとって正確無比かつ高効率であることを思い出させる。新しい技能(テクニック)は大体、意図した方法や実験の失敗(Failure)やアクシデントから生まれる。
私はひときわ異彩を放った作品を見てみたい。失敗は観客にとって、成功よりずっと面白い方向に向かう。
David Zicarelli
1999
様々なディジタルノイズが存在するが、例えばOvalはCDにラクガキをし、CDプレーヤーのスキップによる音を用いて、作品を1990年代初めに作り出した。
ovalprocess
これらはCDの背後に埋まっていた文脈を表出させた。
CDという媒体が再生される事、CDを再生させる装置の特徴など、「曲を聴く、流す」行為に覆い隠されていた部分が表出したと捉えた。
Ovalの手法は決して新しいものではない、モホリ=ナジ・ラースローとオスカー・フィッシンガーのOptical Soundtrackやジョン・ケージ、クリスチャン・マークレーのレコード演奏が過去存在している。今新しいのは、光の速度で情報交換ができ、短い時間で音楽のジャンルが量産される事だ。
Back to the Future
20世紀初頭、様々な芸術家は麻薬をデバイスとして用いて知覚の境界を押し広げていた。
20世紀初頭の芸術家は世界への感覚を工業的手法によって変化し、何を背景とするのかを考えるのか変更を強いられるようになった。
私は私が大抵関心を寄せている事やモノについて言及しよう。それらはいつも最初から範囲を拡大するように見え、大抵、バックグラウンドから立ち現れてくる。この境界線は、個の関心からの故意の行動、つまり領域からある領域へと移動した時、視覚的に、すぐ領域にある種の範囲や限界を認識する。それを捉えようとした時、私はいつも境界線を逃しがちだ。境界線はいつも視覚分野の極限に引き下ろされる。境界線は確実に、本質的に謎の存在として保たれる。
Don Idhe
1976
残骸、副産物(副作用)、背景(境界線)といった概念は、ポストディジタルの動向の始まりを調査する上で重要な概念である。視覚分野のアーティストが最初に移行し(肖像画から風景を描くようになった)、知覚の境界を広げ、背景の捉えがたい特徴を掴めるようになった。
背景は私たちが手前のものに注目している間に、無意識にフィルタリングしているデータによって構成される。それらデータは私たちの知覚の死角に隠れており、中には世界が調査される事を待ち望んでいるものも含まれている。今日のディジタルテクノロジーはアーティストに新しい領域をその内容、データを捕捉し、調査する事で通常の機能やソフトの使用の範囲を逸脱する事を可能にしている。
にも関わらず、ポストディジタル音楽の系譜は複雑だ。ここに2人の重要な先駆者を挙げる。彼らがポストディジタル音楽の枠組みの理解を助けてくれるだろう。20世紀初めの未来派運動と、ジョン・ケージの4分33秒である。
http://leicostudio.tumblr.com/post/87708524007/luigi-russolo-intonarumori
イタリア未来派のルイジ・ルッソロは未来派のマニフェスト、The Art of Noiseに影響を受けた。彼はその後のイントナルモーリというインダストリアルな音を模した楽器を発明し、イントナルモーリを用いた実験はその後の世代に多大な影響を与え、結果ルイジ・ルッソロはポストディジタル音楽のおじいさんの地位にいる。未来派はインダストリアルな生活を一つの美の源流と捉え、車のエンジンや機械、工場の音などが未来派の音の実験に使われた。
ノイズの種類は無限に存在する。もし今日、1000台の新しい機械を手に入れたとしても、私たちは1000のノイズを見分ける事ができるだろうし、翌日、翌々日と、さらに機械を増やしても1000、2000、3000のノイズを見分けられる。単なる模倣ではなく、私たちの想像力と関係させることによって。
Luigi Russolo
1913
おそらくこれが最初に、サウンドアーティストがバックグラウンドに注目した時である。しかしイントナルモーリは未来派の時代には音楽への活路を見出だせなかった。彼らはストラヴィンスキーやラヴェルらと協力し、彼らの楽曲に登場させた。
http://leicostudio.tumblr.com/post/87707010522/robert-raushenberg-white-painting
それから数十年後、ジョン・ケージは全ての作曲家に全ての音を扱う権利を与えた。1952年に初演された4分33秒、デイヴィッド・チューダーがピアノの蓋の開閉によって楽章を表し、その間聴衆を周りの雑音に注目させた。これはケージがロバート・ラウシェンバーグのWhite Paintingに感化されて作られた。結果、現代音楽の押し込められた境界を押し広げた。ラウシェンバーグのWhite Paintingは偶然を結合し、意図しない、最小の大ざっぱなストロークで描かれ、
光と影の使い方を変化させ、チリやホコリを浮かび上がらせる
Kahn
1999
同様に重要な事に、沈黙は存在しないという彼の認識がある。人が存在する限り、ノイズは発生する。無響室でのケージの体験は、沈黙が存在するという確信を打ち砕き、以降ケージはその経験から、音だけでなく、その背景までもに関心を持って作品を製作した。
>Snap,Crackle,Glitch
以降の20世紀の作品を飛ばし、ケージや未来派のアイデアを広げた作品に焦点を当てて言及する。特に今回はGlitchを取り上げる。Glitchはエレクトロニカから派生した。エレクトロニカは過去5年の間に流行しこれらのリリースは主にダンス・ミュージックの周辺によって行われた。結果、学術的な議論に登ることはなかった。にも関わらず、妙なことにGlitchの作曲家たちは20世紀の巨匠の音楽に影響されたと言及している。
>A Brief History of Glitch
1990年代初めにテクノ音楽は予測できるパターンの曲に落ち着きつつあった。ここまでの発達は周辺のDJやプロデューサがしきりにテクノ音楽の境界を新たな方向へ押し広げてきたからである。DJたちはよりエキサイティングな空間を作り上げるため、中古の、よく分からないレコードを買って、自身のセットに織り交ぜていた。他者を凌ぐため、DJは中古レコード屋で電子音楽の歴史を掘り出していたのだ。結果、いきなりカールハインツ・シュトックハウゼンやモートン・サボトニックやジョン・ケージのレコードを掘り当て、現代音楽に精通する者が出てきた。それがGlitchの音楽に影響しているのはいうまでもない。
デュオのグループ、Pan Sonicが最初にエレクトロニカとして実験をおk行った。彼らは手作りのオシレータと安いエフェクターやシンセサイザーを用いて高いクオリティのミニマル・ハードエッジな音を作り出した。彼らの音は硬質且つインダストリアルな地平を切り開いた。
http://leicostudio.tumblr.com/post/87729683812/panasonic-vakio
OvalはCDの読み飛ばしを利用して新たなGlitchを作り出した。Mouse on MarsはよりダンサブルなトラックにGlitchを導入した。
1990年代後半になると、Glitchは様々なジャンルに適応された。様々な実験はディジタルな手法で行われた。ボーカルを早回し、スロー再生したり、ドラムを8ビット以下の解像度に落とすのは基本的な手法として知られている。
1990年以降では、日本のRyoji Ikedaが硬質なビープ音の音場で取り上げられる。当時のRyoji Ikedaの音はPan Sonicに比べ穏やかだった。アルバム+/-では連続的な、短い高��波が耳をつんざいた。大抵のリスナーは耳鳴りを覚えてその場を離れた。
Carsten Nicolaiは精緻な音とPan Sonic的攻撃的音の橋渡しをするアーティストである。その他多くのアーティストがGlitchの領域を広げている。
>Power Tools
コンピュータは電子音楽を作るメイン環境になり、ネットを用いて音楽が配信されるのが当たり前になった。作品と配布が密接にリンクし、途方も無い速度で作品、アイデア、道具が共有されるようになった。道具は楽器のようになり���製作者の意図しないような楽曲が生まれ、作曲家はサンプル単位で曲を編集でき、グラニュラー合成のような新たな手法も登場した。有能なツールはGlitchの2つ目の扉を開けた。誰もが、特別な訓練なくDSPを行えるようになった。時々、理論的な手法でツールを使わない方が面白い結果を生み出す。
よりつまらない結果を出すために、より多くの技術が投じられているように見える。
Bob Ostertag
1998
「私は紙を見ている」とケージが言った。不意に私は音楽を、全ての音楽を見た。全てはそこにあった。彼は小さな欠陥と不完全さを新聞に見、そこから彼の音楽のがどのように派生するかを想像する事ができたのだ。それは、象徴的な価値、それは紙から取り上げられる事を求められていない、最も重大なものの一つを持っていた。そこには視覚的沈黙は存在しなかった。
David Revill
1999
ツールは作曲家がディジタルファイルを脱構築する事を手伝っている。花の絵が表示されるPhotoShopファイルの音の可能性を調査したり、ワードの文章の音を探索したり、ノイズ除去ソフトを用いて分析や調査をしたりなど、ソフトウェア開発者が意図しなかった使い方をしている。様々なアルゴリズムがデータの表と裏を繋ぐインターフェイスとして機能し、様々な関数は楽々と他のモノに変換する。この方法では、全てのデータが音の実験の素材となる。
Glitchミュージシャンたちは技術的な知識を、数えきれない程の時間をソフトウェアマニュアルとにらめっこしたり、フォーラムから情報を得たりして過ごす。彼らはインターネットを作品配布と学習と様々に活用している。作曲家は作品をネットで公開するために、ファイル種類やサンプリング周波数、ビット深度などを知る必要がある。アーティストは完全に文化的循環の回路のただ中におり、ツールや情報をダウンロードし、それらで作品を作り、アップロードする。他のアーティストがそれらの考えを調査し、自身の作品に埋め込む。
前に比べ、ディジタル時代の作曲家は知らねばならないものが多くなった。様々なソフトは多くの知識がネット上に転がっており、昔の大学での授業のみの状態よりも作りやすくなっているように思う。
結果として、媒体はメッセージではなくなり、ツールの方がメッセージになっている。些細なDSPのエラーとその産物が公開されると、それらによって音楽とノイズの境界がぼんやりと浮かび上がる。この境界は私たちに、今思い浮かんでいる失敗の予想や過去の実験的作品の調査を強いるのだ。
>Discussion
エレクトロニカアーティスト達は大抵個々のトラックを自由に重ねたり混ぜあわせられる1個のサンプルとして見ている。新しい音楽を作る時、既に存在している素材を組み合わせるのが一般的な方法だが、Glitchはより脱構築的で、減算の手法を取り入れている。多くのGlitchの素材は、反響のない、微細な音を使い、大抵1分から3分の楽曲に仕上がる。
一方で、この取り組み方はエレクトロニカファンのリスニング方法に作用している。私は衣類店で有名なサンプルCDがそのままかかっていた事がある。エレクトロニカ全体が小さなパーツやサンプルによって構成されるようになった。ここにはっきりと、新たなコンピュータ音楽はより断片化してゆく事が示されている。レイヤー的に重なる方法はリスナーが慣れるまでは有効である。
もしGlitch音楽が先のような実験を続けるのであれば、新たなツールが学術的に作られなければならない。そのツールは、幾つかのレイヤー機能を持ち、初心者はレイヤーを下り終わる頃には精通するようなシステムでなければならない。現在のエレクトロニカを理解させるために、学術機関の調査者は流行と相並んでいなければならない。確かに、多くの学生は音楽に精通し、聴いて提案する事ができる。この文章には参照するべきCDのリストが含まれているし、それでも足りない情報はエレクトロニカ関係のメーリスを参照すればよいだろう。この方法により、誤差が修正され、新たなアイデアがオープンな形で商業的、学術的な領域に浮かぶだろう。
私たちはそれ故に若いミュージシャンの才能を養うために、全てのノイズに注目するよう招待するのだ。そのためには様々な構成されたリズム、主、或いは副となる調子によって作られているものを理解しなければならない。様々なトーンのノイズを比べるために、新しい者が過去の者を超える時、彼らはノイズの奥深さに納得するだろう。これは理解をさせるだけではなく、彼らの好みや情熱をノイズへと向けさせるだろう。
Luigi Russolo
1913
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