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短歌
二足歩行、スーツ着れるしメモ取れる 人じゃなくても真似ならできる
美しい人しか見えぬ美しさ さわってみろよ愚か者たち
六月がどれほど雨を降らせてもわたしたちだけの虹を掲げて
血まみれになりたいわけなど ただ女を愛してたい私は怪獣
刺されども美しい赤 彩られる 馬鹿ども只々焦って笑え
出会う人すべてに別れを告げるため死ねなくなった三時の溜め息
桃色の死にたさに愛されている 追伸、こちらは奇麗な地獄
聞き飽きたけど「可愛いって聞き飽きた」と言うのは飽きがこなくてすごい
飽きてるし何なら知ってる でもちゃんと「可愛い」と言え一生近くで
無垢な花ではないですが冬に咲くその強さを愛していただきたい
バイト代dlsiteにつぎ込んで エロく生きたい、と消えたい狭間
弱くなりきれない狡いことできない 明日も生きちゃうって言い切っちゃう
どれくらい消えれば苦しくなくなるか、の人体実験 成功はいつ
かなしみで穴が空くなら散り散りの燃えカスからアイラブユーどうぞ
さよなら屋さんです別離を配ってますお代はあなたの不幸でいいです
明日目が覚めたら覚めてなくていい あの日の小舟に乗って行くのだ
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短歌
人として生きてもう二度と生きてないふりで生きるのを誤魔化さないで
「ねえお水持ってきて」浴室で叫ぶ裸の獣 貴女は忠犬
返答に困って黙るくらいなら殺してあげたい血色の夕焼け
客席の喧騒に陽が落ちる ああもうみんな黒い花になってよ
濡れないでまだ乾いてさえいないのに 毛布の中で愛を煽った
嘘ついて飲み干した針千本を吐き戻してもう一度死んでね
「どこへでも行ける」うそぶく鳥たちはどこへも飛べないままにさえずる
消えたさをページに挟んで栞とする わたしの夜を本は読んでる
どこへでも行けないのならどこにでも無限に逃げれる朝さえ捨てて
欺けぬ孤独を認めてつもらせる 日陰はいつもわたしにやさしい
忘れてよって言ったの覚えてくれてたの嬉しかったよ 早く忘れて
絶望や呪縛とやらを火にくべて暖めたいのだわたしとあなたを
ゆびさきを夢中でかじる闇の夜に白い三日月吐き捨てていく
ゆううつのスモークピンク魅せられて正午にまどろむきみの兎よ
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むずむずして突き動かされるみたいにこうしちゃいられないと飛び出して行きつけのファーストフード店のテーブル席に腰を下ろしても上手な書き出しなんて全然出てこなくて、自分の何者でも無さを思い知らされる。
いつからこんなに書けなくなったんだろう、というか、いつからこんなに自分が分からなくなったんだろう。
全然時間が無い。というより、忙しさに比例して時間の使い方の下手さが露呈したというほうが適切か。
昨日、派遣会社に登録と面談に行った。
毎日電卓を叩く日々に限界を感じ、年末からずっと求人��イトを見てたのだけど、どうも不安しか浮かび上がってこず、あれこれ理由をつけて応募を見送っていた。
でも現実としてこれからかかるであろう出費額は私が生きてきた人生の中で初めて見る数字で、今の収入では二人の貯金を全てすっからかんにしても足りないかもしれない。
その事実に戦々恐々とするだけの毎日に辟易し、また飽きてもいた。どう足掻いても無いものは無いのだから動くしかない。
今年かかる出費を見て(色々と時期尚早だったかな)なんて思いたくないし思えない。私たちには全てが今、必要だった。後悔なんてひとつもない。
まだまだ若い私たちだ、どこまで使うか分からない見通しのない金を貯め込むだけで喜びを感じられるわけがない。私だってきっとパートナーだって、自分が自由に使えるお金をある程度は置いておきたい。
そういうことを考え始めた頃から、ずっと専業主婦でいることは経済的には勿論、精神的にも苦しいなと思っていた。
美容院や化粧品、スキンケアや洋服にかかるお金をかつかつの家計から申し訳なく思いながら捻出して、パートナーのプレゼントなんかも毎月の家計から小銭を集めるみたいにやりくりするというのは、どうも私には向かなかった。
それ以上に生活費だってもう少し無いと困るというのが一番だけど。
思い立ったら吉日というにはあまりに悩んでる時間が長くて腰が重かったけれど、
それでもなんとか自分自身に尻を叩かれ勢いのままタウンワークでキープしていた求人に応募し、
その足で3万もするスーツを購入しに行き、
おどおどしつつどうにかぎこちない笑顔を貼り付けて真面目で善良そうに振る舞った。
同性愛者であることを隠し、
「恋人と近く結婚する予定があるから扶養内で」と週5勤務できない理由である精神障害を隠し、
性格テストでは受けの良さそうな解答欄にチェックを入れ、
そのほかにも私自身の細かい嘘を担当者相手に沢山ついた。
嘘をつかなきゃ肯定してもらえない、雇ってもらえないことを知っていたから。
そしたらその場で受かってしまった。本当に勘弁してくれと思う。
偽れば偽るほど皆私を褒めてくれるし認めてくれる。そのことを嬉しいとも悲しいとももう思わない。
でも私だけじゃないでしょ、こんなの、ねえ、と思いながら外に出ると、それでも街ゆく人たちは皆、私よりは随分上手に歩いていた。少なくとも私にはそう見えた。
���ーツに着られて如何にもまともそうに見せかけている私のほうが余程浮いているように見えて、じんわり惨めさが滲んだ。
まともに働くのはちょうど2年ぶりだ。
初めて経験する職種だけど、不安というよりもうどうにでもなればいいやという投げやりな思いが半分以上を占めている。
皆金のためだけでしょ。
迎合されにいって、"良さそうな自分"を纏ってるでしょ。
楽しそうに笑うのなんて全部嘘でしょ、本当は弾かれたくなくて必死なだけなんでしょ。
私だけじゃないでしょう、ねえ。
ずっと家にいるとそれはそれで必死で、なんにも向いてない。
トイレ行くのすら我慢して用事や家事を慌てて終わらせようとしてる自分を客観視するとあんまり惨めで、こんなことのために生まれたんじゃないと心底腹立たしくなる。
でもトイレだけじゃなくて勝手に色んなこと我慢してるの私だしって、何処にも吐き出せない苛立ちが爆発した時にパートナーにぶつけてしまうこともあって、本当に申し訳ない。
たまたま目にした育児サイトか何かで見たな。人間、排泄まで我慢しちゃ駄目だって。トイレ我慢してる時の人間って心身ともにストレスがすごいかかってるんだって。
『だからお母さんもトイレだけは我慢せずに、赤ちゃんを泣かせたままでもいいのですぐに行ってください』というような一文で締められてたけど、
私お母さんじゃないのに何でトイレ我慢してまで用事を優先させてるんだろう。
トイレくらいさっと行けばいいし誰もそんなの咎めないのに、集中力が切れて自分が動けなくなってなにも出来なくなるのが怖すぎる。
そもそも他人と暮らすことが向いてないんだと思う。でも一人でのびのび暮らすのがハチャメチャに向いてるかというと、全然そうでもない。
人間やるの下手くそな自分をボコボコに殴りたい。とにかく上手に生きられないのだ。
上っ面だけ真人間のふりはできても実際の能力としてはまったく釣り合ってないから、最終的に他人を傷つけて呆れさせて憎まれてしまう。
「無能でごめんね、できそこないでごめんね」と、「は? 知らんし……勝手に期待して勝手に失望すんのダサすぎ」を毎日反復横跳びしてる。
なあもっと厚かましく生きられるはずだろ。
私はそんなに謙虚な人間じゃないって私だけが知ってる、分かってあげられる。
ねえ、でもさあ、なんかさあ。
言語化できない感情が増えて、そんな言葉ばっかり心のなかで繰り返してる。
上手く伝えられない、伝わらない。
その奥にある凝縮された感情のエッセンスはいつだってSOSだろうな。
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なにも願わずに何処か達観したように歩こうと成人以降どこか冷めたふうに生きようとしてきたけれど、振り返れば、それでも捨てられない熱と祈りに揺り動かされた足跡がぽつぽつと見える。
空腹を覚えてふらりと入ったカフェでは、私とたいして歳の差もないだろう女の子が両親と談笑している。
仕事の話だろうか、事務、とか、座り仕事、とか、そういうワードが入ってくる。
母親と思しき中年の女性は朗らかに微笑んで娘の話を聞いているし、父親と思しき初老の男性はジャケットなんか着込んだまま、腕組みして女性の話を聞いているが、声音は何処か弾んでいる。
その席から笑い声が起こる度、私は、嗚呼、と思うのだった。
今年は痛みを知る一年だった。
ただの痛みじゃない、本気で何かを守ろうと心身を盾にした時しか出会えない痛みで、一人の時には知り得るはずもない苦痛。
思い通りにならないことばかりで傷付いて傷付けられて、自分の汚いところや目を覆いたくなるほど醜くて幼稚だと思わされる身勝手さ、
反対に驚くほど清くて柔らかな心、純粋な喜びを感じる無垢さや無邪気な爛漫さを、苦さを感じるほど味わって思い知った。
今年生まれたと言ってもまったく過言ではないほどに、フレッシュな喜怒哀楽を思い知った。
明日も生まれたい。
毎日生まれ変わりたい。
そのためなら何度死んでも構わない。
私は少女ではない、10代に焦がれている時点で既に。
けれどもう誰にも殺すことはできない少女性を抱え生きている。
成人式の日。
生活が苦しく当然出席しなかった私は毎日味わうあまりの辛酸に耐えられなくなり、薬を過量に飲んで挫いた足をすぐに知らない男に開き、帰りに光熱費の支払いをすませ、夜になって腫れ始めて冷えた足首をさすり眠った。
あの冷たい夜から私はずっと閉じ込めた虚しさをぶら下げて、もう今はないはずの寂しさに水��やりながら生きている。
枯れないでと願う、ひたすらに。
それが二十歳のあの夜の私に最後にしてやれる餞だと信じている。
どうせ捨てられないのだから、いくらでも抱える。
貴女が祈った命と縋った人生を生きてるよって絶叫する。
この肉の器を文章と単語でうざったいくらい彩って両手を振る。
ほかの誰でもない、数多の”あの日の私”に届くように。
私はそれこそを祈りと呼んでいる。
途絶えながら間違えて、間違えては横道に逸れて、横道に逸れて戻ろうとすれば転んで、そうしてまた途絶えて、
けれど生きることを諦められずに、生まれてしまっただけの私の足跡は、これからも細く小さく微かでもこの先に続くだろうか。
性懲りもなく今はただ祈る。
この呼吸と鼓動で遊び続けられますようにと、削ったひとひらの心を投入してコンティニューボタンを押す。
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美容院からの帰りはいつもほんのり疲れてる。
気疲れするというのも勿論そうだけど、ほぼ毎回カラーとトリートメント、2、3ヶ月に一度くらいのペースでブリーチもやるのでどうしても時間が長くなるからだ。
その拘束時間のなか私はよく笑い、よく喋りよく聞き、表情をころころ変えるようにしている。
担当のスタイリストのお姉さんとはもう随分長い付き合いになるが、私については未だに話していることのほうが少なく、彼女もあまり込み入ったことは聞いてこない。だからといって息が詰まるほど無言の時間が続くわけではないし、四方山話程度ならコミュニケーションも取りやすい。
それがなんとなく気楽で、彼女が勤め先のサロンを変えてからは毎回指名している。
あとちょっと���衆な話になるけど彼女は既��者で子持ちなので、会話に行き詰まっても子どもの近況をそれとなく聞き出せばそれなりに盛り上がる。
そういう打算も少なからずあるけれど、彼女の施術の腕や丁寧な接客もやっぱり確かに気に入っているのだった。
時事ネタや季節のイベントの話、こういう場所なのでスタイリングやセットの情報は勿論、ぼんやりと描いた将来像や子どもの頃の話、最近の自分のドジやミスをした話もそれなりにして、体調が悪い時の話や家族や自分自身の心情のヒリついた話も敢えてほんの少しだけ匂わせている。
変に口を固くして秘密主義を装ってミステリアスな雰囲気を出すよりも、ある程度はリラックスしているふうのスタイルで自己開示したほうが下世話な詮索や噂話が減るのだと、ここ一年くらいでようやく気付いた。
自己開示の内容なんて嘘でもなんでもいい、どうせ向こうは確かめようもないんだし。
多分私は担当のお姉さんに限らず、どうでも良い人間に対する対応が”そう”なのである。
私の鉄のような完璧さはいつだって歪だったし、注目されない古びたオブジェのようだった。
魅力なんてものは失われたから他人を惹き付けないし、誰も私の薄汚れた輪郭や歪みには触れようとしない。それでいいと心底から思う。
手垢のついたぬるい感傷なんてこりごりだったし、欲しくもなかった。
歳下のスタイリストの女の子が今日、私の席にアシスタントとして入ってくれた。
彼女は実年齢より歳下に見えるくらいには初々しく、鈴を転がしたような甘い声で喋り柔らかく笑う、とても可憐で素敵な女の子だった。
シャンプーをしてくれた指先はスポンジみたいにふわふわでとっても気持ちよかったし、夢心地だった。
その時点で私はもう帰りたかった。嫌な予感がしていたのだ。なんとなく、彼女は私が持っていないもの、欲しても手に入らないであろうものを、すべて持っている気がした。
その予感は的中して、担当のお姉さんは彼女がアシスタントとして入った瞬間、彼女を褒めそやし始めた。
「可愛い」を連呼し、「めちゃくちゃ好き」と、今までにない熱量で彼女への強烈な愛情を多弁に捲し立てた。
曰く、「ずーっとめちゃくちゃ片想いしてる(笑)」らしい。
何かの拍子に『鬼滅の刃』の話になった時、彼女は「少し読んだんですけど、キャラが沢山出てきて……名前が覚えきれなくて、途中でやめちゃって」と、恥ずかしそうに少し俯きながらはにかんだ。
恐らく私が一番しない仕草である。
私といえば猪突猛進という言葉がしっくりきすぎる���ど前だけを見て、時々は他人の心を置き去りにするほど爆走して進み、ある時は後退する。
常に鏡を置いているわけではないので分からんが、あらゆるシーンにおいて、私がはにかみながら頬を染めて俯くなんてことは滅多にないはずだ。
担当のお姉さんは私の耳にタコを作ろうとしているとしか思えないほど可愛い可愛いと繰り返しながら、彼女が退席してからも彼女の天然なエピソードや、スタッフや客を含め彼女にファンがどれほどいるかを語ってくれたが、私は既に惨めさがカンストしていて、やたらと上手い愛想笑いを浮かべていくつかの言葉を返しながら、鏡の中に映る施術途中の、お世辞にも美しくも可愛くもない顔立ちの、平凡かそれ以下の自分をじっと見つめていた。
僻んでいるわけではない、私も彼女を心から可愛いと思う。
彼女にはきっとコーラルピンクがとても似合う。あたたかく優しい春の木漏れ日のような女の子だから。
私が羨ましく思ったのは、一見すれば彼女の幼さとも呼べる無邪気さと、それを無条件に他人に全肯定してもらえる天性の才能で、疎ましく感じたのはそれを浅はかにも羨ましく思う邪な自分自身だった。
私は自分の無邪気さを殺して生きてきた。
最初からそんなものはなかったんじゃないかと思うほど丁寧に、世間一般では『甘え』や『かわいげ』や『抜け感』と呼ばれる少女性を何度となくズタズタにされ、自分自身でも否定し続けた。
今更になってここまでピンク色が好きだと言い張るのはそんな自分への抵抗でもあり、復讐でもあるのかもしれない。
ピンク色なんて女の子らしい女の子が好む色で、か弱さの象徴の色だから、私は強いんだからピンクが好きだなんて言ってはいけない思ってはいけないと、前時代的な思想を持っていた時期が確かにあった。
今も無自覚にアップデートしきれずにいる部分があるのだろう、私は一瞬でも、彼女が一番ピンクが似合う女の子かもしれないと思ってしまって、そのことが一番悔しくて、胸のなかが真っ黒に染められてしまいそうだった。
私も彼女が持っている愛らしさと、彼女が無条件に与えられている許容が欲しかった。
それらはおそらく私が一生手にすることのないものたちで、いくら希求して人生をかけたとしても私が手に入れるのは無理だということを理解している自分のへそ曲がりで奇妙な賢さも、本当はすべてを投げ捨てたかった。
本当に無邪気であれたならこんなことすら考えないはずだから。
その後は店長が席に来て「可愛いですねー」と明るく声をかけてくれたが、萎れきった私の胸はまったく弾まなかった。
店長の言葉は髪色に対してのみの評価であり、私は自分の髪の毛と時間を提供しただけで、可愛いと言われる色に上手く染めてくれたのだって担当のお姉さんだ。
かけられるすべての言葉は嘘とお道化で私の形をして座っている虚像に対しての言葉ではない。
虚勢と強がりをまとったまま私は元気よく明るく笑い、より一層に帰りたくなっていた。
ようやく美容院を出た時には、いつも以上に疲弊していた。
重い足取りで歩きながら間に合わなかった電車を一本見送り、数分後に乗り込んだ電車の座席に腰かけた透明な私は何度でも少女を繰り返す。
なにくそと何度でもピンク色をまとって塗りたくる。それが他者から何色に見えても構わない。
私は私の虚像を破壊し続ける代わりに、私が私であることを希求する。
私が戦うべきは私自身であると同時に、私を映す鏡だ。その精巧で美しく積み重なった自己嫌悪をぶっ壊してあげたい。
そうしていつかもう一度生まれる私の少女性が再び産声をあげるためなら、自分自身さえ骨の欠片や肉片すら残らないほどズタズタに引き裂いて殺してやる。
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ずるくても特別でもいい 耐え難いいのちをふたつぶら下げて往く
わたしたちバーサス世界なんて嫌すべてをこの目で愛してみたい
芽を花を摘み取られてく選ばれず生かしも殺しもされないふたり
愛だけで終わらん汚い世界すら貴女としかもう見たくはないよ
わかりあえないことをわかりあったままいつかあなたと喧嘩がしたい
見せてほしいいつかでいいからほんものの沈めたこころを撫でさせてほしい
「救われぬことで誰かを救えてる」正体なんて暴かせはしない
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大森靖子の曲は一曲も余すことなく私の曲。
私のことを書いている、厚かましいことにそう思ってしまう。そう思わせることばとフレーズと想いの強さがある。
きっとすべての女の子がそう思ってるんじゃないかな。
心が女の子なら。
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なんらかの大きな事象がひとつ終わっても感情の終着点に辿り着いてしまったとしても人生は続くということを義務教育修了より先に学んでしまったことを、今となっては幸いと思うべきだろう。
あのころはそんな出来事に出会うたびに何度も死んでしまいたい、すべて消してしまいたい、そして自分自身も消えたいと願っていた。
眠剤を飲んで眠りこけているあいだに当時の交際相手に身体をまさぐられていた14歳の私も、
自殺を仄めかしたら家に警察が来て、その時まさに包丁を腹に突きつけていた中学校卒業を目前に控えた私も、
母親のことが好きだと言うおじさんに恋をして、たった一度だけ身体を触られたことを愛情だと勘違いして破滅への道を驀進した18歳の私も、
安定剤を過量服薬して救急車で運ばれて活性炭を飲んでそれを吐き戻し、その後一ヶ月に渡って点滴を打ちに病院に通った19歳の私も、
その度にもう終わりだと逐一丁寧に思い、都度真面目にきちんと死のうとした。
同時にいつも「どうしてあの時に終わっておかなかったんだろう」と過去を振り返っていた。
「そうしたらこんな酷い感情に出会うことなんて二度となかったはずのに」と泣いた。
少女時代の私に言ってやりたい、残念ながら生きている限り出会う酷い感情は死ぬまで続くぞと。
それを終わらせることのできなかった自分への罰だと思うか、心を遊び道具として遊んでるだけだと捉えるかはおまえ次第だが、
アラサーにもさしかかろうとしているおまえは後者だとしか解釈していない。
馬鹿がつくほど真面目で繊細で潔癖なおまえには想像できないだろうけど、大人になった私はもうそれくらい汚れてしまった。
でもその傷や泥をたまに見ては汚れないことより美しいなあと思える程度には陶酔できる材料になってるから大丈夫だよ。無駄にはなってない。
努力は光ある未来への絶対��約束じゃない。
その証拠におまえのお母さんは恐らく死ぬまでおまえを見ることはないし、
養父は高慢ちきな性格のまま落ちぶれても感性だけは高飛車で未だに娘や他人を上から目線でジャッジしてるし、
姉は二人の姪を置いて家庭も捨てて他所の男に逃げて現在は音信不通。
家族は見事に離散した。
互いに互いを牽制し、妬み嫉み羨み、心のどこかで馬鹿にして蔑んでる。信じられんだろうし、そもそも信じたくないだろうけど。
友達と呼べる存在は片手で数えた時に指が余るほど減る。
あのころおまえに永遠を誓った親友や仲間と言っていい存在は全員消えるか雲隠れした。
皆、おまえの心や本音と呼べるものから逃げたし等しくおまえも逃げました。これも信じたくないだろうけど本当。
おまえはライターになりたいなどと言っていましたが、なれていません。
小学校の時の夢だった小説家にも、母親の病気を治す精神科医にもなれませんでした。そもそも大学も出てないしね。
おまえはマジで何者にもなれませんでした。
憧れは死んだし、心はこれからも長い年月をかけて丁寧に殺され続けるし、頑張った日々やいつか希望に変わる日を夢見て耐え忍んだ空虚な日々は未だ満たされないままで、おまえが夢見ているものはなにひとつ叶いませんでした。
とても悲しいね。
でも終わったって終わりきれない人生を続けなね、あと10年くらいは命に齧り付いて待ってなね。
本当に自分を慈しむとはどういうことなのか、誰がそれを手伝ってくれているのか、最後に残ったものはなんなのかがようやく見えてくるから。
そこに至るまでには余りに多くを失うけど、ちゃんと生きててね。
やっと絶望も傷も悲嘆も遊び道具にできるほど心を砕ける相手と自分自身に出会えるからね。
大好きな自分や誰かと、その砕いた破片でなにを作ろうかなって悩みながらずっと遊ぼうね。
心は死んでゆくし、やさしく見える人ほどすぐにいなくなる。
希望に満ち満ちた明るい感情は全部すぐに消えちゃうと泣いているかもしれないけど、それはさみしさも苦しみも同じだよ。
他人にとってどうかなんて知らないし関係無いけど、おまえにとって忘れるという行為だけは平等だよ。
おまえはちゃんと忘れられるよ。目が潰れるような攻撃的な光に包まれた一時の眩しい生活も、なにも見えないような暗闇の日々も。
だから最期に残るのはきっと幸も不幸もなんにもないけど、それは大きい幸せも大きい不幸も感じないってことだから、それだけは才能だって誇っていい。
ちゃんと進んでいける。前にだって後ろにだってずっと進んでいける。足止めする記憶やあたたかさや冷たさなんておまえは綺麗さっぱり忘れちゃってて、もう何処にも無いんだから。
あとおまえ自分が思ってるよりめちゃくちゃ飽き性なので、あんまりコレクションしすぎないよう��してください。
ハマって一ヶ月も満たんコンテンツのものとかマジで気をつけてね。
特に飾りもせんキーホルダーとかチャームとかフィギュア集めまくるのやめてください、さみしいのは分かるけど。
抱えきれんグッズを押し入れに無理やり押し込みながらどんどん虚しくなってるでしょ、それ自傷だからほんとやめてね。
おまえが心を潰して守ろうとしたものにたいして価値は無いよ。
だからそんなもののためにすり減らなくていいよ。
この世のなかでほんとに価値のある大切にしなきゃいけないものは、第一にはいつも自分の心だよ。
そう思わなきゃいつまでも人は自分を粗末にして傷付ける。そしてそれは自分だけじゃなくもっともっと大きなものを傷付けるし、後遺症だって思ってるよりずっと長く残る。
何が変わっても終わったとしても、自分とその心身だけは地続きなんだよ。
安心して好きになれるものなんてコンテンツは偶像ひとつ取ってもなにもない。
この世に絶対的に安心できる場所や存在なんて無いよ。
友人関係にしても趣味にしても今のパートナーとの関係にしても、いつも危なっかしい綱渡りだからこそ、それでもいい、危うくても傷付いてもいいと心から思えるものだけが本当に好きなんだろうな、きっと。
何処歩いても何を見てもなんらかの形で傷はつくから、それでもいいと思える場所に行って、それでも好きだと思える人と話をするといいよ。
それはなによりも自由で尊いことだから、今の私はそれを尊厳だと感じてる。
努力は絶対の約束じゃないとは言ったけど、それでも幸せになるために努力してる人間しか幸せにはなれんよ。
生きているとそれだけですべてが心にぶっ刺さるし、
今でさえ時々は生きているのも辛いほど酷い感情になるけれど、
それと同じかそれ以上に慈しむべき生活や他人や自分や心に出会えるよ。
努力自体はなにも間違ってはない。頑張り方を間違っただけ。
それでもこれからも自分が選んだ歪みの中で生きることだけは頑張ってね。
おまえのこと絶対幸せにしてやるからその時まで生きていてね。
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私の自己肯定感を爆下げするのに貢献した母親の言動のうちのひとつに「贅沢」という言葉があり、
私がこの言葉を彼女からかけられる時は大抵「そんなにお金使って」、「私はこんなに清貧なのに/節約してるのに」という暗黙のメッセージを言葉が持つ意味以上に送り付けられていた。
未だに「贅沢」という言葉を必要以上に忌避しているのだけど
(「お前はそんなに金を使っていい人間じゃない、質の高い生活を送って自分を大切にするべきでない」という無自覚のメッセージも感じ取っていた)
昨日、勇気を出して恋人に「私は贅沢っていう言葉が嫌いだから使わないでほしい」と理由を話してお願いしたら分かってくれて、嬉しかったし安心した。
けれど、まだ癖でついつい出てしまうのか(恋人が使う時は私に対してじゃなく食べ物の感想に使う時のみだけど)
今日、ゴディバのアイスを食べてる時に
「へ〜、すっごい贅沢」と何の気なしに言って、すぐに私の表情が曇ったことに気付いた恋人が咄嗟に
「いや違う!!当然の権利!!」と叫んでいたのが面白くて、爆笑した。
「贅沢の対義語って当然の権利なんだ」と茶化しながらケラケラ笑い転げたけど、
美しいものやとても美味しいと感じるものを受け取ったり、それらを欲しいと思って自ら金銭を支払って手に入れるのは当然の権利だと思っていいんだと何処かで許されたような気がしたのだった。
そして恐らくそれは本当に当然の権利なのだろう、恋人の言うように。
この世で金や時間を提供して正当に受け取る品物や食べ物はすべて当然の権利。
心からそう思えるいつかの日を、母親曰く贅沢な暮らしの中で待つ。
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