Tumgik
kohaze · 5 years
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幼稚園時代からの考察
小学生の時の記憶はさっぱりな割に、意外にも幼稚園時代の記憶はいくつかある。
その中でも強烈に記憶の中に刻まれているものが三つあり、それぞれ気付くもの・考えるものがある。
一つは、O字並べられた机の上に飲み物があったので昼食の場面だったのだろう。当時私は犬に憧れていた。犬を飼うことではない。犬になりたかった。尻尾を振り、呼吸を荒げ、無邪気な顔で嬉しそうに走る犬になりたかった。特に園児の私は、舌を突き出し、水を掬い上げ、飲む様子が不思議で仕方なかった。何故水を掬い上げることが出来るのか分からず、実践しようと思ったのだ。
当然、そういう飲み方がプログラミングされていない私は上手くいかず、プラスチック製のマグカップを落とした。軽い音の直後、床に溢れる水を見て、私はひどく罪悪感を感じた。そういう飲み方が行儀が悪いことで、母親にバレようものなら酷く怒られると判断した私は、先生へ言い訳をしてマグカップを拾ってもらった。
「何もしてないのにコップが落ちました」
何もしてないわけない。何かしたから落ちたのだ。私は言い訳を覚えた。しかしいまだに覚えているという事は、その言い訳自体にも多少なりの後悔や懺悔の意味があるのだろう。
二つ目は、世界の国旗を描いてみましょうというワークだった。国旗が描かれている本が支給され、おのおの好きなものを描く。私は、面倒臭がって、日本の国旗を描いた。白い紙だったため、赤い丸を真ん中に描けばすぐ完成するからだ。赤丸が塗り終わる直前に先生ののんびりした声が遠くから聞こえた。
「さっきも言ったけど日本以外で描いてねー」
あろうことか、先生の注意事項を見事に聞き逃していたのだ。小心者の私は焦る。この時から興味の無いことへの注意力は散漫だったことが伺える。一つ目で学んだ言い訳を考えながら、本を捲る。周りは国旗が完成し、先生に報告する姿が見える。またそれも私が焦る十分な要因となる。その時、緑の下地に、赤丸のバングラディッシュの国旗が見えた。
これなら白地を緑に塗りつぶすだけで対応できる!嫌な汗を拭いながら、雑に緑を塗りたくり提出した。ピンチの時も案外何とかなることを学んだ。
最後に、私の性格の基盤が既に確立されていることが窺えるエピソードがある。
いつも通り起床した私は二階から一階へ降りた。いつもなら台所にいる母親が今日はいない。不思議に思い、寝室に行った所、母親は熟睡していた。今日は平日、登園日だ。
母親を起こすという選択肢がある事は分かっていたが、私は起こさなかった。「何故人が気持ちよく寝ている時に起こすのか」と怒られると思ったからだ。今思うと起こす方が正解なのだが、私は怒られることが怖くその選択肢は選べなかった。何故そんなに怖いのか考えると、当時私には新生児の妹がいた。園児と新生児を抱える母親はいっぱいいっぱいだったのではないと思う。
しかし、起こさなくても「何で起こさなかったの!」と怒られると思った私は、何が正解なのか分からず、おそらく泣きそうな顔で茫然と時計をみていた。
登園時刻は無情にも迫ってくる。4歳なりの身支度を整えることにした。幼稚園の制服は寝室にかけてある為、着ることが出来ない。歯磨きはできるが、朝食は火を使う為使用の許可が下りていない。朝食は食べるものという固定観念がある園児は、何かしらを胃に入れないといけないと思い、苦渋の決断で、机の上に置いてあった金平糖をポリポリ食べていた。金平糖なら火は使わないし、多少減ったとして、量があったので怒られないからだ。
天気の良い朝だった。バスのお迎えがくる時間が間近になった時、母が慌ただしい音を立てて起きてきた。
今思うと衝撃だったと思う。パジャマ姿の娘が窓際でお天道様に照らされて、金平糖をポリポリ食べていたのだから。
結果どうなったのかは覚えてないが、おそらく怒られてはいないのだと思う。
4歳の時点で、「やっても怒られ、やらなくても怒られる」という認知の歪みからくる、苦しみを経験している。それは社会人になった今でもよくあることで、根本から認知が歪んでいるのだと思う。一方で、ルールは遵守し(火気厳禁)、最適とは言い難いが自分の答え(金平糖)を出そうと努力はしていた。大抵その判断は大きく間違ってはいないが、完全な正解でもない。
生まれてたかだか4年で、20数年経った今でも根本が変わっていないことが大変恐ろしい。
子供というのは親が絶対と思ってる部分が少なからずあり、親の機嫌、親の考え方に影響を受ける。その中で葛藤し、子供自身の考え方や価値観が生まれれば良いが、うまくいく人といかない人の違いは何なのだろうか。
私はうまくいっているのか、縛られているのかいまだに分からない。
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kohaze · 5 years
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理不尽
夏休み前日の終業式の日、小学生時代の私はワクワクしていた。
1ヶ月弱も遊べる夏休みに想いを馳せながら見上げる空は、雲ひとつなく透き通っていた。
校長の挨拶が終わり、担任の先生から夏休みの諸注意の言葉を受ける。
悪い人についていかない、出掛ける際は家の人に必ず行先と帰り時間を告げる、宿題は計画的に…。話半分に小学生は明日以降の高揚感が抑えられず、どうしても顔が半分ニヤける。
いよいよ、下校時刻。チャイムが鳴る。
ここで小学生は二種類に分類される。
机の中の教材、道具を計画的に持ち帰った為、本日の帰り荷物が少ない者。一方は、本日すべての教材、道具を持ち帰るもの。
後者の者は、日本の暑い夏の中、汗水垂らし1日で頑張って持ち帰る。確かにしんどいが、小さな体の小学生が1日で持ち運べる量なのだから、今から考えるとそれほどの量ではなかったのかもしれない。ランドセルに教科書を限界まで詰め込む為、簡易ロックはもうかけられない。手には机の中の引き出し、上履き、下手をすれば夏休みの宿題である「朝顔観察日記」の主役までいる。
私はどういう小学生だったかというと、前者の計画的に持ち帰るタイプだった。
下校のチャイムとともに空のランドセルの中に、筆箱、上履きを放る。ランドセルの中はまだ余裕があるので、歩くたびに中のものはコロコロと動く。
先生に呼び止められた。
「今日、●●ちゃんお休みよね」
「そうですね」
嫌な予感がした。
「●●ちゃんの持ち物お家まで届けてあげてくれる?」
予感は的中した。
●●ちゃんのお家は確かに私の下校ルートの途中である。
確かに適任者だ。
反抗という言葉を知らない私は力なく頷く。
先生は申し訳なさそうな顔と満足気な顔を入り混ぜた表情で、よろしくねと言った。
対象の子の机に向かう。
こうなると荷物が少ないことを願うしかない。
不安の中屈んでみると、見事なほどほぼすべての教科書が詰まっていた。
わかってた。予想はついていた。
彼女は計画的に持って帰るタイプの人ではないことも知っていた。
ここ数日の私の計画性はなんだったのか。
今日は軽やかに家に帰り、母に計画性の高さを鼻高々に話しながらアイスを食べる予定だったのに。
私が荷物をギリギリまで持ち帰らないタイプだったら先生はどうするつもりだったのか。
私の努力を否定された気持ちになり悔しくて泣きそうになる。
肩が引きちぎれそうなほどの荷物を半泣きで運びながら、その子の家に荷物を届ける。
小学校低学年、私は初めて「理不尽」という言葉を知った。
#blogs#理不尽
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kohaze · 5 years
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集団組織について
「もっと感情出しなさいよ。」
小学生時代の先生と、新卒時代の当時の上司に言われた言葉である。
別に感情を出すのが不得意な訳ではない。
むしろ感情豊かな方である。
では何故、上記指摘を受けたのか。
それは恐らく、周りの空気にあわせたからである。
思えば私は、小学校・中学校・高校と学校がとても苦手だった。
スクールカーストで言うと最下位。
イケてるグループよりは、イケてないグループ。
いじめがあったわけではないが、特段学校に行きたい訳ではなかった。
そんな人間が何とか学校で過ごす為には、学校の空気にあわせなければならない。
いじめの原因は「異質物の排除」である。それがポジティブなものであろうと、ネガティブなものであろうと関係ない。集団の暗黙の規範から外れるものは、排除される傾向にある。
小学生時代に指摘を受けたときは、何かで褒められたときだった。本当は飛び上がるほど嬉しかったがクラスの雰囲気がそうではなかった。新卒時代に指摘を受けた時も、上司の機嫌が多分悪かった時で、喜んで電話をする雰囲気ではなかった。
だが、小学生時代と社会人とでは、その時の環境がまるで違う。
小学校時代は、過去に戻れる機会があったとしても拒否をするだろう。何故だろうと考えると、それは所属先が「小学校」しかないからである。
以前「あそび」という記事も書いたが、依存先は複数あったほうがいい。当時の私には「小学校」という集団しかなかった。つまり「小学校」と言う依存先が何らかの理由でいられなくなった場合、私は自身の居場所を完全に失うことになる。小学生時代の私からすれば、それは大変恐ろしいことだった。
中学校になるとどうだろう。そこに「部活」という新たな依存先ができたのだ。
万が一、片方の依存先が失われても、まだ自分を保つための依存先が誕生したのだ。これは精神的にかなり救われた。
大学になると依存先がまた増えた。「大学の友人」「他学科の友人」「バイト先の友人」「ゼミ」。社会人になるとさらに依存先が増えた。
仮に何かを失っても、まだ居場所が確保される状態である。マズローの五段階承認欲求に「社会的欲求」が三番目にある。下層の「生理的欲求」「安全欲求」は人間が生きる上で、生活する上で最低限の欲求だが、「社会的欲求」は社会で生活する上で必要だ。この欲求が満たされないと、社会に必要とされてないと絶望する。
ついでに「承認欲求」まで満たされると、かなり精神的に安定するだろう。
何故、大学と社会人は、こんなにも気持ちが楽だったのだろうか。それは、良いか悪いかは別として「集団組織」として成り立っていないからだと思う。
大学は「こうでなければならない」という組織としての規範がなかった。一人で行動するのはザラだし、文化祭も強制参加ではなかった。今お世話になってる会社も、個として頑張る精神が強い。(二度も言うがいいか悪いかは別として)
集団組織しての意識がないと「異質物」という概念自体がない。そうなると、人はとことん精神的に楽だった。
我々現代人は、とにかく依存先を増やす事を目標にした方がいい。SNSはその為にある。ネット空間だけでもいいから、自分の依存先は増やせるだけ増やしたほうがいい。
「異質物の排除」は集団組織を行う上でどうしても発生しうる現象だと私は思う。その為に、下記どの対応���とっても良いが、自分を守る事を優先的に考え、選択しなければならない。
①異質物にならぬよう、集団組織に属する為に空気を読む
②仮に異質物になっても、依存先を増やし、精神安定を図る
③集団組織から逃げ、個として頑張る空間へ行く
もっと感情を出しなさいよ。
集団組織として頑張り続けると、
感情さえ抑え込まれると思うと大変怖い。
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kohaze · 5 years
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あそび
「大人の遊び」って何だろう。
いやらしい意味ではない。
昔は、友達と息が切れるまで鬼ごっこしたり、夢中になって絵を描いたり、ドキドキしやがら探検したり、犬と戯れたり、自分の世界観を作りながら人形遊びをしたり、憧れのヒーローを思いながらちゃんばらをしたり、無限に遊べるものがあった。
大人になった今、「遊び」につながるものがある人はどのくらいいるだろうか。
もちろん今も遊んでいる人は沢山いるだろう。その人たちは羨ましいほど、楽しそうに見える。所ジョージさんとか。
私の周りは、そういう「遊び」が充実している人が少ない気がする。昔の遊びは、能動的なものが多いのではないか。自分から何かしらのアクションを起こさないと遊びになり得ないものだ。
ところが大人になってからの「遊びにならない」息抜きは、全て受動的な気がする。例えば、飲酒・喫煙・読書・映画鑑賞・音楽鑑賞・動画鑑賞…など。別にどれも悪いものではないし、確かに息抜きになる。しかし、それは全て第三者が作り出したものを受け取る行為だ。自分から生み出す事は少ないだろう。
そこから自発的な何かを生み出した瞬間にそれは「遊び」となる。
そういう「遊び」を大人はもっと発掘していしたい。受動的趣味ばかりだと、その趣味の供給が途絶えた瞬間にその人の息抜きが途絶えてしまうから。また、同様の理由で受動的趣味の人ほど、その趣味は多方面に複数持った方がいい。
能動的趣味、遊びは無敵だ。
自分の納得のいく完成形に近付くまでなんども挑戦する。
仕事ではないから納期もない。
人に迷惑をかけない限り、怒られることもない。
何よりワクワクする。
子供にそういう姿を見せるのも大人の役目ではないだろうか。
子供が憧れるような「大人の遊び」を夢中になって丸一日潰す日があってもいいだろう。
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kohaze · 5 years
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19京都
残暑の残る京都。
9月末というのは非常に微妙な季節である。
夏というには空が高く、秋というには色鮮やかな紅葉はまだない。丁度台風が過ぎた頃でもあった為、大変厳しい暑さであった。
私は年2回ほど京都へ足を運ぶ。1回目は法事で、2回目はお墓参り。たいそうちゃんとした家の子のように見えるが、法事・お墓参りは建前上で、本当は京の街をフラフラするのが目的だ。
残暑厳しい暑さの中のお墓参りはなかなか骨が折れる。樒とお線香を購入し、ついでにマッチも借りる。お墓参りを一人でするようになってから、私は年々マッチを擦るのが上手くなる。ライターは未だに怖くて使えない。もし、キャバ嬢になったとしてもマッチで火をつけることになる。もしくはチャッカマン。
バケツの中に柄杓と樒を放り込み、水を1/3ほど入れ、階段を上る。お墓の位置は雰囲気でしか覚えていない。何度か道を間違える。
一度管理人さんにお墓の場所を聞いたことがあるが、個人情報保護の観点から教えられないとの事だった。なので、私は自分の記憶を頼りに進むしかない。一度写真を撮ることも考えたが、やはりお墓の写真は撮りたくない。
なんとかお墓にたどり着く頃には、額には汗が滲んでいる。真夏のかんかん照りの中だと、もう滝の域で汗が出ている。
自分の体を冷やすかのように、水を墓石にかける。きっとご先祖様も暑かろう。
水の音がする。手元のバケツの水ではない。近くに水流があるのだ。青々と木が生い茂っている中に水流があれば、それは蚊も元気に活動している。瞬く間に蚊に食われた痕跡が体に残る。痒い。鼻孔をツンとさせるキンカンを持ってこなかったことが悔やまれる。
ここまでがお墓参りのルーティンである。
移動時間も含めておおよそ1時間弱で終わる。
あとは、気の向くままに街並みを散策する。鴨川を歩いてみたり、よく分からない路地に入ったり、お寺にお参りしたり、古い喫茶店に入店したり。
お出汁の匂いがする、お香の匂いがする、歴史が見える、文化が見える、観光客がたくさんいる、方言が聞こえる。祖父母の家に遊びに行った際に感じたものが、京都という街には残っている。
東京の地で、人に仕事に揉まれた時、ふと手ぶらで行きたくなるのは京都だ。散歩するだけでいい。
お祭りや桜・紅葉などで浮き足立つ京都も好きだが、特に大きなイベントもない、隙間な期間の京都も、個人的にはとても好きだ。嵐の前の静けさという表現は間違っているとは思うが、少しソワソワする感じが好きだ。
遠目の散歩、大変満足であった。
#京都#blogs
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kohaze · 5 years
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ブログってなに
ブログを始めてみた。
mixi、twitter、Instagramと定番のSNSを経由してきた私だが、ブログにだけは手を出したことがなかった。理由は簡単で、手の出し方が分からなかっただけだ。
たまにくる創作意欲は、ピアノや絵に注がれ、その度にSNSにアップしている。「いいね!」とボタンを押してもらえたら勿論嬉しいが、ただの創作意欲の捌け口なだけなので「いいね」数に特に躍起にはなっていない。
創作意欲の中に、その時考えている事を文にして発信すると言う行為がある。創作意欲というカテゴリに入れていいのかどうかも分からないが、とにかく文を作りたいのだ。これは、おそらく大学時代のレポート作成の習慣からきている。
大学一年生、初めてのレポート作成の際、私は軽くパニックになっていた。「作文にならないように」と先生に冗談で言われたが、作文とレポートの違いもよくわからない程私はアホだった。何なら四年生で作成する論文との違いもわからなかった。文系大学一年の時点で、論文の書き方が分からず卒業論文の心配をしてたのは私ぐらいな気がする。
しかし、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるようで、数をこなすごとにアホはアホなりに学ぶようだった。卒業論文も息絶え絶えではあったが作成し無事卒業できた。地獄のような卒業論文のおかげもあってか、文を書くのは未だにそれなりに好きである。
いつもはtwitterの140字の中に収めている。日本人はなぜそんな短い文字数が好きなのか。短歌の精神が未だに日本人のDNAにでも刻まれているのか。よく分からないが、その短い文字数に考えを書くことがある。最終的に全くまとまらず、140字×n数の投稿をするので、もはやそれはブツ切れ文章のテロである。大変読みにくいと思うし、読んでる人もいないと思う。おそらくそれは、twitter社が求めている最適な使い方ではないだろうし、タイムラインに流れてしまう友人も可哀想なので、やっとブログを作ったのだ。
中学時代の成績がオール3の私であるが、それなりに考える事や疑問に思う事が沢山ある。難しい事は分からないし、あらゆる経験値が足りていないが、頭の中を整理するためにブログを書きたい。整理した結果、答えや改善策が見つかる事もあるだろうから。
これで定番のSNSは網羅しただろうか。
いや、TikTokがまだあった。
#blogs
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