Don't wanna be here? Send us removal request.
Quote
読者からの質問「〈古典部〉シリーズの千反田えると、〈小市民〉シリーズの小佐内ゆき、どちらが異性として好きですか?」 ●これまでに書いた登場人物の中で一番のお気に入りは誰ですか。(10代女性) 米澤 登場人物に対してあまり、「気に入る」という言葉が当たらないんです。それよりもなんとか生を与えてあげたい、生きてほしいという思いで書いています。 ●米澤さんは豊富な語彙力をお持ちですが、読書中に知らない単語や慣用句が出てきたら調べて自作でお使いになりますか。(20代男性) 米澤 調べることはありますが、自分に根付いていない言葉は小説の中で使っても浮くのであまり使わないです。それが自分の中で自分の語彙として定着した時にはじめて使います。このあいだ「醇乎」という言葉を知って、いいなとは思ったんですが、まだ寝かせている段階です。 ●〈古典部〉シリーズの登場人物で、ご自身といちばん性格が近いと思われるキャラクターは誰ですか。(20代男性) 米澤 福部里志です。理由は……内緒です(笑)。 ●米澤先生にとって、歳を取る、もしくは成長するとはどういうことでしょうか。(20代女性) 米澤 本屋に行って、自分と関係があると思う棚が増えていくこと。昔書店員をやっていた時に感じたことです。 ●米澤先生の作品は、トリックに基づいてドラマが作られるのでしょうか、あるいはドラマを描くためにミステリーがあるのでしょうか。わたし、気になります!(20代男性) 米澤 両者を融合するのが自分の目指すミステリーです。謎があって、その謎が解けた時に、登場人物の抱えていた思いや屈託みたいなものに光が当てられる、そういうものがいいミステリーだなと思います。 ●プロットなど制作の初期段階では、何から作り始めるのですか。(10代男性) 米澤 商業的な言葉ですが、トータルコンセプトです。 ●米澤先生が作品の構想を練る時は、どんなことをしていますか。(10代女性) 米澤 あてもなく歩きながら練っています。 ●好きな映画を教えてください。(40代女性) 米澤 ぱっと浮かんだのは『ビッグ・フィッシュ』、『パンズ・ラビリンス』。もう少しあげるとしたら、『幻影師アイゼンハイム』、『ぼくのエリ』でしょうか。 ●私はなりたい職業がふたつあり、進路について悩んでいます。米澤さんは小説家以外になりたいものはありましたか。(10代女性) 米澤 小説家に限らず、お話を作る仕事に携わりたいと思っていました。ですからデビューした後、一時期もう小説は出せないかもという状況になりましたが、絶望することはありませんでした。何らかの形でお話を作ることに関わることをすればいいと思っていましたし、どうしても小説が書きたければウェブページでも同人誌でもやればいいんですから。なので「こういうことをやりたい」というものに至る道はひとつではないと思っています。おそらくなりたい職業のどちらを選ぶべきかのヒントを求められているのかと思いますが、質問にお答えするとこういう答えになってしまいます……。 ●小説家を目指しています。先生は夢を目指すにあたり、ご家族の後押しはあったのでしょうか。僕の場合、両親には進学と就職を勧められており、扶養してくれた恩を裏切りたくない気持ちもあり、悩んでいます。(10代男性) 米澤 私の場合、高校生の時に手書きで書いたポリスアクションをパソコンに打ち込んでくれたのは母なんです。ワープロのキータッチの練習だと言っていましたが、それであんな長篇を打ち込めるわけがなかったと思います。後に「もし私が歌手になりたいと言っていても応援したのか」と訊いたら「そうなる才能はないと思うから、応援はしなかったと思う。小説家としての才能があることは知っていた」と言っていました。 進学するか迷われているようですが、上級の学校で学べるというのは小説を書く上でとても贅沢なことです。作家になってから高等教育で学ぶようなことを自分で取材しようと思ったら大変なことになる。教育があるということは、小説家になった時にものすごく強い武器になります。もちろん、教育がなくてもいい小説を書く人はいます。ですが、自分に高等教育で手に入れる知見や物の見方以上の特別な武器があると思わないのであれば、武器を手に入れるチャンスというのは、私だったら欲しいと思います。 ●6歳の頃から作家になるのが夢ですが、芽が出ないまま社会人になってしまいました。この期に及んで諦められない私や同じ境遇の人にアドバイスはありませんか。(20代男性) 米澤 問題は小説家になりたいのか、小説を書きたいのか、だと思います。私は小説を書きたかった。綺麗事に聞こえますが、小説家でなかったとしても、書いていく道があればいいと思っていました。小説を書くことは誰かに許しを得ることでもないし、誰かに禁じられることでもない。書きたいものを書くのかどうか、小説家になるのはその結果だと思います。 ●〈古典部〉シリーズの千反田えると、〈小市民〉シリーズの小佐内ゆきだったら、どちらが異性として好きですか。(20代男性) 米澤 彼女たちを異性として意識したことはないです。だって高校生ですよ!(笑) ●米澤さんの高校時代は何色でしたか。(10代女性) 米澤 弓道着、そして紙と鉛筆の白と黒でした。 ●米澤さんは本を読む時、どのような読み方をしますか。また、内容のどこに着目して読みますか。(10代女性) 米澤 1回読んで、心に引っ掛かるものがあれば自然ともう1回読みます。着目とはちょっと違うんですが、登場人物の思いが滲み出るような場面というのは、やはり深く残るのでまた読み返すことが多いです。 ●プロットと関係なく、小説の舞台にしてみたい海外の都市はありますか。また、地方都市が舞台の作品が多い理由は。(40代女性) 米澤 舞台にしてみたい都市はいろいろあります。魔都と呼ばれた頃の上海、カッパドキア、モンゴル帝国の首都だったのに今は何もない平原になってしまったカラコルム……。でも日本の方が多いかもしれません。地方都市が多いのは、物語が要請する舞台を選んでいるからです。 ●岐阜県のどこかを観光したいと思っています。オススメの場所を教えてください。(10代女性) 米澤 10代の女の子ですか。じゃあ関ヶ原は楽しくないかな……いや、そういう決めつけはよくないですね。狭さが印象的ですよ。飛騨なら、高山��東山寺院群はどうでしょう。市が作成した遊歩道ルートが墓地の真ん中を通っていて、味があります。美濃ですと中山道の馬籠宿でしょうか。妻籠宿もいいんですが、考えてみたらこちらは長野県ですね。あとは上高地……も長野県か(笑)
なぜ〈古典部〉シリーズの『愚者のエンドロール』の次に『さよなら妖精』を書いたのか――米澤穂信(2)
https://bunshun.jp/articles/-/119?page=6
0 notes
Text
最果てのソルテ 水上悟志 第8話「妖精たち」
聞け… 霊宝の妖精…
お前はこれから 一人の子供と 出会うはずだ…
その子を助け友���なれ
そうすれば多分…
お前の願いは叶う
…悪いな 曖昧な話で
予知の霊宝薬も完璧ではない…
隊の全滅を回避しきれなかった…
だからこれは絶対の予知じゃない
それでも…少しでも誰かに…
何かを託したい…
死を前にしてわかった…
人は人とつながりたいんだって…
人は遠くに行きたいんだって…
妖精よ…
私の残りの命を吸って外に出るための形を作れ…
妖精よ… 私より長い時を過ごせ…
妖精よ…
お前の願いを叶えろ…
お前の名はセレン…
セレンディピティ
ああ…居た…
あの子がきっとお前の運命の子だ…
あの子にお前を渡す時
売ってもいいと言うが 多分
そんなことにはならないから心配するな…
…やあ…
見ていろサリエラ今度こそ…
どこまでも遠くへ…
最果てまで行ってみせる…
ルード 私はお前を決して裏切らない
妖精はな
自分を見つけてくれた人間が大好きなんだ…
0 notes
Text
獣の奏者 武本糸会/上橋菜穂子 終章2 弦の調べ5
―――知りたくて 知りたくて…
おまえの思いを 知りたくて
人と獣の狭間にある 深い淵の縁に立ち
竪琴の弦を 一本一本はじいて
音を 確かめるように
おまえに 語りかけてきた
おまえも また 竪琴の弦を一本一本はじくようにして
わたしに 語りかけていた
深い淵をはさみ
わからぬ 互いの心を 探りながら
ときには くいちがう 木霊のように
不協和音を 奏でながら
それでも ずっと 奏で合って きた音は
こんなふうに 思いがけぬときに
思いがけぬ調べを聞かせてくれる…
0 notes
Quote
コメント] スラムドッグ$ミリオネア(2008/英) 夢のような映画。スラムという街もミリオネアで最高賞金を手にする(?)ところまでいくことも…ラストも…。 guriguri **ネタバレ注意** 映画を見終った人むけのレビューです。 これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。 まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。 ミリオネアで最終問題まで正解し続けることが夢のよう。 また、スラム街と闇社会も日本で不自由なく育った私には非現実的なこと。 そして、「運命」によって結ばれた二人も夢のよう。 映画中ずっと夢を見ているようだった。もしくは誰かの夢を再現したのかなと。 ミリオネアで最高賞金を���得する夢って誰でも抱く夢なんじゃないかな。 TV番組ミリオネアに出演するシーンすべてジャマールの夢だったんじゃないかと思う。 というのは、映画の中でジャマールの空想が挿入されているカットがある。 ジャマールが兄サリームと再会した時、建設中のビルから兄を突き飛ばし2人で落下するシーン・・・。「あービルから落ちちゃった」と思ったけど、次のカットで取っ組み合いをしていたので、ジャマールの空想だったということになる。 毎日5時に駅で待っていると約束し、ラティカが駅に現れたが連れ戻されてしまったシーンからミリオネアの終了シーンまでは、ジャマールの夢なんじゃないかと思ってしまった。なぜなら2000万ルピーを獲得した後、ジャマールが駅でラティカを待っているシーンから始まったから。ミリオネアのシーンがなくても二人の再会は自然に見える。 職場の同僚やラティカが見ていたTV番組がジャマールの中で潜在意識に埋め込まれ自分が出演して賞金を獲得するという夢となったのかなと。ラティカもミリオネアを見る理由を聞かれ「夢をみたいから」と言っていたような気がする。 現実的だったのは、最初から最後までずっと弟思いの兄サリーム。 究極の選択みたいだけど、やっぱり一人の人しか助けられなくて 兄は弟を助け、弟はラティカを助けようと必死になる。 人は自分以外の大切な人のために生きているのだと思う。 3人いて、2人が結ばれると1人は傷つく。 それをサリームは子供のころから知っていたのか。 だから、雨の中路上にたっているラティカを助けたくなかったのか。 ジャマールがラティカに声をかけた時、サリーム目をぎょろりと開きラティカを拒み背 を向けていた。その時からサリームの悲運は決まってしまったように思うととても悲しい。 (評価:★5)
http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=2889&mid=21060
0 notes
Quote
回答時の元の質問:人生に関する悲しい事実は何でしょうか? これはアフリカライオンの写真だ。死ぬ直前の。 全盛期には、ひと吠えで野生動物すべてを恐怖で凍りつかせたライオンも、今や老いた。ほとんど動けず、ましてや狩などできるはずがない。このあばら骨を見ろ。どれほどやせ細っているかを。彼は、もう終わりだとわかっている。このライオンはどこか、年老いた修行僧のようにも見える。とても穏やかで、死をまっすぐ見据えている。悲鳴を上げたりせず、ただ、次の瞬間すべてがなるようになるのを待っている。もはや痛みも、飢えも、感じない。彼は必死に立っている。最後まで、彼は勇敢に戦ったのだ。 ある意味、どの人間の運命も、このライオンと同じだ。 富が自慢か? 美が自慢か? 立派な体が自慢か? 名声が自慢か? いつか、そんなものが全部、君にとって無意味になる日がやってくる。チェスターやクリス・ベノワ、ロビンズ���いった有名人を思い出せ。チェスターが歌った通り、最後には「そんなことどうでもよくなる」んだ。 このライオンのようにいつか、君も終わりに直面するだろう。このライオンのようにいつか、君も過去という幻になるだろう。このライオンのようにいつか、君も時の彼方に消え去るだろう。このライオンのようにいつか、君も死を直視し、最後にはそれを受け入れるだろう。もう昔のような強さはない。昔のように美しくもない。無数の星々の空へと消えていく、星の一つでしかない。 いつか、君の全生涯が、目の前で瞬間再生される日がくるだろう。それが見るに値するものになるように生きろ。
https://jp.quora.com/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%84%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B/answers/196145332?ch=2
0 notes
Quote
仁志 あとは前にも言いましたけど、感情的にならないこと。その場その場の感情で、後先を考えないような言動をしてしまうと、その言動の結果は、どっちに転ぶか分からない「賭け」なってしまう。もちろん信念を貫こうとして、熱くなって失敗するのは全然いいと思うんですけど、ただなんとなく売り言葉に買い言葉みたいなことにはならないようにしてほしい、と経験的に思います(笑)。これは、子どもたちにいつも言うことなんですけど、ジャパンに入るような子どもたちって、みんなに「すごいね」「すごいね」って言われる一方で、試合でも練習でも「やって当たり前」と捉えられたり、ひがみややっかみがあったりもする。「なんであいつがジャパンなんだ」って批判もあるくらいです。つまり、賞賛も批判も両方ある状態に身を置いているわけです。そういうとき、どう考えるか。批判も人の意見だからまったく聞かないはもよくない。賞賛も賞賛���れることを全部受け取ったら馬鹿になる。自分はそうだと受け取ったら馬鹿になってしまう。だから「批判も賞賛も半分だけ聞いておきなさい」って伝えるんです。僕はプロ野球選手をしていたので、褒められることもたくさん経験しました。あまりそれ自体が好きではなかったし本当はそんな褒められるほどではない、と思っていたので、くすぐったいというか居心地が悪い思いをしたんですけど、だからこそ半分しか聞かないようにしていました。一方で、当然批判されもした。「それは違う」と思っていても、そう思う人もいるというのが現実だと思って受け入れていました。でも、それを全部受け取ったら病気になっちゃうので(笑)。だからその言葉も半分だけいただく。それが大事なんじゃないかと思います。 ――どの世代にもいえることですね。 仁志 特に偉くなった人はそうだと思います。本当に賢い人は褒められても別に喜びもしないと思います。うれしいでしょうけど真に受けない。批判があることも重々承知のうえで行動しますよ。松井秀喜なんかはその典型だったと思います。褒められても、決しておごらず下のほうからうまくかわすというか、受け取る。なんでそうできるのかっていえば、自分が分かっているからなんです。すごいことなんて自分がよく分かっている。そして、自分がすごくない、(褒められていても)課題があることも分かっている。だからそういう対応ができる。長く活躍できる人というのは自然にそういうことができていると思いますね。
http://best-times.jp/articles/-/5432
0 notes
Quote
ぼくはね、今、借金は100億くらいありますよ。これはねぇ、冷静に考えても生きてるうちに返せないです。昔は株で150億動かしてたけど、あんな時代はもう来ないでしょうね。借金を全部返すのは無理なんじゃないだろうか。
爺言-福富太郎 P311
0 notes
Quote
---実際に戦ってみて、コンピュータの実力をどう感じましたか? 「強��ったです。人間は、自分が不利になりそうな変化は怖くて、読みたくないから、もっと安全な道を行こうとしますよね。でも、コンピュータは怖がらずにちゃんと読んで、踏み込んでくる。強いはずですよ。 怖がらない、疲れない、勝ちたいと思わない、ボコボコにされても最後まであきらめない。これはみんな、本当は人間の棋士にとって必要なことなのだとわかりました。 僕は習甦のおかげで強くなれたと思っています。コンピュータのおかげで人間が進歩すれば、またコンピュータも進歩する。そんな関係でいいんじゃないでしょうか」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35787?page=4
0 notes
Quote
復活しました。 さて、今日は残りの2頭です。これでやっと全馬揃いました。 33 ハリウッドドリーム11 (クロフネ) 牡 2,400 友道 募集時評価 C B C B トモはまあまあという感じだが、全体の動きはよい。筋肉質だが硬い感じではなく、芝でもやれそうな気がしてしまう。しかし、母父バブルガムフェローで、結局はダートだろう。だとすると、血統的にも馬体的にもこの馬よりもさらに有望な馬がいると思えるので、相対的に評価は下がってしまう。半兄が重賞勝ちとはいえ、冷静に考えれば血統的には頂点に突き抜ける可能性は低く、丈夫でコツコツやるタイプに思える。所属厩舎がそういう馬に向くところではないので、ミスマッチが心配だ。 34 チャールストンハーバー11 (ゴールドアリュール) 牡 5,800 安田 募集時評価 S B B A ゴールドアリュール産駒の特徴である鋼のような筋肉がを持ちながら、意外にも想像していたような硬さはない。非常に素晴らしいトモをしており、鍛えていったらどうなるのか楽しみだ。繋ぎは太く短めで、99%ダートだろう。芝での活躍は疑問だが、ダートなら突き抜ける可能性を持っている馬だと思う。所属厩舎もダートや短距離を目指すならこれ以上ない厩舎でもあり、適材適所。本年募集馬の中で、唯一、血統、馬体、厩舎の3拍子が揃った馬と言っていいだろう。最後はこの値段をどう受け止めるか。冷静に考えればゴールドアリュール産駒をこの値段で買うのは狂気の沙汰と思う。しかし、覚えておき��いのは、ドリームジャーニーの全弟のあの馬がサンデーRで6,000万で募集されたときも、冷静に考えたら手が出ないわけであり、冷静さは時にチャンスを逃すことにもなるということだ。 (注)左から、トモ-後脚-肩-全体のリズム、の評価です。 トモはトモの大きさ及び迫力で評価しています。後脚はクセがないか、スムーズか等で評価しています。肩は肩の出のスムーズさ、硬さで評価しています。全体のリズムはスムーズな全身運動ができているかを評価しています。
http://miesque.cocolog-nifty.com/keibagoku/2012/08/20125-fbd5.html
0 notes
Quote
ブックメーカー大手はG1英セントレジャーについて、ダービーを圧勝したキャメロット Camelot の単勝オッズを Ladobrokes 1.3倍 William Hill 1.5倍 Paddy Power 1.25倍 Sporting Bet 1.3倍 としています。 以下、セントレジャーについて(ほかのことも少し)ダービー後の関係者のコメントです。 デリック・スミス氏(クールモア共同経営者)「三冠に向かわせることについて考えている。しかし(陣営内で)話し合う必要がある。贅沢な悩みです。」 BBC Sport - Camelot completes majestic weekend for O'Brien family エイダン・オブライエン調教師「今後については多くの選択肢があり、セントレジャーもそのひとつです」 ジョン・マグナー氏(クールモア総帥)「この馬は特別な存在であり、3冠も(今後の選択肢に)含まれている。年齢を重ねると歴史を重んじるようになり、重要になってくるのです」 Camelot casts his spell for father and son - Racing - Sport - The Independent マグナー氏「3冠を勝ちたいと思わない人がいるかい? わたしたち(クールモアの経営者)はみんな歳をとったし、この歳になるとそうした事が以前より重要になってくる。30年前に聞かれたら、(凱旋門賞を最重要視するなど)別のことに目を向けていたでしょうが。」 スミス氏「トリプルクラウンが目標であるべきです。そうすることにはプレッシャーがあるでしょうが、ジョン(・マグナー)、マイケル��・テイバー)とわたしがエイダンと話し合って決断を下します。」
http://casinodrive-usa.blogspot.jp/2012/06/camelot-st-leger.html
0 notes
Quote
<6月11日>(月) ○この週末に国会事故調の会議録を読みふけっていて、いちばん面白かったのは菅前首相の参考人質疑でありました(5月28日実施、6月7日会議録掲示)。昔のテレビドラマである『刑事コロンボ』のような趣きがありました。こんな面白いものが、ネットでタダで読めてしまう。それどころか映像も見られてしまう。さらに映像には英語の同時通訳もついている。いやはや、この参考人質疑は全世界に筒抜けなのであります。 ○コロンボ刑事の役を務めたのは弁護士の野村修也さんでした。この人の質問がとにかく鋭い。これは他の人に対してもそうなんですが、「自分は安全地帯」と思っていたらしい佐藤雄平知事までがキリキリ舞いさせられている(5月29日実施、6月8日会議録掲示)。その凄腕弁護士が、菅さんに迫っている。菅さんが自分の友だちを官邸に呼び、アドバイスを頼んだことで福島第一原発の作業が妨害されたこと、アメリカからの支援申し入れを官邸が断ったことの是非、被災後の発表のあり方に関する疑義、などを次々に問いただし、菅さんは何度も窮地に陥っている。 ○ようやくその野村委員の質問が終わり、時間もかなりたっているので、おそらくは菅さんが少し安心したと思しき瞬間に、他の委員からこんな質問が飛び出すのです。 ●委員長(黒川清君) じゃ、大島さん、短めに一つお願いします。 ●大島賢三君 委員の大島でございます。 最後に総理に一言御発言をいただきたいことがあるんですが、それは、吉田所長を始め現場を支えた作業員に対する一言ということであります。総理もおっしゃいましたけれども、背筋の寒くなるような最悪の事態になり得たと。そういう状況であったわけですけれども、そういう最悪の事態を防いで救ったのは、最終的には東電本部の首脳、指導部でも官邸でも、ましてや原子力安全・保安院、安全委員会でもなく、まさに現場にあって極限状況の中で文字どおり命懸けで収拾に取り組んだ吉田昌郎所長以下五十名とか七十名の作業員の人たちの決死の働きであったということは、これは多くの国民が受け止めておりますし、海外でもこれが称賛をされてヒーローとかフクシマフィフティズと言われていたわけですけれども、そういう事態に対して、本部長として全体を取り仕切られた総理からこれらの人に対して一言おっしゃっていただければと思います。(後略) ○ここで追加質問をされたのが、地元・福島で避難されている方の代表者である。 ●蜂須賀禮子君 済みません、蜂須賀です。 同じ質問になってしまうんですけれども、大島先生と同じく、同じ質問で申し訳ございません。私も同じく今考えておりました。私たち十二日に避難しまして、十五、十六とあの極限のときに同じ避難者の人たちが、向こう、第一に行ってくるよ、現場を抑えてくるからなというふうにして出かけていったんですね、避難所から。そのとき、私たちは避難所の気持ちで申し上げると、頑張ってね、私たちのためにあの発電所をこれ以上悪い方に行かせないでねと言うと、戦争でもないのに、お国のために俺たち頑張っ��くるぞと。それこそ家族は涙ながらにそのお父さんを送ったんですね。(後略) ○ここは前総理としては、万感の想いをこめて語らねばならないところである。 ●参考人(菅直人君) 私も全く同じように感じいます。 やはり、一番厳しい状況にあることは東電の現場の皆さんが最もよく理解をされていた。その中で、最後の最後まで頑張り抜いてやっていただいた。そのことが、ある段階でこの事故の拡大が止まるやはり最も大きな力になったと。同時に、その後、自衛隊、消防、警察、いろんな関係者もある意味命を懸けて頑張ってくださったと。(後略) ○と、調子のいいことを言っていたら、そこへコロンボ刑事が再登場するのである。 ●委員長(黒川清君) ちょっと、野村委員から一つ。 ●野村修也君 総理、それに関連して、私がヒアリングした限りでお伝えをしたいことがあるので申し上げておきますが、総理はあの十五日の朝に東京電力本店に行かれて、それで多くの方々の証言では叱責をされたということなんですけれども、この御様子がその今御発言された相手の、福島原発におられた作業員の方々にも届いていたことはそのときお考えになって御発言されていたんでしょうか。 ○思わずしどろもどろになってしまう前総理。 ●参考人(菅直人君) 私がどういう話をしたかというのはかなり表に出ておりますけれども、私の気持ちで申し上げると、叱責というつもりは全くありません。直前に撤退という話があったことは、それを清水社長に撤退はありませんよと言った直後でありますから、まだ皆さんがそのことで意思一致されているかどうか分かりませんでしたので、何とか、一番厳しい状況は皆さんが分かっておられるだろうと、だから本当にこれは命を懸けて頑張ってもらいたいという、そういうことを強くは言いました。(後略) ●野村修也君 お気持ちはよく分かるんですけれども、一点だけですが、その前に、まさに会社のために、国のためにということで自分��ちが命を張っておられる方々がまさか現場から逃げることはないということは伝わっているわけですよね。電話で確認されているわけです。枝野官房長官は、昨日の発言であれば、現場にも連絡をして撤退の意思はないということは確認をされているわけなんですが。 そういうような方々が、総理が来られて、現場から自分たち撤退するつもりがないと思っておられる方に何で撤退するんだということを、そのどなっておられる姿というのは、やはり今まさにそのサイトと命を共に、これを何とか防いでいこうと思っておられる方々に対する態度として、先ほど人としてという御発言がありましたけれども、何か反省すべき点というのはないんでしょうか。 ○・・・・ここで勝負ありました。3月14日夜に、菅首相は福島原発の吉田所長とじかに電話で話して、「まさか現場から逃げることはないということは伝わっている」のである。だったら翌日朝の東電の全面撤退はあり得ない。コロンボ刑事ならこう言うだろう。「あなたは、その時点でご存知でしたよね」。 ○この後のPDF会議録はわずか2pを残すのみだが、完全な消化試合である。最後に黒川委員長が、こんな風に念を押している。 ●委員長(黒川清君) それで、ちょっと一言ですが、例の、東電に行って話をされたときに、その前に吉田所長とお話をされていますよね、頑張りますという話で。そのときに、清水さんにしろ、勝俣さんにしろ、東電全体に、現場では頑張ると言っているぞ、知っているかと聞きましたか。そういうことを確認されましたでしょうか。 ○この時点で、国会事故調としては「東電の全面撤退論」はなかった、間違っていたのは官邸の方だった、という結論を固めているのだろう。というか、この会議録を全部読んで、「それでも私は菅さんを信じる」という人がいたらお目にかかりたいくらいである。 ○国会事故調の報告書は今月一杯で出る。問題はそれから後だ。「なぜこんなことになってしまったのか」という問いを、さらに続けなければいけないのではないか。ここで終わらせてしまっては、子孫に対して申し訳がたたない、という気がしている。
http://tameike.net/diary/june12.htm
0 notes
Quote
「友川かずき」 文:大島 渚 友川かずきのうたがCDで出るという。なんと喜ばしいことだろう。 普通、歌は世につれ世は歌につれという。サルトルは、作家は時代を抱きしめなければならないといった。表現する者はどこかで世の中と寝なければならないのだ。だが、友川は一度も世の中と寝たことがない。 東北はどうして日本人の魂のふるさとであるがごとくあるのか、ありとある日本人起源説は南かせいぜい西北を指しているのに、なぜか東北の地は日本人になつかしい。そして東北の生んだ詩人たちはなつかしさを求めて実はそのなつかしさを日本の中央といわれるところへ運んできた。私の友人に限っていえば、寺山修司、三上寛、長谷部日出雄、いずれもそのなつかしさをキーとして、テレながら世の中と寝た。ひとり友川かずきは寝ようとしない。 限りない激しさと限りない優しさが友川のうたの中に同居している。限りなく繊細な詩のことばと限りなく露骨な日常のことばが友川のうたの中に同居している。東北の詩人たちは限りなく世の中に拗ねてみせるが、また時に限りなく甘えてみせる。友川にはその両方がない。友川はテレ笑いをするということがない。そのことが世の中をとまどわせる。友川のあの大きな目で見つめられ問いかけられたとき人々がとまどうように世の中はとまどう。そうだ、あれは目というべきものではない。目玉なのである。誰しもがとまどう。ルドンの目玉にとまどうように。 だからといって一本気なのではない。一本気なのは三上寛だ。長谷部日出雄ももちろんである。寺山だって結局は一本気だった。真っ白な絹のマフラーを首にまいて大船撮影所にあらわれた日から、カンヌで私に「商業映画を撮っちゃいけないぞ」などと説教する日まで、すくなくとも私の前では終始一本気だった。友川はむしろムラ気である。彼の才能が一本気にさせないのである。友川はうたであり、うたが人間になったのが友川であるけれど、彼はうたにすら時として執着していないのではないか。画をかくことも、料理をつくることも、酒をのむことも、芝居にかかわってガヤガヤやることも、うたと同じくらい大事であり、うたと同じくらいいい加減なのだ。ただただ彼は愛しているのであり、愛していることの効果や結果は問題でないのだ。 友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだこの人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがない、あかししてくれたことなのだ。 友川よ、久しく会わないが、元気か。美貌にかげりはないか。酒量は落ちないか。私は君がよき友人たちにめぐまれていることを知っている。その数は世の中の人の数よりは少ないが、1人の男が持つ水準をこえることはるかであることを知っている。 (『初期傑作集』(1989)寄稿文より引用) 大島 渚 (映画監督)
http://kazukitomokawa.com/j/about-tomokawa
0 notes
Quote
――たとえばどんな文章が書かれたのですか? ぼくがまだ寿町に来て1年も経っていないころ、梅沢小一(うめざわ・こいち)さんという人に出会いました。生活が厳しく、尋常小学校の入学式にはお姉さんのお下がりのスカートをはいていったそうです。入学式から教師や子どもたちから排除され、自分を守るためにケンカに明け暮れ、勉強に身を入れるどころではなかったのです。 そんな梅沢さんに「86歳で亡くなったお母さんのことについて書いてください」と<課題>を出しました。ぼくは内心、19行の識字の用紙2、3枚も書いてくれれば十分だと思っていました。ところが梅沢さんは「書ける」とひとこと言って、5日間をかけて20枚の文章を完成させたのです。7年間介護をした末に看取ったお母さんに対し、時につらくあたったことやできなかったことに対して謝り続ける内容でした。なかに1カ所、「おかさん」と書かれた部分がありました。お母さんが亡くなっていく場面で「おかさんと大きなこえでおもいきりなきました」とあったのです。他の部分では「母」や「おかあさん」となっていたので「なんと読むのだろう」とわかりませんでした。次の週、それをみんなの前で読んでもらうことにして、ぼくも神経を集中させて聞いていました。その部分にさしかかった時、涙声の梅沢さんは大きく息を吸い込み、亡くなっていったお母さんを呼び戻そうとするかのように「おっかさーん」と大声で叫んだのです。 ぼくは一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。そして次の瞬間、「どう読むのかを訊かなくてよかった」と胸をなで下ろしました。梅沢さんはお母さんに謝り続け、「おっかさーん」と叫びたくてこの文章を書いたのだとも思いました。 ――梅沢さんにとっては「おかあさん」ではなく、「おかさん」だったんですね。 梅沢さんの叫びを聞いて、ぼくは自分のなかに根づいていた「学校教育」が終わったと思いました。ぼくの受けた学校教育とは、「おかさん」を「おっかさん」や「おかあさん」と訂正して返すことでした。ぼくも識字を始めた当初はそうしていました。だけど言葉には、その人が生きてきた歴史そのものがあるんです。学校教育は「共通語」によって言葉の「地ならし」をしてしまいますが、識字の言葉は地ならしのできないものです。もし識字の場で地ならしをすれば、それはその人の生きてきた歴史や大切にあたためてきたものを無残に踏みにじることになります。残念ながら日本の学校教育は、そんな教育だったとぼくは思います。 ――大沢さんは教える側のようでありながら、教えられたこともたくさんあったのですね。 教えられることばかりです。梅沢さんに対しても、「この人はまだ長文は書けない」という偏見をもっていた。とんでもない話でね。ぼくは自分の母親のことをあんなふうには書けません。梅沢さんの「おかさん」をきっかけに、ぼくは自分の識字そのものを変えました。漢字や文章に手を入れることは一切やめたんです。訊かれれば答えますが、それ以外のことは何もしません。「識字だから文字や文章をきちんと教えないとダメだ」と何度も言われましたが、「整った」文字や「すわりのいい」文章を見たいとは思わない。その人そのままの文字や文章と出会いたいんです。
http://www.jinken.ne.jp/other/oosawa/oosawa2.html
0 notes
Quote
<11月9日>(水) ○以下は某社中小企業の社長から拝聴した話。 オーナー企業ってのはいいもんだよ。会社は自分の王国だからね。たまに証券会社がやってきて、御社を上場すれば20億円入りますよ、なんてことを言う。あほ言��って断りましたよ。そりゃ証券会社は、幹事手数料で儲かるんでしょうね。もちろん僕にとっても20億円は大金だよ。1%で回しても年間2000万だからね。でもね、そんな金を手にしたら僕はボケちゃいますよ。そんなことより、今のペースで働いている方がいいの。IRだとかで、引っ張りまわされるのはかなわんし。 だいたいね、今は上場のコストが高過ぎる。それを維持するのも人手がかかって大変だ。なんで監査法人にあんなに金払わなきゃいかんのか。オリンパスも大王製紙も防げなかったのにね。それに会社を公開して、民主主義の経営になって、それで会社が繁栄するならいいよ。でも、本当に必要な決断は、民主主義じゃなかなかできないんだから。オーナー会社なら、「ばかもん、俺の言うとおりにしろ!」で通る。こんな結構な体制を捨てたくはないね。 いったん公開したうえで、会社を非公開に戻したケース、結構あるんだよ。××という会社、聞いたことある? ○○で世界全体の5割のシェアを持っているけど、年商はせいぜい500億円。大企業から見れば、ちっぽけなもんでしょう。でも独立しているからこそ、世界を相手にしていられる。公開してしまうと、いつ買収されちゃうかわからないでしょ。だったら非上場の方がいいよ。 会社にとって最大の問題は、跡継ぎをどうするかってことだね。全国に中小企業は500万社。どこも悩みは後継者の育成だ。息子に継がせることができればいいが、これが意外と難しい。うちの息子も支社を任せているけど、まだまだ一人前じゃないからね。これをどうするか。そこでいろんなケースを調べてみた。 普通は親が会長になって、息子を社長にする。これ、よく失敗するんだよ。なぜかというと、妻が息子の側についてしまうから。そりゃそうだよな。夫は赤の他人だけど、息子は自分が腹を痛めて生んだ子なんだからね。奥さんの動向を見ているうちに、会社の役員たちも社長の方を向くようになる。結果として悪い情報が会長には届かなくなる。気がついた時には、会社がおかしくなっている。そういう例はたくさん見たよ。 うまく行ってるケースは、親が社長をやって息子を専務にするパターンだね。ちゃんと息子を見張りつつ、親が最後まで権限を手放さない。文字通り死ぬまでやるわけだ。息子にとっては迷惑かもしれないけど、その方が親が死んだあとはやりやすいだろう。僕もそうするつもりだよ。憎まれるかもしれないけど、息子は親を否定するくらいじゃないとね。 外から見ていて感心するのは○○グループのケースだな。親がギリギリまで頑張って、いよいよ自分が引くという段になって、長年尽くしてくれた腹心の役員全員を一緒に辞めさせてしまった。今から思えば、そのために子会社を���っぱい作って、ポストを用意してあったんだな。うるさいのがいなくなるから、後を継いだ若社長はやりやすかったと思うよ。あそこの代替わりは成功だった。でも、そういう例ってなかなか少ないんだよな。 ○話を聞いていて、ふと映画『砂の器』のラストシーンに出てくる親子の姿を思い出しましたな。よかった、ウチはサラリーマンの家系で。
http://tameike.net/comments.htm
0 notes
Quote
中日は13日、東京ヤクルトとの首位攻防4連戦の最終戦に臨む。この日は西川順之助前球団社長が訪れ、選手、コーチ陣に声を掛けた。落合博満監督とは30分間以上にわたって談笑。温かい雰囲気で、肩を寄せ合いながら二人だけで会話をしていた。 以下は西川前球団社長のコメント。 「(落合監督とは何を?)昔話だよ。8年間の付き合いだからさ。あのころはこんなことがあったね、とかね。8年間良い思いをさせてもらったよって。球団が約80年の歴史だから10分の1も。本当に良い思いをさせてもらったよ」 取材協力:野球専門誌 Baseball Times
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/team/dragons/headlines/20111013-00000008-spnavi-base.html
0 notes
Quote
以下は雑誌からの引用です。 引用元:有斐閣 『法学教室』 2003年3月号(No.270) 1頁「巻頭言」 東京大学教授 道垣内正人(どうがうちまさと)執筆 『びくびくしたまえ』 大学に入学し、教科書を買い、講義に出席する。講義中、あるいは、教科書として指定された本の中に次の言葉が出��くる。 「周知のように」――そんなこと言われたって私は知らない。しかし、知らないということは、講義をされている先生や著者の予定している知的水準に私が達していないということだ。恥ずかしかった。広く勉強しなければならないと思った。 座談会を読む。「私はヘーゲリアンだから」「君はさっきまでずいぶんとデカルト的な議論を展開していたのに、そこにくると、急にカント的なんだね」「イヤ、僕が脱構築というのは、デリダ的な意味合いではなく」――全然わからない。またまた打ちひしがれる。ギリシャ以来の知的伝統を学ばなければならないと思った。もちろん、西洋の知だけではない。荻生徂徠だって、伊藤仁斎だって、名前しか知らないじゃないか。 このような体験から、私は読書家となり、教養あふれる人物となった――と、こういけばよいのだが、そうはいかない。岩波文庫を買い、プラトンを読み始める。挫折し、カントを読むが、10頁で眠りに入る。中央公論社の『世界の名著』『日本の名著』をいくつか買うが、そのまま本棚に鎮座する。しかし、保存状態よく並んでいる。それらの書物は、少しばかり勉強しただけでわかった気になる私を諌めてくれる。「まだまだ、奥はあるのだ。こんな基本的な本だって読んでいないではないか。」 だから、いつも私はびくびくしている。底の浅さがいつ露呈するかを恐れている。 古典を読みなさい。――そのようなありふれた、しかし、なかなか実行しがたいアドバイスをするつもりはない。古典を買いなさい。そして、それを買っただけで読んでいない自分を恥じなさい。本当は読まなければならないのだ、というプレッシャーを感じなさい。そして、自らの教養の底の浅さに、いつもびくびくしていなさい。
http://nekohituzibanana.blog63.fc2.com/blog-entry-170.html
0 notes