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The obscene bird of night
決して同じ人間のままではいないという自由。身に着けるぼろは決まっていない。すべてが一時の間に合わせ��、つねに変わる。きょうのおれは、たしかにおれだが、あすになれば誰も、いや、おれ自身がおれに会うことができない。人間は、仮面があるあいだ、人間であるにすぎないからだ。シスター・ベニータ。おれはときどき、ひとつの顔とひとつの名前、ひとつの機能とひとつの範疇にこだわる、あなたのような人間が哀れに思われることがある。
という一節は、クロソフスキーの『バフォメット』のこのセリフを思い出させました。
「なぜって、わたくしは、生命を自分の創造したものに、自分の創造したものをただ一つの自我に、そしての自我をただ一つの肉体に隷従させる創造主とは違います。おお、ジャック殿、殿が自分のうちで虐待される無数の自我は、殿のなかで死に、かつ幾百万回となく蘇ったのです!殿のたった一つの自我だけがそれを知らないだけです」
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My master, the wizard Watkin
魔術師の名前はワトキンで、それって魔術師の名前的によくある名前だったっけ、と思いながら、わたしはこの短編集の中の「マンティコアの魔法」を読み進めていった。
ところでマンティコアはわたしにはこのイメージで
そいつの色は深紅だった。さまざまな色合いのクリムゾンだった。ーーー
と、いわれると、ん?そうだったかな?と思ってしまうのだけど、深紅で、さまざまな色合いのクリムゾン、……ちょっと待って。
It was crimson and shades of crimson.
それは真紅で、また、様々なニュアンスの真紅だった
とわたしは読んだ……、そうだ、そうでした!
crimson and shades of crimson、それってどんな風に日本語にするのかな、と数年前、夢想しながら読んでいた、フォードの短編集”The Drowned Life”の中にあった”The Manticore spell”、これの日本語訳に行き当たったのでした。
すっかり忘れていてなかなか思い出さなかった。原作の���語で読んだ話を日本語訳で読み直そうとはほとんど思わないものの、こうして偶然再会するのは良い驚きです。
他に「夢見る風」が、the drowned lifeに収録されていたかな。
フォードの本は原書で読んでいても買うつもりがあるので、もっと別の短編も日本語訳されてることを願っています。
ちなみに
Watkin is an English surname formed as a diminutive of the name Watt (also Wat), a popular Middle English given name itself derived as a pet form of the name Walter. First found in a small Welsh village in 1629.
Within the United Kingdom it is associated with being a Welsh surname.
wikiより
The Watt surname derives from early forms of the personal name Walter. The popular Middle English given names Wat and Watt were pet forms of the name Walter, meaning "powerful ruler" or "ruler of the army," from the elements wald, meaning rule, and heri, meaning army.
ワトキンはワットの愛称から形成された英国の名字で、ワット自体もウォルターの愛称から。英国連邦では、ウェールズ人の名前とされる。ウォルターは強力な支配者、軍の司令官という意味。
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テ・デウムを唱いながら。
改宗を迫られたことも、信仰ゆえに迫害されたことも、この人達が初めてでなく、取り立てて苛烈であったわけでもないことは、読みながら常に頭から離れなかったことだったので、とりわけカトリックということに蝋燭を灯したかったのであれば、もう少し教義と、エリザベスのカトリックへの政策に触れて欲しかったな、というのがわたしの意見。政争ではなくてね。
ロビンとマージョリーのロマンスはいらなかった。彼らがこの物語をリードするプロアゴニストではあるけれども、裏切り者のトマスで十分話を引っ張れたと思う。
この2人の運命の役どころについて文中でも時々触れられていましたが、皮肉なのか賞揚なのか判断に迷いました。わたしは宗教への皮肉だと思うことにしています。
ロビンが山小屋で得た境地は、生きていれば得られるもの。司祭にならなければ到達できない境地ではないけれど、彼のような坊ちゃんロマンチストには宗教というボディコンシャスが必要だったのかもしれませんが。
具象への言及が豊かで、ブリューゲルの描くような絵を想像できたことが、救いです。
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学生の頃に借りて観たビデオで映像と音楽とその静謐さを受け取って以来、良きものとしての印象を保っていたこの物語。
大人になってから、原作小説があると知り、是非とも読んでみたかった。
話の大筋は知ってるから、ディテールは新鮮だったけれども、物語として読み終えると文章の巧みさというよりも、なにこれ?という虚しさ。大人になるということは、感動よりもその中の損失に目がいくというものだと感じます。
思い出は美しい、ただそれだけ。
自分の頭の中にあるものが美しい、ということを、先生と確認し合いました。
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as irresponsible as a storm on the sea
『アイルランドの創出』で読んだシングの、��して『琥珀捕り』の栩木さんの訳で復刊されたとあっては、買わないわけにはいかなかった本書。お話好きのアイルランドの”おじい”たちの炉辺でのたたずまいをイメージすると『琥珀捕り』のシーンも連なって蘇るようでした。
さて、タイトルは、本書の第一部、91頁あたりを原書から。
This impulse to protect the criminal is universal in the west. It seems partly due to the association between justice and the hated English jurisdiction, but more directly to the primitive feeling of these people, who are never criminals yet always capable of crime, that a man will not do wrong unless he is under the influence of a passion which is as irresponsible as a storm on the sea. If a man has killed his father, and is already sick and broken with remorse, they can see no reason why he should be dragged away and killed by the law.
自分の父親を殺してしまった男の話をしているのですが、太文字のところを
自分では責任を負えない海の嵐のような激情にかられた時
と栩木さんは訳しておられます。本文中ここに至るまで、このアラン諸島へ渡る舟の道の激しさや困難さを読んできた読者にむけられたこういう表現は、とても効果的で、もちろん犯罪者の心情と犯罪行為との結びつきに同情するわけではないですが、想像するに難くないな、と感じさせる著者シングの絶妙な比喩表現です。
ところでわたしはあまり知らなくて、アラン島は絶海の孤島のイメージでしたけど、若い友人に話をしたら、アイルランドを訪れた際に行ったことあるよと言われ、現在はポピュラーな観光地になっているそうですね。行ってみたいかどうかは別として、映像で見てみたいものです。
さてさて。
a passion which is as irresponsible as a storm on the seaもそうですが、
these people, who are never criminals yet always capable of crime,
犯罪を犯す可能性のある、まだ犯罪者ではない人々
ここを読んでAs meat loves saltのジェイコブを思い出しました。
that a man will not do wrong unless he is under the influence of a passion which is as irresponsible as a storm on the sea
ジェイコブはこうした忘我の激情型人物で、最初の殺人も、妻やクリスへの強姦(クリスは未遂)も、こういう激情に駆られた結果であって、その後自己嫌悪と悔悟の中で静かに生きようとするのです。読んでいた当時のわたしは���ェイコブに同情的な思考を展開し、特に激情に駆られやすい若いうちでも、その後の世代でも、カッとなって人を害することのなかった人生はとても幸運なものではないだろうかと考えたものです。人間は誰しも、多かれ少なかれ、these people, who are never criminals yet always capable of crimeなのではないだろうかと。
けれども、ジェイコブは果たしてまた逃れようのない嵐に見舞われることはないのでしょうか。ジェイコブの負の感情を養っていたのはキリスト教社会が作り出した悪魔だったかな?それとも肥大した自我だったのかな。そうしたものが取り除かれない限り、ジェイコブは新天地でも己をなくすかもしれません。
久しぶりにあの話を思い出し、憂鬱になりました。でも他のこともあわせて豊かな思い出だと言えます。読書は単独ではなくて折り重なり、繋がりあって、わたしの中に沈殿していきます。琥珀捕りのたくさんのキャラクターたちやジェイコブからウルフホールのクロムウェル、アメリカにわたったdays without endのトーマス、それから「犬の力」のカランなど、思い出させてくれたアラン島でした。
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L'étymologie anglaise
読み終わってから少し時間が経ちました。内容はぼんやりとしか覚えていません。
日本語にしても英語にしても、わたしは本を読みながら難しい単語や知らない言葉に出会うと意味を調べるついでにその語源も知りたくなります。
けれども日本語は難なく覚えられる一方で、英語の単語は実はぼんやりとしか区別しておらず、道路標識の意味はわかってもどんな記��だったか再現せよと言われるとできないのと同じようにアルファベットの順番を覚えることが難しい。
似たような綴りだけど意味は全く違う単語をいくつか区別せずに覚えていて、文脈に沿ってこれはこうだな、ああだなと読みながら振り分けているので、もし単語テストがあって単語だけで意味を書けと言われたら難しいし、綴りを書けと言われたらそれはもっと困難です。
そこで、単語を語幹とその付属にわけて見ることが出来たら、より区別しやすいだろう、というのも語源好きの理由の一つ。
幸いにも英語は接頭辞や接尾辞などが多く、それを見ただけで方向性がわかるから便利です。
ちなみに、以前からir~の単語が嫌いだったけど(irrelevant, irresistible, irreversible...)、これは接頭辞in~(否定もしくは反対)の変化形で、p、b、mの前でim~、lの前でil~、rの前でir~になると読んで、なるほどー!!と頭上の雲が晴れた気持ちになりました。
知ってましたか?え、もしかして知ってた?
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another september
先日、ようやく読了したこの大著。
難しい箇所が多く、紹介された作家や本の8割を知らないわたしの身の程知らずが洗い出された感もあるのですが、とても示唆に富み、参考になった部分もたくさんありました。
そもそもなんでアイルランドをそんなに気にしているの?というと、好きな作家がアイリッシュだったということもあるけれど、12世紀に内乱でイギリスの介入を招いた結果、1949年にイギリス連邦を離脱するまでイギリスの植民地であったという要素がわたしにはとても興味を惹かれることだからです。
序章から引用します。
1840年代の飢饉に続く大規模な海外脱出のため、大ブリテン島や北アメリカ、オーストラリアの主要都市では、数十万のアイルランド人が男も女も祖国に思いを馳せ、本国ではもはや担う者も乏しくなってしまった重荷、すなわちアイルランドという観念を進んで担うことに心を砕いた。
『アイルランドの創出』16頁
これは以下の歴史に起因します。
19世紀のアイルランドで主要食物のジャガイモが疫病により枯死したことで起こった飢饉を指す。アイルランドにおいては歴史を飢餓前と飢餓後に分けるほど決定的な影響を与えたため、"Great Famine"(大飢饉)と呼ばれている。この飢饉でアイルランド人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ。さらにアイルランド語話者の激減を始め、民族文化も壊滅的な打撃を受けた。 wikiより
こんなこと、大変なことじゃありませんか?
当時、今のような「国家」ではなかったとしても、ひとつの民族、といって語弊があるなら民衆集団として、こうした苦難を乗り越え、イギリスからの独立を果たし、ケルト文化やゲール語を失いかけつつも世界文学を書きあらわす作家を輩出する文明であったということはどういうことなのか。興味を持たずに���れません。
アイリッシュであるということは幼稚で感情的、情緒的、女性的(女性的!)であると見なす帝国主義的イギリスの価値観との折り合い、二項対立の克服の試み、そして国家のアイデンティティの形成へのstruggle。本書では、こうしたことが文学を通して論じられており、わたしは各々の章を読むたびに、何度も息を呑み、感嘆し、そして何度も眠り込んでしまいました(難しいので)。
だから、書き留めておきたい文章はたくさんあるのだけど、消化しきれておらず、一つだけを取り出して言いたてるべき内容でもないので、なかなか読書日記を書くに至らず時間が過ぎてゆきまして。。
今も頭の中は朦朧としているのですが、
「第32章圧迫のもとでーー1960年から1990円の作家と社会」に部分的に引用された以下の詩の訳がとても気になって誰かに教えてもらいたいくらいなので、自分への記念にここに書き残して、終わりたいと思います。
Another September by Thomas Kinsella
Dreams fled away, this country bedroom, raw With the touch of the dawn, wrapped in a minor peace, Hears through an open window the garden draw Long pitch black breaths, lay bare its apple trees, Ripe pear trees, brambles, windfall-sweetened soil, Exhale rough sweetness against the starry slates. Nearer the river sleeps St. John’s, all toil Locked fast inside a dream with iron gates.
Domestic Autumn, like an animal Long used to handling by those countrymen, Rubs her kind hide against the bedroom wall Sensing a fragrant child come back again – Not this half-tolerated consciousness That plants its grammar in her yielding weather But that unspeaking daughter, growing less Familiar where we fell asleep together.
Wakeful moth wings blunder near a chair, Toss their light shell at the glass, and go To inhabit the living starlight. Stranded hair Stirs on still linen. It is as though The black breathing that billows her sleep, her name, Drugged under judgement, waned and – bearing daggers And balances–down the lampless darkness they came, Moving like women : Justice, Truth, such figures.
2節目の最初、Domestic Autumnを本書では「人慣れた八月が」と訳してあって、それはこの詩を理解していたら当然理解できる訳なのかもしれないけど、詩の冒頭から品詞分解できないわたしは、情景は想像できても分析することはできないから、Autumnが一般には9、10、11月でも英国では8、9、10月をさすこともあると辞書でみても、邦訳するとき、現在の暦上の日本では8月は酷暑で決して秋のイメージではないのだから、なぜAutumnを8月と訳す必要があったのだろうか、それがすごく知りたい。。。
だれか教えてください。
according to the Irish Calendar, which is based on ancient Gaelic traditions, autumn lasts throughout the months of August, September and October, or possibly a few days later, depending on tradition.[citation needed] The names of the months in Manx Gaelic are similarly based on autumn covering August, September and October. wikiより
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called out tinily, to the island, to Sligo, to me, to me.
Sebastian Barry のThe Secret Scripture をやっと読み終えました。
途中で別のを読んだりし���ので、半年くらい掛かったのじゃないかと思います。最初は、アイルランドの複雑な時代背景への知識不足から来る壁や人物への距離感に疲れ、英文も読みにくくて、途方にくれたこともありましたが、最後にはすっかり読みやすくなり、ザクザク読み。と、これはいつも同じことを言っているかも。
そしてBarryの、いつも通りの美しい文章。歴史に埋もれたアイルランドの普通の人々である語り手の視線や心情を直裁に、彼らの存在自体に支えられた感性(とその奥にいる著者自身の底知れぬ文才)を通して詩や音楽のように、読み手の心を揺さぶりながら伝えてくれるBarryの書き振りには、毎回、驚き、感動させられます。
この作品は映画にもなったようで、wikiで映画のあらすじを読みましたが全然違います。映画を観て、原作の小説を読もうと思った方は、ご注意ください。(映画は観てませんが)
物語は、Roscommon Regional Mental Hospitalの入所者で100歳にならんとするRoseanneの秘密のノートの内容と、その主治医であるグレーン医師の日誌の記述から織り成されます。
ときは20世紀初頭、ところは、アイルランド、コナハト、スライゴ。
幸せな少女時代。
Presbyterianで、カソリック教会の墓守をしていた父を深く愛していたRoseanneの人生は、この父によって大きく左右されました。
Presbyterianは日本で長老派教会と呼ばれ、プロテスタントの一派であり、1567年にはスコットランドの国教ともなりました。この宗派について本文で踏み込んではないものの、第一次世界大戦、イースター蜂起、独立戦争という動乱の中にあるアイルランドにおいて、多数派のカソリック住民と、イギリス寄りのプロテスタント上流階級と大まかに分けることができる社会の中で、長老派教会については、wikiにアイルランドの長老派教会として、
ジェームズ1世は、スコットランド人の長老派をアルスター大農園に入植させた。1641年、アイルランドのカトリック教徒はプロテスタントを殺害した。1642年、スコットランドが入植者保護のため送った軍隊から最初の中会が生まれた[12]。これは北アイルランド紛争に繋がり、現在もカトリック系武装組織IRAのテロが続いている。スコティッシュ・アイリッシュ(スコットランド系アイルランド人) と呼ばれ、イングランドとカトリック双方から苦しめられた長老派は1700年頃から北米に渡っていった。
とあり、そういうことから勘案すれば、Roseanneの一家は多数派の家庭には属せず、微妙な立ち位置であったことが窺い知れます。
そして大方の予想通り、一家の命運は、カソリック教会の神父であるゴーントか、あるいはアイルランドの歴史そのものによって、同時代のほかの多くの人々と同じに、転落へと導かれてゆきます。ゆくのだけれども、たんに恨みつらみの折り重なりではなくて、Barryは、登場人物たちの口を借りて、
まずはRoseanneから、
But small and narrow are all human things maybe.
という諦念を、読者に伝えます。こういった見方は、私自身もそういう信念を持っているからかもしれないけれど、心に残り、主旋律のピースのように響いて全体のバランスを補正し、メロドラマからも悲劇からも引き上げているように思いました。
Perhaps in heaven these are small matters.
Ah, yes, small matters. Small matters, that we call sanity, or the cloth that makes sanity.
But a raging woman all alone in tin hut is a small thing, as I said before.
などなど。
悲しんでいるけど、悲しんでいない。嘆いているけど嘆いていない。苦痛や苦悩を授かりものの宝物のように大事にしない。前を向く。天を仰ぐ。この世を思う。これは、ほかの作品にも感じることで、Barryの物語はアイルランドの歴史に絡んで不幸な出来事が多いけれども、それを声高に主張したりはしない。そこがBarryの良いところ、と思うのでした。
たいへん苦労したけれど、今年中に最後まで読み通すことができ、また次に繋がる期待も持ちました。
なお、タイトルはRoseanne の出産シーンから。生まれた子が産声をあげるところ。
この島に、スライゴに、私に、わたしに。
こういう感覚は、Roseanneでなければ著者の感性で、誰も救いの手を差し伸べてくれなかった土地から、町から、彼��自身へと世界を約めていく手法のなかで(Roseanneのレトリックにしては大袈裟な気がする)、to me, to meがやっぱりとてもRoseanneらしく(彼女は連呼しがちなので)、大げさな形容詞や比喩はなくとも同時になりたての���親の激情をも感じさせ、素晴らしいと思えた箇所です。
他に、アイルランド絡みで記憶に残るシーンは多々ありますが、それは別の本にリンクしたときに。
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