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その角を曲がった先に
道に迷わなくなったのはいつからだろう。子供の頃の僕にとって道に迷うということは、不安や焦りよりも、期待に胸が高鳴るものであった。小学校の帰り道、いつもとは違う道を通り、家と家の隙間の路地を抜けて、全く知らない場所を発見した時の興奮と感動は今でも忘れられない。中学生になってからは行動範囲も大きくなり、休みの日には自転車のカゴに水筒と地図を入れて市外に出るようになった。知らない土地に行くことを旅とするならば、僕の毎日は旅で溢れていた。
だけど、ここ最近は道に迷うことが少なくなった。きっとそれは大人になっていろいろなことを覚えてしまったからだと思う。子供の頃は時間を気にせずにいつまででも旅を続けることができたのに、今ではそんな風に過ごすことが難しくなってしまった。そこに費やした分の時間のツケをどこかで支払わなければいけないと思うようになった。今現在自分がどこにいるか分からなくなった時、昔はその状況を楽しんで辺りを散策して、自分の頭の中に新たに地図を描いていた。でも今はスマートフォンという文明の利器を手に入れた。この小さな機械は瞬時に今の現在地を教えてくれる。そのおかげで僕らは安心して道に迷うことができるようになった。でもそれは迷っているようで、迷ってはいないのだ。これまで僕が時間と体力をかけて描いていたものは指先をフリックするだけで分かるようになり、無尽蔵にあった体力も今は衰えて、後々のために残す術を覚えてしまった。気にせず使い続けていた時間は、有限であるということを認識した。同じ道の往復ばかりするようになった僕はあの頃の胸の高鳴りを一時忘れてしまった。
その日は晴天というほど天気のいい日ではなかったけれど、夕日のオレンジが妙に綺麗で、僕は不意に思い立って、大学からいつも帰る道とは真逆の方向に自転車を走らせた。大学前の白川通を下ると銀閣寺道に出る。そこから百万遍のほうへ降りて、京大のキャンパスを左手に見ながら東大路通を進んでいくと京大の吉田寮が見えてくる。僕はその角を左へ曲がった。ここからは僕の地図にはない道だった。そこには少し丘になっている住宅地があって、僕はその丘のてっぺんを目指して進んだ。ゆっくりと走ってはいたけど、途中ボール遊びをしている子供が飛び出してきて危なかったので自転車から降りて進んだ。とても入り組んだ道だった。右へ左へと進んでいると、長くゆるやかに続く坂道に出た。右側はずっと上までブロック塀になっている。あまり綺麗に舗装されている道ではないけれど、石段の横にちゃんと側溝があって、それをスロープ代わりに自転車を引いて歩いた。登っていくと心臓の鼓動が速くなる。それは昔感じた高鳴りにもよく似ていたし、ただ疲���ているだけな気もした。ようやく登り切るとそこには古いアパートといくつかの真新しい一軒家が建っていて、振り返ると遠くのほうまでよく見渡せる。登っているとき右側にあったブロック塀の先は墓地になっていた。腰の曲がったおばあさんが一人でお墓参りをしているのが見えた。花は詳しくないのでわからないけど、白と黄色の花を供えていたのを覚えている。辺りは本当に静かで、どこかの家から聴こえてくるたどたどしいチューバの音と、おばあさんがぶつぶつと唱えているお経の声だけが耳に残って、ほんの少しだけ背筋が冷えた。ただ目の前で落ちていく夕日が照らすその景色は、単純にすごく綺麗だと思った。心臓の鼓動もあの頃とは少し違うけど、確かに高鳴っていた。
体力や気力は昔よりも落ちているし、時間が有限だということも分かっている。だけどこれはとても簡単なことで、その範囲でできる旅というのがある。疲れが気になるのなら、もっとピンポイントで動けばいいと思うし、時間は有限だけど、全くないわけでもない。スマートフォンを使わずに道に迷いに行くのもたまにはいいだろう。大人になった今だからこそ理解することができる土地の在り方も発見できると思う。そう考えるようになった。毎日が旅で溢れているとはもう言えないかもしれない。でも日常の中には、旅への入り口がまだまだたくさんある。
(石川悟)
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「私」だけで生きる(1)─18歳の静寂
幼い頃、夜が恐ろしかった。電気を消した直後の自分の指先すら見えなくなる暗闇や、キーンと鼓膜を振るわせるような静寂が嫌で嫌で堪らなかった。寝ている間に知らない人が部屋に忍び込んでくるのではないか、お化けが窓を��り抜けて私をさらっていくのではないかと本気で心配して長い間眠れずに布団に包まった挙句、母に泣きついて一緒に寝てもらっていた。母は、天使の絵が描いてある小さなランプを押し入れから出し、なぜか落語のCDを(柳家花緑さんの「寿限無」だった)かけて私の手を握ってくれて、そうして私はやっと眠りにつくことができた。
さすがに小学校の高学年になったころには一人で寝られるようになり、中学高校では���しろ親が部屋に入ってくるのを嫌がった。家の中で自分一人だけが起きていると、なんでもできる自分だけの世界を手に入れたような気分になって心地良かった。私は夜と、夜の暗闇と和解したものだと思っていた。
大学入学を機に一人暮らしを始めた。前の住民の退去日や清掃点検の関係で入居日が入学式とかぶってしまい慌ただしく、これから始まる生活への期待を持つ余裕などなかった。
入学式が終わり、慣れないヒールで何回か転びそうになりながら階段を上がり段ボールが山積みになった部屋に帰ると、母がご飯を作って待っていてくれた。私は、通路を塞ぐように置かれた箱を避けながら、スーパーの袋に入った紙皿と割りばしを二組取り出し床に置き、明日からは一人でいただきますとごちそうさまを言わなければならないのか、と少し切なくなった。
母はその夜帰っていった。数分前まで「そういえば最近お隣のチワワが」とか「大学の階段が長くて」とか、いつもみたいになんでもない話をしていたのに、玄関の扉が閉まった途端、静寂が訪れて部屋の温度が下がったような気がした。急に名残惜しさだとか、虚無感のような、心の一部が空洞になったような悲しさが沸き上がり、今日から一人になるんだと実感した。無造作に積み上げられた段ボールに自分の居場所を奪われているような感覚に陥った。何とか横たわれる状態にしたベッドで私は、久しぶりに感じるキーンという静寂が不快だった。
目いっぱい荷物が詰まった段ボールを、手当たり次第に開けて中身を出す作業は私にとって苦痛だった。片付けているはずなのに散らかっていく。床を埋め尽くす本や小物を見るのが嫌だったし、段ボールに板を置いただけの机で、紙皿と割り箸を用意してスーパーで買ったお惣菜を食べるのも涙が出そうだった。小さいスプーンが見つからずに計量スプーンでプリンを食べたりもした。私は次第に家に帰るのを避けるようになった。
家にいると他の部屋の人たちに気を使った。下の階に足音を響かせたくなくてすり足のように歩き、壁に肘が当たると罪悪感でしばらく動けなくなった。今思うとおかしくなっていたのだろう。
夜ベッドに入ると、静けさが気になって眠れなかった。暗闇が怖いとは思わなかったけど、不安や悲しみが止めどなく湧いてきた。私は再び夜が恐ろしくなった。
母に心配をかけたくないという一心から「一人暮らしは順調だ、毎日が楽しい」と嘘をついて毎日を過ごしているうちに、ゴールデンウィークになり久しぶりに実家に帰省した。見慣れた扉を開けると、愛犬が尻尾を振りながら私に駆け寄ってきて、中から「おかえ
り」という声が聞こえた。限界まで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れて、私はその場で泣いた。中々入ってこない私を心配して母が玄関まで来た。しゃがみ込んで嗚咽する私を見てはっとした母は、ゆっくりと私の背中を撫でてくれた。その瞬間堰を切ったように一人暮らしの不満だとか寂しさが溢れ出した。母はそれを静かに聴きながら「辛かったね」と言ってずっと背中を撫でてくれた。
ゴールデンウィークが終わるぎりぎりまでの時間を私は実家で過ごした。また一人ぼっちのあの空間に戻るのは心苦しかったけれど、母の、呼ばれたらいつでもとんで行くからという言葉と、柳家花緑さんのCDを持って、戻ったらとにかく段ボールの机をどうにかしようと決心した。
(笠井淳)
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初めての借金
長い人生、生きていくために必要な物といえば何があるでしょうか。家、睡眠、仕事、人付き合いなど、物理的なものや精神的なもの関係なく挙げればきりがありません。ですが、そんな中で最も重要な物の一つがお金です。お金は生きていく上で必要な物を買うために必要なものです。現代ではお金がなければ、寝る場所や食べ物を得るのも難しいのです。
お金と付き合っていく中で、しないで済むならいいものの、せずに生きていくのは難しいもの、それが借金です。借金とは、他人からお金を借りる事で、借りれば返すのは当然のことです。ですが、そこに苦しむ人が続出するのです。それを学生の時点で触れる借金の代表である奨学金(日本学生支援機構)で具体的に見ていきます。
奨学金とは
大学にかかる費用といえば国立大学でも4年間で自宅通学の場合は約460万円、自���外通学の場合は約1000万円とかなり大きい額になっていて、私立大学になると費用はさらに増えていきます*。これをすぐに支払える家庭はそうそうなく、大学に通うことのできない人は数多くいます。そんな問題を解決するために、学費を支援しようというのが奨学金です。現在、奨学金を利用している学生は全体の半数を超えています。大学以外でも学校であれば借りらます。
「借りる」ということ
学びたいものがある、行きたい大学があるという人にとって奨学金とはとても有用な制度です。実際、奨学金がなければ大学に通えないという人が数多くいるからです。ですが、奨学金を借りるということは大学に通えるようになるというメリットばかりではなく、借りたものは返さなければならないという当然の責任が発生します。
奨学金は月に3万~12万円まで借りることが可能で(医療系なら4万円まで増額が可能)、それを5年~20年かけて返済していきます。借りた額に対し最大で年利率3%の利子が付き、長い時間をかけて返済するので、払い終える頃には200万円の利子を払っていたということもありえます。例えば、月12万円(4年制で合計576万円)の奨学金を20年で返済すれば、返済が終了したときには775万円という金額を支払うことになります**。
月々の返済額は人それぞれですが、普通はある程度払えそうな額を設定します。その設定額は一見返していけそうな気がしてしまいます。ですが、それは働いていたらの話です。就職活動がうまくいかなかったり、仕事を辞めてしまった場合など、安定した収入が得られなくなった時、奨学金は大きな足かせになってしまいます。もともと学びたい事があって奨学金を借りたにもかかわらず、返済のために専攻や目標とは関係のない職種を選んで就職する人も多くいます。奨学金は金銭の問題を解決してくれますが、それは一時的なもので、その先また自分に降りかかってくることを忘れてはいけません。
本人だけのものではないということ
日本学生支援機構は最近になって返還金の回収を強化しています。返済金を支払うことができず滞納が続いてしまうと、それに応じで年利率2.5%~10%の延滞金が発生し、3か月滞納すると個人信用情報機関(ブラックリスト)に登録されます。さらに、9か月滞納すると返済期日が来ていない分まで含めた全額の一括払いを求められることになります。実際に約381万人中の1割弱にあたる約33万もの人(3か月以上の滞納だと16万人)が返済を滞納していて***、そのため更に回収が強化されるという悪循環が生まれています。
失業や病気などで借金の支払いが難しくなった時、救済措置として返還期限の猶予制度や減額返��制度などがありますが、審査が通らずに最終手段として自己破産する人も多くいます。自己破産には、ローンが組めなくなる、家や車などの財産があっても売却を予備なくさせられる、などのデメリットがあります。そして、それらを全て承知したうえで借金を帳消しにしたとしてもそれで終わりではありません。自己破産は破産した本人の返済義務がなくなるだけで借金自体がなくなるわけではないからです。
ではその借金はどこへ行くのか。借金をするときに必ず必要な存在、保証人です。たいていの場合、それは家族です(人的保証の場合)。借りた本人が返済できずに自己破産したとしても、次は保証人であるその親が奨学金を返していかなければならなくなるのです。そもそも、学費が払えずに奨学金を借りたはずが、親へと借金が渡ってしまい結局迷惑をかけることになってしまいます。そして、その親たちも自己破産をすることになる可能性もあります。自己破産は最終手段ですが、それをした結果どうなるのかも考えるようにしましょう。
最後まで考えて
奨学金は学生にとって背中を押してくれるとても大事な制度です。学生の半数もが利用しているのですからそれはわかるでしょう。ですが、同時に足を重く引く錘にもなり得ます。といっても、働きさえすれば返していける額ではあるので、堅実に確実に返していけるのであれば問題はありません。ただ、他に方法があるならわざわざ奨学金を借りる意味はありません。給付型の奨学金制度がある学校や自治体、企業もたくさんあります。それらも含め、どうしても借りなければならないのか、返す覚悟はあるのか、それでも奨学金が必要だと考え抜いたうえで借りるようにしましょう。
上記で述べてきた通りお金を借りるということは、その分未来の自分に負担を強いることになります。未来を先取りしてお金をもらっているのです。つまり、借金とは未来のお金をめに借りることなのです。人生の中でそれと無縁でいることは難しいでしょう。だから、せめて未来の自分を考えてみるようにしましょう。
(大熊拓鉄)
【参考資料】
* 学費・教育費/大学でかかるお金『大学4年間でかかる学費・生活費はいくら?』 https://allabout.co.jp/gm/gc/18712/ 2017年7月27日閲覧
** 大学 ・ 返還例-JASSO http://www.jasso.go.jp/shogakukin/henkan/houhou/sample/sample_daigaku.html 2017年7月27日閲覧
*** 平成27年度奨学金の返還者に関する属性調査結果-JASSO http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/h27.html 2017年7月27日閲覧
(その他)
債務整理ナビ『奨学金が返せない時の危険性と知っておくべき救済措置~いざという時の備えに~債務整理コラム』 https://saimuseiri-pro.com/columns/10/ 2017年1月20日閲覧
NHKクローズアップ現代『���奨学金破産”の衝撃 若者が… 家族が…』 http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3815/1.html 2017年1月20日閲覧
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生きていくことについて考える、ということについて
僕が京都造形芸術大学の文芸表現学科というところでゼミを担当するようになってから、はや7年目に突入しました。つまり今年ゼミに入った3年生たちは7期生、去年からいる4年生たちは6期生ということになります。
僕の専門は小説の研究なので、最初のころは小説を書きたい学生や、批評・評論をやりたい学生が多かった。ところが最近では、何かを書きたい学生でも旅行記やエッセイ、散文と韻文のコンビネーション、果ては写真を撮りたい学生、何か「モノ」を作りたいですという学生まで、いったい何をするゼミなんだと自問自答する毎日です。
僕は基本ゆるい人間なので、こういう状況はむしろ歓迎です。でも、これだけ振れ幅の大きい学生たちを集めて、毎週2コマのゼミで何をするのか? これは大問題です。そこで集まった学生たち全員にあてはまるような「最大公約数」を考えてみました。
見つかった公約数は、みんなこの世界で生きている、ということ。はっきりいって、最大公約数が1でした(いわゆる互いに素ってやつですね)って話なのですが、でもこれは案外重要なことだな、と思いました。学生たちは一生懸命自分のテーマに取り組んでいきます。小説を書く、取材をしてドキュメンタリーを書く、詩を書く、エッセイを書く、写真を撮る、雑誌を作る。でも、そういうことは全部、現実のこの世界での日々の生活のうえに成り立っているんですね。小説を書いている学生も、雑誌を作っている学生も、毎日ごはんを食べて、毎月家賃を払って、選挙があれば選挙に行って、日本の法律を守って生きています。そのなかで思ういろいろなことを、立ち止まってきちんと考えてみよう、そんなことをゼミとしてやってみようと考えました。
それを始めたのは、もう一年近く前、2016年の10月でした。それ以来、ゼミではいろいろな問題について考えてきました。テーマを出した学生が、そのテーマについてあれこれ調べてきていわば「ネタ出し」の発表をする。それをもとに、みんなでディスカッションをして、最後はテーマを出した学生が記事にまとめる。そんなことを始めてみました。ようやく記事が形になり始めたので、それをWEB上に公開し、みなさんに読んでいただけるようにしてみました。いつまで続くか、どこまで「���きていくこと」を掘りさげられるかわかりませんが、おつきあいいただければ幸いです。
京都造形芸術大学 文芸表現学科
河田 学
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