Tumgik
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白。
これは、懺悔です。だってほら、貴方から吐き出された白があまりにも綺麗だったから。思わず、手を伸ばして仕舞いそうになったのです。くらくらする様なあまいあまいバニラ。この世で一番婉美な有害物質。そんなどうしようもない色がどうしようもないものである程に、僕は全てが愛おしかった。目には見えず、けれど絶えず、生きる限り続いて居て。それが可視化出来たことによって、貴方は僕と同じもの、なんだと、感じる事が出来た。けれど、あの純白は少しずつ貴方を黒に変えて、また貴方は僕から遠ざかって終う。そしてきっと、僕はそれをも羨ましいと思うのでしょうね。故に、その美しい呼吸を、この夥しい世界に溶かすという事実が、とても惜しいと思ったのです。
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信仰。
僕は君の"それら"を守り通し尊ぶことで、この図り知れない世界の正しさを超越することさえも可能だと、勘違い出来る様な気がしたんだよ。
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Each of justice.
正しい って、一体何なんだろうなぁって思うんです。世間一般で言う 当たり前 や 普通 に沿った事全てが正しいとは限らないじゃないですか。例え僕の中では正義だったとしても、それが誰かにとっての悪だったりもしますし。勿論、逆も然りです。生きて来た環境や個人の価値観によって全く別の捉え方が出来る。良く言えば多様性が有るって事になりますけど、反対に、全ての人が納得して同じ考えを持つという事は不可能だとも考えられます。
大きな衝突が起こる時、信じて疑わない"自分達の正義"を身を呈して貫き通す事でしか体現方法が無いなんて、それって余りにも悲し過ぎると思うんですよ。ですが、何方も妥協が出来無いのならば、時には実力行使を取る選択も、致し方無い事なのかもしれません。誰も傷つく事の無い世界なんて多分きっと無理で、だけどそれを叶え様として仕舞うのが人間の愚かな所なんでしょうね。
"豊かな未来を実現する為に必要な犠牲"は果たして本当に必要なのか。大抵の人は"今"に精一杯でそんな事を考える暇なんて無い、って本当ににその通りですし。理想論は素敵ですけど、現実的じゃ無いんですよねぇ。それでもやっぱり、掲げた物を実現させ様と真っ直ぐに突き進んで行く姿は格好良くて、少しだけ切なくて。もうね、狡いんですよ、そんなの。
例え、人の生命の価値を人が決めるという事が当たり前の世界であったとしても、勧善懲悪は極稀なケースなんじゃないかと、深く考えさせられました。そんな映画の感想の話。
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漏電。
上手く纏まらないんです、何もかも。思考も言葉も行動でさえも。有る種、発作の様なものなんですが、何度経験しても慣れませんねぇ、この不可解な感情と衝動というものは。
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現状維持。
「どうせ僕なんか」 が口癖の怠惰は、相も変わらず日常に溶けて。「ただ君の唯一になりたかった」 何て奢侈な願いは、無論、水の泡となって消えた。差し詰め、何時だって恋慕するだけの薄幸な宿命。だからさ、気付かなくて良いよ、最後まで。僕の身勝手を知らないまま、明日も側に居てね。
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シングルベル。
メリークリスマス。いや、メリーと言うよりかはグルーミーなんですけれども。煌めく街並みを埋め尽くす人、人、人。電車に乗るだけでも其処彼処にハートが飛び散る様な空気が突き刺さる、独り身には肩身が狭い日曜日。
そもそも日本は輸入されたイベント事に対して、独自のマーケティングが多過ぎると思うんですよ。例えばクリスマスは恋人と過ごすものだとか、バレンタインにはチョコレートを贈るだとか。実際、本来のクリスマスは家族で過ごす日と言う認識の方が大きい訳ですし、ケーキやチキンを食べるというのも日本特有の物です。
そんな我が国のステレオタイプに影響を受けて毎年の如く相手が居ないと嘆く皆さん、僕も仲間です。強く生きましょう。まぁ、何だかんだ言っても結局は影響されて仕舞うのが性と言いますか、気付かぬ内に刷り込まれた“普通の幸せ”を前へ習えの精神で追い求めて居る、何て悔しいけれどその通りで。どうしたって憧れみたいな物を拭い切れずに羨ましさを感じたり。
嗚呼、それで言うとイルミネーションとかもそうじゃ無いですか?所謂冬の定番デート、みたいなイメージがあって、行きたいと思ったとしても中々機会が無い上にハードルも高い、と。気にし過ぎだと言われればぐうの音も出ないんですが、1人で行くには寂しすぎるし誰かを誘うとなると気が引ける。我儘ですよねぇ、分かります。でも厄介な事に僕はそういう人間なのです。受動的が故の悩みですが、今さら行動を起こせる訳も無く。2022年のやりたい事リストを完遂する、という目標は達成出来ずにありません。
因みに皆さんは今年のクリスマスをどう過ごしましたか?意中の相手と時間を共有出来た方、友人と一緒に楽しんだ方、家族との時間を大切に過ごした方、1日お家でゆっくりして居た方、将又お仕事だった方もいらっしゃるかもしれませんね。
一方の僕はと言いますと、しっかりケーキとチキンを食べ、友人と早朝まで下らない話で大笑いしつつ、ちゃっかりプレゼント交換まですると言う、恋人と一緒に過ごすという所以外は正にステレオタイプのクリスマスを過ごしてしまいました。文句を言いつつ楽しんじゃってるのはご愛嬌、という事で。浮かれ気分になるのも偶には悪く無いなぁ、何てね。思ったり、思わなかったり、ラジバンダリ。若干スベった所で、そろそろお暇しましょうかね。来年こそは大王道のクリスマスデートが出来ます様にとサンタさんにお願いして眠りにつきます。次手にプレゼントも、ってそれは欲張り過ぎて悪い子判定受けちゃうか。良い子にするのでどうか、どうか宜しくお願い致します。お休みなさい。
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益体の無い疑問。
突然ですが、答えるのが難しい質問って色々有りますよね。今日の夕飯は何が食べたい?とか、これとこれだったらどっちの方が似合う?とか。イエスかノーだけでは無く複数の選択肢がある場合、どう答えるのが正解なのかって物凄く難しいです。
その中でも特に困るのが、私の事どれ位好き?何て言う質問。「どれくらい」の例え何て星の数程有るのに、「自分の中でのこれくらい」に対しての的確な比喩は上手い事見つから無いなぁ、と。
例えばの話、もし仮に僕の大好物がラーメンだとして貴方の大好物がチョコレートだとしたら。僕が『君の事ラーメン位好きだよ』何て言った場合、僕の中の「これくらい」は貴方のラーメンに対しての「これくらい」とは違いますし、貴方の大好物のチョコレートに対しての「これくらい」とも違うと思うんですよ。もしかしたらお互いの「これくらい」に対しての気持ちの大きさには、エベレストの標高位大きな差が有るのかもしれないし、コンビニのおにぎり程小さい誤差かもしれない。結局人の価値観なんて、どれだけ好意を寄せて居ても全く同じに成る事は限りなく無理に近いと言う話です。
じゃあ、此処で素朴な質問をひとつ。
《僕の全てだった〈誰か》の中の僕〉には、一体「どれくらい」の価値があった?
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LOLV.
綺麗に締め括られた過去形の言葉から、潔さと後腐れの無さを感じて少しだけ寂しさを覚える事。そんな所が「らしい」と、最後迄笑って居られた事。何時だってそれ以上でもそれ以下でも無く、お互いが只純粋に今を生きていて。思えば第三者から見れば不思議な関係性ではあったけれど、背伸び等せずとも居心地が良く、気紛れに現れる姿を見かける度に安心して居ました。そんな僕達のこの何とも云えない奇妙な繋がりを、今でも変わらずとても大切に思って居ます。そう思わせてくれた貴方の言動全てに敬愛を。これは、決して届かぬラブレターですね。この広い世界の何処かで、沢山の幸せに囲まれて生きて居てくれます様に。
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なりたかったもの。
いつまで経っても子供のような気分で未熟さを痛感して居たとしても、実際歳はとる訳で。体ばかり大人になってしまう僕と、情けない程に稚拙な現実とのギャップに悩まされたり。大人になるって妥協点を見つけることだと思うんですよ。理不尽を飲み込んで納得して、多少の我慢としょうがないという言葉たち。こんなものに埋め尽くされた毎日を送るのが僕たち大人の日常であって、理想は理想で終わってしまうという虚しい事実。子供の頃は毎日夢と希望に溢れて居たなぁ、なんて。例えばほら、テーマパークに行った時だとか、昔はお城が見えるとまるで夢みたいな気分になって居たのに、今はどんなに楽しくてもそういう感情にはならなかったり。どうしても長く生き��居る分初めての事をする、初めての場所に行くっていう事が中々少なくなるじゃないですか。何事もなんとなくで対処出来たり物珍しさを感じなくなったり。そういうのって、少しだけ寂しいですよね。なんでも新鮮に感じられた頃に戻りたいと思うなんて、それがもう子供では居られなくなった証拠と言うか。早く大人になりたいと嘆いて居た癖に、大人になった瞬間にこんな事を思うんですから、人間という生き物として生きるというのはとても難しいです。
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不眠とスランプと。
書きたいことは沢山あるのに、上手く言葉が出て来なくて、下書きばかりが大量に溜まっていく日々です。最近は寒くなって来ましたから、皆さんは風邪をひかないで元気に過ごして居てくださいね。そんな11月前半の近況報告。
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錦秋センチメンタル。
寒さ深まる10月、もう随分と秋めいて来ましたが、皆さんは如何お過ごしですか?最近の僕と言えば、専ら仕事仕事の毎日でして。珍しく休日にも沢山予定を入れてみたりと、目紛しく日々を過ごしてみて居ます。余裕が無くなると忙しくして気を紛らわせる所はいつまで経っても変わらないなぁ、なんて感じたり。こうしてお話しするのはかなり久しぶりになってしまいましたが、またのんびりつらつらと文字を並べてみたいと思います。
秋めく、とは言ったものの、最早冬に片足を突っ込んでいる様な気温に悩まされる今日この頃。毎日上着を持つ事を忘れては、夜になるとガタガタ震えているそんな日々です。人肌恋しい季節、何て良く言ったりしますが、恋しくなっても求める相手が居ないとなると、心は季節を先取りし過ぎた大吹雪の様な気分になりますね。
永らくそんな相手が居ない僕ですが、この前昔の夢を見まして、それはそれはもう未練たらしく大好きだった相手が遠慮もせずに堂々主演として登場してくれちゃった訳ですよ。内容も酷ければ目覚めも最悪で。ほら、嫌でも思い出すじゃ無いですか、色んな事。そんなこんなで重苦しい気分で1日を過ごして居たら、まるで予知していたかの様にその日の内に夢見た相手から連絡が来たりするし。こういうのって、本当不思議ですよねぇ。
まぁ、久方振りに連絡が来たからと言って何がある訳でも無く。それこそ今更どうこうなりたい訳でも無いので、ドラマチックなロマンスも泥沼も生まれない訳ですが。悲しい事に、僕はもう他愛もない一言で心を掻き乱される程子供では無くなってしまったんですよ。
貴方が居なければ、と思って居た癖に、何事も手に付かない等と言っている暇も無く。日々タスクをこなす事に精一杯なのは相変わらずだったり。生きていれば眠くなるし、お腹だって空くし、ご飯を食べればちゃんと美味しい。悔しいけど、そんな事が余計に悲しい。僕の全てだった物が、相手の全てでは無かっただけの話であって。今までの普通が、特別だっただけの、たったそれだけの話です。
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辟易。
煩慮、荒み、自暴自棄。いつまでも『結局』ばかりを繰り返す日々。無駄な恐察、焦れる。忌避される事を恐れ、また何も言えず言葉を詰まらせた。「俺だって本当は、」ってちょっとダサ過ぎ?実際、そんなエゴイストですよ。ガッカリした?
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君ほど夏が似合わない人間は居ないね。
全くその通りだと思います、本当に。どうしたって、僕には夏が似合いません。先ず、暑すぎる気温が得意ではないし、根っからのインドア派人間からすれば、夏の全てが明る過ぎるんですよ。それこそ、サングラスでもしなければ、眩しくて直視出来ない程です。
でも面白い事に、不思議と嫌いでは無いんですよね。何だかんだ言っても、浴衣を着てお祭りに行きたいとは思ってしまいますし。それにほら、所謂夏に特化したイベントとかって沢山あるじゃないですか。幾ら苦手と言えど、楽しいものは楽しいんですよ、結局ね。さっき例に挙げたお祭りや浴衣、他にも花火や海やBBQにフェス。挙げ出したらキリが無い位膨大な娯楽達。それもここ数年は行きたいと思っていても中々難しい状況が続いていたりして、何だか毎年、季節に取り残されたような気分になっています。
何時だって夢見ているのは、継ぎ接ぎになった夏の思い出で。蝉時雨とかんかん照りの太陽。プールサイドで飲んだぬるくなった麦茶。特別美味しい訳じゃ無い焼きそばだって、今となっては輝いて見えたり。脳内を駆け巡るのは、フィルムカメラで収めた様なセピア色のスライドショー。まぁ僕は怠惰なので、きっと制限無く好きな場所に行ける様になったとしても、変わらず冷房の効いた部屋でインターネットと仲良くして仕舞うんですが。
そんな夏最終日。今年も何も出来ませんでした。日にち的にはもう9月1日ですが、まだ寝ていないのでギリギリセーフという事で。きっと来年も、夏が終わるなぁとぼんやりしているうちに終わってしまうんでしょうね。足早に過ぎ去る季節の中で、どれだけ爪痕を残せるか。人生を閉じるまでには、夏の攻略方法を習得したいものです。
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自己欺瞞。
自己主張、能動的。に、なれないから困る訳で。たった一言発する事さえも躊躇う。杞憂。薄志弱行、受動的。な、自分から抜け出したい。なんて思うだけ。強迫観念、拭いきれない夜。いつだって会いたいよ。今すぐにもっと深い所まで来て。
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移気、泡沫、夏の思い出。
数秒、陶酔した先に待ち受けているのは、シナリオ通りの結末。触れる、消える、好意を。「どうせ最初から興味も無かったくせに。」何て言葉も、きっと図星なんでしょう?
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春は出会いと別れの季節。
なんて言いますが、夏本番を迎えた今に至っても、出会いと別れを繰り返しているこの世界は儚いなぁ、と。夏の夜になるとどうしてもこう、おセンチな気分になってくるのが毎年のルーティーンになりつつある僕なんですが、最早風物詩の様なこの現象にも、慣れて仕舞えば過ごし易いものです。まぁ、夏に限らずこのような精神状態、即ち『ダーク期』というやつに陥っている訳なんですけれども、ここから立ち上がるには時に数時間、時に数日、長い時では数週間程時間を有する訳でして。これに至ってはもう本当に、その時のコンディションなんですよねぇ。と、��う事で、まーた矢花の長い話が始まったよ、なんて皆さんが思っている事だとは思いますが、懲りずに最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
冒頭でもお話しした通り、日々出会いや別れが繰り返されるこの世界の中で、自分の存在意義は在るのだろうか、という事を頻繁に考えて居る自分が居まして。『昨日の敵は今日の友』と、言うのであれば、反対に『昨日の友は今日の仇』になる事は簡単な事だと思うんですよ。人の気持ちや運命は移ろい易くあてにならない。本当にその通りです。
コンフィデンスマンが出てくる某ドラマの台詞に有る様に「目に見えるものだけが真実とは限らない、何が本当で何が嘘か。」そんな事は当人以外には、到底分かり得ない事なんですよね。実際、僕は誰かから掛けられた言葉を“事実”として受け取りますし、イコールそれは“目に見えるものが真実”と関連付けるしかない訳です。“真実”とは限らないけれど、それが僕に起こった“事実”である事には揺るぎがない。心の内は覗く事が出来ない。即ち、人間関係は信頼によって成り立っている、と。
その信頼関係って、目には見えないじゃないですか。こう、ゲームみたいにグラフや数値で表されて相手に見える事は無くて、相手の中で自分の存在がどれ程の物なのかを詳細に知る事は、現実では不可能です。まぁ、これも受け売りなんですが。自分からしたら唯一無二の相手だとしても、相手からしたら大多数の中の1人に過ぎないのです。それってかなり切ないですよね。勿論逆も然りですが、僕の経験上としては10回に1回程の遭遇率なので、かなり稀なケースではないかなぁと。
そんな不確かで脆い場所で、僕は貴方を信頼して居ます。但し、これは一方的な信頼で有り、僕の好意(行為)の押し付けなので、気負わないで頂きたいと言う事が前提に有りますが。僕がそうで有るからと言って、貴方に同じ物を要求する事は無いので、安心して下さいね。
兎に角、何が言いたいかと言いますと、僕は貴方が思うよりもずっと、貴方の事を好きだと言う事です。こんな感じの人間ですが、距離感はかなり近めと言いますか、割と早い段階で好きと苦手を判断して誰かと接するタイプなので、一度縁を持った方の事は最後まで大切にしたいんですよね。限りある時間の中で、出来る限り多くの言葉を交わし、出来る限り多くの時間を共有したい。贅沢ですが、そんな事を日々思って居るんですよ、本当に。忙しさに感けて疎かになる日も多々有りますが、たった一言だけでも交わす事が出来たのなら、僕の1日はそれだけで豊かな物になると思うので。って、ちょっとこれはクサ過ぎます?
会者定離、と言いますし、何れ来る別れを忌避する事は出来ませんが、どうか貴方との別れは、成る可く遠い未来であります様に。
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優しいだけじゃつまらないの。
って、本当にその通りだと思いますよ、僕はね。だって結局、物足りなくなるじゃないですか。平坦な日々には、何れ飽きて仕舞うんです。ね、貴方もきっとそうでしょう?此処では無い何処かへ、刺激を求めてふらふらと彷徨い、傷心したらまた有り触れた優しさを求める。其れの繰り返し。でも、それでも、僕は貴方に、飽きられる程優しく在りたいんです。決して傷を付けず、丁寧に扱って、汚い物は見せ無い様に。そうして救われる物がひとつでも有るのなら、せめて僕だけは、つまらない人間で居たいと思って仕舞うのです。傲慢ですね。
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