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『NO.6』におけるディストピア性の問題―新自由主義と労働の隠蔽
2021年9月7日
一介のオタク ゆうき
あさのあつこ著『NO.6』は、2003年から2011年にわたって、講談社より刊行されたYA小説である。「ディストピア小説」と分類されるが、この形式の常に違わず、幕引きはハッピーエンドとはいえないものとなっている。では、作品内にある「救われなさ」とは何か、主人公「紫苑」の残酷さとは何か。本稿ではそれらについて、新自由主義と労働を軸にし��再考する。
書誌情報
作品名    『NO.6』
著者      あさのあつこ
出版社     講談社
初出版 出版年 2003年 - 2011年(全9巻、YA!ENTERTAINMENT)
2012年(外伝『NO.6 beyond』)
文庫本 出版年 2006年- 2014年
版による異同 一部台詞の改変あり、内容異同無し
あらすじ
 合理性を至上命題とする都市「NO.6」の中枢クロノスでエリート教育を受けていた12歳の少年紫苑は、逃亡犯の少年ネズミを匿ったことで、市内の低所得層地域ロストタウンに配流される。
 16歳になり、突然の老化現象を起こす寄生バチの事件について冤罪を被るが、ネズミの助けにより貧困地区・西ブロックへと逃走する。西ブロックにて自身も寄生バチの被害に遭いかけるが生還し、以後西ブロックで生活する。市全体を覆う防御壁に阻まれ、市には戻ることが出来ないと知ったが、幼なじみの少女・沙布が当局に拉致されたことを知り、救出のため矯正施設へと向かうことを決意する。
 市が西ブロックで大量虐殺を行う「人狩り」に乗じ、市の崩壊を望むネズミと共闘して矯正施設へと向かう。その中で、市が焼き払ったネズミの故郷の森では、カミと呼ばれる存在を歌によって鎮めていたことを知る。その後、矯正施設の中枢まで到達するが、沙布はすでに脳のみの状態になっていた。矯正施設を破壊・脱出し、寄生バチへの恐怖により暴動が起きている市内へと戻る。
 寄生バチの出現していた原因はエリウリアス(=カミ)であったが、ネズミが歌うことにより鎮静化する。
 数日たち、防御壁が崩壊したあと、紫苑は都市に残って再建委員会に入り、ネズミは旅に出る。
物語の基本構図
 物語にはいくつかの基本型が存在する(図1参照)。その中で、本作品は「対立する世界に行って帰ってくる」という型に該当する。この型は、例えば古典作品においては『桃太郎』『不思議の国のアリス』『ナルニア国物語』、近年の金字塔的作品には『千と千尋の神隠し』などがあり、安定して支持されている。それぞれの世界には、しばしば拮抗する価値観や���化的基盤が共有されており、主人公は物語全体の移動を通して変化する。往々にしてこの類型で重要視されるのは、二つの世界を隔てているもの(海、穴、クローゼット、橋、壁など)の象徴性や役割であるが、本稿では障壁ではなく主人公「紫苑」の活動に注目する。
 なお、紫苑から見ると、来訪者「ネズミ」が「対立する世界から来て帰っていく」物語(『風の又三郎』と同類型)となるが、こちらも本稿で触れることはしない。ネズミの出自が複雑であり、ネズミが生育過程で影響されたものが「対立する世界」の価値観ではないためだ。
図1 物語の基本構図
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対立する世界
 『NO.6』において対立する世界とは何か。紫苑の移動に着目した場合、聖都市「NO.6」と、その囲郭の西側にある「西ブロック」となる。模式図を表すと図2の通りになる。
図2 対立する世界
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 まず各社会の特徴を要約すると、NO.6は「のっぺりとしていて不自由だが豊かな社会」であり「合理性のもとに管理されている社会」である。一方、合理性と管理を至上命題とするNO.6に対して、西ブロックではその2つを完全に排している。むしろ「混沌として貧困もあるが自由で、『生きようとするエネルギー』に満ちた社会」となっており、作中にて紫苑は「生きようとするエネルギー」に魅力を感じている。
 ユートピア=ディストピアとされるのはNO.6の方だが、ディストピア小説の常套は「ディストピア社会��鏡像にして、対立する社会を称揚する」というものである。これは冷戦リベラリズムの常套であった。[1]
 ここで、実在する国家や「イズム」に論及したため、NO.6と西ブロックにそれぞれ「主義」を当てはめる。NO.6が象徴するのは、戦前戦中の全体主義であり、冷戦時代の社会主義的な国家ないし福祉国家である。[2]対する西ブロックには、西側諸国の新自由主義的な資本主義体制が成立している。人々の職業達成や生産活動は、NO.6の場合国家による管理が、西ブロックの場合個人の自由が根底の原理となっている。
 著者あさのあつこは2011年発刊の『NO.6〔ナンバー シックス〕完全ガイド』インタビューにて「『国家という巨大なものに対して、個人が何を成し得るのか』という疑問が浮かんだんです。」と語っているが、[3]そのテーマを書くためにディストピア小説が採用されたのは、上記のような文学史的な背景があると言える。
変容するテーマ
 しかしながら、図3の通り、「国家と個人の対立」というテーマは、物語が進行するにつれて「技術と自然の対立」へと変容する。これには、紫苑とネズミの関係性の深化が作品のもう一つの主題となっており、そのネズミの出自が西ブロックではないという原因がある。ネズミはNO.6北部に位置する森林部の出身であり、「森の民」と称される先住民の生き残りである。作中では2005年にNO.6の軍隊が森林部に侵入し、先住民を虐殺するとともに森を焼き払ったことが語られるが、それを紫苑が知ることで、「NO.6=管理」という図式が、「NO.6=技術」にスライドする。また、NO.6と対比されるものも、「個人」から「自然」へと変わる。ここにおいて、「国家VS個人」という図式が、作品が展開するにつれて「技術VS自然」に置きかえられたように見えるが、本稿では「社会主義VS新自由主義」という対立は保持されると考えたい。続章にて理由を詳述する。
図3 変容するテーマ
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新自由主義的な資本主義の性質
 ここで、一度『NO.6』についての議論を離れ、新自由主義的な社会において、資本主義が我々に対してどのような自己プロデュースを行ってくるのかを検討したい。そのような社会において、資本主義は自ら市場を「自然」として表象する。ここでの自然の定義は、地球環境ではなく、管理の無い状態を指す。政府は富の再分配に対し消極的であり、福祉やインフラは民営化される(市場に委ねられる)が、新自由主義のおかげで我々はそれを「自然な状態になった」と感じるようになっている。実際には、市場も人の所産であり、自然物ではないにも関わらず、市場は「自然」なのである。
 そして、新自由主義的な社会では、その「自然」によって、労働や競争、搾取の事実は隠蔽される。『NO.6』の世界で考えると、西ブロックに暮らすイヌカシや力河からすれば、その日どのくらい銅貨を稼げるかは自己責任であり、競争や搾取はごく当たり前のものとして透明化するのである。
文学における自然と労働
 これまでは、森林などの「自然」と、管理のない状態である「自然」を分けていたが、文学はその二種類の自然が折衝する場でもる。では、文学の伝統における「自然」はどのように描かれ、どのような役割を果たしてきたのか。結論としては、労働なしで魔術的に富を生み出すものとされてきたといえるが、以下ではその論拠を展開する。
 ここでの「自然」は「緑」と言い換えられる、森林や地球環境を想定する。自然をたたえる最も古いジャンルの一つが「牧歌」である。牧歌は古代ローマの時代からあり、その長い歴史を物語るように、パストラル詩(田園詩)、エクローグ、ブコリックなど、様々な名称で呼ばれてきた。
 牧歌では田園が称揚される。田園の風景をもって、「自然」の美しさと豊かさが称えられている。先ほどの市場の例と同様、田園もまた人間の所産である以上、労働はそこに存在するのだが、希薄化されている。
 つまり、重労働であるはずの羊飼いや畑仕事に必要な労働力は、文学において矮小化されてきた。作品例をあげると、羊飼いの恋を描いた古代詩『ダフニスとクロエ』や、アニメ『アルプスの少女ハイジ』などがある。例えば『アルプスの少女ハイジ』の中では、高齢者、少女、身体障がい者、少年が主な構成員として現れ、かつのびのびと遊んでいるかのように暮らしている。主人公ハイジと暮らすおじいさんの家業は、力仕事であるはずの一次産業だが、文学では田舎における必要な労働力が矮小化されるため、そのような描写が成立してきた。
 これらのことから、文学において田園を見ながら自然をたたえるとき、自然が労働を覆い隠すと言える。結果として、田園や自然は「労働なく魔術的に富を生み出すもの」として扱われることになる。
議論の小まとめ
これまでの議論を整理すると
(1)新自由主義的な社会では、資本主義や市場=「自然」
(2)文学においては、「自然」=魔術的に富を生み出す
ということが明らかになった。上記の「自然」はそれぞれ、「管理のない状態」「森林や緑」であり、異なる定義の「自然」であるが、両者とも労働を隠蔽するという性質がある。
 紫苑は「自然」な西ブロックを「生きようとするエネルギー」に満ちているとし、感動する。それは現代の田園詩となる可能性と隣り合わせの感動でもある。「自然」を起点として考えると、現代の田園詩においては
(3)資本主義や市場=魔術的に富を生み出す、労働や競争を隠蔽する
という可能性が指摘できる。
[1] 冷戦リベラリズムとは、現在の日本やアメリカ(西側諸国)の価値観である「新自由主義」を準備したイデオロギーである。 [2] NO.6の中枢には徹底的な管理が及んでいる一方で、周縁の「ロストタウン」にはさほど厳しい統制がないことから、「社会主義的な」と表記している。 [3] あさのあつこ『NO.6〔ナンバー シックス〕完全ガイド』、講談社、2011年、p.90
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