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人生折り返し地点を過ぎたいい大人なのに
日々生傷やら青たんが絶えない。
「自身の敵は明日の自分自身」
そろそろno hurtで生きたい。
このTumblrの存在を決して忘れていたわけでは無い。
というわけで約1年ぶりにPC画面に向かっている。
まぁ特に何があったわけでもなく
相変わらずNetflix三昧の日々だ。
もちろんこの1年の間に身の回りで様々な事が変化して気持ち的に楽になったり忙しなかったりそんな繰り返しの毎日を送っている。
Netflixでは気になりつつ据え置き状態だった「Stranger Things」をお勧めされたのでやっとこさ腰を上げて観始め、まんまとドハマりした。
そしてわたしが余りにワーワー言っているので遂には相方氏も観始めどうせならとわたしも共に鑑賞、ツークール目に突入しているわけだ。
そしてこちらも相変わらずの韓国ドラマを観まくり、一時期は4つのドラマを掛け持ちして一体わたしは何を目指しているのだ。という状態であった。
誰もが認める正統派イケメンは正直興味無いのだが、そんなわたしを一瞬にして変えてしまったのがアン・ヒョソプ氏だ。「社内お見合い」というドラマを観て、なんだこのイケメンは!と久々ドキドキしてしまった。
神は二物を与えない。
とはよく聞くが、この人の場合二物も三物もあるではないか。あれか?寝る時に白目を剝くとかなのか?いや、そんなもの欠点でも何でも無いしむしろ見てみたい。
余りの素敵さにSNSで彼の写真すら直視できないくらいドキドキしてしまう。何のこっちゃねん。と自分で自分に突っ込み入れてしまうくらいだ。
まぁそんな事は置いておいて。
音楽で気になるのは
youtube
Peakboy氏。
最近CMでよく目にするディズニープラスのIN THE SOOPという番組。
パク・ソジュン氏やVくんたちが仲が良いのは知っていたけれどその中にいたのがこのPeakboy。彼は何をしている人なのだろうと検索をして辿り着いたこのMV。
韓ドラ好きな方ならば恐らくご存じであろう「わたしの名前はキム・サムスン」で流れていた一曲だ。
このPeakboyアレンジが非常に良くてインスタを即フォローしたわたしのミーハーぶりも健在である。
気になる人はとりあえずウィキ先輩に教えて頂く。
身長たっかー。もうそこからつかみはOKな単純さ(わたし)である。
まぁそんなこんなで何かとストレスフルな夏休みを過ごしているのだがそろそろゴールが見え始めてきて嬉しい限りである。
あともうひと踏ん張り、モチベーションを上げるべく検討しているのがディズニープラスに入会するか否か。である。
それは勿論、IN THE SOOPを観たいが為だ。
今をときめくBTSのVくんや今また脚光を浴びている梨泰院クラスのパクソジュン氏、半地下のチェ・ウシク氏、おぉこの方もAB型なのか、なパク・ヒョンシク氏。勿論この方たちの素顔が見れるのも良いのだが今のわたしは何と言ってもPeakboy一択なのである。
前向きに検討中ではあるが、ひとまずNetflixにリクエストを入れて��いた。
ディズニープラスに入会した途端にNetflixでも視聴可能になりそうな、まぁ人生なんて大概がそんなものである。
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タイトルないのがタイトル
久しぶりにも程があるだろう、ってくらい久しくキーボードを叩く昼下がり。
今やどのSNSもスマホやタブレットで簡単にアップロードできる時代だがブログと言われるものは(わたし的にここはブログという認識)PC画面に向かってキーボード打ちがわたしにとっては1番やりやすい方法だ。
特に綴りたい事は無く、前回アップしてから今日に至るまでの間に世の中がガラッと一変。本当にそれこそガラッと。ガラガラっと。ガラガラ回して「赤が出ました!1等賞ー!」って引き当てたものがこれかいこれなのかいコロナかよ!...だなんて全く笑えないどころか1ミリもおもしろくない。
最近は鬼滅に始まり呪術廻戦にはまりまくっており、グッズを見る為にわざわざ電車に乗って行く自分にビックリだ。現実の人にトキメく事は皆無に近いのにまさか2次元キャラに心動かされる日が来るとは。
そんな鬼滅で気になった話題。炭治郎のピアスの件。
隣国が「あれは旭日旗を連想するから変えろ」とか何だとか。その要望に動画配信企業側が応えただとか何だとか。
ここまで世界的に沸き起こる以前にもアニメ通の中で好きだった人は少なくないはずだ。それは隣国のみならず他国でも。その時からピアスの模様のことなんてわかっていたはずなのに何故に今更感。
以前安倍ちゃんが、もとい元首相さんが「我々はいつまで謝り続けなければならないのですか」的な事を発言したそれが鮮明に記憶に残っていて、そこだけは安倍ちゃん(オイ)ぐっじょぶ!と思ったのだ。
そう。いつまで。
歴史的に忘れてはならない事はたくさんある。それは今後未来で繰り返してはならないから。それは我々の国もそうだ。言ってしまえば被害国とも言える。何十年経った今でもその傷は癒えず口にしたくないと思っている人もたくさんいるだろう。
我々は被害国でもあるけれど加害国でもある事は事実。上記したように今もなお心に傷を負い続けている人たちはいるだろう。それも忘れてはならない事だ。自分の過ちを認めて謝罪するという行為は例え友人間であっても容易い事ではないかもしれない。そこには勇気や複雑な感情が入り混じるから。でも間違いは正し繰り返さないようにする。そうしてわたし達は日々の中で学んで進んでいく。
ただ、何かがあるとすぐに歴史を持ち出して謝れ謝罪しろ罪を国際的に許してはならないと言われ続ける事に対してはどうなのか。それこそ重箱の隅を楊枝でほじくる感覚で来られるとさすがにそれは違うだろいい加減にしてくれ、という感情にもなる。
忘れてはならない事と、常に責められ謝罪を求められ続ける事は違うように思うのだ。
今や芸術文化の交流を通して国民間は仲良くやっているのに、そこに無理矢理政治を絡めてくるからややこしい。なんでお前さんはわざわざ複雑にすんのよ、と思うわけだ。
生まれ育った場所や現在仕事の関係で中華圏とは縁があると思っているし隣国の音楽や映画ドラマは愛してやまない。これらの国々が先をいっている部分は数多くあって羨ましいと思う部分だってたくさんある。人だって個人的に付き合えば皆良い人が多い。悪い人は我が国にだっているだろう。良い人もいれば悪人もいる。人同士の好き嫌いだってある。歴史的に見て嫌いだと思う人だっているだろう。それはどこだって同じだし仕方のない事だ。
今は皆が協力し合わなければならない時ではないのか。特に今はだ。この疫病を終息させる為にはピアス模様の事で言い争っている場合ではないだろう。まぁだからこそ...ってわけではないだろうけれど面倒な事を避けて「はいはいわかりました直しましょうね」と企業側が対応したのかもしれないが...。
でもSNSでも言ってる人たちいたけれど、あの模様にはちゃんと意味があるのだろうし、「花札模様の」っていうセリフ(あったよね?)どうすんのよーってわたし的そこ気になるのだが。
そういう部分で軽くあしらったら駄目な事だってあるんですよネットフr(...自重)さん!
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2020年が明けていた。おめでとうございます。
今年こそはこのブログを小まめにUPしていk...などという決意はしない事にした。年頭に立てる目標なんぞ何の役にも立たん。夏休みに書く1日のスケジュールと同じだ。
最近は2時間映画を観るにもやっとで、ついつい短めな作品を選んでしまう。映画館に行こうという楽しみも失われつつある今日この頃。どうせまたテレビの地上波でやるでしょー。とか、Netflixに入ってくるでしょー。とか思ってしまう。でも古い作品を観ると、あぁーこれオンタイムで映画館で観たかったー!と思ったりもする。まぁそんなものだよ人生は。
今日鑑賞したこの作品。
観終わった後に検索してこの画像を見てビックリだ。なんてポップなのだ。
コメディでも無ければポップとは程遠く、暗~くてせつなくて人によればドンよりしてしまうかもしれない。
映画というものは、映画に限らず音楽やら芸術全般そうかもしれないが、お国柄が表れるのだろうなと今日改めて感じた。北欧は「かもめ食堂」の影響で好きなのだが、そのくらいの情報しか無いのでしかもこの作品の舞台となっているアイスランドはてんでわからん状態で、ただ、北欧→寒い→暗い(日照)という勝手なイメージ。あとオーロラ。冬の寒さ冷たさ暗さがこういう何となく寂し気な作品となるのかなぁーとこれも勝手なる想像。
ただ、観ているうちに段々と温かさを覚え応援したくなるのだ。この主役��フーシを。全然笑えない��ーンが多くて眉間にシワが寄るような事もあって、でも、ただただこのフーシの優しさで包まれている1時間半なのだ。
そう思うとこのポスターはやっぱりなんだかなぁという感じが否めず、邦題すらどうなのだとも思ってしまったり。もう余計なものはいらねぇんだぜ!な作品なのだから。
...でもここまで書いてみて思ったのだが、「最高にポップだな!」と思う人もいるのかもしれないな。捉え方は其々なのだ。一様に「暗い」と決めつけてしまうのもよろしくないな。綴りながら思い出していたら、そうだそうだ、中盤の職場の人たちとのやりとり。仕事仲間ってこういう感じなの!?と今までに無かった距離感に戸惑いにも似た驚きを浮かべるフーシ。あのちょっとした気持ちの表現がとても素晴らしかった。
そしてラスト。フーシが浮かべる微かな笑みからはワクワク感を隠し切れない様子が滲み出ていてこの冬なる映画に暖かな光が射した気がした。自身の変化に気付いていなかったかもしれないフーシがやっとここで感じられたのだ。大切なものができた時に自然と身体が動く。『Don't think. Feeeeel.』ではないけれど、でもまさにそんな感じだ。本来持っているフーシの優しさに無意識なる行動が備わった結果、変わった。特別な武器など装備せずともフーシは前進したのだ。
Life is beautiful。
ラストでフーシがそう感じられたのだとしたらこのポスターもあながち違ってはいないのかも?とここにきてそう思えたので、この短時間で気持ちがプラスの方向に動けたのだとしたらやはり人は変われるのだな。そしてそこには突き動かされる何かがあってこそなのだろう。
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これ以上傷付く人がいないことを。
香港市民が平穏で幸せな日々を送れるように。
香港に自由と真の平和を。
心から祈り続けます。
I praying for HongKonger can live a peaceful and happy life, and for liberty and peace in Hong Kong.
I praying for Hong Kong deeply.
重体の��年が回復しますよう。
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カレンダーめくりまして10月。
本日は我が父の誕生日。少し前までは「中国の全国民が祝ってくれている!」と若干はしゃいでいた父だったが、今の香港情勢を目の当りにするとそんなことは冗談でも言えない。
わたしは英国領時代の香港で生まれたので今の香港は故郷であって故郷では無い、そんな寂しくもあり複雑な心境だ。
そんなノスタルジックな想いに駆られているせいなのか、最近また妙にイギリス熱が再燃している。イギリスの本やイギリスのドラマ、そして映画を観まくり、本屋に行けば好きな雑誌のひとつTRANSIT最新版がイギリス特集だったし競馬も名前に惹かれて買ったタワーオブロンドンが見事1着だった。イギリスに呼ばれまくっているではないか。もうこれは行くしかないのか。アビイ・ロードを歩いてこようぞ(何)。
そんなこんなで最近観始めた「ピーキー・ブラインダーズ」というドラマ。これもただ単純に “イギリス” と検索して見付けたという理由だけなのだが、観たらまぁーおもしろい。そして主役のトミーがまぁー格好良いったら無いではないか。演じているキリアン・マーフィーの画像を探してしまったくらいだ。まつ毛が長い男性は好みではなかったはずなのにもうイチコロ(古)である。皆のクラシカルな装いもドストライクだ。トミーのベッドシーンもこれまた美しかった。妹弟其々のそれはまぁ何というかリアルな感じだったがトミー��グレイスは素晴らしい美しさであった。
しかし何のディテールも見ずに観始めたので後からシーズン4まである事を知り、今週末からはシーズン5が配信されるという文字を目にして白目剥きそうになったがそこはトミーに免じて。そしてトム・ハーディ―も出演するという情報に、俺得あざっす!な思いである。観進めるのが楽しみだ。
それにしてもだ。トミーはずるい。常に冷静沈着。残酷非道でもあり。しかし愛の前では本来持っている彼の優しさがポロっと出てしまうし、実は戦争体験で苦しんでいるという姿事情をも知ってしまえばそれを放っておける女性がいるだろうか。いないだろういるわけが無いだろう世の女性は母性本能を全開で発揮してしまうでしょうがー!
思わず取り乱してしまった...冷静になろう。
毎回書いている気がするが、Netflixはわたしをとことんダメ人間にしていく。嬉しい悲鳴だ。ありがとうござ���ます。
あ、ひとつ書き忘れた. 「ピーキー・ブラインダーズ」は流れる歌(音楽)もカッコいいす.
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オヒサシ...エイガノハナシ
「この年から更新無いな...元気かな。」とお気に入りブログを開いてこう思う事が度々あるのだが、わたしのこのブログにそう思いを馳せてくれている人はいるだろうか。果てしなくゼロに近い可能性を信じながら綴ります。お読みください「映画の話」(演歌歌手の紹介っぽく)。
まぁ読んでくれる人がいようがいなかろうが自己満の為の日記を細々と地味に綴っていきましょうと、人の目にとまらなそうなこのタンブラーを選んだのも理由のひとつだ。(勿論読んでくれる人がいたら嬉しいし愛溢れるファンレターは常に募集中。)
仕事の合間に相変わらずNetflix鑑賞の毎日を過ごしている。
そんなネットフリックスで見付けた作品。久しぶりに良い映画を観た。そんな気分にさせてもらった。途中睡魔に襲われ何度か巻き戻しを繰り返したものの、それでも良い映画だった。欠伸が出る、睡魔に襲われる、イコールつまらない、駄作。 誰が決め付けたのだ。 そんな方程式は成り立たないのだ。
暫くほったらかしていたこのブログにこうして風通しをするきっかけになったのだからそれだけで心を揺さぶられた作品だと説明するに十分だと思うのだ。
さて。
1950年代、英国がまだ食料配給を行っていた時代。米国から英国のとある古書店へ注文の手紙を送った事から文通が始まる。文通だ。手で文字を綴り(タイプライターも使用)住所を書き切手を貼って投函。もうこの時点で掴みはOKだ。
メールやSNS、今やもっぱらラインでのやりとりが行われて、海を越えた先の人とでもフェイスチャットで顏を見ながら会話ができる時代にあって、手紙で買い物のやりとりを行うだなんて今の時代を生きている若者がこの映画を観たらビックリするのではないかしらん。わたしでさえ使った事のないタイプライターに憧れる。
ヒロインのヘレーヌが、今で言うところのクレームってやつを軽くさらっと書くのだが(ユーモア込)、それにも冷静に優しく返信をする古書店主フランクの紳士さにも思わず感嘆の声がもれそうであった。フランク役のアンソニー・ホプキンスも流石だが、ヘレーヌを演じたアン・バンクロフトがとても素敵だ。そしてヘレーヌもフランクも言葉選びが抜群に良い。たまに出てくる周囲の人たちの手紙も楽しめた。
ヘレーヌの元に届いた荷物が注文した本とわかった瞬間のあの舞い上がる程の喜び、もの凄くわかり過ぎて思わず笑ってしまった。おやおやヘレーヌさん、急いで出掛けるんじゃなかったですっけ、な突っ込付きだ。
本好き、文字好きには心洗われる映画ではないかな。部屋のインテリアや小物も可愛く素敵でそこも嬉しかった。ヘレーヌが常にタバコをふかす姿やタイプライターをたたきながら飲むレモン入りのお酒も良かったなぁ。
今は簡単に誰でもどこでも指1本あれば文字が打てる時代なので誰かを喜ばせることに時間は掛からないし同時に人を傷付ける事も容易だ。1枚の紙に文字を綴りそれが相手に届くまでの決して短くない時間は、相手を想い様々な事を考え想像するにはある種贅沢な時間なのかもしれないな。
Time is moneyという言葉があるけれど、誰かを思いやっていく事に於いては当てはまらないだろう。
こういうものを目��すると久しぶりに手紙でも書こうかなと思ったりするのだが、今や年賀状や暑中お見舞いを書くのが精一杯で、とりあえず万年筆でも選ぼうと形から入るタイプなので、そのうちタイプライター買おうかな...などと思わない事を願う。
ここにきて1番大切な事を書き忘れていたのだけど、映画のタイトルは「 チャリング・クロス街84番地」である。
そして何よりしまった...と思ったのは、部屋掃除の後にこれを書こうと思っていたのについ最後まで綴ってしまい未だ掃除が出来ていない事である。
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気が向いた時に綴ろうと思うと平気で数か月が過ぎてしまうブログ。
その間に何があったわけでもなく、いや、ある事はあるのだけれど「さぁブログに書こう!」とPCに向かう気力も無く。今はスマートフォンひとつあればブログなんてお手のものだが、ダラダラと綴るにはパソコンの前に座る方が自分としては落ち着くのだ。
少し前まではテレビで放送されるドラマを録画して毎日少しずつ観る生活だったが、今はそれにプラスしてネットフリックスにも手を出してしまった。
駄目だ。これはアカン。リモコンひとつあれば部屋で観たい時に映画はもちろんドラマもバラエティ番組も観れる。こんな便利なものがあるせいかあれだけ楽しみだった映画館に行って映画を観たいという気持ちも薄れてきてしまっている。いけない傾向だ。実によろしくない。と言いながらもちょっとニヤリとしてしまっている自分がいる。
家大好き人間なので引きこもりっぷりに拍車がかかってしまっている。こんな便利な世の中を母にも見せたかった。今月10月は母の命日。27年。もう27年も経ってしまった。母が今を生きていたら楽しいと思える人生を送れたのではないかな...でも同時に便利な世の中になればなるほど人の心が失われているのも事実で、天地は荒れまくり、人間たちも壊れ気味。そんな世の中にいない方がかえって良かったのかな...とも思ったり。複雑だ。
ただ、母が亡くなった年齢に近付いてきている今、女性として妻として母として、同じ目線で話がしたかった。話を聞きたかった。それだけは強く思う。
子どもの成長は本当に早い。そして自分自身人生の折り返し地点にきているので、これから残された時間をどう楽しく生きていけるかを考えていかなければならないなーと思うわけだが、とりあえず今録画してあるドラマとネットフリックスでシーズン化されている米ドラマを消化していく事を楽しもう。「メンタリスト」のパトリックにゾッコン(古)な今日この頃である。
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エイガノハナシ / サイゴノコウテイ
以前観たのが恐らく中学生...いや、小学校高学年くらいだったか。兎にも角にも20数年前に鑑賞した記憶。
ただ、子どもだったので内容自体さほど理解出来ていなかっただろうし、今回観返すまでどんなストーリーだったかも全く憶えていなかった。あぁ~そういえばこういうシーンあった(かも)な~。くらいなものだ。きちんと最後まで観れたのかどうかも定かではない。
ただひとつ記憶している事。この映画を観た後の事だ。修学旅行で北京へ。そしてこの紫禁城を訪れた時、あの赤壁を目の前にした時の感動はひとしおだった。今思い出しても静かなる興奮を覚えるくらいだ。しかしその反面、あれは夢幻だったのではないかとつい思ってしまう自分もいる。でも現実だ。まさに「夢だけど~夢じゃなかったぁ~!」なメイちゃんの気分である。
しかしだ。幼かったわたしは気付けなかっただろう。ジョン・ローンの美しさに。囚人服をまとっていようがあの色っぽさを兼ね備えたオリエンタルな魅力を隠しきれるわけもなく、これでもかというくらい溢れ出ていた。(軍服姿は非常感謝。の思いしかなかった。) いや、でもだ。ジョンローンがいたという事は忘れていなかったのでやはり子どもながらにも鮮明に記憶できるくらいのオーラが彼にはあったのかもしれぬ。ジョン・ローン。恐ろしい御方。
今は良いのか悪いのかキーボードを叩けばすぐにその人の事がわかってしまう。
“ジョン・ローン”。Enter。
プライベートな事は語りたくないという文字。読めばなるほど...。要らぬ事ばかりが詰まっているのでインターネットはしないとも。納得です。
何か足りないくらいがちょうどいい。つい何でも知りたいと思ってしまいがちな現代だからこそ少しもどかしさが残るくらいが良いのかもしれないと思う今日この頃。
長い時を経て再び���にした「最後の皇帝」。画面を通し紫禁城の広大さにまた驚き、日本の先人たちがしてきた事に複雑な思いを抱いて、溥儀の傍を離れた側室や皇后の気持ちも今の自分の年齢だからこそ理解できる気がする。そしてジョンローン自身も語っていたように彼だからこそ溥儀の孤独さ愁いさをあそこまで深く表現出来た部分はあるのかもしれないな。
人の最大の敵は孤独なのかもしれない。どんなに華やかな世界に身を置いたとしても、いや、そういう世界だからこそ迫り来る闇の恐怖とたたかっているのだろうとも思う。その恐怖心からどうしても自分を守りたいが故に周囲の人たちを気付かないところで傷付けてしまう事もあるのだろうなぁ。其々の人生最期に何を思い感じるかはわからないけれど、何をどうしたとしても人間というのは後悔無しには生きられないのではないかと思う。
記憶にござらん状態で再鑑賞し何はともあれ改めて感動や発見があったわけだが、この作品の台詞が全編英語だった。というのが何よりの驚きであった。20数年の歳月は...やはり長いのだな。
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オンガクノハナシ / イ・ラン
何がきっかけだったかな。
確か小冊子「中くらいの友だち」が始まりだったかな。
音楽や映画、本、インタビュー記事(エトセトラ...)を聴いたり観たり、そして読んでいるとそこから広がる世界がいっぱいある。
彼女がその中の1人だ。
「イ・ラン」
不思議な世界。好き。歌詞も好き。「ヨンヨンスン」を聴いて詞を読んで2作目の「神様ごっこ」も聴いてみたくなった。しかも歌詞本がエッセイ調になっているだなんてそれは手に取りたいに決まっているじゃあないか。
2作品ともライナーノーツもこれがまた良かった。ライナーノーツというのは大体が皆専門的な事がツラツラと書かれているように思うのだけど、この2つに至っては「自分とイ・ラン」的な感じになっていて、イ・ランという人間がどれだけ人々を惹き付けているのかがよくわかる。
日頃感じた事を本当にそのままの形で歌にあらわす。簡単なようで難しい。今だっ��本当はもっと完結にこれを書き上げたいのに、あれもこれもと欲張ってしまって結局また長文になりそうな予感だ。
彼女の、とあるインタビュー記事を読んだら何だか凄くスッキリした。言葉に嘘が無かったから。嘘が無いという表現は違うかな...誰しも皆本当の事は言っているのだろうけれど、何ていうか...やっぱりどこか外行きな部分があるからどうしても綺麗にまとまってしまう。でもイ・ラン、彼女はそこが違うように思えた。とてもストレート。そこがまた清々しい。
人見知りだけど人が好きなヒト。友だち、そして繋がりを大切にするヒト。
わたしは勝手に彼女をそう感じる。
「神様ごっこ」のエッセイ本は一気に読んだ。鞄に入れて持ち歩きたくなるくらい嬉しい気持ちになれた。
またひとり好きなアーティストに出会えた。
ありがとうの気持ちと共に、どうしたら言いたい事をもっと簡潔にまとめられるか御教示願いたい。である。
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ハハのお見舞いに行った。
いつものように優しい笑顔で迎えてくれるハハ。
少しだけ浮腫んでいる顔に胸が痛んだ。
「昔はおかあさんもライブに行ったりしてあの頃は楽しかったな」と昔話をしていた時。
「〇〇(わたし)は(母)親も兄弟もいないから何かあったらいつでも言ってね。何でもするからね。」
「凄く心配。」
そう言ったハハの目には涙が浮かんでいた。
うん、ありがとう。
そう言ったわたしも思わず泣いてしまった。
よくありがたくて申しわけなくて...。という表現を目(耳)にする事があるけれど、
今までその “申しわけない” という意味がボヤっとしていた。
でも今日はそれがよくわかった。
気に掛けてくれているおかあさんに申しわけなくて、でもとてもありがたかった。
そして温かかった。
このまま長生きすることがおかあさんにとって本当に幸せなのかどうか正直わからない。
でも。
それでもやっぱり長く生きてもらいたい。
おかあさん。
ありがとう。
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プレジッテミタ
今まで長い長い��項垂れながら過ごしていた夏休みが今年はそうでもない。むしろあっという間に過ぎているといった感じだ。
...歳を増していくにつれ月日の流れが早いのは薄々感じてはいるが最近さらに輪をかけてそれを感じる...ぐぅgぁぁぁ(声にも言葉にもならない)。
それとは裏腹に、まだかまだかと待ちながら1日に何度もサイトを開いては確認し全くもって変化の無さにガックリと肩を落とす日々がようやく昨日で終わりを告げた。青天の霹靂のような感覚で嬉しいよりも驚きの方が強かった。
待ちわびていたこれらが届いたのである。
Japanese Breakfastの新譜。2ndアルバムである。SNSで知り買おうとは思っていたのだが、JBのミシェルちゃんがリツイートしている中にこのセットの写真があり、目にした瞬間、何だこれ...欲しい...と、付録的なもの特典的なものにどうも弱いわたしなのである。
検索したらどうやらPledge Musicというサイトで注文出来る事が判明。Pledge Music?何じゃらほいと説明書きを読めば、イギリス・ロンドンのミュージシャンたちが立ち上げたクラウドファウンディング的な音楽企業らしい。
ここで立ちはだかる壁。外国のサイトという事で言語は勿論の事、何より心配なのが支払いと配送面。
それでも欲しい気持ちの方が勝ったので意を決して申し込む。為替変動の部分は致し方ないとして、配送料を含めるとまぁ~ビックらこ。
何とかかんとか申込みを完了しあとは待つのみ。
発売日を過ぎるのは仕方無いと思っていたけれど2週間を経ってもうんともすんとも発送の連絡すら無く、まぁ日本じゃないしなー気長に待とうと思いながらも気になって仕方無かったので念の為問い合わせ。したらば、「まだ発送されていません」とな。なんと。
まぁ良い。来るまで待とうホトトギス。な気持ちで注文から1ヶ月。
とりあえずおおよそ何時くらいに発送出来るかだけもう1度聞いてみようと再度問い合わせ。このジャパニーズ何度もしつこいなと思われたとしてもいいさ。こっちはもう支払ってしまっているのだ!と若干強気(のつもり)。
来た回答には「このプレッジは80%ほど完了しています」と。んん?これも100%になるまで待つって事なのかい?とわかったようなわからないような、まぁ今年中に届けばいいか...くらいのテンションになった時に届いた再び回答メール。
���一緒に付くはずのカセットテープの生産が難しいので付属出来なくなりました。つきましてはカセット代のみ返金手続きをさせてもらいます。」
何じゃそりゃー!予約の時点で申し込みをしてあるのに今更無理とか何じゃそりゃー!と、ガックリガッカリ以上の言葉があるなら教えてもらいたいくらいテンションだだ下がり。
そんなこんなで数日が経ち、昨日ポストを見たら届いていたこれら。発送連絡も無しに突然届いたこれら。まるで真夏のサンタクロースが来たのかと思ったがな。発送元を見たらばフランスからになっておる。何でも有りだな。
そして中を開けてビックリ。無いはずのカセットテープが同梱されているではないかいー。わーい!これは素直に嬉しい!ありがとーサンタさーん!(違)
でもカセット代が返金されてるよな..とまたもや送信する連絡メール。カセット届いているのですが支払い直した方が宜しいっすよね?と。しかもこれ、届いている連絡しなかったら同じのが2回届いていたって事なの?と何やらもうわけわからん状況でありながらもウキウキワクワクしながら早速CDを聴きカセットを聴き 、レコードは今日かけてみた。
アルバム楽曲はサイトでDL出来るようになっていたけれど届くまで聴かないもんね!と耐えていただけに感無量。落ち着くなー。心地良い。
10曲目の「Till Death」好きだなー。
MVも余り観ないようにしようと思っていたので再度またじっくり観聴きしてみよう。
いつか来日ライヴして欲しいな。
ありがとうJapanese Breakfast!ありがとうミシェルザウナーちゃん!
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エイガアレコレ
4月期のドラマが終わったら苦手な夏がやってくると自分の誕生日くらいからだんだんと憂鬱になってくるのだがそんな夏も取り敢えず1ヶ月乗り切った。
この間、体調の事でまぁ色々あったわけだけど何せ心配性でビビりぃなわたしなのでビクビクしながら医者に行き、あー良かった大丈夫だったーと、何ともお騒がせ連続な日々を送っていた。
久々ページを開いたは良いが特にこれと言って書く事がない。
ので鑑賞した映画でも載せておこう。感想は省略。何を書いても結局は観た人それぞれの感じ方の問題なので。なんてカッコ良い事を言っているが...要は面倒臭いだけだ。
まぁせっかくなので幾つか。
「神のゆらぎ」
“エレファント・ソング” ですっかりドランに心を奪われて以来彼の撮る作品も観るようになり、役者としての彼からも目が離せず。この作品は役者・グザヴィエ・ドランとして。
信じられるのは神か人間か。自身に降りかかる全ての現象は因果なのか運命か。考えても結論が見出せないテーマのように思うし、これこそ十人十色だろうなという内容だった。
「無頼漢」
チョン・ドヨンはやはり素晴らしい女優さんだ。キム・ナムギルの先輩役者さんたちが皆口を揃えて彼女に称賛を送るのも頷ける。彼女がファン・ジョンミンやソン・ガンホと共演した作品どちらも良かった。
強く見せなければと努めていてもどうしても女性としての弱さが出てしまう。この繊細な部分をしっかりと、なおかつ丁寧に演じられるのは彼女しかいないのではないかとさえ思ってしまう。
「弁護人」
先にも出てきたソン・ガンホ主演。モデルとなったのは韓国元大統領の盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏。恥ずかしながらノムヒョン氏が元弁護士だったという事をこの作品を観て知った次第で。 人としての尊厳を訴え1人立ち上がるその精神に敬服する作品ではあったけれど、ノムヒョン氏の末路を思うとやはり残念感が否めない。
我々日本人が当たり前に思う民主主義というものが、そこに行き着くまでの道筋がこんなにも険しいものだとは、様々な理不尽さに対しての涙しか無かった。
冤罪被害者を演じたイム・シワンくん。アイドルとしての彼はよく知らないが彼は本当に良い役者さんだなぁと見る度に感じる。絶賛兵役中の彼が2年後また良い作品で最高の演技を見せてくれる事を楽しみにしたい。
あとは...好きな監督の1人、キム・ギドクの「ブレス」。彼の作品自体が好き嫌いがハッキリわかれるクセのあるものばかりだと思うのだけど、いくら好きな監督とは言えわたしにもそれは有って、わたしにとっては “弓” 以来の苦手ランクインにこのブレスが入ってしまった。 張震氏はさすがに美しかったのだけど、あの女性がどうしても不愉快で。貴方の支えになりたいのと寂しく孤独な男性を救う聖母になったつもりかもしれないけれど結局アンタの欲求を満たしたいだけだったんかーい。的な。まぁ結局人間も動物で、性というものの前では本能赴くままになってしまうのだよ、という事なのだろうか。とは言え何だかよくわからない作品だった。
面倒と言いながらダラダラと綴ってしまった(以前ツイッターで書いたものも有り)。
まぁ何だかんだ韓国映画が好きです、って事だ。人として大切な事を作品の中で表しているのに、実際のお国柄を見るとその激しさにおったまげーで、まぁその不思議な感じも惹かれるひとつなのかもしれない。でも1人1人は皆良い人たちだと思うんだけど。
良い人と悪い人がいる、それはどこの国も同じだ。
「人として」。これに尽きる。人は騙せてもお天道様はお見通しである。夏休みにウンザリしお昼ご飯が手抜きになっている事も全てお見通しなのである。
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マタヒトツ
何だかわからないが忙しない。2017年になってもうすぐ半年になろうとしているだなんて、歳を増すごとに月日の流れがとても早く感じて恐ろしい。
そんなこんなでまたひとつ歳を重ねてしまった。見た目や体力面での衰えはこれでもかという程感じるのに、中身、いわゆる精神年齢というやつが一向に成長しない事を喜ぶべきか否か。
この年齢になると欲しいものもこれと言って無いのだが、いや、有るには有るのだが、ならばアマゾンの欲しいものリストに入っているものをプレゼントしてもらいたいかと言ったら別にそんな事も無く。
なので、こうしておいしいと感じられるものが嬉しい。
コンビニのおにぎりの開け方を教えてあげて目の前で感動してくれるような御曹司付きだったらなお嬉しい。
まぁそんなこんなで新しい歳になってからの目標を立てるとしたらば。
御曹司に気に入ってもらえる事を夢見ながらゆっくりじっくり生きていきたいと思う。
ウィスキーがもっと似合うカッコイイ女性になる事も付け足しておこう。
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エイガノハナシ
書こうと思いながら結構な時間が経ってしまった。
ドランの新作。
「たかが世界の終わり」
これは是非観たいと映画館へ足を運んだ。
余命間もない主人公が家族にそれを告げる為に12年ぶりに故郷に足を踏み入れる。
ここからして既に主人公の先は見えている筈なのに、何故か絶望的に感じない。家族が言い争うシーンがとても苦しくて痛くて、まさにドラン節炸裂ではあったけれど、それでもラストまで見ると、いや、ラストを見たらまだその先に続く道筋が見えて遠くの方にはうっすらと小さくも光さえ見える。
やはりどこまでもドラン、グザヴィエ・ドラン監督だった。
そしてこれも観たいと思っていた作品。
「プランク定数」
上映終了後には監督の登壇、トーク。
大衆ウケはしないだろうなというのが率直な感想。何がどうなっているの?と深く考える必要は無いように思える作品。監督もそのような事を言っていたように思う。
結局男性も女性も頭の中で考える事は大体同じで、この世には男と女しかいないわけで、愛する事がどういう形であろうが男と女がしたい事、いわゆる欲望となるものなんてみんな一緒だよね、と単純にわたしはそう思う。まぁそんなような事をチョ・ソンギュ監督が映像化した、いや、してくれたのだな、と解釈は違うかもしれないがそれがわたしの感想。
2本立てだったので1本目に上映された「ある人の夢」もなかなか良かった。音楽フェスを通して様々な人たちの思いが交差するドキュメンタリータッチな感じも新鮮だった。
劇中でWalrusの曲が使われていたのが何ともにくい演出だ。
今年は観たい作品を映画館で観れる機会が多いと良いなと願いつつ。
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トシアケイチバンノ
2017年になり早1ヶ月が経とうとしている。というより終わろうとしている。早い。正直年明けの1月は個人的には好きでは無くて、師走の忙しなさともまた違う何とも言えない気持ちになるので苦手だ。
前回のブログで、年明け1本目に観た映画の話をひとまず。
「クリスマス・ストーリー」というフランス映画。予告を観て何と無く良さそうだったのと、仏女優のカトリーヌ・ドヌーヴが出演しているという理由から。お正月にクリスマス映画を観るという、まずここからが全ての始まりであった。
途中寝落ちし、その部分を巻き戻して観るもまたウトウト。また巻き戻し。観る、寝る、巻き戻す。これを数回繰り返した結果、翌日に持ち越そうとこの日は諦め、一旦電源を切る。そしてその翌日。観る、瞼が閉じる。それも昨日と全く同じ場面でだ。こりゃもう駄目だと先に進めた。どうにかこうにか最後まで観たは良いが結局何が言いたかったのか、単細胞のわたしには理解不能な映画だった。フランス映画は難しい。
さて。新しい年に変わり何やかやと旧正月をも迎えているわけだが、この時期は少し余裕が出来るので気になっていたデヴィッド・ボウイの大回顧展「David Bowie is」に足を運んだ。
小学生の頃に映画「ラビリンス/魔王の迷宮」を観たのだが、そこに出ていたボウイの妖艶でありながらも不気味にさえわたしの目には映ったその印象が大人になった今でも強く記憶に残っている。そうは言っても彼の歌を聴き込んでいたわけでも無く、思い入れも正直そんなに無かったのだが、この展示会は行ってみたいと思った。彼の何がそこまで皆を夢中にするのか、どういう人だったのか、漠然とだがそれも知りたいと思った。
結果。
最後のブースから出る時には後ろ髪引かれる思いだった。帰るのが惜しいというか寂しくなった。不思議だ。彼の何がわかったかと言えば結局何もわからなかった。どんな人なのかと聞かれたら、「凄い人」という、余りの語彙力の無さに俯くべき事なのだろうけれど、もうそんな事すら気にするものかとそこは潔く認めるし、兎に角凄い人しか言いようが無いのだ!と逆切れしそうになる程だ。
ただ、よくわからない人だから惹かれるのかもしれない。もっと知りたいと思う。色々な顔を見せている中でわたしにだけ見せてくれる本当の顔はどれなの?とまさしく恋心にも似た感情だ。いや、全部だ。全てがボウイなのだ。わかってはいるのだけれど、まるで宇宙人のようだと形容されるのも何と無くわかった気がした。
坂本龍一氏と北野武氏のコメントも良かった。グッと胸に響くものがあった。あそこで彼らのコメントを聞かせるのはズルイなぁと全体の構成にも感動した。そして、ヘッドホンをしながら歩き、所々で耳に響く音楽や人の声。21世紀のテクノロジーの進化にも驚きであった。
こんなボウイのようなまさしく唯一無二の人が同じ時間を生きていただなんて。そしてもう既に別の世界にいってしまっただなんてどちらも信じ難い。でもどなたかが言っていた。きっとこの大回顧展にボウイも一緒に来ているはずだと。あぁそうかもしれないなと、感動なのか感傷なのか何とも言い表せない気持ちである。
ボウイの事だから本当にまたフラっと現れる気になるのはおかしい事では無いのだろう。きっとあの素敵な笑みを浮かべながら。
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アケマシタ
2017年の幕開け。から早1週間が経とうとしており、明日は七草粥の日である。
昨年末、年賀状や大掃除をスルーしてそのまま年を越したい旨綴ったのだが、言霊というものの威力を実感。いや、痛感。
ちょうどクリスマス直前になり子どもと仲良くインフルエンザで寝込み、インフル治療薬だけでは余りにしんどく一緒に処方された解熱剤にも手を出した次第である。まさにMerry インフル!シャララン♪ であった。全くとんだプレゼントである。
そんなこんなで年賀状なんぞ手を付ける気力すらあ��わけも無く早々と諦めた。親子共に約8年ぶりのインフル。わたしがあの頃と明らかに違うのは言うまでも無く体力の衰えというやつである。こんなにしんどいものだったかと、「人間というものはこうしてアッサリと死を迎えるのかもしれないな…」と、負のスパイラルに飲み込まれまくっていた。
それも晦日が近づくにつれ回復していき、大掃除だけはしっかりとやり遂げた。それだけでわたしの2016年は何も思い残す事は無い。そう思えた単純な自分を称えたい。
さて。年末年始にかけて購入した本、年始に観た映画DVDがあるが、それはまた改めて綴ろうと思う。
本日は用事を済ませた後に子どもとお茶。珍しくスターバックスに行きたい、「珈琲を飲むのだ!」と意気込むおチビ。わたしとしても行くのは久しぶりであった。
少し前まではジュースを頼んでいた子が「珈琲美味しいなぁ」と言いながら飲んでいる姿に成長を感じたわけである。こういうところでちょっとした幸福感を得る。親なんてものはそれこそ単純な生きものだ。
今年はちっちゃな幸せ貯金をしていこうと思い、その都度手帳に書き記している。年が明けてから今日で2つ目。同時にその手帳を家計簿代わりにもしているので昨年に引き続きそちらも持続出来るようにしたい。
そして今年はSNSを控え、頻繁とまではいかないであろうもののこうしてブログの更新もしていきたい。
2週間ほどすれば米国の新大統領が誕生する。そういった意味でも2017年はまた世界情勢的にも様々な事が起こるのであろう。時事的なものから目を背ける事をしないまでも、ただ、わたしは何にも惑わされる事無く自分の家族と生活を大切にしていきたい。
さぁぼちぼちいきますか。
周囲の皆にとっても良き1年となりますよう。
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