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自分を変える習慣
■目標
食事・睡眠・運動の概論を学ぶ
■本日の取り組み
朝
ストレッチ 骨盤回り強化
→トレーニングのフォーム、効果向上
朝の運動 バーピー20回
グリーンスムージー ほうれん草アク抜き
→シュウ酸除去
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心を整える
昨日の休みは、特にどこか出かけるでもなく、自宅でゆっくりと過ごした。
なぜかと言うと、ここの所外出して人と会っていたり、移動の空き時間は音楽を聴いていたりしたのだが、どうにも気持ち的に落ち着かない日々を過ごしていた。
人と会って考えに触れたり、音楽もかなり尖った方々の作品を久々に探して聴いていたりしたためか、常に頭の中をあれこれ考えが巡っているのだが、腰が据わらない感じだ。 仕事でも、目立ってはないがちょっとした気遣いや精彩を欠いていると自分では感じていたし、何か歯車が噛み合っていないなという気持ち悪い感覚があった。
そんな訳で、リフレッシュしようと片づけをしたり、捨てられるものを探してまとめたり(最近断捨離を進めている)していた。で、なんとなく開いた電子書籍のブックストアで目に留まったタイトルが、”心を整える”で、今回は簡単に感想を残しておこうと思った。
著者はサッカー日本代表の長谷部 誠さんで、世界で戦って結果を出してきた彼の、勝利をたぐり寄せるメンタリティの基盤となる習慣や考えを、56個もの項目に分けて書いている。長谷部選手の実際のエピソードや、日本代表の印象的な場面の裏話なども交えて書いていて、さらっと読み易かった。
ルールブックによって定義されたゲームは人生の縮図のような側面があるから、このような習慣や考えは人生のあらゆる場面で、良き方向に持っていく事にも適用出来るだろう。
彼はサッカーというゲームに勝つために、個人として、または組織のリーダーとして、勝つための仕組みを実践しているのだ。
リーダーには様々なタイプがあると思う。しかし良きリーダーというのは、総じて組織を良き成長のプロセスに導いていける人だと思う。そして良きプロセスは、自分たちの居場所を出来るだけ正確に理解し、次のステップへの問題点と取り組みを明らかにする事から始まる。
これは感情や悩みに目を曇らされていては、判断を誤ってしまいがちだ。
中にはメンタリティや頭の回転がとても強く、自ら常に新しい事にチャレンジする推進力となりながら自分を見失う事無く、まったく自信を失わないというような超人もいる。誤解を恐れずに言うなら、長谷部選手は凡人の部類であると思う。しかし本の中でも言っているが、突出したスピードや身体能力、技術があるわけでもないのに、最高峰の活躍の場を得続け結果を出してきた。
それは長谷部選手は常に心を整える事を習慣として実行し、決して自分を見失う事なく、時にはリーダーとして自分や回りの人間を冷静に見極め、良きプロセスに導いてきたからなのではないか。そして高いレベルでそれを実行しバランスを取る事が出来る人であれば、高い能力を持った集団の中でも必要とされ、結果を出していく事が出来る。
私が最近禅に興味を持っているのも、自分の本質や原点を深く見極め、人生という長いスパンで良い方向に持っていくきっかけになるかなとも思っている。
しかし千里の道も一歩から、 こうした地道な習慣の中から少しずつ小さな発見を拾っていけば良いのではないか。
少し知恵を拝借して、私も自分の”心を整える”土台となる習慣作りに励んでみようと思った休日でした。
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月曜一炷
昨夜は仕事は休み。
先週初めて体験した、座禅会に参加してきた。
なぜ急に坐禅かと言うと、自分という人間の本質に興味を持ち始めたのがキッカケだ。実は一年程前から参加してみたい気持ちはあったのだが、日常生活にかまけてずっと先延ばしになっていた。
自分が思うに、現代の世の中の人��ちはネットやソーシャルネットワークの普及に見られるように、簡単に、且つ自動的に、色んな情報が入ってくる生活に慣れてしまっている。もちろんそれぞれの立ち位置で、純粋に自らを貫いているカッコいい人たちも一部いるが、世論の大半は前者のような人たちの意見で占められてしまっていると感じる。 そして自分以外の他人からの評価を気にしたり、他人と比較する事で一時の感情に振り回され過ぎているんじゃないか。自分も例外でなく、テレビやネットの向こうの世界にある、華やかなライフスタイルに、少なからず憧れの気持ちはある。 そのような環境から抜け出さないと、経済的にも精神的にも、本当の自由は得られない。 まずは、自分は自分らしくカッコ良くある事を目指そう。
原点は全て現在の自分の内側にあるのだ。
坐禅の目的は、ホームページから引用するとー 執着から離れて無為となり行うもの。 物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく応対してゆくために、心の働きを整える。
と書いてある。
坐禅は、無音のお堂の中で行われる。その中で一回の単位で40分ほどただひたすら座り続け、これを一炷と呼んでいる。
身体を整え、呼吸を整え、心を整えていく。
この時間中、様々な思いがよぎっては消えていくのだが、これを消すのが中々難しい。集中するのとも違うし、眠るのとも違う。
ふとした瞬間に無為に近付いた、と思う瞬間も訪れるが、それを意識した時から新たな観念となり、消せない執着となってしまう。 果てのない精神修養のように思われるが、単純に生活の中で自分を見つめる時間を持つ事で、ゼロベースに限りなく近い視点から物事を捉える事が出来るのではないか。
余計な固定概念を取り払い、スッキリと悩みや心の迷いを晴らすキッカケにしていきたい。
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自分自身
自分を彩るヒトや大切な場所 今この時は永遠かと錯覚するが、 無常に時は流れていく 残るのは思い出 心の底からありがとうと言えるほど 向き合ってきただろうか ありがとうと言われるほど 向き合ってこれただろうか 今までの自分と向き合え これからの自分と向き合え 全てに心から感謝出来るまで向き合え
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パラドクス
パラドクス ー 逆説的矛盾
現代の世界は多くのパラドクスを抱えつつある。
例えば、二つの人間が相容れない理念や、利害関係を強く持っている場合に対立は避けて通れない。
物事を正しいかを判断するには、何を基準にするかを明確にしなければならないが、それは判断する立場によって当然異なるし、相手の立場からすれば納得できず、求める結果とのギャップを抱える事になる。
全てのこうした関係には、パラドクスを含んでいると言える。
また、この矛盾を抱え対立した状態を放置する事で、最終的に争いへと発展する事は必然的な流れである。その結果、不毛な破壊行為を引き起こすのである。
そして、そうした問題は身近なところでも日常的に起こっている。
A店というある枠組みの中で考える。
a,bはA店の事を愛し、それぞれ良くしたいと考えている。
"a"という人間は個性を尊重し、自立的な人材育成を理念とし、失敗にも寛容である。
最終的にアウトプットされるクオリティが均整が取れず、まばらである事がマイナス要因である。
"b"は成果を重んじ、能力のある人材を愛し、失敗には厳しい。
新しい人材の発掘や、能力を持たざるものの成長には弊害となってしまう。
私は、あるプロセスにおいてはそれぞれ重要な理念であると考える。しかし、タイミングを間違えて行使してしまう事で、マイナス要因が強調される結果になってしまうと考える。
aの立場からは、bは容認する事は出来ない。しかしA店がb主流のプロセスでは、aが理念を推し進める事は、A店にとってマイナス要因になるという矛盾を抱える事になる。逆も然りである。
A店の状態は0か100ではない。A店を統括する立場としては、この矛盾に気付きながら、時代に応じてバランスを保っていかねばならない。
その上でa,b双方の最大値を高めていくのだ。
また、これを放置し争わせてしまう事で、A店にとって大きな喪失へ繋がりかねないのである。
双方のギャップに気付く者こそ、問題を解決出来得る管理者となるのだろう。
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第二投目 2014/7/1
初日なので連投してみる。
自店である問題が発生し、特定メンバーへ個別に指導��必要になった。
今までも気になっていた点なので、これを機会に店そのものの文化を変えるように意識を波及させたい。
人の管理というのは、非常に難しい。 それぞれに考えがあって、考えの違いからすれ違い、憎しみや嫌悪の感情が起こる。 それを覚悟の上で、理念はみんなに理解されねばならないし、押し通さねばならない。
ところで、集団的自衛権の件が世間で大変話題になっている。 誰かの共感を得ようとは思わないが、一個人の考えをつれづれ思うまま書いておきたい。
まず、私も他の人も同じだと思うが、様々な形の争いにおいて戦争のような悲しい事はない方が良いに決まっている。 もちろん愛する人が戦地に赴いて、命をかけて戦うなんて想像するだに心苦しい事だ。
今日本は国際情勢の中で台頭したきたアジア近隣の国との問題を含め、色んな危機的問題を抱えている。 また経済や情報技術の発達で60年前と比べ世界そのものが狭くなっていっているし、持たざるものは更に奪われ、持つものは更に強大になって経済的な格差は広がる一方だ。
私はそのような構図の中で、日本人が日本をどういう方向に持っていきたいのかがよく分からない。
もちろん情勢下でも争いすらなく、幸せな事ばかり共有していった方が、みな気楽に生きていく事が出来るだろう。
だが、幸せな事ってなんだろう。
友人や恋人と食事をしながら、明るい未来について語ること? 趣味の時間に没頭すること?病気もなく、健康に長生きすること? 乳児の中で85%の内に入ってなんとか生きられたこと? 今日はなんとかまともに食事を口に出来て生きられたこと?
たぶん日本人の中で、今日普通に生きられる事に幸せを感じられる人はなかなかいないだろう。 しかし、世界にはこの様な現実を抱えている人がたくさんいる。またこの様な人たちが日本人の幸せを心から願う事が出来るだろうか。
また、世界の平等や平和を唱えるのは、ある程度の豊かさを持っている国ならばそんなに難しいことではない。 しかし自分の持っている全てを捨て去り、分け与える勇気があるか。
私はこの狭い世界で、確率的にこのような格差が存在する以上、争いは絶対になくならないと思う。 60億人全員が、釈迦かキリストのような心境になる確率はどの程度だろうか。
まずこれが一つの揺るがない意見。
しかしこれ以降の意見は、勉強不足で現実の争点とギャップがあるかもしれないし、考察の途中でもあるし自信もない。
あえて書く事もないのだが、つれづれな日記だからまぁいいか、と。
いまの先進国は過去にその争いの解決方法として、命の奪い合いという最悪の経験をしたことがある。日本人も二度とその選択はしたくないだろう。
世界には命を奪う武力を蓄え、豊かさ手に入���ようとしている国や人種が現実に存在する。
これらの人たちに心を尽くした説得を試みるのも、もちろん大切な事だ。 だが例えば、小学生の子供がナイフを振り回す暴漢に「暴力はいけない事だ」と主張して、その犯罪を抑制する効果が得られるだろうか。
集団的自衛権に関する法改正が、日本人にとって正しい選択なのかはまだ分からない。 しかしこの先変化していく国際情勢の中で、誰が守ってくれるという保証もなければ、争いに巻き込まれないという保証もない。 いまメディアのこの問題の取り上げ方を見ていると、戦争行為に巻き込まれるのを嫌うだけのような、無責任、自分勝手な意見が目立つように思う。
いま一度よく考えてみよう。
戦争を経験した日本は、世界の国々に対してその悲しい経験を体験させない事を責任として負っていると私は考える。 しかしその方法として、今は少しずつ取るべき方法、立場が変わって来ているように思う。
これから日本がどうするのかを決めるのは、首相一人でもなければ政治家だけでない。
私たち日本人全員だ。
もし真に日本人が世界に対して平和を主張する、という方向を選択するのであれば、強さを持つ勇気と決断、正しく使う正義も私は必要なのではと思う。
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第一投目 2014/7/1
2014/7/1
表現が苦手で、脈絡のない文章になってしまうと思う。 しかし文章を書く事を続けていく事で、自分の考え方の整理に役立ってくれる事を願う。
暑い日が続くが、うまく体を休めて集中力を保たねばならない。 体を使った仕事で忙しく、なかなか自分と向き合う時間が作れないが、常に精神を落ち着かせてフラットに保つ必要があると感じる。怠惰に自分に甘く過ごしてきた日常と決別して、自分や周りの人、環境の為にチャレンジしていきたい。
特に誰に読まれたい訳ではないが、ちょこちょこ小出しに今の自分を定義していきたいと思います。
1985年2月5日生まれ 男
この頃興味のある事 座禅、剣道、茶道、ときどきBBQ
最近、ツイッターで流れて来た一文から、棋士の”羽生善治”さんに興味を持った。勢いで「決断力」「大局観」「直感力」の3冊を購入した。
現在は「決断力」を読んでいる途中だが、好きなフレーズを抜き出してみる。
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一局の将棋が初めから終わりの一手まで、一本の線のようになっているのが私には理想なのだ。 …将棋を指す時は、そのような一本の線を極力見つけられるように持っていくのだ。 …棋士は指し手に自分を表現する。 …ただ、将棋は二人で指す物なので、相手との駆け引きのなかで自分を表現していく。
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私は音楽や芸術、仕事も自分と向き合った結果の自己表現であると思っている。その方向性は人それぞれだが、多くの人と同じ方向を向いて、且つ自分の表現力が深く、強い人がリーダーシップを発揮していく。 一時の奇を衒った表現や、上記の一本の線の途切れたようなアイデアはすぐに忘れ去られる。 また、何年、何十年と連続した社会生活の中で、完全に一人で存在する人間は現状あり得ない。 周りの環境に適応しながら、前を向いて一本の線を紡ぐように表現をしていくのだ。
話が少し変わって、古き良き日本には海を隔てた海外から干渉される事無く、長い時間と深い精神の中で研ぎすまされた文化が数多く存在していたはずだ。そういう���にはそれだけの深みのある、真理に近い価値があると思う。 しかし情報技術の発展や、活動範囲を大幅に広げてしまった代償として、移り変わりが早く深みのない”モノ”たちに圧倒されてしまっている気がする。 ここではお金に換算したような相対評価、時価という物はあまり信用してはいない。
重要なのは、”人”そのもの。
また、それを消費する人にも問題があるし、責任があると考える。なぜなら消費するモノは自分を造る原資でもあり、商品自体の価値、情報、どの付加価値をとっても将来の自分に影響する。 情報を見せられるがままに浅はかなくだらないモノがすぐに流行り、もてはやされるような日本においては、”人”の価値が薄れてしまってしまったんじゃないかな、と感じる。
ずいぶんと偉そうな事を書いているが、自分も怠惰な生活と共に、何の価値も生み出してこなかった人間である。文章の中での矛盾や、現実の状況と乖離があったりするのは、私の勉強不足である。 しかし前向きになれない人生は、既に途切れた糸と同じである。
これから時間をかけて真剣に自分と深く向き合い、仕事上で表現する。それが一本の糸となって、大きな価値のある絹を紡げれば、少しは意味のある人生になるのではないだろうか。
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