Don't wanna be here? Send us removal request.
Text
さあ土曜日だ
いま勤めている会社は、福利厚生の一環なのだろう、年間8万円を上限として各種料金を肩代わりしてくれる。
自己研鑽のため、という名目上、何から何まで領収書を切れるというわけではないが、それでもいろいろと役に立つことに変わりはない。
上限までこの制度を利用しないと損をしている気がしてしまう貧乏性の僕は、無理にでも満額を使い切るよう努めている。
毎年、物欲があまりないため苦労している。
いちばん大好きだったアイドルグループが解散する前だったら、あちこちの遠征費で8万なんかすぐ使い切れるのに、とも思う。
去年はSurface Goを購入した。
こうして駄文を書き散らすか、背���にステッカーを貼るか、FC2コンテンツマーケットから動画をダウンロードする目的でしかほぼ使用されていないこの電子機器はしかし、すでに無用の長物と化している。
一昨年は東北温泉旅行費に充てた。
温泉旅行がどう自己研鑽になるのか、そのあたりの理屈は知れないが、秋田だか青森だかにある山奥の温泉宿まではるばる一泊2万円也を落としに出かけた。
夕飯に鮑のステーキと鰻重が供され滅茶苦茶な食い合わせだと感じたこと、女湯で「新婚さん?」と訊かれたことを嬉しそうに報告してきた同行者のえびす顔しかもはや記憶にはない。
これらの反省を踏まえて、今年は真面目に自己研鑽に励むことにしている。
ふだんは買わないような本を買って、レシートをコツコツ集めている。
ふだん買わない本といっても、いつもと違うジャンルの本を指すのではなくて、値が張るハードカバーの海外文芸書を中心に買い漁っている。
ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』は、そのうちの一冊だった。
訳者あとがきによると、1936年に生まれ、父親の仕事の都合で南北アメリカ各地を転々とし、高校教師、掃除婦、電話交換手などの職業を取っ替え引っ替え、3度の離婚と4人の息子の育児とアルコール依存性を経て、2004年に死去した女性作家とある。
『掃除婦のための手引き書』は、千変万華の経験に根ざした短編小説集であり、日本で彼女の単行本が刊行されるのは今回がはじめてである由。
24の短編のうち、いちばんよくできているのは「ファントム・ペイン」だと思った。
痴呆症になった父親を病院に見舞う娘の愛憎。
一方で、いちばん好きな短編は、と訊かれたら、「さあ土曜日だ」と僕は応えるだろう。
刑務所内の文芸教室を舞台にしたこの作品もやはり、カリフォルニア州の刑務所で囚人たちに文章を教えていたルシア・ベルリン自身の経験によるものらしい。
見る人によっては、やや“作りすぎた”きらいがあるとして、評価を落とす作品かもしれない。
単行本の236ページからはじまり、わずか20ページで終わるこの短編の最後の1ページには、わずか3行からな��1つの段落と、左下に255というノンブル、「さあ土曜日だ」という柱だけが印刷されている。
あとは、十数行分にもおよぶ茫漠とした余白があるのみである。
人によってはこの感傷的な3行を蛇足と捉えるかもしれない。
が、僕はこの3行と、そのあとに広がる余白を愛している。
余韻だとか、読後感だとか、そんなクリーシェを超えたものが、そこには確かに漂っていると信じる。
いちばん大好きだったアイドルグループが解散してから、来週で1年が経つことに気づく。
この1年間、ろくなことがなかった。
ろくなことをしてこなかった。
結果、醜く太り、老いさらばえ、新婚に間違われて嬉々とする女はいなくなり、新しく得たものといえば、Surfaceに保存された他人と他人がまぐわう動画くらいだ。
それでも、この1年間の余白に、何か意味を持たせることができるのだろうか。
いちばん大好きだったアイドルがいた頃は、週末が来るのが楽しみで仕方なかった。
土曜日か日曜日か、ほぼ必ずどちらかは、ライブやイベントがあった。
早ければ金曜日の夜から夜行バスに乗り、名古屋とか大阪とか金沢とか、どこか遠くで目を覚ますこともあった。
まだ肌寒い早朝から、見知らぬ土地の見知らぬバスターミナルに放り出され、とりあえず風呂でも入るか、と銭湯の場所を調べていると、いよいよ「さあ土曜日だ」という感じがした。
いまや、スケジュール帳の土日の欄は真っ白で、余白を埋めてくれる予定はひとつもない。
この先もたぶん、真っ白なままであろう。
それでも、この余白をさまよい続け、やりたくもない仕事に忙殺され、味のしない飯を喰らい、読点の代わりに糞尿を垂れ流し、句点の代わりに血を吐いて終わるその日まで、馬齢を重ねるしかないのだろうか。
もうすぐ夜が明ける。
さあ、土曜日だ。
1 note
·
View note
Text
subeteha_kizutuki_yagateha_sinu
けさ、玄関のとびらを開くと
甲虫が1匹、腹を見せて死んでいた。
が、なにも感じなかった。
「いつまでも続いてほしい」と無責任に願うのは
「いつまでもは続かない」ことを知っているからで
だからといってあらためて現実を突きつけられても
感情を凪ぐ術はもうない。
ベイビーレイズを知ってからの歳月は
感傷に浸るには長すぎたし
達観するには短すぎた。
夜、帰宅すると、甲虫はどこかに消えていて
ひとり月の裏側に取り残されたような
ひんやりした心地がした。
すべては傷つき、やがては死ぬ。
0 notes
Text
祖父の夢、ドリームキャストの記憶 (grandfather's dream cast away)
ドリームキャストは、セガが1998年に発売した家庭用ゲーム機である。
Wikipediaによると、“ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStationに劣勢を強いられていたセガサターンの次世代機として社運を賭けて開発され、1998年(平成10年)11月27日に日本国内で第6世代ゲーム機の先陣として発売された。”
“さまざまな要因からPlayStationシリーズとのシェア争いに再び惨敗し、2001年(平成13年)1月にセガはドリームキャストを含む家庭用ゲーム機の製造とプラットフォームからの撤退を表明。ドリームキャストは事実上セガ最後のゲーム機となった。”
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88)
今年の6月28日、父方の祖父が亡くなった。
4月に肺炎から心不全を��こし入院していたがその後回復へ向かい、リハビリを行っているところだった。
直接の死因は、明け方に痰を詰まらせたことによる窒息死だという。
あと9日ばかり生きながらえていれば87歳の誕生日を迎え、一時的に自宅へ帰る許可が下りることになっていた。
母方の祖父を十数年前に亡くしている私には、もはや祖父と呼べる人はない。
実家は二世帯住宅であったから、父方の祖父とは私が生まれてから大学進学で上京するまでの18年余をともに過ごしたことになる。
社会人になってからは、年に1度でも帰省できればよいほうであった。
事前に何の連絡もせず(それが私の常であった)、ふらっと実家の玄関を叩き、祖母や母の歓迎をかい潜りながらリビングにたどり着くと、祖父はいつもまるで風呂から上がったばかりのようなランニングシャツ一枚の姿でテレビゲームの麻雀に興じていた。
私の気配に気づくとふっと後ろを振り返り、「どちらさんですな?(博多弁で、どちら様ですか? の意)」と痴呆老人を演じてみせるくらいには明晰な頭脳を晩年まで保ちつづけていた。
話はさらに昔へ遡る。
かつて、実家が麻雀ブームに沸いたことがあった。
私が高校生になり、当時週刊少年マガジンで連載されていた漫画の影響で麻雀を覚えたからだ。
6つ下の弟になかば無理矢理にルールを教え、祖父と父の4人で夕食後に卓を囲むようになった。
弟は当時まだ小学生で、麻雀の複雑なルールを上手く飲み込めず、いつもチートイツ(同じ牌を2コずつ集めるだけの、初心者にもわかりやすい役)を狙っていた。
ほとんどの局面において彼は恐れるに足りない打ち手であったが、ひとたびリーチをかけると場に緊張が走り、和了するとこれ以上の喜びはないという満面の笑みで裏ドラをめくるのだった。
裏ドラは乗ったり乗らなかったりしたが、乗ると「リーチ・チートイツ・ドラ2」で満貫以上が確定する。
祖父はチートイツのことを「ニコニコ」と呼び、弟がリーチをかけるたびに「またニコニコな(またチートイツか)」とこぼした。
平和な家族麻雀は、私が受験勉強のために雀士を廃業するまで1年ほど続いた。
大学進学後、私宅における麻雀ブームはとっくに色あせたものとばかり思い込んでいたが、祖父だけは違ったようだ。
帰省したあるとき、テレビに向かって「ど��こんならん(どうにもこう��もならない)」「ぱッと目の覚めるごたるよか手のこんかねえ(目が覚めるようないい配牌が来ないかねえ)」などとつぶやきながら牌を切る祖父の姿があった。
手にはあの、バカでかいドリームキャストのコントローラーが握られていた。
ドリームキャストは、かつて少しだけ話題になった『シーマン~禁断のペット~』という人面魚を育てるゲームを遊ぶためだけの目的で我が家にやってきた。
一度クリアしたらもう二度と遊びたくなくなるほど醜怪な生き物を育てるそのゲームに飽きた後では、『バイオハザード CODE: Veronica』『MARVEL VS. CAPCOM 2』などをプレイしていた記憶がある。
(出典:http://livedoor.4.blogimg.jp/jin115/imgs/a/9/a9b65e25.jpg)
「ドリキャスを買うか、プレステ2を買うか?」という二択を強いられた同世代のゲーム・キッズたちのなかで、賭けに負け、見事に流行ゲームの波から置いて行かれたのが私だった。
そのドリームキャストが、私という持ち主を失ってからというもの、祖父の専用機になっていたのだ。
麻雀ゲームに熱中する祖父の後ろからこっそり画面を覗くと、祖父は「○○良春」という本名でセーブデータを作成していた。
本名でプレイする可笑しみもさることながら、何より注目に値したのは、名前の隣に表示された数字であった。
累計プレイ時間を示すその数字は、「99時間59分」でカンストしている。
私と弟は対抗心を燃やし、「○○悪春」という、“心を悪に飲み込まれて誕生した、もうひとりの祖父”という設定のデータを新たに作ったが、1時間もしないうちに飽きてやめてしまった。
そうして、99時間という途方もない時間の長さに思いを馳せた。
そんな祖父の葬儀だから、遺影のそばに花牌の「春」が添えてあったのもうなずけた。
「良春」という名に引っ掛けた、弟の計らいだった。
(出典:https://iwiz-chie.c.yimg.jp/im_siggOpzxnixiUtZ_4PI2h1jtmg---x320-y320-exp5m-n1/d/iwiz-chie/que-10154575545)
字牌や数牌ならばともかく、麻雀牌のセットから花牌が一枚なくなったところで困りはしない。
それに、もうこの家で場が立つことはないだろう。
��夜と葬儀では、すでに知っていた話も、知らない話も聞こえた。
若いころ、西鉄で電車の運転手をしていた話。
西鉄を辞め、アルミサッシの工場を立ち上げ、工場長として“西日本では知らない人がいない”までの会社にした話。
実弟との不和から会社を潰した話。
存命中の実弟は、やはり葬式へも顔を見せなかった話。
会社経営から手を引いたあと、地元県議会議員の後援に執心していた話。
孫を法学部へやり、政治と法律を学ばせ、ゆくゆくは 議員に面倒を見てもらって代議士にでも仕立てようと夢をみていた話。
党の幹事長や副総裁を務め、次期首相と目されるまでになったその議員が、つまらない女性スキャンダルをきっかけに失脚した話。
大学受験のために上京する際、空港まで車で送ってくれたのは祖父だった。
ハンドルを握り、前を見据えたまま、「お前、文学部受けるとか。新聞記者にでもなるつもりか」と尋ねた祖父だった。
祖父の夢がついえたいま、私にできるのは、実家にあるはずのドリームキャストを探し出し、久しぶりに電源を点けてやることくらいだ。
あのセーブデータはまだ残っているだろうか?
おそらく、もうとっくに消えてしまっているはずだ。
私が現役でプレイしていた十数年前からずっと、プレイデータが保存されているビジュアルメモリの電池は切れていて、本体の電源を入れるたびに、「ピーーーーーー」という、あのドリームキャスト・ユーザーにはおなじみの、心電図の停止音を思わせる不快な音を鳴らし続けていたから。
しかし、もし万が一あのバカでかいコントローラーに差し込まれた不格好なビジュアルメモリのなかに、ドリームキャストと祖父の記憶が残っていたら、彼の名前を借りて一局だけ雀士に復帰してもいい、と私は考えている。
0 notes
Text
上海のタクシー、あるいはStereoTokyoのためのレクイエム
海外には3度だけ行ったことがある。
大学のころに留学していたアイルランド、昨年ベイビーレイズJAPANというアイドルのたった45分のライブを観るためだけに1泊4日の強行日程で訪れたフランス、そして今年7月の中国・上海がすべてである。
上海へもやはり、アイドルの���を追っかけて行った。
これまで��の国でも、海外ではタクシーの利用を避けるようにしていた。
安全上の理由もあるが、留学時などはとにかく金がなかった。
いちど、ダブリン市内のクラブで朝方近くまで遊んでいて、なにかしらの理由で守衛に「出て行け」と放り出されたことがあった。
まだ日の出前の時刻で、当然バスも電車も動いておらず、タクシーか徒歩しか選択の余地はなかったが、僕は躊躇わず徒歩を選んだ。
ダブリンの南にある、ダン・レアリーという港街まで2時間近くかけて帰ると、ホストマザーは「これまで何十人も留学生を泊めてきたけれど、ダブリンから歩いて帰ってきたグッド・ウォーカーはあなたがはじめてよ」と呆れた。
ダン・レアリーの港(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC)
なぜタクシーを使わなかったのかと訊かれて、「父親が日本でタクシー運転手をしているから」と理由になっていない理由を述べると、彼女は「それじゃあ、お父さんはあなたをこの国まで送り出すために、何千キロもタクシーを運転してきたのね」と返した。
街灯ひとつない暗い道を、客も乗せずに、口をつぐんでただまっすぐ前を見つめて、何千キロとハンドルを握っている父の姿を思い浮かべた。
ところがフランスでは、はじめてタクシーに乗ろうとした。
「乗ろうとした」というのは、未遂に終わったということだが。
弾丸旅行の2日目、お目当てのライブを観終えた僕は、街へ繰り出す前に一旦ホテルでチェックインしようと考えた。
地図アプリで見ると、ライブ会場からホテルへは歩けない距離でもなさそうだった。
電車とバスを使った方が確実ではあったが、ライブ後の高揚感も手伝ってか、自然と7月の炎天下の道を歩きはじめていた。
2車線の道路はやがて1車線になり、歩道はただの芝生になった。
そのうち人気もなくなり、高速道路のようなところへ出てしまった。
フランスの高速道路(http://maropie.blog44.fc2.com/blog-category-37.html)
地図を見るとホテルへはあと10分ほどのところにいるが、車は決して歩行者を認めようとしない速度で行き交っている。
仕方なく来た道を引き返すと、途中、沿道に1台のタクシーが停まっていた。
会場まで��らに歩いて電車とバスを乗り継ぐ手間を考えると、タクシーを飛ばした方がよいのは自明だ。
運転席のドアをノックし、英語で運転手に話しかけたが、返事はフランス語で返ってきた。
一言も理解できず、「オーケー、オーケー」と繰り返すも、彼は一向に話を止めなかった。
激しい口調から、このタクシーに乗車することができないことは伝わったが、何を言っているのかはさっぱりわからない。
昼寝を邪魔されたことに憤っていたのかもしれないし、他のタクシーを使うように指示していたのかもしれないし、「オレのシートにはイエロー・モンキーは座らせねぇ」と言っていたのかもしれない。
とにかく、僕はタクシーをあきらめて徒歩で会場まで戻った。
だから、実際に海外で乗車したのは、上海のタクシーがはじめてであった。
金曜日の22時に成田空港を発つ格安航空機で、翌深夜1時に上海浦東空港着、そのまま空港のスタバで夜を明かして、地下鉄の始発で市街地へ移動、到着即小籠包、飲酒、プチ観光、再度小籠包、再度飲酒、ライブ会場到着、ライブ、というわけのわからないハード・スケジュールだった。
南翔饅頭店の小籠包。上海滞在3日中、3日間通い詰めた
40度近い気温と90%を超える湿度、汚染された大気のなかを彷徨いつづけ、ライブが終わったころには21時を過ぎていた。
僕と2人の同行者は上海市西北部の嘉定区にあるホテルに宿泊することになっていて、疲労と眠気も重なり、迷わずタクシーを捕まえた。
あらかじめメモしてあったホテルの住所を渡すと、中年の男性運転手は無言で車を出した。
タクシーは10分ほど市街地を走り、高速に乗った。
高速の入り口付近で、事故でも起こしたのだろう、生身の人間がひとり車道に突っ立っていた。
クラクションが響くなか、車外に投げ出された心細いマッチ棒のような人影を、僕はどうしても忘れることができない。
高速道路は渋滞が激しかった。
ホテルまでは1時間弱の道のりのはずである。
同行者はすでに2人とも眠っているようだったが、僕はまんじりともせずにGoogle Mapで現在地を注視していた。
本当に目的地へ向かっているのか、心配だったのだ。
後部座席に座っているので顔は見えないが、一応車は進んでいるので、運転手と僕だけが目をさましているらしかった。
一言も発さないその背中に、なぜか信頼感や連帯感めいたものを抱きはじめていた。
ふと、昔読んだ小説のことを思い出した。
フリオ・コルタサルというアルゼンチンの作家が書いた、「南部高速道路」という短編。
舞台はパリへ向かうフランスの高速道路で、原因不明のひどい大渋滞が起こっている。
1日、2日と時間が経過するが、渋滞が解消する気配はまったくない。
やがて水や食料をやり取りするなどの経済活動が行われるようになり、コミュニティが結成され、老人が死に、カップルのあいだに子どもができ、季節はめぐっていくが……という筋書きだ。
「小説のように、このまま上海の高速道路から出られず、朽ち果てるのも悪くないかもしれない……」といった、とりとめのない空想が僕を支配した。
そのあいだにもタクシーの運転手は前だけを見据え、高速から臨む寂しい夜景は後ろへ流れてゆく。
「南部高速道路」収載の『悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集(岩波文庫)』
コルタサルのほかに、もうひとつどこからか頭に迷い込んできたワードがあった。
“Beijing Noodle No. 9"。
たしか、ラスベガスかどこかにある高級中華料理店で、店内に設置された水槽のなかを無数の金魚が泳いでいる。
"Beijing Noodle No. 9"の内観(http://www.bwaltd.com/)
赤いリアライトの群れを眺めているうちに、それが金魚に見えてきたらしかった。
が、そのレストランのことをいつどこで知ったかまでは思い出せない。
その店を知っているか、運転手に聞いてみたくなった。
しかし彼は日本語と英語を解さないし、僕は中国語を解さなかった。
それに何よりここはラスベガスでなければ北京でもなく、高級中華料理店でもない、ただの上海の高速道路だった。
吐かれ���かったことばが行き場をなくして、あいまいに漂っていた。
車内はいつしか、水か、あるいは真空を浮遊しているような、不思議な感覚に満たされていた。
結局、運転手と一言も交わさないまま、タクシーは滑るようにしてホテルの前に着いた。
アイドルヲタクが泊まるには明らかに不相応な高級ホテルで、書き物机とガラス張りのシャワールームまで備えてあった。
ひとりの部屋にあらかじめコンビニで購入していた物品を持ち寄り、「ヤバイ、場違い、ヤバイ」と酒をあおり、生ゴミの味がするカップ焼きそばを食べ、各自部屋に戻り、昏々と眠った。
なぜかベッドから丸見えのシャワールーム
翌朝、再び上海市内へ向かうためにタクシーを捕まえた。
早い時間の高速は空いていて、若い運転手はビュンビュン飛ばし、10秒に1度は車線変更を試みた。
まったく違う街の、まったく違う高速道路を走っているみたいだった。
僕たちは、薄く烟った上海の大気を裂いて飛来する、一筋の叫びだった。
(一筋の叫びが空を裂いて飛んでくる。前にもあった、だが今のは何とも比べようがない。いまさら手遅れだ。――トマス・ピンチョン『重力の虹』(佐藤良明・訳))
タクシーの車窓から
人間の織りなすすべての事象に目的があるとすれば、この文章の目的の半分は、あの夜の運転手を称えることにある。
名前も知らない、顔も覚えていない、もう二度と会うこともないであろう、13億分の1の中国人のことを、僕はどこかに書き残しておきたかったのだ。
彼は、「外国人観光客にはみだりに話しかけるべきでない」という圧倒的なプロ意識をもって、僕たち3名を安全かつ迅速に目的地まで送り届けてくれた。
(僕の父親も、そのような運転手であろうか? 僕は、父が運転するタクシーに乗ったことがない)
それならばこの文章のもう半分は、StereoTokyoに捧げられるべきであろう。
僕の認識が正しければ、彼女たちは現在活動休止中のアイドル・グループである。
あの"Beijing Noodle No. 9"ということばが、彼女たちの歌う曲のタイトルであったことに、僕は日本へ帰国してからようやく思い当たった。
それがラスベガスに実在するレストランだという話も、金魚の話も、奇抜な髪型をしたプロデューサーがインタビューに答えていた記憶がある。
https://www.youtube.com/watch?v=v4Nfug5EcLU
2015.08.21 Beijing Noodle No.9 / Stereo Tokyo @ HMV record shop 渋谷
StereoTokyoのライブは、片手で数えられるくらいしか観たことがない。
そのほとんどすべてがたまたま対バンで目にしただけで、自分から積極的に足を運んだことは一度もなかった。
ところがどういうわけか、僕のiPhoneにはこの"Beijing Noodle No. 9"が入っていて、 ごくまれにシャッフル再生で流れてくるのだ。
私たちは ここにいる運命
どんな時でも 此処に
私たちはここに棲む運命
どんな時でも 中に
硝子の外広がる宇宙は
私たちの宇宙だから
私たちは 囚われた宇宙
限られた海を 泳��
あなたたちは 開かれた宇宙
限りない海を泳ぐ
全てのものを手に入れるのは
全能という幻想だから
StereoTokyo "Beijing Noodle No. 9”
作詞:テンプレ騎士団 作曲:Joey Megro
あの夜、僕たちが乗せられていたタクシーはある種の金魚鉢ではなかったか?
そして金魚鉢の外には、たしかに開かれた宇宙が広がってはいなかったか??
3 notes
·
View notes
Text
りおトン先生を囲む会に行ってきたよ(2部)
親切な知り合いがチケットを交換してくれたため、2部は2列目で見ることができました。
普段からTwitterで”渡邊璃生ちゃん神推しのヲタク”を名乗るなど周知に努めた甲斐があったというもの。
会場前方のスクリーンと僕の前に座ってらしたヲタクの方の頭。
黒猫に扮した1部とは打って変わって、2部ではテーブルクロスの妖精のコスプレ(そんなものはない)で入場した渡邊璃生ちゃん。
(参考画像)
2部の司会は、先生から直々にご指名を受けたという愛夏さん。
さっそく、「りおトン先生考案キャラクターに名前をつけよう」のコーナーが始まります。
虎ガーさんから集められた名前候補を愛夏さんが次々と読み上げ、先生がお気に召したものには「スッ」、お気に召さないものには「はい」と答えるという、シュールな流れで厳選が進みます。
「こめ」「おもち」「しらたま」「猫型の闇」「猫神様(1700年前に云々とやたら長い設定��続く)」の5つに絞られました。
「りおトン、こういうの好きやんな?」と僕が考えた「猫型の闇」も残っていたのですが、最終的には、虎ガーさんが考えた「こめ」に先生が手を加えて「おこめ」になりました。
ピン「どうせ登場すんのきょうだけやろ?」
続いて新作朗読劇。
ノータイトルとのことでしたが、以前kawaiianTVでやった劇の続編らしい(配信番組まったく見てないので無知)。
・なつめ役…大矢梨華子
炎使い
・たつみ役…高見奈央
土使い(4属性のなかでもっとも強いと言われているらしい。知らんがな)
・フヂナ役…林愛夏
風使い/生徒会長だが制服を着崩す
・テオドア役…傳谷英里香
水使い/希願(こいねがい)研究所からやってきたロボット
転校してきたロボットの挨拶にはじまり、4人の自己紹介、そして突然の敵の襲撃、「あいつは……」「知っているのか!?」、終わり。みたいな物語でした。
(画像は本文の内容とは一切関係ありません)
そしてりおトン先生もなつめ役として自ら朗読に挑戦することに。
(画像は本文の内容とは一切関係ありません)
朗読を終えた渡邊璃生ちゃんが、少し恥ずかしそうに「以上、楽しかったです!」とか強引に〆たのがハイパー可愛かったです。
続いてはおまちかね、マリオパーティーのコーナー!!!
イヤッホウ!!!! マンマ・ミーア!!!!!
(特筆すべき事項はありません)
最後の企画はりおトン大喜利。
大喜利のお題は「りおトンの秘密は?」「りおトンがぜったいに言わないことは?」などなど、すべて先生に関するものでした。
MCの愛夏さんを除くメンバー3人と、ランダムに選ばれた虎ガーさん2名がシノギを削りました。
お題「りおトンが突然の引退! その理由は? 」
トン「時事ネタはやめてください」
ヲタクの解答者、辛そうだったなあ。
すべての企画終了後には、愛夏さんの合図に合わせて皆でクラッカーを鳴らす素敵なサプライズ。
トン「急に狙撃されたかと思った」
2部の〆の挨拶は、「18歳まで生き延びようと思います」とのことでした。
~色紙サイン会~
ぼく「テーブルクロスみたいな素敵なお召し物ですね」 スタッフさん「(苦笑)」 トン「今まで黙っていたけれど、実は私、テーブルクロス職人なの」 ぼく「そうなんや(苦笑)」 スタッフさん「(苦笑)」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「2部の内容、1部と比べて薄いな」と感じたあなたは、正常な読解力の持ち主です。
おわり
0 notes
Text
りおトン先生を囲む会に行ってきたよ(1部)
2017年3月19日、ベイビーレイズJAPANのりおトンこと渡邊璃生ちゃんの生誕イベントに行って参りました。17歳。
場所は浅草橋ヒューリックホール。
渡邊璃生ちゃんはバイオアロマ株式会社代表取締役原野晴介氏を超えた。
(香りによる人類貢献とは……)
会場はどこにでもあるような貸し会議室で、入口横には案内板とスケートボードが置かれていました。
りおトン先生の私物なのだろうか。
そういえば昔はスケーターファッションを好んで着ていたような。
入場すると前方にメンバー用と思われる長机と講演台が置かれ、120ほど用意されたイスに虎ガーが座っていくスタイル。
虎ガーさんから贈られたスタンドフラワー。
会場後方では渡邊璃生ちゃん生誕グッズの物販と、りおトン先生がデザインしたキャラクターに名前をつける用紙が置かれていました。
「ぜったいこの謎の生物の名付け親になって”結果”を残してェ……」という強い意志をもっていた僕は、あらかじめEvernoteに数十個の候補を認めていたのですが、スタッフさんに「ひとり1案でお願いします」と告げられ、イベントが始まる前から無事死亡しました。
そうこうしているうちに早くも開演時間に。
渡邊璃生ちゃんの影ナレに続いて、1部司会のリコピンがふつうにヲタクとヲタクのイスの間を通って登場。
続いてこの日の脇役A(でんちゃん)、脇役B(まなつ)、脇役C(なおすけ)が登場しました(自分たちで「脇役で〜す!」と名乗っていたので、苦情は受けつけません)。
そしていよいよ本日の主役である渡邊璃生ちゃんを召喚すべく、ヲタク全員で「りおトン先生〜〜!」と呼び込む恒例のやつ。
「いや、こういうの苦手なんやけど……」と斜に構えて口を開かず足を組むなどしていたのですが、
うわああああああっ!
かっわえええええええええええ!!
黒ニット+ショーパン+ニーハイ+猫耳+チョーカー+しっぽ=最THE高!!!(ベイビーレイズJAPANの運営もしくはメンバーは即刻絶対領域が写った写真をアップロードしてくれ頼む)
この時点で4,000円はもとを取れた!!!!(本日のチケ代4,500円中)
ベイビーレイズJAPAN最高!!!!!
となりました。
見た目こそ異常なまでの可愛らしさを漂わせていたものの、中身は入場即「本日はお集まりいただきありがとうございました」とすべてを過去にする、いつもどおりの渡邊璃生ちゃんでした。
MCリコピンの事前説明によると、この日のイベントはバラエティ色強めとのこと。
まずはりおトン先生が好きな漫画の魅力を1冊あたり3分でプレゼンするコーナー。
選ばれたのは、『バイオーグ・トリニティ』、『月に吠えらんねえ』、『多重人格探偵サイコ』の3冊でした。
「渡邊璃生ちゃんになりてェ……」という強い意志をふだんから持ち合わせている僕は、3冊中2冊はすでに読んだことがあるため、「この問題、進研ゼミでやったやつだ!」状態でした。
~バイオーグ・トリニティ~ トン「手に開いた穴から吸収した人や物の能力を取り込むことができる」 でん「トンちゃんだったら何を吸収したい?」 トン「え〜猫かな?」 ピン「いや、きょうもう猫なってるやん」
~月に吠えらんねえ~ トン「主人公の朔くんは神経衰弱で……」 ピン「神経衰弱?トランプの??」 すけ「病みやすいってことでしょ」 でん「なんだ、同じ絵柄ばっか出てくるのかと思った」
~多重人格探偵サイコ~ トン「人がリズミカルに死んでいく」
などと要所要所にパンチラインを散りばめながら、ヲタク特有の早口で漫画を紹介する渡邊璃生ちゃんを眺めるだけの至福の時間が過ぎてゆく(一方僕の1列前に座っている幼女はヒマそうにしている)。
「りおトンから漫画を借りて読む場合に、本を開きすぎると跡がつくのでいやがられる」などのエピソードも彼女らしく、微笑ましいものでした。
続いてのコーナーは、りおトン先生がこの日のために書き下ろしたという朗読劇、その名も『規格淑女』。
先生以外のメンバー4人にその場で台本が渡され、いきなりその場で演じることに。
事前の読みあわせは一切なかったそうです。
・ギヨタン役…林愛夏
両親が医者だからギヨタン(フランスでギロチンによる死刑を導入した人物ジョゼフ・ギヨタンも両親が医者だったという史実に由来するらしい。なんやそのディテール)
・チッチ役…高見奈央
本名は「すずめ子」/成績学年1位/身長140cm
・タケチー役…傳谷英里香
優等生/生徒会長/名前が「竹内」だからタケチー
・イオリン役…大矢梨華子
本名は「いおり」/社長令嬢/髪型はゆるふわ
物語の内容は、女子生徒たちが学校をサボって遊びに出かける計画を立てるというもの。
優等生役のでんちゃんが言葉を尽くして皆を止めようとしたり、口封じのために他の生徒には✕✕堂のお菓子を配ってあるなどディテールが細かく、コミカルで楽しいストーリーでした。
ニヤニヤしながら年上メンバー4人の演技を見つめる渡邊璃生ちゃんは、自分の書いた脚本に血が通う喜びのようなものを体現していたように感じました。
ト書きも読んでみたいので、ブログかどこかで台本見せてほしいなあ。
続いてのコーナーは、、、マリオカート!
(いや、自分マリカー好きやっけ? 他にやることないから埋め草的にゲーム企画突っ込んだだけなんじゃ?? 時間もけっこう取ってたし)
りおトンといったらマリカー、マリカーといったらりおトンもしくは任天堂に提訴されたでおなじみの株式会社マリカーだもんね!!
メンバー4人がトーナメントを行い、勝ち抜いた1名と会場から選ばれた虎ガーさんが対決、勝者には豪華商品が! という触れ込みでした。
~キャラクター選択時~ でん「なんだっけ、クックパッドみたいな名前の」 すけ「クッパな」
メンバー同士のトーナメントを制したなおすけが空気を読まずに虎ガーさんを倒してきれいにオチがついたところでコーナーは終了。
賞品として、国立科学博物館で催される「大英自然史博物館展」のチケットをゲットしました。
実況役の渡邊璃生ちゃんが、画面に表示されるNow loading... の文字まで読み上げていたのがツボでした。
最後のコーナーは、会場全員が参加する、りおトン◯✕クイズ。
・りおトンはクラゲを見るのも食べるのも好き→◯ ・りおトンが漫画を好きになったきっかけはドラゴンボール→✕(正解はめだかボックス) ・りおトンが物語を作るときは、キャラクターから考える→✕(でん「規格淑女はキャラクターから考えたってさっき言ったじゃん!」 トン「あれは例外」) ・りおトンはお化けを信じる→◯(でん「私は神しか信じない、って前言ってたじゃん!!」)
難問を勝ち抜いた虎ガーさんとまなっちゃんには、「バイオーグ・トリニティ1巻」「池袋サンシャイン水族館入場券」「TOHOシネマズギフトカード 2,000円分」などが贈られました。
1部のラストにはフルーツをふんだんに使用した豪華なケーキが登場して記念撮影。
すけ「わたしのときはこんな豪華なケーキじゃなかった! 20歳だったのに!!」
最後に渡邊璃生ちゃんからご挨拶がありました。
「緊張してきょうも直前まで壁をガリガリしてたけど、やりたいことをやらせてもらえて嬉しかった。おやすみな��い」(要約)
退場時にはりおトン先生が自らデザインしたというミニ色紙にサインを書いてくださるとのこと。
ぼく「漫画紹介するときのヲタク特有の早口がすごくよかったです」 トン「そうなの、好きなものの話するときは、ああなっちゃうの」 ぼく「(なにそれかわいい)」
虎ガーさんもお姉さんメンバーも、りおトンのやりたいことや好きなことを見守る暖かい雰囲気に包まれ、終始笑顔が絶えない生誕イベントでした。
小説や朗読劇の脚本執筆など、興味のある分野でどんどん才能を伸ばしてほしいですね(上から目線)。
マリカーは一体なんやったんや。
おわり
2 notes
·
View notes
Text
「大きな翼のある、ひどく年老いた男」
むかしから、一度購入した書籍はよっぽどの駄本でないかぎり手放さない性質である。近い将来にまた必ず読みたいと思わせる本であればなおさらだが、いくら本棚やダンボールを漁っても、見つからない本がある。
ちくま文庫に入っている、ガルシア=マルケスの『エレンディラ』という作品集もその一冊である。数ヶ月前から、「大きな翼のある、ひどく年老いた男」という短編を再読したくなり、ときどき思い出したように探しているが、どこにも見当たらない。あまりに出てこないので、生まれて初めて同じ本を2冊買ってしまった。
------
舞台は海辺の町。長雨のために家へ入ってくる大量の蟹を殺し、泥と腐った貝が混ざり悪臭を放つ浜に死骸を捨てに出かけ、帰宅したペラーヨが裏庭で発見したのは、泥のなかに倒れた「大きな翼のある、ひどく年老いた男」であった。
ペラーヨは妻のエリセンダを呼びつけ、男が何者であるか、ふたりでつぶさに観察する。浮浪者のようなみずぼらしいなり、禿げ上がった頭、数本しか残っていない歯にもかかわらず、背中に生え��翼のみによってその男は"天使"と呼ばれる。
噂は瞬く間に広がり、カトリックの神父や大勢の野次馬が押し寄せ、夫婦の平和な生活は脅かされるようになる。やがて夫婦は天使を鶏小屋に押し込め、見物料をとりはじめる。それでも遠くからご利益を求めにやってくる不具者や巡礼者が後を絶たない。
天使はあいかわらず小屋に寝たきりで、鶏につつかれたり、寄生虫に羽を蝕まれたり、見物客に石を投げつけられたり、焼きごてを押し当てられたりにひたすら耐えている。
そんななか、町に新しい見世物がやってくる。頭は少女、身体は羊ほどの大きさの巨大な毒蜘蛛という怪物に人びとは心を奪われ、天使は誰からも顧みられなくなる。
夫婦にまで疎まれ、鶏小屋は崩壊し、天使は家のなかを徘徊するようになるが当然追い出される。裏庭の隅で最悪の冬をかろうじて越し、しっかりした羽が新しく生えてくる。しかし、誰もそのことに気がつかない。
ある朝、エリセンダがキッチンで玉ねぎを刻んでいると、海のほうから風が吹き込んでくる。それは、飛行訓練を行う天使によるものであった。はじめこそぎこちなかったが、何とか高度を保ち飛び続ける姿に、彼女は安堵のため息をもらす。
エリセンダは玉ねぎを刻み終え、見えなくなるまでずっと天使を眺め続けた。天使はもはや彼女の生活を悩ませる厄介ごとではなく、水平線の彼方にある空想上の一点にすぎなかった。
------
日常が異物によって侵食され、やがて元のかたちを回復し、再び時間が流れはじめる、という流れは小説の紋切り型のひとつである。が、それにしても、この短編のラスト、エリセンダが玉ねぎを刻み続けながら天使の飛翔を眺める場面(彼女はあくまでも日常生活に立脚している)、そして「空想上の一点」というメタファーは圧巻である。
20世紀のコロンビアでは、天使は浮浪者の姿をしていた。厄介なことに、わたしの身の回りでは、天使は見目麗しい10代の少女の姿をして、"アイドル"と称しているようだ。
0 notes
Text
一面識もなかった人たち
高校2年生のある朝、ホームルームの時間になっても一向に担任が姿を現さないことがあった。
どうやら両隣のクラスも同じらしかった。 クラスのお���子者的な奴らが職員室の様子を覗きにいって、帰ってきた。 どうやら誰かが自殺したらしい、ということであった。
その後、全校集会が行われた。 生徒のひとりが自殺したこと、原因については現在調査中であること、むやみやたらと口外しないことなど、話は当たり障りのない内容ばかりだった。
やがてその生徒についての詳しい噂話が伝わってきた。 彼は中学2年生であったこと(僕が通っていた学校は、中高一貫校だった)、修学旅行から帰ってきたばかりであったこと、修学旅行の最中に同じグループの生徒から邪魔者扱いされたこと。 修学旅行の最終日に一旦学校へ戻ってきて、荷物を自分のロッカーに置いて自宅へ向かったこと、そのままエレベーターでマンションの最上階へ行き、飛び降りたこと。
自分と同じような環境にある人間が、何を考えて修学旅行の大きな荷物を学校に置いていったのか、何を想って自宅までの電車の窓から見える景色を眺めていたのか、どうして自宅のあるフロアで降りずにそのまま最上階へ向かったのか、僕は毎日をオロオロと過ごした。
------
僕が新卒で入った会社には、「顧問」という肩書で呼ばれる人がいた。 齢70を超えた、白髪の男性である。 たまに出社をして、他の人たちの手伝いなどをしている様子だった。
あるとき、社内の小さな会議室に部員が集められた。 顧問は、ある著者の先生が亡くなったことを告げ、その場で泣き崩れた。 僕はそのとき、はじめて老人の涙というものを見た。
その先生は、戦後すぐにアメリカへと渡って英語を学び、帰国してからはずっと大学で日本の英語教育に寄与してきた方であった。 先生と顧問は、二人三脚で英語の教科書を編み、一時代を築いた。
僕はその先生の葬儀に参列するために、はじめて礼服というものを買い、はじめて黒いネクタイを絞め、はじめてお清めの寿司を喰らった。
それから一年後、会社の人間で先生のお墓参りをしようという話が持ち上がった。 一面識もなかったことを気遣ったのであろう、上司から「お前はどうする?」と尋ねられた僕は、どうしてか「行きます」と二つ返事で答えた。
先生のご実家は福島県にあった。 在来線を乗り継ぎ、大野という駅で降りた。 駅からは先生の次男にあたる方が車に乗せてくださった。 途中で花屋に寄った。
先生のご実家は、はたして立派な日本家屋であった。 家を囲む石垣、広い庭、松の木、黒光りがして歩くと軋む廊下。 昼食を御馳走になって、いよいよお墓へ向かうことになった。
先生のお墓は、農道を歩いた先にあった。 農地に囲まれていくつかの墓石が立っていた。 それがこの地域の昔からの姿なのだろう。
僕たちは先生のお墓の前で記念写真を撮った。 その写真は、いまも僕の手元にある。 背の高さも、声も、歩き方も、何ひとつ知らない人の墓前で、僕は居心地の悪そうな表情を浮かべている。
それから数年が経ち、僕はふたたびあの「大野」という駅名をニュースで耳にした。 先生のご実家は、東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所事故によって、帰還困難区域内に指定された。 親族の方によると、あの石垣は地震で崩れてしまったが、先生の位牌だけは命からがら持って逃げた、とのことであった。
------
僕はその女の子を2度、それも遠目にしか見たことがない。 それに、その子をはっきり視認したわけでもなく、集団のなかのひとりと認めたに過ぎない。
はじめて見たのは、2014年に滋賀で行われたイナズマ・ロックフェスであった。 僕がお目当てにしていたアイドルと、彼女がいたグループは別のステージに立つことになっていて、しかも時間が重なっていた。 お目当てのライブが終わると、僕はなんとなく彼女がいるステージの方へ近づいていった。 お目当てのアイドルは誰でも無料で見られるステージに出演したが、彼女のグループは有料のステージで、そこに入るためのチケットを買っていなかった僕は、喫煙スペースになっている小高い丘から、遠巻きに彼女たちを眺めていた。
2度目に見たのは、昨年幕張メッセで行われた@JAM 2016というイベントだった。 いちばん大きなステージで、彼女たちはなにかのバラード曲を歌っていた。 数名の知り合いと一緒に行動していたが、彼らは昔そのグループを少し通ったことがあるとかで、うっとりした面持ちで聞き入っていた。 その横顔が鬱陶しく、僕は無言でひとりその場を離れた。
------
以上の人びとは、いずれも生前、直接には面識のない人びとである。 しかし、それぞれの人生の機微をもって、なにかしらの光を僕に投げかけている、ような気がする。
1 note
·
View note
Text
死蔵
「死蔵」という、どこか不穏なことばがある。 三省堂の大辞林には、次のとおり定義されている。
し ぞう -ざう 【死蔵】 ( 名 ) スル 活用しないで、無駄にしまっておくこと。 「書物を-する」
僕の財布には一枚の握手券が死蔵されている。 ある意味では現在進行形で役に立っているのであるが、正式には活用されなかった、あるいはこれからもおそらく永久に活用されることがないであろうから、死蔵といって差し支えなかろう。
そのわけはこうだ。
---------
平成27年7月12日、僕は愛媛県四国中央市寒川豊岡海浜公園の砂浜にいた。 SUN BURST 2015という音楽フェスに参加するためだ。 フェスのステージは全部で3つ。 お目当てのベイビーレイズJAPANが出演するのは、そのなかで最も小さくかつひとつだけ離れた場所にある「マーメイドステージ」というやつだった。
マーメイドステージではその他にも、アプガ、リリスク、9nineなどがライブを行うことになっていた。 要するに、ロックフェスでよくある"アイドル専用ステージ"なのだ。 夏に砂浜の上で裸足でライブが見れるという最高のシチュエーションにもかかわらず、はじまるまえから僕はどこかうんざりしていた。
が、ベイビーレイズJAPANのライブはめためたよかった。 JUMPと新しい世界とS.O.K.とレイズとレボと夜明けをやった(いったい他に何を望む?)。 ライブが終わってすぐ、汗だくのまま海に浸かりにいった。 「今までのライブでいちばん楽しかったのはきょうだ」、と思った。
本人たちにそのことが伝えたくなった。 彼女たちはちょうど同月にZeppなんばでのワンマンライブを控えていて、ライブ後の物販でその手売りチケットを購入すると、メンバーのひとりと少しの時間お話ができる仕組みになっていた。 僕はZeppなんばを干すつもりでチケットを買っていなかったので、渡りに船だった。
何食わぬ顔で渡邊璃生ちゃん列に並び、きょうのライブがとても楽しかったこと、あんまり楽しかったので本当は行くつもりがなかったZeppなんばのチケットを買ってしまったことを伝えた(「なんば行くつもりなかったんだけど……」まで言ったら、「なんでよ」と口を尖らせた彼女はハイパー可愛かった)。 大切なことはそれだけで、残りの時間は他愛もないことを話していた。
遠征先でスタッフが少なかったのであろう、剥がしもいなかったので1分くらいで自主的に剥がれようとすると、とつぜん変な箱を差し出された。 。 箱の上部には手を入れる穴があり、なかには何枚ものカードが覗いていた。 その頃のベビレは物販でいくらか購入するごとにスクラッチカードをもらえて、当たりが出ると後日開催の特典会に参加できるというよくわからないキャンペーンをやっていた。
箱からカードを引こうとすると、渡邊璃生ちゃんが「私が引きたい!」と言い出した。 「何だコイツ」と思ったが、近年まれに見る笑顔だったので、好きなようにさせた 。 渡邊璃生ちゃんはカードを引いた。 時間もすぎているし、根がダンディにできている僕は、「推しの目の前でワクワクしながらスクラッチを削る」という行為が恥ずかしく、カードだけ受け取ってすぐ去ろうとした。 が、かの女は「いまここで削って!!」などとのたまう。 言われるがままに急いで硬貨を出し、かの女が見守るなかスクラッチを削ると、果たして現れた文字は"渡邊璃生個別握手会参加券"であった。
内心では飛び上がるくらい嬉しかったが、しかしスクラッチの当たりごときで喜んでいるおっさんは冷静にキツいので、「あ���、ありがとう。この券でまたお話しにくるね」とだけ言って逃げるようにその場を離れ、財布に券をしまった。
実際に握手券を使用できるイベントはその2ヶ月後くらいに設定されていたが、僕はその当日に風邪を引いてしまい、参加することができなかった。
---------
というわけで、僕の財布には一枚の握手券が死蔵されている。 それは、アキレスがいずれはカメに追いつくのと同じくらい、桜の樹の下には屍体が埋まっているのと同じくらい、愛知県美術館がクリムトの『黄金の騎士』を所蔵しているのと同じくらい、たしからしいことである。
そして僕の財布で死蔵されている握手券は、その語に漂う不穏な雰囲気にもかかわらず、どういうわけか、4月の午後の芝生だとか、すやすやと眠る白いむく犬だとか、町のパン屋さんのふかふかのパンだとか、そういうものばかりを想起させるのだ。
1 note
·
View note
Text
生まれてはじめて他人と十全なるコミュニケーションをとった夜のこと
2012年の8月だったと思う。僕は東京での暮らしに疲弊していて、お盆休みを使って数年ぶりに帰省することにした。
東京駅から博多駅までは、新幹線のぞみ号でも優に5時間はかかる。車内ではずっと、ある作家の遺作となった、600頁近い未完の長編小説を読んでいた。
博多駅からさらに在来線を乗り継ぎ、最寄り駅に着いた頃にはとっくに夜の10時を回っていた。空腹に耐えかねた僕は、ラーメン屋に入った。
最寄りに一軒しかないそのラーメン店には、片手で数えても余るほどの先客があった。みな常連なのであろう、店主といっしょにテレビでボクシングの試合を観戦していた。
400円ぽっちのラーメンを頼み、茹であがるのを待つあいだ、目を閉じて周りの会話に耳をそばだてていた。大概が、誰々さんとこの何々さんがどうの、駅前の商店街がどうのといった、他愛のない話だった。地元のことばが耳に心地よかった。ボクシングはロンドン・オリンピックの準決勝試合で、いままさに日本人選手が戦っていて、この試合に勝てばメダルが確定するらしい。
ラーメンを食べ終え、お代を��うときになっても、その選手は戦い続けていた。店を出ようとすると、カウンター席に座っていた客のおばさんがふいにくるりとこちらを向いて、「おつかれさま」といった。僕は、精いっぱいの笑みを浮かべて、「おやすみなさい」といって店を出た。
それだけのことだが、生まれてはじめて他人と十全なるコミュニケーションをとることができた、と僕は感じた。あるいはそれは思い上がりだったに相違ないが。
しばらく後になって、あのボクサーは準決勝に勝ち、次の試合にも勝って金メダルを獲得したことを知った。
1 note
·
View note
Text
ベイビーレイズJAPANのイベントが少ないことについての個人的な覚書
ベイビーレイズJAPANの11月はイベントが少ない。12月も少ない。10月も多くはなかった気がするが、主催フェスが4日間もあ(りやが)ったので、比較的マシだったように思う。
11月に参加できるライブは、2日のでんちゃん生誕ライブと、5日の筑波大学の学園祭と、26日のなおすけ生誕ライブのみである。ほかにも鳥取の高校の文化祭に2年連続で出演したり、危険ドラッグ撲滅都民大会に出演したりしていたみたいだが、これらはクローズドなのでヲタクは参加できなかった。あとは2回くらいテレビに出たりしてたっけ。どっちも見てないけど。
虎ノ門ガーディアンズが口々に「寂しい」だの「ライブやれ」だの「困ったもんだ」とつぶやくのも、じゅうぶん頷ける。なにせ彼女たちがベイビーレイズだった頃は、毎週のように虎ノ門で無銭イベントが催されていたのだ――我もまたアルカディアにありき! もっとも、当時のヲタクの大半はとっくに現場を去り、他のアイドルを追っかけているか、社会人になってヲタクをやめたか、結婚したかしているが。あるいは死んだか。
でも、ここに書き留めておきたいのは、そのような安っぽいセンチメンタリズムでもなければ、過度に美化された在りし日の記憶でもない。ベイビーレイズJAPANのイベントが少なかろうが、渡邊璃生ちゃんにお会いできない日が続こうが、どうってことないのだということに、僕は気がついてしまった。ベイビーレイズに出会うまでの生活がそうだったように。
ベイビーレイズがイベントを打とうが打たまいが、僕がライブに行こうが行くまいが、彼女たちは当たり前にこの世界のどこかに存在しているし、他のアイドルやバンドのライブを見たり、ディズニーランドへ行ったり、千年に一度の童顔巨乳とデートしたりしている���
渡邊璃生ちゃんはきょうも上野の国立科学博物館へ足を運んでいるかもしれないし、あるいはそれは博物館ではな��江ノ島水族館かもしれないし、猫カフェかもしれない。いままさにこの瞬間にもお一人様で王将のラーメンセットをぺろりと平らげたかもしれないし、もしくは大型書店で漫画をジャケ買いしようとたくらんでいるかもしれないが、き��うも世界一かわいいのは火を見るより明らかだ。
いまはただそのことが少しだけ寂しく、少しだけぬくい。
1 note
·
View note
Text
おやすみホログラムがやったこと
一、おやすみホログラムがやったこと
fairytale
真昼のダンス
planet
friday
sister
sea song
empty page
fairytale
真昼のダンス
planet
friday
sister
sea song
empty page
ニューロマンサー
note(JitteryJackal remix)
(2016年11月14日、新宿LOFT)
一、Wikipediaがいったこと
『ゴドーを待ちながら』は二幕劇。木が一本しかない舞台で、二人の浮浪者がゴドーを待ち続けている。だが二人はゴドーに会ったことはない。待ちながら、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにもう二人別の人物が通りかかり、さらにとりとめのない会話と遊戯が続く。一日の終わり、少年がやってきて、ゴドーが今日は来ないと告げる。二人はもう一日待とう、明日ゴドーがこなければ首を吊ろう、という。同じことがまた翌日繰り返され、芝居はそこで終わる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88)
一、おやすみホログラムがいったこと
2015/11/18の恵比寿リキッドルームがなければおやすみホログラムの2016/11/16の恵比寿リキッドルームの実現はなかったと思う。
あの日のハバナイの荒々しくも神々しいステージ、ネイチャーの暴動のようで底抜けにハッピーなステージを見ておやすみホログラムはこのままじゃダメだと感じた。
それはあの映画「MOSHPIT」に深く刻まれてしまっている。
もう私たちにアイドルマナーは意味をなさなくて、ただ来てくれた人全員がそれぞれに楽しめる空間を作る。
何も強制しないし、ただ踊り続けて欲しい。
たとえ一曲も知らなくても。
このショーは2015年を終わらせるための私たちのためのショーだ。
私たちは映画の続きを生きている。
(http://uroros.net/newrelease/30361/)
一、レベッカ・ブラウンが書いたこと
安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。
(レベッカ・ブラウン「私たちがやったこと」)
一、おやすみホログラムがやること
fake a show
2016年11月16日(水)
open19:00 / start20:00
恵比寿LIQUIDROOM
一、サミュエル・ベケットがいったこと
“Dance first. Think later. It's the natural order.”
1 note
·
View note
Text
6月15日、渋谷O-WESTでおやすみホログラムの2ndワンマンライブを見ませんか。
6月15日、渋谷O-WESTでおやすみホログラムの2ndワンマンライブを見ませんか。 20時からです。 前売り3,500円です。
まずはじめに、このエントリを読んでくだすっている方のほとんどは僕の知り合いで、 僕の知り合いのほとんどは「おやすみホログラムって誰やねん」という方々だと思われますので、 簡単にご紹介を。 おやすみホログラム通称"おやホロ"は、八月ちゃんとカナミルから成る2人組女性アイドル(たぶん)です。
↑ 八月ちゃん
↑ カナミル(w/氷結STRONG)
(むかしはもっとメンバーいたらしいですが、とにかくいまは2人組です)
僕がおやホロを知ったきっかけは、確かちょうど1年前くらいに 綱島温泉で行われた対バンイベントの動画が、たまたまTwitterでRTされてきたことでした。
youtube
このイベント自体、今は亡き古き良き温泉の宴会場でライブを見られる特殊な環境だったんですが、 それにしても衝撃だったのです。 フロアに降りてくるアイドルってけっこういると思うのですが、 それにしても衝撃だったのです。 「楽しそう!混ざりたい!!」ってなったのです。へへ。 で、昨年9月に1stアルバムが発売されまして、これがめためたよくて。 まぁ、その目の前のパソコンで自己保身に塗れた日報したためたり 箸にも棒にもかからねぇエントリーシート書いたりしてる合間にでも とりあえず数曲垂れ流してみてよ。
どうですか? 純粋に美しくて儚くて勁くて刹那くて鬱くしくて死にたくなりません??
アルバムを聴いて、いてもたってもいられなくなった僕は 同月22日に新宿Loftで行われた1stワンマンライブで初めて現場へ足を運んだのですが(遅い)、 モッシュありリフトありダイブありのハードコ���なフロアで、 一瞬にしてロックンロールの恋人になってしまいました。
youtube
youtube
バンドありアコースティックありで、オルタナともガレージともノイズともわからん音楽をやってるんですよ。 (あっ、いくつか貼り付けた動画からもおわかりのように、おやホロのライブは、場所や時間を問わずほぼいつでも撮影可能なので、カメコの方にもオススメです)
その後バスツアーでバズったり http://matome.naver.jp/odai/2145719231363191901
2ndアルバムを発売したりして
youtube
帰り路 (居酒屋でバイトした帰りに吉牛喰ってるのがサマになるアイドル他にいなくない?)
youtube
ニューロマンサー (安そうな衣装はおいといて曲かっこよすぎでは??)
そんなこんなで現在に至るのですが、もう1曲だけどうしても紹介したい曲がありまして。 Have a Nice Day!(ハバナイ)とおやすみホログラムで、"エメラルド"。
ハバナイというバンドが、おやホロに提供した曲です 実は、上であげた"ニューロマンサー"のMVで踊り狂っている、 浅見北斗というひとがやってるバンドです。 こんなの、夏の野外フェスで聴いたらこうなっちゃうよね。
youtube
この"エメラルド"をめぐっては少なからず因縁があり、現在では"封印"という扱いになっています。 ハバナイと対バンするときくらいしかやらない。 だから、2ndワンマンライブでは聞けないかもしれません。 聞けるかもしれません。
ハバナイは昨年11月にリキッドルームでライブをやっており、925人を集めました。 おやホロもその巨大なパーティに出演し、1曲だけ"エメラルド"を披露しました。
とあるイベントにて、カナミルは楽曲の強靭さゆえの「エメラルドの呪縛」について触れ 「私たちもぜったいにリキッドルームでワンマンをやる。ハバナイの集客を越える」と言ってのけました。 ぱちぱち。
先の5月には、ハバナイもO-WESTでワンマンを成功させています。
"ニューロマンサー"は、"エメラルド"へのアンサー・ソングとしてつくられたそうです。
2ndワンマンが行われるO-WESTのキャパが600で、リキッドルームが1,000らしいっす。 僕は、リキッドルームでワンマンライブを催す、おやすみホログラムが見たい。 このグループがリキッドでワンマンできなかったら嘘だな、とも思います。 で、おやすみホログラムがリキッドルームでワンマンするためには、 まずは目の前のO-WESTでのライブを成功させなければならない(たぶん)。 成功させるためには、ヲタクがたくさん来ないといけない(おそらく)。 それがこのエントリの目的です(使命感)。
2ndワンマンライブのチケット購入はこちらから。 http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002187984P0050001P006001P0030001
6月15日、渋谷O-WESTでおやすみホログラムの2ndワンマンライブを見ませんか。 20時からです。前売り3,500円です。
1 note
·
View note
Text
20151022
おやすみホログラムさんのインストアライブを観に池袋へ。
19:30開始予定が八月ちゃんと小川さんが交通渋滞に巻き込まれたため20分押しとのアナウンス。 かなみるだけ登場して「膀胱がはちきれそう」と八月ちゃんからLINEが来たとのアナウンス。
インストアで観るのは初めてだったのですが 静かなおやホロは静かなおやホロでいいなと思いました。 「揺れた」とか「誰かの庭」とかでゆらゆらとたゆたっていました。
ひとりだけ変速MIX打ってるヲタクとか。 インストアなのにリフトしてる女ヲタとか。 パーカーのマフポケットからビールの空き缶を覗かせているヲタクとか。
01 Plan 02 Drifter
03 揺れた 04 誰かの庭
05 note
0 notes
Text
20151018
ベイビーレイズJAPAN AUTUMN TOUR 2015 -IDOROCK REVOLUTION- を観に奈良へ。 奈良NEVERLANDという箱でした。
ベイビーレイズさんについて書くことは少なからず自分について書くことになってしまうので辞めた。 ヲタクは辞めれなかった。
0 notes
Text
20151017
ベイビーレイズJAPAN AUTUMN TOUR 2015 -IDOROCK REVOLUTION- を観に大阪へ。 大阪STUDIO PARTITAという、昔は造船所として使われていたらしい箱でした。
開演前にお酒をしこたま飲んでしまったせいか 会場内にところ狭しとイスが並べられていたせいかはわかりませんが ほとんど何も記憶がありません。
セトリもちゃけがゲート・オブ・ザ・タイガーに ノンフィクションストーリーがスーパーノヴァに ロックオン・ダーリンがBaby Kissに トゥゲザー×3がチャチャチャに 新しい世界がponderingになった程度だったような。
久しぶりのゲータイなのにイスのせいで横移動できないことを悟ったときは 「あっ……(´・ω・`)」ってなりました。 「冬の魔法」「ビッグ☆スター!」「スーパーノヴァ」「ハッピーエンドレス」「ノンフィクションストーリー」の5曲のうち ヲタクの拍手がいちばん大きかったやつをやるとこは 福岡の選択肢とまったく同じだったのでガッカリしました(´・ω・`) 選ばれた曲が同じじゃなかったのがせめてもの救いですが(´・ω・`) forever my friendみたいなメッセージ性の強い曲から チャチャチャみたいな中身からっぽの曲(褒め言葉のつもり)を続けてやる意味が全くわからなくて 白目を剥いて口を半開きにして全力振りコピおじさん��たけど それでもやはり無理でした。
あれかな、人類みな兄弟とかそういうことがいいたかったんかな。 殺してくれ。
2 notes
·
View notes
Text
20151015
おやすみホログラムとピオピの対バンその名も「まん2まん」を観に新宿LOFTへ。 アイドルの対バンライブを「貝合わせ」って呼ぶの流行りませんかね。 流行りませんね。
先攻のピオピさんは観るの3回目なんですが 観るたびに印象が変わる不思議なグループだなぁと。 浮ついていたり地に足ついていたり 今にも崩折れそうに可憐だったり力強かったり。
(そもそも僕はメンバーの区別がつかないヲタクで イヌカイマアヤとヤママチミキの見分けが ユメノユアとシグサワアオの見分けが それぞれつかなかったのですが きょうようやっとつきました。 天川宇宙ちゃんに似てる方がイヌカイマアヤで 僕がパフォーマンス好きな方がユメノユア)
前から気になってたんですが ピオピとかBiSHとかって楽曲カッコいいのに フリは死ぬほどダサいじゃないですか。 もったいないなーって思ってたんですが きょうはじめて「あっ、これってわざとダサくしてるんじゃ」 と思いました。 ピオピの場合は芋ジャージもですかね。
ライブ中のメンバーの表情やパフォーマンスひとつをとっても 緊張と緩和があったり カッコよさとカッコわるさが同居してたり 真剣さと不真面目さが同居してたり 厳粛さと軽薄さが同居してたり 正気と狂気が同居してたり 未熟さを盾にして(たぶん)相反するふたつを同時に成立させて客に提示してるんですよね。
さらにいうと、きょうはじめて聴いた曲(アルバムに入ってないのでわかりません)で メンバーが客席にケチャするフリがあって。 そうなると、アイドルとヲタクの境界線すら怪しくなってくる。 どちらがステージでどちらがフロアかわからなくなる。 意図してやってるとしたら、これってもしかしたらすごいことなのかもしれない。 矛盾するふたつの要素がぶつかり合うだけじゃなくて 入れ替わり得るのだとしたら。
ライブではカブセの曲がいくつかあったんですが カミヤサキのパートではステージ上のメンバー誰も口パクすらしなくて音源垂れ流されたり そもそもカミヤサキ在籍時のフォーメーションのままやってるから ステージに1人分だけぽっかりスペースが空いてたり。 「不在のカミヤサキ」がという存在が前景化されていてすごく不気味。 それもその人が本来いるべき場所に誰もいない類の不気味さではなくて その人が本来いるべき場所に穴が開いていて覗き込んでも何も見えなくて でも何かがうじゃうじゃと湧いて出てきそうな予感めいたものだけが充満している���ですよね。 いまの4人でのステージをもっと観てみたいと思いました。 逆に。
後攻のおやすみホログラムさんはきょうもきょうとて素晴らしかったです。 先般ピオピのライブでダイブ・リフト・モッシュ等を禁止する発表がなされました。 それにあわせて(?)おやホロも当ライブに限って特別ルールを設けると事前に告知があったので てっきりピオピと同様にダイブとか禁止するのかと思ったら 「おやホロのライブ中は水分補給禁止」と一言だけ。 あとは何やってもいいと。かっけー。
アルバム収録曲でいうと「夜、走る人」を除いてたぶんすべて演ったのですが 一曲めからフロアにダイブできるかなみるの勢い。 バラード色の強い「揺れた」や「誰かの庭」を続けて 「休憩タイム」と自分たちで言ってしまえるしたたかさ。 最後の曲(note)がわかっててもキッチリいちばん盛り上げてくるスキル。 ここらへんは相変わらず飛び道具だなーと。
きょうはちょいちょい八月ちゃんも観てました。 八月ちゃんは八月ちゃんでやヴァそうでした。 狂人(ここではかなみるを指します)が常時見せる狂気よりも 常人がまれに見せる狂気の方に惹かれるので。
ライブ終演後、きょう初出の発表があるとか言い出すおやホロのふたり。 どうやら新メンバーが追加になるらしい。 案の定対バン相手のピオピが登場してコラボする流れになるのですが 「これはピオピのライブじゃなくておやホロのライブだから」という説明が。 何やってもいいと沸くヲタクたちを尻目に流れ出すピオピの持ち歌 Plastic 2 Mercyのイントロ。 粋なはからいですなぁ。 まだ静かなイントロでフロアに飛び込むかなみるを見てニヤニヤしていましたとさ。
0 notes