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相手を調べる、絶対に誤解をしない、軽んじない、過大評価しておく。もし闘う時が来たら絶対に負けないところまで調べ尽くして、相手の退路を断っておくのです
「任命拒否も、あの日の理不尽も記録して 加藤陽子さんの闘い方」 (聞き手 田中聡子 編集委員・高橋純子、朝日新聞デジタル記事、2024/8/1)
https://digital.asahi.com/articles/ASS7Q2DTKS7QUPQJ002M.html?ptoken=01J46FCADHNG8V2C8SEAJX9280
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村上 憲法のひとつひとつの条文はそうやって作られたもの。それも日本だけでなくて、世界のいろんな歴史の中で同じように作られてきました。だから、憲法というのは恐ろしいものなんですよ。これまで虐げられて権利のなかった人の戦いの上で憲法というのはできているんです。そして憲法は、全人類が、権力者にこれを守るようにと押し付けるものでもある。憲法に縛られるのは、どこの国の権力者も嫌なものですから。
『虎に翼』ファンの宇垣美里×明治大学村上一博対談「ドラマの核となる憲法14条とは? 今改めて深く知りたい憲法のこと」 (インタビュー・文:西森路代、SUPUR. JP、2024/8/1)
https://spur.hpplus.jp/sdgs/dearearth/Dqt_8g/page5/
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私が大学生になって知識を身につけ、老いた義祖母や母に向かって『自分で人生を選んでいいんだよ』と言ってみたところで、もう無理なんですよね。自己決定権の行使には賞味期限がある。義祖母や母は間に合わなかった。すみません。なんで涙が出てくるのだろう……
「任命拒否も、あの日の理不尽も記録して 加藤陽子さんの闘い方」 (聞き手 田中聡子 編集委員・高橋純子、朝日新聞デジタル記事、2024/8/1)
https://digital.asahi.com/articles/ASS7Q2DTKS7QUPQJ002M.html?ptoken=01J46FCADHNG8V2C8SEAJX9280
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『乞食(こじき)の名誉』は、因習的な家庭の中で子を産み、雑誌『青鞜(せいとう)』編集にもあたっていた野枝の実感に根ざす短編です。育児や家事に追われつつ仕事をする大変さを、多くの『不覚な違算』に囲まれていると端的に表現した。『想定外のことが続出し、思い通りにいかない』さまです。学会前に子どもが熱を出す、親が倒れる。家庭のケアは女性が行うべきだとの社会的規範が昔も今も多くの女性を苦しめています
「任命拒否も、あの日の理不尽も記録して 加藤陽子さんの闘い方」 (聞き手 田中聡子 編集委員・高橋純子、朝日新聞デジタル記事、2024/8/1)
https://digital.asahi.com/articles/ASS7Q2DTKS7QUPQJ002M.html?ptoken=01J46FCADHNG8V2C8SEAJX9280
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『悪い制度に誠実に対応しすぎない』ことが大事で、やってしまえばいいんです
「任命拒否も、あの日の理不尽も記録して 加藤陽子さんの闘い方」 (聞き手 田中聡子 編集委員・高橋純子、朝日新聞デジタル記事、2024/8/1)
https://digital.asahi.com/articles/ASS7Q2DTKS7QUPQJ002M.html?ptoken=01J46FCADHNG8V2C8SEAJX9280
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「他者の気持ちを尊重することと 自分をないがしろにすることは違うのに」
https://twitter.com/4RewJJOmWiLzR7L/status/1634420634980843522
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〝よそものがヘタなことを言うと吊るし上げをくう〟という恐れを周囲は植えつけられ、時間が経てば経つほど「語る権利」が奪われていきます。究極、語っていいのは被害者のみになる。ところが被害者こそ語るのが辛い境遇にあります。彼らは思い出したくないほど傷つけられ、時には死者となっているのだから。いや、その前に必ず以下のようなバックラッシュがある。〝主張する者はずるくて得をしている〟と。 いとうせいこう「私はフェミニストです」(『すばる』2018年5月号)
https://subaru.shueisha.co.jp/feature/femi/001_ito/
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ほとんどの(引用者注:DV)加害者は家族だけ、恋人だけ、子どもだけと相手を選択しているのですから、その時点で意思が働いています。その際の言い訳を聞きながら暴力を肯定する認知の仕方を言葉にし、それを修正していくことにしています。 NHK『視点・論点』「DV・虐待 加害者更生のために」(立命館大学教授 中村 正 2019/9/25) https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/412981.html
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DV加害男性たちの中には「親密な相手だからこそ殴ったのだ」、「家族だから犯罪には当たらない」といった身勝手な理屈、甘えの意識が内在しています。しかし、自分よりも力の弱い者に暴力を振るうことは一般的な男らしさの規範に照らすと「卑怯」であることになります。そこで必要になってくるのが「正当化のロジック」です。先ほどの、被害者意識をもつことで、この卑怯さを誤魔化しているのです。 NHK『視点・論点』「DV・虐待 加害者更生のために」(立命館大学教授 中村 正 2019/9/25) https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/412981.html
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米国の政治哲学者ウェンディ・ブラウンによると、新自由主義者はけっして市場を「自然な」ものだと考えていない。そうではなく、彼らは新自由主義のイデオロギーに合った現実を人の手でつくりだそうとしている。 一方で人はみな競争的だと言いながら、他方では競争をうながすためのインセンティブが欠かせないと言う。一方で人はみな金持ちになりたい��だと言いながら、他方では減税によって金持ちのメリットを宣伝する。 新自由主義は競争こそがあらゆる関係の根本にあると謳っているが、何もしなければ競争がなくなることを誰より知っているのも新自由主義者だ。だから政策を通じて競争を生み、なんとしても競争状態を維持しようとする。新自由主義が政府をなくしたいというイメージは大まちがいで、単に政府を都合よく操りたいだけだ。ドバイのような、新自由主義を推し進める政府が欲しいだけだ。 経済人ひとりでは思うように活動できないので、新自由主義は経済人を助ける制度をつくり、インセンティブを用意し、合理的で競争好きな個人に合った社会を推し進める。市場原理にもとづいた意思決定がなされるよう、あらゆる方面に手をまわす。 現実の人間は、つねに利益と競争のことを考えているわけではない。でも新自由主義はそういうビジョンを広め、制度化する。民営化を推し進め、教育から環境政策から看護や介護まで、あらゆる業界を市場原理で動かそうとしている。トマトを売るようにケアを売る社会、それが今の世界の向かおうとしている姿だ。市場のなかったところに政治の力で市場をつくり、何が何でも競争を維持していく。 (中略) 新自由主義は、政治を市場に従属させようとする立場だ。新自由主義者は政治を使って競争と合理性という社会規範を広め、経済を特定の方向に導いていく。小さな政府と言いながら、実際は政府の力を市場のためにめいっぱい使いたいだけだ。 新自由主義���金融・財政から家族や刑罰まであらゆる領域で、市場のニーズに役立つ政策を推し進める立場なのである。 (中略) 競争がなければ社会は成り立たない。それこそが新自由主義の基礎になる考え方だ、とフーコーは言う。個々の政策や理念はその派生物にすぎない。アダム・スミスは好感を自然なやりとりとして位置づけたが、新自由主義は積極的に競争をつくりださなければならないと考える。 ポイントは、競争が人為的なものだということだ。放っておくと市場に独占状態が生まれるので、政府はそこに介入して競争を保たなくてはならない。そして新自由主義は、市場そのものよりもむしろ、それを構成する人間に介入する。人を操ることで、市場を操ろうというわけだ。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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ケアが女性から自然に湧いてくる天然資源だというイメージほど非現実的なものはない。それなのに、私たちはそのイメージに固執する。そうしないと社会が回らないからだ。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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先進国のエリートたちは数字をやりくりして書類上の利益を出す作業に没頭していた。世の中がイノベーションを求めているときに、彼らは計算のトリックに夢中だった。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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フローレンス・ナイチンゲールは生涯を通じて看護師の待遇改善のために戦いつづけた。その事実を現代の私たちは忘れがちだ。お金のためか善意のためか、という二択は、私たちのジェンダー観と密接につながっている。
男性が利益のために働き、女性がそれを補完する。このイメージは私たちの心の奥底に染みついている。だから、お金とやさしさが一人の人間のなかに共存していることを、どこか受け入れがたいと感じてしまう。
保育園のお迎えや放射性廃棄物の受け入れが単なる利益の計算で動かないのと同様、ケアの仕事���従事する動機もそんなに簡単なものではない。女性がもともと献身的で、人類と社会のために自分を犠牲にするよう生まれついているわけではない。
献身とケアの象徴であるフローレンス・ナイチンゲールだって、けっして天使ではなかった。彼女は現実を生きていた。ケアが女性から自然に湧いてくる天然資源だというイメージほど非現実的なものはない。それなのに、私たちはそのイメージに固執する。そうしないと社会が回らないからだ。
私たちはナイチンゲールを、経済の幻想にうまく合うかたちに歪めてしまった。男性が必要とする女性のかたちに。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』
(カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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金の卵を産むガチョウを、私たちはしょっちゅう見誤る。 何か別のものだと思って、うっかり殺してしまう。 経済的要因が人を動かすと信じて経済的インセンティブを設定すれば、その経済的要因が他の動機をすべて押しつぶすことになりかねない。経済人がやってきて、良心も感情も文化的要因もぜんぶ壊してしまう。そして失ってしまってから、それが経済の営みを支える大事なものだったと気づくのだ。 市場原理は肝心なことを説明できない不器用な道具であるだけでなく、大事なものを殺す斧なのかもしれない。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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市場の精神状態が極端に悪くなると、市場に供物を捧げる必要が出てくる。大量のお金を注ぎ込むのだ。景気を刺激するために、政府も人々もどんどんお金を使わなくてはならない。高くつくやり方だが、ここでお金を出し渋れば考えるのも恐ろしいことになるだろう。消費とはすなわち、生贄なのだ。穢れのない、しかし穢れた血。美しく、おぞましく、神聖な捧げもの。 (中略) 経済学は数学を駆使したきわめて理性的な学問に見えるが、やっているのは結局、いかに市場の気分をよくするかということである。フィナンシャル・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナルの紙面があらゆる感情の描写に彩られているのはそのためだ。 市場の感情を雄弁に語る一方で、私たちは人間に感情があることを忘れつつある。人はあたかも市場で売買される商品化、あるいは企業のように語られる。 〈自分を高く売ろう〉〈個人もブランディングが大事〉〈子どもは未来への投資〉〈自分のセールスポイントを見つけよう〉〈市場価値の高い人になりなさい〉〈精神的コストが大きすぎる〉〈彼女はもう賞味期限切れだね〉 人の気持ちをあらわす言葉が市場を描写し、市場の言葉が人の描写に使われる。経済は私たちになり、私たちは経済になる。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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独自のロジックをそなえた別世界で繰り広げられる、経済学のゲーム。あらゆる人間は経済人であり、経済をつかさどる無謬の意識が具現化してものである。すべては合理的に決定される。 経済の豊かさはどこか別の宇宙でつくられたのだろう。あなたの住宅ローンや会社の業績不振とは関係のないところで、それは起こったのだろう。どこか遠くで、価値のあるものは増えているようだ。謎めいたプロセスのなかで黄金が生まれ、消えていく。どうせ経済も市場も、私たちとは関係ないものなのだ。私たちが働き、生産し、工夫して生みだし、あるいは日々必要とするものなど、経済学のあずかり知るところではないのだ。 技術の変化はいつでも、市場を大きく転換させてきた。お金はどんどん抽象的になり――貝殻を経て金属を経て形のない債権を寄せ集めたものになり――多くの人が一攫千金を狙いはじめた。豊かになれる可能性は大きくふくらみ、リスクも大きくふくらんだ。 もっとも危険なのは、何のためのお金なのかを忘れてしまうことだ。 全世界の富を一瞬で売買できる高性能なシステムが開発されようと、どんなにエレガントな数式が私たちを誘惑しようと、経済の根本にあるものは変わらない。 それは人の身体だ。仕事をする身体、ケアを必要とする身体、別の身体を生みだす身体。生みだされ、老いて、死んでいく身体。性のある身体。人生のさまざまな局面で、誰かの助けを必要とする身体。 私たちの身体と、身体を支える社会だ。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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フェミニズムとは女性がパイの分け前にあずかろうということではなく、まったく新しいパイを焼くための運動だ、とグロリア・スタイネムは言った。でも、そう簡単にはいかなかった。私たちの社会がやってきたのは、せいぜい女性を加えてかき交ぜることだった。「なりたいものになれる」という見栄えのいいスローガンは、「あらゆる役割をこなすべきだ」と読み違えられてきた。「何だってできる」は「何でもやれ」にすり替えられてきた。
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』 (カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳、河出書房新社、2021年(原著2015年))
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