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ベンフィカとは?
ベンフィカ(BENFICA)とは何か、140字で説明しなさい。
こんな入試の現代文みたいな質問を唐突にされても困るかと思いますが、元塾講師として頑張って答えてみます。
ポルトガルの首都リスボンにある国内一の総合スポーツクラブ。1904年2月28日創設。38度のリーグ優勝を��るサッカーチームだけでなく、フットサル、バスケ、ローラーホッケー等のチームを持ち、柔道やカヌー、陸上競技でも五輪選手を輩出している。ソシオ(会員)制で運営されており、現会長はルイ・コスタ。(140字)
以上。個人的には盛り込みたいことが多すぎて苦労しましたが、ベンフィカをあまり知らない方に説明するとしたら大体このような形になるのではないでしょうか?
キーワードがいくつも散りばめられているのでこれからそれを紐解いていければと思います。手短ではありますが、以上で締めようと思います。
#benfica#portugal#lisbon#obenfiquistajapa#slb#sl benfica#football#ポルトガル#リスボン#ベンフィカ#ポルトガル語#日本人ベンフィキスタ
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自己紹介
初めまして、自称JAPA(ジャパ)こと藤田です。ポルトガルの首都リスボンに暮らす34歳(独身)です。
埼玉県で生まれ育ち、私立の男子校で6年間ぬるま湯に浸かり、そこで海外と海外サッカーにかぶれ、浪人の末に合格した東京外国語大学でポルトガル語を専攻し(2009年入学)、2度リスボンに留学、そこで人生を狂わすあるものに出逢ってしまいます。
それは何か?
SPORT LISBOA E BENFICA (SLベンフィカ)というポルトガルが世界に誇る総合スポーツクラブです。
インテルミラノの青と黒のユニフォームに憧れていた藤田少年はリスボンで人生一度目の改宗を果たします…でも、理由はちゃんとあります。自分と同じ誕生日11月3日で、憧れのパブロ・アイマールさんが10番のユニフォームを着てベンフィカでプレーしてたのです。
2010年に初めて海外で見た試合がCLとリスボンダービー、これでサッカーにハマらないのは不可能な程のカードを観てしまった藤田少年。案の上ベンフィカにのめり込み、翌年の長期留学を決意します。
2011年9月〜2012年3月までの半年間、ベンフィカに全て?を注ぐ生活が始まります。サッカー好きの方のために補足をすると、アイマール以外にはガイタン、ヴィツェル、ノリート、ロドリゴを擁しCLでマンチェスターUと同組ながら、バーゼルと共にグループステージを突破したシーズンです。
人生二度目のリスボンダービーを見るためにソシオとなっていた私は、阪大から同じく留学をしていた日本人と共にスタジ���ムツアーに行くと、そこでベンフィカの広報スタッフより、日本人のソシオは珍しいのでインタビューをしたいという話をされます。一つ返事でOKをした私たちは、スタッフの方々とスタジアムを周り、最後にインタビューは行われます。拙いポルトガル語で恥ずかしいのでリンク等は載せませんが、今も探せば関連記事はでてきます。
動画は翌日の2011年12月1日にクラブの公式サイト、FB等のトップに掲載されました…当時はベンフィカがアジアを意識したプロモーション戦略をとっていたのもありますが(私たちの前の少し前に中国人の夫妻が同じようにインタビューをされ、同じように掲載されていた経緯もありました)。そこで承認欲求の塊wとなった藤田少年は20代の全てをベンフィカに注ぎます。
毎年一度はリスボンに旅行で行き、旅行の間は毎日のようにベンフィカの練習場に足を運び、日本で収集したベンフィカグッズをカバンいっぱいに詰め込み、サインや写真をお願いする日々を過ごしました。その間にはモラトリアムの延長のために大学院に進学したり、就職をして予備校で英語の講師兼テキスト編集の仕事をしたりと人生のイベントはありましたが(昔から教えるのが好きで天職だと思ってます。本当はポルトガル語講師だけで食べていきたいです)、思い出を書き連ねてもキリがないので割愛します。
最終的には、ベンフィカの公式TVの一時間の討論番組に出演させてもらい、私のファンとしての活動は休止期間を迎えます。最終的な人生の目標はポルトガルで家庭を持つこととベンフィカに就職することと決めている私ですが、30歳までにサッカー界に入れなかったり、ポルトガル語を使う仕事に就けなかった場合には、日本でヒッソリと暮らすという決意をしていました。
ベンフィカTVに出ても何もなかった私は、30歳という年齢を無事に迎え、自分の身の振り方を考えていた矢先に、お世話になっていた方からの紹介で、ポルトガルのサッカー界で働くという話が浮上します。チーム名は伏せられていましたが、すぐに返事をしたのは覚えています(誰にも相談せずw)。
紆余曲折経て、入団?が決まったUDオリヴェイレンセSAD(現在は三浦知良が所属)では約3年半お世話になり、『秘書』という名目で特に専門性も強みもなかったので、何でも屋でした笑。翻訳・通訳(通訳としてはポンコツです)…、外国人担当、クラブ公式カメラマン、SNS担当、日本人選手へのポルトガル語の授業、経理業務etc…。自分がクラブの貢献出来たことを挙げるとすれば、ファンとの関係の構築だけかと思います。3部で戦っていたシーズンはコロナ禍も落ち着き、ファンもスタジアムへと足を運べるようになってきたので、ここぞとばかりにファンの写真をバシバシ撮影し、クラブ公式SNSで使用をしてもらったり、ファンに直接配ったりしてました。私の中では「ファンがあってこそフットボール」という信念は大事にしております。3部から2部への昇格が決まったアウェイの試合で、遠くから訪れたオリヴェイレンセサポーターが歌ってくれた私のチャントは今でも一生の思い出です。個人的には、降格への責任も感じていたので、喜びも一入でした。また、カメラマンは自分の写真が残らないので、それも含めて最高の瞬間でした。
個人的には思い入れの強いクラブですし、街を歩けば、皆にフジータと声をかけてもらえる、最高の環境でしたが、プライベートの問題でオリヴェイレンセを退団し、今はリスボンの企業で英語と日本語を使った仕事をしております。また、完全週休2日制のオフィスワークを望んでいたのもありますが。
仕事が8時〜16時で残業もなさそうなので、これからは、封印してきたベンフィカ、ポルトガル代表の追っかけ活動と、副業として観光ガイドや写真撮影、ポルトガル語のオンラインや対面でのレッスンや、生活が落ち着いてきたら、YouTubeも始めたいと思ってます。
「ベンフィカ」と言えば「藤田」、「ポルトガル語講師」と言えば「藤田」と皆さんに認知してもらえるようにこれから頑張ります。長くなりましたが、今後ともどうぞ宜しくお願いします。駄文をタラタラと連ねすぎたので、自己紹介の簡易版も用意します笑。ではでは、Até já
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