Tumgik
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公平性よりも出会いを
「この活動は組織的に大きなものになっていくでしょう。大きくなると判断が行政的になることがある。公平性を重んじて、そのような対応を優先してしまうことが起こるかもしれん。でも私たちは民間の組織なんだから、出会いを大切にしてこうじゃないですか」
『いま、地方で生きるということ』西村佳哲より
この活動とは、被災地支援のこと。被災地にりんごが届くが全員分ないから配れないで腐らせてしまう。そんなことしないで、たとえ不公平になっても出会った順に渡してしまおう、というリーダーの発言がこれ。
「ソーシャル・セクターの大は小を兼ねない」とぼくが言っていることに、この方(西田さんという方)は自覚的で素晴らしい。大きくなると意思決定を効率化するために公平性が入り込み、目の前の課題に対応できなくなくなっていくことがよくある。
出不精なぼくですが、出会いを大切にしていきたいと思います。
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「保護者セミナーや相談に訪れる保護者の初動が早くなっている」という所感をぼくは持っているんだけど、同業者の皆さんはどうでしょうか?
「しかし、支援機関リテラシーが高まっているわけでもなさそうだ」これまた、ぼくが持っている所感で、相変わらずサポートステーションは誰も知りません。
15年以上前の、まだ若年者就労支援の現場に発達障害の概念もリーマンショックのダメージも受けていなかった頃、20代前半、ましてや10代のお子さんの相談はけっこうレアで、「なにをうろたえているんですか、子どもを信じて見守ってあげなさい」的なまとめを、ぼくの上司たちはしていた気がする。
これはぼくの所属していた法人の特性に拠ることも大きいとは思うけど。現在、初動が早まっているのは、ひとつに、そういう状態を隠すという恥の概念が和らいできていることがあると思う。
これは、その昔、厚生労働省が「引きこもりは誰にでも起こりうる」と発信したことを皮切りに、支援業界をあげての啓発的活動が功を奏したんだとぼくは考えているし、サポステという具体名称は知らなくても、困った時に相談に行ける場所があるらしいくらいのリテラシーは培われたんだと思う。
初動の早まりには、当然のことながらインターネットが情報収集に一役買っている。よって、残念ながらぼくのセミナーに来た保護者は、ぼくを選んだのではなく、身近にあったセミナー講師がぼくだったから来ただけで、それはサポステだったらサポステに行く人たちなのだ。
つまり、保護者の支援機関リテラシーはやんわりと上がり、ITリテラシーが格段に高くなっているんだと思う。これは予見できていた。故にシェアするココロが運営していた「ハマトリアム・カフェ」は継続されるべきだったと悔やまれてならないわけだけど、この話はまたどこかで。
ようやく、支援団体がネットに流し続けてきた情報を、保護者側がキャッチできるITリテラシーを身につけてきたか、或いはIT化された社会に生きてきた人たちが親世代に到達したんだと思う。子供の年齢を考えれば後者の保護者がアクティブに動いている印象。
そこで、未だに紙媒体しか情報獲得の機会のない高齢引きこもりの孤立した保護者問題を考えざるをえなくなる。彼らを救うには回覧板レベルの人を介した情報に頼らざるを得ない。
情報をキャッチしてからの重くなった腰を誰が上げるのか? 果たしてどのような場所が家からの一歩目になるのか? ドーナツの田中さんが言っているように、子供が年金をもらえる65歳になるまで親が支えるしかないのか?
川下から川上に遡上して、高校生の支援をしているぼくですが、いつまで経っても川下のことが気になっていますし、ぼくのフィールドにはまだそういう仕事が残っています。
自分が支援者として高齢化した今、若かったぼくにはできなかった仕事が、そこにあるのではないだろうか? 低く、バイブレーションでしか感じ取れない通奏低音のように、ぼくの中に横たわる宿題です。
すべての人をフレームイン!
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高校生に限らず、子どもたちの大人への距離の詰め方というのは、なんだか可愛らしいものがある。
昨日、ぴっかりカフェは珍しく閑古鳥が鳴いていたので、司書室で作業していたら、雑誌に付いてる応募ハガキが欲しいと女子生徒が司書室に入って来た。耳をそばだてていると、どうやらはじめて図書館に来たらしい。
見慣れない先生なのか、なんなのかよくわからない帽子を被った変なおじさんであるぼくが目に入ったと思う。
その生徒は計3回司書室に来た。新しい居場所を発見した喜びのようなものを身にまとっているようにウキウキしているのがわかる。何を言ったか忘れたけど、2回目にぼくも話に割って入り、一言二言何かを話した。
3回目に来たとき、司書の松田さんは席を外していた。「あれ、いないんだ」とか言いながらぼくの前の席に座り、「先生、この(雑誌の付録)シールをキレイに取って」と甘えて来た。
下に緑の台を敷いてカッターで切るやり方を示し、「自分でやってみ」とぼくは言った。生徒は素直に挑戦する。シールはジャニーズのSexy Zoneだった(女子高生と話すときは知っておいた方がよいグループなのでおじさんたちのためにリンクしておきます)。
「Sexy Zoneが好きなんだ」とぼくが聞くと、「先生知ってるんですか?」と嬉しそうに目を輝かせる。「今度はじめてライブに行くんですよ〜」ということを話してくれ、作業が終わると「ありがとうございました!」と帰って行った。
安心を確認できた2回目からの3回目でシッダン(着席)。この間の「待ち」の時間を、ぼくたち大人は失っているのかもしれない。間違いなく、いつもの「ぴっかりカフェ」なら、ああはしていなかった自分に気づく。
若者についてとやかく考える前に、大人たちがどうたって余裕を取り戻すのか? とりわけ、先生たちの多忙の問題は急務だと思う。
ぼくらのような教員とは違う専門性を持ったNPO法人が学校に入ることで、先生たちはジェネラリストからスペシャリスト人材に移行することができるのではないか? そこで生まれる大人=先生の余裕が、子どもたちの教育環境を、今よりも良いものにするのではないか?
なんてことを思う。
すべての人をフレームイン!
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