Tumgik
easthorse-blog1 · 5 years
Text
American Ninja Warriorの話①─SASUKEについて─
やー、ANWseason11、最高だった!!!終盤の放送がエモの塊だった!!!City Finalsの難易度調整がgdgdだったりとかSafety Passがやっぱり感覚的に違うとか、そういうフラストレーションを全部吹き飛ばしてくれた!!!おめでとうDrew!!!最高だぜ!!!
え、ANWを知らない?あの巨大コンテンツを?いやいや、ANWってのは日本のSASUKEをアメリカが自国開催するようになってだな…
え?SASUKEも知らない??
というわけで、僕はスポーツを観るのが好きなんですけど、その中でも異彩を放つのがSASUKEだったりAmerican Ninja Warriorだったりします。スポーツというよりも番組なんですけど、一応"競技者"って言い方をするので。で、その話を数回に分けてしていこうかなって思います。
そもそもSASUKEっていうのはTBSが1997年に「筋肉番付」という人気番組の中で始めた企画で、選ばれた100人がステージ上の障害物をクリアしていく巨大フィールドアスレチックです。特に泳ぐとかいう指定がない限り、コースの下に張られている池に落水したりコースアウトしたり、タイムアップ(3rd以外はステージ毎に制限時間がある!)したりすると失格になります。で、1st、2nd、3rd、Finalとクリアしていって、Finalステージをクリアすると「完全制覇」となります。ただこれがえらく難しい!22年、36回の大会の中で、完全制覇をした人は述べ5人!最初の完全制覇者秋山和彦(元毛ガニ漁師、先天性の弱視を持つ)の名前は知らなくても、長野誠(最強の漁師、2度目の完全制覇者)、漆原裕治(靴の営業マン、唯一2回の完全制覇を誇る)、森本裕介(サスケ君、中3の時から出場し現在のトッププレーヤーでもある)の名前は一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか。名前だけで言うなら、最初にSASUKEに人生を賭けてしまった男、ミスターSASUKE、山田勝己(最近では水曜日のダウンタウンとかのせいで面白おじさん化してるけど、番組黎明期のこの人マジでカッコ良かったんですよね、SASUKEを競技に、人間ドラマにした男。)とか一度は聞いたことあると思います。しかしながら、オリンピックメダリストでも容赦なく1stの沼に叩き込まれる、生半可な身体能力では太刀打ちできず、そこから鬼のような努力、集中力、時の運を要求されるのがSASUKE。鍛え上げられた男が呻き声を上げ、ステージクリアに一喜一憂し、号泣するのがSASUKE。
Tumblr media
これは3rdステージにある名物エリア、クリフハンガーの現在のバージョン、ウルトラクレイジークリフハンガー。もうヤケクソなネーミング、指懸垂で横移動は当たり前、指懸垂で背面跳びして向かいのを指でキャッチ(何を言ってるんだろう)を2回(しかも2回目に移る場所は電動)、これをクリアする人たちがいるのが現代の日本のSASUKE。狂ってる。
日本の場合、大会のたびに選抜される100人は芸人枠であったり、オーディション枠であったり、常連枠であったり。無駄が多いとも。ただ、1st落ち芸人枠でも年々進歩している人もいたりするんですよね。そういうのを地味に応援するのが楽しかったりもします(ゴールデンボンバーの喜矢武とか)。マジで一般の人たちって1stの最初のエリアで落ちますからね。
去年は3月と12月の大晦日に放送され、、今年は年1回に戻ったものの先月(だったかな?)に開催が発表されました。また観てアツくなれるぜ…!
そんな感じで、基本的には個人戦だけど100人がこの「鋼鉄の魔城」に一丸となって挑む、という構図で、黎明期に一気に人気コンテンツになり、今に至っています。選手個人の職業も千差万別で、漁師、営業マン、消防士、ガソリンスタンド店員、ソフトエンジニア、大学生、配管工、植木職人、ジムトレーナー、公務員、トランポリンプレーヤー、教師、運転手→起業した人、町の電気屋、パルクール指導員、カーデザイナー、俳優、元日本代表、ジャニーズ、…etc.と。選手個人の特色が挑戦中も出まくるので、見ていて楽しいんですよね。
…ん?パルクール?
そう、フィールドアスレチックなので、そういう要素も求められるんですよ。
…つまり、そういう国々の人たちって、SASUKE大好きな人かなりいるんじゃないの???
というわけで、SASUKE、今では世界165以上の国や地域で放送されるコンテンツであり、このフォーマットを真似して各国で同様の番組が作られるに至ったわけです。その先駆けが、American Ninja Warrior。
(次回に続く)
0 notes
easthorse-blog1 · 5 years
Text
あたらしいがんねんのはなし
物心ついたときには、すでに日本の歴史を学んでいた。日本の競馬の歴史を、古くまではいかなくても90年代、80年代と学んでいた。それ以来ずっと、自分が平成元年を知らないことが負い目になっている。
オグリブームは昭和の終わりと平成の初めだった。武豊の出現は日本の競馬を確かに変えた。90年代の競馬ブームと日本の社会が自分の好むものであったということを知ってから、なぜそれを文章や写真・動画だけでしか得られないのか、肌感覚で得られないのか、ずっと不満で、負い目であった。
僕は、これまで生きてきた時代をきちんと肌感覚で捉えられていたのだろうか?わざと鈍麻させて、何事もなかったように通り過ぎようとしていなかったか?
新しい元年がやってくる。
0 notes
easthorse-blog1 · 5 years
Text
夢の中にいる
高校時代にお世話になった他校の恩師が、昔ブログで「現役につかの間の夢を」って書いていた。夢はいつか覚めて、他の世界へと行くのだけれど。
高校1年生の時に始まり、参加した高校演劇・山手城南地区合同公演、2年間参加し、高3の3月31日には卒業公演に関わり、そして大学4年間、最初の2年はOB演出で、あと2年は会場運営・小屋付きとして関わっていて。ほぼ演目を覚えていますし、どの代がどんな人たちがいたか、まで覚えている。そして彼ら彼女らが、その後どんな道に進んでいったとしても、その公演が一つの交点として、輝きを放っていたことを、覚えている。来年以降僕が関わるかはわからないけど、3月31日は、これがなければ終われない。
結局、大学演劇もそういう場であり、僕は劇工舎プリズムという場所でもう一度夢を見て、「不定深度3200」という毛色の違う場を作っただけなのかもしれない、とふと思った。誰も彼もが夢を見て、その夢の中で必死に生きていて、創作をしている、その場所が何よりも大切なんだなぁということ。僕一人で作り出した場のことを誰かが背負おうとしてくれたこと、好きだと言ってくれた事、それを思い出すだけで泣いてしまう。4年間がそこに詰まっていた気がする。
夢の中で生きるにはそれ相応の覚悟と苦しみを引き受けることが必要で、それをすっ飛ばしていきなりトップに立てるなんてことは思わない方が良いってことを最近とみに思っている。僕の場合その苦しみは自業自得だったし、誰かに迷惑をかけ続けているのはわかっているんだけど、それでも、夢の中でいたかった、それだけ。
夢から覚めた人が、いつかまた夢を見れたらいいなと思う反面、別に他の世界で幸せになってくれていたらいいなとも思う。その中で、昔自分がいた場所を確認しにきてくれれば、これ以上の喜びはないなぁ。
そして僕はまた、夢から覚め損ねてしまった。まだまだ追いかけ続けていこう、その夢の、苦しみの中で揺蕩いながら、生きていこう。まだ覚め損ねている他の人も、これから夢の中に入る人も、よろしくお願いします。
多分次は「夢十夜」です。
0 notes
easthorse-blog1 · 6 years
Text
場を構成すること(小屋入り中)
なんとなく、楽日前日。深夜なので。
グアテマラ=コミュニティという団体の公演で駒場小空間に小屋入りしている。僕自身はそこまであの空間、小屋に愛着はないけれども、やはり昔の拠点であったことに変わりないし、大学2年の秋に作演出として初めて大きな公演を打った場所であったことから、愛着以外の感情があるのだなということを思い知らされている。
演出している頭壊道中クシャトリヤとは観る演劇の方向性も創る作品の方向性も共鳴するものがあって(細かい部分では色々違う部分はあるし、僕は少し純な演劇に寄っているところもある)、早くからドラマトゥルクとしての参加が決まっていて、卒論が書き終わって稽古に合流してからは整えること、作品として成立するための要素を言ってきて、かつほぼ自然発生してきたタスクに応えてきた。だからこそ言えることこととして、この団体が持つ表現行動そのものへの愛情・情熱、場を構成することに対する愛情がある。自分たちが何を作品として形にしたいのか、そのための表現手法を選び抜いて、かつ遊べる力がある。それをなんとなく感じていたか���こそ、参加したのではないかなと。ようやく言語化された。
劇場は人々が集う場である。作品を創る側に人が集う。作品が創られる。それを観に来る人がいる。作品と観客が出会い、どのような形であれ昇華される。そして、邂逅した観客は再び離れ、そして創る側に集った人も作品の終わりとともに離れていく。二度と、交わらないことの方が多い。
最近は場を構成することに対して興味を持っている。今どのような場が足りないのか、その場を作り出すことによってどのような変化が生まれるか。それは演劇における空間作りもそうだし、作品そのものに対してもそうだし、作品をパッケージングする企画、または12月まで開催していた戯曲を読む会のような、小さな企画にも当てはまるのだと思う。そして、団体そのものの性質にも。
不定深度3200の作品作りが本格化する中で、どのような場を提供できるか。様々なアイデアが集い合って、1つの塔のように作品を作り上げられる場としたい。様々な人が集まって、1つの創作を行う拠点としたい。みたいなことを、暫く考えている。
今日で一足先に離脱する他劇同期が帰りに、もう二度と会わないかもしれないけどと言っていた。実際にもう会えない確率とかを計算するのは無粋なのだが、だいぶ高いのではないだろうか。僕は即、引っくり返すようなことを言ってしまうのだが。
社会人になるにせよ他にあるにせよ、これで演劇活動を終わりにすると言っていた人も多い。先週、高校同期が最後の作品(と彼は言い張っている)を駒場小空間で上演していた。結局、駒場小空間は最後に集う場でもあるらしい。
僕はきちんと演劇活動を終わりにできる人のことを少し、羨ましく思っている。報いなければ、とも思っている。
僕はまだ、終わりにはできない。これからも、場を作る旅が続く。
0 notes
easthorse-blog1 · 6 years
Text
療養生活の果て
僕は喉が強い、と人前では言い張っている。大学で役者をしていた中で声を枯らしたことがない、のは嘘かもしれないけれども、そうなったことを覚えていないのである。仮に声が枯れたとして、次の日、早ければ3時間後には治っていたからだ。一時的に喉の水分や油分がなくなったからだと言われるとそのような気もするが、ともかくそうだった。烏龍茶は飲まないけれども龍角散も舐めない。別にそういう人として振る舞うのが苦じゃなくなっていた。
僕は喉が弱い。中高生活の中で何回か、"声が枯れたことに端を発する気管支炎"を患っている。音楽祭や公演で無駄に声を出しすぎたこともあるし、普段喋っているだけで声を使いすぎたこともあった。「普段の喋り方が演技っぽい」と言われたこともあった。丁度何もしていないのに声を枯らした時期だった。これを言ったのは恩師だったかもしれないし、中学の時の同級生だったかもしれない。10年近く前の言霊は残っていても、言霊を誰が発したかは案外覚えていないものである。
久しぶりに喉が弱いことを自覚せざるを得なくなった。経緯は至極単純で、12月下旬の底冷えのする寒さの中一日外にいたからである。風邪を引く絶対条件を満たしたことで、以降2週間、僕は声が出なくなってしまった。
さぁ大変である。あまり声を出そうとしなければすぐに治るという僕の楽観的目論見は見事外れ、正月休みを息だけで過ごさざるを得なくなった。大晦日・元旦の恒例儀式は行えたが、それ以外の外出ができなくなったのだ。幸い三賀日までは娯楽も多く、PC��業も捗るから退屈はしなかった。しかしながら、漠然とした息苦しさと、日を置いても良化しない喉の感触が僕を襲い続けた。
三賀日が終わり、ついに病院に行くことにした。鼻水が喉を刺激したことによるものであろうということで鼻水・咳に関わる薬を貰い、これで安心だと家に帰った。咳止めの薬は中枢神経に作用するため、眠気の他に稀に頭痛や吐き気が襲うことがある。これが翌日襲いかかり、その日は寝たきりになってしまった。以降体調が乱高下するようになる。昼間は良いのだが朝・夜に体調の悪さを、まるで張りぼての壁が崩れるように感じるようになってしまったのだ。対処方法はただ一つ、家で療養することだけである。こうして僕は1月上旬に至るまで、ほとんどを家で過ごす羽目になってしまった。
引きこもり気質の僕にもこの状況は厳しかった。1日中炬燵に入り、動かない頭で作業をしなければならず、現実逃避して時間潰しにもならない時間潰しをする。1日がどんなに長く感じたことだろう!外に出なければという焦燥感、体を動かせないことによるゆっくりとした自律神経の悪化が僕を蝕み続けた。何よりも、1月上旬に入れていたほぼ全ての予定をキャンセルしなければならなかったことが痛恨であった。
観たい芝居も観れず、楽しみにしていた飲み会の予定を2つも飛ばしてしまった。Twitterに流れてくるのは誰かと会った知り合いの楽しそうな様子。僕ははたと気付いた。外に出て人と会うということがどれだけ自分の生活を彩っていたのか。何かをインプットし、何かをアウトプットする生活が、どれだけ自分を形作っていたのか。自覚してしまったことで、その感情は強く僕を刺激する。僕は今、寂しいのである。
まだ声は、完全には出ていない。
1 note · View note
easthorse-blog1 · 6 years
Text
2018年個人的ベストアクトのようなもの
あけましておめでとうございます。web廃墟で蝋燭をつけたら引火した者です。
2018年は様々なことがありましたが当面は次回公演の脚本と卒論を書き上げることが目標となりそうです。義務じゃん。
今後のこのtumblrの運営ですが、もうちょっと何かしら書こうと思います。文章を書くリハビリにも向いているし、何かしら頭の中を整理することもできるんじゃないかと。それと、公式なものではない不定深度3200についてのことも時たま書こうかと思います。よろしくお願いします。こんなかしこまった文体なかなか書かないな。
というわけでも何もないですが、2018年に僕が観た芝居の中で、「良かった」と思ったベスト10を順位つけずに挙げようと思います。これは旧年中にやるべきでした。反省しています。いいねされたら〜とかやり始めると時間は一瞬で溶けてしまうので考えてからやるようにしましょう。それと、見損ねたやつたくさんあるので、これ観るべきだったんじゃないか…?みたいなのは相当ありますが、観た芝居の話しか基本はできません。仕方ないね。
冬のzan・para2018三輪忍さんチーム『たけだくん』
ハイバイ『ヒッキー・ソトニデテミターノ』
ヌトミック『SUPERHUMAN』
20歳の国『青春超特急』
五反田団『うん、さようなら』
東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』
青年団『日本文学盛衰史』
さんぴん『NEW HERO~突撃!隣のプレシャスご飯、デリシャス!!~』
範宙遊泳『#禁じられたた遊び』
うさぎストライプ『空想科学Ⅱ』
「良かった」の基準は様々ですが、2018年ではこの10本かなと。打ちのめされる芝居も多幸感に包まれる芝居もありました。どこがどう良かったのかは書いていくとキリがない気がしますし、多分大体がすでに語られてしまった内容になってしまうので割愛します。聞かれたら返すかもしれません。
これだけだと味気がないので、東大駒場系団体の中で2018年の僕的なベスト6も挙げようと思います。これは驚くほど順位がきちんとついてしまったので順位で出そうと思います。ベスト6なのは深い意味はありません。不定深度3200のについては自団体なので入れていません。自信はあるけどね!
1.ボカーン『便座』
2.劇団酒と寿司『ラングドシャをクロス』
3.ミカヅキスタジオ『宙船来航』
4.劇団前夜『枕の起源』
5.天ノ川最前線『三歩進んで二歩下がれっ!』
6.劇団綺畸『ふれろ』
ボカーンがトップでした。整え方には難があったんですけれども、構造・構成ともに他の追随を許さなかったように僕は思います。消化・嘔吐のイメージと構造が絡み合う様が素晴らしかったです。
ラングドシャをクロスは徹底してシンプルな戦い方をしていたように思います。観たのは作演出の日野が出演した回だったのですが、彼の思考を含めて傷つくことを恐れずに作られた、完成度の高いものでした。
3~6位はほぼ横一線かなと。それぞれストロングポイントで殴るみたいな芝居だったので観た回による差かもしれませんね。
東大駒場系の芝居を観続けている理由に「才を見たい」というのがありまして、2018年も色々な才を見れたのですが、2019年はもっと輝ける才が見たいなと思っております。
以上、終了!
0 notes
easthorse-blog1 · 6 years
Text
web廃墟を動かしてみて
流石に1年以上動かさなかったtumblrとか廃墟でしょ。
廃墟には雑草が生い茂る、それを見て人は気持ち悪いって言うんだけれども、それはやっぱり人の手が入り続けたものが放置されて、自然に戻って行くその変遷の途中を見るのが嫌だ、ということなんだと思う。それか、人のいたところにもういないのが怖いからか。臆病だなぁ!
それなりに人は自然を恐れるんだけど、むしろ自然が人工物とか、築かれてきた社会とかを侵略していく様子が怖いんだなって、それはつまり自分の感知できない何かが蠢いているのが嫌だみたいな、ある意味での自己愛?みたいなもので成立している感情だなと感じるようになった。
自分のこともわからないのに他人のことなんてわからないでしょ?
昔からそう思ってはいるんだけれども、別にわからなくてもいいんだけど、何がどうなっているのか、僕が関心のある人は、彼は彼女は、何をしているんだろう?という感覚が湧き出るのは仕方のないことだとも思ってはいる。だからこそ、僕の感知しない、できないところで、知っている人が色々な企画を動かしてることを、それを表に公表することを、そして僕がそれを指を咥えて眺めることしかできないことを、気持ち悪い、という感覚で表出させるようになった。
や、僕が駒小取れなかったのが悪いんだけどね?他の人たちが、以降の活動予定と言って、計画的に発表していく中で、僕だけが取り残されているようで。でもどうすることもできないから、僕はアイデアを練り続ける。好きでもない本郷キャンパスの、次第に熱くなる凸凹のアスファルトを踏みしめて、歩く。
そうだった、去年の今頃、五月祭で公演を打った。あれは僕の中でマイルストーンになっているし、あれほどシンプルにかっこよくできたことはない。死んだ目をしてたけどあの時は確かに、確信があった。あの時の痺れるような感覚を求めて、旅をする。プロでもアマチュアでも関係ない、とにかく人を納得させられるように。
ついでに、元々納得しない側だった人を後悔させられる様に、ね。
0 notes
easthorse-blog1 · 8 years
Text
昔ダンおに、作ってました。
昔ダンおに作ってました、って言葉がTLで巡ってきて、少し寂しいなとか思ったりしたんだけど、そもそも僕は作ってました、側の人間じゃないのかい?って気付いたら、虚しくなった。
Tumblrを始めてみて、ついTwitterのプロフィールのリンクをこっちにしてしまった。リンクを付け替えてみた時に、不意に寂寥感が襲う。あの頃は譜面で音を表現したりとか、できないながらに演出を入れてみたりとか、それを通して全く知らない人と交流したりとかに執心していた。でも、今はもうそれをする気力はない。
昔作った殺風景なサイトを覗く。最終更新は受験が終わったばかりの頃、再始動(仮)って書いて、そのまま。どうしても、もう一度あの媒体で作品を発表する体力が持たなかった。少しいじるとそのまま放置。そのうち、Windows10が現れ、Palaflaがうまく動いてくれなくなった。そのPCもうまく動いてくれなくなり、今僕はMacbookで、この文章を書いている。Macはダンおにに不向きだ。そうして、あのサイトはもう一度、時を止めた。
最後の作品を作ってから3年と少しが経つ。最後の作品は演出も譜面も、できる限りのことは尽くしたのだけれども、それでも思い描いたものとは違っていたし、もう少しこだわれたかな、と思っている。ただ、あの祭りで結果を出せなかったことが、モチベーションを削り取ってしまった要因なのかもしれない。
今、僕の表現手段は演劇に移り変わった。この間友人に「なぜ演劇なの?」という質問をされた時、「表現手段としてそれしかないから」という返答をしてしまった。今の僕の表現手段は演劇しかないと強く思うけれど、でも、昔のことを考えると手段が減っているようにも感じる。
僕が離れていた間にダンおに界隈の規模は小さくなっていっているように感じる。もともとFlashのコンテンツだから仕方ないのかもしれない。でもふと、僕が面白そうと興味を持って入った場所が、衰退したりなくなってしまったりするという僕自身の経験則を思い返してしまうのだ。僕が面白いと思ってしまったからなのだろうか?僕は、発展させるための踏み台に自分からなりにいくしかないのだろうか?
少し、Tumblrのリンクを削除しようとも考えてみたけれど、もう軸足は戻せないという至極当たり前の結論に至ってしまった。笑えない。
0 notes
easthorse-blog1 · 8 years
Text
書き溜め
手元にビールの空の缶と、レモンティーの、これまた空のペットボトルが混在している環境が、たまらなく愛おしい。でも、それを見ているだけの僕の目に、何か映っているんだろうか?
授業の演習を早上がりした。
早く終わった人先着2名が発表する、みたいなことを教員が言った時に、チキンレースじゃないかと言ってやった。その教員はすぐに、そうだよチキンレースだよと返した。みんな笑って、発表したくないとか喋りながら前回の続きの課題をし始めた。
チキンレースは誰かが打ち破らなきゃ永遠に終わらないだろう?だから、僕はさっさと終わらせて発表することにした。もちろん、妥協しちゃいけない部分のクオリティは保つ。そんなものは美意識の問題かもしれないけど、最低限の美意識すらない人だらけで閉口しているところだ。身を堕としてなるものか。
いの一番に終わったはずなのに、スライドのデータを送ったりしていたら先を越された。結局2番目の発表だったから、先に発表したやつの言ってなさげな部分を特に言ってみた。聞いてるやつはほとんどいなかった。そんなもんさ。終わらせれば帰れるんだもの。
どんなに綺麗に作ったところで、誰も見なきゃ意味がない。誰も見ないなら、いくらでも書ける。丁寧語も尊敬語・謙譲語も、全部外してやれ。
ここは書き溜めだ。
0 notes