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#拙著振り返り
『かげろう』について。
あとがき代わりに思ってたことを書いたり自分で褒めたりする恒例行事。
なんかあれば直接聞いていただいてもいいし、匿名がよければwave boxからメッセージ下さい。
https://wavebox.me/wave/5hebd6htzdymaxlt/
・構造
最後のシーンが一番最初に浮かんで、そこにどうつなげていこうかとひたすら考えていた。
冒頭にもいれた、放浪者キャラストの「滅ぼそう、花の如く、羽の如く、朝露の如く無用な人生を!」という言葉、やけにたとえが美しいからずっと印象に残っていたのと、雷電影のキャラストを復習していた時に出てきた友人が��れぞれ「花」「羽」「朝露」に関連付けられる……と気づいたのを、「これだ!」となって話にできた。
朝露なんかは仏教でも儚いものとして例えられがちなのでそこも良い。
「稲光」そのものも儚いものとして例えられる(電光朝露という言葉があるらしい)ので、これはそのまま雷電眞のことになるし、雷電影のまわりって儚いものしかなくてすごいな。
雷電影がそういった儚く美しいものを大事にして、失ってしまって、もう失いたくないから「永遠」を追い求めるようになり、その過程でできた失敗作が散兵であり、その散兵が儚く美しいものを「無用」と断じるのはすさまじいなほよば……と感銘を受けた。
ここまでほぼ原作ゲーム内の話。
・雷電影
このゲーム、「根からの悪人」が出てこないことが特徴だと思っている(代わりに世界システムに悪意がある)。
だから、雷電影の人形への態度も「人形に自我ありそうだけど不要だから捨てた」という直線的な解釈をしてしまうとゲームそのもののコンセプトに対して違和感がある、と思っている。
そもそも、人形側は「母」と呼んでいるけど雷電影側は「子」とは思っていなさそうなところがまた重要。子だと思ったらさすがに捨て置かないのでは。
あの人形を制作しているときの雷電影って、眞を失ったことで本当にひとりになってしまったという喪失感の中、「永遠」という目標のためになにもかもを費やしている状態だったはず。
そんなときにもし雷電将軍の人形を見たら、まずはじめに「眞」を思い出すだろうな……と思ったし、その眞顔の人形が涙を流そうものなら眞の「優しさ」を思い出すだろうし、そこまできたらその先、その終わりまで想像するのは自然なこと……みたいな。
たいせつで美しいものがみんな儚くなったときに、儚いものを追い打ちされた影のこと考えるとそれだけでなんでも書ける気がしてくる。そういう女が好きだから。
伝説任務の影と眞のやり取りが好き。「あなたはきっと、幾度となく涙をこぼしそうになりながら、とても険しい道を歩いてきた。そうよね?」に対して「幾度などと……!」って怒るんだけど、涙を零しそうになったことは否定しないの、影の人間味が出ていて……。
その涙をこらえながら歩いた険しい道で出会った儚いもの……そして自分が「儚いもの」だと分かったうえで、「儚いから捨てられた」ことを「無用」ととった散兵……すれ違ってて良いなという話本当に何度でもしたい。
・散兵
この本では、姿がないのに、ずっと、ずっと、ずっと強い感情を墨にたくしてほぼ全ページにわたって漂わせているのが本当に良い。
この墨、最後にも書いたけ��本人が燃えてできた煤で作った墨という設定だから、それがわかったうえで初めから読むと嫌な気持ちになる……みたいな。
複数回読んで楽しい話を書きたいといつも思っている。
時系列的には、ちょうど散兵が世界樹で自分を抹消してる真っ最中のほんの一瞬水面がゆらいだときを想定している。だから散兵もいるし、修験者もいる。時間の隙間なのでいろいろ混ざってしまっている。
・最後のシーン
本当に影スすぎる。
あと、水面に影の顔が映ることで、それがのっぺらぼうの人形と重なって人形に顔があるように見えて、そのままその顔が散兵になる……という非現実的なシーンは、幻想小説を書きましたと言ってもいいんじゃないかと思えるほど好きな流れ。
最後の三行なんかはたんたんと「起こったできごと」を書いているのも好きだし、すごく静かな中で赤が緒のように広がる様だけが動的なのも良い。「緒のように」という比喩は狙って使っている。
ここで終わるしかないだろうという終わり方も良い。良いことしかない。
ところで、「ごやのすえ なぞながされ」は文法的に連体形で終わるのが自然なはずだよな……?と思って勝手に続きを付け足したけど、実際のところはどうなんだろう。古文に対して完璧な理解を持っているわけではない。
・P16
序破急でいうところの「急」だから舞台仕掛けが一回転するような気持で……と思ったことは覚えている。
「見上げれば糸時雨、たちまち音高く落水が花を撃ち、葉末の露もろとも飲みこんでいく」……って……良……!? これまでずっと川とか露とかの話をしていたのを汲んだうえで謡うように文章にしている。
・羽花朝露
笹百合千代狐斎宮の話は序破急の「序」にあたる部分で、ほぼゲーム内テキストを元にしている。でも、ゲーム内テキストを何も読んでいなくてもわかるように作中ですべて説明している。
御輿千代、書くのが楽しかった……。
ちょっと説明っぽいか……?と思って、これがずっと続くと読んでる方は退屈じゃないかと心配したんだけどどうでした……?
「別れの日 朝露のよう いつかまた」も、狐斎宮が詠んだものとしてゲーム内に出てきていたのをそのまま引用している。
それはそれとして、笹百合の下りで「黒い文字→指の黒い影→視点が紙の外に移動して黒い鴉」の流れは、現実と思い出のシーン切り替わりを、カメラの視点変更でスムーズにやるという、すごく鏡花を意識した手法を取れた……と思っているんだけどどうだろうか……。
・タイトル
「かげろう」とひらいているけれど、実際は奥付にもある通り「陽炎」と「影蝋」をかけている。陽炎はそのまま、最後のシーン��使ったというのと、これも儚いものとしてよく例えられるから。「影蝋」は人形が死蝋に例えられたことから。
・隅田川
子が行方不明になった母が、子を探し回っていて、その過程で隅田川に来たときの話。川を渡る時、船頭が「川岸で亡くなった子供の墓があり、その一周忌に加わってくれ」と乗客に話をする。しかしなんと、その亡くなった子こそが、母の探していた我が子のことだったとわかる。墓の前で念仏を唱えると、その子の霊が現れるも、抱きしめようとしても腕をすり抜けていく。やがて夜が明けると霊も消えて、母はなにもない場所で泣くばかり。という話。(すごくざっくり)
この話の見どころは、能で子を探す親が出てくるとだいたい最後会えるんだけど、これは「会えない」というところ。いちおう亡霊は出てくるけど、それも寂しさを強調するばかりにしかならない。本当になにもなく、ただ立ち尽くすしかない……ところにどうしようもなさを感じて好きな演目。
この本でも川沿いに話が進んでいく構造にしている。スミレトキ(里梅鳥)のくだりも、隅田川で「都鳥よ、都の名を冠するならば都のことはしっているだろう。私の思う人は元気でいるのでしょうか」って感じの歌が出てくるのでふわっとオマージュした。
・装丁
固形の墨そのものをイメージした感じにしたかった。
本当なら黒い表紙にエンボスがすごくそれっぽいんだけど、自家製本では限界があった。
という話をしていたときに、しゃしゃんさんが「箱にしちゃえば?」と言ってくれて、私の投げた素材でいい感じに嫌な感じにしてくれて大助かりした。
黒い紙は、世界堂でいちばん墨っぽい紙を選んだ。
よく見るとなにか書いてある。
これは気づいても気づかなくても良くて、ただ、「読者は知らないうちに、この本を手にした瞬間に既に散兵の情念の重さに触れている」という状態にしたかった。
紐の栞も本来この文字数ならいらないんだけど、「くゆる墨の香り」を視覚的に突然出したかったこと、どのページにも「これ」を存在させられること等から執念深さを感じていいなと思ったのでつけた。作業は面倒だったけどやってよかった。
・全体
原作の設定組み込み、構成、表現、なにをとってもきれいに作れたと思う。
その上、ほとんど出てこないくせにデカすぎる感情をずっと燃やし続ける散兵を書いているのが本当に好き。
影の視点もひとつひとつ丁寧に追っていて、過去を抱きしめる女を書けていて好き。
好きなところがたくさんある本。
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#拙著振り返り
令和3年6月11日発行『月の欠片たち』について。
かなり好き勝手に突っ走ったという自覚があるので、補足もしつつ好きなところを褒めていきます。
かなり長い。
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・基本テーマ
「愛について」
広すぎるけど、これかもしれない。
私はカップリングを「感情が動くこと」で定義しているけど、「恋愛」や「性愛」を直球で意識的に考えたことがすくないかもしれないと思い、試しにやってみるかと書き始めた。
そして最初に思ったのが、「クレスくんって十字架首からさげてるけど、時代背景的にも子を成すことを前提としない恋愛って駄目って思ってるかもしれないな」だった。
時代考証とかきちんとしてるわけじゃないから直感。
たしか、そもそもこの宗教が同性愛とかにそんな寛容じゃなかったような気がするけど、それってそもそもなんでだっけ?ってところと、���レスくんの思う天国って、その発想だと行きつけない場所じゃない?ってところから、「愛でなんとかするか~」と思った。
けっこう大変だった……。
概念方面の話をここまで入れるのはたま~にやるけど、楽しいけど大変。
・この話における宗派と教えと愛に関しての前提条件
(※ここからごちゃっとした話が続くので、次の※まで読み飛ばしたほうがわかりやすいかも)
教えとかの話をざっくりする。
かなりフランクに思考したし、遠い昔に受けた講義の受け売りばっかりなので適当に。
というかそもそも、この宗教と同性愛に関しては教派とか聖職者とか個人とかによって受け取り方がさまざまみたいなので参考程度に。
根底にしたのは、「人間は神的領域に達するために生きている」という考え。これは一世代では無理だから、人間は何世代も交代して、子孫を残し続けて目指していこう、みたいな。これはドストエフスキーが何かに書いたらしい。ふーん。
あとなんか、「人間を男と女に造り、一方だけでは不完全で、両者が結び合って初めて完全になるようにデザインした」みたいな。
欲に溺れた性行為は禁じられてるけど、神によって結ばれた両者による、子孫を残すために性行為はオッケーみたいな。
このあたりをいい感じにまとめて、「人間は神的領域に達するために生きていて、そのために子孫を残していくから性行為が許されてて、そのために結婚制度がある」的な感じにしたはず。
忘れちゃった。
・クレスくんについて
上記の宗教観を踏まえつつ、クレスくん自身の人生とかを考慮する。
背景推理に父親の話が出てこないから、まあ事情はわからんけどいないんだろうなと今回は推測。
今回、たぶん父親は妻と子を置いて逃げたんだろうけど、母はそれを詳しく語らない。この宗教においてたぶん離婚とかって禁忌な感じだろうなと思ったので。
死別だったらまだ良かった。両親の間に愛があったことを疑わなくて済んだのだから。
真相を話してくれたらまだ良かった。ありもしないものを信じようとしなくて済んだのだから。
でも現実はそうじゃなかったので、幼少クレスくんは「両親の間に愛があった」と信じたい。そのために、「恋愛と地続きに性愛があり、その結果・証明として自分という子が生まれた」と信じたい。
※結論
以上の「宗教観」と「クレスくんの人生」を合わせると、「性行為は子孫を残すための手段」+「恋愛と地続き(もしくは結果として)の位置に性愛がある」=「同性愛はありえない」という感じになってしまう。
この辺書いててやだな~と思ったのが主な原因で文頭の注意書きを入れました。
・円環について
上記のとおり、クレスくんは「子孫を繋いでいくという宗教観」つまり「人類は生と死を繰り返していくという世界観」��中にいる。
それを夢で暗示してるのが最初のシーン。
これは実は湖景村。
この荘園においては、「ゲームは何度も繰り返されるが、脱出失敗すると夢オチみたいな感じで目が覚める」というルール。たぶん村の浜辺あたりでダウン放置されてるんだと思う。
何度も夢を見てると思うけど、それはゲームに参加してるだけ。
細かい前提とかは置いといて、この冒頭書きたいことたくさん書けてかなり好き。
このシーン、特に「繰り返し」ということを強調してるし、あと円形のものが出てくる。なんかの作品で円形のものが強調されたらそれは円環とかループとかを示唆してたりすることがあるので着目すると楽しいよ。まどマギとか。
真珠貝と月と船は完全に夏目漱石「夢十夜」のオマージュ。第一夜と第三夜。あれは死と生の暗喩が綺麗で、安直かなと思っても何度でもオマージュしたくなってしまう。
・砂時計
砂時計のモチーフとしての使い方が……うますぎ……!?
山手線に終点がないのと同じで、円環にははじめと終わりの区別がない。だから、始まりと終わりを繰り返し続ける砂時計って……!!!!と思って使い倒した。
特にP.12でグランツが2回砂時計ひっくり返すところは書いてて大はしゃぎした。
まったく同じ動作をしているだけなのに、1回目は「死」を思わせる表現を、2回目は「生」と思わせる表現をした。暗く細い道は産道のこと。
ここは本当に好き。
同じ構成の文章を何度もリフレインして何かを表現するのが常套手段なんだけど、今回は「繰り返し」そのものが話のテーマになっているのでかなり楽しかった。
・愛について
「足らないものを補完し合うことが男女の性の完全さ」=「繰り返し」だという根底は出来たけど、たぶんこれを信じ続けてもクレスくんって別に彼の思う天国にはたどり着けないよなと思った。知らんけど。
クレスくんって結局「人から理解されたい」って思ってるし。
だから、この根底へのカウンターとして「足らない人同士が足らないことを認めてその事実を受け入れてそのまま生きること」もまた愛で良くないか?と考えた。
足らない部分を誰かに補完されずにそのまま生きていけることは、「個」という人間が完成するので、もう子孫を繋ぐ繰り返しも不要になるしね。
今回は、互いに世界に対して「孤独を感じている状態」を「足らないこと」とした。
・グランツくんについて
彼の口のばってん紐は色んな解釈できるけど、今回は発語ができない感じにした。
この字数で彼が「世界から浮いてる」って感じを出すにはかなりわかりやすくなるし、あと単純に書いてみたかった。コミュニケーションに難がある感じにしたかったので、筆談すらできない。でも慣れてくると行動で感情とかをあらわしてくるのかわいい~と思いながら書いた。
え!? 今回のグランツ仕草がかわいいと思う。
無声で言葉を渡してくるのも指先で意思疎通してくるのもかわいすぎる。喋れない���ランツまたなんか書きたいな。
・円環の終わりについて
孤独を抱えてる人同士がなんとなく引き合って、別に傷の舐め合いとか依存とかしてないけどなんとなく居心地がいいという状態。
クレスくんが突然「女だったら良かった」と言い出すのはさっき長々書いた前提条件によってクレスくんが「子を成さない愛はだめ」って思ってるからなんだけど、それは逆に言えば、「好きです」って言ってるようなものなので、なんかこう、クレスくんのこういう、根は純粋だよなあってところかわいいなっていつも思う。
繰り返しの象徴として出した砂時計を、ここで「横に倒す」=「もう繰り返さない」ことで円環の終わった瞬間を表現している。
この辺の流れはもうセックスじゃんと思いながら書いた。
今回、愛とセックスの話でも書くか~と実は思ったんだけど、最終的に「粘膜接触による性行為をしなさそうな関係性」になってしまったあたりに創作のままならなさを感じた。
補完し合わなくても、子が成されなくても、性行為が無くても、恋愛って成り立つし、自分に合わないものを信じ続けなくてもいいよということが自覚できるというかなりのハッピー結末を書けて嬉しい。
・最後のくだり
意図的に最初の段落とまったくおなじことを書いている。
人影が現れるところで「おっ、流れ変わったな」になって、「円」をことごとく打ち砕いていく表現にしてある。
リフレインの使い方、好きすぎ!
なんか、ループもののゲームで本編中になんかフラグ立てるとたどり着ける真エンディングみたいな演出だよね。
ところでクレスくんとグランツくんがそれぞれ砂時計と腕時計してるのあまりにも匂わせじゃない!?
・タイトル
かなり迷った気がする。
月の欠片たちというのは、そのままクレスくんとグランツくんのこと。月は円環の象徴として登場しているので、そこから外れたひとたちという意味。
・装丁
砂の表紙が良かったけどそういうフリー素材が見つからなかったので、苦肉の策で、「砂って拡大するときらきらしてるし宝石素材でいいや」になった。
表紙だけ見ると黒い海に月が浮いてるようになってて、黒い紙をめくると月が砕けて落ちてるような感じ。これはそのまま砂時計の砂が落ちるのと視覚的に繋がるかなと思った。
いちばん最後のページでふたつの欠片が引き合うのかわいい。
・段組み
字が大きくて読みやすい!!! 偉い!!!
前回の本は字が小さすぎてそれだけは本当に申し訳ないと思ったので今回はでかくした。ついでに一段組もやってみたかったのでやった。
短編小説が好きだから今回は最初から文字数一万に抑えるという目標でやった。大変だったけど、どうすれば短くまとめられるのかのコツは見えてきた気がする。
一万字という制限の中で、文章というよりは「表現」で物語を動かせたことにかなり満足している。
今回は「短くする」と「苦手なテーマに取り組む」というふたつのことに取り組んでかなり偉かった。
・まとめ
おしあわせに!!!!
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#拙著振り返り
令和3年3月21日発行「うつくしい紙月夜」について、また例のごとく振り返ったり褒めたりする文章。
かなりネタバレがある。
かなり長い。
疑問とかあれば直接聞いていただいてもいいし、匿名がよければweb拍手からメッセージ下さい。
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・基本テーマ
「結果として起こったできごとに対して法や倫理にしたがって是非を判ずることは可能でも、その人格の善悪を決することは容易ではなく、ひどく繊細で難しい」というテーマ。
今回の話は構成上グランツの過去パートとクレスくん視点の荘園パートが交互に進んでいくが、どうしてこうしたかというと、
・クレスくん視点のパートを繋ぎ合わせると「明るく優しいはずの人が急に放火した」という感じになる
・途中途中にグランツの人となりがわかるパートが入るため、神視点の読者だけは、彼が決して悪意をもって火を放ったわけではなく、「そういう生き方してきた人間ならそういう思考になるよな……」と納得できる
という構造にするため。
私はグランツの背景推理を読んで「かわいそうな巻き込まれ被害者」とはまったく思わなかったけど、だからといってグランツが悪い奴だったかといえばそうも思わない。人間はそんなに単純ではないからだ。
人が何か行動をする理由を、外部から正しく推察できることの方が稀である。
今回は、過去をまるごと捏造するという力技で「人が何か行動を起こす理由」を作った。自信満々に書いてはいるがまるごと捏造である。
でも、「口下手」「対面のやり取りは嘘」「いつも笑顔」「花が好き」等の公式設定をいい塩梅で取り入れているから説得力があるはず。公式設定を拾ってハッタリかますのがうまくて偉い。
・筆致
好きな表現を拾ったらそれこそキリがないほどなので挙げない。
いくつか言及するなら、まず出だしの文章が嫌でいいなと思う。この一文だけでこの人物が生きづらそうだなというのがわかる。
書き出しはいつも大切にしているが、今回はグランツの人間性というものが大きなテーマになるのでそれがまず初めに言及されるようにした。
この最初のパート……というかグランツの過去パートは、実は省略しようと思えばいくらでも削ることができる。それこそ形容詞でも使えば一発で縮む。ケーキのくだりなんて「僕はどんくさい子供だった」で終わる。
それをあえて字数かけて書くのは、私が楽しいからというのもあるけど、読者に「追体験」と「共感」をしてもらうためである。形容詞はひどく主観的なものなので、それが根幹に関われば関わるほど使わないほうがいい……というか、そのひとつの単語で済むようなことに対していくつもの言葉を重ねるのが「作品」だという気持ちで自分はやっている。
話それるけど、あらすじが書けない話を書きたいといつも思う。
このように、過去パートは、グランツの行動と、それに対しての感情をひとつひとつ追っていくことで読んでる方がしょんぼりする感じにしてある。最後に裏切るけど。
お花とグランツの章、すごくきらきら明るくて好き。
書いてて楽しかったし。彼にも何かを愛する才能自体はあったんだよね。
・オズの魔法使い
……を根幹テーマにもってこようと思いついたとき自分のこと褒めちぎった。
子どもの頃読んだ絵本、妙に強烈に覚えていたりしませんか?
グランツの場合、その強烈な印象に加えて、説明してくれる大人がいないからいつまでも怖いまま、一緒に怖がれル友達もいない、ひとりで抱え続けるしかないという状況なので彼の心に非常に深く根差すだろうという狙い書いた。
これを出したのはもちろん真髄で衣装があるからだけど、なんでオズなのかなと考えたときに、「張りぼての顔」という側面を拾ったのだとしたら嫌すぎるなとわくわくしたせいである。
私はグランツの笑顔は一種の呪いに近いものだと解釈している。
この本には、グランツが意識的に笑っているときは「笑った」という表現を使い、心から感情が動いたときにはそれを使わないという小ネタがある。
今回の本は、「偽物」という概念をかなり使っている。
・章構成
どこでどの過去パートを挟むかかなり調整を重ねた思い出。
荘園パートでのグランツの振舞いに対する根源を直前の過去パートでやっている。
例えば、クレスくんと出会うパートではかなり親切な好青年だけど、それは直前で「嘘の笑顔を使えばうまいことやれる」と思っているからだということがクレスくんにはわからんけど読者にはわかるという感じ。
ちなみに、最後の章だけはグランツの一人称で現在パートが進行する。
実は、ここで二人称の二人称を「アンドルー」にするために直前に名前の呼び方をおたがいファーストネームにするイベントを起こした。
荘園パートと呼称を同じにすることで、地の文と溶け合う=過去と現在が落ち合う感じの効果が微妙に得られる気がしたため。
・カップリング解釈
話をつくるとき、よく人と人の対比構造をつくるところから始める。
今回は、
・クレスくん……母から愛情をたくさん受けて育ったため愛を知っており、愛を受け取ることができるし人に与えることができる。
・グランツ……特別な愛情というものに焦がれながらも受けたことがなく、よくわからないため、どのように人に与えればよいのかわからない。もらってももらった自覚を持てない。
という対比にしてある。
この辺はふたりの過去を嫌というほど対極にしたので読むとおもしろいはず。
誕生日にグランツは「等分されたケーキはあるけどそれ以外なにもない」、クレスくんは「ケーキはないけど母からの特別な贈り物がある」とか。
クレスくんがグランツの思いやりを受け入れることができるのも、別にちょろいからとかではなく、過去の母とのやり取りから「それが本物か偽物かは重要でなく、それが自分にとって優しいかどうか」で判断しているから。
正直もっと卑屈かなあと思うけど構成上今回はこういう感じに。
逆にグランツは「偽物がバレたらぜんぶ終わり」という思考がオズの魔法使いから根付いている。
グランツがクレスくんに最初親切だったのは「それがみんなに溶け込む方法だから」なんだけど、クレスくんは実際それで救われたのでそれでいいんだと思う。
・クレスくん
彼のかわいいところは公式で「普通の人間みたいになりたかった」と言っているところだと思っている。あんなに虐げられたのに、それにあこがれているんだなと。
また、公式で「全部嘘っぱちだ!でもそれは人々を熱狂させる嘘」と、教会の仕組みを知りながらも利用する姿勢がたくましい。
彼は、「普通の人に認めてもらうこと」にかなり重きを置いているんじゃないかなあと思っている。
・グランツくん
クリスマスのイベントと手紙でかなり軌道修正した。
口調もかなり寄せた。
彼が外向けの顔をしているときは明るくそつのないてきぱきした敬語で、心の内側を出しているときは子ども時代のようなたどたどしい口調……と使い分けている。
クリスマスイベントがほんとうに……衝撃で……・
もうあまり覚えてないけど、たしかこれが来る前は「墓守の秘密がどうしても知りたいポストマン」みたいな話だった気がする。
誕生日の手紙を読んで、私は、「こいつ目的のためならなんでもやるんだな」と解釈した。それでたぶんこのあと大変なことになっただろうなとも思った。
信頼を勝ち取るために行動で覚悟を示すし、ポストマンとしての仕事を必ずやり遂げるという執着がすごい。
この手紙を解釈の下敷きにしているということを示すために、手紙で出てきた単語をかなり拾って最後のくだりは書いている。
・手紙書くシーン
それはそれとして、一緒に手紙書くシーンはいちばんカップリングしているかわいいシーンだなと思う。会話書いててマジで偉い。
たどたどしく喋るグランツ愛おしくて仕方ない。
ここのシーンだけど、ふたりがお互いにいろんな心の外装を取っ払った状態で、指先で体温の交換をして、ふたりでひとつの手紙を綴っていくという、かなり上品にしたえっちなシーンだと思って書いた。
手紙が大事なんだし手紙セッ…スくらいするかなと思って。
この流れでの「そのふたりの小さな接点をとおして、深く通じ合っているような気さえする」は、もう完全にそういうことじゃんみたいな。
もっと執拗に書いても良かったけど、浮くかなと思ってこの塩梅にした。
・最終章
序破急でいうところの破と急がここで一気に来る。この思い切りとスピード感好き。
今まで過去パートで読者に追体験をさせてくれていたグランツがなんか急に裏切ってくる。
でも、出来事たちや公式設定を思い返すとたしかにこうなるのは自然だ……となるような構造に……なるようにしてる……���だけど、なっていたのかな……。「急展開でついていけない、理解不能」と思われる可能性もあるので、私はかなり気に入っているけど、人からみて面白いかはかなり不安な部分。
ここの嫌なところは、「アンドルーから手紙をもらいさえしなければきっと忘れていた過去を思い出さなかった」ところ。
こういう感じの結果にはなったけど、でも、「特別な手紙を受け取った」「愛することについて考えることができた」という、過去の彼を救うようなできごとが起こったのは確かなので、何とも言えないところが嫌だ。
場所がキッチンなのも、最初ふたりが出会ったところなので嫌だ。
最後は走馬灯を意識しているので色んなものが出てくる。
走馬灯とリフレインが贅沢に使われていて好きすぎる。
神へのいのりが出てくるのはここで3回目なんだけど、グランツとクレスくんで神への考え方も明確に差をつけているから読み比べたらなるほどねになれる。
その辺は遠藤周作の『沈黙』『深い河』あたりからかなり影響を受けている。
・アイリス
虹って、「太陽光の屈折」で出来るから、太陽光の元へ出られないクレスくんは見られないんだよな……と思って悲しくなった。
グランツとかいう偽の光が虹を作る(ような気がした)という構造にしたのも意図的なもの。
・タイトル
偶然生まれた。
途中の風景描写で三日月を出そうと思って、いやでも英語圏では三日月って言わないか……じゃあ英語圏の表現でいい感じに書くかと思案。
このとき、私は「ペーパームーン」を「三日月」のことだとなぜか勝手に思い込んでいたのだが、一応ググった。ら、全然違っておりびっくりした。
文字通り「紙でできた月」で、なんか写真撮るときにつかったはりぼてらしい。
それめちゃくちゃ今回に合うじゃんと思ってガンガン話に組み込んだ。
プロット段階では1ミリも出てこなかった要素を逆境を糧に取り入れる強さ、惚れてしまうな。
・表紙
本当は海外の絵本を思わせるデザインにしたかったものの、そんな力はなかったため断念。
アイリスをあしらおうかなとも思ったものの、素材が見つからず断念。
結局、「むせかえるほどの花が楽園のように覆いつくすような装丁」に落ち着いた。
めちゃくちゃ綺麗でかわいいんだけど、本を一読して「花」がどんなものとして出てくるかを思うと、なんか……になるという思惑。
「花手水を思い出した」という言葉もいただいて、計算通りで良かった。
嫌というほどさまざまな花がひしめいているのにアイリスはない、というのも嫌で好き。
ちなみに、グランツが孤児院で育てていた花は結局なんだったかはわからない。あくまで「気がした」だけなので。
裏表紙は根性。
印刷したものを切り抜いている。
書いてある文字は「your dear papermoon」。タイトルを英訳するならこれかなあという感じ。
直訳すると「あなたの親愛なる紙の月」。英語の手紙がよ��「my dear victor」みたいな書き出しになっていることともかけている。
意図としては、どちらが贈ったともとれる愛の言葉。
今回の装丁テーマは「グランツの走馬灯」なんだけど、そこへ走り書きで書かれた愛の言葉があったらすごく良いなと思った。
そういう意図があるので、タイトルも「上から手書きした」みたいにしている。正直英語タイトルの方が映えるデザインなんだけど、タイトル変えたくなかった。
web掲載でもいいところをわざわざ本にしているので、せっかくなので物質じゃないとできない経験があったらいいなという気持ちでなんとなく装丁を凝ってしまう。
・さいごに
好きなところ挙げるとほんとうにキリがないので話したいことだけ話した。
荘園設定はなんか公式がそんな感じだった気がするのを小耳にはさんだやつを採用した。
読者の脳をお借りして組み上がるので、読んでくれた方、なにか感じてくれた方、本当にありがとうございます。
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#鑑賞所感
8月9日、国立新美術館で開催されている企画展「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」を観てきました。
展覧会って「観る」で合ってるんでしょうか。それすらわからないほどの初心者ですが、思ったことなどまとめておきたいのでやります。
下調べとか何もしないで行ったしボルタンスキーのことも何も知らないで行ったまま勝手に考えたことをアツいうちに。
まとめるとなんかずっと「やだなあ」とか「うわ」とか思ってた気がする。決してマイナスな感情ではなくです。
・入るとさっそく『咳���する男』の映像作品があって、誰かのえずく音がずっとする。
・壁一面の誰かの家のアルバムの写真。こういうの、なんだろう。同じような人が同じようなポーズと構図でただ立って、背景だけ違っていて、もしくはなんでもないなにかのワンシーンが連写されていたりして、なんだろう、美術的な美しさとかは感じられない写真群、きっと写っている人たちは思い出を反芻しながら見返したりするんだろうけど、部外者の私は「これがぜんぶ私の知らない出来事があって彼らだけわかる特別な普遍的幸せがあって、でもそれとは隔絶されてるんだな」という気持ちがあった。
少し進むと何かをカウントしてるデジタル計があって、これが会場内で鳴ってる心臓の音とリンクしてカウントアップしていく。ずっとホール中に心臓の音がしてその中を私は進んで行くんですよ��。
で、このデジタル計はなんだろうと思うと、「ボルタンスキーが生きた現在までの時間を記録しており、死の瞬間に止まる」と説明がある。
え~って思いました。
万人の人生ってコンテンツだなと思うことが最近あって、そういうものをここでは感じた気がします。
・なに考えてたっけ。はやくも記憶がふわついてきました。
件の心臓の音がひと際大きく響く一部屋があって、そこではその鼓動に合わせて電球が明滅していました。
この辺で、「エネルギーを糧にして動く」という点において生命と機械はどんな違いがあるんだろうと思ってわくわくし始める。
からの、大きな部屋中の祭壇と人の顔と箱、こわかった~!
物語や過去や記憶や背景を断たれてもそこに顔はあるということ、ものすごくびっくりした。
顔ってなんだろうね、肉体のひとつなんだけど、個がある。個があるけど、個たらしめるものと切り離されてもそこにある。
個を個たらしむもの、人を人たらしめるもの、生命を生命たらしめるもの、何? わからん。顔か? 他者の祈りか? まなざしか? それは電気信号で動く機械と何が違う? わからん。
すごく怖いのに、白くて大きなエリアに来るとなんだか全然印象が違う。なんともいえず、清涼なような。裏のエリアで鳴ってる風鈴のような音も関係あると思うけど。
大きな白い、静寂だけど苦しくはない空気の中に、祭壇と顔と電球がある。
あと、顔の上に電球のコードが垂れているのは意図的なんだろうなとここで気づく。これなら、この顔を持った個が、まるで電球を通して生きているようで。
・顔のカーテン、通るとき、うわって言っちゃった~。
・一番大きなエリア。
入るとます最初になにかの山。見ればたくさんの服が重なっている。服、服か~……。
大きなエリアに点々と、板に着せられた服と、ちょうど頭の位置に電球が来るオブジェ。これが、この前に立つと、自動音声で語りかけてくる。「死ぬのは怖かった」みたいなことを言ってくる。
いやすごくない?
服と電気と自動音声だよ。それを前にした私はもう、そこに物語を作ってる。あるはずもない人生を勝手に想像して、勝手に「うわあ」って思ってる。すごいなあ、個、どこにあるんだろうね。無い個、作っちゃったよ。
そして、なんか風鈴のような音がずっとする映像のエリア。なんだかわからないけど、どこかの風景がずっと流れている。聞けば、これは今はもう無い風景だとか。
もう無い風景の音をずっと聞いてるの、すごい良かったな。ここだけ空気が異質で、それまでたくさん死の名残のようなものを見てきたけど、死んだものっていうのはこういうのかなあという気持ちがあった。
死に勝手に物語を付与してしまうけど、死、なんかこう、「今はもうないもの」って感じがするので。
・三方向の映像があるやつ
左がクジラの骨、真ん中がクジラと会話できる装置、右が海の映像だったかな。
それぞれずっと映像なんだけど、のどかだったね。
クジラ、時間の起源を知る生き物らしいよ。��のクジラにずっと装置で語り掛けるのに、海はずっと波打つばかりで、骨はずっと動かない。これずっと見ていたかったな。いつクジラが答えるかと思って。
これまでさんざん死のこと思ってたのに、いきなり「時間の起源」について考えさせられるのひどくない?これじゃいやでも死の先のことを考えてしまう。
で、見計らったように、スクリーンの裏の通路に「来世」のオブジェ。
あれ? 私いま死んだっけ? そんな気持ちが起きた。
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#拙著反省
令和元年7月14日に発行の「ほんまる、の、じけん」についての振り返りをやっとしたんですけど、これめちゃくちゃ読みづらいですね。
・基本テーマ
「帰れなくなってしまうとき、どうするか」です。
前提として、私たちが存在する空間と神々の存在する空間ははっきり分断された別のものだという設定です。
刀剣男士さんは、人みたいな形をしてますが付喪神であって、この世のものではない。その身に付与された、人々によってまなざされ語られた「逸話」によって、それを楔としてこの世に縁をなし、「刀の付喪神」としている。審神者さんは、神としての力を持っているけど人として生まれて人として育ったものとしています。
ただ、審神者業をするにあたり、もう自分の元いた空間には帰れなくなっていて、言ってしまえば「死んだ」みたいな状態です。
この世とあの世を行き来する方法(というか一方通行だけど)として、「よもつへぐい」の考え方を踏襲しました。「あの世の食べ物を食べてしまうと、もう現世には帰れなくなってしまう」というやつです。(この辺の説明を本文中でちらっとやってるのですが、イザナミとイザナギを途中で誤字ってて本当にもう……となりました。すみません……雰囲気で読んでください)
それで、では、刀剣男士さんが異界の食べ物を口にしてしまったらみんなはどうするのかな……というのが今回の話です。
困ったことに、彼らの顕現の仕組みが全然まるでさっぱりわからない。
そこで、この本に限り、その身体は「鉄分が多い、骨が白銀、臓器が少ない(ちなみに主に生殖に関わる臓器を想定しました)、目の奥に鋼が光る」……等、人っぽいけど作りが異なっているものにしました。
(ところで刀が骨だの臓器だのの話するのが好きなんですよね)
「逸話が彼らを付喪神たらしめているけど、刀剣男士としてのいれものはこの世のものである」、つまり、なんだろ、ただの肉塊に神が憑いてる感じかな、そういう状態が、この本における刀剣男士の在り方です。
だから、人間の食べ物を口にしてしまうと、彼らの「神」としての部分だけが死ぬ���つまり「逸話」が剥離するけど肉はそのままここに在るという状態になります。ただ、逸話という過去や出来事といった事実がはがれても、それによって去来した心のようなものは消えてくれない。
例えば、私たちで例えると、「軍人として戦争に行き戦闘機をたくさん撃ち落とし、パイロットをたくさん殺した。そのことに罪悪感があり、命について考えることも多かったしずっと苦しんでいた。しかし実は、その戦闘機はすべて無人だったということがわかった。人を殺した、という前科自体は自分の中から消えたけれど、『自分は大義さえあれば人を殺せる人間なんだ』という自責の念、『人の命ははかないが重みがある』という気づきなどは間違いなく自分のものであり、消えることがない」というイメージです。
自分でもちょっとよくわかんなくなってきましたね。
ところで、この話を思いついたきっかけが暗くて。自宅に蟻が湧きまして、その駆除のために殺蟻剤を仕掛けたんです。ものすごい量の蟻が甘い蜜に群がるんですが、これ戻ったらみんな死んじゃうんだなと思ったのが始まりでした。
・刀剣男士さんたちの反応
「逸話の剥離」が起きた時にどうするか、というのをまじでほんとにめちゃくちゃ考えて考えました。今回の挑戦課題に「たくさんのキャラが出てくる短編形式で話がつながる」というのがあった。いやしかし本当に……難しくて……。
刃選については、とりあえず堀川兄弟が中心ということは決めていたので、彼らの話を先に考えて、その話の関連になるような逸話を持つ刀を選びました。
山伏国広、堀川国広、にっかり青江、和泉守兼定、南泉一文字あたりはほぼほぼ初書きになるから口調の把握からして困難だった上に、にっかりさんと南泉くんに関してはもう饅頭食べた後だったので若干人よりの思考回路になるように口調を考えています。若干……。
南泉くんの「にゃ」をとってつけたようにしてるのは、彼がもうにゃをつけなくても話せるけどそのことに自分がまだ応じられていないからです。
ところで、ほぼすべての刀の饅頭食べたタイミングわかるように書いているのですが、一振りだけ意図的に書いていないのが鯰尾藤四郎です。今回の騒動における彼の行動原理については、実はあんまりよくわかっていません。
・個々の刀の解説
……を、しようかと思ったけどさすがに長すぎん? 本文中でわかんないとこあったら訊いてください。
質問箱置いておきますね。もし質問来たらこの記事内で回答します。
https://peing.net/ja/dorpor?event=0
南泉くんの猫の墓に関する歌は僭越ながら夏目漱石『猫の墓』に出てくるもの(この下に 稲妻起こる 宵あらん)をオマージュして私で考えました。詠むの難しかった……。稲妻、猫に墓、歌という連想もこの作品が元です。あの時点で、南泉くんは「人」で獅子王は「神」なので、死んだ猫に対する考え方が根本から異なっていま���。
あと、兼さんと山姥切の会話に出てくる「山姥切かと訊かれたら言いよどむけど国広ではある」みたいなセリフは完全に最後の部分を意識しています。そういう、日常の中に考え方などが透けるのが好きです。
・審神者の手紙
フォント名が「恋文ペン字」です。
文面考えるの難しかったし悲しくなっちゃった……。
・報告文書
SCP記事を意識し……ようとして玉砕しています。
なんかこう、その後の結末や事の真相がこうやって第三者目線で淡々と語られたりするの、好きじゃないですか?
あと私は読者への嫌がらせが好きなので、「許可なきものの閲覧を禁ずる」って書いてしっかり糊付けしてある封書をみなさん開けづらいだろうなと思って製作しました。
ほんとうにギリギリの製作時間だったので、もし表紙をいただいてなかったらこれついてなかったです。封筒のデザインとかもっと凝りたかったけど、無いよりいい。
でもこれがないとこの本丸はあれで終わりだし、鯰尾藤四郎くんに出てきてもらった意味もなくなるところだったので本当に良かった。表紙書いてくれたらっきょさんは本当にありがとう。
・表紙
なんか盛り上がって案5個くらい出したんだけど、それぜんぶ丁寧に検討してざっくり下書き出してくれて過労じゃん……と思いました。
らっきょさんの描くお顔が好きなのにお顔のない案を採用してしまった。自分の好みより本の内容を優先しました……。
表紙だって本の一部なのだから、本文にシームレスに繋がるやつをやってみたいなとかねてより思っていたのを形にしていただきました。らっきょさんなら私の意図を汲んでくれるでしょう……という信頼から要望出しましたが、がっつり答えてくださって天才~!!
三振りとも歩き方がちょっとずつ違うのが良い。あと「草を鬱蒼とした感じで」というめんどいリクにもお答えいただいて本当にありがとう。
でも、最終候補だったもうひとつの方も三兄弟の顔がかわいいのとたくさんの手がきれいだったのとポップみのある雰囲気が良かった。なんで表紙ってひとつなんだろうね。
ところで、らっきょさんは描いていただいた時点でこの話の全貌を知りませんでした。すご……。
ちなみにらっきょ先生は絵も漫画も描けるけど小説のご本をたくさん出されています。多才か?
先生のpixivのページはこちらです。
https://www.pixiv.net/member.php?id=3702131
・まとめ
いつものことだけど、発想はいいけどちょいちょい説明不足で不親切だなと思う箇所が多く……。毎回反省してるけど難しいですね。全員大変な状況だけど、会話の空気感とかが重苦しくならないようにしています。そのほうがなんだか読んでるほうは苦しいからね。
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#拙著反省
恒例の反省と自画自賛するやつです。
令和元年五月五日ご入籍のこまえーき結婚合同「Daydreams」に寄稿いたしました原稿について!
今回はテーマのあるアンソロだったんですが、主催さまに甘えてかなり好きにやりました。
結果かなり概念が書けて満足したんですが、わかりにくいなとは思います。キャッチ―さ、儚い。
というわけで野暮とは思いつつ書き残しておきます。
・「結婚」ってどこにも出てこないじゃん!
そうですね。
自分なりに「四季様と小町の結婚に対する意識って何?」というところから考え、こうなりました。
「結婚」というもの、よく恋人たちのひとつのゴールまたは通過点、幸せの象徴という印象がありますが、果たして彼女らについてもそうなのか…?と考えたとき、マジで���ったくわからなかったんですよね。原作で言及がないのと、私の処理能力のせいです。
で、結婚というものがもたらす様々な事象のうちで、彼女らが「幸せ」を感じられるものがあるとすれば、それは「まったく違う存在同士だったとしても共に歩むという互いに誓い合うこと」なのではないかと考えました。
その結果があれです。
絶対にハピエンにする!!!!という強い意思で書きました。
・存在について
先述の「まったく違う存在同士だったとしても共に歩むという互いに誓い合うこと」ですが、これ彼女らが出来るとしたらすごく素敵なことだと思ったんですよ。なにせ閻魔と渡し守なので。
この話の中で、四季様は俯瞰した感じを意識して書いています。神様なので。職業病というよりもう生来のものでしょうね。
ヨーヨーすくいのくだり、あれは「掬い」と「救い」をかけてます。
対して小町はすごく俗世によった感性を持っています。だから困ってる者がいたらすぐ駆け寄る。仕事中でもないし。厳しくすべき場面でもないし。TPOがわかるんだわ、賢いから。
そういう、根本から在り方が違う者たちなんだけど、「差し出した手を取る」という相互的な場面から話が切り替わっていきます。能で言うならここが「破」。
小町はたぶん、四季様がどうして川ダイブしたのかあんまわかんないんですけど、でもまあいっかって感じでとにかく目の前のことだけを考えています。
ところで直前で飴の髪飾りとかいう謎の小道具を出したのは、ここで砕け散ったら祝福みたいで綺麗だろうなという視覚的狙いです。
また、序盤から登場する太鼓の音は神のメタファーのつもりで書いています。直接救ってくれたり、なにか言葉を発したりはしないけれど、ただきっとずっとどこにでもいて見ていてくれる存在として。この辺は遠藤周作の著作に影響受けた考え方です。
だってやっぱ結婚で誓いを立てるなら見届けてくれる存在が欲しくない?みたいな。
見開き��ページでここまで詰め込めたの偉いと思いつつ、こじらせてんなと思いました。
・デート
世界観的に「逢瀬」とか使った方がいいかな?とはちょっと思ったんですけど、ちょっと古めかしいなと。デートという言葉の持つ、すこしレトロで色めき立ったわくわく感が好きなのであえてこちらを選択しました。かわいい!
・タイトル
実物で確認するまでなんてタイトルつけたかさっぱり忘れてて、まあ私のことだしど~~せ花とか光でしょって思ってたらエモのエモタイトルついてて自分のこと褒めた。
・主催さまへ
事前に「「結婚とはなにか」を哲学して抽出した概念なので、直接的に結婚を連想させる話にならず、読み手にとってはわかりにくい話になると可能性があるのですが…。一度書きあがったものを提出して、きつね丸さんチェックいれていただいてから、必要なら直接的でわかりやすい単語や表現をねじ込むことも可能です(原文ママ)」とおそるおそるお伺い立てたらすぱっとOKくれて本当にありがとうございました! 提出後に「片面カラーでもいい?」って連絡きたときは何事なんだと思いつつ楽しそうだからオッケ~~って言ったんですが、まさかこんな……こんなことある? あるんだわ。
みなさまの作品の中にあってはけっこう浮くのでは?と実はすこし懸念しておりましたので……。
しかも本文に沿ったデザインにしていただいており……立派なレイアウトに仕立てていただき……前回に引き続きありがとうございます……。
では! 最後になりましたが映姫さま小町っちゃんご結婚おめでとうございます!!!
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#拙著反省
自分の書いた話を振り返って褒めたり反省する恒例のです。
平成31年3月発行の『空葬』より。
今回はじめての試みもあるのでおそろしい。
あと、CPの左右は結構適当です。ごめん。どっちも好きです。
・タイトル
造語のつもりだったけど普通に在る言葉っぽい。
「そらに葬る」「からを葬る」のダブルなミーニングです。
・文章
ふつうに読みづらいなこれ……自分��発想は好きだけど文章が下手な自覚はすごくある。自分で書いたのに何度もつっかかってしまった。あと今回は三人称視点で書いたんだけど本当に難しかった。一人称の幻太郎パートが救いだった。
これにめげずに最後まで読んでくれた方ありがとう。今度は余裕持って原稿やってきちんと文章練りたいです。
・小ネタというか元ネタというか
今回、割と元ネタ引用みたいな部分が多かったので覚えてる限りで書いときます。ぜんぶわかったら僕と握手!
・P.6「健康で文化的な最低限度の生活」
……斉藤壮馬さんのエッセイ集のタイトルより。遊びのつもりで入れてますが、すごく面白いエッセイなのでおすすめです。と、いうか、ずっと思っていたことをこの本で肯定されてこの本が書けたみたいな部分はある。
・P.12「胎の中に」
……胎という表現をした場合はふつうは子宮のことだから男にはないっていうのは百も承知だし迷ったんですが。胎児よ胎児よなぜ踊るのことをずっと考えていたのであえてこちらでいかせていただきました。(夢野久作『ドグラ・マグラ』より)
・P.15「今日は良い日だな」と呟いた
……夢野久作が、最期「渋谷区南平台町の自宅で、父の負債処理を任せていたアサヒビール重役の林博を出迎え、報告書を受け取った後、「今日は良い日で…」と言いかけて笑った時、脳溢血を起こして昏倒し、そのまま死亡した」という話より。(出典:wikipediaですが……)
・P.15「葉書大の四角い包み」
……江戸川乱歩『押絵と旅する男』を意識しています。この包みの中は写真立てで、何が入ってるかも設定あるんですが言ったら野暮ですよね? 押絵ではないです。
・幻太郎の家
どんな家だよっていう感じになるだろうなと思いつつ……。
能舞台がイメージ。能舞台って大きく分けて2つに分かれていて、メインになる正方形の部分と裏への通路みたいになってる部分「橋掛かり」がある。能はそもそも幽幻を多くはらんだもので、現実と部隊の境界をなくすことが可能なので、こりゃ今回の話にぴったりだぞ!と。
正方形の部分はそりゃもちろんメイン、舞台上という異世界なんだけど、「橋掛かり」は舞台演出としてよく「現実と非現実の境」として使われる。おそろしい妖怪の棲む家に踏み込もうとして躊躇してる人間が右往左往したりとか。
能舞台には客席が欠かせないけどどうしたもんか……と悩んだ挙句、墓がそれになりました。住みたくねえ~~~。
よくわからないものをたくさん配置するの楽しかったな。本当に物がたくさんあるんだろうね、かわいいな。いちおう全部幻太郎にとっては脈絡があって意味があったものっぽい。大量の未使用切符を置きたかったのに忘れた。
・病院
どこだよ!!!!感を大事にした。これは結構出せてると思う。
幻太郎が話してる相手はシナリオライア~でおなじみあの青年です。部屋番号は1078。(それはフィッシュスト~リ~だね)
回想で出てくるこの場所は、幻太郎と青年以外の人間の描写を意識的に省いてるし変わらない景色とか「作りものめいた」とかの比喩でなんか若干の異界ぽさを演出できてる……よね!
「あると知っている人間にしかたどり着けないような」とか、比喩表現に若干の含みを持たせるのが好き。言葉はすべて属性があって、蓄積すると勝手に空気が出来ていくのが面白い。
最後に出てくるときは廃墟だけど、「そんな数年で廃墟になる?」っていう違和感が最高に好き。廃墟になるかもしれないし、幻太郎はずっとただ廃墟に通って夢を見ていただけかもしれないというところが。
・黒電話
キーアイテム。幻太郎のマイクも電話だしね。この小道具をすごくうまく使えてるところ褒めたい。
この電話、捨てられないよね、きみは。
マイクの形状とか、服装のこととかにさらっと触れられたの今回の話の褒めポイント。
・キッチン
なんか本当は最初おかゆにしようと思って書いてたんだけど、サトウのごはんを描写するのが面倒でうどんに急きょ変えたら若干おかしくなっちゃったね。修羅場は良くない。
幻太郎、料理しなさそうだな……とは常々思っております。金はあるし。不規則だから食べないことも多そう。だから帝統と体重差つくんだぞ! がんばれ!
・地雷
幻太郎いつ怒るかほんとうにわからんくてめんどいよね。愛しいね。「直接会いに行けば」って言われたあと、空気が急変してほしくて頑張ったんだけどいい感じになってるなってる。そういうの帝統に通用しないなっていう置いてけぼり感もうまく出せてる出せてる。大丈夫大丈夫。
リアルに書こうとするとどこまでもめんどいからファンタジーセックスしか書かないけど(同人誌ってそういうとこ便利!ありがとー!)、さわやかに去ってく帝統ととんとん準備する帝統と完全に置いてけぼりになってる幻太郎が見たくて中途半端に準備しちゃった。
今度年齢指定入る本書くことあったらもっとファンタジーにするね。
といいつつ、距離感とか関係性を描写するひとつの手段としてセックス書くのが好きだから、ヤることヤってるときほどあんまエロくならないんですよね。今回は珍しい。
・オチ
非常~~~に迷った。最後の一文、今まで曖昧にしてきたものを断じてしまっていいのか?とも思ったけど、これはあくまで幻太郎のための話であって読み手の都合とかどうでもいいから、彼の心の都合がついたということを書くために言いきりました。
ただ、幻太郎がそう思っているだけで実際のところは私は知りません。
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#拙著反省
自著振り返りをして次に繋げていく恒例行事です。
こないだ出した『望む虚ろ月』、あとがきにも書いたようにかなり読みづらいと思ったので、整理をつけておきたいなと思いました。
●話の内容そのものについて
書き終わった後に一番初めのネタ帳見たら「誰かになることも理解することもできないがともに在ることはできる」って書いてあって「うそげろ!?」て思った。どこにも残ってないよねその要素。
本���ロットには「本当のことという現実/願いという夢は両立しない」とでかでかと書いてある。悲しいテーマだね……
この話の中の山姥切くんは、原作ゲームのように自分が写しであることを卑屈に思っておりますが、それはすべて「他者からの視線」があるゆえに発生する卑屈なので、その視線を恐れている。
一方三日月さん(写)は、月そのものを見たことがなくてそれがどんなものかいまいちわかってないんだけど、月に色んな思いを託した人々の気持ち=「月に対する人々の視線」を愛しく思っている。
そんな二振の対比。
鶴丸(写)は完全に第三者で傍観者です。鳥の名前が入ってるんだから鳥瞰するよねという安易な発想。みんなの願いが同時には叶わないことをわかっています(あまりにもBGM:宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」すぎる)
鶴丸の語る過去回想の中でも、鶴丸があまり二振に大きく干渉しないのは鳥瞰者、俯瞰する者の役割だからです。
最後はまあ書いた通りなので省略するね。
「現実の、物理としての月の姿」と「二振の思う、想いを映した月の姿」は両立しないので、今回は立場の弱かった夢の方が押しつぶされます。悲しいね……
そして、可能性を夢見て月を探しに行った山姥切くんのために、夢を夢のままにしておくために月のことを知ろうとしない鶴丸くんだよ、優しいね……
●この本の構造について
それはさておきよ。
この本の特徴は、ひとことでいうなら「鶴の話は信じるな」なんですよね。
全部鶴丸の語り口調で話が進むんだけど、それはつまり「そう鶴丸が言ってるだけ」なんだよね。だから例えば、
・あくまですべては鶴丸の主観での話でしかない
・いまこの場にいない三日月、山姥切は本当に存在したか確認できない
・そもそも回想の中で二振はよく会話するが鶴丸はしていない
・同様に獅子王がいるかもわからない
・月がないのが寂しくて妄想した話かもしれない
・全部嘘かもしれない
・嘘じゃなくて「鶴丸がそう思い込んでいる」のかもしれない
みたいな、もう何もわからない話だよっていう。誰かが話す以上、そこに必ず主観が入るんだから小説といえどすべて真実だと思うのも危険という話。
……の、伏線?的に「あまりの退屈に気でも違って、その辺の木やら池やらに話しかけ始めるかもわからん」って文があるんだけど、仰る通り本当に気が違ってぜんぶデタラメ言ってるのかもしれない。けど本当のことはわからないんだよ。私も考えてない。
一人称の小説ってそういうとこ怖いから大好き!!
今回「能楽」を取り入れているのは、能というものが舞台上と現実の境界を曖昧にする芸術だからです。話すと長いので省略するけど。
能って、舞台上のセットや小道具がほとんどなくて、例えば演者が「見事な月が見える」と言いながら扇を掲げたらその扇が月だし、「月を肴に一杯やるか」と言ったらその扇が次の瞬間には盃になってたりするんだけど。つまり何もないところに物語を、起きながらにして夢を見なくちゃ��けないヤバい舞台なんですよ。
この本は、本自体が物質として成り立った作品、本という形態であることに意味がある作品です。
表紙の松は能舞台の後ろに描いてあるものを意識、基本デザインは能の台本を意識、また、「シテ」「ワキ」「アイ」というのは能の用語で「主人公」「主人公その2」「特別出演」みたいな意味。つまり、「あなたの手にしているこの本自体が能楽の台本で、完全なるフィクションかもしれない」という装丁です。
さらに!
能楽って、「その場所で起こった出来事を第三者が語る」みたいな構造がよくあるんですよ!
そして!
注意書きって本編に入るのかどうかは読んだ人が決められるんです! 具体的には「この物語はフィクションです」って2回も書いてあるけど「誰にとっての」フィクションなのかはどこにも書いてないんです!!
どこまでが、何が、誰にとっての真実なのか、何を以てして真実なのか、線引きはお任せしますという、だいぶ読みづらい本!!!
なお、この文体は夢野久作の「死後の恋」を読んで私が勝手に推測したことを勝手にパク……オマージュしただけです。もちろんだけど死後の恋はこんなのよりぐいぐい読めるしめちゃ面白いから読んでね。青空文庫にもあるよ。
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#拙著反省
7月に弊サから発行した『春と鉄屑』という本がすごく好きで、やっぱりこれをまだ引きずっているので一度振り返りをします。
感想も兼ねてる。
・書き出し
すごく悩んだ記憶。でもとにかく一発目からここが傾いてる本丸だってこと、それが現在進行形であるとわかるようにしたくてこうした気がする。序盤で状況がわかる+雰囲気がわかる出だしが好きなので、結構好きな書き出し。
・時系列
これもすごく頑張って逆算した思い出。鶴丸が来た日からちょうど七週間後、つまり四十九日後に鶴丸が去るようにしたかった。
ここに落っこちてきた段階で鶴丸って元自分がいた世界線ではもういない者、亡き者になっていて、今では異形になってしまっている。人間的な表現をすれば、鶴丸は自身の世界ではもう死んでしまっていて、いまは中途半端に彷徨っている状態なんですよね。
時間というのは残酷なもので、どんなに嫌でもぴったり狂わず明日は来る。そういう決まってしまって動かせない運命の中で、どう行動するのか、どう気持ちを持って行くのかが今回のテーマ。
・「鵺と呼ばれる大きな生き物をまとっているのに」
開始数行で状況に加えて誰の主観で話が進むかもわかるようになってるからありがたい。ここからは実際のことがどうであれなんであれ「獅子王が」感じたこと、彼の目を通して見た世界として話が進んでいきますよという前提条件。
・原作セリフ
……を盛り込むのが好き。出陣だな……行くぞ。の後のじっちゃんを出さなかったのは意図的なものです。この後に出てくる「俺みたいのが~」も、この時点では獅子王はこいつが誰だかわかんないから名前出すわけにいかないんだけど、読者にはわかるようになっているという構造です。
・戦闘シーン
バレてると思うけどあまり得意ではない。書くの好きだけどね。戦闘シーンはいつも能楽を意識して書いています。朗読してみたらたぶんテンポよく読めるんじゃないかな。わからん。
鶴丸(異形)が鵺を見て一瞬ひるむのは、「いまの自分と同じよくわからない状態のなにか」が突然目の前に現れてしんどくなったからです。
・日常パート
人参お花型にする清光めっちゃ可愛くない? いやめっちゃ可愛いと思うんだよね。あと鵺が可愛いという気持ち。
最初の方でログインされなくなっちゃった本丸の初期刀が清光ってけっこう現実味あるなあと思ったし、放置された場合でもずっと信じてぼろぼろになって��いじらしく待ってそうだなあと思って悲しくなっちゃった。
・本丸設定
もう主は帰って来ないんだろうなあと全員気づいてるけど誰も言わない。だってそれを言ったところでどうしようもないし、何も変わらない。
忘れられていたとしても彼らは主の”モノ”である以上どこかへ逃げることも出来ないし、勝手に自分たちの意思で壊れることも出来ない。本当にただそこに居ることしか出来ない。付喪神として顕現せず、心もなく、ただの刀として在れればどんなにか良かったろうね。
『物に心がある』ということについてすごく真剣に考えた結果、地獄みたいになりました。ゆるやかな地獄を書きたかったので、文体はあくまでほがらかで平和をめざいています。
・浜辺パート
『俺は今日をやり過ごす「もしかして」の希望が欲しくて、波間の朧に夢を見る』
ここめちゃくちゃ好きな一文です。ひとことで心情を表現しつつ、言葉選びが綺麗で、かつ声に出した時のテンポ感がいい。満足した。
テーマソングは童謡「浜辺のうた」。好きです。この本の初期タイトルが「波のまにまに」だったんですがボツって、でも語感は気に入っていたので本文中で使用。
鶴丸は、どちらかというと色んなものを「置いてきた」刀なんですよね。今回も、元の本丸を出てきてしまってもう帰れないし、でも四十九日後にはどうやったって消えるしかないことを悟っている。ここも結局置いていくしかないんだけど、まあ、もういいかと思ってたんですよね。ちょっと前まで。
獅子王はいつも「見送る刀」、鶴丸はいつも「旅立つ刀」だった、というのがこの話におけるメインの対比構造です。
・弥生
割と初めの方から肺活量が少なかったり食が細かったりといった描写をさりげなくいれましたが、すべてここで明らかになる「内臓がないぞう」のためでした。
……自分で自分の書いた文章忘れてたんだけど「色の抜けた水仙のような表情」って表現めっちゃいいじゃん……。
あと、私ふだんは「雪のように白い」とか「氷のように冷たい」とかって表現控えてる���ですけど、浜辺パートであえて使ってるんですよね。それは比喩ではなく鶴丸がこんな状態になっちゃってるからという、おそらく誰にも伝わってない自分だけのおもしろポイント。
二度目に読んだときにいろいろわかるような文章が好きなので、そんな仕込みをたまにやります。
ところでここの皮膚の下が月の光に暴かれるシーン、拙著の中でも屈指のエロいシーンだったんだけど読んだ方にもそう感じていただけたかはわかりません。どう?
そしてここで出てくる『月に憂かされ雪には震え』という文章、そう! 最初に鶴丸が落っこちてきたときの! 『月に浮かされ雪には奮え』と完全に対比に!なっています! めちゃくちゃ楽しかった。その後に続く文章も対比になっていた……はず。
なんでここで対比を使ったかって、ここでもう一度、ふたりが出会うシーンだからです。
・春
この日だけは鶴丸は付喪神なので、人間離れした描写をこころがけました。でも歩いたところに花が散るのはどっかの花の魔術師かよって思った。白いしね!このパートで初めて鶴丸の台詞に「驚き」をいれたのも、彼が付喪神のときの性質に戻っているからです。
この話の大前提として、「春が来たら鶴丸はいなくなる」「獅子王の主は帰って来ない(と誰もが思っている)」というのがあり、この事実はもうどうやったって変えることが出来ません。
獅子王はまたひとり、仲間が逝くのを見送ることになるのでした。
なんという悲劇でしょう! かわいそう!
でもその悲劇の運命を気持ちひとつで変えてみせた奴がいるんですよね!
海の底に沈んだらどうなるか、この話に出てくるどの刀も知らないし、私も知りません。
でもずっと「帰る場所がほしかった」鶴丸が、あえて不確定な道を選んで、獅子王の元を「帰る場所」と定めて、獅子王に必ず帰ると言い残して、獅子王に「必ず帰ってくる者を待つ」という希望を持たせる。
待ち受ける現実は何一つ変わらないのに、両者とも希望が生まれたんですよ。
心があるせいでしんどい現状に置かれていたものたちが、心ひとつで希望を見出すっていうあまりにもドラマティックな展開に眩暈がする。
わかりにくいかなあとは思いつつ、本当にこれ、めちゃくちゃ鶴獅子じゃんと思いながら書きました。
めちゃくちゃ好きだからさ……鶴獅子がさ……。
・余談
おまけでつけてる折鶴は本編の最後で獅子王が受け取ったものです。この内容をどんなものにするかかなり悩んだし、本当は「獅子王が鶴丸に向けて海に流した瓶詰めの手紙」にする案もあった(そのための伏線が浜辺のシーンにある)んですが、そのとき聴いていた曲の影響で底抜けにハッピーエンドになりました。
折るの大変で、頒布しながら折るという自転車操業でした。
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#観劇所感
2018年6月4日、明治座にて「 舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰」を観てまいりました。
この記事を見る方がいるかはわからないけどネタバレあるので注意。
観た後の思ったことをざっくり置いておく用。
なんにも予習しないで行ったので、「不如帰」の読み方さえあやふや。ほととぎすですって。
いかしいや、ほんとに……まだ全然わかりきってない部分たくさん、ほんとうにたくさんあるけど、そういうの全部それでもいいやってくらい圧倒されてしまった。気迫がすごい。
みかづきむねちかやばない? ほんと、ああ、そこまでかって。
前からよく「お前は何を考えているんだ」って言われてて「ほらもー」って思ってたんだけど、やっと見えてきたその在り方がこれかって。
ミュのやつとは同じ三日月の欠けた部分テーマだったけど、すこし違う感じだよね。どっちも好き。
燭との一騎討ちとか、もうはらはらだよ。和睦してってずっと思ってた。
燭切もしんどい立ち位置だったなあ。「刀って何?」っていう。みんな顕現してからの物語もあるもんね。それって「物」語りなのかはわからないけど。
三日月の殺陣はそんなときもどっかりしていてかっこよくて、これが重ねた者の強さかあみたいな。
三日月のこと、強くて頼りになる柱のような刀だと思ってたから、最後のシーンは本当にもう、泣くよ泣いちゃうほととぎす。
すっぽん?から出てきたときの三日月はほんとうに人外だった。異形だった。もうすっごい。
顕現台詞をよく考えてってどういう意味なんだろ。うちのけが多い故三日月。うーん。
小烏丸はほんとにそのままだったね。花道真横の席だったけど、あの人だけ足音しなかった。てか花道真横、刀剣男士の風を受けたのでご利益ありそう。
色々好きなとこあったけど、鵺と呼ばれるさんまわりはやっぱしんどかったね。わかっちゃいたけど獅子王関係なかったし、それでも名前だけ出してくれた小烏丸さまありがとう。
あの中には三日月もあったのかな。
ともあれ、名前をもらってから意識がしゃんとするところが本当に好き。守りたくて頑張って、今立っている場所が、想いが彼にとっての正しさで、守りたいもので。刀剣男士完全に悪役だったよね。大好きな人が死ぬ未来が正しいとか勝手なこと言うんだもん。
殺陣の構えが一瞬三日月っぽかったんだよなあ。どかっと構えるやつ。しんどい。
もう一度観たくなってきちゃった。また後で追記しよ。
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#拙著感想
今まで書いてきたものはどこかしら好きなところがあるんだけど、10冊目に出した『帰路探訪』がすごく気に入っていて、ちょっと気に入りすぎて越えられなくて困ってるので他人行儀に読んでみます。
この本書くときちょうど夏目漱石を読んでてすごくわくわくしてたのでもりもりと意識しました。永日小品の中の猫の墓が好きなんだけど、情景の描写がすごく自然で視界の広がりがスムーズでなめらかで広がりがあってとにかく読みやすい。はやくこれになりたい。
この本、全部で4篇あるんですけど、それぞれひとつの形容詞をすごくすごーくじっくり書いてるんですよ。形容詞とか形容動詞、大事な箇所であればあるほどすごく気を遣います。なぜなら、その意味合いが個人によって少しずつ異なってしまうためたったの一言でその心まで共有するのがひどく難しいからです。だからこそこうやって長くしたんですけど。
前半3つは「風沢そらちゃんは“帰る”ということをどういうことだととらえているのか」に焦点を当てています。そらちゃんは実のところ、物理的に家に戻ること以上の“帰る”ということの意味合いを掴みかねています。
『釦』ではひたすらさむがるそらちゃんを書くのが楽しかったです。この話のテーマは単純で、「暖かい場所としてのかえる場所」です。灰色、場違い、流れて消える景色、そういった単語でなんとなく寂しい感じを出したいなという気持ちがあります。まったく同じ景色を見ても、人によって見えるもの感じることって違うので、そらちゃんの一人称を通して景色を淡々と描写していくことで遠回りでそらちゃんの心情描写をしたいなと考えてました。事実を重ねてものごとを表現するのは完全に夏目漱石に憧れてやりました。できるようになりたい。
それが、セイラちゃんを見た瞬間からがらっと使う単語を暖かくしています。「帰る場所ってあったかいんだな」ということをそらちゃんが感じ、また実際にあったかい=帰ることができたということを最後の一文「ストールはもう必要ない」で表しました。普通に考えたら気温がそんなすぐ変わるはずもないのでそういうことです。
つまり! これは! セイラちゃんちょっとしか出てないのにけっこうセイそらななだよな! だってセイラちゃんがいる場所=あったかい場所=帰る場所って思ったってことはそういうことじゃん!
『花束』は生地の名称を盛り込めたのが楽しかったです。そらちゃんじゃなかったら「サテンのリボン」じゃなくて「つやつやしたリボン」になっていたかもしれない。いや。サテンはさすがにわかるか…。ここのテーマは「帰る場所=決まった場所」です。前半お昼パートでは、お昼=外で活動ということでカフェでのそらちゃんのふるまいとか、グラスに浮かぶ花びらの動きで落ち着かなさを描写しておいて、夕方パートではもう帰る時間ということでまず花びらに落ち着かせて「決まった場所」感を書きました。花はきちんと帰ってるのに私は……というところでまたセイラちゃんに会っちゃう。やっぱセイそらなんだよなこれ。
花を贈るという行為には少なからず「別れ」のニュアンスもあることを織り込んで書きました。一度分かれてもまた会えるのは「決まった場所」があるからという感じだった気がする。なんかそういうのを最後のくだりで書いたんだった気がする。
『傘と雨粒』は、プロットには「雨がめっちゃ降ってる。あんしん」としか書かれていません���した。雑です。前半パートは、そらちゃんの視点で雨を描写することによって「不安感」を書こうとしています。ここでやっとアオリでも使った「私も早く帰らないと。(中略)自分でもよく分かっていないかもしれない」が出てきます。これがメインテーマの半分です。「帰る」ってどういうことだろうって断片的に感じてきても、いまひとつ掴みきれないでいる。そんな不安な感じ。
反対に、セイラにとってのかえる場所ははっきりしています。「大好きなみんながいる場所」です。それは実家かもしれないしドリアカかもしれないしライブ会場かもしれない。彼女は思考がクリアなので、特に難しいことは考えていません。ホームが増えるのは嬉しいなって感じ。
そんなセイラちゃんに出会ってみてやっとこれまで断片的なイメージが繋がってくる。それが最後の一文です。だからこれほんとけっこうしっかりセイそらだと思ってて、たぶんきいちゃんやマリアちゃんだったらこんな風に一緒にドリアカに帰ってないだろうなと思います。
上記三篇は先述の通り形容詞を遠回りして書いてるので、たぶん短くしようと思えば各篇二行で終わります。でもやっぱり事実、事実、事実でまわりから心情描写するのすごく楽しい。
最後の『帰路探訪』は私のよく使う手法(リフレイン構造と勝手に呼んでる)で最初の頃のそらちゃんとは変わったんだよ~という描写をしています。まったく同じ文章を使ったり同じ景色を描きながら、最初はなんとなく暗いイメージの単語を使っていた部分をすっかりさっぱりに置き換えています。綺麗にまとめられて良かったなって思います。
なんかもっと色々思った気がするけど忘れてしまった。もっかい永日小品読んだらまた書けるかな~。
あ、この本は装丁も気に入っていて、石畳に落ちた花、またトレーシングペーパーでその上に流れる水(雨)を表現しています。ボタンも置きたかったけどいい素材がなかったのでナシ。タイトルのアームドレモンもすごくいい。最初からなぜかフォントだけは決めてた。ほんとうは裏表紙にはセイラちゃんのお部屋の花瓶とか、ボタンとリボンでアレンジされた何かを置きたかったんだけど、とても描けそうになかったのでナシ。
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#拙著補足
ミラージュ・ルポルタージュ補足文書
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5月29日「ドッキドキ☆ライブ10」発行(場所を提供いただいた107eさんありがとうございました)の、風沢そらさんと氷上スミレさんが出てくる話の補足というかなんというか。
当作品は別文献からの引用およびオマージュがかなりの比率で含まれているのですが、原典を知らないとかなりわかりにくいのでは?と思い、どの部分が何の引用なのか示すこととしました。細かい解釈なんかは省いていますが、蛇足と思えば破いて捨ててね。
話そのものの大元は本編ドリアのお祭りの、あの一連��会話のみです。
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・P1「こんな夢を見たの」から始まる一連の段落
夏目漱石『夢十夜』の第一夜からとっています。第一夜の特徴と言えばやはり円と円環のモチーフだと思ってるので、あわせて能楽『安達ケ原』に登場する糸車のイメージも拝借しています。
てゆうかこの話、髪の長い女のひとたくさん出てくるんですよね。
・P2「格式ある、荘厳な校門越しに見る空も最後。……」
人形浄瑠璃「曾根崎心中」の道行文冒頭、「この世のなごり、世もなごり。」から。この道行文はものすごい美文だなあと思います。以降、基本的にはこの曾根崎心中の流れをたどっていくこととなります。
・P2「小さな河をいくつも乗り継いでやがて大きな河にたどり着くような」
遠藤周作『深い河』。そのまんま。
・P3「千夜一夜をこえて、二人で」
おなじみのあの歌です。あの歌はソロバージョンの趣がめちゃくちゃ好きです。
・P3「歌は多いというのに、……」
曾根崎心中「歌も多きにあの歌を。時こそあれ今宵しも。歌うは誰そや聞くは我」から。ここすごく好き。
・P5「私を見つけてくれた……選んでくれた……」
おなじみのあの歌です。「歌うようにして紡がれた」と文中で言ってますが、むしろ歌ってるジャーンみたいな。
・P6「いまこの時をもってして、私の魔法は始まったのだ。」
おなじみのあの歌です。信じるときがはじまりのタイミングなんだな。
・P6髪を梳く~切るの一連の流れ
曾根崎心中「いつ迄いふてせんもなし」「いとしかはいと締めて寝し。肌に刃が当てられふかと。……切先は。あつとばかりに喉笛に。」のあたり。原典は首を掻っ切るんですが、こちらでは切るのは髪です。部位こそ違いますが、身体を切るという点に相違はありません。
・P8ドレスたくさん出てくるくだり
すべてDCD上に実在したドレスです。いつもなら魂ともいえるドレスぽいぽい渡さないと思いますが、状況。
・P10「こんな夢を見たの。……」
冒頭同様、夏目漱石『夢十夜』の第一夜から。かなりなぞっていますが、結末は違う方向性に落ち着きました。
・タイトル「ミラージュ・ルポルタージュ」
言語ごちゃごちゃですが、ミラージュは英語で「蜃気楼、幻影、幻覚、妄想」とかその辺、ルポルタージュはフランス語で「報道,報告の意味で,社会事象を忠実に記録,叙述する文学形式あるいは報告記事」らしいです。何が現実で何が幻想かは、結局は見る者の視点によるという感じのタイトルです。森鴎外『舞姫』の流れを多少汲んでいます。
………
あとなんかそのとき読んだ本とか聴いてた歌とかの概念が混ざってる気がする。ド修羅場で書いたからところどころ自分でも記憶が曖昧。いろんな前提がありますが、無粋なので特に明言はしませんでした。ニュアンスでわかるようにはなってる。「矛盾なのでは」と思わせる表記がいくつかあると思いますが、矛盾ではないです(私も気づかないうちに矛盾してるかもしれないけどそれは目をつむってください)。
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