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10月から今までのこと 2022.12.24
あと、1週間で今年も終わる。
いつも通り個人的な感情の記録あるいは整理という意味で、文章を書いてみた。
例によって、とてつもなく暇な方はお付き合いいただけたら幸いです。
10月に今までの人生で最大の怪我を負った。
仕事で記者発表会をすることになっていた朝、会場にあった木製のクソ重たいパーティションを移動させようとしていた。
何人かで動かそうとした瞬間…
痛いと思ったその時には、左手の人差し指の第一関節より上が3分の1ほど無くなっていた。
指を詰めた。
即、救急車で運ばれた。アドレナリンが出過ぎていたのか、不思議と痛みはなかった。
後から知ったことだが、運ばれた大阪市内の病院は指の切断などを専門に扱う、手外科がある病院だった。
先生から左足の親指から組織を移植することである程度人差し指は元に戻るという説明を受けた。
「今日の17時なら手術できる。どうしますか?」と言われた。
正直、迷いようもなかった。それしか選択肢がないように思われた。
病室に入り、慌ただしく入院の手続きや、麻酔のリスクなど説明を受けたが、全く頭に入��なかった。
ベッドに横になりながら窓の外のタワーマンションをぼんやりと見ていた。
その時の天気も覚えていない。晴れていたような気がする。
手術室に入るまでには、家族に電話しないとらいけないな。でも、今日3人でキャンプ行ってるねんな。今、帰りのクルマかなー。電話したらびっくりするやろうななどと思っていた。
全身麻酔が解けるタイミングで、「無事終わりましたよ」と声をかけてもらったように記憶しているが、定かではない。
寒くて、体がガタガタ震えていた。
毛布に包まれたまま病室へ。
首に点滴の管が挿された状態で、頭を動かすこともままならず…
えっ、こんな感じになるの?、えっ、マジで?…と思いたくなる。
そのまま、朝を迎える。
左手も左足も動かない。
ほぼその状況のまま2週間強入院した。トイレにも1人でいけない。お風呂になんか当然入れない。辛うじて、iPadで電子書籍は読むことができたのと、イヤホンで音楽を聴くことはできた。
カフェインは禁止。
コーヒー飲みてーよ。
チョコレートも食べたいやん。
妻から差し入れでもらうどら焼が、楽しみだった。
本を読んで疲れたら、音楽聴きながらぼんやり外を見るという日が続いた。
時折、友人知人からメッセージが届く。
心配してもらえてありがたかった。
ようやくちょっと動けるようになった夜、iPadで金田一君の演劇「回復」をストリーミングで観た。前から観たいと思ってたけど、観れていなかった。
ちょっと泣いた。
めちゃくちゃ不自由な2週間を過ごし、退院した。
全然上手く歩けなかったし、というか少しの間立つこともままならなかった。
手に組織移植した足の親指が、割と深い傷になっていた。
なーんにもできないから、よく眠った。
合間で、音楽を聴いたり、本読んだりした。
uniquadのメンバーが家まで見舞いに来てくれた。嬉しかった。
弱音を吐きたかったが、言えなかった。
少し経って、ちょっとしたことに気がついた。
音楽がとてもクリアに、そして深く響いているような気がする。
そうか。普段は聴いてるつもりでもちゃんと聴けてなかったんやろうな。と思った。
タクシーや車で移動することが増えた。
移動中の景色を眺めていて、同じことを思った。
あっ、こんな景色やったんやと。
移動中の景色を眺めるだけで、なんとなく心が落ち着くという体験も、生まれて初めてだった。
人の話が、今までよりも深く届く気がした。
と、大袈裟に書いたが、要は時間がたくさんあるということだ。
ひょんなことから、そういう景色を見れる場所に来たということ。一時的なものかもしれないが。
何気なし携帯を見ると、東京の金津くんからメッセージが届いていた。
大阪にフラッと行くから、お茶でも行かないか?と。
その段階ではまだ正直出歩く気力はなかったが、また次会えるのがいつになるかわからなかったから会うことにした。
約束の日の数日前に、またメッセージが届いた。
新しいアルバムの曲を数曲送るから、聴いてみてというものだった。
普通に嬉しかった。
早速、音楽データをダウンロードして、聴いた。
窓の外を眺めながら聴いていたら、
気がついた時には涙が流れていた。
突然だが、ここ最近読んでいた東浩紀さんの「ゆるく考える」には、こんな文章が出てくる。
ーー以下引用ーー
現実でがちがちになった合理性は、そんな「たまたま」の力を捕まえることができない。
けれども本当は、世界には「たまたま」が満ちているのだ。
ーー引用終わりーー
「たまたま」の力か…。
10月から3ヶ月はこんな感じで過ぎていった。
年が明けたら、スイッチを入れたように何かが変わるわけではない。
少しずつ、今までの日常に戻っていけるだろうか。
それでも一歩一歩前に進むしかない。
皆さま、来年もよろしくお願いします。
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種子島での極短いサーフトリップについて 2022.09.25
この夏に屋久島に家族旅行で行った。
2010年に妻と金津君と3人で旅行して以来、12年振りだった。
相変わらず素晴らしい自然に癒されて、エネルギーをチャージして帰ることができた。
全世界がコロナ禍に見舞われて久しい。
飛行機に乗るのも、かなり久しぶりだった。
今回の旅行で、僕が密かに楽しみにしていたのは、旅行中に1日だけ日帰りで種子島に高速船で渡るということだった。
しかも、家族はJAXAに見学に行くが、僕だけガイドを頼んで、島でサーフィンをするというオプションも付いていた。
いえーい。
ガイドを頼む際して、島のサーフショップを検索したが、最初に出てきたのは「origin」。
そう。あの映画「Life on the Longboard 」の舞台になったサーフショップである。
故大杉漣さんが主役のその映画は、早期退職をした冴えないサラリーマンが種子島に渡り、サーフィンを通じて人生に彩りを取り戻すという、言わば出来すぎた映画だ。
恥ずかしい話であるが、僕はアマプラでこの映画を2回観ている。
下手くそだけど頑張っている大杉漣さんに、後押しをしてもらいたかったという自己都合な理由なのだ。
まあ、キリがないので、種子島の話に戻る。
屋久島から高速船に乗る前、前が見えないくらいの豪雨だった。
船出るんかな?というくらいの状況。
やっべーと思っていたが、着いた段階での種子島の天気はそこまで悪くはなかった。
レンタカーで、妻にoriginの前まで送ってもらった時には既に雨が降り始めていた。
店の前に停まっていた軽トラに乗っていた人に声かけてもらう。
その日、ガイドをしてもらうローカルサーファーの鎌倉さんだった。
焼けた肌に腰までありそうな長い髪の鎌倉さんは言う。
��平洋側の鉄浜海岸に行きましょう。
僕の極短いサーフトリップが始まった。
軽トラで15分も走ると海岸に着いた。
レンタルボードにワックスを塗り、海に入る。
空は暗い。小雨が降っている。
海に入って、20分くらい経っただろうか。
まだ1本もちゃんと乗れていないが、遠くで雷鳴が…。
あかんやん。
みんな、海から上がり始める。
鎌倉さんも僕も上がる。
雨がどんどん激しくなる。
軽トラの中で雨やどりするしかない。
さすがにちょっと移動しましょうか。と鎌倉さんが切り出し、
少し離れたところにある僕の倉庫に行きましょうか。
ということになった。
海から上がったそのままの格好で軽トラに乗り込み辿り着いたのは、
しばらく放置された海沿いカフェバーのような建物だった。
タオルを借りて、着替える。
土砂降りじゃなかったら、本当に気持ち良いところだろうなぁと。
やみそうもない雨と海を見ながら、これからついてポツポツ話す。
やっぱり今日は諦めましょうかと。
そして、話は変わり。
ここでライブとかやってたら気持ちいいでしょうねと僕が切り出したことをきっかけに、鎌倉さんがone star soundというレゲエのクルーの一員であることがわかった。
レゲエ好きなんですね?と言うと。
「やっぱり島にはレゲエが合うんで」と。
レンタルボード代もガイド代も要らないというので、せめて昼ご飯でもと、西之表の定食屋に向かう。
飯食った後は、家族と合流するまで時間を潰せそうなファミレスまで送ってもらい別れた。
僕はその後、そのファミレスから今日あった出来事を思い返しながら、プラプラと西之表港まで歩いた。
もう雨は上がって、空が見えていた。
なんとも言えない感じにスッとした気持ちだった。
何が気持ち良かったのか?
「やっぱり島にはレゲエが合うんで」というシンプルな言葉の魅力なんだろうなと、気づいたのは大阪に帰ってからだった。
極短いサーフトリップは全く予想と違うところに着地して終わった。
また種子島には行くことになると思う。
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視聴者としての矜持ってなんだ? 2022.08.14
暑い日々が続く。
コロナの感染者も一向に減らないし。
妻から、映画を早送りで観る人たちがいるという話をきいたのは、少し前のことになる。
あらすじだけを把握するようだ。
どうもファスト映画というらしい。
なんで?という気持ちしか持たなかった。
映画ってそういうもんじゃないやろと。
普通に。
ネットで調べてみると、ちゃんとした?違法行為として存在、認知されているようである。
映画の画像を違法に使用して、10分程度であらすじなどを紹介する動画のことを指すらしい。
そして、その需要は増えているらしい。
なんでも、時短であるとか、確実に面白いものだけを観たいということのようだ。
記事を読んで、少しイラッとして、その後ちょっと寂しい気持ちになった。
なんだかなー。
その時はそれだけで、流れていってしまったが、なんか心に変なモヤモヤが残った。
是枝裕和さんという映画監督を知らない人の方が少数派ではないだろうか?
そんなに映画を熱心に観る方ではない僕ですら何作かは観たことがある。
最近あんまり本読めてないなーと、自宅の本棚に目をやると、是枝さんと色んな人の対談が収められた三冊1組の対談集があった。
京都に行く用事があったので、移動中に読もうとその中の一冊を鞄に入れて出かけることにした。
僕が選んだ2冊めの対談集は、ミュージシャンとの対談が多めの本だった。
くるりの岸田さんの次に登場したのは、スガシカオさんである。
その中に以下のようなやり取りがあり、ハッとしたので、引用する。
ーーー以下引用ーーー
是枝
音楽も映画も「メッセージは何?」と訊かれがちだけど、そうではないところの表現ですよね。いまって、‘頑張ってる私が好き!”みたいな���が多いでしょう。情感も空気感もなくて、メッセージしかない歌詞は、そもそも歌詞なのか?と思う。
スガ
(中略)
でも映画や音楽のなかに流れている空気や行間を読めない人、楽しめない人が増えているのは残念ですよね。
ーーー引用終わりーーー
先に書いたファスト映画の話と、この話は地続きである。
むしろこの対談の方が先なので、空気や行間を読めない人、楽しめない人が増えた結果、ファスト映画云々の話になっているような気がする。
みんな時間がないんやろなという感覚。
さらに頭をよぎるのが、コンテンツが多すぎるということ。
本は1年間に約72,000冊出版されるという数字がある。
日本レコード協会のホームページによると、フィジカルを伴う新譜のリリースは、2021年の実績で約10,000枚。
それ以外にも、配信や様々なアプリを通じて色んな曲が配信されている。
そして、YouTubeやTikTokなどの動画、AmazonプライムやNetflixなどなど。
もはや一体どれくらいのコンテンツが提供されているのか、想像もつかない。
こうなってくると、情報処理としてファスト映画のような行為を考え出すやつが出てきてもしょーがないのかもしれない。
賛同はしないが。
突然ではあるが、岸政彦さんの「給水塔」という小説の中で印象に残っているフレーズがあるので、紹介したい。
ーーー以下引用ーーー
文化というものはもともと、やりたい奴から金を取るのが当たり前だったのかもしれない。
自己表現をしたいひとはたくさんいるけど、ひとのそれを聞きたい、見たいというひとはほとんどいない。
ーーー引用終わりーーー
供給過多になってしまったこのご時世で、単純にファック「ファスト映画」だけでは、終われないのがちょっと悔しい。
もう夏も終わる。
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不惑の四十ってなんですか?(あるいはコロナ禍からの回復)
2022.06.05
もやもやしていることは、言語化した方が良い。
と前々から思っている。
ということを言うのも、今もやもやしているからなのだ。
話は変わるが、友人の金田一くんが新しく芝居をやるようです。
タイトルは「回復」。
どうもコロナ以前から傷ついていたようです。
なんかうまく言えないけど、とってもわかるんだよね。と思った。
これからは、��つも通りほんとに個人的な話になります。
よければお付き合い下さいませ。
不惑の四十と言うが、なんだか40年も生きてきてどれも中途半端やなーと思う昨今。
コロナ禍でも前を向いて進んでいる人や、そもそも強い精神で色々なことをやっている人、成し遂げている人を見るたび自分を顧みることになる。
心が強い人はほんとに素晴らしいな。と思う。
で、わたくしは…ということになると、なんだか何にも成してないよなーと思うわけです。(青臭くてほんとすみません。)
で、一念発起して、以前から憧れていたことに手を出してみるも40の手習?な感じなわけで、その世界の奥深さは理解できる反面、残念ながら自分の浅さも浮き彫りになる。
割と深堀していたつもりだった音楽でさえ、現場から遠く離れて長くなり、今となればちょいと詳しいオヤジくらいの感じになっているのが、よくわかる。
2年ほど前からかじり始めたスケボー。早朝のスケボーパークでご一緒させていただくオヤジスケーターの人は、「オッさんの強みは人と比べないこと」とおっしゃる。
頭では理解してもやっぱりもうちょっとええ感じやりたいなとか思ってしまう。
雑念や。
少し話が飛ぶことになるかもしれないが、出張で川崎の新丸子という街のホテルに泊まることになった。
少し飲みたくなって激渋な小料理屋に入った。
74歳の女将さんが、ポロポロと身の上話をしてくれた。
50歳から自分の店を始めて、24年ずっと続けてこれたのは「楽しかった」からだと。
ありきたりな話なのかもしれない。でも、そんなひと言が琴線に触れたのは、金田一くんじゃないんだけど、傷ついているからなのかもしれない。
ほんとは「楽しいから」で、いいのかもしれない。
で、楽しいと思えるということは、なんらか前に進んでい���る状態になっている。あるいはなりつつあるということなんじゃないかなと。
ならば…
話が、行ったり来たりしている。
時折、自分は深く潜りたいのか、いやいや楽しく生きたいだけなのか、よくわからなくなる。
要は、迷いが晴れない。
もやもやする。
でも冷静考えたら、深く潜ることを自ら避けてきてんじゃねえのか?
自分の弱さが見え隠れする。
これこそ、言語化しておくべきだ。と。
次に動くための膨大なエネルギーのことを思うと止まることもできない。
コロナからの回復、と最近よく耳にするようになった。
回復しないといけないのは、コロナショックからだけじゃない。
自分の弱さに、不甲斐なさに痛めつけられた人も、どさくさに紛れて回復すれば良い。
そしたら、また動き出せる。
そうやんな?
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Blog Goes On Vol.12. 2022.04.23
※写真は遼くんのを拝借しています。
2022春。
もうすぐ終わってしまいそうだ…
相変わらず時が経つのはとっても早い。
上の子どもがバスケを始めた。
大阪の地元チーム・エヴェッサを熱心に応援している。
バスケでゴールに向けて切り込んでいくことを「ドライブ」というらしい。
なんかかっこいいじゃないか。
そういえば昔、ドライブという言葉についてなんか書いたよな〜と。
良く使うグルーヴという言葉も出てくるが、2年ほど前にグルーヴという言葉の腹に落ちる説明に出会えたので紹介してみる。
鷲巣功さんの著書「河内音頭」に出てくる一節を以下に引用する。
テンポ、ビートに緊張を維持する
これでこの文章は終わりそうだけど、蛇足で10年前の文章を…
—————————
「ドライブする」と「グルーヴする」. 2012年3月25日
最近読んだ本に「ドライブする」という表現があって、そのことがずっとひっかかっている。
「ドライブする」とは、もちろん車を運転してどっかにいくという意味ではないんやけど。
翼くんのドライブシュートの「ドライブ」の方が近いかもしれん。
たぶん、会話が加速していく、心が駆りてられていく、というのような感じでの使い方なんかなと思っている。
よく耳にする言葉で、「グルーヴ」いうものがある。音楽用語というカテゴリーのようだが。grooveは溝という意味らしく、針がレコードの溝に正しく落ちて鳴っている様から転じて、「グルーヴ感」や「グルーヴがある」なんている言葉が生まれてきたようでる。
「ドライブ」と「グルーヴ」の持つアバウトな感覚、着地点が大きい感覚が似ている気がしてしゃーないなとか意味もなく考えていた。
僕にとってのグルーヴの解釈のひとつとして、「一体感」が挙げられる。なんでかて、1人でグルーヴ感を得ることはほとんどないからである。というか、ないと思う。
「ドライブする」においても、一体感がないと気持ちいいところまで行くための力が働かない。
何かをし始めて最初の頃は、ノリが悪い。グルーヴしない。
脳の内部的には、何かをやりはじめてからでないと脳内の快楽物質は出てこないと、以前本で読んだことがある。
仕事でやる気がしないときも、とにかくやりはじめないといけない。やりはじめると段々気分が乗ってくる。テンポのいいやりとり、PCの動き、グルーヴしてくる。結局、体を動かすことが重要になってくる。
もうひとつ重要な要素があって、それはきっと「信頼」という言葉で表現できるんやと思う。グルーヴするために一緒に何かをやる人間を信頼しないといけない。
「人間の最大の武器は信頼と習慣だ」、伊坂さんの小説「ゴールデンスランバー」の中でこんなセリフが出てくるが。まあ、これは言いたかっただけなんやけど。
信頼できる人間と何かを一緒にやるとグルーヴする。これは、当然なことやねんけど、大事な話やと思っている。
信頼と一体感によって出てくるものがグルーヴ、それにむかっていくことがドライブという風にも考えられるな。
なんかいいやん。
明確ではないけれど、それでいいと思う。
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Blog Goes On Vol.11 2022.02.19
毎日寒い。
年々寒さに弱くなっていく。
冷えるし。
コロナの感染者もめちゃ多いし。
最近、僕自身も濃厚接触者になりました。
もう13年も前になってしまったが、寒ーい時期に仙台に行ったことをふと思い出した。
仙石線に乗って、石巻まで行ったよ。
石ノ森章太郎さんの記念館も。
夜は仙台市内で妻と飲みに行った。
相沢に教えてもらった一軒目の店でお腹いっぱいになった後に、文化横丁のBARに行った。
ラムの種類がめっちゃ多くて、インドのラムとか教えてもらいながら飲んでいた。
INO Hidegumiを教えてもらったのは、このBARでした。
ご機嫌な感じで2人で3杯ずつ飲んで、会計で15,000円だった時は、ちょっと酔いが醒めたで。
その頃に書いた文章です。
どうぞ。
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染み入るもの(ボブ・ディランと色々な関わりにおいて)2009.02.15
今日のようにいい天気で暖かいと春はもうすぐそこまで近づいているように感じます。
先日、妻と仙台へ行った。
旅の目的は、あいまいでちょっと変わっていた。仙台の某コーヒーチェーンで仕事をしている伊坂幸太郎さんに会えないかなという、達成される可能性が極めて低いものだった。
案の定、目的が果たされることは無く・・
出会えたのは伊達政宗公の石像。という結末。
伊坂さんの「アヒルと鴨のコインロッカー」という作品がある。映画化もされている。
年末、ある友人と飲んでいた。彼も、この「アヒルと鴨のコインロッカー」を同時期に見ていたらしく、ボブ・ディランを再確認したとのことだった。彼曰く、ボブ・ディランはまだ健在で、しかも大学教授をしているとのこと。
その話を聞いてから僕もボブ・ディランを聴いてみた。およそ8年ぶりに。ちゃんと聴いてみた。
ふと、大学時代に友人が「LIke a Rolling Stone」を聴いていた時に発した「染み入るな」という言葉が蘇る。
歌が「染み入る」とは一体どういうことなのか。
今、考えるとすごく気になる。
答えは、というか参考資料というべきなのか、意外なところから出てきた。
仙台から帰ってきてから、何故か読み始めた町田康さんの「告白」。
読み終わってから、町田さんの話を聞いてみたくなって、家にある茂木さんと町田さんの対談を読み返してみた。その対談の中で、町田さんは、「魂を荒らす必要がある」と言う。
魂が荒れていると、水が染み込むように音が染み込むと言う。ツルツルしてコーティングされていると弾き返してしまうと。
自分に現状に満足しているとか、自分が好きであるとかいう場合には、「染み込まない」。
荒れていないと染み込まない。
魂が荒れているからボブ・ディランの声が染み入るのか。
染み込んでツルツルになってしまったら、また荒れるまでは染み込まないのか?
僕は、今かかっているカーティス・メイフィールドの「People Get Ready」が「染み入っ」ているということだけは間違いないと思う。
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年初(とも言い難いが)に掲げる目標のようなもの 2022.01.22
2022年になり、早く��1ヶ月が経とうとしている。
僕は2002年から個人的なことをblogに書き続けている。
思えば今年で20年になる。
自分でもよく続いたものだ、と思う。
文章を書くことが嫌いじゃないということなんだろう。
小学校の時に書いた作文が町が発行する文集に掲載され、大人から褒められたことが根元にあるのかもしれないし、それはそんなに大きなことではないのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいいのだけど。
iPhoneのメモには「blogのネタ」というフォルダがあり、本を読んだり生活したりしている中で、ふと気に留まったことをメモとして残している。
そのメモは、やがて良い感じに発酵して一つのお話になることもあるが、ずーっと待機したままのもの少なくない。
まあ、そんなこともどうでもいいのだけど。
突然ですが、今年の僕の目標を紹介します。
音楽に対して真摯であること。
ちょっと思うところあって、最近DAW関係の本を読んでいたら、こんな一文に出会った。
「音楽に対して真摯であれば、それだけでミュージシャンである」と。
普通に感銘を受けた。
いや、かなり感銘を受けた。
そうか、そうやんな。
ここからは、2020年の夏に書いた文章にバトンを繋ぐ。
良い感じに発酵しそうな予感がするのだ。
ミュージシャンは等しくみんな音楽に真摯であると信じているが、
ドラマーで俳優のシシドカフカさんもその一人だと思っている。
2020年夏。
コロナショックで、世の中は大きく変わったと思う。
ライブも今は当然ながら配信が中心になっている。
色々とSNSなどで、オンラインライブの情報が入ってくるが、まだ一回しか視聴したことがない。
その1回というのが、シシドカフカさん率いる「el tempo」のオンラインライブだ。
エルテンポは、シシドさんとアルゼンチン出身の音楽家サンティアゴ・バスケス氏がプロデュースする即興のリズムアンサンブルである。
それは、バスケスさんが考案した「バンドサイン」というメタ言語?を駆使して、奏者に合図を送り、即興で大勢の打楽器(ベース含む)アンサンブルを作り上げるといったものだ。
尊敬する芳垣安洋さんや、はたけやま裕さんをはじめ、著名なドラマー、パーカッショニストが参加している。
配信で観たライブでは、バスケスさんは参加していなかったのだが、代わってシシドさんがみんなにサインを送っていた。
シシドさんはずーっと笑っていた気がする。
僕はずーっと無心で観ていた。
リズムだけで1時間以上なんだけど、終わったときに「こんな表現もあるのか!」
と素直に感動した。
もう少し深く知りたいと思った。
バスケスさんと芳垣さんの対談がネットに掲載されていたので、読んでみた。
その記事には「ハンドサイン」は���薬中毒者のリハビリや刑務所の更生プログラム、発達障害への療法に使われるようにもなったとも書かれていた。
なんかわかる気がする。
一体感とカタルシス。
記事の中に印象的なフレーズがあったので、以下にバスケス氏のコメントを引用する。
ーーー以下引用ーーー
私は「音」が好きなんですよね。何故なら「音」はそこに存在しているだけで美しく、意味があるからです。
ーーー引用終わりーーー
さて、現在に話を戻す。
バスケスさんのこの言葉、まさに音楽に対して真摯と言わず何と言うのだ。
ここまで言えるようになりたいよ。僕は。
さて、2022年の大きなテーマは決まったよねと。
じゃあ、どうやって真摯に向かい合うのか?
それにはプレイヤーとしての向かい合いと、リスナーとしてのそれがあるように思われ。
当然ながら、どちらも長く果てしない道なのだが。
あ、でももうこれ以上書くとグダグダになりそうなので、またにしよかな。
いつもながら収まりが悪いが、頑張りまーす。
ことよろ。
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コロナ禍における創作の現場からお届けしますね 2021.12.13
なんだか本当にあっという間に月日が過ぎてゆく。
11月は晴れの日が多かった。気持ちの良い気候だなと改めて思った。
もう12月の半ばになってしまっている。
今晩は寒い。
久しぶりの人に連絡を取ってみる、という行為が割と好きだと思った。
このパンデミックにあって、オンラインで会う、話すという選択肢が何気に増えている。
思い立��たタイミングで連絡することができる。
今までもできたはずなのに…。
特に用事はなくても全く問題ない。
とりあえずで、十分である。
久しぶりに連絡を取ってみるという行為と同じベクトルなのだが、この夏、長らく読んでいなかった長嶋有さんの小説を買うことにした。
最近はネットで本を買っているが、ポチッとする直前に、ふと長嶋さん最近どんな本出してるのかな〜と頭に浮かんだ。
なぜそれを選んだのか今となっては忘れてしまったが、「愛のようだ」という小説が手元に届いた時は、ちょっと失敗したかも…と思ってしまった。
というのも、帯に「著者史上初の恋愛小説」と書いてあったからだ。
別に恋愛小説を読みたいわけでは全然ないのだ。と。
しかし、そのような気持ちはすぐに消えて無くなった。
恋愛小説言われればそうかもしれないが、やっぱり長嶋さんだなあと思える文章。
もう少し具体的に言うと、「シンプルで丁寧」な文章ということ。
話は変わる。
吉田彩子さん(以下 「さいこさん」という。)と出会ったのは20歳か21歳の時で、もうかれこれ20年近く前のことである。
当時、同級生の絵描きでイラストレーターのゴンちゃんと、たまたま南海の難波駅で会い、個展のフライヤーをもらった。師走の頃だった。
そのフライヤーを頼りに訪れたアメ村「4Fcafe」にその人はいた。
それ以来の付き合いである。
さいこさんには、僕のバンド活動をずっとデザイン面でサポートしてもらっている。
ベースの山くんと共に、大学卒業後活動していた「asgl chop squad」のロゴやフライヤーを手がけてもらっていた。Tシャツを一緒に作ったりもした。
打ち上げで飲みながら色々話もしたし、一緒に自転車に乗りに行ったりもした。
友達のような、姉のような存在でやんす。
さいこさんと、よくつるんでいた頃は長嶋さんの小説も結構読んでいたような気がするのだ。
さいこさんは結婚と共に、横浜に移った。
2009年か、2010年のこと。だったかな?
そんな中でも、2011年には、uniquad のロゴをデザインしてもらった。
そして、ようやく先に話に繋がるのだが、最近2ndアルバムのアートワークをさいこさんにお願いした関係で、久しぶりによくやり取りしている。
やり取りを再開できたのも、ある意味コロナ禍のおかげなのかもしれない。
今年に入ってからの経験の中で、物理的に遠くの人とでも、一緒に創作できるんだとわかったからなのかもしれない。
久しぶりにさいこさんとやり取りして思うことは、長嶋さんの小説を再び読んだ時の感覚に非常に似ていて、「シンプルで丁寧」ということ。
日和っていないところも、相変わらずだと思った。
文字で書くと簡単なのだが、そうとしか言いようがない。
「愛のようだ」に話を戻してみる。
本のあとがきにはこのようにも書いてある。
「長嶋有の書く物語とは、たいがいこのような、名前を持たない気づきの集積でできている。」
ああ、何となくわかるで。と。
2021年も終わる。
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脳内サーフトリップ 2021.08.28
人生3回目のがん検診を終え、コーヒーを飲んでいる。
問診票を書く時に、以前のがん検診はいつ受けたか?を聞かれたが、すぐに思い出せない。
Blogを辿ると、2019年8月のちょうど今頃だったとわかる。なんか得した気分。
明日、40歳になる。
先に言いますが、今回の文章も相当暇な方以外は読まないでくださいね。
サーフトリップ、という言葉の持つ魅力に気づいたのは、本当に最近のこと。
サーフトリップとは、サーフィンを主たる目的に旅をすること。という風に僕は理解している。
旅する先は、1箇所より複数の方が望ましい。
四方を海に囲まれた日本では、当然ながら色んな場所でサーフィンをすることができる。
僕はめちゃくちゃサーフィンが下手くそだけど、サーフトリップをしてみたい。
と小学生の作文のように書いてみた。
「Blue.」というサーフィン雑誌がある。サーフィンを始めてみようというきっかけを与えてくれた雑誌でやんす。
最近発売されたBlue.で、ミュージシャンの東田トモヒロさんとGAKU MC、そしてサポートドラマーのシュウゴさんが、3人で日本各地をライブしながら、サーフィンもするという企画を追う特集があった。
まさに憧れのサーフトリップ、加えて���イブツアーも同時に。
ええやん!と、その記事をじっくり読んでみた。
GAKU MCというと、我々世代では一世を風靡するした「EAST END × YURI」のMCじゃないか。
大変失礼ながら、その後はまーったくどうしてるのか知らなかったが、精力的に音楽活動をしていたようで。しかもサーファーだったとは!
東田トモヒロさんも、最近まで知らなかった。いわゆるシンガーソングライターで、日本中を旅しながら歌っているミュージシャンだ。そして、やはりサーファー。
先に言ってしまうと、僕はこの2人の音楽を聴いてみたが、そんな好きではなかった。すみません。
でも、それは僕の個人的な感覚なので、ここではどうでも良い。
この特集を読んでいると無性に僕もサーフトリップに出かけたくなった。
しかし、時はコロナ禍、サーフトリップはおろか、安居酒屋で瓶ビールを飲むことすら儘ならない。
あかんやん。ならば、空想の旅に出るしかない。
これなら、色んな前提条件をなきものにできる。
ある意味は我々は便利な機能を有している。
トリップには仲間が必要だ。
できれば気を遣わない、そして長い時間を共にしないといけないので、共通の話題があって、お酒も嗜む人が良い。
車の運転も交代できるように免許も持っていて欲しいし…
まあ色々ありますわな。
ということで、20年来の友人であるベースの山くんと旅に出よう。
サーフィンやりたいなーとも言うてたし、うってつけや。
じゃあ、次はどこに行くのか?ということになるのだが、愛知県あたりから始めてみようと思う。
伊良湖という地名は、サーフィンを始めるまで知らなかった。
渥美半島あたり。
そこに行ってみよう。
行ったことがないから、どんな感じかはわからないが、明け方くらいにビーチに到着。
午前中はダラダラ、サーフィンする。
昼ごはん食べて、お腹いっぱいになったら昼寝して。
今日泊まる場所を考えないといけない。
あっ、今回はキャンピングカーではなく、テント泊やねん。
昼寝が終わったら、手頃なキャンプ場を探す。
テントを張ったら、晩御飯の準備をしないといけない。
火を起こしたら、炭火で地元食材を焼いて食べることにする。
お酒の用意も忘れずに!
ダラダラ近況や音楽の話をする。
もう20時には眠くなってるので、早々に就寝。
朝は日の出と共に起床。火をおこし、湯を沸かす。
持ってきた豆を挽いて、ハンドドリップでコーヒーを淹れる。
道の駅で買ったパンを焼き、焚き火で目玉焼きくらいは作ろう��。
これまた道の駅で買っておいた果物、柿がいいかなー、を剥いて食べる。
二杯目のコーヒーを淹れようか?と尋ねると、もうええで、出発しよやと言われる。
テキ��キと片付けをして、次の目的地を目指す。
今は朝の9時だ。
さて、次の目的地は、やはり湘南。
高速のパーキングで昼飯を食って、湘南に着いたら、夕方近くまでサーフィンをする。
今日泊まるところも考えなあかんけど、今日はもうしんどいから、宿に泊まろう。
葉山あたりのビジネスホテルみたいところにチェックインして、風呂に入ったら外に夕食に出る。
地元食材をふんだんに使った小洒落たイタリアンの店や。
ワインとか、割と深酒する。
地元のお客さんともその場限りの話題で盛り上がり、ご機嫌で宿に帰る。
3日めは、二日酔いのためちょっと遅めに起床。
朝から茨城県の太平洋側を目指すことにする。
もうどんな道で行ったらいいのか、土地勘が無くて見当もつかない。
今日はとりあえず、キャンプ地までの移動日としよう。
房総半島ではなく、日立の方を目指してみよう。
キャンプ場も、いっぱいあるやろ。知らんけど。
2泊するのだ。
テントを張ったら、車で近くの温泉で風呂を。
よし、戻って飯食って寝たら、明日は朝から海に行こう!
翌日、1日サーフィンを楽しんで、筋肉痛の状態でテントに。
もう今日はレトルトカレーとビールでええかと、簡単に夕食を済ませて、明日どこに行くか考える。
このまま北上するか、あるいは日本海側に抜けてみるか…
山くんからは、まかすわーと言われる。
悩んだ末、このまま宮城県のポイントを目指すことにする。仙台の方に行こ。
時間は無限。
何でかというと空想のサーブトリップだから。
そして、こんな日々が本当に訪れると信じてる。
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Blog goes on vol.10 2020.07.06
蒸し暑くなってきた。
梅雨の後半か?
ハナレグミのアルバムを聴いていると、カーティスの「people get ready」のカバーが収録されていた。
言わずもがな良い曲なのであるが、そう言えば以前にこの曲のこと調べたことあるなーと思い出した。
5年ほど前の文章ですが、どうぞ!
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「なんとなくええな」で済ませてしまう 2016.10.20
ここ最近すっかり寒くなってしまった。
音楽を聴いていて、歌詞はわからんねんけど、ええなーと思う曲が何曲かある。
カーティス・メイフィールドの「people get ready」という曲もその一つである。
この曲は、公民権運動を題材にした歌であると言われる。
僕は曲のバックグランドを良く理解していない。
ネット上では、歌詞に出てくる「ヨルダン行きの列車」という言葉に言及している。
中東問題にも発展しているのか…?
答えはわからない。
先日、ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランさんの歌に「Like a Rolling Stone」という曲がある。
この曲も、歌詞の意味を気にしたことはないが、ええよなーと思う曲のひとつである。
ウィキペディアによると…
「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、かつて上流階級に属していた女性の転落を描いた部分に見られる反体制的な社会批評性と、「How does it feel?(どんな気持ちだい?)」で始まる意識変革を促すフレーズが相まって、それまでのディランが追求してきたテーマの総決算となっている。
とのこと。
この2曲について、そんなに深く考えたことはただの一度もなかった。
でも、自分の中で、もう長らく普遍的ないい曲として位置付けられている。
何がそうさせるのかな?と考えてみた。
普段なら、多分、音楽の質感と温度なんやろなと結論に至る。
解説を読むと曲のメッセージ性を理解することができるが、やっぱり僕は曲調とか雰囲気と歌詞を別個のものとして捉えているんやな〜と実感。
と、ここまで書いて、この感覚ってなんかに似てるな〜と。
なんか思い出せるかなと思って、少し寝かしてみた。
そうや、前にテレビで見たバンドTシャツの話と似てるんちゃうかと。
バラエティ番組の企画で、街中でバンドTシャツ着てる人に、「それって誰か知ってる?」と尋ねる企画。
ほとんどの人が答えられないという…
しかも、カート・コバーンとかでも「えっ…」みたいな感じになっていた。
チエ・ゲバラ(バンドTシャツちゃうけど)に至っては、チュ・ゲバラなどと言われる始末。
でも、何かをいいなって思う気持ちはきっと���んなもんなんだろうと。
質感と温度。
ええ。もうお判りでしょう。これが、「チュ・ゲバラ」効果ですよ。
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日常風景と溶け合う音楽(ハナレグミ「発光帯」のこと)2021.06.06
延長し続ける緊急事態宣言。
どうなるんかなぁ。
子どもにはゲームばっかりするな、タブレットでYouTubeばっかり見るなと言いまくってるけど、自分も割にInstagramが好きだ。
文章が長い投稿は嫌だけど、ええ感じの写真と短文が良い。
好きなシンガーの1人である武田カオリさんのインスタをこの程フォローした。
投稿を見ていたら、3月末にリリースされたハナレグミの「発光帯」いうアルバムが良いといった投稿がされていた。もちろん短文で。
#最高のアルバムとあった。
そうか武田さんが最高って言うなら聴いてみよう。
早速、Apple Musicで聴いてみた。
すごいよかった。
これはモノを所有しなければ、ということでネットで注文。
限定版でDVDのついてる方を購入。
妻の誕生日が近いので、誕生日プレゼントという体裁にした。
いつもどおり行き当たりばったりである。
DVDには昨年の緊急事態宣言中に、永積さんの部屋で敢行された弾き語りライブの模様は収録されていた。
週末に、家でお酒を飲みながら、妻とそのDVDを観た。
��祝福」というYo-Kingがハナレグミに提供したという曲のところで、妻がポロッと、
「私、この曲めちゃくちゃ好きやねん」と言った。
「究極 孤独 幸福」と「Don’t worry 孤独 No fear 贅沢 Be happy」っていいよねと言う。
妻が音楽のことを熱く話すには、かなり珍しいので、「へー」と思った。
早速、翌日通勤中に「祝福」を聴いてみた。
実は「No fear 贅沢」の意味がスッと入って来なかったのだ。
聴いたけど、あんまり上手く理解できなかった。
だから、ちょっと考えるのをやめて、また「発光帯」を聴いた。
1曲目の「モーニング・ニュース」は本当に素晴らしい。
このコロナ禍に、こんなにプラスのエネルギーに満ちた音楽を作ってくれてありがとう!と言いたくなる曲だ。
バスの窓から見える歩道は、手入れがされていないのかコンクリートの繋ぎ目に雑草が生い茂っている。
話を「No fear 贅沢」に戻す。
妻にLINEで尋ねてみた。
「一般的には孤独=悪いっていうイメージあるから、孤独は悪くないって変なのかなっていう気持ちに対して、孤独は贅沢だ、恐るな!心から楽しめ!みたいなふうに理解している」と返信があった。
そうか。
そういう風に理解していたのか。
バスの窓から見える歩道は、手入れがされていないのかコンクリートの繋ぎ目に雑草が生い茂っている。緑が眩しい。
先日、裏の畑の近くにある金柑の木の葉にいた青虫が、蛹になり、綺麗なアゲハ蝶になって飛び立った。
コンビニでバナナを買ったら、店員のおばちゃんに「このバナナ、美味しいよ〜、オススメ」的なことを言われた。
せやな。この気持ちにも名前はいらんよ。
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Our Friends 2021.03.18
3月1日の朝、空は本当によく晴れている。
気持ちの良い3月のスタートである。
春は「出会いと別れの季節」というのは、もう使い古された言葉ではあるが、その感覚は今も昔も変わらない。例えコロナ禍においても。
東日本の震災のことも、強く思い出される季節でもあって、少し情緒が不安定になる。
このあたり適当な言葉が見当たらないので、とりあえず不安定というが、正確には良い不安定という感じで悪い意味ではない。
もう中年ではあるが、何かが始まるのではないかという期待も少しだけ入り混じる。
上の息子はこの春、小学校4年になる。
1年生の頃からとても仲のよい友達のIくんという子がいて、休み日も家に行ったり、その子がうちに来たりしている。
妻からIくんが、今年のうちに引っ越すことになるらしいと聞いたのは、2月の最後の日曜日だった。
彼の母から聞いたとのこと。当然まだ息子には言っていないと。
息子は多分泣くやろうなと思った。
僕の幼稚園の頃からの友人にYくんという子がいる。
彼は、19歳の春にバイクで事故に遭い、今も意識が戻らない。
遷延性意識障害という状態。
それから10年間くらいは病院に顔を出していた。
ここ10年くらい、ずっと顔を出せていなかった。
ずっと、ほんまにずっと気になっていた。
一旦、顔を出すのを止めると、めちゃくちゃ行きにくくなって、ずっと行けなくなってしまっていた。
この前、嫌な噂を耳にした。
どうしても気になって、Yくんの家に行ってみた。
このままでは、一生後悔しそうな気がしたから。
Yくんのお母さんと話をすることができた。
今は施設に入っていること、コロナで面会がままならないこと、でも元気にしていることを聞いた。
息子の友達が引っ越すことと、オーバーラップした訳ではない。
そうやねん。
Yくんとは幼稚園が一緒で、その後小学校と中学校も一緒だったから、よく遊んだ。
高校で離れたが、定期的に会っていた。
Yくんの父は、確か少年院で絵を教える仕事(確かそうだった)をしていたというのもあったのか、Yくんは絵が上手かった。
音楽も本も漫画も好きだった。
家に遊びに行って、何をしていたのだろうか?
確かずっと2人で黙々と本や漫画を読み、音楽を聴き、たまーに近況などを話していたような気がする。
Iくんが我が家に遊びに来る時も、ずっとゲームをしている。
一緒に遊んでもゲームするだけなら、今ならオンラインでも喋れるんやし、敢えて物理的に一緒に居なくてもいいのに。
などと思ってしまう。
ん?待てよと。
よく考えたら自分もか。
Yくんと遊んでいた時も、別々に漫画読むなら一緒に遊ぶ必要あったんか?みたいな感じになるよなあ。
僕らは一体何を共有していたのか?
息子やIくんは一体何を共有しているのか?
僕は、それを表現できる術を持ち合わせないが、敢えて言語化��ると生温かい何かなのだろう。
それ気づくようになった頃には、もう触れることのできない何かだ。
息子には後悔のないようと思うが、僕ができることは願うこと以外にほとんど何もない。
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Blog Goes On vol.9. 2021.02.16
緊急事態宣言下の大阪。
それでも、1人喫茶店でホッと一息つくことはできる。
(感染対策も忘れずに!)
2021年の2月もとうに半分を過ぎて、
あっという間に春を迎えるんだろう。
この春の手前という時期、嫌いじゃないです。
何かが始まるような気がしてしまう。いつもと同じなのに。
飲食業は、このコロナ禍で大ダメージを受けていると思うが、それでもテイクアウトやネットなどを駆使して、前向きに営業している皆さんに頭が下がる思いです。
僕、昔から喫茶店をやりたいと思っています。
正確にいうとギャラリー的なスペースを併設した喫茶店をしたい。
コーヒーも美味しいのを入れたいので、独学でちまちま頑張っているが、見識は一向に深まる気配はない。なんでや?!
でも、やりたいねん。
ちょうど10年前にこんな文章を書いています。
あと10年経ったら50歳になる。
着実に開店時期が近づいている!
先日、チックコリアさんが死んでしまった。
この文章に出てくるロイ・ハーグローブさんもだいぶ前に死んじゃったよ。
またライブ観たかった。
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喫茶店に見る虚構 2011.02.21
春が近づいたかのような暖かい日が続いたけれど、雨が上がってまた寒い。
喫茶店を経営してみたいと、前々から思っていた。
僕とつるんでいただいている人は、一度ならずそんなぼやきを聞いたいただいているはずである。
あほである。
そんな、机上というか、空想の喫茶店について、思いを巡らせてみよう。
「家賃がかからんところならいいんちゃう」と���は言う。
正論中の正論である。
大阪市内でスペースを借りてやるには、ノウハウが無さすぎる。
そんなに儲けがでるはずもない。
というか、今、仕事やめたら生きてはいけないやん。
50歳で早期退職をしてみた。実家の近くの堺市美原区の畑の真ん中に土地があった。おお、ここええやんということになる。
まず、建物であるが、大きい方がよい。願わくば、ギャラリースペース的なものを併設したい。
内装は、木を主体にして、大きなスピーカーをおいてみる。カウンターも作る。
スピーカーはおそらくJBLのやつやと思われる。
さて・・チラシを作って、売り込みや・・。
「ギャラリー併設の喫茶店です。」
近所の絵画グループの人とか、書道グループの人が貸しギャラリーとして利用する。
そうそう。大阪芸大にも営業にいかんとあかんわ。
PA機材を買うことにしよう。ドラムは自分のをおいておくとして。近所のアマチュアバンドが、週末にライブ会場として利用。あんまり音がうるさくなったらあかんから、ハードロック系は遠慮させてもらうとして。
ほんで、たまにはプロのライブも入れてみる。
多分駐車場いるな・・
メニューについて考えてみる。
やはり、コーヒーは必須やろうと。そして、ビール。これは小瓶でお届けします。ラガーにするか、ハイネケンにするか悩む。この悩みは20年後までおいておくことにしよう。
ほんで、自家製パン。
カレーと。
メニューは、
ブレンドコーヒー
自家製パン
ビール
カレー
ということになる。男前やなと。
プラスアルファで、うちにある本を古本として売ったりすることにしてみる。
壁一面を本棚という感じにしてもらって、本を持ってくる。一冊一冊に値段をつけるのはめんどくさいので、「値段については、スタッフにおたずねください」と張っておく。
ほんで、たまに作家のトークイベントを開催してみる。
いしいしんじさんとかを呼んでみる。
そして、おそらく断られる・・
ついでに近くでとれた野菜なんかもおいてみたりする。
平日とかはおそらく死ぬほど暇なので、本を読んで思索にふけり難しい顔をしてみたり、味もわからんのにコーヒーの勉強をしたり、たまにドラムたたいてみたりしながら過ごす。
カレーの仕込みもしなあかん。パンもこねなあかん。
あかん。まあまあやることあるやん。
経営が軌道にのると、調子に乗って、ジャズミュージシャンとかを招聘してみる。
2031年、大御所トランぺッター、ロイ・ハーグローブ来日。公演はなぜか、大阪は堺市の喫茶店!!
あかん!ロイハーグローブのチケット取りにいかな!
こんなしょーもないことをしている場合ではなかった!
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Blog Goes On vol.8 2020.12.19
急に寒くなった。
コロナ感染拡大、止まりません…
なんか最近昔のことを思い出すことが多い。
京都に行きたいな〜
京都でダラダラ飲みたいな〜
今となれば、なかなか実現しないことだが、
思うことは自由やん。
京都に関しては、以前から色々と書いてますが、
今回はこんな文章いかがですか?
例によって死ぬほど暇な方向けです。
悪しからず。
ーーーーーーー
ある一日 2016.07.24
「ポケモンGO」が日本で配信されている。
僕は夏休みと称して京都に遊びに行っていた。
とても暑い日だった。
ダリ展を見に行くつもりで京阪に乗ったのだけれど、車中で眠ってしまい、気がつけば出町柳まで行ってしまっていた。
急がんし、まあいいかと改札を出て、岡崎公園まで歩くかバス乗るかどうしよっかな〜と考えながらあてもなく、腹へったなーとプラプラ歩いていた。
僕の前を、「ピカチュウ」と書かれた刺繍のあるキャップを被った女性が歩いていた。
その女性は、このクソ暑い中、でかい荷物を2つも持っていた。
その荷物はどう考えても、1人で持つ量をオーバーしているように思われ、歩行もままならないといっても言いすぎていないような感じだった。
最初は通り過ぎたものの、見てられなくなり、「大学までの持ちましょうか?」と声をかけた。京大の学生だろうと思い込んでいた。
急に声をかけたけれど、怪しまれている様子はなく、感謝された。
僕は荷物のうち一つを持ち、その女性と並んで歩いた。
どうやら大学生ではないこと、月に1回出町柳の鴨川デルタ(川が合流するとこね)でピクニックのイベント主催していること、今日がその日なので荷物を持って集合場所に向かっていることがわかった。
「よかったらピクニックに来てください 夕方までやってます」と誘ってもらいつつも、ダリ展���行くからと一旦断り、「見終わってから時間があれば覗きます」と行って別れ��。
結果的には、数時間後、そのピクニックにお邪魔した。
その場所には、お茶をされている女性やデザイナーの男性から女子中学生まで色んな年代の人々が集っていた。
図らずも、お茶をご馳走になってしまった。
ありがとうございます。
大して長い間いなかったけど、すごく心がほぐれたというか、そんな感じになった。
なんというか、SNSとかに関係なく出会う時は出会うし、そんなもんなんやなと思った。
やっぱり現場重視よね。
今日だけに関わらず、小さい色んな偶然が重なって今ここにいてるんやろうなということを、噛み締めざるを得ない。そんな1日だった。
「袖触れ合うも他生の縁」というが、そういうことなんでしょう。
7月、京都にて。
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コロナ禍と表現活動に関する考察(よっちゃんの言葉と小林賢太郎引退)2020.12.02
師走。
2020年も終わりに近づいている。
今年はコロナウイルスの感染症の蔓延という、誰もが今まで経験したことのない事態が起きた。そして今も続いている。
4月、5月は緊急事態宣言が発出された。
僕も多くの人と同じく、色々なことを自粛した。
その時思ったのは、人はちょっとした日常の物事を制限されるだけで弱ってしまうものなんだなということ。
思っている以上に自分は弱い。
ずっと気分が晴れなかった。
後に緊急事態宣言は解除されたが、気がつけば音楽をはじめ表現の現場がとてつもなく遠くなってしまったことを感じた。
アーティストやその関係者は、それでも活動を続けるべくオンライン配信などの手法で表現を���けている。
9月に開催された「山形ビエンナーレ」で単独ライブを敢行したEGO-WRAPPIN‘の中納良恵さんはイベントのホームページにこんなメッセージを残している。
ーー以下引用ーー
当たり前や
いつかや
絶対
はないことに
気づかされる毎日
今、やれることをやる
自分にできること
自分がやるべきこと
人の心を豊かにする
創造や表現を
肌で感じるために
未来へつなげるために
中納良恵(EGO-WRAPPIN’)
ーー引用終わりーー
簡単に表現をやめるわけにはいかないのだ。
という矜持を感じた。
だから続けるのだ。
コロナだから表現をやめるわけではない。
今だからこそできることをやろうとしている。
厳しい環境でも活動を続ける方々に心から敬意を表したい。
話は打って変わるが、この文章書き始める直前に、Twitterで小林賢太郎さんが表舞台での活動から引退することが12/1に表明されたと知った。
『肩書から「パフォーマー」はずしました。』と題されたその文章には、足を悪くしてステージパフォーマンスに支障が出てきたことをきっかけに、色々考えた結果、引退を決めたと書いてあった。
最後の舞台となるだった「ガジャラ第5回公演」はコロナで中止なったまま、引退することになったようだ。
引き続き執筆などでは活動されるようだが、残念でならない。
小林さんにとっては、コロナは関係なく、前から予定していた時期に活動を終えた。
コロナだけど表現を続ける。
コロナに関係なく引退を決意する。
一見関係がありそうで無さそうな事柄を眺めていたら、
1つ気づいたことがある。
月並みだが、結局のところ表現活動は続いていくのだ、ということ。
もう一つ思ったのは、なんで小林さんの公演を観に行かなかったのか悔やまれる、
ということ。残念過ぎる。
後悔してしょうがないが、悲しい気持ちは簡単にはなくならないだろう。
今後の小林さんの活動を心から応援しつつ、僕も頑張ろうと思う。
2020年12月
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あるコーヒー焙煎人の話 2020.10.13
2020年の秋は進んでいる。
コーヒー焙煎人の中川ワニさんのことを知ったのは、高校1年生の時だった。
当時、ファッション誌の「smart」でオシャレな人の部屋紹介みたいな特集記事があった。
今でも覚えているのだが、その雑誌の表紙はいしだ壱成さんだった。
ええ。そうだったよ。
ミュージシャンや服屋さんとかの部屋が紹介されている中に中川さんの部屋もあった。
当時のワニさんの肩書きは絵描きでコーヒー焙煎人だったような気がする。
(確か)古いアパートの一室には、ジャズのレコードが沢山あり、さらに焙煎機、絵などがあり、当時の僕はこれこそ憧れの部屋やん!将来はこんな感じがいいねん!などと思っていた。ほんとに。
そうこうしているうちに、大学生になった。
当時付き合っていた子に中川ワニ珈琲の豆をもらった。
なんでくれたのかはわからない。
でも、ほんとに申し訳ないが、コーヒーミルもなかったし淹れることもなく、そのままダメにしてしまった。
今でも忘れられない。
その後は、ワニさんと関わることもなく、長い時間が経った。
2015年、今から5年以上前に思い立って、珈琲サイフォン社が主催するセミナーに参加した。
珈琲サイフォン社がある巣鴨で2日間という日程のセミナーだった。
河野社長や金澤珈琲の金澤さんに、色々と教えてもらうことができた。
そのセミナーに僕と同じく大阪から参加していたTさんと知り合いになった。
インスタでTさんと繋がっていたら、Tさんのフォロワーの中に中川ワニさんがいた。
あっ、あの中川ワニさんや!
久しぶりにワニさんのことを思い出した。
ワニさんのインスタは、CDのジャケットの写真とともに、そのCDの所感と日々の生活が備忘録的に、あるいは散文的に書かれていた。
今はこんな感じで音楽を聴いてはるんやな〜と眺めていた。
そんなこんなで、なんやかんやしてたらまた時も過ぎていきますわね。
2019年の春頃、僕の所属するバンドでアルバムをリリースするかもみたいな話になった。
マスタリングも出来上がっていなかったけど、ワニさんのCDの帯の文章を書いて欲しいなと思い、酔った勢いもあり、インスタのDMでメッセージを送ってみた。
帯の文章を書いてもらえませんか?と。
非常に失礼な話だったのに、ワニさんはとても真摯に対応してくださった。
せっかくの話なので、ラフミックスを聴いてからでもいいですか?と。
僕みたいな奴からのメッセージにもちゃんと対応してくれて嬉しかった。
返事が来ただけでとても嬉しかった。
しかし、だがしかしである。アルバムは、思うように仕上がらず、2年経った今のお蔵入りしたままである。
出来上がりが遅くなっている旨、ワニさんに連絡したら、ゆっくり良いものを作ってくださいと言ってくれた。
中途半端なことをしたのに、本当に温かい人だと思った。
と同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そんな時、中川ワニ珈琲をまだ飲んだことがないんだと気づいた。
(何てことだ)
インスタのDMからください送ってもよかったんやけど、そもそも正規ルートはどうなっているのだろうと調べてみた。
インターネットで中川ワニコーヒーと調べてみると、中川ワニさんの奥さんが管理しているFacebookのページに行き当たった。
そのページに載っていたGmailのアドレスにメールを送ってみた。
豆200gくださいと。
それから何度か豆を買っている。
いつも豆が届くのを妻共々楽しみにしている。
話は変わるが、大阪に中川和彦さん(同じ中川さん!)という方が経営されている「スタンダードブックストア」という本屋がある。
2018年にアメ村で営業していたお店をたたんで、今は天王寺で営業されている。
天王寺の店舗を開店するにあたってクラウドファンディングをしていた。
僕は好きな本屋さんだったので、少しでもサポートできればと、僅かながら寄付した。
ある日曜日の朝、ふとスタンダードブックストアのことが気になり、というのもコロナで開店を延期していたからなんだけど、どうしてるのかなーとネットで検索してみた。
お!もうやってるやん!
ということで、早速行ってみた。
結果から先に言うと、新しくなったスタンダードブックストアで、僕は中川ワニさんの本を買ったのだ。
ナカガワワニジャズブックという、小さな絵本のような装丁のその本は、ワニさんの、何というかジャズ対する思いというか愛というか、姿勢というか、そういったものが沢山詰まった素晴らしい本だった。
今はレコードは聴いていないこと、CDショップで現代ジャズを中心に良盤を探していることなどを知った。
すっと読み進めていける文章が素敵だった。
僕は思った。「うわ、なんてすごい人にアルバムの帯の文章を頼んでしまったんだ」と。
40歳を目前にした若気の至りとは、このことである。
恥ずかしい。
これからもワニさんの焙煎したコーヒーを楽しみにしながら、ジャズブックに載っているCDをちょっとずつ聴いていきたい。
できることなら、会って話を聞いてみたい。
それは、今いる場所から遠く離れていることように思われるが、実は地続きでもあるんじゃないか。
そう思うことにしたコロナ禍の秋。
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反戦の日に考えたこと 2020.08.17
終戦の日。
よく晴れた暑すぎる休日。
散髪と買い物に行きたくて、車のエンジンをかけた。
「今日は終戦記念日です」と感情のない声で、車のナビが言う。
半年くらい前に車を乗り替えたのだけど、今回のナビは毎日、「今日は○○の日です」と教えてくれる。
365日全てが何らかの日になっているのだから、よく考えるたらすごいやん。
近所の駅まで行き、美容室に入る。
自分としては人生初なのだが、同じ美容師さんに月1で髪を切ってもらうということを続けている。
いつも音楽を中心として、色々な話をする。
これまた珍しいが、人生二度目のパーマをあることにした。
パーマが定着するのを待っていると、オーナーの女性から話しかけられる。
今日は終戦の日ですね。
私は当時8歳でした。
この辺りも空襲があってね。と。
今日は終戦の日ですねと、話しかけられたことがあまり記憶にない。
そして、その声かけは驚くほど自然だった。
その時、引っかかったのはその「自然さ」だった。
8月6日は「広島に原爆が投下された日」である。
ネットで読んでいた中國新聞の記事にはこう書いてあった。
トランプ政権は小型の核兵器の配備などを進め、核軍縮の道のりが遠いのいている。
被曝者団体は高齢化のため存続の危機に晒されている。
また、別の記事では、体験の語り手が減って来ている。
語り手を引き継ぐ者が必要であると。
散髪が終わった後、電車で天下茶屋へ移動し、お気に入りの喫茶店で
���い物前の腹ごしらえしようと、ピザトーストとコーヒーを頼んだ。
そこで、少しボーッとしていたら、先ほどの体験と新聞記事がなんとなく繋がり始めた。
語り手がいなくなるならば、それを引き継いでいくしかないわけなんだけど、きっと次の世代に語り手は、今日の美容室のオーナーのように自然に語り始めることはできないんだろうなと。
もうここまできたら単なる妄想でしかないが、その感覚が世界から消えることを、みんなは危惧しているのではないだろうか?
活字や動画では辿り着けない風景がある。
今のコロナ禍も、僕たちが語り継ぐことがあるのだろうか?
などど考えながら。
その後、頭をよぎったのは、なぜホットコーヒーとアイスコーヒー値段が違うのか?
これはすぐにわかったで。
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