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日生劇場『フランケンシュタイン』 舞台感想
2/3に行われた大阪公演にて心を奪われ、記憶が薄れないうちにと書きなぐったもの。要所要所にネタバレが含まれるため、これから観に行くことが決定している人は見ないことをお勧めする。 何の情報がなくとも十分に楽しめ、そして充実するに違いないからだ。
雷鳴が鳴り響く。それは何か恐ろしいことが起こる前触れのような、それを警告しているような……低く轟く音だった。 青年は゛それ“を抱えて少しの距離を歩く。幸い彼が居るのは重く荘厳な――朽ちた屋敷だ。雷が彼を撃つことも伴う雨が体温を奪うことも、ぬかるんだ土が足を取ることもない。 質量のある゛それ“を鉄の台に横たえる。丁寧に、しかしいくらか粗雑に。 窓から差し込む雷光が室内を照らす。゛それ“は人のように見えた。 青白い肌。幾筋もの縫い目が体中を走り、何よりも首元の赤黒く痛々しい新鮮な傷跡が、゛それ“は死人だと告げていた。 ゛それ“を台の��に上げると、青年は祈るように同じ言葉を掛け続ける。 「頼む、お願いだ……目を覚ませ……!」 「目を覚ましてくれ、アンリ!」 部屋の外からは執拗にドアを叩く音と青年の名を呼ぶ声が聞こえてくる。それさえも煩わしく、彼は怒鳴りながら゛それ“の側を離れた。
――雷鳴が鳴り響く。光の柱が地上へと落ちる。 「アア゛……ッ! ァアア゛ア゛ア゛ア゛、アア゛ア゛アアァァァ゛アアア゛ア゛ア゛ア゛!!」 雷は木々を引き裂き大地を駆け、その周囲を炎の海と化す。電流の収束体であり、火の箱舟であり、それはまさしくプロメテウスが人に与えたもうた原初の火ともいえるような、エネルギーの塊である。 そしてその力は、生命なき゛もの“に力を与えたもうた。 「ア、ガッ……。アア゛……」 冷たい四肢が動きだす。閉ざされた瞼はこじあけられ、うつろな光がその瞳に宿る。過剰なエネルギーにより痙攣した筋肉はしなやかさを与えられず、゛それ“は床へべちゃりと落ちた。 足掻く。腕を振り上げ、足を延ばし、頭を振り乱しながら鉄の台へ這い上がる。その手は何かを掴もうとするかのように、空を切った。
かくして、名もなき屍人は動き出した。
◇美しき友情はやがて、哀しき復讐へと変わる――。
小タイトルのキャッチフレーズの通り描かれる「ミュージカル フランケンシュタイン」。 あまりにもその舞台が素晴らしかったのでこれは語らざるを得ない! と記事を書くことに。
題材はそのまま、有名な小説「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」。人類創造を夢見た科学者ビクター・フランケンシュタインと、彼が生み出した醜い怪物の物語である。 斬新な物語解釈を元に新たに創造されたこの舞台のあらすじは以下の通りである。
19世紀ヨーロッパ。科学者ビクター・フランケンシュタインは戦場でアンリ・デュプレの命を救ったことで、二人は固い友情で結ばれた。“生命創造”に挑むビクターに感銘を受けたアンリは研究を手伝うが、殺人事件に巻き込まれたビクターを救うため、無実の罪で命を落としてしまう。ビクターはアンリを生き返らせようと、アンリの亡き骸に今こそ自らの研究の成果を注ぎ込む。しかし誕生したのは、アンリの記憶を失った“怪物”だった。そして“怪物”は自らのおぞましい姿を恨み、ビクターに復讐を誓うのだった…。
――日生劇場『フランケンシュタイン』 より
◇物語について:第一幕
第一幕は主人公のビクター・フランケンシュタインとその親友となるアンリ・デュプレが出会い、ビクターの手によってアンリが怪物へと作り替えられてしまうところまでを描いている。 ここまでは公式で明かされているあらすじの内容だが、さらに深く踏み込んで紹介すると、
天才と呼ばれるビクターの過去と苦悩、研究にかける情熱の源。 他人の命を救うことに躊躇いの無い一方で、生きる意味を失っていたアンリ。
この二人の行動や理念を深く描き、友情・情熱・夢といったいわゆる「人としての光の部分」を映している。
ビクターは幼少時からその天才性を発揮し、しかしそれによる経験によって人に理解されず嫌悪される対象となっていた。 唯一寄り添ってくれたのは彼の実姉であるエレン彼の執事として付き従うルンゲ、そして何も言わずとも彼に理解を示してくれた同じ年頃のジュリアのみだった。 アンリは若いながらも優秀な医師として「死体の再利用」における研究を行っていたが、神への冒涜を恐れ研究から手を引く。 その後軍医として戦場で駆けるも、戦争によって無為に失われていく命、それを救う事の出来ない自分自身へのやるせなさを抱えていた。 二人は戦場で出会い、そしてビクターの元で「死体の再利用」における研究を行っていく。はじめは考えが対立していた二人だが、やがてビクターの情熱にアンリは心を揺さぶられ、研究を自らの意志で手伝うようになった。
そして悲劇は起こる。 「新鮮な死体が手に入ったら連絡してほしい」、葬儀屋にそう交渉したルンゲは後に己の発言を後悔する。報酬目当てで殺人が起こったのだ。 その事実にかっとなったビクターが葬儀屋を手にかけ、アンリは「今彼を失うわけにはいかない」と全ての罪を被って処刑台へと立った。
「すべてを捨てても君の 夢の中で生きられるなら」
アンリはビクターと出会ったことによって自身も持つことになった同じ夢を、彼に託して断頭台へと立つ。 その首を持ち帰りもう一度アンリが目を覚ますことを夢見たビクターは今までの技術の全てを注ぎ、生命を誕生させる。 けれどそれはアンリの記憶を持たない、欠片のような理性しか持たぬ怪物だった。
第一幕の魅力はなんといっても「夢にまい進する若者の友情」である。たとえ周囲の誰に理解されなくとも同じ夢を追いかけてくれる友がいるだけで、前へ進んでいける。その根底にどんな悲しみややるせない思いがあったとしても、前を向くことが出来る。その真っすぐさだと思う。 しかし後半ではその友情がもたらした悲劇か否か、親友と同じ顔の怪物が誕生し転がり落ちるような悲劇が生まれていく。 怪物がビクターの屋敷を後にする前にビクターは彼を銃殺しようとするが、銃弾は彼を捉えはしても殺すことはできず結果として取り逃がしてしまう。
「これは僕の罪だ 地獄へ落ちろアンリ!」
たしかこのような歌詞だったと思われるが、このフレーズがなんとも悲しく、そしてやるせない。 このフレーズ、ニュアンスとしては恐らく「怪物」と書いて「アンリ」と読むのだと思われる。アンリではないことを理解していても、それを呼ぶ名前をビクターは唯一の親友であった名前でしか知らない。だからこそ彼に「地獄へ落ちろ」と言う。 または見方を変えると、怪物へ「地獄へ落ちろ」と言い、親友であった「アンリ」へ呼びかけているとも取れるかもしれない。 冒頭から魅力たっぷりで、一瞬たりとも目を離すことができない第一幕だ。
◇物語について:第二幕
第二幕はビクターが怪物を創造し、三年が経った頃。 世にはなってしまった怪物を恐れてか責任を感じてか探し続けても怪物は見つからない。そのことに疲弊するビクターを妻となったジュリアが寄り添い続ける。 そこにジュリアの実父であるステファンが行方不明になったという知らせが入る。 嫌な予感を覚えたアンリは全力を挙げて森の中を捜索するが、その時に彼が生み出した怪物と再会を果たす。
彼は語り出す。彼が今までどう生き延びてきたのかを、何を見てきたのかを、何を感じてきたのかを。そうして、何の為に戻ってきたのかを。
追ってから逃げ続けた怪物は、やがて熊に襲われていた女性を助ける。しかしその女性の主人、闘技場の女主人であるエヴァに目を付けられ、金稼ぎの材料として闘技場へと連れていかれる。 欠片ほどしかなくとも理性をもった怪物は、殺すか殺されるかの対戦において相手を殺すことはしなかった。怪物を調教しなおすべく闘技場の主人であるジャックに痛めつけられるも、助けた女性・闘技場の下女カトリーヌと夢を語り合い、地獄のような環境の中彼女だけに信頼を向ける。 しかし人間に絶望しながらも「人として生きたい」と願うカトリーヌは「自由にしてやる」という言葉に乗せられ、闘技場を奪わんと狙うフェルナンドから薬を受け取り怪物へと盛るのだった。
「そんな目で見るな、化け物!!」
信頼を寄せていたカトリーヌにも裏切られ、彼の中に残ったのは人間への絶望と怒り、そして自信を作り出した創造主たるビクターへの憎悪だった。 ビクターの元へ戻った怪物はステファンを殺し、エレンに罪をかぶせ、ジュリアを殺害しビクターに絶望を突きつける。 そうして「殺したければ北極へ来い」と言い残し、再び姿を消した。
やがて二人は怪物の宣言通り、北極で出会う事となる。
第二幕は第一幕とは正反対となる「人の闇の部分」が濃く描かれている。 私��私欲にまみれ、そのために使えるものはなんだって使うという、多くの人間が持つ側面を前面に押し出されている。怪物がビクターに対して「傲慢で自分勝手な奴だ」と罵るシーンを見ると、第一幕の見方もまた少し違って見えてくるようだ。 また第二幕では怪物をどうにかすることに執心していたビクターが、エレンとジュリアを失うことによって第一幕では明らかにされなかった「確かに彼が愛されていた」シーンが展開する。ビクターが記憶の奥底に沈めていたその過去が展開されることによって、彼からひとつひとつ支えが失われていくことが絶妙に表現されていた。 怪物はビクターに絶望を突きつけながらも、決して絶望に打ちひしがれていく姿を笑うことはなかった。そのことが、彼がけだもののような化け物でないことの証明のように感じられた。 どうしようもない悲劇に心が掴まれたまま、離れない第二幕だ。
◇総合的な魅力
つらつらと物語について語ってきたが、正直今までの部分は読まなくても支障はない。この舞台において何が一番魅力的だったかというと、「キャスト陣の熱量」の一言に尽きる。 実力のある役者揃いなのもあるが、演出、演奏、音響や照明などの合わせ方がまたより一層この舞台が持ち合わせる熱量を増幅させていた。 今回私は一番舞台を見渡しやすい後方席にいたのだが、正直いってかなり後悔した。もうすこし前方で味わってみたかったと。 後方にいたとしてもビリビリと伝わってくる熱量はすさまじく、それをもっと近くで、全身で感じたいと思ったほどだ。
キャスト陣もパンフレット等で語っていらっしゃる通り、このミュージカルの歌は非常に高低差が激しい。固い決意を低音で重々しく、燃え上がるような激情を高音で高らかに歌い上げるのである。 低音から一気に高音へと駆け上がっていくエネルギーはなんとも凄まじく、通常のミュージカルでは味わえない感覚だ。
元々は韓国で行われたミュージカルが日本へ上陸した形となったものだからか、観劇には多くの韓国人と思われるお客さんも入っていた。 観劇した際に「韓国のキャストさんでの舞台も見てみたい!」と思えたので、同じように「日本のキャストでの舞台も見てみたい!」という気持ちで来られた方だったのだろうかと予測している。それほどまでに魅了される脚本と演出であった。
よく「見ないと損をする」、と良作には言われる。が、私はこの作品に関してはそういったことはないと思う。 ただ、「見るととても得をする」。損をすることは無くても得をすることしかないので、チケットが取れるようであればぜひ観てほしい、というのが私感だ。
もの悲しい物語であるのに、舞台に関わる全ての方々の情熱のおかげで元気の出てくる、不思議で大変魅力的な舞台だった。 この舞台に関わる全ての方々��感謝を。
一つ、観劇し終わって何度反芻しても私の中で答えの見つからないシーンがある。 それは怪物が北極へいく途中、森の中で少年にある物語を聞かせるシーンだ。 彼はその時、何を想っていたのか。彼は何者だったのか。その答えが詰まったシーンのように感じられたが、答えが見つからないまま今に至る。 どうかこれから観る方々の中では答えが見つかりますよう。
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