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バストリオ『ストレンジャーたち/野性の日々』アフタートーク
2019年12月7日 @原宿・VACANT ゲスト 山下澄人(小説家) × 今野裕一郎
山下 やっぱりその、世界と、一致しない...なんていうかな、一致しなさというか、世界っていうのはあるわけじゃないですか、あるかないかは別にして、私たちより先にあるものっていうか、そこに生まれてきて、ほんでそこに合わせていくわけで、いろんなことを。で、なんていうのかな...これはいつくらいとかっていうのはちょっとよくわからないんですけど、ある時までは、その世界にフィットさせていくっていうことが、結構スムーズに行われてた気がするんですよね、ある時代までというか。それが、気がつくと、すごいそのことに違和感があって、で、今日すごい久しぶりに表参道とか歩いたけど、何ていうかすごい奇妙な格好になってきてるよね
今野 うん、本番前は僕も歩いてたんですけど
山下 奇妙っていうのは、要するに、断絶されてる感じ、あれが発展してこうなってんなっていうんじゃなくて、なんかそのこととやっぱりすごい繋がってて、だから、三人がバンドの人が音楽やるよね
今野 はい
山下 音楽がかかるとホッとするのは、音楽って、やっぱりどんなに乱暴に見える人でもギターを練習してるわけでしょ(笑)すごいロックとかさ、パンクとかっていってさ、バーンってやる人でもちゃんとコード��押さえるやん。てことはあれは音楽に自分を合わせていくってことでしょ。一応ね、その上で何かをする、だから、音楽の方が、ホッとするんやって(笑)
今野 なんかあれっすよね、一回段階が挟まってるというか、一回何かに合わせていくみたいなところの何かを持ってるみたいなことですよね
山下 今野くんって何勉強してきた人?(笑)
今野 いや、何勉強してきたんやろ(笑)
山下 なんかあるやん、音楽やる人はさ、音楽勉強してきたわけでしょ
今野 あー僕全然ギターも弾けへんし
山下 でも何かはやってきたわけでしょ
今野 何やってきたかな
山下 なんかほら別になんでもええねんけどさ、絵とかさ
今野 絵も全然描けへんすね
山下 映画とかさ
今野 あ、映画はうん、ドキュメンタリーの映画は、やってました大学の時に、佐藤真さんって新潟の方で3年くらい暮らして、水俣病患者の人たちを撮った人、その人が、唯一ちょっとそういう勉強というか、会ったな、出会ったなっていう感じで
山下 だからさ何が言いたいのかというとさ、例えばさバストリオが、あと10年とか20年とかやるとするじゃん、そうすっとさ、そういう若い人が見にきて、僕らもやりたいってなった時にまさか教えないよね?(笑)
今野 教えれない
山下 っていうのはさ、要するにさ教えるっていうことはさ、積み重ねやったりさ
今野 うんうんそうなんですよね、わかります
山下 要するにあるわけじゃん、だから教えれるわけじゃん、だけどこれ教えられないよね
今野 うん、全然教えられない
山下 だから、それがすごい、あ、これが今なんやなって思いと、ちょっと怖い気もするよね。なんていうの、俺だってそうであんな小説書いといて何抜かしとんねんって話で、なんていうんかな、伝えていくとか、受け渡していくっていう時に、易々と言葉にできるものがもうなくて(笑)
今野 全然ない、いやほんまないんですよ
山下 だから岸田戯曲賞とか取れないじゃん(笑)
今野 絶対取れないし
(会場笑)
今野 いや絶対とれへんし(笑)
山下 とりたかったことある?
今野 いや全然ないです
山下 ないよね
今野 演劇の人は見に来なくなるような印象あるんですよね、演劇じゃないとか、ていうかもう何でもないからみんななんて言ったらいいかようわからんへん、みたいな
山下 いやそこはすごい親近感ある
今野 ああ
山下 俺は芥川賞取ってもうたけど
今野 いや取ってるじゃないですか
(会場笑)
山下 そこが小説はインチキくさいとこで、どう書いたって小説って誰かが言えば、それは小説として人に
今野 ああ、そうか違いますね、そうか小説ってそうなんか
山下 そう、だからなんか一見小説の方が不自由度が高い気がするけど、あれ意外となんでもありなんよね、固まった文章を書けば小説なんねん
(会場笑)
今野 なるんすね、、そうっすよね、そうかそれ結構でかいな
山下 そう、、だから荒野だって言ってるわけでしょ、それは面白いよね
今野 なんかね、昨日も佐々木さんと話してたんですけど、ほんまに、演劇じゃないでいいよみたいなこと言われて、パフォーマンスっていうのもなんかカッコつけてる感じして��んか嫌でしょって言われて、じゃあなんやろって話をして終わって帰りはったんですけど
山下 演劇の人見に来ないの?
今野 いやあ どうなんでしょう、見にきてくれてるのか全然わかんないんですけど、一回見にきてくれて、四回くらい見てくれてわかったとかいう人が一回目はわからへんくて、それでも来てくれる人がいるかどうかみたいなのがあるのかな
山下 俺さあ、アベンジャーズとか見るんよね
(会場笑)
今野 (笑)この前その話しましたよね、僕もそうなんですよ
山下 なんていうの、いわゆるなんかセンスが良いとかあるやん、ああいうのからは完全に外れてるわけさ
今野 うん
山下 だから(笑)なんていうのかな、だからバストリオ見たあとちょっと喋れって言われたらすごい難しいけど、あ!なんやっけ、あのさ一番大事な思い出みたいな
今野 大切な記憶みたいな
山下 生まれてくるときに臍の緒が首に絡んでて、、見たんや、絡んでたん見たんや、それも記憶の中に入れるんやと思って(笑)
今野 そうそう!そうなんす(笑)
山下 覚えてないってことも記憶ってことにできるのがさ、だからもうどっちでもいいよね
今野 あれはほんまにそうなんすよね
山下 あれはほんまは嘘でしたって言われてさ、お前はほんまは臍の緒なんか巻き付いてなかっ��って、
今野 そうそうそう
山下 それ面白いよね(笑)
今野 そうそう全然曖昧なんすよね(笑)
山下 曖昧やな(笑)
今野 ほんま曖昧なんすよね
山下 だから寄って立つってとこが要するに曖昧ってことじゃないですか、なんかだからすごいそういう感じがする
今野 うん
山下 でちょいちょいなんかベタなこというやんセリフで(笑)
(会場笑)
今野 うん、めっちゃベタなこと言います(笑)
山下 あのさー、あのちょいちょいいうベタがちょっと繋ぎ止めてくれるやん
今野 (笑)ベタなこと言わそうと思ってないすけど、ああうん、、ベタなこという時、、役者の人って気持ちいいんですよね
(会場笑)
山下 それは人によるよ
今野 いや、うんなんか、たとえばそこにいるみんなのことがよう分からんくなってきたときに、なんかそういうことその人が言った時に、ああ俺おるわみたいな状態に一回なるみたいなんがあって、それがなんか嘘かなんかよう分からんこと言った時、ああほんまやわってなったりして
山下 だからさ、これは全然聞き飛ばしてくれてええねんけど、例えばじゃあバストリオが会話劇をやるってなった時に、ほんまになんか脱臼させるような会話で、だけどちゃんと中身はわーっと動いてて、みたいなのをやって欲しいなって思いながら見てた俺
今野 あーほんまっすか
山下 うん、結構難しいと思うんやけど
今野 うん
山下 あの、で役者は覚えるんが大変やと思うけど、脱臼させていくから。でもなんか、、すごいそういう感じがしたんだよね
今野 あーいま通してる中の、
山下 うん
今野 ああ会話、なんかでも一回そういうこと考えたことってあって、、難しい
山下 まあまあ難しいよな
今野 それこそ稽古ってなんやろみたいになってきちゃう作業になって
山下 どうやって稽古してんのこれ、、怒んの?(笑)
(会場笑)
山下 「それそうじゃないやろ!」とかっていうの?
今野 どうなんすかね、どうやろ出演者の人?
(会場笑)
今野 橋本が一番な(一緒にやってる)、怒る?
橋本 いや怒るでしょうね
今野 え、怒るかあ? 怒る?(出演者に聞く)
他の出演者 怒る、、というか、怒らない?
橋本 怒るなんて言いにくいや��
今野 いま言うのはやらしいか、あーうん
山下 うん、でも稽古ってなんやろってほんま思うよね
今野 思ってるんですよね
山下 だからなんて言うかな、えーと、積み重ねていくものとかとは一致しないやろ、わたしたちっていうことをやるのに、それでもやっぱり、そうではないっていうのがあるわけじゃん
今野 あります、本番始まってもあるんですよね、何回かやってると積み重なってってるわ、みたいな、俺だけがあーってなってるみたいな、うん、何回か本番やるのもむずいなって思って、稽古はほんまそうで、でなんか(山下さんがやってる)ラボに行って、僕一回しか行けてないけど見させてもらった時に、あーこういうことやってんねやなってのがあったんですよね、こういうことやって解散できんのかみたいな
山下 うん、うん、そうね、、これ結構今考えてんねん色々、、なんやっけな、あドローン!ドローンてやっぱすごいね
今野 あ、すごいでしょ
山下 あれさーめっちゃ見てまうねん
今野 そうなんよね
山下 であれ、操作してる人も、そんなにほらすごい上手いわけじゃないから、こう揺れるじゃん、あれ永遠に見れるよね
今野 あれ一か八かなんすよね、結構ほんまにミスるんよね
橋本 最後のドローンは結構ほんまに失敗する
今野 みんな飛ぶかわからへんみたいな
山下 あんな感じになったらいいんちゃう全体が(笑)
(会場笑)
今野 ほんまそう、あでもね、ドローン飛んでるの見てみたいなって思って、ちっちゃい安い2000円くらいの買って飛ばしてみたらめっちゃすごくて
山下 うん
今野 何よりもあるやんみたいな状態になって、じゃあこれを3回くらい飛ばして見てたらなんか台風みたいな気持ちでドローンは使ってるんすけど、台風飛んできて、最後消える時っていうのは誰も見てなくて、でもなんか来たときはみんなが目を離せへんくなってるみたいなのと、なんかドローンはおんなじ感じやなってなって、橋本がドローンを飛ばし始めると稽古止まって、みんながドローンをずっと見てれる、いつの間にかめちゃくちゃ時間経ってるみたいな
山下 あれはちょっと不思議な気がして、なんでドローン見てまうんやろって
今野 これ飛ばしてみたからできてるもんが、ドローンから影響受けることがあったんかなって。その時間を一回体感して何これって、それラジコンとかやとね
山下 あれうまいやつがやったら面白くないよね
今野 うまくやれちゃったら、ほんま安っぽい飛べるんかなってのが飛んでるから、だからいま最後のシーンがほんまに飛ぶんかなってずっと思って見てて、なんか一回飛ばんくて、最後飛ばんかったら佐藤くんって子がもう持ってエンディングあっちまで走ってくっての決まってて
(会場笑)
山下 俺、何週間か前に特別支援学級の子供と芝居作ったんだよね、で、特別支援学級やからいろんな子がおって全然喋られへん子もおるし、ずっと手をもっとかなあかん子もおるし、結構こっちがいうことわかる子もおるしいろんな子がおって、あれ思い出した、ドローン見て
今野 (笑)
山下 あのさ、例えばこっちからこっちにみんなで動くっていうことやった時に、到底できる気がまずしないんだよね最初、あ、無理かって、要するにそういう指示の仕方は無理なんかって
今野 行かない
山下 うん、でもそれが、なんとなく行き始めんねん、なんとなく行きはじめて「あ、行った」って時もあんねん、だけど次やるとまた行かへんねん
今野 うん
山下 だからもう博打みたいになってくるわけ、いくか行かへんか分からへん、でもいく時もあんねん、��れはやっぱり、えーとなんていうかな、すごい
今野 うん
山下 で、全員が、全員がじゃないなほとんどの子が、そのことを覚え始めた時に全くちゃうことをする子が出てくる、とにかく絶対に一体化せんわけ
今野 うんうん
山下 一体化せーへん生き物なわけ、でそれを理屈でやってるんじゃないから
今野 うん全然
山下 あれが多分人間がどっかで持ってる、真っ当なセンサーで、なんていうのかな、あれをさ、みんなで一体化させるように世界はできてきたわけでしょ
今野 うん
山下 こっちに外れるやつは抹殺してきたわけでしょ、ていう世界と だから一致しないものに見えるってことですよね、いやめっちゃいいじゃん と思うわけ
今野 うん、なんか、、これも作ってると 全体みたいな、なんて言ったらええんやろ、なんとなく全体の何かみたいなのが現れてて、でもこれが一回ここまできたのはほんまに小屋入りした初日の昼で、ようやくここまでいったんかっていうとこまで行って初日迎えてっていうのが、まあたまたま全体やっただけなのに、えーと、なんかうーん、そこに、、集まっちゃうっていうか
山下 ああ
今野 なんか
山下 覆う
今野 覆う感じになっていくのをいま見てます
山下 ああ、ああ
今野 で、それに、はーってなったりしてるのを、まあでも別にぎりぎり、うーんまあ色んな瞬間が来てたけど
山下 うん
今野 はーってなったりしてるのが、あるんすよね、あーなんて言ったらええんやろ
山下 いやわかるよ、だってそのことをさ 意図的にあの、外していくためにはやっぱりすごい知性がいるよね
今野 うーん
山下 あの、ぼんやりしてたら一致していくじゃん
今野 うんほんまに
山下 寄っていくじゃん
今野 あっという間に、そこに回収されていっちゃう
山下 だからその特別支援学級の子らが何が、何が超絶優れてるかっていうと、その刷り込みが刷り込まれてないっていうことなんよね
今野 うん全然ない
山下 でも俺らはどうしたってもう刷り込まれてるから
今野 うんうん、なってるんですよねもう、僕も子供たちと演劇ってやってて、小学校の低学年と高学年くらいの子も入っててやっていくんすけど、まあほんまにやらない、ちょっと絵描いてなんかやってみようかって言うともう、山が好きって言っても、じゃあ山描いてって言っても絶対山描かない(笑)、山描かないとみんな出来へんよって言いそうになる自分に恐怖するみたいな、うっわあかんわみたいな、ていうかでもこれすごいなあ描けへんねや、そっか、これすごいってなって、いまこども演劇は7年くらい続けてるんすけど、でも大人たち、大人っていうかまあ自分がこういうことやるってなって出会う人は自分の話を聞くことの力はあるかもしれないけど、えーと僕がやろうとしてる何かとか触れようとしてる何かをもう子供たちは持ってて、早いんですよ、ていうか早いというかもうあるから、ああ、「ええやん」みたいな
山下 いうよね、だって俺ほんますごい好かれてさ、いつくんの次いつくんのとか言って、絶対来てよね山田さん!っていう
今野 (笑)ああ
山下 (笑)名前とかは、あいつら名前とかはもうどうでもええわけ、でたぶん俺に似た人が出て行っても多分わからへんと思う
(会場笑)
山下 それくらいの、雑さと、超繊細なものが共存するから、なんていう��、あのほんまにお見それしましたって感じするじゃん
今野 うん
山下 だからなんか今日の芝居を見ると、それをそうじゃない、大人が、立ち上げていくためには、いやまあ相当頭使わなあかんって、感じはした
今野 いやまあほんまに、めっちゃ使ってるんすけどね
山下 うん
今野 まあそうなんす、なんかもうずっとだから稽古ってなんやろ、あーこうなってく、あー、何を、もういま何をそもそも考えて言ったらええんやろ、あー今なんでそっか自分はこうなんやとかもう、もうこうなんやからこうやること以外ないから、じゃなかったら自分じゃなくてもええし(笑)、飯とか食ってたらええだけやから、ていう状態でずっと稽古場にいるから、まあ何やってんのやろってほんま思うんすよね
山下 だからやり続けるしかないんじゃない
今野 うんうん
山下 もうずっと
今野 うん(笑)まあ続けてきてるんですよね
山下 だからまたこれあと20年くらい経ってもう、まだやってる
今野 (笑)
山下 結構それ大事で
今野 うん
山下 ここに来てる人多分ほとんどもう来てないよ
今野 ああおらんか
山下 見てた!昔見てた!って(笑)
(会場笑)
山下 あの人まだ同じことやってる
今野 やってんねやって
山下 そう、でもそれしかないよね
今野 うん、ほんまに(笑)、ずっと木立ててるなあとかね、木もよう立てるんですけど、うわまた立ててるやん俺みたいな
山下 だんだんうまなってくるやん
今野 なんかちょっと(立つように)切ってもうてズルしてるし
山下 (笑)
今野 違うわあみたいな、で使っていったら倒れるようになってきて、ええわと思うけど心配してちゃんと切りましょうみたいになんねんけど、いや違うね��って
山下 いいじゃん、それ若い人に教えるときこういうの教えれるじゃん、「あ、それ立たへんで」って
(会場笑)
今野 あそれは教えるんや!
(会場笑)
今野 絶対誰もけーへんやん、木立てれるワークショップ
【質問タイム】
今野 もし質問とかあったら聞きますけど、何かありますかね、なんかよう分からんかったでもいいですし
橋本 まあ急にはね、なかなか言いにくかったりしますからね
(沈黙)
橋本 まあでも無理にね
(会場笑)
今野 まあ無理には聞かないね
山下 うん、このバストリオは今野くんと橋本さんしか喋ったことないけど、なんていうのかな、いやもうこの二人の、超普通さだよね
橋本 私はすごい普通です
山下 いやめっちゃ普通やで、なかなかないじゃん
橋本 今野くん普通なんや
山下 いや普通ちゃう
今野 普通やって、俺普通言ってんねんけどね
橋本 普通ってどういう
山下 普通の変なおっさんやんか
橋本 あ、普通の変なおっさん
山下 うん
(会場笑)
今野 普通の変な?
(会場笑)
今野 普通の変なおっさん
山下 いや変なおっさんやで
(会場笑)
今野 (笑)いやその自覚はほんまあって、昨日やっけあれ?、駅降りてく時に渋谷で
橋本 あーそうそう!なんか前を今野が歩いてて、私後ろいたんですけど、なんかすれ違った若い女の子が「えー変な人いた」って
(会場笑)
今野 俺めっちゃショックで
(会場笑)
橋本 さっき今野くん変な人って言われてたで若い子にって言って
今野 うん、なんか考えながら階段降りてただけやで
橋本 なんか多分(手を振り回して)こんなんしてたんやななんか
今野 手動いてたんやろな
(会場笑)
今野 あれ最悪や
橋本 よくやってるよねこれ、渋谷ではあんまやらんほうがいいんじゃない
今野 あーそうなんや
山下 別にええやん
今野 気づいてないからね
橋本 無意識でね
今野 変なんや、うん、普通���、
山下 いや変は大事でしょ
今野 (笑)うん、、普通か
山下 うんとても、とても普通、なんか、なんやろな安心する
今野 うんまあこんな感じですね、このままなので、うーん、うん
山下 だからすごく普通の神経の人が、あれなんか違和感あるよなって思ってるっていうのが、とてもよくわかるっていうか、うん
(沈黙)
今野 え山下さん、普通やって思ってます?
山下 俺?
今野 うん
山下 俺めっちゃ思ってる
今野 (笑)思ってんねや
山下 うん、多分
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バストリオ「黒と白と幽霊たち」 対談②
2019年7月 @都内某所 松本一哉(音楽家) × 今野裕一郎 ―「言葉に捕らわれない音の意味」
松本:バストリオの作品っていろんなことが起こるから一回観ただけでは理解とかするの難しいと思うんやけど
今野:まあね、情報量多いって言われちゃうんだよね
松本:まあ、観る側ではないけど、こんだけ同じバストリオの作品をやることで、より理解できることがあったり得られるものが次々あったりして、なかなか稀有な体験だなあ、と思う
今野:情報が多いのは、ほんとムズイですよね。捉え方はお客さん1人1人違うんで
松本:俺の場合って、聞く人によるんだけどめちゃくちゃ人に想像力を働かせてしまうから、俺のソロのパフォーマンスとかみて、「すごい考えが膨らんだ」って言ってくれる人もおるけど、本人別にそんなことあんま考えてない。ただ音きいてりゃいい。きもちいい音とか、ただそれを続けていけたらいい、ってだけだから。でも、これほんとよく言ってしまうんやけど、言葉ってほんと強いから、意味とかさ
今野:それは実はたぶんお互いさまっていうか、音って強いっすからね。その人がどこ���焦点合わせているかによって、別のものが強く見えちゃうってだけなんじゃないかな。たぶん言葉使っている人からしたら音の強さを感じている。例えば、“死ね” みたいな言葉があったときに、それを “すごい生きてほしい”と思って発するみたいな、ってことをやるんですけど、まあ音なんですよ。そうなると、ある意味。そんで意味に捕らわれている人は情報としてそのまま受け取っちゃう人もいるし、ある意味もうちょっとその人の捉え方やその人の器が拡がるから “あれ、もしかしてこの人死ねって思ってないのかも” ってことまで想像していくっていう可能性になってくるから、結局言葉だけにウェイト置いている限りはそこから出れないっていうのは役者みててもいつも思うし
松本:やってる最中あんまり意味を考えていないけど
今野:追っちゃうと間に合わないというか。追っちゃったら閉じ込められる。バストリオはいかにそこの気配消していくかってことをやるんですけどね。どうしてもあえてここわざと重くするみたいなことする、フェイクだったりするやり方とか
松本:自分もあるわ
今野:例えば、びっくりするような大きな音を出すのは、戦争の怖さを表現したいんじゃなくて、その後の静けさを聞かせたいだけってことの意味とかが伝わりづらいとかね、そういうのってほんとムズイですよね。そこに捕らわれちゃってる人はもう静けさに行けなかったりするじゃないですか
松本:銅鑼の音でくらっちゃった人はそれ以降、俺がなにやっても聞いてないから
今野:ずーっとそこに停めたり、留めるのはやり方としてあるけど、その辺の逆のこととか全く違う可能性とか、いっそそこをよそ見させたいみたいなことも含めた可能性をけっこう求めている、ってかそれを作り出したいみたいなところがあるから。ムズイっすよね、そのあたりね。ベタに捉えるひとはベタなんで、実はもう。すごくひねくれてるって普段言われちゃってる人がその作品真正面から捉えて感動してたりするってこともあるし
―「自分も、お客さんも共に成長していく作品」
松本:いつぞや言ったかもしれんけど、作品のこと知れば知るほど、やればやるほど、できた話やな、って思う『黒と白と幽霊たち』
今野:あ、ああ。それは、ね、嬉しいっすけどね
松本:自分の価値観とか目指しているものとか、普段悩むこととか、そこがやっぱ抽象的に表現されている部分が大いにあるけど、ゆえに、あーこれあれやな、とか、置き換えれたりするのがすごいあって、なんかもうやってたんですねっていう状態。で、その中にも自分は既にいるし、んー、なんやろね、たぶんやればやるほど、自分が一人でやってることもあって、そこを積み重ねれば積み重ねるほど、またバストリオとやるぞってなったときに、感じ方が変わったりする。ま、なんかこれを読む人用に言うなら、黒白を何回もみたほうがいいよ!っていう
今野:笑 そうっすね
松本:共に成長していける作品ってあんまりないと思ってるから。それは音楽でもそうだし、やっぱ人の価値観って変わっていくじゃん
今野:変わっていく
松本:なんか根本というか、なんていうのかな、んーなんか言葉にちょっとできないけど、そういうものがある作品っていうのは、ね、上辺はいっぱいあるけど、ちょっとよくできた映画みるとか。それってさ、ま、同じことかもしれないけど、今野君がさっき言ったように、観る側が成長していったりとかアンテナ立ってたら気付けたりすることではある。うん、黒白もね、もしかしたら観る人からみたらそうなっちゃうかもだけどその要素がやっぱ強い
2016年 京都・極楽寺
「命削って作ってきている。なんていうか“生きてるもん”にしたいから」
今野:自分にとっては作品づくりは命削って作ってきているっていうか。なんていうか生き物にしたいから、生きてるもんにしたいから。そんな簡単にできるわけない、ことをしたい。パッケージされた商品だったりコンテンツつくるのはやれるかもしれないけど、自分で最初から枠もつくるしそれを動かせるようにしたいとなるとやっぱりまともな感じではできないっていうか…だから終わったときにみんながパーンって切り替えていったときに寂しい想いを昔はしてて、「みんなそんなに本気じゃないのかな」って。「ここでやってることってそんな簡単に消していいことじゃないんやけどな」みたいなのが常にあって、なんか彷徨うっていうか残っちゃうんすよね、自分に痕が。だから結局じゃあ次の作品って切り替えるわけじゃなくって、どっかそこで残った遺伝子みたいな細胞が、次の作品に絶対入ってくる
松本:続けるっていうのはそういうことやと思うし、自分に置き換えることもできるけど特殊やなって思うね
今野:上手に作るの俺のやることじゃないんですよね、全然
松本:わっかるぅ
今野:それはじゃあやれないんじゃないってこともあると思うし、それはどっちでもあるかもなって。ある意味やれないし、やらないから、なんでかっていうと自分でやってった先がそこだったから。黒白はそういう意味でも作品が自立してる。それこそ作品自体も独立してて、すごくいろんなところに連れてってくれてるし、ツアーまわってツアー先で出会ったお客さんたちの存在もでかい
―「人に出逢うためにツアーで地方をまわる」
今野:大分県での公演の話なんですけど、当日僕らが着いて「お客さんが全然入ってない」って聞いた後にピリピリした時間流れましたけど、最初に現地でリハやったんすよね。通しを現地の人に観てもらってそれでみんなでお客さん呼べるように頑張ってもらえるかもしれないからやろうってなって、やって、通した後、みんな拍手とかしてくれたけどあんま反応無いのかなって思ってた。けど��憩中飲み物買いに出たら、カズマリッチさん(大分県でお世話になった方)とかが階段ですごい勢いで電話しまくってて、「これ絶対みないといけないから!!」って俺らの居ないところでやってるの見た時に、あ、届くなあって思った。それで席が埋まったじゃないですか。あれ、やっぱりすごいなって思った。僕らの力でもあるし、作品の力があそこまでで育ってきてて、なにが起きても、いけるって
2017年 浜松・福厳寺
松本:そういうのもあるね。地方を回りたいっていうのは、自分なんかは最初はリリースしたCDを売りたいという目的ではあったけど、実際まわってみたら後々みえる事があったから
今野:コントロールできないっていう体験を自分的にも作品的にももらえるっていうのはやっぱありますよね
松本:作品つくったりパフォーマンスする上でコントロールしきれない部分ってのは、どうしても作りたいというか、どうしても生み出したいから
今野:ほんとに、それはね、余白だから
松本:それは場所の力とか、やっぱりその関わる人の中で生まれていくもんで、地方ってそれがダイレクトにでる
今野:もちろん関東(バストリオの拠点は東京)もだけど、地方は地方の良さで黒白をもっと見出してくれた
2016年 大分・AT HALL
松本:今年���8月15日にやる、広島で。こういうのが年に一回あるっていうのは、去年やって更新されていくものがあるじゃん。これここまでやったんだから、もったいないっていったらちょっと違うんだけど、なんかまあ、関わる人ももちろんそうだし、全部うまくやっていけたらいいなと思う、黒白は強くそれを思う
今野:それは大事
松本:夏休みにおばあちゃんちに帰るじゃないけれども、初心忘れるべからず、じゃないけどそういうのもあるし、続けていきたい
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バストリオ「黒と白と幽霊たち」対談①
2019年7月 @都内某所 松本一哉(音楽家) × 今野裕一郎
場所の力、関わる人々との中で更新し続ける
野外公演となった2018年『黒と白と幽霊たち』@新潟県(莇平)
あざみひら演劇祭審査員 日比野克彦さんよりメッセージいただきました。
去年はいろいろ莇平でお世話になりました。今年もこの季節がやってきました。応援しています! HIBINO
今野:ああ日比野さんね、嬉しいね、メッセージ
松本:はやいね、もう��れから1年経つんやね。死ぬ間際に思い出す思い出の��つやもんね
今野:伝説のロックフェスみたいだった、フジロックの1回目みたいな。雨降って台風きちゃって。昨日ばんちゃん(萬洲通擴:今回黒白の衣装を担うメンバーの1人)と話してた時に「莇平の写真を見たんですけど、すごいみんなの衣装がタイトになってて!」って言われて、でもただ濡れてるだけだった
一同:笑
松本:あの現場で雨降ってるなんて…公演決行したのはタイミングやったね、雨降りだしたのがこれから本番って時だったから。
今野:もっとね、前だったらやめてたかも。ちょうど俺らの本番になって大きな雲が出てきて
松本:あー降るねこれは!ってのが。俺、三国志好きやけど、なんかね、東南の風が吹くじゃないけどね、戦国時代で言うなら桶狭間とかあんなかんじやったんやろうね
今野:贅沢な時間を過ごしてるってことですよ、昔の人って
松本:ままならない、絶対コントロールできないことの上でなんとかしようとしとるからね
今野:ね。だからあのときにコントロールできないことに抗うとかじゃなくて…みたいな状態がわかったのはよかったっすけどね
松本:バストリオと関わるっていうのはそういうことだから。俺が自然の中でいろいろやってて、人と一緒にやることよりも自然の中で向き合ってやることの方が俺にとっては豊かだと思う、風なことを言ったときに今野くんから「人間も変わらないんですけどね、僕はむしろ人間とやることも自然だとも思いますし、そっちのほうも豊かだと思います」って言われた。ま、それが大きくてね。黒白もそうだけどそれ以降なにかやるときにはそれが割と念頭にあって、自分からしたら自然のほうがコントロールしやすいみたいなところがあるから。人間の心だけは自分でコントロールしようとすることが難しいから
今野:まあできないしね、カオスだからなあ
(上から松本、今野)
ー音楽家・松本一哉がバストリオと関わるきっかけ
「人(他人)との関わりの中、黒と白との間のグラデーションを意識する」
松本:きっかけはまあ、安永哲郎さん(アコーステッィクユニットminamoの電子音奏者)の紹介なんやけど
今野:安永さんですよね、そう、安永さんだし杉本さん(杉本佳一 同じくminamo奏者)かな。杉本さんとやってたってのが結構でかいんすよ
松本:黒白に関しては、俺が『水のかたち』(松本一哉1stアルバム)をリリースして、リリースのツアーファイナルを今野くんと橋本っちゃん(バストリオ橋本和加子)が観にきてくれて。でライブ終わりに今野くんに「今日の演奏を軸に話をつくるんでやりましょう」って誘われた。だから黒白の中でやってる俺の一連の流れってたぶんその、あ、これ俺の観方やけど
今野:うん
松本:俺のソロライブにいろいろ演出が加わっているっていうか、バストリオが加わっている
『黒と白と幽霊たち』初演 宗林寺(左から稲継、松本、中野)
今野:人数あんま気にしないでそのとき信頼しているメンバーでやろうってなった。そんなかで出来ることってなったときに松本さんがツアーでやってた演奏に触発されてるのがあって、生まれてるのがある。肉付けしたり、全然違う部分ももちろんあるけど。基本的にはあのとき感じていた時間に自分の想像力が足されている。あとは出演者��力量によってね、変わっていったり
松本:うん
今野:ほんまに制作時間も少なかったから、自然にみんなのできる範囲のことをどこまで引き延ばせるのかっていうことでしたからね、あれは
松本:うん、なんかさっき話してたように一人でやることと、人と一緒になにかをやるっていうことが黒白をやる上では、っていうかバストリオとなにか一緒にやるとき自分はそれがテーマになってる
今野:そうすよね、僕自身もそれが実はあるんですけど
松本:まあそうだね、おれも一人でやるときやっぱ考えてしまうテーマだから。またそこは…タイトルがさ!『黒と白と幽霊たち』っていう、幽霊!グレーというかさあ
今野:間のグラデーションですよね
松本:やっぱりそういうこととかを強く意識するのがやっぱり、バストリオと一緒にやることだなって思ってるから
―「音楽家、役者としてではなく、その人であることとして関わりを更新していく。即興性の強い作品」
今野:ちなみに黒白ツアーの中で印象に残ってる回とかあります?
松本:あーー…いやこれといって体験としてずば抜けていたっていうと屋外でやった莇平になっちゃうけど、自分にとって、なんていうのかな……あーでも…う~ん。簡単に言えないけど黒白だけじゃないことがさ
今野:うん
松本:これまで関わってきた全てのことがあったからやっぱり、あの行動(水に濡れたらNGな機材を雨の中で使用して演奏した)に自分が出れたってのがあると思うから。その、なんか超越してるものがあるじゃん、どう考えたって。言葉悪いけど割に合わないって思いが頭ん中にあるのに、それも超えて
今野:実際に自分たちがイメージしてやろうとしている音が鳴らないですからね
松本:も、そうだし、やってみなきゃわからないっていうのもあるから。はじめて黒白やってから、今の黒白の間にも『TONTO』(2017年バストリオ作品)があったりして。プライベートでもよく会うし、カタン(バストリオが本気で遊ぶボードゲーム)とか!
一同:笑
松本:俺がそんなにプライベートで人と付き合って、心ゆるして自分の内面を話すってあんまないから。1回1回本番というものは特別なものだと思うというか。前回とかこれまでを超えてゆこうと思ってやってるから。まあ言ったらたぶんそういうルールじゃん?
今野:うんそう、更新ですよね
松本:たぶんそのへんってそこまで別に話してないかもしれないけど、そういうものだっていうもんがあるからやれてる
今野:うん、そこはたぶんこの作品がもった運のひとつでしょうね。みんながそういうタイプだってことも
松本:各々がちゃんと独立しているっていうイメージがある。なにしてるかとか、そのときだれがどこにいるかとかって、正確にはわかってない時もあるんだけど、毎回ちょっとずつ違うとこに気が付けるかみたいのがあるし。そういう意味ではやっぱ即興の部分が強くてさ。決まり事で動いているっていう意識があんまなくて、自分がはずしちゃいけないシーンとかは仕方ないんだけども
今野:まあね
松本:でもそれはその緊張感��うまれる。別の、真逆の、それはそれでいいと思ってる
ま、そうだな、質問の答えをいうと、全部記憶にある。悔しい回とかもあったし、あーそれ(本番で起こっていた事に)俺気が付いてないな、って
黒白メンバーでは自分だけ音楽家だから、やっぱり知らない世界ってこともあってそこはすごい勉強しようって気持ちがある。回を重ねるごとに信頼が増していって、なんやろね、わからんけど、年数重ねてきた漫才師みたいな
今野:いやあそう、ほんとそうなんですよねー。やりだすとネタが出てきちゃうみたいなかんじですからね。これは普段演劇やってるだけだと体験できないでしょうね。これだけ同じ演目を重ねるってこと…しかも毎回違う場所でやっているなんていう体験をしてる人たちが他にいっぱいいるかといわれたらいないですから
松本:どこでもできてしまうっていうのはやっぱ強みですよね
今野:得れない体験をし続けているんだなっていうのはありますよね。もうセリフ覚えないでも出てきちゃいますからね、ネタみたいにセリフが出て���んのが、こわっ!って思うくらい。やってるときはからだに刻まれてんのを感じるんですよね。だから本番前に本(脚本)をみたことがない。本とかじゃなく、(場で)更新していけるかのほうが気になっています
松本:マイナーチェンジじゃないけど、四六時中「あ、これ黒白に使えそうやな」とか考えてしまう
今野:わかります。ばんちゃんが街歩いているとき��服見つけて「これ、松本さんと稲継さんに似合いそうだ!」って。黒白のこと毎日考えてるって聞いて、俺けっこうテンション上がりましたよ
松本:笑
今野:そういう人いるのってすごい大きくて、「しんどくない?」って一応聞いたんすけど、「いやあ、なんか調子いいんすよね、ほんと」みたいにばんちゃん言ってたから。クリエイティブに考えている状態になれる作品があるってけっこうでかいですからね
松本:……たしかに
今野:そうそう、考えちゃう
松本:ほんと、そうやねえ。あー、あれいつやったかなあ、たぶんあの、大分県のフェスの時に、鼻焼いたじゃん、橋本っちゃんの
今:うん
話題の黒白ワンシーン
松本:それを俺がみてなくて…あーそれ俺気がつけなかった、みたいな
今野:(笑)まあ気づいた人はみんな俺のことが敵だったからな
松本:あと、たぶんやりはじめて間もないころに稲継さんとかしほみん(中野さん)が、お客さんの目を完全に一人一人ロックオンしてその人に向けてやるって言ってて。そのへんの差とかが結構おもしろくて。それこそはじめの話に戻るけど、人と一緒にやることが自分の中であーそうか、って腑に落ちて。こういう一人一人の違いとか。ま、自分は言ったらさ、変わってない部分もあるから、もちろん
今野:そう、みんなそうだと思います
松本:ひとりひとり、俺に対してこういう動きするんや、とか
今野:うん
松本:こういう関わり方してくるんや、とか。この人はなんも絡んでこないなとか。これには反応するんやな、とか。たぶんそれぞれの役割もあるんだろうけど。おもしろいポイントなんじゃないかな、場所でも変わるから
今野:そうですね、まったく違うから ーーーーーー続く
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映画『ハロー、スーパーノヴァ』アフタートーク②
横浜聡子 × 今野裕一郎(司会 汐田海平)2014.3.25 @池袋シネマ・ロサ
1、新作「ハロー、スーパーノヴァ」について
汐田(以下汐) まずお聞きしたいんですが、横浜監督『ハロー、スーパーノヴァ』観られて最初に感想を伺いたいなと
横浜(以下横) あの、バストリオさんの今野監督の映画を初めて観たのが3年前ぐらいでしたっけ?
今野 (以下今) そうですね、渋谷で2011年だから3年ぐらい前ですね
横 3年前に初めて観たんですけど
汐 それはどの作品を?
横 『生きている』と『信じたり、祈ったり』を観たんですけど、あの時も面白いことやってるなと思って、ちょっと他でやってないことやってる人たちだなと思って、その時初めてお会いして、今回新作の『ハロースーパーノヴァ』を観て、なんというか今までの2本の作品より、何をやろうとしてるかというのがすごく明確に伝わってきたなと、今回の作品で思って、あとロケ場所とかやっぱり北千住でずっとやっていたりして、人と人が出会って別れていくみたいな、やってることは結構毎回やってらっしゃることなんですけど、プラスなんというか、世界が広がったなというか、今回の作品でより、震災を経てなのかわかんないんですけど、なにか「痛み」みたいなものが、作品に加わってるような感覚を覚えたんですけどね
汐 今、明確に今までの作品と変わったとか、やりたいことが明確になったというお話があったんですけど、今野さんから、指摘を受けて何か思うこととか、ここは変わったかもしれないなと思うことってありますか?
今 そうですね、まあさっき、震災を経てってことでしたけど、あの作品撮ったのがちょうど2011年の11月だったんですね。その時の北千住なんですね、あの撮影が。その感じがたぶん映画に、僕もそこに住んでいるんで、よく僕が歩いてるような場所で撮影してるんですけど、そこで感じたものとかがたぶん出てるってことが、はっきりあると思うんですね。その変化みたいなのが、前の観てもらった2作とは違う部分が、明らかにあって。で、きのう前二作『生きている』『信じたり、祈ったり』が流れたんですけど、あの時の自分はああなってたけど、今こうなってる、こういうもの撮ってたんだな、っていうのは感じたので、その変化がすごい入ってるのかなと思ったんですけど。 まあ「痛み」って
横 ���あ安っぽい言葉なんですけど…
今 言葉にするのちょっと難しいんですけど...まあその主人公の女の人が家を出て行って、帰って来て、子供生まれたっていうまでの話っていう軸は自分の中であって、まあ中にいた人、部屋に、小さい場所にいてそこから外に出ることが簡単じゃなくなってるっていう感じが自分の中であって
横 それは、放射性物質どうとかですか?
今 それもあるし
横 まあ映画では全然、そんなの出てこないですけど
今 言ってないですけど、まあありますし、人と会うことが難しくなってるってこともあったし、前は結構人が簡単に集まる話とかだったんですけど、出会った人がどんどん集まっていくって映画だったんですけど、今回はちょっと出会っても皆集まらないっていうのがあって、すれ違って別れていくっていうのが、そういう集団にならなくて、別れていくみたいな感じが自分の中であって、まあバラバラになっちゃってるんだけど、皆この町にいるから、それはちゃんと全部拾いたいみたいなのは、たぶんあったと思うんですけどあの時。まあ撮影も結構前だから、その時とまた僕が変化してると思うんですけど
2、反体制の人
汐 シナリオは、最初女の人が家にいて出て行くまでの話って仰ったんですけど、シナリオというものはあるんですか? 今野さんの作品は
今 シナリオは、なんとなく全体はありますね。でもちゃんと書いてないかもしれないですね。あの、あるんですけど、紙にしてなくて、だから役者さんも全体の話知らなくて、そのシーンだけって感じで渡して、やってもらってるっていう感じはあるんですけど
横 侯孝賢みたいな。うらやましいですそのやり方
今 なんか難しいですよね。たぶんその、横浜さんはちゃんとしたスタッフいっぱいいるから、(シナリオが)ないと動かなくなっちゃうじゃないですか、やっぱりないと。設計図を用意しないで出来てるのはたぶん今自分が、まあちょっと大変なんですけど、自分でカメラ回したりして少人数で動けてて、信頼してる人たちとか、知ってる人たちに出てもらってるから、可能になってるやり方なだけかもしれないですね。だからもしスタッフさんに書いてくれよって言われたら慌てて書いてるのかもしれないんですけど。たまたまそういうこと言う人もいなくて、それでやってくれる人たちがいるから、ツイてるのかもしれないですそれは
汐 横浜さんはしっかりと脚本を書かれるタイプだと思うんですけど
横 タイプというか、ないと不安なので、書きますけども、はい
汐 今フットワーク軽くできるとか、少人数だからできるっていう話があったんですけれども、最初の頃とかで、脚本書かずにとか、少人数体制でやってたりっていうことはあるんですか?
横 脚本を書かないっていうことはないですけれども、自主映画の時は、でも、わりと20人ぐらいはいましたね。うんだからその自主映画ってどうでもいいんですけど、自主とかプロとか。この映画、今野さんのあり方っていうか、だからそう、反体制の人だと思ってたんでずっと
今 それ言いますよね(笑)
横 劇場公開とか一般的な映画の公開、上映の仕方絶対しないで、自分の見せたい人だけに見せるっていうことで、本当に自分のやりたいことだけをやり続ける団体なのかなって思ってたんですよ、バストリオさんが。だから今回シネマロサさんで劇場公開という形をとられたのが、まずその時点��すごい、驚きだったんですけど私
今 言いましたもんね会った時、「やるんだ!」って
汐 今回劇場で公開するのは初めてということで?
今 ちゃんと映画館で上映するみたいな形は初めてですね
汐 そこに踏み切った転機と言うか、きっかけみたいなものはあったんですか?
今 んー、まあでも出会いとかだとおもうんですけどね。結局、劇場の人に見せてみて、なんか映画の関係している人たちが映画を見てどう言うのか気になったからシネマロサの人に見てもらって、どういう感想くるのかなと思って見せたら、是非やりましょうよってなってくれたし、とか。それで上映を動かしてくれる人に会ったりとか、見せていって、色んな人に見せた方がいいんじゃないかって言ってくれる人がいたから上映できたっていうのもあると思うんですよ。僕がたぶんそういう、反体制かどうかわかんないんですけどね(笑)、あの、見せるっていうことに対しての意識が低過ぎたのもあると思うんですね。でまあ、一度ちゃんと見てもらった方がいいんじゃないかというか、映画館という環境で、音含め、画含め、どういうものが見えてくるのか自分で確認したいのもあったし、ちゃんと人に見てもらえるチャンスを作ろうっていうのも、特に出てくれてる役者さんたちをスクリーンに映したいなあという気持ちもあったってことは大きいかも知れないです
3、探すという行為について
汐 あの、ちょっと話変わるんですけど、今野さんの作品を見ていて、北千住で劇映画を3本撮っているんですが、その中で共通していることとして、登場人物がみんな「探し物をしている」っていうのを思って、その「探し物をしている」という行為というか、アクションというか、それが今野さんの作家性のひとつというか、共通して見られるところだなと思うんですが、そこに対しての思いというか、意図みたいなことはあるんですか?
今 探し物ですか? なんだろう、んー、気付いたらそうなってて、探してる人を出そうとか思って出したことはなくて、本当にうまく言葉で説明できないんですけど、探してるのかどうかもちょっとわからなくて、難しいですね
横 まあでも人間皆生まれた瞬間、喪失の状態から生まれているわけですから、まあずっと探してますよね、死ぬまで
今 あー、そういうことなのかもしれないですね。探すって『生きている』は特に、観てない方はわからないかもしれないですけど、『生きている』っていう映画が、探し物が得意な主人公が出て来てわかりやすいんですけど、今回ちょっと探しているのかどうか自分ではちょっとわからなくて、探してるのかもしれないし、ちょっと「よくわからなくなってる」みたいな。でも何か確かめなきゃいけない気持ちがある。で、ちょうど本当にあの頃、北千住で撮影やってたんですけど人が少なくて、もっといっぱい人いたんですよ、まああの時期だけですけどね。もう今土手でも遊んでる人いっぱいいますけど、あの時期いなかった。っていう風景を自分は見てて、散歩が趣味なんですけど、散歩して見てて、何かが違うみたいなのは自分の中であって、その何かだと思うんですよね。それを確かめに出たいんだけど、誰にも会わないし、すれ違うし、何を探しているのかがわからないみたいな感じが自分の中にあったっていう時期の作品っていうことがたぶん作品の物語のキャラクターに投影されているんだろうなっていうのは、見てわかるっていう感じなんですけど
横 なんか子供が出てこないじゃないですか今回。過去の2本って
今 どっちも結構出てますね
横 それも意図的ですか?
今 最初出そうと思ってたんですよ
横 動物と同じように撮るじゃないですか。子供を。すごい子供撮るの上手だと思うんですけど、今野さんは。今回出てこないなって思いながら見てたりして
今 あの、それ結構現実的な話があって、『信じたり祈ったり』っていう作品に姉妹が出てくるんですね
横 素人の、公園で遊んでそうな子供ですよね
今 そうですね、散歩で出会った子供たちと仲良くなって、マリオカートとか一緒にやる仲になって、その子達に出てもらって、もういま大きくなったんですけどね、彼女達も。その子達を、妹の方で、珠子の方を使おうと思ってたんですよ最初。脚本の中には入ってて。子供出そうと思ってたんですけど、なんか現実的なことですね。あの時、なんか出る感じじゃないぞっていうことでしたね。出してもね。無理矢理だったら出せたと思うんですよ。珠子も出たいって言ってたし。使えたと思うんですけど、これちょっと、まあお母さんとも話したりして、色々と。で、ちょっと今その何かのために出すのは違うっていうのがあったりして、物語に奉仕するものになってしまうみたいなのが何かあったので、外しましたね、そのシーンはもういいっていう感じでした
4、演出方法や撮影方法について
横 あの、突然上村さん演じる旅人の女性と小澤さん演じるあの子供みたいな子が、突然部屋で二人で普通に喋ってるシーン、ああいうのハッとするんですけど、突然現れるじゃないですか、ああいうシーンが。今まであの、唄子あんなだったのに、こんな喋り方するんだっていう
今 あれは小澤さんっていう役者さんで、まあ友人なんですけど、小澤さんですよねあれは
横 異なる相というか、異相というか、それが突然出て来て、たぶん観ている方というか私は驚いたんですけど、あれはああいうのがすごい、面白いことをやるなと思うんですけど、どうしてなんですか?
今 あれですか。あの、撮影中に、えーと色々うまく説明できるかわからないんですけど... 撮影中は撮るじゃないですか。で、まあ試しに撮る、リハーサルも撮るし、撮影現場も撮るんですね。まあ僕がカメラやってるのもあるんですけど。休憩してる時になんか、あー今日天気いいねとか、撮影中にちょっと何か食べようか休憩でっていうシーンなんですけどあれ。使われてるのは。それは色々たまたま撮ってるシーンが沢山ある中で、素材ですよね。だからその時撮られた記録、として、まあ本編にシナリオがないっていうこともあるのかわからないんですけど、僕の中ではあまり違いがないんですね。えーと、なんていうんだろう。役でやってる時も、彼女達の役者としてのドキュメント撮ってる感じがあるし、彼女達が休んでる時間も彼女達を撮影してるフィクションの時間だから。で、あの時はちょうど熊の話してるんですけど、あの今からちょっとゴハン作ってる間に、あの熊のはなし、川上(弘美)さんっていう方が、『神様』っていう本を書いてる作家がいるんですけど、あの人の話で、熊とピクニックに行くっていう。なんかそのことを僕映画の最中に考えてて、好きな本なんですけど、その本についてちょっと話してくれない?っていう。だから演出はされてるんですね。そういう話をしてねって。だけど、基本的にはこれ使うと思ってないから、一応話すんだけど、もう今休憩中でゴハン食べる方が���死だから、っていう二人の話してる様みたいなのは、まあ使える、一緒だなっていうのが僕の中ではあって、本編の役だろうが、上村さんと小澤さんだろうが。彼女達を観ればいいと思っているので、あんまり関係なく入れているっていう感じなんですね。そんなに、変なことというよりは、必要だなあこれと素材を観て思ったから入れてるっていうのが強くて。っていう感じなんですけど
横 なんかそういうところに今野さんのフィクションの作り方というか、所謂起承転結の、そのへんの大きい劇場で公開されているような映画、もちろんここも大きいんですけど、もっとシネコンとかですよ。そういうところで公開するような映画とやっぱり相反するというか。かなり挑戦的なことをし続けている人だなという風に思いました。色々言っちゃうとあれですけど
今 いや、聞いて下さい。横浜さん、聞きたいこといっぱいあるみたいだったので
横 あれ、あの部屋の中で、男の人が机に向って絵を描いてるんですけど、あの時カメラがむーっと寄っていくところとかが面白かったです。なんだろう。観ている方がやっぱり、そこを観ざるをえないというか。ああいうところに今野さんの視線がすごくあるなと。そういうところ随所随所に現れているなと。あれズームって普通しないじゃないですか、なかなか勇気いるっていうか
今 ズームですよね、そうみたいですよね
横 あれはその場で思いついたっていうか、もっと手元の方に寄りたかったのかなとか、そういう今野さんの衝動みたいなものも所々感じつつ
今 あの時は、(主人公の鳥夫を演じる)彼が将来について迷ってて、絵好きだし絵描いてみたら?趣味ないんだし。って言ってる時期だったんですよ。で、彼が役で絵を描いてて、一生懸命描き始めたんですよ。結構この人すごい一生懸命絵を描くんだなと、同級生だったんですけど描いてるとことか観たことなくて、そうなんだなと思いながらずっと撮ってたんですよ。あのシーン。普通に記録してたんですね。そしたらまあ、素材を観たらズームしてたんですよね、僕が。
横 あ、気付かなかったんですか?撮ってる時。
今 撮ってる時気付いてないですね。あの、ドキュメンタリーとか例えば撮ってる時に、ちょっと手元撮らなきゃいけない時って美学にこだわってる場合じゃなくて、撮らなきゃいけない瞬間って来るんですけど、そういう何かだと思うんですよね。あの、そんなに違和感ないんですよね。僕、ズームに。あの、すればいいと思ってて、したい時は
横 すればいいんですけどね、なんか勇気がなくてカット割っちゃったり。カット割って手元とかにしてしまう
今 でなんか、ズームってくだらないなあって思ってて
横 (笑)
今 (笑)なんか寄ってるじゃん、みたいなのも含めて。機械の特性がすごいモロに出てくるし。くだらないなと思って喜んで使うみたいなところもあるんですよね。そういう素材として、編集に入ったらまた別物として観てて、撮影したものしか使えないから、その中で見つけていくみたいな作業をしてる感じですね、こだわりはないのかもしれないです
横 なんかドキュメンタリーをやってるっていうのも大きいんですかね
今 そうなんじゃないかなと思うんですよね。僕ズームのこと言われたことあって、結構平気で使うよね、みたいな。なんで使うの?とか
横 それはドキュメンタリー作品に関してですか?
今 いや、『生きている』でもズームするシーンがあって。でもそれも、するんじゃなくて、なんかできるし、やってもいいんじゃないかなみたいなことで、やっちゃってるってことだと思うんですよね
横 あと...またちょっと具体的なシーンになっちゃうんですけど、アイス食べるシーンあるじゃないですか。前の作品もやってたと思うけど。あの時、女性がカセットテープレコーダー持ってたじゃないですか。あれスイッチ押して、何か流れてくるのかなと思ったら流れてこなかったんですけど、あれ何だったんですか? すいません、なんか
今 えーっと、ちょっと難しいっすね。説明いま訳わかんなくなっちゃうかもしれないんですけど、なんか今この時を記録しようみたいなことは結構あったんですね、映画を撮影している時点で。で、役者を撮っててもそういう感覚があったんです。今まで以上に。今この時にこういうことをしているこの人たちを撮ろう、みたいな感覚があったんですね。で、登場人物の中で鳥夫っていうのがリサイクルショップでカセットレコーダーを手に入れて、唄子って子のうたを録るっていう。録音するんですけど、で、録音した音を聴いて、なくなる全部なくなるって流れてくるって言うのがあって、最後牛尾さんって主役のあの人がネコと歩いた後に、コンビニに向かう。彼女が何故あれを持っているのかって言うのは理論的には説明できないんですけど、持ってるはずだと思っていて、持ってて
横 それは気にしないです、はい
今 あの時に何かを聴こうとするんだけど、でも、もう過去のことじゃなくて、音声とかはもういらなくて、今この時話してることの方を僕は撮りたいっていうのがあって
横 ああなるほど。すいません、説明してもらって
今 あとあのアイスの男って、毎回出てくる齋藤庸介さんって方なんですけど、あの人と喋ってる時間が、あの二人本当に初めて会ったんですよあの日
横 初めて感出てましたね、すごく
今 初めて会って、初めて会ったなあってなってて、あの齋藤さんってアイスの話する人は僕すごい好きで、いつもその人の中で熱い話があるんですね
横 あれはアドリブですか? 卵焼きの話は
今 アドリブっていうかまあ決まってるんですけど。お互い二人で打ち合わせて、「いま(齊藤さんのなかで)何が熱いんですか?」って齊藤さんと話をして、「卵焼きの定食がすごい美味しいらしいんだけど僕まだ食べたことなくて」、っていう話があって、じゃあちょっとその話、一生懸命牛尾さんにやりましょうって話をして、わかってくれるかわかんないですけど、まあ初めてですしね、っていう話をして、話してもらったんですね。だから今この時その人に会ったってことの方が大事じゃないかなってことの方が、テープがもう再生されない何かなんですよね。壊れてるのかもしれないけど。もう過去のこといいじゃんっていう感じにしたいけどっていう何かですね
汐 用意してたフィクションよりもその場で起きた何かっていう
今 そうですね。そっちの方が記録されたものだけど、記録されてるんだけど、でも今この時のその感じ観た方がいいんじゃないかなっていうか。聞いた方がいいんじゃないかっていうか。それがすごく難しいことなんじゃないかなとも思ってて。そっちの方が。なんか録音したものが流れる瞬間ってすごくドキッとするじゃないですか。集中するし。たしかにその方が集中するんですけど、そうじゃない、何気なく流れてる時の方が本当は大事だったりしてて、その時ちゃんと観たり聞いたりした方がいいんじゃないかなっていうのは自分の中にあって、だからあのシーン自分の中で最後の方に持ってこようと思って最初の方に撮影したんですけどね、あのシーンは、いいの撮れたなと思って
横 そのまた話の内容が意味あることじゃなくて、卵焼き定食の話っていう、どうでもいいっちゃいい話っていうとこが。今の説明を聞いてすごく合点がいきました
今 まあ、アイス食ってたあの人にとってはどうでも良くないっていうことでいいなと思ってるんです���ね、自分の中では
0 notes
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映画『ハロー、スーパーノヴァ』アフタートーク①
佐々木敦(批評家)× 今野裕一郎 2014.2.23@池袋シネマ・ロサ
1、映画と演劇について
今野(以下今) 本日はどうもありがとうございました、監督の今野裕一郎です。そして批評家の佐々木敦さんです 佐々木(以下佐) こんばんは。これは何か進行とかあるんでしたっけ?ない?(笑) 今 あの、まぁ映画のこと聞きたいですやっぱり 佐 そうですね、あのー、今ちょっと紹介してもらったんですけど、バストリオの作品、演劇映画、結構何作か拝見させていただいていて、実は最初映画だったんですよね。たまたま上映会があって、この作品の前に撮られた何本かの作品の上映会があって、というのも、フッとチラシを見て、見に行ってよかったみたいなところから演劇にも呼んでいただいてこんな感じになったっていうことなので、最初から割と映画と演劇が僕の中でバストリオは絡み合ってるというか、一緒にある、みたいなイメージがあったんですね。だったんだけど、今回のこの映画に関してチラシっていうかコメントにも書きましたけど、僕最初に特に映画を見ちゃったから、映画見て演劇見たときに、映画と演劇なんかちょっと違うことやってるな、っていう印象があったんですよね。それが、今回『ハロー、スーパーノヴァ』で、演劇でバストリオがやってることと、映画で今回やったことが繋がったっていうのかな、そういう印象があったんですよ。なので、今日映画の話をするとして、今回の映画がそれ以前までの今野監督が撮ってきた映画と違うとしたらなんで違うことになったのか、違わせようとしたのかそもそも、とか、そういう話からちょっと伺おうと思ったんですけど。 今 佐々木さんが見に来てくれた小さいギャラリーでやった上映会で流したのが、『生きている』と『信じたり、祈ったり』って明日流れるんですけど、その二本ともう一本の短編を見に来てもらったんですけど。あの映画を撮っているときっていうのは、僕もともとドキュメンタリーの映像を撮ってきたので、もともと演劇をやる人ではなかったんで『生きている』とか見てもらった映画を撮ったときは、まだ演劇をやってないですね 佐 あ、やってない? やってないんだ! 今 やってないですねあの時は。『生きている』の時は。宮沢章夫さんの作品に参加するっていうことはあっても、自分で演劇をやろうみたいなことは全くない時期に、映画を撮ろうっていうことで撮っていて��『信じたり、祈ったり』っていう子供ふたりで撮ってる映画もあるんですけど、それもそんなにまだ演劇を始めたばっかで。あれはほんとにイレギュラーで、近所に住んでる子供たちで映画を撮ろうって。彼女たちと仲良くなったんで、撮りましょうっていうことでつくった映画なんで、演劇をやる前の映画っていうのが大きいと思うんですけど・・・。で、今回の映画は、自分で変化させようとしたのかはちょっとわからないですけど、これ2011年の11月に撮影してて、まぁその時・・・2011年であの時そういう時期だったっていうことなんですけど、地震があって、その後、僕北千住で映画撮ってるんですけど。あの街を結構歩いてたんですよ自分で、そしたらその時期は人がいなくなってて、河原で遊んでる人がいなくなってて、人がいないなぁっていう感じで過ごしてる時期だったんですね。それで久々に試写でこの『生きている』と『信じたり、祈ったり』っていう前に撮った映画を見たときに、全然違う、っていうか。自分でも 佐 あぁ~ 今 ああそうか、以前はこんなふうに撮ろうとしてたんだよなぁ、みたいな感じが自分の中ではあって。やっぱりちょっと演劇が混じり合って変わってきている部分っていうのもたぶんやっていくうちに、役者たちと出会ったっていうのも大きいと思うんですけど。バストリオの演劇作品があるんですけど、それに出てくれている出演者が結構出ているっていうのも影響していると思うし、その人たちの持っている質感みたいなものが出ているっていうのもあると思うんですよ 佐 うん 今 その前はなんか映画は映画で自分のやりたいことでやってたんですけど、そういうことじゃないものも出会った人とつくるっていうことでなんかたぶん入ってきたっていうのと、あの時の、2011年の自分の中にあったものなんだろうなこれは、っていう感じがあります。撮影がだいぶ前になってしまっていて、2年半くらい経ってるんですけども、あぁそうだったんだよな、っていう感じでしたね。編集して今回上映するってなった時に。そうだった、そういえば、っていうか、こういう感じだった俺、みたいな感じなんですよね映画見てて。忘れてしまうかも、もう、っていう。こういう時間があった、っていうことを撮ろうってことと、演劇の何かが混じってったっていうことで、今までの映画とは変化したのかな、っていう感じですね。まぁ、明るい映画を撮りたいと普段は思っているので、できるだけ。ちょっと今回この映画を作るときは、まぁ現場は明るかったんですけど、なんか、こうなってったっていうことなんですけど 佐 なるほど、いまのこの説明すごく、このあとの話につながるなぁと思って聞いてたんですけど。言ってみれば、いま話題に出てた、この映画より前に撮っていた映画っていうのがあって、これを達成した時があって、で、これが反省されて今があるっていう三つ、もうすでに時間の、何かが飛んでいるっていうそういう部分があって。これ2011年に撮影されたっていうことはたぶんすごく重要なことだと思うんだけど、それが、2年半っくらい、三年近く完成しなかったっていうのはなんでなんですか? 今 繋いでたんですよ、映画は。素材も集まってたし。2011年11月に撮影して12月には終わってたんで。素材は上がってて。なんか・・・ 佐 見せる気にならなかったってこと? 今 そうっすね。なんだろ・・・一回繋いだんですよ。全体のなにか、っていうのは自分の中にあって。断片断片で役者には演じてもらってるんで誰も全体像は知らないんですけど、全体を編集作業で作っていくっていうことでやるんですけど、なんか、あの時完成させられなかったんですよね。なんか、、なんでしょうね 佐 まぁ2011年にも演劇の公演はやってるし、ほかのことむしろいっぱいやってたよね 今 そうですねすごいやってましたね。演劇をやってる、っていうのも一つ理由だったかもしれないですね���そっち側の作品をすごい作ってたっていう。ちょうどその頃、「Rock and Roll」っていう新宿の眼科画廊でやった演劇を作っていた頃と時期はかぶっているんですけど。ちょうど稽古しながら撮影してるっていう感じだったんで 佐 なるほどなるほど 今 その時期ですね。「Rock and Roll」をやって、っていうところで一回編集作業もしたんですけど、ちょっと一回ストップして。その時は演劇でやろうっていうことのほうが大きくて、そっち側のほうがやれるっていう感覚が自分の中にあったっていうことだと思うんですけど。僕は今回初めて映画館で上映するんですけど、上映するっていうことが今までなかったので、出来た作品を見せたいタイミングで、作った生のタイミングで見せられないんだなって結構自分の中でなってて 佐 あぁ。それが演劇との違いですよね。演劇は上演っていうのが現在形だから 今 そうですね。やっぱり過去の記録じゃないですか、どうやっても。演劇が今なんで、今のことやれるっていうほうがいいなっていうか、自分の中で違和感が無いから、その時は演劇の方に集中してたっていう感じなんですけど。で、いま時間が経って、映画館の人に見せたら流しましょうって言ってくれたんで、ちゃんと完成させて。役者さんも待ってくれてたんで見せようって思って改めて素材見たときに、あぁもうこんなに時間が経っているのか、って感じが自分の中であって。でも見せないっていうのは無いなと思って、上映するっていうことを自分でやってみて、感じることがあるだろう、っていうことでここまで来たんですけど 佐 完成にむけての作業をしたのは最近っていうことになると思うんですけど、その間に流れた時間みたいなものっていうのは、バストリオとしての時間っていうのもあると思うし、今野裕一郎個人の人生の時間もあるだろうし、世間一般の時間もあったと思うんですけど。さっき、撮ってた時にこういうこと考えてたんだ!って言ってたと思うんですけど、その差、時間差みたいなものは完成の作業をしている時に入ってきたりしなかったんですかね? 今 あぁ 佐 撮影を新たにしたりとかはしなかったんですか? 今 してないです 佐 前に撮ったもので、やってる? 今 してないです。しよう、ってちょっと思ったんですけど、少し足したいって思ったところもあったんですけど、まぁでもこれで行こう、っていうか今の形じゃなくその時の形で、その時のことを今という時間でやろうみたいなのは自分の中にあって。で、今のものも一回ばらして繋ぎ直していて、尺の感覚ですよね。なんていうか、ワンカットワンカットが基本的に長いんですけど、あの時に耐えれてたあのカットの感じが今だと長いとか、そういう体感の感じが変わっているっていう 佐 そういう生理的な 今 そうですね。生理的な部分だと思うんですけど。自分の中での時間ですね。映画の中の時間みたいなものを組み立てていく上での変化は多分出てて。前の方がもっと長かったんですよ、割と切ってる方なんです 佐 なるほどね 今 切ったほうがいいんじゃないかって見直してるうちになったんです。で、割と切ったっていう感じです 佐 今回の完成版はそんなに長回ししている印象はないですよね。じっくり撮っているんだけどしっかり間にインサートショットが入っているっていうことが多いので、そこが違いといえば違いなんですかね 今 そうですね。なんか、それが今回面白いなって思ったことなんですけど。だから、みんなが見てどう思うのかなっていうのは特に気になったし、上映してどんな反応があるのかな、どういうふうに見るのかなっていうなにかですね。あの時自分の中に、真に生きてた葛藤とか時間っていうのが、ちょっとズレているっていうことがあるっていうことが、ほんとに過去のことなんだなこれ、とか思ったし、それを今のものとして作品として立ち上げるってものすごい矛盾してるけど、それって映画の作業として面白いなって思ったし
2、物語ることについて
佐 さっき、映画って過去のものじゃないか、っていう話があったけど、実際そうじゃないですか。だから、逆にいうと2011年に撮ってすぐの時は、本当にその「過去さ」が、あぁこれすぐに過去になっちゃうのかな、みたいな感覚が、3年くらい流れたことによってむしろ適切な遅さになった部分はあるのかなっていう。実際この映画を見て、これ実は2011年の秋に撮ったんだよっていうのは言われないとわからないと思うんですよ 今 絶対そうですね 佐 言われると、いろいろ思うことはある、と。それは旅人のね、出てきて最初にしばらく喋るセリフとか、やっぱりそういうことをね、2011年の3月にあったこと、っていうのを想像させるんだけど、その想像させるっていうのは、例えば2011年の暮れくらいに映画が完成されていたらあまりにも直接的に聞こえたかもしれない 今 はい 佐 それが、適切な、ある時間が流れたことによって、そのセリフ自体の距離感っていうのかな、見る側との。それもちょっと、違う形で考えを深めることができるようなセリフとして聞けるようになった気がするんですよね。それはすごくむしろ良かったような気がしています。それで、今日はちょっと物語の話を聞きたいと思っていて。もともと、そのバストリオの、特に演劇は、よく言われてることだとは思うんですけど、いわゆるちゃんとした物語がないじゃないですか。物語はちゃんとそれぞれにあるんだけど、起承転結とか、オチとかはあんまりはっきりとない、っていうか。この映画も堅い言い方でいうと、バストリオ的な、非完結性っていうのかな、みたいな感じっていうのは随所に出ていると思うんですよね。なんだけど、一応は、牛尾さんの役柄の話とかが結構ある筋があって 今 まぁあれが一本の筋ですね 佐 だから、物語っていうものを・・・もともとドキュメンタリー撮ってた人だから、物語関係ないじゃないですか 今 関係ないですね 佐 関係ない人が物語に取り組んだのが演劇で、最初演劇をやろうと思う前に映画を撮って。以前の映画は今のものよりも物語性っていうものがあるものだったと思うんですよね。だから、今野くんにとっての物語に対するアプローチの仕方っていうのがどんどん変化しているっていう感じがするんですけど、これについてはどうですかね 今 物語ですよね。うーん。まぁなんか、昨日女優の片岡礼子さんが見に来てくれたんですよ。まぁ、(バストリオの)演劇も見たことがなくて、腑に落ちないみたいなことを仰ってて一緒に飲み会行ったんですけど。たくさん感想を言ってくれて聞いていると、演劇でよく言われたりすることとおんなじだったんですよ、その感想が。なんか良いとか悪いとか面白いとか面白くないとかじゃないんだけど、すごい大きな何かは感じてるんだけど、良かったと言っていいかわからないからちょっと質問させて!みたいな感じで言われて。凄くありがたかったんですけど、まぁ、ちょっといろいろ見にきてください・・って言ったんですけど(笑) 佐 (笑)。他に言い様がないもん(笑) 今 そうなんですよね。で、他のも見るよ!ってなったんですよ。他の作品とつながってきている何か、みたいなものも自分の中にはあって。ひとつの作品の中で完結は映画が終わればするじゃないですか、僕は完結すると思ってるんですけど。エンドロールが流れれば終わりですね、っていうことだし。ありがとうございましたって言われれば演劇も終わるじゃないですか。まぁ終わりは絶対にあるんですけど、終わってないんですよ僕の中では。でも、終わる必要がある、っていうか終わらせようと僕は思ってるんで一度。この作品はここまでなんだというつもりで作ってるんで。それは、自分の中の作品の終わりであって、また物語っていうのは自分の中ではすごいいっぱいあるんですよ。例えば牛尾さんの話みたいなものがあるじゃないですか。夫婦がいて、奥さんが部屋に一人でいて、一人で部屋にいるということがなんか居れなくて出て行ってしまう、みたいなことがあって、帰ってくるまでの話、みたいな。途中で外国人が出てくるんですけど、あの人もちょっと出てきて終わっちゃったり、アイス食ってる人もなんの人かわからないけどアイス食ってて話しかけてくる、とか。でも、それで物語れてるっていう感覚は自分の中にあるんですよ、そのワンシーンで。全部ひとつの物語じゃなくて、その多様にたくさんのものがひとつの時間の中に見えてるっていうか、例えばカットを撮っていても、僕の警官の役を上村さんの旅人の役が橋の下で追っかけてる時に、鳩に餌撒いてる人がいるんですけど。編集のときにテレビの小さい画面で見てると、写そうとは思ってたけどちょっと小さいなと思ってて、でもスクリーンで見たらでっかくてやっぱ鳩に餌やってる!と思って 佐 (笑) 今 やっぱそういうことも写ってる。演劇でもなんでもほんとにいろんなことが起こってるし、でも映画ってスクリーンでひとつのものでわりと全部を見ようと思えば見れる。だからわりと見る方も試されてると思うんですけど、見る力が必要だと思っていて。お客さんも。見て欲しいと思ってるから作ってますし。だから写ってるものの中にはたくさんいろんなものがあって、ストーリーを想像することができるものもあるし、ストーリーにもならない何かみたいなものもあって、それは僕の中では比べるものではなくて 佐 等価、みたいな 今 等価ですね。等価だと思ってて。それはもう常にたくさん散らばってて。どこを見てもどういうふうにもなりうる。でも勝手に見て想像してくださいっていうわけではなくて、こういうものを伝えようと撮ってるっていうのは自分の中で明らかに意味があることだし、主観が入っているし、切り取ってるし。そこにあるものでどういうものを伝えられるのかみたいなことを考えていて、その中には物語はできるだけ、どうせたくさんあると思ってるから。ひとつのものに限定して伝えていくことはそんなに興味がなくて。てかその価値観がないのかもしれない、自分の中に。もういっぱいあるじゃんと思っていて。その中にある何かをひとつひとつ堪能しようと思っているところが自分の中にあるっていう。だから登場人物ひとり出てくるだけでも、その人を見ている中で感じることってたくさんある。だからそれを見るのは難しいことだと思っていて 佐 見て受け取るものも人によってやっぱり違うものだし 今 違いますよね。違っていいし、違って当たり前だと思ってるし、そのことを期待しているっていうこともあるし、すごく信頼しているんですよね。僕の中で。それが自分が作るっていうことの意味なんですけど。信頼してるからお客さんのことは全然考えてないです(笑) 佐 (笑)必ずなにか受け取ってくれるだろう、っていうふうに思えるってこと? 今 そうですね。僕は投げてるし、伝えないでおこうとか思ってるわけじゃなくて、勝手に想像してくださいって投げた態度でも別にないんで。伝えようと思っているんで。僕は信頼してるから、できるだけ見てくれるだろうと思っているんで、何も考えないようにしてる、お客さんのことは。で、自分の中にあるものは絶対に全部出そう、みたいな感覚はあって。僕が見てきた、切り取ったもの、の中に物語がたくさんあるし、僕がいろんな想像することもあるし。例えば旅人の役柄には自分の中に描きたいモデルみたいなものがあって、その何かを映し出そうとは思ってるけど、そのことを説明する必要はないと思ってますね。そういう人がいる、っていうことを見てくださいっていうことなので。見たらわかります。っていう、セリフあるんですけど、見たらわかると思ってるんですよね。それぞれなんですけどね、ひとつの答えじゃなくて。そういうたくさんの物語があるっていう感じです 佐 なんかあれだよね。例えば、作り手が考えて作ってるから、映画であれ演劇であれあるいは他のものであれ、その人の頭の中から出てきているものであるというのは言い方としてひとつあるんだけれども、今の話を聞いていると、ある意味では今野裕一郎自身にとっても全部を把握できているわけではないような登場人物や、全部が把握できているわけではないようなエピソードっていうのがあって。それが何らかの形で出てきて、���れを足していってるみたいな感じだよね? 今 そうですね。あの、それが全部あるようにしたい、っていうことですよね。あるんで、それを出していきたい。それは演劇でも映画でも方法は違うんですけど、演劇で試してきた、演劇がすごく今なんで、その今のことがすごく面白いなと思って演劇をやろうと思えたんで。その即効性ですよね。今自分が感じていることを常にすぐ見せられるし、反応も見れるっていうことの良さがあって。まぁ演劇で感じていることみたいなのは映画で現場でやる上で入ってきていて、そのことを定着させたいなと思ってたぶんこの時はやっていて、時間が経って完成した、っていうことなんだと思うんですけど
3、好きな映画について
佐 まぁでもね。この90分の、長編映画になったんですけど。これも聞いてみたかったことなんですけど、映画、ドキュメンタリー映画を学んでいたっていうか撮っていたわけじゃないですか、それは置いて、例えばこの映画を見るとね、やっぱりすごいほかに似たものはないという感じがするんですよね。映画なんだけどちゃんと。でも他の、ナニナニっぽいよねみたいなことはなかなか言えないっていうか、そういう意味ですごく独特だしユニークだと思うんだけど、どんな映画が好きなんですか?好きな映画監督とかいないんですか? 今 いますよ。結構います 佐 それ言うとかアリなんですか? 今 自分の好きな佐藤真さんとか、ドキュメンタリーの監督なんですけどもね。亡くなっちゃったんですけど。あの人の映画はすごい好きだし、僕ほんとドキュメンタリーはすごく好きで、土本さんの映画とか好きですし、小川さんの映画も好きだし。ドキュメンタリーをすごく見てて、まぁペドロ・コスタとか好きですけど。ある時期にすごくドキュメンタリーを浴びて、これだよな、みたいな感覚が自分であって。大学時代ですけどね、それですごいひっくり返されたっていう感覚があって。で、結局、ドキュメンタリーもフィクションも変わらないんだっていう感覚が自分の中にはっきり来て。なにをやるにもそれって一緒のことになっていくだろうな、っていうのが自分の中にあって。演劇をやっていく現場でもそれを感じたし、宮沢さんの現場でも、それは自分の見方ですけどね、宮沢さんがそうしてるっていうよりかは。なんか常にドキュメンタリーの映画で感じることが多いかも知れないですね 佐 なんか今のその名前は、本当に全員ドキュメンタリー系のひとなんですけど。ペドロ・コスタも大きく言うと、ドキュメンタリーっぽくなって以後のことだと思うんですけど。劇映画の作家とかでこの人には大きく影響を受けたとか、大好きだという人は? 今 ウェス・アンダーソンですね 佐 あー。なるほどなるほど。すごいよくわかる感じですね 今 ほんと好きですね。あと、ツァイ・ミンリャンとかも好きですし。まぁでも、ウェス・アンダーソンが好きですね一番。まぁお金があるならあれくらいのコトやりたい、って気持ちは凄くありますね
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バストリオ#5『グッドバイ』アフタートーク 飴屋法水×佐々木敦×今野裕一郎 2013.7.4 @SNAC
1.『グッドバイ』について
佐々木敦(以下佐)はいこんばんは、急に呼ばれた僕が喋りはじめてあれですけど、今日は僕が、進行的なかたちで、話を始めたいと思います。まずはご紹介をしたいと思いますが、今野裕一郎です
今野(以下今) よろしくおねがいします、作・演出の今野です
佐 で、ゲストの飴屋法水さんです。どっから話を進めようかなというのがあるんですけど、飴屋さんにせっかく来て頂いたという事で、さっきちょっと話してたんですけど、ひとつ前のからご覧になっていて、だから今日が二本目ということなんですけど、飴屋さんの感想を
飴屋法水(以下飴) いや、面白かったです。僕は二個しか観てないけど、またこないだと雰囲気が違って
今 そうですね
佐 こないだのは横浜のNitehi Worksでやったやつですね
今 『点滅、発光体、フリー』(以下『点滅―』)というタイトルで横浜でやったんですけど
飴 なんか、輪っかになって
今 そうですね、輪っかになって、回りながらやってたんですけど、今回は違う使い方で
佐 僕は結構何作も観ていて、トークも何回目か分からないくらい(笑)僕も今回、前のとずいぶん変わったなってことと、ひとつ前の作品との違いってことだけじゃなくて、この作品は、今までのバストリオの作品から、また次のところに行った作品になってるんじゃないかって思ったんですよね。それがなかなか、いつもトークとか出ててあれですけど、すごい良かったと思います。いつも俺毎回良かったって言ってるから(笑)良かったってどれぐらい良かったんだっていうのがあるんだけど、良かったってことで言うと、あえて言えば、前のより良かった
飴・今 (笑)
佐 こんな言い方有りかどうか分からないけど、すごく好きな作品だとおもったんですよね
飴 僕もね、作品として比べるような問題としてないと思うんだけど、これまでのは映像とかで観て、この前の観て、横浜のも面白かったんだけど、今日の、良かったなと
今 ありがとうございます。僕もともと映像やってたんで、演劇まだ3年ぐらいしかやっ��なくて、よく分かってないところがあるんですけど宮沢章夫さんの映像を担当してて、それで演劇に会ったんで、それまで演劇のこと全然知らなくて、そこで、役者の人達とこういう風に長い間いられることが単純に楽しいんだな、ってこととか、こんなに作っていけるものなんだな、とかいうことに感動して。映画撮ってるとカメラ回してるとき以外はコミュニケーションとるの難しいところもあるんで、僕はドキュメンタリーをやってたんで、人をずっと撮って、2年ぐらい付き合って、別に役者でもない人と作っていくっていうのが普段やってたことだったんですが、それが演劇だと、こんなに時間を共有して、皆で色んなこと考えていけるのかってことが単純に楽しいってところから始めてたんで
佐 なるほど
今 やっていくと色んな人に感想もらって、色々言われることがあるんだな、とか、自分が気付かないこととかもいっぱい知ることになるんで、この前やったときの(『点滅―』)を観に来た人がいるかもしれないんですけど
佐 あれは、ワークショップをやって、発表したものを組み合わせた作品だったんですよね、基本的には
今 そうですね。で、やったんですけど、なんか、変な話ですけどしっくり来てなくて、あれ?ってはじめてなったんですよ。で、もうちょっとやめようかなというか、難しいなってなって
佐 演劇のことやること自体が?
今 はい、で次SNACでやりましょうって決まってたんで、じゃあもうこれで終わりかもしれないってなって
佐 で、タイトルが?
今 そう、先に『グッドバイ』ってついたんです
佐 (笑)
2. 借景について
今 だから太宰とかじゃ最初なかったんですけど、で、始めたって感じだったんです
佐 なるほど、もしかしたら場所の問題とかもあるかもしれないんだけど、過去の作品と比べても、なんていうのな、シンプルって言葉が合ってるか分からないんですけど、一続きの感じがこの作品ってあるなと思うんですよね。もちろん、色んなエピソードみたいにはなってるんだけど、ひと呼吸って感じがあって、その前までの作品は、それが良い意味でも、もっと断片的な作りだったと思うんですよ。それがなんか心地よく見えたと言うか、それからこの場所の使い方も外を使っているというのを聞いていて、どうやってやってるのかな、と思ってたんですけど、すごく素敵な使い方で、飴屋さんもここ(SNAC)は、マーム(とジプシー)で
飴 ちょうど一年前ね
佐 ちょうど今ぐらいでしたね、そういえば。そしてやはり外を使って
飴 だから、そう、すごい(外を使ってる)っていうのも良かったね
今 外に向けてたんですか?
飴 開けてた
佐 開けたっていうよりね(笑)その時は閉められなかったっていう、車が
今 ああ、写真で見ました
飴 僕基本的に空いてるの好きなんで、どこかは開いてて欲しい、単純に開いてる形が好きなんで
今 僕も外ではやりたいってずっと思っていて、でも外でやるってどうやったらいいか、分からなくて、でも外でやりたいってずっと思っていて、初めて開けて外使えるってなった時に楽しみ、っていうか自分の中で作っていく上で、やりやすいっていうか。最初��ここでやるときからもう、絶対外使おうってなって、で、役者は一回はけたら町歩いて戻ってきたらいいって。そんな感じで一回切れちゃっていいんだ、関係無くなっちゃっていい、という感じでやろうって決まりましたね。で、作っていったんですけど
佐 なんかマチネだったり、天気、例えば雨とか降ったらまた違う感じ��
今 そうですね、昼は全然違いますね、人が通って、犬連れた人とか、わりと通って
佐 昼の方が?
今 そうですね、昼の方が多いですね、今日の昼とかも犬連れたおじいちゃんが、ゆっくりそこ(通り)抜けていたんで、いいなって、その時に皆の見方がほぐれるのが分かるというか、そういうものが来てほしいと思ってるんで、普通の空間でやるときだって。今日もずっと、
佐 カナブンがね
今 うるさいと思ったんですけど、でも、それも結構僕は、あ、来たってかんじで
佐 いなくなったかと思ったらね(笑)
今 そういうことがあるのは普通のことなんじゃないかなという感じでつくってました。この前も蛾かなにかが入ってきて、そういうの発見するの楽しいです、開けてて良かったなというか
3. 出演者について
飴 出ている人達のつながりは?
今 最初に演劇をやるってなった時に知ってる人とやろうというか、どうやって出会ったら良いか分からなかったんで、大学が京都造形芸術大学っていうところに通ってたんですけど、その時一緒に映像つくってた人達、制作やってる橋本さんとかもそうなんですけど
佐 制作やってるっていうか(笑)出てる
今 そう、制作・出演なんですけど(笑)すごい活躍なんですけど、彼女と一緒に東京出てきたんで、宮沢さんの作品に彼女と出たりして、一緒にやろうってなった時に知ってる人達に声かけて、4人とかで始めて、だから知ってる人としか出来なくて、3作ぐらいその人達とやってて、役者の人たちと出会う方法があんまり分からなかったんですけど、オーディションをやったら来てくれるんじゃないかって話になって、色んな人が来てくれて毎回そういうことを、まあオーディションって言ってもどう選んだら良いか最初分からなくて、全員でやろうとか、もう、来てくれたんで
佐 一回すごい多いときあったよね
今 そうですね、横浜のときとか(『Very Story,Very Hungry』)も、あれもワークショップオーディション、みたいなことを2日間やって、何人か落としてるんですけど、最初のオーディション来た人はほとんど落とせなくて、というか、落とす理由が無い感じになって。この人達とやろうっていって作っていって、そのワークショップに来てくれた人が演出助手とか、スタッフも手伝ってくれるってなって、そうやってつながっていく人達とずっとやっていくという。出会った人とやるしか無いっていうか、出会ったらそのまま作品になるってかんじで、いつも。で、公演の日が決まってるので、その日に別れるっていうのを繰り返してるっていう日々ですね。そうやって演劇をつくっている。まあ演劇かどうかもよく分からなくて、そこで生で人の前でやるっていうことがどういうことか考えるところから作っていきたいので、そこからどういうものが作れるかっていうのが。毎回本を書けないので、とりあえずその人達とどういうことをやろう、その場で、ここでやるんだったらなにができるんだろう、みたいなことを、みんなでできるだけ考えていきたいと思ってますね。出てくるアイデアで良いなって思ったものは入れて、基準が僕もまだ上手い下手とかよく分からないので、これ見てたらしっくり来るみたいのを選んでいったら、こういう作品になるっていうことがいつもあります
佐 あー、あー
飴 オーディションで落とせないって言ってたけど、それは僕もやっぱりそうで
今 あ、そうなんですか?
飴 オーディションで落とせないんですね、落とすのが嫌いなんですよ
4. 台本について
飴 そういう中で何か作ってくときってある種の判断していくじゃないですか。このシーンとこのシーンをつないでいくとか、それをさせている理由、それはなんなんだろう。それは前回の作品のときもすごい思ったんだけど、ひとつの流れの物語というか、ストーリーが進んでいく力とかでは無いじゃないですか
今 そうですね
飴 そのときに何を使っているんだろう
今 いつも悩むんですけど、考えたものを基本的に稽古場にあんまり持ち込まないようにしていて、というか、それを与えて、良いって思えたことがあまり無かったんで。だから、基本的に稽古場に行くときは何も考えないように決めていて、色んなことをやってもらうんですけど、こういうことをしてみようってことを一回みんなで共有して、で、結構考える時間が長いんですよ。2時間ぐらいバラバラに考えて、で発表してもらうみたいなことをするんですけど、その中でそれをどういう風に選んでいくかは分からないんですけど、とりあえずその段階では1回発表を見たってことだけが自分の中に残るんですけど、それを使うとか使わないとかあまり考えないで、また次の稽古の時に、もう1回それをやってみることもあったり、また新しいものを作ってみようみたいなことも本当にそうした方が良いんじゃないかって自分が思うことで。その時の基準が自分の中でも説明が出来ないんですよ。その人がやる上で単純にたとえばなんでそんなことやったの?みたいなことがその人の中からでてきたときに、そういうやり方をなんでしたの?って単純に聞いて、たとえば自分が見てて、なんか違うんじゃないか、その人がやることとして、なんか変、違うような気がする、まあ「ような気がする」という感じなんですけど、そういうところで話して、こういう感じがその人の中で似合うじゃないですけど、しっくりくるとしか言いようが無い
佐 そういうことなんでしょうね。そういう結構ふるいにかけるって言葉は変だけど、あるシーンは残っていき、あるシーンは繰り返されなくなっていき
今 そうですね、消えていっちゃうんですよね、やらなくなっていっちゃう。でまあ、本を書くって段階になったときに、その記憶っていうか、やってもらったこととか、その人達と共有してきたものの断片とか、全体的な感じみたいなものが自分の中に溜まってきていて、それが1回書いてみようと思えるまでは書かないようにしていて、その時が一番しんどいときなんですよ。書かなきゃいけない、でもこれだろうって1回なったときに、頑張って、一人になって書いてみる。その本を皆に渡して、やってみて、違うことももちろんあるんで、それはもうやらないで、じゃあこうしてみようって。だから、最後までどうなるか分からないので、毎回しんどいですけど、でもやっていくと、これだろうみたいなことに、自分の中ではだいたいいつもなっていて、こういう作品だっただろうと。それが完成なのかは分からないですけど、もっと時間があったら変わっていくことがあるかもしれないけど、ここで見せる上では、っていうところに辿り着きたいといつも思って、いつも日々悩んでるって感じなんですけど。その人達とここにいるっていうことの何かが、自分の中に来るまで待つっていう、そういう作業が稽古場でずっと続いてます
佐 なんていうか台本が書かれる前と後にずいぶん作業があるって感じなのかな。普通だったらたとえば、最初台本があってなんかやっていくっていうのと、だんだん台本が出来ていってっていうのだけど、そのどっちとも違う独特のやり方なのかな
今 完成とかがちょっと分からないんですよ、本当に。こうなったな、っていつも思うんですよ、小屋に入って観たときに。冷めてる訳じゃないんですけど
佐 飴屋さんはどうですか? ご自分が演出をして作品を作るっていうときに、作ってる側の人っていうのは、これこれこういうことだから、こう作ろうと思ってるとは限らないっていうことはあると思うんですけど、だから今野君の話はある意味すごく正直であると��時にすごく本質的なことなのかなとも思うんです。飴屋さんは自分で作品を作るときに「なんでこうなってるんですか?」と聞かれる機会が少なからずあると思うんですけど、どうですか?
飴 分かんないですよね、ひとつに演劇まだそんなやってないからってこともあるんですけど、年月だけはやっちゃってるじゃないですか、30年以上やってて全然分かんないです
今 わかんないですよね
飴 あと、これは佐々木さんとかもよく言うけど、書く前とか稽古する前とかに何を気付いていきたいとか、よく分からないけど、書いてるうちにこれが書きたかったのか、って気付くことってありますよね
今 わかります、そういう感じです
佐 作っちゃったものっていうか、出来ちゃったものが教えてくれるっていうか
飴 そういうことなのかな
今 そういう感じです
飴 僕もいつも、ああ、こういうことになったんだな、書きたかったのかな、って感触とも違うんだけど、それは本当に初日の朝ぐらいに、こうなったんだな、って思うんですよね
今 僕もそういう感じです
5. モチーフについて
佐 『グッドバイ』っていうのは、言葉がまずあったのかもしれないですけど、太宰がたぶん、わりと使われていたのではないかと
今 使う気は別に全然なかったんですよ、本当に。『グッドバイ』ってタイトルをなんとなくつけて、やろうって、それもね本当に理由がないんです。グッドバイだって思って最初始まってるんで、じゃあグッドバイってなんだろうで、検索したら
佐 検索(笑)
今 太宰が出てきたんですよ。本当にそういう感じなんです。ミュージシャンの曲で『グッドバイ』ってついてるのあるんだ、とか、たとえば、、皆どういう風にグッドバイって歌ってるんだろうとか、書いてるんだろうっていうことの中で太宰を読んだっていうか、それもだから、一緒なんですよね、人と出会うのと。取ったから、これでっていう。最初は「別に使わないんですけど」って役者にも言ってたんですけど、みんなで読んだときに。でもやっぱり読んだってことが自分らの中に残ってるので、入ってくるというか、太宰の何かが自分の中に入ったので、出ちゃうというか、それで扱うことになったんです。だから結構入ってると思います。読んだとき、なんでしょうね、ちょうどこれだったのかな、ってことが多分あってやることになったってことなんですよね。それで選びました。そのまま、自分らの中で自然なことになっていったっていう
飴 木が出てくるじゃないですか
今 はい
飴 それ、一つ前の横浜の(『点滅―』)でもすごい印象的だったんですけど
今 そうですね、木出ましたね
飴 見終わった後一番残るのが木のイメージなんですけど、今日もすごいよかった
今 そうですね、、前回は流れる木というか、流される木みたいなイメージがあって、今回はわりとちゃんと立ってる木みたいな印象で作っていきました。なんかそれも、『点滅ー』で流木をやろうみたいのが自分の中で前回はあったんですよ。単純に海に見にいったときに木が流されてるのを見たっていうのが多分残ってたから、書いたと思うんですけど。今回は、自分が飼ってた鳥が亡くなっちゃったんですけど、それで、木に埋めに行ったんです。そのときにがっしりした木を見たんで。ちゃんとした木の下に埋めてあげたいって気持ちが自分の中にあって、ここかなってその木を見つけるまで結構時間かけて歩いて、早朝なんですけど、その木を見つけて埋めたっていうのが、多分やろうとしたとかじゃないんですけど、自分の中にあったので、ちゃんと今回やろうというのがありましたね
飴 樹海は、行ったの?
今 行きました
飴 皆で?
今 皆で行ったんですけど、最初スタッフ何人かで行ったんですけど、昼行ったらわりと観光客とかがいて、夜中に行ってみようってことになって車で行ったんですよ。1時間ぐらいいたんですけどすごい怖かったんですよ暗くて、で全然動物の声は聞こえなくて、一羽だけ鳥がずっと鳴いてるのが聞こえてたんですよ。そのとき雨も降ってて、まあそれもその記憶なんですけど。その後役者で行ったんですけど、そのときはやっぱり皆で行くと楽しくなっちゃうんで、バーベキューとかして帰るっていう感じになって。まあそれもそれだなっていう。で、15日の日記には、バーベキュー皆でしたみたいなことが、自分らの中で共有があったので、そういうことがまた入ってくる
佐 なるほど、日記をずっと読んでいくじゃないですか?
今 はい
佐 本当に出演者の人達の実体験から得てるんだよね?
今 そうです。まあこれも理由は分からないんですけど、今回、日記を皆に書いてもらおうってなんか思ったんですね、それでノートをその場で配って、今日から日記書いてみてくださいって、一行でもいいし、空白になっちゃってもいいので、書いてくださいっていって渡して、それが使われるかどうか分からないけど、使うんだろうなって思って多分書いてる日記なんですけど
佐 うんうん
今 前回の作品やったあとに、自分の中で、もうやるのか分からないみたいな空白があって、まあ鳥が死んじゃったときに、僕自分で日記みたいの書いてるんですけど、書けないってなったんですよ。それはWEBのページなんで、空白というか、真っ白のページっていうのは無いんですけど、自分のなかでは、全然書けないみたいなのが、真っ白っていうか今自分全然駄目だみたいな感じになってて、分からないけど皆に空白を埋めて書いてもらうって。でもただ書くっていうのもなんだから日記なら書けるかもしれないってことで、ノート埋めてってもらおうと思う理由が単純に日記だったんですけど、書いてもらううちに、これは使おうって、日記がだいぶ溜まって来たときに、皆で読んで発表作ってもらうみたいな日があって、そしたらなんか、こういうふうなものみんな作るんだ、とか、あ、皆も書かなかったりする日あるんだとか、そうだよな、そういうことだよな、みたいなことを発表する中で共有していったので、これは日記を発表で使おうみたいなことが出てきて、使いました
佐 すごくなんか最初に一息な感じがするって言ったんですけど、なんでなのかなっていうのが、色々あると思うんだけど、なんか前に何回かトーク出たときも、断片だったりとか、重層化しってて、みたいな、僕らが観たときに、そういう感じを受けますね、って話をしてたんだけど、日記って日付が次の日、次の日、ってなってある連続みたいなもの、どっちにしても70分だったら70分で時間は一続きに流れてるんだけど、なんかそれが、シークエンスシークエンスで細かく分かれてるんだけど、その分かれ方っていうのが、最初に飴屋さんがそれをどういうふうにつないでいくのかっていう質問をしてましたけど、なんかそれが日記っていうことの日にちの連続性みたいなことと同時に、仕草の連続みたいなもの、今までもそういう要素はあったんだけど、今回はそれが本当にすごい、全く切れないみたいな、全部どこかで連続している、実際にそのシークエンスとしては本当は分断されてるんだけど、分断されてるように見えないような作りになってて、違った空気の演出っていう、それが今野君がさっき話してくれたような、こういうことができるということが、すごいなというか、不思議だなというか(笑)なんでこういうふうになるんだろうなってふうに思うんですけどね
今 自分でもわからないです、なんでこうなったのかは、、こうなった
佐 としか言いようがない
6. 「演劇」か否か
今 でもこうなったという事に関しては、自分では、そうだったなって、これがどうなんだって分からないですけど、こういうことだったんだなって、だから別になんか良かったとか、悪かったというよりは、こういうことだったんだなこの作品てってことにいつもなるっていうか、なるようにつくってるんですね、で、ならなかったら絶対作る���辞めたいというか、つくらないほうがいいのかもな、というのは自分の中にあって。毎回結構ギリギリなんですけど、こうなったというところに行ったかな、という感じでいつもおわります
飴 なんかでも独特にね、役者さんも、時間の流れも、空間の動きも、すごいフラットな感じ、ずーっと全部がね、それで、なんかすごい伸びやかで、豊かな気持ちでね、最初から最後まで観れたっていう、全部フラットな感じで。そんなにないなって、僕もいっぱい観てる訳じゃないけどそんなに無いなって
佐 最後の漫才みたいなところでさえ、途中からなんていうか極まってくるものがあって、すごい効果的だったと思うし。さっき、前のより良かったって酷い言い方をしましたけど(笑)もうちょっと違う言い方をすると、バストリオずっと観てきて、演劇として、演劇として?って言い方がもう既に分からないんだけど、というよりも、バストリオがやっていることが演劇なのかどうかっていうことも分からない部分てあると思うんですよ。で、それって結構言われたりすると思う
今 言われます、関わってるスタッフにも言われました
佐 でしょ? なんだけど、別にそんなことどうでもよくね、っていうふうに、すごく、僕はもともとそう思ってるけど、たとえばね、飴屋さんは、自分がやってることは、どういうことをやってても基本的には演劇としてやってる、演劇だっていうことをおっしゃってて、でそれが僕にとってはすごく腑に落ちるとともに、感銘をすごく受けたんですけど、そのときの飴屋さんの「演劇」と、今野君、バストリオが、これって演劇じゃないんじゃないの?って言われてるときの「演劇」は違うと思うわけ、違うって言うよりも、こうこうこういうものが演劇だとしたら、バストリオは演劇ってよりもパフォーマンスだよね、とかいうようなレベルでの「演劇」っていうのはなんにも意味無くて、たとえば飴屋さんみたいに、ある時間の中で人が出て来て、なんか喋ったりとかして、終わりがあって、その中にすごく色んなものが詰まっていてっていう体験。たとえば、バストリオの作品を説明すごくしにくいなと思うのは、どんな作品?って聞かれると、ある部分では、こういうシーンがあってね、ということは言えるんだけど、こういうことで、とか、こういう物語で、っていうのは言えない。あるいは、トータルでこういうことを言おうとしてる、っていうことも言えない。そういうことじゃなくても、たとえば、泣ける、笑えるとか、単純な言い方だけど、ある感情に、トータルでいうとこういう感情を喚起させようとしているよ、ってことも言えない、なんでかっていうと、もっといろんなものがいっぱい入っているからっていう。それがでも裏返したときに豊かさだって思うんです。全然それで良いっていうか。で、話戻すと、前のより良かったよって言ったんですけど、僕は、これに関しては今まで観たバストリオの演劇作品のなかで一番良かったです。それは本当に。あとなんか、ちょっと変わったよね(笑)なんだろう、なんか変わった
今 それは分かんないです
佐 あ、そう(笑)変わったって言い方も変なんですけど、なんかちょっと違う人間になったような気がしてるんですけど(笑)
今 (笑)ちょっと、わかんないです
飴 その、繋げてく、どうしても必要な何かはある訳じゃない、ある種の理由っていうかさ、
今 はい、そうですね
飴 説明出来る理由じゃなくてもいいんだけどさ、感覚的とか言ったって理由が何か必要な訳じゃない
今 はい
飴 それはなんか、本能的な場合もそうだろうと思うんだけど、美学的なことっていうかね、っていう場合が結構多いと思うんだけど、ちょっとしか観てないから勝手なこと言うんだけど、そういう要素がきっと、どんどん無くなってきてて、ある種のセンスでやってます的なことがほとんど無いような。で、無いにも関わらず、でも確かに繋がってるっていうことが、つい何を持って繋げるの?って言いたくなっちゃうようなことだと思うんだけど、より良かった
今 あ本当ですか
飴 前にもやっぱり、ある種、美学的な形式と言うか、ちょっと美学言い過ぎかもしれないけど、そういうものが何かある気がしたんだけど、それもさらに薄まって、でも何か繋がっていってるっていうね、それが不思議で
今 自分ではあんまり分からないんですけど
佐 (笑)なんにもわからないっていう
飴 でも実際生活の中で何か人がするときって分かんないもんね
佐 そうですね、聞かれる機会も無いからね、普通
今 でもやってってるからすごい考えるんですよ。それがどういうふうにつながって、そうしようと思う瞬間が来て、これが一番似合うとか、こうだろうって思うのかっていうその理由みたいなものがあるのかは考えるんです。それを無視してる訳じゃ全然なくて、でもやっぱ分からなくて、たとえば、こういう美学を持っててっていうのが、そういうことなのかも、自分のなかで自信がなくて、でもその選択をするときには、これだろうって自信が自分の中にはあるから、そこでいつも引き裂かれると言うか矛盾をいつも抱えるんですけど、選ぶっていう行為は出来る。自分はやれるっていうのがあるので、そうなったら作品が出来上がるっていうことが、常に、いつも繰り返されていて、今回この『グッドバイ』はこういう風になったっていう。で、『点滅ー』がその美学とかセンスとか、そういうことでやってる部分が自分のなかである。それがちょっと嫌というか、そういうことがやりたいのかってことに、けっこう強い疑問が出てきて、すごく悩んではいて、その中で今回の作品作る上で、多分そういうことを常に考えながら、作品が立ち上がったというか、生き物みたいな感じなんで、一生懸命ちゃんと世話しよう、というか考えようみたいなことをしている。それでつながっていく選択みたいなのはちょっと変化してるかもしれないです。でも自分の中では変わったという感覚はあまりなくて、考えていたことがそういう風に表れてるんだろうな、変な話ですけど、僕も前よりも今回の方がしっくりきてるんですよ。前は終わった後頭抱えてたんで、なんか変な気がするって。最後しっくり来る日が一日あったし、観に来てくれる人はすごい良かったって言ってくれたりするんですけど、なんか、おかしいな、役者とのなにか、自分のやり方がおかしくなってきてるのかな、変なこと考えはじめちゃってるのかな、自分みたいな。今回やるときにはもっと違う形でやりたいみたいのもあって、外に行けるってことが自分の中ですごい喜びだったんで、単純に。というか、そうしたいと、いつも思ってるところがあるんで、ここは外出れるんだ。で、実際外出て行ったときに、ああ、いいなあって。みんな町いってるんだなっていう、いいなって、そういう感じでつくったっていう、なんか、選ぶ理由みたいのは多分あると思うんですけど、ずっと考えてるっていう
佐 僕も作品観ながら、すごい考えてるなって、今までになく考えてるなっていうふうに思ったんですよね。ただ、考えたことをこう考えましたって言えるってことと別の問題だから、なんか要らないものが、まあ、要らなかったかどうかは別なんだけど、もっとシンプルにしたのはそういう意味で、なんていうのかな、本当にこう色んなものを取っていって、本当にやりたいこと、やりたいことというか、出来ることが出てきているっていうふうに思いましたけど、そしてですね、30分と言われたのに50分ぐらい喋ってるという、、
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最近、頭んなかで作品が分裂してて、全部ぶっ壊すくらいのつもりで、塵が舞うだけで、何も残してたまるか。悪あがきは不健康だ。気のせいか沈黙そのものが聞こえてくるような荒地に、そこに線を引いて、家を建てようとする彼女に、その未来と同じように縄文時代のことを想って、吠える犬みたいな弱さ。
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