atelierkuro
くろの日記
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ishiikotaro (Mon)・oura yusuke (Tue)・jp (Wed)・kotasakurada (Thu)・murairiku (Fri)・yoneyama (Sat)の6人で順番にブログを書いています。  毎週日曜日は6人のグループ、アトリエくろ atelierkuro の活動報告。タグをクリック、または検索スペースに名前を入力すれば各自の投稿がわかります。
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atelierkuro · 5 years ago
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2019,0808(Thu)塀と家と遊園地
先々週に久しぶりに更新したブログですが、続けて櫻田の投稿になります。今回は修了制作について書こうと思います。
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 住宅街に敷地を横断するように存在している不思議な煉瓦塀を見つけたことからこの制作は始まりました。ベトナムでの7ヶ月間のインターンを終えて、東京は荒川区の尾久というまちに住み始めてまもない頃、近所を散歩しているととても長い煉瓦塀、それも数軒にまたがるような不思議な塀が目の前に飛び込んできました。ベトナムでは煉瓦は建材として広く流通しているので見ない日はなかったですが、帰国してからあまり目にしていなかったので、しばらく夢中に写真を撮ったり手で触れたりしていました。塀の形成理由が気になって調べてみると、かつてレンガ工場だった遊園地が、開園当時に敷地いっぱいにめぐらせたものがこの塀でした。しかし、さまざまな歴史を経て、遊園地それ自体が縮小して、それよりも内側に新しい柵がつくられることによって、二重の柵に囲まれた地域ができました。近年は分譲化により煉瓦塀が切られる開発がされ、煉瓦塀は途切れ途切れになっています。
 安部公房の小説「砂の女」で描かれる砂丘の集落では、みんなが毎日砂掻きをしなければ埋もれてしまう砂の穴に住んでいることで集落全体の一体感や共同体意識が生まれています。小説では読者の恐怖心を煽るように不気味に語られますが、���落の住人たちが砂掻きという行為や砂の穴という場所などといった、価値のようなものを共有していることはとても素敵に感じました。
 煉瓦塀の赤いリングで囲まれた住宅街の人たちに話を聞くうちに、この塀は70年も近く前から住人同士の共同体意識を醸成するきっかけとして存在し続けているようでした。この煉瓦塀は文化財に指定されているわけでも、 保存の対象になっているわけでもないのですが、地域の人々が共有している価値があるものだとわかったのです。家族でも友人でもない人々が煉瓦のリングによってつながれているような、この稀有な地域のこれからを描きたいと思いました。
 煉瓦の塀はかつての機能を失ったにもかかわらず、昔からの地域住人をつなぐ役割を担ってきました。こういった構築物を、地域における「名もなき文化財」として捉えてみることはできないでしょうか。
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 本来 2 つのものを仕切るために存在する塀という存在が、この地域では地域の人々のつながりを生むきっかけになっていることに着目します。境界線に奥行きを与えるように、遊園地の埒を立体化していくことによって、地域の共同体を形成する助けになりつつ地域特有の風景を守るような遊園地と街を同時に更新する方法を考えます。
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 地域の人たちがなんとなく共有して価値を認めている煉瓦塀に地域とどんな関係をつくれるのか、さまざまなスケールで思考した結果、遊園地の中がかつての境界線まで伸びている部分ができたり、池や水路によって遊園地と区切られている部分ができたり、遊園地の中に住み管理を行う住人(遊園地守)の家が設計できたりします。煉瓦塀と遊園地、住宅と遊園地、時には3つすべてをつなげ、さえぎり、乗り越えたりしながらそれぞれの境界をつくります。境界線に建築のエレメントを配置して、遊園地の埒を立体化していくことで、この地域の共同体を形成する助けになりながらも地域特有の風景をつくるような遊園地と街の更新方法の提案です。
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atelierkuro · 5 years ago
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2019,07,25(Thu)かじり虫
気付けば梅雨も明けているようで、卒業してからはやくも半年近く経つことに驚きます。卒業してからのこの期間は短いようで振り返ってみると、さまざまな色や形の果物をミキサーにかけてつくるジュースみたいに、それなりに複雑で豊かな日々でした。
というのも、4月のはじまりはベトナムの地で迎えたわけで、旅行が終わり帰国してから就活といえるのかもわからないような、そのような類のことをし始めてまもなく所属先が決まったかと思えば数日でやはり間違っていると思いたって事務所を変え、変えた先でも環境に合わずに2ヶ月で辞めたりしていました。そのあとに大学の助手に拾ってもらい展示の準備を手伝っていたりして、先週ついにその展示が始まったところです。
��はその助手の事務所で週3ほどのハーフタイムで働きながら、ポートフォリオを作り直したり、他の事務所にバイトに行ったりしながら次の進路を手探りしているフリーター、又の名を親のすねかじり虫です。
これだけ書いても、そりゃ新卒で建築事務所に就職したら、最初は仕事が遅いから帰れずに徹夜続きとか、土日も返上で勤務とか、同期の話を聞いているとみな苦しみながら頑張っているので、周りを気にしたら焦ったりもしますが、少しばかり仲間がいるようでもあってホッとしました。仲間と僕とでは苦しみのベクトルは間違いなく違うものですが。笑
最近手伝ってた展示はプリズミックギャラリーという青山にあるギャラリーで開催中で、こちらもなかなか複雑で多様なものに仕上がっていると思います。内容をネタバレにならない程度に説明すると、ヴェンチューリのいうところの「難しい全体(Difficult Whole)」というコンセプトを借りて、国や時代も様々な建築物をあつめて断片的に模型化(場合によってはこの前に図面化)して、それを写真で撮影したものを展示するというすこし遠回りな手法をとることで、建築の参照とは、引用とは、ということを再考するような内容になっています。
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しかし平日のみなので、社会人の方々にはいささか厳しいものかもしれません。昼休みや打ち合わせの合間などにささっと立ち寄っていただけると助かります。僕もレセプションで大勢の人が滞在している時にしか展示自体を見ることができていないので、もう一度どこかで鑑賞しに行こうと思っています。
久しぶりの投稿になった��で、あんまり張り切りすぎないで、みんなの近況報告も同時に見��たらいいなあなんて思いながら立ち去ろうと思います。それではまた、夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ、みなさまお元気で。
来週は修了制作のサマリーを載せようと思っています。
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atelierkuro · 6 years ago
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2018,09,13(Thu)ご飯が恋しい日本の私
忙しさにかまけていると、たいしたことも述べないまま時間が過ぎていくことは、このブログの更新日を辿ってみればわかるでしょう。
これからは小さくてもなにかの区切りがある時には文章を書こうと思い、いま3人部屋のベッドに腰掛けながらラップトップをカタカタしています。ちょうど今朝、地下鉄で向かいの座席に座っていた女性が、call me by your nameを読んでいるのを見ながら、そういえばロンドン人は本を裸で手に持っていることが多い、とでもブログに書こうと思っていました。
8月最後の日に日本を出て香港を経由して、イギリスはロンドンに到着した頃には9月でした。2日からは、短期1週間ドローイングワークショップがあり、初日から体調を崩して(風邪をひいた)、それを最終日まで引きずり続けた結果、不完全燃焼にはなってしまいましたが、普段慣れてしまった思考回路の窮屈さに気づく良い機会でした。いやはや、芸大生はよく手が動くこと、そして、私はなかなか手が動かないこと(一応芸大生)。自分の不甲斐なさを感じました。
内容の話を少しすると、ドローイング(手)で思考することにこだわった、デザインリサーチの短期ワークショップに参加しました。まず第一に、指定されたエリアの中で自らの敷地を発見し、その敷地がどんな空間であるかはもちろん、どんな人間のどんな行動や動線が存在しているのか、影はどうおちるのか、風はどう吹くのかなど、恒久的なものと仮設的なもの、そして瞬間のできごとなどをすべて捉え、記述します。次に、自らが観察した上で出来事のきっかけになっていたり、この場所において重要だと感じ���れる事象を取り出して、それを記述します。最後には、その場所に対して自ら反応し、どういう変化を起こせるか、建築的提案を行うという三段階のプロセスを取っていました。が、実際には一般的なリサーチがあってその上でどうしようか、というリサーチデザインではなくて、リサーチをしていることがすでにデザインの一部であるような、記述方法を考えることから、どんな提案がありうるのかテストしながら思索していく、リサーチとデザインが地続きのような形態をめざしたものでした。
僕は、建設現場と公園のちょうど境界にある柵を外壁とした、建設現場側にくぼみのようにでっぱって存在する公共トイレと、もうひとつTom Dixonの店舗に向かう道が工事用の仮囲いで囲まれていて、それらがサインや広告も兼ねている、というふたつの特���的な場所を選びました。
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写真1:境界に立つ公共トイレ
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写真2:仮囲いが重なり合ってTomDixonのショップを知らせる
指定されたエリアはヨーロッパ最大の再開発地区である、ロンドン中心部キングスクロスで、おおきな機械による開発行為と、ちいさな人間の日常的な活動が隣合わせで存在している場所なので、それらの接点について注目した結果として、日常的な公共空間と建設現場の境界のありかたを考えるきっかけになったと思います。自分が最近出したコンペのテーマが、内壁と外壁の間を空間化した住宅だったり、修士制作のテーマもある境界に幅をもたせたり、ぐねぐねさせたりして人々や物の居場所をつくっていくようなアプローチになりそうなので、境界、もしくはそこに生まれるレイヤー、そういったものに自分が興味を抱いているのかもしれないです。
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atelierkuro · 6 years ago
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2018,08,23(Thu)まちがひとをつくる、ひとがまちをつくる
高円寺にきた。実はここには2ヶ月に1度くらいの頻度で髪��切りに来ている。幼馴染が美容師をやっているので、初対面の美容師とのあの煩わしい会話が必要ないし、髪を切ってもらいながらお互いに近況報告をするのは、飲みに行くのとはまた違って、嫌いではない。
美容院に行くまで時間があったので少し付近を散歩して、藤本壮介さんの住宅作品を眺めたりしていたけれど、カシャカシャ写真を撮っても悪いことをしている気分になるので足早に去った。
駅から南北に続くアーケード商店街では、これぞ高円寺と言えるような、前面の道路にまで溢れ出した商品と行き交う人々の賑わいに圧倒された。
いつものように美人を探して歩いていると、いわゆるサブカル系女子が多いこと多いこと。ファッション、メイク、髪型などの身なりのブランディングが高いレベルで高円寺に相応しいように整っており、ここに居るべくしてして居るという感じだ。
友人曰く、表参道で働いていた時より、ここではスーツの客が少なく、サブカル系や学生が多いという。
どこかに新店舗を開くにも、自分の店に相応しいのは、どのまちのどんな客なのか、ということを考えなくてはいけない。
そりゃそうやろな、と思うかもしれないが、「どんなまちにも、そのまちに相応しい人々が居るべくして居る」ということは、常識として認識された、当たり前のことだろう。
逆を言えば、山に登る時はトレッキングシューズを履くように、高円寺に行くときは古着を選んで着るし、僕らは目的地に合わせて身なりを整える。
高円寺でみた、高円寺にいるべくしているような彼らは、おそらく高円寺という街が作り出した、高円寺風みたいなボヤけた記号性を頼りにして、鏡の前に立っていたのかもしれない。
自分がいま取り組んでいる修士制作では、ある住宅街が、ある歴史のある理由で持ってしまった不思議な地域性みたいなものを頼りにして、地域の風景を紡ぎ直すようなことを考えている。
住宅街と高円寺の商店街を比べることはできないが、建物のあいだや前面の道路などに、居場所や賑わいをつくりだすことを目指したい。自分の設計物によって、住宅街が変わることは、もしかしたらそこに住んでいる人々を変えることも意味しているのかもしれない。
鶏が先か卵が先か、みたいなタイトルをつけたが、まちの来たるべき姿にまち自体のハードを変えていくことと、来るべき姿のまちに相応しいような住人を受け入れることの、どちらがまちを早く変えるのかはわからない。いずれにせよ修士制作では、建築をつくることの喜びとパワーを信じていこうと思う。
そしていまちょうど、モサモサになった襟足ともみあげが、右側だけスッキリした。
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atelierkuro · 6 years ago
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2018,06,14(Thu)選択することを選択する
今日は雨が降っていたので、電車をつかいながらも徒歩でかなりの距離を歩かなければならない、大学の図書館や研究室で作業をするのではなく、路面電車で10分程度の場所に位置する地域の図書館に行くことにしました。
というのも、雨が降っていて、外出が憚られる。けれども家での作業はなかなか軌道に乗らず、効率は悪い。近くのカフェに行こうにも、なかなか思い当たらない。むしろ、カフェでラップトップ(macbook)をこれ見よがしに広げて作業することの方が、恥ずかしい。といった理由から、作業していることが自然に思えるようでいて、なおかつ快適な環境を求めている時には、こういった図書館のような公共施設が自分の生活拠点から足の届く範囲にあることが、駅前にあるスターバックスに行くことよりも豊かな選択肢を与えてくれます。
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僕はベトナムから7ヶ月のインターンを終えたのち帰国して、大学院に再び通い始めてから、東京の荒川区に住んでいます。場所はJR山手線田端駅から徒歩で行ける範囲、という点ではベトナムに飛び立つ前から住んでいたのと同じですが、前回とは違う物件に決めました。
物価の極端に安い途上国から帰ってきて、それも自分が働き稼いだお金で生活を組み立てていた日々から戻ってきたこともあいまって、いっちょまえに大人の意識というか、お金に関してのシビアな当事者意識みたいなものが生まれていました。そこで少しでも安い物件を探していたところ、前回住んでいた山手��内側から外側に変えることで、家賃を5千円ほど安くできたのですが、この物件に決めたことで、ひと月に5千円安くなることだけでなく、家賃がいくらとか駅から何分で行けるとか、そういうこととは質の違うものも同時に恩恵として得ていたことに、つい最近やっと気がつきました。それは、選択肢が多いということです。気付いたというよりも、実際に日々の時間を過ごすことによって体感したといった方が近いかもしれません。
具体的に言ってしまうと、僕の住んでいるアパートが、3つないしは4つの異なる路線の駅からほぼ等間隔に位置していることによって、最寄駅まで徒歩5分以内に住んでいた頃より、選択肢が格段に広がったのです。ボロノイ図でいうところの母点がこれら4つの駅、それぞれのボロノイ境界の交点であるボロノイ点が僕が住むアパートとなります。
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「今日は雨だから、路面電車の駅まで歩いて区の図書館に行こう。」といった最初にあげた例をはじめとして、埼玉方面に行く用事がある際には高崎線が止まる駅、大学に行くときは山手線もしくは京浜東北線なのであの駅、荒川方面にあるホームセンターに行きたいときにはモノレールに似た高架電車の駅。といった具合に、まず駅まで歩いて電車に乗って、乗車時間や乗り換えの回数の違いによってその日の目的地に一番近い駅へと到着する、といった都市にはりめぐらされている交通システムに頼った生活では疑う余地のなかった、「まず駅まで歩く。」みたいな前提を「どの駅にしようか。」という自らの意思で選択する項目として捉えることができる生活と言えます。
そもそも学校へは自転車で通うことを考えていたので、物件を探すときにも駅から何分かかるかは検討する項目には入っていませんでした。そのことが幸いしてか、どの駅にも近くない、陸にある島のような場所に存在するアパートになったのです。
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僕のアパートから近くに、小台銀座とよばれる古くからのちいさな商店街があります。そこでは、近くにいくつかあるスーパーマーケットとは違って、野菜は八百屋さん、鳥や豚や牛はお肉屋さん、といった風にそれぞれに問屋さんが存在しているので商店街を歩きながら必要な品目を取り扱う問屋さんに立ち寄って買い物をして帰る。というように購買行為が外部化されていましたが、スーパーへ行くとその商店街の道が内部に織り込まれていて、それぞれの問屋さんは消えて、その代わりに品目ごとに並べられた大きな商品陳列棚がいくつもあります。ここでは、ひとつの店でなんでも変えてしまうことから、商店街を歩きながらいくつかの問屋で買い物をしているときよりも選択肢が広がったとも言えるかもしれませんが、これが本当に豊かなことだ、とは言えないかもしれません。
スーパーマーケットが商店街にたいして持つ貧しさは、「今日はどの駅を利用しようか」といった自分が今日使う路線をどこにするべきか考える過程を、駅から徒歩5分以内に住んでいる人たちが思考の埒外に置いていることと、すこし似ているような印象を持ちました。
これは単に、昔ながらの商店街が、近くにショッピングモールができたことによって衰退していった。というような日本では一般化している現象に対して、「古い商店街はやっぱり残したほうがいい!」という想像力のない懐古主義のようなものとは違う観点から、対象を見つめています。
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もうひとつ例をあげます。先日、渋谷と代官山に展示を観に行った際に、渋谷のギャラリーから代官山のギャラリーまで歩いて向かいました。渋谷から代官山にかけては、ちいさな尾根をいくつかまたぐようにして、高低差のある道を歩��ていました。進行方向に対して直行する道路を渡ろうとした際に、右から左にむかってスケートボードで坂を駆け下りる男性に出会いました。彼は傾斜を活かして、ほぼキックなしにもかかわらず相当なスピードで、移動していました。
そこで「あの人、帰りはこの坂をスケートボードで登るのは大変だろうな。」と同情したのと同時に、「もしかしたら彼は行きと帰りで移動手段を変えている可能性がある。」とも想像しました。国土地理院の地形図で見てみると、代官山のエリアはちょうど武蔵野台地から伸びる一本の尾根で、東は渋谷川、西は目黒川にかけて地形が低くなっていることがわかります。そうすると、代官山付近にある自宅から目黒川方面にある会社に行く際にはスケートボードで地形を利用して駆け下り、帰りはバックパックの後ろにボードを挟み、電車で代官山駅へと帰る。という生活パターンが浮かんできます。もっと言えば、武蔵野台地というゲレンデを東急東横線というリフトで登り、スケートボートという板で滑り降りているようなものです。
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僕も23区で自転車を頻繁に使うようになってから街同士の高低差を身近に感じるようになりましたが、スケートボーダーという視点から都市を眺めることで、違った様相で都市が捉えられるのみではなく、生活するうえでの選択肢が増えるということはすごく生活を豊かにすることに思えます。
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選択肢は多いに越したことがないだろう、のような大は小を兼ねるといった議論ではなく、ここではもともと都市に存在していたいくつかの選択肢が、この条件、この視点といったある特定の位置から眺めることで、同じ天秤の上で測れる、同じ土俵に上げられる、という議論に近いのでしょう。今回はその位置にあたる点に、ちょうど僕のアパートが建っていたということになります。
結局、乗り換えを重ねればどの施設にも特定のひとつの駅からたどり着くことができると思います。しかしその場合には、大学までは乗り換えなし10分、図書館までは乗り換え2回で計25分、ホームセンターへは乗り換え2回で30分、といった風に比べられてしまうことでヒエラルキーが生じ、なんだか等価に自らに与えられた選択肢という感じがしません。すべてが自分の手から等しい距離に置かれることで、はじめてそれらが選択肢として見えてきます。
それぞれの行為を等価に扱うことができる環境にいるからこそ、それぞれが選択肢然として、立ち現れるのです。
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atelierkuro · 6 years ago
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2018,05,31(Thu)3リポグラムの実験
iphoneのTumblrアプリのエラーのせいで、文章が最後まで続かずに、句読点をつけないまま次の文章へと段落を変えて行く現象が最近起こっていますね。このエラーを見ているといくつかの小説を思い出します。
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ひとつは筒井康隆の「残像に口紅を」(1989)。これは劇中劇、言わば作中作?のようなもので、小説家の主人公がだんだん使うことのできる文字をー例えば「世界から「あ」が消えたら」のようにー減らしながら小説を書く、その彼が書いた小説世界の中で、同時に自らもふるまうといった物語です。これはだんだん文字が消えていくことで、その文字が含まれる名前のものは存在が消滅することになり、使用することができないので、たとえば「り」が消えたときには、あの赤くて丸い果物、ニュートンが世紀の発見をしたときにも一役買ったやつ、、、なんだっけ?のようになる。そういった説明の仕方から、誰かが言おうとしている、でも書かれていない正解を推測する楽しみもあったりします。
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もうひとつは、ジョルジュ・ペレックの「煙滅」(1969)という作品。最近レーモン・クノーの「文体練習」を読んで「おら、こんな小説家、というかモノ書きさんになりたい!」というくらいにひどく感動して、彼について調べたのがきっかけで行き着いたのがウリポ(Oulipo)という1960年に結成された文学グループ。そしてそのいけてるグループのメンバーの一人が、このジョルジュ・ペレックで、彼の作品を調べていたら行き着いたのがこの「煙滅」です。原著はフランス語で書かれているのだが、ここで彼が試みたことは”e”の消去。こういった文字を消去することで、自らに制限をかけていくような手法をリポグラムといいます。こういった時、問題にあがるのが翻訳のこと。前にあげた「文体練習」も原著はフランス語だったために、翻訳作業は毎度訳者の頭を悩ませたでしょう。日本語版の「煙滅」では、”e”のかわりに、”い段”を使わずに訳しあげたそう。「煙滅」の方が「残像に口紅を」より20年近くはやいので、筒井さんも多大な影響をペレックおよびウリポから受けていたのでしょう。ただ、今回ネットでさらっと調べてみたところ、恥ずかしいかな、「煙滅」よりもさらに古い、元祖リポグラム小説が見つかりました。
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アーネスト・ヴィンセント・ライトというアメリカの小説家によって書かれた、「ギャズビー―"E"の文字を使わない5万語以上の物語」(原題:Gadsby: A Story of Over 50,000 Words Without Using the Letter “E”)という小説です。ペレックはライトへのオマージュとして、”e”をそのまま引き継ぎ、英語でなくフランス語で試みました。作中にも、「ギャズビー・V・ライト卿」というライトを思わせる登場人物まで出てきます。
こういった実験的な試みを見ているとワクワクして、何十年も昔に死んだはずのおじさんたちからすごく勇気をもらえます。実験小説自体に価値を見出しているというよりは、作品が読者の方にひらかれることで、読者が自由に解読していくような、むしろ作者の方が読者に伝えるように語りかけるのではなく、自ら言葉遊びを楽しんでいる様子がそのまま小説・作品になってしまっているという事実に、とても価値を感じるのです。と同時に、自分もそういう風に、何かを調べたり、新しいことを知ったりして、それを整理したり結びつけたり、勝手に仮説を立ててみたり、そういったことを楽しんでいる間にそれ自体が作品になってしまうような制作ができたら幸せだなあと思います。
小説家ではないですが、錯覚などの人の認知に着目した実験的な絵画を書き続けた、M.C.エッシャーという画家がいますよね。最近の自分の生活リズムが、彼の絵のように逆さまになってしまっているので、今日はこの辺でやめにして、明日また早起きからペンキ塗り(DIY!!)頑張りたいと思います。
それではおやすみなさい。
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atelierkuro · 6 years ago
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2018,05,24(Thu)少数から見た世界
めずらしく映画館で映画を観る機会が二回ありました。「君の名前で僕を呼んで」(原題:Call Me by Your Name)と「ジェイン・ジェイコブス ーニューヨーク都市計画革命ー」(原題:Citizen Jane Battle for the City)の二本です。
久しぶりに映画館へ行くと、Netflixの値段設定にずいぶん慣れてしまっていたせいで、映画ってこんなに高かったのかと思いました。両者とも現在上映中なので、内容に触れて細部を述べることは避けて、すこし互いの共通点を書きたいと思います。
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まず前者は、1980年代、北イタリアにある別荘での6週間、17歳と24歳の青年のあいだに生まれるとても美しく透明感のある恋の物語です。こういった議題は言葉選びを慎重にしていかないと、不用意に人を差別したり傷つけたりしてしまうのでとても難しいですが、一般的に同性愛は性的指向における少数者の範疇に含まれると思います。
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そして後者、こちらはやや専門的な議論になってしまいますが、1960年代にアメリカで活躍した女性ジャーナリスト・運動家のジェイン・ジェイコブズについてのドキュメンタリー。当時NY都市開発の指揮を執っていた政治家・都市計画家ロバート・モーゼスの近代的な開発計画に対して、原題が示すように市民の立場から反対意見を述べるジェイン、という構図の二項対立のなかで彼女が市民を巻き込み見事に反対運動を成功させたことが描かれています。
これら2本の映画のざっくりとした説明から、その時代のその社会から見たマイノリティーの人たちや、マイノリティーであるがために弱い立場にある人たちにフォーカスした物語であるという共通点を乱暴ながら見出してみようと思います。
ところで、前者に関して、説明文やあらすじをしっかりと目に通して、大枠を理解してから、それでも映画館に観に行くか?と聞かれたら、僕は正直即答が出来ません。こういった「正しさ」とか「倫理感」とか「正義」などにまつわる作品は、カメラワークや映像や物語の構成といった作品うんぬんの話をする以前に、それらのメッセージ性が強すぎて、さらにはそれを否定することができない、押し付けられている窮屈さみたいなものを感じずにはいられない、そして今回もそういった映画なのでろう、と思ったに違いないからです。友人の「あれは本当に良い作品だった、君も絶対に観たほうがいいよ。」という言葉だけを信じて、あまり下調べもせずに映画館へ行ったのですが、彼女��は感謝しなければなりませんね。
だれかを好きになって、そのだれかが自分のことも好きであるということが、どんなに美しいことであるか。その”美しさ”を表現することが、結果として同性愛者や性的指向の少数派における「正しさ」や「正解」を伝えないことにつながり、鑑賞者側に議題が投げ出されることにもつながっているという風にも言えるのかなと思います。
逆に僕が後者にすこし窮屈さを感じたのは、相手側のモーゼスに対してすこし一方的にも見える批判からくるものだと予想します。彼だって、最後はすこし頑固になったり卑屈になったりはしたけれども、ある時代のある価値観による”正しい”判断をしていることには変わりはないのですから。
修士制作を考えているとき、自分が大切にしていることのひとつに「プロジェクトができるだけ多義的なこと」が挙げられます。これは、切り口や語り口がいくらでも見つかって、主体(主人公もしくは語り手)の設定をだれでも自由にできるようなイメージを述べたものです。すなわち作品が鑑賞者にひらかれていること、です。このひらく方法、ひらきかたについて、ふたたび考えるきっかけを、これら2本の異なるジャンルの映画が与えてくれました。
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,04,07(sat)m3になりました
m3になりました。
2年前まさか自分がこの場所にいることになるとは夢にも思っていなかったです。という定型文がこんなにも悲しい響きに聞こえることもそう多くないでしょう。
しかし今の自分はそれほどこの状況を悪いふうには捉えておらず、むしろ2年前の悲壮感漂う自分に「大丈夫だがんばれ。がんばれ。」と言ってやりたいほど前向きな気持ちです。
さて、去年の今頃のブログを振り返ってみると新年度のスタートに相応しく決意表明を述べておりました。律儀に正月と4月、自分の誕生日と年3回も目標を立てているものですから区切りが分からなくなっていますが、ひとまず初詣のとき決めたことを引き続き新年度の目標としようかなと思います。
今年の目標はずばり「集中力」です。作業中の集中力もそうですし、寝過ぎないとか、効率よく動くという日々の集中力も高めていきたいという思いからこのような目標にしました。特にこの半年は最後の学生期間なのでこれまでにないくらい自分にとってなにが建築の問題なのか、ということに対して真剣に考える時間にしたいです。
先に卒業した同期諸君、社会をあたためて待っといてくれたまえ。
新年度のはじまりに希望を込めて���
米山
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,03,26(mon)所信表明
石井です。 3月で卒業して、社会人になります。 アトリエくろでは、石井、木下、大浦が卒業して社会人となり、櫻田、村井、米山は諸々の事情であと1年か半年ほど学生を続けるようです。 節目なので、一応所信表明的なものをしとこうと思って色々考えてみたのですが、1番しっくりくるのは「学生生活より楽しい社会人生活を送る!」かなと。 わたくしみなさんのおかげで非常に楽しい学生生活を送らせていただいたのでなかなかハードルの高い目標なのですが、しばらくはこんなことを意識しながら働きたいなと思っております。 アトリエくろも半分社会人、半分学生というよくわからないユニットになりますので、より楽しいことが起きそうですね〜。 ではでは。 #
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,03,22(Thu)だからちゃんと言え
明日の深夜にホーチミンを発ち明後日の昼には7ヶ月ぶりに母国に帰りますが、帰国二日前にしてこの国で最初で最後の食中毒にかかりました。
高熱、嘔吐、下痢の三拍子揃って、昨夜は寝ずに身体中の水分を出し尽くしました。おかげですこしは楽になったもののいまだ体調はすぐれず、明日の最後の晩餐でうまいものを食おうと思っていたのに、今は何も考えられないです。しかも辛いことに、ベトナム最後の5日間を使って国内旅行をしていた最中にかかったので、旅行先で予約したホテルにこもって、ひたすらトイレとベッドを往復しなければならなかったことです。
先週あれほど魚の骨で辛苦したのに、「いただきます」を言わなかったせいだろう。
それはそうと、最後の国内旅行では中部高原のいくつかの街を巡っていました。これで、ベトナムの長細い国土をおおまかに制覇したことになります。ただ、外国人にとっては田舎になればなるほど旅行が難しくなるので、抜け落ちてしまっている部分も大いにありますが。
中部高原は南部のメコンデルタと北部の山岳地帯と並び、ベトナムの低所得者層が多く住んでいる地域のひとつに数えられています。これらに共通することとして、(メコンデルタは比較的少ないですが)少数民族が主に居住しているエリアであることが言えます。彼らの華やかで時に上品な民族衣装は言うまでもなく、伝統的な住居形式や集落の構成はとても魅力的でした。
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写真:ロングハウスと呼ばれる村落の集会場
北部の山岳地帯でもあったように、住居の形式を保ちながらも材料が現代的なものに置き換わるような現象は、この地域でももちろん多く見られましたが、ここではさらにそれぞれの村落にある、ロングハウスと呼ばれる集会場が面白かったです。屋根の部分が胴体の何倍もあるような、かわいらしい、時にはすこしまぬけにも見えるような存在が、村のなかにポツンとたっていて、それを中心に囲むようにして住居や教会(カトリックが多い)、さらには学校などの施設がたっているという構成です。ロングハウスの周りには、ひらけた空間があってそれが広場のように機能していて、バレーコートがあったり、住民たちが食糧を干していたり、日々のふるまいが見れました。
いまはお腹が痛すぎて、あまり冷静に振り返ることができませんが、この7ヶ月のベトナムをはじめとする東南アジア・スリランカでの経験をもとにひとつのレポートにまとめることができたらなと思います。ここから修士制作のテーマには必ずしも直結する必要性はないと思いますが、途上国のピュアな人々のふるまいや風景を見ることで、自分の中のものさしが感動する部分を根源的に探ることの助けにはなると考えています。体験したことをしっかり言語化して、消化不良を起こさないようにしたいです。
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,03,15(Thu)ぜんぶあいつのせいだ
夕食を食べてから気分が優れない。鏡を見ると確認できた。見えているのに取れないコイツ、うーん憎らしい。
「今夜はコウタの食べたいものをご馳走するわ。何が食べたい?」
ぱっと大好きなベトナム料理が浮かばなかったので、あまり普段食べることのない魚をつかった料理が食べたいと頼んだのが全ての始まりだった。
僕にとっては今週が7ヶ月に渡るインターン、最後の週である。今週土曜日に最後の勤務を終えたら、来週金曜日の深夜発、成田行きの飛行機までの数日間を残すのみとなった。そのためか、今週は仕事終わりに、同僚やボスがいろんなところへ食事に連れてってくれる。なかなか面と向かっては言えないけれども、ひとり家に帰ってくると、すこし目頭が熱くなったりしてしまう。それくらいに、いろんな人に助けられ、可愛がってもらえた7ヶ月間だった。
感謝でいっぱいなところ、うがいをしただけでアイツのことを思い出した。忘れていたはずのアイツ。もう一度、忘れたふりをして眠りにつこう。明日は朝から最後のヨガもあるし・・・
いつものように朝日があたって足が熱くなり目が覚めた。「もうこんな時間だ、準備しないと遅れる」と少し急いで体を起こしトイレにいって顔を洗い、うがいをした。もちろんアイツのことを思い出した。口を開けて鏡をみると、やっぱりまだいる。
僕は自分の体になにか異変が生じたとき、例えば風邪をひいたときや怪我をしたとき、もしくは野球選手じゃないけれど肩に違和感があるときなど、できる限りはやく万全の状態にしたいと思う人間だ。目が少し痛かったり、歯がすこし痛かったり、体のどこかに違和感があるとそれだけで作業に集中できなかったりする。そうなればもちろん、喉に魚の骨が刺さっただけでも、すべての行為がいやになるほど気分は落ちるのだ。
ベトナム最後の月に、ベトナムに来てから初めて病院へ行った。保険にはいっていることをいいことに、抵抗はなかった。そしてアメリカ人の医者が鼻歌を歌いながら、洞窟を探検する冒険家がつけるようなライトをおでこにつけて、細長い金属製の箸のようなものを手に持ち、喉の奥のほうに刺さっている魚の骨を引っこ抜いた。
たった5秒で昨日の夜からの苦痛が消えた。ありがとうドクター。ありがとう保険会社。ありがとう金属製の細長い箸。
きっと「いただきます」を言い忘れたせいだろう。
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写真は、内容に全く関係はないですが、整理していたら、そういえばこんなスケッチを展示用に書いていた、と見つけたもの。
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atelierkuro · 7 years ago
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2017,03,08(Thu)音に寛容な民族
サイゴンから夜行バスとミニバンを乗り継いで計7時間、メコンデルタでもカンボジアとの国境まで100mほどの位置にあるチャウドックという街にきました。今回は同居している建築家のかたの事務所の社員旅行に同行して、メコンデルタを週末3日間かけて巡りました。
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写真:House in Chau Doc - NISHIZAWAARCHITECTS
初日はチャウドックという街に昔から暮らす少数民族のひとつであるチャンパ族の集落を訪れたのちに、日本の建築界でもすこし話題に上がっていた日本人建築家の設計による住宅(https://www.archdaily.com/878765/house-in-chau-doc-nishizawaarchitects)を見ることができました。ところが正直なところ、身体的には快適なはずのこの住宅が、ぼくには精神的に快適だとは思えませんでした。それも、テリージョンスンではないけれども、基本的にはウマウマな建築であるんだけれど、ウマヘタになりかけているような感覚。住人が発見的に建築を使いこなすことが想像できず、代わりにとてもしっかりとした機能空間、洗練された設計が感じられる、一方でディテールにはベトナムの粗がでるというので、なんだかそんな気分にもなってしまったのかもしれません。住宅を見せていただいたのでしっかりとした批評を書きたいところですが、今回はすこし省かせていただきます。
最近は旅レポみたいなのを繰り返しすぎているせいで、もうみなさんから飽き飽きされているころだと思うので、今回の旅を通じたメコンデルタ論はまた次の機会にと思います。それはともかく、いまこの文章を書いているのはもうすでに夜1時だというのに、9時にはだいたいの国民が寝始めるこの国において、がんがんと音楽を鳴らして街区全体に聞こえるほどに歌を歌っている集団がいます。昨日から近所で葬式が始まりました。正式に言うとおそらく告別式なのでしょう。音楽を大音量で鳴らし、路地に椅子と机を並べ、電柱とだれかの家の二階の窓をつなぐように横断幕をかけて、故人を偲び宴会をしています。その宴会で彼らは深夜2時ごろまで、日本で言ったらありえないほどの、大音量で、風通しのいい家が並ぶ地域に歌声を響かせているのです。
この国で生活をしていると、ベトナム人は音に関してとても寛容な国民だなと感じることが多いです。ぼくにとっては苦痛であることが多いなかで、すこし自分の経験を思い出してみると、
・ケータイを常にマナーモードにしない、場所と場面を��わず電話を開始する(バス・映画館・レストラン・オフィス・etc)
・食事は基本的に口を開けながら、くちゃくちゃする
・店のbgmが隣二三軒、路上にまで聞こえる���どの大音量
・民家のテレビの音量も外にまで聞こえる
・会話は大声
・路上はクラクションの応酬
・鶏の鳴き声が住宅街に響く
などがとりあえず浮かびました。これもひとつ、ベトナム・ホーチミンの特徴の一つとして追加できますね。
今日はこの辺でさらっと終わりにして、旅の写真を整理しながら、思考も整理していきます。ちなみにこのブログのテーマを変更してみました。これで、「うわ、今回もまた櫻田かよ。」という印象がすこしでもなくなれば幸いです。笑
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,03,01(Thu)三月のマーチ
今日から3月ですね。時間が経つのは本当に早く、ベトナムも最後の月となりました。北部の山岳地帯をまわり終えて、ハノイからビザだけのために、わざわざカンボジアはプノンペンを経由して、ようやく昨日バスでサイゴンへと帰って来ました。
仕事といえば、今日から残り3週間の勤務が始まりました。残りの日程でしっかりプロジェクトをかたちにできるように最初で最後のスーパーハード勤務を頑張ろう。と、思っていたのですが、某ビエンナーレの展示プロジェクトがスケジュールと事務所のキャパの関係で今回はパスすることになってしまい、普段どおりののんびりとしたスピード感で勤務をスタートすることとなりました。それもまたちょうど良い機会だと思い、自分の時間をできるだけつくって、4月からの学校復帰に向けて自分の興味を探っていこうと、モーターバイクがうごめくサイゴンの街を見下ろしながら考えています。
旅行の話にすこし戻ると、僕ははじめて少数民族とよばれる人たちの生活風景を目にしました。北海道のアイヌや、沖縄の琉球民族などは知っていましたが、実際に出会いそこでの生活のしかたを見たことはなかったのです。実はベトナムには54もの少数民族が暮らしており、中国との国境近くの北部山岳地帯にも、そのうちいくつかの少数民族が暮らしています。彼らは農業や家畜による自給自足の生活を続けており、比較的厳しい暮らしのなかで、保ち続けている部分と変わっていく部分を見ることができました。
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写真:タイ族の伝統住居、3世代で屋根の材料が変化している
伝統的な住居形式を保ちながらも、材料や工法が現代のものに置換されている例をよくみました。例えば写真にあるのはタイ族の伝統的住居が三棟並んだものですが、中心の棟が最も伝統的なヤシの葉を利用した屋根であるのに対して、左右の二棟は「ピロティをもつ寄棟屋根」という形式は踏襲しつつもトタンの屋根になっています。これは周囲の街が近代化するとともに、伝統的な材料を利用し続けることが現代のそれを利用することよりも、費用や施工の点などから難しくなってしまったことが考えられます。ただ、繰り返しになりますが、彼らは材料は変えても変わらない部分、変えられない部分として、伝統住居のもつ特徴的な様式は保っています。
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写真:バイクに乗って移動する少数民族たち
また、彼らの生活を大きく変えたこととして、モビリティとインフラの発達があります。従来彼らの移動は徒歩での移動が基本でした。いまだ徒歩での生活を余儀なくされている貧しい人々も少なくはないですが、バイクに乗って農作物や家畜などの運搬、畑と民家の移動をしている人々を多く見ました。車両専用道路も整備されたことで、彼らの生活圏内がぐっと広がり、作りたい場所に畑をつくり、行きたい時に街まで山を下りることができるようになりました。
ただ、行きたい時に街まで行けるようになったにもかかわらず、彼らは道路ができるずっと前から(ガイドによると50年以上も前から?)週に一度の日曜市を欠かさず続けています。バイクを持っていない人々はこの市場へ行くために早朝4時や5時から山岳地帯にある自宅を出て、10-15kmの道のりを何時間もかけて歩きます。そして昼過ぎには彼らは市場を出てまた何時間もかけて帰路につくのです。
この日曜市はそれぞれ離れた場所で暮らす少数民族同士にとって学校とともに唯一の社交的な場であり、みな民族衣装を身にまとい、とびきりのおしゃれをして向かいます。ここで彼らは恋人やパートナーを見つける人もいれば、一週間のできごとをおしゃべりしたり、仲間同士で酒をひたすら飲んだりと、とても重要な娯楽の場となっていました。
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写真:ドンバンでの日曜市で民族衣装を現代の服とともに着こなす少女たち
彼らはいまスマートフォンを持ち、バイクに乗り街へいきます。もはや情報を得る場は学校と市場だけではなくなりました。変わらない部分と変わっていく部分、変えてはいけない部分と変えても良い部分。これらは混同しがちですが、変わっていくことは一概に悪いことではないし、僕らに彼らの近代化を止める権利はありません。
懐古主義に浸ることではなく、また参照元として伝統をとらえるのでもなく、現代と伝統のむすびかた、かかわりかたを考える。民族衣装とジャケットやブーツ、伝統家屋とトタン屋根やコンクリートブロック、伝統と現代のつぎはぎがそんなことを示唆しているように見えました。
そして早いもので私事ですが24歳になりました。さすがに24にもなると、いろいろ焦りだします。自分を鼓舞するようにマーチを頭の中で再生しながら、今月を乗り越えていこうと思います。
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atelierkuro · 7 years ago
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2017,02,22(Thu)彼岸のはなし
いまは夜行バスでハノイから中国との国境に近いハザンという街に向かっております。旅を始めてから10日間もたつと、さすがにすこし寂しさを感じつつも、一緒に夜行に乗り込んだ西洋人との仲間意識に体を浸しながら、さっきネットでみたシリア内戦のニュースを思い出しながら、眠りにつこうとしています。
僕は六年前に一人暮らしを始めてからテレビを持っていないので、日頃から政治や経済などのニュースを知らないことが多く、それが自分の悪い癖です。最近はネットニュースをたまに見るようにしたり、NHKの英語ラジオを通勤中のバイクで毎日聴いたりしていました。知らない以前に知ろうとしないこと、もしくは聞いても頭に入ってこないことが良くないと感じつつも、やはり気持ちが入らない。ニュースに気持ちを入れるってなんだ?とも感じる人がいるかもしれないですが、自分のいる場所とはちがうどこかで起こっているできごと、という感情があったので、「自分のなかのリアリティ」が持てませんでした。
いまこうしてひとりのバックパッカーとして旅をしてみると、何人もの同じような外国人に毎日出会います。僕はあまりワイワイと初対面で話すタイプではないので、ホステルなどで知り合った外国人と仲良くなることは得意ではないですが、それでもつねにひとりでいると自然と会話をする機会が増えて、どこの国からやってきて、どんな仕事をしている人なのか、くらいはわかったりします。
もし、ひとりのフランス人としか話したことがないと、彼・彼女のひととなりが、自分のなかでフランス人のステレオタイプとして記憶されてしまいますが、何人かのフランス人と出会い、言葉を交わしていると、自然と共通項やそれぞれがもつ個性の部分などが把握できるようになってきます。また、自分のよく知らない国からきた人と出会ったり、移民のバックグラウンドを持つ人と話したりすると、もちろん今まで自分の知らなかった領域に自然と足を踏み入れることになります。こうして不慣れな英語でコミュニケーションを一度でもすると、その外国人の出身国は自然と覚えているものです。
ロシアがシリアの内戦において空爆に関与し、民間人が400人以上死亡しているというニュースを見た時、どこか他人事には感じられなかったことは、僕がベトナム中部の洞窟ではじめてロシア人と出会ったことに、すくなくとも関係しているように感じます。それは決して彼女が悪いということではなく、すごく単純なわけでも、それといって複雑なわけでもなく、単に自分のなかでロシアやシリアという国が、「地球上のどこか」から「自分の立っている球体上で、地続きでたしかに存在する場所」という認識へと変わったというように言えると思います。
自分が地球のどこかでおこる事件に対して、直接なにかができるわけではないけれども、巡り巡ってせめて自分のつくったものが何かの関係性を描き出したり、なんらかの意志や世界の見方を表明することができたらいいとは常に考えていたいと、美しい遠浅の湖を見ながら思いました。それも地球上にどこにだってある「建築」という分野でなら、自分のなかのリアリティを持てるような気がしたのです。
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Shallow Lake in Middle of Vietnam  (ベトナム中部の遠浅の湖)
明日からは少数民族が多く暮らす山岳地域に行きます。自分が今まで知らなかったことを身を以て体験することのよろこびを感じながら、豊かな発見ができればいいと思います。
旅は続く。
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,02,15(Thu) これは現代建築ではない
こんばんは、櫻田です。
先週ちょうどラオスから帰ってきたばかりですが、10日から旧正月の長期休暇が始まったため、何もすることがないホーチミンにいるわけにもいかず、ベトナム国内を旅行することにしました。金曜日がちょうど16日で新年なので、それまではボスの実家であるダナンと、その近くで過ごすことにして、その後すこしづつ北上していくプランです。
ちなみに3月中旬が締め切りのイタリアの某ビエンナーレに急遽参加することが決まって(ゴリ押しした)、それの準備と担当をさせてもらうことになったので、本当はゴリゴリと計画を進めていきたいところなのですが、ボスたちを含めベトナム人たちは待ちに待った正月、朝から晩まで宴、仕事のことは頭の片隅にも入っていないので、この期間は正月明けから2週間全力疾走するための充電期間と考えることにしました。にしても、多少は考えないと終わらないわけで、すこしは手と頭を動かしながら。
ダナンではボスとその���戚の実家をそれぞれ訪れて、ふたつの大変重要な作品を見ることができました。ボスの両親の実家であるTermitely Houseと、ボスの親戚の陶芸家のためのアトリエTerra Cotta Studio です。特にTerra Cotta Studioは僕がこの事務所を選び、ベトナムにも来る理由の一つでもあり、すごく重要な作品。はじめて訪れた時がちょうど夜だったのですが、おおきなランタンのような幻想的な夜景は、下手したら泣いてしまいそうなくらい綺麗でした。事務所で半年近く勤務したのちにはじめて訪れたことで、説明なしでも、いくつか思考の軌跡が空間から読みとれました。例えばレイヤーをつくっている3つの異なる素材を、ひとつのモジュールで統合することなく、それぞれ独立したモジュールにおさめたこと。また、周囲のランドスケープと空間構成が連続して存在することなど。また、スタジオの近くにある家に数日間滞在したのですが、その周辺の田舎の民家や風景からすこしスタジオに通じるような空間や部分が発見できました。それはまちにある要素を拾い上げて抽象化し、作品に昇華するという建築家が無意識に行っているような行為をいくつか発見することができた、とも言えます。例えば、戸の開き方だったり、素材の選び方だったり、竹を編みこんだ板を型枠に使っていたり。
田園風景がひろがるような田舎の民家は、ホーチミンの狭い敷地に敷き詰められた住宅とは違う魅力を存分に持っていて、すごく印象に残っていて、スリランカで民家を見つけたときの感動に近いものがありました。地形との関係性や、増築の歴史が感じられるような空間構成、内部と外部を大胆におおらかに横断するような使い方など。それらは少なからず田園風景に住むベトナム人の精神性を映し出しているようにも感じました。
なぜ田舎の民家を見たかというと、すこし離れた場所にあるチャンパというベトナムの昔の王国の遺跡であるミーソン遺跡まで、バイクをとばして見に行ったからです。そこではカンボジアのアンコールワットを見た時の感覚とは違う感覚に襲われました。その理由を考えていたら、おそらく遺跡の後ろに見える山並みの風景の有無ではないかと気付きました。アンコールワットは人間が作り出したとてつもない遺産で、その崇高さに慄くばかりですが、たいしてミーソンは人工物というよりも大地の一部といった印象で、周囲の山や川、レンガ表面の素材感も相まって、ひとつの風景を作り出しているのが印象的でした。
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Tropical Space - Terra Cotta Studio (Photo: Oki Hiroyuki)
Terra Cotta Studioに話しをもう一度戻すと、訪れた時に最初に感じた印象は、「これは現代建築なのにどこか現代建築ではない。」というものでした。なにかもっと遺跡のような、教会のような、どこか原初的なそれでいて崇高な雰囲気を感じました。それは���ンガという素材が作り出していることはもちろんですが、それに加えてミーソン遺跡にあるヒンドゥー教の空間構成を抽象化して採用していることも助けているように感じました。
この前香港で働く友人に、「事務所の雰囲気と作品、ともにすごくおおらかだよね。」と言われたことを改めて思い出したり。
旅は続く。
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,02,12(mon)脱バイト生活
石井です。
3月に大学院を卒業する予定ですが、先週一足早くアルバイトを卒業してきました。
ぼくは大学1年生から6年間、ファミレスの厨房で働いてきました。バイト先では彼女はもちろん友達もできず、飲み会があれば石井が勤務するという、なかなかつまらない生活を送っていたのですが、その中でほんのちょっとだけ感じた「ファミレスの面白さ」がありました。
ファミレスは基本的に「いつでも、どの店でも、同じサービス」を提供することを目指しているので、料理に入る具材のグラム数や、接客の言葉など、細かくマニュアル化されています。これは継ぎ足しのタレの鰻屋とか、頑固な店主のラーメン屋で感じる「個性」みたいなものはむしろ消していこうという考えですね。
しかし、そんなファミレスにも長いこと働いていると、自然と滲み出てくる「個性」があるなということに気づきました。例えば、店内の飾りつけにパートのおばさんの絶妙な感性が出たり、料理の盛り付けで厨房の大学生がちょっとセンス出してきたりみたいな小さいことです。
この「マニュアルと個性の矛盾」が、AIには出せない人間臭さなんだろおなあ。
って思いながらピザ伸ばしてました。
では笑
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atelierkuro · 7 years ago
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2018,02,08(Thu)ラオスの郵便配達員
サバイディー、櫻田です。
間が随分と空いてしまいましたが、あけましておめでとうございます。無事に展示も終了したようで、すこし肩の荷がおりるような気持ちで、ラオスのルアンパバーン空港でこの文章を書き始めました。
というのも、展示が開催されていた一週間でちょうど休暇がとれたので、隣国ラオスの都市をいくつかまわる旅をしていたのです。具体的にはタイとの国境近くの首都ヴィエンチャンから、中部の山々に囲まれたちいさな街ヴァンビエン、最後は北部の世界遺産の街ルアンパバーンまで北上していく旅程をとりました。移動は基本的にバスなのですが、道のりはもちろん山道なので、つらい車酔いの感覚を久しぶりに思い出しました。
標高が高く山の多い国というイメージが強い、東南アジアで唯一の内陸国であるラオスですが、知る人ぞ知る秘境のようなイメージとは裏腹に、中部のヴァンビエンでは、ツーリズムによって美しい洞窟や湖などの自然に、ジップリン用のロープや飛込み台といった人工的構造物が無造作に加えられていたことにすこしショックをうけました。ベトナムには世界最大の洞窟があり、写真を見る限りすごく幻想的な光景が広がっているのですが、そこにベトナム政府はロープウェイをつくるという計画を進めているようです。東南アジア、というよりも発展途上国における遺産を利用した観光産業では、こういった残念な未来が決して珍しくないように感じます。
以前訪れたカンボジアのアンコールワットでは、遺跡を補修する方法があまりにも粗雑で、僕は遺跡群の美しさよりもそれらに目が向いていたことを覚えています。異なるアプローチ、異なる思惑が補修方法かっらなんとなく読み取れるのがすこし可笑しくて、にやにやしながらやたらと補修箇所の写真を撮っていました。
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写真:列柱に並んで置かれた柱
例えば、グラウンドなどをならす時に使う道具のトンボのような形の柱が、列柱廊にポツンと置いてあった例。整地用具が聖地の補修に使われている、といった親父ギャグをぐっとこらえて、のちのち時間があるときにまた補修方法についての考察は書きたいと思います。
また話はラオスへ戻るのですが、印象に残っているシーンがあるのでそれを書いて今日は終わりにします。ラオスは敬虔なる仏教徒が多く、毎朝日の出前に、僧侶が壺のような容器を抱えて列をなして街を歩き、食糧などをを一般市民から乞う托鉢という習慣が各地でおこなわれています。ルアンパバーンでは、観光客向けに僧侶の托鉢ルートが規定されたり、時間がすこし遅くなっていたり(写真撮影の際に明るいように)とさまざまなちいさな変更がなされてはいるものの、托鉢の風景を見て、体験することができました。
具体的には、市民が道路にむかい膝をつき、食糧(おもにもち米)を持参して僧侶たちが来るのを待ち、列が来たらもち米を素手でつかみひとりひとりの僧侶の壺に入れていきます。僧侶は決まったルートを何周かしていき、壺いっぱいに食糧をもらいます。道路に向かって座る列に観光客も混ざり托鉢を体験できるのですが、そこには貧しい人々(物乞い)の姿も見受けられました。彼らは、僕らと同じように僧侶の列を待っているのですが、僧侶に与えるための食糧は持ち合わせていません。その代わりに、木製のバケツのような容器を自分の目の前に置き、両手を胸の前で合わせていました。驚いたことに、僧侶たちは僕ら一般市民から食糧をもらい、ぽとぽとと貧民のバケツの中にそれをすこしだけ落としていました。僧侶を経由して、僕らの提供した食糧が同じ列に並んでいる貧民へと与えられていたのです。街中で見かける物乞いに、僕らが食糧を与える機会はなかなかないですが、僧侶が郵便配達員のように食糧を仲介することで、一般市民や観光客が間接的に物乞いを助けることに寄与しているという現象は、托鉢という習慣によって生まれるさまざまな豊かさのひとつと言えるでしょう。
東京での展示を終えたばかりですが、明日さっそく事務所では外国での展示会についての打ち合わせがあります。インターンの期間を考えても、ちょうどいい時期、ちょうどいい規模なので、是非とも実現・担当できるよう頑張りたいです。まとまりがないですが、本日はこの辺で。
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