2017年、金沢市近郊のアートスペースのいままでからこれからを質問するプロジェクト。 インタビュアー:黒澤伸文:中森あかね、宮越文美 写真:上田陽子
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山ノ上ギャラリー
インタビュイー:東田由美(山ノ上ギャラリー オーナー)
山ノ上ギャラリー 金沢市山の上町25-8 金沢市の卯���山中腹にある山ノ上ギャラリーは、四季の季節が感じられ感性豊かで落ち着ける空間が魅力です。展示スペースは変化に富み、平面作品や立体作品、工芸作品などあらゆるジャンルのアーティストにチャレンジしていただけるギャラリーです。
■そこでの経験で色々な作家とも出会えました。
それにどっちが楽しいかっていったら、デザインで追われるよりもギャラリーを自分でやりたいと思いました。
山の上町にあるから”山ノ上ギャラリー”ということなんだと思いますが、ギャラリーをオープンされるまでの経緯を教えて下さいますか?
小さい頃からものづくりや絵を描くことが好きで、高校は美術部でした。その後、京都で油絵を学び、卒業後は美術とデザイン会社が合併している専門学校が野々市にあって、そこで実践的デザインを始めました。それから印刷会社に転職して、そこから独立しようと思いました。 「山ノ上スタジオ」としてデザイン事務所を今のギャラリーのある卯辰山に構えました。 仕事はどうしても室内でコンピューターでの作業が中心になるので、景色が見渡せる高台がいいと思い、今の場所になりました。
最初はオフィスとしてこの場所を使われたんですね。
そうです。現在の山ノ上ギャラリーは、オフィスっぽい空間を使っていると思われる方もいるかもしれませんけど、普通の家の壁を取っ払って改装しました。
デザイン事務所の時点で、ゆくゆくはギャラリーをやろうと思っていたんですか?
いや、思ってはいなかったです。でも色々なギャラリーや美術館に行くのは好きだったんです。浅野川画廊に友人が勤めていたんで時間があるときによく行っていたら、オーナーに土日だけでも手伝いにきてくれないかって言われて。その頃金沢美大の学生が土日にいつも入っていたんですが、搬入搬出がいつも土日で結構忙しかったんです。なので平日はデザインの仕事をして土日は浅野川画廊に入ってたんです。2009年の閉廊まで5年ほどスタッフとして勤務しました。
それはお忙しい!
でもとても楽しかったんです、それが。そこでの経験で色々な作家とも出会えました。
それにどっちが楽しいかっていったら、デザインで追われるよりもギャラリーを自分でやりたいと思いました。
今ではもうデザイン事務所はされていない���ですね。
そうです。でもDMやポスターを作ったり企画能力みたいなのは活かされていると思います。ただホームページとかウェブは苦手なんです。もうちょっとできるようになっていたらよかったんですけど。 ギャラリーを始めたのは私の師とも言える、小野木裕先生との出会いも大きなきっかけでした。小野木さんは90歳まで現役で働いていてその後、絵と陶芸で画廊で個展をされてました。何事にもポジティブで、100歳になられた今でも新しいことに前向きにチャレンジしていっている、小野木さんとの出会いがあったからこそ今のギャラリーがあるといっても過言ではないです。
どこで出会われたんですか?
浅野川画廊です。ロスにいた娘さんと2人で陶芸の展示をしてたんですけど、娘さんは病気で亡くなられてしまって。その後、建築家でもあった小野木先生のアドバイスのおかげで、今いるこの光の入る1階スペースとこの下の地下のイメージのスペースという、2階層のコントラストが効いた空間が生まれました。1年間準備し、2011年4月にギャラリーをオープンしました。
それは強烈なタイミングでしたね。震災の後遺症さめやらぬ時期だったと思います。
そうです。日本中が自粛ムードで、アートを買うなんて…チャリティーの展覧会はたくさん開催されていましたけど。1年伸ばそうかとかオープンさせてもいいのだろうかと悩みました。4月のオープニングの展示を計画していた小野木先生に相談したところ、「どんどん作品も描けてるし待ってるよ」と言ってくれ、実際意欲的な作品が出来上がっていて。逆に元気を頂き、ギャラリーを開くことに踏み切ることが出来ました。生き方そのものが私の師でもあります。
ちなみに、そもそもこの辺以外にも物件を探されたんですか?
卯辰山が好きで、スカイアンドブルーって喫茶店があるんですけど、ちょっと疲れたりすると景色も見渡せて、夕日を見ながらコーヒーを飲みに行くというのをしていて…こういうところで仕事ができたらいいなとずっと思っていたところ、行く途中に売り物件があり購入しようと思いました。
なるほど、あそこが1つお手本としてあるんだ。スカイアンドブルーは私も県外から人が来た時に時間が来たら連れていくところの1つですね。運営はどのようにされていますか?
貸しギャラリーもしていますが、ギャラリーをみて自分の作品をどう飾ろうかイメージし、納得頂いた方が展示されています。
ジャンル問わずいろいろやってきた感じです。こういうのしようとかじゃなく、音楽をしている人が急にやってきてここ��りられませんかと相談に来たこともあります。1週間借りて頂き、下のスペースで演奏をして、上では写真とかアートみたいなものを飾って。お客様が来たら1人でも下で演奏をしたりとか。
下のスペース
■企画の個展を行っている作家は基本、作品の第一印象で決まります。いわゆる一目惚れです。履歴とかは関係なく好きか嫌いか自分の感性だけです。私自身がその作品にときめきを感じるかです。
1週間のプレゼンテーションの場として・・・それは新しい使い方だなあ、面白い。カテゴリーがない感じがいいですね。なるほど。
壁が少ない事もあり工芸の展示が多いです。でも美大生が、平面を展示しようというのでどうしようかとなった時に床に置いて展示したこともありました。宙から吊り下げたり、なんとかこの空間を生かして展示してくれます。
やはり何らかの工夫をしますよね。作家は基本的にはご自分で選んでいらっしゃるんですよね。
いいと思った方を選んでいます。企画の個展を行っている作家は基本、作品の第一印象で決まります。いわゆる一目惚れです。履歴とかは関係なく好きか嫌いか自分の感性だけです。私自身がその作品にときめきを感じるかです。
あとは卯辰山工芸工房が近いので、こちらから行く事もありますが、自然と遊びにきてくれる作家もいます。積極的に作品を持ってきたりファイルを持ってきたり、その中で話しをしているうちにグループ展から始まり個展に発展するケースもあります。
ちなみに好きな作家は、先ほどの小野木さんのほかにはいらっしゃいますか?
神戸在住のうえだきよあきさんです。画家から独学で陶芸家なりました。九谷焼の山下一三さんの作品も好きです。好きな作品に出会うと、その作家に会いに行き交渉することもあります。 遊び心のある作品が好きで、金工作家の藤田有希さんもそうです。金沢美大の頃の21美での卒展の作品に衝撃を受けてからの出会いで、オープンより毎年個展をしています。
藤田有希
この作家たちはきっと一生好きなんだろうなと思っています。この人たちの展示をしたいがために何らかの形でずっとギャラリーはしているのかなとも思います。
■作家には打ち合わせのときに、頑張るより楽しんで制作をしてくださいといつも言っていますね。好きなものを展示したいですし、でも売れなくてもだめだし… そのあたり葛藤はあります。取り扱い作家という言葉は、作家を囲ってしまう気がしてあまり言いたくないですし��
そういう出会いが作ってきたスペース、という気がしますね。 どういったお客様が多いですか?
私が好きな作家が好きな人が多いです。7年経つと常連のお客さまもどんどん増えてきました。DM出す時もただ出すだけじゃなく、言葉を添えて出しています。
それで2、3回来てもらえると次は、この作品が好きだろうなという顔が浮かぶようになるんです。昔の画商ってそうだったと思うんです。あの人はこういう作品好きだなと思うものを家まで持って行ってどうですかっていう。お客さんが本当に好きな作家に出会って、ずっと好きだと言ってもらえるとすごく嬉しいですよね。「買ってあげた」じゃなくて「出会わせてくれてありがとう」と言われた時は嬉しいです。かっこよく言うと架け橋になれたかな、というか、こういう仕事やっててよかったなと思います。
買う側も本来そういうものだと思いますけどね。いい作品に出会えてよかったというか、買うってきっとそういうことですね。
卯辰山の散歩の途中や犬の散歩のついでに前につなげて入ってくる人も多いです。美大生の展示のオープニングパーティーをしたときに前の駐車場スペースで町内の人と作家やお客様と一緒に流しそうめんをした事もありました。
運営の面では作品販売をベースにしているんでしょうか?
そうです、販売しているんですが、ほとんどその売れた金額で私は作品を買っています。なのでプラマイゼロ(笑)。マイナスにならないようにだけ考えています。 儲けようと思うともっと違うやり方があると思うんですけど、どうなんだろうと思って。そうすると作家にも要望するようになるじゃないですか。売れるようなもの作れ、売れないような作品は展示しないとか…そういうことは言いたくないし。作家には打ち合わせのときに、頑張るより楽しんで制作をしてくださいといつも言っていますね。好きなものを展示したいですし、でも売れなくてもだめだし… そのあたり葛藤はあります。取り扱い作家という言葉は、作家を囲ってしまう気がしてあまり言いたくないですし。
なるほど。生計は別にあるけれど楽しい場所を作っているということですね。金沢はコレクターとアーティストが近いので、ギャラリーを通す/通さない問題はローカルな業界のトピックとしてありますよね。
そうですね…でも作家も売らなかったら食べていけないので、なるべく売ってあげたいとは思います。
それはプロモーションをもっとしないとという意味ですか?
そうです。東京で企画をするなどお声かけ頂いたこともあったんですが、でもここだけでも精一杯に毎日一人でやっていて、かといって誰かを雇うという気持ちもあまりなく。勿論、たまに手伝ってくださる方はいますけど。
■(津幡町にある自宅の)古い家の方を壊さないで自分達で改装してます。いずれはアートスペースにしたいという思いがあります。蔵もあるので面白いスペースになると思います。
なるほど。今後計画していることはありますか?
いま津幡町に自宅があるんですけど、古い家と新しく追加した家があるんですが、古い家の方を壊さないで自分達で改装してます。いずれはアートスペースにしたいという思いがあります。蔵もあるので面白いスペースになると思います。陶芸もやっているので窯も設置してい���す。周りが田んぼなので自然と一体感のある居心地のいい空間にしたいです。皆が集まる場所みたいなイメージで、基本楽しむことをモットーに音楽演奏をしたり作家が泊まれたりしてもいいかなと。
津幡とダブルになると大変かもしれませんね。一方でここを次どういう風にやっていこうか考えるのは楽しみでもありますね。
卯辰山がギャラリー通りになったら面白いね、ともずっと言ってるんです。もうちょっとギャラリーとかお店とか色々なものができたら楽しいですよね。 昔ここバスが通ってたんですけど、今は通ってなくて町会長と街の代表の方達と以前、市に直談判しにいったこともあります。
卯辰山は再開発できそうな魅力がある場所ですもんね。 先ほどご自身で木版したり陶芸をしたり絵をかいたりされているっておっしゃっていましたが発表はされないんですか?
作家の大変さもわかっているので、自分で自分の作品を面白いなとは思うんですけど、そこを超えることはしたくないんです。皆ある程度作れるようになって楽しむことはできるじゃないですか。そこからもっと人と違うことを、と思うとものすごい努力が必要で、それらは楽しいところで広く浅く、止めておきたい。水彩画も陶芸も木版画もしていますが、やってるとは言えません。楽しいところまでで(笑) 私が美術の世界に興味を持ったきっかけの中で、中学生の時に宮本三郎の展覧会を金沢の美術館に学校の団体鑑賞で観に行ったとき、一枚の大きな裸婦の油絵の作品の前にくぎずけになりました。背筋に電流が走ったような感覚をうけた感動は今でも鮮明に覚えています。 そして今そういう感動やアートのストーリーを創る場所として、少しでも関われている事に喜びを感じます。一人一人の訪れるお客様、作家、作品の出逢いを大切にしていきたいと思います。 世の中が変わっていくように、感動する物も変わっていきますよね。 でもその時に感動した事は一生忘れない出来事にもなります。 盛り上がりは一時でもそれを常に考え、やっていき続けてパワーアップしていかなくてはいけないと思います。チャレンジ的な展示も必用だと感じてます。 それがきっかけになってギャラリーもみなさんに身近に感じてもらえればいいと思います。
金沢の文化状況についての思いや考えってありますか?
そうですね…以前は、美術品や工芸品を展示しているギャラリーではものを買わなくちゃいけないという空気があり、お客さんにプレッシャーがあったような気がします。
はっはっは。確かにそういうことはあるかも。
なんて言ったらいいんでしょう。他県から友人が金沢に来たときに金沢の文化は「すごいね」って言ってくれるんですけど。 今はちょうど変わり目というか。コレクターや作家たちも以前とは今は違う感じがします。作品の表現も変わったし、コレクターも有名な作家っていうよりは自分の目で気に入った作品を購入しますね。
変わり目ってある意味で右往左往するときだからどっしり構えてという状況ではないのかもしれない。そんなことよりもとりあえず実験してみるとか、そういう時期なような気がします。
いかに��ういう人たちに目をむけてもらうかっていうのは課題だと思います。 変わってきているけど、いい風に変わってきているのかなと。
スキーでも、方向転換するときって身体の重力を抜くじゃないですか、宙に浮く、というか。今はやっぱりそのような過渡期なんじゃないかな。そういう意味では。 アートスペースリンクでつながっているのはいいですね。あとはギャラリーをめぐる人がもっと出てくるといいですよね。
うちの前にバスが通るといいんですけど(笑)。
もう一度卯辰山に金沢サニーランド作ればいいとは言いませんが、確かにバスは通るといいですよね。 今日は楽しいお話をありがとうございました。
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cafè&gallery musèe
インタビュイー:益田玲子( musèe オーナー)
café&gallery musée 金沢市柿木畠3-1 2F 2008年オープンの金沢21世紀美術館のほど近く、 木々の緑と水のせせらぎに包まれたカフェ併設のギャラリーです。 様々なジャンルの作品展を常時開催しております。
▮( 武蔵野美術短大 で)民芸、ウイリアムモリス、パパネック、柳宗悦、河合寛次郎などのことを知りました。美術とかデザインの根本の理論、思想をちゃんと私たちに教えてくれたような気がします。それが今ギャラリーができている基礎になったと思います。
まず、ギャラリーの名前の由来を教えてください。
ミュゼいう名前は、フランス語で美術館という意味です。「フレーム」か「ミュゼ」、どちらかにしようと思っていたのですが、改装業者さんがミュゼのほうがあっているよ、と。単純に美術館が近いから、覚えやすく気軽に入りやすいように「ミュゼ」にしました。
確かに、「フレーム」よりは「ミュゼ」だと思います。ご出身はどちらですか?
私は名古屋生まれ東京育ちです。学校、就職、結婚、子育ての時期を東京国分寺市にて過ごし、1996年に夫の会社が金沢に移転したのをきっかけにこちらに来ました。夫は東京生まれ東京育ちでボーリング、クラシック、ジャズ、お酒、食べる事が好きで、わたしはアートが好きだったんです。
1996年というとちょうど金沢市民芸術村できるなど金沢に新しい文化施設ができはじめた時期ですね。もともとご専門はなんでしたか?
高3の時に親に美大に行きたいといったら、短大にしろ、と言われて、本づくりに興味があったので編集コースのある武蔵野美術短大の生活デザイン学科に入学しました。当時はパソコンもない、伝票は和文タイプで打っていたくらいで女性の就職は腰掛とみなされていて、短大でないと一流企業には行けなかったんです。 当時の短大教授陣が素晴らしくて、民芸、ウイリアムモリス、パパネック、柳宗悦、河合寛次郎などのことを知りました。美術とかデザインの根本の理論、思想をちゃんと私たちに教えてくれたような気がします。それが今ギャラリーができている基礎になったと思います。
卒業されてから、アートに関わるようなお仕事をされていましたか?
在学中に本の装丁とルリュールなど西洋式製本に関する勉強をして、当時は就職氷河期だったんですが、マンションで装丁をしている売れっ子のデザイナーのところに就職が決まりました。ところが直前になって結局断ってしまって…親戚の紹介で外資系の商社にはいりました。 それから結婚し、子供ができ、美術からから少し離れたのですが、下の子が二歳になったときに、モノづくりをしたくなり国立の、帽子づくりの第一人者平田暁夫先生〔美智子さまの帽子づくりをされていた。〕の一番弟子の関民先生のアトリエに通って帽子作りを学びました。当時は皇室の帽子が流行っていたので、東京では帽子を作る人はいっぱいいたのですが、金沢にきたら珍しがられて注文が来ました。帽子もオブジェだと思います。帽子好きにはユニークな人が多いんですよ。
2008年にこちらをオープンし9年経つそうですが、帽子づくりからギャラリーオープンまでのいきさつを教えてください。
当時武蔵が辻に「インテリジェントビル」という、幽霊ビルになっていた所があって、その地下で「チャレンジショップ」というイベントがありました。それは小さなお店が並んでいる地下街で、お店をやってみたい人に月一万の家賃で貸す、というものでした。世話人の方と立話で、店をしませんか、と言われて、面白そう、と。元小料理屋さんのカウンターに帽子を並べてミシンを持ち込みお店をはじめました。その間KIDIとか金沢美大の学生さんやアーティストと知り合いになりました。
お店ではお茶を無料で出していたのですが、今度するときはちゃんとお茶代をもらおうと思い、ひがし茶屋街の「茶房ゴーシュ」という所でカフェの修行をしました。そしてアートの好きなお客様が多いのではと、21世紀美術館の周りで物件探しを始めたのが2007年のこと。
ここはたまたま火事があった訳あり物件、店の中が全部黒焦げでしたが、天井が高いことや鉄製の窓枠、窓の景色が気に入ったのでこのスペースを借りることにしました。改装費はとてもかかりましたがいろいろなご縁で2008年にオープンできました。本当にラッキーだったと思います。
café&gallery musée 内観
▮こんなに濃密に作家と触れ合えるのは東京ではあり得ないです。移動も遠くて時間がかかるし、こちらは作家とコレクターの距離が近いですね。
渡りに船的な感じだったんですね。
以前金沢にあった老舗の画廊や画商さんは日展など会派の方の作品を扱うことが多かったと思います。その形態が変わってきていていた過渡期、変革期でしたね。21世紀美術館ができて4年後のことです。
当時21世紀美術館の館長だった蓑さんがこの通りを21世紀ロードと名付け、美術館の半券を持って来たらサービスがあるとか、街に現代アートを展示する「金沢アートプラットホーム」など商業スペースを美術館が応援する、というプロジェクトがあって助かりました。
金沢でギャラリーをやってみて、どんな印象でしょうか。
最初に越してきたとき地元の人に「金沢人は言っていることと心の中が正反対だから気を付けなさい」と言われたんですが、心に思っていてもやんわりとしているならそれは逆に楽だな、と思ったのです。お天気で鬱になるとか、子供が学校になじめなくていじめとか不登校などがあると聞いていたのですが、私は気候も人も時間の流れ方も合っていました。
それにこんなに濃密に作家と触れ合えるのは東京ではあり得ないです。移動も遠くて時間がかかるし、こちらは作家とコレクターの距離が近いですね。
形態は企画と貸しが両方ですか?
はい、そうです。借りてくださる方の確実なレンタル料で助かっています。たとえば美大生が補助金内で借りられるように設定しているので、卒業制作展と同時に個展をすると連動して呼び込め��というメリットがあります。
期間はゆっくりと見て頂けるように二週間と決めています。企画の場合は売り上げのパーセンテージを頂いています。
作家はどのように決めていますか?
展示したいという方にお貸ししています。 9年やっていますが初めからお断りしたことはありません。
どんなジャンルの作家が来ますか?
みなさん本当に良い展覧会をしてくださり、作品がここに合わなかったことがないんです。
工芸系、ガラス、金工、陶芸など立体が主でしたが平面も最近多いです。装丁画展をしたせいかな、と思います。平面は置きやすいし集めやすいのでしょうか。売れてきています。
たまにギャラリーさんは売ってくださるのかしら、という方もいらっしゃいますが、私が売るのではなく作品が良いから売れるのです、と言っています。
▮( 今までで印象に残っているのは)サラリーマンコレクターで、『週末はギャラリーめぐり』という本も出されている、山本冬彦さんとの出会いでしょうか。… ボランティアとか慈善事業的にはやりたくないし、どんなことでも経済が伴わないことはアート作品でもギャラリーでも世の中に必要とされていないことという覚悟を持ちたいと思っています。
お客様はどんな方ですか?
最初の2、3年は観光客ばかりでしたが、今は地元の方とコレクターが来ます。アートが好きな方、大学生以上の社会人。作家。みなさんアートを応援しているような雰囲気があると思います。
コレクターの方とは東京でデパートの企画を任された時やギャラリーでお知り合いになりました。金沢にはコレクターがあまり多くないですが、金沢ワンピース倶楽部の方々がいらっしゃいますね。
あと作家が他の作家の作品を、リスペクトとか愛情で買っていかれますね。
今までで印象に残っている企画や出来事は?
サラリーマンコレクターで、『週末はギャラリーめぐり』という本も出されている、山本冬彦さんとの出会いでしょうか。
「美大卒業後、なにもわからないまま放り出されるから、作家は食べていけない。若手作家の作品ならボーナスで買える。買うという行為をするのが作家の応援になる。」とコレクターをいざなうような本を出されました。それにとても共感して、珍しく自分から山本さんに会いに行き銀座のギャラリーを一緒に回ったりお話を聞いたりしました。
私はサラリーマンの妻ですし、アート市場に詳しくはなかったのですが山本さんにアートの楽しみ方、作家応援の仕方などを教えて頂きました。だからといってボランティアとか慈善事業的にはやりたくないし、どんなことでも経済が伴わないことはアート作品でもギャラリーでも世の中に必要とされていないことという覚悟を持ちたいと思っています。
装丁画展
▮私の目標はアートのすそ野��広げること。音楽を求めてCD屋さんに行くように、本を求めに本屋さんに行くように、アートを買いにギャラリーに来る事が普通になってほしい。 そして、自分から作家を選んで展示をしたいです。リスクをしょっても展示をしたいという作家には…まだ出会っていないのかもしれないです。自分が好きでいると近づける、と思います。
プロモーションや宣伝はどうされていますか?
パソコンが苦手なのでホームページのない唯一のギャラリーだと思います。作家の方からFBをやってくださいと頼まれてFBだけはあります。ほかはDMを郵送しています。
金沢では新聞や情報誌、公的な文化芸術支援機構があり掲載して頂いています。
企画と貸しと両方されるということでしたが、デパートでの企画の際、選ぶ作家は益田さんが選ぶのでしょうか。
2014年新宿伊勢丹で「Futur Art of Musée」というリビングフロアで器でなくアートをという企画を依頼されました。その後作家さんを知ってもらえるチャンスと思い、デパートで企画を行っていますが、ミュゼで展示した方の人の中から選んでいます。直接知り合いでない作家さんを紹介して頂いたこともあるんですが、所属するギャラリーの許可が得られなかったりドタキャンされたりしましたので基本はミュゼで展示をされた方のみです。 今は経済がどこも厳しいので妥当な価格設定をしています。お客様の評判はよいです。「金沢の底力を感じました」とか、「美術館より面白かった」と言って頂きました。
ギャラリー維持のために、ほかに何かお仕事をされていますか?
貸しギャラリーのほかには平行してカフェを営業しています。ライブやコンサートおすることもありますし、作家と愛好家の交流の場ともなっています。 あとはデパートの企画展示です。人件費節約のために全部ひとりでやっていますので休みの日はほとんどありませんが、自由といえば自由ですね。
好きな作家は?
最初に好きになったのはゴッホです。中学に入ったときにお年玉をためて油絵の道具を買って最初に描いたのはゴッホのバラの絵。⒛年以上前にパリのオルセー美術館でそれと対面してきました。
気になっているギャラリーはありますか?
自分で言うものなんですが、ここが居心地はいいですね。若い作家を育てていらっしゃいますね、ともおっしゃっていただけています。これからは発掘していくことも必要だな、と感じてはいます。
この街の文化の状況に思うところはありますか?あるいは課題はありますか?
そうですね。例えば東京のデパートでの企画展の時、行政のほうに、作家の交通費だけでも出して頂けませんか?と願い出たのですがダメでした。展示のみで売買がないなら費用は出しますと杓子定規な反応でした。作家の応援のために最低限のサポートが必要なのでは、���思っています。
伝統工芸か現代美術かではなく、双方の良さをきちんと打ち出してほしいと思います。金沢の持つ先人の技術、美意識をずっと守り続けてほしい。その上で現代から伝統を革新してつなげてほしいと思います。
もし可能であれば、今後何をしたいですか?
私の目標はアートのすそ野を広げること。音楽を求めてCD屋さんに行くように、本を求めに本屋さんに行くように、アートを買いにギャラリーに来る事が普通になってほしい。
そして、自分から作家を選んで展示をしたいです。リスクをしょっても展示をしたいという作家には…まだ出会っていないのかもしれないです。自分が好きでいると近づける、と思います。
フランスの大使館員として日本に来たパトリス・ジュリアンという方が「自分の物語は自分で書く。」とおっしゃっていて、こういうところに行きたい、こういう風になりたいと思っていたら望みは具現化すると思っています。私もかつて「アートがそばにある、気持のいい場所にいたい」と願い事に書いていたんです。金沢に来てそれは叶っていますし、アートに対峙したら心豊かに幸せになれるということをシンプルに、伝えていきたいですし、流れるままに自然体でいきたいと思っています。
一同:今日は本当にいろいろな話をありがとうございました。
2017年8月7日 cafè&gallery musèe にて
質問者:黒澤/書取り:中森/撮影:上田
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shirasagi/白鷺美術
インタビュイー:巽隼太(白鷺美術オーナー)
shirasagi/白鷺美術 金沢市柿木畠4-16
「shirasagi」は、2003年、金沢市片町にて美術、音楽、映像のあるバーとして開業。2007年より国内外の美術作品の紹介、演奏会を目的とした企画組織、「白鷺美術」を発足。2012年、金沢市柿木畠に移転し、バー、演奏、ギャラリースペースを備えた「shirasagi/白鷺美術」として新たにオープン。
▮ 場所は新天地商店街で、単純に金沢で面白い場所があるといいな思ったのがきっかけでした。
さっそくですが、スタート時のきかっけについてお話頂けますか。
最初にshirasagiを始めたのは2003年です。場所は新天地商店街で、単純に金沢で面白い場所があるといいな思ったのがきっかけでした。
その経緯はいろいろご縁のある中で商店街の地蔵尊の近くにスペースが空いてるよと言われ、経験もなかったのですが、その土地柄にも魅かれてバーを始めました。二階にちょっとしたギャラリースペースをつくり、一階のバースペースでも映画や映像作品も流していました。その後2007年から��示、演奏会等の企画を白鷺美術という名義で始めました。
今ある柿木畠に移転したのは2012年です。これまでは他の場所を借りて行なってきた演奏会、展示会等の白鷺美術企画をここではshirasagiでのバー、喫茶(期間限定)を含め、展示、演奏会等のすべての企画を行なえることもあり、名称を統合して、shirasagi/白鷺美術としました。
正式名称がshirasagi/白鷺美術 となっているのはそういう意味だったのですね。でもなぜ「しらさぎ」?
実家が浅野川沿いにあるお寺で、すぐ側の浅野川沿いに冬の白鷺がぽつっといる光景がいいなと思っていました。
また私の中で日常ということが一つのテーマでもあったので、そういったこともあり「しらさぎ」となりました。
Shirasagi/白鷺美術 外観
浅野川沿いのお寺ということは金沢出身なんですね。 自らも作品を作られるそうなのですが、もともとそういう下地があったのですか?
父が関西出身で金沢美大の日本画を出ており、現在はお寺をついで僧侶になりましたが、母方もデザインの仕事をしていたりと、そういった環境でよく美術に触れる機会がありました。私も美大に行こうかと勉強していましたが、結局県外の普通大学に入りました。ですがやはり作品制作をしたいと思い、国内をいろいろまわったあげく、たどりついた沖縄で三年くらい滞在し、制作していました。
▮当時生活する上で、また金沢の土地柄で、”作家として食べていく”、”ギャラリーだけで展開する”というのは難しいと思いましたし、全くアートの事を知らない人にも観に来て頂きたいという気持ちもあって、またその場所が飲食店やバー、カフェが軒を連ねるスペースでしたのでバーになった、と言いますか。
沖縄に滞在し制作されていた時から、あらためて金沢にもどった理由は何かあったんですか?
沖縄での暮らしの中でとくに作品制作において閉塞的なところを感じたこと、また地理的によく展覧会に出向いていた東京が遠いなど、活動するにしても自由がきかないので、まずは陸続きのところに行かなくてはと思っていました。そんな中、丁度故郷の金沢、新天地で面白い場所があると聞いてひとまず沖縄から戻ってきました。
ただ、その当時生活する上で、また金沢の土地柄で、”作家として食べていく”、”ギャラリーだけで展開する”というのは難しいと思いましたし、全くアートの事を知らない人にも観に来て頂きたいという気持ちもあって、またその場所が飲食店やバー、カフェが軒を連ねるスペースでしたのでバーになった、と言いますか。根本には、面白い人が集まる場所を作りたい、コミュニティをつくりたいという、そういった気持ちがありました。
もちろん、ご自身でも作品を発表される?
以前は県外も含めて様々な場所で展示会をしていましたが、今は時々白鷺の二階のギャラリーで作品展をしています。 沖縄にいた当時制作していたものは平面、オブジェなどでしたが、最近の傾向としてはコンセプチュアルアート、インスタレーションを用いた作品が主です。アルフレッド・ケールというアーティスト名義も使用しています。
Alfred Cale「Representation of the labor/労働の表象」
新天地でアートバーをスタートされて、2012年柿木畠にスペースを移されて以降、この場所ではどのようなスパンで企画を行っていますか?
音楽家の演奏会を二か月に一回程で開催しています。
展示会は頻繁ではないのですが、年間でいうと二、三回程しています。インスタレーションなどの自分の作品展示の他は、作家に依頼して企画展をしています。レンタルは基本的にはしていません。作品が面白いと思ったらその作家さんに継続してお願いをしています。
「美術作家でも音楽家でも選ぶ基準は同じで、オリジナリティ―と、本人の空気感がちゃんとあるかどうかを自分の感覚で選びます。目指すものが確立しているかどうか。ジャンルとか売れている/売れていないは関係ないですね。」
ごく普通に、どのようなギャラリーですかと聞かれたらなんと答えますか?
どちらかというとコンテンポラリーな表現の作家が多いのですがそれほどこだわってはいません。
映画でいうと、メジャーに対して単館系とかミニシアター系という言い方がありますよね。私が企画するアーティストや演奏家達もなんとなくそういった雰囲気もあり、そのような例えを用いて説明をしています。
その他にも落語会やお茶会の企画等、自分が面白い、素敵だなと思うことをして��ます。できるだけ色々なことをしてみたいと思っているので、オーガナイズはすべて自分で行っています。
取り扱い作家のいるような「ギャラリー」ではないが、「アートスペース」ではあるということですね。
はい。取り扱い、という形ではしていません。
プロモーションという形でもないのですが、ご縁がある方で何度か企画展や個展をしている方はいます。橋本雅也さんという彫刻家はその1人で、当企画で展示会をしたことがあり、その時に秋元(元金沢21世紀美術館 館長)さんに対談をお願いをしたのですが、その後、21美術館で工芸未来派展に出展をし、また、白鷺で行った茶会にその秋元さんの誘いもあり、橋本さんにも参加して頂きました。
また最近では、麻生祥子さんという、今開催されている奥能登国際芸術祭2017に出品されている作家さんに展示会をお願いしたことがありますが、取り扱いというスタイルはとっていないので、例えばアートフェア等に出展などはしていません。ですが、素敵に思う作家さんとは長い目でおつき合いさせていただきたい気持ちでいます。
演奏会は10年以上オーガナイズしていまして、とくに県外や海外から音楽家を招いています。それなりに長くしている事もあり、アーティスト、音楽レーベル等のつながりがあることから、独自の持ち込み企画から会を行なうこともあります。海外のアーティストは全国ツアーの一環として、来られることも多いです。
ご縁のあるアーティストでいいますとと、アコーディオンとコントラ��スのデュオ、mamamilkは毎年年末に演奏会をお願いしていますし、トウヤマタケオ、阿部海太朗、ハウシュカ、ヘニングシュミート他、多くのアーティストがいます。現在は昔程大きな会場でのライブより、お客さんの顔が観られる中で行なわれる演奏会が好まれ、ここは70〜80人ほど入るサイズなのでこうした会の会場としては割と重宝がられているようです。
橋本雅也 展示写真
美術作家でも音楽家でも、作家を選ぶ基準みたいなものは。
美術作家でも音楽家でも選ぶ基準は同じで、オリジナリティ―と、本人の空気感がちゃんとあるかどうかを自分の感覚で選びます。目指すものが確立しているかどうか。ジャンルとか売れている/売れていないは関係ないですね。
運営にも関わることですが、そこでの販売等の利潤については、各々のアーティストに任せています。経済的理由に縛られることで、面白くなくなるのが嫌で、こちらの収入ベースは基本バーだったり、通常の運営で賄うようにしています。
なるほど、バーを回しつつ好きな企画展や演奏会を行っていると。
ほか白鷺美術としてベースの活動以外には、演出や照明の依頼を受けることがあります。いわゆる舞台照明ではなくどちらかというとインスタレーションといいますか・・・古道具を活用するなどして作ったオリジナルの照明で、空間演出を行っています。
この空間に置いてある、ユニークな照明やオブジェなどはその一部ですね。 いままで転機になったこととか、こういうことが面白かったとかありますか。
とくに企画等は毎回苦労があり思い出深いのですが、今の柿木畠に移転し、自ら改装してスペースをつくったことが、その意味合いにおいても大きなことでした。かつての新天地は場所が狭かったこともあり、演奏会や展覧会をほかの様々な会場で分散して行っていましたが、今の場所ではそれらを一つにまとめてできると思い作りました。
ここは立地としても21世紀美術館や映画館も近いですし、少しひっそりした佇まいが素敵に思い、すぐ決めて改装にいたりました。和風建築で普通の家だったのですが、壁を抜いて天井を高くして畳も押入れも取り払ってできるだけ広くしました。建築やインテリア関係の仕事をしたことはないですが、制作することが好きで、大工仕事も幼少からしていたので、友人にもお願いをし、自分達で改装をしました。設計者はいません。 最初にカウンターやステージ、トイレはこっちだとかくらいを決めて、全部手作りのスペースです。繁華街ということで、とくに近年は観光客や海外の方も訪れます。また21世紀美術館が近いこともあり、アート系、音楽、映画が好きな方が多いですね。
ここは場所もとてもいいですしね。
ありがとうございます。ですが、平生は無駄に広くて持て余している状態です(笑)。
基本的な営業時間は何���から何時ですか?
午後8時から午前2時くらいですね。週末はもう少し遅くまでしていたり、展示があるときに日中開けることもあります。
基本一人なので、夜営業だけになっているのですが、できれば昼営業もしたいと思っています。二階ギャラリーでの展示期間に長期で昼間も開けたこともありますし、週末はお昼のみ開けることもあります。
例えば、好きな作家は?
1950年代から活躍していたアーティスト、サイ・トウォンブリが好きです。2年程前に日本で初の展示会が東京の原美術館であり観て来ました。
日本の尾形光琳等の古典作家も好きです。実家がお寺なので仏像はもちろん、掛け軸や屏風にある絵や書、器や花器等の工芸作品を見る機会は多くありました。やはり影響は受けていると思います。
ギャラリーとかアートスペースでこれまで見た中でここはいいよね、と思ったところはありますか?
とくにありません。自分が必要に思ったので場所を作ったということが大きいです。
▮アート、音楽等、芸術にもう一つ感心のない方にも楽しんでもらえるようこちらの努力が必要です。それはある種のわかりやすさだったり、もう少し長い目で考えていくという意識を持つべきだとも思います。 また別方面では、少なくとも富山や福井、北陸圏内でもう少し交流があっていいと思います。
「課題」みたいなことは?
当会場では、展示、演奏会の企画が多いのですが、やはり集客が課題となります。本当によい会にしようと思うとき、やはり、お客さんがちゃんと来られて成り立つものです。ですが魅力あるアーティストだからといって、毎回必ずしも人が集まるわけではありません。もちろんこちらの努力不足もあると思いますが、やはり大都会以外ではもう一つ難しいのが現状です。 本当の意味で興味があったり、求める方はまだまだ金沢では多くはないように思っています。現在はメールやSNS等、情報を発信しやすい媒体はありますが、近年は地道にフライヤーを配ったり、口頭で伝えていくことがより大事なように感じています。直接に人とのつながりもつこと、そして、実際に触れて見て聞いてもらうことが、情報が飛び交う現代において、尚のこと大切に思います。
そして、アート、音楽等、芸術にもう一つ感心のない方にも楽しんでもらえるようこちらの努力が必要です。それはある種のわかりやすさだったり、もう少し長い目で考えていくという意識を持つべきだとも思います。
また別方面では、少なくとも富山や福井、北陸圏内でもう少し交流があっていいと思います。
残念ながら北陸はどうしても保守的な思考が強く、難しいところはありますが、アーティストやお店や施設、お客さんの紹介等を通し、共同で企画をしたり、また郷土の違いによる面白さなどでもできることがまだまだたくさんあると思います。
ところで、新しく計画しようとしていることはありますか。
私自身が絵画、オブジェ等の作品や音楽、映画、文学、芸術のある中で育ち、そうしたことで救われてきました。多くの方にも同じように楽しんでもらえると嬉しく思います。いわゆる有名ではなくとも、まだまだ知られていない素敵なアーティスト、音楽家、作品があり、当会場での企画もそうですが、より多くの方に知ってもらいたいと日頃考えています。
こうした気持ちもあり、アート、音楽、劇、ポエトリー、物販、飲食など、魅力あることが一同に集まり、フェスティバルみたいな形でより大きな規模でのイベントをしたいと考えています。これまで何度か仲間とミーティングをしていますが、現在、色々なイベントで活用されている金沢市広坂にある、しいのき迎賓館のような誰もが集うことができる場所で、ライブや劇、展示、映像、ポエトリー、飲食、物販、様々な催しがあり、昔、戦前のヨーロッパにあった少し風変わりなサーカスような感じで行なえると面白いと思っています。アーティストやお店に限らず、美大生等の学生や興味のある方々には是非参加していただき、皆で一緒に作り上げていければ一層楽しくなると思っています。
今思うと自分勝手な想いではありますが、私は学生の頃、金沢が面白くないと思い、県外に飛び出していった経緯があります。今でもその学生だった頃の気持ちが働き、何かをしよう、したいと私自身を動かしているところがあります。そして今この金沢で何か面白いことが、素敵なことがあるよう心から願っています。
なるほど、本当に面白くなるのはこれからかもしれません。本日はありがとうございました。
2017年8月18日 shirasagi/白鷺美術にて 質問者:黒澤/書取り:中森/撮影:上田
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ギャラリー椋
インタビュイー:渡辺睦子(ギャラリー椋オーナー)
ギャラリー椋 金沢市東山2-1-7 明治の佇まいを残す町家の空間を生かしたギャラリーです。 高い吹き抜け、広い土間が特徴で、ゆったりと作品を観て頂けます。カフェも併設しています。
▮ ここは元々自宅なんですね。明治30年くらいからこの建物で材木商 渡辺材木店をしていたこともあり、
設立年やギャラリー名の由来を教えてください。
2009年の秋にオープンしました。ここは元々自宅なんですね。明治30年くらいからこの建物で材木商 渡辺材木店をしていたこともあり、ギャラリーの名前については ”木へん” で何か良い文字はないかなと思って漢和辞典を見ていたら「椋」っていう字が目に入ったんです。椋ってそのとき初めて漢字と読み方を知ったんですけど、書いたときもスッキリしているし発音も覚えやすいかと思って、周りの人に聞いてみても良い反応だったので「椋」に決めました。
無垢というイメージもできますね。
そうですね。後で聞いたらうちの叔母の親が椋の木はいい、質が良いとずっと口癖のように言っていたんですって。偶然に一致したんです。ああ良かったなあと思って。木工が盛んな井波の資料館みたいなところで椋を見たことがあるんですけど、綺麗な木でした。白っぽい。
材木はどこに置いていたんですか?
土間のところにも立て掛けてありましたし、今駐車場になっている場所が資材置き場だったんですね。そこにいっぱい木が置いてありました。
ギャラリー内の土間
▮ 金沢市が町家再生活用モデル事業っていうのを募集しているからそれに応募したらどうかって、提案があって。その時、ギャラリーとして使おうと決めたんです。
なるほど。元々材木商時代のご自宅を利用してギャラリーにしようと思ったのはどうしてですか?
ここはずっとNPO法人金沢町家研究会が事務所として使っていたんです。それまでは私たち町家が重要なものだと認識あまりなかったんですけども、町家研究会がここに入ったことで色々な話、町家の重要性を聞いて。
そのうち金沢市が町家再生活用モデル事業っていうのを募集しているからそれに応募したらどうかって、提案があって。その時、ギャラリーとして使おうと決めたんです。あまり深く考えてなかったんですけども…旅行先で古い古民家を使ってギャラリーをしているのを見たことがあって。
元の建物をなるべく変えずにされたと思うんですが、改装はどの程度?
半年くらいは改装にかかりました。内装のデザインは私自分でやりました。変に改装しすぎないように心がけました。モダンになりすぎように、昔のままをなるべく残して綺麗にしようというか。水回りは綺麗にしたいと思いましたし、土間は寒いので改修でタイル張りにした時に床暖房を入れました。
改修した後で知ったんですけど、白洲正子が古い農家を改装した武相荘っていう場所が東京にあるんですけど、そこも床がタイル張りで、イメージがぴったり重なるなって。
調度品の机やいすも自分で考えて、家具屋さんに作ってもらいました。このスペースだったらこのサイズかなとイメージして、全部片付けられるように脚も取れるようになっています。
ギャラリー椋 外観
全く美術系、工芸系のもの、ものづくりというか…とは遠い世界だったんですか?
実は実家が輪島塗の塗師屋をしてまして、店内にある漆器の一部はそれのものなんです。弟はずっとその仕事しているので助言をしてもらったりもありました。今日陶芸教室をしていた北濱珠龍先生は親戚なんですね。絵を描いている親戚もいます。
絵をみたりやきものの作品展を観に行ったりは好きでした。
���うなんですね。全く知らない世界という���りむしろ近いかもしれないですね。具体的に作家を取り挙げて作品を展示する、というのはどのようにされたんですか?
一番最初は、先ほども名前に挙げた北濱珠龍先生が工事中に見に来て展示をさせてほしいと、それが一回目で。あとは近くにある卯辰山工芸工房の館長さんにお話を聞きに行って、修了された方を紹介して頂いてその人達にお声かけしました。
常設展
▮ 企画に参加頂く作家さ��もリピーターが多くて、よく取り挙げている作家は10人くらいでしょうか。企画や貸しが無いときは作家からお預かりした作品で常設展をやっています。
分野としては工芸系の方が多いんでしょうか?
どちらかというとそうですが、色々なことをしてるんです。絵の展示もしますし現代アートみたいなものもあり…企画展の合間に貸しもしていて、それだと結構色々なものが来るんですよね。外国の人もアメリカとかトルコとか色々。
トルコ・イスタンブールの方はトルコの工芸品などを色々な場所で販売されている方ですね。アメリカの方はジョン・ウェルズさん、絵画や写真ですね。ほか、彫刻やテキスタイルの展示もあります。
企画と貸しの割合ってだいたいどれくらいですか?
そうですね…2/3は貸し、1/3は企画ですね。だいたい。自分の企画だけだと好みとかで傾向が限られると思うんですけど、貸しだといろいろなものがあるので。合わないものはお断りしたりすることもあります。大丈夫だなと思うものは極力受け入れるようにしてます。 結構繰り返し、毎年使って頂いているリピーターが多いです。
この町家独特の空間でやりたいという場合、極端に合わないものってないかもしれないですね。ちなみに企画の場合はどういう傾向のものですか?
手探りでいろんなことしています。
自分がアクセサリーが好きなこともあって、ガラス・陶芸・金工など工芸のアクセサリーをなるべく多めにしたいなっていうのがあって、作家に声かけて作ってもらった作品を展示販売しています。
企画に参加頂く作家さんもリピーターが多くて、よく取り挙げている作家は10人くらいでしょうか。企画や貸しが無いときは作家からお預かりした作品で常設展をやっています。展覧会の数そのものは年…5回くらいで、最初はギャラリーだけだったんですけど、オープンして3ヶ月後くらいにお客様からここで珈琲飲めないのってリクエストがあってカフェも始めました。
関由美 ネックレス作品
▮ わりとマイペースにやっていますが…綺麗にお掃除するのは心がけてます。庭のお掃除や土間や、お花を活けたり苔をお手入れしたり。
プロモーションについて考える時、作家や展覧会やスペースそのものなど色々あると思うんですが、どの部分に力を入れていますか?
作家ですね。FacebookとかインスタグラムとかSNSで発信しています。ホームページ見る方もいますけど、SNSの方が見てる方多い気がします。インスタグラムを見てきてくださる方多いです。DMも勿論出しているんですけど、DMだけだとお客様が固定化されますよね。無くすわけにはいきませんが。
オープニングイベントなんかでは作家さんの器でお料理をお出しして使い方を提案したり、結構コンサートもしているので音楽とアートと食と、という企画もやっています。元々住まいなので身近に感じられるという利点はありますね。
作家も含めて、色々な方とつながっていそうですね。
やっぱり…グループ展なんかやると作家さんが友人の作家さんに声かけて下さったりして、作家さんのネットワークでつながっていってまた次に新しい作品展が出来たりだとか人とのつながり、紹介でしょうか。
お客様も結構幅広くて、展覧会によっても層は変わってきます。作家や美術関係者が多い時があったり、年配の方や工芸に詳しい方が多い時があったり、色々です。滞在時間は1人1人長めかもしれません。
場所柄、観光の方はいらっしゃるのでは?
東山ですが外れの方なので地元の方が多いです。
ただ、外国人の方も立ち寄ってたまに買って頂くんですけど、彼らは観光の方です。ヨーロッパやオーストラリア、アメリカなど欧米の方が多いんですけど、日本人の観光客よりも建築や工芸に熱心に関心を持ってくださいます。
向こうから来た人にとっては建物がそもそもエキゾチックですよね。内容によって客層が変わるということは展示内容に目的に来ているということですよね。
そうですね。DMも毎回ただ送っているわけではなくて、きっとこの展示ならこういう場所に来る人が好きだろうなと考えて送り先を変えています。
元々ご自宅ですので家賃はないと思いますが、ランニングコストはギャラリーの経営だけで回りますか?
なんとか…私は無給でやっていますけど(笑)。固定資産税と電気代と…くらいですし。ここは広いのでお掃除が大変ですけど(笑)。
1人だと大変なので、週一度に友人にお手伝いに来て頂いています。元々お客様だったんですけど、親しくなって、その方にもう6年くらいお願いして。信頼できる方なので。
特に運営面で気を使っているところはありますか?
わりとマイペースにやっていますが…綺麗にお掃除するのは心がけてます。庭のお掃除や土間や、お花を活けたり苔をお手入れしたり。
2階は普段使っていないんですが、撮影の場所として貸出したりグループ展の時1階だけでは手狭な時なんかに使っています。
コンサートの様子
▮ やはり私1人でやっていると色々限界があって。例えば企画。何人かでやっていれば意見を出し合えると思うんですが、1人だとなかなかアイデアが…やっぱりちょっと限界があるかなと思います。貸しギャラリーでの出会いが助かっています。
現在の金沢の文化状況をどうご覧になっていますか? 金沢でアートスペースを運営するということで感じられていることなどお聞かせ頂ければ。
金沢21世紀工芸祭もありますし、工芸で盛り上がってきていると実感しています。もともと作家さんも多いですし、県外出身の作家さんも一��金沢来られると、一度金沢を出られても金沢の方が活動しやすいと戻ってこられる事もあります。
貸しをしていてよそから展示をしに来られる方も多いんですが、金沢のお客さんってレベル高いですねって言われます。客層も、街の雰囲気も。ギャラリーもたくさんあるし。
東茶屋街は凄い人で、いいかどうかわからない状況ですけど、うちは少し離れているし落ち着いたこの雰囲気を大事に、マイペースにやっていければと思っています。
いい距離感ですね。マイペースで、とのことですが敢えて課題というと何でしょう?
色々あるんですけども、やはり私1人でやっていると色々限界があって。
例えば企画。何人かでやっていれば意見を出し合えると思うんですが、1人だとなかなかアイデアが…やっぱりちょっと限界があるかなと思います。貸しギャラリーでの出会いが助かっています。
今後やっていきたい目標などはありますか?
あまり作家もののアクセサリー中心にやっているギャラリーってないですよね。同じ作家さんのものでも、例えば公共施設なんかだと土産物っぽく置いてあって残念に見えます。作家さんの作品の良さを惹きたてるように見せていきたい。
プレゼンテーションルームとしてよりよくしっかり見えるように…と。
そうです。あと常設展をもう少し充実させていきたい。入れ替えをしていないとマンネリ化する部分もあると思うので。常設で置いておける作家さんのバリエーションを増やしていきたい。何より自分自身が楽しくやるというのがモットーですが。
それが一番ですね。今日はありがとうございました。
2017年8月21日 ギャラリー椋にて 質問者:黒澤/書取り・撮影:上田
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ギャラリートネリコ
インタビュイー:細川伸子(トネリコオーナー)
ギャラリートネリコ 金沢市池田町3番町30番地
2005年オープン以来、作り手を大切にしてきました。日本文化の中に感じられる魅力の一つ「艶やか・華やか」。そんな魅力のあるものを制作する作り手の作品を展示し、国内外に発信しています。
▮構想に10年以上。その期間、色々な作家さんとも知り合いになったので、オープンした1年目にはもう展覧会で埋まっていました。
早速ですが、ギャラリーの由来を教えてください。
まずギャラリートネリコを開いたのは2005年11月3日です。それに付随して、ワクナミトネリコを2014年にオープンさせました。
「トネリコ」の名称になったのはなぜかって言うと、娘二人がまだ幼い頃、ヨーロッパの魔女のお話が大好きで、そのお話に、女の魔女が生まれたらトネリコの木を植え、女の子が大きくなったらその木で箒を作って空を飛ぶっていうものがあって。魔法みたいに空を飛ぶっていうイメージでつけたんです。うちの庭にもトネリコがありますし。可��いし、素敵な木ですよ。
魔女だなんて笑われそうだしどこにも書いていませんが、実はそういう気持ちで名付けたんです。ふふ。
そういうことだったんですね。ギャラリーをされるきっかけはなんだったんでしょうか?
元々この場所、実家なんですが、父が着物の卸商をしておりまして。着物も特殊なものを扱っていて、反物の白生地を売っていたんです。人間国宝となった友禅作家のかたたちも来られれば、お茶やお花の先生も行き来して。お茶の先生なんかは陶芸家さんの器を時々父に見せたりしていました。 父もそういうものが好きだったので、例えば若い陶芸家さんだったら頑張ってくれよって言って買ったりだとか…文化人的な人が集まっていつも賑やかな場所でした。
私と父と母で商いをしていたんですが、父が急逝してしまい、一回やめよっかと。昔は白生地で買って色見本を見て色を決めてから染めてましたけど、今はそういう時代じゃない。それで母は涌波の家に同居して、池田町のここは空いていたんです。空いてるだけだったら勿体ないってずっと思ってて。下の娘の理衣が絵を描くのが好きだったんですけど、いつかママがあんたの絵を飾るギャラリーを作ってあげるって約束もしてたし、みんながまたこの場所で楽しく集まったらいいな、っていうことで決めました。
主人は学校の校長という堅い仕事で、素人で絵も器も扱ったこともないようなやつが出来るわけないってずっと反対だったんだけど、ある日、やってみないんか、って言い出して。え、いいの?ってなって開いたんです。上の娘の真衣も大学卒業後から一緒にやっています。
ご主人が急にいいよって言いだしたのはいつぐらいなんですか?
2003年くらいだと思います。そこから準備しました。
ここに綺麗なものや人が集まったらいいと娘がまだ中学1年のころから思い始めていたので…12年くらい?苦節12年(笑)。 構想に10年以上。その期間、色々な作家さんとも知り合いになったので、オープンした1年目にはもう展覧会で埋まっていました。
当時は土日始まり土日終わりで5日間準備に空けてというサイクルで1ヶ月に2回、1年で24回/作家。これだけ気が付いたら埋まっていたんです。
ギャラリートネリコ外観
▮「これ素敵やねえ。」っていうものを人に見せたいって思いがある。 展示をされた作家さんは100人はいらっしゃいますね。毎年か1年おきくらいで常にお付き合いのある方は40、50人くらいだと思います。
それは凄い。作家の傾向はどういうものでしょうか?
ジャンルはクラフトから絵からいろいろとやりますけど… 抽象的なんですが、私たちが好きなものを見せています。「これ素敵やねえ。」っていうものを人に見せたいって思いがある。これいいねえってなる作品、作家さんが誠実である方。あとは販売できて持ち帰り可能なものです。 美術館でみるのとギャラリーでみることの大きな違いって、購入できるかどうかだと思��んです。ギャラリーで見るとき、もしかしたら自分のものに出来るかもしれないっていう期待をもって見ることができる。そういうものを扱うスペースにしたいと思っています。
基本的には、企画展と貸しスペース、両方あるわけですか?
ほぼ企画で、期間的に空いていればお貸しするっていう感じです。その年にもよりますけど、1割貸しで9割企画ですかねえ。「これぞ」っていうものじゃない展覧会をするのはストレスになるし。
貸しでも企画でも基本1、2週間なんですが、1年のうちに展覧会が入りきらなくなって水曜休み以外全部展示をしていた数年間があったんですよ。この頃県外の仕事が増えてきてそれが不可能になってきたので、去年くらいからまた土日始まり土日終わりに戻りつつあります。でないと動けない。
ここで展示をしている作家の方々はけっこう大勢だと思うんですが、コンスタントに繰り返し見せている作家でいうと何人くらいですか?
展示をされた作家さんは100人はいらっしゃいますね。 毎年か1年おきくらいで常にお付き合いのある方は40、50人くらいだと思います。
池田町のギャラリーをオープンさせて約10年後にワクナミトネリコをオープンされていますよね。こことワクナミトネリコの違いは何がありますか?
作家さんが若いと、どこにも取り扱いしている店がない。展示後に問合せがあってもどこにもないですっていう状況で、かつ「取扱店がないと雑誌の取材が入ったときに取材してもらえん、かといって工房には人は入れられない」っていう作家の声もあり…。 だったら涌波の一軒家がまるまる空くから作品並べよっか、って勢いでやったのがワクナミトネリコです。
作家さんから作品をお預かりして販売する常設の店として。今は40人くらいの作品が置いてあるかな。作家の器で珈琲を飲めるようにして、7、8人はゆっくり座れる雰囲気です。
ワクナミトネリコ外観
▮ とにかく「作家を生かす」ということ。最初からそれが理念でした。作家が生きてギャラリーがはじめて活きるっていうことは常に芯に置いてきたので、とにかくまず作家。作家に収入がいくようにする。
ギャラリートネリコの特徴って何だと思いますか?
私たちがずっと念頭に置いてきたのは、とにかく「作家を生かす」ということ。最初からそれが理念でした。作家が生きてギャラリーがはじめて活きるっていうことは常に芯に置いてきたので、とにかくまず作家。作家に収入がいくようにする。
展覧会最終日には、カードとかお取り置きとか未回収の部分があっても全額作家にお支払いするというのをやってきました。厳しくても。
作家はこの近郊の方が多いんですか?
近郊の方も多いですが、県外の方もいますね。東京や北海道や。全体としては石川県近郊の方と県外の方は半々か、少し石川の方が多いかもしれないです。
最初は知合いの作家さんから面白い人いるよって紹介され、連絡をとって広がっていきましたけど、最近は金沢に来たついでにポートフォリオ持って来て下さる。面白いね、じゃあそのうちねって言って次の年に企画になる場合もあるし、ちょっとうちの傾向じゃないっていう場合もきちんとお話して。
うちに来て下さるお客さんは女性が多くて…今村公恵ちゃんの九谷焼とか、大人かわいいものが人気なので、例えばちょっと渋い焼き締めとかだとお客さんには向かん��ら、ってお断りすることもあります。
▮ ( ニューヨークの「NY NOW」 には、)「トネリコブランド」として何人かの作家さんと組んで作ったものを持っていく予定です。
なるほど。全体のプロモーションとしてはどういう事をされて��ますか?
広報は、はがきを作ってお客さんに送ったり、SNSで発信したり、ホームページも結構見て下さいますね。 でもSNSを見る人は若い人が多いから、購入にはつながらんかもしれないって最近思うんです。写真として面白いって思っても、そこから購入までには…なかなか難しい。はがきありがとうって言ってくる人とか、新聞みてくる人とかの方が購入につながっている気がします。
あと去年は「インテリアライフスタイル」っていう東京の見本市に出たんですけど、今年はニューヨークの「NY NOW」に出ます。
いきさつを話すと、メイド・イン・ジャパン・プロジェクトってNPOの会社があって、1年以上前からISICO(石川県産業創出支援機構)がそこの赤瀬社長を呼んでいたんです。産地起こしを積極的にされている方で、販路を広げたい作家の相談を受けていたそうです。ISICOの知り合いが、面白い社長さんおるよって紹介してくれて。赤瀬さんはトネリコさんが面白いこと考えたいなら、って協力して下さって、販路を広げるならばインテリアライフスタイルに出てその後ニューヨークでしょって。
「インテリアライフスタイル」っていうくらいだから、インテリアとかクラフトとか雑貨とか?
そうですね。 さらにニューヨークの「NY NOW」の方は色々な企業が集まって、お皿だったりガラスだったり、インテリアに限らない見本市です。今回はクリスマス商戦向けみたいですが、「トネリコブランド」として何人かの作家さんと組んで作ったものを持っていく予定です。日本の魅力っていうものを見せる方法はないかって思って、「侘び寂び」ではなく敢えて「艶やか」をテーマに、花魁道中をイメージして作家さんに作ってもらっています。すごく派手派手なブースになると思います。ふふ。
以前から、そのうち海外に行くよ、世界のトネリコにるよとか、ただただ言ってたんだけど、言っていると本当になるんですよね。
インテリアライフスタイル 出店の様子
なるほど、「トネリコブランド」。新しい展開ですね。
あとは、銀座の金沢のレストランのかたと知り合いなんですが、2、3か月に1回ペースで取引がある新宿伊勢丹さんの展示期間の金曜にレストランでその作家の器を使って下さって、しかも利き酒会とかを開いて下さって。そうやって広がっていっています。
さらには親しくしているANAクラウンプラザホテルの総料理長の川上さんが、作家の器にスポットをあてた料理会をやろうっていって下さって。作家の器を使ってお料理を出してくれて、しかも作家もそこに作品を売りに来ていい、ホテルは一円もいらないと言ってくれて。9月から毎月開催する予定です。
ホテルとしても、クリエイティブな工夫をしているということでしょうか。
川上さんからは、「細川さんがいつも言っていた”若い作家にはお金がない”というのを思い出したから若手作家にお金がいくような会を考えたよ」って電話がかかってきたんです。 9/14なのにもう50人近く予約が入っているそうです。
▮ (お客さんは) 地元の女性中心です。髙いか安いか、作家が有名か有名じゃないかっていうのは全く判断基準じゃなくて、自分が気に入ったら買う感じですね。
いろいろ活動が広がっていっているようですが、この場所に来るお客さんはどのような人が多いですか?
うーん、地元の女性中心です。髙いか安いか、作家が有名か有名じゃないかっていうのは全く判断基準じゃなくて、自分が気に入ったら買う感じですね。 作家の陶歴とか貼っても全然見ないし、作家在廊はうちでは意味ないですね。むしろ作家がいないときに行くわって(笑)。そんな人もいます。 年代も幅広いです。男性ももちろんいらっしゃるけど。
もともと美術や工芸など勉強されたことはあるんですか?
勉強はしてないですね。好きなものだけ見てきたって感じです。 娘は変わった絵、ダリやベーコンとか、抽象画とか結構好きやよね。 私は印象画とか風景画とか、器系はウェッジウッドとかロイヤルコペンハーゲンとかヘレンドとか大好きなんです。料理がすごい好きで。
その自然な流れがギャラリーにつながっている。
儲けてやる、っていうのが全然なくて。私は綺麗なものがあったら人に見せたいっていう願望がすごく強いと自分でも思うんです。こんなきれいなものを見せられる場所を作れるっていうのは1つ自己実現だったというか。本当にそこですね。
▮ 実はですね・・・シンガポールに実店舗をだしたいと思っています。
現状で課題だったり今後に向けての計画はありますか?
実は、来年春ごろにもう一軒オープンさせるんです。ここから近いんですけど。名前は「おはなしのつづき」にするつもりです。 そこでやりたいのは、作家さんの特徴を理解して、こちらがデザインしたものを作ってもらいそれを販売すること。例えば今、作家6人で作っている器があるんですけど、娘の理衣の絵が女性の心を掴むので、そこから展開して、その絵を立体的な器として作り込んでいます。型を粘土で作ってもらって、陶芸家に鋳込み型も作ってもらったり…あっちいったりこっちいったりとても大変でした。
細川理衣「妖精のキャラバン」
これもそもそもは作家にお金がいくように、っていうのがきっかけなんです。売れれば1枚あたりいくらかが作家にいくわけじゃないですか。月毎に少なくても安定収入をあげたいというか。
次のデザインも考えていますし、九谷焼技術研修所の髙橋さんとも絡んでいて、実はトネリコ灰土も作ってもらっています。
トネリコ灰土?!普通の土と違うんですか?
髙橋さんが作ってくれたレシピなんですけど、白さが際立つ土です。白い土に青い絵の具でキラキラっとしたお皿にしたかったからぼんやりした白じゃ嫌だったんです。���ュアホワイトを目指して。
すごく自由にされてますね。若い作家に生きていってもらわなきゃ・若い人を助けなきゃという人はいっぱいいるけれど、作品を預かって売っているだけでなく、仕事が流れるようにと作家ごとに役割を分けて製品までプロデュースしてゆく、という、ここまではあまりないかもしれない。
お話を伺っていているとすでにとても順風満帆のように思いますが、もしさらにお金も人も時間も関係なくもっと自由にやっていいよと言われたら何をされますか?
実はですね・・・シンガポールに実店舗をだしたいと思っています。
ええ!? なぜシンガポールで…実店舗?
改修の資金調達の時からお世話になっている北國銀行さんがすごくよくして下さって、やってほしいことあったら何でも言って、って言われていて。
北國銀行さんは地方銀行で初めてシンガポールに支店を出した銀行なんですけど、市場調査もやるから何かやらないか、って言ってくれて。でもスペースだけ借りてやるのってつまらないって思って、どうせやるなら実店舗!って思っています。
シンガポールとかどこにあるかもはっきりわかってないですが(笑)。銀行さんがそういうから行こうかなって。オリンピック前にはしたいと思いますけど。
やはり常に10年後とかをイメージしておかないと、目先のことだけ見ていても仕方がないし。ビジョンがなかったら、今、何をしていいか分からない。「思い」始めていたら、だんだんまわりがそういう雰囲気になっていくんです。なんかロールプレイングゲームみたいで楽しいです。
いやはや大変面白い。 とても力強く、楽しいお話、ありがとうございました。
2017年8月13日 質問者:黒澤/書取り・撮影:上田
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THE ROOM BELOW
インタビュイー:村住知也(THE ROOM BELOW オーナー)
THE ROOM BELOW 石川県河北郡津幡町東荒屋186 2013年よりアーティストが運営するギャラリーです。人間の創造性はどこから来るのか、この考えに基づき独創的なクリエーターと美術作品を国内外に紹介しています。
▮ 大切��ものは人の目に触れないように隠しておきたいもので、隠されている場所がいわゆる地下室とか、下の部屋、なんじゃないかという意味も含めました。
名前の由来はなんですか?
ルームビローは「下の部屋」とか「地下」という意味です。2013年に金沢市扇町で長屋に住んでいて、二階を事務所、下をギャラリースペースにしていたんですね。二階から下の部屋、という風にギャラリー部分を呼んでいたのがそのままギャラリー名になりました。大切なものは人の目に触れないように隠しておきたいもので、隠されている場所がいわゆる地下室とか、下の部屋、なんじゃないかという意味も含めました。
扇町の長屋には一年いて、そのあと兼六園下にあったKAPOに移転し、さらにそこが駐車場にするため取り壊しになるということで、真福院に移動、子供が生まれたのをきっかけに三年前に住まいだけ津幡に越してきたのですがなかなか思うように通えなくて…。2015年9月26日にここ津幡に完全移動しました。
THE ROOM BELOW 外観
ご出身はどちらですか?
北海道旭川の出身です。
世の中に美大があると知ったのは高校三年でした。当時は意味もなく周りの大人や社会に嫌悪感を持って生活していました。単純に大人になることの不安の裏返しだったのだけれど、、、 そんな時に画家フィンセント・ファン・ゴッホの人生を知りこういう生き方をした大人がいたんだと驚きました。高三の夏に初めて札幌にある美術系の予備校の夏期講習に行き、結局一浪して金沢美術工芸大学に入学しました。ゴッホのように生きようと思っていました。
▮観客側も、障がいを持っていてもこんなことできるんだという見方しかしてくれなくて、福祉という土俵のなかでしか作品を紹介できない、という壁がありました。 それで、作品をフィルターなしに見てもらい、個人を浮かび上がらせ美術の土俵の中で見せるには自分がギャラリーをやるしかないのではないかと考えはじめたのです。
最初2013年にスペースを作ったきっかけは?
1998年に金沢美術工芸大学を卒業したのですが、大学で学んだ美術史の文脈を踏まえ、正統派美術史の上に乗っかったところで活躍したいという思いがありました。ところが2000年に偶然メルシャン美術館の展示「突き上げる創造力 アール・ブリュット=生の芸術」を見て、大きなショックを受けました。いわゆるアウトサイダーアート、美術史からは違う文脈とされているものに心が揺さぶられ、信じていた価値観がガラガラと崩れていきました。彼らの作品をもっと知りたいと思いました。
彼らとコンタクトをとる接点として福祉施設を訪ねることにし、美術教室をさせてくれと頼んだのが金沢市北袋にある「愛育学園」でした。ボランティア��なら、ということでしたが、2004年から美術教室をさせてもらえる事になりました。そして彼らの作品をみんなにも見てもらうために、金沢でスペースを借りて展覧会を企画したのですが…
いざやろうとすると、作り手の名前を出せない。本人以外のたくさんの人の許可がいる、福祉の現場に協力を頼んでも人手が足りないので仕事を増やしてくれるなと言われてしまう。道具を買いたいといってもそのお金はどこからでるのかという問題もありました。
観客側も、障がいを持っていてもこんなことできるんだという見方しかしてくれなくて、福祉という土俵のなかでしか作品を紹介できない、という壁がありました。
それで、作品をフィルターなしに見てもらい、個人を浮かび上がらせ美術の土俵の中で見せるには自分がギャラリーをやるしかないのではないかと考えはじめたのです。できることからしようと、自宅スペースを使いギャラリーをスタートしました。
愛育学園での美術教室の様子
▮僕はどこかで、人は芸術がなくても生きていけるし困らないのではないかとも思ってたんです。 でも彼らの創作活動は、信仰と同じように人生と共に歩むものに見えました。
美術教室を行う中で、作家を発見していくのですか?
最初の出会いは美術教室でのものでしたが、実はそれは彼らともっと深く知るための隠れ蓑でした。美術教室で出来た作品より、みんなが寝静まったときに私室で隠れて作られたものとか、美術教室に参加していない人が、こんなの作っているんだけどちょっと見てくれないか、といって見せてくれたのがとても良い作品だったりするんですよね。 彼らの作品に衝撃を受けたのは、生きることと表現が一緒になっていて、作らざるを得なくて作っているところなんです。
僕は日常生活から生まれたものを作品にすることはありませんでした。現状を批判し新しい提案をするものが美術であって、美術史の文脈に乗るために何をすべきかということを理論的に考え過ぎていたのです。新しくおしゃれな、今よりちょっと先を表現すべきだと。僕はどこかで、人は芸術がなくても生きていけるし困らないのではないかとも思ってたんです。
でも彼らの創作活動は、信仰と同じように人生と共に歩むものに見えました。ぼくのできなかったことを彼らはしていると感じましたし、それに対しての尊敬がありました。彼らを知ると人生経験が豊富で大きな出来事を経験していて、多くの場合それは悲劇なんですが、それを乗り越えるために作品を作り始めた人もいます。作ることは癒しにもなるんだと、彼らを通じて知らされました。
THE ROOM BELOWでの展示風景
▮ アーティスト視点のプロジェクトである、という考え方はいつも根底にあるんです。福祉施設がやっているようなアプローチは自分らしくない、というのがあります。
The Room Belowはひとことでどういうギャラリーですか?
実は僕自身どんなギャラリーなのか、最近はわからなくなって来ています。(笑)
アーティストラン、すなわちアーティスト視点のプロジェクトである、という考え方はいつも根底にあるんです。福祉施設がやっているようなアプローチは自分らしくない、とい��のがあります。
普段どのような活動をされていますか?
2014年に「セルフトートアート 独学の研究者たち」というタイトルで、金沢市民芸術村で展覧会を企画しました。また、外で��いろいろな反応を確かめたいという思いから海外のアートフェアなどにも参加し、フィンランドやスウェーデンなどにも行きました。
そこであった出来事なんですが、観客に、「彼らは障がいを持っていて、作品を作っている」と紹介すると、「その情報は私には必要ないんだ。作品をニュートラルに見て感じたりしたいのにその情報は心を濁らせる。」という人がいて。それから障がいを持っていようがそうでなかろうが、良いものは良い、という作品の絶対的な評価はあるのではないか、と思い始めました。それもあって、迷い始めてもいるのです。
スウェーデンのアートフェアのブースの様子
▮ いいなあと思う作品はだいたい彼らのプライベートのところで生まれたものなんですけれども、それは本人にとって大切なものなので譲ってくれないというジレンマもあり、思うようには作家を増やせない部分があります。
芸術村や他での展示はどういう人が見に来られます?
福祉関係者の方が多いです。 作家さんの担当職員とか。アート関係者は少ないです。
なんだかんだ施設の方が多いんですね。取り扱い作家はいらっしゃいますか?
展覧会の時には展示を依頼するひとは数人います。関係を継続している作家は一人です。
いいなあと思う作品はだいたい彼らのプライベートのところで生まれたものなんですけれども、それは本人にとって大切なものなので譲ってくれないというジレンマもあり、思うようには作家を増やせない部分があります。
継続している一人というのは最近福祉施設から出て、アーティストとして活動したいと言っている米沢実です。今は生活保護を受けて生活しています。建築現場から5センチくらいの角材をもらって木工ボンドでつなぎ合わせて、彫刻刀と簡単な小刀で、布団の上で彫ってるんですよ。 月に一度くらい彼の家を訪ねるのですが、木くずに囲まれた環境で生活しています。まさに生活と制作が同居しているわけです。
米沢実
▮ 福祉施設側もいままでは価値がないとみなして捨てられていたものが評価を受けることもあるんだと、少しずつ理解してくれるようになり、状況が変わってきてているのを感じます。
施設側の反応は10年で変わりましたか?
アートフェアに参加して作品が売れ、金沢アートグミの紹介で橋場町のホテルHATCHiで展示させてもらっている状況を福祉施設の職員には大げさに紹介しているんです。その甲斐があったのか、福祉施設側もいままでは価値がないとみなして捨てられていたものが評価を受けることもあるんだと、少しずつ理解してくれるようになり、状況が変わってきてているのを感じます。以前から比べると積極的に協力してくれる機会も増えました。
作品の売買に関していうと、福祉施設に入所している人たちには公的援助を受けている方もいるので、収入があると面倒なことになってしまう場合もあるのです。それでも作品を販売して彼らの収入を得られることがよりよい状況につながるのではないか、と考え始めている職員もいます。
アートや表現活動に力を入れている先進的な福祉施設の中には、入所者の作品を原画として、別なデザイナーが製品化する、ということをしている所もあります。作業場での作業に埋没させず、彼らの個性を開いているように思うのですが。
奈良のたんぽぽの家がすばらしい活動をされていますね。あそこの活動も初めは「これはもしや、アートなんじゃないか。表現なのでは?」と気が付く人がいたからはじまったのだと思います。気づいた人が見せることを繰り返し、いろいろなところでそういうことが立ち上がっていくといいなあと思います。
一般のアート関係者が来るようなスペースでもあり、福祉関係者も来るようなスペースでもある、交差点になるような場所であったらいいのではと思いますが。いかにも美術の歴史に乗っかっているもの、その隣に規定の枠にはまらないというものがあって、むしろその方が面白いし社会のどこかをひっくり返すようなことになるのではないかと。それこそThe room Below らしい活動になるのでは。 ほかの福祉施設で先進的な事例をやっているところと繋がって、一番興味を持つはずのアート関係者たちに集まってもらって話す機会を作るようなことも一つかなと思いますが?
その通りだと思います。そういってもらえると考えがクリアになってきました。
そして僕一人の責任ですべて負えることでもないなあと思い始めています。今42歳で、この活動を引き継いでくれる次の世代に受け渡していくような活動もしなくてはならないと考えています。
▮ もちろんみんなそれぞれコマーシャルギャラリーに所属できるようなアーティストを目指してはいるのだけれど、サバイバルの仕方は1通りではありません。 彼らとの出会いによって、いろんなやり方があるのだと知りました。アーティストランのスペース・ギャラリーに可能性を感じています。
今後の活動の予定はどのようなものですか?
今後もアートフェアに参加していこうと思っています。アーティストの創造性をサポートする、そして海外のギャラリーの活動を知るためでもあります。世界とつながっているという実感が持てて、同時代性を感じるんです。日本人の作家しか紹介しないのかと言われてもいるので、海外作家も紹介したいです。
11月に金沢アートグミでアートスペースリンクが開かれるときには三名の作家を紹介します。
アートスペースで気になるところはどこかありますか?
素晴らしい活動をしているアートスペースがたくさんあります。アーティストランのスペースしか参加できないアートフェアに参加した時、そこで出会うアーティストは私と同じような課題を抱えていることを知りました。多くは継続的に続けていくための金銭的な問題です。 もちろんみんなそれぞれコマーシャルギャラリーに所属できるようなアーティストを目指してはいるのだけれど、サバイバルの仕方は1通りではありません。彼らとの出会いによって、いろんなやり方があるのだと知りました。アーティストランのスペース・ギャラリーに可能性を感じています。
アーティストでありながらアートスペースをやっていくことの問題点を共有しているということですね。今の金沢でのアート状況について思う事はありますか?
金沢美大を19年前に卒業した時とは確実に違っています。発表するギャラリーも限られていて、ほとんどは貸し画廊だったし世界とつながるには東京��と、殆どの美大の先輩たちは金沢を離れました。
今美術館ができて、金沢アートグミができて、アートスペースリンクでつながる人もいれば、たくさんの人たちが卒業後にも残り、外から移住すらしてきます。いくらでも世界と繋がれますし、東京と比べてポテンシャルが高いと思います。情報を発信してみてもらえる都市になったかな、と。この19年で変わってきたので、ますます期待できる気がします。
もし経済的・時間的・空間的なすべての条件がクリアできたら、何をしたいですか?
ギャラリーの運営にもっと力を入れていきたいですね。チャンスが来たら仕事を全部やめ専念したいと考えています。今は少しずつ準備しているところです。
アーティストの立ち位置を知り尽くしたギャラリー、その都度疑問に思ったら変えていく勇気も持ち合わせていきたいです。
一同 ありがとうございました。
2017年7月7日 THE ROOM BELOWにて 質問者:黒澤/書取り:中森/撮影:上田
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ガレリアポンテ
インタビュイー:本山陽子(ガレリアポンテ オーナー)
ガレリアポンテ 金沢市野町1-1-44
今という時代を感じさせながら、普遍性ある企画展を開催。Ponteとは橋、美術もまた離れた土地を結びつけ精神への架け橋となるもの。ここで出会う作品はどんな場所へ通じる橋(ponte)か両岸をつなぐ橋であることを目指す。
▮ 役割として「架け橋」でありたいというのは、ギャラリーの仕事をしたいと思った当初からの想いです。
設立年は?
M: 2008年の10月10日です。ただ語呂がいいからっていうだけで特に意味はないです(笑)。
「ガレリアポンテ」はイタリア語のようですが、どういう意味を込められていますか?
訳すと「ギャラリー橋」ですね。なんでイタリア語やねんって言ったら、これももう語呂が良かったからっていう(笑)。言葉も、「ポンッ!て」みたいな、なにかを開くような響きがいいですね。 役割として「架け橋」でありたいというのは、ギャラリーの仕事をしたいと思った当初からの想いです。立地が犀川大橋のすぐ側なので、ランドマークとしても、「まさに!」みたいな。
ガレリアポンテ外観
▮ ただ学芸員も面白い��れど、周りの友人はモノづくり作家の卵達で彼らが日の目を見るにはどうすればいいんだろう?と。若手作家の作品を売��というギャラリストもいいんじゃないかと思い始めて。 タウンページをみて「今度美大を卒業するんですが。働きたいんですけど」って(美術サロン)ゆたかに電話したんですよ。
本山さんが美術に関わり始めたのは?
M:生まれは大阪です。親が転勤族だったんで、幼少時代から高校までは宮崎、南国育ちです。親は普通のサラリーマンなんですが、美術館に連れてってもらったり、美術全集があるような家で、自然と美術には興味がありました。一人でもよく行っていたのが地元の美術館や博物館で、工芸品や鎧などが飾られているそういった場の寂びた空気が好きな、まあマセた少女だったんです。 高校の時に雑誌オリーブから「キュレーター」という仕事を知って、自分は作り手じゃないなというのと、工芸に興味があったのとで、大学進学のときに芸術学という専攻があってかつ大学の名前に「工芸」って書いてあるのが金沢美術工芸大学で、必然的にそこに決めた感じです。親が自立しろと常日頃言っていたのと、南国から雪国へまったく違う文化、風土のところで勉強してみたいと思って。それが金沢に来るきっかけでしたね。
大学卒業の後は?
M:修士終了後は、そこまで研究者タイプじゃないことは判ってたんで、働かねばって思いました。実家の大阪で就活もしてみたんですけど、「こんな都市には暮らせんなー。」というわけで、金沢に居ることに決めました。
ただ学芸員も面白いけれど、周りの友人はモノづくり作家の卵達で彼らが日の目を見るにはどうすればいいんだろう?と。若手作家の作品を売るというギャラリストもいいんじゃないかと思い始めて。卒論書き終えて、もう卒業も差し迫ったときにタウンページを開いて、「画廊画廊画廊…」って見て(笑)。20…年くらい前ですから、画廊で調べたくらいじゃ数軒だけ。
そのなかで、「美術サロンゆたか」は落ち着いた雰囲気のギャラリーで、近代の掛軸とか大観もあったり、オーセンティックで良いものを扱いながら、金沢美大油絵の原崇浩さんとか若い作家も取りあげようとしている姿勢とか、良い画廊だなぁって。
なのでタウンページをみて「今度美大を卒業するんですが。働きたいんですけど」ってゆたかに電話したんですよ。募集もされてないのに。
タウンページ!?
M:そう。 ゆたかは某スーパーが母体なので、竪町の片町店3階にあったんです。面接で本社の専務に「で、バイトでいいの?正社員なる?どっち?」とか言われて(笑)「あ、じゃあ正社員でお願いします!」みたいな(笑)。ということで、ゆたかに勤めることが決まりました。良い時代ですね。
美術サロンゆたかでの仕事ってどうでした?
M:ゆたかはちょうど丸10年勤務したんですが、若手作家の強化担当となり、主に金沢美大や卯辰山工芸工房出身者の若い作家見つけてきて展覧会をするという非常に恵まれたを経験させてもらいました。 ガラスの小田橋昌代さんなどご縁が今に繋がっている作家さんもいますし、金沢美術倶楽部や東京の洋画商協同組合、アートフェア東京の前身であるNICAFなどアートフェアの経験もそこで積むことができました。
自身のギャラリーを始めるきっかけは?
M:2008年まさにリーマンショック吹き荒れる中、務めた画廊がクローズするってことが決まったんです。自分はどうしようかなとモヤモヤ考えていた時、ポンテのあるビルの大家さんである寺町の画材店かゆう堂さんから、「1階を貸してあげるからここで画廊すれば?」と、そんなお話が来たわけです。「じゃあ、よし、やろう!」と決めたのが2008年の夏前くらい。そこから10月までバタバタバターっと気合いと勢いで準備をしました。
ガレリアポンテ内観
▮ 自分の中には明確なメジャー(=ものさし)はあって、それに合致する作家を感覚的に選んでます。
どういう特徴のあるギャラリーですか?
M:よく聞かれるんですけど一番言語化しづらいですね(笑)本来言語化することがギャラリストの仕事でもあるわけですが、あえてしたくない部分もあり。自分の中には明確なメジャー(=ものさし)はあって、それに合致する作家を感覚的に選んでます。絵画もあれば彫刻も扱ってるし、工芸もあるし、少ないですがコンセプチュアルな作家もアート全般取り扱ってます。
レンタルはあるんですか?
M:美大生向けに2月、3月に学生価格で開放してます。ここで可能性のある学生さんいたら、企画で取りあげてゆきたいと思いもあり。ようやく、この初めての試みとして8月19日~27日に美大油院生の菊池美咲さんの個展を企画で行います。
企画に重きを置いているんですね。
M:企画を大事にしたい思いがあります。 企画の時は、1.5ヶ月ペースで、3週間ぐらいの長さをいれるようにしてます。DMも単なるハガキじゃなくて、必ず作家と自分、もしくは外部の人にステイトメント書いてもらって、アーカイブできるものをつくってますね。
いわゆる「取り扱い作家」っていますか?
M:「契約してます」という感じではないですが、だいたい15人くらいは2〜3年に1度個展をするのと、毎年アートフェアのときに数点ずつお願いするのと、2つの付き合い方をしています。参加するフェアは「神戸アートマルシェ」とか「アートナゴヤ」「ULTRA」とか、ホテル系のものが多いです。2016年10月にオープンした陶芸工房&ギャラリーのcreava(クリーヴァ)の企画運営に携っていて、こちらはアーツ千代田3331にも出ました。
▮ 彼女(竹村友里)の創作活動がどんどん飛躍しているので、それに相応しいギャラリーでもいなきゃいけないなと思うし、また自分もバージョンアップしていかなきゃと。すごく刺激を受けてる作家さんです。
印象や記憶に残ってる、これがエポックだったかなという出来事は?
M:一つ核になってるのは、陶芸家の竹村友里さんとの出会いですね。卯辰山工芸工房の修了展を見て作品に衝撃を受け、声かけして今でも継続的に個展していただいてます。
2011年にポンテでの個展を見て頂いたことがきっかけで���秋元雄史 金沢21美元館長の声掛かりで『工芸未来派』に出展させて頂き、ニューヨーク巡回展の際は弾丸ツアーで竹村さんと一緒に行きましたし、BASEL HONG KONGのサテライト展の香港マルコポーロホテルのアートフェアに招待出展された際も竹村さんを出品したりと、彼女が成長していくと同時に自分も何かしらの関わりが持てています。
それに加えて長町のatelier&gallery Creavaを昨年10月にオープンしたんですけど、アートディレクションを竹村さんにやってもらい、さらに2階には竹村さんの工房が移転されました。
竹村さんと共にポンテも、ギャラリストとしての私も歩んできた部分もあるなーというのは、今になってひしひしと不思議なご縁を感じてるところです。彼女の創作活動がどんどん飛躍しているので、それに相応しいギャラリーでもいなきゃいけないなと思うし、また自分もバージョンアップしていかなきゃと。すごく刺激を受けてる作家さんです。
竹村友里 個展(2011年)
好きな作家や、好きな作品の傾向はありますか?
M:私の単なる好みですが、線がきれいな作品です。 立体平面問わず視覚像的な美しさとか、造形指向のものに惹かれるところがあるので、「線」で見てるのかなぁという気がします。
たしかに、ポンテさんの取り扱っている作品は、有機的な美しい線みたいなのが表れている気がします。「線」って造形的なことの問題ですよね。作品の物語性やコンセプトというソフト面じゃないんですね。
M:作品作家の背景やコンセプトは当然見ますし、コンセプト自体が美しい線を描かけていると感じたものを取り上げます。陶芸の久世健二先生がよく言われていた「手で考える」って言葉が好きで、かつ表現物としての作品造形から入ることが多いです。
▮ 切り口を工芸にしつつも、その隠れた層にもっと熱いコンテンポラリーや様々なアートもあるよと、金沢アートシーンの多様な層をお見せできる機会にもきっとなると思って。 近海に漁場、アートマーケットが金沢に出来るんであればもっと面白くなるだろうという思いがあります。今、目下「漁場づくり」ですね。
まちづくり的なことにも参加されてますよね?
M:外での耕し活動、まちづくり的なことは、2012年に金沢青年会議所さんの「かなざわ燈涼会」が最初でした。地元企業の若手経営者が中心に所属をしているので、「是非ともアートに親しんでもらって、後々の旦那衆になってもらわねばならぬ(下心)」と思って。 転じて認定NPO法人趣都金澤にも参加するようになり、一番最初にやった事業はギャラリーツアー。自分の田んぼに水引きまくり(笑)。今年からは金沢経済同友会にも参加させてもらってます。
工芸回廊「 小田橋昌代×八木明 」大樋ギャラリー(2016年)
そういった土台があったからこそ、今年の11月に工芸に特化したアートフェアKOGEI Art Fair Kanazawaの立ち上げにつながっています。国内外の有名ギャラリーや勢いのあるギャラリーが集結するアートフェアです。切り口を工芸にしつつも、その隠れた層にもっと熱いコンテンポラリーや様々なアートもあるよと、金沢アートシーンの多様な層をお見せできる機会にもきっとなると思って。 近海に漁場、アートマーケットが金沢に出来るんであればもっと面白くなるだろうという思いがあります。今、目下「漁場づくり」ですね。
所謂アートスペース、アートの場的な機能をもつギャラリーで、気になるところ、面白いなと思ってるところとか、参考になるとか、でなきゃ反面教師とかって(笑)
M:反面教師!めっちゃ言いにくいわ!(笑) 金沢あたりで、面白くて、独自路線でされているなーと思うのは、ルンパルンパさんとか、点さんとかですね。また中森さんも彗星倶楽部を新しくオープンするって聞いて楽しみです。県外だと、東京に支店出したペロタン。
現状における課題、併せて今後計画している、あるいはしてみたいことってありましたら。
M:現状、「金沢」というパイだけでは、ギャラリーも作家もごはんを美術で食べることはできないので、金沢に何らかのプラットホーム、情報交換の場であったりとか、新作発表の場であったりとか、流通が活発になる場が出来ることによって、新しいシャッフルが起こるシーンの創出のようなことができたら面白いなってことが、課題と今後(希望)みたいな感じです。 2017年11月のKOGEIアートフェアでどういう結果が出せるかなというのがまず第一歩。
▮ 日本でも金沢みたいな都市、他にはないんじゃないかなって思います。だからこそ、地方で腰据えて、面白いことやってみたい。人があえて、アートやリアルを求めてここ金沢に来るようにしたい。
経済的なことや、人脈とか、何かにチャレンジするときには何かしらのハードルがありますよね。もし現実のそれらをポンっと越えられてしまう魔法みたいなものが使えたら、「これがやってみたい」ということはありますか?
M:そうですねー、広坂にアートコンプレックスビルを建てます!21美の側に。ってこれ秋元さんの受け売りなんですけど。 で、ギャラリーをいれたり、アトリエを作ってもいいし。行政・美術館・町場の経済人・ギャラリー・作家、みんなが連携していくことの集大成として。そして「私が大家です!」みたいな(笑)
確かに広坂にアートコンプレックスビルっていったら、いきなりポンっとはいきませんね。でも、できたら面白いよね?
M:でしょ?宝くじ当るとか?(笑)でもそのうち、なんとかなるのではという気がしてます。絶対に不可能かと言うと、ジワジワッと人を巻き込んだら…金沢でなら…できるかもかも。そのときは是非出資してください!
本山さんは「タウンページ精神」に満ち溢れていますよね、最初から。
M:あはは、今はもうネットの時代でしょうけど(笑)「勘と押しで生きてる」って言われるんですけど、私の野生の勘が「間違いじゃない気がする」って背中を押してます。
金沢、まだまだ伸びしろ、ありますよね。北陸の真ん中にあるという偶然に偶然が重なって。いろんな力が働いて、小さくもいろんなことが起こりつつありますね。
M:日本でも金沢みたいな都市、他にはないんじゃないかなって思います。だからこそ、地方で腰据えて、面白いことやってみたい。人があえて、アートやリアルを求めてここ金沢に来るようにしたい。今から助走をつけて、構築するべきものは構築しておかないとって思います。頑張りまーす!
ありがとうございました。
2017年7月4日 ガレリアポンテにて 質問者:黒澤/書取り:宮越/撮影:上田
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ルンパルンパ
インタビュイー:絹川大(ルンパルンパ オーナー)
ルンパルンパ 野々市市本町1-29-1 スマイリー1F 2011年石川県野々市市の開廊。新進気鋭のアーティストのための実験・表現の場として、現代美術、工芸を中心に企画展を行っている。近年は東京の発表や海外のコレクターが訪れるなど大きな注目を集めている。工芸や現代美術を中心にジャンルの境界線を飛び越えた、勢いのある個性豊かな作品を多数展示する。
▮大航海時代の博物学的キャビネットコレクション:『驚異の部屋』のようなギャラリーになれば 、と。
●いきなりですが、「ルンパルンパ」って何なのですか?
絹川(以下K): ルンパルンパは、インドネシア語で香辛料の意味です。香辛料を狂気のごとく追い求め、人の欲望を駆り立てた大航海時代の博物学的キャビネットコレクション:『驚異の部屋』のようなギャラリーになれば、と。
●設立年は? 始めからこの場所で?
K: 2011年です。最初からこの場所です。実は出身も、野々市です。 「金沢」は圧迫感とか、閉塞感もあって、「金沢の外」で、ということは意識にはありました。
●アートスペースをはじめた経緯は?
K: それまで東京の半導体の会社に5年くらいいました。会社でやっていたことは客観的な科学・・・例えばガラスが割れたらその結晶分子がどう変化したか、のような。それが嫌になった。一方で、人の怒りの感情がガラスを割ったりするわけで、
アートはそのような主観的な世界・・・その片鱗に携わりたいと思ったんです。
幼少のころから死ぬのが怖くて、死後も意識は存在するのではないか、とか、それをアートは解明できるのではないか、とか。
ある種おどろおどろしいものを作る作家を扱うことが多いのは、死を感じさせるものを身近においておくことでそれを飼いならそうと考えてのことかもしれない。
具体的には音楽、映画、サブカルチャーからアートに入っていったかな���
ルンパルンパ外観
▮現状は「企画」のみで、アーティストの共犯者としてガツンと組んでやりたいと思っています。
● それで、いきなりギャラリーを始めた?
K: 東京から戻ってきて、とりあえず知り合いが家具とか民芸品を売っていて、それを手伝っていて仕入れとか勉強して、それが準備になりました。ですから当初は民芸とか雑貨屋さんとアートは半々くらいでした。 本当にアートだけで行こうと思ったきっかけは、扱っていた工芸の作家に力がついてきて売れ出したこと。作家たちと共にやろうと思い、覚悟を決めました。 ですから現状は「企画」のみで、アーティストの共犯者としてガツンと組んでやりたいと思っています。
▮ニールヤングとかボブディランとかみたいに流行りを追いかけず、ちゃんと自分のやりたいことをやっているアウトロー的な作家が好きです。
●どのような作品を扱っていますか?
K: 工芸を主流で扱っています。もう一つ、ポストインターネット時代のデジタル系作家もやっていきたいので、工芸とデジタルの作家と二本柱でしょうか。
今の時代の面白さは工芸とカオスラウンジのようなものが共存していることで、自分はどちらにも惹かれるんです。最近、工芸はお客さんの望むポップさとか奇抜さを競うようになってきてしまっていることもあって、やはり一人の作家を長く見ていきたい。
● 作家との出会いが大きいと思いますが、どんな風に出会うのですか?
K: 実はカフェとか道端で・・・作家に「たまたま」出会い、声をかけた結果・・・みたいな。
取り扱い作家は全体では30人くらいかな、個展だと10人くらいに絞られますが。
作家をパンクとか、フォークシンガーとかに例えていて、ニールヤングとかボブディランとかみたいに流行りを追いかけず、ちゃんと自分のやりたいことをやっているアウトロー的な作家が好きです。 自分は博物館が好きで、マニエリズム、バロック的、驚異の部屋的な、雄が雌を求愛するようなごちゃっとしながら呪術的なもの、加飾していく工芸なども好きです。縄文的な、というか。完成しすぎている作家よりは揺らぎがある方が惹かれます。なんのために作っているかを考える作家の精神の動きが重要で、作品はそのアウトプットの結果��と思います。
●好き、という以外に何か選択の理由がありますか?
K: 「自分にはこのアイディアは出てこないなぁ」、どうして?と思う人��惹かれます。好奇心を刺激され、ハチャメチャで不可解なもの。顕微鏡でみても最期は結局わからないようなもの。うらやましいな、と思うんです。グレーソンペリーとかヘンリーダーガ―とかも良いですね。
牟田陽日 写真提供:ルンパルンパ
▮ギャラリーとしても力をつけていかなければならない���、この世界観を維持して、作家を応援していきたい。
●印象に残っている展覧会は?
K: 牟田陽日(むた・ようか)さん。4年前が初個展、個展2回目はもう朝5時から行列で並ぶ感じでした。売れていく最初の段階から一緒にやってきた作家です。あっという間にどんどん成長していったので、彼女の存在は大きかったですね。
あと水元かよこ(みずもと・かよこ)さん。九谷焼の作家で、最初、フリーマーケットでござをひいてボタンを売っていた時に面白くて声をかけました。本当は自己表現を器でやりたいと言っていたんですが、最初の器は面白くなかった。でも彼女はもともと職人だから、制約や形状があるほうがやはり面白いらしく、器だけどオブジェの世界観をやってみたら、焼物の上に絵付けしてきて、いきなり今のようになった。
作家の成長という面では難しいこともあって、スピードがギャラリーと合わなくて、東京の有名ギャラリーが先に全部買い取るとか、いろんな業者が声をかけてくる、とかあります。でも作家がこちらを通してくれて、仁義を通してくれるので感謝しています。
ギャラリーとしても力をつけていかなければならないし、この世界観を維持して、作家を応援していきたい。ブーム自体はいずれ収束していくものと思っているし、デパートだと作家もギャラリーも消費されている感じもあって、ほどほどにしないとデパートのサラリーマンになってしまう。
水元かよこ 写真提供:ルンパルンパ
▮ 経営的には数人の作家が支えてくれています。アートフェアは先行投資ですね。とにかく生き残ることが大事・・・やり続けることだと考えています。売れる、というより「代わりがきかない作家」を出していきたい・・・
●プロモーションの方法は?
K: 国内海外問わず、アートフェアでは出会いがあって、プロモーションの場なので続けたいと考えています。でもそこに限界も感じています。日々面白いことを自分のスペースでやっていきたいというのが基本ですね。お客様は県内、県外、海外、FBでみて、という人もいてありがたいと思います。
●運営で心がけていることは?
K: 作家の支払いをキチンとする。委託(販売)でやっている分、緊張感を持たないと甘えてしまうので。何分にも生身の人間が相手。彼らの才能で食べているので。作れなくなったときに相談に乗ったり、彼らの才能に奉仕する感覚が大切というか。
経営的には数人の作家が支えてくれています。アートフェアは先行投資ですね。とにかく生き残ることが大事・・・やり続けることだと考えています。 売れる、というより「代わりがきかない作家」を出していきたい・・・育てるというか。そしてもちろん、最終的には誰かが買ってくれるから残っていく、ということもありますが。
▮金沢は江戸みたいな「粋」なところもあるし、「あの世感」があるというか、良い意味でガラパゴスというか。
●気になるギャラリーは?
K: 「山鬼文庫」。ステイトメントがしっかりしている、哲学を売っている気がしています。「芸宿」も気になっています。作家を生み出す場になっている。日本の中でいえば「オオタファインアーツ」が気になります。いろんなメディアを横断的にやっているようですし。それと最近では作家ではなくキュレーターがいる「タブギャラリー」とか興味深い。あと「カオスラウンジ」とかでしょうか、アーティストで運営しているギャラリーが面白いと思います。
●金沢という文化圏でアートスペースを運営することについて、どう思いますか?
K: 金沢は江戸みたいな「粋」なところもあるし、「あの世感」があるというか、良い意味でガラパゴスというか。この場所なら一人の作家とじっくりと付き合っていくことができるし、作家とお客さんが身近にいられるような気がします。
金沢の欠点はお客さんの絶対数が新幹線開業にも関わらずやっぱり少ないことかなあ。街そのものは環境とかの変化に弱い部分もあるけれど、それをケアしつつ、東京とかを意識せず、ここから海外を見ていけばいいと思っています。
●現状になにか課題がありますか?
K: 個人的な話ですが僕の精神を常に安定させていきたいですね。もうちょっとどっしりとやりたいなあと。
▮ コレクターのみならずマス〔多くの観客〕に対しても提案できて、若いアート好きな人がもっと気軽に買えるような、楽しめるプロモーションがしたいですね。
●今後計画していることはありますか?
K: コレクターも作家と同様、自己表現として買っています。なのでそれをちゃんと見せる場をつくりたいと思ってます。コレクターが「買ったら終わり」というのではなく、買った後にそれをつかって遊べるコミュニケーションの場、コレクションを見せる場も作りたい。コレクターのみならずマス〔多くの観客〕に対しても提案できて、若いアート好きな人がもっと気軽に買えるような、楽しめるプロモーションがしたいですね。潜在的にアートが好きな、デジタル世代にも響くような。
最近若いIT関連の経営者の人達に、工芸のジャンルを権威とか価格帯で見ずに買うことがクール、みたいな意識の人が出てきています。そのあたりもターゲットにしていきたいと考えています。
●今日は長い時間ありがとうございました。 まずは次のコレクターのコレクション展を楽しみにしています!
K: ありがとうございました。 2017年6月18日 ルンパルンパにて 質問者:黒澤伸 書取り:中森あかね 撮影:上田陽子
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