Tumgik
aokiakio-blog · 4 years
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20200526
ショートスリーパーになりたいって常々思っている。
平たくいうと「毎日」「充分な時間眠って」「昼間に元気に過ごしたい」である。
普通の睡眠でも「充分な時間眠って」「昼間元気に過ごしたい」は達成できうるが、だらだらテレビを観ていたかったり、何度も読んだ漫画を読んでいたかったりすることは必ずあることなので、「毎日」行うことは現実的ではない。
だらだらテレビを観る時間や何度も読んだ漫画を読んでいる時間も「昼間元気に過ごしたい」を叶えるためには不可欠だと考えている。
ということで、望んだ通りの日常を過ごすためにはショートスリーパーに近づいていくのは当然のことなのである。
今の睡眠には無駄があると思う。今の睡眠は大きく分けて二つ。「夢を観ていない時間」と「夢を観ている時間」に分けられる。
「夢を観ている時間」は頭の整理のために必要らしいのであっていい。そのままでいい。
果たして私は「夢を観ていない時間」をまっとうできているのだろうか。今まで「夢を観ていない時間」に関して全く考えたこともない。「夢を観ていない時間」をまっとうせずにたまに夢を観てしまおうとしてたりしないだろうか。
純粋に「夢を観ていない時間」を過ごしているのだろうか。
「夢を見ていない時間」の純度を高めていきたい。睡眠の質を高めるためにコミットできる箇所はここだけだ。夢を観ている時は、そのままにしてあげたい。
「夢を見ていない時間」は、何も考えていないハイパーリラックスタイム、故にハイパー回復タイムなのだろう。多分。
っていうことに今日気づいた。
ハイパーリラックスタイムを強化したい。
元々、中学高校で座禅を組んでいたりして、自らの脳を空っぽにしてただただ存在としてあるようにすることには慣れているつもりだが、ちょいとがんばってみようと思う。
そういえばよく聞いた「煩悩を捨て去る」行為は、ハイパーリラックスタイムを迎えるためにある行為なのだろう。文字で見たらそのまんまに見えるけれど、今の私は目的があって「煩悩を捨て去る」をしたいので、なんだかすごい附に落ちている。
今日うつ伏せになったときにこれに気づいたのだが、ヨガとか瞑想とかが好きな人が海とか山とか自然とかと調和したいっていうのもなんとなくわかった気がした。
日常の要素がないので、煩悩を持ちにくくする効果がありそうな気がした。
でも、目的あったらそれ煩悩ちゃうって思った。
ショートスリーパーになりたい。
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aokiakio-blog · 4 years
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20200508
ぼーっとする時間ってやっぱり大切だ。
近い未来に妻になる人がいるけれども、隣にいるときに飲む酒と一人で飲む酒では全く違う。
どちらがいいとかではないけれども、やはりどちらも大切なので、ぼーっとする時間も尊重して生きてあげたい。
一人で飲むときはなんかやっぱウイスキーなんだよな、不思議。そしてプルーム・テックのぶどう味がやけにあう。
きっと世の諸先輩方も、形はどうあれこういう時間はとっているんだと思う。意図的じゃなくても、多分そうなっているんだと思う。競馬にいる時間、釣竿をたらす時間、ゴルフをする時間。
人生で初めて、ほんとうの意味で他人が自分の人生に混じっていく実感がある。他人じゃなくなっていく。。
人生に初めて、個に他が、、コニータが、、、
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aokiakio-blog · 4 years
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20200423
エラーって出たのにちゃんと投稿されてるやん...
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aokiakio-blog · 4 years
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20200423
投稿ボタンを押したら、エラーが発生して、たくさん書いた文章が一瞬で消えた...
Tumberが適しているのかはわからないが、コロナウイルスの影響でAmazonからの日記帳の配達が月曜日になるとのことなので試しに書いてみる。
が、記憶をトレスして気を使った文章を書くのもなんか変だし、やる気が半分くらいになったので要点だけ書く。
何不自由ない生活を送っていて、数年前の自分から見ると信じられないレベルに達している。
一方で身体の衰え具合も、数年前の自分から見ると信じられないレベルに達している。 https://www.youtube.com/watch?v=xDcyg9DIceQ マツコの番組で紹介されていた1991年の新宿の動画がとても衝撃的だった。なんかよくわからんけどすごい感動した。(ということに関して結構細かく書いていたのにエラーで文章が消えた。。。) 未来のことは何が起こるかわからんけれど、過去に起きたことは今の自分が認知できるし、それにもかかわらず取り戻しのつかない貴重なものなのだと思った。
また、今好きなものや抱えている関係性も全て過去になるものだと初めて感じた。そしてこれらはすぐに過去になる。ただこれが過去になったということは、未来にならないとわからない。
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aokiakio-blog · 4 years
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20200423
Tumblrが適しているのかわからないが、コロナの影響で日記帳が届くのが来週の月曜日になるとのことなので、仕方なくWebサービスを使ってみようと思う。
不自由のない生活を送っている。婚約者もいて、同棲をしていて、仕事にもやりがいがあり、収入もギリギリ満足できるレベル。リモートワークが続いていて、持て余してしまうほど昼休みの時間が長く感じるので、毎日昼間に湯船に漬かり、頭を使わないでいい作業をスマホでしている。夜はよく眠れるし、好きなものを好きなように思い通り作れるので食事や晩酌には事欠かない。
身体には今まで体験したことのないスピードで肉がついてきて、お腹が今までに経験したことのないような形状に膨らんでいる。目も少しずつ悪くなり、メガネを物を見るためにつけるようになった。仕事をしていると肩が凝るし、朝起きたときに顔がとても浮腫んでいる。 https://www.youtube.com/watch?v=xDcyg9DIceQ マツコデラックスの夜の巷を徘徊するで紹介されていたYoutubeにあがっている1991年の新宿の動画をみて、時の流れというものを初めて明確に意識した。紹介されていた動画に写っているものは、自分が経験し得た景色であり最近訪れた場所の景色であるのにもかかわらず、不思議な違和感や高揚感があった。ただただ見知った景色の30年前の姿というだけであるのに、とても貴重なものに思えた。タイムスリップってもしかしたらこんな感じなのかもしれない。
元々自分は未来志向であるし、学校で学んだ日本史や世界史の授業には見向きもしなかった。それにもかかわらず、たった30年前の映像を見ただけで、これほどまでに感動したことが不思議だった。未来の物は自分でどうにかすれば手に入れることができるかもしれないけれど、過去のものはどうあがいても体験することができないものである。だからこそ、この映像に惹かれるものがあるという考えが思いついた。
(ちなみに、現在の景色を写しても、似たような感情を覚えることのできる方法がある。未来人のつもりで、東京を散歩すればいいのだ。仮に2030年からきた設定で東京を散歩し、看板にうつっている芸能人に「若いなぁ」と話しかけたり、UberEatsの配達員を見て「まだギリギリ人間が配送している時か」と思ったりしてみるだけで成立する。)
日常を写した写真やビデオは、時間がたてばたつほど価値が生まれてくるものなのだ。写真やビデオは、誰かに自分生活を見せびらかして承認欲求を満たすという手段としても利用はできるが、ただただ日常を映すということだけでも十分な価値があるものなのだな。
過去っていつかはとても貴重に思えてしまう。
若い身体も、シワのない顔も、フサフサの髪の毛も過去になる。現在の婚約者との関係も、友人との関係も、仕事で関わっているプロジェクトも全て過去になる。今好きな食べ物も、今好きな音楽も、今好きなイベントも、今好きなテレビ番組も全て過去になる。過去になる。
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