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深読みおじさんによる 「考察オブザデッド」
やは、何度も見た人は受付から会場までの暇つぶしとして読んでおくれ。まだ見てない人は見てから帰り道に暇だったら読んでおくれ。あ、独断と偏見と妄想による考察なので解釈が違っても知らんぷり推奨ね。同じ考えだった人はそれを聞かせてほしいじゃよ。
不思議の国のアリス、という題材からして世界最大手のユメオチ案件なので、実はこれは○○なのだ!的な考え方をみんなしていたり、はたまたそんなこと考える暇もなく情報量に圧倒されたりしていると思うので、おじさんの自分勝手な妄想だと思って聞いて欲しいんだ。最初に見た時は、成長譚であり、許しであり、救いであり、と思うたおったし、今回もキャラクターごとのバックボーンを考えて、と思っておったのじゃけど、ある地点である観点に気づいてそっからそうにしか見えなくなったんじゃよ。
この話は成長譚ではあるが、コレは内面世界であり、全ては具現化、擬人化された何かなのではないか。つまるところはちょっとしたサイレントヒルなのでは?という観点でおじゃる。そして、その内面世界において描かれたこの二時間は果たしてなんなのか?それはおじさんは「処女喪失」なのではないか?と考えるの。
あ、引かないで、引かないで。石を投げないで。読むのやめていいからTwitterをブロックしないで。
まぁ、聞いてくれよ >>1 よ。
登場人物毎にその場合の役割を説明していくからさ。
まずはアリスとレイシー。
これは物語の主人格であり、視点であり、移入先であり、そして、「失ってしまうかもしれない少女性(=アリス)」と「それを失いたくない少女」だと思うワケ。
世界的に普遍する少女のシンボルであるアリスのワンピースが、例の巨大夢の国の青じゃなくて赤であるという事とか、レイシーは若干拒んだキノコに関して、興味本位で受け入れてしまう所なんかがその起因。もっと言えば「薔薇の怪物に下半身を食われているレイシー」を「少し先の梯子から見下ろしているアリス」の時点で乖離してしまったのではないか?
次は誰にしようかな。白兎かな。
コレは時間の擬人化、時計の番人と見るがどうじゃろう。唯一の成功作、概念的に地下の階層に迎える唯一の手段、過去を振り返る冷静な観点としての白兎。
後述するけど、恐らくは「衝動」を司るジャバウォッキと対を成す存在で、でもこの2人は時を進めるための手段でもある。18階という現在の視点に於いて全てを把握して見守り、進行を司るのが白兎なのでは?
じゃあジャバウォッキーに行くためにゾンビ三人を扱おう。この三人は記憶の擬人化。思い出すという行為の具現化、過去を掘り返���、それを分析し、記憶を経験に結びつける。だからこそゼロから生まれて上、つまり現在に向かって進行していく。彼女達は関係のない記憶だって掘り起こすけれど、彼女たちに食われた先は恐らくは忘却。間引きされた記憶を洗練されてると取るか、寂しいと取るかはわからないけれど。女王になるにはゾンビを倒す事が求められるけれど「自分のやな事を忘れて見ないフリしてないで少しは自分で受け止めてみろよ」って考えると大人になる為の第一歩なのかな。ボリスが何度も刺されているのは「初めてだから加減がわからない」のに付随して「絶対的な決別」の意志の現れなのかと。
ほんでジャバウォッキは前述の通り「衝動」だと思うの。「今宵限りは墓場で恋を」と歌う通り、喪失した物に対しての思いは何も生まない事は理解していても記憶を掘り起こす時点で感情や情動が暴走することはままある事で、それを飲み込むことも成長の鯖なのだけど、暴走すれば手首だって切るしね。酷く悪魔的で暴力的な存在。
誰いく?ハートの女王チーム行く?
ウミガメモドキとグリフォンは「変容」と「矛盾」で、それを引き連れてるハートの女王はアリスとレイシーが辿りつくべき「大人」の要素。場末のスナックみたいに「昔アタシはこうだったの…よ!」って言ってるのは少女から大人に「変わる」のを示唆して、死にたがりでプライドの高いグリフォンはチグハグな自分自身の矛盾に身悶える。この二つの要素に出会った瞬間赤ん坊だったレイシーが少女まで一気に戻るのも、成長なんじゃないかな、と。
で、ハートの女王なんだけど、これ、マジで引かないでほしいんだけどおじさん、アンチエイジングやら生まれ変わりやら「お勉強ができるようになったら遊んであげる」やら、諸々の要素を組み合わせると、これ、生理の具現化だったりするんじゃねぇの?と思ってしまうの。周期的に生まれ変わりを繰り返し、体素的な記憶を打ち殺して女王として行末の愛を司るのがハートの女王なのでは?と。18階はちょっと遅いかもしんねぇからここはグレーだけど。衣装も赤いし。
次はどうしようかな。公爵夫人と料理女。
これは「抑制」と「後悔」なんじゃないかなー
赤ん坊のレイシー、を少女から分離した自立心と考えると、母親の立場からそれを抑制する行為はある種の虐待に見えることも、倒錯した愛情にとられることもあって、で、記憶の水面を見つめながらあー、こうしとけばよかったなーと思う後悔。奇しくも未来の為の杖と過去の振り返りなんだけど、結局それを何度も繰り返して、ましてや人と比較していくこと���んて結局は子供の遊びでしかない。まぁ、後悔がないと味がしないんだけど。
アダルトチームはアリスがまだ未知である、それこそ大人の要素の具現化。例えば快楽、例えば労働、例えば苦痛。労働に実態がないのは働いたことの無いアリスの観点からすれば働く事は漠然としているから。他者の性やそれに付随する快楽は未だ知らず、性的搾取には苦痛しか感じない。そこには恋愛感情がないから。帽子屋はそこに男優はいらないと言ったけど、それはアリスの中で自己完結しているから。三月兎はその延長線上にいるものだけどアリス達との絡みが全然ないのはその辺なのかなぁ。因みに最後もこの三人後悔の胡椒を美味い美味い食ってるのは大人だからなんだろうな。アリスは拒絶反応としてくしゃみしてるし。
虫チーム。青虫は勿論成長、殻を破って蝶になる物の具現化、そしてそれはアリスの希望。殻を破る事で、つまり破瓜によってのまるで違う自分への変化を望んでいたのにそうはならなかった。ただ素晴らしいものと思っていたのに、それは生殖行為という生々しさがあった。この生々しさが虫娘の二人。産むことの痛み、それに対する嫌悪、そのことへの無知さと拒否感。血を流したのに、それに対する嫌な記憶(ティリー)の消去は済んだのに、成長じゃなくて生々しさだけが生き延びてしまった。そしてその生々しさは過去へ向かう。つまりは「自分もこの悍ましい行為によって生まれたんだ」という嫌悪感。そこにレイシーは無自覚だけど、感覚ではなくシステムだから共に過去に向かう事ができる。
最後にジャック。これは先生の名のもとに知識や常識、もっと言えば経験、そして恋慕の相手であるルイスキャロルを混ぜ込んだ、憧れも少し含んだ存在。悩んだ時、困ったときに頼るべき存在で、そして母性本能をくすぐって、成長も促して見守る切り札、存在しない黒いハートのジャックはもしかしたらジョーカーすら兼ねているかもしれない。第三者にもなり得るし。失った少女性は取り戻せないし、かと言ってアリスの内面を強制する力も持たない。それはジャックが本物のルイスキャロルではなく、自分を否定しない理想像のルイスキャロルだから?
全てをこの観点で見据えれば不思議な国はアリスおよびレイシーの生まれてから少女である期間の成長記録であり、だからこそ降る梯子はないし、記憶を辿って思い出すことしかできない。少女が少女性をなくすのは、それは身体的な要因はとてつもなく大きいのかもしれない。大人になるためには、自分の少女性を捨てなくてはいけない、振り向いてはいけない、思い出すことはあっても、共存はできない、それを、逆に少女であるからこそ不意に否定して、共生を、共存を許す道だってある事もわかった。地獄からでも、時を止めなくても、時は動いた��までも、もう一度手を繋いで、おっかなびっくり、歩けるんだと思えば。
って、おじさんはこんな風に読んだけど
君はどう思う?
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マグダバタリークについて思ったこと。
天城の勝手な考察および弩級のネタバレやら妄想を含みますので見た人も見てない人もその気で。
どっから行こう。取り敢えず、アラビアンナイトこと千夜一夜物語をモチーフにしつつオリジナリティというかドロっとしたものを盛り込みつつのファンタジー。一回しか見れない人はパンフレットを買ったほうがよかったのかも。なんせ役名がカタカナかつ文字数が多かったり、それでいてキーワードであったりできちんと認識できる状態であるべきだな、と。買えばよかった。基本構成は物語の主人公を中心にして起こっていくのだけれど、貝殻に封印された妖精の力を使って事件が起きて行く。それは国家を巻き込み、世界を変え、周囲の環境は一変して行く。
よし、まずは妄想その一、貝殻について。
基本的にはランプや物に封印されがちのアラビアンナイトの魔神が、魔神ではなく妖精で、貝殻から呼ばれる点。これは最初、海に波、沼ときて水の属性付けかと思いきやそれが産みと揺れ動き、そして呑み込むという感情由来の妖精と言うよりはイマジナリー何がしであるとなると「殻」である事、それに囚われたり頼ったり奪われたりする事は成長であったりする己の殻みたいなものなのではないかとか。ちなみにこのままなだれ込むなら妖精達は感情の具現化であって、つまるところ沼の妖精は負の感情であり呑み込む闇であり、そして「一般的には否定される物」なのではないか。だからこそ存在したがるし、強い力を持っている。敵国女王は被害にあったからではなく感情に飲み込まれて方向性を見失った嵐になった、とかね。だからこそ王様は責任とらないで娘が飲まれたりするんじゃねぇのか?とか。
次の妄想。
最後に主人公はどうなったのか?自分に何かが起こることを徹底的に信じられないからこそ産み出す妖精が見える主人公はとすれば物語の外側なのか内側なのかわからなくなるほどにキャラクターが希薄だ。それは観客やら読者やらの感情移入にキャラクターが邪魔だから。血筋も兄弟も責任も重圧も必要ない。それがポンと王族にさせられたら、どうなるか。幸せに暮らしました、なんて虫が良すぎる簡単な結末の後には絶対に皺寄せがあって、環境の変化のストレスがある。どうして愛すると決めたのかも答えられない。だって好きになる理由もない。必然的にキャラクターが物語として動いたから。身をまかせるしかない。そうすればきっと何かがト書きで起こる。親友が死んでも沼には飲まれなかった。自分のせいじゃない。自分は何もしていないのに、物語が進んだから。
だからこそ逆に、そんな自分を明確な理由で愛してくれた王女の死が、耐えられなかった。
自分には何もできないと、突きつけられた。奇跡は周りが勝手に起こしてくれていたことを突きつけられた時、主人公は沼に落ちた。
境界はどこだったのだろう。
観客席から投影された主人公。
それが物語の中と外の境界を混じらせる。
第三者的に冷静に突っ込めるのも主人公。
それを書き留めていた記述者は
「揺れ動く感情」を否定して妖精にする。
押しては返す記憶のさざ波。
沼に落ちて囚われた意識を蘇る記憶が洗う。
記述者は明確な記録ににげて感情を含んだ記憶を否定していた。でも、それを認めて存在を肯定する事で、自分の道が開く。
主人公にはそれすら訪れない辺り、結構残酷なのかもしれない。地の文の僕はキャラクターであり読者であり語り部なのに。
取り止めがなくなってにきたからこの辺りにしておこう。ここは?とか思ったら仕事に忙殺される前に話しかけてください。
しかし、ハマりだからって桜井/ヒガシ寄りの感想だなまたこれ。
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エモいって俺が言う時にちょっと戸惑うわけ
カテゴライズが嫌いだ。
ジャンル分けが出来ない。
この思考の起因は思春期に聞いてた音楽やら偏見やらに言及せざるを得ないので、ちょっと割愛するけど。
ある一定の人によって学ばされたのは「カテゴライズする事によってフォーマットを形成して同じ対応をする脊髄反射な人物がいる」という事であり、ワシは本当にそれが嫌なんじゃよ。
同じ時間、同じ電車に全て同じ人が完全に乗ってるワケがないように、昨日の俺と今日の俺は気分も好みも体調も朝食った物も見た夢も全部違うのに、おばあちゃんは俺が好きだからっつっておはぎを出すじゃない?食うけど! みたいな事です。わかりにくいか?
一定の経験則から同じ刺激を与えれば同じ反応が来ると思ってるのは思考停止と言われても仕方ない、という考えです。
ましてや違う人をまとめてはいけない。
犯罪者が食パン食ってるみたいな話で
「ヴィジュアル系聞いてるやつは音楽をまともに聞いてない」とか「歌詞を重視する奴はニワカ」とか「メタラーはダサい」とか、主語をでかくしてはいけない、という事でもある。これは日本語と経験不足からくるものだと思うけどね。「俺の周りのメタラーは全員ダサい」なら使っていいと思う。ちなみに「でもそれが好きなんでしょ?」って言うとメタラーはいい顔で笑うぞ。って言うのがカテゴライズとレッテル張りね。笑顔がキモいメタラーだっているかもしれないですから。
さて本題。んじゃ「エモい」と使う事について。何が問題かと言うと分析じゃなくて「俺はあんまり使わない」と言う理由を説明するだけなんで、ここまで読んだ人とメタラーには謝らなきゃな、と思ってはいるんだけど、とりあえず続けるね。
エモーショナル 感情的 ヤバイ 良い 来る
具体化細分化出来てない感情言語なんてもんは死ぬほどあるし、もっと言語化できないときは「無言でハイタッチ」「なぜか飛んでくるテキーラ」「土下寝」とか行動に移す羽目になる。
如月先生の発言を踏まえると「エモい」と使う時は言語化、説明のための言語だと。
じゃあ、例えば晩秋と同じ様に曲の説明と言う観点から話をしようか。
「赤いタンバリンってどんな曲?」
そう言われたとする。
DJなんて生き物は須らく音楽を愛するべきであり、かけた曲を好きになって欲しいと思うべきであると思ってんだけど、そう言う奴に、例えば俺が曲を勧める時にどんな言葉を使うかと言うと「イヤホンある?」だったりして参考にならねぇなこれ。とりあえず「エモい」を禁じるとすると、どう言う言語を用いるか、と言う話が出発点だった。よね? ここまできてやっと出発点かよ。まぁいいや、それが「音楽理論に裏打ちされた完全なる分析」であれ、「ガッときてグッと来るくせにパーって消える」であれ、「ウワーッ!ナニコレーッ!音の玉手箱やーっ!」であれなんでもいいんだけど。
「でも、それって俺の主観。」って言うのを頭に置いておかないといけない。と言うのがまず一手。「再現性ののある発言以外は嘘になりかねない。」って言うのが二手目。
前フリから全部総合するよ。
「俺がいついかなるどんな状況の時でもその曲を聴けば同じ感情を抱く楽曲、と分類する事は作品としての音楽に失礼であり、ましてや人の感情がわからないから断定なんてできない」
という事。仕事に行く電車でも、なんかにイラついた時でも、彼女と別れても、赤いタンバリンを聞けばいつでも同じ気持ちになれるんだったら多分BLANKEYは解散してない。
人は感情と場面で装備を付け替えるし、じゃなきゃDJなんつーもんは必要ないし。
KOH君が言っていたのも真理で、言語化できない何かに「エモい」と名付けたとするとボンヤリとわかるんだけど、代替品の名称は見つからなくなってしまう。萌えと同じにしちゃうと、同好の種との共通言語としては通じるけど、再現性と主観の問題はクリアできないかな。っていうか萌えのが俺はワカンねぇんだけど。
つまるところ、「エモさ」はあまねく全ての作品に含まれる要素であり、それは削り出す作業が要るものも、初見で突き刺さる物も形が様々であるがそれは「受け取り手」の状況に起因しており、だからこそ形にならない物を説明できるが、形にならない事しか説明できない。全ての感情(好きだろうと嫌いだろうと)の根幹を無理矢理言語化した物であり、だからこそ安易に使うと共有できなさが棘にもなりうる
辺りが無難、か?
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天城声「色鉛筆」
絵を描くのが嫌いだ。何故なら下手だからだ。 まず、画材を適切に扱うという事が基礎なのに、それをしない。 何色と何色を混ぜると何色になるとか、画材毎の特質を、知ろうともしない。 や、言い訳だ。鉛筆でのデッサンすらした事もない人間です。 自分の脳と指に誤差が生まれるのは、なんでなんでしょう。 頭の中には自分史上最高の絵が浮かんでいるんです。 もっと言えばそれは動くし、自分の作り上げた話はアニメになったりもする。 だけども、手にたどり着くまでに、それはしぼんでなくなってしまう。 小説を書いていてもそう。っていうか現状今もそうです。 俺の頭の中では現状この天城声も抱腹絶倒、読んだ人は涙を流し その感情の触れ幅からtwitterで話題沸騰、書籍化、そしてドラマ化。 とまぁ、そんな所まで脳内では話が驀進してる訳ですが。 まぁ、一本目のアイドルを公開した時点でたかが知れてる。 おーい!1500人近い天城のフォロワーの皆ー! 多分天城声に関しては5人くらいしか読んでないだろ! 畜生、放送禁止用語とかばんばん書いてやろうか! 書いた所で誰にも届かないのは知っているのだぜ! そうそう、twitterでも病人らしく病気の副作用で浮かんだ妄言を垂れ流してるんですけど。 超面白いと思ったtweetに限って誰からのふぁぼもつかないよね! 世の中は俺のギャグセンスにはついて来れないんだぜきっと。 って言う事は社会不適合ってことですよね。知ってる。
閑話休題。色鉛筆の話だった。
僕が小学生の頃、持っていた32色入りの色鉛筆。 元から絵に苦手意識のあった僕は、「描く物に傾きをつける」という方法で批判から逃げてたのさ。 黒とか赤とか、そういう類の絵の具がどんどん減って行くわけです。 (文字通りの黒歴史ですねってやかましいわ。) そんな中、家で塗り絵をする機会があったのです。 僕には妹がいて、これが僕とは真逆の属性をもっていて現状ウェイ系のギャルで 感覚で生きていて日本語が不自由。音楽に興味はないがテレビの流行に敏感。 「なんでこれが同じ家で育ったんだよ」っていうタイプの人な訳ですが。 その妹はね、幼稚園だからクレパスなんですよ。12色とかの。 僕と妹は三歳の差があって、 今となってはクレンジングオイルを黙って使われても文句も言えない僕ですが。 その頃は勝ち誇ってたんですよ。幼いながらに。 つまるところ、装備も実力もこのオールスター家族対抗塗り絵合戦、僕の勝ちは確定だった。 と、思っていたのは僕だけなんですよね。 彼女、クレパスを使用して絵を描くのが得意だったというか、基本的に絵が上手かったんですわ。 肌色を使って塗って行く僕に対して、器用にオレンジを薄く塗り、指でのばして肌色を表現する妹。 そして陰影をつけ、ハイライトを白で配置し、立体的なイラストにして行く妹。
軽く死にたい。お前何歳だよ。当時5歳とかでしたよね。
その後も彼女��絵画教室に通ったりなんだかんだしてましたが 程よく僕の劣等感を刺激して行きましたね。 現状も彼女は福利厚生の行き届いた会社で月に一度は旅行に行き、酒を楽しみ、うぇいうぇいと。 そうやって天城とは全く逆の生き方をして行くのでしょう。
色鉛筆より、妹のが良かったんじゃねぇの、このエッセイ。
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天城声「アイドル」
アイドル について。
とにもかくにもアイドルってもんがよくわからんのである。 だもんで調べてみると
アイドル【idol】 の意味 出典:デジタル大辞泉 .1 偶像。 .2 崇拝される人や物。 .3 あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。「―歌手」
との事。まぁ、基本的に今回は3の話をすると思いますが。 なんかよくわからん界隈に顔を出しているせいで、 自称から多称まで何人かのアイドルさんの知り合いがおります。 知り合いの悪口は言えないので(知り合いが見るかもしれないからね) 其処に言及はあまりしたくないんだけれど、何処からアイドルなのかたまにわからないんだよね。 辞書の通りいけば熱狂的なファンを持っていればアイドルなわけでしょ? それがたとえ金も落とさない、現場にも来ない ツイッターで糞みたいなリプを飛ばすだけだとしても! 熱狂的にファンならいいんでしょ!
お、今回はどっちを敵に回す気なんだ、俺。
ロックバンドもお化粧バンドもアイドルも、ファンを誇りに思っちゃってる人は苦手なんです。 応援するならそっと応援すればいいし、それをアピールする必要は全くないよね。 って所までいってそうだ、アイドルがテーマだ今回。 そうそう、何処からがアイドルかって言う話。 ステージに立って歌って踊る事が最低条件かというと じゃあ、歌手=アイドルなのか?って言うのも違う。 歌い手、踊り手って呼称もよくわからないんだけれど、それもまたアイドルとは違う。 グラビアアイドルと被写体もちがうんでしょ?もう本当に良くわかんない。 イメージで話させてもらえば被写体は金もらえてないイメージが強いね。 グラビアアイドルは事務所所属のイメージかな。 さて、迷走してきました。 歌って踊ろうがアイドルを名乗らない人もいれば カラオケする人を沢山集めてアイドルイベントってのも見た事ある。 あと、「アイドルなのに歌上手いよね」って意見良く聞くよね。 つまるところアイドルに歌唱力は不必要ってことなの? じゃあ必要な力って何なの?(演技力、トーク力もこれに並ぶ気がする。) いまんところを総合すると、 「個々の能力は素人に毛の生えた程度で 顔面、外見、肉体等々を武器にしてファンを集めている人」 っていう、すべてのアイドルに喧嘩を売る事になってしまう。 いや、現在のアイドルと過去のアイドルの価値観をごちゃごちゃにしている自覚はあるんだ。 今は歌がうまくて当たり前、顔は可愛くて当たり前、踊れて当たり前、みたいな話も聞く。 でも顔も可愛くもないし歌もうまくないし踊りもしない奴だっているじゃん。 誰とは言わないけど!っていうか言えないけど!喧嘩にしかならないから!
よし、一旦落ち着こう。喧嘩と悪口は違うんだ。 天城が知りたいのは「何をすればアイドルなのか」という事。 そして、それを明確化するにはアイドルが多様化しすぎている、という事。 すべてのアイドルに関して言える事なんて何も無いのかもしれない。 けど、これは天城がどんな事を考えているのかを書く場所なので、我慢してね。 (嫌だなーと思ったら読まないでくれてかまわんぞ、の意)
そもそも天城は萌えっていう文化がわからんのです。 可愛い女の子は可愛い、それはわかる。そこまでしかわからん。 じゃあ、その子が歌を歌っているとする。それを認めるか否か。 歌が上手ければ、じゃあ、それに対して対価を払う。よし、それは理解した。 歌が下手だけれど、その子だから応援の為に対価を払う。よし、それがわからん。
あと、その応援の行き着く先はなんでもないんだろ? 恋愛感情でも、一発ワンチャンでもなく、ただただ応援するんだろ? それがわからんのだよ。結末が見えない。 そのくせ少しでも気に喰わない事があるとファン止めるんだろ? どういう心持ちなんだ。
たとえば、天城はバンドが好きですが、其処に求めるのは楽曲のクオリティだけで ぶっちゃけ見た目は其処まで求めてないし(良いにこした事は無いけど) メンバーのパーソナリティは完全に不必要なのね。 しかも、この「見た目がいい」は単に美形ではなくて、楽曲の拡張世界としての外見。 暑苦しい曲に暑苦しい外見が必要で、其処に説得力があればそれでいい。 つまるところ、天城は彼らの作品および仕事、売り物を買ってる。
アイドルの人達の売り物は何なの? 楽曲のクオリティが低くても売れる。顔面のクオリティが低くても売れる。 彼女達のセールスポイント、サービスポイント、売り物そのものはなんなの?
ってところまできて気づいた。 もしかして「存在」を売ってる? 其処に存在しているという事実を販売しているのであれば、多少納得がいく。 (絶対に買いたいとは思わないけれど。) じゃあ、その存在に何���どうして欲しいのかって、共存なのかなと思う。 アイドルとして存在するその子と、ファンとして存在する自分。 その関係性を買ってるのではなかろうかと。 ・・・うーん、仮説だなぁ。其処に転がる人と自分との差がわからないな。 例えば天城にも依存したい欲求はあるし、承認欲求だって人並みにある。 でも、アイドルに認めてもらいたい事は無いし、アイドルに依存する気持ちも無い。 うちの人(皆様ご存じか知らないけど、虚飾���団廻天百眼の桜井咲黒です。)に言わせると 「天城は心の何処かで、そう言うわかり易い者に依存する人を馬鹿にしてるんじゃないかな。」 との事。そんな事無いんだけどなぁ。むしろ羨ましくも思ってる。 好きな物を、好きに愛せるのは、なんとも素晴らしい事だと、本気で思っている。
話があっちゃこっちゃに行ってしまって、申し訳ないがまとめてみよう。
アイドルとは存在を販売している人達で、そのキャラクターを保全する為に活動している。 ファンはその存在の周囲に自分が存在する事で鏡を見る様に自分を確認している。 それは長く長く手を伸ばした共依存かもしれないし、人格を自己の為に消費する行為かもしれない。 それが幸せなら、それでいいのかもしれない。
もしかしたら、俺も誰か依存できる人を見つけて、サイリウム振ってる日が、来るかもしれないし。あ
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「天城声」前書き
本、特に小説以外の本を読むと必ずついてくる、この前書き。 必要なのかどうかもわからない、っていうか読まれているのかどうかもわからない前書き。 何故だろうかと、ふと考えた。 それは多分、僕が本の内容に興味が有って本を読んでいるからだ。 と、言うことはだ。 僕に興味がない人にこの「天城声」を読んでいただく前にはやっぱり前書きというか、説明が必要なのではないかと思うわけだ。 ははーん、つまるところ前書きって、言い訳だ。 僕、これからこんなこと書いたり、こんなこと論じたり、引用したりするけど、こういうつもりで書いてるんだよ。 そう言うのを先に書いておくことで「なるほど、じゃあ読んでやらんでもないかな」とまぁ、こう思ってくれる訳だ。 それは大事な文章だ。心して書かなくてはいけない。ましてや僕なんて言うよくわからん人間のエッセイの前書きなのだ。 もう泣いて縋って歯茎を剥いて読んで頂かなくてはならないのだ。 ってわけで天城について、ちょこっと説明しておこう。そうしよう。 しかして、深くエピソードなぞについて言及してしまうと後ほど書くことがなくなってしまうやも知れぬ。
天城凛太郎は、日本の日陰をこそこそと生きている、一介のサラリーマンである。 一番簡素に表現してしまえば僕はそれだけでしかない。 たとえ僕がどんな所でDJをやろうと たとえ制作としてどんな有名人と同じ現場を踏もうと たとえ僕の書いたものが誰の手でどんな形になろうと たとえネット上でどれだけ声を荒げてまくしたてていようと アイアムアジャパニーズサラリーマンである。
さて、それじゃあ読む気が起きない。仕方がない。 だから、僕の書き物の仕事についてだけ、少し触れることとする。 得意ジャンル、苦手ジャンル、両方とも、特にない。 小説、論文、企画書、演説、戯曲、マニュアル、歌詞。 少なくとも全部お金を取って書いていたことがある。 問題は「書けるよ!」って訳じゃなくて「書きます、書かせて頂きます。」っていうところ。 どれも恐らく、他に上手い人はもっと沢山居て、より良いものを追求している。 僕は間口を広げて、書かせて頂くことに寄って、その依頼人の妥協点をたたき出す。 だから小説家でも作詞家でもライターでも劇作家でもない。 文士と自嘲気味に名乗っているのは、そう言った理由もある。 スペシャリストにはなれないだろう、だからこその気楽さを感じてほしい。 仕事にプライドがない訳じゃないし、お金をもらうなら必死こいて書く。 ただ、それで喰う気はない。そういった低温度でやっている書くのが好きな人。 そう思って頂ければいい。
じゃあ、なんで自発的にこんなものを書き出したのか。 誰かに依頼された訳でも、何かの賞に出す訳でもない。 それじゃあ、何故? その問いかけに僕は、答えをさして用意していない。 ただ言うならば「僕はエッセイが嫌いなのだ」ということか。 そう、エッセイって��のはその人の人となり、普段の活動、そう言ったもののファンが 「この人は普段どんなことを考えてるのかしら?」 と思って、ほぼほぼハートマークになった状態で読む様なものだと思っている。 だからこそ僕はエッセイストなんて意味の分からん人のエッセイは読んだことないし 本業でない人が書くからこそエッセイは面白いのだと思っている。 (本業は小説家でも音楽家でもなんでもいい、ただエッセイだけを書く人という意味が分からないのだ。) そんな考えの僕がエッセイを書く、それは「僕にも最近ファンができてね」という訳では、勿論ない。 僕のファンを名乗る人はとっとと脳外科医に行くべきだとも思っている。 つまるところ逆転の発想なのだ。 「こんなことを考えてる天城って、一体どんな奴なんだ。」 「twitterしか見たことないけど、きっちりとした文章を書いたら、天城ってどんなこと考えてるんだ。」 「DJしか見たことないけど、天城って一体何物なんだ。」 「俺は天城が嫌いだ。だからこそ、こんな所まできちんと見張って、あら探しをしてやる。」 それでいい。そんな感じでいい。四番目の奴は病院に行け。強迫観念の気がある。 それを通して、僕のファンになってくれというわけでも、勿論ない。 「僕、嫌いなエッセイを書いて、僕のこととかしゃべってみるから、良ければ笑ってくれ」 「普段こんなこと考えてる奴が、化粧をしてDJをしてイベントをしてるんだ。笑うだろ。」 少しだけ自分の考えをまとまった文章にして、少しだけ読んでくれた人が笑ってくれればいいなぁと。 僕と考えの違う人は、もう、直接文句を言いにきてくれてもいい。(掲載するかも知んないけど)
さて、最後に形式的なことを。 この『天城声』は五十音順にいただいたテーマから天城が面白そうだと思ったものから書いて行きます。 つまるところこの前書きの後は『あ』が書かれる訳ですが、テーマは未だに募集中です。 書き終わった五十音でも結構。天城は「五十音の単語を元にエッセイを書く」だけで 「五十本のエッセイを書く」とは言っていない訳で。
それでは、言い訳、いや、前書きはこの辺りにして。 『天城声』どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ。
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スティーブンソンが、松蔭の弟子である正木退蔵と会ったという話が興味深い。下関条約で有名な陸奥宗光やらが表舞台へ出てくる時代を考えると、まったく問題ないのだけれども、西洋の近代人と、江戸から明治を跨いでいる人物の邂逅には、錯視的な魅力を感じる。
瀬名秀明『八月の博物���』では、1867年のパリ万博会場でチョンマゲを結った侍が登場する。随分と奇異な印象を受けるが、年代的には問題があるわけではない。しかし、革靴に袴姿みたいな、妙ちくりんな風体の武士が、仏頂面をして近代都市を歩いている光景を想像すると、滑稽だけれども、どこか愛嬌がある。
漱石や鴎外のような、留学経験が世に広く知られている文豪は、活躍した時代が明治なので、江戸時代を跨いでいる印象が薄い。それに、明治の文化人の放つバタ臭さの魅力はベツモノに分類すべきだろう。正木退蔵にしたところで、明治の紳士であるからして、髷を結っていたわけではあるまい。ただ、江戸時代の偉人に薫陶を受け、維新に身を投じた若者達は、まさしく武士だったわけで、前時代の空気のようなものを纏った人物像を期待してしまう。こういった期待感は、外国人の抱く”昔の日本人像”に近い。
スチームパンクの記念碑的作品であるウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』に登場する森有礼は、武士と忍者を混ぜたような雰囲気で描かれる。しかし、実際の森有礼は急進的な欧化主義者で、謂わばバタ臭くなろうと必死に足掻いた日本人の代表選手である。そういった史実と改編された歴史の"差分"を読んでニヤニヤするのも『ディファレンス・エンジン』の読み方の一つで、改編された人物達、首相バイロンやラッダイト運動で投獄されたP・B・シェリー(二人とも史実ではイギリスの後期ロマン派を代表する詩人)が私には愛おしく思える。
*
スティーブンソンは「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」で有名な作家だけれど、晩年は健康上の理由で南太平洋のサモア諸島のウポル島へ移り、その地で没した。 Wiki ペディアには「彼は島人に『ツシタラ(語り部)』として好かれ」とあり、その晩年をモデルに「山月記」や「名人伝」など国語教科書で馴染み深い中島敦が「光と風と夢」という小説を書いている(ちくま文庫『中島敦全集〈1〉』所収)。作中、スティーブンソンの口を借りて語られる、説得的なリアリズムよりも人を魅了するロマンティシズムに重きを置く、という文学観に私は強く惹かれる。スティーブンソンやペリーの視点から日本の史実に接続する試みはとてもスリリングで、記事自体は説得的な性質を持つものでありつつ、魅力的な松蔭の人物像を描いていると思う���しかし、これが”his story”的な意味で誇張された人物像であるということに留意して読まれたし。
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オーケンエッセイ風カップ焼きそば説明文
カップ焼きそばに宇宙人の夜明けを君は見たか! ①や、のっけから大山総裁みたいな事をいって申し訳ないけれども、夜中に「グヌヌ、小腹が空いてしまった…」というときにカップ焼きそばのお世話になったことがある人は多いと思うのよ。有名どころだとキリトくんなんかはペヤングを箱でコレクションしてるって話だし。世界のヨシキだって来日するたびに食べるんじゃないかな。バゴーンとか。 で、ワタクシ大槻はもう、医者に止められるほど(ってそっちは違う方なのだけども。)UFOを愛しちゃってるわけである。まずは名前がいい。目の前でしかも自分で作んなきゃいけないのに未確認飛行物体だもの。こんなもんがいい匂いさせて飛んでたら思わず確認しちゃうって。で、そんなこと言ってるうちにお湯が沸いたとも思うんだけども、いやいや、君も抜かりないねェ。流石! ②かやくを取り出さないとお湯も入れられないわけ。ここでワタクシ大槻が秘伝の技を教えよう!片眉を剃って正座して聞くよーに。 まぁ、知ってる人もいるような簡単な話なんだけども、麺の下にこのキャベツクズみたいなのを入れておくと…Oh!イッツアメイジング!後々このマジックが効くんだがまぁ、早い話こいつをこぼさなくてすむってぇ寸法だよワトソン君。なに?入れる前にこぼしちゃった?ンーム、そんなヤツぁ、知らん。愚か者め。 ③さて、軍師官兵衛のような策略でちょうどのタイミングで沸いたお湯を、裏ワザでかやくを下に隠した麺にこれでもか!とかけて規定の線まで入れる。これより多くても少なくてもいかんのだけども、まぁ、ちょっとくらいね。そういえばかやくと一緒にソースは取り出したな? エライっ!君も焼きそば道の黒帯候補だな。 そんなもんイラネーか。 ④さて、ここから待つわけだけども、3分を計りたいのに時計がないわ!っていう人のために、焼きそば道免許皆伝のワタクシは(気に入ったのか焼きそば道が。)諸君らの為にまた一つ裏ワザを授けよう!映画を見る時に、DVDだと飛ばせない邪魔なあいつ。そう、CMフィルム。まぁ、アレにしか出てないシーン探しゲームとかすると案外楽しいんだけども、今回は一般家庭では邪魔だと言われているあいつをタイマー代わりにしてやろうと。基本的にあいつらは、120秒でできているので、コピーがなんちゃらとか、そんな文章の後に一本コマーシャルを見るとなんと見事なヤキソバンタイムなのだ。しかし、まぁ、ちょっと派手なオネーチャンがゴンヌズバーとおヌードを披露していたりするコマーシャルだと青少年諸君はついつい焼きそばがデロデロの、A:ロメロもビックリの状態になってしまう。それは避けたい。だので、やっぱり時計があると安心だね。 ⑤さぁ、きっちり3分測れたはらば、次は湯切りとなりました。あーチャカポコ。この辺になってくると段々完成系の焼きそばに近い匂いがしてきて君のお腹を「んグゥーっ」と言わせてるわけだけども、この湯切りが大変重要な作業なわけだ。麺をこぼさぬように慎重に、しかしもう湯を吸わぬよう素早く、大胆な湯切りが求められるのだ。そう、それは武道のごとく、悟りを開くための座禅のごとき心で一瞬に! 「今だ!天空オーケン落とし!」 ゲームセンターあらしならば炎のコマが出るような気合いで湯切り!ちなみに天空オーケン落としってのはまぁ、深夜のテンションでいい年のおっさんが一人たいして広くもないキッチンでカップ焼きそばを振り回すことである。トホホ。余談だけども最近お湯を捨てる時に「ボンっ」という音がシンクからあまりしなくなったのは何故なんだろう?是非とも川口改め藤岡探検隊に調べて欲しいもん��ある。 ⑥さて、湯切りもできたらあとはソースをかけ、ふりかけをかけ、かき混ぜるだけなんだけども、きちんと出来上がっているのだろうか。 いや、大槻風に焼きそばの作り方をだなんて無理難題を吹っかけられてこうして書いてるんだけども話があっち行ったりこっち行ったりで正しくできてるか不安だなぁ、なんて少し思ってるんだけどもその不安もハラハラとふりかけて、いざ!実食!うお��、食ってやる、食ってやるぞぉ。 ⑦しかし、このソースの匂い、焼きそばと言いつつ焼いていないこの麺。びっくりするほどのカロリーを深夜にもっそもっそと摂取する罪深さは如何とも変えがたいなぁ。というわけで、食うべきを食わず、食わないで良い物を食ってしまった。もはや夜明けも近い。各々前歯に張り付いた青海苔等に気をつけて、まぁドリフで言う所の「歯、磨けよぉ!」ってとこなんだけども、翌日のお腹のプニプニを憂いながら、おやすみなさい。 (しかし焼きそばの夜明けってのはなんだったんだろうね。)
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廻天百眼「屍のパレード」10/11ソワレ感想
これは天城が隅っこで見た10/11のソワレの感想になります。ネタバレも含むのでまだ見てない人は気をつけてください。 全体 「変わった。」「雰囲気が違くなった。」と言う前評判を多く聞いたけれど、その感覚は確かにあった。映画があったから、再会だから、と言うだけじゃなく、深く、深く、(特に団員が)描きたい世界の統一が取れてるからかな、と思った。 端的に言ってしまえばラブストーリーだし、その為の障害が多いだけであって、相思相愛の物語である。ミゼラブルな愛。共依存の沼。何度も何度も、二人きりになる為にどれだけの人の中で埋れて、その中から光を見つける、見つけてもらう二人。深淵を覗き込んだところで、互いに探す姿を認識してるから、深淵が入り込めない。分かり切っていたこと。それでも、巻き込まれた人人だって、縋りたい、生きたい、みとめられたい、でも、主観からしたら、不必要だから。最初は作家主観だと思ってた。深淵のために、作家の為に、この世の物にする為に。でも巻き込まれるしかない。言ってしまえば、作家の闇が足りなかったのかもしれない。深淵と作家の関係は、作家と作品の関係の様にも感じられた。作品の闇、その深さ。それが作家の理想となれるか。作家の手を離れて、理想とは違うのに自ら動き出してしまう、そんな作品が、もしかしたら二人なのかもしれない。 面白い、一度見るだけじゃ足りない。 僕は一度だけでここまで掻き乱された。 混沌も、狂乱も、愛に勝てない。 紅日 助けたくても、助けられない少女から、強さが滲んで、少女のまま、強くなる。 紅日そのままの様な、理想図の様な。 団欒に戸惑う悲しい滑稽さは、思わず笑ってしまった。笑顔の幅が増えたな、と思う。後列まで感情を表情で飛ばす��は、すごいなぁ。 金原 ナッチ、本当にカメレオンみたい。 普段を知ってるのを差し引いても、愛絶叫!って感じから、静かな悲哀も、根暗な少女も(根暗な読書少女やるには顔が派手すぎるけどまぁ、しょうがねぇやな。)コロコロと顔も声も色が変わる様になったなぁ、と。蘭も、マリーも、中で生きてるんだろうなぁ。 桜井 ハマり役というか、いっつも「桜井咲黒の」って頭につく様な感じだけど、真骨頂だったね。ズルくて、素直で、最終的には赦しで終わる。ヒラサカとは真逆で、話を動かす何かではあるけど、必要不可欠になってきてるんだろうね。今回花道とか客席使わなかったからってアンコールで思う存分花道で暴れるのはまぁ、止めない。いいぞ、もっとやれ。 紅夜さん 最初、こもださんと逆じゃ?と思ったけど、そんなことなかった。守る優しさ、守れない悲しさ、弱さを含めての、紅夜さんだったのかな、と思う。必殺技ハマグリご飯ってなんだ。幸せになれるハマグリの貝殻ってなんだ。通じて殺害数が割と多いのは、母の狂気なんだろうか。映画より、動き、表情やら理詰めで構築が進んでたのは真面目な紅夜さんらしいなぁと。 大島 存在するだけで強いって恐ろしいな。 声、立ち居振る舞い。何かわからないけれど 強い、としか言い切れない存在感。 久し振りにそれを目の当たりにした。 その前は何だったかって 「終演」を切り裂くみどりだった。 ああ、そりゃあ、と何処かで納得した。 リンリも見に行きたいな、おねぇ。 こもだ こもださん、今回もすごかった。 声の演技もそうだけど、刀の扱いで演技する人ってあんまり見ない。一太刀が語るんだぜ?すごくね? だからこそ、こもださんと紅夜さんはこうで良かったんだなぁと。 負ける必要があった、刀を振るい続ける必要があった。だから、これで良かったんだなぁと思う。 イチゴ イチゴ!人外可愛いよ!化け物可愛いよ! 闇としてどんどん形を成していって、露わになる感情の具現化として、体全体で感情がぶつけられたよ。そりゃ、あんな役やったら疲れるわな…衣装も全部可愛いし…また甘やかすよ。 歌鈴 歌鈴、今回ケンジ居ないから!って言われてなんたることだ、と思ったんだけど、深淵ちゃん、めっちゃ可愛いな。ワガママな女の子、この世の物になりたい女の子、それは思いっきり純粋で、他の物の事なんて見ちゃいない、まるっきりの女の子だった。 …僕のケンジは何処に!? わみ 「すげぇ、わみ動いてる!」がまず第一の感想ですよ。笑 今まで枠の中の人やら、CDコンポやらで全く動く演技を見てなかったけど、「生きてる」わみ、すごいかっこいい!バッサバッサとでっかく動いて、めちゃくちゃに生きて、巫女の中でもキチンとお姉さんして… アンコールで真ん中に突っ込まれて戸惑ってる場合じゃないぞ!ガツガツ行こうぜ! バロンさん 始めてみたバロンさんは、みんなが言う通りエロかったです。 天城「やー、バロンさんはエロいね。」 わみ「え!なにそれ!」 大島「わみ、バロンさんのエロさがわからないなんて、この舞台の事なにもわかってない!」 わみ「ええええ…」 という会話が起こる程。 いい意味での厭らしさ、美しさが「吸血鬼」の説得力になってると思いました。 愛犬さん でっかくなってて驚いたんですが、やっぱり、舞台に立つとそれ以上のオーラと邪悪な表情で見せる、魅せる。衣装で動きを大きく見せる効果ってのがあるんだけど、それがほぼない半裸であんだけ動きがデカくて派手なのは流石としか言いようがない。 謎のスクワットも、キャラクターも、男の10コンボも、滾る人でした。 ドドメ うわぁ、腹立つ、って素直に思えました。 邪悪な無邪気って、そんなにスッとできるもんじゃないと思うのに、すげぇなぁと感心。 会話する前にそれを見たので、素があれだったらやだなぁ。何 ヒガシくん お父さんでお兄ちゃん。僕が見た時は、大鎌の使い方に薄っすらと遠慮が滲んでいたような気も…まぁ、そらそうだよなぁ。ぶつかるよなぁ。でっかく受け止める、逞しさと貫録が伝わってきて、ああ、安心感あるなぁと思ったです。 柚木 初登場でイチゴの相手役って根性だよね。何 慣れないこともたくさんあったと思うけど、見事に1ピースとしてはまっておりました。 もっと違う顔も見たいっすね。 和田さん なんだあのイケメン!なんなんだ! 別世界にいる様な存在感。 この人の作家が見れないのがすごい残念ではあるのです。 やもり 手のかかる娘なんですが、頑張ってるじゃないか。泣き崩れたり、呵呵大笑したり、表情も豊かで、見ていて楽しんでるのが良くわかる。喉、いたそうだったけど大丈夫かしら。 ぶつけられる物、全部ぶつけて行くと良いよ ケビンさん そこから出て来るんだ!? きちんと帽子もかぶるんだ!? と、いろんなツッコミのあるケビンさんですが、楽曲は重要なファクターで、世界観が一気に作り上げられるので、目の端に捉えた時の色の強さは、やっぱりすごいなぁ。 麻宮チヒロさん テトラによく似た人なんだけど…どっかで見たかな…(お約束) なんか見るたんびに声の幅がどんどん広がっていってて、すごい引き込まれる。 絶叫こそなけれど、悲痛さが静かに染み渡る声で、毎回泣かされかかるんだよな… 南ジュン 巫女の一人、三姉妹の次女なのかな… 三姉妹は三人で一つの感じもあったけど、みんな感覚が違って、みんなそれぞれの特色があったなぁ。 以上。全員分。
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「この広い広いネットの海で」/天城凛太郎
この広い広いネットの海で 君が助けを求めたとしても その小さな泡は誰にも届かない この広い広いネットの海で 君が仲間を探したとしても その無様な希望は涙も誘わない それでももし 君が夜中に寂しくなって 誰かの声が聞きたいのなら 市販の声を聞きなさい 根拠ある声を聞きなさい この広い広いネットの海で 君を見つけてくれる人は 君を餌にする何かだろう 君の言葉が撒き餌になって 君を喰らい尽くすために 優しい声を出すのだろう 「どうした?」 「何かあった?」 「話してみて?」 優しい針は君を釣り上げて 晒し者にして笑うだろう この広い広いネットの海に 君の仲間などいやしない 深く深くそこに沈んで 誰にも知られず 死ねばいい
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舞台上人物憧憬賛歌
貴方はその欺瞞の全て どこまで信じられますか。 ありがとうの言葉なら どれだけ生き延びられますか。 貴方が愛したあの人は 今日も誰かの腕の中 次はどうしてやろうかと 牙を磨いているのです。 貴方が救われてた歌は 誰か他の人が書いた言葉 貴方が憧れてた歌は 影の誰かの金の言葉 それでも、救われたのでしょう? それでも、憧れたのでしょう? 煌びやかなステージの上に 貴方は恋をしたのでしょう。 だから僕は奴隷になりたい。 チャートと利権の奴隷になりたい。 思春期の貴方が忌み嫌う僕が 反抗期の貴方を癒す為の何かを作る だから僕は虚像になりたい。 理想を写す虚像になりたい。 大量生産のコピーキャットが 羨む完全な愛玩動物として 握手は一回幾らですか。 写真は一枚幾らですか。 もしも貴方が靴を舐めたなら 何枚写真が撮れますか。 もしも貴方が手首を切り落としたら どれだけ握手ができますか? 貴方は救われたのでしょう? 貴方は報われたのでしょう?
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ハッピーバースデー
君の誕生日を祝おう。 幸せな誕生日を祝おう。 君が生まれてきたのは とても素敵な事だから 僕のは忘れてくれていい 僕が生まれたのはおまけみたいなもんさ だから僕のは忘れていい それでも君が何かしてくれるなら 僕の葬式で思い切り泣いてくれ。 僕の墓前で思い切り泣いてくれ。 生まれてしまったのは仕方ない 子供の頃は仕方がない それでも物心ついた僕は 早送りも巻き戻しもできないので どうかその日だけは放って置いておくれ 君の誕生日を祝おう 君の友達のだって祝おう 知らない人のだって祝おうじゃないか だけども僕の誕生日には 息を潜めてくれないか。 愛してくれても構わない 許してくれとは願えない 笑ってくれとは烏滸がましいが 僕の分まで幸せ食って 僕よりもっと長生きをして ニコニコ笑って もしかしたらその時に 君には会えないかもしれないけれど 我儘な僕はどこにも行きたくないから 墓前で会おう。煙草を吸おう。 僕が死んだら誰も止めないから 好きに過ごしてくれないか。 僕が死ぬまでお願いだから 息を潜めてくれないか。 ハッピーバースデー 君が生まれた日が 皆に祝福されますように ハッピーリバースデー 生まれ変わったら普通になるから お願いだから、その日だけは。
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他人の自画像「引き出し」
引き出しには、好きな物を仕舞うようにしている。 誰にも見られたくない、大切なものをしまうのだ。
そんな事だから、学生の頃から、机の中は大変な事になっていた。
カマキリの卵を、机の中で孵化させた事がある。 狭い木目の箱の中を、恐ろしいほど密集した小さなカマキリがうぞうぞと動くのだ。 そのうち、沸き出してきそうな彼らをまた、引き出しをそっと閉めて封じ込める。 中では彼らなりの社会が形成され、長兄は次兄を蔑み、その下はもっと蔑まれるのだろうか。 そんな僕のサディスティックな期待は、よりサディスティックに裏切られて。 彼らは肉親だなんて関係なく共食いをして、自分が生きるために、単純な行動をとった。 ああ、それとも、やはり勝ち残ったのは一番上の兄なのだろ���か。 弟達は兄を生き延びさせるために自ら命を捧げたのだろうか。 乾涸びた、一匹だけのカマキリの死体を、僕はち��紙に包んで、ゴミ箱に捨てるのも少し怖くて わざわざ、近所の公園のトイレにまで持っていって、捨てた。 ちり紙越しに触れる、カマキリたちの犠牲の成れの果ては、チクチクと僕の指に触れて 結局、それでもその罪悪感みたいな痛みは僕の心にまで突き刺さる事は無かった。
それ以降、引き出しに生き物を入れるのはやめる事にした。
社会人になって、自分の机という物を、会社という公共の場所におく事ができるようになった。 机の中身なんて、指一本で広げる事ができるのに、それが、すぐ他人の眼にさらされる事だってあるのに。 すこし冷たい快感が僕の背中を伝った。 誰にも気づかれず、この机の引き出しを、僕で埋め尽くす事ができる。 露出性癖にも似た、誰かに見てほしいような、だからこそ誰かに見られたら終わりのようなスリル。 引き出しの取っ手に、そっと指をはわせてみる。 無機質で冷たいそこに指を引っかけて、力を入れる。 カラカラと小さな音を立てて、引き出しが開く。 そっとそこに、僕が高校を卒業したときに叔父がくれた万年筆を置いてみる。 これでもう、この引き出しにおける処女性は失われてしまった。 僕の所有物であり、僕による支配の下に置かれる存在に成り下がってしまったのだ。 誰かの気配を感じて、慌てて引き出しを閉じる。 別に、引き出しに万年筆が入っていることなど、さして普通の事なのに。 どうやら、感じた視線は気のせいだったようだ。 またそっと、引き出しを開いてみる。 そんなに強く閉めたつもりは無かったのだが、いかんせん古い万年筆だったからか 引き出しの中にすこしインクが漏れてしまっていた。 指でそれを拭う。少し粘ついた青黒い点が、どうやら引き出しの中の傷にしみ込んでしまったようだ。 どうやっても薄くインクの跡が残ってしまう。 しかしてそれが、他人の体にその持ち主も知らぬ痣を見つけたようで、僕は少しばかりの興奮を覚えた。 人の眼を盗んで、そっとそれを眺めるのが、僕の心の休まる行為となった。
だんだんと、引き出しが埋まっていく。 無神経な書類や筆記用具なぞ入れる気にはなれず 僕はやはり、好きな物を引き出しに入れるようになった。 子供の頃、父に買ってもらったブリキの車 友人が海外土産に買ってきた、おしゃれな紅茶の缶 少しずつ、僕の引き出しが埋まっていく。
それは興奮と満足と、そして誰かに見つかるかもしれないという焦燥の織り交ぜた感覚。 誰にも、見られては行けないのだ。 僕だけが知っている、そう、これは僕の中身でもあるのだ。 僕の記憶の置き場 僕の中身の置き場 そうやって埋めていくうちに、僕が少しずつ出来上がっていくのだろう。 僕がそれに出会ったのは、1994年の秋の事だ。忘れもしない。 あれは相変わらず僕が慣れない仕事にため息をついていた夕方だった。 少しばかりの安息を求めて、僕は引き出しを開いた。 そして、そのまま僕は引き出しの中身を見つめて���けなくなってしまったのだ。 そこには僕が、小さな寝息を立てて、眠っていたのだから。 確かに僕がこの手でつめた玩具や雑貨に囲まれて 見た事も無いくらい安らかな顔で、スーツ姿の僕が眠っている。 僕は周りに誰もいない事を確認して 僕はそっと僕のほほに触れる。 人形の類いではなく、柔らかく、暖かい、人の感触。 頬に疎らに生えた産毛すら、本物である。 触れられても目覚めないほど、熟睡している僕を眺めながら、僕は少し笑いだした。 ああ、そうか、と。
この僕は僕が人に見せないようにしている自分なのだと。 確かに、外ではこんな無防備に眠る事などできないだろう。 だからこそ、記憶に囲まれて、思い出に抱かれて僕はこうして眠っているのだろう。 自分がそれほど自分を大切にしていたとは思っていなかった。 それでも、記憶がにじみ出て、僕を作り出す事だって、無い事ではないのだろう。 まじまじと見る自分の顔は、なんだか鏡を見るよりも作り物に見えてしまう。 ひくひくと鼻を動かして、眠っている自分の顔。 彼が眼を開いて、僕の顔を見たら何というのだろう。 それとも、彼はずっと眠り続けているのだろうか。 僕は、また誰にも見られないように引き出しを閉じた。 引き出しは、僕が入っているとは思えないほど軽く閉じてしまって 安らかに眠る僕は案外ちっぽけな物なのだと思った。
その日から僕は、眠らなくなった。 単純な話、眠る僕を分離してしまったのだから、僕に寝る必要なんて物は無いのだ。 不思議と体も疲れる事はなく、それどころか快調と言っても差し支えないくらいの物だった。 僕は、眠る僕の横に、そっと一日一輪の花を添えるようになった。 引き出しという箱の中に折り込まれている僕の姿はどうにも棺桶に眠る死体の様で白い花がよく似合った。 眠らない僕は、眠らないまま働き続け、眠る僕は眠ったまま夢を見続けた。 僕が供える白い花はだんだんと増え続けた。 だんだんと埋まっていく引き出しに、多少の違和感はあれど、相変わらず僕は満たされていた。
「もしもし、もしもし、今ここにいるよ、そう、その辺だ。」
そんな声をかけられた気がした。 どうやら、僕の声のようだった。 僕は眼を閉じたまま、僕の声を聞いていた。 その声はどこか焦っているようで、そして、悲しんでいるような響きもあった。
「ごめんな、ごめんな。」
僕はそうつぶやきながら、僕の首筋に手をかけた。 そこで僕は、初めて眼を開いて彼を見た。 不安げに、僕は僕の上に積まれた花を少しずつ取り除いていく。 所々、僕の皮膚に食い込むように花が根を伸ばしているところも、ゆっくりと引き抜きながら。 何故、僕がそうしたいのかはわからなかった。 でも僕は、引き出しの中から僕を見上げるしか無かった。 首筋に入れられる力がだんだん強くなっていく。 ああ、でも仕方ない、僕が決めた事なのだ。
「ごめんな、僕、引き出しに生き物は入れたくないんだ。」
そういうと、僕の首の骨が折れる鈍い音がした。 僕は僕の眼を閉じると、新しくできた隙間に、今度はソフトビニールの怪獣の人形をそっとおいた。
「ごめんな。宝物、やるから���してくれよな。」
そういうとまた、僕は引き出しを閉じた。
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