Tumgik
akari125 · 9 months
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会社で、上司からの一言をきっかけに涙がとまらなくなってしまった。軽く「こうしてほしい」と言われただけなのに、呼吸が難しくなるほど、ダバーっと涙がとまらなくなってしまった。
入社してから2-3年、ずっと鬱々とした気持ちで過ごしていた。
人間関係の不安、技術力、キャリアの不安、自分への不信。いろんなものがいりみだれすぎて、なんでそんな泣いてしまったの?と言われても、何も表現できなくてさらに苦しくなった。
日記でさえも昔のようにうまく心の中をかけない。見張られているような気がする。こんな文章じゃアップしちゃいけない。私は本当はなにを考えているの?と問いかけるとどんどん頭が真っ白になっていく。本当にやりたかったことなどありません、と2-3年前と同じことを言っていて、進歩していない自分。体力もなくなって髪もぼろぼろぬけて、通勤電車で一番自分がみすぼらしい格好をしているような気がしてきて、全身がかあっと熱くなって、でも身綺麗にする元気なんかもない。お風呂に入るのも無理。外に出かける服を着ることも本当に無理。
こうやって自分のことばっか考えているからだめなんだよという声が聞こえて、心臓がまたばくばくしてくる。そうやって自分で心臓ばくばくさせて、悲劇のヒロインですか、という声がする。PMSなのでしょうか。そうであるなら早くきてくれればいいのに、嫌な予感だけ2週間くらい漂わせて一向にやってきません。
上司とメンタルの話をしていて、なんで泣けてしまったのかを聞かれた。最近会社にいくのも辛くて、会社で過ごしている空間も苦痛で、何を思われているのか、また陰で噂されているんじゃないかって怖いんですと言った。本当はその上司にたいして色々おもっていたのだけど、不満なんて言えるわけがない、と瞬間的に思ってしまった。
こんなにいろいろ教えてくれて、メンタルの話なんていう、とんでもなく生産性のない意味のない時間まで作ってくれているのに申し訳ないと思った。そうしたら、今まで友達に散々愚痴ってきたのに、全部さーっと流れていっちゃって、「あれ、本当はこの人いい人で、あんなこと言っていた自分が甘くて恩知らずなだけじゃん」とか思ったら、もう何もいうことなくなっちゃって、あれそうしたら私は何に病んでいるんでしたっけってなって、「他人が怒られているのをみて、自分も成長しても結局こうなるのかとしんどかったです」と言い逃れみたいなことをなんとか口にすることしかできなかった。
(私はその上司に何を思っていたのでしょうか。口調が嫌い、雑談ふってこないのがいや、対等であろうという感覚がない。常に教えなければの上から目線で、この人はこういう人というレッテルをひしひしと、言葉の端々に感じること。人として接してもらっているという感覚がないこと。教え方が下手で振り回されていると感じること。そんあ幼稚なわがままな感情しか出てこない。あれー私いままで何を愚痴っていたんだっけ。そんな些細なことなんでしたっけ。)
そうしたら上司は、ああ他人が責められているのをみてしんどくなっちゃうんだ、共感性が高いんだねと言って、繊細だねと言った。
あってるけどそれだけじゃない、けど、本人になんていえないーという気持ちで私の頭はぽやーっと真っ白。自分の気持ちを思い出すのに、こんなに辿らないとわからなくなる。
そしていまもわからない。
好きな仕事ができていないのがまず1個目だよね。能力の問題だけど書く仕事からどんどん外されていって、これ世に言う窓際族じゃんみたいな。そんで私のプライドは崩れたのだろう。いや中途半端にのこっているからこそまずい。簡単なバイトでもできる業務をやっていて、大変そうな先輩のことは何も手伝えず、給料と有給だけはいっちょまえに持っていく。おそらく本当の苦労をしないで終わる20代がおそろしい。成果も何も出していないのに。
2個目に嫌なことは社内の雰囲気。みんなが自分の思ったことを自由に言っていく。そして議論が盛り上がっていく。でも、私は自分が思ったことをうまく言えなくて、すごく的外れなことか当たり障りのないことしか言えない。私の発言の時、ほぼだれも頷くことしかしない。「それってこうですか?」とか「へーそうなんですね、じゃあ〜」とか会話が続くようなことはない。自分の思っていることを言うのに、時間がかかる。その場の瞬発力的にもそうだが、喋っている、属している団体との信頼もないとうまく発することができない。
否定されるか、なんにも変化を産まないかのどちらかしかないからきついんだ。だから自分が存在していることの理由、この会社にいる意味がよくわからなくなってしまう。という自分のスキル不足から始まったであろうモヤモヤを、いつのまにか、「この人は私に攻撃してくる」「この人は私のことをきらいなんだ」という、他者への攻撃に変化してしまっていた。私がやるべきは、自分のいいところを増やしていくことなのに。でもそれを戻す気力がない。何もしたくない。自分の命を放棄したい。未来を放棄したい。このままただ眠っていたい。それしか考えられなくなっている。甘えなんだろうけど。
というか、考えなければいけないことがしんどいんだろうな。自分のダメなところを1から直さなければいけないし、私には何もないということをまた理解しなければいけなくなっているし。年齢からくる怖さもあるだろう。もっとチャレンジした方が、余計なことを考えなくてすむから楽かもしれない。
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akari125 · 5 years
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2020.3.19
今日は朝目覚ましの音で起きました。隣の恋人が2回目の目覚ましを止めてくれました。いつだかのテレビでマツコさんが言っていたブスの朝ごはんをたべて、歯磨きをして、眉毛だけ粉を振って出勤。閉じようとするドアの隙間から、恋人がひらひらと手を振っているのが見える。駅までの道の途中にある桜はそろそろ咲く頃だ。
電車は可もなく不可もなし。コロナの影響で自分の周りの世界が変わっているのがなんだか不思議だ。気がついたら戦争だった。そんな感覚がわかるような気がする。体に少しだけ触れてくる隣の人の肘がいやだ。微妙な圧力で自分のスペースを取ろうとしてくるから腹が立つ。そん��小さなことに腹を立てている自分にも腹が立つ。新宿で乗り換え。耳に刺した安いイヤホンからはきのこ帝国というバンドの昔の歌が流れてる。いつか大学のサークルの先輩に、ボーカルの人に似ていると言われた。あの人顔変わるからなあって。
アルバムが一周した頃、御徒町に着く。朝の光が流れ込んでくる京王線の青いラインを海原の波のように照らす。魚みたいだ。銀色の鱗。
久しぶりの出勤にワクワクするのは、必ず駐輪場にいる猫のおかげだ。茶トラと鯖色の猫。彼らがいるから頑張れる。でも今日は留守だった。早く暖かくなって猫たちがゴロゴロしているところを見たい。
仕事は退屈だ。決められたルーティンワーク。退勤まであと何時間か。それを確認する時間も決めてある。あんまり早く時計みちゃ、苦しいからね。社内の人と少し話せているような気がする。辞めよう辞めようとずっと思っているのになかなか言い出せない。今日、わたしより遅く入った人が辞めることを知った。静かな大人の女の人だった。いつもぺこぺこしていて、わたしより年上には思えなかった。あの人も苦しかったのかなってぼんやり思う傍ら、あんなにぺこぺこしていた人も自分の意思を持っているんだなと上から目線に感動した。
自分に何ができて何ができないのかよくわからないけれど、その場にいる人との関係はとても大切だと思う。
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akari125 · 5 years
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社会人になってから生活が大きく変わったと思う。
いい面もあれば悪い面もある。
1つはお金がきちんと入ることになったこと。そのお金を使って、誰にも文句言われずに好きな服や本や食べ物を買う。自分の好きなところに住めるようになったのも大きい。お金は自由を連れてくると思った。
でもその反面、社会人になって苦しいと思うこともある。
毎日の満員電車、清潔であることを求められるスーツ、 履きたくないかかとの高い靴。毎日毎日ボールのように周囲の人の方にぶつかりながら、電車の口から吐き出されると流石に憂鬱になってくる。
くそつまんないことだらけのなかで、今の自分は一体どこにいるんだろうと考える。
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akari125 · 5 years
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夢の中のわたしは大きなお風呂に入っていた。日本の普通の家庭にあるようなバスタブではなく、マグカップがお風呂だった。
わたしはそこに静かに沈んでいて、桜でできた綺麗な衣装を着ていた。
浴室の窓からは、崩壊して行く街が見える。空から巨大な岩石が降っているのだ。火山岩のように、赤い炎が岩肌にくっついて、町中を火の海に染め上げようとしている。
黒い煙を上げて次々と高層ビルが倒れて行く。空には砂や葉、裂切れになった洋服、紙切れが舞っている。
パトカーや救急車、消防車のサイレンがミックスされ、人々の怒号がアクセントのようにまじる。
お尻の下にかすかな振動まで感じる。
なのにわたしは呑気に風呂に浸かっている。
桜でできた服は、水に濡れてもちっとも不快じゃなかった。
お尻の振動が徐々に地震のような大きさになり、やがて壁や天井に亀裂が走ってきた。
それでも夢の中のわたしは逃げない。
やがて、炎に包まれた岩石がわたしの家に衝突した。
天井がガラガラと崩れ、マグカップに浸かったわたしが丸見えになった。
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akari125 · 5 years
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岡本太郎美術館にきている。
大学生の頃よくきていた。展示室を出たさきにある図書スペースが大好きで、太郎の絵を眺めたあとに彼の言葉をよむと底力が湧いてきた。
社会人になったいま、あの頃と同じように展示をながめて書物をよむ。
太郎の真剣な妥協のない生き方は、わたしには無理だとおもう。怠惰な自分はいまもむかしもかわらない。
でも、太郎が弱い気持ちを知っていたのもわかる。
非力なものがふるいたつときにこそ、勇気は生まれる。
力のないものが力のない姿そのままに奮い立つ姿は、確かにたくさんの人を魅了する。
わたしは自分が非力なことを知っている。何も得意なことがなければ文を書く才能もない。かわいくもないしかっこよくもない。
そんな自分にこの頃鬱々としていて、努力することもいやになってきていたところだった。
そこに太郎のこんな言葉が飛び込んできた。
自分の心そのままに出した表現に、きれいまきたないもない。だから驕ることも恥ずかしがること���絶対にするな、と。
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akari125 · 5 years
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生きている国
人は、誰かの失敗談やあるがままの感情に心を動かされるらしい。
日本にいてあるがままの感情を出すことはとても難しいことのように感じる。
自身の感性そのままに生きていたら不思議ちゃん。
死にたいと負の感情を外に出したらメンヘラ確定。
何か少しでもできないことがあるとガイジ。
だからみんな滅多に泣いたりしないし、本気にならないしまじめに愛情表現もしない。
からかわれるから。
どこかぎこちないその感情は表に出すことを制限されているから、躊躇なく外に出している人をこんどは自分が批判する側にまわってしまう。
「生きている国がいいわ」
私も自分の感情そのままに生きたい。いつから泣くことがダメになったんだろう。
もっと私たちは自由に生きていいはず。
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akari125 · 5 years
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はじめての避難所
台風で避難していた。
避難所生活の方のくるしみを身を以て知った気分になった。
堅い床に知らない人たち。なんとなく漂う緊張感と興奮、食料の心配。体調不良。
謎の空気感におトイレもなかなかいくことができなかった。
夜になっても明るくソワソワして寝ようにも寝られず。リラックスしようとしても家じゃないからできないし、寝転がってるとなんだか恥ずかしくて、つぎ避難するときはマスクと毛布必須だと思った。
とりあえずプライバシーが欲しかった。
福島のほうではいまだに3.11の復興が進んでおらず、今回の台風は仮設住宅にいる人々もおそった。
信じられなかった。まだ被災者がいることを忘れていた自分もいやだった。
関東が被災したことで初めて「日本やばい」と思った自分の身勝手さと利己的な考え方に嫌気がさした。
命があるだけよかったけれど、もっと自分にできることはないのかなとおもう。
オリンピックで手に入るものなんて何もなくて、あの日本が選ばれたときのスーツの人々の歓喜の表情は、被災者のひとにどのように見えていたんだろう。
もしわたしが、川の増水で家もなくなってまだ避難所の堅い床に寝転がって、隣の人のカップラーメンの匂いをかぎながら腹を空かしていたら、憎しみすら湧くかもしれない。
この国で見捨てられたような孤独におそわれるかもしれない。
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akari125 · 5 years
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日記のなかですら自由になれない私たち
このまえ、バスキアのノートをみた。
本人が当時つかっていたノートの表紙やページをそのままコピーして製本した本だ。
その分厚い本を開いてみる。
バスキアは1ページにたったの三行くらいしか書いていなかった。
酔っているのかクスリなのかとりとめもないことばかり書き留められている。
しかし、その無秩序さがなんだか詩的で、画家なのに歌詞のようだ。
わたしは自分の日記のなかでさえも自由になれないのに、彼はとんでもなく自由なのである。
日常生活のとりとめもないこと、共通点のないことば、ちらりと心に浮かんだなんでもないこと。
偉大な画家はそれらを書きなぐり、ときには二重線で消したりして、たいせつにたいせつにとっておいていた。
バスキアのノートは「どんなささいなことも書いていいんだよ」とわたしに勇気をくれるよう。
彼は、このことばの渦のなかでいったい何を考えていたんだろう?彼にも葛藤や苦悩はあったんだろうか?
同居人にこのことを話すと「こういうささいなことに目を向けられるからこそ、すごい絵がかけたのかな」と言っていて、わたしそこで「あ、」とさいきん読んだ本を思い出した。
「ささいなことに目が向けられる人は豊かである」
ちいさな花が咲いていた。川のせせらぎが昨日と違っていた。鈴虫が鳴き始めた。
ちいさな幸せに気づける人は、創造性が高く人生を豊かに過ごせるらしい。
わたしは日記のなかでも自由でいられないのに。
勇気を持って何かをつくりたい。わたしもバスキアも、みんな孤独なのかなと思う。
ちいさな痛みを数々のりこえて、ちいさな幸せを糧にしていく。そんな毎日はきっと誇らしい。
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akari125 · 5 years
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ロリータが地味な服を着るようになるまでの話。
2019.10.5
わたしにはうまくいかないことがあると不機嫌になるきらいがある。
同居人と服を見に行った時、そのめんどくさい症状が発揮された。
まず、わたしは1年前に生まれて初めて髪をショートにしたのだけれど、楽さと引きかえにかわいさを手放してしまった気がしてずっと寂しい思いを抱えていた。
同居人にとってはそっちの方が良かったみたいで、しきりにいいねと褒めてくれた。わたしは少し不満を抱えながらも、その言葉に満足したふりをしていた。
しかし、困ったことにそれまでの服がまったく似合わなくなったのだ。
小学生でリズリサを買い占めロリータに憧れていたわたしにとって髪がなくなったのは致命的だった。なぜかショートになることでより可愛い服が着られると思っていたのに、真逆だった。
フリルやスカート、リボンやピンク。そんなかわいいものが大好きなわたしとは正反対に、同居人はスポーティでシンプルなファッションが好みだった。
一緒に買い物に行けばそういった服をすすめてくるし周囲にいるおしゃれな人を指差しては「あの人いいね」と言うのだ。毎回!最初は良かったのだけれど、なんだか自分がダメな気がして「いいね!」を聞くたびに気持ちが沈んでいった。
努力していないこんなわたしは、他人のどんなものでも参考にして吸収しなければいけない。謙虚な気持ちで周囲の人にイイネボタンを押さなければいけない。
そんな気持ちに毎週かられるようになった。
ブリブリが好きだったわたしは次第に黒い服ばかり着るようになった。ご隠居のような、陰日向に生きる微笑ましい人妻のような。
辛いとは思わなかった。黒い服はわたしを隠してくれた。特徴のない自分を作ってくれた。ダサくても黒だしいいだろうと思うようになった。
その反面、フワフワの服を着てる女の子を傍目に見ては
「量産型」
「ファッションに精を出してるいたいやつ」
そんな憎しみを抱えるようになった。
しかし、そんな風に過ごすようになって四年。ついにわたしもかわいい服がまた着たい!そう思えるようになった。
少しずつ少しずつ一人で服屋へ行くようになった。女の人とたくさん話して、リラックスして服を見るようにした。
人混みでごった返す店内は女の子のグイグイに耐え切れ無くて本当に泣きそうになることがあるけれど、以前よりはファッションに興味を持てるようになった。
同居人にアドバイスを求めてばかりだったわたしは、同居人と出かけることをやめた。
一人の時間を増やして、誰にも邪魔されずに自分と向き合うことにした。
わたしは自分が何を好きか忘れかけていた。人の言葉を飲み込み続けた、わたしはだれ?
小学生だった頃からわたしはずっと他人の言葉に影響を受けていた。
「そんな服どこに着てくの」「足が太いだらしない」「ダサい」「デブ」「メイクなんかいらない」
身支度をするたびに投げかけられる言葉。出かける直前にダサいと言われるともうそうとしか思えなくて半狂乱になりながらクローゼットをひっくり返す日々。自分で自分に満足することなんかできなかった。いつも誰かに阻まれて、阻まれてることにすら気づかずに、ダサい自分がダメなんだとそのたびに自信をなくしていった。
わたしの自信の壁はギリギリまですりきられたチーズのように薄っぺらくなってしまっている。もうすぐ食い尽くされ終わる頃だろう。
いくたびも投げかけられた言葉は、わたしの心の中にしっかりしっかり不気味に根を張った。まるで初めからそこにいましたよ?とでも言うように。あなたが悪いんでしょ?あなたがダサいのよ。デブなあなたはなにを着てもダメなのよ。ダサいのよ。
根を張ったその言葉を自分で自分に言い聞かせるようになった。いつしかロリータやブリブリの服は着なくなって、自分が舞台から引きずり降ろされたことを感じた。
もうあなたはあんなの着れないのよ、あんな歳じゃないあんなキャラじゃないでしょう?と。
デパートに行くたびに、わたしもかつてはあそこで目をキラキラさせて自分は可愛いんだ!この服はわたしが着る!と心をウキウキさせていたのに、今となってはわたしは場外から見守るだけ。
これは似合わない。これはわたしが着るべきじゃない。足が太いわたしがこんなの着たら批判され笑われるだけ。
ファッションに心の痛みはつきものだ。
しかしそうした批判に諦めることを選んだのはわたしだ。
黒い服に身を包もうと決めたのはわたしだ。
足を隠して太いと嘆くだけなのはわたし。痩せる努力やファッションを勉強しようとしなかったのはわたしだ。
辛くて辛くて自分を責める言葉が鳴り止まないけれど、戦うつもり。健全にファッションを楽しめる人の幸運を羨むこともあるけれど、自分のことは自分でなんとかしなければならない。いや幸運なのではなくあれは全て努力なのだと早く気付くべきだった。
わたしにはなにか嫌なことがあると不機嫌になるきらいがある。
多分きっとそれは、不機嫌になることで誰かに自分を満たして欲しかったんだと思う。
わたしを満たせるのはわたししかいないんだ。そう気づいた。
平和はわたしの中から
そう交差点の向こうから囁いてくる声がする。こんなみすぼらしいわたしにも、おしゃれをするチャンスをくれる場所がある、人がいる、言葉がある。
わたしがわたしを幸せにするんだ。
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akari125 · 5 years
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全力で全力で、なにかを成しとげた先にあるのは、嘲笑だろうか、貧困だろうか、孤独だろうか。
私はこれまでの人生で何かを全力でなしとげたことがない。
唯一命が危なかったなああと思ったのは、中学時代のいじめだ。
それがあって多少ましな人間になれたが、その前の本来の私はクズそのものだった。
嘘はつくし、友達の悪口は言うし、好きな男の子のことばかり考えていた。
集団行動も苦手だし、部活の練習だってまじめに取り組まなかった。いや、あれでも結構音楽に対しては真面目だったのかなあ。
いや、後輩が入ってきたときに大きな不安を感じたから、まじめにはやっていなかったね。
山田ズーニーさんが「表現は自分を出すだけ」と言っていた。
素の私に魅力を感じる人なんているのだろうか。
私の素を読みたい人なんているのだろうか。
いや、そうじゃないんだよね、読んでる人を楽しませるように、工夫すればいいんだよね。
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akari125 · 5 years
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なにかやりたいと思うのに、不安が邪魔をしてくるときがある。
この人に変に思われたらどうしよう。
バカにされたらどうしよう。
つづけられなかったらどうしよう。
下手って思われたらどうしよう。
そんな言葉ばかりが頭をまわっている。
.
わたしにとっての文ってなんなのだろうか。
人に見せるためとか、そんなことあまり考えられないかも。
見られなくてもいい。
だってこれは自分のためにしかやっていないから。
きっと変に名誉を求めるより、こんなかんじが健全なのだろう。
でもね、私って野心まみれのやつだから、あわよくば有名になれたりしないかなとか、芸能人みたいにひょんなことから小説かけたりしないのかな、なんて気持ち悪いこと考えている。
止まってられないとか、チャレンジし続けるとか、進歩とか破壊とかもうぜんぶどうでもいい。
デジタル社会よ消えろ。
私をこれ以上無能にしないでほしい。
いや、これ以上私が無能であることをつきつけてきてほしくない。
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akari125 · 5 years
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イチゴと花
スーパーの入り口をくぐると夏の果物の匂いが鼻腔いっぱいに広がった。
メロンやさくらんぼ、りんご、スイカ、柑橘類。色とりどりの果物が、クーラーのきいた店内にところせましと並べられている。
初めて花の香りを嗅いだ時のように、自然の持つ匂いの強さに心底驚いた。
ああ、あの人に果物を持って帰ってあげられるくらいの財力が欲しい。そう思ったが、ペットボトル代にも敏感になっている己の生活を思い出し、頭をふる。
ひときわ目を引き嗅覚を意地悪く刺激してくるのはイチゴだ。食べてもいないのに、匂いが味を伝えてくる。ベリー独特の赤紫がかった酸っぱい匂いと、それに混じる果物とは思えないほど粘っこく甘い匂い。
値段をみると10個入りで388円。数字はでかでかと黄色く書かれ、赤いトゲトゲのラインで囲まれている。大特価の文字が吹き出しに書かれていた。
そうか、このイチゴは世間的に見れば安いのか。でも私には高い。なんせ自動販売機で水を買うことも躊躇するほどの貧乏ぶりなのだから。彼に「ペットボトルをいちいち買うやつは金持ちだ」と言われたことを思い出す。あと一ヶ月は1万円で過ごさねばならない。溜まりに溜まった払わねばならないお金のことを思いだして、顔をしかめた。
結局スーパーは何も買わずに出た。
帰り道、いつもと違う道を歩こうと、普段は通らないひっそりとした住宅街に入った。
空は青くて夏特有のモクモクした雲がうかんでいた。風が若草色のワンピースをはためかせる。薄い布一枚で、太陽や風の通りを感じられることが嬉しい。
気持ち良く住宅街をぬけると、交差点の目の前の家の鉢植えが目に入った。
綺麗なその家の軒先には花が咲き乱れ、ひとつひとつ植木鉢の中で丁寧に育てられている。その中でもひときわ目を引いたのが、熟したてのイチゴだった。
実の重みに湾曲した細いヘタが、ちょうど道に乗り出して「みてみて!すごいでしょ!おいしそうでしょ!」と我が実を自慢しているかのようだった。
鉢になっているイチゴの実は、真っ赤で水水しくて食べやすそうな優しい丸っこい形をしている。ところどころまだ白とピンク色の実もあり、淡い色に胸がときめいた。
突然、少女の頃に着ていたイチゴ柄の綺麗なワンピースを思い出す。白地に緑のヘタが付いたイチゴがプリントされたワンピース。フリルつきの短いそのワンピースはすぐに着られなくなったけれど、大好きだった。この淡いピンク色のように、あの頃の私は間違いなくそのワンピースに恋をしていたと思う。
イチゴに別れを告げて交差点をわたる。
もうあの頃のように綺麗な自信をもってワンピースを着ることはできないかもしれない。あの家の主人のように軒先でイチゴを育てることができるようになるのは一体いつだろうか。スーパーで惜しげもなく果物を買い、その匂いに頬をほころばせるのは。こんな豊かさを、私は手に入れることができるのだろうか。
いつもの川沿いを歩く。大学の講義が終わったのだろうか、たくさんの大学生が反対方向へと歩いていく。子どもを後ろに乗せた自転車が颯爽と横切っていった。川面にはガチョウが一匹草の孤島に鎮座して眠りこけている。自転車の女の子が「死んでるの?」と首を傾げた。
こんな時間に目的もなく歩いている自分に罪悪感がます。メイクもしないでボサボサの頭で、なにをのんきに歩いているのだろう。
川沿いの横には、大きな長い道に沿った花壇がある。そこからドレスの裾がたなびくような、花の儚い香りが漂ってくる。
ここは私のお気に入りのスポットだ。欠かさず世話をしてるボランティアのおじさんは、ものすごいのだ。1週間単位で植え替えをしてきちんと季節ごとの花を咲かせている。いつ植え替えをしているのかまったくわからない。
花壇から目をそらし前を見ると、私と同じように花壇に見とれている人がいた。横目で花を楽しみながらわざとゆっくり歩いている女の人、幼稚園帰りの子どもとかがんで花を観察しているお母さん。ベンチに座って和やかに景色を楽しんでいるおじいさん。
ここを通りすぎるひとはその愛情をきちんとキャッチしているのだ。
この花壇を作ってくれている人にお礼がしたい。そう思った。
イチゴを買うお金はないけれど、花の匂いはどんな人も平等に楽しませてくれる。いつでもこの儚い香りに気づけるような人でありたい。
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akari125 · 5 years
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首を寝違えてずっと寝たきりの生活をしていた。やることが何もないってこんなにも苦痛なんだと思った。
朝起きたらすぐに携帯を手にとってメールチェック。ほとんどきていることはないから、そのままsnsを遊会する。
つまんないニュースばかり。友達も何もつぶやいていない。ユーチューブをみてもどの動画も飽きてしまった。
仕方がないのでアマゾンプライムで映画やドラマを見る。
ドラマなら1日を潰せることがわかった。
あーあ。こうやって何も生産することなく私の人生はおわるのかあ
って思うけど、料理も何もするわけでもなくカップ麺をすすってまずい味にお腹をおかしくする。
人間やっぱりある程度は外に出て、人と触れ合って新しいことをしなけりゃダメなんだ。
ただこんな私にも新しい発見はあって、というのもヒマすぎて見ていたドラマが結構よかったのだ。
それは高橋一生さんが主演のドラマ「僕らは奇跡でできている」だ。
主人公は大学で動物行動学の教授をとっている相河先生。
少年のような好奇心と常に何か考え事をしている不思議な先生だ。
そのマイペースぶりに周りの人は翻弄されていくのだが、こうしなければいけないという型に縛られていない相河先生ならではの名言が痛快。
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akari125 · 5 years
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10代のころずっとつけてみたかったピアスがある。
当時の女子の間で爆発的に流行っていた、ラベンダー色のリボンのピアスだ。リボンは春らしいツヤツヤした布で作られていて、ギンガムチェック。目の大きさほどもあるそのピアスは、つけるのに少し勇気をいった。
私はそれを友達と一緒に原宿で買った。
友達のはお揃いで、色だけピンク色に変えて買っていた。
友達の髪は透き通っていて、海から上がったばかりの魚のように輝いていた。その髪に大きなリボンがよく映えて、彼女は雑誌のモデルのように輝いて見えた。
「こんな馬鹿でかいリボンなんか買っちゃって、いたいやつじゃん」
そんな言葉が心の中にひろがった。
結局そのピアスをつけられたのは一度切りで、あとは小物入れに長いこと眠るはめになる。
ほんとはリボンもフリルもギンガムチェックもお花も大好きだった。
大人になって、あの時の心の声は妄想で借り物の言葉であったとわかった。
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akari125 · 5 years
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やりたいことがないってなんだかおかしな感覚だよね。
ほんきで悩んでいるようにも見えるし、自分を守るための嘘にも感じる。
だれかが言ってた。
絶対あるって。
だって人間、何もしないって耐えられないもん。って。
確かに。
誰かに、何もしないでくださいって言われたら、絶対したくなっちゃうよね。
あーーー
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akari125 · 5 years
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いじめについて
朝起きてすぐ携帯を見る。
私の日課。
通知をみると、ラインニュースが届いていた。
タップする。最初の記事は、中学生が駅で自殺したというニュースだった。
お父さんに駅まで送ってもらったあと、そのままホームでなくなったらしい。
そうか。連休あけか、とぼんやり思う。
そのままツイッターやインスタを一通り眺め、やっと起き上がる。
世の中にいじめや自殺の話は溢れている。
それは友人や身近な大人たちからもよく聞く話だ。
私も過去にいじめられていたからよくわかる。
大人になってあの時のことを話せる人は、壮絶な過去の苦しみから生き残った人だ。
そんなことを思いながら、リブングにおりて遅い朝食をとった。
食卓の上に新聞紙を広げ、大見出し記事に目を通す。
と、ふと片隅の小さな記事に目がいった。
四角く小さく囲まれた欄に、「中学生男児自殺 教師の暴言が原因」とあった。
頭を小突かれた気持ちだった。
のんびり朝食をとっているのが申し訳なくなった。
この新聞紙の中学生は、ラインニュースとは別の人だろう。
ラインの方は速報なので、朝刊にのっているわけがないのだ。
まだこんなにも多いのか。
私は思った。
私は大学に入ると同時に世界が広がり、いじめにあってきた人たちとたくさん会うようになった。
そうした人たちは、いじめられたことのない人に比べて、人の気持ちがよくわかる、優しい賢い人たちばかりだった。
いじめを乗り越えた人たちの方が、仲良くなれたし、話していて気持ちのいい人たちばかりだった。
巷では、いじめを題材にした小説やマンガ、映画が溢れている。
流行っていると言ってもいいかもしれない。
だから私は社会がより良い方向に向かっているのだと思っていた。
いじめの辛さやそれを乗り越えることがどんなに苦しいか、その苦しみがもはや語り尽くされていると思っていた。
だから、いじめは減っている、と勝手に判断していた。
私が何かする必要もない。そう思っていた。
だけど、やっぱり違った。
私の身の回りの世界が変わっただけで、社会が変わっただけではなかった。
そして社会というものは、こんなにも私のそばに、密接に結びついているんだと、初めて気がついた。
どんなに辛かっただろう。
連休を、どんな気持ちで過ごしていたんだろう。
10日もある連休。
私の周りは、社会人や大学生ばかりで「連休開けないでほしい」とか「むしろ休みなんかいらない」なんて、そんな平和なことを言っている人しかいなかった。
もし過去の自分が10日の連休を過ごしていたら。
あまりの恐怖に連休どころではなかっただろう。
そして平和に楽しんでいるひとを見て、より孤立感を味わっていたに違いない。
家族と過ごす最後の時間だ、なんて寂しげに絶望しきって笑っていたかもしれない。爆弾ふれ、って思っていたと思う。
そして連休開けが一番怖いんだって思っていたと思う。
自殺をした人たちはどんな気持ちだったのだろうか。
家族とはうまくいっていたのだろうか。
お父さんとはどんな関係だったのか。
せめて朝の送りの車の中が、平和で愛に包まれていたといい。
どんなに苦しかっただろう。
どんなにこの休みが怖かっただろう。
ずっと苦しんでいたのだろう。
そんなことを考えている。
私に何かできないか。考えている。
苦しんでいる人たちの世界が、早く広いものになって地獄から抜け出せる未来を願う。
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akari125 · 5 years
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よっぴーさんの「明日クビになっても大丈夫!」を読んでいる。今は会社勤めとは別に、副業として趣味を発展させるべし、というところを読んでいる。
今時、好きを仕事に。なんてありふれた言葉になっているが、その好きをみつけられないから困っているんじゃないかと思った。
みつけられない自分も情けないけれど、ずっと縛られてきたから、自分のことをよく知らない。選択肢を奪うだけ奪って洗脳下挙句、今度は自由に責任をもっておまえが選べなんて、社会理不尽すぎる。
そう思っていたら、よっぴーさんがアドバイスをくれた。
好きをみつけられない人は、やってみたいなと思うことはあっても、まだ実際にやったことがないだけじゃないかって。
たしかに、と思った。
よっぴーさんはハンググライダーをあげていたけど、確かに私は、シュノーケリングとかやってみたいけど、やったことない。
普段から外出を禁止されていた私にとって、やりたいやりたくない以前に、許可がおりない、が前提だった。
でも大人になって、世界が広がったぶん、そんなのに従わされている人は少数だとしった。
とくに男の子の方が自由。
それにたいしてはとても不満が膨らむし、何人かの不審者のせいでなぜ私が我慢しなければいけないのか、恐ろしいほどにイライラが募る。
やりたいことばっかやったやつは許されて、弱いとみなされるものはその最後の自由まで奪われて行く。
そんな風に抑圧されて育った私にとって、やりたいことをやる、なんてワクワクなんか麻痺する状態にきてしまっている訳で、やりたいことをしている自分に罪悪感すら抱く。
自分が楽しむためには、家族へ嘘をつく必要があって、楽しかったことも何も話せない。
そんな環境を早く抜け出したくって、一人暮らしを夢見ている。
はい。
そんな風に、まずはやりたいことをやるってことになれる必要があって、やりたあああい!!って気持ちをドシャドシャ脳からほとばしらせる必要がある。
あの幼い時の気持ちを思い出すんだ!
壁の塗装を無性にむきまくった日。
夜更かししたくてずっと襖の向こうの音に耳を峙てていた夜。
サンタが好きだったクリスマスの朝の匂い。
お菓子作りが好きで、オーブンの向こうに広がる光景に魔法をかんじたお昼。
可愛いフリフリのスカート。夏のわかば、自由に伸び縮みする風。
そんなものをくだらない、恥ずかしいものだと言われた日。
そしてそんな心無い言葉がいつしか自分の言葉になってしまった現在。
私の心には、もっと綺麗なものを入れてあげたい。
そのためには、まずはやりたいことをやること!
気づかせてくれたよっぴーさん、ありがとう。
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