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日記
【2017.08.17】 今日は地平線がはっきりと見えた。 夕方のことだ。 水色の空のなかに、うすぼんやりしたオレンジが帯のように流れていた。 こんなに空は美しかっただろうか。この空の下で、この空を見て育ってきたはずなのに、それらはわたしの知る限りの美しいもののなかでもひときわ美しく、芸術といって良いほどだった。 こんな夏はあと何度すごせるのだろう。 愛してくれる人のいない夏。一方的な愛だけを告げる夏。 ひとは死んでも、誰かの心の中では生き続けられる。思い出が更新されることはなくとも、わたしは知っている。あの息づかい、骨ばった肩、節がごつごつした指、古い傷のあるひざ。 すべて焼かれて、今はもうないものだけれど。 明日この街を離れる。 もっと早くこうすべきだったのだ。 海沿いの街にて。
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口紅のこと
みなさんは口紅を選ぶとき、なにを基準にして選んでいらっしゃるのでしょうか。 自分の肌に合う色かどうか、好きな色かどうか、それとも好きな人が好む色かどうか… これは人それぞれ、口紅もそれぞれです。 わたしは完全に、自分が好きな色かどうか、自分がなりたい女性像に近くなれる色かどうかを基準にしています。 それはたいてい深い紅の口紅です。 わたしは肌が白いほうなので、深い紅がよく映えます。また、逆にオレンジがかった色味は似合いません。薄いピンクもつけなれていないので、すぐにおとしてしまいます。 真紅の口紅をつけるとき、いつもどきりとします。女としてのわたしが浮かび上がる瞬間、俄然として生気を帯びる瞬間に、自分ではないような気がするのです。 ふしぎなことに、そしてまた喜ばしいことに、わたしはまだ女としての自分を受け入れられて いないと感じます。 いつまでもこの気持ちを改めて感じられるひとでいたいと思います。
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【日記】 2017.07.05
7月。 梅雨と夏の間のうつくしい季節。
いったい、わたしは紫陽花がとても好きだ。 雨に濡れるあわい紫の、白の、まんまるい花。
今日は蒸しあつく、雨もやわらかく降っていて、マンションを出たとたんに遠出��る気が失せた。 なんとか図書館に行ったが、知っている作家の本以外を読む気も失せていた。
わたしはなんて臆病なのだろう。 知らない作家の本を読むこと、そして、おじいちゃま以外の人を愛することを恐れている。
もう一度でいい。ほんの一度だけ、姿を見て、言葉を交わしたい。 四年前の六月のあやまちをあやまりたい。
もう叶わない願いだ。
わたしは明日からも生きる。生きなければならない。おじいちゃまの血を引くものとして。一匹のけものとして。ただしく生きて、ただしく死ななければ。(これは、ウエハースの椅子の受けうりである。)
あしたの朝、晴れていたら近くに美味しいコーヒーを出すお店に行ってみよう。
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恐れていたこと
【日記】 2017.06.27 きょうみた夢。 おじいちゃまが出てきてくれた。 夢の中のわたしは、おじいちゃまはもう死んでしまっていることをはっきり認識していた。 いままでは夢の中では生きていてくれたのに。 なにかの区切りかもしれない、と感じる。 血がつながっている人を愛することは容易いけれど、血がつながっていない人を愛することはリスクが大きすぎる。だから、いままでわたしはそれを避けてきた。 ところが、避けられない事態になってしまったようだ。 いままでお互い無しで立派に生きてきた二匹のけものが恋に溺れてしまったのだからしかたない。 わたしはこれから夜の海に肩までつかって、サザンを聴く。サザンはいつもわたしを骨抜きにしてしまう。 明日は銀座にでてみようと思っている。
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【日記】 2017.06.18 雨ふりの一日だった。 わたしは六本木にいた。 今は蒸しあつい部屋の中で推理小説を読んでいる。 温まった身体に流れこむお酒が心地よい。 「美女と野獣」をみた。 フランスではるか昔から語り継がれてきたおはなし。 真実の愛。それがこの物語の(わたしなりの)テーマだ。 思いがけなく6月18日にわたしはこの映画と向き合ってしまった。 何年か前、いやもっと前、それともつい何日か前なのかもしれないけど、わたしは6月18日に大切なひとを失くした。 疑いもなく愛した人を。 悲しみ。それはわたしにとって親友のようなものだ。 もっとも近しい存在であるような。 生まれたときから知っていた。 どんな気持ちよりも先に。 ああ、これはまさにカステーラのような夜だ。 そう云ってのけたひとの名前は忘れてしまったけれど、今日は愛の映画をわたしが今愛している人と一緒にみられたから良しとしましょう。
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【日記】 2017.06.15
いまわたしは、サザンを聴きつつ、お酒をのんでいる。溺れてしまっている「ウエハースの椅子」を読みながら。
桑田佳祐の声はずるい。心の海のはしっこにふれられたみたいな、あぁここが帰りたかった場所だ、と思わせてしまう声。
わたしが好きになる男は、いつだってずるい。
こんなにびしょびしょに泣いている時に目を覚まさなくたっていいのに、しなしなに弱った心に寄りそわなくていいのに、そんなことをされたらわたしは本当に耽溺してしまうのに。
わたしの人生は恋とともにある。 恋は人生であり、人生は恋だ。 臆面もなくこんなことを云える女になってしまった。
恋人と出会った夏を思い返してみる。 蒸していてくるしくて情熱的で晴れていた夕方だった。 人ごみの中にいても、彼は彼だとはっきりわかった。その時から、わたしは今こうなることは分かっていたのかもしれない。 わたしは恋人に耽溺している。 たぶん、次に空気を吸うときは、恋人に愛の言葉をつげる前だ。
外は夜にみちていて、この部屋にはぼんやりした灯と、サザンと、小説とお酒がある。 もうすぐ恋人が帰ってくる。 それだけでみちたりてしまう。
わたしはいつかみちたりた湖になって、恋人が船で遊びにきてくれるのを待ちながら、おなかのなかにちいさい魚やよどんだ水草や誰かの思い出の本を飼いながら暮らしたい。
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【日記】 2017.06.14 今日は歩いて20分くらいのところにある、おいしいと噂のベーグルやさんにいった。 昨日とはうって変わって日差しがつよく、初夏の風が吹くなかを歩いた。 ベーグルは固く、もっちりとしていておいしかった。フィリングにベリーとシナモンアップルをたっぷりはさんでもらったが、甘すぎたので次からは無しでいいと思う。 久しぶりにおじいちゃまの夢をみた。 「あんなに広い家にひとりで、さびしかろ?」と訊いたら、「そらぁさびしかくさ」と返ってきた。 帰りたい。地元に。おじいちゃまが生きていた頃に。 亡くなってまる四年になるけれど、生きていた頃がもうずいぶん昔のように感じる。 もうすぐ命日。忘れたことはないけれど、いいかげんおじいちゃまがいないことになれないといけない。
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【日記】 2017.06.04
まったく、他人の不在がこんなにも自分を腑抜けにするとは思いたくなかった。 いや、腑抜けというのはすこしちがうかもしれない。だって私は会うその瞬間まで会いたいなんて一度も思わなかった。一人でちゃんと生きていた。朝起きてお化粧をして知らない街へ繰り出し、知らないひととおしゃべりをして。
なのに顔を見た瞬間、会いたかった会いたかった会いたかったキスをしましょう抱きしめて指をからめましょう、そんな感情が全部押し寄せてきた。圧倒的な幸福とともに。
これはそんな感情を私にもたらしたひとと食べた牛フィレ肉。お肉はかたくてナイフが全然入らず笑ってしまったが、トリュフのソースはとても美味しかった。
でも、今日はおかげでとても良い美容師さんに出会うことができた。住んでいるところから少し遠いけど、通おうと思う。
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【読書記録】 聖女の救済/東野圭吾 レイクサイド/東野圭吾 マスカレード・イブ/東野圭吾 推理小説をお風呂で読むと身体に悪い。 なぜなら夢中になって出てこられなくなって、湯あたりをしてしまうからだ。 3冊を2日で読んでしまった。 それくらい、東野圭吾には引き込まれる。 文章に無駄がない。私は無駄こそすべて、と考える人間なのだけど、彼の文章の正確さと清潔さったら、本当に気持ちがいい。安心して読み進められる。安心して考えて、騙される。 もし東野圭吾さんとお話しする機会があれば、とても気をつけないといけないなと思う。たぶん、二言三言交わしただけで、好きになっちゃいそうだから。
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【読書記録】 ホリー・ガーデン/江國香織 数ある江國さんの作品の中でも、なかなか苦手な部類に入る。主人公が自分と距離がありすぎるのだ。 5年間、死んだ恋を引きずる果歩と不倫の恋に身をやつす静枝。あまりにも濃くあまりにも近い彼女たちの関係。しかしそれがためにお互いが考えることがわかりすぎてしまう。人間関係においてこんなに悲しいことはないと思う。 また、中野くん。まったく犬みたいな男だなと思う。でも、まぁ、こんな男でも幸せにしてくれるんだろう。すくなくとも既婚者よりは。 それにしても、作品に出てくる数々の詩は魅力的だ。「カステーラの夜」なんて、ためいきが出る。
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白和え
���の日の実日子はなんとなく倦んでいた。 たまにいくプールに行く気にもなれず、朝夫を送り出したあとソファからほとんど動かなかった。 午後もう遅く、やっとやる気になった掃除機がけをすませると、ついでに床を雑巾がけし、マットも洗濯した。 雑巾がけをしながら、すり鉢とすりこぎのことを考えていた。今朝夫にそれらがほしいと言うと、ふうん、いいんじゃないのとさして気にも留めない風の返事が返って来た。 すり鉢とすりこぎ。 いったいなんだって私はそんなものを。 家事なんてろくにしたこともなく料理も苦手で、結婚なんかばかばかしいと信じさせられていた私がいったいなんでまた。 実日子は夫を愛していた。とても、と副詞をつけたほうがふさわしいくらいだった。結婚して5年になるが、暮らせど暮らせど愛は深まっていく。彼に夢中になってしまう。実日子の周りの人間たちの中には、結婚すればかつてあんなにも情熱を注いだ恋人を自分の一部にしてしまって、愛情は冷めていると断言する人もすくなくないというのに。 思惑が外れた、と思う。 私もそんな風になって、彼を自分の一部みたいにして軽んじたかったのに。軽んじて、彼の不貞も見て見ぬふりができるようになると思っていたのに。 今や自分は夫にほうれん草の白和えを食べさせてやりたいがために、すり鉢とすりこぎを買おうとしているのだ。今ではもう滅多に家で夕食を摂らなくなった夫のために。 こんなとこまできちゃったな。 まわる洗濯機を見つめながらひとりごちた。
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