#追い出すな
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20241201あいりん総合センターの野宿者に対する強制執行への抗議声明
私が目を覚ましたとき工事の物音がした。まだ眠くていつもならすぐ二度寝するところだが、あまりにも音が近いのでまさかと思い跳ね起きたら、もう小屋がたくさんの人間に囲まれていて顔を見るなり、「執行だ、すぐ出てこい」と四方八方から声がする。悪夢のような現実のような感じで慌てて洗濯物を取り込みながら仲間に電話で執行が来たことを伝える。頭をフル回転してもなんの抵抗の仕方も思いつかないまま荷物をまとめ終わり10分ほどで寝床を出た。執行文書をもらって小屋を出たものの途方に暮れる。とりあえず出口に向かいながら隣人たちの安否を確認しようと隣の寝床に目をやるが姿が見えず、その向こうの寝床はすっかりきれいになって段ボール箱が積まれている。出口の手前でまた途方に暮れる。数枚写真を撮る。写真を撮るなと怒られる。外に出る。「これからの生活の相談に乗ります」と大阪市職員を名乗る人が話しかけてくる。新聞記者が話しかけてくる。仲間が駆けつけてくる。
12月1日午前7時あいりん総合センターから強制執行された私の記憶。
なんの予告もなく執行が来て20人ほどのセンターの野宿者の半数は外出していて立ち会うこともできず、衣服や寝具などなにひとつ持ち出すことができなかった。荷物は不法投棄ごみと一緒くたに段ボールに詰められて持っていかれ、返してほしければ何度も窓口に電話して日程調整したうえで数十キロ離れた保管場所まで取りに来いという。追い出された野宿者は大阪市職員に特別相談窓口に誘導されていたが、立ち会えなかった人は後から窓口に行っても相手にされなかった。 この10年、大阪府・市は西成特区構想のもとで、野宿者への圧力を強め釜ヶ崎中のテントをつぶしてきた。センターの建て替えも西成特区構想のもとで進められて来たのだが、その中で掲げられている目的は「子育て世代の流入」であり西成の再開発��意味することは明らかだった。だから、野宿者、障碍者、アル中、日雇労働者、生活保護受給者などが、時にもめながら時に刑務所や施設、病院などと往復しながらもなんとか暮らしてきたまち、釜ヶ崎・西成をつぶすなと多くの人が反対の声をあげてきた。そして2019年に跡地計画も決まっていないのにセンターの閉鎖と仮移転が強行されたとき、反対する人が集いシャッターの下に寝転がり閉鎖を止めセンターを占拠した。その場にいた人たちが占拠したセンターを自主管理していくために寄り集まったのが、私たち「釜ヶ崎センター開放行動」です。24日後には何百人もの大阪府・市の職員および警官によりなんの法的手続きも経ず予告もなくセンターの中から野宿者たちともに追い出されたが、すぐにセンター敷地内に団結小屋をつくり、隣に住む野宿者たちとともに共同炊事をしながら占拠・自主管理を続けてきた。 ですが、強制排除は繰り返されました。それだけでなくセンターの仮移転地の一つである萩小の森広場が執行日から封鎖されたままであったり、執行翌日にわたしたちがなんとか共同炊事をした駐輪場の東側入り口が次の日から閉鎖されたりとセンターの野宿者への締め付けは進んでいる。さらに難波でもここのところ野宿者追い出しが続いていて、大阪で野宿することはあまりにも困難にされつつある。それでも今回追い出された人の半数は今日も野宿をしている。生活保護などの福祉やアパート生活になじまない人はいるし、選択肢がそれしかないのはあまりにも息苦しい。釜ヶ崎や西成で再開発が進み、居場所がない人や貧乏人が住めなくなり郊外にバラバラに移っていくことになればさらに息苦しい。 今回のあいりん総合センターでの大阪府・市および裁判所・執行官による野宿者排除に対して抗議するとともに、大阪府・市が西成特区構想のもとで進めているセンター建て替えからの釜ヶ崎・西成の再開発に対してあらためて反対を表明する。 そしてなにより私たちは野宿を、釜ヶ崎を、西成を肯定する。
2024年12月 釜ヶ崎センター開放行動
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