#暮しの彩り~その172
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暮しの彩り~その172
少し前になりますが、友人が美しい夕焼けの写真を送ってくれました。
雲の表情とも��いまって、本当に胸に沁みる美しさ・・・
同じ太陽でも朝陽と夕陽では印象がまったく違いますね。朝陽には今日一日を乗り切るためのパワーが宿っている気がするし、夕陽には今日一日をねぎらうエネルギーが宿っているような気がします。
だからでしょうか、夕陽には心がホッとして、時に切なくて、泣きたくなるような気持になることも・・・きっと、こういうことは「理由」など分析せず、ただ心のままに感じることが大切なのでしょう。
写真を見ても、グッとくるものがあります。本当に素敵な写真・・・
空を見上げる心のゆとりを忘れないでいたいです。美しいお福分け、ありがとうございました。
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Atong Atem, US, 2017
入り組んだ湾に囲まれたシドニーでは、バスや電車のほかに、フェリーの交通網が発達している。カスタム・ハウスと呼ばれる昔の税関局の建物は、フェリーの発着駅サーキュラー・キーを出て、すぐ目の前にある。19世紀半ばに造られた歴史的建物は、現在は図書館として使われていて、アーティスト、アトン・アテム(Atong Atem)の展示『US』はその二階にあった。地階の受付カウンターの脇にある階段をのぼって、展示スペースに足を踏み入れると、カラフルな色彩と、布地にプリントされた迫力ある美しい反復模様が目に飛び込んできた。『スタジオ・シリーズ(Studio Series)』という肖像写真のシリーズで、被写体となっているのは10代後半から20代くらいの比較的若くみえるアフリカ系の男女だった。かれらはカラフルな衣装、大ぶりのアクセサリーを身につけていて、西アフリカに広くみられる、ろうけつ染めのカラフルな布地や、ナイロン製の敷物の背景幕の前でポーズをとっている。液晶ディスプレイに投影する手法で展示されていて、あざやかな色彩が抜群に映えていた。
アトン・アテムはメルボルン在住の南スーダン人アーティスト。1南スーダン人の両親のもと、エチオピアで生まれ、ケニアの難民キャンプで過ごしたあと、5歳のときに両親とともにオーストラリアに移住した。ニュー・サウス・ウェールズ州セントラル・コーストの黒人の少ない地域で、唯一の黒人家庭の一員として、みずからの「他者性」をつよく意識して育つ。オーストラリア社会・文化における自らの立ち位置を初めて意識した瞬間として、彼女は小学校時代の出来事——他の子と同じように淡い桃色のクレヨンをつかって、家族の似顔絵を描いていた彼女に、美術教師が「どうして茶色のクレヨンを使わないの?」と声をかけたこと——に触れ、両親の文化と移住先の文化、そのどちらにも帰属しない「Third Culture Kid(第三文化の子ども)」として育ったことが、彼女の作品のテーマを方向づけたと言う。2
2001年以降、オーストラリア政府はスーダン内戦の難民に対する人道支援プログラムを実施している。31997年から2007年のあいだに、20000人以上のスーダン出身の難民(ケニアやエジプトの難民キャンプでスーダン人の両親のもとに生まれた者を含む)がオーストラリアを移住先として選んだ。メルボルンやシドニーの都市部で暮らしている人たちが多いようだ。南スーダン出身のDeng Thiak Adutのように、少年兵となることを強いられた過去をもち、渡豪後は独学で勉強して難民問題専門の弁護士になったサクセスストーリーで知られる人もいるが、新しい環境や文化への適応は決して容易ではなく、移住の苦労やストレスを余儀なくされる者が多いのが現実だ。アテムのように幼少期に移住して、二つの文化のあいだで生きざるをえない若者がアイデンティティの葛藤・苦悩を抱えるケースも少なくない。
冒頭で紹介した作品『スタジオ・シリーズ』は、スーダンからの移住者の第一・第二世代を被写体にした肖像写真である。撮影にあたって、アーティストは友人や知り合いに声をかけ、かれらが持ち寄った花、スカーフ、衣装などを自在に組み合わせてイメージをつくった。その際、彼女が念頭においていたのは、セイドゥ・ケイタ(Seydou Keïta, 1921-2001)やマリック・シディベ(Malick Sidibé, 1936-2016)といったアフリカ人写真家たちのスタジオ写真の形式だと言う。4
��タジオ写真とは、背景幕にプリント模様の布地をつかい、華やかな衣装に身をつつんだプロのモデルではない被写体が、筆記用具、電話、花、高級車などの小道具に囲まれて、��こかぎこちなくポーズをとる肖像写真。51950年代以降、セネガルやマリの都市部のアフリカ人写真家が経営するスタジオで撮影されるようになった。ヨーロッパから持ち込まれた写真技術をつかって、アフリカ人写真家がみずからの文化を自由に表現し、植民者の民族誌学的・分類学的まなざしにより形成された「アフリカ」の歴史的表象を解体する試みとして注目された。
このようなアフリカにおける写真文化の文脈を理解したうえで、アテムは肖像写真、スタジオ写真のスタイルを、アートの世界におけるヨーロッパ中心主義的なナラティヴに抵抗する方法として選びとっている。さらに、アフリカ人肖像写真家の作品との出会いとは、彼女やその友人たちのように、両親に連れられて幼少期に移住し、ルーツのある土地から離れて暮らす者たちにとって、両親の故郷と自分自身を結びつける紐帯の発見でもあった。それらの作品に惹きつけられた理由を、アテムは「これまでずっと目にしてきた両親や親戚の写真に似ていたから」と説明し、それを作品で「再現」したかった。『スタジオ・シリーズ』の撮影では「みんなの家の家族アルバム」をイメージして場面をデザインしたと語っている。6
「再現/複製(replication)」という言葉の使用には興味をそそられる。ポップでカラフルな背景幕・衣装・小道具・構図などの形式を踏襲しつつも、〈オリジナル〉とも異なる〈再現/複製されたもの〉としての独自性、「第三文化の子ども」としての表現のあり方について考えさせるからだ。両親や親戚の家族写真を、故郷から遠く離れて育った子どもたちが、しかも、独自の植民地主義の歴史をもつオーストラリアにおいて「再現/複製」すること。そこには故郷との複雑な距離感、アマルガムなものとしての文化の位相がかいまみえるのだろうか。
同じ階の離れた場所に展示された、もうひとつのシリーズ『自画像(Self Portraiture)』は、ハイブリッドなものとしてのアイデンティティをより強く意識させる作品だ。やはり肖像写真の形式がつかわれているが、背景幕はいかにも「アフリカ」らしい布ではなく、アーティストが身にまとっているのは必ずしも民族衣装ではない。紺色の無地の布を背景に、顔と身体にあざやかなオレンジ色の布を幾重にも巻きつけた、思索的な雰囲気漂う一枚、淡いピンク柄の背景布に、ココア色の肌がひきたつベージュ色のオールインワンを身につけ、白いドットとラインの装飾的なメイクをほどこした一枚、淡いライラック色の背景に、カラフルなレオナール調の花柄ブラウス、大きな首飾りとイヤリングをつけ、厚塗りの化粧がアフリカ少数民族のボディ・ペイントにもヴェネツィアの仮面のようにもみえる一枚など、「セルフィー」という語が一般的になった時代のセルフ・ポートレートと言えるが、いずれも現代的で洗練された感覚にあふれていて、見ていて飽きない。
『自画像』シリーズにおける被写体としてのアテムは、多種多様なセルフ・イメージの創出を大いに楽しんでいるようにみえる。「ヨーロッパ」が「アフリカ」に対して注いできた植民地主義的視線に内在する、視る者・視られる者の関係を無効にし、「わたしはこのように見られることを望む」というパフォーマティヴな意志をストレートに突きつけている。異なる「わたし」にめまぐるしく変身/擬態する様子、シリーズとして並べてみた場合の強迫反復的な自己増殖の感じは、セルフ・イメージの不断の創出のなかにしか安住できない「第三文化の子ども」のアイデンティティのはかなさ、焦燥を伝えるが、それ以上に、アテムのつくりだすイメージはそれを悲哀とは感じさせないポジティヴなパワーとオーラに満ちている。
注
1Atong Atemの経歴についてはAtem “Atong Atem”を参照した。
2このエピソードについてはDoを参照した。
3オーストラリアのスーダン人コミュニティについては、Migration Heritage Centre New South Wales, Stevensonを参照した。
4『スタジオ・シリーズ』におけるスタジオ写真のコンセプトについてはGilliganを参照した。 アテムはほかにも影響をうけた写真家として、あざやかなカラーとユーモアあふれる演出でスタジオ写真を洗練させたガーナのフィリップ・クワメ・アガギア(Philip Kwame Agagya, 1958-)の名前を挙げている(Gilligan)。
5植民地時代と独立後の西アフリカにおける写真の実践についてはMustafaを参照した。
6アテムの『スタジオ・シリーズ』についてのコメントはGilligan, Atem“Atong Atem”を参照した。
参考文献
Atem, Atong. Official website〈http://www.atongatem.com/about/〉Accessed 8 May 2017.
--. “Atong Atem: Gallery Talks: Red Hook Labs” NATAAL
〈http://nataal.com/atong-atem-at-red-hook-labs/〉Accessed 8 May 2017.
--.“How I Write: Atong Atemm” The Suburban Review, June 2, 2016. 〈http://thesuburbanreview.com/2016/06/02/how-i-write-atong-atem/〉Accessed 8 May 2017.
Do, Emma, “Photographing the space between cultures: Atong Atem talks to i-D about Third Culture Kids and confronting your identity as an ‘other’.” i-D 2 June 2015.
〈https://i-d.vice.com/en_au/article/photographing-the-space-between-cultures〉Accessed 8 May 2017.
Migration Heritage Centre New South Wales website
〈http://www.migrationheritage.nsw.gov.au/exhibition/sudanesestories/a-new-life-in-blacktown/〉Accessed 8 May 2017.
Gilligan, Minna. "Bad Girl Painter: Atong Atem” Rookie 58, September 6
〈http://www.rookiemag.com/2016/06/bad-girl-painter-atong-atem/〉Accessed 8 May 2017.
Monneraye, Claire. “US: Atong Atem.” Australian Centre for Photogtraphy. (会場配布資料より)
Mustafa, Hudita Nura. “Portraits of Modernity: Fashioning Selves in Dakarois Popular Photography,” Paul S. Landau & Deborah D. Kaspin, eds., Images & Empires: Visuality in Colonial and Postcolonial Africa, Berkeley: University of California Press, 2002, 172-192.
Stevenson, M. “Sudanese Migration in Australia” Museums Victoria Collections 2009〈https://collections.museumvictoria.com.au/articles/2997〉Accessed 8 May 2017.
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