#敬翁桜
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本日も、寒い中お越しいただきありがとうございました。 お近くの方から、観光の方、外国の方、いつも来てくださるお客さままでお話しも弾み、あっという間の1日でした。 今週は明日までオープンしております。お近くにお越しの際はお立ち寄りくださいませ。
テーブルはひと足先に春模様。年末にsuukaさんで頂いたつぼみだった敬翁桜が満開になりました。外の寒さに触れるとまだまだ春は遠く感じます。受験生の方々もあとひと頑張りの時期ですね。(うちにも1人おります)良き春が訪れます様に。
今月はイベントがないので、常設の作品を少しずつオンラインショップでもご紹介して行っています。お時間合いましたらこちらも覗いてみてくださいね。 明日も18時までお待ちしております。
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書簡[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に滞在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の身分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“無錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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啓翁桜
啓翁桜 #備前焼わかくさ #備前焼 #土のぬくもり #備前焼のある暮らし #備前焼を使う #備前焼の店 #おうちでたのしむ備前焼 #陶器 #器 #うつわ #やきもの #和食器 #食器 #器好き #bizenyaki #bizenwakakusa #TakahiroHosokawa #啓翁桜 #平花入 #細川敬弘
平花入 Takahiro Hosokawa -啓翁桜- 今日も快晴の岡山です。 徐々に春の兆しを感じられるようになってきましたね。 さて、桜の枝が出回ってきたので、早速買ってきました。 時期的なものと花の色あいから、おそらく啓翁桜かと思います。 間違っていたらごめんなさい。 細川さんの平花入へ。 どっしりと安定感のある造形に 窯変の変化のある景色が美しい花入れです。 胴部分のくぼみが表情のアクセントになって より存在感のある造形となっています。 安定感があるので安心して使える花入れとして ちょっとした贈り物にも喜ばれますね。
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The Wooden-Mortared Kingdom - Garo 20th Anniversary Memorial Issue - VARIOUS
Here’s a proper post for it. For Garo’s 20th anniversary, a massive anthology was put out collecting all of the authors that had been featured in the magazine up until then (at least it looks that way), haven’t verified). 1200 pages.
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Abe Shinichi AKASEGAWA Genpei AKI Ryuuzan AKIYAMA Shigenobu ANZAI Mizumaru ARAKI Nobuyoshi ARASHIYAMA Kouzaburou EBISU Yoshikazu FUJISAWA Mitsuo FURUKAWA Masuzou HAGA Yuka HANAWA Kazuichi HAYASHI Seiichi HIGO Tomiko HINO Hideshi HIRAKUCHI Hiromi HIRATA Hiroshi HISAUCHI Michio Hoshikawa Teppu IIKO Junzou IKEGAMI Ryoichi ISHII Hisaichi ITOI Shigesato IWAMOTO Kyuusoku KAMOSAWA Yuuji KANNO Osamu KATSUMATA Susumu KAWASAKI Yukio KIMURA Tsunehisa KOBAYASHI Norikazu KOJIMA Goseki KONDOU Youko Kou Shintaro KUSONOKI Shouhei MASUMURA Hiroshi MATSUMOTO Michiyo MATSUO Hiroshi MINAMI Shinbo MINEGISHI Toru MITSUHASHI Otoya MIURA Jun MIZUKI Shigeru MOMOTAROU Kotarou MORISHITA Hiromi MURANO Moribi NAGASHIMA Shinji NAKA Keiko NEMOTO Takashi OKUDAIRA Ira OSAWA Masaaki SAKURAI Shoichi SASAKI Maki Shimizu Satoshi SHIRATO Sanpei SUGIURA Hinako SUZUKI Oji SUZUKI Seijun SUZUKI Shigeru TAKAGI Jun TAKAYAMA Kazuo TAKITA Yuu TAMURA Shigeru TANI Hiroji Tashiro Tamekan TATSUMI Yoshihiro TERUHIKO Yumura TSUGE Tadao TSUGE Yoshiharu TSURITA Kuniko UESUGI Seibun WATANABE Kazuhiro WATARI Futoshi YAGUCHI Takao YAKUWA Masako YAMADA Murasaki YODOGAWA Sanpo YOSHIDA Mitsuhiko YOSHIDA Shouichi
タイトル : 木造モルタルの王国 : ガロ二〇年史 出版社 : 青林堂 初版発行日 : (昭和59年)1984年12月1日 ISBN : 4792601320 サイズ(函) : 縦23㎝ 横18㎝ サイズ(本) : 縦22㎝ 横16㎝ ページ数 : 1200ページ 備考 : 各作品の欄外に作者の経歴・コメント記載 収録作品 『ざしきわらし』 - 白土三平 『ねこ忍』 - 水木しげる 『海原の剣(武蔵の巻)』 - 諏訪栄(小島剛夕) 『顔の曲がった男の物語』 - 星川てっぷ 『真昼』 - 渡二十四 『愛 : 新釈武士道物語』 - 加治一生 『チーコ』 - つげ義春 『若草漫歩』 - 藤沢光男 『宇宙の出来事』 - 田代為寛 『夏』 - 池上遼一 『かかしにきいたかえるの話 : シリーズ・黄色い涙』 - 永島慎二 『六の宮姫子の悲劇』 - つりた・くにこ 『巨大な魚』 - 林静一 『どろ人形』 - 日野日出志 『海ほおずき』 - 仲圭子 『花あらしの頃 : 寺島町奇譚』 - 滝田ゆう 『長持唄考』 - 矢口高雄 『雨��(2)』 - つげ忠男 『わかれみち』 - 辰巳ヨシヒロ 『たこになった少年』 - 淀川さんぽ 『かんたろ月』 - 勝又進 『うらぶれ夜風』 - 川崎ゆきお 『雨の色』 - 鈴木翁二 『マツコおじちゃんの嘆き』 - 秋竜山 『ぼくのデブインコちゃん』 - 佐々木マキ 『無頼の面影』 - 安部慎一 『幻の少女・和小路伯爵邸のトラブル』 - 谷弘兒 『肉屋敷』 - 花輪和一 『北への旅人』 - 吉田昌一 『彩雪に舞う・・・・・・』 - 楠勝平 『おざ式』 - 赤瀬川源平 『「ガロ」第一期 : ガロの時代をひらく』 - 上野昂志 『再会』 - 増村博 『紫の伝説(イメージSTATION)』 - 古川益三 『絶対休日』 - 秋山しげのぶ 『荒れた海辺』 - 安西水丸 『クシー君の発明』 - 鴨沢祐仁 『毆者(ボクサー)』 - 吉田光彦 『昇り凧』 - 村野守美 『ペンギンごはん』 - 湯村輝彦.糸井重里 『愛の嵐』 - 蛭子能収 『ぼくの弟』 - 糸井重里 『?』 - 南伸坊 『それからの岩本武蔵・怪談』 - 岩本久則 『ハリー氏のこと』 - 松尾ひろし 『愛妻記』 - ひさうち・みさお 『ギョーザ定食の昼』 - 平口広美 『お父さんのネジ』 - 渡辺和博 『長靴をはいた猫』 - 清水聰 『ものろおぐ』 - 近藤ようこ 『モダン・ラヴァーズ』 - 奥平衣良(奥平イラ) 『性悪猫』 - やまだ紫 『青春の汗は苦いぜ』 - 小林のりかず(小林のり一) 『夜行』 - 高山和雄 『ぷいさん村放送局』 - 八鍬真佐子 『五人だまし・道糞武士道 : 幻想の明治』 - 高信太郎 『怠屈な日』 - 泉昌之(和泉晴紀[作画].久住昌之[原作]) 『K』 - 大澤正明 『海のお話』 - 滸太郎 『二つ枕(初音)』 - 杉浦日向子 『PHANTASMAGORIA』 - たむら・しげる 『野辺は無く』 - 三橋乙椰(シバ) 『少年』 - 森下裕美 『糸口』 - 松本充代 『ママと呼ばれて三ヶ月』 - 根本敬.高木順 『ローカル線の午後』 - 菅野修 『ホトホトなんぎなパパとママ』 - みうら・じゅん 『扁桃腺の夏』 - 峰岸達 『戻ってきた日』 - 肥後十三子 『スラップスキップ』 - いしい・ひさいち 『はぴー・ばーす・でい』 - 芳賀由香 『どうなってんの : イソップ式漫画���座』 - 水木しげる 『浪漫写真 : 私のアリス達』 - 荒木経惟 『図象の学習塾 : 肖像 イメージ選挙』 - 木村恒久 『目安箱 : 「書けないということについて』 - 上野昂志 『嵐山の人生相談』 - 嵐山光三郎 『重坊のスーパーマーケット : 悪評嘖々』 - 糸井重里 『劇画風雲録 : 嗚呼、貸本の灯は輝やいて』 - 桜井昌一 『連載随筆 : 夏と暴力』 - 鈴木清順 『白土三平論 : 英雄論』 - 石子順造 『清文入道のウンチク寄席』 - 上杉清文 『読者サロン』 『「ガロ」第二期 : 多様化・拡散の時代』 - 呉智英 『木造モルタルの王國の貴賓室』 「木造モルタルの王国」によせて(※寄稿文.小冊子) 『「ガロ」有罪説』 - あがた森魚 『ガロはきっと大丈夫』 - 秋野等.井上章子 『二十年のランナーへ』 - 有川優 『(タイトルなし)』 - 岩家緑郎 『ガロには貧乏がよく似合う』 - いしかわじゅん 『(タイトルなし)』 - 糸川燿史 『「ガロ」は忘れない』 - 小野耕世 『とにもかくにも、エライ!!』 - 川崎徹 『すてきな可能性を持ったマンガの世界』 - 金子勝昭 『長井さんと苦労のこと』 - 川本コオ 『(タイトルなし)』 - 桑原甲子雄 『(タイトルなし)』 - 小島剛夕 『「ガロ」われらの聖森』 - 佐々木守 『大プロデューサー・プランナー 長井勝一さんへの手紙』 - 佐々木昭一郎 『(タイトルなし)』 - 末井昭 『(タイトルなし)』 - 杉本博道 『(タイトルなし)』 - 谷川晃一 『高校時代、文学、エロチシズム、思想の香りを味わっていた』 - 高取英 『(タイトルなし)』 - 高橋章子 『祝・開店20周年』 - 長新太 『(タイトルなし)』 - 竹宮恵子 『 『ガロ』に 』 - 鶴見俊輔 『きみよ』 - 堤任 『(タイトルなし)』 - 栃谷隆 『(タイトルなし)』 - 内記稔夫 『(タイトルなし)』 - 野本三吉 『(タイトルなし)』 - 萩尾望都 『(タイトルなし)』 - 原田三郎 『安倍慎一』 - 松岡博治 『(タイトルなし)』 - 松田哲夫 『(タイトルなし)』 - 村上知彦 『「ガロ」創刊20周年、本当にバンザイ!』 - 森田芳光 『青林堂はえらい』 - やなせ・たかし 『(タイトルなし)』 - 吉弘幸介 『(タイトルなし)』 - 四方田犬彦 『(タイトルなし)』 - 渡辺一衛
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2022年8月13日 星期六 早上
[翁俊彬 老師]
雲端線上教學 世界防疫 線上 平安歡樂 日語教學
祝福各位同學身體健康,闔家喜樂。
早晚天氣溫度相差很多,請多注意多穿一件喔!!
今天是日語單字的伴讀與解說。
使用[大家的日本語初級1 冊的第1課到第12課的單字。
這個[英日語線上教學]系列課程是從今年8月開始,為了[鳳山老人活動中心]和 [四維長青學苑] ,[五甲長青學苑]以及[崗山仔老人活動中心]的 [寒假班] 和[春季班]的同學們做為[預習] 和[複習]而錄製的影片。希望各位親愛的同學們可以在居家防疫時,能夠繼續在家安心輕鬆學習。
同學們如果有疑問的話,歡迎在族群留言,分享心得,表達意見,提出建議,在能力範圍之中,我一定會努力達成,盡力回答的。
由於新冠肺炎疫情的關係,從2020年的二月開始留職停薪,已經3年了。為了配合辦公室的要求,以及學員們的期待,我答應會等待明年2023年3月春季班開課前的這段期間,希望各位守在家中學習,我會每天錄製教學影片提供各位同學們學習。敬請各位訂閱我在YOUTUBE的頻道,轉貼分享。
更希望各位能夠盡量來樂捐匯款以支援我在8月份能夠每天繼續拍攝影片,以贊助各個老人活動中心的各班教室的同學們可以持續的學習,以保身心安樂。
非常感謝各位的持續的支持與鼓勵,感激不盡。這些都是給我8月30日生日的最佳禮物。
郵局代號700 存簿帳號0041081(局號)0385461(帳號) 戶名 翁俊彬
在此祝福各位同學們防疫成功,身體健康,闔家平安喜樂。
也祈望全世界的疫情,及所有的天災人禍能��盡快消除,地球回復健全和平。
我會一直耐心等候希望能夠順利如期和各位同學們再次相聚。
所以也請各位一定要照顧好身體,還要保持心情輕鬆,愉快的學習的心情。
敬請社會大眾有愛心之人士,慷慨解囊,幫助大家一起渡過這次的難關。
翁 俊彬 鞠躬
2022年8月3日星期六
台灣高雄市三民區九如二路331號12樓之3
手機(遠傳)0938-269-966
電子郵件信箱 :[email protected]
賴帳號: juneauweng
賴社群: 翁俊彬
Youtube: 翁俊彬
皆(みな)の日本語(にほんご) 初級Ⅰ 単語 第1課~第12課
第1課
1. 私(わたし)
私は 翁俊彬 で、台湾人 です。
2. 貴方(あなた)
貴方(あなた) は 本当(ほんとう)に 65歳(さい) です か。
若(わか)い ですね。
3. あの人(ひと)
あの人(ひと) は 日本(にほん) から の 観光客(かんこうきゃく) ではありません。
高雄(たかお) の 地元(じもと) の 人(ひと) です よ。
4. 先生(せんせい)
あの人(ひと) も シニアカレッジ(しにあかれっじ) の 先生(せんせい) ではありません か。
5. 教師(きょうし)
私(わたし)の友達(ともだち) は 英語(えいご) の 教師(きょうし) です。
6. 学生(がくせい)
私達(わたしたち) は 皆(みな) 日本語(にほんご) の 学生(がくせい)です。
7. 会社員(かいしゃいん)
彼(かれ)ら は 会社員(かいしゃいん) で、毎月(まいつき) の 給料(きゅうりょう) は 3万台湾(まんたいわん)ドル(どる) です。
8. 社員(しゃいん)
貴方(あなた) は 銀行(ぎんこう) の 社員(しゃいん)ですか。
9. 銀行員(ぎんこういん)
はい、私(わたし) は 銀行員(ぎんこういん) です。
10. 医者(いしゃ)
彼(かれ) は 高雄医学大学病院(たかおいがくだいがくびょういん) の お医者(いしゃ)さん です。
11. 研究者(けんきゅうしゃ)
貴方(あなた) の 弟(おとうと)さん は 何(なに) の 研究者(けんきゅうしゃ) ですか。
12. 大学(だいがく)
私(わたし) の 弟(おとうと) は 医学大学(いがくだいがく) の 血液(けつえき)の 研究者(けんきゅうしゃ)です。
13. 病院(びょういん)
重(おも)い 病気(びょうき) は 大(おお)きい 病院(びょういん) で、
軽(かる)い 病気(びょうき)は 家(いえ) の 近(ちか)く の クリニック(くりにっく) で いい です。
14. 誰(だれ)
誰(だれ) が この 鞄(かばん)の 持(も)ち主(ぬし) ですか。
15. 何方(どなた)
この パスポ(ぱすぽ)ート(と) は 何方(どなた)の でしょう か。
16. 何歳(なんさい)
お孫(まご)さんは 今年(ことし) 何歳(なんさい) ですか。
17. 御幾(おいく)つ
御婆(おばあ)ちゃん は 来年(らいねん) 御幾(おいく)つ ですか。
18. アメリカ(あめりか)
私(わたし) は アメリカ(あめりか) が 大好(だいす)き です。
19. イギリス(いぎりす)
イギリス(いぎりす) は 台湾(たいわん) から ちょっと 遠(とお)い ですね。
20. インド(いんど)
インド(いんど) の カレ(かれ)ーライス(らいす) は とても 美味(おい)しい です。
21. インドネシア(いんどねしあ)
インドネシア(いんどねしあ) の バリ(ばり)島(とう) は 本当(ほんとう)に 美(うつく)しい ですよ。
22. 韓国(かんこく)
韓国(かんこく)は 最近(さいきん) 洪水(こうずい)で 大変(たいへん) です。
23. タイ(たい)
タイ(たい) の マッサ(まっさ)ージ(じ) は 気持(きも)ち が いい です。
24. 中国(ちゅうごく)
中国(ちゅうごく) の 海南島(かいなんとう) は 景色(けしき) が 綺麗(きれい) です。
25. ドイツ(どいつ)
ドイツ(どいつ) の 車(くるま) は 新(あたら)しくて 速(はや)い です から、買(か)いたい ですね。
26. 日本(にほん)
日本(にほん) は 美味(おい)しい 料理(りょうり) が 沢山(たくさん) あります から、
食(た)べ に 行(い)きたい ですね。
27. ブラジル(ぶらじる)
ブラジル(ぶらじる) は サッカ(さっか)ー が 強(つよ)い 国(こく) ですね。
28. 神戸病院(こうべびょういん)
神戸病院(こうべびょういん) は 大阪病院(おおさかびょういん) より 大(おお)きい です か。
29. 桜大学
桜大学(さくらだいがく) の 学生達(がくせいたち) は 皆(みな) 優秀(ゆうしゅう) です。
30. 富士大学
富士大学(ふじだいがく) の 校舎(こうしゃ) は 静岡大学(しずおかだいがく) の より 広(ひろ)い ですか。
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4月9日の誕生花・誕生石・誕生色・花言葉・宝石言葉・色言葉 4/9 #誕生花 #花言葉 は、 ミモザ(アカシア、ミモザアカシア)・優雅、友情、純潔な恋、秘密の愛、愛情 チロリアンランプ・よい便り、尊敬、憶測、恵まれた環境、真実はひとつ、様々な愛 スノーフレーク・純潔、清純、穢れなき心、汚れのない無垢な心、皆をひきつける魅力、純粋、純潔、慈愛、美を好む、乙女の誇り、記憶、美 サクラ(桜)・精神美、優美な女性、優れた美人、心の美しさ、純潔、優れた教育、美人、純白、高尚、私を忘れないで オキナグサ(翁草)・何も求めない、清純な心、華麗、奉仕 アルストロメリア・未来への憧れ、幸福な日々、持続、援助、エ���ゾチック、やわらかな気配り、穏やかな生活、機���、愛情、友情、献身的、華奢、幸い、人の気持ちを引き立てる オダマキ(苧環)・必ず手に入れる、勝利、素直、象徴 ツツジ(躑躅)・愛の喜び、情熱、初恋、自制心、節制、慎み、伝奇 フリチラリア・人を喜ばせる、才能、天上の愛、威厳、王の威厳 #誕生石 桜石・精神美、潔さ #守護石 ハックマナイト・変容、喜び 石テーマ=大きなビジョンを持つ #誕生色 梔色・スポーツ感覚,高い知見 パーソナリティ=与えられた状況に応じて行動できる人 羽を広げてはしゃぎ合う雀のように笑顔が飛び交う一日を! #宝石言葉 #石言葉 #色言葉 #今日の花 #誕生日おめでとう #ガーデニング #フラワーセラピー #花好きな人と繋がりたい #花好き #花の写真 #私の花の写真 #花の写真館 #花が好き #花のある生活 #花のある暮らし https://www.instagram.com/p/BwAynGFJvqp/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=l1w9cdo0lmdx
#誕生花#花言葉#誕生石#守護石#誕生色#宝石言葉#石言葉#色言葉#今日の花#誕生日おめでとう#ガーデニング#フラワーセラピー#花好きな人と繋がりたい#花好き#花の写真#私の花の写真#花の写真館#花が好き#花のある生活#花のある暮らし
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★君が代の歌詞の意味
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★君が代の歌詞の意味 GRAZIE サンからのメール 君が代の意味について。 凄い歌詞だなと思いました。 http://satoru99.exblog.jp/17835915/ https://shinto-cocoro.jp/column/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3/ https://matome.naver.jp/odai/2138441151064814801 ●国歌「君が代」の本当の意味を知っていますか?他国と比較して見てください。 http://genzou704.blog107.fc2.com/blog-entry-62.html ――世界の国歌――― ■オランダ 父なる神よ 奴らの邪悪なたくらみを許すな 私のこの無実の血で 奴らの手が染まることのないように ■アメリカ ■中国 ■ポルトガル ■フランス ■トルコ ■ルーマニア ■メキシコ ■デンマーク ■ロシア ■ドイツ ■イギリス どこの国歌も なんとも言えないものばかり。 一度読み比べると価値が解るのでは無いかな。 国歌と国旗は明治維新になり他の国との国交儀礼が始まった時に この国の中で昔から使い馴染ませてきたモノを正式にこの国の シンボルの様に取り上げたモノと解釈しても良いのでは無かろうか。 我々には一人一人名前があり性別もある。 この二つでその人を特定できる。(他にも沢山方法は有るだろうけど) 国歌と国旗はそう言うモノだと思えばすんなり取り入れることが 出来るのではないかな。 前にも書いたように他の国の国歌は凄いモノが沢山有る。 まだ読んでない人は読んで見て下さい。 意味としても色々と言われている。 冒頭のメールのページの意味はこの大宇宙を著わすモノで 日本人としては鼻が高くなる。 武田さんの書かれている意味も楽しい。 ●君が代の本当の意味 ひとりごと、ぶつぶつ https://satoru99.exblog.jp/17835915/ 国歌君が代は行事があれば歌われますが、本当の意味を知っている人はどれほどいるのでしょう。それは日本人のルーツを知らなければ分からないことです。般若心経なども文字だけではなく音でしか解釈できないことは知られていますが、君が代も音で本来の意味を伝えようとする意図が隠されています。これが分かると、何故闇の勢力偽ユダヤ(アシュケナジーユダヤ)が日本だけを執��に攻撃するのが分かります。私たちの血のなかには真正ユダヤ(スファラディーユダヤ、人類の始祖アブラハムの子孫)が受け継がれているからです。 日本語 ヘブライ語 ヘブライ語の意味 君が代は クムガヨワ 立ち上がる 千代に テヨニ シオンの民 八千代に ヤ・チヨニ 神・選民 細石の サッ・サリード 喜べ・人類を救う、 残りの民として 巌となりて イワ・オト・ナリァタ 神・予言・成就する 苔の生すまで コ(ル)カノ・ムーシュマッテ ・全ての場所・語られる ・鳴り響く したがって歌らしくすれば
立ち上がれ、神を讃えよ! 神の選民 シオンの民! 選民として 喜べ! 人類に救いが訪れ! 神の予言が成就する! 全地あまねく 宣べ伝えよ! 泉パウロ著、「本当かデマか3・11人工地震説の根拠」より ●【武田邦彦】君が代が歌えない世代【武田教授 youtube】2019/01/02 https://youtu.be/BoRpKlDoAxo ●【ニコ生特番一部開放!】全国民必見!竹田恒泰の『君が代』講座|竹田恒泰チャンネル2 2018/07/18 https://youtu.be/gsFPY_npYkY 竹田恒泰CH特番 竹田恒泰の『君が代』講座 ※この動画は、2017年3月2日に生放送した特番からの抜粋となります。 ※続編はニコ生で視聴いただけます。 【無料】竹田恒泰の『君が代』講座(その1) http://nicovideo.jp/watch/1489031926 竹田恒泰の『君が代』講座(その2) http://nicovideo.jp/watch/1489032278 竹田恒泰の『君が代』講座(その3) http://nicovideo.jp/watch/1489033066 竹田恒泰の『君が代』講座(その4) http://nicovideo.jp/watch/1489033123 でっかいことは良い事だ。 昔そんな文句が流行った事が有ったけど。 楽しいね 日本は。 ★君が代 - Wikipedia http://bit.ly/uIVzVA 君が代(きみがよ)とは、日本の国歌である。 明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになった。 1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。 元は平安時代に詠まれた和歌である。 ★国歌(こっか)http://bit.ly/wp1yOf その国を象徴する歌のこと。各国の法律によって規定されるもの、国民の共通意識によって認識されるもの、歴史的に国歌として扱われているものなどがあり、一様ではない。 国歌は不変の存在ではなく、政治���制によって、時代によって、改定が行われることもある。 なお「国歌」には和歌という意味もある。国歌大観を参照。 ★国歌大観(こっかたいかん)http://bit.ly/y0emic 日本の和歌の集大成であり、その検索のための索引である。 1901年から1903年にかけて刊行。松下大三郎・渡辺文雄編。2冊。 『国歌大観』刊行により、国文学者その他は、『万葉集』、二十一代集、物語その他の中に出てくる和歌がいずれの国書に出ているものかをたちどころに知ることが初めて出来るようになった。 国書ごとに掲載されているすべての和歌には番号が付けられている(国歌大観番号)。 国文学史は、この刊行により前後に区分できるといっても過言ではない。 『万葉集』収載歌は4536首とされるのが通説である。 ★和歌(わか)http://bit.ly/xqh5ac 古くから日本において行われた韻文で、5音と7音の日本語を以って構成するもののこと。古くは倭歌とも表記された。 漢詩に対する呼称で、やまとうた、あるいは単にうたとも言い、倭詩(わし)ともいった。 また倭語(わぎょ)とも称した。 ★韻文(いんぶん) 聴覚に一定の定まった形象を感覚させる一定の規則(韻律)に則って書き表された文。 散文の反意語。 多く詩において用いられる。 一定のリズムを持ち、暗誦されるのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に用いられてきた。 ★散文(さんぶん)http://bit.ly/x0IEb7 小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。 狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。 また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。 ★韻律 (韻文) http://bit.ly/yJQ1E8 詩などに用いられる文の形式である韻文は、言語、文化的背景および韻文の形式に応じた特定のリズムに基づいて作られる。 これは聴覚的に、ある定まった形象を感覚させる一定の規則ということができる。 このリズムあるいは規則を韻律(いんりつ)という。 韻律は言語の音韻的性格に基づいている。(リズム#言語におけるリズムを参照) 例えば日本語の伝統的韻律では、モーラ(拍)が最小単位となり、5拍・7拍を基本とする七五調・五七調などがよく使われる。フランス語でもこれに似て、韻文では時間的最小単位である音節が一定数繰り返される(5音節、6音節など)。 またアクセント・強勢や音節の長さ、あるいは声調が重視される言語も多い。 例えば古典ギリシャ語とラテン語では音節の長短、英語やドイツ語ではアクセント・強勢、中国語(漢詩)��は声調(平仄)に関して特定のパターンが用いられる。 イタリア語やスペイン語では、フランス語と同様の音節数に加え、アクセントのパターンが重視される。 (日本語ではこのタイプの韻律は、現代の歌詞などでわずかに例があるものの、一般的ではない。) ★詩 http://bit.ly/AcMf6G 詩(し、うた、英: poetry, poem; 仏: poésie, poème; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。 多くの地域で非常に古い起源を持つ。 多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。 一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。 詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。 ★君が代(きみがよ)日本大百科全書(小学館) 日本の国歌。 歌詞の原型は『古今和歌集』賀の部に「わがきみは」、『和漢朗詠集』には「きみがよは」の初句で、いずれもよみ人知らずで登載されている。 同じ歌詞が俗楽では隆達節(りゅうたつぶし)(江戸初期)、箏曲(そうきょく)、地歌(じうた)、長唄(江戸中期以後)にあり、祝賀用である。 古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、隆達節のような遊宴歌謡にまで伝えられたのも、この表現が国民感情に受け入れられやすかったからであろう。 ★君が代の歌詞の意味 http://bit.ly/yAvQeH ★国歌「君が代」について http://bit.ly/ytn7dn ★日の丸と君が代 http://bit.ly/snB5gu ★『君が代』、“国歌”は誤訳?特殊なメロディーの秘密 https://news.goo.ne.jp/article/bizjournal/business/bizjournal-bj-54626.html 2019/04/21 12:50Business Journal 先日、娘の中学校の入学式に出席したのですが、僕の学生時代と違うのは、「君が代」を斉唱することです。 在校生と一緒に歌っている際、僕は少し音符を考えていることに気づきました。 僕は音楽家なので、どうしても音符を思い浮かべてしまうのですが、つまりは考えずに歌えるくらいには、「君が代」を歌い込んでいないのです。 そう思いながら周りを見渡してみると、歌っている親が少ない。 それは、歌いたくないという���りも、我々は「君が代」を歌い慣れていない世代なのでしょう。 そうなりますと、君が代の現代語訳は、こうなります。 日本という国が、さざれ石が岩石となり、その上にこけが生えるほど永遠に、続いて欲しい。 ★日本人にとって「君が代」とは何か? ネットにあふれるトンデモ解釈 2016/323 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48225 劣化する論争に終止符を! 辻田 真佐憲 文筆家 近現代史研究者 劣化する「君が代」論争 国立大学の卒業式や入学式に関連して、再び「君が代」の扱いに注目が集まっている。これに呼応する形で、インターネット上でも「君が代」をめぐる議論が活発になりつつある。 だが、その議論の有り様は必ずしも健全なものではない。というのも、昨今ネット上で交わされる「君が代」に関する言説が、あまりにも乱暴だからだ。今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。 ★【朝日新聞】「君が代」の意味を正しく伝えよ[桜H23/3/3] - YouTube https://youtu.be/XNTsBdoV22Y 朝日新聞の投稿欄に「君が代」の由来に関する甚だしい誤解が掲載されていた。 視聴者からの御指摘に基づき、正しい由来と意味について御説明させて頂きます。 ★世界国歌コンクールで優勝「君が代」 2014/07/05 https://youtu.be/nSKUxKsLUNU 「君が代」は、1903年(明治36年)ドイツで開催された、「世界国歌コンクール」で優勝しました。 歌っている「野々村彩乃」さんは、2012年12月、第66回全日本学生音楽コンクール全国大会 声楽部門大学の部で優勝しました。 最高の組み合わせですね。
君が代の本当の意味。 国歌「君が代」は恋の歌だった。 お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。 【君が代の本当の意味とは?】 知っておきたい!! 知らなきゃならない国歌の意味!! 我が国、日本の国歌の本当の意味を皆様ご存知でしょうか? 世の中には席を立たないとか、歌わないとか、間違った解釈で誤解している人が沢山いるようですが、 本当の意味を理解すればその様な態度は取らないはずです。 日本人として我が国の国歌の本当の意味を理解しない訳にはいきません。この動画を観て本当の意味、またこの歌の素晴らしさを御官能下さい。 ----------------------------------------- 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで ----------------------------------------- 世の中で言われている天皇崇拝の歌であるという説に耳を奪われがちですが、深く探求するとそうではありませんでした。 君が代の本当の意味をお伝えします。 「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、じつに程度の低い話です。 そもそも「君が代」の成り立ちは、戦前からのわずか70~80年の歴史の歌ではありません。 いまから千年以上もの歴史のある歌です。 「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。 この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。 「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。 いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集で、万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めたものです。 序文はカナで書かれていて、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。 その中に「読み人知らず」として掲載されているということは、すでにこの時点で多くの人に愛された歌だったことを示しています。 後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。 つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。 それだけではありません。 「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。 つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。 ではなぜ「君が代」は、そんなに素晴らしい歌とされたのでしょうか。 理由のひとつに「君(きみ)」があります。 「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。 「君が代」の「きみ」です。 その「きみ」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。 実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。 日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。 イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。 その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。 「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。 つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。 二人は天つ御柱で出会い、 キ「我、成り成りて、成り余るところあり」 ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」 と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。 ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。 「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。 その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。 完全です。何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。 ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。 これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。 完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。 そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。すると「子」が生まれたのです。 このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。 神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。 ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えているからです。 つまり、親の脛かじりで、まだ勉強中の身上では、男女のまぐあいはするものではない。 もっとしっかり勉強し、体を鍛え、互いに完璧に成長してから、結婚しなさい、というわけです。 つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。 男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。 そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。 ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。 従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、 「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。 その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。 ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。 「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。 細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。 ですから君が代は、 「きみ」=完璧に成長した男女が、 「代」=時代を越えて 「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、 「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して 「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう そんな意味の歌である、ということになります。 戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。 人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです ●「君が代」について file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/29.kimigayo.pdf 先日、小学生の子供を持つある職員から、びっくりするような一言がありましたので、今 回はこの題材と致しました。 彼女の一言とは「この前、子供の卒業式に出席したらね、 今年は、君が代が歌われてたのよ。なんか、怖かった~~。」というものでした。「エッ~~~~~~」と私。 大変、びっくりです。でも、皆さんの世代を考えると、どうも、これが一般的な感覚なのではないかと思い至りました。 たぶん、今の若い人達は、テレビ、新聞、学校などで、「君が代」は、軍国主義と戦争の象徴のように条件反射的に教え込まれ、怖いイメージが刷り込まれているのではないかと思った訳です。 実は、そのイメージは大嘘です。そもそも「きみが世」は、1000 年以上前から、結婚式と かお祝いの席で歌われる定番だったのです。「たかさごや~~この裏舟に帆をあげて~~」と歌われる「高砂」と、「きみが世は~~、千代に八千代に~~」と歌う「きみが世」、共に非常に御目出度い歌なのです。 決して、怖いものではありません。 「君が代は、天皇の世という意味じゃないか。軍国主義の代表だ!」と福島瑞穂とか田島陽子あたりは、目を三角にして叫ぶのでしょうが、これが、全く違うのですよ。 ★迫力の「君が代」斉唱、W杯外国出身選手はどう練習? 2019.9.26 https://www.sankei.com/life/news/190926/lif1909260046-n1.html ラグビー・ワールドカップ(W杯)で日本代表と、強豪・アイルランドとの一戦が28日に行われる。国の威信を懸けた代表戦の試合前に必ず行われる国歌斉唱。日本代表選手の半数を占める外国出身者も、“第二の故郷”の国歌「君が代」を完璧に歌いきる。なぜ彼らは母国ではない日本の国歌を覚え、全力で歌うのか。その理由は「国を背負う」重みにあった。(桑村朋) 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の-」 20日、東京・味の素スタジアムで行われたW杯開幕戦。日本代表のメンバーはいつもよりも緊張した面持ちだったが、力強く日本国歌を歌いきり、会場を奮い立たせた。 「小さな石が一つの大きな岩になるのは、まさにわれわれがやろうとしていること。(メンバー)一丸でゴールに向かいたい」 W杯を前に、こう語った日本代表のピーター・ラブスカフニ。母国は南アフリカだが、君が代の歌詞「さざれ石の巌となりて」の意味をひもといた上で、日本代表として団結することの大切さを説いた。 ★君が代の歌詞の意味とは?いつから歌われているの?実は恋の歌だった? https://jpnculture.net/kimigayo-kokka/ 2019/05/01 国歌として正式に制定されたのは平成11年(1999年)ですが、明治13年(1880年)に雅楽奏者の林廣守(はやし ひろもり)が曲に起こし、ドイツ人音楽家フランツ・エッケルトが西洋風和声をつけることで国歌として用いられるようになりました。 ★- 国歌・君が代の源流を探る - 鹿児島県薩摩郡さつま町にある著者の自宅から車で20分足らず走った隣町の薩摩川内市入来町に大宮神社という神社があります。その神社の鳥居の近くに次の様に書かれた看板が立っています。 「君が代」発祥の地 ここ、大宮神社に昔から奉納されている神舞の中で「君が代」を 歌います。これが明治三年に歌い始められた国歌「君が代」の基 になったのです。入来町郷土史研究会 一方、神奈川県横浜市中区に妙香寺という日蓮宗の寺��があります。この寺は国歌・『君が代』発祥の地として知られており、境内にその石碑が建てられています。薩摩藩は、1869年(明治2年)に日本で初めての近代的な軍楽隊である薩摩藩軍楽隊(通称、薩摩バンド)を設立しました。 ★君が代は、昔4番まであったという。2番から4番までの歌詞の意味が知りたい。 http://bit.ly/2wtx6lN https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000269130 次の資料を紹介。 ・『新編日本古典文学全集 43』 小学館 1995.5. P217「君が代は 千代ともささじ ~ かぎりなければ」・・・3番目の歌 P215「君が代は 久しかるべし ~ 流たえせで」・・・4番目の歌 ・『頼政集新注 上 [新注和歌文学叢書] (10)』頼政集輪読会/著 青簡舎 2011.11 P498~P500 「君が代は ちいろのそこ ~ あらはるるまで」・・・2番目の歌 雪風 : 君が代の意味 君が代の“君”に関しては、諸説ありまして・・・ 1)「わたしの恋しいあなたは……」と恋人の長生を祈る歌 2)「こちらのだんなさまは……」と家の主の長寿を祝う歌 3)「わが大君は……」と天子の千秋万歳を祈る歌 の三つに大別することができます。 ★節目の唄 君が代 蛍の光 仰げば尊し 記念日 開会式 閉会式 入学式 卒業式 節目の記憶 「君が代」・君が代/諸話・「蛍の光」・蛍の光/諸話・「仰げば尊し」・仰げば尊し/諸話 ★君が代の2番・3番の歌詞とその意味についてご紹介! https://celestia358.luxe/903 2019/06/29 現在法律で制定されているのは1番の歌詞のみですが、君が代が普及しはじめた明治期には2番以降の歌詞も歌われましました。 君が代の2番以降の歌詞とその意味、君が代が作られた背景についてご紹介します。 コンテンツ 1世界一短い国家・「君が代」に2番3番がある? 2君が代・2番3番の作者と歌詞 2.1君が代・2番の作者と歌詞 2.2君が代・3番の作者と歌詞 32番3番で終わらない!君が代には4番もあった 4君が代は英国王子の来日で急ぎで用意された 4.1君が代の歌詞は「古今和歌集」と「和漢朗詠集」から 4.2当時の君が代は「メロディー」も「歌詞」も現在と違った 5日本の国歌「君が代」の背景を知ると面白い ★君が代 (フルコーラス版)|小林伸光|note https://note.com/nobkoba/n/nf7a47d009e59 2015/05/24 今では忘れられた二番以降の歌詞を書き留めておく 一番 「君���代は千代に八千代に さざれ石のいわおとなりて 苔のむすまで」 二番 「君が代は千尋の底の さざれ石の鵜のゐる磯と あらはるゝまで 」 三番 「君が代は千重に千早に さざれ石の鋼となりて 星の果てまで」 四番 「君が代は千草と萌え栄え さざれ石に交わりなじみ 時の果てまで」 五番 「君が代は千夜に千切るも さざれ石の響きとなりて 明日の朝まで」 以下、それぞれの歌詞の意味である。 ★ 君が代の意味知ってますか?? https://plaza.rakuten.co.jp/wadai00/diary/201404260003/ 第76回竹田恒泰チャンネルにて君が代の解説が簡単にあったので皆さんに知ってもらいたく情報を共有します。 君が代=国家ですが皆さんは大人になって歌うことってないですが学生のころ歌ってましたか?? 自分は歌ってませんでした(笑) なぜなら君が代=国歌=戦争の歌 みたいに教育されていたからです。 今となっては恥ずかしい限りですが、多くの日本人はこんな考えじゃないですかね? まあ日本に対して誇りや愛国心がないとそんな気持ちにはなりませんよ。 だから日本の良さ、すばらしさを再認識しないといけないと思います。 まあそれはさておき 今回の教育基本法改定で音楽教科書に君が代が特別紙で記載されたそうです。 そこには『君が代は日本の国家です、日本が平和で栄えるようにとの願いが込められています。』 しかし、竹田氏はこう述べます。 主語は日本ではない、いつまでも平和で栄えるようには正しいが主語は 日本ではなく。天皇陛下が生きていらっしゃるこの御世がということらしいです。 ★あなたの知らない「君が代」。 2番、3番の歌詞とは? https://www.excite.co.jp/news/article/Toushin_9422/ 2019年2月2日 06:00 0 あなたの知らない「君が代」。 2番、3番の歌詞とは? ■まぼろしの「君が代」 いよいよ来年に迫ったオリンピック。最近は各種のスポーツで日本人選手の活躍が伝えられ、オリンピックの楽しみが増しています。表彰式で「君が代」を聴く回数が増えるといいですね。 ひと足早く、君が代を調べていたら、こんな歌詞が見つかりました。昭和60(1985)年、当時の松永光文部大臣が報告したまぼろしの君が代です。 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまま 君が代は 千ひろの底の さざれ石の うの居る磯と 現はるるまで君が代は 千代ともささじ 天の戸や いづる月日の 限りなければ 作者は、2番が源頼政、3番は藤原俊成で、ともに平安末期の武将・公家です。 1番は、平安時代の古今和歌集に「読み人知らず」として掲載されていることは有名です。しかし現在、作者の子孫だと称する人が登場しています。 というのは古今和歌集に掲載が決まったものの、作者は木地師。 身分が低いため「読み知らず」として掲載され、その褒美として後に、藤原朝臣石位左衛門という名が与えられました。 もちろん「さざれ石」に由来した名だそうです。 異説もありますが、いずれにしても年月を越えて子孫がご健在というロマンティックさがいいですね。 ★4番まであった君が代 | あめつちはじめてひらけしとき https://ameblo.jp/amethuchihajimete/entry-12087652759.html 2015/10/23 文部省唱歌では「君が代」は2番まであり、以前動画をここでもアップしましたが、実はそれとは別に「君が代」は4番まであった時もありました。 1. 君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔のむすまで 2. 君が代は 千尋の底の 細石の 鵜のゐる磯と あらはるるまで 3. 君が代は 千代ともささじ 天の戸や いづる月日の かぎりなければ 4. 君が代は 久しかるべし わたらひや いすゞの川の 流たえせで 2番は源頼政、3番は藤原俊成、4番は大江匡房の和歌です。 「君が代」という言葉が歌われている和歌は沢山あるので、作ろうと思えば続きはいくつでもつくれるかもしれません。事実、この4番まである君が代は、君が代が普及され始めた明治期の唱歌科の教科書に勝手に追加され、2番3番や4番として載っていたものなんだそうです。 現在の1番のみの君が代が普及するようになるのは、明治26年(1893)8月に「祝日大祭日歌詞竝楽譜」が交付され、祝祭日に徐々に全国の小学校で歌われるようになってからだったのです。 ・君が代 祝日大祭日唱歌 https://youtu.be/GtDc8NGKYvs ・雅楽 「君が代」 https://youtu.be/b1bpw8pK160 2014/03/31 ★「天皇論」(小林よしのり著)を読んで http://bit.ly/zV85Fy ★君が代の由来 http://bit.ly/yLpaNz 突っ込みどころ満載で、何から書こうかと迷うぐらいの「天皇論」。 最初だから序章からいきますか。 序章では君が代の意味について書いてある。 (P8) 大きな大きなわしの過誤があった。君が代の「君」を「天皇」限定だと思い込んでいたことだ。(中略)実は「君が代」は、古代から人々に愛誦され、江戸時代には相当広範な一般庶民が、自分の敬愛する人の長寿を祈る歌だったのであり、「君」は特に天皇に限定される意味ではなかった。わしはこの事実を全然知らなかった。 (P9) わしが小学生の頃、すでに教師は日教組の活動をしていたようだ。ある日、担任の教師から「君が代」の意味を教わった。「君が代」というのは天皇の代のことたい。天皇の代が何千年も続きますようにという意味なんやぞ。 (P18) 「君が代」の歌詞の意味を高森明勅氏の著書、『天皇から読みとく日本』から説明しておこう。 「君が代」の原歌は古代にまでさかのぼるが、初見は延喜5(905)年、醍醐天皇の勅命で撰進された『古今和歌集』である。これは『古今和歌集』の「賀歌」に「よみ人しらず」で出てくる。賀歌とは長寿を祈る歌だ。 私の敬愛する人よ、千年も八千年も、小さな石が巨岩となって、さらにその表面を苔が覆うようになるまでの永い歳月を、どうか息災でいてください …という意味で、「わが君」は「天皇」という意味ではない。自分にとっての敬愛すべき相手だ。 (P19) この賀歌を国歌にしたのは、もちろん明治になってからである。
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ナンバカ ここは日本の領海のどこかにある、難攻不落の巨大刑務所『南波刑務所』。その夜、最強の看守達と世界最高水準のセキュリティに守られたこの刑務所から、無謀にも脱獄を試みる4人の囚人達がいた。謎の枷を持つジューゴ。自称イケメンのウノ。病がちなオタクっ子ニコ。グルメな不良のロック。13舎13房の個性あふれる囚人達は、警備の網をかいくぐり、無事刑務所の外へたどり着くことができるのだろうか? 放送時間 毎日放送2016年10月4日(火)27:00~ TOKYO MX2016年10月5日(水)23:30~ BS112016年10月6日(木)27:00~ キャスト ジューゴ 上村祐翔 ウノ 柿原徹也 ニコ 小林大紀 ロック 汐崎アイン 九十九 豊永利行 双六一 関智一 双六仁 筆村栄心 五代大和 武内駿輔 七夕星太郎 奥山敬人 リャン 藤原祐規 ウパ 小林ゆう チィー 大河元気 悟空猿門 保志総一郎 八戒猪里 板倉光隆 ハニー 光冨崇雄 トロワ 安達勇人 三葉キジ Kimeru ムサシ 細谷佳正 四桜犬士郎 山本匠馬 一声三鶴 津田健次郎 百式百子 明坂聡美 御十義翁 家中宏 御十義飾 尾子平志津香 神八 大地葉 エルフ 岸尾だいすけ 八鳥半蔵 高橋広樹
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Someone emailed and reminded me that it exists, so I went ahead and bought it since it has quite a few Garo stories I haven’t scanned yet. 1200 pages.
タイトル : 木造モルタルの王国 : ガロ二〇年史 出版社 : 青林堂 初版発行日 : (昭和59年)1984年12月1日 ISBN : 4792601320 定価 : 3500円 サイズ(函) : 縦23㎝ 横18㎝ サイズ(本) : 縦22㎝ 横16㎝ ページ数 : 1200ページ 備考 : 各作品の欄外に作者の経歴・コメント記載 収録作品 『ざしきわらし』 - 白土三平 『ねこ忍』 - 水木しげる 『海原の剣(武蔵の巻)』 - 諏訪栄(小島剛夕) 『顔の曲がった男の物語』 - 星川てっぷ 『真昼』 - 渡二十四 『愛 : 新釈武士道物語』 - 加治一生 『チーコ』 - つげ義春 『若草漫歩』 - 藤沢光男 『宇宙の出来事』 - 田代為寛 『夏』 - 池上遼一 『かかしにきいたかえるの話 : シリーズ・黄色い涙』 - 永島慎二 『六の宮姫子の悲劇』 - つりた・くにこ 『巨大な魚』 - 林静一 『どろ人形』 - 日野日出志 『海ほおずき』 - 仲圭子 『花あらしの頃 : 寺島町奇譚』 - 滝田ゆう 『長持唄考』 - 矢口高雄 『雨季(2)』 - つげ忠男 『わかれみち』 - 辰巳ヨシヒロ 『たこになった少年』 - 淀川さんぽ 『かんたろ月』 - 勝又進 『うらぶれ夜風』 - 川崎ゆきお 『雨の色』 - 鈴木翁二 『マツコおじちゃんの嘆き』 - 秋竜山 『ぼくのデブインコちゃん』 - 佐々木マキ 『無頼の面影』 - 安部慎一 『幻の少女・和小路伯爵邸のトラブル』 - 谷弘兒 『肉屋敷』 - 花輪和一 『北への旅人』 - 吉田昌一 『彩雪に舞う・・・・・・』 - 楠勝平 『おざ式』 - 赤瀬川源平 『「ガロ」第一期 : ガロの時代をひらく』 - 上野昂志 『再会』 - 増村博 『紫の伝説(イメージSTATION)』 - 古川益三 『絶対休日』 - 秋山しげのぶ 『荒れた海辺』 - 安西水丸 『クシー君の発明』 - 鴨沢祐仁 『毆者(ボクサー)』 - 吉田光彦 『昇り凧』 - 村野守美 『ペンギンごはん』 - 湯村輝彦.糸井重里 『愛の嵐』 - 蛭子能収 『ぼくの弟』 - 糸井重里 『?』 - 南伸坊 『それからの岩本武蔵・怪談』 - 岩本久則 『ハリー氏のこと』 - 松尾ひろし 『愛妻記』 - ひさうち・みさお 『ギョーザ定食の昼』 - 平口広美 『お父さんのネジ』 - 渡辺和博 『長靴をはいた猫』 - 清水聰 『ものろおぐ』 - 近藤ようこ 『モダン・ラヴァーズ』 - 奥平衣良(奥平イラ) 『性悪猫』 - やまだ紫 『青春の汗は苦いぜ』 - 小林のりかず(小林のり一) 『夜行』 - 高山和雄 『ぷいさん村放送局』 - 八鍬真佐子 『五人だまし・道糞武士道 : 幻想の明治』 - 高信太郎 『怠屈な日』 - 泉昌之(和泉晴紀[作画].久住昌之[原作]) 『K』 - 大澤正明 『海のお話』 - 滸太郎 『二つ枕(初音)』 - 杉浦日向子 『PHANTASMAGORIA』 - たむら・しげる 『野辺は無く』 - 三橋乙椰(シバ) 『少年』 - 森下裕美 『糸口』 - 松本充代 『ママと呼ばれて三ヶ月』 - 根本敬.高木順 『ローカル線の午後』 - 菅野修 『ホトホトなんぎなパパとママ』 - みうら・じゅん 『扁桃腺の夏』 - 峰岸達 『戻ってきた日』 - 肥後十三子 『スラップスキップ』 - いしい・ひさいち 『はぴー・ばーす・でい』 - 芳賀由香 『どうなってんの : イソップ式漫画講座』 - 水木しげる 『浪漫写真 : 私のアリス達』 - 荒木経惟 『図象の学習塾 : 肖像 イメージ選挙』 - 木村恒久 『目安箱 : 「書けないということについて』 - 上野昂志 『嵐山の人生相談』 - 嵐山光三郎 『重坊のスーパーマーケット : 悪評嘖々』 - 糸井重里 『劇画風雲録 : 嗚呼、貸本の灯は輝やいて』 - 桜井昌一 『連載随筆 : 夏と暴力』 - 鈴木清順 『白土三平論 : 英雄論』 - 石子順造 『清文入道のウンチク寄席』 - 上杉清文 『読者サロン』 『「ガロ」第二期 : 多様化・拡散の時代』 - 呉智英 『木造モルタルの王國の貴賓室』 「木造モルタルの王国」によせて(※寄稿文.小冊子) 『「ガロ」有罪説』 - あがた森魚 『ガロはきっと大丈夫』 - 秋野等.井上章子 『二十年のランナーへ』 - 有川優 『(タイトルなし)』 - 岩家緑郎 『ガロには貧乏がよく似合う』 - いしかわじゅん 『(タイトルなし)』 - 糸川燿史 『「ガロ」は忘れない』 - 小野耕世 『とにもかくにも、エライ!!』 - 川崎徹 『すてきな可能性を持ったマンガの世界』 - 金子勝昭 『長井さんと苦労のこと』 - 川本コオ 『(タイトルなし)』 - 桑原甲子雄 『(タイトルなし)』 - 小島剛夕 『「ガロ」われらの聖森』 - 佐々木守 『大プロデューサー・プランナー 長井勝一さんへの手紙』 - 佐々木昭一郎 『(タイトルなし)』 - 末井昭 『(タイトルなし)』 - 杉本博道 『(タイトルなし)』 - 谷川晃一 『高校時代、文学、エロチシズム、思想の香りを味わっていた』 - 高取英 『(タイトルなし)』 - 高橋章子 『祝・開店20周年』 - 長新太 『(タイトルなし)』 - 竹宮恵子 『 『ガロ』に 』 - 鶴見俊輔 『きみよ』 - 堤任 『(タイトルなし)』 - 栃谷隆 『(タイトルなし)』 - 内記稔夫 『(タイトルなし)』 - 野本三吉 『(タイトルなし)』 - 萩尾望都 『(タイトルなし)』 - 原田三郎 『安倍慎一』 - 松岡博治 『(タイトルなし)』 - 松田哲夫 『(タイトルなし)』 - 村上知彦 『「ガロ」創刊20周年、本当にバンザイ!』 - 森田芳光 『青林堂はえらい』 - やなせ・たかし 『(タイトルなし)』 - 吉弘幸介 『(タイトルなし)』 - 四方田犬彦 『(タイトルなし)』 - 渡辺一衛
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●伝奇ゲームファンのための日本伝奇入門
2004��、伝奇活劇ビジュアルノベルを名乗るゲーム「Fate/stay night」が大人気を博したことは皆さんご記憶でしょう。 ファンディスクである「Fate/hollow ataraxia」が今年中には出そうだというニュースを眺めてるうち、ふと日本における伝奇物語を眺めてみようと思いつきました。
近年、伝奇と呼ばれるジャンルに属する作品が数多く見受けられるようになってきました。「伝奇●●ゲーム」「伝奇●●ノベル」といった表記も珍しくありません。 そもそも「伝奇」とは何か。 一体いかなる作品を指す言葉なのか。 実際のところ、これを語るだけでそれこそ本を書ける奧行きがあります。そこに手間隙をかけていては本末転倒。そもそも私には不可能事です。
この文章は「伝奇ゲームファンのための伝奇小史」ですので、厳密な定義ではなく「伝奇とはこんな作品だよ」位で話を進めていこうと思います。よって、ここでは「伝奇」を
・超常的な力を持つキャラクターが登場する(超能力、魔術、人ならぬ力など) ・非日常的な道具をガジェットとして使用する(日本古来の伝承、過剰に演出された舞台装置など) ・何らかの目的のために戦いが行われる(主にアクションだが、心理的な闘争も含む)
といった要素を含む創作物語といたします。 要するに、念頭に置いているのは伝奇アクションや伝奇ミステリ、あるいはその種の雰囲気をもった作品群ですな。 伝奇を「神話や伝承、民話などをモチーフにした作品」とする説もありますが、これですといわゆる新伝綺を含有することが出来ません。なので上の要素からは除外しました 曖昧な定義ですがお許しください。ニュアンスが解ってもらえれば十分ですので。
では、本邦における伝奇の歴史をさらりと眺めてみます。 前半においては文芸作品を中心に、後半においてはゲームも混ぜて幾つかのメディアを取り扱うことになるかと。
なお、私は只の伝奇ファンですので、以下の文章には間違いや不適切な点があるかもしれません。その際はご指摘くださると幸いです。 それと「何であの作品が入っていないんだゴルァ!」という方。扱う作品は独断と偏見で選んでいるので謝っておきます。御免なさい。 また、文中は全て敬称略です。
■中世/竹取の翁といふものありけり
ここはさらっと流していきます。
小説が元をたどれば神話・伝説に行き着くのは万国共通であると思われます。 我が国では神話を集成したのは、「古事記」「日本書紀」でありました。ここから「日本霊異記」を祖とする説話が誕生し、やがて説話は、作り物語を生み出します。 この<作り物語>こそが、現在に至る多種多様な物語の根源であると申せましょう。伝奇物語の萌芽がそこに求められるのも当然であります。
一般に、我が国初の<作り物語>は、「竹取物語」であると言われています。 10世紀初頭に成立したこの物語は、異常出生、貴種流離譚、難題求婚譚といった口承伝承の要素を複合的に組み合わせ、さらに月世界との繋がりを付与した点に特色がありましょう。 当時の文化や世相を考えると、これほどの物語が成立したのは一つの奇跡であるように思われます。 一読すれば解るように伝奇的な要素(異世界の姫君や月から降臨する迎えの人々、かぐや姫が難題として出した伝説上の宝物など)も多いです。
王朝時代は竹取物語の他にも幾つかの伝奇的物語が散見されますが、説話集としての性格が強いものが大半であり、断片的な印象が免れえません。
中世に入ると、「太平記」「平家物語」などといった軍記ものが流行します。これらの軍記ものは、名だたる武将たちの超人的な活躍や滅ぼされた氏族の亡霊の出現、魑魅魍魎の跋扈など、単純にして明快な形で伝奇的要素を用いておりました。
なお、現代作家が王朝や中世をモデルとして書いた伝奇物語も多いです。山田風太郎や花田清輝などが得意とした手法ですな。
■江戸伝奇/南総里見八犬伝
江戸時代の物語はまさに百花繚乱、我々が想像する「伝奇」は、この時代に全て出揃っていると言っても過言ではありません。 何といってもその長さは実に300年強。この長大な期間の伝奇を一望するなど、言うまでもなく不可能なことです。それこそ、専門の研究者による長大な著作が必要とされましょう。 あくまで「伝奇ゲームファンのための伝奇入門」ですので、ここも軽く見るだけにいたしましょう。
江戸文芸が形をとり始めたのは元禄の頃。 それまで説話の聞き書きの域を出ないものでしたが、小説作品としての体裁を有するようになります。 改革をもたらしたのが、井原西鶴と、浄瑠璃の近松門左衛門でした。 ただ、西鶴が創始したのはあくまで町人文学であり、伝奇的な所は殆どありません。浮世草子と呼ばれるジャンルであり、「好色一代男」や「日本永代蔵」といった作品は皆さんご存知でしょう。 一方で近松門左衛門は、一般に有名な世話物(「曽根崎心中」や「女殺油地獄」など)の他、伝奇味濃厚な、奇抜なイメージを持つ作品を表わしています。「用明天王職人鑑」に、目玉を飛ばす妖術師や蛇に変ずる女などがいるのが一例でしょう。
江戸の中期になると、庶民を対象とした絵入りの物語が刊行されるようになりました。これらの物語を一般に、草双紙と呼びます。 草双紙には子供のための教育的な「赤本」、浄瑠璃や英雄譚、化け物話などを扱う「黒本」「青本」、それに「黄表紙」がありました。 延享年間の前後に出現した赤本、黒本、青本は子供騙しのようなものであり、語るほどのこともありません。草双紙が十分鑑賞に耐えるものとなるには、安永年間の「黄表紙」の登場を待たねばなりませんでした。
黄表紙は滑稽味があり機知のきいた文章と浮世絵風の挿絵を組み合わせたものです。現代のコミック、あるいはイラストが多様されが娯楽小説と思えばほぼ間違いないです。 ただし、伝奇味を感じる作品は散見されるものの、主流はあくまで世俗を描いたものでした。
伝奇色の濃い作品が多く誕生するのは、江戸も末期、19世紀になってからです。この時代、草双紙数冊を一冊に綴じ、教訓的内容と伝奇色を濃くした「合巻」と呼ばれる物語が出現しました。同時に、「読本」と呼ばれた媒体も、長編を扱うように変化していきます。つまりは、物語の長編化が起こったのです。
この時代���立役者が山東京伝です。 元来黄表紙で活躍していましたが、やがて、長編化していた読本に挿絵の面白さ、合本による物語の快楽を付与し、江戸読者の興味をひきつけた人物です。 ドグラ・マグラの元になったことでも知られる「桜姫全伝曙草紙」、「復讐奇談安積沼」、「昔話稲妻表紙」、(前者二つについては現代語訳あり)など、優れた伝奇物語を多数ものしています。 山東京伝の特質の一つに、正確な考証に基づいた執筆姿勢があります。これは実のところ、それまでの文芸が全く欠いていたものでありまして、その意味でも伝奇物語の改革者といえましょう。
江戸三百年を通じた伝奇物語の代表といえるのは、山東京伝最大のライバル、曲亭馬琴による「南総里見八犬伝」であると思われます。 伏姫が魔犬八房の氣に感応することによって生まれた宿命の八犬士。仁義礼智忠信考悌の仁義八行を司る八犬士たちが数奇な運命を経て一同に介し、やがて主家にあたる里見家を盛りたて巨悪と対峙し、その末路までを描くこの作品。 20年以上を執筆に費やしながら、破綻や矛盾を見せない計算され尽くした構成、今に至るまで多様な解釈を可能とする程巧妙に仕組まれた伏線、心ときめく友情愛情劇に、血沸き肉踊る大活劇。 ここには、ありとあらゆる伝奇的要素が詰まっています。 ゲーム・コミック・小説などで、八犬伝をモチーフにした作品が後を絶たないことからも、その影響力がわかります。 江戸文芸の最高峰と言えましょう。
一時は隆盛を極めた草双紙ですが、天保の改革後は作者に恵まれず、猟奇味や刺激を追及しただけのものと成り果てます。やがて、明治初期に新聞小説が出現することによって、その命脈は絶たれました。
いずれにせよ、江戸伝奇物語は、馬琴、山東京伝という二人の天才をもって完成した感があります。 彼らの作品は今もって再三味読に耐える由、古文にめげずに是非ご一読を。
また、現在使われがちなガジェット——陰陽術、人ならぬ美女、人と人外の交流、剣戟などなど——は、既にしてこの時代に出揃っていることにも注意する必要があります。このことを考えれば、伝奇作品における剽窃の議論など、ほぼ無意味ですな。
なお、中世から江戸にかけての文芸史を一望するには、須永朝彦「日本幻想文学史」が便利です。
■1890〜1910年代/��野からの呼び声
江戸時代が少し長くなりすぎました。ここから明治時代に入りましょう。 さて、明治期に入ると、江戸後期の荒唐無稽な物語は一旦なりを潜めます。これには文明開化の影響が大であると思われます。過去を捨て、ただひたすら前に走ったこの時代には、江戸時代の遺産など古臭いだけのものだったのでしょうか。
ただ、明治時代の初期には杉山蓋世「午睡の夢」のような荒唐無稽な伝奇的作品もありました。ナポレオンが諸葛孔明、豊臣秀吉と三つ巴の戦争を行うというトンデモ作品。消化不良ゆえに時代に埋没して行きましたが、このようなバイタリティ溢れる作品があったことを忘れてはなりますまい。
それはさておき、いわゆる私小説の隆盛にはまだ少し間があるものの、純粋にエンターテイメントと呼べる作品もまた少ない時期です。 伝奇という観点からは、幸田露伴、北村透谷といった面々が、古典的教養をもって幻想味の強い作品を発表していたのが目に付く程度でしょうか。
そんな中一人気を吐いていたのが黒岩涙香です。 西洋の作品の翻案を得意とし、「涙香調」と呼ばれた独自の文体は一世を風靡しました。レ・ミゼラブルの翻案「ああ無情」は有名ですね。 「死美人」「幽霊塔」といった、ゴシック・ロマンスを思わせる重厚にして耽美的な世界は多くの読者を魅了しました。 さすがに古臭さはあるものの、今でも十分読め、かつ楽しめるあたりはさすがでしょう。 まとまった形での出版物に恵まれませんでしたが、本年度4月に「明治探偵冒険小説集 (1) 黒岩涙香集」が発売され、作品に触れることが容易になっています。
明治も後半——1900年代に入ると、夏目漱石、森鴎外を筆頭とした「文豪」たちが続々と歴史の表舞台に現れてきます。 これらの文豪にも幻想的、かつ伝奇的な作品はありますが、矢張り泉鏡花の活躍が特筆されましょう。 一般にも名高い「高野聖」に始まり、水をテーマとした幻想譚「沼夫人」、鏡花の最高傑作とも言われる「草迷宮」、連作「春晝」「春晝後刻」といった幻想物語は、江戸の戯作を思わせる怪異と品格のある表現に満ちており、濃厚な伝奇味を醸し出しています。 水滸伝を元とした長編「風流線」に至っては、世間から降りた哲学青年とその恋人である令嬢が、無縁の民と共に、大偽善者たる富豪に立ち向かうという一大伝奇ロマン。典型的なピカレスク・ロマンであり、ヒロインである龍子が禽獣の女王と化すなど、超自然的要素も満載です。構成には破綻がありますが、鏡花にしては文体も読みやすく、純粋なエンターテイメントとしても楽しめます。 なお、鏡花の作品は、ちくま文庫「泉鏡花集成」で容易に入手できます。
埋もれていた日本の伝承を流麗たる美文で復活させたラフカディオ・ハーンこと小泉八雲(代表作に「怪談・奇談」など)を経て、1910年には柳田国男によって「遠野物語」が編まれます。 遠野物語そのものは伝奇作品とは言えません。文学的な装飾が施され、批判も多々あるものの、基本的には岩手県遠野に伝わる民話の集成です。 しかし、後生への影響力は甚大なものがありました。 遠野物語が描き出した土俗的怪異は文明開化の日本がすっかり忘れ去っていたものであります。それを発掘したのが明治の高級官僚たる柳田。各方面の衝撃度はかなりのものだったでしょう。
日本の土俗的文化が伝奇物語のツールとして大々的に使われ始めたのは、この時期からではないかと思います。 その典型例が1912年、中里介山の「大菩薩峠」でしょう。アンチ・ヒーロー机龍之介を主役としたこの一大伝奇時代小説により、近代大衆娯楽小説の世界が確立されるのです。
余談ですが、山田風太郎は「明治シリーズ」において、この時代を扱った伝奇と歴史とミステリの融合した類の無い作品群を作り上げています。
■1920年代/純文学と伝奇
まずは前回の補遺。
1913年、三島由紀夫が影響を受けたと言われる郡虎彦は、「鉄輪」(「陰陽師伝奇大全」に収録)で安倍晴明と丑の刻詣りを行う怨み骨髄に徹した女を描きました。露骨な伝奇的アクション描写はないものの、稀代の陰陽師と恐ろしい女の怨みと、伝奇の定型を扱っています。 純文学方面からも伝奇的アプローチがあった証拠でありましょう。
さて、1910年代に確立された大衆娯楽小説が山ほど出てくるのがこの時代です。 今では名も残らぬ読み捨て作品が粗製乱造されましたが、市井の人々に、伝奇的な物語は面白いものだ、娯楽的なものだという意識を、改めて植えつけた時代であったと思われます。下地を作ったとでも申しましょうか。
伝奇作品を書いていたのは名も無き小説家達だけではありません。 一般には「文豪」であり、純文学作家と思われている芥川龍之介も、1920年前後には神経症的な伝奇作品を執筆しています。特に「邪宗門」(1922年)は、王朝を舞台に、聖母マリア信仰を広めようとする西洋の妖術師と藤原道長の息子である陰陽師の魔術的対決を描く伝奇ロマン。未完ながら、昭和に誕生した伝奇アクションの遥かな先達と言えましょう。 芥川の伝奇的作品には「妖婆」「アグニの神」などがあり、その大半は、「芥川龍之介妖術伝奇集」に収録されています。
他にも、佐藤春夫「病める薔薇」「月光異聞」、谷崎潤一郎の「魔術師」、室生犀星の「幻影の都市」……文壇の旗手たちが、揃いも揃って伝奇的な、怪異的な小説を発表しています。 当時随一の盛り場であった浅草をテーマにした作品も多く、それらは探偵小説やモダニズム文学といった、都市幻想への先駆となりました。
かように1920年代は、純文学作家が伝奇味濃厚な作品に手を染めた時代でありました。これも時代の空気でありましょうか。
勿論、大衆娯楽方面の書き手も負けてはいません。1925年、国枝史郎は「神州纐纈城」を発表。破天荒とすらいえるイメージの奔流により、伝奇的作品の頂点に躍り出ました。近年にも、石川賢の手によって漫画化されています。
この他、稲垣足穂「一千一秒物語」、江戸川乱歩「パノラマ島奇譚」「孤島の鬼」、白井喬二「東遊記」……枚挙に暇がありません。純文学、エンターテイメントといった区別が意味を成さないほどに、多数の幻想的/伝奇的な作品が登場しました。
江戸伝奇文芸が欠いていた、西洋の黒魔術、東洋の謎めいた呪術という道具立てが広まったのもこの時代です。 これにより、伝奇物語の道具立てはほぼ完全に出揃ったと言ってよいでしょう。
■1930年代/幻想ミステリの王国
伝奇味濃厚なミステリが多数発表された時代です。 伝奇とミステリというものは非常に相性がよく、現在に至るまで名作傑作に事欠きません。 夢野久作「ドグラ・マグラ」、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」は、この時代の伝奇ミステリの二大巨頭でありましょう。
サスペンスと都市幻想を融合した名作「深夜の市長」もこの時代の産物です。 伝説的雑誌「新青年」の黄金期も丁度この時期であり、猟奇的なモチーフをもった伝奇的なミステリやサスペンスが量産されています。
今ではお馴染みすぎるくらいお馴染みの「吸血鬼」という存在が世間一般に知られたのもこの時代からでしょうか。ちなみに本邦初の吸血鬼小説は、1929年に発表された中川与一の「吸血鬼」です。 イギリスの隠秘学研究者M・サマーズの著作を再構成した研究書、日夏耿之介「吸血妖魅考」が出版されたのが1931年。これにより、多くの人々が吸血鬼という概念を手に入れました。吸血鬼に関心がある方なら、今でも必読の資料です。 日夏は「サバト恠異帖」などの著作によりオカルト的題材を日本に輸入した先駆者と言えます。江戸文芸西洋文学両面にわたる圧倒的な博識をもって知られており、現在に至るまで我々は日夏が切り開いた魔術的迷宮でうろうろしているとすら言えるかもしれません。伝奇や魔術などが好きと名乗るからには、日夏の著作には一度は触れねばならないと思います。
なお、海外でも「コナン」シリーズのR・E・ハワードや、かのH・P・ラヴクラフトが活躍しておりました。洋の東西を問わず、伝奇と怪異の世界が活発化していたと言えましょう。
■1940〜1950年代/戦争の暗い影
1940年代は伝奇暗黒時代でした。 不穏な世界情勢と国内情勢、太平洋戦争の開戦、敗戦から窮乏を極めた戦後と、日本全体が暗い雰囲気に覆われていたこの時代、目ぼしい伝奇作品は数えるほどしかありません。日常と非日常の境が曖昧になり、食うや食わずやの毎日では、絵空事にうつつをぬかす暇などなかったのでしょうか。
軍部の統制が厳しくなっていた時勢では物語の幅も必然的に狭くなり、作家たちは秘境冒険もの、時代小説、民話を基にした小説などに活路を求めることとなります。 秘境冒険ものの中でもとりわけ伝奇的な色彩の濃い、「魔境もの」と呼ばれたにおいては、海野十三、小栗虫太郎、久夫十蘭らが活躍。 地底や海の果ての謎の王国で少年少女や探検家が荒唐無稽な活劇を繰り広げる——というのが主な筋立てであり、道具立ては伝奇的です。ただ、荒唐無稽に過ぎ、再三味読に耐えるとは残念ながら申せません。やっつけ仕事の感があります。
一方で時代小説には特筆すべき作品がありました。横溝正史の「髑髏検校」です。ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」を換骨奪胎し、幕末を舞台とした伝奇時代劇。暴虐な魔王ドラキュラがいかにも日本的な湿気のある悪となり、原作でただただ怖いだけであったドラキュラの従者も、横溝一流の筆によって異様な艶のある美女たちへと変容しています。絶海の孤島という舞台装置とストーリーテリングの巧みさも相俟って、純粋な娯楽小説としては原作より優れていましょう。富士見・角川・講談社と各社から文庫により出版されていましたが、絶版なのが惜しまれます。
そして日本は終戦を迎え、戦後、状況は一変します。
1946年、横溝正史「本陣殺人事件」により、知らぬ人はない名探偵、金田一耕助が登場します。 本陣殺人事件は、西洋本格ミステリに、我が国伝来の猟奇と怪奇、土俗的な恐怖と伝承を組み合わせた、実に伝奇的な作品でした。 江戸文芸、江戸川乱歩と継承されてきた土俗的伝奇とも言える世界観は、横溝の手により新しい生を得、広く一般に普及します。 その影響下に、高木彬光「刺青殺人事件」が誕生したのも重要です。高木は怪談や伝説を背景として用いることに長けており、「成吉思汗の秘密」などの伝奇ロマンも発表しています。戦後の伝奇を語る上で避けては通れない作家ですな。
後年の推理小説ブームを支えた人材の多くもこの時代に登場しており、中でも山田風太郎は1958年に「甲賀忍法帖」を発表。史実と奔放な想像力を絶妙に組み合わせた作品群により、世に言う「忍法帖ブーム」を作り出しました。 山田の忍法帖シリーズが、これ以後の伝奇アクションや時代伝奇に与えた影響については今更論じるまでもありますまい。端的な例で言えば、一般には菊地秀行が始祖と思われている「極細の糸を武器として使う」も山田作品が元です。山田風太郎がいなければ、日本伝奇の歴史は間違いなく変わっていたと思われます。
戦時中に何があったのか、作風を一変させた作家も少なくありませんでした。 それにより、自然主義文学の大御所、正宗白鳥が「お伽噺・日本脱出」という異世界を舞台にした伝奇ファンタジーを記しています。 伝奇からは少々離れてしまいますが、少女小説の大御所だった吉屋信子がオカルト方面に傾斜したのも一例ですね。
なお、この時代になると、私たちにも馴染み深い、伝奇の書き手たる方々が産まれてきています。1948年に笠井潔、1949年に菊地秀行、51年には夢枕獏と高橋源一郎。52年には村上龍と田中芳樹、54年には竹元健治に友成純一、56年に朝松健……中でも1947年は、荒俣宏、景山民夫、梶尾真治、金井美恵子、須永朝彦とまあ、凄まじい面子。 新しい時代の到来を顕著にしめしていますね。
この時代の作品は近年復刊が盛んであり入手が容易であるため、気になった方は大きな書店で探してみることをお勧めします。
■1960年代/異端の復権
60年代は何故か、エンターテイメント的な伝奇物語は余り見ることが出来ません。この期間を特徴付けるのはむしろ、澁澤龍彦の音頭による、「異端文学」の復権でしょう。
澁澤は1961年の「黒魔術の手帖」を皮切りに、戦争によって雌伏を余儀なくされていた文化の復権にかかります。 日夏耿之介らのオカルトを代表に、シュールレアリスム、サディズムにエロティシズム、モダニズム、「新青年」が得意とした怪奇幻想文学……澁澤の尽力がなければ、これらの豊穣な文化は失われたままだったかもしれません。 文学の美食者を自認していた澁澤だからこそ出来た一大事業だ��たと言えます。澁澤の諸著作が今もってオカルトや幻想文学、異端文化への最良の手引書であることからも、その量と質とが良く解ります。
この復活運動が頂点を迎えるのは1960年代後半です。澁澤の手帖シリーズやアンソロジーの影響下に、桃源社は「世界異端の文学」と「大ロマン・シリーズ」を開始。
前者ではユイスマンス「さかしま」、クロソウスキー「肉の影」、シェーアバルト「小遊星物語」など、翻訳もほとんどなく、等閑視されていた世界文学の数々を邦訳。70年代に荒俣宏により広がった、いわゆる「幻想文学」ブームの先駆となりました。現在でも翻訳が「世界異端の文学」にしか無い作品は多く、古書でも相応の値段がしたりします。
伝奇的見地からみれば重要なのは後者でしょう。「大ロマン・シリーズ」が最初に復��したのは、1920年代の箇所でも言及した「神州纐纈城」でした。これが各界の話題を呼び、埋もれていた伝奇的作品が改めて日の目を見ることとなるのです。
1960年に「SFマガジン」が創刊されたのも大きな事件でした。 これにより日本SFが本格的に始動。星新一、筒井康隆といった大物はこの時代に既に活躍を始めています。なお、筒井を発掘したのは江戸川乱歩です。流石の慧眼といえましょうか。 SFの誕生により、既存の文学の枠にとどまらない物語の受け皿が出来上がりました。先ほどの述べた異端文学の復権とも相俟って、今まで等閑視されてきた種の物語を発表する場が整いつつあったのです。そこには当然伝奇物語も含まれました。
そして、この時代のカウンター・カルチャーが1970年代に一般化・通俗化し、エンターテイメントとしての多様な伝奇物語を生み出すことになるのです。
■1970年代/半村良の衝撃
1970年代は、60年代に定着した「異端文学」的な要素が、拡大・一般化・通俗化されていった時代と言えましょうか。 実際に、70年代初頭には、60年代アングラ文化の集大成ともいえた「家畜人ヤプー」がベストセラーとなっています。一部の好事家や目利きのためだけにあった「異端」の世界が、陽のあたる場所に出てきたと言えましょう。 その風潮を軽薄だと嘆く向きもありましたが、多くの読者が埋もれていた文化の魅力へと目を向ける契機になったことは忘れてはならないと思います。
伝奇という観点からは、1972年「石の血脈」の衝撃が圧倒的でした。
新進気鋭の建築家、隅田を襲ったのは恩師の急死と妻の失踪だった。急激な環境の変化にも負けず、自らの才を発揮しようとする彼の周りに、現実を超越した怪事が姿を見せ始める。 謎の暗殺教団の影、変容した妻、奇怪な性病と不老不死の人間、そして、人類の歴史を陰で動かしてきた秘密結社。 やがて隅田が知る脅威の���実とは…… とまあ、そういう作品です。 序盤では現代小説の装いを取りながら、中盤からは明らかな非日常の世界へと突入するといった構成は当時は珍しいものでした。巨石文明、アトランティス、吸血鬼伝説、人狼伝説、妖艶極まる謎の美女、といった「いかにも」な要素が満載の一大伝奇絵巻であり、今でも魅力は色あせていません。 性病が主要なテーマの一つということもあり、濃厚なエロスの描写が読者を引き付ける要素となりました。
なお、帯において<伝奇ロマン>を銘打った作品は、(少なくともメジャー作品では)「石の血脈」がはじめてであったように思います。 半村は第二作「産霊山(むすびのやま)秘録」において、<ヒ>と呼ばれる一族を主役とした日本の影の歴史を描いています。これまた評判を呼び、俗に言う「伝奇ロマン」のイメージを形作ったことは間違いありません。
また、同時期に平井和正によって書かれた「死霊狩り」も重要です。 超人的な身体能力を持つ主人公たちと、人智を超えた怪物との死闘を描いたこの作品は一躍大人気を博しました 秘密組織、超人的な登場人物たち、「ゾンビー」と呼ばれる宇宙からの侵入体、国家的陰謀と、伝奇ロマンと類似しながらも過激さを増した道具に溢れており、伝奇バイオレンスの先駆となっています。
この他、荒巻義雄や小松左京といったSF畑の作家の活躍が目立つ期間でありました。エロスとバイオレンス、超古代や謎の組織や怪物といった、わかりやすい形での伝奇エンターテイメントの原型は、この時代に出揃ったと言えましょう。
■1980年代/超伝奇バイオレンスの隆盛
1980年代は、戦後世代が躍進した時代でした。 SFにおいては山田正紀、新井素子、山尾悠子などの優れた書き手が登場し、幻想文学方面では須永朝彦が活発な活動を見せていました。 笠井潔が精力的に活動し始めるのもこの時代です。「ファンタジーの遍歴時代」「サマー・アポカリプス」、「ヴァンパイヤー戦争」など、笠井の代表作はほぼ全て80年代に出揃っています。
伝奇的な観点から見れば、決して外せない二人が現れたのもこの時代。言わずと知れた、菊地秀行と夢枕獏の二大巨頭です。 菊地は、都市を舞台に超人たちの荒唐無稽な活躍を描くことによって。 夢枕は、人間の肉体と日本古来の呪術や伝承を組み合わせることによって。 いわゆる「超伝奇バイオレンス」と呼ばれるジャンルを開拓しました。 菊地の代表作には「妖獣シリーズ」「魔界都市シリーズ」があり、一方の夢枕は「キマイラシリーズ」「精神ダイバーシリーズ」「陰陽師シリーズ」などを代表とします。 共に癖のある描写、エンターテイメントに徹した内容、激しいエロスの描写といった要素を特徴とし、一時代を築き上げました。 実際、本屋のノベルズの棚には、菊地か夢枕の亜流ばかりが並んでいるという時代があったのです。
我々が想像する伝奇アクションは、この時代に確固たる市場を築き上げたと言ってよいでしょう。先に述べたとおり、伝奇ロマン/伝奇アクションそれ自体は1970年代に確立されていましたが、それと市場の定着とはまた別です。
また、忘れてはならないのが1985年、荒俣宏の手になる「帝都物語」でしょう。 明治から昭和初期にかけての一大超能力戦争を書いたこの作品の影響力は甚大です。 それまで一部の好事家や研究者だけが知るものであった、陰陽道、阿部晴明をはじめとする日本の呪術的伝承を一般に広めた功績は計り知れないものがありましょう。こと伝奇エンターテイメントに関する限り、現在に至るまで、帝都物語を超える影響力を持った物語はおそらくありません。伝奇を語るとき、決して避けては通れぬ作品です。
なお、荒俣は帝都物語と同時期、「本朝幻想文学縁起」において、日本古来の怪異と伝奇の世界を幅広く紹介しています。これまた、一部の研究者や好事家だけが持っていた知識を広めたという意味で重要な著作です。
純文学方面からも伝奇的要素を強く持った作品が発表されています。中でも大江健三郎「同時代ゲーム」は、四国の山中にある、異界としての神秘的な村を舞台とし、「異貌のものたちの歴史」という、濃厚な伝奇的要素を有しています。
なお、1986年には、悪魔、天使、魔術、召喚など、60年代に異端文学のキーワードであった舞台装置をふんだんに盛り込んだ娯楽作品「女神転生」が登場。翌年にはPC-88やファミリーコンピューターによってゲーム化され、人気を呼びます。 1990年には「女神転生2」が発売。90年代の項で述べる、ゲームによる伝奇物語の隆盛に大きな役割を果たしました。 その後も女神転生シリーズは着実に成長を続けています。最新作、デビルサマナー・葛葉ライドウの舞台は大正時代のようで、これも期待ですね。
■1990年代/伝奇の停滞
1990年代に入ると、伝奇物語は停滞の時期を迎えます。 どのようなジャンルも活性化の後は停滞か衰亡を迎えますが、伝奇も例外ではなかったということでしょう。ただ、衰退ぶりは、80年代の伝奇の活発さを証明するものでもありました。 先ほども述べた超伝奇バイオレンス、ひいてはエンターテイメントとしての伝奇小説がジャンルとして定着してしまったことも原因でしょう。ブームの後、ファンに支えられて定着したジャンルは、完全に消え去ることこそありませんが、本屋の片隅で細々と生き残ってゆくだけになることになるものです。
もっとも、話題性/革新性のある伝奇的な小説作品が全く無かったわけではありません。
1988年頃から1990年代前半は、ジュヴナイルを中心とした作品が量産されていました。現在「ライトノベル」として知られる物語の原型の多くは、この時代に求められます。水野良「ロードス島戦記」が若年層の間で圧倒的な支持を得たのが典型ですね(ロードス島戦記そのものは1988年の開始ですが)。 ただ、この当時は西洋的世界観を基にしたファンタジー作品が主流であり、本文で述べているような伝奇的な作品は少ないです。
また、1994年に、京極夏彦が「姑獲鳥の夏」で鮮烈なデビューを果たしました。 発表当初こそ然程注目されませんでしたが、第二作「魍魎の匣」で各界の圧倒的支持を獲得。京極夏彦はこの後も伝奇味の強い作品を連続して発表し、伝奇ミステリの世界に大きな足跡を残しています。
しかし、90年代の伝奇物語は、小説の世界においては矢張り隅に追いやられていた感が否めません。朝松健のような作家が奮闘してはいましたが、大きな支持を得ていた作品は見当たりません。 この時代の伝奇物語で注目すべきは、むしろゲームというメディアでしょう。
1992年、チュンソフトが「弟切草」において、ノベルゲームという新しい形式を切り開きました。94年には同系列の作品「かまいたちの夜」を発表。 音楽とグラフィックを効果的な演出��用い、ゲームの本体はあくまで文章部分という形式は、当時非常に斬新であり驚きをもって迎えられました。選択肢によって結末が大幅に変わるシステムも目新しかったのでしょう。 これによって、ノベルゲームの手法は一気に浸透してゆきます。
1996年、Leafは、その影響下に、ビジュアルノベルシリーズ、「雫」、「痕」(リンク先はリニューアルパッケージ)を発売。この二作は幅広い人気を獲得します。 特に、「痕」は、日本古来の土着的な田舍町という舞台、鬼の伝承と猟奇殺人という装置、さらにSF的な味付けと、伝奇の幕の内弁当とでも言うべき作品。後発の作品群に、大きな影響を与えました。現在に至るまでその影響は残っています。
1998年には転生を主題にした伝奇恋愛アドベンチャー「久遠の絆」が発売。 同年、学園伝奇ジュヴナイルを謳った「東京魔人学園剣風帖」が登場します。 魔人学園シリーズには、江戸時代を舞台とした「東京魔人学園外法帖」、同一世界におけるジュヴナイル伝奇「九龍妖魔学園記」といった系列作品があり、幅広い展開を見せています。
これらの作品群により、夢枕獏、菊地秀行以来後継をもたなかった「現代を舞台に若者たちが超人的な活躍を繰り広げる」というジャンルが確立されたのでしょう。 事実、東京魔人学園シリーズには、「魔界都市<新宿>」に代表される菊地秀行ジュヴナイルの影響が大です。
■2000年代/伝奇の復権
1990年代後半、幾多の伝奇ゲームの登場で基礎体力を養ったのか。2000年代に入ると爆発的な広がりを見せます。 一般小説よりも、ライトノベル界、コンシューマゲーム界、美少女ゲーム界といった、俗に言うサブカルチャー的分野の作品においてその傾向は顕著でした。 いえ、今でも顕著です。少し大きめのショップの棚を眺めてみれば一目瞭然でしょう。
2000年冬、コミックマーケットにおける「月姫」の発表が一つのターニングポイントであったと思われます。 現代を舞台に異能力者——吸血鬼、殺人鬼、魔術師たちの戦いを描いたこの作品は、凄まじい勢いで界隈を席捲しました。ネットの普及とも相挨って、その流行の度合いは爆発的ですらありました。今に至るまで人気は衰えていません。 月姫のシナリオライター、奈須きのこ執筆の同人小説「空の境界」は商業出版され、新聞紙上などでも話題となりました。 漫画のようだ、子供騙し、既存作品の剽窃の固まり、盲目的な信者が迷惑……などといった批判も良く聞かれますが、月姫の流行が伝奇というジャンルを各方面に知らしめたことだけは間違いありますまい。
事実、この後、ゲーム媒体における伝奇物語の充実には目を見張るものがあります。 ここで注意して頂きたいのは、私は様々な作品が月姫の影響を受けていると言っているわけではありません。 90年代に見たように、伝奇的な主題を扱った作品はこの当時既に量産傾向にありました。PCにおいてもコンシューマにおいても、優れた作品が90年代後半から2000年までにも多数出現しています。 伝奇という物語形態を受け入れる下地はとうにあったのです。月姫の流行によって、伝奇的な作品がさらに作られやすく、受け入れられ易くなったと言いたいのです。
それは兎も角、実際問題として、これ以後、魔術、超古代に伝承、吸血鬼や鬼といった怪物……物によっては半ば忘れられていた多種多様なガジェットが息を吹き返し、流行すらするようになりました。
教科書的ともいえる現代伝奇アクション「夜が来る!!」がアリスソフトから発売されたのが2001年。 翌年には、サークル「07th Expansion」による伝奇味濃厚なサスペンス「ひぐらしのなく頃に」が登場(現在も継続中)。 2004年にネットを介してブレイクしたのは記憶に新しいところです。
2003年には、18禁ゲームメーカーニトロプラスの大作、「斬魔大聖(機神咆哮)デモンベイン」が話題を呼びました。 今年に入ってからですと、ニトロプラスの「塵骸魔京」、Propellerの「あやかしびと」、アプリコットの「AYAKASHI」など、枚挙に暇がありません。
コンシューマにおいても「零」シリーズなどがありますね。 ただ、物語性を重視した伝奇作品はPCゲーム界に比べるとやや少ない印象があります。強いて言うならば、ホラーが多いのが特徴でしょうか。ユーザー層の違いもありましょう。
ライトノベル界でも、現代を舞台にした伝奇物語——その多くは伝奇アクションですが——は氾濫しており、確かな1ジャンルを形成した印象があります。 どの作品も一定水準の質を保ち魅力的な反面、似たような素材が多くマンネリになりがちな所も、1980年代の伝奇バイオレンスの隆盛を思い出させます。 今後の動向が注目されます。
■終わりに
かなり駆け足ながら、日本伝奇の歴史を概観してみました。お楽しみいただけましたでしょうか。 取りこぼした作品は山のようにありますし、90年代以降の記述がゲームに偏ってしまったなど、反省点は多々あります。特に江戸時代と伝奇ミステリについての記述は拡充させたいところ。次の機会があればもう少ししっかりまとめたものを提供出来ればと思います。
最後に、伝奇を知るための文献を幾つかあげておきます。私の本棚見ただけでも山ほどあるので、特に有用で目ぼしいものだけをピックアップ。
・幻想文学33号 日本幻想文学必携
・幻想想学38号 幻魔妖怪時代劇
・永遠の伝奇小説BEST1000
・大江戸小説・実況中継
・ファンタジー・ブックガイド
他多数
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伝奇ゲームファンのための日本伝奇入門
とても面白いし有用なのでネットの墓場より発掘してきたのだわ。 ちなみにこれ以降で伝奇は特に発展とかはしてないのだけど、相変わらずメディアには潜んでます。ゲームでは相変わらずちまちまと潜りこんで、「ペルソナ」シリーズが人気あったり。サイバーパンクWEB小説「ニンジャスレイヤー」が超伝奇的なバトルを繰り広げる作品として人気があったり。そういう今日この頃。
(via outerlimbo)
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