#ダンジョ��飯
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17.01.06 優しい人にはくちづけを
1.
聞いてくれ、ソニック。オレ、お前のことずっと……。 ああ、待て。ありきたりすぎる。それに「聞いてくれ」なんて切り出し方、自分自身にプレッシャーかけちまうよ。でもこう言っちゃえば後戻りできない。 いやいやもう少し考えよう。今日はいい天気だなソニック。ほら見ろ、空が青くて、みんなが笑って生きてる。こんな最高の日にお前と二人きりなんていいのかな、オレ、こんな幸せで。何、不思議そうな顔してるんだよ、本当のことさ。そう見つめるなって。……ソニック。 ああっ!? 恥ずかしいもん考えやがって、オレは! これ告白したあとの話だろ! ていうか、オレじゃなくてむしろソニック側のやり口かもな、シャレててムカつく。いやそうじゃない、落ち着け、オレ。 フラれたって構わないんだ。言いたいんだ。言いたくて仕方ないんだよ、お前が好きだって。ソーリー、友達でいようぜ、で笑って終わりでいいから。でも、もし、付き合おうってなったら? 付き合うって何するんだろう。さっきみたいに日常生活のふとした瞬間に見つめ合ったりするのか? 心臓持つのかよ、それ。そんで、見つめ合ったあとは……? だめだだめだ。不埒な妄想は、おしまい!
非常に残念である。シルバーが束の間夢見たロマンスは訪れなかった。そしてもっと運が悪いことに、フラれたあとは笑って済まされなかった。 冬の雨上がりの夜道の体温を、シルバーは懸命に思い出そうとしたけれど、固まった記憶はなかなか意固地だった。夜道を流れていた空気なんて、その中を歩いていなければ感じることができない。たとえばピリつくほど寒いのか、寒くはないがやけに指先を刺してくる冷たさがまとわりつくのか、空気が冴えすぎていて声を奪われそうになるのか、きっとどれかだったと思うのだがシルバーはどれも呼び起こせなかった。 ただ、カラカラに渇いた口内に吹き込まれた甘い風と、「友達のキスで勘弁してくれ」などと返事した低い声と、いななくクラクションと、視界をまるごと食い破った光が、病室の天井を睨みつけるシルバーの脳裏を巡るのであった。ソニックの風よりも速いスピードで。
「最近の病院食はちょっとマシになったんだな」隣のベッドで彼は、吊るされた右足に一瞥も寄越さ��い。右足は包帯で何重にも固定されている。シルバーはギブスの嵌められた右腕をさすりながら「知らねえよ」と吐き捨てた。 「ご機嫌ナナメのところ水を差して悪かったな、シルバー? で、反抗期かい?」 陽気な嫌味だ。 「何であんたと隣のベッドなんだ。一人にしてほしかった」 「病院側の都合だからしょうがない」 消灯した。枕代わりに後ろで手を組むソニックの横顔も黒いシルエットに切り替わる。途端にブラックアウトした天井の微かな青白さが、不気味だった。同じ病室には数名の患者が寝ていて、ソニックは小声で話を続けた。「傷心ならオレが傍にいてやるぜ」 「フっておいて優しくすんな。わけわかんねえ」 「わかってくれよ。お前は可愛いと思うし、キスだってしてやりたかった。でも、そういう関係にはなれない」 このソニックという男はシルバーの想像以上に扱いにくいのだと知ってしまった。特に、恋愛に関しては。もし今後、あんな、眩暈を起こすくらい熱烈なキスをされるたびに「オレたちは友達だからな」と言い聞かされてしまうとしたら、いつか気が狂うだろう。間違いなく。 今、巷では、セックスフレンドのみならずキスフレ、一緒に添い寝をするソフレ、挙句には恋人のふりをするカモフレ――カモフラージュフレンドの略らしい――などなど、何だか曖昧な男女関係が若い人間たちの間で流行っていると聞く。いや流行っていると言うと聞こえは悪いが、とにかく、最近の若い人たちは恋人がいなくても「恋人っぽく振舞ってくれる友達」がいれば満足らしい。だが、シルバー自身はそういった相手を作ろうと考えたことがなく、もちろんソニックとの今後の関係は「れっきとした恋人」か「ただの友達」の二択しか可能性がないと思っていた。 大して眠れなかった。鳥の鳴き声が朝を告げる。 やたら薄味の朝食を食べたあと、ふと辺りを見回すと病室には自分たちだけだった。他の患者は検査や、自宅での宿泊が許されたり、トイレに行ったりして、たまたまどのベッドももぬけの殻になっていた。松葉杖を持ってソニックも病室を出ていこうとした。 「シルバー」 「おう」 「自販機行くけど、なんか買ってこようか?」 「うーん」考えるふりをして、逸らした。「いらない。あんたどうせ、しばらく戻ってこないだろ」 「あー……」 よっこらせ、とソニックは腰を屈めた。じいさんみたい。病院の空気に感化されたか。 「OK. じゃあ違うものを置いていく」 黄色い粒子をふんだんに含んだ冬の光線が、ソニックの瞳に反射していた。シルバーより背を低くした瞬間に、彼が��眼に嵌める生きたレンズは、シルバーの身体の一部を移し、一層嬉しそうに細くなる。僅かに吸い込まれそうに深い青の、ふたつの瞼が、また迫ってくる。目を疑った。 でも拒否なんてできなかった。シルバーのギブスにソニックの口がくっついた。すぐに離れてゆく。松葉杖がぷるぷるしていたのを笑う余裕も与えられない。 「嬉しくなかったかい?」 「なあソニック、付き合ってくれよ」絞り出した。吐瀉物を出したあとのように喉の奥が引き攣っていた。「だめなのかよ。オレが本来生きる場所が、未来だから」 「付き合わなくたっていいだろ?」 お前はオレの恋人にはならない。お前はシルバーのままでいい。そしていつでもオレのもとから逃げてくれて構わない。オレも、そうする。 そう言ってギブスを撫でてくれる。ソニックの横顔は陽だまりを注がれて、いつもより優しい印象に見える。できすぎた演出だ。 「それより悪かったな。『オレのせいで』」 でも知っている。こいつは自分自身を、フェイクにしない。 世界のソニックが、リズムよく左右に傾きながら去っていった。口付けされた分厚いギブスに何も感じない。ただ、体内に嵐が起きていたのは言うまでもない。 付き合えませんとフラれ、侘びのようにキスをされて、いや今のは何だおかしいだろとソニックに食ってかかったら、二人して道路に飛び出してしまい、二人してぶつかり、119番。間抜けなのは重々承知である。骨折には至らなかったものの、右腕はすぐに良くなる程度の打撲では済まなかった。ソニックも少しの間は走るなと医者に強く止められた。退院は三日後。 ソニックは足を引きずってでも病院内を歩き回らないと落ち着かないだろう。自分もどこかで静かに座っていようと決めた。 オレたちはキスフレとかそういうのになっちゃうんだろうか。それとも。 「……残酷なこと平気で言いやがってさあ、あいつは」 ソニックにも自分を愛でたい気持ちが確かにあるみたいだ。それだけで幸せなことなんだ、恋人になれなくても。 「そうさ、恋人じゃなくたって」 しかし怖くもある。このままソニックについていったら、自分の中から優しい感情は廃れていく気がする。諦め切れない己の心を、敵に回すか、味方につけるかで、この恋の行方はいくらでも紆余曲折の運命を辿るだろう。でもいくら心と相談しても、今は、何も越えられない気がする。 2.
「しばらくスローな景色の中で生活するなんて、うんざりするぜ……。写真の中に飛び込んだみたいだ」 誘いは突然だった。 「なあお前、オレん家に来いよ」
先生から今の状態を尋ねられ、看護師にギブスを取られ、包帯を巻き直してもらうだけで定期健診は終わった。ひとまずギブスが必要なくなっただけで回復へ大きく前進だ。 向かい風の強い日だった。��ルバーは背中を押されるようにソニックの自宅へ入った。暖房の効いた部屋は、足先まで冷え切った身体を芯から温めた。朝食に使った食器がシンクの横の水きり網に乱雑に並んでいて、まだ濡れている。 借りた黒いマフラーを外しながら寝室を覗く。「サンドイッチ買ってきた」 Thanks. と横たわったままのソニックは視線を上げ、肘を上げた。テイルスからもらったという数字ドリルを鉛筆でぽりぽり解いていたらしい。シルバーは無事な左腕を差し出し、彼が立ち上がる支えになる。 「足の検査、今度いつだ?」 「来週の火曜」 「しつこいようだが、それまで安静にしてろよ。絶対、走りにいったらだめだからな」 ソニックは「助けてくれよ」と肩をがっくり落とした。絶大なストレスなのが窺がえる。 「とりあえず何か食べて、元気出せってー」 チリドッグはソニックひとり、でもサンドイッチは二人でひとつだ。ソニックはシルバーの腕が完治するまでここに泊まるよう言い、上着やマフラーなどの私物も貸し出してくれた。その代わり家事は手伝えと。ソニックは右足を引きずれば松葉杖なしでも何とか動けるようになっていたから、簡単な料理や掃除などの立ち仕事をした。ただ膝を曲げるのが困難だから、トイレの便器や風呂場はシルバーの担当になった。怪我をしたとき以外自宅に戻らないソニックは、家にいる間だけはと家のことはきちんとするらしい。「第一それだけでもやってないとキツいな」 「あんたが動けないなんて滅多にないもんな。走れない気分ってどうなんだ」 「最悪中の最悪」 「ふうん。それ、オレが一緒にいても?」 「何だよ、拗ねるなよ。Smile.」いやらしい流し目を睨んで跳ね返した。「ちょいと語弊があったようだが、一人だったら確かに最悪だ。でもお前のおかげで、最悪中の最悪だったのが、ちょっと楽しい、に変わった。雲泥の差だ」水風船で遊ぶような手つきをした。こちらを気遣うような嘘の笑い方ではなかった。 「ご要望があれば昼間からイイコトしたって構わないぜ、オレは」 シルバーはバンズを口に押し込み、コーラで喉に流した。ごくっ、と喉を鳴らしたあと、「昼寝したい」と冷たく返した。つれないね、と瑞々しいレタスを噛み千切るソニックの隣で、シルバーの歯にはレタスが挟まってなかなか取れなかった。 ソニックとのどこか平和ボケした同居において、互いに無理やりな干渉をし合うことはなかった。が、揉め事がないわけでもない。 「シルバー、ゴミ捨て頼むぞ」 「勘弁してくれよ、このあいだの燃えるゴミもオレが行っただろ」 「お得意の超能力でちょちょいのちょい、じゃん」 「片腕の影響で超能力もコントロールしづらいんだ。……���のな、オレの言いたいことわかるだろ? 今日、あんた、何もしてないじゃないか! 皿洗いだってあんたがぐーぐー寝てるから、オレが左腕と超能力を駆使して何とかやったんだぞ」 「そーだっけ? でもハンバーグはオレが解凍した」 「解凍しただけだろうが!」 「掃除機かけるのと窓拭きもオレ」 「昨日の話だろ、それ! しかも昨日はそれ以外オレがやった!」 「フン、さっきから偉そーだな。ここの家主はオレだぜ!」 はっと口を噤んだ。偉そうでうるさいガールフレンドみたいになっていた自分を恥じ入った。 確かに、彼以上に家事に勤しんでいた自覚はある。何でと聞かれたらこう答えるしかない、ソニックに「ここにいろ」と言われたから。言われていなければとっくに未来世界へ帰り、モ●ハンのように炎の怪物たちの狩りをし、今頃ダンジョ●飯ならぬ未来飯を、親を失った子供たちに振舞ってやる時間だ。 「ていうか、料理ならオレの方が上手いんだからな」 タマネギ臭いまな板に溜息を落とす。タマネギで染みる涙とこの溜息をカレーに混ぜて、あいつに食わせてやりたい。夕方になって作り始めたミルク入りクリームカレーの鍋はもう煮立っていた。元気な左腕と超能力を駆使して何とか作ったのだ、二人分! 火を止めてゴミ袋をまとめる。ソニックはまだ昼寝している。 飯を振舞うのは未来世界における少年たちや大人たちの仕事だった。そして、作り方を子供たちに教えることも。自分がいなくても未来世界にはそれをやってくれる大人がたくさんいるからまだいい。が、常に命の危険と隣り合わせな時代に生まれ育ったせいか、シルバーもまた、じっとしていることに耐えられない気質であることは否めない。 ……だからできることはやってあげたい。多少コキ使われようと。 ゴミ捨てにほんの5分外出しただけなのに鼻水が流れた。玄関を開けるとやっぱり暖かい。 ほっとする。家��あるというのは。 廊下の先で人影が動く。まるでほっとしていたのがバレたかと思って、耳がびくっと上がった。身構えているとソニックがにやにやと歩いてきた。 「怒って出ていっちまったかと思った」 シルバーの脳裏をあの言葉が走る。『いつでもオレのもとから逃げて構わない』。 「出ていった方がよかったか。どうせ探してくれないんだろ」 「機嫌直せよ。カレー、楽しみにしてんだぜ。いいにおいがして目が覚めちまった」 素直にも、心臓はかろやかに跳ねるのだ。ただそれだけの言葉に。仕方ない、惚れてんだから。ソニックは手にしていたスプーンで台所を差した。 「でも換気扇つけっぱなし」 「あんた意外と、細かいところうるさいな」 3.
何故そんな流れになったのかわからぬが、二人でシャワールームに入っていた。一人用のシャワールームで二人のハリネズミを押し込めばそれはまあ窮屈で、ソニックは半ば挙動不審にきょろきょろ��辺りを見回していたが(壁が迫ってくるような感じがすると本人は供述する。我慢しているみたいだがなかなか手強い閉所恐怖症のようだ)、「目ぇ瞑ってろ」とシルバーはひたすら彼の背中をスポンジでごしごしこすった。ちょこんと椅子に座るソニックは大人しい。 「痛いか?」 「いや……気持ちいい」心なしかハリがくったりしている。曇った鏡越しでは顔は見えないけれど、ソニックは足を組んで、リラックスモードになったようだ。シルバーも気をよくして気合を入れる。 「あとでオレの背中も洗ってくれよ。そうだ、昼間話してくれた、ダークガイアって奴を倒したときの話の続き、聞きたいぜ」 今日はテレビをたくさん見たけれど、それよりシルバーは、ソニックの話ばかりを聞きたがった。首筋まで泡だらけになりながらソニックは色んなことを答えてくれた。ナックルズがエッグマンに騙されたときの話、シャドウと出会ったときの思い出、ブレイズの印象、メタルソニックとの戦い……。 気づいてしまった。ソニックは、こちらが質問しない限り自分の話をほとんどしなかったと。話し始めれば乗ってくるし、喋るのも上手だと思う。シルバーの意見も聞いてくる。シルバーは気ままに、時には一生懸命答える。ソニックは笑う。シャワールームに声を木霊させて。彼の笑顔を見ていると、胸の裏側がくすぐったくなる。こちらもよく笑う魔法をかけられている。 添い寝にも慣れた。風と一体化するソニックの周りはいつも涼しいような気がしていたが、寝ていれば彼も体温を温存するひとりの生き物でしかなくなるのだと、このあいだ一緒に昼寝をしたときに感じた。陽が傾き、影が濃く深くなっていく寝室で、背中に感じるソニックの呼吸は驚くほど規則正しくて安心した。できれば、抱き合ってしまいたいくらいだった。あんなに近かったのに、息がかかるほど傍にいるのに、ソニックの青が、遠い景色のように見えていた。 でもひとつのベッドで密着なんてしようものなら危険だ。ソニックが買ってきたコンドームの箱はシルバーが握り潰して以来、結局開かずの箱としてベッド脇の小さなタンスの引き出しに残してある。中身は消費していない。もちろん生でヤってもいない。 夜、シャンプーのいいにおいを漂わせてソニックがブランケットを引っ張り上げたのを見ながら、シルバーはついに喉の最下層に押し込んでいた言葉を、かすかな息切れの後に吐き出した。 「大丈夫か、ソニック」 ソニックはフローリングライトを消し、ベッド脇のタンス上のスタンドランプをつけた。シルバーはソニックの身体の、どこも直視できない。 「What? 何がだい?」 「足」 「こっちの台詞だ。お前の自慢の超能力を半減させちまって」 「大したことないぜ。腕、結構上がるようになったし」少し上げてみせる。若干痛みは残っているし、数日前ゴミ捨ての件で彼に当たったばかりだけど。 「そうか。ま、オレ��って大したことないさ」ソニックがこちらに向き直る。「どうせすぐに治るんだ。ただの打撲だぜ?」 下手に出すぎたら付け入られるだろうか。たとえば、ヤらせろ、とか。結局それ目的で自分を中途半端に口説き落とし、傍に留めようとしているのかと密かに疑ってはいる。でも、コンドームの箱を拒否して以来性行為をにおわせる言動を彼は見せない。その上、自由を制限されて本来なら苛立っていてもおかしくないのに、彼がシルバーに当たったことは一度もなかった。 ソニックにとって重要なのは足の怪我そのものではない。ドクターストップによって行動を制限されていることが負担なのだ。読書やゲームはどうせ飽きるからと、昼間ほとんど寝ている。足の使えるシルバーは散歩をしたりテレビを観て気を紛らわしているが、未来世界へ帰ろうとするとソニックが珍しく「療養中だろ」と引き止める。 「あんたはさ」 「ん」 「暇だろ、今」 「イエス。ベリーベリー暇。枯れそう」 「暇潰しにオレとソフレかキスフレになろうって魂胆なのか? あんたを好きな奴相手なら、都合はいいもんな」 スタンドランプの光がソニックの大きく見開いた片目を映す。「ソフレって何だ? 柔軟剤か何かか?」もう片方の表情は、闇の中だ。 自分の顔面も同じような演出になっているのだろうか。 「あー、いい。やっぱり聞かなかったことにしてくれ」 構わない。左右で違う顔色になってしまっているのがバレないから。 「ま、何となくわかるぜ。そうだなあ、確かに今のオレたちって何なんだろうな。フレンド、って名称がつく間柄ではあるんじゃないか。ガールフレンドもボーイフレンドも、つくけどな」 「確かに」苦笑した。しかし、口角はすぐに下がってしまう。「じゃあオレたちって何なんだろう」 「Hmm.... 何だろうな」 「何だろうなってお前なあ」 「名称なんてどうでもいいさ。お前がここに来てからキスもセックスもしていない。そもそもボーイフレンドじゃない。でも、お前はオレが好きだし、オレもお前が好きだ。それでいいんじゃないか?」 「……変わってるよな、あんた」 「お前も大概変わってると思うけどな」 シルバーはスタンドランプの明かりを消した。「じゃなきゃ、とっくに出てってるさ」良くなってきた右腕の筋が、ずきり、とした。 明かりを失った室内は宇宙よりも深い場所に感じられた。狭くて、月も星もない固いだけの天井が――炎の怪物と共に落っこちてきそうで。昔、下敷きになりかけて、見知らぬ老婆が助けてくれた。下敷きになったのは老婆だった。 今のソニックは全力で走れないし、シルバーも片腕をフルパワーで使えない。……ここは未来世界じゃないんだ、ちゃんとわかっているけれど、シャワールームよりよっぽど怖かった。隣のソニックが寝返りを打つ気配はない。 シルバーは目を閉じた。ソニック、と名を呼んだ。 どうした。 頼みがある。 オーケー。言ってみな。 また、オレの右腕をさすってくれないかな。病室でしてくれたみたいに。 キスはいいのかい? ……さすってくれるだけで満足だ。 わかった。お安い御用さ。 ふれた。好きになってから���めて、彼の手の大きさが素敵だと思った。細くて握り潰せそうなシルバーの腕を、彼の手が包み込むようにして、上から、下に、ゆっくりと移動する。何度も。何度もそうしてくれた。安心する。痛みが和らいで、もはや腕の感覚すら薄れてきて、代わりに左胸の鼓動がドク、ドク、とシルバーの中を響き渡った。やがてシルバーは、ありがとう、と礼を告げた。 これ、お礼だ。 探りながら、包帯で締め付けられるソニックの右足に唇を当てた。瞬間、たまらなく胸を圧する想いが溢れ出し、息切れを起こしかけた。けれどソニックは誘惑してこなかったし、自分も結局仕掛けなかった。その晩はいつもより、ぐっすり眠れた。 朝方、ソニックに、こっそりキスをされたと気づいたとき以外は。まさか毎朝してた? 4.
たすけてくれ。 どうしてあんたにはこう、縋ってしまうのかな。 ソニックがよたよたしながら、鼻と地面の間に血を引いて倒れているシルバーに歩み寄る。何度か揺さぶられ、名前も呼ばれたが、顔を上げたくなかった。包帯の取れかかっていた右腕が再び腫れ上がっているのに彼は気づいたはずだが、まず彼は「警察呼ぶか」と聞いた。シルバーがかぶりを振ると、腕を引かれ、彼の首周りに担がれた。「ったく、手のかかる年下だ!」 「……ごめん」 「今晩はオレがメシ当番だな。食欲はどうだい?」 「今日は、あんまり食べたくない」 「りょーかい、ブラザー」 入院中、自分の無力さを痛感させられた出来事があった。 患者の身内だろうか、廊下を走っていた小さな子供にぶつかったらしく、車椅子ごと転んでしまった爺さんを見つけた。起こしてあげようとしたが、これがまた頑固な爺さんで、人が手助けしようとすると意固地になって暴れるのだ。怪我をしたばかりで右腕どころか超能力の発動も不安定だったシルバーは、爺さんの頑なな拒否に悪戦苦闘し、挙句に「ロクに腕も動かせんくせに、却って邪魔だ! どっか行け!」と暴言を浴びせられた。抜け殻のようになって突っ立っていたシルバーの横を数名の看護師が駆け寄り、爺さんは彼女らにも遅いだの、最近の子供は、だの小言をぶつけて車椅子で去っていった。最近の子供に自分も含まれているかはわからなかった。 シルバーの胸の中は、砂のようにボロボロと崩れ落ちた。廃墟となって荒んだ心に激烈な炎が盛った。何だよあのじいさん! せっかく人が助けてやろうとしたのに、あそこまで言うことないだろ! 病室に戻ってソニックに鬱憤をぶつけると、彼はシルバーを宥めながらも、遠くを見つめながら唸った。 「よっぽど機嫌が悪かったのか、あるいは逆に庇われた可能性もあるぞ、お前」 「は?」 「お前のギブスを見て、無茶させて悪化したらって思ったのかもしれない。まあ本当のことはわからないけどな。でも案外年寄りの方が、若い奴に気を遣ってる感じがするよな、最近は」 ……カッとなっていた頭が急に温度を下げ、逆上せたみたいにクラクラした。あれ以来、廊下で爺さんに会うことはなかった。病気が進行して、遠くのフロアに病室を移されたと聞いた。 今思えば、あのとき何を言われようと、自分が無事に車椅子に戻してあげるのが一番よかったのだ。爺さんの怒号にうろたえなければ、超能力に集中してすんなりと事が終わったかもしれない。いざというときの弱腰ほど間抜けなものはない。あれからシルバーは自分の臆病な部分に敏感になった。 夕方、散歩をしていたら、狭い路地で女性が数人の男に絡まれているのを目撃した。 割って入り、今にも喧嘩が勃発しそうになったとき、にたにたといやらしく笑う男たちが立つ景色が、揺れた。地面とキスをしていた。ぐりぐりと踏みつけられ血混じりのディープキスまでさせられた。仕舞いに包帯まで足跡をつけられて……。歯が折れそうなほど食い縛って悲鳴を殺した。まさに超能力で全員ぶっ飛ばそうと構えた直前に、男たちの仲間が背後からシルバーを殴ったのだった。 勇敢ぶったハリネズミに人間たちはすぐ興味を失い、消えた。立ち上がる気力はなかった。 部屋に連れられると、珍しく寒かった。部屋の隅々まで鋭い糸が張り詰めているように、冷気が広がっていた。 「今日はオレも散歩してたんだ」ソニックは暖房のリモコンを操作する。ピッ。「ずっと走ってないと身体が鈍っちまうから」 ソファーに座ると、ティッシュを優しく鼻に当てられる。みるみるうちに柔らかなティッシュは赤く染まる。 まだ内蔵が興奮している。恐怖と痛みで凝り固まった皮膚の中で、落ち着きなく蠕動している。吐く心配はないと思う。でも慎重な動きで包帯を取り替えてくれるソニックの手つきが、シルバーの心をも、紐解いていく。 「サンドイッチ用のパンを買ってあったな。またサンドイッチでいいか? あとハムとキュウリと、卵も少しあったかな……。それと、こないだお前が作ってくれたクリームカレーの残りで、パーフェクトだ」 独り言なのか、話しかけているのか。赤黒く腫れた腕や、頬の痣を見られるのが悲しかった。ソニックは頬にも大きな絆創膏を貼ってくれる。次々にシルバーの傷を隠す手伝いをする。 「腕が治ったらまたカレー作ってくれよ」 これ以上優しくされたら胸が爛れそうだ。 「くやしい」だからシルバーは咄嗟にせき止めた。 「ああ」 「こんなはずじゃ」 「うん」 「卑怯だ……」 「そうだな」 せき止めたはずなのに、水門が一気に開いたかのように感情が流れ込んでくる。 「けど、オレもばかだった」 「……そうかな」 せめぎ合う感情を片っ端から口に出す。指を差して物の名称を言ってみせる子供のように。 腕はやっぱり痛い。終わらないぞ、永遠に苦しめてやると信号を出されているかのように、嫌な熱が筋肉の裏側から骨の髄までを迸る。また通院かもしれない。情けない。嫌だ。ソニックはグラスに水を注いでくれ、ゆっくり飲め、と渡された。シルバーは言われたとおり時間をかけて飲み干した。かなり喉が渇いていたのだと知った。グラスをテーブルに置くと、座ったままソニックに抱きしめられた。促されたような気がした。でも、泣いてやらなかった。初めて体感するきもちだった。確かに強がりといえば強がりだ、けれどその心地よいぬくもりが、穏やかな声音が、オレの全部を守ってくれて、そしてオレの曝け出してしまった嫌いなところを隠そうとしてくれている気がしたから、それだけで充分に幸せだった。 甘えすぎたら戻れなくなる。オレたちは恋人じゃない。 でもお前の体温はオレに息を吹きこむ。 「シルバーはラッキーボーイだ」 至近距離でソニックはウィンクした。「人のせいにするばっかりじゃない考え方を、周りの大人から教わったんだな。優しい奴め」 「教わったわけじゃないさ。ただ、正義と悪に100%は存在しないって、思ってるだけで」 「Foo! クールだね。でも大事な局面での決断力は備えておけよ。優柔不断なヒーローは嫌われるからな」 ソニックのような人と、人生を共にしたかった。 「シルバーは優しい奴だ。だから」 友達としてもっと一緒に冒険したい。彼の強さに追いつきたい。 「幸せになれ」 一緒に色んな景色を見て、感動を共有したい。 「必ずお前を幸せにしてくれる奴が現れる」 そして愛がほしい。包み込まれたい。たまにでいい、抱きしめてほしい。 「でもその役はオレじゃない」 お前の風にじゃない、お前に抱いてほしいんだ。これからもずっと。何がいけないんだ? オレが未来世界の住人だから? オレじゃ頼りないから? オレが年下だから? 足が遅いから? ……いや、本当は知っている。オレ自身に悪いところはいっこもないってこと。それって一番、どうしようもないじゃないか。 「ひどい奴だ、あんたって人は」 しかし自分は、彼の生き甲斐を奪ってしまった。ほんの一瞬でも彼をここに留めた。だからワガママなんて言えない。……でも、どこかでそれを、ラッキーと思っていた事実も否めない。 未使用のコンドームがたくさん余っているのを思い出した。あれを捨てたって後悔はないだろう。彼が寝ている間に、一緒にゴミに出してしまったっていいとシルバーは思っていた。霞んだ朝焼けの下、コンドームの入ったゴミ袋を抱える、片腕を怪我したハリネズミ……爽やかではない光景だ。 でも自分たちにはまだ必要ない。その前に今のオレたちを、飛び越えなければいけない。 後悔するなよ。あんたが口説いたせいで。 しばらく、隣から離れられそうにないんだから。 「そんなにオレを評価してくれるなら、ソニックももっと優しいところ見せろよな。年上らしく」 嘘をついた。この男はもう充分すぎるほど優しい。濡れた金目と煌く翠目が絡み合う。万華鏡のように一つになりたい。 「優しく、ねえ。たとえば?」 「オレの願い、もう一つ聞いてくれないか」 「Of course. 喜んで。今度は腕じゃなくて背中をさすればいいのか?」 「年下扱いすんな! んな簡単に泣かないからな!」 両手を挙げて降参のポーズ。「はいはい、で、お願いって?」
今日全部じゃなくていい。あと100回キスしてほしい。
きょとんとするソニックは、次の瞬間、左右に挙げていた手を大きく叩いて、笑った。 「そりゃ一つのお願いじゃなくて、100個だ! 面白いぜ、その挑戦! 毎日たっぷり可愛がってやるよ」 「こ、後悔すんなよ。オレとあんたの耐久戦だ」 「緊張すんなって」 ああまた、この真青の瞼だ。オレの目の前がブルーになる。 すべて、友達のキスかもしれない。 それでも構わない。100回目のキスが終わったら……もう一度言うよ。ボーイフレンドになろうって。きっとオレが数えていないとあんたはすぐとぼけるんだろうな。「何回したか忘れちまった」なんて。 そうやって先延ばしにしようとしたってな、いつか必ず捕まえてやる。オレとあんたはまだ終わらないんだ。
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