#giジョーの黒いやつみたい
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tamanine · 3 years ago
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2022.4.17 Tokyo→Osaka
15,987歩、昨日は4,302歩
新幹線運賃は出すので来なさい、と言われ、マジで??コロナとかは本当にいいんですか?いりますか?ほんとに??リアルの移動?と思っていたのだけど本当に来いとのことだったので大阪に来た。
私は乗り物酔いをしてしまうので新幹線が全然得意じゃない。日帰りで1日のうち5時間新幹線、プラス2時間電車とかやだ。早起きもやだ。
そのため前泊することにした。
大阪はとても久しぶりで、10年以上前に直島の帰りに寄った。(そのあと京都音博の帰りに寄って美術館にも行った気がするのだけど、どの作品を国立国際で見たのか判然としない。)
直島の案内所で、高松からバスで3時間くらいで大阪に着く、と言われ、ありがとうございまーす!!とバスに乗ったらとにかく全然着かず夜遅くに大阪についた。ガイドブックの端っこに載っていた遅くまでやってる洋食屋さんでごはんをガツガツ食べ、歓声をあげていたらお店の人にご旅行ですか?と聞かれ、そうですそうですこれを見てバスがつかなくてお腹が減ってて…と言ったら載ってるの知らなかったなー、なんでうちに?と聞かれたので美味しそうだったので…?と答えた。
私は昔D-ASHという漫画が好きで(100m走のスポーツ漫画)、そこに梅田のスカイビルのエスカレーターが出てきたので、そこに行って夜景を見た。
翌日、太陽の塔の下を友達とぐるぐる何周も回って遠ざかって近づいてかわいいね!かわいいね!と言ってまわってからお土産屋さんの場所をスタッフさんに聞いたら、キャンセルがあったから太陽の塔の中ツアー入る?と聞かれ、もちろんです!!と言って中に入った。リニューアルとかしてなくて、万博当時の展示物が埃をかぶって朽ち果てていた、朽ち果てた進化、褪せたピンク色、埃だらけの生命の内臓の色。
あの時の楽しい気持ちと、今〝万博〟という言葉から浮かぶ舌打ちをしたいような気持ちの乖離は激しい。太陽の塔の、ピヨ とした広げられた白い腕の可愛さと、街中で見る赤いグニャグニャはなんだか全然違うように思う。ほんとにやるのか、万博を、東京でももちろん思ってはいたんだよ、やるのかよ、ほんとに、2020-2021年にオリンピックを?と。(止められなかったが……、今でもやるべきでなかったと思うし、都市の再開発も必要なかった、愛着のある場所が潰された)
太陽の塔のあとに光の教会に電話したら、太陽の塔からなら歩いて来られるよ!と案内しても��い、徒歩で向かって礼拝室の光に向かって素敵な旅の御礼を祈った。
2022年、私は石原慎太郎も小池百合子も嫌いだけれど、大阪のニュースもつらく、東京も日本全体も関西もどうなってしまうの……と不安になることばかりだった。
実際に来て数時間歩いただけでは何もわからない、楽しくて賑やかだ、でも東京だってそうだろう、お金に目が眩んだ人が歴史ある樹木を何千本も切ったりする、卑しいしょぼくれた街には見えないだろう。観光で歩き疲れてホテルの部屋でG.I.ジョー 漆黒のスネークアイズをぼんやり見ているだけなら、大阪の街は賑やかで、元気な人が多くて、心斎橋筋はおもしろい建築の増えた銀座みたいで、アメリカ村は渋谷の円山町みたいで、シネマートがあってライブハウスがあってライブ前のTシャツを着たたくさんの人たちが楽しそうだった。
中之島の国立国際美術は変わらずにそこにあり、麦(ばく〜!!そのカツラだけはなんとかして欲しかったよ〜!)とあさちゃんのことを思い浮かべた。
新しくできた中之島美術館はピカピカで、静かで、外の日差しの中から入ると冷たくて落ち着く空間だった。六本木の国立新みたいに、フロアごとに展示を変えられるタイプの新しい美術館。太陽光を浴びてピッカピカのジャイアントトらやん、六本木アートナイト(2009年3月)で火を吹くのを見に行って初めて見て、愛着を感じている、ジャイアントトらやんの新品。(六本木アートナイト第一回は季節を誤った開催でとても寒く、トらやんが吹く火の熱で暖をとった。ヤノベケンジさん、愛知万博の誘いに対してディーゼルで動く巨大マンモスで街中をパレードする計画を出して頓挫(官公庁側から断らせるための提案だったのだろう)したロッキングマンモスもパンクで好きだった、あのプランの動画また見たい、明らかに怒りを感じて、良いパワーだった)
モディリアーニもかなり昔まとまって見ていて、絵画を書いているけど彫刻が好きだったのかな…?というような気持ちになり、筆の良さを感じられなかったのだけど、今回見た薄塗りの肖像画は描かれた人の人格やモディリアーニとの関係性のあたたかさが浮かんでいて、随分と印象が良くなった。
当時のモンパルナスの賑やかさを本当に見てみることができたらいいのに。またパリに行きたい……。
2022.4.18 6,653歩(18:00時点)
昨日はGIジョー漆黒のスネークアイズをぼんやり見て寝てしまった、忍者戦争のことは何もわかって��ない…。
私には方言が無いので方言で発話されるかたの話を聞くのが好きで、でも東京で喋ってるとご自身の方言をスッッと引っ込めてしまわれることが多く、同郷同士では方言のままお話しされているのでいいなぁといつも思う。(父は福岡出身で、兄姉と電話で話すときは博多弁だった、本当はもっともっと聴きたかった、父は現在も大変元気だけれど私と話すときには博多弁が出ない)
少しの語尾や語彙の違う言葉を聞くと嬉しくなってしまう。
素敵な緑色の爪をした人の言葉は私には再現ができず、本当はもっと話を聞いていたかったけれど、大阪に行って良かったなぁと思う。
(昨日まではマジで今人を集めてどうするのよと思っていたけど、力のある人が強気の笑顔でどうしてもって言うから……)
心斎橋のルイヴィトンの入り口にいるスーツの店員さんに「ギャラリーに行きたいんですけど……」と言い、鏡張りの隠し扉に案内されて見に行ったゲルハルト・リヒター作品は素晴らしかった。
Stripe、遠くから見るとストライプなんだけど、どんなに近づいても色彩の境目がどんどん分からなくなり、見ても見ても〝見えない〟。
肉眼で寄っても寄っても見えない。
並べてある抽象画は遠くから見てもよく見える、近づくともっと鮮やかな肉感を感じられる。マチエールとはこれのことか…、とツヤやザラつきや盛り上がりや色の混ざり方、照明の質感や反射や瞬間を捉えることができる。
リヒターのマチエールをじっと見ていると、いま国立新美に展示してあるダミアン・ハーストの桜の絵画のつまらなさが本当に目立つ。単調な絵の具の乗せ方、色の点在のさせかただってスーラにすら及ばない。
スーラの絵画についてよく勉強してから本物を見ても、近づいたら人々の微笑みが見え、サーカスは賑やかに進行し、光と影と躍動があり、何回もメディアで見て知っていたとしても本物をずっと見つめると新たな発見がある。
ダミアン・ハーストの桜の点描は単調で、近づいて質感を見つめても大きな発見がない。まだあのパリのガラス張りのカルティエの現代美術館の太陽光と庭の緑を背景に見られたら少しは良くはなるかもしれない。国立新でも一部自然光を入れることだってできそうなのに、そういうこともしていない。
リヒターが写真の上に油彩を重ねた作品は写真自体の重厚感が油彩に負けておらず、写真家が手遊びで写真に行うペインティングとは趣が違った。
油彩のもつ厚みはアクリルガッシュとは違う。絵画的な方向からの色彩で捉えられた写真���
ギャラリーから地階に降りるエレベーターを呼んでいただいている時、スタッフの方に来訪のきっかけを聞かれ、素直にTwitterですと言ったら、最近たくさんいらっしゃるんですとおっしゃっており、おそらく美術手帖周辺での発信ではないかしら、と喋ってから降りた。
リヒターの絵画のように多層的に輪郭が崩れていく合わせ鏡のエレベーター。
ブランド路面店が並ぶ通りから少し入ると、渋谷の円山町のような雰囲気になる。渋谷の神南にも小さな公園があるけれどきれいめのストリートブランドショップ地帯にあるため、アメリカ村の三角公園は渋谷の神南よりもガラが悪そうで、渋谷円山町に同じようなひらけた空間があったら同じような雑多さを含むだろうと思う。
休憩をしてから夜になった街を歩くと、エスパスルイヴィトンは風をうける船の帆のような外観から、夜に浮かぶ輝きでふくらんだような建築に様変わりし、銀座で見るよりも個性的なブランド店が賑やかに立ち並んでいた。
新幹線で東に帰る。
これから私たちが突っ込んでいく雨雲がどんどん近づいてくる。
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