#���ートのある暮らし
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P3 Club Book Ryoji Mochizuki pages scan and transcription.
望月綾時 Ryoji Mochiduki 2‐F教室ほか
工キゾチックな顔立ちに、後ろになでつけたつやのある髪。超ロングのマフラーからのぞく口元は、甘く妖しく笑みを浮かべる。海の向こうで仕込まれたであろう女性の扱いを引っ下げて、11月という中途半端な時期に転校してくる男子生徒。目が合った女子生徒は口説かずにはいられず、多くの場合食事に誘うところからス夕ートする。左日の泣きくろがチャームポイントだと思っており、女性と話すときにはつねに斜に構えて魅力をアピール。そんな容姿と口のうまさで一般の女子生徒からはアイドル並の人気がある。
強引で軽すぎるノリで順平と非常にウマが合い、しょっ5ゅう寮を訪れるが、女子メンバーからは順平とともにひとくくりで「バカふたり」的な見かたをされており、とくにアイギスには初対面からダメ出しをされるダメっぷり。
恐れ多くも美鶴にまでも手を出そうという分別のなさ。難攻不落の生徒会長という事実、知らないって幸せ。
初対面から主人公を知っているそぶリを見せる、異国的な風貌の少年。女の子が大好きと公言してはばからず、順平と意気投合している。
季節外れの イケナイ転校生
振リ向く笑顔がたません。自分の存在の意味を和らない彼に、両手ぃっばぃのかリそめの青春を。
リョージ君のスーパーロ説き文句
• 望月綾時っていいます。分からない事、憂しく教えてくれると嬉しいな。(11月9日朝・教屋)
• ところでこの学校はカワイイ子が一杯だれ。もう何人もデートに誘っちゃったよ。(11月9日放課後・教室)
• ···しかし、なんという美しさでしょう。良ければ、今度ご一緒しませんか?3ツ星ホテルの最上階... あなたのイメージにピッ夕リの、夜景が楽しめるレストランがあるんです。(11月14日放課後・屋上)
• ···そうか、風情の演出ねー。“みんなのイメージする京都” なワクね。···で、舞妓さん、いないのかな?芸者遊びって頼める?(11月17日放課後・屋上)
• 修学旅行、面白かったね。時にあの露天風呂が··· ···っと、ゴメンゴメン。これはヒミツだったっけ。でもこうやってヒミツを共有するのも、何か楽しいよね。(11月21月放課後・教室)
• 最近ますますアイギスさんからの視線を感じるんだよね。もしかして、また何か僕にダメ出しする気なのかな···?(11月30日放課後・教室)
• 君と出会えて···嬉しかったよ。こういう気持ちが、たぶ··· “幸せ” っていうんだと思う。今まで、本当にありがとう··· (12月31日夜・主人公の部屋)
オールバックに地面にも届こうかという長いマフラーがトレードマーク。人目を気にし��い彼じゃないとできないオシャレ。
Ryoji's COMMU
女の子はみんな大只好きさ!
→ ♡ → 風花
→ ♡ → ゆかり
主人公 ← なんとなく懐かしい気持ち?←
順平 ← 心の友 → 綾時
→ ♡ → 美鶴
→ ♡ → アイギス
← あなたはダメです ←
やがて還る滅びの塔を背に。避けることのできない結に、やリきれなぃ気持ちにさせられます。
綾時の中に眠る「死神」
人の姿をとってはいるが、綾時の正体は主人公の中に封印されていたシャドウのひとつ、「デス」が、主人公から麦け出して顕在化したもの。普通シャドウに人格が宿ることはなぃが、桐条研究所の事故がきっかけで主人公の中で眠りにつき、そのまま10年間もの長ぃ過ごしたことにより、人の姿だけでなく心をも獲得した。特別課外活動部によって12体の巨大シャドウが倒され、散りぢりになっていた破片が主人公の中で合わさることにより、その封印が解かれたのだ。ただし綾時自身には自分がシャドウであることの自覚はなく、主人公の中に封印されていたあハだの記憶もまったくなぃ。彼は「長いあいだ外国で暮らしていた」という自分自身の記憶操作にあざむかれる形で、巨大シャドウの消えた秋口に転校してくることになった。
#persona 3#p3#p3 club book#ryoji mochizuki#had this transcribed for ages#also have pharos' pages#need to scan those though
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SunglassFair2021
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いつもは店頭にない たくさんの商品が
一堂に揃う特別な期間です
皆様こんにちは。 岡山市北区平和町/駅前町/野田屋町 本町/磨屋町の眼鏡店「眼鏡と、」です。
暮らしの中の限られた時間に使うサングラス
だからこそ チョッと冒険したデザインや色を 楽しみませんか
流行に関係なく 愛着を持って長く使えるサン グラスを 是非この機会に見つけてください
《 SunglassFair2021 》
[期間] 3月18日(木)~3月30日(火) [内容] サングラスの受注販売 [場所] 眼鏡と、 [営業時間] 10:00~19:00 [電話] 086-226-5388 [予約] MAIL/[email protected] [予約] LINE/@lkj6644t
*商品の在庫状況により約1か月の納���を 頂戴する場合がございます
フェア期間中に御覧いただけるブランドを ご紹介します
JACQUES DURAND/ジャックデュラン
デザイナーズアイウェアの礎を築いたアラン ミクリと共に「alain mikli」のブランドを立ち 上げトップブランドに成長させたジャックデ ュラン。 代表作“ STARCK EYES “をはじめ、 プロダク トマネジャーとして多くの名作を世に送り出し た彼が、2008年自らの名を冠したブランド 「JACQUES DURAND」を立ち上げました
太さと厚み、量感があるスタイルながら 何故かサラリとしていてクリーンな印象 を楽しませてくれます 特異なデザインは一見して「JACQUES DURAND」と認識させる確立された世界 観があります
全てに統一された平面的でラフな表面仕 上げも ジャックデュランたらしめる要素 のひとつです
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megane and me ���ガネアンドミー
ツカゴシサヤカ女史が手がけるポップな スタイルのアイウェアは、優れたデザイ ンに加えて伝統的な製造技術と上質な素 材で仕上げられた確かな品質が、多くの ファンを魅了し続けています 女性ならではのセンスで生み出す洗練さ れた「カワイイ」は、今後も目が離せま せん
メガネアンドミーを象徴するモデルたち コーディネートの最後のピースとなるよ うなサングラスは、決して主張しすぎる ことなく纏う方を魅力的にみせてくれま す
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WOOW/ウー
フランス人女性デザイナー���生み出す エスプリの利いたアイウェアブランド WOOW。 色彩論を基礎に持ちながらも自由な色 の楽しみ方や魅力を我々に教えてくれ る色彩豊かなアイウェア群。
日差しによる光ストレスや紫外線から 大切な目を守る役割を担いながら、フ ァッションアイテムとしてコーディネ ートにスパイスを利かせてくれるサン グラス。 もっともっと身近に楽しむアイテムと して、皆様の暮らしの中に溶け込んで ほしいと思っています
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期間中は約120本のサングラスが ズラリと揃います
是非とも、 皆様のお好みにも 洋服のスタイルにもピッタリあう サングラスを見つけてください
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季節柄、花粉や有害物質のこともそう ですが、日々強くなる紫外線への対策 に加えて 目にとって負担の大きい"光" への対策についての話の記事も、是非 御覧くださいませ ⇒ 店主ニシダのほぼ日ブログ 「日々是好日」 ⇒ 最高峰のサングラスレンズの記事
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現在、御予約の御客様 ���先でご対応 させていただいております 御予約の上 ご来店いただけますと、 時間内 お一組様のみ個別対応させて いただきますので、安心して眼鏡を お選びいただけます もちろん ちょっと見たい時や調整・ メンテナンスでの御予約も お待ちし ています もちろん御予約なしでの御来店も いつでもお待ちしています 御来店が重なった際には 予約のお客 様を最優先させていただきますので、 時間を改めての御来店をお願いする 場合がございます あらかじめ ご了承くださいませ
お問い合わせや御予約等、お気軽に ご連絡くださいませ
✉ [email protected] line https://lin.ee/zCNgujn
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《 所要時間の目安 》 フィッティング調整/20~30分 メンテナンス/20~30分 修理相談/30分 (状態によりお預かり) 眼鏡の下見やご購入/60~120分 屈折(視力)検査・度数提案/25~40分 眼鏡のお受け取り/15~30分
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ニシダ
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『眼鏡と、』 岡山市北区平和町1-10 高塚ビル1階 ℡086-226-5388 ✉[email protected]
[HomePage] https://www.meganeto.com [instagram] https://www.instagram.com/meganeto_optical_shop_okayama [facebook] https://www.facebook.com/meganeto.optical.sho [tumblr] https://www.tumblr.com/blog/meganeto-optical-shop [LINE] https://lin.ee/zCNgujn
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. 持続可能マルシェ 2021/3/11(木) 10:00-12:30(お話会)参加費4650円(ランチ代込) 12:30-13:30(自然派ランチ交流会) 13:30-17:00(持続可能マルシェ)(入場無料) ◎出店者◎ ◯aida 量り売りの店とイベントスペース @aida_kasugai ◯ S.O.S. from Texas @sosfromtexas.jp ◯Save the Ocean @umi_mamoru ◯はるたねサロン @harutane.kasugaishi ◯木漏れ日に集う @komorebi.ni.tsudou ◯su @su_bino_su 中学生以下無料 藤原ひろのぶお話会 @fujiwarahironobu 「子どもたちの未来のために大人たちができる選択。」 場所 たいよ��� Human Connection Natural CAFE/SHOP/SPACE アクセス等は下記ホームページよりご覧ください。 https://taiyoutaiyoutaiyou.jimdofree.com/ お申し込み先 [email protected] 宛にメールにて。 ①氏名 ②お電話番号 ③参加人数 ④お食事の追加や食べられないものがありましたらご記入ください。 藤 原 宏 宣 (ふじわらひろのぶ) NGO GOODEARTH代 表 Facebookページ「病気を治そう!」管理人 インターネットサイト「健康のすすめ」管理人 2009年GOODEARTH設立以降、ギニア・バングラディッシュ・ネパール等発展途上国と呼ばれる国々で貧困に苦しむ人々の問題の 解決に取り組む。 年に数回、自ら現地に赴き、貧困国の暮らしの現状をインターネットサイト等を通じ発信。 現地の人々にとっても、またそれらを支援する人々にとっても良い循環を生み出すことで、持続可能な支援の仕組みづくりをしている。 「世の中に起きている問題と、自分たちの日々の選択がつながっているということ。 だからこそ、一人一人のほんの少しずつ の変化が、どんな問題でも解決していく力になる。」 このことを一人でも多くの人に感じてもらうため、 実際に現地で直接見 てきた現状を動画や写真などで分かりやすく伝え、 我々を取り巻く貧困問題や��境問題などの解決に必要なこと、日本社 会との深い結びつき、未来を少しでも良いものにするためのヒントをお伝えしています。 主な活動内容 現 著書『買いものは投票なんだ EARTHおじさんが教えてくれたこと』(イラスト:法生/発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、 2018年) 著書『ぼくらの地球の治し方』(発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、2019年) ◎ギニア共和国 製氷事業 生活インフラが整備されておらず、U5MR(5歳未満死亡率) が高いギニアにおいて、製氷工場を建設し冷蔵庫の代わり となる氷を販売。 食物腐敗による下痢の発生を抑え、衛生的な食環境に寄与。 また、海産物を含む一次産業を活用 した雇用創出にも取り組む。 ◎ネパール共和国孤児院サポート アジア最貧国と呼ばれ、社会保障が整っていないネパールにおいて、孤児院の食事サポートを開始。 海外からの支援 に頼らざるをえない状況を打破するべく、現地産業(養蜂場 とヤギ農場)と日本の支援者を結び付け、持続可能なサポ ートの形を構築。 ◎バングラディッシュ ギフトフード スラムの子どもたちへの食事サポート 先進国の消費社会 経済に巻き込まれた 多くの人々がスラムての生活を余儀なくされ、いくら働いても一向に豊かになれず、栄養失調で脳に障がいを持つ子どもや満足な医療を受けることのできない人々で溢れかえっています。 スラムの子ども たちを中心に、満足な食事と公平に学べる環境を生み出す為のサポートを開始。 500万人に食事を提供できる環境を整 えるためにプロジェクトを拡大している。 現地の縫製技術を活かした製品(パンジャビ・ルンギスカート・麻たわし)を開発し、 日本と現地でよい循環が生まれる仕組みづくりに取り組む。 2019年夏、スラムの子どもたちが共同生活を送り、学ぶこと ができる学校の建設をスタート。 現地での活動の傍ら、現在日本全国から招待を受け、セミナー・講演会を開催中。 著書『買いものは投票な んだ EARTHおじさんが 教えてくれたこと』発行部 数3万部(2019年12月 現在) 著書『ぼくらの地球の治し 方』アヤシイ社会活動家 の「つながり」と「挑戦」の 話(2019年10月発行) (たいよう Taiyou Human Connection Natural Cafe / Shop / Space) https://www.instagram.com/p/CMMu5y8sLMJ/?igshid=1mrocfwutczwd
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「六マリアの悲劇」 第二章 戦火を逃れて南へ避難
「六マリアの悲劇 真のサタンは、文鮮明だ!!」
“The Tragedy of the Six Marys – the real Satan is Sun Myung Moon!!” Chapter 2. Fleeing south to escape the war
see list of name aliases below
動乱で廃虚と化したソウル市内(1950年9月)
P.50
平壌からソウルへ
不良たちに足を折られる
爆撃を避けて山道を走ったり、途中で宿泊したりで、平壌に着いたのは三日後だった。空襲から逃れて郊外に疎開している家族と合流した翌日、私は金鍾和の家を捜したが、ついに見つけることはできなかった。
その頃、韓国軍は北の人民軍に押されており、一九五〇年(昭和二五年)八月十八日には釜山に韓国政府を移していた。北の共産党政府が掌握していた平壌市内は戦勝ムードに溢れていたが、九月十五日に国連(UN)軍が人民軍の背後を突いて仁川に上陸、戦況は一変した。UN軍の進撃はすばやく、九月の下旬には、韓国軍とUN軍が平壌を制圧してしまった。
そんなある日、私は保安隊と称するチンピラの一団に取り囲まれた。地元の不良たちで北が来れば北に迎合し、南が来れば南に尾を振る連中である。
「お前は北朝鮮軍の大隊長を務めた、本物の共産党員だから殺す。死ね!」
何人かが私に飛びかかって、ハンマーで私の足を殴った。足首の骨が折れ、私は動けなくなった。運よく通りかかった韓国軍憲兵隊のジープに助けられ、留置場で調べを受けたものの、職務怠慢罪で投獄されていたことがわかり、釈放された。こんな所で殺されるのかと一時は覚悟しただけに、「まったく、人間なにが幸いするかわからない」と、思わず苦笑いをしたものだ。このとき留置場にいたなかで、重罪のある者たちは銃殺されたそうである。
戦争で町の病院はどこもまともではなかった。柔道五段だった私は、仕方な��薬局で適当な薬を捜して飲み、折れた足首には応急措置で板を縛りつけておいた。
文龍明との再会 51
十月の二十七日、金元弼と文正彬が私を尋ねて来た。文さんが出獄して、十月二十四日に平壌に到着し、私を呼んでいるので迎えに来たということだった。突然だったので、あまりにも嬉しくて言葉が出てこなかった。私はリヤカーに乗せられて、小高い所にある玉相賢*家に行ったが、文さんは喜んで迎えてくれた。その瞬間、私は文さんの手を握って泣いていた。UN軍によって興南監獄が十月十四日に解放され、自由になった文さんは、十日間歩いて平壌に来たそうだ。
玉相賢の自宅は日本式の住宅で敷地が数百坪もあり、家が何軒も建っていて、大金持ちに違いなかった。玉相賢と娘の貞愛、貞淳、文さん、金元弼、文正彬、そして私の七人が一つの家族のように生活した。一週間ほどしたら、玉相賢の夫である禹夏変の家族全員が、避難していたソウルから帰ってきたので、私たちは使っていた部屋を空けなければいけないことになった。
皆で相談したあと、西城里という所にある部屋を一つ借りることにして、そのあくる日に引っ越した。文さんと金元弼、文正彬、そして私の四人が一緒に暮らすことになった。文さんはその間、知人たちの安否を尋ねて出かけていったり、金元弼に自分の出獄を知らせる仕事をさせていた。
ところがまた、平壌では一九五〇年十二月二日、市内全域の市民に一斉に避難命令が下りた。それは、中国軍が大量に投入され、人海戦術で怒濤のように押し寄せてきたので、韓国軍とUN軍がいったん後退するしかなかったからだ。
一時は朝鮮半島の最北まで追い込まれていた北朝鮮人民軍と、それを支援する中国志願軍(十月二十五日に参戦)の前進は、予想外に早かったようである。その日は、それほど遠くない所の弾薬庫が爆撃されて一晩じゅう爆発が続き、一睡もできなかった。
家族を捨てて文に従う 52
私たちは南の方へ避難することに決めた。しかし、足のケガが治っていない私は歩けなかったので、上水口里の姉の家に自転車を取りにいき、私がそれに乗って金元弼が後ろから押していくことになった。
私たちは一九五〇年十二月四日、十時頃に平壌を出発した。季節は冬だったが、まだそんなに寒くはなかったので、避難するのに比較的障害はなかった。途中、大同郡にある私の実家に寄っていくことにした。私の家に到着すると、家族は私たちを喜んで迎えてくれた。 私が不自由な足で、こんなたいへんな時期に南へ出発することには、家族全員が「とても無理だ」と大反対した。いとこの正根は、
「お兄さんはそんな足で、どうやって南の方まで行けると思いますか」
と必死で止めようとした。文さんは、私の家族を納得させようとして、
「平壌城を目前にしたものの、北では目的が達成できなくなってしまいました。私たちは天の意志に従い、いったん南の方まで行かなければならないのです」
と説明した。
私は獄中で交わした男の約束もあり、また文さんを再臨メシアだと信じていたので、どういうことがあっても、文さんと一緒に南の方に行かなければならないと心に決めていた。もう八十歳になっている母親に別れのあいさつをしたあと、妻に家族のことを頼んだ。そのとき、長女の孝順が出てきて、
「私もお父さんと一緒に、お父さんの世話をしながら南の方までついていく」
と涙を流したが、文さんが押しとどめた。文さんは、興南から一緒に来た文正彬にも、「後からチャンスを見て南へ来なさい」と諭して、私の家に残るよう言った。
平壌の後方には中国軍も迫って来ているので、私たちはできるだけ早く大洞江を渡らなくてはと思っていた。そこで、正根に手配してもらい、その夜のうちに船で南串面孝南里に渡ることができた。
その夜は、近くに住む姉の家に泊まった。南へ避難しようとする村人たちが大勢集まっていた。翌朝の十二月五日、姉が用意してくれた食料を自転車の後ろに積み、私が乗って金元弼が押しながら出発した。
姉は文さんを牧師だと思い、
「牧師さま、どうか私の弟をよろしくお願い致します」
と頭を下げて見送ってくれた姿が、今も生々しく残っている。(以来今日まで四十三年間、家族との音信は途絶えたまま。妻や五人の子どもはどうしているだろうか)
死ぬまで一緒と男の約束 54
南への道路は避難する人びとであふれていた。避難民たちはそれぞれに手をつないで、それこそ何万人もの人たちが、ぞろぞろと南の方へ、南の方へと歩いていた。私たちは、力浦を経て龍淵面に入り、十二時近くに加鶴里に到着した。西の方からは、爆撃機による空襲や銃撃戦の音が聞こえてきた。
その日は曇っていたので、夕日が沈んでもいないのに、日がもう暮れたようになってしまった。今日はもう進むのをあきらめ、宿を捜して休むことにしようという文さんの指示で、私たちは近くの村に寄り、入り口にある農家に入った。その家には誰も住んでいないようだった。家財道具はあったが、おそらく住人は南へ避難して行ったのだろう。台所に行ってみると、米はもちろん、キムチ、醤油、ミソなどがそのまま残っていた。
まさに人類最期の日が来たような感じだった。この世の中はこれからどうなってしまうのだろう��。家具も食料も衣料もそのままなのに、人間だけが蒸発してしまったみたいだ。
北から南へ、避難民の群れ
避難の途中で休むために初めて入った家の中の光景を見て、私はいろんなことを考えさせられていた。
元弼が夕食を用意して持ってきた。白いごはんに水キムチをのせた御膳である。私たちは感謝の祈りをして食事をいただいた。文さんが、
「正華は足が折れて苦労しているけれど、しばらくしたら治るだろう。また自由に歩けるようになるから安心しなさい」
と言った。そして、私が家族のことを思い出して、さみしそうに見えたのか、
「私たちは今、新しい歴史を作るために南へ行くのだ。ただ避難するための道ではない。平壌城を中心にして、新しい歴史をこの世の中に創造しようとしたが、私を監獄へ送ったためにだめになってしまった。南でもう一度やり直すのだ」と励ましてくれた。
米びつの上にきちんとたたんで乗せてあった布団をひいて横になったが、私はどうしても寝つくことができなかった。元弼は疲れていたのかすぐに寝てしまったが、文さんもなかなか寝られ
ないようだった。これからの計画でも考えているのだろうか。
「これから一生、文龍明(当時)と朴正華は苦楽をともにし、永遠に一緒に生きていこう」と獄中でお互いに誓い合ったからこそ、懐かしい故郷の村を離れ、愛している家族たち――母、そして妻と五人の子どもたち(十七歳の長男、十五歳の次男、十三歳の三男、十歳の長女、五歳の四男)――と別れて、足が折れていたけれども、ここまで来たのではないか。私の一生は
すべて、再臨メシアと信じる文さんにあずけたのだ。
やはり私も疲れていたのだろう。いつの間にか眠ってしまい、気がついたらもう朝日が昇っていた。
避難しているときの私たちの服装だが、文さんは白い絹のズボンにゴムシン(ゴム製の履物)をはき、黒いオーバーコ ートを着て、黄色い毛糸の襟巻きを帽子のようにしてかぶっていた。元弼は色あせた軍人用のズボンに運動靴のような軍人用の履物をはいて、犬の毛皮で作ったオーバーコート(日本の関東軍のもの)を着て、頭には日本植民地時代の末期を思わせる黒い色の防空頭巾をかぶっていた。まるで封建時代の婦人たちが着ていた唐衣のような感じで、顔の前の部分
だけが見えていた。彼はその外見だけでなく、女のような声をしていたので、本当に女性と錯覚するくらいだった。そして私は、作業服の上下に日本軍の靴をはいて、頭には黄色の防寒帽子をかぶっていた。
���国製の古い自転車に荷物を乗せ、足の不自由な私がまたがってハンドルを握り、元弼と文さんが交替で後ろから押していたのだが、さぞかし奇妙に見えたことだろう。
金 元弼
悪戦苦闘の避難行 58
南への道は幹線道路を通れれば比較的平坦で楽なのだが、アメリカ軍の憲兵があちらこちらに立って通行を制限していた。結局、避難民が通れたのは、狭くて起伏の多い脇道だけだった。日を追って避難民の数は増え、それこそ人の山のように、人の海のように、狭い道にあふれていた。南の方に行けば生き残れるという保証は何もないのに、それでも何らかの希望を持って、人びとは南へ向かっていくのである。
平壌を離れるとき、衣類や道具などをひと包みずつ背負って持ってきたが、その荷物も日が経つにつれてだんだん減っていった。歩き続けて足も痛くなり、疲れ果てているので、あまり大事でないものはどんどん捨ててしまい、避難も二十日近くになったときには、荷物はほとんどなくなっていた。
疲労のたまった身体には、真冬の寒さが強烈にこたえた。暖かい場所を求めて、草の上の雪がとけているような所をみつけては座り込み、休み休みながら進んだ。
それでも寝ぐらと食事の心配だけは、あまりなかった。
その日も、ちょっと早めに宿を捜して休むことにして、近くの村に入っていった。ある家に入ったら、相当な金持ちの家のように見えたが、誰もいなかった。やはり家財道具や食料は置いたままだった。部屋を決めてからしばらく休んだあと、元弼が夕食を用意してくれたので三人で食事をした。痛む足でこのまま南まで行けるか、私には自信がなかった。
私たちは、ますます増えていく避難民に混じって南へ向かっていた。その途中、黄州あたりに、角度がほぼ三〇度近くある急な坂があった。その坂は百五十メートルくらい続いていて、とても自転車を押しながら登れそうな道ではない。私が自転車に乗っていると、元弼がいくら努力して押しても、なかなか登ることはできなかった。ちょっと進んだかと思えばすべったりして、自転車が後ろ向きに倒れ込んでしまう。
まわりは避難民でいっぱいで、それぞれが先を争って進もうとしていた。このままではどうしても先に行けそうにないと思った私は、私のために文さんも元弼も南へ行けなくなるのでは申しわけないので、文さんに言った。
「私はもうだめです。私を置いて先に行ってください。私はここで何とかがんばりますから。たとえどうなろうとも、私は私の運命に従います」
すると文さんは怒って、「お前と私は死ぬまで一緒だと約束したではないか。今後どん��ことがあっても、神を信じていこう。心配するな」
と言い、元弼に自転車を引かせ、私を背負って坂を登ってくれた。感激した私は、文さんを信じてついていくことを改めて誓った。
やっとソウルへ辿りついたが 60
私たち三人はその後、南への避難民に共産軍が混じっているという情報による、UN軍の戦闘機の機銃掃射で大勢が死ぬ恐怖に遭ったり、虱に悩まされたりの難道中を乗り越え、沙里院、下城、東海州、青丹、内城、龍媒島、英陽、土城、長端と通って、臨時江を渡って南に入り、麻浦を経て、ソウルへと向かった。
十二月二十七日、雪の降りしきるなか凍った漢江を滑り転びながら渡って、出発してから二十四日目に私たち三人は、夢に見たソウルへ辿りついた。
私たちはまず、永登浦区黒石洞にある郭という人の自宅を訪ねた。しかし、文さんの昔の親友だった郭という人は、すでに釜山の方へ避難してしまい、そこは空き家になっていた。この家は二階建ての洋風の家で、家財道具がそのまま置いてあった。仕方なく私たちは、この空き家でしばらく過ごすことにした。
ソウルは文さんにとって、学生時代から暮らし、信仰的な面でもいろんなことを体験してきた第二の故郷だった。そこで文さんは、日本留学を終えて帰国後しばらく下宿をしていた、李寄鳳というおばさんの所を訪ねていった。しかし、なぜかさほど喜んではくれなかったようだった。そのあとも、何人か昔の親友を訪ねていったが、文さんの様子を見て変に思ったのか、あるいは私たちの様子が変だったのかもしれないが、あまり親切にはしてくれなかった。
ところでこの頃、ソウル市民は国民防衛軍の要員に駆り出されていた。私はまだ足が不自由だったのでひっかからなかったが、文さんと元弼の二人は無条件で引っ張られてしまった。三人で死線を乗り越え、平壌からやっとソウルへ着いたのに、これはどういうことなんだろう。私だけ一人残され、今後のことが心配だが、どうすることもできなかった。
私にとってソウルは、慣れない土地で、知り合いも一人もいない所だ。しかも戦争中である。
文さんが訪ねていっても親切にしてくれなかった人たちを、仮りに私が訪ねたとしても、私になど同情してくれるはずがない。これから私はどうすればいいのか、いくら考えても何も浮かばなかった。文さんだけを信じて待つしかなかった。
幸いにも文さんと元弼は、国民防衛軍の身体検査で不合格になって帰され、三人はまた、黒石洞の郭さんの自宅で一緒に暮らすことになった。
明けて一九五一年一月二日、ソウル全域に退去命令が出された。共産軍が近くまで南下して来たのだ。私たちはまた避難の旅に出なければならない。今度の目的地は釜山だった。
いままで検問を受けたりしたときには、まず最初に、証明書の提示を要求された。そのことを思い出して、私は近くの治安隊を訪ねた。柳鴻という治安隊の隊長にその間の事情を話して、私たちに「避難民証明書」を一通ずつ作ってくれるように要請したら、親切に証明書を発行してくれただけではなく、「気をつけていってらっしゃい」と慰労の言葉までかけてくれた。そのときの気持ちは、いまだに忘れることができない。
平壌から準備してきた金も全部なくなってしまったので、私たちは仕方なく、郭さんの自宅に残されていた洋服や金になりそうなものを自転車の後ろに乗せて、ソウルを出発した。たとえそのまま残しておいたとしても、人民軍や中国軍がやってきたら、何も残らないことは明白だった。
事実、ソウルは一月四日、再び共産軍に制圧されてしまった。
63
ソウルから釜山ヘ
第二の避難行
私たちは一月の三日、今度は釜山に向かって、五百キロの避難の旅に出た。二回目の避難である(いわゆる韓国史の「一・四後退」のとき)。
あいかわらず私は自転車に乗って、ただ押されていくありさまだったが、自由を求めていく希望の道には違いなかった。ソウルを出発してから、私たちは釜山まで京釜線(ソウルから釜山までの鉄道)に沿っていかないで、中央線に沿っていくことにした。その理由は、私の叔父になる鄭基琇さんが堤川という所に住んでおり、そこに寄っていけば、いろいろ助けてもらえると思ったからだ。
まず城南を経て、利川に向かった。今回は平壌からソウルまでの避難とは違い、見知らぬ避難民たちが列を作っていたり、また山になって動いているのでもなかった。同じ村に住んでいる人たちとか、家族同士が一緒に移動していくのであった。
日が暮れて暗くなると、近くの村に入った。村にはほとんど人が住んでおり、空き家が見つからなかった。そこで、ある家に行き一晩休ませてほしいと頼むと、快く受け入れてくれ、部屋を借りて休むことができた。空いている部屋がないときには、台所や物置などで休ませてもらった。休む場所が確保できれば、あとは持っていた米で食事を作り、食べて寝るだけだった。
第二の避難では、前の経験があったので気持ちにも多少余裕があり、そんなにあわてることなく、のんびり行くことができた。日が暮れないうちに早めに村に入り、早めに宿を確保するのが、上手なやり方なのだ。
手持ちの米がなくなってしまったので、近くの小さな村に寄った。ところが、この村の人たちは避難してしまったのか、商店はほとんど閉まっている。しかし私たちは、どうしても米を手に入れなければならなかった。そこで、その小さな村の中にあった大きな家を訪ね、郭さんの家から持ってきた洋服を一枚出して、家にいたおばあさんに渡し、こちらの事情を説明した。七十を過ぎたくらいの気のよさそうなおばあさんは、私たちがかわいそうに見えたのか、それとも洋服がほしかっただけなのか、米びつを開けて白い米を一升くらいくれた。
長胡院、原州を経て堤川へ。助けをあてにして捜しあてた叔父の家は、すでに避難して空き家になっていた。がっかりしながらも先へ進み、島嶺の頂上に到着したとき、UN軍の憲兵に「避難民は道路を使ってはいけない」と止められた。そうなるとこれからは歩きにくい山道を行くしかないが、その頃には私の足もほとんど治りかけていたので、山道でも何とか自力で歩いていけるだろう��思っていた。すると突然、UN軍の憲兵が文さんと元弼を強制的に連れ去ってしまった。ここで三回目の離別になるのかと、私はとても不安になった。最初は北から避難するときで、保安隊に連行された。次はソウルで、国民防衛軍によって連れていかれた。そして今回も、また一人残されてしまった。
こんなところに一人残されても、どうすればいいのかわからない。とても心配だったが、しばらくしたら二人は帰って来た。UN軍の軍用車のために作業をさせられたということだった。
これからは下り道だったので、私一人でも歩いていけそうだった。
「ここからは杖を捨て、歩いていこう」と文さんが言った。
川を歩いて渡る避難民たち
二か月近くも杖に頼り、自転車に乗ったり降りたりしていたので、まだ自信はなかったのだが、思い切って杖を捨ててみたら、杖がなくても歩けたのである。こうしてその後の道を、私は一人で歩いていくことができた。丹陽、聞慶、杏材、豊山、安東、義城と避難行は続いた。
慶州での別れ 66
慶州に到着したのは夕方だった。町には避難民があふれており、空いている部屋はなかなか見つからなかった。私たちは方々をさまよって、やっと市内の路西里で泊まれそうな家を見つけた。玄関のドアを板で×型に打ちつけている家で、その家を訪ねたら三十歳くらいの人が出てきた。
私たちが訪れた理由を聞かれたので、「板でドアが閉じてあるので、誰も住んでいないようだったから、一晩休ませてもらおうと思った」
と話したら、中へ入れてくれた。家の中の様子を見たら、板で何かを作っている工場のようだった。家の主人の説明では、「御膳」を作っていたのだが、戦争のために職人たちが皆、故郷に帰ってしまったので、工場を閉鎖するしかなかったのだという。
部屋を借りたあと、元弼は夕食の材料を仕入れるため市場に出かけていった。漁港のある浦項が近かったので、イカを三バイ買ってきてお粥を作った。元弼が部屋を貸してくれた主人のとこにお粥を一杯持っていったら、あとで奥さんが「このお粥はどうやって作ったの?」と聞きにきた。元弼が説明すると、奥さんは笑いながら、「イカでお粥を作るときは、スミをとってから料理するのよ。そのまましたでしょう」。私たちは暗い所で食べたので、気づかずにおいしく食べてしまったが、奥さんが持ってきたお粥を見ると、なるほどまっ黒だった。それを食べたかと思うと、私たちはお互いに笑ってしまった。
この家の主人は「北の黄海道が故郷だが、自分は小さいときに慶州にやってきて、生活のために御膳を作るようになった」という。親は今も北にいて、自分の家族だけがこちらに住んでいるということだった。彼の名前は張萬榮といった。
三日間この家で休んだ。食事はもちろん自分たちで作って食べていた。でも、避難民があふれて混乱している所に、長い間いることはできない。主人に「私たちは今日、釜山の方へ行��ます」とあいさつしたら、「若い二人は行っても大丈夫だろうが……」と彼は、私を指差して言った。
「あなたは一番年上のようで、身体も弱っているようだ。釜山へ行っても避難民でいっぱいのはずだから、二人だけ先に行って、落ち着いてからあなたも行けばいい」
ここまで文さんと元弼と一緒に死線を越えてきたので、私は、
「いや、私も釜山へ行きます」
と言ったが、文さんは「この主人の気持ちもありがたい」と言って、
「正華、あなたはここにいながら、もう少し待ちなさい。私たちが釜山に行って落ち着いたら連絡するから、そのときまた一緒になって、大きな仕事をすることにしよう」
こうして、私は慶州の張萬榮の家に残り、文さんと元弼は釜山に出発することになった。そのときの私の心境はとても複雑だった。避難の途中、文さんと一緒に死線を何回も乗り越えてきたのに、そして神の意志のためにやろうとする偉大な仕事のためここまで来たのに……。一人で残される私の気持ちは悲しくて、一緒に行きたい気持ちでいっぱいだったが、避難は一人でも少ない方が楽だと思い、しばらくの別離を受け入れることにした。
あとで文さんが慶州へ来たときに聞いたのだが、このときは蔚山まで歩いていき、蔚山から初めて汽車に乗れたという。汽車は汽車だったが、貨物車両の屋根まで人が乗っている状況で、どうにか煙突のあたりに乗れて、釜山の草梁駅に辿りついたそうだ。
その日は、一九五一年一月二十日だったということである。
生活に追われた文の来訪 68
私は一人慶州に残り、張萬榮の家で居候していた。四月になって気候も暖かくなった。居候も長くなるので、何とかして飯代くらいは払わなくてはと思い、私はある日、主人と話した。
「戦争中は作ってもあまり売れないから、工場を閉鎖している」ということだったが、
「御膳さえ作ってくれれば、私が自転車に乗せ、市場で売ってくるから、やってみよう」
と私が勧めたら、主人もその気になった。そして、前から工場で働いていた子と、居候していた避難民の男と主人の三人で、御膳を作り始めた。私は一回に二十個ずつ自転車に乗せ、浦項に行ったり、永川に行ったり、また蔚山にも行った。慣れない商売だったが、持っていった御膳はどうにか売れたので、その代金を主人に渡した。
慶州の周囲には四方に市場があった。永川も、蔚山も、浦項も、彦陽も、甘浦も、慶州から二、三十キロの所にあったので、五日ごとに市がたつそれぞれの市場に、毎日のように御膳を運んでは売っていた。
また夕方になると、その家の中学校に通っている子どもの家庭教師もやったので、居候している間の飯代くらいは十分に稼いだ計算になる。
こうして過ごしていたところ、その翌年の三月七日、突然、待ちに待った文さんが釜山から来てくれた。その嬉しさは言葉で表わせないほどだった。けれども軍用の毛布一枚で工場に寝泊まりしていた私としては、文さんを歓迎する術がない。主人がお金を出してくれて夕食だけは接待できたが、夜は木屑だらけの部屋に泊ってもらうしかなかった。文さんはその間、釜山での出来事や今後の計画について話してくれた。夢のような話ばか��だった。まるで何十年かぶりの再会ように、夜遅くまで二人で話し合った。
あくる日、文さんは「今日、また釜山に帰る」と言った。私の気持ちとしては、ここに部屋がもう一つあれば、ここで経済的な基盤を作れるような活動をして、文さんと一緒にいたい気持ちだったが、まだ状況が悪いので仕方なかった。
ちょうどその日は蔚山の方で市があったので、文さんと一緒に汽車で行くことにした。午前中、私が市場で御膳を売っているのを文さんは見ていた。昼食を食べたあと、文さんは汽車で釜山に向かった。御膳がたくさん売れたらお小遣いでも差し上げようと思っていたが、よりによってその日は、なぜかほとんど売れなかった。
慶州で別れてから一年ぶりの再会だったが、文さんを見送って帰ってから私は、本当に考え込んでしまった。何か商売をして資金を用意し、釜山へ行って、文さんとともに偉大な仕事の達成に努めなければならない、ということばかり考えていた。
文さんの話によると、元弼は食堂で仕事をしており、文さん自身は日本の工業学校で一緒に留学していた同窓生の家に居候している、ということだった。さぞかし、居心地が悪いだろうと思う(実はこのとき、彼は私の所で生活ができれば――と様子を見に来たのだった)。
どうすれば一日でも早く経済的基盤ができるようになるかを、私はずっと考えていた。毎日のように御膳を運び、市場で売るのが私の仕事になっている。こういう仕事でも一所懸命がんばっていれば、チャンスがやってくるだろうと希望を持ち、ここで待つしかないのか。いっそのこと釜山へ行った方がいいかもしれないと思ったが、まだ避難民でいっぱいの釜山へ行っても仕方ないのではと考え、もう少し慶州にいることにした。
平壌から来た玉相賢との再会 71
共産軍によって二年前の一月四日に再び陥落したソウルは、ちょうど二か月後の三月四日、UN軍が奪回していた。ソウルではこの当時、一進一退ながらようやく戦火も下火になり、休戦協定の準備が進められていた。しかし、民間人の死傷者だけで南北合わせて二百万人以上、離散家族も一千万人を越えるといわれ、国民の間に不安や不幸の影が色濃く充満していた。
そんな一九五三年の春。釜山からあの玉相賢おばさんが慶州に私を訪ねて来て、久しぶりに再会した。平壌から避難するときに別れてしまい、お互いに消息不明だったが、こうして会えて本当にうれしかった。
玉相賢からは、彼女の避難の話や釜山の文さんの安否などを聞いた――文さんが食口(信者)たちの育成にがんばっていること、原理を本にするための原稿を書き終えたこと。興南監獄のときに話していた原理を整理して出版しなければならないと、いつも文さんが話していたことを思い出して、こんなにたいへんな避難生活のなか、いよいよ書きあげられたかと感激した。早急に経済的な基盤を作り、原理を出版して全国に配布し、伝道していかなければならないと思った。
玉 相賢* [ 玉 世賢 ]
玉相賢は、長男��軍人用のトラックを持ってきたおかげで、家族全員が無事に南の方に来れたそうだ。落ち着いたら釜山で一緒に仕事しよう、一日も早く、経済的な基盤ができるように努力しよう、文さんと一緒に六千年前の神様の意志のために偉大な仕事をするときが、もうすぐやってくるだろう、などと熱心に話した。元弼は今、米軍の部隊で仕事をしているそうだ。凡一洞に教会を作って、新しく入信した食口たちが原理を聞きに集まるようになり、平壌にいた食口たちも釜山に来ているという。教会の近所に住んでいる人たちも、文さんの話を聞きに来ているそうだ。
李 耀翰
玉相賢は一晩一緒に過ごして、次の日釜山へ帰っていった。
それからしばらくして、李耀翰という牧師が私を訪ねてきた。釜山にいる文さんがよこしたということだった。部屋に案内して話を聞くと、
「新しい食口たちがたくさん集まり、原理の話を聞くようになっているので、朴正華さんも先生がいらっしゃる釜山に至急来てほしい」
ということだった。みんなが力を合わせ、神のための偉大な仕事に前進する時期がいよいよ来たと、胸がいっぱいになった。
その次の日、李牧師は釜山に帰った。私もすぐに釜山へ行くと文さんに伝えるよう頼んでから、一人で考えた。
あの興南監獄で、文さんが空叺の上に座って目をつぶったまま、将来の世界を変化させる理想、すなわち「円和園理想」の世界を実現しなければならないと、私に言われたことを思い出した。そのときの情景が浮かんでは消えた。あこがれの世界が一日でも早く来てほしかった。罪悪のない世界、そして嫉妬、陰謀、裏切り、戦争などない世界。その理想世界の会員にさえなれば、労働は趣味として一日三時間だけすればよい。世界のどの国へも行けて、会員の家に行けば、泊まり、食べて、使うことは好き放題できる。黒、白、黄色の皮膚に関係なく、お互いに親子兄弟のように、すべてのことができる。もらうよりは、あげることを喜ぶ世界。他人を責めることはせず、尊敬を受けるよりは尊敬することを喜ぶ世界。この理想世界が地球の隅々まで広まって、私たちはどの国でも気持ちが通じ合うことができる。
この世界が近い将来、いま釜山で苦労している「文龍明先生」によって達成されることを考えたら、感激するばかりだ。
私は一刻でも早く、釜山に行かなければならなかった。
北から南への避難経路
「 六マリアの悲劇」 もくじ
推薦の辞 - 卓明煥
第一章 獄中で出会った男 Chapter 1.
第二章 戦火を逃れて南へ避難
Chapter 2.
第三章 統一協会の創立前後 Chapter 3.
第四章 犠牲にされた女たち Chapter 4.
第五章 再臨メシアの正体 Chapter 5.
第六章 真のサタンは文鮮明だ Chapter 6.
第七章 証言-私達が体験した事実 Chapter 7.
【巻末資料①】 原理原本のもくじ
【巻末資料②】 原理解説のもくじ
「六マリアの悲劇」ビデオの日本語テキスト
淫教のメシア • 文鮮明伝 – The Life of Sun Myung Moon – the Messiah of a Perverted Sex Religion
「血分け問題」lecture notes written by a UC member at 宮崎台研修センター Miyazakidai Training Center, near Tokyo, January 9-12, 1992
私が目撃した統一教会・文鮮明教祖の「SEXリレー」のすべて。
最初の妻 崔先吉女史 が告白! 「文鮮明教祖の性の祕密」Moon’s First wife, Sun-kil Choi.
週刊ポスト Shūkan Post October 8th 1993
ENGLISH with JAPANESE
The cover band from The Tragedy of the Six Marys book
Sam Park’s grandfather had a very bitter experience
“Moon was arrested and jailed for adultery/fornication in 1948” 35. While the Unification Church claims he was charged for “disturbing the social order” Moon was actually arrested [on February 22, 1948] for adultery/fornication. Other reports say he was caught by the police while performing a suspicious ritual with Kim Chong-hwa, the wife of a businessman. The husband took Moon to court and Moon was sentenced to five years in prison [at Heungnam]. It is said that the wife was also found guilty and the two [Moon and Mrs. Kim] were both jailed.
Japanese Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/世界基督教統一神霊協会の年表
35.- 教団では社会紊乱罪だと教えているが、姦淫容疑で逮捕された、または実業家の人妻、金鍾和(キム・ジョンファ)と怪しげな儀式をしているところを警官に踏み込まれ、強制結婚の現行犯で逮捕され、夫の告訴による公判で懲役 5年の実刑。 相手の人妻も10ヶ月の実刑となり共に収監されたなどとも言われる。
English translation of The Six Marys here
A note about the names in this book Pak Chong-hwa changed some of the names. Sometimes he just changed one kanji, sometimes to a similar looking one, or he chose a name that sounded similar. This list is not complete and the accuracy is not guaranteed. However some people are clearly identifiable from the many photographs and from the narrative. Kang Hyun-shil identified herself in a letter she wrote.
仮名
崔聖模 (仮名 李淳模) – 崔淳実と催淳華のお父様です。
催淳華 / 崔淳��� (仮名 李聖花 / 李聖礼) – サム·パークのお母様です。
催淳華 ;二つ目の 仮名 金桂順 :初版103頁
姜賢実 (仮名 姜玉実) – 釜山 で、統一教会に入信しました。
姜賢実 ;二つの 仮名 梁充信 268頁 と他の場所
金東淑 (仮名 金貞淑?) – 文聖進の奥様です。 123頁
金明熙 (仮名 金永熙) – 文喜進 のお母様です。
金順哲 (仮名 李順哲) ;一人の ‘六マリア、
李得三 (仮名 辛貞順) – 崔聖模の奥様です。 崔淳実のお母様です。 . 催淳華と三人の息子です。
呉昇澤 (仮名 呉昇滓) は延世大学の学生でした。文鮮明は8月1955年に彼を金明熙と東京に行かせました。呉昇澤は韓国に行って、金明熙と文喜進のために文鮮明にお金をお願いしました。文鮮明は断りましたので、呉昇澤が統一教会から脱会しました。
呉永春 (仮名 呉明春) – 1952年に釜山で、統一教会に入信しました。
玉世賢 (仮名 玉相賢) – 1946年に平壤で、統一教会に入信しました。
朴貞淑 (仮名 林英信) ;一人の ‘六マリア、その後、 . 彼女は 崔聖模の奥様になりました。
禹夏変 (우하섭夏変) – 玉世賢の旦那様です。 . 禹貞愛と禹貞順のお父様です。
禹貞愛 (仮名 萬貞愛) – 玉世賢の娘です。
禹貞順 (仮名 萬貞順) – 玉世賢の娘です。
梁尹永 (仮名 梁文永) – 梨花女子大學校の教授です。
KOREAN
野錄 統一敎會史 (세계기독교 통일신령협회사)
#六マリアの悲劇#Pak Chong-hwa#Moon Sun Myung#Kim Won-pil#Lee Yo-han#血分け#復帰の実践#文鮮明#朴正華#パクーチョンフ#統一協會#世界基督教統一神霊協会#世界平和統一家庭連合
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雪白夜に100の質問
■本人や家族のこと
Q001 フルネームは? 雪白夜です、よろしくお願いします。
Q002 なんて呼ばれてますか? 「雪白さん」や「夜さん」と呼ばれてます。 夜さんと呼んでくれる人が多いです。
Q003 年齢は? 27になりますね。
Q004 血液型は? ABです。 A型に見えるって、よく言われるんですが…。
Q005 ご職業は? エンタメ系の企業の人事総務部で主に人事関係の仕事をしています。
Q006 文系?理数系?それとも体育会系や芸術肌? どうだろう…どちらかといえば文系、でしょうか。 体育会系や芸術系ではない事は確かですね。
Q007 ぶっちゃけ頭よい? 賢いかというとわかりませんけど、学力という意味では良いほうだと思います。
Q008 家族構成は? 父と母と弟、あとは��を飼っていますね。
Q009 父親とはよく話をする?(またはしたい?) 家を出ているので、よくするかと言われるとしていません。 父は明るくて、話をしたがるのですが、僕はそんなに話す方ではないのでテンションに付いていけないときも多かったりして…。 でも実家に帰る機会があれば、話はいろいろとしたいなとは思っています。
Q010 母親とはよく話をする?(またはしたい?) 母も同じですね。ただ、父よりも連絡をくれる頻度が高いので、その分多くは話していると思います。 気にかけてくれているのは知っているので、心配させないようにしたいですね。
Q011 兄弟とは仲がよい? 良いですよ。 家を出てから、家族と会うことも少なかったのですが、灯が同じ会社に入社したので最近はよく話すようになりましたね。
Q012 家族に対する不満は? 特にないですね、幸せな家庭だと思っていますし、感謝しています。
Q013 ひとり暮し?誰かと同居? 今はベルと二人暮らしかな。 あ、ベルというのは犬の名前です。ゴールデンレトリバーの男の子ですが、賢くていいこなんですよ。
Q014 どんな町に住んでる?どんなお家? 都内ですが比較的静かなところですね。 マンションの7階です。日当たりの良い部屋なので、家にいる時間が好きです。
Q015 転校はしたことある? 転校はしたことないですね。 ずっと都内に住んでいます。
Q016 身長は高い方? 169なので、高くも低くも…という感じです。 あと1cm伸びたらいいなって思ってました(笑)
Q017 体型は? 普通だと思いますけど…少し細いかも。
Q018 ダイエットしたいと思う? いえ、特には。
Q019 髪型と色は?くせっ毛? 全然クセはないです。寝癖もつかないので楽ですよ。 面白みはないですけど。
Q020 見た目の印象は?人になんて言われる? 人に言われるのは…優しそうとも、怖そうとも言われます。 そういえば夜さんのまわり涼しそうって言われたこともありますね…怖いって事かな?
Q021 コンタクトやメガネは利用してる? 基本はしていないです。 目は良いんですよ。 ただPCやタブレットを利用することが多いので、ブルーライトカットのメガネは使います。
Q022 持病はある? 特には、ないです。
Q023 花粉症ですか? 花粉症ではないですね、運がいいことに。
Q024 霊感は強い方?霊は信じる? 霊感は無いと思いますが、 幽霊は居てくれたらいいな、と思います。
Q025 一番楽しかった思いでは? 1番楽しかった…と言われるとむずかしいですね…でも小学生のころは楽しいことばかりだった気がします。
Q026 一番悲しかった思いでは? 悲しかったのは、父が亡くなった時ですね。 父はもの静かで本の好きな人だったんですが、物識りでたまにしてくれる話��好きでした。 その時はもう会えないのだなとわかったのが悲しくて……ずっと泣いていました。
Q027 後悔している出来事���ある?どんなこと? そうですね…僕がまだ人事になったばかりのときに、入社後数ヶ月で辞めてしまった子がいて… 社内の事をよく知っていれば、もっと早くに相談にのったり、環境改善やアドバイスもできたのでは…と、たまに思います。
Q028 人には言えないヒミツはある? どうでしょう、言えませんね。 ヒミツなので。
■性格や嗜好のこと
Q029 服装にはこだわる方? こだわりはあまりないですが…清潔感があればよいかなと思っています。 着ていてリラックスできたり、シンプルな物の方がすきです。
Q030 よくする服装は? 会社はスーツなので、スーツということになるでしょうか。 普段もジャケットを着ることが多いですね。
Q031 よく着る服の色は? 黒が多いです。
Q032 好きな季節と理由は? 季節は、冬ですね。 空気が澄んでいて、静かな感じがするのが好きです。
Q033 寝ることと食べること、どちらが好き? 眠る方が好きかもしれません。
Q034 身体を動かすのは好き? 嫌いではないですが、特別好きというわけでもないですね。
Q035 遊園地に行ったらまず何に乗る? 遊園地に…まず、行かないですね。 仮に行ったら、多分誰かと一緒だろうから、その人に任せます。
Q036 マリンスポーツは好き? 好きか嫌いかの前に、やったことがなくて…。
Q037 やるならスキー?スノーボード? スキーの方が得意です。
Q038 虫や爬虫類は苦手? 苦手ではないかな。 図鑑や本を見るのが好きなので…
Q039 食事の好みは? 野菜が好きですね。 自分で作る時は、シンプルなものを食べてます。
Q040 嫌いな食べ物は何? 生ものです。
Q041 外食は好き? 外食は総務課の拾司さんとたまにしますが、基本的に自宅で食べます。 できれば手料理を食べたくなくて…。
Q042 よく飲む飲み物は? これは珈琲ですね。 アレンジもすきです。
Q043 お酒は飲む? 嗜む程度に。 でもあまり、得意ではないんです。
Q044 携帯電話は持ってる? 持っています。 会社支給の物と、自分のスマホです。
Q045 メール派?電話派? 電話は相手の時間を拘束してしまうので、基本はメールかな。 メールでわかりにくい内容なら電話します。 仕事の時は場合によりますね。
Q046 パソコンはよくやる? 生活の何割かはパソコンやタブレットに頼っているので、かなり使っている方だと思いますよ。
Q047 タバコは吸う? 吸わないです。
Q048 タバコの煙りは大丈夫? 喫煙所にいるのは厳しいですが、一緒にいる人が吸う程度なら平気です。
Q049 新聞やニュースはチェックする? 新聞の紙面はチェックしていないですが、ニュースアプリやサイトのチェックはしています。
Q050 ワイドショーは好き? あまり好きではないです。
Q051 クリスマスなどのイベントは好き? クリスマスを嫌い、とは言えないですね。 好きですし、好きになってもらうのが仕事でもあります。
イベント事は好きですよ。季節の行事があると、一年にメリハリがつくような気がします。
Q052 ジンクスや大安などは気にする? あまり気にしませんが、よいことは信じるという感じです。
Q053 涙もろい? あまり泣きませんね。
Q054 人見知りしちゃう? そうでもないと自分では思っています。
Q055 協調性はある?ひとりでいる方が楽? 協調性はなくはないと思いますが、 正直なところではひとりが楽ですね。
Q056 いま一番の悩みは? 悩み…一番の悩みは、灯が入社したことですね。 昔のことや、プレイべートなことをすぐ喋ってしまわないかが心配です。
Q057 ストレスが溜まると身体のどこが痛くなる? 胃腸ですね。 あまりストレスがたまらないようにしています。
Q058 将来の夢は? 将来の夢…ですか、転職は考えていないので、今の職場でどれだけ環境を整えられるか…みたいな感じでしょうか。 大勢の人の夢を支えている会社なので、社員の皆さんがよりよい環境で働けるようにするのが自分の仕事だと思っています。
Q059 あと何年くらい生きていたい? それはなんとも言えないですけど、 それなりに、長生きはしたいかな。
■普段の行動について
Q060 いつも持ち歩いてる物は? いつも持っているのはスマホくらいでしょうか。 あとは何かしら小説を持っていますね。
Q061 電車の中で何をしている? 本を読んでいることが多いです。
Q062 通勤・通学には何を使ってる? 電車と徒歩ですね。
Q063 車は運転する? 車は持っていないのであまり。 免許はありますが。
Q064 よく行くお店はある? 書店や映画館にはよく行きます。
Q065 コンビニはよく利用する? あまり利用していないですね。 たまにのぞいたりはします。
Q066 ファーストフードはよく利用する? 全くと言っていいくらい、行かないですね。
Q067 新商品は気になる? ジャンルによります。
Q068 昼食はどうしてる? 昼食は軽めです。 自分で用意したものをオフィスで取るか、カフェに行ったりします。
Q069 好きな場所はどこ? 自宅ですね。一番落ち着きます。
Q070 本はよく読む? 読みます、暇があれば何か読んでいるかも。 これは実の父親譲りかもしれません。実家にある父の書斎に…大量に本があるんですが、まだ読んだことがないものもあるんです。
Q071 どんなジャンルが好き? 本当になんでも読みますね…歴史小説から、ミステリー、SF、ホラー、ファンタジー…恋愛小説も読みます。 オススメがあったら教えてください。
Q072 よく聞く音楽のジャンルは? よく聞く…映画のサウンドトラックが多いかな。
Q073 友人が苛められているのを目撃しました。どうする? 止めに入ります。 事情を聴いてみますね。
Q074 ついやっちゃう癖はなに? 相手の目を見てしまうところでしょうか。
Q075 考えごとをしている時に出る癖は? 同じです。 ひとりの時は、口元に手を当てる…とか、ですかね。
Q076 朝起きたら一番に何をする? カーテンを開けます。 明るくないと目が覚めないので。
Q077 家に帰ったら何に着替える? 比較的楽な洋服に着替えます。
Q078 お風呂ではどこから洗う? 手、でしょうか。
Q079 寝る前にやってしまうことは? とくにこれといってはないですね。
Q080 就寝時間は何時頃? 11時くらいですね。 日付が変わるまでには寝たいと思っています。
Q081 時間や約束は守れる方? トラブルが起こらなければ、まず守ります。
Q082 自由に使える金額は月いくら? これはノーコメントでも?
Q083 休日は何をしている? 休日は自宅で本を読んだり、映画を見に行きますね。 映画も何でも見ます。仕事柄子ども向けのものも見ますが、本当にシナリオもよくできていて面白いです。 おすすめしますよ。
Q084 カラオケにはよく行く? 実は行ったことがないです。
Q085 日記は続けられる? 日記は書いてないですね。
■恋愛や友人のこと
Q086 結婚していますか? していません。
Q087 恋人はいますか? いませんね。
Q088 (恋人や配偶者がいる人はその人意外に)好きな人はいますか? 好きな人…も、今は特にいませんね。
Q089 恋人や好きな人のどこに惹かれる? これはいないのでわからないですが、きっと自分にはない、尊敬できる部分がある人に惹かれる…気はします。
Q090 ケンカしたら素直に謝ることができる? 自分に非があれば謝ります。 わからないままでは謝れないですし…
Q091 浮気は許せる? どうでしょう… 理由にもよります。
Q092 結婚願望(配偶者がいる場合は離婚願望)は強い? 結婚願望は薄い気がします。 今の暮らしが気に入っているので。
Q093 好きなタイプは? 強いて言うなら優しい人かな。 攻撃的な人はあまり好きではないので。
Q094 どんな人が苦手? 攻撃的な人ですね。
Q095 一番よく遊ぶ友達は? あまりよく遊ぶ、というのは無いですね…。 高校や大学の時の友人とたまにやりとりする事はありますが。
Q096 まわりにはどんな友人が多い? 尊敬できる部分がある人ばかりですね。 ありがたいことに。
Q097 友情と恋愛どちらを大事にする? これはむずかしいですね。 状況による気がします。
Q098 お金と愛、どっちが大事? ひとくくりにはできないですが、お金はどうにかできるので、大事にしておくなら愛情のほうかな、と個人的には思います。
Q099 独占欲は強い? …これは、強いと思います。
■その他
Q100 他に特筆すべき点があれば 質問、たくさんありましたね、さすがに少し疲れました。 お付き合いいただいて、ありがとうございます。
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三人寄れば、
北冬と翔太とW
「しょーたくんの様子がおかしい?」
享介が割り箸を手に眉を歪める。平日の昼、ロケバスの中でのことだった。 蒼井悠介、蒼井享介の双子ユニットであるWはその日、自分達が出演するレギュラー番組『旅孫サタデー』の撮影の為にバスに乗り都心から離れた場所にやってきた。大都会から離れたとは言え、あくまでも東京だと思っていたのは今朝までの話で、実際着いてみると驚くほど町並みは静かで年寄りが多い。国民的弟と称されるJupiterの御手洗翔太と共に三人で全国のおばあちゃん、おじいちゃんに会いに行くというコンセプトの番組に相応しい場所だ。 今日も今日とて変わらず自分の孫のように可愛がってくれる老人達に甘えながらも、翔太の番組進行はスムーズで、三人は予定通りの時間にロケ弁にありつけることが出来たのだった。 腹ペコのお腹を摩りながらも享介が正方形のケースを開けると、やや時間が経過してしなびているものの、コンビニに並んでいる物��比べれば大ぶりのから揚げと対面した。享介と悠介がサッカー選手になるよりもずっと昔の記憶が蘇る。
小学校の時に所属していた近所のサッカークラブの試合で母親が作ってきてくれた弁当、鮭とおかかのおにぎりにのりたまのふりかけをまぶしたものと甘めの卵焼き、そして大きな鶏の唐揚げ。ありがちな内容ではあるけれど、汗一杯になるくらい体を動かした後に食べる弁当は至高のもので、それがどんなに時を置いてしなびていようとも二人にとってはご褒美に他ならなかった。 そんな理由もあり、悠介と享介はご飯と唐揚げという組み合わせが最高に好きだった。特に、午前中の長時間の移動に加え、今日は撮影中に沢山喋った。いつもは翔太に任せきりなところがあるので、今日こそはと二人で話し合った結果だった。何かを成し遂げた後の飯は美味い。芸能界においては先輩である翔太からの「今日の二人、すっごく良かったよ!」という言葉も相まって殊更美味く感じた。 悠介が「なーなー享介、しょーたクン今日どうしたんだろう」と、天気を聞いてくるような気軽さで聞いてきたのは享介が最後に食べようと残しておいた卵焼きに手を付けた時だった。
以降、話は冒頭に戻る。
「だってさ、移動中も携帯見ながら時々溜め息ついてたり、いつものしょーたクンじゃないみたいだったし 「Jupiterの方の活動で疲れてるんだよ。しょーたクンだってまだ14歳だし、そう言う時もあるって」 「そうかなあ。あ、ほら享介見てみろよ」 そう言って悠介がロケバスの窓の向こうを指さすと、そこにはスタッフ達に笑顔を振りまく翔太の姿があった。早々にロケ弁を食べ終えたかと思えば、「僕、ちょっとお散歩してくるね~」なんて言ってロケバスを降りて行った筈だが、散歩を終えて戻っていたのだろうか。悠介が言うような様子のおかしいところは見受けられない。 「やっぱり悠介の気のせいだって」 「そんなことないって!」 悠介がごねるので、享介は仕方ないなあと注視しながらも最後の卵焼きを口の中に放り込んだ。 すると、翔太はスタッフ全員に一声かけた後そこから離れたかと思いきや、木陰に隠れて携帯電話を取り出し、溜息を吐いた。悠介の言った通り、珍しい物を目撃してしまった。 はっとなって悠介を見ると、「な?」と言いながら彼は首を傾げた。 そこまで見てしまえばあとはやることは決まっている。芸能界においてJupiterは先輩でも、年齢で考えるならば翔太はまだまだ14歳だ。年相応に悩むこともあるだろう。それが仮にプレイべートのことならば、年上として話を聞かないわけにはいかない。
そうと決まれば無言実行。享介と悠介は以心伝心で同時に立ち上がり、ロケ弁を丁寧に仕分けして捨てた後、イノシシの如き勢いで翔太の元へと向かっていった。撮影再開まであと10分、話を聞くくらいの時間はあるはずだ。
「「しょーたくん!(クン!)」」
息の合った一声と共に享介と悠介は翔太の左から右から腕をとっ捕まえ、満面の笑みを向けた。突然現れた蒼井兄弟に翔太は体を跳ねさせ、声をひっくり返らせる。 「な、なに? 悠介さんも享介さんもどうしたの?」 「しょーたくん、悩みごとあるだろ」 「溜め息の現場は押さえたから、ないって言っても無駄だぞ!」 蒼井兄弟のコンビプレイに翔太は身動き一つ取れず、左を見ても右を見ても同じ笑みを張り付けた同じ顔が見つめていて、翔太は成す術もなくまた一つ、溜息を落とした。
翔太がその違和感に気付いたのは、つい三日前のことだった。 ソロでの仕事を終えてからダンス練習に合流するべくスタジオに向かった翔太は、先に着いて練習しているであろう冬馬と北斗を労おうとスタジオ前の自動販売機で水を三つ買った、今度これをダシにして二人に何か買ってもらおうと画策しながら。 『おっはよー!二人とも遅くなってごめんね!』 手に一杯のペットボトルを抱えてスタジオに飛び込んだ翔太は、いつも通り明るく弟らしくあれと二人に手を振ったものの、その空間の異様さにその手を止めた。 北斗と冬馬が個人でダンス練習をしているのである。 いつもの二人ならば例え翔太がいなくても問題なくお互いにダンスを見せあい、ああでもないこうでもないと容赦なく意見を言うというのに、今日はそれもなく二人ともイヤホンで耳に蓋をしてスタジオの端同士にいる。鏡と向かい合って踊る様は真剣そのものだが、普段の二人を知る翔太にとってはそれが気持ち悪くて仕方が無かった。 困惑していると、翔太の到着に気付いた北斗がイヤホンを外して翔太に向かって手をあげた。翔太も反応に遅れながらも下げた手をもう一度上げる。今度はそれに気付いた冬馬も動きを止めて「おつかれ」と翔太に声をかけた。 『ねえ、なんで個人練習してるの?』 指摘すると、二人は分かりやすく体をびくつかせて口籠った。ええと、その・・・なんて言葉を差し込んで必死に言い訳を考える様はまるで宿題忘れを咎められた子供のようだ。 お互い顔を見合わせては分かりやすく目線を逸らし、思い出したように 『フリ入れだよフリ入れ! ほら、こないだダンスのフリが少し変わったろ!? 北斗があそこのフリがまだ自信ないっつーから、最終確認で個人練してたんだ』 『そう! 他の仕事でなかなか練習する時間取れなかったんだ! それで冬馬に頼んで練習させてもらってて! 翔太も来たことだし、そろそろ合わせようか!』 『お、おう! そうだな!』 『僕、来たばっかだからストレッチしたいんだけど・・・』 どう考えてもおかしい二人の様子に翔太もまた困惑の色を隠せない。嘘が苦手な冬馬は明らかに何かを隠しているし、北斗も北斗で普段の冷静さはどこへやらと言った必死さで声を張り上げている。 これは僕が来る前に何かあったね?あたふたする二人にお水を上げながらじっとりとした視線を送ると笑って誤魔化されたので、きっと聞いても教えてはくれないだろうなと翔太は悟った。 結局、その後の練習ではプロらしく変な動揺も出さずにいつも通り練習し終えたが、時折目が合った二人がすぐに顔を背けるのに翔太は気付きながらも口には出さなかった。 どうせ次会う頃には直ってるだろう。そんなことを呑気に思いながら。次の日も、その次の日も状況が変わらない事など知りもせずに。
「なるほどね。だからしょーたくんはため息ついてたのか」 「北斗君は次の日には元通りだったんだけど、冬馬君は全然戻んなくて。何度も言おうとは思ったんだけど、なーんか言い辛い雰囲気でさ。二人とも練習は真剣だし、まだ言わなくても大丈夫かもって思っても気になっちゃったんだ。冬馬君も北斗君も真面目だから、僕には言えない事とかもあるのかもしれないし・・・」 翔太はそう言って切なげに笑った。
そう言えば、以前翔太にJupiterのことを聞いた時、彼は冬馬との出会いのことを回顧しながらも彼を褒めていた。 言葉にはしないものの、翔太は自分の手の届かない仕事をしている北斗を信頼していることは見ていて分かる。Jupiterの三人はそれぞれの役割があって、それを支え合っているからこそ今現在の彼らがある。 しかし、それは逆に言えば翔太に出来ないことを冬馬と北斗がカバーしているということになる。特に、翔太は芸能界の闇の部分をよく知らない。それこそ黒井社長がやっていたような裏工作はもちろんのこと、今まで翔太はJupiterに対しての良い評価ばかりを聞いてきた。 だが、流石の翔太も芸能界が清潔なところではないことくらい承知の上である。315プロダクションに入る前、沢山の事務所がJupiterの知名度を欲して押し掛けた時に北斗が言われていた"お礼"。それが言葉の通りではないことを察することなど容易である。そして、きっとそれは翔太の知らない水面下で蠢いている筈なのだ。もしそうなのだとしたら、闇を一手に引き受けるのは誰か。
最年長である北斗だ。
彼は昔から自分のこと含めて「翔太と冬馬が知る必要の無いものは言わなくても良い」と考えるきらいがある。 当然必要であれば話してくれるのだが、例えば皮肉を言われただとか、脅されただとか、そういったことはいつも自分の中で勝手に解決してしまう。そのことを冬馬は「気を遣う」と形容していたが、北斗の場合は本来三人で引き受けるはずのことを一心に引き受けているので、気を遣うどころの騒ぎではない。そして冬馬もそれは少なからず気にしているし、彼の力になれないことを歯がゆいと感じている。
「つまり、ほくとクンが何かを隠してて、とーまクンがそれに気付いてなんかあった・・・とか?」 「なんかって、曖昧だな」 「だってしょーたクンの情報だけだと分かんないし、享介は分かったのか?」 「そうだなあ。例えばだけど、ほくとくんが何かを隠していることに気が付いたとーまくんが言い寄った��ど、ほくとくんが『冬馬には関係ないよ』とか言って喧嘩になった―――とか?」 「ええー喧嘩ぁ?」 翔太が顔を顰める。 喧嘩なんてするのだろうか、よりによってあの北斗と冬馬だ。冬馬のようなやると決めたら猪突猛進、間違っていることがあれば脊髄で「違う」と声をあげるような超ド級の素直人間は置いておいても相手はあの北斗だ。 この数年間を冬馬と共にしているのだから彼の扱いは翔太と同様に慣れたものだろう。そんな北斗が冬馬を怒らせるほど自分の意志を貫くだろうか。 正直想像は出来ないが、翔太と冬馬の為ならば平気で自身を犠牲にしかねない北斗と、それを良しとしない冬馬の自分の中の正義感同士で殴り合えばもしかすると・・・もしかするかもしれない。そう思うと今の二人は喧嘩をしながらも翔太に気を遣って何事もなかったかのように振舞っていることになる。
それは嫌だ。 信じたくはないが、仮にそうだとすれば二人に気を遣われるのは見知らぬ他人に悪口を言われるよりもずっと辛い。自分では力になれないかもしれない、まだ高校生にもなっていない自分が大人のことに口を出すなんて、自分よりも長く生きてきた二人にとっては余計なお世話なのかもしれない。 それでも三人でJupiterなのだ。嬉しいことも楽しいことも一緒に感じてきた。なら、辛いことも悲しいことも共有してほしい。そう思えるほどに翔太はJupiterという場所を気に入っていた。 思えば思うほどやっぱりあの時言っておけば、聞いておけば良かったと後悔が沸き上がり、ついに翔太は笑顔を取り繕うこともせずに俯いてしまった。 「しょーたクン・・・」 言葉を失った翔太に悠介が少し考えこんで、 「なーなー享介! 確か昨日LINEで来たのって・・・」 「そっか、その手が・・・!」 と、享介も何かを思い出したように膝を打つ。 二人は翔太の腕を掴みなおした。怪訝な顔を向けた翔太に、二人は「へっへへ~」と笑いながら口を開く。
「「 俺達に任せてよ! 」」
そう言って全く同じ顔で笑ってみせた。
「今度のオフか?久々に秋葉原にフィギュアでも見に行こうと思っててよ」 ダンス練習の休憩中、タオルをTシャツの中に突っ込む冬馬を翔太は捕まえた。北斗は電話をしてくると言って出て行ってしまったので後で言うとして、とりあえず今はこの隠れオタクアイドルをどうにかしなければいけない。 自信満々に任せてといきった蒼井兄弟に言われたことは二つ。
1、監督(プロデューサー)に頼んで三人とも同時のオフを作ってもらうこと! 2、俺達が用意するものを二人に渡すこと!
一つ目はまあなんとかなった。丁度新曲リリースの波も終えて出演予定の音楽番組も残すところあと二つというところだったし、それもすぐに終わる。 その後一週間程度は小休止ということでプロデューサーもJupiterの仕事は雑誌の取材や撮影と言った小さなものしか入れなかったらしい。その為、三人同時のオフを作ってほしいという翔太の要望はすんなりと通った。 プロデューサーは「三人でお出かけですか?」なんて微笑ましそうに言っていた��れど、こちらはそれどころではないのだ。これはJupiter史上でも初と言える大々的な任務である。 「フィギュアよりも面白いものがあるんだけど、北斗君も誘って三人でどうかな~って!」 「は・・・これって・・・享介さんと悠介さんがいたチームの試合のチケット・・・しかもかなりの良席じゃねえかこれ!? お前こんなもんどこで・・・」 翔太が誇らしげに取り出したその紙は当然蒼井兄弟が用意したものである。実は丁度あの日の前日にかつてのチームメイトから「久しぶりに観に来ないか」と、ライブに招待したお礼に貰ったのだという。 当然、手元には悠介と享介の分のチケットしかない。ポケットの中に隠したもう一枚は北斗に渡す物だ。 翔太は予め蒼井兄弟が決めた設定をそのまま口にする。 「享介さんと悠介さんに貰ったんだよ、二人が仕事で行けなくなっちゃったから、冬馬君サッカー好きだし、Jupiterの三人で行ってきなよって。貰ってきてあげたんだから感謝してよね」 「勿論だぜ! へへ・・・後で悠介さん達に礼言わねえと!」 冗談が通じない程にテンションを上げている彼はそのままにしておいて、翔太はもう一枚のチケットを渡すべくスタジオを出る。と、扉を出てすぐに北斗の姿を見つけた。
彼は自動販売機前のスペースで膝を組み電話をしていた。 会話内容から察するに、エンジェルちゃんだろうか。誰も見ていないにもかかわらず、会話に合わせて身振り手振りと女の子をそそのかすポーズをとる北斗は傍から見ればやや滑稽で、翔太が若干冷めた目で見ているとそれに気付いたのか北斗が早々に会話を切り上げて電話を切った。 「翔太、どうかした?」 「北斗君、次のお休みって予定ある?」 「次? ああ、確かエンジェルちゃんとランチに行く約束をしていたと思うけど、それがどうかした?」 「う・・・実は享介さんと悠介さんが今度あるサッカーの試合を観に行けなくなっちゃって、折角用意してもらったのに勿体ないからよかったらJupiterで行ってきなよーって!冬馬君もサッカー好きだし! ね、だから北斗君もどう!?」 「サッカー?」 「もちろん冬馬君も行くって! だから、三人で行こうよ!」 北斗は翔太の甘えに弱い。彼自身兄だが妹に甘えられるという経験が無かったらしく、翔太が「北斗君、お願い!」と目を輝かせて言えば余程無茶なお願いではない限りは聞いてくれる。例え相手がエンジェルちゃんでもだ。 いつもならば「仕方ないなあ」と言わんばかりに微笑んですぐに頷いてくれるのだが、今回は少しだけ考えてから「わかったよ」と受諾した。翔太はその一瞬を見過ごさない。畳みかけるように「絶対あけてね!」と念を押し、質問の間も与えずスタジオにとんぼ返りした。
蒼井兄弟の計画は簡単だ。
まず翔太が三人で行こうとサッカーに誘う。その為にプロデューサーに試合の日をオフにしてもらう。そして当日適当な理由をつけて翔太がその約束を蹴る。 そうすれば北斗と冬馬は強制的に二人きりになる。北斗の性格を考えれば二人きりで楽しむべき時間を無碍にすることはないはずだ。早くて試合前、遅くても試合後にはその気まずさに耐えかねて冬馬と話をするに違いない。 万が一そうならなかったとしても二人の様子を遠くから見ていれば何かしら得るものはあるだろう。 現在時刻は11時、待ち合わせは11時30分、試合開始は12時丁度。変装用に姉から借りたキャップを深く被る。スタジアム脇の茂みに隠れ、同じく姉から借りたオペラグラスで待ち合わせ場所を覗いた。 既に冬馬と北斗には「お姉ちゃんが北斗君の写真集見てたら突然倒れちゃって! だから今日行けなくなっちゃった! ごめんね! でも折角享介さんと悠介さんに貰ったチケットだし、二人で行ってきてよ!」などと言い訳に言い訳を塗り重ねたような文章を送り付けている。 冬馬からは「はあ!?」というメッセージとお前突然云々といったものも届いていたが、全て適当に返して放置した。北斗からの返事はまだだが、彼のことだから姉の安否の確認と了承のメッセージが届くだけだろう。 「なーなーしょーたクン、とーまクンとほくとクン来た?」 「悠介、まだ30分前だぞ。デートならまだしも仕事でもない同じユニットメンバーとの遊びでそんなに早く来る奴いないって」 「そっか! じゃあ今の内にホットドッグ買ってきていい? 俺お腹すいちゃってさ」 「いいけど、早く戻ってこいよ」 「……ちょっと、二人とも静かにしててよね。変装してるとは言え、北斗君達に見つかる以前に僕達がアイドルだって周りにバレても終わりなんだから」 はーい、という軽快な返事と共に駆け足でショップへと向かう悠介に翔太は嘆息する。 当初の予定では北斗と冬馬を監視するのは翔太だけだったはずだ。にも関わらず、翔太の左右にはこの企画の立案者である蒼井兄弟で固められ、まるで修学旅行に来た学生のような気楽な空気である。 オペラグラスの向こうは今日の試合を楽しみに来ている家族連れが多い。憧れのサッカー選手を見れると目をきらきらと輝かせる子供達を見ると、不純な理由でやってきているのが少し申し訳なくなった。
「あれ」
悠介を見送った享介が首を傾げた翔太に「どうしたんだ」と声をかける。と、翔太がオペラグラスを覗きながら、 「あれ、冬馬君だよね」 「えっ、待ち合わせまであと30分もあるんだよな」 翔太から受け取って享介もその双眼を覗き込むと、少しして「とーまクンだ・・・」と動揺を声に出した。 待ち合わせ場所に指定していた場所に現れた男は翔太と同じように帽子と伊達眼鏡で変装しているものの、何度か会っていれば体格や仕草でもそれが天ヶ瀬冬馬であることは容易に分かる。冬馬は執拗に携帯電話で時間を確認してはきょろきょろと周りを見回し、また時間を確認した。 冬馬は元々生真面目な性格から待ち合わせ時間の10分前にはその場に立ってそわそわしている。以前北斗がそれを近くのカフェで眺めているのが楽しいと茶化していたけど、あれは事務所に初めて顔を出す時のことで、先方にもアポイントメントを取った上での行動である。 翔太も遅刻こそしないが、万が一の為にと早めに設定されていた三人の合流時間にまで早く到着するほど寝起きは良くなかった。そう考えると冬馬の早め早めの行動はむしろ誇るべきものであるのだが…… しかし、それにしたって早すぎる。仕事が絡む時よりも早い冬馬の到着に翔太は動揺を隠せない。サッカー少年である冬馬がサッカーを楽しみにするあまり遠足前の小学生の如く早く来てしまったとかであるなら納得だが、目の前のスタジアムには目も暮れず、携帯電話ばかりを気にする様はどう考えてもそれに当てはまらない。 どう考えても様子のおかしい冬馬に翔太はうんうん唸るが、喧嘩しているメンバーに会うのが気まずくていつ来るのかそわそわしている様子には見えなかった。 まるで付き合いたてのカップルの片方がデートの日に相手を待つような…… 「あのさ、本当に喧嘩なのかな」 「しょーたクン?」 「なんか喧嘩って言うよりも……、やっぱりなんでもない。」 翔太は胸に芽生えた予感をそっと飲み込んだ。もしかして、もしかすると……いや、でも、なんてまごまごとした言葉はまだいらない。まずはこの目でしっかりと見定めて、それから確信に移行させるのだ。
数分後、北斗は丁度良い頃合いで待ち合わせ場所に到着した。 おおむね予定通りの時刻だが、やはり二人ともどこかぎこちないようにも見える為、翔太の微かな予感はまだ確信に変わらない。携帯電話には予想通りの旨のメッセージが入っていて、翔太はそれに適当なスタンプで返答する。 先程ホットドッグを買いに行った悠介は未だ戻らず、翔太が享介に視線をやると「メッセージ送っておくから先に行こう」と頷きが返ってきた。そっとバレないように二人の後ろから追いかけていくと、数メートル程度の近さになって二人の会話が聞こえてくる。 「翔太、残念だったな」 「そうだね、お姉さん無事だと良いんだけど。俺のせいみたいだし、明日にでもお見舞いに行った方が良いかな」 「やめとけ悪化するぞ」 なんてことない雑談。 それも翔太の知る二人と全く変わらず、自分が二人に違和感を感じていたのが嘘のことのように感じられる。享介も「いつも通りって感じがするけど」と零していたので、やはり原因は喧嘩ではないのだろう。少しでも二人の喧嘩の可能性を考えてしまったことを馬鹿だと思った。 じゃあ原因は何だったのかと言う話になるとまたも泥沼と化すのだが、翔太の中に僅かに生まれた予感を胸に今日一日だけは監視することを許してね。なんて内心で謝罪した。 元々享介と悠介の為に取られていた良席は北斗と冬馬にあげてしまったので、その分今度は翔太も加えて三人分の席を享介伝いで再びとってもらった。こちらは友達に、という名目でとっているためあまり良い席とは言い辛いが、北斗と冬馬がいる席を遠くから見守ることは出来た。 席に着いてしばらくして戻ってきた悠介は舌をぺろりと出しながら「サポーターに見つかってさ」と笑った。当然、享介の雷は落ちたわけだが、それもまた彼ららしいと言えば彼ららしいなあなんて思っていたら無性にJupiterが恋しくなってしまい、翔太はその気持ちを行動にするようにオペラグラスを覗き込んだ。 着席した冬馬は先ほど見た子供達と同じように選手達を指さし、目を輝かせ、温かい目で見つめる北斗の肩を強く揺さぶっている。当の北斗は表情から察するに「冬馬が嬉しそうで何よりだよ」と言いたげで、まるでそれは父親のようにも見えた。ただ、時折見つめるその瞳が親愛だけではないものを滲ませていることを翔太はもう知っていた。 「よっしゃー!!!!! ナイスパス!!!」 「今のプレイは良かったな、俺達がいた時よりもずっと上手くなってる」 「ああ! 俺達も負けてられないよな!」 蒼井兄弟と言えば、すっかり偵察のことなど忘れて自分たちが用意したサッカーの試合にテンションを上げている。 現役アイドルとは言え、元はプロのサッカー選手としてこのコートの上で走り回っていたのだから懐かしくなる気持ちも翔太には分かる。現役アイドルをしていながらも他のユニットのライブを見に行くと高まって自分もまたライブをしたいと思うのと同じだろうと翔太は勝手に解釈した。 オペラグラスの向こうの二人は喧嘩のけの字もないほど和やかだ。 「今何点差?」 「えっとねー」 折角来たのだから自分も楽しもう。翔太は盛り上がる二人の会話に飛び込み、会場のサポーター達の中に溶け込んでいった。
試合を終えて人並みに流されながらも三人は北斗と冬馬の姿を追いかけた。相変わらずテンションの高い冬馬の語りを微笑ましく見守る北斗と言う構図だが、翔太にはもうそれが親子のようには見えない。 翔太は人並み以上に察しが良い。14歳にそぐわない理解の速さで相手にとっての良い子を演じてきた。その方が自分も楽だったし、やりやすかった。だからわがままを言うのは弟というキャラクターを被った時だけ。弟キャラを脱ぎ捨てた御手洗翔太は聞き分けの良い中学生だった。
だけど唯一、翔太が家族以外で御手洗翔太としてのわがままを言える場所がある―――
「冬馬、今日はありがとう」 「おう、北斗もサンキュな。めちゃくちゃ楽しかったぜ」 「俺もサッカーはあまり分からないけど、楽しかったよ。蒼井兄弟には改めてお礼を言わないとね」 「そうだな、あと翔太に土産も買ったし、今日は解散で良いか?」 スタジアムからやや離れたところにある噴水広場、その前で冬馬と北斗は仲睦まじく話している。辺りに人は見当たらない、冬馬と北斗、そして翔太達の5人しか噴水の音は聞こえていないだろう。 冬馬の右手にはビニール袋が提げられていて、蒼井兄弟が以前所属していたチームのロゴ入りボックスが三つほど入っ���いた。蒼井兄弟へのお礼と事務所へのおみや、そして残念ながら今日来れなかったと思い込んでいる翔太にクッキーか何かを買ったのだろう。 翔太はそれを草影で聞きながら「それさっき悠介さんが買ってきちゃったよ」などと一人ごちる。表情は柔らかく、憑き物が落ちたようだ。 悠介が声を潜めて翔太に尋ねる。 「しょーたクン、もういいのか?」 「原因は分かったの?」 「喧嘩ではなかったよ」 ほら、翔太が指さして享介と悠介がひっそりと覗く。翔太はそれに背中を向け、膝に顔を埋めた。
噴水を背景に、まるでそれが止まって見えた。
知り合い同士のキスシーン、それも男同士で、翔太の仲間で、享介や悠介にとっては駆けていくべき場所で・・・そんな二人が、キスをしていた。 触れるだけのそれは、少ししてから離されて、冬馬は今まで見てきた中でも類を見ない程顔を赤らめて口をはくはくとさせている。 北斗も北斗で頬をピンク色に染めながらも冬馬の背中に手を回し、自身の胸の中に引っ張り込んだ。 それを見た二人が跳ねるように草影に引っ込んで、冬馬に負けないくらい顔を赤く染めて「ええ!?え、ええ!?」なんて抑えきれない動揺を二人で共有しているのが面白くて、翔太は思わず笑いを零した。 「逆だったみたい」 「みたいって、しょーたくんいつから気付いてたの」 「今朝かな。冬馬君、きっと北斗君と二人きりだって知って、パンクしちゃったんじゃないかなあ。だから予定よりもずっと早く家を出ちゃって、来たはいいけどどうすりゃいいんだ!?・・・みたいな?」 「ってことは、もしかして冬馬君と北斗君はその様子がおかしくなった日に、」 「うん。お付き合いすることになったのかも。冬馬君、そういうのはほんとウブだから北斗君とこれからどう接すればいいかわかんなくて、それで様子がおかしかった、とか。北斗君は次の日には慣れてたけど、やっぱり冬馬君と目が合うと無意識に逸らしてたし」 試合観戦する北斗の眼差しを翔太は知らない。彼が315プロの人々とは違う親愛の瞳をJupiterに向けていることは知っている。今まで幾度となく浴びてきた優しい視線だ。 しかし、今日見た冬馬への視線はそれとはまた違う、熱視線だった。 一方の冬馬は彼の性質上何かにのめりこむとすっかり他のことを忘れてしまう。ただ、ふとした時、思い出したように照れる様子は恋愛に慣れていない人のそれで。なんと言うか、二人が恋をするとこんな感じになるんだなあと翔太は他人事のように考えていた。 いざ目の当たりにすると複雑な思いを抱かざるを得ないのが三人組の置いていかれた一人というもので、翔太は膝下の僅かな空間ではあ、と息を吐いた。 北斗と冬馬が自分を置いていくことなどある筈がない。のけ者にされるなど以ての外だ。信じている、二人のことを信頼しているからこそ純粋な気持ちで祝福することが出来ない。翔太はそれがたまらなく悔しくて、自分の中のどろどろした感情を吐き出してしまいたくなった。
ふと、身体をぬくもりが埋め尽くして、翔太は顔を上げる。 抱き締められていた。享介と悠介に。半分ずつ体に包まれて、空いた掌で頭を撫でられる。よしよし、子供をあやすような仕草で二人は翔太を撫で続ける。 触れられた部分が気持ち良くて、一粒、目から水滴を零れた。 「悠介さん、享介さん・・・」 「俺達は三人が今までどんなことを話したり、見てきたか知らないけどさ、しょーたくんがほくとくんととーまくんを大好きなのは見ててわかるよ」 「しょーたクン、すっげえ好きだよな。俺も享介のこと大好きだから分かるよ」 「悠介、俺達としょーたくん達はまた話が違うだろ」 「そんなことないって、一緒だよ」
「………………………………」
翔太は赤くなった瞳で天を仰ぐ。木のせいで広がった空を見ることは叶わなかったけれど、緑色の葉っぱの間に見えた空は黄昏時に染まり、赤と青が今にも混ざりそうになっている。風に吹かれて緑が揺れた。
この感情はきっと、不安だ。 居心地が良いと思っていた場所が無くなる恐怖、翔太は二人がくっつくことによって、本来翔太が居ても良いと思っていた場所を失うかもしれないと思ってしまった。 その不安と恐怖が二人への祝福の感情と殴り合って、翔太の中で形容できない感情に変わっていた。醜いそれをどうすればいいかなんてたった14歳の翔太は知らない。
二人が大好きだ。 言葉にはしないけど、Jupiterが翔太の居場所だった。 他の人には言えないわがままが言えた。何も考えずにそこにいられた。
享介と悠介の掌の温かさにつられて出た涙は全て洗い流してくれるような気がしてただ、気持ちが良かった。
次の日、翔太は話があると北斗と冬馬に事務所に呼び出され、二人が付き合うことになった旨を白状された。 冬馬はずっと黙っていたけど、覚悟を決めたように必死に言葉を紡ぎ、北斗もまたどことなく緊張した顔付きで好きと言う感情を口にした。翔太も「おめでとう」と笑顔で言えた。 曰く、先日解散した後電話で話し合ってこの関係を打ち明けることを決めたのだという。翔太にはどうしても直接言いたかったから、まずはプロデューサーに。驚かれたけど、最後にはおめでとういう言葉に変わるあたり流石315プロダクションだなあなんて思う。 冬馬は言い終えた後、まだ少しぎくしゃくしたまま昨日のクッキーを翔太に手渡す。翔太はやっぱり笑って「やったあ」とはしゃいでみせた。 実は試合の後に悠介からお土産にと同じものを貰っているのだけど、そのことは口にする必要がないだろう。 こういう時の演技は上手い方だと自負している。昨日散々蒼井兄弟に甘やかされたから、気持ちの切り替えは終わったはずだ。あとは二人の言葉を受け入れて笑うだけ。 仕事があるからと先に事務所を後にした冬馬に手を振って、自分も今日は帰ろうと支度を始めた翔太に北斗が声をかけた。 なに? そう言って振り向いた翔太に北斗は「はい」とビニール袋を差し出す。 「・・・タオル?」 チーム名が入ったタオルは応援中にもよく目に入ったもので、クッキーと同じお店で買えるものだろうと大方の検討はついた。目を丸くする翔太に北斗が「翔太にお土産だよ」と、微笑む。 「でも僕、さっき冬馬君からクッキー貰ったよ?」 事実だ。さっき翔太は冬馬からお土産をもらっている。事務所宛のものも蒼井兄弟宛のものも全て「北斗と冬馬からのお土産」という名目で渡されていることも知っているし、冬馬からクッキーを渡された時にも「俺達から」と言われている。 翔太は北斗が渡してきた物の意味を理解できずに首を傾げた。 「クッキーは悠介君が買ってるのを見かけたから。翔太、悠介君から貰ったのかなって思って」 なんてことないように口にした北斗に、翔太はぴたりと動きを止める。 「……知ってたの?」 「俺は冬馬が来るよりも先に中でお茶してたからね。売店で悠介君を見かけたんだ。それで不思議に思ってたら、翔太も見つけた。本来空く筈だった席が埋まってたからもしかしてとも思ったんだけど、心配させたのかな。わざと俺と冬馬を二人きりにしたんだろ?」 翔太は呆然とした。見透かされていた。二人を心配していたことも、偵察していたことも、全て。 彼の言う「見つけた」とはきっと試合中を指しているのだろう。最初こそ二人を監視していた翔太だったが、何となく自分の中で答えを得てからは試合に没頭するようになった。 だから失念していたのだ、自分たちの席から彼らが見やすいのならば、彼らからもまた自分達は見やすい。それもただでさえあの会場では目立つ元プロサッカー選手の蒼井兄弟だ。その間に挟まれていた翔太は自ずと目立ってしまう。 何も返すことが出来ずに口籠っていると、北斗は続けて、 「ごめんね、翔太。本当は翔太にだけはもっと早く言うべきだと思ったんだけど、どうしても踏ん切りがつかなかったんだ。でも、昨日翔太を見て、あれから冬馬とちゃんと話し合った。だから、俺達がプロデューサーに言うことが出来たのは翔太のおかげだ、ありがとう」と言う。
その言葉に、思わず目頭が熱くなって下唇を噛んだ。
なんだって、こんなにもこの男は格好いいんだろう。察しが良くて、他人を想えて、それを素直に形にすることができる。 翔太はタオルを握りしめると、ビニールがくしゃりと音を立てた。 どれだけ大人ぶっても冬馬と北斗の前では翔太は大人ではいられない。改めてそのことを認識した。どれだけ年を重ねても、今は小さな身長が冬馬と北斗を超えることがあったとしても、きっとこの関係だけは一生もので、言葉にせずとも翔太はずっと二人の弟のままで、ずっと彼らを尊敬し続けるんだと思った。
「・・・当然でしょ! ほんと冬馬君も北斗君も僕がいないとだめなんだから!」
そう言って翔太は心の底から笑ってみせた。
後日、すっかり事務所に広まった冬馬と北斗の関係はやはり温かい目で見られ、時折High×Jokerの四季や隼人が好奇心旺盛に交際とはどんな感じなのかとそわそわしていたりと予想通りと言うか、あまりにも当たり前すぎる日常に翔太は脱力した。 人生、そう簡単にがらりと変わることはないんだなあとJupiter内の雰囲気のあまりの普遍さにしみじみとしながらも翔太は東雲が持ってきたという手作りクッキーに手を伸ばした。 「そうだ、今日カレー作ろうと思ってんだけど、お前ら食いに来るか?」 プロデューサーとの打ち合わせにと呼ばれた応接室で暇を持て余して携帯をいじっていると、思い出したように冬馬が言った。冬馬は北斗と付き合ったからと言って翔太を除け者にすることは当然なかったが、折角付き合ったのなら二人きりの時間も作ればいいのに。と、思う。三人でいるのは好きだから、別にいいのだけど。 「へえ、冬馬のカレー久しぶりだな。俺は行けるよ」 「僕も、って言いたいところだったんだけど、今日は家族で外食の約束しちゃったんだよね」 「じゃあ仕方ねえな。今日は北斗だけか………」 「冬馬は俺と二人きりなのは嫌?」 「ん……んなことねえよ!」 にこにこ、冬馬のいじり方を思い出したようい北斗がここぞとばかりに冬馬の表情を操る。翔太はそれをどことなく冷めた目で見つめて溜息を吐いた。 問題が解決したし、二人の時間ももっと作ればいいのにとも思った。……思ったのはいいが、公表したからと言っても事務所の面前でいちゃつくのはやめてほしい。一応まだ自分は14歳で、そういったことに疎いべき存在だ。そんないたいけな中学生の前でこっちまで恥ずかしくなるようなセリフを吐かないでくれと思う。 「あー!またいちゃついてる!!」 「ほくとクンととーまクン、事務所でいちゃつくの禁止ー!!!次やったらしょーたクン貰ってっちゃうからな!!!」 翔太が内心で誰かに助けを求めると、その声を受信したのか私用で来ていたらしい蒼井兄弟が勢いよく飛び込んできて、北斗と冬馬を指さした。 翔太はにやりと笑って立ち上がる。蒼井兄弟の間に入って二人と一緒になって指さした。 「そうだよ、僕本当にWに入っちゃうからね!」 「ちょっ、翔太! あんま享介さん達に迷惑かけんなよ」 「三人ってことはトリプルになるのかな�� 「北斗も冗談言ってんじゃねえ!」 騒がしい応接室の様子にプロデューサーやアイドル達がなんだなんだと顔を覗かせて、けらけら笑うWとJupiterに、なんだか楽しそうだとまた人が増えていく。
そんな騒ぎの中心で翔太はやっと心の中ではっきりと「おめでとう」が言えた気がした。
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◎持続可能マルシェ出店者④ aida 量り売りのお店とイベントスペース @aida_kasugai JR春日井駅から徒歩8分の住宅地 庭のある大きな古民家を開いて aidaという屋号で活動をしています 🌱玄関先には量り売りの小さなお店 オーガニック食品や心地よく使える日用品 愛のあるものたちを量り売りで販売しています 容器持参でシンプルで豊かな選択を 🌱お部屋やキッチンはイベントスペースとして貸し出します 展示・ワークショップ・ヨガ・料理教室 ポップアップストアや撮影場所としても さまざまな用途に合う空間 ぜひご見学にいらしてください お店の営業時間や商品のこと、イベント詳細は @aida_kasugai にて更新中 気づく、巡る、流れる aidaでの出逢いが良い循環につながりますように 春日井市林島町148 https://www.aida-mtys.com/ 3/11(木)13:30ー17:00 たいようにて持続可能マルシェ。 持続可能な社会を願う素敵な出店者さん達に出逢ってください◎ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, 同日午前中は、 . 藤原ひろのぶお話会 @fujiwarahironobu 「子どもたちの未来のために大人たちができる選択。」 & 持続可能マルシェ 2021/3/11(木) 10:00-12:30(お話会) 12:30-13:30(自然派ランチ交流会) 13:30-17:00(持続可能マルシェ) 参加費4650円(ランチ代込) 限定40名 完全事前予約制 先着順 中学生以下無料 場所 たいよう Human Connection Natural CAFE/SHOP/SPACE アクセス等は下記ホームページよりご覧ください。 https://taiyoutaiyoutaiyou.jimdofree.com/ お申し込み先 [email protected] 宛にメールにて。 ①氏名 ②お電話番号 ③参加人数 ④お食事の追加や食べられないものがありましたらご記入ください。 藤 原 宏 宣 (ふじわらひろのぶ) NGO GOODEARTH代 表 Facebookページ「病気を治そう!」管理人 インターネットサイト「健康のすすめ」管理人 2009年GOODEARTH設立以降、ギニア・バングラディッシュ・ネパール等発展途上国と呼ばれる国々で貧困に苦しむ人々の問題の 解決に取り組む。 年に数回、自ら現地に赴き、貧困国の暮らしの現状をインターネットサイト等を通じ発信。 現地の人々にとっても、またそれらを支援する人々にとっても良い循環を生み出すことで、持続可能な支援の仕組みづくりをしている。 「世の中に起きている問題と、自分たちの日々の選択がつながっているということ。 だからこそ、一人一人のほんの少しずつ の変化が、どんな問題でも解決していく力になる。」 このことを一人でも多くの人に感じてもらうため、 実際に現地で直接見 てきた現状を動画や写真などで分かりやすく伝え、 我々を取り巻く貧困問題や環境問題などの解決に必要なこと、日本社 会との深い結びつき、未来を少しでも良いものにするためのヒントをお伝えしています。 主な活動内容 現 著書『買いものは投票なんだ EARTHおじさんが教えてくれたこと』(イラスト:法生/発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、 2018年) 著書『ぼくらの地球の治し方』(発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、2019年) ◎ギニア共和国 製氷事業 生活インフラが整備されておらず、U5MR(5歳未満死亡率) が高いギニアにおいて、製氷工場を建設し冷蔵庫の代わり となる氷を販売。 食物腐敗による下痢の発生を抑え、衛生的な食環境に寄与。 また、海産物を含む一次産業を活用 した雇用創出にも取り組む。 ◎ネパール共和国孤児院サポート アジア最貧国と呼ばれ、社会保障が整っていないネパールにおいて、孤児院の食事サポートを開始。 海外からの支援 に頼らざるをえない状況を打破するべく、現地産業(養蜂場 とヤギ農場)と日本の支援者を結び付け、持続可能なサポ ートの形を構築。 (たいよう Taiyou Human Connection Natural Cafe / Shop / Space) https://www.instagram.com/p/CMKKhOYsayk/?igshid=ylkfpkx880c
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◎持続可能マルシ��出店者③ 木漏れ日に集う @komorebi.ni.tsudou 大好物の"木漏れ日"からインスパイアした雑貨&マクロビごはん屋。 出来るだけオーガニックや自然素材を使用し持続可能なライフスタイルを提案。 日常が更に愛おしくなることを考えながら製作しています。 便利な物をちゃんと便利に使うために、使わなくても大丈夫な物まで使いすぎてないかな? 当たり前になりすぎて、大自然と自分との繋がりを見失ってないかな? と、そんな小さなきっかけになったら嬉しいです。 プロフィール 久米美穂(クメ ミホ) 岐阜県郡上市在住 面白そうな事ならなんでもちょっとやってみたい。 服飾専門学校を中退し沖縄やカナ��゙をひとり旅で楽しんだ後、東京で東日本大震災を経験。 社会や環境の問題に関心が高まり、マクロビや重ね煮に出会う。 出産後に名古屋へ移住し「木漏れ日に集う」という屋号で、手編みの帽子や服飾小物、麻たわし・ミツロウラップ、マクロビ弁当の出店や重ね煮子どもクッキングなど開催を始める。 また子育て支援拠点”自然育児おててのいえ”でスタッフを務め、みつろうラップやマクロビおやつのワークを行う。 宇宙の秩序を知ったとき、この身体が何かに生かされている大事な物なのだと気付きました。 自然の一部である私をもっともっと楽しむ為2020年4月、岐阜県郡上市の山の中『母袋』に辿り着く。 お米作りにも挑戦中。川みたいに生きるのが目標。 3/11(木)13:30ー17:00 たいようにて持続可能マルシェ。 持続可能な社会を願う素敵な出店者さん達に出逢ってください◎ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, 同日午前中は、 . 藤原ひろのぶお話会 @fujiwarahironobu 「子どもたちの未来のために大人たちができる選択。」 & 持続可能マルシェ 2021/3/11(木) 10:00-12:30(お話会) 12:30-13:30(自然派ランチ交流会) 13:30-17:00(持続可能マルシェ) 参加費4650円(ランチ代込) 限定40名 完全事前予約制 先着順 中学生以下無料 場所 たいよう Human Connection Natural CAFE/SHOP/SPACE アクセス等は下記ホームページよりご覧ください。 https://taiyoutaiyoutaiyou.jimdofree.com/ お申し込み先 [email protected] 宛にメールにて。 ①氏名 ②お電話番号 ③参加人数 ④お食事の追加や食べられないものがありましたらご記入ください。 藤 原 宏 宣 (ふじわらひろのぶ) NGO GOODEARTH代 表 Facebookページ「病気を治そう!」管理人 インターネットサイト「健康のすすめ」管理人 2009年GOODEARTH設立以降、ギニア・バングラディッシュ・ネパール等発展途上国と呼ばれる国々で貧困に苦しむ人々の問題の 解決に取り組む。 年に数回、自ら現地に赴き、貧困国の暮らしの現状をインターネットサイト等を通じ発信。 現地の人々にとっても、またそれらを支援する人々にとっても良い循環を生み出すことで、持続可能な支援の仕組みづくりをしている。 「世の中に起きている問題と、自分たちの日々の選択がつながっているということ。 だからこそ、一人一人のほんの少しずつ の変化が、どんな問題でも解決していく力になる。」 このことを一人でも多くの人に感じてもらうため、 実際に現地で直接見 てきた現状を動画や写真などで分かりやすく伝え、 我々を取り巻く貧困問題や環境問題などの解決に必要なこと、日本社 会との深い結びつき、未来を少しでも良いものにするためのヒントをお伝えしています。 主な活動内容 現 著書『買いものは投票なんだ EARTHおじさんが教えてくれたこと』(イラスト:法生/発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、 2018年) 著書『ぼくらの地球の治し方』(発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、2019年) ◎ギニア共和国 製氷事業 生活インフラが整備されておらず、U5MR(5歳未満死亡率) が高いギニアにおいて、製氷工場を建設し冷蔵庫の代わり となる氷を販売。 食物腐敗による下痢の発生を抑え、衛生的な食環境に寄与。 また、海産物を含む一次産業を活用 した雇用創出にも取り組む。 ◎ネパール共和国孤児院サポート アジア最貧国と呼ばれ、社会保障が整っていないネパールにおいて、孤児院の食事サポートを開始。 海外からの支援 に頼らざるをえない状況を打破するべく、現地産業(養蜂場 とヤギ農場)と日本の支援者を結び付け、持続可能なサポ ートの形を構築。 (たいよう Taiyou Human Connection Natural Cafe / Shop / Space) https://www.instagram.com/p/CMKJeAIsnOd/?igshid=1wouvapudh100
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◎持続可能マルシェ出店者② ◆ su ◆ @su_bino_su 寄木アクセサリーの制作販売 平面ではなく立体的なフォルム。直線、曲線のバランス。 前、横。見る角度によって様々な表情を見せる形。 1つ1つの木が持つ色味を生かすため、3〜4樹種に抑えるなどバランスを考えた寄木をしています。 家具としての役目を終えた木材や古い家の建具、端材などをメインに使用。 サンドペーパーで磨き上げ、蜜蝋ワックスで仕上げております、 自然な質感で温かみを感じられるナチュラルでカジュアルなテイストの『崇-su-』 真鍮などの金属を取り入れた、大人の女性に向けたクールなラインの『SU MASATAKA HIBINO』 2つのラインを展開します。 3/11(木)13:30ー17:00 たいようにて持続可能マルシェ。 持続可能な社会を願う素敵な出店者さん達に出逢ってください◎ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, 同日午前中は、残席10名◎ . 藤原ひろのぶお話会 @fujiwarahironobu 「子どもたちの未来のために大人たちができる選択。」 & 持続可能マルシェ 2021/3/11(木) 10:00-12:30(お話会) 12:30-13:30(自然派ランチ交流会) 13:30-17:00(持続可能マルシェ) 参加費4650円(ランチ代込) 限定40名 完全事前予約制 先着順 中学生以下無料 場所 たいよう Human Connection Natural CAFE/SHOP/SPACE アクセス等は下記ホームページよりご覧ください。 https://taiyoutaiyoutaiyou.jimdofree.com/ お申し込み先 [email protected] 宛にメールにて。 ①氏名 ②お電話番号 ③参加人数 ④お食事の追加や食べられないものがありましたらご記入ください。 藤 原 宏 宣 (ふじわらひろのぶ) NGO GOODEARTH代 表 Facebookページ「病気を治そう!」管理人 インターネットサイト「健康のすすめ」管理人 2009年GOODEARTH設立以降、ギニア・バングラディッシュ・ネパール等発展途上国と呼ばれる国々で貧困に苦しむ人々の問題の 解決に取り組む。 年に数回、自ら現地に赴き、貧困国の暮らしの現状をインターネットサイト等を通じ発信。 現地の人々にとっても、またそれらを支援する人々にとっても良い循環を生み出すことで、持続可能な支援の仕組みづくりをしている。 「世の中に起きている問題と、自分たちの日々の選択がつながっているということ。 だからこそ、一人一人のほんの少しずつ の変化が、どんな問題でも解決していく力になる。」 このことを一人でも多くの人に感じてもらうため、 実際に現地で直接見 てきた現状を動画や写真などで分かりやすく伝え、 我々を取り巻く貧困問題や環境問題などの解決に必要なこと、日本社 会との深い結びつき、未来を少しでも良いものにするためのヒントをお伝えしています。 主な活動内容 現 著書『買いものは投票なんだ EARTHおじさんが教えてくれたこと』(イラスト:法生/発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、 2018年) 著書『ぼくらの地球の治し方』(発行:三五館シンシャ/発売:フォレスト出版、2019年) ◎ギニア共和国 製氷事業 生活インフラが整備されておらず、U5MR(5歳未満死亡率) が高いギニアにおいて、製氷工場を建設し冷蔵庫の代わり となる氷を販売。 食物腐敗による下痢の発生を抑え、衛生的な食環境に寄与。 また、海産物を含む一次産業を活用 した雇用創出にも取り組む。 ◎ネパール共和国孤児院サポート アジア最貧国と呼ばれ、社会保障が整っていないネパールにおいて、孤児院の食事サポートを開始。 海外からの支援 に頼らざるをえない状況を打破するべく、現地産業(養蜂場 とヤギ農場)と日本の支援者を結び付け、持続可能なサポ ートの形を構築。 ◎バングラディッシュ ギフトフード スラムの子どもたちへの食事サポート 先進国の消費社会 経済に巻き込まれた 多くの人々がスラムての生活を余儀なくされ、いくら働いても一向に豊かになれず、栄養失調で脳に障がいを持つ子どもや満足な医療を受けることのできない人々で溢れかえっています。 スラムの子ども たちを中心に、満足な食事と公平に学べる環境を生み出す為のサポートを開始。 500万人に食事を提供できる環境を整 えるためにプロジェクトを拡大している。 (たいよう Taiyou Human Connection Natural Cafe / Shop / Space) https://www.instagram.com/p/CMKIj_aMuVp/?igshid=gk3uaisfzkpi
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《 YUICHI TOYAMA. 》
「Neutral」(ニュートラル)
無垢なデザインと構造美
独創的だけど暮らしに寄り添う、製品
皆様、こんにちは。 岡山市北区平和町/駅前町/野田屋町 本町/磨屋町の眼鏡店「眼鏡と、」です。
愛してやまない、眼鏡。
なかでも愛おしいのが、当店でご紹介 する眼鏡たち。
“その眼鏡を見ただけで ブランドが認識できる”
デザイナーの思い描く眼鏡の未来
デザイナーの中に溢れ出るイメージ
デザイナー自身の閃きや世界観
それを形にする日本の技術者達の技
そんな眼鏡が僕は好きです
現在、トレンドに沿ったデザインの眼鏡 は星の数ほどあります 新たなブランド、そして眼鏡デザイナー もデビューする中、商品ともなれば全て を把握するのが無理なほど...です
《 YUICHI TOYAMA. 》
洗練されたクリーンなデザインで、当店 でも人気のアイウェアブランドです
Designer 外山雄一 氏
2009年に前身ブランド「USH」を 設立し、国内はもとより世界でも���く評 価されるブランドに成長。 2017年春夏コレクションを期に、 ブランド名を「YUICHI TOYAMA.」に 改名。
産地 福井の眼鏡メーカーで、マーケティ ングと企画開発に従事した後、2004 年に独立。 フリーランスのデザイナーおよびアイウ ェアコンサルタントとして活動を続けた 後に「USH」立ち上げへと至る。
外山氏との出会いは2010年。
共通の眼鏡人を介して知り合いました。
「USH」2年目を迎えた展示会で初め て合い、同年齢ということで自然と打ち 解け交流が始まりました。
当時、私が勤務する眼鏡店では「USH」 の取り扱いを直ぐにスタートを切れず、 しばらくは個人間での交流のみ。
約1年後、「USH」の取り扱いをスタ ートし、岡山の眼鏡ユーザー様へのご紹 介がはじまりました
それから...私の出店のタイミングで 「YUICHITOYAMA.」へと改名した同ブ ランドを取り扱いし、「眼鏡と、」でも お客様にご紹介しています
「YUICHI TOYAMA.」のプロダクトが 好きな理由。 トレンドを取り入れながらも、外山氏の のフィルターを通して生まれたデザイン には、ネクスト的な期待感を感じます かつて歴史の中で生まれてきた眼鏡の意 匠や作り手の想い等へ敬意を払いながら も、眼鏡というプロダクトが持つ可能性 と眼鏡デザインの未来への探求心、その 熱量が強いのです
「YUICHI TOYAMA.」のデザインと設計 は、引き算です 削ぎ落された構造と機能の美しさ。
もちろん、ある程度の装飾性も与えられ ていますが、シンプルなラインと構造。 現在ある様々な眼鏡にあるデコラティブ な眼鏡とは対照的な位置にあります
モードさとクールさを感じる眼鏡
静かな佇まいの眼鏡
清潔感あるクリーンな眼鏡
飾らない上品な装飾性を感じる眼鏡
そんな魅力を感じ、いつも見ています
2013年にヨーロッパ市場に進出した 前身ブランド「USH」。 ジャパンメイド品質の高さとオーセンテ ィックなデザインのモデルが好評を博し 受け入れられたことは、言うまでもあり せん 改名後も意欲的なプロダクトを発表して 国内・海外での評価を得続けています
「YUICHI TOYAMA.」となってからも、 「USH」時代に高く評価されたモデルを 再提案した「Rep.Collection」をはじめ 201 6年に発表した「DoubleDutch Collection」は、現在の同ブランドを代 表するプロダクトとなっています
さらに、日ごろ外山氏があたためていた アイデアや、国内外から寄せられる声を 整理し、『fine』を擁する4つの カテゴリーへとまとめました
▢confine(閉じ込める、とどめる) ステンレスの構造をアセテートに埋め込 んだデザイン。 その構造を可視化させることで、フレー ムの堅牢性と用の美を提示している
特殊なラミネート技術が叶えた前枠の 多様性。シンプルなのに豊かな表情が 眼鏡の印象にも反映されますよ。 軽量かつしなやかなフレームは、極上 の掛け心地。
▢finesse(技巧、腕のさえ) ̄ ̄ ̄ ̄ 外山氏がアイウエアデザイナーを目指 すきっかけとなった80年代のヨーロッ パフレームへのオマージュ。 自身が編み出した「ダブルダッチ」の テクニックで表現している。
一筆書きのように、ひとすじのライン に見えるダブルダッチ構造。 フレームとレンズに生まれる空間が特 有の雰囲気を持ちます。
▢define(輪郭を明瞭にする) ̄ ̄ ̄ (境界などを定める) レンズの周囲をメタルやアセテートの リムで巻いたデザイン。 これにより輪郭を際立せるとともに、 細部から上品さを演出。 職人との信頼関係が生みだした意匠と も言える。
メタルフレームには比較的多く見ること がある、レンズとフレームの間に組み込 まれた樹脂のリム。 逆にメタルリムが組み込まれたスタイル の新鮮さと格好良さ!
▢refine(洗練する、上品にする) ̄ ̄ サングラスラインで人気を博すフレーム に対して「特殊レンズではなく通常のレ ンズで使用したい」という要望に応えた デザイン。
日本の伝統的な職人技術。 その技術も日々、アップデートされてい ます。 日常から着想を得、革新的なデザインへ 落とし込むデザイン力と豊かな感性。
眼鏡に対する情熱を持った双方が、 互いに切磋琢磨し生まれる創造性の塊。
耐久財として、
“見る”ための道具として、
〝眼そのもの〟である眼鏡として、
暮らしの「見る」を支える相棒には そんな眼鏡たちと過ごしたいですね!
培った経験と類まれなアイウェアデザイ ナーとしての感覚が発揮された、現在の モノづくりに、益々期待が高まります
これからも「YUICHI TOYAMA.」のコレ クションの中から、私が厳選したモデル を、しっかりとご紹介してまいります!
ニシダ
『眼鏡と、』 岡山市北区平和町1-10 高塚ビル1階 ℡086-226-5388 ✉[email protected] [HomePage] https://www.meganeto.com [instagram] https://www.instagram.com/meganeto_optical_shop_okayama [facebook] https://www.facebook.com/meganeto.optical.shop [tumblr] https://www.tumblr.com/blog/meganeto-optical-shop
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