Tumgik
#��魔(ゆめをみる能力)悪用厳禁(店長の趣味)
451024 · 25 days
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趣味MV 嫌われても 【テーマは拳骨と青春】
夜中に思いつきでつくったやつ笑
元ネタ:しぐれういとメグリット王妃への怒り(ミーマー時代は歌をみて欲しくてやったけどショートでボロクソにいわれたからグレキャラになった北斗有情破顔健)
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nagako · 5 years
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2019.12.07 感が動くと思考がとまる。そしてDQウォーク
このところ、趣味の激辛料理摂取をやめている。うどんに七味、パスタにタバスコくらいは軽くエンジョイするものの、人体に戦いを挑んでくる種の凶暴なチャレンジメニュー=大好物とは距離をおくよう心がけている。
というのも、酒と激辛の大量摂取のおかげさまで順当に罹った逆流性食道炎が、悪化傾向にあるからだ。刺激物を摂ると、明らかにみぞおちと背中が痛む。酒も飲みすぎると、塩に触れたかすり傷のごとく内臓がひりひりする。
長年飼っている胆石が悪暴れしている可能性も否めない。みぞおちの痛みはまさしくその症状のひとつ。胆石の中には投薬治療できる種もあるらしいが、私の子らには薬は効かず、いよいよ暴れた場合は入院手術が必要となる。
その胆石や生活習慣の影響を監視すべく、毎年胃カメラとエコーの検査を欠かさずおこなっている。小心者の大酒飲みの激辛愛好家ゆえに、いつまでも容赦のない刺激を受け続けるための健康チェックには余念がない。
余談だが、血液検査と尿検査は毎月おこなう。その都度、逆流性食道炎とか食後血糖値症とか自律神経失調症とか頚椎椎間板ヘルニアとか貧血とか、いろいろな不備が発見される。そう羅列するといかにも体調不良のオンパレードだが、最近思うのだ。私、お医者さんに行き過ぎなのではないかと。
もう中年なのだからまったくの健康体であるはずがない。内臓にダメージを食らわせる生活習慣にも心当たりがあり過ぎる。加えてそう頻繁に病院に出向いていたら、何かしらの不備が見つかるに決まっている。
健康診断を受けずに、突然大病を患い、こまめに受けておけばよかったと後悔したという話をよく聞く。それを避けたい一心でこまめにチェックしているわけだが、そもそも病気の原因となる生活習慣を改善する気がさっぱりないのはどういうつもりなのだろうか。
しかしそう鷹揚に構えているわけにもいかなくなった。今年は内視鏡等の診断結果が悪く、いよいよ明確に食道ガン予備軍と宣告されてしまった。さすがに反省し、先々月はとり急ぎ1週間アルコールをぬき、激辛とカフェインも控えた。
結果、食道の調子はすこぶる良くなった。が、困ったことに、頭がまったく働かない。集中力が低下し、原稿が書けない。単語は出てきても、文脈がまとまらない。6時間かけてなんとか記した文章は、たったの2行だ。
数年前までは、蒙古タンメン中本の北極10倍辛を汁まで食らって平らげた後、日中はコーヒーを、夜は焼酎をがぶ飲みながら1晩で2万字書いてた。それが一転、ひたすらに脳がもじゃもじゃして2行しか書けないのだから、廃業まっしぐらだ。
2年半前に煙草をやめたときもそうだった。煙草を吸いながら原稿を書く習慣がセットになってしまっていたせいで、片方を禁じたらさっぱり書けなくなってしまった。禁煙直後は、それまで2日で終えていた文章量の執筆に2ヶ月かかった。
それはいわゆるニコチン依存症の離脱症状で、ニコチンによって脳内に日常的に大量分泌されていた快楽物質ドーパミンが欠乏することにより、イライラしたり、怠くなったり、無気力になったり、眠くなったり、集中力が低下したり、抑うつ状態に陥ったりする。
アルコールもドーパミンをじゃんじゃん分泌させる。激辛のカプサイシンは脳内麻薬エンドルフィンをじゃんじゃん誘発する。疲労や眠気の受容を邪魔するカフェインも含め、様々に多幸感溢れる脳内分泌物によって散々鼓舞され、覚醒し続けた我が脳は、今、ドーピングを失い、すっかり鈍化した。
それまで酷使してきた疲労も蓄積されているのだろう。自ら動く力が弱まっている。我が脳は、いうなれば脳内麻薬の人参がなければ走れない馬。私は脳の持ち主のはずなのに、その分泌物に行動を制限されるとは情けない。
諸々の依存は、人間の意志や思考を無視して人間を支配する。身体にもダメージを与える。私は煙草の吸いすぎによって肺気腫になったし、酒と激辛の摂りすぎによって逆流性食道炎になった。なんとわかりやすい構造だろうか。わかっているのになぜ先にやめないのか。
呆れ果てながらも、身体からのダメだしを受けて、なんとか生活習慣の改善を試みる。禁煙を続け、激辛を避け、なるべく消化の良い食べ物を摂取する。コーヒーも常飲をやめ、外食ランチのときに1杯だけ飲んでいいご馳走方向へと切り替えた。
ところが、酒だけがやめられない。強敵。我慢できても、がんばって1週間。その後はご褒美とばかりにまた飲み出す。もっぱら焼酎の緑茶割りを飲んでいるのだが、緑茶もカフェインを含むわけだからコーヒーのみご馳走扱いしても意味がない。
さらに困ったことには、頭がクリアになってしまうのだ。依存のメカニズム上、本当は鈍重化を促進させているのだが、頭が軽くなり、気も晴れるような錯覚が生成され、調子がいいぞと脳が騙される。主治医曰く「酒はうつ症状の素。陽気になるのは脳が騙されてるだけ」とのこと。
アルコール依存の仕組みはひととおり理解している。支配されているだけで、心身ともに良いことなどないと承知のうえである。しかしながら酒を飲むとするする文章が書けてしまう。まじでただのドーピング、ヒロポンさながら。
コーヒーを飲むと、如実に頭が冴える。錆びて動かない思考の歯車が回転し始める。カプサイシンを摂ると急に霞のかかった脳内がクリアになる。気力活力ともに大充実。しかし食道は痛む。再び2、3日、それらを抜いて調子を整える。
ノンカフェイン、ノンアルコール、ノンカプサイシンの日々は憂鬱で、脳のひだというひだに灰が詰まったみたいに頭が重い。それも偏にカフェイン、アルコール、カプサイシン、かつてはニコチンがもたらした後遺症に他ならないのだから、ただの因果応報だ。
最も困るのは、私の意志や思考の許可なく、動きだしてしまう「感」である。脳内麻薬も、私の人体内の活動であるにも関わらず当の私の許可なく私を支配するが、感情や感覚もまた、私の意志や思考を無視して勝手に反応するのでうんざりする。
テレビで見かけた、親子の断絶とお涙頂戴の仲直りのような予定調和を斜めに見ながら、まじでくそくだらないと心底軽蔑している最中、なぜか、号泣している。頭は、感動ポルノなんか消滅してしまえと思考しているのに、身体はそれを無視して嗚咽を漏らしている。
Netflixで延々と映画やドラマを見続けて、頭では分かりきっているフィクションの設定に対し、脊髄反射的に激怒し、大笑いする。お笑い芸人さんにガチ恋してYouTubeを漁るうちに、おまえ本当にガチ恋してるけど大丈夫か、と自問自答することさえ忘れ、ただひたすらに漁り続ける。
買い物に行けば、すれ違った幼い子供を見て、子供を産まなかった自分の人生を、がらにもなく逡巡し始める。その選択には意味があった。理由もあった。何より意志がある。しかしそうした私の思考は棚上げされた状態で、感が動き、メランコリー質の戸惑いに心をとらわれる。
レジの長い列や混雑している病院の待合室で、公共のルールを守ってきちんと並んで順番を待とう、社会は自分の都���の良いようにできていないと考える一方で、なぜそんなにと理由を問いただしたくなるくらい激怒し、地団駄を踏みたくなる。ちょっとしたことで意味もなく喚き散らしたくなる。
他方、ふらっと立ち寄った手芸店で可愛らしいくるみのボタンを見つけたときには、本当は可愛らしいものが好きなのに照れて意識的に隠し、粗野な男みたいに凶暴に振る舞うペルソナを社会で機能させたわけだが、そんな設定どうでもいいくらい超可愛いなにこれ大好きと、激しいテンションで少女のごとく嬉々とする。ちなみに、後日見ると全然可愛くない。
ある日は、犬を見て泣いた。完全に情緒不安定である。これはおそらく、無情の灰の塊のように固まった脳に、私なのか、無意識なのか、脳自らなのかわからないが、何かが、刺激を与えて動かすべく、感情を故意に昂ぶらせにかかっているのではないかと推測する。
ならば、気に入らない。脳内分泌物質に支配され、思考が鈍った。その隙に感情がつけ入り、いよいよ思考が止まった。そして、感情に支配される。私の人体が、脳内物質と感情に乗っ取られている。そこには、私がいない。私の言動に、私の自己決定が反映されていない。その私とは、果たして誰だろうか。
脳内物質が分泌されるきっかけを作ったのは、私の嗜好であり、摂取したのは私の選択である以上、その不足による不調は自己責任の範疇にある。人体の一部に滲み出る脳内物質の分際で私を支配するのは気に入らないが、自分の言動の結果として理解はしている。
だが、感情は、私の所有物ではない。自分の心に湧き上がる感情や、外部の刺激を察知する感覚は、私と、他者や社会や外界との摩擦によって生成されるただの反射反応である。私サイドには、私に与えられた環境や経験より培った価値観や思想があり、それが様々なひと・こと・ものと遭遇し、ある感情がどこからともなく現れたり、五感の感覚が生まれたりする。
その感じ方には、個体差がある。私にとって嬉しいことを、悲しいと捉える人がいる。誰かにとって美味しいものも、不味いと思う人がいる。よって、こと・ものを主語に据えた形で、「そのことは嬉しい」「そのものは美味しい」という事実はこの世には存在しない。ひとを主語に、「そのひとは、そのことが嬉しい」「そのひとは、そのものが美味しい」が正解である。
時に、他者と同様であるとは証明し得ない自分の感情や感覚を、無自覚的に全世界の事実と取り違えたり、「感じ方」を根拠に自分とは異なる「感じ方」の持ち主を人非人として断罪したり、そうした「感じ方」「お気持ち」を故意に引き合いに出してファクトを捻じ曲げたりする人を見かけるが、そういう方々は自分と「感」と他者と世界の境界線が有耶無耶になっていると「感じる」。
私は境界線に意識的でありたい。感情は反射・反応でしかない。それを感じる素養や肉体は私のものであっても、相対するものがなければ発生しない以上、すべて私が所有するとは言い難い。
両者の接触より発生する性質を鑑みると、作用とでもいうべきか。翻って私の意志や思考や決定権は、私の所有物だ。それが正しかろうが間違っていようが知ったことではない。それらは私だけのものなのだ。
その大切な私の所有物が、ただの反射反応の作用である感情によって、ねじ伏せられている。無意味、無思考、無許可のまま、漫然と犬を見ただけでメランコリーに陥り、泣いてしまうようなことがあっていいのか。
ノンアルコール、ノンカフェイン、ノンカプサイシンの、ないない尽くしの毎日をぼうっとやり過ごして、それでいいというのか己よ。嫌だろうよ。
とはいえ、ここにきて感情がのさばっている状況にも因果はある。私には、物心ついた時から感情を「ただの反射反応」と小馬鹿にし、思考と理由と意志を執拗に言語化して愛でる癖がある。
子供の頃、感情が怖かった。うちは親の教育が厳しかったので、親の意向に沿わない感情、つまり自我が芽生えると、「なにこの感情、勝手に生成されちゃってるけどすごい罪悪感。これを自由にさせておくとまた叱られる。迷惑」などと考えて、ありのままの自分を受容せず、感情を抑圧した。
親や先生の求める理想像になるべく、頭を使って演技した。それが結果的にのちの自分を苦しめた。その抑圧に対する仕返しが、今さらの感情のでしゃばりを誘発しているのではないか。
あるいは、私には感情の解放こそ必要であるとも考えられる。そういえば、思考を黙らせ、感情的な動物になるための装置として、大酒を食らっていたような節もある。
そして脳と身体、思考と感情などと、対立構造を煽って客観視する風情で、全部自分事という得意の独り相撲を楽しむ最中において、脳も身体も思考も感情もほどほどに仲良くするためには、どうすればいいのだろうかと、重たい脳で考える。
そういえば、昔主治医に「鬱々としたときは、有酸素運動を20分以上続けると、脳内麻薬βエンドルフィンが分泌され、スッキリするからやってみて」と言われ、それから週に2回、ジムのトレッドミルで早歩きウォーキングをおこなっていたのだった。
走るのは、嫌いなうえに頚椎ヘルニアのおかげさまで無理なので、早歩きで。普段も万歩計アプリを覗きながら、極力歩くように心がけた。ところが夏にジムが潰れてしまい、外出自体もあまりしなくなり、明らかに運動不足に陥っていた。
そうだ、歩こう。脳も喜ぶし、身体にも良い。脳が喜ぶと身体が悲鳴をあげ、身体を労ると脳が鈍化するこの状況を打開する策として、もってこいだ。好きな美術館や古着屋を巡ったり、都内近郊の海辺を散歩したりするのも良い。少し趣味に寄せてアレンジすると手放しに楽しいうえに、確かに頭もスッキリする。
しかし手軽な近所の散歩となると、飽きる。うちの周りは国道と住宅街と公園と団地と坂しかないので、行きたい場所がない。そうだ、あれだ、スマホの歩行ゲーム。ゲームを取り入れたら退屈せずに歩けるかもしれない。今、話題のやつなんだっけ。そうそうDQウォーク。
というわけで、ドラゴンクエストウォークに嵌る。ゲームも楽しいのだが、近隣を散策していると、思わぬところに美味しい豆腐店や絶景スポットを発見。周辺を地図アプリで検索すると、また知らないお店などが出てくるので、スマホ片手にせっせとレベルをあげながら右往左往している次第。
ただ一点、スマホを見おろす姿勢には難儀する。いわゆるスマホ首は、頚椎ヘルニアには大打撃なので、極力顔の前に画面を持ってきて操作し、歩き、立ち止まって操作し、を繰り返す。完全に不審者だ。しかもその歩き方ではウォーキングの効果も激減である。スカウターはまだか。
最後に、DQウォークしながら立ち寄った本屋で、酒がやめられない私のために神が遣わせた聖書を入手した。町田康先生の新書「しらふで生きる」。完全に天のお導き。勉強させていただきます。
というわけで、読み始める前に、アルコールとニコチンとカプサイシンとカフェインを摂れば半日もかからなかったであろうこの内容も目的も意味もないペラペラの雑記を書くために、しらふで3日もかかったため、これを労い、今日は酒を飲んで良いことにする。作戦は「いのちだいじ」で、ほどほどに。
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2ttf · 12 years
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isao-yamamoto · 6 years
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遠くへ行って思うこと(2016年11月)
11度目の海外旅行。よくもこんなにも飛び回らせてくれたもので恐縮するばかりですが、一応自分で稼いだお金では初の出国です。若いうちに世界を知っておくことはいいことだとか、可愛い子には旅をさせよとか言いますが、加減もあろうこと。状態として随分と旅慣れはしたものの、改めて考えてみると、どうしてこんなにも旅行しているのだろうと思います。趣味欄に旅行と書いたこともないし、だいたい観光はあまり好きではない。というか観光とはいったいどういう行為を意味するのだろう。ということで、ここに僕なりに旅を肯定したく旅論をしたため、以て今回のニューヨーク行きの記録としたく思います。
行先 そんなわけで、パリへのあこがれだとか、魅惑のハワイに誘われとか、そういう動機ではないので、たいてい行先も深い理由なく決まっていまう。安い航空券が取れたからとか、この大陸にはまだいってないとか。ニューヨークにしようといったのは僕だけれど、理由はアメリカ合衆国のメインランドには行ったことがないというのが正直なところなのかもしれない。「アメリカに行ったことある?」という問いに対して、「ハワイなら…。あ、バンクーバーならあるんですけど」「ああなるほど…」みたいなやり取りを幾度かしてきたことが、どこかプライドに傷をつけてきた部分があって、それで、せっかく行くなら東海岸にも行ったことにしたいから、ニューヨークあたりかな、くらいな付箋が付けられてく。そしていざどこか旅行へ行くという話になったときに参照するという、いわば動機の飛躍みたいなものは少なからずあると思う。それゆえに、「どうしてニューヨークにしたの?」「何しに行くの?」といったたぐいの質問は、なんて返すのが正解の回答かな、と一瞬考え込んでしまうのです。そもそも、世の中の大概の理由は理由じゃない。とはいえ一応美術系の職に就いて、ニューヨークに行くとなったならばしたいこと、見たいものはいくらでもあるわけです。ただ、たとえばMoMAに行きたいからニューヨークに行くという順序ではなかったということ。そんなことはどうでもいいのかもしれないけれど。
期待 日常から解放されて非日常を味わわんとするとかみなさんさも当然のことのようにおっしゃいますけど、のんびりとした日常にそんなに不満もないし、たしかに刺激は若干不足しているけれど、その反動でいざニューヨークにというのも動機としては過剰だと思う。行ったらそんなこんなで楽しいんだろうけど、旅行に対して楽しみ!という感じはどうにも乏しくなった。例によって荷造りも直前までやらなかったし、これは盛り上がったら負けというような変なプライドすら生まれている様相。どうせ大概の旅行用品はすでに持っているし、足りなければ現地で調達すればいいというそれだけの話で、乾いていそうな服を適当に詰め込んで出てきたものの、そんなだからやたらセーターを持ってきた割には下着が少ないということが起こるわけです。 学生時代はそれでも、一応図書館で地球の歩き方でも借りたりしていたものの、今回に至っては本屋で30分ばかし雑誌を立ち読みした程度。ニューヨークでは美術館めぐりをしようと、千住さんの『ニューヨーク美術案内』を古本で買ってしっかり予習していこうと意気込んだものの、プロローグだけ読んでこれは面白そうと期待感だけ高めておいて、それ以降読み進める気にならず、終わってみれば第1章のメトロポリタン美術館の先は読まずじまいで帰国の途につくこととなっています。 同行の友人が、せっかくニューヨークに行くからといろんなアクティビティーを追加してくれました。オペラ座の怪人、アイスホッケーの試合、自由の女神、等々… どれもぼく一人だったら興味を示さずに終わっていたかもしれないものながら、��しばかりの好奇心を胸に抱きつつ、高いお金を支払うのでした。
お金 やはり物価がとても高いこの町では、日本での金銭感覚でやっているとなにも食べれずなにもできない状態となってしまうので、今回は項目別に、食費は1日いくら目安といった具合に予算を設定しました。これまでの旅行では、その場その場で気分でカードを使っては、後日請求がきて青ざめるというのを何度もやらかしていて、結局なにしにいったんだろうという反動もなかなかのもの。しかしながら、ただでさえも高いものがチップ文化によってさらに高くなるので、どんどん金銭感覚を狂わせていかないとやっていけません。そして、貨幣価値を平行移動させてものを考えないようにしないといけない。ここでこれを我慢すればあれが買えるとか、さっきあれを買わなかったからここで贅沢ができるとか。パッケージ化されないぶん、いくらでも費用は節約したり膨張しうるわけですが、1対1の等価交換の図式を持ち込んでしまったならば面白くない旅になるだろうし、そいつは随分と面白くないやつ。けれどどうしてもそんな図式は我々の思考回路に埋め込まれてしまっているから、あれこれと無数の言い訳を拵えてきたわけですが、もう何も考えないというのがいちばんで、数字感覚に乏しくて良かったかもと、また言い訳をひねりだしています。
失敗 慣れない街でせわしない行程を消化していると、どうしても予定外の失敗は発生するもので、それもまた旅の醍醐味なんでしょう。何度も移動していろんなところに行って巡る旅もしてきたけれど、移動するたびにそんなリスクを取っていて疲れるばかりだから、今回は1都市滞在にしようとまずもって企図しました。そして、いちいちwifiを求めて何度もカフェに出入りするのも結局安くないことに気づいたので、1都市滞在をいいことにポケットwifiを貸借しておきました。その結果、日本にいるときとほとんど同じ感覚で経路を調べられたので、ほとんど苦労もないはずでした。加えてニューヨークの街区はまったくもって計画的に整備されていて、地下鉄もわりあい南北-東西方向に分かりやすく伸びているような、移動はしやすい都市だと思います。それでも自分が現在向いている東西南北が定まらず逆方向に歩いたこと幾許か。滞在期間と合致したこともあり地下鉄の7日間パスを買ったものの、3日目あたりで紛失し、再購入したので結局交通局には70ドルくらい落としたことになります。それでもいちいち損得勘定をし始めると都市内を繰り返し縦横無尽に移動しなければならない旅程のいちいちがストレスになってしまうので、ぽいっと買い直したのは吉でした。あとは、MoMAでウォーホルTシャツを買ったら子ども用だったとか、シャツと思って買ったものがタイツだったとか、チケットの受け取り場所がみんな適当で延々たらいまわしにされたとか、時差ボケがひどくてミュージカルは半分くらい寝てたとか、成田からの足はやっぱり事前に確保しておかないととくに得しないとか、良い思い出になりそうです。このあたりが旅の本質の一つでしょうか。
目的のアート いざここまで旅が展開してしまえば、この旅の目的は芸術鑑賞です。メトロポリタン、MoMA、グッゲンハイム、ホイットニー、そしてDia Art Foundationの美術施設。移動日を抜けば実質5日間で回るにはぎりぎりの日程。どこもまったく施設が大きくて、ものすごく多くのお客さんでにぎわっていて、名作を簡単に展示していて、この都市の底力を見せつけられました。しかしながら作品数が多すぎて、この旅程の中で見ていくには時間的にも体力的にも厳しく、狙った作品周辺以外は流し見程度でどんどん進んでいかざるを得ませんでした。けれど、思い切ってどんどんパスしていくのもひとつの能力だと思います。高校の修学旅行でルーブルへ行ったとき担任の美術教諭が、素人は全部真面目に見てしまうから必要以上に疲れてしまうというようなことを言っていた意味がいまはよくわかります。見る目を養うことと自分の趣味を知ることは、究極的には軌を一にするのかもしれないけど、とりあえずいまのぼくの守備範囲はまだまだ狭く、心大きく動かされた体験もそんなにはないので、逆に見るべき作品の目星をつけることはある程度容易でしたが、漫然と全部回っていたら苦痛でしかなかったと思います。昨春スペインで美術館巡りをしたとき、マドリードでプラドとソフィア王妃芸術センターを訪れたけれど、歴代王家のコレクション中心の前者は途中から完全に息切れして一周するので精一杯だったのにたいし、そのあといった後者では急に元気になって嬉々としてめぐったのを思い出します。日本で展覧会を見ている分には、どれもせいぜい1時間ちょっとで出てきてしまう分量になってしまっているので、嗜好の差がそれほどでないところ、自らの趣味を知る強烈な体験でした。 ハイライトは、シャガールの優しさに触れたことと、デ・マリア作品の意味、そしてモネのMoMAのモネ室あたりでしょうか。千住さんが件の本で、MoMAでピカソを見て脳のブレーカーが落ちたようなことを原体験として語っていて、そこまでといっては大げさな気もしますが、見惚れてにやついてとまららないのもなかなかないこと。小さいころ、おそらく小学生のころ、母に連れられ広島県立美術館にマルク・シャガール展を見に行ったのが、物心ついてからおそらく初めて行った美術館だったと思います。図録がほしいと言って、家に帰ってもしばらくシャガールを見ては、この絵のタイトルはなんでしょうと両親に問題を出し続けて飽きさせていたことを思いだしました。帰国後その図録を眺めてみたら、やっぱりちょっとどきどきします。その次に母といった美術展がモネ展で、その図録も先日実家から直島に引き上げてきましたが、モネとシャガールにいまこうして魅せられているのは、まさに三つ子の魂百までを地でいくものだと我ながら驚いています。もう1冊一緒においてあったエルミタージュ展の図録はあまり眺めた記憶がないものの、これからの人生でなにかしら顕れてくるのか、楽しみでもあります。 デ・マリア作品は、ニューヨーク郊外のDia:Beaconと、SOHOのThe Earth RoomとBroken Kilometerの3作品をめぐることができました。寡作の作家で、かつ作品の体験にこだわる人なので二次情報に乏しく、直島の2作品から彼の思うところの広がりを探るにも正直なところ限界があって、長い時間作品の中で過ごすことで、また時間季節による変化に触れることで、ふとはっとその奥深いところにあるものが侵入してくるような瞬間があるものの、一方でいまいちどこかもう一歩届かないような感覚を持ったまま紹介したりもしていた作家でした。知識として聞いていた話と、それを上回るような、思わず声にならない嘆息が漏れるものがニューヨークでの体験にはありました。一歩彼の世界に近づいた気分です。しかしながら、Dia:Beaconでの彼の展示がポストカードの写真の図とは異なっていて、よく観察すると床の木目とも少しずれて配置してあったのはなんだったのだろう。 そしてモネ。3枚続きと2枚続きの大装飾画2枚が向き合って展示されて、その合間に長椅子が配置されていたけれど、あまりに広大な美術館の中では休憩スポットともなりかけていて、落ち着いて見れる場所でもないのはもはや仕方ないのかもしれない。数日前のことでありながら記憶をあまりたどれないので、その程度の印象だったのかもしれない。 専門的な美術教育を受けたわけではないし、たまに気が向けば特別展に行く程度はしていたものの、足しげく美術館に通い始めたのはここ1年半くらいもので、少しずつ楽しめるようになっていく過程も面白いものです。以前どこかで見たあの作家の作品がある、なるほどちょっと雰囲気が違うなどという具合に、複数の機会でもってその作品に触れることで深みが見えてくる体験が何度かありましたが、今回もそんな体験となりました。デ・マリア然り、ベネッセハウスミュージアムで見た作家の作品の多くとニューヨークの美術館でも対面することになり、その意味でも直島がいかに特別か、逆に思い知らされることにもなりました。
お土産 美術館に行けば充実したミュージアムショップがあり、お土産選びに精が出ます。ところが、僕の趣味がずれているのかなんなのか、購買意欲をそそられるものは限定的で、なおかつ気にいった作品のものに限ってポストカードがない。職場用にポストカードを買いこんでやろうとたくらんでいたところ、ちょっと狙いが外れました。ちょうどグッゲンハイムでやっていたClaudia Angelmaierの展示で、ゲルハルト・リヒターの『ベティ』のポストカードを彼の娘ベティ原寸大に拡大して展示することで、ポストカードと複製することの意味、そしてそれを思い出にしたり誰かと共有する手段とすることを問い直そうとした作品が出ていて、良い企画だったと我ながらにんまりしたものです。 観光地に行って、お土産屋に行って、あてはないけど誰かにあげるかもといろいろと買い込むわりにはお土産を何度も余らせてきたので、今回のお土産プランとしては、もう自分使い用にはほとんど買わないことにして、菓子箱を空港で買えばいいやということにしていました。これが結構大きな節約策にきっとなってくれているはずなのですが、大きな誤算が、空港でお土産になりそうなものをほとんど売っていなかったこと。これは帰国後も延長戦となりそうです。酒買って帰るから飲み会しようね企画どうしよう。 ニューヨーカーに大人気!的な店を事前にチェックしてちゃんとお土産をそろえていた同行の連れの戦略は正解だったようです。ただ、大人気!ってなんなんだろうという疑問はどうしても湧いてきます。人気のお好み焼き屋と地元の人が行くところは違うような。というか、この国ではおみやげ文化自体が乏しそう。
写真 フィルムからデジタルになり、スマホで簡単にパシャパシャ写真も動画もとれる時代。みんなどこへ行ってもカシャカシャやっています。直島の美術施設の基本的考え方として、写真に残るようなのでない体験をしてほしいというものがありますが、それでもあちらこちからかカシャッという音が響いてきます。あまりにインスタントになった写真文化には辟易させられているところで、今回の旅行では個人的に、できるだけ写真はとらないことに決めました。結果は、計10枚。内訳は、アメリカ自然史博物館の稲作関連の展示のされかたが興味深かったので6枚、お使いを頼まれていたカメラフィルムの写メ、友人がおもしろいTシャツを買っていた図、Dia:Beaconはキャパシティ1200人ですというサイン、そしてビルとビルの合間から昇る朝日の図。思い出語りは、Googleで画像検索すれば済む話。そもそもそんなに旅行の思い出話をすることもいままでなかったっけ。たいていはまったく関係のない場面で、そういえばむかし行ったどこそこでこんなのがあって、いまこれを見てそれを思い出したわ、みたいなことになるもので、それでいいのです。旅行の思い出をアルバムにして共有するのでなしに、こうやって長文にしたためて残そうとしたのも、SNSに何を乗っけるかという発想から行動が統御されていくことにせめてもの抵抗を試みようとしている意図もあります。結局は人と違ったSNSの使い方をしようとしているだけで内実にどこまで新規性があるかは謎ですが。
時差ボケとアクティビティ 今回は初めてのアメリカ東海岸への旅で、その点油断があったかなと反省しているのが時差ボケです。これまではできるだけ日本を深夜に出るフライトを取ったり工夫をしたものですが、最近は1日ちゃんと寝ればOKレベルでそんなに時差ボケで悩んだことも少なかったので、プランの示すままに夕方発夕方着の便を取ったはいいものの、そこから晩は眠れず早朝に目が覚め、夕方に猛烈に眠くなるの繰り返しが結局ほとんど旅行の最後まで続いてしまいました。その結果、20時スタートのオペラ座の怪人は途中から完全に不機嫌な睡眠モードに入ってしまい、アイスホッケーの試合は20分ごとの15分休憩が眠すぎて途中で退散でした。またそれに拍車をかけて、夕食を食べ損ねたまま寝落ちるような日々を繰り返してしまったのも反省です。朝食で贅沢して、10時に美術館がオープンし、見ていたらお昼を大きく回ってお腹を満たし、睡魔と闘いながら午後のアクティビティをこなすリズムはよくなかった。ただし結果的には、夕食分の食費が浮いたのは大きかった。 そんなコンディションだったこともあるにせよ、その手のアクティビティにいまいち乗り切れなかったのは、自分の趣める範囲の境界線を知ることにもなりました。どうやら、エキサイトするのがあまり得意でないようです。Exciting, amazing, fabulousな文化であふれているタイムズスクエア周辺はやっぱりどうにも落ち着かない。どちらかというと、やっぱり落ち着いて何かを愛でたい。
現地人になりきる 各地でテロ事件が起こったり、海外は心配とはよく言われるし、まったく不安がないわけではないですが、しかしながら日本が安全かといえばそうも思えず、ただ神様に守られるかどうかに尽きるのだと思うわけです。それでも不必要なリスクは低減させて然るべきで、まずはむやみに目立たないのが一番かと思います。 どこへ旅行し���も日本人観光客がいて、日本語が聞こえてくるとなんだか萎えてしまうのは誇り高き旅行者を気取るプライドからか、それとも日本人観光客がどこか浮ついているように見えるからか。ニューヨークでは季節柄か巡った場所の趣味のせいか、日本人を見かけることはかなり少ないものでした。それでもリバティー島行きのフェリーのなかで何組か見かけた日本人は、目に不安があふれているか、あるいはあまりに軽い視線を投げかけているか、そのどちらかに見えました。そうやって蔑んでみて、この人たちとは一緒にされたくないと心のどこかで思ったりするのも間違いなく変なプライドのせいですが、そうやって逆のアイデンティティ意識を持とうとするのは性分のようです。どこかアトラクションをめぐることよりも、街を歩いてはその国訛りの英語にすぐに同化していったり、歩き方や表情をその土地の人のするように真似してみたり、そんな都市の愉しみがいつも僕の旅の中心にある気がします。
この国の文化 しかしながら、チップ文化と何を言ってるかわからない店員のジョーク、そして何度も聞かれる"How are you?"には最後までどうも馴染めませんでした。貨幣経済の中心地でありながらというか、だからこそなのか、心づけなんていう不確定要素を付随させるとは。そしてお金はより循環していく。決まりきった文句を言い続ける店員もいれば、だるそうに欠伸しながらもよく分からないジョークを言ってくるお姉さんもいる。美術館スタッフの人たちも、みんな壁によっかかって退屈そうにしているように見えながら、服のせいか体格のせいか十分に威圧感があるので、作品は十分に守られている。みんな美術館慣れしていることもあるだろうけれど。べつに接客文化の比較批判としたいわけではないものの、帰国後カレーが食べたくて吉野家に入ってぼん���りしようと思ったもののそんな間もなく商品を出してくる接客態度はつねに下から下から。あまりに定型化された日本の店員さんの態度は、冷静に見るともはやコントなんじゃないかというような気がしてきました。出国前に東京駅の定食屋でおじさんが店員に暴言を吐いて出禁になる瞬間を目撃してしまったことを思い出したけれど、心づけはある種の潤滑油になっているのかもしれない。
距離を隔て、なお思うところのもの 慣れ親しんだあれこれから離れ、話す言葉も売っているものも違うところで日々を過ごしているうちには、いろんなことを感じ、また考えます。そんなことを、忘れてしまわないようにメモ帖に書きつけたり、記念のお土産品を買ったり、写真を撮ったりします。そして、こんなことがあったんだよと、お土産話を蓄えこんでいきます。そんな経験のいちいちを、どうしたいだろう。たとえばこの置物を家のどこそこに飾ろうとか、だれかに頼まれたお土産をちゃんと買ってきたよと渡すときのことを想像したり、あるいは次の旅行はどこにしよう、誰と行きたいだろうと考えてみたり。インスタントにSNSへどんどん投稿してしまうこともできるし、実際今回はポケットwifiを持っていたので4sqへはリアルタイムで投稿していたけれど、遠く離れているからこそ、そんなときにこそ思うこと、想う人がいて、それが日常の中で大切なものだったたんだと気づかせてくれる。繋がらくなったときにこそ、帰ったらまず何をしよう、だれと会おう、と考える。大抵のやることなすことは、ごく個人的なことでさえ誰かへの意識が隠れている。完全な自己完結など本当はほとんどしていないはず。日常ではあまりに取るに足らないことだと思っていたそれらが揺らいだときに、すり寄りたい縁がだれしもきっとあって、そんな気付きを与えてくれることにこそ、遠く日常を離れてみる意味があるのではないか。そんなことを考えてみました。そんな隔たりそれ自体にいろんな思いを託してみたりとか、いろいろしてみたけれど、やっぱりどこか一抹の寂しさもなお残ることに気づき始めているところです。旅をするたび、ぼくはその残滓を確かめているような気がします。
各地を訪れては、なんだこんなんでいいのか、と日々の当たり前を崩していった結果、ひねくれを極め数々の妄言を吐いては失笑を買ってきました。よく言えば視野が広く、悪く言えば遠くを見すぎてピントが合いません。いいことなのかどうか、投資に見合うことなのかどうなのかはわかりません。けれど、許される限りはそんな生き方を続けていることでしょう。
米国北東部は大寒波で、少しタイミングがずれていたら帰ってこれないところでした。日本も寒波と騒いでいますが、ニューヨーク仕様でコートを卸したのでこの程度は大丈夫。無事に仕事復帰できそうでよかったです。
畑もイノシシにやられてませんでした。再び美しい日常の再開です。
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