#毛皮アクセサリー
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leather 、 accessory 手前〜 エイ→エイ→象→馬 ネックレス 、 、 、 、 、 、 、 Sustainable Development Goals:SDGs next generation. Activities to protect new lives I'm going now . . . . Shop . https://tfizz.stores.jp/ . https://minne.com/@t-fizz . https://www.creema.jp/c/tfizz . . エアー·マミー 〒066-0012 北海道千歳市美々新千歳空港2F TEL:0123-46-5891 . オートバリスタ/autobarista 〒781-5103 高知県高知市大津乙951-1 TEL:088-881-1345 . Amerika/Los Angeles @t.fizz_kmkr (http://instagram.com/t.fizz_kmkr) . https://www.tfizz.com/ . #tfizzkamakurajapan #tfizz #革雑貨 #一生物 #ショルダーバッグ #革製品オーダー #革小物 ##leathercraft #一生物 #ネックレス #お出かけコーデ #革職人 #鞄 #fashionstyle #鞄 #accessory #小物入れ #お洒落 #毛皮 #fashion #アクセサリー #ファッション好きな人と繋がりたい #北海道土産 #バッグ好き #bag . (Tfizz/kamakura/japan) https://www.instagram.com/p/CpoNXc1PS_3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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9/20
ひさしぶりに日記を毎日書こうと思って書いてみている。手の甲の血管が浮き出てきていて歳をとったことを感じた。
しばらく虹を見ていない。昔、お母さんに「さいきん虹を見ていない」と話したその日の夕方、偶然にも空に虹がかかった。バイアスでしかないけど、でもわたしはその日から世界が大好きになった。生い茂る緑、海の匂い、音、海風でほ���いた髪の毛がざらつき、わたしの瞳は降り注ぐ光を受けとめて輝く。裸足になって草むらを歩くと意外と痛いのしっている?海辺に咲く紫色の花はハマゴウといって「慎ましさ」という花言葉があるらしい。そのハーブに似た爽やかな香りを乾いた風がじゅうたんみたいに辺り一面に敷いて、わたしはその上でしばらく仰向けに寝転んでいた。こういう日々が続けばいい。ずっと空を見ているとだんだん波の音が遠くなっていって、心が晴れやかに、まっさらに、洗われていくような気がした。焼けた太腿に小さい虫が止まっているのを見つけて、でも払わずにそのままにしておく。海水で濡れた純金のネックレスが冷たく光る。美しさはときに暴力性を内包しているというけれど、それは果たしてほんとうだろうか?そしたら一体やさしさってなんだろうとか考えて、結局わからなくて、そのまま目を閉じた。
この間、地元で祭りをやっていた。暮れ方の天上に鳴り響く太鼓のずっしりした低音がわたしの心臓を突き動かす、ぶわあっと鳥肌がたつ。ルフィがニカになるとき、みたいな、変な感想しかでてこないけど、ぶるぶる震えて、数百年前にこの土地に根付いていた命と生活が古い映画みたいに巻き戻されていく。
こういう人間の生き延びるための知恵とそれを豊かにするほんの少しの遊び心が好きだと思う。草花を薬や香料として使ってみたり、魚の捌き方にも美しさがあったり、ほかにも樹皮を削って煮出す染料や蔓を編んで作る工芸品、鉱石が光るアクセサリー、その土地に根付いた神話、祭りの文化、民族音楽、スポーツ、踊り、花言葉と星座。たまにパズルのピースみたいな全てがぴたりと当てはまっている感覚になるときがある。街を歩いている人々がそれぞれ違う仕事をしていて、でもそれがちょうどいいバランスなのが不思議。宇宙飛行士になる人生も、突き詰めてイルカの生態を研究する人生も、ガラス職人になる人生もあって、それのどれも選ばない人生もある。運命がちょうどいいぐあいで溶け合って交わりあって世界が狂わずに前進しているのにぼんやり感動する。
それこそ、ここ2年くらい広告会社でインターンをしているのだけど、世の中には目には入らないだけでこん��にも画期的で素晴らしいサービスが溢れているんだ、ということを日に日に実感する。そしてその作業の工程の数だけ、商品の数だけ、研究内容の数だけそこに携わりながら頑張っている人がいて、その人たちのおかげで今の生活そしてこれからの生活が守られているということを考えていると、感謝の気持ちが溢れる。わたしは生かされてる。そういうところに気付ける大人になれてよかった。
たとえば地球の地熱資源を活用した発電方法で脱炭素化をめざす会社がある一方で、光合成生物の培養プラントを利用して温室効果ガスを資源化する会社もあって。感情データの解析する会社や、藻類の研究開発を通して天然の着色成分や健康や美容の分野において貢献する会社もある。「知らない」ということはものすごく無垢で尊いことだけれど、「知識」というのは身につけるだけで世界の見え方が多層的かつ複雑なあやとりみたいに緻密で繊細で豊かなことに気付けるのでもっと尊い。顔に現れる皺の数の分だけ、わたしの感性にはだれかの未来を良くしようとする想いや頑張りが刻まれる。けして自惚れず、わたしもこれからのだれかのために頑張っていきたいと思った。
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グッズのマリン三輪隊の話(二次創作)
あなたの詠唱はどこから?
三輪秀次はビリジアングリーンの毛先を持つデッキブラシをぐるりと回して、コツンと甲板に突き刺した。風がデッキを渡り、身につけたセーラー服の襟がふわりと浮いて首を包む。腰の金ボタンが僅かに震え、陽光を反射し、古寺が一瞬目を瞑った。
『詠唱』が始まる。
しかし、その詠唱はお粗末なものだった。
「……世界を繋ぐ青い空‼ えーと、希望の空から降り注ぐおひさまのシャワー‼ ……んん、きらめくソード‼ キュア…」
「違います!」
「違う!」
「違うってよ〜」
「違うのか?」
隊員たちからすぐさまダメ出しされ、隊長は詠唱を途中で遮られたことに不服のようだ。
「それは詠唱じゃないな」
奈良坂は手旗をバツ印に重ねながら言う。こちらもセーラー姿だ。本日、三輪隊は嵐山隊他と一緒に広報の撮影に来ている。メインはやはり嵐山隊で、三輪隊も「他」に入る部類なので待ち時間が多い。
スタジオ撮影ではない。わざわざ海近くの公園まで来て、観光用に係留されている帆船を借りての野外撮影だ。そんな場所だから、隊服の撮影ではない。隊それぞれに衣装が用意されている。マリンを意識した、水兵服風だ。
そういうのは、広報部隊だけでいいだろうと思う人間は結構いるはずだが、どう��ても必要だから、とメディア広報室長の根付から、ではなく、営業部長の唐澤に爽やかに笑ってポンと肩に手を置かれると誰も断れない。三輪も同様だった。
時期を違えて、他の隊でも撮っていると聞けば尚更だった。
「さっきから何をやっている」
やはり撮影待ちの風間が船底からデッキに出てくる。隣には緑川もいる。嵐山隊他の「他」の仲間はこの風間蒼也と緑川駿で、なぜこの二人が隊ではなく、それぞれ呼ばれたのかは唐澤にしかわからない。
風間は蒼也の蒼にちなんでブルーの、緑川は緑にちなんでグリーンのセーラー服を支給されている。三輪隊は隊服カラーの紫だ。皆、まったく一緒という訳でなく、少しづつ違っている。
そのことに言及すると、奈良坂から何を当たり前のことを?と言いたげな視線を送られたので黙った。
例えば、緑川と風間のセーラー服は造りはほぼ一緒と言えるが、色はもちろん、金ボタンの位置やズボンのデザインが違う。さらに風間はつばを深く折ったような帽子を被っていた。セーラーハットというそのままの名前の帽子らしい。一方、緑川は縁にリボンの付いたベレー帽だ。彼の衣装は横ボーダーのインナーと短い丈のセーラージャケットで、両襟をアクセサリーで留め、まるでアイドルのようだった。
「先輩たち、暇だから遊んでるんでしょ」
中学生に訳知り顔に指摘されて赤面する。尊敬する風間の前で言われるのも恥ずかしい。しかも、図星だった。
「棒が二本あるだろ? だから、オレが槍の使い方を教えてたんだけど、スタッフさんに危ないって怒られてさあ」
米屋陽介が説明する。
「陽介、棒じゃなくてデッキブラシだ」
「棒だろ」
デッキブラシは撮影の小道具で三輪と古寺のふたりがブラシ係だ。奈良坂は旗係で、二本の旗を持たされている。気に入っているようでずっと持っていた。米屋は何故か皮袋だ。デッキブラシを持たせても槍にしか見えないと思われたのだろう。ネクタイも腰に引っ掛けていて、休日に出かける船乗りという設定なのか、ラフな感じがよく似合っていた。
「それで、この棒を槍じゃなくて杖ってことにして、詠唱ごっこしてた」
「詠唱?」
風間が首を傾げる。三輪が横から説明する。
「魔法使いが杖を使って呪文を唱えるじゃないですか?」
「ああ」
「最初は適当な呪文を言ってたんですが、今度は何かを召喚してみようって話になって」
「召喚?」
緑川が面白そう、と言っている横で さらに風間が首を傾げる。三輪は申し訳なくなってきた。元々、考えついたのは三輪ではなかったから説明もしづらい。今度は奈良坂が助け舟を出す。
「魔法使いのごっこ遊びみたいなものです。魔法で精霊を呼び出す呪文を、一番それっぽく言えた奴の勝ちというルールです」
奈良坂は進学校の学生らしく説明が上手い。しかし、明快に言語化するとますますやっていることのバカっぽさが際立った。
「それで三輪先輩ダメ出しされてたのかぁ」
緑川がニヤニヤする。
「……」
彼は迅以外には大体こんな感じだから三輪も気にしないことにしている。
「三輪は全然ダメだった」
「……」
それには反論しようもない。三輪が魔法と聞いて連想するのは、昔、姉と観ていた魔法で変身する女児向けアニメしかない。
「今度は奈良坂がやってみろよ」
米屋が言った。
「ああ」
コホンと奈良坂は咳払いをして、旗を上に構えた。デッキブラシではなく、こちらにするらしい。奈良坂の衣装はダブル六つボタンの付いたジャケットのようになっていて、カチッとした印象だった。
長い腕で、二本の掲げた旗をくるり回すと舞踊を見ているかのようだ。奈良坂の詠唱は短かった。
「エクスペクト・パトローナム!」
「へ? 短くね?」
ハリーポッターに全く興味のない米屋が無表情になる。元々、目に感情が入らないから少し怖い。
「守護霊生成ですから召喚とはちょっと違うかと」
古寺が遠慮なく指摘する。
「ダメか」
「精進しろ」
風間もわからないながらも審査に参加する気になったらしい。
「はーい、次オレ〜」
「よねやん先輩、頑張って」
三輪からデッキブラシを渡され 嬉しそうにひと振りする。ぶんと勢いよく、棒がしなった。槍にしか見えない。彼の上着もジャケット仕立てで、奈良坂と違うところはシングルボタンである。大きく開いた上着から青の縞模様を見せている。足元はビーチサンダルで裸足同然だ。
彼は魔法、魔法だよなあと呟いた。
「陽介、ちちんぷいとかじゃあダメだからな」
「と、思うじゃん?」
米屋はニヤリと笑って、デッキブラシの柄でカンッと床を叩いた。そのまま、柄を丸く滑らせていく。
「魔法陣グルグル トカゲのし…」
「パクリでしょう!」
また古寺が突っ込む。弟が二人もいて、少年漫画に詳しいのは彼しかいないのだ。
「そういえば、作戦室で観てましたね」
「テストで誰もバトってくれねえんだもん」
「勉強しろ」
「よねやん先輩かっこ悪い」
「ちぇー、奈良坂はパクリじゃねえのかよ」
「おれが許します」
「贔屓ィ」
古寺は咳払いだけして無視する。
「じゃあ、次は古寺だな」
風間は冷静に順番を数えた。
「はい、風間さん」
途端に古寺が自信のなさそうな表情をする。三輪は「がんばれ」と励ました。
後輩はデッキブラシを三輪から受け取って、杖を握り横に構える。目を閉じる。他の隊員たちよりひとつ下の年齢を意識してか、かわいいデザインになっていた。サスペンダーをし、ネクタイもリボンのように結んでいる。靴も軽快なスニーカーだ。
しかし、その時、周りの者には風にはためく不吉な黒いマントの幻想が見えた。
「原初の時空に彷徨う白き者よ、我が誓願を聴きたもう。我が名を持ってここに顕現せよ。我は古寺章平、黄昏の支配者にしてこの地の放浪者なり」
みんなポカンとしていた。
「これより一切の慈悲なく我が敵を殲滅よ!」
「ハーイ、カットぉー、木虎ちゃんお疲れ様ぁ」
向こうから嵐山隊と撮影スタッフの声が聞こえる。
「えーと、終わりました」
デッキブラシのブラシ部分を床に下ろして、こちらを見る。いつもの古寺だ。
「なんで、そんな本格的な……」
三輪がうめくと、メガネの縁に手をかける。
「弟とやるカードゲームによく出てくるんで覚えちゃいました」
絶対に読み上げなければいけないルールで、と付け加える。
「スゲエよ」
と、米屋。
「カッコイイ、古寺先輩」
「お前が優勝だな」
奈良坂は旗をパタパタと振った。
風間もウムとうなづく。
頃合いよく、スタッフから声がかかる。
「そろそろ撮影に入りまーす」
「ハーイ」
終わり
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サンエックス ネットショップ限定のリラックマ ロゴ キーホルダー (チャイロイコグマ) で、毎日のアクセサリーにかわいらしさとリラックス感をプラスしましょう。この愛らしいキーホルダーには、リラックマの小さなクマの友達で、居心地がよくのんびりとした魅力で知られる、愛らしいキャラクター��チャイロイコグマが描かれています。
高品質の素材で作られたこのキーホルダーには、柔らかい茶色の毛皮と愛らしい表情で満足そうに座っているチャイロイコグマの詳細なデザインが描かれています。キーホルダーにはクラシックなリラックマのロゴが飾られており、人気のリラックマシリーズのファンにとって完璧なアクセサリーです。バッグや鍵に付けたり、装飾用チャームとして使用したりして、このキーホルダーは毎日のルーチンにちょっとした遊び心と温かさを加えます。
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いいことあったら
いいことあったよ
帽子を買ったぜ!⭐️
暖かくて落ち着く
帽子は外界を遮断してくれる画期物、天才
思いもしないことばかり考えて不安で安心して外歩けないので、帽子は大丈夫だよと頭を撫でてくれる天使ちゃんである
感じたくない感覚を尖らせずに好きな感覚だけを使って外を歩く。外の世界は素敵なんだ。
人が多い場所は苦手。多くの声が聞こえて多くのエネルギーが私の体内を侵食してくるから。体を蝕んで、数時間でヘロヘロになる。立てなくなる。私より「生」の波が強いお方が多いもんで、負けますね。体力の問題か? 体を改造しなければならない
でもそんな時でも、帽子があればいいのですね
初めて、自分で帽子を買った。今までプレゼントで頂くことばかりだったので、8000円は躊躇した。でも、銀行の残高なんて知らねー、と押し寄せてくる後悔の悪魔に言ってやった。 そーだ、知らねーよ。使うことで巡ってくんだからね🔄
サイト見てたら、おニュー欲しくなった。
最近は頭と足をこだわってる。真ん中をカラフルにしてもイマイチだなーとずっと思ってて、帽子と靴をこだわってどれにしようかなぁと悩んで選択した物を見に纏うと気持ちがいいもんですよ。
これだ!5年ぐらい悩んでた正解はここにあったんだとね。服はシンプルにアクセサリーは華やかに。
こうやって自分を守るのです。自��防衛少女。
私は挑戦が好きです。知らないこと行きたいところ、みたいこと。全てに前傾姿勢で挨拶回りしてる。深く挨拶することもあれば、小話して思ってたんと違うなと即帰宅することもある。なんでも突っ込んで何様なんだと考えたこともある。浮気してんな。あまいな。とか。でもさ、よーく考えて、人生は一回。いつ死ぬかわからない瞬間に1秒1秒命刻んで生きてるワタシは、知らない世界を知りたいんだ。知らないまま骨になりたくないんだ。知らない世界を知って、知らないご飯を食べて遊んだ筋肉や贅肉を身につけて感じて骨になりたいんだ。その重さを知りたい。知るまで死ねないのかなと。その重さを感じる過程には失敗という一般的には不名誉な賞状があるわけで。昔は失敗しないように取り繕って平気な顔して過ごしてたガキンチョだった。失敗is恥and不名誉って、笑われるもんだから怖かった。17歳で知らない世界に飛び込んでみることをしてから、失敗は悪いことじゃないと学んだんだ。こんなワタシだから成功が当たり前じゃないか!と傲慢な態度でいたから、うまくいかないことが立て続けになった時は、学びの最高潮だった。あーよかった。あの時間を過ごせてよかった。 ガキンチョ成敗してくれた。感謝だ、👼
なんでこの流れになったのかは、ブリーチを美容師さんと話して時に思い出したんだよ。眉毛のブリーチしたい!!と相談したら、皮膚が弱かったら爛れる可能性がある様とのこと。聞いたワタシは小心者なのでやっぱやめますと。挑戦してないやん、ワタシは頭で闘いましたよ。結論は、身体的苦痛を伴う失敗は嫌です。拒否です。
いいことがあったら、いい気分になれる
いいことって自然と巡ってくるもんだと思ってました。自然の産物で、人工的に作れやしないと。作れたとしてもそれは人工物であって本当の意味で満たされた幸せは手に入れないと思ってたんですね。
サイキンハ、人工の幸せも幸せの仲間に入れてもいいんだなぁと考えてます。幸せは十人十色なのかな。側から見れば当たり前のことのように見えることも、ワタシにとってはワクワクする幸せで、幸せは自分の基準で測る方のことが幸せの正確値を導けるのだと知りました。19歳のワタシは此処に到達しました。作り上げた幸せで満たされて幸せになり、幸せなワタシが誰かを幸せな気持ちにさせ、その幸せな気持ちが回り回ってワタシに幸せを与えてくれる。このサイクル不思議。幸せになりたい、包み込まれないなら、幸せとおもう行動をしなければならない。そう結論づけました。
お金も幸せも積極的に行使することで肯定なサイクルがうまれる。
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荷物を手軽に持つなら小さめの本革トートバッグ!
ミニトートはリュックや通常のトートと異なり、ころんとしたフォルムが魅力です。アクセサリー感覚で使用でき、必要なものを気軽に持ちたい人におすすめです。今回は当店の可愛い本革ミニトートバッグをご紹介いたします!興味のある方々はぜひご覧ください!
まずはハンドバッグ 小さめ 本 革 ビーズ ハンドル バッグ 牛革 バッグ ショルダー 手提げ バッグ おしゃれ。
ハンドルがビーズになる個性的なデザインの可愛いハンドバッグ。柔らかいトップレイヤ牛革素材がプリーツ加工され、高級感のあるシンプルデザインに仕上がり、持つだけでオシャレのスタイリングに格上げられます。 普段使いでも気軽に使えるきちんと感、フォーマル感を演出してくれるバッグで、日常用はもちろん、卒業式や冠婚葬祭などのセレモニーシーンでも活躍できます。また浴衣姿にもぴったり!ショルダーベルトが2本付いており、コーデやシーンに合わせて持ち方を変えることができます。 コンパクトなサイズでありながら、ちゃんとマチがありますので物の収納には問題な���!小さいので持ちやすくて使いやすいです。ご自分用にも贈り物用にも最適な一品で違いない!
次は牛革 ショルダーバッグ 革 バッグ 柔らかい トート バッグ かわいい。
上質な牛革を使用したショルダーバッグ。取り外しできる太めベルトとミニポーチが付いており、多様な掛け方が実現できるし、細かいものまできちんと収納可能。ミニマルなサイズでありながらも、マチが広いため収納力が高く、使いやすさを追求する方々におすすめです。シンプルなデザインも洗練された雰囲気を演出し、様々なシーンに適用できます。
最後はハンドバッグ 2way 女性 バッグ 人気 40 代 カジュアル ブランド。
ライチ紋トップレイヤ本牛革を使用したバケツ型トート・ショルダーバッグです。持ち手は長さが調整できないけど、適当な長さなので掛けやすい。開閉部分は隠しマグネットボタンが付いており、外観の美しさの邪魔にならないし、しかも強力で物を落とす心配もない。ちょうどいいサイズにメインポケットと二つの仕切りポケット、広い収納スペースが確保できる。普段使いにぴったりの一品でおすすめです。
トートバッグ かわいいをお探しなら、ぜひninicolleへ!
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なんの予定もない1日(しかも明日は予定ありの有給、その予定ももうしかしたら雨でちゅうしになるかもしれない)だったので、急遽美容室を予約した。10月ぶりの美容室だった、、4ヵ月も髪の毛を放置してた��プリンも育ち、枝毛だらけ、まとまりもないパサパサ髪になってしまった。鏡に映る 女子力の欠片もなくなった自分の髪を見る度に自己嫌悪に苛まれてしまっていた。重症。
美容室に行かなくなる理由は主に2つ。お金と時間。美容室に行って毎回1万超えのお金を使うより、もっと優先順位が高い出費がある。そして、予約が嫌いな人間としては前もって予約をして、他に予定もないのに着替えてメイクをして街に出るのが面倒。生憎、余裕があるお金も時間も持ち合わせてない、、
あと1つ、わたしは男性に会うより女性に会うほうが緊張する。同じ立場の女性として、どんなメイクをしているかどんな格好をしているか、見た目から何を判断されるんだろうかとソワソワしてしまうから。女子力が高い子と会うときはもう尚更。デートに行くときなんかよりもずっと時間をかけて、しっかりメイクをして、洋服も一生懸命考える。爪もしっかり手入れする、ネイルする。アクセサリーも付けていく。だから、人に会うのは億劫になる。そう、そして美容師さんはどちらかというとそこらの男性よりも女性視線で物事やメイクを見ているから、これもまた緊張する。わたしが担当してもらっている美容師さんはメイクも勉強していたから、こちらからすればもはやメイクのプロ。そんな人にわたしのメイクを見られるなんて、、しかも前は鏡。緊張しないわけがない。
そんなこんなでいろんな言い訳を理由に、美容室へ行く回数はめっきり減ってしまった。働き始めた頃は頻繁に行ってたし、月に1回行かないと!という謎の使命感に駆られていたのに。美容室より大事なことを見つけたということにしよう。
で、今日久しぶりに行った美容室。毎回の挨拶は「久しぶりー」 髪の毛の成長ぶりを見てもらってカットカラーをしてもらう。
隣に人がいると緊張する。そこもまた大体女の子なので、どう見られてるんだろうとか緊張してしまう。わたしってやっぱり根暗なのかも。
今日隣にいた女の子(お客さん)と女性美容師さん2人の会話が耳に入ってきた。
「シキチンするほどぬってんの?」
突然入ってきた聞き馴染みのない言葉に、頭の中はもうシキチンでいっぱい。シキチンって何。
少しだけ耳を澄まして会話を盗み聞きさせてもらったら、まつげ美容液のお話をしてた。まつげ美容液をぬりすぎて、目の周りの皮膚が色素沈着してると。色素沈着のことをシキチンという時代がやってきていた。
新しい。でもおもしろい。
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可愛さを受け入れる:リラックマぬいぐるみの愛らしい世界を探る
導入:
ぬいぐるみの広大な世界で、一つのキャラクターが圧倒的な魅力と普遍的な魅力を持って際立っています──愛らしいリラックマぬいぐるみです。日本生まれのリラックマは、その愛らしい容姿と楽しいバックストーリーで世界中の人々の心を捉えました。リラックマぬいぐるみの魅力的な世界となぜそれが可愛いKawaii文化のグローバルな現象となったのか、詳しく見てみましょう。
1.リラックマの起源:
リラックマは2003年にデビューし、日本の企業であるサンエックスによって作られました。「リラックマ」の名前は、「relax(くつろぐ)」と「bear(クマ)」という日本語の言葉の組み合わせであり、キャラクターののんびりとした性格を反映しています。この可愛らしいくまは、頻繁な生活の中でのんびりと過ごすことの重要性を象徴しています。
2. アイコニックなデザインと特徴:
リラックマを特別なものにするのは、シンプルでありながらも独特なデザインです。くまは通常、背中にジッパーを付けて描かれ、中に何が隠れているのかをほのめかしています。その丸い顔、柔らかい毛皮、小さな足先が、その可愛さに寄与しています。ステッチから生地の選択までのデザインの細部への注意が、リラックマぬいぐるみの魅力を高めています。
3. Kawaii文化と世界的な人気:
リラックマはKawaii文化のアイコンとなり、日本社会でかわいいすべてを祝福するこの文化において、普遍的な魅力を持っています。そのキャラクターの普遍的な魅力は文化の垣根を越え、アジアからヨーロッパ、アメリカに至るまで、リラックマぬいぐるみはあらゆる年齢の人々の心に居場所を見つけました。
4.コレクタブルと限定版:
リラックマの熱狂的なファンたちは、ぬいぐるみの様々なバージョンを収集することで喜びを見出しています。サンエックスは定期的に限定版のリラックマぬいぐるみを発売し、それぞれが独自のテーマ、衣装、アクセサリーを特徴としています。これらのコレクタブルは非常に人気があり、新しいリリースを熱心に待ち望むリラックマファンの賑やかなコミュニティを作り上げています。
5.ポピュラーカルチャーの中のリラックマ:
ぬいぐるみを超えて、リラックマはさまざまなブランドとのコラボレーションを通じてポピュラーカルチャーにおいて存在感を示しています。このキャラクターはアニメシリーズ、漫画、衣類から文房具までの商品に登場しました。さまざまなメディアでの存在感は、その文化的な重要性をさらに高めています。
6. DIYリラックマ:可愛らしさの工作:
手作りが好きな人々のために、DIYリラックマプロジェクトは人気を博しています。自分のリラックマぬいぐるみを手作りすることで、ファンは自分の創造性を表現し、愛らしい仲間を個性化することができます。
結論:
忙しさに満ちた世界で、リラックマぬいぐるみは単純さ、リラックス、可愛らしさの力を受け入れるようにという思い出となります。あなたが熱心なコレクターであろうと、気軽な賞賛者であろうと、リラックマぬいぐるみの愛らしい世界は魅力と静けさの領域への楽しい逃避を提供します。
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ある画家の手記if 佐伯岬/春輝視点 告白
わたしを見つけて
佐伯岬:
光は人が好きだった。
妻の昴が持病の具合がよくなくて光を見ていられない日、僕は仕事で行くパーティに幼い光を抱えて連れていった。 子供用のかわいいドレスを着せて、髪の毛は僕が編んだ。 会場に着くと光はすぐに僕の腕から降りて、会場をとことこ歩き回り、途中から靴擦れで足が痛くなったのか靴を脱いで裸足になって、あちこちの人に笑顔でシャンパンや花を配って回った。途中でパーティの主催者に光にそういうことをさせてもいいかと聞かれて、僕も了承した。 接してくれる誰もが光を笑顔で可愛がり、あたたかく迎えてくれた。 しょっちゅう誰かにお菓子か何かをもらっては、遠目に見ている僕のところへ光はいちいち走って戻ってきて「もらった」といって僕にもらったものを一つずつ丁寧に見せてくれた。 「おとうさんがもってて。たべてもいいよ。これとこれはたべちゃだめ」光に荷物持ちにされて細かく指示を受ける。 「はい。いってらっしゃい」笑顔で受け取って光を送り出す。昴に似てとてもかわいい。僕がそういうといつも周囲は「いや、お前に似てる」と返してきた。そうかな? そういう場で春輝とも出会った。光に声をかけられた春輝はまだ学生だった。春輝も親に連れられて来場していた。
昴が病気で寝込むことが多い以上、お手伝いさんを雇ったりするべきだったのだろうけど、そこまでのお金がなかった。なんとか僕が仕事を調整すれば光のことは見ていられたし、家事はもともと僕が好んでしていたから、うちは僕と昴と光の三人家族だった。 それより以前は存命だった僕の父も一緒に暮らしていたけれど、影で光によくない悪戯をしようとしているのに気付いてからは父には出ていってもらい、そのまま親子の縁を切った。 僕はそれ以来、ほとんど勘当されたも同然の身になり、莫大な財産に支えられた生活は終わった。 その後は父ではなく僕個人と繋がった人脈でなんとか仕事を続けて稼いでいた。培った仕事の要領でそれなりの年収はあったものの、昴の医療費にかなりの額を確保しておく必要があったため、暮らし向きはどこにでもある中流家庭の域を出るものではなかった。 その点では財産を丸々失ってしまうため昴には申し訳ないことになると思ったが、僕が昴に事情を話すと、昴から言い出してくれたのだった。 「私たちが出ていくか、お義父さんに出ていってもらいましょう」
僕一人にえらく負担がかかっているように周囲からは見えたようだったけれど、光の面倒を見る時間は僕には癒しだった。 光は僕のいない時間は昴の寝ている布団のまわりで転がりながら、折り紙をしたり絵を描いたり本を読んだりして過ごし、昴は体調のいい日には光と一緒にそういうことをしたり、もっと難しい折り紙や一人遊びを教えたり、本を読み聞かせたりしていた。
僕は仕事から帰ってくると昴の寝ている部屋に顔を出す。光がいない。「光はどこかな?」「さぁ、岬さんの車が帰ってくる音が聞こえたら急にどこかに行ってしまって…」 これが僕と光の日課だった。 僕が帰ってくる気配がすると光は家の中のどこかへ隠れる。僕が光の名前を呼びながら家中を探し回る。 光は運動神経もいい上に極端に体の小さな子だったから、思いがけない場所によく隠れていて、真剣に探しても見つけるのはなかなか簡単ではなかった。 光の隠れ方もたまに巧妙に裏をつくようなものだったりして、洗濯籠に洗濯物に埋まって隠れている光の上から脱いだ服を気づかず僕は投げ入れていたり、帰ってきて無造作に放っていたままのコートの下に隠れていた光を危うく踏みつけそうになったり。 足場もない高い箪笥と天井の隙間の影にいたり、戸棚を一つずつ全部開けたらその中の一つに実にうまく体を曲げてコンパクトに手足を折りたたんでおさまっていたりした。 賢いのか天然なのか、とにかくいつも光は何事にも真剣で一生懸命に取り組んでいた。 ある時は隠れるためにあまりに高い場所に登ったせいで一人で降りられなくなって、いつまでも僕が見つけられずにいると光が僕を細い声で呼んだ。僕は笑って梯子を持ってきて光を抱えて床に降ろした。 それ��もやっぱり子供だから簡単に見つけられる日もあった。けれど僕は見つけられないふりをしてしばらくの時間、家をわざとうろうろした。 「光はどこいったのかな?」「隠れるのが上手だね」「大人の僕でもこれはとても見つけられない」「光は賢いなぁ」そんなことを隠れているつもりの光に笑顔で言いながら。
どんな些細なことでも、光に一つでも多くの成功体験を積ませるため、僕は光をいつも褒めた。 この子が人を好きになってくれたら。 屈託なく誰にでも心から笑えて、人の善性を信じ尊んで大事にするように育ってくれたら。 もちろんいつまでもそれだけではいけない、けれどこの年齢ならまだ子供を守るのは僕や昴や大人の役目だ。先に信じることを、疑うことは後からいくらでも身につけられる。この世界への安心感と揺るぎない信頼をまず光にあげたかった。 光は僕と昴の愛情に育まれて、天真爛漫で素直な素晴らしい子に育ったし、僕も昴もそんな光の成長に日々を支えられていた。
ある日を境に、僕は光をパーティに連れていくことをやめた。光は行きたがったけれど、もう二度と同じような思いはしたくなかった。 パーティ会場で幼い光に多くの人が善意でお菓子やかわいいキーホルダーや着けているアクセサリーをくれた。光はいつも僕にそれを渡していって、中にあまりに高額そうなものが混じっていたら僕が帰り際に主催者に持ち主に返してくれるよう頼んで預けて帰った。 ある日、光が僕に渡したその中にコンドームの箱が一つ混じっていたのだ。誰が光にこれを渡したのかは結局分からずじまいだったものの、あまりの不快感と吐き気で僕はすぐに光を連れて帰って、二度とそういう場所へは連れていかなかった。
光が平均的な子供より可愛らしい容姿をしていることは親の欲目を捨てても理解できていた。 子供服のモデルのスカウトや、テレビでちょっとした子役に出してみないかという話がよく人づてにきたが、僕はそれらをすべて断ったし光にも教えなかった。 なんであれ子供に自分で金を稼がせることは慎重にしっかりした教育下で少額から少しずつ経験させていかなければいけない。労働や消費対象になることなども含めて、どんなに条件のいい話でも僕には許容できなかった。
光は、止むを得ず僕がほんのすこし目を離したタイミングで、誘拐されかけたり連れ去られそうになったりしていた。そのすべてを僕が間一髪で防いではいたものの、そういうことは光が成長するにつれて頻度を増した。まだ裁判沙汰にまで至らないし、すべて相手に逃走されて終わっていたとはいえ、僕にとってはすべて重大なただならぬことだった。
光にとってもどこかでストレス要因になって積もり積もったものがあったのか、それともまったく別の何かからなのか、光は自分の指や爪を噛んで、ちぎったり皮を剥がしてしまうようになった。 指先が血みどろ��なっても光はやめなかった。 とめる間もなくすぐに癖付いてしまった自傷をなんとかしようと、僕は空いた時間に光を抱きかかえて優しく揺らしながら家の中を毎日散歩した。 光は静かに揺られながら僕の首筋の肌に噛みついてじっとしていた。そのうちうとうとして、眠り込んだ光を昴の布団に入れる。 僕の首筋には鬱血した噛み痕が残ったけれど、光の指先に比べればどうというほどのものでもなかった。 なにかを噛んでいると光は安心するようだった。
その頃からすこしずつ、光の問題が浮かび上がってきていた。 知らない人についていってはいけないとか、物をもらってはいけないと言い聞かせても、光はそれを理解できなかったのか、何度も似たようなことを繰り返してしまった。 叱らずによく話を聞いたが、総じて光は加害者を「やさしくていいひとだった」というふうに屈託なく笑顔でそう評した。 僕が、育て方を致命的に誤ってしまったのか。悩んだ末に、光に危険な存在や行為や悪意についてそろそろしっかり教えなければと思った。光は人の言うことをいつだって真剣に聞くし、僕のことを誰より信頼している。根気強く教えればいい。 もし光にそれらを理解できない何か重大な問題があるのならそのように接して、光が生きていく環境を僕がある程度整えなくてはいけない。 酷いことが起きないように僕が目を光らせながら、僕がいつか居なくなっても光が生きていけるように、信頼できる伴侶や守ってくれる存在を見つけて、いつか僕からその人たちへ光を託さなければ。 このまま順当にいけば僕の方が光より先に死ぬことは明らかなのだから。
***
佐伯春輝:
岬さんが出張先の海外で起きたテロに巻き込まれて亡くなって、僕は遺された昴さんと結婚した。昴さんはまだ若いけれど僕よりはずっと歳上だった。 僕には岬が一人でなんとか仕事をして稼いで暮らしているのが理解できなかった。勘当されたとかいう話は聞いたけれど、なんでそんなことになったのか、光もいて、昴さんの医療費もあるんだし、佐伯の実家に頼るのが一番だろうに。 そう思って、結婚してすぐに僕は絶縁状態になっていた佐伯家へ出向いて、資金援助と和解を申し出た。 岬は不利な要素を抱えても一人で中流家庭並みの暮らしを実現させていたけど、僕はまだ若いし、とても岬の真似事はできなかったから。 そうして僕は佐伯の家の跡継ぎになった。一人息子の岬に去られて佐伯家は今後どうするかで揺れていたから、僕の申し出は歓迎された。ただやっぱり僕は頼りなかったのか、佐伯の家から受け入れられている感じはしなかった。 僕はすこし気が弱いし、あまり自分に自信もないし、自分でもこれからどうしようか途方にくれることが多かった。 それで僕は光を使うことにした。 幼い頃に僕にパーティ会場で花をくれた。初対面から光は僕に好意的だった。 僕は光に家でも人前でも僕を「お父さん」と呼ぶように言いつけた。光は断固としてそれを拒否し続けていたけど、一度ベッドに無理やり連れ込んだら以降はおとなしく言うことを聞くようになった。 それでも光は「おかあさんのお部屋にいたい」と言ってしつこかった。実際、昴さんは岬を亡くしてから持病を拗らせていたし、光はそんな母親のそばについていたかったのだろうが、僕はそれを許さなかった。 僕の目を盗んで母親の部屋にいた光を抱えて連れ出し、「そんなにべったり一緒にいたらお前にも病気がうつってしまうよ、昴さんはそれを望むかな?」と説いた。 それから光は遠くの廊下から母親のいる部屋を毎日じっと見つめているだけになった。 それから一度も昴さんと光は会えないまま、昴さんはあっけなく亡くなった。 家には僕と光だけになった。
光はその頃まだ小学生だったけれど、成人女性の色気とも種類の違う独特の色気のようなものを発していた。 子供にしても未発達な印象のあどけない童顔、黒くて艶めいた長くて太い睫毛で常にアイラインを引いてるような目元、小さな口や鼻、すこし厚めの唇。 頭、顔、肩幅、手、足、耳、爪、すべて規格外に小さい。すべて小さいのでバランスにあまり違和がない。 全身痩せ型で細いが、とくに手首と足首が折れそうなほど細い。 全体的な雰囲気は岬と似ていた。 生前の岬も、光はつけ狙われやすいと友人に相談していたそうだ。そういう子なんだろう。 僕を誘ったのは光の方だと思っている。意識的なのか無意識なのかは知らないけれど。光の体には毒がある。 僕はその毒にあたったのだ。 岬が死んでから光はほとんど眠れなくなっていた。夜の間は僕が遊び相手になった。 光の体は感度が良くてすぐ濡れるからいつも大した準備なんてしなくてもすんなり僕のことを受け入れたし、光もおとなしかった。佐伯の人間で僕を受け入れてくれるのは光だけだった。 同時期から光は食事を嫌がるようになった。匂いが強いとか味が濃いとか、食材も味付けも以前と変わらないのに急にわがままを言いだすようになった。なら食べなくていいと言ったら、光は本当に食べずにどんどん痩せ細ってしまった。 医師からは拒食症だと言われた。なにか心的外傷になるような出来事があったか尋ねられたので、僕は岬と昴さんの死について語った。
僕は光を義務教育期間だけ学校に在籍させていた。高卒や大卒の履歴などこの子に必要ないだろう。 医師の診断書を偽造して、母親と同じ病気であるとあちこちに触れ回った。 それで光はむやみに外出もできなくなった。 妙に本質を突くような聡いところがあるかと思えばこんな僕の言うことを簡単に鵜呑みにしてしまう、どうにも愚かな子だった。 ただ何かの拍子に光は僕の目をじっとただ黙って見た。���供らしく床に転がってお絵かきをしたり本を読んでいる姿勢で止まって、そこにやってきた僕の目を、じっと。いつものように笑ってもいない、無表情に近いけれどはっきりと意思を宿した大きな瞳が、黒くて長いまつ毛に縁どられてただ僕を凝視していた。光はそういうとき一言もなにも言わなかった。
人形かなにかのようだ。意思があるように見えるだけで僕の内面を反映しているだけ。人の形をしているし、いかにも人間らしいけれど、それだけだ。 そのたびに、僕のことなどすべて見通されているように感じて、怖くなった。脅かされているのは、僕のほうだ。
そういうふとしたとき以外は、光は天真爛漫なかわいい子だった。 岬が死んで以来、身長や体重が変化せず、成長がぴったり止まったようになっていたし、光には第二次性徴が訪れず、月経も始まらなかった。そういう体質なのかもしれないと思って放っておいた。 何より光の成長が止まったことは偽りの病気にもっともらしいぱっと見でわかる事実としての身体的異常を付け加えてくれた。 僕は光に言った。 「こんなに背が小さいのも初潮がこないのも、病気の影響だよ。この歳でこんなに背が低いなんて昔なら奇形児なんて言われて気味悪がられてるところだ。今でもそういうふうに言ってくる心ない人は外にたくさんいるけれど、光がここにいれば僕が守ってあげられる。お前はきっと一生一人では何もできないだろう。未成熟な醜い子だけれど、僕は光を誰より美しいと信じてるよ。光を愛しているからね」 光は僕の言ったことを、ただ無表情で黙って聞いていた。 僕が喋れば喋るほど光は無表情になって黙って僕を見るだけになったから、怖くてだんだん僕は光とちゃんと会話するのを避けるようになった。
光は保健室登校しながら、ある日突然彼氏だと言って同じくらいの学齢の男子生徒を家に連れてくるようになった。 その度に僕が間に入って、申し訳ないけれどこの子は闘病で手一杯だからと話して無理やり二人を別れさせた。それでも光は性懲りもなく何度も新しい別の彼氏を作った。 ある日、僕は光に聞いた。「どうしてそんなに次々に誰かと付き合うんだ、別れるのだってあんなに簡単に別れるのならどうして付き合おうと思ったんだ」と。 光はこともなげに「付き合いたいって言われたから」だと答えた。それ以上のものはないように見えた。 ますますもって人形じみてきたと感じた。僕の人形だと思っていたけれど、誰の人形にでもなるのか。
僕の中で光への感情が修復不可能なほど屈折していくのが分かったけれど、僕が屈折しているのではなくて光がただ異常なだけであるようにも感じた。両親の死で本当にどこかおかしくなったのかもしれない。 僕は二人だけの家にわざと他人を招いて、光を襲わせた。 光も僕の差し金だと分かっていただろう。勝手に外で恋人を作ってくるような真似をするからだ。相手が欲しいのならいくらでも適当なのをあてがってやる。どうせ大した怪我なんてしないだろう、誰相手にでもすぐ慣れるふしだらな体だ。 そのうち光はそういう連中を相手取ってなのか家のあちこちに隠れるようになった。 光は見つかっては隠れた場所から力尽くで引きずり出されていいように弄ばれた。 あるとき光はひとりごとみたいに空中に向かって呟いた。「かくれんぼは最後に絶対にお父さんが見つけてくれる」 光の中ではまだ隠れてい���まま、終わっていないという意味か。お父さんとは僕のことじゃなく岬を指しているんだろう。 ちょうどいい。何度でも岬ではない他人に見つかって暴行されて終わるのを繰り返してその拠り所と一緒にめちゃくちゃに踏み躪られればいい。本当に岬はもういないのだから。
以前から光は年齢に似つかわしくない難解な本を好んで読んでいた。 僕にはそれらの内容が理解不能だったし、光はそれらに熱中することで他の自身についての事柄にさらに無頓着になっていたから、僕には都合が良かった。それで邪魔はせず、欲しがる本はすべて買い与えた。 光の本棚はあっという間に埋まって増えていって、一見たいそうな読書家の部屋のようになった。光が読んだ本について僕になにか語ることは一切なかった。
そして時間の止まった家は光を内包するための容量が足りなくなったことを象徴でもするようにその都度必然的な理由で増築されていき、家には巨大な施設群がくっついて光はそっちで過ごすことの方が多くなった。 見栄えも考えてあったが一般客のためのアトラクション的なものではなく、どちらかというと研究者や有識者のための学術的な場だった。プレゼンテーション用のスクリーンが完備されたホールなどがあり、そういう空間がよく学会などの発表の場として活用されていた。 屋内にも緑が多く、建物のあちこちに綺麗に水が通る自然の地形を生かした設計は訪問客にとても好評だった。光はその設計を初めて見たとき「フランク・ロイド・ライトの建築のよう」だとその美的感覚を絶賛していた。僕には光の話すことはよくわからなかった。 たまに光は訪れた有識者とオーナーの娘として知り合いになって気まぐれにしばらく楽しげに話し込み、「研究に興味を持って話を聞いてくれた。聡明な娘さんですね」と僕があとでお世辞を言われることもしばしばだった。 あの子をまだ小学生かその程度だと勘違いして買いかぶったのだろう。実年齢を聞けばきっとバケモノでも見るような顔をするに違いない。
あるとき施設の管理担当が一人の若い男に引き継がれる流れになった。 広くて全体を把握するのも難しいため、何人かの担当者にあちこち区分させて管理を任せていたけれど、その男は突然一人でやってきて簡単に屋内を歩いて巡ったあとで、仕事を一人で引き受けてしまった。 彼は僕と信頼関係を築くための必要最低限の世間話を応接間でしていった程度で、施設の現状の資料を一台のノートパソコンにおさめて帰っていった。定期的に訪れて微調整をすると言っていた。 彼が帰ったあとでよく思い出したら、この施設の初期の設計に携わった数人の建築家のうちの一人が彼だった。会ったのはこれが初めてだった。建設される当時はもっと年配の人間が責任者兼代表として僕に挨拶にきていた。 一人一人の年齢まで把握していなかった、まだあまりに若くて気づけなかったけれど、要は自分の設計した建物がようやく本人の管理下に落ち着いたということなのだろうか。
何より喜ばしかったのは、光がこの男に少しずつ惹かれていったことだ。 光と僕はそういう話はまったくしなかったが、僕から見たって一目瞭然だったし光も隠す気はないようだった。これまで迫られて了承する形でしか恋愛といったものに関われずにきた光が自分の意思で彼に迫るようになった。 それを十分確信したタイミングで僕は彼に光との縁談を持ちかけた。 光が世間的な常識人とうまく関係を築けるはずもない。接したところ彼はそのあたりをよく踏まえた常識的で賢明な人物であるように感じた。結婚してここを出ていこうが、必ず破綻して光がここへ出戻ってくることは明白だ、僕のもとへ。 光自身の無力と絶望的な精神的遅滞とを自分で痛感して、光は一生立ち直れないほどのひどい挫折体験を抱えて帰ってくるだろう。それが光にとっての外界へのイメージになるはずだ。光の中にある外界への憧れを光自身が望んで実行した行動と感情を基にして、折ることができる。 そのためには彼への恋愛感情がより強く揺るぎないものになればなるほどいいだろう。 僕は彼に感謝した。 病気でしかもどうしようもない世間知らずな娘を手厚く扶養する父親として、僕の立場はこれまでなんとかもってきていたのだから。
光視点
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洗練を極めた美、新時代を創造した唯一無二のスタイル 「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode」 三菱一号館美術館
シャネルの創業者、ガブリエル・シャネル(1883-1971)の業績を振り返る大規模な展覧会です。ガリエラ宮パリ市立モード美術館で2020年に開催された「Gabrielle Chanel. Manifeste de mode展」の国際巡回展。ガブリエル・シャネルの仕事に焦点を当てた回顧展としては、日本では32年ぶりの開催になります。洗練された美しさ、そして現代社会に与えた影響の大きさに圧倒される展示品の数々です。会場は、日本を代表するオフィスワーカーの街である「丸の内」にある三菱一号館美術館。その落ち着いた舞台も、新時代の女性たちに社会進出を促したシャネルのシンプルで実用的なデザインに相応しいといえましょう。展示の順番に主な作品を紹介していきます。
<スタイルの誕生>
帽子のデザインから出発し、すぐに服へと仕事を広げた1910年代以降、30年代までの初期の作品を紹介します。キャリア前半から「シャネルらしさ」が満ち溢れています。クリエイターとして迷いのない、意志の強さが見てとれます。
ドレスとジャケットのアンサンブル 1922-1928年 絹ジャージー パリ、パトリモアンヌ・シャネル <現代性とシック>
1920年代から30年代にかけて、ツーピースのスーツや単色のドレスが登場。過剰な飾り気がなく、柔らかでシンプルな造形は「リトル・ブラック・ドレス」など、シャネルの「マニフェスト」の重要な要素として定着していきます。
デイ・アンサンブル 1927年頃 カシミヤウールのクレープ、https://www.forkopi.com/ ブランド コピー 絹ジャージー 神戸ファッション美術館蔵 イヴニング・ドレス 1920年代後半 シャンティイレース、サテンのリボン、クレープ・デシン 島根県立石見美術館 <N°5:現代女性の目に見えないアクセサリー>
誰もが知る香水。マリリン・モンローは「マリリン、寝るときは何を着ていきますか?」と尋ねられ、「シャネルN°5だけ、と答えたの」と語ったことは、今は一つの伝説になっています。謎めいた調合だけでなく、シンプルで直線的なボトル、情緒を排した抽象的なネーミングと、シャネルの哲学そのもののフレグランス。持ち運びに便利なパッケージなども開発され、どんな場所でも女性が化粧直しをできるように��夫しました。実用性を重んじるシャネルのモノづくりの姿勢がよく表れています。
香水「シャネルN°5」1921年 ガラス、木綿糸、封蝋、紙 パリ、パトリモアンヌ・シャネル
<抑制されたラグジュアリーの表現>
展示前半のクライマックスといってよいコーナー。シャネルのドレスをぞんぶんに堪能できます。その洗練の極み、まさにアートです。
媚びたところのないデザインは、古さを全く感じさせません。遠目にはとてもシンプルに見えますが、細部に至るまで繊細な縫製が施されており、正確な仕事がシャネルの「美」を支えていたことが分かります。展覧会で実物をじっくり見る醍醐味が味わえます。
鮮やかな赤も好んで使いました。
イブニング・ドレス 1932年 綿ヴェルヴェット パリ、パトリモアンヌ・シャネル 日本や東欧のモチーフ、歴史的な要素なども自由に取り入れたシャネル。そうしたテイストの作品も目を引きます。まずは日本の織物を手本にしたと思われるコート。
コート 1927年頃 紋織の絹クレープ、ラメ、ぼかし染め加工 公益財団法人 京都服飾文化財団 ディアギレフ、ストラヴィンスキーらロシアのアーティストや、ニコライ2世に連なる旧ロマノフ朝の公女とも縁が深かったシャネル。ロシアのモチーフを取り入れた作品も。
コート 1922-23年秋冬 絹クレープ、チェーンステッチ刺繍、金糸、毛皮 パリ・パトリモアンヌ・シャネル こうした外来のモチーフを用いても、シャネルの世界観から外れた印象は与えません。自己のものとして消化し尽くした上で表現するその手腕、審美眼に敬服します。
<スーツ、あるいは自由の形>
ドレスと並ぶシャネルの象徴であるスーツ。こちらも歴史的な作品が並び、さらに熱中する方続出かもしれません。第二次大戦中から戦後にかけて活動を休止していました。15年の空白ののち、1954年、71歳にして新しいコレクションを発表しました。現代的な女性像を象徴する作品が次々に生み出されました。
テーラードのジャケットとスカート 1963-64年秋冬 斑織りのツイードとブレード、メタル、絹ポンジー パリ、パトリモアンヌ・シャネル テーラードのジャケット、スカート、ブラウスとベルト 1965年春夏 ウールツイードと絹シェニール、手彩色のガラリット、絹ガーゼ パリ・ガリエラ宮 <シャネルの規範>
シャネルにとって服飾品も欠かせぬ要素でした。「2.55」バッグはひと目見て誰もがシャネル、と分かる代表的な作品に。これも使いやすさを追求した実用性の高いものでした。
<ジュエリーセット礼賛>
飾り気のない服との対比で、宝石は華々しく、過剰なテイストのものが目立ちます。こうしたバランスのとり方にもシャネルの鋭い感性が発揮されました。
シャネルのクリエイション��グリポワ製作 ブローチ 1937年 メタル、パート・ド・ヴェール パリ、パトリモアンヌ・シャネル こちらのコーナー��は、あのジュリエット・グレコが持っていたというドレスも展示されており、ステージで着用したものもあります。
ドレス、ジャケットのアンサンブル(ジュリエット・グレコ旧蔵) 1965年春夏 亜麻布、シークイン刺繍、絹サテン、光沢のあるパール、メタル パリ、ガリエラ宮 ロッシーニ夫人より寄贈 <蘇った気品>
終幕はふたたびドレスです。戦後はスーツがコレクションの中心となったものの、気品あふれるドレスも引き続き発表されました。これまでの美学を貫いたうえでモダンに発展。https://www.forkopi.com/b-chanel.html シャネル コピー 完成度の高さに圧倒されます。ロミー・シュナイダーらスターの旧蔵品もあり、彼女たちのイメージと二重映しにしながら楽しむこともできます。
ドレス(ロミー・シュナイダー旧蔵)1966年春夏 シークイン刺繍、シークインのレース、絹ポンジー パリ、パトリモアンヌ・シャネル ◇
「シャネル」と聞くだけで、彼女の伝説に圧倒される方もいらっしゃると思いますが、ドレスといい、スーツといい、第一級のアート作品としての魅力と驚きに満ちています。最初期から晩年までの作品をこのスケールで見られるのは貴重な機会。ファッションや美術の世界はもちろん、現代の社会を考える上で外すことのできない比類なきデザイナーでクリエイター。その業績はぜひ体感しておきたいものです。
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fan’s voice「オードリー ・ヘプバーン」最速試写会レポート!
4月24日(日)都内で行われた本作の試写会に、オードリー・ヘプバーンと親交が厚く、日本の親友としてプライベートでも親密な関係を築いてきた加藤タキさんが登場。映画の公開を記念して、オードリーから贈られたという直筆のお手紙を披露し、加藤さんだからこそ知るオードリーの意外な素顔やプライベートのオードリーがどんな女性だったのか、エピソードを明かしました。
タキさんは20年以上にわたって公私ともにオードリーと親交を結んできたが、そんなタキさんもこのドキュメンタリー映画を見て「『そういうことだったのか…。あぁ、なるほど』と納得したことが多々ありました」と初めて知ることが多かったと明かす。 「これまで疑問に思っていたことで、(映画を観て)一番納得がいったのが、彼女の『愛』に対する考え方。(オードリーは)慈愛に満ちていると言うけど、どうして彼女は求める愛ではなく、与える愛を選んだのか? このドキュメンタリーを見て『なるほど』と思いました」とうなずいた。
【↑1982年当時の写真/オードリーとタキさん】
タキさんが初めてオードリーと顔を合わせたのは、ウィッグのCMのコーディネーターとしてオードリーのローマの自宅を訪ねた51年前の1971年で、タキさんは当時26歳だった。「ツタの生えたレンガ造りのアパートメントで、大きな木の扉をノックし、メイドさんがいらっしゃるかと思ったら、オードリーさん本人がワインカラーのニットのワンピース姿で『ウェルカム!』と迎えてくださいました。何にびっくりしたって、15人ほどのスタッフを連れて伺ったのですが、ひとりひとり自己紹介したら、次の瞬間からちゃんと全員の名前を覚えて呼んでくださるんです。みんな『オードリーさんのためなら何でもやろう!』と思わせてくれました」と驚きのエピソードを明かす。
さらに「ひと段落してお茶を…となった時、銀のトレイに乗った銀のポットでコーヒーと紅茶を、レモンもミルクも全部自分で用意してくださるんです。ひとりひとりに『コーヒー? ティー?』と聞いてくださって、そんなオードリーさんにみんな吸い込まれちゃうんです!」と世界的大スターでありながら、スタッフひとりずつに細やかな気遣いをする女性だったと語る。仕事の場に限らず、普段からオードリーは「ごく普通の方。ナチュラルでした」と明かすタキさん。2回目のCM撮影で、パリを訪れた際も「(パリの常宿に)朝の7時半に迎えに行くんですが、7時29分に下から電話をすると、7時30分20秒にはおひとりで、ルイ・ヴィトンのバッグを持って降りてらっしゃるんです。『お持ちしますよ』と言っても、『これは自分の荷物だから』と。本当に自然体で偉ぶることがなくて、それはこのドキュメンタリーでも出ていたと思います」と語った。
【↑1971年、ウィッグのCM撮影時のスナップ】
ファッションに関しても「普段からとてもシンプルでした」とのこと。 ある時、オードリーから「相談に乗ってほしい」と言われ、何かと思ったら「寒波が来るので、初めて毛皮を買うんだけど、何を買っていいかわからない」とアドバイスを求められたという。オードリーは普段から毛皮はおろか「カシミヤでもないウールのコートを着ていて、『これが居心地が良いし、私には似合うから。毛皮は似合わない』とおっしゃっていました」と明かし、タキさんが映画の中で彼女が身に着けていた毛皮やアクセサリーがとても似合っていたと本人に伝えると「タキ、あなたは勘違いしてるわ。あれは映画の中のオードリー・ヘプバーンが演じているだけで、素のオードリー・ヘプバーンには居心地が悪いし似合わないわ」と言われたという。
一方のタキさんは、当時からたくさんのアクセサリーを身に着けていたが、オードリーはそれに対して「タキはいっぱい着けるのが良く似合うわ。THAT IS YOU.(それがあなたなのよ)」と言ってくれたという。タキさんは「自身の価値観を他人に押し付けるようなことはせず、『自分は自分。他人は他人。成熟した人間ならわかるわよね?』という方でした」とふり返る。
また、プライベートでは愛に恵まれなかったと評されることが多い、オードリーの恋愛に対する考えに話が及ぶと、タキさんはパリでの撮影時の彼女との印象深いエピソードを披露。当時、オードリーは2度の結婚と離婚を経て、ロバート・ウォルダース氏と付き合っていたが、彼が席を外している時にタキさんはオードリーに「どういう男性が好きなの?」と尋ねたという。「すぐに返ってきたのが『A strong man(強い男)』という答えでした。思わず『え?』という顔をすると、彼女はウインクしながら『いま、マッチョな男を想像した(笑)? 違うわ。強い人というのは、挫折を知っている人のこと。挫折を味わった人は、それが強さと優しさに変わっていくのよ。それが“Strong man”よ』とおっしゃいました」と明かした。タキさんは、オードリーの恋愛観について「父親から与えられなかった愛が、彼女の挫折感、トラウマになっていたことが、この映画を観て理解できました。愛に恵まれなかった人は、世の中に対し斜に構えて素直になれないことが多いですが、オードリーさんはこの映画の最初のほうで『愛を受け入れるか? 拒絶するかの人生しかない』ということを本で読んだと言っていました。彼女は受け入れ、そうすることによって、求めても、求めても、与えられなかった愛を“与える愛”に進化させていったんだと、私は思いました」としみじみと語っていた。
【↑オードリー直筆の手紙(1992年)】
また、オードリーは晩年��人生をユニセフ親善大使の活動に捧げ、世界中の貧困地域を訪れたが、タキさんはオードリーが口にした忘れられない2つの言葉を明かしてくれた。ひとつは、世界的な女優である自身がユニセフ大使として募金活動に奔走すると、多くのお金が集まることについて口にした「私はそのために女優をやってきた気がする」という言葉。もうひとつは、バブル期に来日した際にホテルでビュッフェ形式で行われた歓迎パーティーでの言葉で、オードリーはパーティ会場の隅で、人々が食事を皿に盛る様子を見ながら、寂しそうな眼差しで「タキ、日本だけじゃなく、アメリカでもヨーロッパでも、みんな自分が取った食事を食べきらないうちに皿を置いて、次の食事を取りに行ってるわ。もったいない。私は残飯でいいから、全てを引っさらって、このまま飛行機でバングラディシュに行きたい」と語ったという。少し前に大使として訪れたバングラディシュで、オードリーは、ある子どもから、配給で配られた1個のコッペパンの半分を「はい」と差し出されたそうで「それを手にしたとき、私はこんな大きな愛情をもらっているんだと、それが大きな喜びになった」と語っていたという。
この日のトークでは、タキさんがオードリーから受け取ったという直筆の手紙も披露。亡くなる前年の1992年の8月の日付の手紙には、グラフィックデザインを学ぶ次男のために、日本のデザインの本を送ってくれたタキさんへのお礼や、おかげで次男が無事に卒業できたという報告、さらに「息子はちゃんとあなたにお礼状を書いたかしら?」という“母親”の顔をのぞかせる言葉がつづられていたという。その頃、彼女身体は既に病魔に蝕まれていたが、タキさんは「9月に入ってお電話をいただいて『ようやくユニセフの1年の予定が終わって、帰ってきたばかりで、1か月お休みだけど、10月からまた来年のユニセフの活動の計画を立てるわ』と言っていて、ひと言も『具合��悪い』といったことがおっしゃいませんでした」と述懐。
その後、タキさんは年末にクリスマスカードを送ったが、例年ならすぐにお礼の連絡をくれるのに、何の音沙汰もなかったことからおかしいと思って電話をし、そこで彼女がアメリカにいることを知り、息子と連絡を取って、病気であることを知らされたという。それでも、タキさんはそこまで症状が重いとは思ってなかったという。1993年1月20日にオードリーは63歳でこの世を去ったが、タキさんは「21日の朝にラジオをつけたら、彼女の曲が掛かっていて、(死を知り)本当にびっくりしました…。早すぎて…。心を痛めるというのは、ストレスになり、病を引き起こすことになるんですね。よく(恋人の)ロバートさんが『休ませなきゃ』と言ってましたが、そういうことだったんですね。いま、ご存命だったら、ウクライナのことを彼女はどう感じて、どういう行動をとっていらしたかな? と思います」と声を詰まらせながら、語った。
トークの最後にタキさんは、オードリーが無類の親日家だったことにも言及。欧米のスターを迎える際にも控えめな態度だと聞いていた日本のファンが、熱狂的に出迎えてくれたことを非常に喜んでいたそうで、タキさんは「ある時、彼女は私に『タキ、私は前世で日本人だったかも。それくらい、日本が好き』と言っていました」と語り、死後30年近くが経ったいまでも映画雑誌などの好きな女優ランキングでオードリーが上位にランクインされることについて「日本のみなさんは、どこかで彼女の本質を見抜いているんだと思います。いまでも、こうして彼女の映画にみなさんが集まってくれることを、とってもお喜びになると思います」と語っていた。
死後、30年近くを経ていまなお世界中で愛され続ける偉大なる映画スター、オードリー・ヘプバーンの真の姿に迫るドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」は、5月6日(金)ロードショー。
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3月も気付けば中旬が見えてきました。長野も日中はあたたかくなってきています。皆様のお住まいの地域はいかがですか?
3/10(木)から、問touにてSUNn・寸さんのアクセサリー販売会を行います。ちょうど1年前に初開催し、好評につきその後も定期開催しているイベントです。 金属や革・毛皮を用いるアクセサリー作家・SUNn・寸(すん)。日本で古くから使われてきた祝祭や古代文字を参考にしたデザイン。円や玉、細い線で構成された緻密なかたちが特徴的です。言葉を綴るようにかたちを選び、パーツを組み合わせて身に付けることができます。年齢やシーン、好みに合わせた楽しみ方ができるというのも大きな特徴です。
イベント期間中は作家・高橋さんも在廊されますので、アクセサリーの多様な付け方などを相談しながらお買い物いただけます。また、普段は問touで取り扱いのない革を使ったアクセサリーから新作までご用意しています。春からの新生活に向けての自分を飾るアイテムとしても、おくりものにもピッタリなSUNn・寸さんのアクセサリー。ぜひ見にいらしてくださいね。
イベント期間:3/10(木)〜14(月) 場所:「問tou」東御市八重原1807-1 芸術むら公園内 憩いの家 営業時間:10:00~17:00
前回の開催レポートはこちら https://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=2632816 3月のイベントご案内はこちら https://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=2545622 ・・・・・・・・・・・・・・・ ▼わざわざオンラインストア https://waza2.com/ ▼わざわざのパン・お菓子 https://kinarino-mall.jp/item-55763 #パンと日用品の店わざわざ #わざわざ #sunn寸 #東御市 #イベント #問tou #アクセサリー #古代文字
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A thousand miles
心の深いところで負けない敬愛の気持ちを抱いています。
私がクリステンスチュワートに出会ったのは、映画「トワイライト」を初めて見た小学校中学年の時です。
多分その頃はハリーポッターとかホームアローンとかしか洋画を知らなくて、ましてやラブロマンスを観ることになるとは。海外通の叔母が、アルビン三兄弟の次に見せてくれた洋画がトワイライトでした。全てが大人っぽくて、映画の中の森や高校の廊下、台詞や設定があまりに美しく、現実離れしたものでした。初恋とニュームーンを観てからの私は、恐らく同じクラスのお友達は知らないであろう大人な洋画にどハマり、そんな自分にどっぷり浸かっていました。叔母と会うたびに夜は部屋のパソコンで絶対にトワイライト。いつもなら眠くて仕方ない22時までもトワイライトの為なら喜んで起きていたい。骨の髄まで一生チームエドワード。そこから暫くは脳内がトワイライト一色だったから、授業中後ろを振り返る時は、カフェテリアでベラが初めてエドワードを観た時のように口は前歯が見えるくらいの半開きにして虚ろな目を心がけて過ごす。体育の授業で50メートル走になったら、私も左手首に噛み痕あればエドワードみたいにめちゃめちゃ速く走れるのではとスタート前全力で手首噛んでました。クリステンが手首に4本線のタト��ーを入れた時は、マッキーの細い方で必死に真似して描いてた。授業中に背徳感に浸りながら。真っ直ぐに描こうとすると太くなって仕方がなくて不格好で。皮膚にするアクセサリー、タトゥーシールに目覚めたのはそこからです。小6の時、ZARAで濃いめのブラウンの裏起毛ダッフルコートが売ってありました。それはそれは、ベラが森でエドワードを探して地面に横たわってしまうあのシーンのコートに本当にそっくりで、とても駄々をこねてお願いしてお母さんが買ってくれて。勿論捨てられなくて、まだあるし、まだ着てる。髪の毛も癖毛でうねっていたから、長いまま過ごして、出来るだけベラとの共通点を見つけたかったんだなあと思います。途中からクリステンがカツラになったって聞いた時は地味に深くショックだった。
中学生になって、ブレイキングドーンを迎えます。ずっとDVDで観ていたので、ここで初めてやっと映画館でトワイライトを観る。初恋からは到底想像できないハードな展開になったものの、ハリーポッター的流れだと思えば全然理解できたし、寧ろブレイキングドーンでベラが変身することで、唇を噛んで下を向く女の子から、力強く芯を感じる女性としてのベラを感じれて、今思えばクリステンの変化を徐々に見れていたのかと納得して大好きなエンディング。ネットでひたすらに画像を検索し、本編も繰り返し観まくる復習作業。私が英語の発音とイディオムとイントネーション、基礎に必要なすべては絶対的にトワイライトを何度も見たから自然に身につきました。ベラの言い方を真似しすぎて完全にアメリカ英語。高校生の時、英国への少しの語学研修の経験は何処へ。クリステンのあの超絶早口英語の訓練。小学生からにはもってこいの英才教育。流石クリステン。
ここまで作品にハマった理由は、小さな自分を思い出せば容易く分かるのだけれど、ここまで一人の女性に憧れるとは思っていませんでした。
クリステンが次第に長い髪を切り、私服はクロップド丈のトップス、スウェット、ダメージの多いジーンズやキャップを着こなして、レッドカーペットではヒールを脱ぎ捨て、片方の口端をあげて笑うその姿が眩しくて、クリステンをより素敵にさせるセクシャリティを明かしてくれて、どんどんその変化に夢中になってしまった。トワイライトの面影は勿論薄れていくけれど、何でも良かった。ただただ彼女が本当に格好良かった。ずっと見ていては震蘯を起こす。ここであれをしたらダメ、とか、言ってはダメ、イメージがこうだったのに、とか、そんな表面より彼女の意思が真ん中にずっしりとあるからどうでもいい。彼女から感じる潔さ、女性としての逞しさ。どんな彼女にもなり得ないけれど、少しだけでも良いから近付きたい。クリステンの纏う空気、瞳の強さ、自信の溢れ方、いつも照れたような笑い方。永遠に私はその虜。
近付く努力は十二分に必要。ここ最近クリステンが愛用しまくっている、メイクさんから貰ったキーロックネックレスも血眼になって探したけどちょっっっとお値段の方が高くて諦めて。そこで代替え策で買った似たデザインのネックレスは、よーし綺麗にするぞと錆び取りしたら逆に錆だらけになり、見事に使えなくしました。ショックこの上ない。こうなったらどうしてもあのネックレスが欲しい。いつでもあれを首元に降臨させるクリステンが優勝って話は何時間でもしたい。ナイキのコルテッツも持ってる。黒コンバースもある。レイバンのサングラスも買った(これはトワイライト繋がりのフィフティシェイズのアナスタシアことダコタのイズムに偏っているかも)。持っているだけでも気分が上がって、背筋がピンと伸びて、自分に自信が持ててしまう。これだから凄いな、と思う。クリステンは私の希望で、私の勇気の塊で、一生憧れていたい至上最高のパワフルで美しい女性です。
こんなに騒ぎたくなったのも、クリステンが理解不能レベルで自身の魅力放出してしまっている映画「チャーリーズ・エンジェル」を観てきたからです。
スクリーンで初めて拝見したエラ・バリンスカさんの圧倒的スタイルとそれ故の存在感、眼差しで生涯を終えたい。アラジンぶりのナオミ・スコットさんの愛くるしい姿です、聡明な女性の可愛さたるや、内から沸き出る可愛さたるや。エリザベス・バンクスさん、トップ・オブ・ザ・トップ。私的にはサム・クラフリンさんが出てくる度にマスクの内側で大きく開く口、好きですと消えゆく独り言。はーーーーー最高だったな。体内の免疫力絶対上がった。首の後ろにホワイトタトゥー、起きたら埋め込まれてないかな。エンジェルに近付きたい、の品は一つ頼んであるので早く届くと良いな。こんな時期ですが、映画に罪はない。自粛モードですが、クリステンへの愛だけは自粛できませんでした。もし見逃してしまう方も、いつか必ず観て欲しいです。
もしも時空が歪みに歪んで、私がクリステンに会えてしまうユニバースが生まれてしまったら、そこが私のアナザースカイ。夢にだけ見ていようと思います。ニンマリ。
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捕鯨ヤメロ論な、同じような例に、アザラシ漁をヨーロッパが潰しにかかって、それでイヌイットの人たちの生活が成り立たなくなってな、自殺者が激増したり色々あったのよ。あれ、思い出すわ… …イヌイットの人たちが死活問題だからってんでヨーロッパの法律を学んで、やっとEUに乗り込んで訴えたら、アザラシ保護を掲げる活動家やらは「毛皮の売買を禁止したいだけで、あなたたちが食べる為の最低限の漁は容認してる」なんて上から目線で返すばかりで、漁は彼らの経済でもある事を完全無視… …アザラシの毛皮を売ることが出来なければ、何も買えないのさ。取引が禁止って方向になれば毛皮の値段も下がって、燃料代も飲み物とか他の食べ物を買う金もなくなるんだよ。イヌイットがアザラシを素手で捉えて、その肉だけを食べているとでも思ってるのかね?活動家の傲慢だよなぁ。 …で、経済的な問題を訴えたら、「アザラシ猟以外の仕事をすれば良い」なんて言うのさ、十分な仕事も斡旋しないくせにな。イヌイットの人々は、じゃあ今までの漁をやめて生きていくとなれば、その為の教育とか職業訓練とか必要じゃん?でも、それを受ける為の金は?漁で稼ぐ以外の選択肢は無いんだよ… …要は、活動家連中は、イヌイットの人々がどうなろうが知ったことかと、自分らにとって体裁の良いテーマである「可愛いアザラシ」を守る為なら、文化も、そこに生きる人々も滅ぼして構わないという姿勢なワケよ。 で、直接イヌイットの人々が活動家たちに会いに行くと、ドタキャン食らわすのね。 …世界中の活動家が、日本でもさ、これって世界中の活動家が全く同じ手法でやるんだから、彼らの中では常套手段なんだろうけど、要は「直接会って話をしよう」と言っておいて、散々準備や交渉やらせといてドタキャンを繰り返すんだよ。そうやって疲弊させるワケ。自分らは活動資金豊富だから平気なのさ …人権だの自然保護だの、ことごとく、自分らを飾る為のアクセサリーみたいにしてさ、だから、キラキラ光るような見栄えの良い「人権」やら「自然保護」を選んでさ、それでイメージで大衆引っ張って支持集めて豊富な活動資金でやりたい放題、そのサイクルを維持する為に邪魔な連中は滅んでも気にしない …このやり方はさ、なんの効果もないサプリとか、命を縮めるだけの似非がん治療なんかを、見栄えの良いホームページやチラシで飾り立てて、それで、人の健康やら命やらを踏みつけにして金儲けしてる連中と、本質的に全く同じことやってんだよ。ああいう連中は、そういう詐欺師の類なんだよ。
タクラミックスさんのツイート: "捕鯨���メロ論な、同じような例に、アザラシ漁をヨーロッパが潰しにかかって、それでイヌイットの人たちの生活が成り立たなくなってな、自殺者が激増したり色々あったのよ。あれ、思い出すわ…" https://twitter.com/takuramix/status/1078160701292597248
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