#森と水とロマ��の鉄道
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和2年(2020)10月12日(月曜日)
アルメニア vs アゼルバイジャン戦争
彼らは何故、いつまで闘うのか? 現地の実情は?
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アゼルバイジャンとアルメニアの戦争は、ロシアの仲介で10月9日からいったん休戦となった。しかしいつ再開するか分からない。両国はともに旧ソ連に属したが、冷戦終結以後は明確に対立関係が再燃し、アゼルバイジャンはトルコに傾斜。アルメニアは西側の介入を当てにしている。ロシアは両天秤である。
この背景を理解する一助として、拙著『日本が全体主義に陥り日』(ビジネス社)から該当箇所のダイジェストを行う。
▼アルメニアは資源欠乏、経済迷走
アルメニアは文化も宗教も古く、自尊心が高い。アルメニアの宗教はギリシア正教会系アルメニア正教だ。
世界の流浪民族の「大手」は四つ。ユダヤ人は国を滅ぼされ、二千年間世界各地を放浪したあげくシオニズム運動がおきてイスラエルを建国した。クルド人はイラク、イラン、トルコなどに1500万人も分散しているが、まだ国家として認められない。ロマ(ジプシー)は世界各地の底辺で組織化されないで生きている。そしてアルメニア人は世界に散っておよそ一千万人が欧米、イランなどにコミュニティを形成している。もともとの古里=カフカスの南の山岳地���には歴とした国家が存在している。
アルメニアと言えば、コニャックの名産地である。
世界で初めてキリスト教を国教とした国として知られる。文明はいたって古く紀元前数世紀に樹立された国家であり、伝統的な文化伝統と文字を持っている。39の文字はキリル文字の祖先ともいわれ、「文字公園」がある。キリル文字の原型のような大きな模型が公園の展示物、いがいに観光客が多い。
アルメニアは地震国で海の出口がなく、世界的に有名なアララット山はいまトルコ領土に編入されている(露土密約による)。
このアララット山の雪解け水を使うコニャックが世界的なベストセラー。だから紙幣のデザインはアララット山、アルメニア国民のこころの拠り所もアララット山。百年近くもトルコに領土を奪われていることになり、実際に飛び地=ナゴルノ・カラバフをめぐって戦争をしたアゼルバイジャンに対してより、トルコへの恨みのほうが深い。
アルメニアはトルコが1915年の第一次世界大戦のどさくさに150万人を虐殺したとして国際世論に訴え、フランスやドイツでは「あの虐殺はなかった」という言動を吐くと罰金、収監されるほどの「犯罪」となる。
トルコはアルメニアのいう虐殺を真っ向から否定しており、「事故扱い」である。
それはともかく山国ゆえに河川の水は綺麗で農業用水も張り巡らされている。琵琶湖の二倍もある淡水湖=セヴァン湖では湖水魚が多く取れる。しかし水力発電に限界があり、かといって地熱発電も施設が不十分、鳴り物入りの原発も建設が大幅に遅れている。電力不足は恒常的である。
北東に位置する隣国=アゼルバイジャンは資源リッチゆえ、ガソリンは安い。このアゼルバイジャンからの石油パイプラインとロシアからのガスに依存するアルメニア、北の隣国=グルジア(ジョージア)と同様に電力とガソリンが高い。
地政学的な脆弱性は宿命である。国土の13%が森林地帯だが、南と北に集中しており、その付近はダムも多い。
牧畜を主体に、チーズ、乳製品の輸出、果物とくに葡萄などで外貨を稼いできた。だが、近代的工業化に出遅れ、若者は国を去って外国へ出稼ぎに行く。驚くべし300万人の国民が250万人に減った。理由は若者の出稼ぎである。
出稼ぎの送金で経済が成り立つのはフィリピンに似ている。
若者がロシア、イランにもイスラエルにも���そして欧州各国と米国にでてゆくため各国にアルメニア人のコミュニティがある。ギリシア危機に遭遇した時は出稼ぎからユーロの送金がこなくなって悲鳴を挙げた。武漢コロナ禍で、またも送金が途絶えている。
アルメニア出身の有名人と言えばカラヤン、ミコヤン(元ソ連外相)、そしてハチャトリアン(名曲「剣の舞」の作曲家)、サローヤン(小説家)がいる。みな最後が「ン」という姓名はアルメニア特有である。
さて筆者はアルメニアへはアゼルバイジャンからバスで入国した。国境でヴィザが発行される。乗用車、トラック、バスの長い列がある。新車も多いが乗用車はドイツより圧倒的に日本車である。
首都のエレバンは紀元前から開けた。じつに美しい街でこじんまりとまとまり、中世を感じさせる。この街でみたいと思っていたのはアルメニア正教会の総本山だ。ローマより早く、この国でキリスト教が国教となったから伝統の時間的距離が長い。
総本山の敷地は広く、広場は数万人が一同にあつまって祈祷できる。ここには世界中から観光客と信者が押し寄せる。例外的に中国人を殆ど見かけない。あの世界中に爆買いツアーにでかけた彼らがアルメニアで少ないのはヴィザを制限しているからだ。
アルメニアは全土が山岳地帯だが、標高差が激しい。二千メートル近い高地に開けるセヴァン湖では水上スキー、遊覧船、海浜リゾート風のホテルがあるが、エレバンまで二時間かかるため庶民は市内にあるアクアセンター(プール主体の総合娯楽施設)で過ごす。入場料10ドル、飲み物食料持ち込み禁止だから家族で行くと100ドル近くとなる。ちなみにアルメニア国民の平均月給は僅か150ドルだからアクアセンターにしても、せいぜい年に一度しか行けない。
エレバン市内は綺麗なバスも走り、街区は清潔でビルも建ち並ぶ近代都市に変貌している。これは外国で成功したアルメニア人実業家が寄付したものである。
経済的にはまだうまく機能しないけれども、表現の自由、結社の自由は回復した。
▲アゼルバイジャンと拝火教
国名のアゼルバイジャンというのは「火の国」の意味がある。つまり古代ゾロアスター教の巨大な影響力が秘められている。イランのヤスドにも火が燃え続ける拝火教寺院があるが、首都バクーにも古代からの拝火教寺院が残る。この地のイスラムはイラン同様に拝火教の強い伝統の上に乗っかっている。
バクーの沖合には油井が林立する。カスピ海の海底油田で、飛行機から眺める���海面は採掘リグがびっしりと並んでいる。ただしカスピ海に面していても海の出口がないので大型タンカーの輸出は不可能。それでもパイプラインでグルジア経由トルコへのルートを活用した輸出は一日百万バーレルだ。したがって国民の生活は豊かになった。
とくに原油相場が高騰した時代に急成長を遂げた。首都バクーは人口二百万人。摩天楼が林立し、大型シッピングセンターは雑踏のように賑わい、高級住宅地は公園を挟んで超高価マンションが軒を競う。周辺を行き交うのはベンツ,BMW、レクサスなどが多く、他方で道路を早朝から清掃しているのは外国人労働移民。大きな所得格差を見せつける。
カスピ海は高台から一望できるのだが、バクーは一級のリゾート地という別の顔を見せる。豪華ホテルが多く、西側諸国からの観光客が夥しくなった。アゼルバイジャンは独特ともいえるイスラム世界的な独裁体制にあって、旧ソ連の書記だったアリエフの二代にわたる「王朝」が築かれている。
アゼルバイジャンが「火の国」と言われる所以は、拝火教の伝統からきている。イスラム教シーア派だが、地付きの伝統として、いまも生きる拝火教のシンボルは戦没者を祀る高台に登ると永久の火が燃えていることに繋がっている。
経済は活況を呈し、バクーの都市としての近代化は驚異的スピードで進捗した。「数年の間に、町の様相はまったく一変した。かつては小道が入り組んでいた中心地は、小規模な家屋、店舗と小道がまるごと撤去され、大きな建物ばかりが建ち並ぶ」(広瀬陽子『未承認国家』)。
地下鉄あり、港湾は近代化され、ガラス張りの摩天楼が国会議事堂の周りにも三棟。こうした近代化のことはともかく、旧ソ連の構成国であったアゼルバイジャンはソ連崩壊後、いかようにして民族的自由、宗教、そしてナショナルアイデンティティを確立したのか。あるいは出来なかったのか。
アゼルバイジャンの紀元前のご先祖はアルバニア人である。しかしその後、ペルシア、モンゴル、トルコ帝国が入り乱れ、近世の始まる頃にトルコ系(つまりモンゴル系遊牧民)が多数派となった。ゆえにアゼルバイジャンはトルコとの連帯が強い。面積は北海道よりちょっと大きいくらいで、人口は一千万人弱だから人口徴密である。
「殉教者の小道」という慰霊公園は日本で言う靖国神社。旧ソ連末期の軍事衝突と対アルメニア戦争で犠牲となった���々をまつる拝火教寺院風の建物(「火焔タワー」という)ではいまも真っ赤な火が燃え続けている。
国民の主体はトルコ系だが、宗教はたぶんに拝火教が土台となったイスラム教のシーア派である。だがイランのような厳格さはなく、世俗的でベールを被った女性は殆どいない。
アゼル人の国民性は徹底的に陽気である。ムスリムなのに酒を飲み、踊りと歌が大好き。イスラム世俗主義ゆえに宗教的戒律は緩く、バクー市内には朝まで営業しているバアが十数軒、寿司バアもある。入れ墨に怪しげな同性愛バアもあった。
とくに新市街の「ニザミ通り」は「バクーの銀座」、ルイビュトン、グッチ、ディオール、シャネルと何でもござれで、その裏道が深夜営業のバア通りだった。近年は市内にトランプタワーも建設中と聞いた。
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Paris
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華麗なる記憶の断片、パリ。
何度も訪れたのにもかかわらずパリを紹介する文章をいつまでも書けなかったのは、「ストン」と心の中で納得することが無かったからか。
パリに確固たる全体像がないことに気がついて、その断片を集めることによってパリのまとめとしようと思う。これは、個人の記憶の集合から集団の夢を描き出そうとしたヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』に倣い、様々なメディアからパリを提示する試み。とりわけ自分が親しんだメディアから。
もともとベンヤミンは「個人にとって外的であるようなかなり多くのものが、集団にとっては内的なものである」ということに関心をもっていた。 個人の内部性と集団の外部性を問題にしたのでは、ない。逆である。個人の外部性と集団の内部性に関心をもったのだ。それがベンヤミンの「集団の夢」なのだ。
松岡正剛の千夜千冊 http://1000ya.isis.ne.jp/0908.html
A : 鉄骨建築/パサージュ/現代音楽
表紙となっている音源は、エストニア生まれの作曲家ペルト (1935~)による シルエット ― ギュスターヴ・エッフェルへのオマージュ(2009) 打楽器とピッチカートの響きが美しく、小さなアーチのついた鉄塔が風になびかれてしなっている情景を描いたと言われる。
曲のインスピレーションは、副題にあるエッフェル塔の設計者ギュスターヴ・エッフェルの仕事から浮かんだ。ペルトは設計プランと青写真が掲載された本を読んで、バランスのとれた合理的構造とエレガンスをあわせもつエッフェル塔のすがたに、音楽との共通点を感じた。ヴィブラフォンやタムタムなど打楽器の響きが霧のように広がる中、コントラバスから順に弦楽パートが重ねられていく導入部に続いて、弦楽がゆったりと奏でるワルツは「まるでエッフェル塔の先端が風で揺れているよう」(ペルト)。憧憬(しょうけい)と哀感が入り混じったペルト一流の響きだ。しだいに音量を増して頂点を築いたあと、導入部が回想されて終結する。
NHK交響楽団・曲目紹介https://www.nhkso.or.jp/library/sampleclip/music_box.php?id=391&iframe=true&width=840
Vivienne Gallery, ジャン=ウジェーヌ・アジェ, Paris, France, 1906
事実、アジェによるパリの写真は、シュルレアリズム写真の先駆であった。...被写体をアウラから解放したことは....最近の写真家流派による、最も疑いの余地のない功績だが、その口火を切ったのはアジェである。....
『写真小史』ヴァルター・ベンヤミン
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ノヴェンバー・ステップス フランス近代音楽から影響を受け、フランス文化勲章を受賞した武満徹。CDはどこかに行ってしまった。ドイツ系の現代音楽と違って、身が締まるような清々しさがあるような気がする。
B : 墓地/地下水/雨/処刑
『カタコンベ』は浜田知明が1966年に製作した銅版画。
浜田知明の《カタコンベ》は、ローマやパリといった都市にある地下墓所を描いたものですが、画面左手の細く長い階段によって、そこが異界の入口であることがわかります。このような都市と死者の世界が背中合わせになっている神話的なコスモロジーに対して....
国立近代美術館「都市の無意識」展 http://archive.momat.go.jp/Honkan/unconsciousness_of_the_city/index.html
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The Music of the Night - The Phantom of the Opera (original 1909) Andrew Lloyd Webber
『オペラ座の怪人』の舞台となったオペラ座。 ここは水はけの悪い場所として有名であったそうだ。 その地下に怪人が棲み着いているという想像も決して難くない。
ちなみに、21歳で一人旅行した時にロンドンで観たオペラ座の怪人が忘れられず、CDを100回以上聴き込んだのはいい思い出。
Crosswalk on the Rue de Rivoli (also called Le Passage clouté), 1937.
夜のパリを撮ることで有名であった、写真家ブラッサイ。 ヌメヌメとした背景に張り付いたモフモフの女性。 ポツポツとした白点もリズミカル。
『イノサン』坂本眞一
とにかく、美しい漫画
ところで、残虐な処刑に心を痛めていた人ももちろん多かったのだが、もう一面においては、処刑が当時の人々にとって一種の娯楽、見世物になっていたということを指摘しておく必要もあるだろう。国家の側が処刑を公開していたのは、見せしめのためだった。しかし、一般の人々は、国家のこのような願望をほとんど意に介していなかった。人々にとっては、処刑を見物することは、スポーツ観戦や観劇と同じように、一種の気晴らしに近かった。友人知人とわいわい騒ぎながら、ひとたび処刑が開始されると、その光景を固唾を呑んで見守るのであった。 http://youngjump.jp/innocent/history/vol01/03/
C : ローマ/ロマ/倦怠
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Made In France
ロマ系のギタリスト、ビレリ・ラグレーンによる作曲。この曲をクラシックギター演奏会で10人程度で弾いた時、頭でやや飛び出してしまった自分は4年続けたギターを辞めることを決意した。思い出の曲。
サン=ジェルヴェ・サン=プロテ教会
Les Deux Plateaux - 2つの舞台 (1986)
ダニエル・ビュレン
「ストライプは様々な文化圏に伝播し、利用されている。視覚的に大きな価���と力を持っているからだ」 変哲もない既存の空間や物体が、白ともう一色を組み合わせたストライプの作用で、途端に個性を獲得し、新たな文脈を見せ始める。以来、この「視覚の道具」は不可欠の表現手段となり、キャンバスに描いたり、布に染めたり、造形物にしたりと、さまざまな形に生まれ変わっている。「8.7センチ」は自身が見つけた布地の幅が、このサイズだったからという。
高松宮殿下記念世界文化賞 http://www.praemiumimperiale.org/ja/component/k2/buren
D : 絵本/ピアノ/移民
『Parisの破片』茂田井武
遠い異国で謳歌する自由―― その自由な魂から生まれる絵
1930年、21歳の春に、茂田井は鞄一つで欧州放浪の旅に出ます。滞在先のパリやジュネーブで、夜な夜な絵日記のように描きためた画帳「Parisの破片」「続・白い十字架」には、異国の人々と哀歓を共にした青春時代の日々が、生々しく映し出されています。
安曇野ちひろ美術館http://www.chihiro.jp/azumino/museum/schedule/2017/0301_0001.html
のだめカンタービレ (2001-2010)
ピアノの森 (1998-2005)
以上、パリに関わり自分が経験したことのあるメディアを抽出し、自分がパリで感じたものに近いものでA,B,C,Dの4つのグループを作った。それぞれのグループに対応する様な価値観は以下の通り。
A : 透き通った、張り詰めた、繊細な、霧っぽい B : ぬめぬめした、じめじめした、暗い、不気味な、野生の C : 倦怠感、古典的な、砂っぽい D : わくわく、キラキラ、可能性、希望、自由
ここに4つしかないというのが、自身のパリ体験の貧弱さなのだろう。
おわり
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