#住居跡と工房
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Capítulo 2: El camino hacia el enigma - Sean bienvenidos, japonistasarqueológicos, al siguiente capítulo de las ruinas Weda en el capítulo anterior estuvimos hablando de donde se localiza el asentamiento, cuáles son los ríos que lo rodean el emplazamiento, de cuando data el mismo y cuando se empezó a cultivarse el arroz. También comentamos que había misterios desde los periodos Yayoi tardío al Kofun, ya que había pocos asentamientos continuos, pero sí que hay del periodo Heian. - La primera prospección fue llevada a cabo en 2013, dichos resultados no arrojaron luz suficiente a los restos para una mayor comprensión del asunto expuesto. Habría que esperar a la segunda para qué arroja nuevas esperanzas, la cual se descubrieron restos de viviendas en foso del siglo IX d.c¿Qué se encontraron? Los restos que salieron fueron los siguientes: Un horno de herrería, con una estufa de cocina, ambos restos arqueológicos fueron tanto como un taller y una residencia. - También se encontró una fosa con una zanja que rodeaba el asentamiento, se ha excavado un producto de cobre con forma de pájaro la fecha y el propósito de su elaboración no está resuelto, todavía esperemos que próximos estudios arrojen luz a los restos y al yacimiento. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones de arqueología e historia de Japón. - 第2章:謎への道 - 日本の考古学者の皆さん、ウェダ遺跡の次の章へようこそ. 前の章では、集落がどこにあるのか、その場所を囲む川は何か、稲作が始まったのはいつから、いつ始まったのかについて話しました.弥生時代後期から古墳時代にかけての謎もあり、連続した集落は少ないが、平安時代のものはある。 - 最初の調査は 2013 年に実施されましたが、これらの結果は、露出した物質をよりよく理解するのに十分な光を遺物に当てはめませんでした。新たな希望を与えてくれる第二の発見を待つ必要があり、西暦 9 世紀の堀の住居跡が発見されました。出てきた遺跡は次のとおりです。 鍛冶屋のオーブン、キッチンストーブ、両方の考古学的遺跡はワークショップと住居の両方でした. - 集落を取り囲む溝付きの穴も発見され、鳥の形をした銅製品が発掘されましたが、その精緻化の年代と目的は解決されていません。とサイト。 - あなたがそれを気に入ってくれて、日本の考古学と歴史の将来の出版物でお会いできることを願っています. - Chapter 2: The path to the enigma - Welcome, Japanesearchaeologicalists, to the next chapter on the Weda ruins. In the previous chapter we were talking about where the settlement is located, what are the rivers that surround the site, when it dates back and when rice began to be cultivated. We also commented that there were mysteries from the late Yayoi to the Kofun periods, since there were few continuous settlements, but there are from the Heian period. - The first survey was carried out in 2013, these results did not shed enough light on the remains for a greater understanding of the matter exposed. We would have to wait for the second one to shed new hope, in which remains of moat dwellings from the 9th century AD were discovered. What were they found? The remains that emerged were the following: A blacksmith's oven, with a kitchen stove, both archaeological remains were both a workshop and a residence. - A grave with a ditch that surrounded the settlement was also found, a copper product in the shape of a bird has been excavated, the date and purpose of its production is not resolved, we still hope that future studies will shed light on the remains and the site. - I hope you liked it and see you in future publications on archeology and history of Japan.
ソース写真/source photo:https://naganomaibun.or.jp/research/east/和田遺跡・和田1号塚/
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hiraharu · 2 years ago
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作家さんのことを知ったうえで、作品が自分の日常にあると、使うたびに和んだり背筋が伸びたりして、ずっと大切にしていきたいという気持ちがどんどん強まっていく気がします。
温かみ、力強さ、それぞれの器。 今日は、山口和宏さんと辰巳窯さんについてお話させてください。
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福岡県うきは市の木���作家・山口和宏さんの作品と出会ったのは、もんぺでお馴染みの��なぎの寝床さんに伺った時でした。月日をかけてうなぎの寝床さんで少しずつ山口さんの器を購入し、使い続けて、わざわざでも今年からお取り扱いさせていただく運びとなりました。
山口さんの器の特徴は、何といってもその温かみ。画像を通しても伝わってくることと思いますが、ぜひ直接見て、触れていただきたい作品です。
https://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=2819541#product-list
山口さんの作品の中でも人気のお皿は、彫り跡をあえて残して素朴さと洗練された美しさの両方をあわせもつ作品です。お菓子やパン、おにぎりやお漬物を載せてもよし、食事の取り皿として使ってもよしの、幅広い使い方ができるお皿です。
また、山口さんの代表的な作品である「カッティングボード」もご用意しています。うきは市に山口さんが工房・住居を構えた1995年から、長きにわたり作り続けているもので、まな板としてもお皿としても使える重宝する1枚です。朝食を召し上がるテーブルの上でパンや果物をカットしたり、キッチンで野菜やお肉を切ってそのまま食卓に出したり。ぜひご愛用いただけたら嬉しいです。
わざわざ代表の平田は、2012年に焼き物の里・大分県日田市の小鹿田と福岡県の小石原を訪れたことがありました。それから7年の月日が経ち、もう一度小石原を掘り下げてみようと、宝島染工の大籠さんと一緒に興味のある窯元を尋ね歩いていた時に出会ったのが辰巳窯さんでした。
工房を見学させてもらった際に、平田が薪窯でパンを焼いている話をしたところ、「うちも登り窯で焼いているよ!」という流れで薪談義に。わざわざの灰を辰巳窯さんに送り、楢灰で釉薬をつくり、器をつくっていただいたこともあります。
辰巳窯さんは小石原で採れる素材にこだわり、薪窯で焼き上げる力強い器をつくっています。
辰巳窯の「白辰巳土」 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=173004603
こちらは、ざらついた質感に加え、ずっしりとした重さが土の荒々しさを感じさせる大皿。手作業でつくっているため、寸法や重さ、表情には個体差があるところも愛おしい。
・・・
わざわざでは、これからも作家さんとその作品を時折紹介していきます。
みなさまにも、どうか素敵な出会いがありますように。
・・・・・・・・・・・・・・・ ▼わざわざオンラインストア https://waza2.com/
▼わざわざのパン・お菓子 https://kinarino-mall.jp/brand-2482
▼【限定クーポンが届くかも】メルマガ登録はこちら https://wazawaza.shop-pro.jp/secure/?mode=mailmaga&shop_id=PA01189522
#パンと日用品の店わざわざ #わざわざ #wazawaza #山口和宏 #木工作家 #辰巳窯 #うつわ作家
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umizoiarukitai · 2 years ago
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4月変な夢多かったからまとめた
4/15 微妙に怖い感じのシーンばかりな夢 電車の座席下の暖房の金具の上部にこっそり金具足す執着心にギューとなってると場面変わる、デカめの修学旅行バスの前の座席で突然車内が騒がしくなる、進行方向で蹲っていた人?が急に向かってきて運転手が運転手を引いた?右腕がないとか聞こえる(なぜか悲鳴とかでない)、怖いので隣の子と話す かわいい動物の小さい本、ページに注目してると観光地に飛ぶ、人はちらほらいる山奥で彷徨う、小さい廃工場?廃材置き場?物音がして警戒すると子熊、気付かれないよう隠れつつ大きい道の方行きたいがどいてくれない、子熊増える、様子見てると親熊いて怖い、そうしてると他に同じ状況の女性、 一緒に見計らってトンネルまで行こうってなる、連れ達もトンネルでヒヤヒヤ待ってる、静かでカラフルな工場のほうに熊たち行って頑張って走る、なんとか助かったが工場が気になる 4人くらいで廃墟探索、奇妙な痕跡ばかり、最後の部屋で怪現象?ホラーのクライマックスみたいな情報提示、狂った人物が首吊りとか飛び降りっぽい、外に出ると広いベランダ?屋上?観光地と繋がってた、桜と賑わい、あの建物がここだったのとか廃墟でかすぎるとか
4/16 なんかでかい和風屋敷と呪いっぽい夢、海に入っちゃいけない猫(よく飛び込む)と散歩、儚げ少女に変更、人目につく所行けないけどどこか色々遊びに連れて行こうとする、山の滝行く、楽しく話しながら隠し通路的な滝に登ろうとしてるとニヤついた男子中学生?3人に絡まれる、 ウチら行くから来ないでと断ろうとしたがじゃあ平日に来るからどうぞと譲る、3人白けた様子で帰る、普通っぽい子と怪しい子と追従系の子、こっちも滝行く感じじゃなくなり警戒しながら道から景色見たり、やっぱりバラけて襲ってくる、別方向の道の天井低いショッピングモール的場所、薄暗くカビ臭そう 少女守りつつ躱したり攻撃を防いだり通報などしながら人家が見える景色見てた場所で助け呼ぼうとしたり、119掛けてしまうが少年が別の物になりヤバく助けをよんでと頼む、追ってくるので山側へ、病院の2重の扉スペース的な、デカいお��さんが迫る、扉に入るがなぜか内側鍵穴で閉められずすぐ逃げて中へ 陽の入る真っ直ぐな通路、先に天井低い病院、少女と逸れている?あわあわする看護師たちと奥に警備員たちが見える、助けてもらえると思ったのに警備員全然こっち来ようとしない、腹が立って対峙していたおじさんの足を掴み壁や床に叩きつけてから病院の従業員室に放り込む、悲鳴が上がる 死角に投げてしまったのでその後のこと思考しながら起きた
4/20 能力バトルもので森から狂った狼に追われ荒れた大きい土手で仲間と戦う、威厳ある敵ポジにレミリア、一人で心霊スポット(廃校?j、友達と気持ちよく空飛ぶ、設定にエアロック(エフェクト)、廃校再再訪してマジこわ離れる、ストーリー進み蘭たんが実況してる、 家で起きると朝日眩しく差し込み誰も起きてなく変な静かさ、カーテン開ける、仏間にベッド、外に雪積もり白熊がウロウロ、ビックリして布団戻るが入ってきたらどうしよう(雪なのに家内の戸が開いてる)、居間から隠れて白熊観察、家の前来たり行ったり、熊の背中になんかついてる、柿の木狙ってる?隣家の声 危険で怖くて避けるもののシンボルとして熊出てくること多いけど白熊パターン珍しい けどでかいし腕長いしなんか考えて唸りながらうろついてるし興味深さもあったがだいぶ怖かった
4/22 ブチギレ夢2回
4/26 変なマップ生成の世界でずっと迷子夢 森の道、入りたくない神社っぽいやたら暗い建物の影が視界に入り込み続けて嫌で避けているとどんどん深度深くなっていく、ついに敷地入ってしまう、見つけた無反応の人に引っ付きついていくがもう1マスごとにマップ変だしすごく暗い、滅茶苦茶に歩いている
4/28 迷子前に真っ暗なコンビニ駐車場だった 車と自転車で迷子夢 時間までに山菜採り(取り中の記憶ないが袋パンパンで常に場所取る)とiPad買える店、ある程度までは行けたが全然わからなくなる、橋と水面がスレスレの広い川の反射がすごくきれい、川周辺だけ明るい、平たくごちゃついた住宅地、信号の認識が曖昧、少し古い感じの住宅地で店発見  道の角のちっちゃい四角い家電屋みたいな個人商店 20マンのiPad目的で店の人呼ぶが結局買わないで出てきた店の婆さんに道聞く、道突き当たりにでかい神社あり祭り?やってて休憩所とか辿るらしい、いきなり聞いたのと地形合わないがなんとなく行くと知ってるような景色?壁のような木立にグニャグニャの細い道と畑、山みたいな古い住宅地ぎっしり(木立側から見渡す)、 薄暗い、通夜中の家の中が遠目いくつか見えてしまう、また勘で進んで同じところぐるぐる、時間過ぎていく、自転車閉まって車乗ろう、車いままでどこに?、取り出して乗る、自転車感覚でふんでしまう、車内もギュウギュウ、木立に沿って下る?神社のほう行って景色の一致図る、ハッとして起きる
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poddyshobbies · 2 years ago
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安徳台遺跡 ~ 那珂川市安徳
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安徳地区にある台地の上です。農地として利用されていますが弥生時代の遺跡が埋蔵されており、国指定の史跡になっています。台地の北側には展望所、南西側には安徳宮(安徳天皇ゆかりの地)があります。
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台地の上は小鳥とカラス���時々飛行機の音だけで、捉えようによっては静かです。> YouTube(2分)
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安徳宮の前(東向き)
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台地の西側エリア ~ 東向き
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西向き
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北西向き
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南西向き
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遺跡は台地の全エリアに広がり発掘調査の手が入っていないエリアの方が多いようです。
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↑ グーグルマップのポイントはこの辺りをマ��ク ~ 唐辛子が植わってました。
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南面付近 ~ 南唐向き
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南向き
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謎の小道 ~ 先は藪?
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中央付近 ~ 南向き
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東側エリア ~ 東向き
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西向き ~ 養蜂箱?が置かれてました。「農薬は大丈夫なのか?」といらぬ心配。
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南向き
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西向き(安徳宮はこの方向へ)
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遺跡は埋め戻されてます。ここ安徳台は日本書紀の神功皇后紀に「とどろきの岡」として出てきます。弥生時代中期の有力者の墓や住居跡が見つかり、甕棺墓からは鉄製武器やガラス製品、南の海で捕れる貝でつくった貝輪などの貴重な品々が出土しています。日本最古級の製鉄工房や大型の竪穴住居址、勾玉、鋳型、鉄器など多数が出土しています。
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安徳地区へ下る ~ 写真右の竹林は立ち入り禁止です。
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安徳台の南面を流れる古代の水路「裂田溝(さくたのうなで)」
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関連投稿 > 裂田溝(さくたのうなで)遊歩道 ~ カワセミ公園
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキク��コガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝��喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻��賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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nakatani-seminar · 1 month ago
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
初めまして、中谷研究室学部4年の碓氷です!
韓国千年村調査4日目(8月24日)
の動向をお知らせいたします、よろしくお願いします!
―――――――――――――――――――――――――――――――
7時半に起床したとき部屋はすでに明るく、早朝に新しく印刷した集落調査資料の補足版を、先輩方がホッチキスで留めている最中でした。
あわただしい朝。
すぐにチェックアウトを済ませられるようにスーツケースを持って、少し遅れて朝食に向かうと、ビュッフェ会場は多くの人でにぎわっていました。
スクランブルエッグ、 プルコギ、 キムチ …etc. 韓国のコーンフレークはやけにカラフル 中谷先生に、「朝は沢山飲みものをおなかに入れた方がいい」と言われたので、水とオレンジジュースとコーヒーとスープを飲むことにしました。飲みすぎて苦しい…。
今日も盛りだくさんな一日です。スケジュールは以下の通りです!
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<8月24日のスケジュール>
9:30                    扶蘇山城の見学 10:30                  定林寺址の見学 11:00                  嘉林郡集落の調査(郷校、官衙のある部分) 12:00                 昼食は焼き魚とチヂミ、お肉の定食! 13:30                  嘉林郡集落の調査(微高地集落のある部分) 15:00                  弥勒寺および弥勒寺博物館の見学
~バス移動および地下鉄移動~
20:00                  ホテルに到着 チェックイン! 21:00                  夕食にサムギョプサルを食べました!(^^)! 0:00                    明日に向けての作業                                1:30                    入浴、就寝
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9:30 扶蘇山城― 8時半にはバスに乗車し、扶蘇山へと向かいました。扶蘇山は昔々百済の都であった扶餘郡に位置する山城で、
大河と山に囲まれた背山臨水の地形を一望できる最高の景観
を持っています。展望台は、赤く塗られた柱と緑に彩られた梁や垂木の色鮮やかな建物です(図1)。
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図1.扶餘山城の色鮮やかな展望台(撮影:2024/08/24 碓井颯)
梯子を昇り扶餘を俯瞰すると、霞がかった空気の中で錦江がゆったりと右手側に流れています。遠くには山々、近くには多くの建造物によって奥行きが生まれています(図2)。
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図2.扶餘山城の展望台からの眺め(撮影:2024/08/24 碓井颯)
千年村の集落調査では、山間部や都心から離れた僻地を巡るイメージを持ってしまうことが多いですが、
都市もまた集落のように住みやすい処に展開されるのだな~と
ここに住もうと決める集落住民と景観の美的・合理的豊かさから都を決定する王の心境は本質的に同じだったのではないか。
今昔一貫する地理的条件を感受する普遍的な人類の立場に立てた気がして少し嬉しかったです!
 扶餘山城址には同時に竪穴式住居の遺跡も残っており、資料館も見学することができました。日本の竪穴式住居より堀が深く、大きな柱径が特徴です(図3)。
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図3.韓国の竪穴式住居(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
山城見学に同行していただいた富井先生にこの理由を解説していただいたところによると、
寒さが厳しい韓国ならではの土を利用した断熱機構
であるようで、空気中に熱が逃げることを防ぐため、内部空間をなるべく土に触れるように工夫したものだと言います。韓国住宅によく見られるオンドルは、当初かまどから発生する熱を利用した暖房器具であり、その端緒は竪穴式住居にも見られるようです。
10:30 定林寺址― バスで少し移動し10時半頃、定林寺址に到着しました。滞在時間が短く急がなければいけないということで、
「全体重をかけて」
見学すべく駐車場からスマホだけを持って足早に(図4)。
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図4.定林寺の石塔(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
中谷先生から定林寺と法隆寺の比較についてお話を伺いました。そもそも定林寺は百済の聖王が仏教熱心であった所以完成した寺院であり、
その影響は飛鳥時代の日本に多く及んでいるのですが、
大きく異なるのはその伽藍配置です。
講堂を含む回廊によって��金堂と塔が一直線に貫かれている定林寺に対し、法隆寺では講堂を離し金堂と塔を並列しています。
この故が敷地の広さや環境に起因するものなのか、国ごとの考え方の違いによるかは難しいところですが、類似点と相違点という観点から比較できたのは良いことです…(図5-9)
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図5.定林寺の平面図(出典:「韓国の建築」,金奉烈著, 学芸出版社, 111ページ)
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図6.法隆寺の平面図(出典:同朋舎出版刊文化庁文化財保護研究会監修「図説 日本の史跡 第五巻」)
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図7,8,9.定林寺の様子(撮影:2024/08/24 口石直道)
11:00 嘉林郡集落の調査― 昼からは、昼食をはさんで前後で嘉林郡と呼ばれる集落を巡りました。今回、調査班では二か所をピックアップしてめぐることにしました。
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図10.嘉林郡の官衙の入り口を示す門(撮影:2024/08/24 安藤優花)
前半に訪問した場所は、
大きな郷校(科挙を受ける人々が通う学校)を持つ昔からの集落の中心地
と考えられます。郷校の存在を示す門を潜り抜けて集落に入っていきます(図10)。山の麓に位置する郷校付近では、細い路地を挟んで立派な邸宅が並んでいました。色鮮やかに葺かれた赤青の屋根スレートをあちらこちら横目に、ぐるぐると歩き回りました(図11)。
河川付近にも川を覆うようにスラブが敷かれ、RC造の住宅地が展開されていました。
川に臨むところには東屋が置かれ、なんとも快適で落ち着く場所でした~ 日本の夏にも似ていますが、やはり大きな違いは散見されるハングルです…!
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図11.嘉林郡のくねくね道(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
後半は
広大な田んぼに囲まれた微高地集落です。
微高地(?)となるほどに丘は大きく盛り上がっていて、大小さまざまな住宅が余裕をもって配置されていました。
米もたくさん採れるから豊かな場所なんだろうと思いました。
上っていくと視界が開けました。
丘の頂上付近には、大きな樹が!
木の麓には椅子や無料で使える健康器具などが置かれ、集落民の憩いの場所となっているようです(図12)。この集落は錦江に囲まれてもいるのですが、錦江の堤防付近にも同様の樹と東屋があり、くつろいでいるおじいさん達に地域のお話を伺うことも出来ました。韓国の集落には気持ちの良いコミュニティスペースが集落単位でいくつも点在していて良いです!
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図12.嘉林郡の大樹(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
12:00 弥勒寺―  最後は弥勒寺を見学しました。弥勒寺では3つの回廊のセットが一つにまとめられた建物配置を持っています。それぞれの回廊が一つずつ、計三つの塔を持ち、中央の木造の塔を二つの石塔が挟んでいるのですが(図6)、現在では復元された石塔しか残っていません。二つの石塔に挟まれた弥勒山がその象徴性を増していますね!
大きく開けた平原に白光する二つの塔が映え、
日差しがジリジリと照りつける中で白・緑・青の三色が鮮やかに焼き付きました
(図13-15)。
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図13.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 小谷さくら)
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図14,15.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 安藤優花、小谷さくら)
 弥勒寺見学後は付属の博物館を見学しキラキラした装飾品や生活陶磁器などを見ました。当時の王族や人々の生活の様子について、説明を聞きながら思いを馳せました。一つの考古学品の発見が様々な文脈で意味を持ち、歴史的な発見がダイナミックに展開していく様を感じることが出来ました。
16:00 帰りのバス―  その後ソウルへ向けて再びバスに乗車し、3時間ほど車窓を眺めました。
韓国は右車線通行のため、追い越し車線は向かって左側です。
もう少しで市街につくというとき、
真っ赤になった日が沈むところでした
(図16)
教会やモスクなどの多種多様な建物のシルエットが逆行で暗んで、
ノスタルジックなソウルに車内一同盛り上がっておりました。
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図16.ソウルの夕焼け(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
 地下鉄を乗り継いでホテルに着くころ、すっかりあたりは暗くなっていましたが、宿泊先は夜中まで明るくにぎやかな場所でした。ホテル近くのサムギョプサルの店で夕食を堪能し、一日を終えました。
以上が調査4日目(8月24日)の動きでした!いかがでしたでしょうか…?
明日は調査をまとめるポスターセッションを行います
25日の日記も乞うご期待!!
読んでいただきありがとうございました!!
#sennen#nakasemi
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shintani24 · 10 months ago
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2024年1月21日
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天皇盃第29回 全国男子駅伝
障害者グループホーム、横浜・金沢区で開設断念 住民反対「こんな施設ができるなら、お金があれば引っ越したい」(カナロコ by 神奈川新聞)2024年1月21日
開設を予定していたグループホームの間取り図を説明する運営会社の現場責任者=横浜市金沢区
横浜市金沢区に開設予定だった障害者のグループホーム(GH)が、近隣住民の反対を受けて断念していたことが分かった。運営会社などによる説明会では「住民感情になぜ配慮をしないのか」「お金があれば引っ越したい」などの発言が相次いだといい、入居者の���神的負担を踏まえて中止を判断したという。
GHは空き家だった同区内の戸建てを改修し、昨年11月に開設予定だった。日中は作業所などに通う知的障害者6人が、スタッフの支援を受けながら共同生活を送る想定をしていた。
しかし同10月、町内会からの要望で設けられた説明会では、地元住民から開設を拒絶する感情的な発言が相次いだという。説明会に参加した関係者らによると「こんな施設ができるなら、お金があれば引っ越したい」「(町内会の)全員が賛成しない限り、やらせない」などの発言があった。
運営会社代表の男性(48)は「悪者扱いされ、つるし上げのような状態だった」と振り返り、「『(入居者が)視界に入る』と言われた時、感覚が違い過ぎて理解できなかった。対話自体が困難だった」と話す。
説明会終了後、「入居者を守りきれない」という判断から当面の開設を断念。横浜市のGH新設事業に応募し、設置・運営の補助も決まっていたが、年度内に開設できなければ辞退せざるを得ないため、開設は最短でも2025年度にずれ込む見込みだという。情報提供を受けた市も町内会への聞き取りを行っており、参加者による差別的な発言があったことを確認した。
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ブロッコリー「重要な野菜」に昇格…購入量増加、半世紀ぶり「指定野菜」に(読売新聞)2024年1月21日
農林水産省は、消費量が多く国民生活に重要な「指定野菜」にブロッコリーを追加する。現在はキャベツやダイコン、トマトなど14品目が指定されており、新規の追加は1974年のバレイショ以来、半世紀ぶりだ。2026年度から適用する。
ブロッコリーは、指定野菜に準じる35品目の「特定野菜」となっている。特定野菜から指定野菜への格上げは初めてだ。安定的な生産を促すため、価格が著しく下がった場合に生産者に支払われる補助金が現在よりも手厚くなる。
農水省によると、ブロッコリーの22年産の出荷量は15万7100トンで、12年産から28%増えた。総務省の家計調査でも、2人以上の1世帯あたりの購入量が22年に4850グラムとなり、12年比で29%増だった。
農水省は「出荷量が横ばいか減少傾向にある野菜が多い中、他の指定野菜と肩を並べる規模になった」としている。
ブロッコリーは北海道や愛知県、埼玉県が主要な産地となっている。大規模な生産者や出荷団体は、農水省に登録すれば補助金��対象となり、国のガイドラインを踏まえて供給計画を作成する。
「漁業は終わりや」 能登半島北側の地盤隆起、最大4m 船出せず(毎日新聞)2024年1月21日
海底が姿を見せた長橋漁港を見つめる鍛冶鉄雄さん=石川県珠洲市長橋町で2024年1月11日午後2時44分、阿部弘賢撮影
能登半島地震では半島の北側の広い範囲で、国内の観測史上、最大規模の地盤隆起が起こったことが明らかになってきた。漁港の海底は干上がり、漁業再開は極めて難しい状態に陥っている。津波の観測にも支障をきたした。研究者も衝撃を受けたという地殻変動はなぜ起こったのか。
◇海底露出で津波観測計も機能せず
日本地理学会によると、今回の地震で、能登半島の北側の海岸線が約90キロの範囲で沖方向に広がった。特に隆起が大きかった石川県輪島市門前町黒島町では、海岸線が約240メートルも沖側に前進したことが確認されている。海岸線の地盤は、最大で約4メートルも隆起して高くなった。
県の漁獲量は2021年、全国で19番目を記録した。大半は、豊富な魚礁がある能登半島で水揚げされたものだ。特に半島北側の「外浦」と呼ばれる海域ではこの時期、ズワイガニやアカガレイなどの漁が最盛期を迎える。しかし、輪島市や珠洲市、志賀町の19港で、地盤隆起による被害が出た。現地を歩くと、変わり果てた港とともに、途方に暮れた漁師たちの姿があった。
「もう船は出せん。漁業は終わりや」
珠洲市の長橋漁港は、高齢の兼業漁師が6人所属している。漁師の鍛冶鉄雄さん(67)は、港を見つめながら嘆いた。
1日の地震発生後、大津波警報が出たため鍛冶さんはすぐに高台に逃げた。そこから海を見下ろすと、波打ち際が普段よりもはるか沖の方にあった。「大津波の前の引き波だ。すごいのが来るぞ」。夜になっても月明かりを頼りにずっと海を見ていたが、大津波は来なかった。
翌日、港を確認しに行って仰天した。水深約2・5メートルあった港内は、まるで渇水で干上がったかのように海水がなくなり、海底があらわになっていたのだ。サザエ漁が中心で、海底にいる魚を取る刺し網漁もしてきたが、これでは船を出せない。鍛冶さんは「年金と漁業で生活してきた。漁がなくなったら痛い」と言う。
同じ珠洲市内の狼煙漁港の高屋地区は遊漁船も含めて15隻が係留され、専業の漁師が14人��る、市内では大規模な漁港だ。地震で約2メートル隆起した結果、港内の水深が1・5メートルほどまで浅くなり、漁船が動けなくなっていた。
さらに、サザエやアワビの主な漁場になっている近くの岩場は、隆起して海面から露出してしまった。
元の港に戻すには、広範囲にわたって海底を掘るなどの大規模な工事が必要になるとみられる。県漁協すず支所高屋出張所の吉田峰生所長(65)は「漁師は高齢者が���い。何年も漁に出られないなら、廃業する人も多いのではないか」と肩を落とした。
県によると、18年の県内の漁業就業者数は2409人で、10年前と比べて4割減った。さらに、その半数超が60歳以上だ。地域の漁業は、就業者の減少と高齢化という深刻な問題に直面していた。地震とそれに伴う大規模な地盤隆起は、既に弱っていた漁業に対して、先を見通せなくなるほどの大打撃を与えたのだ。
地盤の隆起は、防災情報の伝達にも課題を突きつけた。
14日、輪島市の輪島港に、背丈を超える高さの大型機器がクレーンで運び込まれた。「地盤隆起が、津波を観測できなくなった原因とみられる」。国土交通省港湾局の瀬水幸治係長は、集まった報道陣の取材に対してそう説明した。
この日設置されたのは、新しい津波観測計だ。地震前、能登半島の北部には、輪島港と、そこから北東に約25キロ離れた珠洲市内に、二つの津波計があった。
しかし、珠洲市の観測計は地盤が隆起して海底が露出したため、地震直後から津波を計測できなかった。輪島港の津波計も、最大震度7の地震発生から11分後に、「1・2メートル」を計測したのを最後に止まってしまった。隆起によって内部の機器が損傷した可能性が高いという。
気象庁は1日の地震発生当日、津波の最大値を「1・2メートル以上」と発表するしかなかった。しかし実際には、珠洲市などの沿岸を4メートル超の津波が襲ったと判明している。【阿部弘賢、露木陽介】
◇最大規模、陸側の地盤が海側に乗り上げる
産業技術総合研究所・地質調査総合センターの宍倉正展グループ長の研究チームは8日、地盤隆起が特にひどかった石川県輪島市門前町の鹿磯(かいそ)漁港を現地調査した。夏には、地元名産のスルメイカ漁の拠点となる漁港だ。
つい1週間前まで海水で満たされていた漁港は干上がり、海底にあったはずの岩礁が地上にあらわになっている。それは沖合の方向に100メートル以上も続き、海水がなくなって息絶えたサザエやアワビなどがごろごろと転がっていた。岩礁に降りて、防潮堤の壁面に張り付いた貝やゴカイの位置か��地震前後の海面の高さを比較すると、漁港は約4メートルも隆起していたと判明した。
宍倉さんは、地質から過去の地震像を解き明かす第一人者だ。30年以上にわたって日本各地の地盤隆起を調べてきた。千葉県の房総半島には、1703年に発生したマグニチュード(M)8・2の元禄関東地震で約6メートル隆起した痕跡が残っているが、「日本列島で科学的な観測が始まった明治以降では、最大の隆起だ」と強調する。
なぜ、能登半島地震でこれほど大規模な隆起が起きたのか。
今回の地震は、能登半島のすぐ北の海底を東西に走る活断層が動いて起きた。その断層面は、陸側の地盤が海側の地盤に斜めに乗り上げるような動きでずれる。そのため、陸側の地盤上にある半島がせり上がるように隆起したのだ。
能登半島は、過去の地震による隆起の繰り返しで形成されたと考えられている。実際、2007年の能登半島地震(M6・9)後の調査でも、宍倉さんたちは約50センチの隆起があったのを確認した。
それとは別に研究チームは地震前、能登半島の北側に「海成段丘」という地形を見つけていた。階段状になった海岸線の地形で、計3段あった。直近の約6000年前以降にできたと推定されたが、どの程度の規模の地震で段丘ができるのかは分からなかった。
そんな中、今回のM7・6の地震が発生し、調査で新たに「4段目」の段丘ができているのが確認された。宍倉さんは「数千年サイクルで今回のような規模の地震が起きて、海成段丘ができることが分かった。(国が地震の発生確率を予測する)長期評価などで、海成段丘の痕跡を利用できる可能性がある」と指摘する。
一方、日本地理学会が航空写真や衛星写真を分析したところ、今回の隆起で新たに「陸化」した総面積は4・4平方キロに及ぶことが判明した。沈降した場所は、半島東側のごく一部に限られていたという。
陸化した面積は、甲子園球場約114個分に相当する。国土地理院が公表する都道府県の面積を基に単純に足し合わせれば、全国34番目の福井県(4190・54平方キロ)と35番目の石川県(4186・2平方キロ)の順位が入れ替わるほどの規模だ。
同学会で分析を担当した広島大の後藤秀昭准教授は「断層面が半島の真下に位置したことで、大きな隆起になった。恐らく地形は元に戻らないのではないか」と指摘。国土地理院によると、隆起による地形変化を地図に反映する計画は今のところないが、担当者は「埋め立てなどを除けば、これだけ大きな変化が起きたというのは聞いたことがない」と話している。【柳楽未来、藤河匠】
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【速報】広島・福山市などで震度1を観測 瀬戸内海中部を震源とする地震(RCCニュース)2024年1月21日
気象庁によりますと、21日午後7時2分ごろ、岡山県、香川県、愛媛県で震度2を観測する地震がありました。広島県では震度1を観測しています。
震源地は瀬戸内海中部で、震源の深さは20㎞、地震の深さを示すマグニチュードは3.9と推定されます。震度1を観測した広島県の地域は以下の通りです。
三原市、尾道市、福山市、府中市、神石高原町
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playmountain-tokyo · 10 months ago
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壷田和宏・亜矢 展のおしらせ
この度の、令和6年能登半島地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申しあげますとともに、被害にあわれた皆さま、ご家族の方々にお見舞い申しあげます。 被災地の方々は不安な日々をお過ごしのことと存じます。被災された地域の皆さまの安全と、一日も早い復旧を祈念いたします。
本年はじめの企画として、宮崎県高千穂町を拠点に活動を行う陶芸家 壷田和宏・亜矢さんの展覧会を開催します。 これまで土鍋やテーブルウェアを中心に取り扱いさせていただいていましたが、展覧会としては初めての取り組みです。
SNSを通じて垣間見える彼らの暮らしぶりに興味があり、コンタクトをとったのが約2年前。
昨年2月に念願叶ってはじめて高千穂を訪れ、その後、12月にも再訪し彼らの暮らしぶりに触れてきました。
ここでは、そのときの話を紹介しようと思います。
壷田さんの住まいまでは熊本空港から車で約1.5時間。
ワクワクしながら指定の住所に向けて車を走らせました。
あえて阿蘇山を通る遠回りなルートを選択。
冬の阿蘇は黄褐色が一面に広がり、その景色はまるでカリフォルニアの砂漠地帯とも重なるような、日本じゃないような不思議な感覚がありました。
そうこうしているうちに、到着。
セルフビルドしたであろう、雰囲気の良い家屋と、山の斜面にはポツポツと見えるいくつかの���屋。
まわりは山に囲まれていて、どこからどこまでが壷田家の敷地なのかわかりませんが、山羊や鶏たちも自由に生活しています。
そしてもちろん奥のほうには窯が。
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出迎えてくれた和宏さんが「お昼にしましょう。」と食卓へ案内いただき、地元の食材をふんだんに使ったなんとも贅沢な最高の手料理を振る舞ってくれました。
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壷田さんたちの暮らしの環境を目の前にした際に、アーティストである坂口恭平さんが自身の著書の中で“家”について言及した一節が、ものすごくリアリティを纏って脳裏を巡りました。
〈住人自ら作った家というのは、絶えず運動と変化を繰り返し、秩序とずれが同居している。輪郭は常にゆらゆらと揺れ、しかもそれが調和をうみだしている。その姿は建築物という3次元の世界を軽く飛び越えてゆく。〉
余談ですが坂口恭平さんも壷田ファンとのことです。
食事をしていても会話をしていてもやはり気になるのが、どこに視線を置いても目にはいる作品の数々。
家の中や工房内はもちろん、彼らの広い敷地内のどこを見渡しても至る所に作品が点在しています。
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片っ端から手に取りたいほどですが、もちろんそれをしていると時間がいくらあっても足りないので断念。
彼らの生活の中心に創作活動があることは、この環境を見れば明らかでした。
点在する作品は彼らの日々の軌跡といえるでしょう。
その後、展覧会にむけた内容をぼんやりと考える中で、個人的に初めて手にして愛用しているシンプルな白磁の器を紹介したいと感じるようになりました。
今回の展覧会は白磁の作品を中心にリクエストしています。
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それとは別に、普段とは違うモノづくりの提案もしてみました。
彼らの自由な発想と技術、加えて暮らしを楽しむ好奇心のカタチは食卓のツールだけにはとどまらないはず と考えたためです。
そんなある意味無茶な投げかけに応じていただき見せていただいた作品が、案内状にも起用したバードハウス(鳥の巣)。
野生のシジュウカラが好む巣穴のサイズを再現するあたりに、壷田さんの好奇心が伺えます。
昨年12月の再訪では、展覧会にむけた制作の過程を拝見しました。(またまた最高の食事を用意していただきました、、!)
まだ私たちも全ての作品を見たわけではないですが、本当にたのしみな内容です。
会期の初日に当たる1月20日(土)は亜矢さんが在店します。
ぜひお出かけください。
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壷田和宏・亜矢  会期: 2024年1月20(土)-2月4日(日) 会場: Playmountain
宮崎県高千穂町を拠点に活動を行う陶芸家 壷田和宏・亜矢さんの展覧会を開催します。
標高1000m近くに位置する山間部を自ら拓き、暮らす。
風土に根付いた彼らの営みの中心にはいつも創作があります。
その手から自由に生まれるかたちは、空にぽかりと浮かぶ雲を眺めているようです。
炎と土、自然に委ねる要素と、壷田さん夫妻が営みを続ける中で得た知恵と技術が交わった作品はまさに〈Man Made Objects〉と言えるでしょう。
今回の展覧会では普遍的な食卓ツールとしての白磁の作品群を主に、彼らが暮らしの中で得た抽象的造形への興味と発展を表現する品々が並びます。
プレイマウンテンでは久しぶりの焼き物の展覧会。
壷田和宏・亜矢さんのありのままの表現をどうぞお楽しみください。
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shunsukessk · 11 months ago
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「遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体で発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者空間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再開発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、日本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、大沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書院、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社、2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅」 ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計���務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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thyele · 2 years ago
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2023年3月29日
家庭用ルーターの不正利用に関する注意喚起について 警視庁 https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/cyber/notes/router.html
北千住のオムライスやハンバーグが美味しい洋食「キッチンエッグス」 https://www.kitchen-eggs-pc.com/sp/
仲町の家とは | アートアクセスあだち 音まち千住の縁 https://aaa-senju.com/p/10011
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フラット35の金利引き下げ方針 子育て層や若年夫婦、所得制限なし:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR3Y3577R3YULFA004.html
甲斐犬など104匹、劣悪環境に 元ブリーダーにネ��レクト容疑:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR3Y3PP7R3XUTIL002.html
声優・内海賢二さん、没後10年の節目にAI音声化 夏目漱石など名作文学を朗読 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2273321/full/
松山千春、「スッキリ」終了目前の加藤浩次をねぎらうも「俺に声を掛けなかったな?」 - サンスポ https://www.sanspo.com/article/20230329-OJANHPQ3INAAHIRMBCTHUBROGE/
櫻井翔、中居正広からのお年玉額明かしスタジオ驚き “年始の恒例行事”回顧 - モデルプレス https://mdpr.jp/news/detail/3673268
齊藤なぎさら「めざましテレビ」新イマドキガール5人が決定<プロフィール&コメント> - モデルプレス https://mdpr.jp/news/detail/3671815
中村うさぎ、ラノベ黎明期から様変わり「異世界転生」氾濫に喝「テンプレ小説ばかり、書いてて恥ずかしくないのかな」|Real Sound|リアルサウンド ブック https://realsound.jp/book/2023/03/post-1289418.html
【やりがちだけど最も危険】鍋にお玉を入れたまま「ガラスのふた」をすると、破裂の原因に! メーカーが注意喚起|まいどなニュース https://maidonanews.jp/article/14871903
ギャル芸人・ぱーてぃーちゃん信子、結婚していたことをサラリと発表 イケメン夫の呼び名は「ジーザス」 /2023年3月29日 - エンタメ - ニュース |クランクイン! https://www.crank-in.net/news/125090/1
Eins:Vier、2年ぶり東阪ワンマンは<…from Dear Songs 1995>再現 | BARKS https://www.barks.jp/news/?id=1000231723
藤原ナオヒロ / NO-GATEさん「こんばんは🌇 まだまだ肌寒いですね! 体調には気をつけながら  今週も頑張りましょう🌸 明日はラジオアップします⤴️ #Spotify #podcast 【番組URL】 https://t.co/zjC64kzcbD https://t.co/AJui2X2IIh」https://twitter.com/naohiro_fuji/status/1640325512131403776
JOMI.K / NO-GATEさん「なんとなく、少しずつだけど、#ChatGPT の乗りこなし方が分かってきたような気がする。 NO-GATE Profile|JOMI.K @jomik0720 #note https://t.co/CQTCicipDu」https://twitter.com/jomik0720/status/1639956695588929536
Satomiyu.☆eclipse.さん「足跡というオリジナル曲を、 作曲してくれた和角さんとライブでコラボした! めっちゃ楽しかった☺️✨ https://t.co/iO6fnzTaxf」https://twitter.com/satomi3343/status/1640324513929003008
YU§TAさん「因みに…1部での会場内で流れていた曲ですが。 BxAxMxF vol.2の曲に追加した15曲合計で40曲を流していました。 今回のコンセプトと言うか… 自分の中でちょっとした遊び心を加えたり、前回よりも自己の瞬間的な発想力に忠実にしてみたんですよ。 って事で。 Vol.4はどうしようかね?」https://twitter.com/primitive_alive/status/1640368061915209731
明徳さん「即完! チケット取れた人はお楽しみに!」https://twitter.com/akinoridamonde1/status/1640603145830301696
逹瑯さん「歌えるのか!」https://twitter.com/mucc_tatsuro/status/1640598580003217409
Yoshikiさん「昨日、殺害予告とも取れる、書き込みがありました。 警察と話しています。 #YOSHIKI」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1640562491989323777
Yoshikiさん「SNS等の書き込みについて、 人それぞれ、ファンのみんなも、色々な意見があっていいと思う。 でも、度を越したものはスタッフ達がブロックもするし、”死” を示唆する書き込みなどは、警察に報告しています。昨日も一件、警察に報告しました。…」https://twitter.com/YoshikiOfficial/status/1640558769339011072
HiSAƧiHさん「2️⃣巻リリースおめでとうございます🎉」https://twitter.com/HISASHI_/status/1640558599473864704
明徳さん「突然の発表になってまったけど、、 再びUnveil Razeしてきます! 超至近距離メタルす」https://twitter.com/akinoridamonde1/status/1640555319616237568
Unveil Raze / Officialさん「【サポートメンバー】 Bass / 明徳 (lynch.) @akinoridamonde1 Drums / 響 (摩天楼オペラ) @HibikiShiraishi 4/30(日)もサポートメンバーに2人を迎えます! 是非お越し下さい! https://t.co/5f0pjgBZFe」https://twitter.com/UnveilRaze/status/1640549616990167041
Unveil Raze / Officialさん「【INFO】 ただいまよりチケット販売開始! 4/30(日) 渋谷RUBY ROOM Unveil Raze Presents 「COMEBACK SHOW 2023 - Pay You Back」 OPEN 13:00 / START 13:30 前売り ¥3,500 🎫⏩ https://t.co/PPXejoNzwM https://t.co/lHLVQ1vXAp」https://twitter.com/UnveilRaze/status/1640549393500651524
エレコム(公式)さん「家庭用ルーターがサイバー攻撃に悪用される事案が発生しています。 「自動ファームウェア更新機能」と 「管理画面へログインするためのIDまたはパスワードの固有化」機能を備えたWi-Fiルーターのご使用をお願いいたします。 弊社は警視庁の発表に賛同しております、詳細は引用元をご確認ください。」https://twitter.com/elecom_pr/status/1640521552411398144
まりあさん「やまなみ工房を取り上げた番組で、 清春さんが番組の冒頭と、中盤ぐらいで少しインタビューにも応えてるから見逃した人はこちら↓で見て〜! #清春」https://twitter.com/botan_3/status/1640316060514799617
吉田トオルさん「ジェーンチャイルドのこの曲リリースから大好きで https://t.co/dxZxAn9Vbl ここから導かれて何曲も書いてるかも。 DISCO VOLANTE「FEVER」はジェーンの陽なイメージで書いたかな。 https://t.co/iCUVMHb9Ke 人は影響されて洗脳されて自我の枝になり蕾を作る。どんな職種だってそうだもん。楽し。」https://twitter.com/tooru_yoshida/status/1640176401184862208
画狂人 井上文太official 🐣さん「HYDEさんありがとうございます💐😊✨ #HYDE #buntainoue #竹久夢二伊香保記念館 #井上文太展 #竹久夢二 #井上文太 @333888G」https://twitter.com/BUNTAiNOUE/status/1640292842122911744
BENIさん「お願いだから一生枯れないで。。🥹 HYDEさんに開業祝いのお花を頂きました🌹✨ 僕も多くの人を勇気づけたり、感動を与えられるような仕事をしたい。 僕が心から尊敬する方です。 こんな繋がりを与えてくれた皆さんにも感謝します。 https://t.co/Vf7eiIMAdz」https://twitter.com/dears_beni/status/1640301987446267904
紗良/𝑺𝒂𝒍𝒂😼😼🏍💚3/25SALA FEST『ROCK ON!!!』@吉祥寺クレさん「#紗良_6thAnniversary #サラフェスを振り返る き、、清春さんが!!! 観に来てくださいました😭✨ 気持ちが伝わってくるライブだったとっ!!! 新曲「The ONE」を気に入ってくださったと!!! 真摯にやって来て良かった😭 ますます頑張りますっ!!! https://t.co/RNEUGccVIp」https://twitter.com/sala_saku/status/1640354686636281862
ASAGI Official Accountさん「DのNew Single「REVENANT」の試聴動画を公開しました!20年の歴史を誇る、至極のヴァンパイアストリーを是非ご堪能ください!🌹📚🌹限定盤のスリーブケースはカップリング曲の「アインスの記述」の洋書をイメージした素敵なデザインになっています!皆さんゲットしてくださいね!!」https://twitter.com/ASAGI_SOLO/status/1640295909157392384
スペースシャワーTV プラスさん「/ #HYDE ライブ特番 番宣SPOT公開🎬✨ \ 📆3/31(金)20:00~22:30 📺HYDE 20th Anniversary ROENTGEN Concert 2021 2021年に開催されたオーケストラを率いた全国ツアー「20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021」の模様をお届け🎻💕 圧巻のパフォーマンスをお見逃しなく☺🔥 @HydeOfficial_」https://twitter.com/sstvplus/status/1640277493163884547
Jumpeiさん「今年も誕生日を迎えました😌 そしてノスシネ、動きます。 楽しみにしてて下さい。 よろしくお願いします!!」https://twitter.com/Jumpei0327/status/1640286893983281153
Jumpeiさん「匠さんありがとうございます😭✨ 哀愁感を更に漂わせるように頑張ります🥺!!」https://twitter.com/Jumpei0327/status/1640274189889470465
ヒロシさん「THE SPIDER LILLY 新曲2曲、本日配信開始! ・DEAD PUNKISH JUNKIE https://t.co/KSTXCvAUdE ・THE JUDGMENT https://t.co/hpuDgif8eA #thespiderlilly #スパイダーリリー」https://twitter.com/hiroshidesu0214/status/1638847844475105280
MORRIEさん「【Arche 4】 “Logos Cutters” 4月29日(土) 高田馬場CLUB PHASE 開場16:30/開演 17:00 MORRIE (vo & gt) 黒木真司 (gt) FIRE (bs) 城戸紘志 (dr) *チケット一般発売は3/28(火)12:00より 【ZAIKO】 https://t.co/ksIuYUlN4s 【e+】 https://t.co/aHGKfe5yKR https://t.co/RmQDiWonH3」https://twitter.com/nowherenobodygu/status/1640235699004928003
MORRIEさん「【Arche 4】 “Fourth Coming” 5月27日(土) 高田馬場CLUB PHASE 開場16:30/開演 17:00 MORRIE (vo & gt) 黒木真司 (gt) FIRE (bs) 城戸紘志 (dr) *チケット一般発売は3/28(火)12:00より 【ZAIKO】 https://t.co/FTOqD4b2Dl 【e+】 https://t.co/u6vlr7SabH https://t.co/f0vuIM9FsN」https://twitter.com/nowherenobodygu/status/1640236575757058048
enon kawataniさん「アレンジやりました!!仮歌歌うの楽しかったな。総勢48人は圧巻です…お楽しみに!」https://twitter.com/indigolaEnd/status/1640169222822330369
Chirolynさん「hide with Spread Beaver 再結成に向けてのソロツアー終盤戦👊胸熱❤️‍🔥 【Chirolyn★Spring Tour 2023】 チケット予約受付中‼️ ◆4/1(土)東京 下北沢 BAR?CCO ◆4/30(日)大阪 POTATO KID 両会場ともチケット完売間近💨 祭りだ祭りだ🎊一緒に遊ぼぜッ😆🍻 ◇チケット予約→ https://t.co/aaWKHe79Js https://t.co/ldihfNWXXy」https://twitter.com/Chirolyn_1965/status/1640173462504476673
_psychovision_さん「PSYCHOVISION hide MUSEUM Since 2000 2023/3/28 14:00 現在のグッズ状況まとめです。 【品切れ・再入荷予定】 ・クッション 【完売】 ・マスクストラップ ・トレーディングフォンタブ ・バンダナ(サイケペイント) ・メタル缶バッジ #hideMUSEUM #PSYCHOVISION #hideMUSEUM_売切れ情報」https://twitter.com/_psychovision_/status/1640582097915252736
_psychovision_さん「PSYCHOVISION hide MUSEUM Since 2000 🙇‍♀️商品完売のご連絡🙇‍♀️ 【メタル缶バッジ】 こちらの商品は完売いたしました。 ⚠️会期中の再入荷はございません。 お客様にはご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。 何卒、よろしくお願いいたします。 #hideMUSEUM #PSYCHOVISION https://t.co/0PzvMh4kl9」https://twitter.com/_psychovision_/status/1640581799322714112
Daijiro Nozawa a.k.a.DIEさん「Ra:IN ロンT 通販OK出ました✨🎉 しばし詳細待たれよ😏 https://t.co/xisjIPTFdk」https://twitter.com/Pukapyu/status/1640549717808664576
SEXX GEORGEさん「アメブロを投稿しました。 『ありがとうございました!』 #アメブロ https://t.co/Q0y6g8v6hf ありがとう🥰 https://t.co/FXATvELz7S」https://twitter.com/abikoshinonkai/status/1640521383573856256
JROCK'N'ROLLさん「宜しくお願いします😊 https://t.co/48SSL3yqRR」https://twitter.com/JROCKNROLL_/status/1639629099118501893
JROCK'N'ROLLさん「Today at 21:00...」https://twitter.com/JROCKNROLL_/status/1640577292371128320
杉本善徳さん「確実に私のコメントですね。。。」https://twitter.com/ys1126/status/1640247135139676166
マンガ大賞さん「🎊発表しました! #マンガ大賞2023 大賞作品は、#とよ田みのる @poo1007 先生の『#これ描いて死ね』です。おめでとうございます!! 選考員によるコメントや、先生からいただいたイラスト、報道資料などは、下記の公式サイトをご覧ください! 👉https://t.co/PqGOwfZaVq https://t.co/LiftoyrPvo」https://twitter.com/mangataisho/status/1640235568201367553
杉本善徳さん「おめでとうございます! コメント出させていただいておりますので、ご一読くださいませ(もちろん、マンガも読んでね)」https://twitter.com/ys1126/status/1640263185998712835
あおいけいさん「3/31(金)19時公開のようです! 私と作品について深堀して頂きました ぜひ見てください〜😊」https://twitter.com/Abspko/status/1640159124020416513
Nostalgic Cinemaさん「【ライブ情報】 2023年6月28日(水) 下北沢251 詳細は後日お知らせします。 & Jumpei HBD!!」https://twitter.com/NC_official1228/status/1640209575566774274
seekさん「https://t.co/78F8Vd4YGB」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1640264738608402432
アーバンギャルド URBANGARDE 3/31中野サンプラザワンマン開催&オールタイムベスト発売中さん「⏰本日18時まで⏰ 3/31 閉館する中野サンプラザで… 15周年記念公演 アーバンギャルドのディストピア2023 SOTSUGYO SHIKI🌸 3月31日(金) 前売りは本日18時まで! 学割もあります👩‍🎓 A席7,700 学割3,300 🎫 https://t.co/2xC86EtmiF https://t.co/aBtQaPlxhH」https://twitter.com/urbangardestaff/status/1640264627253805057
H.U.G、全国6都市を巡る1stツアー開催決定|DI:GA ONLINE|ライブ・コンサートチケット先行 DISK GARAGE(ディスクガレージ)https://www.diskgarage.com/digaonline/news/176143
BUCK-TICK OFFICIALさん「📢本日3月27日(月)~4月2日(日)まで、 田園都市線 渋谷駅にBUCK-TICKの広告を掲出中✨ お近くにお越しの際は、ぜひチェックしてください😊 ※駅係員や鉄道会社へのお問合せはご遠慮ください。 ※通行の妨げや周囲の方のご迷惑にならないようご配慮をお願いいたします。 #BUCKTICK #BUCKTICK35th https://t.co/i2lqCqxdgF」https://twitter.com/BUCKTICK_INFO/status/1640270826825187336
森 翼mori tsubasa/MIMIZUQさん「昨日のLiveの動画。 応援チケットはこちら。よろしくお願いします! https://t.co/B9TofNT7yB https://t.co/iLzzQU8whd」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1640277061481930753
Hydeさん「[STAFF] ワンマンツアー『HYDE LIVE 2023』のHYDEIST会員限定チケット先行受付は本日23:59まで! お申し込み忘れのないようお気をつけください。 詳しくは↓ https://t.co/MUeNHwDXmd #HYDE #HYDELIVE2023 #声出し解禁 #BEAUTYANDTHEBEAST https://t.co/S5oZj4mvgR」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1640277482166206465
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CAPÍTULO 1 INTRODUCTORIO: Sean bienvenidos japonistaarqueológicos, a una nueva entrega de la serie arqueológica de la ciudad de Matsumoto en la prefectura de Nagano, las ruinas que nos acompañarán a lo largo de estos tres capítulos son las ruinas de Weda¿Qué son estas ruinas? ¿De qué periodo tratan? ¿Dónde se localizan exactamente? Todas estas preguntas y más nos van a ir acompañando a lo largo de estas publicaciones pónganse cómodos que empezamos. - las ruinas las podemos localizar en el emplazamiento suroeste de la ciudad de Matsumoto en un abrigo aluvial ¿Qué dos ríos son lo que podemos localizar? ¿Cuáles son sus nombres? Los ríos se llaman Azusa y Kusari, la arqueología ha demostrado que no hubo asentamientos que continuarán desde los periodos Yayoi tardío y el periodo Kofun¿Cuándo empezaron a plantar arroz? Se estima que sería a finales del siglo VII d.c. - ¿Qué opinan ustedes al respecto? ¿Conocían el emplazamiento? Espero que os haya gustado, nos vemos en próximas publicaciones. 導入第 1 章: 長野県松本市の考古学シリーズの新作、ジャポニスタ考古学へようこそ、この3つの章でお供する遺跡は、ウェダ遺跡です.この遺跡は何ですか?彼らはどの時代についてですか?それらは正確にはどこにありますか?これらすべての質問とその他の質問は、これらの出版物全体で私たちに付随します。快適にして、始めましょう. - 松本市の南西部に位置する沖積シェルター内にある遺跡を見つけることができます.2つの川を見つけることができますか?それらの名称は何ですか?梓川と鎖川と呼ばれる川ですが、考古学的には弥生時代後期から古墳時代にかけて集落が続いていなかったことが考古学的にわかっていますが、田植えはいつ頃から始まったのでしょうか。 7世紀末頃と推定されています。 - あなたはそれについてどう思いますか?彼らは場所を知っていましたか?気に入っていただければ幸いです。今後の出版物でお会いしましょう。 - INTRODUCTORY CHAPTER 1: Welcome to japonistaarchaeological, to a new installment of the archaeological series of the city of Matsumoto in Nagano prefecture, the ruins that will accompany us throughout these three chapters are the Weda ruins. What are these ruins? What period are they about? Where exactly are they located? All these questions and more will accompany us throughout these publications, make yourself comfortable, let's start. - We can locate the ruins in the southwestern location of the city of Matsumoto in an alluvial shelter. What two rivers can we locate? What are their names? The rivers are called Azusa and Kusari, archeology has shown that there were no settlements to continue from the late Yayoi periods and Kofun period, when did they start planting rice? It is estimated that it would be at the end of the 7th century AD. - What do you think about it? Did they know the location? I hope you liked it, see you in future publications. ソース写真/source photo:https://naganomaibun.or.jp/research/east/和田遺跡・和田1号塚/
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kanewilliamsonjp · 2 years ago
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三和一善 スプロール現象と自動運転技術(シナジック)
自動駕駛汽車將是一場氣候災難
麻省理工學院研究人員最近的一項研究測量了作為自動駕駛汽車大腦的強大車載計算機消耗的能量。 他們發現,全球範圍內廣泛採用自動駕駛汽車每年會額外產生 0.14 吉噸的溫室氣體排放量——相當於阿根廷全國的排放量。
研究人員強調了一個嚴重的問題,這個問題在關於我們所謂的自主未來的討論中很少受到關注。 儘管如此,作者並沒有將他們的結論作為對自動駕駛汽車的控訴,而是作為構建對電力不那麼渴求的 AV 計算機的一個理由。 “這有可能成為一個巨大的問題,”該研究的合著者 Sheila 告訴 Deneen。 “但如果我們領先一步,我們就可以設計出更高效的自動駕駛汽車,從一開始就具有更小的碳足跡。”
我不想成為壞消息的傳播者,但 Sudhakar 太樂觀了。 即使計算機的能源消耗奇蹟般地減少,自動駕駛汽車仍準備讓全球排放量飆升。 假設 AV 技術最終奏效(無可否認,這是一個很大的“如果”),一個有 160 年曆史的人類行為理論表明,它會迫使人們比其他情況下更多地開車,並在行駛過程中產生排放。 重要的是,即使自動駕駛汽車也是電動汽車,依靠電力而不是汽油運行,情況也是如此。 儘管電動汽車不排放尾氣,但它們仍會通過為電池充電所需的發電以及製造過程產生溫室氣體。
當你考慮更多行駛里程的淨效應時,沒有組合行程,耗電的 AV 計算機問題看起來像是一個更大問題的一個微不足道的部分。 即使“解決了”計算機效率挑戰,自動駕駛汽車也將是一場氣候災難。
要了解原因,我們可以看看 1865 年在英國出版的一本頗具影響力的書。威廉·斯坦利·傑文斯在《煤炭問題》 中指出,煤炭開采的持續改進只會刺激進一步生產的需求。 原因是:任��生產力的提高都會導致煤炭價格下降,迫使人們和企業尋找新的使用方式。 煤炭需求的增加將推高其價格——並最終導致更多的煤炭產量。
三和一善
這個想法,現在被稱為傑文斯悖論,在應用於交通時很有啟發性。 以高速公路拓寬項目為例,這些項目可能會消耗納稅人數十億美元,以“結束”擁堵為目標。 這些希望很少能實現。 相反,在項目完成後,僵局又回來了,一如既往。
傑文斯悖論表明高速公路工程師總是犯錯。 新增加的車道使高峰時段的出行變得“更便宜”(時間上,而不是金錢上),這導致人們調整他們的出行計劃。 有些人決定在高峰時間開車,否則他們會在早上 5 點離開家,或者可能乘坐公共交通工具。 其他人決定開始他們以前根本不會進行的旅行。 人們將繼續將他們的出行計劃轉向新擴建的道路,直到擁堵像以前一樣嚴重——只是現在車輛更多了。
傑文斯悖論對自動駕駛汽車對氣候變化的影響具有不祥的暗示。 通過將駕駛員從注視道路的乏味中解放出來,自動駕駛汽車將使汽車旅行變得更加輕鬆——這與在最近擴建的道路上呼嘯而過的體驗沒什麼不同。 人們將通過比其他方式走得更遠和進行更多的旅行來應對。 交通運輸業已成為美國最大的溫室氣體排放源,其排放量將不可避免地上升。
研究人員已經表明,先進的駕駛員輔助系統可以處理駕駛的各個方面,但仍然需要一個人在方向盤後面參與,這正在引導人們更多地開車。 (ADAS 通常被視為邁向全自動駕駛汽車的墊腳石。)一項研究發現,擁有該公司 ADAS 產品 Autopilot 的特斯拉車主每年比沒有使用它的車主多行駛 5,000 英里左右。 自動駕駛汽車有望進一步增加汽車的使用,因為它們使乘客根本不需要注意道路。
一項設計巧妙的加州大學伯克利分校的研究為我們的自動駕駛未來敲響了警鐘。 研究人員讓 13 個人接觸到一名司機,司機可以在一周內將他們帶到他們喜歡的任何地方,有效地模仿了擁有一輛隨時隨叫隨到的自動駕駛汽車的體驗。 在那一周,受試者的行駛里程比前一周多了 83%。
隨著時間的推移,自動駕駛技術將引發更多的出行,因為人們會逐漸調整他們的居住和工作地點,以融入汽車出行帶來的更多便利。 靠近中心城市的重要性將下降,導致許多人選擇在外圍郊區購買更大的房屋(當然,這需要更多的電力來供暖和製冷)。 這種趨勢的另一個詞是:蔓延。
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nekotubuyaki-blog-blog · 2 years ago
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今週の入手本(0122-0129)
『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版)
『逃亡テレメトリー マーダーボット・ダイアリー』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/勝山海百合解説/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版)
『ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/堺三保解説/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版)
『フィールドの生物学7 テングザル 河と生きるサル』(松田一希著/東海大学出版会)
『フィールドの生物学10 凹凸形の殻に隠された謎 腕足動物の化石探訪』(椎野勇太著/東海大学出版部)
『フィールドの生物学24 ミツバチの世界へ旅する』(原野健一著/東海大学出版部)
『宇宙建築Ⅰ 宇宙観光, 木星の月』(十亀照人編著/TNL著/企画・構成:土谷純一/デザイン:李英華/東海大学出版部)。"今後20年の最もエキサイティングな民間宇宙開発の創世記に、その時代のど真ん中でのできごとを記録するアーカイブとしてどうしても残しておきたいものを掲載"。第1,2回宇宙建築賞作品掲載。
『宇宙建築ⅡUzumarch, 火星居住施設』(十亀照人編著/TNL著/企画・構成:土谷純一/デザイン:李英華/東海大学出版部)…"今後の宇宙建築の2大テーマともいえる「月面基地」と「火星基地」に関する独創的なアイデアがたくさん詰まった本書"第3,4回宇宙建築賞作品掲載本。
『マーダーボット・ダイアリー 上』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版)…”かつて重大事件を起こし、その記憶を消されている人型警備ユニットの“弊機”は、ひそかに自らをハックして自由になったが、連続ドラマの視聴を趣味としつつ、保険会社の所有物として業務を続けている。ある惑星資源調査隊の警備を任された弊機は、さまざまな危険から顧客を守ろうとするが”
『マーダーボット・ダイアリー 下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版)
『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)…"書籍修繕家は技術者だ。同時に観察者であり、収集家でもある。わたしは本に刻まれた時間の痕跡を、思い出の濃度を、破損の形態を丁寧に観察し、収集する"
『ビトナ ソウルの空の下で』(ル・クレジオ著/中地義和訳/装幀:水崎真奈美(BOTANICA)/本文組版:前田奈々/作品社)…"あるとき作家は、ソウル市からソウルの街について何か書いてほしいという委嘱を受ける。しかし旅行記は退屈に��われて気乗りがしない。そこで、架空の人物を考案し、ソウルを舞台とする物語を編み出すこと、つまり小説を書くことを思い立つ。"
『幻のシロン・チーズを探せ 熟成でダニが活躍するチーズ工房』(島野智之著/デザイン、イラストレーション:佐々木宏/帯文:坂上あき、森節子/八坂書房)…"「意図的にダニを熟成に関与させるチーズ」を本書のタイトルではシロン・チーズと呼んだ。チーズの熟成にダニが関与するとはどういうことか"
『セックスロボットと人造肉 テクノロジーは性、食、生、死を“征服"できるか』(ジェニー・クリーマン著/安藤貴子訳/装丁:畑ユリエ/双葉社)…"これからお読みいただくのはSFではない"
『アジア「窓」紀行 上海からエルサレムまで』(田熊隆樹著/写真:田熊隆樹/装幀者:上清涼太/草思社)…"だから、この本には名物の食べ物についての紹介は少ないし、交通や宿など旅の情報が書いてあるわけでもない。個人的な旅の断片を「窓」という視点でつなぎ合わせた本である"
『生物に世界はどう見えるか 感覚と意識の階層進化』(実重重実著/新曜社)…"「世界を見る」といっても、それは視覚でとらえるというだけでなく、持てる感覚を総動員して周囲の世界を認識するということだ"
『黒と白の猫』(小沼丹著/函装画:沼尻美果/未知谷)…"大寺さんもの連作全十二篇を集成"
『すとまとねことがんけんしん 1』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:横倉清恵(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『すとまとねことがんけんしん 2』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:山口百合香(Dairy Fresh)/ぶんか社)…"ストーマ生活と猫とがんの検査についての漫画です"
『動物のペニスから学ぶ人生の教訓』(エミリー・ウィリンガム著/的場知之訳/動物イラスト:Shuichi Saito/装幀:小川惟久/作品社)…冒頭から衝撃的な事実が綴られているので、その種のサバイバーの人は十分に注意してほしい。しかしまたこの本が、そういった人たちにとっても盾となり剣となるのも確かな事実だ。
『新・動物記7 白黒つけないベニガオザル やられたらやり返すサルの「平和」の秘訣』(豊田有著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会)…"しかし、この心細い小さな一歩が、ベニガオザルたちとの心躍るかけがえのない出会いへの確かな一歩だったのだ。"
『オン・ザ・ロード』(ジャック・ケルアック著/青山南訳/解説:青山南/カバーデザイン:緒方修一/カバー装画:下田昌克/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫)…"移動への誘惑をケルアックがどんなにいとおしいほどにかんじとっていたか、よくわかる。『オン・ザ・ロード』は、まったく、ケルアックによる「大道の歌」でもある"
『学術選書107 ホメロスと色彩』(西塔由貴子著/装幀:上野かおる/カバー画像:サフランを摘む女性たち(部分)サントリーニ島アクロティリ遺跡/京都大学学術出版会)…"むしろ、識別・区別することや、現在一般的に受け入れられていると判断される「色」に対する認識に疑問を投げかけることも狙いの一つである"
『村の公証人 近世フランスの家政書を読む』(ニコル・ルメートル著/序文:ジャン・ドリュモー/佐藤彰一+持田智子訳/装丁:耳塚有里/カバー図版:ショメイユ教会、柱頭の天使像/名古屋大学出版会)…"自伝でも個人的な日記の類いでも無かった。それは思春期にある男女が青春の真実を求めて綴られた書き物でもなく、様々な責任を背負った壮年の男たちが書き記した記録であった"
『建築と触覚 空間と五感をめぐる哲学』(ユハニ・パッラスマー著/百合田香織訳/解説:「ユハニ・パッラスマーとその功績について」ピーター・マッキース/前書き:「薄氷」スティーブン・ホール/装幀者:上清涼太/草思社)…"視覚への依存が加速する現代、空間における五感を取り戻さなければならない。建築によって。"
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honeeey · 3 years ago
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1、"人"が語る、もっとも強い"馬" 武 豊(たけ ゆたか)という騎手が居る。 別業界である羽生善治やイチローと並べられるほどの"天才"と称され、 日本競走馬界で数少ない有名な"人間"であり、数々の歴代最多記録を残している。 そんな偉人がウマ娘プロモーターになって、あんなCMに出るなんて2000m芝不可避なわけだが、話がそれるのでここまでにしよう。 武豊は2018年現在も現役であり、数々の名馬と共にレースを制している。 親子三代で天皇賞制覇し「絶対の強さで人を退屈させた」と言わしめた"メジロマックイーン" 怪物達と共に第二次競馬ブーム期を盛り上げた平成三強の一頭、"スーパークリーク" 武豊としては二度しか乗らなかったものの、騎手としては伝説的ラストランを走り切らせ、 「神は居る」と思わせた、アイドルホースである芦毛の怪物"オグリキャップ" そんな武豊が騎乗した馬達の中でも、一際異様な強さを見せた馬が居る。 "ディープインパクト" 無敗のまま「皐月賞」「東京優駿(日本ダービー)」「菊花賞」を制して三冠馬となり、 「一着至上主義」「奇跡に最も近い馬」と形容されるほど勝ち続け、恐ろしい戦績を残した名馬である。 以下の画像はそのディープインパクトが残した成績である。 世間はこの馬に注目し、社会現象だと言われるまで取材��相次いだ。 馬は喋れないので当然メディアは武豊にマイクを向ける。 様々なインタビューをされていく中、こんな質問が武豊に飛び込んだ。 「もし武豊さんが『武豊&ディープインパクト』と対戦できるとしたら、これまで数多く乗ってきた優駿の中で、打倒ディープとしてどの騎乗馬を選びますか?」 その質問に武豊は一頭の馬の名をあげた。 その馬の名はサイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せた馬である。 2、上村洋行とサイレンススズカ サイレンススズカは最初、武豊ではなく上村洋行という騎手が乗っていた。 上村騎手を乗せたサイレンススズカのデビュー戦は堂々の1着でゴール。 だが次の弥生賞ではレース開始前、柔軟な馬体でゲートをくぐってしまう。 ※ゲートをくぐっちゃうサイレンススズカ サイレンススズカは係員に押さえつけられ、なんとか再びゲートに入る。すると今度はスタートで酷い出遅れをしてしまう。 それでも驚異的な脚力で8着にはなったが、当時の関係者達はこれらの気性面をなんとかしたかった。 「走りたいという気持ちが先走り過ぎる」 「スイッチが入ると暴走するぐらい走りたがる」 サイレンススズカは確かに速い。 だがその身に任せたままだとレース終盤スタミナが尽きて、勝つことが難しい。 次のレースで上村はサイレンススズカを必死に抑えつけて走らせようとしたが、我慢しきれないサイレンススズカは先頭を走り続け逃げ切り1着。 東京優駿(日本ダービー)を勝たせたかった関係者たちは不安だった。 2000mならいいだろう。だが勝ちたいレースの距離は2400mなのだ。 ※Sがスタート地点。Gがゴール地点。 ペース配分ができなければ、速さをコントロールしなければ、絶対に勝てない。 もはや上村は「マイル路線(1600m)で行ったほうがいいのでは」とも考えていたという。 しかし次の2200mでなんとサイレンススズカは1着。しかも騎手の上村が上手くサイレンススズカを抑えて、理想的な作戦勝ちだった。 「ダービーもいくらか抑えれば、勝てるだろう」 だが日本ダービーで、サイレンススズカは勝てなかった。なんと9着。 「もう小細工はやめて、逃げて競馬させよう」 関係者達は方針を転換する。 続く神戸新聞杯でサイレンススズカはレースを先行で走った。 走り続け、断然トップ。これは勝ったと見る者は思った。 サイレンススズカはペースを変えず先頭を走る。あとは、ただ走るだけ。 しかし後方からマチカネフクキタルがグングンとスピードをあげ追い抜こうとしていた。 上村騎手が気づいたころには、サイレンススズカは2着になっていた。 振り返れば、八百長さえ疑われてもおかしくないほどの、酷い抜かれ方であった。 この結果を受け、上村騎手は降板させられてしまう。 上村氏は後悔した。自らの失態を泣き、悔しがった。 そしてサイレンススズカの行く末を心配した。 「恋人以上のものが離れて行ってしまった感覚でした」と本人のインタビューも残っている。 「将来を見据えて、なるべく楽に勝たせてあげたかった」「苦しまずに走らせたかった」「勝ちをちゃんと見据えられてなかった」 当時を振り返ったブログ記事では 「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、 天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。 そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」とも残している。 サイレンススズカに鞍上した上村氏は、誰よりもサイレンススズカを愛し、守りたがったがゆえに、本番レースで勝ち切る「勝負師」になりきれなかった。 競馬は勝負の世界。馬は勝たなければいけない。負けて許される馬など、皆認めなかった。 生涯成績113戦0勝のハルウララがメディアに持ち上げられ、大衆から愛された時も、競馬関係者達の声はあまり暖かくなかった。 武豊もその一人だ。 「強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある」 そんな勝つことに拘る騎手、武豊がサイレンススズカと出会うことになる。 3、大逃げの始まり 「サイレンススズカに乗りたい」 そう申し出たのは、なんと武豊からだった。 乗る馬の依頼が来るのを待つのが本来騎手側の立場なのだが、 その慣習を崩した直談判である。 そして香港国際カップでサイレンススズカと武豊騎手は初めてコンビを組む。 ちぐはぐな日程や、馬房内で左回りに旋回する癖を矯正しようとした結果ストレスをため込んでしまうなど悪条件が重なり、レース終盤に他馬に捲られて結果は5着。 「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」 そんな評価をサイレンススズカに下した武豊は大胆な騎乗を思いつく。 「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」  いかに逃げて力を配分するか。 大逃げという戦法は古くからあるにはあるものの、「勝つための戦術」としては博打感が拭えないシロモノである。 大逃げでの名馬と言えば、どれも個性的で、数は多くない。 破滅的大逃げを幾度となく繰り返し、最後の直線でスタミナを尽かし大失速して馬群へと沈んでいき最下位。そんな滑稽な姿を何度も魅せ、競馬ファン達を楽しませた"ツインターボ" あまりのハイペースでトウカイテイオーらのレース展開を乱し下位に追いやった、大逃げコンビとして有名な"メジロパーマー"と"ダイタクヘリオス" 世界レコードを叩き出したこともある"セイウンスカイ"なども居るに居るが、現在でも常用される戦術とは言い難い。 次走のバレンタインステークスでサイレンススズカはその「大逃げ」をする。 レース序盤の第三コーナー前でサイレンススズカはここまで逃げ離した。 ※左の赤丸にサイレンススズカ。右の赤丸が他の馬達である。 大逃げは最初からハイペースで走るので、最後の直線ではスタミナがあまり残らない。 なので後方馬との差は縮まっていく……はずなのだが、 サイレンススズカは加速する。加速し続け、後方の馬をさらに逃げ離す。 「逃げて差す」 次のレースも大逃げで勝ち、そしてその次のレースも大逃げで勝ち…… 1998年金鯱賞���またもやサイレンススズカ1着。2着との差なんと11馬身。 平地の重賞競走では6例目の大差勝ちであり、これ以降10馬身以上離れての重賞大差勝ちレースは現れていない。 レース後、アメリカから「サイレンススズカを売ってくれ!」とオファーが本当に来てしまうぐらいの圧勝だった。 「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」と武豊は当時の金鯱賞を振り返る。 この金鯱賞のレースは印象に残るどころか、サイレンススズカが伝説と呼ばれるゆえんのレースとなり、そしてその始まりだった。 次の出るのはG1宝塚記念。しかしここで問題が発生した。 サイレンススズカが宝塚記念に出走するのは急遽決まったことであり、 武豊は同レースに出走するエアグルーヴに乗ることを先に決めていたため、鞍上がいなかったのだ。 そこでなんとか南井克巳氏が乗ることが決定し、武豊とサイレンススズカが敵として戦うことになる。 宝塚記念は芝2200m。 南井騎手は少し抑え気味で慎重に前へと走らせる。最後の直線でもギリギリまで引き付けてから鞭を入れ、そのまま加速しサイレンススズカ1着。 武豊鞍上のエアグルーヴは3着だった。 大差ではないものの、サイレンススズカにとって念願のG1レース初制覇でもあった。 4、最速の証明 毎日王冠はG2レースであり、G1より格が下である。 このレースを勝てば、サイレンススズカがもっとも得意なG1レース条件である「芝2000mの左回り」天皇賞(秋)の出場権を得られる。 しかし当初は調教不足などを理由に、サイレンススズカは毎日王冠への出走を見合わせる検討がされていた。 だがこのレースに二頭の馬が、出走を高々に宣言する。 その馬の名は"グラスワンダー" 「怪物」と騒がれ「JRA史上最強の2歳馬」と評された馬が、故障後の復帰戦にこのレースに出走を表明。 そして"エルコンドルパサー" 年度代表馬を得るために、ジャパンカップで勝つために前哨戦としてこのレースを選択。 両馬共に未だに無敗の外国産馬である。 サイレンススズカ陣営も「これで出走を回避したら『あの二頭に負けるのがわかって尻尾を巻いて逃げた』と言われてしまう」と懸念し始め、この対決を受けることを決めた。 競馬ファン達はこの三強馬による夢の決戦を見逃すわけにはいかなかった。 そして当時のルールでは天皇賞(秋)で外国産馬は出走できない。毎日王冠はこの三強馬が勝負できる数少ない機会なのだ。 こうしてG2という格が下のレースにもかかわらず会場には13万人の大観衆が詰めかけた。 レースが始まり、サイレンススズカは逃げ始める。 グラスワンダーはサイレンススズカの隙を付こうと策を弄し、エルコンドルパサーはそのまま真っ向勝負で立ち向かった。 しかし、サイレンススズカは最後の直線で、いつもの通りに再び加速。 差は縮まらない。二馬身差叶わず、サイレンススズカは1着。 不敗神話を一度のレースで二頭まとめて切ったのである。 「影さえも踏めなかった」 エルコンドルパサーに鞍上した蛯名騎手はそうコメントを残している。 サイレンススズカは6連勝。名実ともに当時の最強馬となった。 サイレンススズカ陣営は「天皇賞(秋)を制したらジャパンカップに挑戦し、そのあとはアメリカへ遠征しよう」とウキウキを隠せなかった。 5、天皇賞(秋)の前評判 サイレンススズカが狙うG1レース、天皇賞(秋) 対抗できるのは前年この天皇賞を制したエアグルーヴぐらいだろうと考えられていたが、 鞍上の関係も考えられ、エアグルーヴは別レースを狙い天皇賞を回避することになる。 (※サイコミ掲載の漫画「STARTING GATE! -ウマ娘プリティーダービー 【第15レース-②】特別な1日 ♯01」において、エアグルーヴが「サイレンススズカとは宝塚記念や天皇賞で戦いたい」と言っていたのは、これに由来する) そしてサイレンススズカがもっとも有利なレースにもはや挑む気力がある馬も無く、多くの陣営が競走を回避。 するともはやサイレンススズカに対抗できる馬はいなかった。 宝塚記念でサイレンススズカに11着で負けたもののそれ以外は戦績の良いメジロブライトが二番人気。 同じく宝塚記念で6着で去年の有馬記念を制覇したシルクジャスティスが三番人気。 またまた宝塚記念の出走馬であり、もっともサイレンススズカに近かった2着ではあったが、最後の1着レースがG3でもない「阿寒湖特別」というステイゴールドが四番人気という有様であった。サイレンススズカはもちろん一番人気。オッズは1.2である。 その馬体や体調面は武豊騎手、担当厩務員ともに口をそろえて「一番具合が良い」と言い、 もはやサイレンススズカが負ける要素を探すのは不可能だった。 誰もがサイレンススズカが勝つことを疑わなかった。 だがひとつ、たったひとつだけ不安要素があった。 天皇賞(秋)には都市伝説が、ジンクスが存在したのだ。 1987年にニッポーテイオーが1番人気で勝った後、 天皇賞(秋)にて1番人気の馬は、一度として勝てなかったのである。 3度も1番人気に支持されながら一度も勝てなかった"オグリキャップ" 1着でゴールしたと思いきや進路妨害により18着へと降着し、天国から地獄へ突き落された"メジロマックイーン" 大逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにレースペースを乱された"トウカイテイオー" 春にメジロマックイーンの三連覇を阻止したものの、スランプに陥りそのまま敗れた"ライスシャワー" パドックで違和感を感じながらもレースに入りし、5着。レース後ケガが発覚し、競走馬を引退した"ビワハヤヒデ" 故障の復帰から立ち直れずにレースに挑み、覇気なく敗れた三冠馬の"ナリタブライアン" スタートを出遅れ、その後の展開もミスしてしまい、鞍上も「最高に下手に乗った」と後悔した"サクラローレル" そのサクラロールを倒して連覇を狙おうとしたが、大逃げ馬(サイレンススズカ)を早めに捕まえようとしてしまい、最後はエアグルーヴにクビ差で競り負けた"バブルガムフェロー" 府中には、魔物が住んでいる。そう言われても仕方がなかった。 1998年。 第118回天皇賞 11月1日1枠1番で、1番人気はサイレンススズカだった。 6、"沈黙の日曜日"~Sunday Silence~ レース開始。サイレンススズカは抜群のスタートで快調に飛ばし、いつもの大逃げ。 サイレントハンターも大逃げ戦法を取るが、サイレンススズカとの差は10馬身差。 最後方ローゼンカバリーとは6秒のタイム差が離れ、 全ての馬を映さなければならない中継カメラはめいっぱいズームアウトし、馬が小さすぎて見えないほどになった。 ※左の赤丸がサイレンススズカ。右の赤丸が最後方の馬。 「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」 と武豊はレースを振り返る。 大欅を通り過ぎ、サイレンススズカは一度ペースダウンする。 ここで一息入れて、再加速しぶっちぎる気だろう。いつものサイレンススズカだ。 しかし、そのまま失速する。 サイレンススズカは左前足を宙に浮かせ、三本脚で立ち止まっていた。 どよめく会場、そして叫ぶ実況。 「サイレンススズカ!! サイレンススズカに故障発生です!!!」 歩く馬足で、コースの大外によれるサイレンススズカ。 それを抜くサイレントハンター、オフサイドトラップ、ステイゴールド、残りの馬たち…… 「なんということだ!4コーナーを迎えることなく、レースを終えた武豊!! 沈黙の日曜日!!」 そのまま泣き叫ぶ会場の歓声を聞きながら、レースを続ける馬達。 サイレンススズカは故障しながらも、鞍上武豊を落馬させず、馬群を避け安全な場所に運んでいった。 この事を武豊は「サイレンススズカが僕を助けてくれた」と語った。 ケガの内容は結果は左前脚の手根骨粉砕骨折。 直ちに予後不良の診断が出され、安楽死処分が下された。 1998年 11月1日 サイレンススズカ 永眠 結局この天皇賞(秋)はステイゴールドとオフサイドトラップが競り合いながら、決着がつく。 1着はオフサイドトラップ。史上初の7歳での天皇賞優勝。 「不治の病」と言われている屈腱炎を3度克服した高齢馬が念願であるG1レースを制覇し、ひとつのドラマを作った。 だがその偉業は、残念ながら無下に扱われてしまう。 1998年の天皇賞(秋)は、サイレンススズカが、最速の馬が止まってしまった悲劇のレースとして刻まれた。 粉砕骨折の詳しい原因は不明である。 武豊は「原因は分からないのではなく、無いんだ」とレース後マスコミに答えた。 レース後の武豊の落ち込みは相当なものだった。 同レースに出ていたテイエムオオアラシの鞍上である福永騎手は 「あんなに落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。 その夜、武豊は知り合いとワインを飲み明かした。 「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。 夢であって欲しいな、って」 サイレンススズカの死、それは夢を見た競馬ファン達にとって、最大のトラウマになった。 サイレンススズカはまさに夢のように走る馬だった。 1600mのスピードで2000mを制せる、最速の中距離馬だった。 競馬に絶対はない。だからファンは"たられば"を夢想する。 もし、サイレンススズカがケガをしていなかったら、どうなっていただろうか。 ジャパンカップの2400mも軽々と走っただろうか。海外に遠征しても、並み居る強敵達を圧倒しただろうか。 種牡馬になったら、どんな子供が生まれただろうか。 そんな夢想をしてしまうのは競馬ファンだけではなかった。 武豊である。 自ら鞍上を名乗り出て、サイレンススズカの未来に期待し、夢を叶えようとした武豊は、 あろうことかその夢が崩れ落ちる瞬間の馬に、跨っていた。 ジョッキーにとって、一番嫌な、最悪の瞬間。 その瞬間のサイレンススズカに武豊は乗っていたのだ。 2007年になるまで武豊はサイレンススズカに深く言及することはなく、 2013年のインタビューでも、事故の話になると途端に拒絶し、笑顔を引っ込めた。 サイレンススズカの事故、その絶望の感触は、武豊の心の中へと確かに刻まれている。 ウマ娘 プリティーダービー第1Rにて終盤、トレーナーは問いかける。 「日本一のウマ娘とは何か?」 それはG1で勝つことだろうか。 日本競馬界の象徴であり最大級の目標である東京優駿、日本ダービーで勝つことだろうか。 ファン投票で出場馬が決まり、1年を締めくくる大レース。数々の名勝負が繰り広げられた有馬記念で勝つことだろうか。 この問いに擬人化されたサイレンススズカはこう答えた。 「夢……見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」 このセリフを聞いてしまった競馬ファン達の心境は如何ほどのものだったろうか。 サイレンススズカ。 日本競馬史上、もっとも人々に夢を見せてしまった馬である。 7、それでも馬達は走り続ける。 サイレンススズカと戦い敗れたエルコンドルパサーは1998年のジャパンカップを制し、海外への遠征を決めた。 「国内に敵はいない」とのコメントは事実その通りであった。 そしてその海外遠征でエルコンドルパサーは大活躍する。 ヨーロッパ最大の競走の一つ、凱旋門賞では惜しくも2着だったが、現地メディアからは「チャンピオンは二頭居た」とその健闘を称えられるほどだった。 2018年現在、国際的に競走馬のレーティング指数を決める「インターナショナル・クラシフィケーション(旧称)」や競走馬の能力を数値化する「タイムフォーム・レーティング」など、どちらもエルコンドルパサーは日本調教馬として史上最高の数値を保持している。 引退後に現れたディープインパクト等の名馬達、それらを差し置いての高評価を未だにエルコンドルパサーは維持したままなのだ。 そのエルコンドルパサーを相手に、国内レースにて唯一勝ち星をあげていたサイレンススズカの評価も未だに止まることがない。 翌年、1999年の天皇賞(秋)レース。これを武豊は再び走り見事1着でゴールインを果たす。 しかもレース記録を塗り替えるレコード勝ちだった。 去年のリベンジを果たした武豊はレース後、 「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした」と語っている。 サイレンススズカが後押し、天皇賞(秋)をレコード記録で1着を取った馬、 その馬の名はスペシャルウィーク アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」の主人公である。 さらなる余談ではあるが、天皇賞(秋)にかかった一番人気のジンクス、呪いは 2000年にテイエムオペラオーが払拭する。 その後に登場する名馬達も、天皇賞(秋)において1番人気で1着を取れるようになっていった。 名馬達を襲った忌まわしき呪いは完全に掻き消え、今は日本競馬史���一つとして、ただ記されているのみである。
https://ch.nicovideo.jp/yumemura/blomaga/ar996682
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petapeta · 5 years ago
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 大正12年、相模湾北西部を震源地とするマグニチュード7.9の関東大震災では、東京の小菅(現・東京拘置所の前身)、市谷(旧・東京拘置所の前身)、巣鴨(旧・東京拘置所と現・府中刑務所の前身)、豊玉(旧中野刑務所)の4刑務所と横浜、浦和(黒羽刑務所の前身)、小田原少年刑務所(現・拘置支所)、千葉の各刑務所は大破し、甲府、静岡の刑務所も災害に遭いました。    この日、小菅刑務所には、懲役10年以上の長期受刑者が約1300人おりましたが、外塀、工場、倉庫などは全壊し、建物の倒壊で受刑者3人が圧死した外、10数人が重軽傷を負う災害を受けました。    その時の小菅刑務所の典獄(刑務所長)は有馬四郎助(59歳)でした。 彼は、警察官から転職し、明治10年代に北海道集治監(当時の国立刑務所)の看守長を振り出しに、網走監獄の長になり、山縣有朋内務卿の懲戒主義に従って、監獄内の暴徒を鎮圧し、規律の乱れを正した功労者でした。    彼は、北海道でいくつかの集治監を勤めていた間、キリスト教の留岡幸助教誨師との出会を機に、次第に、力の行刑から愛の行刑へと転向し、小菅刑務所では、クリスチャン典獄と呼ばれていました。     当時、行刑局では、受刑者には威嚇と苦痛を与え、罪業の重さを感じさせ、法と良心の前に平伏させるべきであるという意見が支配的でしたが、彼はこの方針を批判し、厳しさは同情に根ざしたものであるべきだと主張しました。 この考えに沿って、刑務官が長剣を帯びるのに反対し、規律違反者への減食罰を禁止し、行状の良い受刑者には所内で独歩を認めたほか、横浜刑務所と小菅刑務所の近くに不良少年少女のための感化院を開くなど、彼の進歩的な行動はしばしば刑務所長の権限を越えるものとして、行刑局内では顰蹙を買いました。    こうした彼の方針が試されたのが関東大震災でした。 受刑者たちは、突然、自分たちを閉じ込めていた外塀が全壊したのをまのあたりにしました。 しかし、愛の典獄と慕われていた有馬典獄の恩に報いようと、受刑者たちはこぞって、逃亡しようとする者を引き止め、怪我人を助け、破壊された建物を整理し、広場に建てたテントで数日間生活をしながら、収容しきれない受刑者向けのバラックを急造するなど励みました。 広場には 「典獄」 と墨書したムシロを立て、所長の所在を示し、1日3回、半紙1枚に謄写印刷した教誨文書を配布するなどして心情安定を図りました。    翌日には陸軍工兵隊が駆けつけ、11月半ばまで軍の救援を受けたほか、食料、建築資材を他の刑務所から調達しながら受刑者たちは刑務所の敷地内で生活しました。 その一方で、受刑者500人を他の刑務所へ順次移送しましたが、それまでの間、一人の逃走者も出ませんでした。 この奇跡のような出来事は海外にも伝わり、高く評価されました。    関東大震災で最も大きな被害を受けたのは、横浜でした。 「神奈川県震災誌」 によりますと、当時、横浜市には、約10万世帯、44万人が住んでいましたが、全世帯の95%が罹災(63%が焼失)し、死傷者は,市の人口の7.6%に達しました。 横浜刑務所には受刑者が約1100人いましたが、そのうち死者は48人、重傷者は50人、一方、職員の死者は3人、重傷者は幹部2人、看守そのた16人を出しました。 地震の最初の一撃で居房、倉庫、女子拘置区の一部が倒壊し、それに続く余震でレンガ造りの外塀、工場、舎房、官舎が全壊し、隣接の民家からの出火が構内に燃え移り、受刑者たちも加わっての消火にもかかわらず、断水で夕方までに刑務所はほぼ全焼しました。    構内も付近の学校、寺院など大きな建物も破壊され、受刑者を収容する場所がなく、このため午後6時過ぎ、椎名通蔵所長は監獄法第22条により、傷病者を除いて受刑者821人を集め、解放を宣言し、傷病者は急造のバラックに収容しました。 この時点まで、逃走者は一人も出ませんでした。 食糧の調達は、海軍の協力で無線電信を使い横浜市から米の配給を受けました。 監獄法では、解放した受刑者は24時間以内に刑務所か警察署に出頭することになっていましたが、解放期間を9月8日の午前6時までとし、それまでの間に、565人が自発的に戻り、その後もさみだれ式に戻って来た者もいました。    当時、横浜刑務所は根岸(現在の磯子区)にありましたが、9月8日と9日の両日、営繕工事に必要な受刑者を除いて、430人を磯子海岸からボートに乗せ、巡洋艦夕張で名古屋刑務所へ移送しました。 刑務所の復興計画は直ちに始まり、昭和2年に現在地(港南区)へ移転したのです。    関東大震災では、死刑囚、受刑者、被告人など約千人を収容していた市谷刑務所のほか、巣鴨刑務所、豊玉刑務所でも外塀、建物が倒壊するなど甚大な被害を受けましたが、いずれの施設でも逃走者は出ませんでした。    関東大震災以後の震災では、昭和53年6月の宮城県沖のマグニチュード7.5の地震で、宮城刑務所と隣接する仙台拘置支所の外塀、総延長約2千メートルのうちほぼ半分が倒壊したほか、木造の舎房、工場、などが倒壊し、断水、停電の被害を受けましたが、暴動、逃走事件は起こりませんでした。 また、平成7年1月のマグニチュード7.3の阪神・淡路大震災では、神戸刑務所は深刻な被害は免れましたが、暴動、逃走、その他の保安事故はここでも起こりませんでした。    このような災害時の建物、外塀の倒壊、混乱した生活の中で、何故、日本の受刑者たちは逃走を企てないのでし���うか、これはまだ、科学的に解明されていない問題です。(
災害! そのとき刑務所は : 断想
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dainana-seagull · 4 years ago
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。 
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始め��。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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