#フェティシュ
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・つまり貨幣は交換の手段でなく原因だと
・そもそも自我分裂ichspaltungてフェティシズムの記述から出てきたよに理解してんやけど、間違い?
・つまり母のファルス無いものの代替が生存に必要な物資調達の交換を可能にしてるとつまりそれで社会が実現される
・貨幣のない物々交換の時代でもそこに呪物があったと、だからそんな物神が社会の核になるのか
・フェティシュや物神から捉えればさぞ特異な事態だが抑もファルスは母親のファルスなのだ、フェティシュ呪物をどう一般化するのは別としてこれは象徴的なもの象徴界の成立ちや腑分けの話だろう
・正直フェティシュの一般化、どうも結論だけさわる人いる、ファルスが個別例倒錯とかにどう機能したてフロイトも見取りは示したが彼以降だし、一般と特殊並行して分析発展したが、ちゃんと統合しよう努力してる分析家言説は見かけない
・象徴界をどれだけ滑らかに機能させるかは別として、我々皆倒錯者てことやよな
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KIIMANです! 7月1日朝10時から7月7日まで、オンライン展示企画にて販売します🌺 ・ 展示販売サイトは @accident_instagram 公式ホームページよりスタート。 ・ 展示コンセプトに関しまして下記読んで頂けると幸いです。宜しくお願い致します、何卒何卒! ・ ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ 【ハナテンにつきまして】 この度オンライン企画で展示販売する事になりました。 【KIIMANが花を描いたらどうなるのか?】ACCIDENT様からふと出た提案がきっかけで決まったハナテンはそのままシンプルに”花”の展覧会です。 悪セサリーになる以前、私は主に水彩��やイラスト・油彩画で花や植物をモチーフに作品を作る事が主でした。 そんな若かりし私にふと知人が勧めてくれた【人体解剖図鑑】。 的な創造を掻き立てられた事を覚えています。 そこに掲載されていた【腎臓の断面図】が、当時影響を受けていた荒俣 宏さんのアラマタ図像館「庭園」とリンクし、まるで臓器が【架空の花】のように魅惑的な創造を掻き立てられた事を覚えています。 原点も今も、切っても切り離せない【花】という存在。 昔の感覚を思い出すようで、ロマンチックな気分で描いてみた“花”のシリーズで悪セサリーを24点用意しています。 KIIMAN #Repost @accident_instagram with @get_repost ・・・ 【KIIMANとACCIDENT→→Hana no Tenrankai “ハナテン”開催!- ACCIDENTオンラインショップ】. . 7月1日(水) 10:00から7月7日(火・七夕) までの一週間限定でACCIDENTオンラインショップにて、KIIMANとACCIDENTによるHana no Tenrankai “ハナテン” を開催いたします!. . 2020年 この春にKIIMANによって描き生み出された世界にひとつだけの息吹・美しい“ハナ”たち。それぞれに いろんな色で咲き誇る24のKIIMANの花のアクセサリー。. . 耳元に、心に、日本各地の皆さまに色鮮やかなKIIMANのおハナをお届けいたします。 . . ▷KIIMAN ヌバックまたはスウェード地に油彩絵具を使ったアート作品、装飾品を制作。 過去イラストレーションデザインを学びながら、専攻外の油彩絵具を使用してデザインやポスター・立体物を制作し、オリジナルの手法によって作品を制作し続ける。“絵を描く”という行為そのものに疑問を感じながら、空間全体をひとつのキャンバスに見立て、インスタレーションや自身も表現のひとつとしてパフォーマンスしながら、そこに“ひとつの絵”を描いています。 また、身に付ける装飾品は悪戯(イタズラ)目的の“悪セサリー”と呼び発表しています。. . . 7.1(wed)〜7.7(tue) 10:00より 【KIIMAN ハナテン Hana no Tenrankai】 at ACCIDENTオンラインショップ https://accident.theshop.jp/ (プロフィールページのURLより移動できます。@accident_instagram ). *全て一点ものとなります。ピアス・イヤリングは選択いただけます。 . . #KIIMAN #accident_instagram #悪セサリー #レザー #皮 #イアリング #ピアス #ブローチ #フェティシュ #アートアクセサリー #アートジュエリー #ジュエリー #アクセサリー #アート作品 #花展 #レザーアート #油彩 #oilpaint #leatherart https://www.instagram.com/p/CB72utDFJGA/?igshid=1ab92avbomcnm
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『ARAKI SM物語 17 フェティシュ・ペーパー』 S&Mスナイパー1984年9月号。モデル:三千院京子
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私は革タイプの手袋は冬必須なのでこれいいね!
これはファーが付いてるのでカッコ可愛い感じですね〜
全身革系でフェティシュにキメるのも結構好きなんだ
Mana
#manasama#malice mizer#mana sama#mana#moi même moitié#model#moi dix mois#artemena#gothic#goth#guitar#punk#💙
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【取り扱い開始】 2代目口枷屋モイラことあかねこによる、ゴスロリラバー写真集、ROM集、缶バッジ等のグッズが入荷。 セクシーかわいいボディを見せつけ、フェティシュ界隈を賑わせる、衝撃デビューのあかねこを見逃すなッ!
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君の裸の匂い 夜の桜の森さ 静かに騒ぐ胸は死んでしまう夢を見たよう (フェティシュ / 詞:売野雅勇 曲:坂本龍一)
http://twitter.com/twitter/status/946959431652147200
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2017/12/05
今日は作業の傍ら、「ドラゴン・タトゥーの女」を観た。 ダニエル・クレイグ主演、監督は「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」のデヴィッド・フィンチャー。スウェーデンが舞台のサスペンス・アクションだ。フィンチャーの映画は観るたびに心が抉られていって、そこもまあ魅力なんだけど、今回は特にコテンパンにされた。ひどい。面白いことは面白かったんだけど、原作のある作品だし、まあ今までほど警戒しなくてもいいだろ、と思ってたらこんな事になった。ここまで切ない終わり方をするなんて一つも予想してなかったのだ。
※先日の「CASSHERN」の比でないくらいネタバレをします、なぜなら避けて通れないので。あとあらすじかなんかと一緒に読んでもらえると、書かなかった導入部分の事がわかり話が通じやすくなる。というか本編観ろ
僕はダニクレボンドの007シリーズが結構好きで、「スペクター」は劇場に3、4回観に行った。今日「ドラゴン・タトゥーの女」を観始めたのも、Amazonプライムビデオのウォッチリストに長いこと入れっぱなしだったのをたまたま見つけて、「久しぶりにダニエル・クレイグのゴツゴツした顔を拝みたいな」とぼんやり思ったからだ。ダニエル・クレイグの顔は相変わらず面の多い彫像みたいで良かった。演技も渋くて大変ステキだった。でもそれ以上にルーニー・マーラ扮するリスベットがあまりに健気で、激キュートで、つまりすっかりやられてしまったのだ。マーーーージで幸せになってほしい。このままじゃいくらなんでも可哀想すぎるだろう。
劇中、リスベットに降りかかるトラブルは、いちいち残酷だ。後見人だった優しいおっさんが、突然脳卒中で倒れ、リスベットに代わって資産を運用する��が難しくなったところから、彼女の暮らしは悪い方に転がってゆく。前科もちで精神科の入院歴あり、素行も悪く、ピアスにタトゥー極盛の見た目のために、当然弁護士だか税理士だかには自分で資産を運用できないと判断される。で、この弁護士だか税理士だかわからないデブが、「今後は俺が資産を管理するから俺に媚を売れ」とか言い始める。相手は社会的信用の無い、精神的に不安定な女性だから、やりたい放題できると、端から足元を見ている。この時点で、ロクなことにはならんだろうな、と予感はしているが、貯金を横取りするくらいだろうと思っていた。 だがデブは、リスベットを性欲の捌け口にするのだ。容赦なく。不愉快なくらいリアルに、強姦の過程を描いている。リスベットは行動力が有り余っており、頭も異常に冴えている女性だから、この後デブに痛快な復讐を遂げるんだけど、それより暴力が過ぎ去った後の、水場でのリスベットのシーンの痛々しさったらない。フィンチャーは何か傷ついた女の子と水場にフェティシュがあるのかと疑うくらい、彼女が必死に穢れを洗い落とそうとする姿を、繊細に切り取る。
で、リスベットは色々あって復讐し、ダニクレ演じる敏腕ジャーナリスト・ミカエルと合流、物語の本筋である少女失踪事件の調査を始める。このミカエルにも初めは怯えてるんだけど、一緒に推理を進めるうちに奇妙な信頼関係で結ばれて、ダニクレが外で恐ろしい目に遭った直後、自分から身体を許すまでになる。ダニクレはあれだな、命からがら危険を遠ざけた後でセックスしがちだな。そんなくだらない感想よりも大事なのは、「自分から身体を許した」ということ。リスベットは元来、性的には相当オープンな女の子で、セックスそのものに恥じらいはなく、レズのセフレがいたりする。でもつい先日、男性から苛烈なセクシャルアビューズを受けたばかりである、ということを忘れてはいけない。いっしょに危険を乗り越えていく中で、男性への恐怖をも克服し、というよりかはミカエルという個人への感情が上回ることで、心身共に強い絆で結ばれたと言っていい。 思いの通じ合った二人は、地道な情報収集と推理でついに黒幕を突き止め、謎はひとまず解明され、事件は解決。で、実はミカエルは事件の調査を始める前、ある大物実業家の不正を告発したら逆に訴訟起こされて負けて、現在社会的地位がドン底。それが物語の開始時点のことなんだけど、リスベットの機転で信用を回復し、大物実業家は破滅する。
���節はおりしもクリスマス。リスベットは退院した元後見人のおっさんとチェスをしながら、「友だちができたの。すごく立派な人」と語り、ポーンを一つ進める。リスベットが後番で、おっさんの駒もポーン一つしか進められていないから、これがリスベットの初手である。この場面は象徴的だ。おっさんは脳卒中の後だから、まともに会話もできない。でもやっと、リスベットに手伝ってもらいながら駒を動かせるまでになった。きっと久々の対戦なのだろう。で、おっさんの「初手」――自身が倒れたことでリスベットが悲惨な目に遭うきっかけを作ってしまうが、やっと回復して可愛がっていた彼女とチェスをするまでになる――に対して、リスベットも最初の駒を動かす。この駒は恐らく、ミカエルとの関わりを通じた、社会への第一歩、恋の成就(直前のミカエルと会うシーンを見ればわかるが、その態度は恋する少女そのものだ。スレた性格の彼女がこんなにウブなのは、いろんな複雑な理由のせいでまともな少女時代を送らなかったからだろうか)への布石を暗示しているのだろう。 が、しかし。
まあ簡単に言えば、フィンチャーはすぐこういうことするよな、という感じだ。暴力の過程なんか取りこぼすわけないしなんだったら盛るもんな、ということはわかってたし、実際リスベットが受けた壮絶な性暴力については先述したとおり、余すところなく映していた。 でも、最後の最後にあれだけ積み重ねたささやかな好意を全て消し飛ばす、観客とリスベットにとっては何よりもこたえる形の「暴力」で、全てを台無しにする。だからといってあのエンディングを非難したいということではない。むしろ、あのオチでエンドロールに突入した瞬間「あ~~~なんでお前はすぐそういう映画撮るかな~~~~!!!最高~~~~~~~!!!!!!」って叫んで泣き笑いで大の字になった。この作品で行使される「暴力」として、最も残酷で、最も悪意がなく、だからこそ救いもなく、そして最も美しい暴力だったからだ。
いくら魅力的なキャラが壮絶な性暴力を受けても、結局観客が100%没入して胸を痛めるか、というと、きっとそんな事は無い。あのシーンがお色気だと解釈される可能性が0でない限りは。文脈で判断すれば決して解釈できるわけがないのだが、画だけを切り抜けばそう取ってしまう輩もいるだろう。 では、そもそも切り取りようがないためにそうした誤解を生じうる余地がなく、かつ最も効果的に観客とキャラとを同時に苦しめる暴力とは何か。「ドラゴン・タトゥーの女」の答えは、「『互いを認め合うキャラクター同士の、丁寧に丹念に描かれた感情の集積��、音を立てて崩れ去る瞬間』で思い切り殴る」だった。
僕はもう、あの時リスベットがどんな気分でミカエルにプレゼントを用意して、手紙を書き、バイクに跨り、どんな思いでアパートまでの道を走っていたのか、それしか考えられない。店員との「お父様に?」「友人に」「大事なご友人なんですね」というやり取りも、意外に可愛いクリスマスカードのチョイスも、封筒に宛名を書くときの慣れていない感じも、何もかもがくすぐったい。きっと彼女は、ミカエルに包みを押し付けて、不器用でも誘うつもりだったのだ。「また乗る気ない?」と。 しかし全ては破綻して、悲しげなバイクの排気音で物語は幕を閉じる。
「ドラゴン・タトゥーの女」は2011年末の映画だから、続編が作られないまま丸6年が経つことになる。きっと2017年の今も、クリスマスの冷たいゴミ捨て場にはプレゼントがひっそり放置されていて、排気音だけが泣き喚く声のように、ストックホルムの街角に響いているのだろう。続編で、今度こそリスベットのあまりに純な想いが報われる事を願うばかりだ。簡単に原作読めとか言うな。じゃあお前も映画観ろ。
2017年はあちこちで、特にショービズ界隈で、個人的な問題や立場を盾にとった性暴力が次々暴かれた年だった。そんな年の、なおかつクリスマスだからこそ、「ドラゴン・タトゥーの女」を観てくれ……………………………………………………………………頼む……………………��…………一生のお願い……………………………………………………………………………………………………………………
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酒井隆史「赤と黒のあいだのマルクシズム」
酒井隆史「赤と黒のあいだのマルクシズム」 1 貨幣は、商品と借用証書(debt-token)[信用]のあいだをほとんどつねにさまよっている。 義務=負債 →義務が負債と同一視されるようになる転換点に貨幣が関係している。 つまり、義務を数量化し、貨借対照表のようなかたちの交換に転化する媒体として、貨幣がかかわっている。貨幣は負債を可能にするというだけではなく、負債と貨幣が同時に登場しているのである。
ラッツァラートによるグレーバー批判 ・資本主義はそれまでの歴史と袂を分かつ、画期的なシステムである。 →グレーバーは歴史哲学のうちに信用貨幣と商品貨幣との区別を埋没させてしまうことで、 資本主義とその固有の力学を見落としてしまっている。 ・資本主義とは、信用貨幣と商品貨幣の二つの貨幣形態による交替による長期サイクルか ら、みずからを切断しているところに特徴をもつ。 →もっとも脱領土的である信用貨幣の組織化を介してすべての他の資本(商業資本と産業 資本)を再編することで、生産のための生産、蓄積のための蓄積のプロセスが始動する。 ・グレーバーのいうような、1971年の変動相場制への移行を信用貨幣のヘゲモニーへの長 期的移行とみなす、その法則は妥当しない。
ラッツァラートによるグレーバー批判の再考 ・グレーバーは、完成されたフェティッシュであるG-G’の過程によって「W-P-W’」の価 値生産過程をも省略することで、すでに資本制とはべつものの世界の、つまり資本制を 乗り越えて作動する力学の趨勢を見極めようとしているのではないか。 ・民衆世界と資本 したがって、商品貨幣の民衆世界への導入は、共同体の外で発生したよそもの同士の交換関係を、共同体のうちに「内攻(introject)」する過程でもあった。このように、金銀に内在するという価値という信憑のもとでバブルを祓い、かつ、民衆世界の人格的信用基盤を解体し、商品貨幣の基盤に繋留された非人格的信用形態をあやつることを通して、本源的蓄積が進行し、そして賃労働者化が普及する、というのが、グレーバーの見通しであって、その延長線上で、一九七一年以降に再編された金融資本主義における信用貨幣のヘゲモニーによる、「負債人間」の現出がある、ともいえるのである。 ・市場と資本主義の区別 →市場を日常的信用世界、ないし相互扶助の延長として捉える。
2 人類史を通して、階級間の公然たる政治的抗争が出現したとき、それは、拘束された 者の解放、土地のより公正な再分配というような、負債解消の申し立てというかたちを とっていた。 ・負債の論理 :負債は、平等の仮定を条件としている関係性、つまり交換の原理におかれ、その上で、 遅延された交換であり、原則的には対等である人間間のむすぶ約束であって、いずれ返 済可能な有限である。 →コミュニズム、交換、ヒエラルキーの区分 ・コミュニズム ;「各人はその能力に応じて[貢献し]、各人にはその必要に応じて[与えられる]」であるという原理にもとづいて機能するあらゆる人間関係 →現社会にも存在しているし、「あらゆる人間社会に存在するもの」としてのコミュニズム =「基盤的コミュニズム」
・交換 :交換において取引される対象を等価と見る。 →交換にあたる人々も等価であると見なされる。=等価は自律を内包している。 ※コミュニズム(とヒエラルキー)は、交換ではない。
・ヒエラルキー :劣位者から優越者の関係性、「先例の論理」によって機能 →基本的には交換と関係なく、慣習によって捕獲されると固定される。
問題が生じるのは、負債は原則として交換の原理に根ざしていることであり、先ほどの言葉を用いれば、「潜在的な解消可能性と究極的な等価性という全般的な見通しの内部」における、「再現のない[交換の]変種、はてしないゲームの可能性」として位置づけられるということを、ラッツァラートが認めていないことにある。 →ラッツァラートの議論 :ニーチェの議論を参照しつつ、現代の金融資本主義がその統治の戦略として活用する核心的技術としての負債を、主人と服従者の関係性によるものと見る。 →ラッツァラートの批判では、ヒエラルキーの原理と交換の原理が混同されており、そのために負債の原理と負債の実際の機能様式が混同されてしまっている。 そもそも、ラッツァラートのいうように、いまのこのわれわれの社会、個人の自由を旨とする社会において、負債が全面的に支配するにいたっているとしたら、それは、負債が、形式的には自由で対等であるはずの諸個人による契約というかたちゆえ、である。だからこそ、実質的に、無限に服従を要請するといった、一見、主人と奴隷のような支配関係が、本来、自由な個人を基礎に据えたはずの現代資本主義においても、その原則をわずかにも揺るがすことなく、むしろ、その自由な主体(個人、法人、国家)間の自己責任として、はびこることが可能なのである。 「この地でわれわれがよくいうのは、贈与は奴隷をつくり、鞭が犬をつくる」(イヌイット) →だれがなにをだれに与えたかを計算したり記憶することの拒絶 →「能力に応じて、必要に応じて」のコミュニズムの原理に、交換やヒエラルキーが忍び 込むことの拒否
3 「フェティッシュ」は、フェティッシュ化されているが、フェティッシュ化されてもい ない。 グレーバーフェティッシュ論のポイント ・隠蔽よりも、創造に関わる ・「フェティッシュ」の展開 :16〜17Cのアフリカ大陸に進出したヨーロッパ人が、アフリカ人の対象の魔術化という実践を見て、それを「フェティッシュ」と名付ける。 ※キリスト教の偶像崇拝とは違がった。 →キリスト教のように何かが霊性を受肉するのではなく、物質性そのものが神として見な されていた。 「フェティシズムは、生きた動物や植物そのものに直接に向けられている」(シャルル・ド・ブロス) →グレーバーの議論 :ヨーロッパ人がアフリカ人を「フェティシスト」と名指すとき、彼らは相対主義の脅威 のお祓いをする=アフリカ社会が持つ価値の基準の多様性、相対性、恣意性を退ける →恣意的なのは、アフリカ人の方であるという<他者化>による否認 :アフリカ人の視点から見れば、ほとんどフェティッシュ化されていない。 →・政治的局面ではカオスに陥りかねない秩序を維持し、法への服従を確保する。 ・経済的局面では人々の間で約束と取引の琳来を確保するために、それを破ると祟りが くるというフェティッシュを形成 ⇒一種の社会契約としてのフェティシュ
グレーバーのフェティシズム論とマルクシズムに関わる諸論点 ⑴マルクスにとっての「商品フェティシズム」は、「疎外」というはるかに一般的な現象の一つの特殊な事例 ⑵フェティシュである神々は、純粋な魔術から純粋な進学への移行路にそったある地点に存在する。 魔術は、人間が世界を意のままに形成する方法であって、純粋に個人の目的を追求する儀礼である。それが宗教になるのは、社会にかかわるとき、教会や会衆を獲得したときである。こうしてみると、フェティシズムは、魔術と神学がたがいに、入れ替わる交点に位置していることがわかる。というのも、フェティシズムにおいては、われわれが、じぶん自身の目的のために形成し、あるいは領有した対象(フェティシュ)が、突然、まさにそれらが、あたらしく形成されたある社会的紐帯を体現するようになるとき、わたしたちに押しつけられた諸力(神々)となる、といった現象であるからである。だが、それはその効力を喪失したとみなされるや、つまり魔力を喪失させたとみるや、放逐される、そのような神々である。だから、神々はつねに構築される過程のうちにあるわけである。したがって、フェティシュは、ここでははっきりと、社会的創造性にかかわっている。フェティシュを介して、ひとはなにをおこなっているのか。それは隠蔽というよりは、それが個人間の小さい関係であれ、共同体全体にかかわる大きな関係であれ、友情であれ、取引であれ、小さな市場であれ、政府であれ、たえず人間のあいだのきずなをとりもち、成立させ、あるいは解消させる、といった具合に、社会的諸関係の創造にかかわっているのである。 ⑶ フェティシズムを特徴づける対象ないし客体と主体の反転は、必然であって、解消することはない。 要するに、フェティシュを払拭することと解放することをむすびつけるのは誤りなのである。 ⑷フェティシュをめぐる「誤認」には差異がある。 「知っている、だが・・・・・」という定式が商品フェティシズムの世界の信仰形態であり、それは意識上はとらわれを否認することで、揺るぎなく「神々はリアルなもの」へと昇格しているからであり、信仰を否認すればするほど、深い信仰にのめり込むからである。
4 生産様式モデルの誤りは「生産」をたんに物的対象の生産として定義したことである。「生産」の理論は、人間と社会的諸関係の生産に、同等の位置を与えねばならない。 つまり、ここでのマルクスとエンゲルスの規定する生産には、物的生産のみならず、人間と社会的諸関係もふくまれており、この点を真剣に受け止めるならば、土台と意識形態という区分そのものが、すくなくとも歴史を貫通する実体として、とらえられない。そしてもうひとつ『要綱』の「資本主義的生産に先行する諸形態」である。そこでマルクスは、古代ギリシアについて、たとえ、そこで「経済」が問題になっていても、つねにそこでは富が生産の目的ではなく、人間の生産、すなわち、人間の陶治が目的となっていた、と称えている。
グレーバによる奴隷制と賃労働の類似点 ⑴労働の社会的(再)生産の場所と、生産において労働力の実現する場所の区別に、両者とも依存していること。ともに、人間の生産には直接にはかかわらず、みずからの領域外で生産された人間をあてにしている。資本制の場合、それによって、生産領域と再生産領域の区分が生まれる。 ⑵人間の諸力が貨幣と交換させることを通して、移譲が実現すること ⑶この移譲のひとつの効果が、「社会的死(social death)」であること ⑷両者共に、貨幣による取引が、抽象的労働を生み出すこと ⑸自由のイデオロギーをともなっていること
5 その原理が行為を統御する原理である場合にはつねに、たった二人の人間の交流であってさえも、わたしたちはある種のコミュニズムの現前に立ち会っている。 ・コミュニズムとは、かならずしも「コミュニティ」とはかかわらない 確実なのは、近接した関係性、しかも特定の一対一の関係性のなかでは、かならずミニマムなコミュニズムがはたらいているということである。すべての共同体ないし社会体は、この個人主義的コミュニズムと交錯し、それとの関連ですべての機構を織り上げていくのである。 →「所有」の問題ではなく、モラルの原理、あるいは「倫理」(不可視委員会)としてのコミュニズム →贈与は、交換とコミュニズムをまたいでおり、遅延されているとはいえ、対価の期待のなかにあるかぎり、交換の原理で動いている。 =「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」の定式としての「開いた互酬性」
モースの、マルクシストへの批判のひとつは、かれらが資本制への、あるいはそのもとでの市場経済への、民衆のモラル的次元での批判をまともに受け取ろうとしないという点にある。
いずれにしても、この「現在の社会的秩序のうちにあって、べつの世界の基盤を提供しうるものをみいだす」という態度が、われわれのマルクシズムにとって、もっとも学ぶべきものとなるだろう。マルクシズムの歴史をみても、このような、人類学的あるいはアナキズム的姿勢でもって、世界に対した系譜は確実に存在している。いまある可視化されたもの、かたちをとっているもの、あるいは、不可視のもの、生成の状態にあるもののうちに、この世界を支配する法則にとっての外部の要素を発見するような姿勢である。
つまり、なんらかのかたちでマルクシズムを模索するわれわれが念頭においておかねばならないのは、このような態度は、やはり批判の仮借なさの追求をあいともなわねば、危ういということなのである。そして、仮借なき批判は、いまあるもののうちへの「べつの世界」のみきわめがなければ、これもまた危うい。
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エロ脚とデカ尻!パンストはいたままそのまま中出し!!5
エロ脚とデカ尻!パンストはいたままそのまま中出し!!5 パンストに包まれた程良い肉付きのエロ脚と悩ましげなデカ尻のWフェチプレイ!引き締まった太腿とツンと上を向いたヒップを包み込むパンストを破ってチンポ差し込み中出ししたい!こだわりのフェティシュ・アングルで感じる美脚&美尻&パンスト美!パンスト×美脚×美尻×中出し=最強エロボディ!! エロ脚とデカ尻!パンストはいたままそのまま中出し!!5 エロ脚とデカ尻!パンストはいたままそのまま中出し!!5 DUGA – エロ脚とデカ尻!パンストはいたままそのまま中出し!!5
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展示させてもらっているshovel shopを経営するACCIDETより紹介頂いてます✈️ ・ 展示に伴ってACCIDETさんのバックアップはホンマに心強いし、自由にやりたいようにやらせてくれる事で良い展示空間を作る事ができています! ・ 商品は毎日減っていますが、今回用意した作品は新作ばかりなので店内にある作品自体まだまだ見応え充分で���えてます🌸👄🌸 ・ #Repost @accident_instagram (@get_repost) ・・・ 【鮮やかな色彩美・KIIMANの悪セサリー! - shovel Exhibition #54】. . shovel Exhibition #54 KIIMAN & Strange Stretch Records、ご好評頂きまして誠にありがとうございます!独特な鮮やかな色彩感覚、革に一つ一つ描かれた KIIMANの身につける絵画“悪セサリー”も魅力たっぷりです。. . 数少なくなっているお品の追加入荷の予定もございます。 この機会にめくるめくKIIMANワールドに是非チェックインを!. . . 11.15(wed)〜11.21(tue) 【shovel Exhibition #54】 @shovel_shop . KIIMAN / Strange Stretch Records. . . ▷KIIMAN 大阪出身・東京在住 2003年より油彩画家として活動。2013年まで大阪を拠点にギャラリーでの展示やパリ・アメリカでの アートフェアに参加。2014年より東京に拠点を移し活動を開始する。 オーダーメイドの悪セサリー作品はもちろん、絵画作品・CDジャケット・デザイン・アパレル用品等、エンターテインメントにお仕事を活動中。 . . ▷Strange Stretch Records ジャンクレコードのリサイクルプロダクト・strange stretch records・通称「レコード曲げ屋」!キズ盤など不要になったレコードを、手曲げでまた別の形でよみがえらせます。息を吹き込まれたレコード達は時計やランプシェード、ティッシュケースや名刺入れ、扇子など様々な形で生き返ります!その魔法のような作品に触れてみてください。. . . #ACCIDENT#shovel_shop#KIIMAN#悪セサリー#レザー#皮#イアリング#ピアス#ネックレス#アクセサリー好き#フェティシュ#阪急百貨店#うめだスーク#阪急#阪急うめだ#阪急うめだ本店 (阪急百貨店 阪急うめだ本店)
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