#ピンク色のガーベラ���覗いている
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1月23日
浴衣を着ているのかと思ったと祖母が言った。わたしのシャツが白地に紺色の柄だったためだろう。大柄のチェックで、たしかにいげたがすりのように見えなくもない。浴衣にはまだ早いよとわたしは言った。でも浴衣でもちょうどいいような気温だなとも思った。五月はこんなに暑かったろうかと毎年思う。ことしはずいぶん訃報が多いなと毎年毎年思うのと似ている。 祖母はベッドの上で体を曲げて横になっている。肩や腹やあちこち痛いと言った。二月に骨折してからずっと入院している。こんなに長いこと家に帰れなくなるとは思わなかったと祖母は言い、近所の人たちが心配しているんじゃないかと不安そうにした。母や伯父がときどき家に物を取りに行っているから、近所の人と挨拶くらいしてるはずだよとわたしは言い、祖母はまばたいて、ちょっと唸った。耳が遠いのだ。 花を持って見舞いに行った。来る途中にあったホームセンターでガーベラを買った。花瓶はどうするかと夫が言い、病院で貸してもらえるだろうとわたしは言った。ばかのふりをしてナースステーションでたずねれば、いっこくらい出してくれるんじゃないかと。 ばかのふりをして図々しくなにかをお願いする、ばかのふりをして手取り足取り教えてもらう。子どもの頃、世のおばちゃんたちはなんてずうずうしいのだろうと思っていたが、あれはみんなわざとそうしていたのかもしれない。またばかのふりかと夫が笑う。わたしのばかのふりを、夫は喜ぶ。わたしは喜ぶ夫が面白いから、ばかのふりをしているフシがあり、一人だともっとキザだし気取っていると思う。どっちがどうというわけではないが、ばかのふりをたくさんするうち、ほんとうにばかになっているような気もするし、もともとおばかさんだった気もする。花瓶を貸してもらえませんかとナースステーションでたずねたら、すんなり出てきた。ばかのふりをするまでもなかった。 背の高いガーベラで、どうにもおさまりが悪かったが、ハサミは借りなかったのでそのままひょろっとさせておいた。枕元の物入れの上に置いた。「あんまり見えないかもしれないけど、ここに花があるということが大事だから」、わたしはでたらめなことを言った。祖母はやはりまばたいた。耳の遠い相手に好き勝手べらべらしゃべったり、ぼんやり沈黙したりしている時間がわたしはわりと楽しいのだけど、それはわたしがときどきしか祖母に会わないから言えることで、ほんとう、病院の職員さんや週に何度も見舞う母や伯父には頭が下がる。 リハビリのようすを見学して帰った。歩行訓練や輪を棒にかけるのや、祖母は黙々とリハビリをおこなった。理学療法士のおにいさんが履いていたスニーカーが、わたしとまったく同じもので、なんだかわたしは面白かったのだけど、おにいさんは気まずそうに笑った。プーマの白、ソールが濃いピンク色。
という五月の日記を読み返している。 あのとき祖母はベッドの上で、自分の手や腕をさすりながら「血管が糸のようにほそくなってしまった」となげいた。「糸のように」。声や言葉や見えない血の管のようすをわたしは反芻する。祖母はむかし洋裁の学校に通っていて、家には足踏みの古めかしいミシンがあった。そのミシンで、わたしは学祭で使うなんやかやを縫ってもらったことがあったが、二十年ぐらい前の話だ。ミシンはもう捨てているだろうと思う。少し前から伯父が家の片付けをやってくれている。そして、これはなにか手縫いしているときだったろうけど、祖母が歯で糸をぷつんと切る仕草を、思い出す。畑の世話で灼けた指にごろんと指輪が光り、手首には輪ゴムが食い込み、銀歯が覗いて糸が切れる。糸のようにほそくなってしまった、祖母はどんな糸を思い浮かべたろう? ボタン糸より弱い糸だろうか?
そうして蚕の吐く糸を思い出す。わたしが最初に通った小学校は田舎で、養蚕農家の子がちらほらいた。そういう子たちは生きもの係になると蚕を連れてくる。わたしのいた教室でも、何匹か蚕を飼った。白くて大きな(ほんとうに大きいのだ)蚕たちはおとなしく、でもごそごそ動き回り、担任は教室で蚕を飼うことをとてもよろこんだ。わたしたちに観察日記をつけさせた。蚕を手に乗せ、どんな感じだったか書きましょうと言った。わたしはその町に越してきたばかりで蚕というものを初めて見た。そのころあらゆる虫がこわかった。とくにアゲハ蝶の幼虫がこわくてこわくて、理科の教科書を開けなかったほどだったから、蚕はもっとおそろしく見えた。「こわくてできません」と言ったら、ものすごい剣幕で叱られた。「お蚕さまを気持ち悪いと言うなんて」と怒鳴られた。わたしは気持ち悪いとは言わなかったのだが、でも同じことなのだろうと思った。虫が苦手なのを、男の子たちにからかわれた。怒鳴られた子はからかっていい子だ。登校すると机の上に理科の教科書や昆虫図鑑の、幼虫のページが開いて置かれている。わたしは泣きながら本を閉じる。男の子たちは面白がって、それが続く。わたしの教科書の該当のページは、母が糊で貼ってくれた。テスト中など教室が静かなとき、蚕がごそりと動くおとがきこえた。わたしもわるいし男の子たちもわるい、蚕はわるくない、あんまり泣いているとバカにされるから、こらえた。鼻の奥が痛んだ。それで比較的こわくなかったおたまじゃくしを、田んぼですくっては男の子たちの前で道路にばらまいてみせ、わたしはこわさを克服したように見せかけた。点々と散ったおたまじゃくしたちはすぐにひからびた。おたまじゃくちたちにはかわいそうなことをした。わたしがわるい。男の子たちは桑畑に連れて行ってくれ、桑の実をわけてくれた。指が真っ黒になったが酸っぱくてうまかった。やがて蚕は繭になり蛾になった。糸を吐くようすを見たわけではない、見たかもしれないけどおぼえていない、でも、糸というと教室の蚕がまっさきに接続する。よわよわしい家畜の吐く息、その白。歯で切れそうだ。 祖母が亡くなった。けっきょく家には帰れなかった。母からのLINEで知った。わたしは寝ていたので気づくのに50分ばかり遅れた。祖母は先週から意識がなかった。ゆっくり徐々に亡くなったのだと思った。実家に電話をかけたら父が出た。お母さんは?とたずねると、「いない」「出かけてる」「どこにいるかわからない」「たぶん病院かばあちゃんち」と頼りない返事だった。実家には、年末に出産したばかりの妹もいる。妹は葬儀には行かれないだろうなと思った。じゃあ携帯にかけるよと電話を切り、病院というのは祖母のいた(いた、だ)病院なのか、母が通院している病院なのかききそびれた。昨年から母は体調を崩している。母の携帯に電話をした。母は祖母の家にいた。斎場が混みあっているから葬儀は来週になると言い、家族だけでとりおこなうことになりそうだと話をした。母はあわてているのか、どうも話が要領をえなかった。母が「平日だからお葬式は来なくてもいいけど……」と言いかけ、わたしはなにをとんちんかんなことをと思わずいらだってしまった。行かないわけないでしょうと言った。母がぶつぶつと謝り、前にもこんなことがあったなと思う。電話を切ってから、もうちょっと優しくしてやればよかったと思った。
腹が減ったのでおむすびとオムレツをつくって食べた。春らしい色合いになったが、とくにぼうっとしていたわけでもないのに卵を焦がした。といってもわたしには上出来なほうで、塩加減もうまくいった、ちょっといい気分になった。桑の実よりうまい。さっきうまかったと書いたけど、ほんとうはけっこう青臭かった。男の子たちのことはきらいだった。 夫に祖母が亡くなった旨をLINEしたら、すぐに既読がつき電話が返ってきた。わたしより悲しんでいるみたいな声をしていたので驚いた。たまたま明日は有給休暇で、実家と祖母の家を明日訪ねようということになった。それでいつものように小説を書いた���本を読むなどし、そういえば髪が伸び放題だったなと思い、美容室に行った。色が抜けてほぼキンパツの髪も黒っぽく染めることにした。「最近どうですか」、いつもの美容師さんがたずねた。甥が生まれたこと、祖母が亡くなったこと。「いいニュースとわるいニュースがあるんですけど……」、わたしは生まれて初めてそのせりふを口にして、にやにやした。やはりひとりだとキザになる。そうして甥がいかにかわいいかという話で盛り上がり、祖母のことは話さないまま帰った。 帰り道にスーパー銭湯に寄り、平日の夜だからガラガラだった。脱衣所で、男の子が風呂に入りたくないとだだをこねていた。お母さんと妹と三人づれで、母親はもうパンツだけになっているし、女の子ははだかんぼうでうろうろしている。自分は風呂には入らない、今すぐ帰るのだと男の子はさけんでいた。母親はどうにかなだめすかそうとしているが、男の子はきかない。かれなりのどうしてもゆずれないなにかがあるらしい。どうしても虫がこわかったこと。もうお金払っちゃったから入ろうよ、お母さん寒いよ、いやだいやだ、繰り返し。そのやりとりが、たまたま昼間に読んだインターネットの記事と重なり、思わずきょうみぶかく聞き耳をたててしまった。けっきょく、「すぐに出るからここで待ってなさい」とお母さんは女の子を連れてあわてて浴場へ向かった。男の子は体育すわりでじっとしていたが、わたしがトイレから出てくると、ドライヤーと扇風機の風を戦わせていた。 仕事から帰ってきた夫と夕飯を食べながらそれらの話をした。そりゃ女湯なんか入りたくねえよな、熱風と冷風を戦わせる発想はいいなと、夫は終始男の子の味方をした。近所の中華屋で、ここはすべてのメニューに問答無用でゆで卵がつく。お冷と一緒にゆで卵を出されるので、わたしたちは卵の殻をむきながら食べるものをえらび、あれこれと話した。かたやきそばの上でかたゆで卵を半分に割り、粉っぽい黄身が野菜のあんに崩れた。髪を染めたことについて、「喪に服しているのか」と夫がまじめな顔をするので笑った。 教室の蚕は蛾になってからも飼われつづけた。台所用スポンジが与えられ、蛾はほそいほそい足で引っかかるようにしてとまり、じっとしていた。そういえば蛾になったのは一匹だけだった。祖母の見舞いに持って行ったガーベラは、誰かが水をかえたり枯れたものを捨てたりしてくれたのだろうなと思った。
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