#パトロー��
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幾度と無く訪れたmy park aka 聖地、浜寺公園とも引越しに伴い今月で一旦お別れ… 涙の最終パトローる🐙 今後は遠征パトロールに励みます🐙 #異常なしや forever (浜寺公園) https://www.instagram.com/p/B23s3GSF_vS/?igshid=1o7kegxpx9jmh
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PAIPATILOMA QUEST vol.1 (4/9)ハテルマの語源と台湾原住民(※)
國立台湾史前文化博物館に来ました。
タクシーの運転手さんにgoogle map を見せて「ここに行きたい」と言っても「?」だったのが、地球の歩き方を見せた途端、「上等〜上等〜」とニコニコして連れて行ってくれました。
度々出会う、地球の歩き方バンザイの謎。
そして、数少ない日本語ボキャブラリーの中で、「上等」が出てきたのにはびっくりしました。 波照間のおじいおばあは良く「上等」を使います。
山���背にした気持ちの良い博物館。
入ってすぐ目に入ったのは、「跨越黒潮」のフライヤー。
「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」という、当時の材料・方法で船を作り、風・うねり・星から方角を読んで航海するプロジェクト。
2019年に台湾→与那国を渡ろうとする、まさに台湾と沖縄をつなぐサインにテンションがあがります。
これが実現されれば、パイパティローマ以前に、ずっと太古から波照間をはじめ八重山の島々と台湾の交流があったことの証明になるようです。
そしてエントランスを入ってすぐの「特別展示室」に無造作にかかっていた写真の数々…
これって沖縄じゃないよね…?
台湾の写真であるのは間違いないのだけど、この地で見なければ、沖縄の写真かと思ってしまうほど、纏っている空気感が力強くも暖かい沖縄のそれと同じものでした。
館内をざっと見��回り、気になったのは、「台湾の南島民族」というコーナー。 南へのつながりと、原住民の文化、祭事などを展示したものでした。
ここで見つけた「南島語族(オーストロネシア語族)」というキーワード。
オーストロネシア語族とは?
台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。アウストロネシア語族とも。日本語では南島語族とも訳される。 かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。この台湾原住民の諸語が言語学的にもっとも古い形を保っており、考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々に拡散したとされる。ただしパプア・ニューギニアの大部分(パプア諸語)とオーストラリアの原住民の言語(オーストラリア・アボリジニ諸語)は含まない。 (出典:Wikipedia)
台湾、ハワイを北限として、東はイースター島、西はマダガスカル、南はニュージーランドまで広がる世界最大の、海をわたる言語。
もしかすると波照間はこのオーストロネシア語族に入っていたのかもしれません。
波照間の語源
多くの沖縄の島々がそうであるように「波照間」の漢字は当て字です。そもそも「はてるま」という言葉はどこから来たのでしょうか?その語源は2つあるとされています。
①「果てのうるま(珊瑚礁)」説
一般的でガイドブックなどにも紹介されているのが「果てのうるま」説。「うるま=珊瑚礁」で、つまりは南の果ての珊瑚礁という説です。
②インドネシア語系の「沖合いの島」説
もう一つのこの説は、人類学者金関丈夫によるもので、彼は波照間がかつてパトローと呼ばれることがあったこと、そして1477年、朝鮮済州島民が漂着時残した記録に「ポタルローマ」「ポトルマ」と書かれていることに着目しました。
彼は台湾東岸に住む先住民族ヤミ族が沖合いの島を指す言葉としてBotul,Votol,Botoru,Botrolといった言葉を用いていることを紹介します。 ここでは事例として台湾南東部の離島、蘭嶼島の呼び名「ボテルトバコ」が挙げられています。(偶然にもそこは「パイパティローマ」と推測されている島!)この「ボトル」という言葉と「パトロー」「ボトロ」が関係があるのではないかと指摘しています。
一方で、フィリピン、ボルネオから台湾東岸に多く見られる地名の語尾にran,ron,ruanがあることを指摘し、この語尾が沖縄から九州南部にかけても1.~ラン、レン、ロン 2.~ラマ、ルマ、ロマ 3.~ラブ、 といった語尾をもつ地名として(「論」「良間」「呂麻」など)幅広く分布していることを指摘します。
彼の論旨に基づけば、「はてるま」は「沖合いの島」という意味を持つインドネシア系の言葉が語源にあるということになります。
(出典:波照間島あれこれ )
このインドネシア語源説(つまりはオーストロネシア語族説)は一般的には、ほとんど知られていませんが、南へのつながり、そしてパイパティローマとのつながりを感じる、魅力的な説です。
波照間のおじい・おばあの方言は、完全に外国語で、その響きはどことなく「もっと南、もっと南」を感じさせるのです。
台湾原住民(※)
※台湾では、原住民という言葉は差別的な意味を持たず、公式に使われています。
博物館では、それぞれの特徴的なタトゥーや衣装が印象的だった台湾原住民。
現在、政府から認定された原住民族は16。
部族によって言葉が違うため、違う部族を認識するためにタトゥーや衣装が発達したそう。
今回気になったいくつかの部族をピックアップしてみました。
●ブヌン(布農)族
台湾に行く前から気になっていた原住民。 八部和音唱法という独特の歌をもつことで有名です。
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チェリストで作曲家のDavid Darlingがその歌と共に収録した作品を、友人が教えてくれたのがきっかけで、知りました。
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太陽がサンサンと降り注ぐ朝にぴったりの歌です。
博物館内のmuseum shopの青年が「ブヌンの歌はハンティングの歌だ。一人が山々に向かって歌い始めると、また一人、また一人が山々に呼びかけるように歌を重ねていく。」と教えてくれました。
閉館時間が一時間以上過ぎても、話が盛り上がって色々と話してくれました。
●プユマ(卑南)族
そのmuseum shopの青年の生まれ。 現在の台東県太麻里郷美和海岸附近の山にある巨石が割れ、そこから祖先が誕生したという巨石誕生伝説があるそうです。
その青年が言っていた言葉で印象的だったのが、「プユマ族の言葉はマレーシアでも通じる。海を越えて繋がってることを知ってる。」という言葉。
自分のルーツをしっかりと知っている強さを感じました。
●パイワン(排湾)族
タトゥーや装飾品が美しいことで有名。 後の蘭嶼島でもらったこのブレスレッドもパイワン族のトンボ玉を使ったもの。
男性は彫刻、女性は刺繍が得意で、特に人物やトーテムである蛇(百歩蛇)を表現することが多いそう。 噛まれたら百歩歩くうちに死ぬとされることから「百歩蛇(ヒャッポダ)」で、 広東料理には食材として、台湾でも漢方薬の材料とされるが、パイワン族では貴族の先祖として崇拝されており、殺傷は禁忌とされているそう。
空港の木彫壁画にあった、この蛇も、どうやら百歩蛇みたい。 ヒャッポダ!
●アミ(阿美)族
ハテルマンが今回の旅で最も多く間違えられた民族。
会う人会う人に「阿美族?(アーミーズー?)」って聞かれました。 それだけ似ているならドッペルゲンガーとかいそうだから、今度訪れてみたいと思います。
歌と踊りで有名。 集落ではリズミカルな歌が歌い継がれ、フォークダンスのような踊りが日頃より行われているそう。
●タオ(達悟)族
ヤミ(雅美)族とも。
これから行く蘭嶼島にだけ居住している原住民。 トビウオ漁を生業とし、同時にトビウオが神様でもある。
ほかの原住民族とは大きく異なる文化を持ち、彼ら独自の文化・風習が長く保たれていた。
(by tintincai 三木淳 蘭嶼)
これはタオ族の伝統的な衣装。 最初見たとき宇宙人かと思った…
詳しくは蘭嶼篇で。
そんなこんなで博物館を後にし、明日早朝に蘭嶼島に渡るため、富岡港近くの宿に向かいます。
台東旧駅〜富岡バス
富岡行きのバスが出ている台東旧駅。
鼎東客運の海線で30分くらい。 5番線から出てます。
バスが来る頃には辺りも暗くなり、 怪しげな青と赤の薄暗い車内。 何故かBGMは沖縄民謡でした。
真っ暗な山道を通っていきます。 対岸の明かりが彼岸のよう…
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途中「ここで降りるの!?」ってところで数人が降りたりしながら、揺られているうちに眠ってしまいました。
「フーカン!フーカン!(富岡)」という声で起きると運転手が目配せで「降りろ」と教えてくれました。
寝ぼけ眼で降ろされた見知らぬ土地。
完全にもう眠っている町の中をテクテク歩き、ケイトリンB&Bに到着。
パイパティローマTシャツをつくる。
蘭嶼で着るためのパイパティローマTシャツを作成します。
台北で買ったヂェン先生の服に、描いていきます。
これで喋らなくてもパイパティローマの手がかりが見つかる(予定)。
富岡漁港の朝
朝になりました。いよいよ出発です!
富岡漁港→(120分)→蘭嶼島
7:30発のフェリーに乗り込みました。
蘭嶼に釣りに行くという4人組が保力達というお酒と、檳榔をくれました。
まだ朝の8時ですが…
後に紅一点も加わり5レンジャーに。
5レンジャーのボス的存在、レッドは北海道に行ったことがあるそう。
蘭嶼が見えてきた
分厚い雲が空を覆うようになると、ダイナミックな地形の島が見えてきました。
蘭嶼島。 いよいよ上陸です…!
Part5に続く!
【おまけ】台湾の歴史
台湾原住民は台湾総人口の約2%。特に今から行く蘭嶼島のタオ族は多くの台湾人と全く違う歴史を歩んできたので、逆に多くの台湾人はどんな歴史を歩んできたかも知っておきたいと思い、簡単にまとめてみました。
先史及び原住民時代 (1624年以前)
オランダ占拠時代(1624年 - 1662年)
大航海時代にあったヨーロッパ各国のうち、オランダとイスパニア(スペイン)が、東アジアにおける貿易・海防の拠点として、台湾の地理的位置に目をつけた。 オランダは台湾南部、イスパニアは台湾北部に城を築いたが、その後オランダがイスパニアを駆逐し、台湾原住民を懐柔して台湾を支配するに至った。
鄭氏(明朝)→清朝統治時代(1662年 - 1895年)
17世紀初頭、突如せきを切ったように漢民族の台湾南部への移住が開始。
1644年に大陸では、清朝が明朝を滅ぼし中国を支配していた。 追われた明朝の鄭氏は「反清復明」の拠点としてオランダに代わって台湾を支配。反清勢力の撲滅を目指してきた清朝は、1683年に鄭氏政権を滅ぼし、台湾を制圧。
台湾領有後の清朝は、渡航条件を厳しく制限したため、台湾に残された漢民族は土着化していった。彼らの子孫が現在の台湾の大多数を占める。
日本統治時代(1895年 - 1945年)
1895年、日清戦争に圧勝した日本は、下関条約により台湾を割譲され、台湾は日本の統治下に。 日本は公学校を設け、インフラを整え、台湾の「日本化」を着々と進めていった。1945年、太平洋戦争が終わるまで、日本の統治は続いた。 「インフラの整備」をはじめ一生懸命台湾を治めた日本に対して、親日家も増えた一方、抗日運動を通して台湾人が今まであまり意識しなかったアイデンティティが強く意識されるようになった。
中華民国時代(1945年 - 現在)
【中国国民党ー蒋介石・蒋経国】
日本の敗戦にともない台湾が中国(中国国民党政府)に「返還」(不法占拠説もある)され、台湾は「祖国」復帰(=「光復」)した。 当初は、中国国民党政府軍(国府軍)を歓迎したが、彼らの士気の低さと驕りに対し、「犬が去って、豚が来た」と嘆くようになった。(日本人はうるさく吠えても番犬として役立つが、中国人は貪欲で汚いという意味。)
次第に亀裂が生じ2.28事件が勃発。この国民党に対する台湾人の「反乱」は、蒋介石によって武力鎮圧され、多くの台湾人(数万人と言われている)が闇へ葬り去られた。
ここに本省人(=台湾人)と外省人(=在台中国人)との対立が始まった。 中国大陸への精神的依存状態から、一部脱却しはじめた時期とも言える。
蒋介石はアメリカ化を促し経済活動に専念し、奇跡的な発展を遂げた。後にパソコン関係の生産は世界のトップクラスとなった。
【中国国民党ー李登輝】
台湾経済の著しい発展にともない、国民党自身も変貌した。 本省人の李登輝は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の総統民選を実施、そこで総統に選出された。
【民進党ー陳水扁】
2000年、台湾で2度目の直接総統選挙。 李登輝は高齢のため出馬せず、代わって民進党の陳水扁が総統に選出され、台湾史上初の政権交代が実現した。
【中国国民党ー馬英九】
2008年の総統選挙で国民党の馬英九が当選。 第2次政権交代が起きた。 「親中派」の馬英九政権は、徹底した「中国一辺倒」政策を採った。
【ひまわり学生運動】
2014年、立法院で馬英九政権と中国共産党とが「サービス貿易協定」を批准しようとする時、学生らが突然なだれ込み、阻止しようとした。 中国からモノやヒトやサービスが台湾へ流れ込めば、台湾経済は中国に隷属するとの危機感を持った結果である。 週末には彼らを応援する大規��デモが行われ、行政院長がもう一度審議すると約束するに至った。
【民進党ー蔡英文】
2016年の総統選挙で民進党の蔡英文が当選。 総統就任後、早速、馬英九の「中国一辺倒」政策をやめ、「新南向」政策を打ち出した。 安全保障の面では、米国と日本との関係強化を目指している。
(出典:地球の歩き方・Wikipedia)
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