#セレ��ト
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医師会オケさんの練習に百道浜まで来たんだけど、会場が16時30分まで開かないという情報を見落としていて(涙)、しょうがないからベーカリーカフェへ。うーん、タリーズにしとけば良かった(笑)。 せっかくの時間なので「弦セレ」のスコアを開いて、サイトウ・キネンの音源から2nd Vnだけを聴き取るチャレンジ。これ、僕レベルではなかなか難しいんです。そもそもト音で書かれた譜面が今鳴ってるハーモニーのどの音かなんて、譜面読めてない僕にはハードル高い。1stやVcならなんとかなっても、2ndはホント難しいです。 これも先��公開された指揮者・原田慶太楼さんの勉��法を参考にしています。ホントは音源なんか聴かないで、そのパートを脳内で鳴らすんだけど。フルオケでこれやるととんでもなく時間がかかるんだけど、弦楽合奏くらいならやらないとね。これ、本当に勉強になります。 (Fukuoka-shi, Fukuoka, Japan) https://www.instagram.com/p/CELrQNlp-lB/?igshid=bbrymw0eh6xt
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【劇評】三島景太(SPAC)の一人芝居、フランスで大好評!
『磐谷和泉の栄光と倦怠(ジャン×Keitaの隊長退屈男)』
フィリップ・デュ・ヴィニャル/片山 幹生訳
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
フランスの中央部の都市、リモージュの国立演劇センターで2016年12月8日から15日まで6公演が上演された三島景太の一人芝居『磐谷和泉の栄光と倦怠』が現地で大好評を博したようだ。この作品は2014年春に『ジャン×Keitaの隊長退屈男』のタイトルで、SPACが主催するふじのくに⇄せかい演劇祭で初演されたものだ。http://spac.or.jp/f14iwatani-izumi.html
作者はフランス人のジャン・ランベール=ヴィルドで、もともとは軍人だった彼の大叔父をモデルに作者が17歳のときに書いたフランス語の戯曲だった。それを2014年に三島景太が演じる一人芝居として大きく書き換えたのがこの作品だ。作品の翻訳は平野暁人が行った。昨年12月にリモージュで行われた公演は、フランスの代表的メディア情報誌『テレラマ』の12/5号に劇評が掲載されたのを皮切りに(日付からしておそらくゲネプロに基づく劇評だろう)、WLスタッフの片山が確認した限り、以下の6媒体に劇評が掲載された。
Emmanuelle Bouchez��Télérama』12/5(3491)号:http://www.telerama.fr/art/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi,151037.php
Muriel Mingau『Le Populaire du Centre』2016/12/12号:http://www.lepopulaire.fr/limoges/loisirs/scene-musique/2016/12/12/l-impressionnant-capitaine-izumi-joue-a-limoges_12206067.html
Léa Coff『I/O Gazette』2016/12/14号:http://www.iogazette.fr/critiques/creations/2016/de-tenue-maintien/
Cécile Strouk『Rue du Théâtre』2016/12/15号:http://www.ruedutheatre.eu/article/3501/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi/
Philippe du Vignal『Théâtre du blog』2016/12/18:http://www.ruedutheatre.eu/article/3501/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi/
Philippe Person『Froggy delight』2018/12/18:http://www.froggydelight.com/article-18344.html
フランスの地方都市の劇場での公演(それも日本人俳優による日本語公演)についてこれだけ多くの劇評が出るというのは異例の事態といっていい。しかもその劇評の内容はいずれも熱のこもった激賞だった。
今回、WLでは上記の6つの劇評のうち、『Théâtre du blog』のフィリップ・デュ・ヴィニャル氏の評の日本語訳を掲載する。『Théâtre du blog』は、フランスの演劇人、批評家、研究者20人余りを執筆陣とする質の高い劇評記事が掲載されるブログであり、演劇評論家のヴィニャル氏はこのサイトの主宰者である。日本語訳掲載にあたっては、ヴィニャル氏と連絡をとり許可を頂いた。
Je tiens à remercier Monsieur Philippe du Vignal d’avoir autorisé de traduire et publier son article sur la représentation de “Splendeur et lassitude du capitaine Iwatani Izumi”.
オリジナル記事url:http://theatredublog.unblog.fr/2016/12/18/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi/
劇評『磐谷和泉の栄光と倦怠(ジャン×Keitaの隊長退屈男)』@théâtre du blog
2016年12月18日 フィリップ・デュ・ヴィニャル Philippe du Vignal 作・演出:ジャン・ランベール=ヴィルド 翻訳:平野暁人 日本語上演、フランス語字幕
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
ちょうど三年前に通し稽古を見たことがあったこのスペクタクルにこのようなかたちで再会できたのは大きな喜びだった。当時ジャン・ランベール=ヴィルドは、カーン・コメディ劇場の芸術総監督で、この作品は日本で上演されることになっていた���
木製の舞台の広さは2平方メートルほどで、その上には紙提灯の装飾がいくつかぶら下がっている。舞台から伸びる柱には金属性の灰色の拡声器が固定されていた。舞台美術はそれだけである。カンでの通し稽古のときと同じように、舞台の三方を観客が取り囲む。そこに三島景太が一人で現れる。カーキ色の軍服を着た年齢不詳、国籍不詳の人物で、空威張りのほら吹き隊長の気がある。
隊長は身につけていたサーベルを外すと、ある種の儀式を行うためであるかのように静かに座る。この日本人俳優の声と身体の使い方は、フランスでは滅多に見られないものだ。とりわけ負荷が高く、始終集中することが必要となるこの種の独白劇ではとりわけそうである。厳密に制御された視線と動作にすっかり魅了され、観客は字幕を読むことをほとんど忘れてしまう。
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
三年前もそうだったが、ランベール=ヴィルドは、もともとはフランス人の隊長だったこの人物に男性性と女性性を同時に付与するというアイディアを持っていた。彼は次のように語っている。「この隊長は粗暴な兵士ではなく、自分を見失い、狂気に陥った耽美主義者なんだ。彼はその人間的なありようゆえに、不快な人物であると同時にどうしようもなく魅力的な人物でもある。(…)戦争の狂人であることは確かだが、それ以上に自分を見失った男なんだ。彼は自尊心に満ちた調子で絶叫して命令を下す。『下士官たち、直立不動の姿勢を取れ! 我々は這ってこの穴から抜け出るようなことはあってはならな。我々は逆境のなかで身体を丸めるような獣ではないのだから。身体というものはな、曲がってはならんのだ。(…)全員身体を洗い、完璧な身なりをするんだ。死ななければならないときには、清潔でなくてはならない。泥にまみれた身体では、名誉や栄光の前に身をさらすことはできないぞ!』」
爆発音と銃声の中、軍歌やオペラの歌曲の短い断片の数々、そしてエディット・ピアフの《水に流して(私は何も後悔しない)》が聞こえる。ピアフのシャンソンは、日本語の歌詞の響きと古い拡声器ごしの不明瞭な音がもたらす隔たりによって���さらに力強く響いていた。音響のクリストフ・ファリオンのアイディアはまったく脱帽ものだ。ト書きのナレーションが舞台の外から流れ、そのト書きは何とも耐えがたい美しさを持つ五つの単語によるフレーズで終わる。「きちんとした身なりを保て De la tenu, du maintien !」。このフレーズは何度も繰り返された。そのあいだ、もう何ヶ月も前から、兵士たちは虫にたかられ、血にまみれ、泥のなかで震えている。
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
その後、磐谷和泉隊長は瀕死の状態に陥り、そして死んでしまう。隊長は次のように語る。「裸の男の死体だって? なんてみっともないんだ。俺を助けてくれ。裸のままじゃだめだ。毛布を、身体を包む毛布をお願いだ」これが戦争に対する呪詛の言葉となった。その後、隊長はそのみすぼらしく滑稽なカーキ色の制服ではなく、白いブリーフだけのみっともない姿で現れるが、その時の隊長はもはや自分自身の影でしかない。彼は一人だ。まったく孤立した状態で、独房あるいは病室のようなその小さい空間に閉じ込められた隊長は、彼に残された場違いな尊厳にしがみつき、「俺をそっとしておいてくれ」と繰り返す。それは私的な悪魔払いの呪文のように響くのだが、何の効用も持たないことを彼は知っている。
ランベール=ヴィルドは、演出家として厳格な要求を俳優に対して行った。一時間ちょっとの上演時間のなかで、彼は磐谷和泉に将校として命令を下すときの勇気と快感を表現させた。その後、磐谷隊長は同じ状態をほぼ完全な抑鬱状態のなかで、精神と肉体が極度に疲労し、自信喪失した状況のなかで再現しなくてはならない。この哀れな下士官は、もはや自分の運命をコントロールできないことに気づいてしまっている。
スペクタクルの強度はさらに増していた。3年前に通し稽古を見たときと同じように、すぐ目の前にいる俳優の表情と声に、私たちは魅了された。字幕はかなりすぐれたものだ。しかし俳優の表情と声がすでに全てを語っているのだ。表現の一貫性の素晴らしさ、そして説得力のある驚異の名人芸によって、17歳のときに作者が書き、それ以後、何度も修正した戯曲に生命が与えられた。こんなスペクタクルに出会うことができたリモージュの観客は本当に幸運だ。
〔photo: © Tristan Jeanne-Valè〕
パリのテアトル・ド・ラ・ヴィルの芸術監督のエマヌエル・ド��ンシー=モタにこのスペクタクルをぜひ推薦したいものだ。来シーズン、この素晴らしい作品を招聘しない手はないんじゃないか? 君が管理しているアベス劇場でこのシンプルにして感動的な作品を上演してみてはどうだい? この一人芝居は百人ほどの観客を収容できるあの劇場にはちょうどいい。アカデミックでお上品なミカエル・バリシニコフ出演、ロバート・ウィルソン演出の『ある男への手紙』なんかでうんざりさせられるのはもう勘弁して欲しい。この作品を上演したほうがパリの観客にとってはよっぽど有益なんだから。
【上演データ】
公演urlアドレス: SPLENDEUR ET LASSITUDE DU CAPITAINE IWATANI IZUMI http://www.lambert-wild.com/fr/spectacle/splendeur-et-lassitude-du-capitaine-iwatani-izumi
公演日:2016年12月8日〜12月15日(6公演) 劇場:ユニオン劇場(リモージュ国立演劇センター) 日本語上演、フランス語字幕
作・演出:ジャン・ランベール=ヴィルド
翻訳:平野暁人
出演:三島景太
照明:ルノー・ラジエ
技術監督:クレール・スガン
音響:クリストフ・ファリオン
美術:ジャン・ランベール=ヴィルド
衣装:アニック・セレ・アミラ
写真:トリスタン・ジャン=ヴァレス
制作:リムーザン国立演劇センター:ユニオン劇場
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