20世紀初頭の創造性は時計製造にも大きな影響を及ぼしました。
20世紀初頭の創造性は時計製造にも大きな影響を及ぼしました。ヴァシュロン・コンスタンタンは当時、審美性の飽くなき追求と精巧かつ洗練された職人の技術がつくり出す芸術作品を製作していました。直径27mmペンダントウォッチには、手巻きムーブメントを搭載。プラチナ製の土台に施された繊細なギヨシェ彫りの上に、半透明のエナメルを施すフランケ装飾が使用されています。ダイヤモンドを散りばめたラウンド型ケースの裏蓋は、宝石で飾られた繊細なレースを思わせる四角いゴールドの縁で飾られています。またエナメル仕上げの細長いリンクで構成されたネックレスが、このペンダントウォッチの複雑な幾何学模様をさらに引きたてます。
関連リンク:https://www.koukyuutokeikopi.com/rogerdubuis_kopi182/
腕時計の黎明期である20世紀初頭、時計師たちは懐中時計を踏襲したラウンド形に代わる新たなケースの形状を模索するようになりました。アールデコ様式の大きな影響を受けたこの時代、メゾンは時計ムーブメントの小型化を実現。当時としては極めて斬新な形状のタイムピースを発表したことで存在感を示しました。このイエローゴールド製の婦人向け機械式手巻き腕時計に採用された丸みを帯びたロザンジュ型(ひし形)のケースが、細部にわたり新たな美のかたちを追求した結果を見事にあらわしています。放射状に配されたゴシック体にアラビア数字のアワーマーカー、アーチ型のヴァシュロン・コンスタンタンのサイン、エレガントなラグにもご注目ください。
1970年代は、時計産業をはじめ数多くの分野において自由な創造性が花開いた時代でした。これまでにない審美性の潮流とコンパクトで高精度なクォーツムーブメントの開発が進んだ時期であり、新たな女性顧客の心を掴むべく、時計のデザインにも流行のファッションがいち早く取り入れられました。ヴァシュロン・コンスタンタンは当時最先端の時計製造技術を駆使し、最新のファッションにマッチさせる極めて控えめな直径12.40mm、厚さ2.90mmのキャリバー1430を発表しました。小さなムーブメントとロザンジュ型ケースは、従来の伝統的な時計製造と一線を画する魅力的な提案となり、イエローゴールド製ブレスレットを備えたこの貴重なモデルは、ダイヤモンドがセッティングされたベゼルとタイガーアイのモザイクによる文字盤がひときわ目をひきます。巻き上げ用のリュウズは、美しい調和がとれた外観を損なわぬようムーブメントの裏側に配されています。
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大衆文化の歴史の中で、公開から現在に至る長い期間と市場規模において最大の社会的インパクトを与えた映画作品が、ジョージ ルーカスが製作し1977年に公開された『スター・ウォーズ』だ。
シリーズ関連作品は映画だけでなく、アニメ、小説、コミック、ゲームなどの媒体や、おもちゃなどの商品で展開され、その後のコンテンツビジネスやキャラクタービジネスにモデルを提示した。
製作時のエピソードは、ファンの間で伝説化された面もあるし、また、監督、スタッフ、出演者なども、インタビューのたびにリップサービスなどもあって毎回内容が異なるが、ルーカスが第1作の構想時から全部で9部作になるという企画を考えていたというのは誇張した表現のようで、第1作制作時は、これが成功したら続編を作れたらいいなと漠然と考えていたというのが実際のところのようだ。それどころか公開日にはルーカスは完全に自信を失っていて、続編をどうするかどころではなかった。
1970年代中盤のアメリカ映画は、ベトナム戦争終結後の内省的な社会的風潮を受け、「アンチヒーロー」と「アンチハッピーエンド」で特徴づけられるアメリカンニューシネマが多くを占めていた。
その中でルーカスは、かつての娯楽映画の復権を目指し、SF、戦争映画、西部劇、海賊映画、ラブロマンス、ヒューマン、ミュージカル、日本の時代劇まで、あらゆる要素を盛り込んだ娯楽超大作の構想を膨らませる。
それを映像化するには視覚効果や特撮などの幅広い技術が必要だったが、ハリウッドの黄金時代と言われた1940年代にはどの映画会社にもあった視覚効果スタジオは、60年代に閉鎖が続き、映像技術ごと失われつつあった。
ルーカスは「インダストリアル ライト&マジック」という社名で、撮影スタジオや工房として使うための倉庫を借り、自主映画で特撮の研究をしていた学生やカメラマン、デザイナー、特殊メイクアーティストなどを多数雇い入れ、ベテランの特撮スタッフにも声をかけて参加してもらい、ここで失われつつあった技術を復活させ、数々のノウハウを一から生み出していこうと考えた。そのスタジオを運営していくためにも続編制作やシリーズ化が好ましかったし、そのためには作品の権利を自身が保有しておくことも必須だった。
ルーカス自身がノートに鉛筆で書いた脚本を、アシスタントのライターが文章整理してタイピングしたものをチェックしてみると、あまりに黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』そのままだったので、子供の頃に見たSF映画や海賊映画などをヒントにしたシーンを盛り込んでるうちにどんどん壮大になってしまい、シリーズ化には困らないかもしれないが、映画会社には通らなかった。
1984年頃のインタビューでルーカスは、ジョゼフ キャンベルの『千の顔を持つ英雄』(1949)という神話研究の本を挙げ、「この本に出会っていなければ、私は未だに脚本執筆に追われていただろう」と語っている。ここで語られる、いまでは「ヒーローズジャーニー」と呼ばれる物語構成はその後世界中の作家に大きな影響を与え、物語の代表的なテンプレートとなる。ただ、脚本執筆時のルーカスに自信を与えたのは、神話的物語構造の理論というより、「主人公たちの動機か目的が描けていればなんとかなる」というニュアンスだったとも、制作に参加したスタッフが語っている。
脚本がなかなか通らないためルーカスは、友人から紹介されたイラストレーターにキャラクターや宇宙船のイメージ画制作を依頼し、それらを用いたプレゼンテーションを経て20世紀フォックスから制作のゴーサインを得た。とはいえ少ない予算しか出なかったので、マーチャンダイジングの権利を要求し、結果としてこれによって後に莫大な収入を得てシリーズの制作も可能になるが、足りない分の予算を捻出するために様々な作業に追われることになる。
ビジュアル資料(コンセプトアート)を用いたプレゼンテーションの他にも、ルーカスは、現在の映画製作ではスタンダードになっている「プレビズ (プレビジュアライゼーション)」という手法を作ったとも言われている。ルーカスは、過去の映画作品や記録映画などを自身で編集した映像資料をスタッフに見せ、自身のイメージを伝えた。また、ルーカスもスタジオに参加したスタッフたちも、SFや特撮映画などにマニアックに詳しいため、イメージを伝えるために数々の作品名が会話の中に飛び交った。「マニアックな会話」というのが一般化していくのもここがきっかけだったんじゃないかという説がある。
撮影と編集作業を終え、あとは特殊効果を入れるだけとなった段階で、ルーカスは自宅に友人たちを招いて試写を行った。
この時点でルーカスは大分自信を失っていた。体を壊して入院したし、構想時に思い描いたものの3割も実現できなかった。大好きな映画である『アラビアのロレンス』と同じロケ地で撮影できたが、太陽を2つにしたものの、砂漠だし、あまりに似すぎているかもしれないし、『アラビアのロレンス』にも出演した名優のアレック ギネスにオビ=ワン役で出演してもらうことができたが馬が合わず険悪なムードになってしまい、もし続編が作れたら劇的に再登場して世界の秘密を語るという重要な役割を担わせるためにめちゃくちゃ意味ありげに消えるシーンを入れたが、続編には出演してもらえそうにないし、スタジオの中心的なスタッフともかつかつの予算でなんとかやってもらうために無理を言ってケンカしてしまった。
試写の後は気まずい空気が流れていた。編集にも携わった妻が顔を覆って「無理だった。終わりだ」みたいなことをつぶやいている。ルーカスが、正直なところどうだったか聞かせてくれと友人たちに聞くと、冒頭の長すぎる字幕から意味がわからないという感想を皮切りに、次々と酷評が飛んでくる。
その場にいたスピルバーグは、冒頭の字幕は全く意味わからないかもしれないけど、最後のファルコン号のシーンで完全に心をつかまれて、むしろ読み飛ばした冒頭の字幕を読むためにもう一度映画館に行くよみたいなことを言い、最高のエンターテインメント作品だと絶賛し、自分が撮った『ジョーズ』(1975)が1億ドル儲けたからこれも1億ドル儲かるとルーカスに言った。ルーカスはかなり無茶な慰め方するなと思い、むしろ失敗を確信する。後日、スタジオなどの存続のために、自身が受け取る『スター・ウォーズ』の収益歩合と、スピルバーグがその時に制作中だった『未知との遭遇』の収益歩合のいくらかを交換してくれないかと相談を持ち掛け、スピルバーグはこれを了承する。結果としてルーカスが慰めだと思ったスピルバーグの評価は予言的に正しく、『スター・ウォーズ』は『未知との遭遇』を超える大ヒットとなり、現在になってもその印税収入はスピルバーグに利益をもたらしている。
公開日が迫る中ルーカスは、各映画館が『スター・ウォーズ』を子供やマニア向けのB級映画だと見なして上映することを渋り、配給会社である20世紀フォックスも他の作品と抱き合わせるかたちで売り込みを行わざるを得ない状況にあることを知り、完全に自信を失う。プレミア公開翌日には、結果を聞きたくなくて、ハワイともオーストラリアとも実は自宅だったとも言われるが、どこか電話もテレビもないところに籠っていたという。公開と同時に大ヒットしていることを、いち早く伝えに行ったのもスピルバーグである。
『スター・ウォーズ』 はわずか50館に満たない映画館での公開で始まったが各地でヒットを記録し、それまで『ジョーズ』が持っていた世界最高興行収入記録を塗り替えるに至り、世界規模の社会現象になっていく。断続的に何年にもわたって上映され続け、それまでB級という扱いだったSF映画に対する評価も一挙に引き上げた。
当時の社会状況が希望ある娯楽作品を求めたとも、作品の神話的構造が普遍的な世界認識のあり方を思い起こさせたとも評論され、ルーカスの創作動機の一つでもあった、大人でも子供でも持っているはずの古き良き時代の感覚をみんなが思い出したのかもしれないとも語られるが、誰にも何が何だかわからないほどヒットした。
ハリウッドの黄金期と呼ばれる1940年代には、「ポヴァティ ロウ (「貧民街」の意)」というスラングで呼ばれる、Bムーヴィを製作する小さな映画スタジオが多数存在した。長期間作品をリリースし続けたスタジオもあったが、ほとんどは、数本あるいは1本のリリースで消えていった。
1929年からの大恐慌を乗り越えるために映画会社は、興行側の映画館の要請もあって、2本立て興行を始めたが、それにはハリウッド全体で年間300本の映画を製作する必要が生じた。大手映画会社は、トップスターが出演する大予算の「Aムーヴィ (Aピクチャーズ)」と、低予算と短期間で作る「Bムーヴィ (Bピクチャーズ)」による量産体制を作っていく。1930年代終わり頃には、大手5社(ビッグ5)がそれぞれ年間40本以上を製作し、それにリトル3と呼ばれる3社が続き、ポバティ ロウや独立系プロダクションが残りの枠を埋めた。
1948年、上訴や第二次世界大戦を挟んだため10年越しとなった訴訟に「パラマウント判決」と呼ばれる判決が下った。これは、パラマウントを筆頭とするビッグ5による製作ー配給ー興行の垂直統合のシステムが独占禁止法的に触れるとする判決で、所有する映画館を売却するように��画会社側に命じたものだった。ビッグ5とリトル3は拘束的な配給慣行を停止しなければならなくなり、1948年から1958年にかけて、各映画会社は映画産業システムの基盤であった「スタジオ システム」と呼ばれた縦の系列化を解体させた。
それと共に、戦後の急激な観客動員数の低下と1950年代のテレビの台頭により、映画会社にはBムーヴィ製作の余裕もなくなり、1本の作品にかける大作主義に移り、製作本数は激減した。ハリウッドの現象としての「ポヴァティ ロウ」も50年代に完全に消滅した。
「Bムーヴィ」も消えたが、特定の観客層を狙った低予算作品を「B級映画」と呼ぶようになった。内容等が劣ることを総称して「B級」と言う日本語の表現もこれに由来している。
1960年代後半から70年代半ばにかけてのアメリカンニューシネマは、ベトナム戦争に邁進する政治に対する反体制的な人間の心情を綴った映画作品群であり、また、反戦ムーブメントでもある。
この時期にハリウッドは、ニクソン大統領(在任:1969年-1974年)を赤狩りの協力者と呼んで非難し、また、ハリウッド衰退の原因を1950年代前半の赤狩りによるものだとした。やや強引な論調ではあった上、そのニクソンがソ連とのデタント(緊張緩和)を実現し、73年には米軍がベトナムから撤退する。ベトナム戦争は75年に終戦。77年に就任したカーター大統領はソ連との関係を再び緊張させ、経済も悪化させる。80年の大統領選でハリウッドは、レーガンを赤狩りの協力者と呼んだが、「レーガン デモクラット」と呼ばれる民主党員のレーガン支持者が大勢現れた。
レーガン政権は、デタントを「米ソ両国の力の均衡を維持することに役立っただけで、冷戦そのものの解決には全くならなかったばかりか、いたずらにこれを長期化させる」として否定し、ソ連を「悪の帝国」と呼んで非難した。「力による平和」と呼ばれる一連の外交戦略でソ連と真っ向から対抗する道を選び、通称「スターウォーズ計画」という戦略防衛構想を推進する。これが成功し、ソ連から大幅な譲歩を引き出した。
1975年、インターネットの前身であるARPANETが稼働状態にあると宣言された。ここからインターネットが世界を覆っていく間に、コンテンツビジネスやキャラクタービジネスでの最大の成功例を示した『スター・ウォーズ』は、知的財産のあり方を示すものともなった。それは、1859年の演説でリンカーン大統領が語った、米国旧特許庁で現商務省の建物の玄関に今でも刻まれている、「特許制度は、天才の炎に利益という油を注ぐ」という言葉を思い出させた。
2023年5月 ユー ソー
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【日記(抱負)】2023年(令和5年)が始まりました。質素ながら、今年1年を考えます。頑張ること、頑張らないこと。
23/01/01 01:23
2023年(令和5年)が始まりました。昨年12月に父が亡くなったため、質素に正月を過ごし、その中で今年の抱負を考えます。(後で加筆修正するかもしれません。)
(ここでいきなりですが、追伸です。2023.1.1.(日曜)7hの太陽(ソレイユ、soleil)です。)


まず、【部分と全体】の捉え方を、今年も大切にしていきたいです。部分にこだわって全体の中でズレてしまう場合があるならば、それは有効的でないと思えるためです。【部分と全体】を考えることについて、以前のブログが役立ちます。多分、少なくとも、春の統一地方選挙を考える時に、この【部分と全体】が役立つだろうと思っています。
「部分」と「全体」を勉強します。 例えば、土曜、日曜、月曜祝日! - Wozéqui - soleil ブログ
わざわざ、このブログにお立ち寄り下さり、ありがとうござ���ます。***OKIある所で公営ギャンブルの行方を考えてきましたが、話題はあまり出なかったようです。残念でした。...
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では、本題です。2023(令和5年)の抱負を、備忘録的に、このブログに記します。これは、昨年(2022年)の抱負と結果を参考に考えます。(昨年の抱負と結果については後述します。昨年のテキスト(文字)を生かして今年の抱負を投稿しますので、昨年と同じ表現がいくつか登場します。)
先に、このブログのハッシュタグを参考に記しますと…
#2023年 #抱負 #部分と全体 #健康第一 #ボクササイズ #学校支援 #部活動支援 #整頓整頓清掃メンテナンス #自己投資 #統一地方選挙
まず、項目から…
(1)健康第一
(2)ボクササイズ(ボクシングトレーニング)の継続、レベル向上
(3)仕事と地域活動(例:学校支援)の共存
(4)学校支援、部活動支援
(5)身辺の整理整頓清掃メンテナンス
(6)父が亡くなったことの対応
(7)我が家のメンテナンス
(8)次に向けた自己投資
(9)世間の動きに合わせて
(10)自己表現
(11)補足
以下、詳細を…
(1)健康第一
これは私自身もそうですが、家族、親族、知り合い、あるいは直接知らない方々も含め、全ての方々の健康第一を願っています。私も周りでも服薬(治療)によって健康を保っている部分はありますので、普段無理しないようにしていきたいです。そう思う中、次の(2)へ。
(2)ボクササイズ(ボクシングトレーニング)の継続、レベル向上
今年1年の展開次第では方向転換が必要になるかもしれませんが、当面の見込みでは1年間、積極的にボクササイズ(ボクシングトレーニング)のクラブ活動に参加していきたいです。
毎週1回、土曜午前中のクラブトレーニング。下記の各抱負の案件が重なった時はクラブを休むことがあると思いますが、基本的にはクラブトレーニング参加を大切にして��きたいです。
身体を動かすことで、時に前かがみになる姿勢を背筋ピンとさせて見た目を良くしたり、筋肉を(〜脂肪も)つけて冷え症を改善するなどができると良いと思います。冷え症の原因に低血圧があるかもしれませんので、何かでこの辺りも改善できると良いかもしれません。
(3)仕事と地域活動(例:学校支援)の共存
今の生活が成り立つ理由は、仕事をして、収入があるからです。そのため、仕事は期待される出来栄えになるよう、取り組みます。一方で、50代もいま中盤であるため、仕事以外の取り組みも大切にしていきます。それは、例えば(4)へ。
(4)学校支援、部活動支援
子が通う学校は、昨年、約9ヶ月間でいくつか大きな変化がありました。驚きは「授業前2分前(強制)着席」ルールが変更=廃止されたことです。この他にも、服装ルールも多くの内容が見直されました。管理職(学校長)、教職員=先生方、生徒の皆さんのお取組みと察し、敬意を表します。学校では「学校・地域で生徒を育てよう」旨の取組みが継続されます。春まで、許されるなら少なくとも1〜2回は参加したく思います。
また、現在任意加入となっている部活動ですが、子は或る部活動に参加しています。その部活動の特徴から保護者による支援が不可欠であるため、こちらも可能な限り、支援に参加していきます。
任意加入が世間で話題になっている【PTA】は、個人情報収集方法などについて学校から提供受けることを保護者に同意させるのではなく、PTA自らが個人情報(例:保護者=PTA会員となる方の氏名)を収集するようになり、無理ないPTA活動になるならば、PTAに入会しても良いかもしれません。そうなるまでは、不適正な仕組みのPTAとは距離を置き、PTA非会員を継続したく考えています。
(5)身辺の整理整頓清掃メンテナンス
この項目は、本当はもっと上に上げるべき、大事な内容かもしれませんが、上に重点4つを記したので、ここにきました。昔から最近までいろいろな物を持ってきた中で、要/不要を見極めて必要な物を絞り、次に、それが使えるように仕分けが必要と考えています。いつも先送りしてきましたが、昨年暮れに予定外で父が病状悪化で他界し、一方、子は成長していますので、私の周りの物品を早く整理整頓し、父母、妻子の思い出を整えたいです。困った混乱事があります。それはパソコンのデータです。過去に数回、パソコン動作の過負荷などによりパソコンが動作不能となり、数回、応急でバックアップ的にデータを取り出しました。この応急データを何とかしなければなりません。この中には子の成長写真もあります。このデータ整理をしていくためには、上記(1)(2)を大事にして体力気力を身につけ、昔の青年時代のようにいろいろ動けるようにならないといけないと考えています。
(6)父が亡くなったことの対応
亡き父(および母)の供養を、これから私が中心に対応していくことになります。その他、現実の課題としては実家をどのようにしていくか、補修をいつどのように行うか等、また、僅かながら遺産分割もそれなりの手続きが必要になります。
(7)我が家のメンテナンス
上記(6)の実家の補修に類似の内容で、我が家のメンテナンスも考え、対応していかなければなりません。草屋根、柱や格子の塗装、排水溝の汚れ取り、コンクリートひび割れ補修などは基本的に業者に頼まず、私がDIYでやっていくことになります。この作業の気力を出すこと、作業の時間確保が、やはり私の課題です。
(8)次に向けた自己投資
昨年、その時々でいろいろな用事が入り、結局、外国語勉強(フランス語、英語、ドイツ語、そしてやはり気になるアラビア語)、新聞読み、幅広い読書などは続きませんでした。何とかして、起動に乗せたいです。それから、世間の流れ【これからは預金より投資へ】の中で、私が約4年前に取り掛かり、4年間でかなりのマイナスとなってしまった件、今年は今までの世間勉強を参考に無理なく(再)スタートができればと思います。(正直なところ、訳も分からず4年前に一瞬にして強制終了 BYE BYE となったことが悔やまれます。それが今も尾を引いています。)
(9)世間の動きに合わせて
今年の春は統一地方選挙があります。地方(県、市)の課題だけでなく、国レベルの課題も統一地方選挙に影響するのかどうか、政治に関心がありますので、選挙(戦)の動きを注目していきます。
この他、上述の【運動】【学校教育(部活動を含む)】【PTA?!】なども様子を見て。その他、地域の取り組みでお声掛けいただいたものがあるため、それは1月から少しずつ参加していけたら、と思います。
(10)自己表現
ブログ(goo、Ameba、Note、Tumblr)、SNS(Facebook、Instagram、Twitterなど)の発信も、引き続き、適度に行えると良いように思います。
それぞれの特徴を考慮し、時々のタイミングに合った内容で発信していきたいです。発信内容を工夫すること(プレゼンテーションの工夫)は、仕事なども含め、いろいろな場面で役立つように考えています。
投稿内容は、基本的に普段の日記的内容(出来事)=運動、各種支援、音楽(フランス語など)、家のメンテナンス(草屋根、DIY)等、そして、たまに国政県政市政で気づいたことになると思います。
昨夏は多数の迷惑メールが届き、対応に苦慮しました。迷惑行為などを受けた場合、然るべき組織などに相談する、という対応が必要かも、と考えています。日頃の発信では、情報モラルに気をつけることも大事と思います。
(11)補足
全体に言えることとして、【できる範囲で物事を進める(無理しない)】ようにしていきます。これまでの暮らしのように関心事を広げ過ぎない、関心先を少し狭くして落ち着いて過ごす、としたく思います。というのは、無理すると、その場は一時的に良くても、その後、息切れし、続かなくなるからです。それ以前に、無理な予定(目標)は、それだけでプレッシャーになります。そのため【良い加減】を意識していきたいです。(よって、周りから投げかけられることが何かあったとしても関わっていくことができない=深入りしない、と判断することが、以前に比べると増えるかもしれません。)
上記が、2023年(令和5年)の抱負です。
***
2022年(令和4年)の年始の思いは、以下のようでした(過ぎたことなので、薄い灰色で記します)。
Bonne année 2022 ようこそ令和4年 Wozéqui の一年の抱負 - Wozéqui - soleil ブログ
Bonneannée2022ようこそ令和4年新年おめでとうございます。今年(2022年、令和4年)、新型コロナ禍の不安があり、暮らしへの影響で気になることはいろいろあり...
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以下、1年前、2022年(令和4年)の抱負です。参考に、記します。
(1)まず、健康第一でありたいです。
これは私自身もそうですが、家族、親族、知り合い、あるいは直接知らない方々も含め、全ての方々の健康第一を願っています。私も周りでも服薬(治療)によって健康を保っている部分はありますので、普段無理しないようにしていきたいです。また、健康第一を意識するのであれば、本当に私は体力作りをして、そこからメンタル面も…心身健康にならなければいけないと思います。昨年は、特に第4四半期に「情報モラル」問題が私に近づき、時にインモラルな通知が届いて精神面がかなり不安定になりました。周囲の方々の助言でインモラルな通知は様子見すれば良いことが分かり、今年は(しばらくの間?)堂々と暮らしていきます。そうした中で、鈍った身体に無理なく、体力をつけていきたいです。まずは、ストレッチ体操、腕立て伏せ、腹筋、腿(もも)上げ、ウォーキング~サイクリングなどの流れになるのでしょうか? 筋肉、脂肪不足で、長年、下半身(とくにスネ付近)の冷えがひどいため、体質改善ができると良いと思います。別項((3)①)のフランス語など、好きなことはコツコツと長続きしていますので、健康第一のための運動も定着できればと思います。
(2)身辺整理を本当に本格的に…
物が多くなり、一方で、きちんと物をきちんと整理していないため、物を探す時間のロスが多く、物が行方不明になることもあります。何でも深く考えずに持ち込み、ためるのではなく(貯めるならまだしも、溜めるのは…)、日頃、整理整頓をする(&清掃する、清潔にする)習慣を身につける必要性があると考えています。物事を短時間で割り切って判断して、パッパッパッパッと処理(処置)する力をプライベートでも(&仕事でも)身につけて、これから長く実践していきたいです。心の整理も必要ですね。そうそう、子の成長により、子からは、距離を置かれて、早○年。子への思い(接し方)も変えていかなければ…
(3)第☆の人生を意識して知識・技能を身につけ、交流を深めていきたいです。
☆は数字が入ります(今までの人生の流れから、2か3か4か…は分かりません)。年月が経つのは早く、50代が本格的になってきました。((頭の)見た目は60代!?ですが、素振り&気持ちはまだ40代のため、50代と言うと時々驚かれます…) 若かった時(10代、20代など)は、後先考えずイケイケドンドンでしたが、今はそんな風に考えることはできなくなりました。昔を振り返ると、いろいろな場面で分岐点があり、右または左といった選択肢で別の方を選んでいたら今頃どうなっていただろう、と思うことは沢山あります。しかし、今、それを考えてみても、言葉は悪いのですが、後の祭り。(そういえば、好きな吉田拓郎の曲に「祭りのあと」があります…) こうした考え方から、これからしばらく、50代本番、そして次の60代に向けて考えて暮らしていきたいです。
まず…
①語学習得は昨年に続けて継続へ。フランス語の理解力はかなり上がってきているように思います(実感しています)。向上している一番の理由は、毎日インターネット番組でフレンチポップス&ナレーションを聴いているからだと思います。音楽や語りを聴いて得られる語学習得を実感しています。今年は昨年の語学習得の思い=フランス語・ドイツ語・アラビア語・英語を可能な限り頑張りたいです。これらは、フランス、ベルギー、スイス、ドイツなどで発せられるSNS(Facebook、Twitter)をフォローし、そして、NHK語学講座も続けていけば、外国語の語学力は必ず向上すると思います。欲張れば、他に関心がある言語は、スペイン語、中国語、ハングル、ロシア語…などがありますが、ここまで言うと「大風呂敷」になってしまいますね… 先ほどの4ヶ国語を真面目にやっていこうとすると、おそらく単純に平均しても毎日30分~1時間は必要でしょう。今年こうした時間を捻出できるか、課題です。「(1)健康第一」で体力をつけ、それにより(また、気持ちの持ち方も変え)、すぐに寝てしまう生活習慣を変えることができれば、時間確保は可能性があるように思います。
②外国語だけでなく、日本語(日本文化、日本文学、日本の歴史知識など)もきちんと身につけていきたいです。20代、30代に嫌なことがあって悲観主義になり、読書や映画鑑賞なども縁遠く、気づけば50代になってしまいました。昨年の晦日、NHKドラマ「山本五十六」を見た時、「あ~、今まで知らなかったな~」と、自分のこれまでの人生を残念に思いました(今回のドラマは新たな観点の内容もあったとのことですが…)。今、昔を残念に思っても昔は戻ってきませんので、これから少しでも充実した暮らしができればと思います。読書、新聞、テレビ、音楽鑑賞、美術鑑賞などを幅広く… 私の人間性の幅が広がるかもしれません。外国の方と交流する時、外国の方は日本の歴史、文学、芸術、文化など、例えば、マンガ、仏像、歴史人物、城などに関心を持たれることがあることから、外国の方と合理的するには日本の歴史などを認識していなければいけないように思います。
③家事(~趣味)を大事に… 料理、掃除、DIY、…
④新型コロナ禍、難しい場面があるかもしれませんが、いろいろな交流の場に出ていけたら、と思います。教育や市政の課題を考え��集い(地域交流)、広い意味で「環境」を考える集い(←草屋根は入りやすい分野)、国際交流の集い(フランス系など)、その他の趣味や運動などの集いも考えています。実際に会うことができるものがあれば、Webでの参加も考えられます。国際面は、Facebookなどで、例えば、フランス国鉄( SNCF )、ナント地域( Nantes Métropole )、ナントの交通機関( Réseau TAN )等の情報を見て、公共交通や地方自治(地方行政)の考え方を参考にしていきます。それから、いくつかの「研修」といった機会もうまく使っていきたいです。
(4)先祖供養について、最近、思いが緩くなってきているように反省しています。この部分も大切にしていきたいです。
(5)上記の全てに当てはまりますが、自分が持っている「引き出し」=話題性をいくつか持っていると、私の場合のお話になりますが、50代~60代以降に有意義な暮らしができるかも…と思います。ちなみに、今、gooブログに登録している関心ある分野は少なくともこれだけありますので(順不同)、それぞれを深めていきたいです。
(6)仕事は、今、期待される事柄を(できるだけプラスアルファも)頑張っていきたいです。
(7)政治、行政への思いは、いわゆる「保守」「中道」「革新」の中で、政策を個人的に是々非々で、と考えています。政治で政党間で政策の違いがある時は、社会的弱者に気配りある政策を支持していきたいです。
(8)最後、8番目に…「情報モラル」問題
昨夏登場し、昨秋私にも振りかかってきた「情報モラル」問題。私が受ける、何となくの感じでは、今年、周囲の方々の働きかけなどで流れに何か動きが起こる可能性を予想します。この問題は、県内いくつかの分野の方々が関心持っていらっしゃいますので、その方々の助言も参考に流れを見ていきます。
***
2022年の��な経過は、次の通り。
晩春頃、ボクササイズ(ボクシングトレーニング)を始めました。これはコツコツ進みました。
閉口したのは、今夏の多数の迷惑メール。約1ヶ月間、ノイローゼ気味になりました。
以下のブログで詳細の記載はありませんが、分水嶺がありました。
【日記】いま「分水嶺」の感… いくつかの投げ掛けはフェードアウト、次の新しいことがフェードイン… - Wozéqui - soleil ブログ
こんにちは。最近いくつかの考え事があり、そして、頼っていた人(組織)からの別れ、そして、新たな人(組織)との出会いがあり、一喜一憂しなが...
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夏から入院して治療を受けていた父が、容態が良くなく、急遽11月下旬に自宅でターミナルケアを受けることになりました。半月後、12月上旬に父は旅立ちました。
いろいろな出来事があった2022年でした。
***
以上、このブログ前半に今年(2023年=令和5年)の抱負を、ブログ後半に2022年の振り返りを記した、この長〜い長いブログにお付き合い下さり、ありがとうございました。
年始の最後はこちら。早々の曲です。
今年も、できる範囲でブログを投稿できたら、と思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
#2023年
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ケースカラーと呼応する文字盤のディテール
190年を超える歴史に裏打ちされた高い技術力と品格あるデザイン性の融合を特徴とするフラッグシップ「ロンジン マスターコレクション」に今回、最新作として加わった「ロンジン マスターコレクション GMT」。ケース素材にクラシカルな18Kイエローゴールド、エレガントな18Kローズゴールドを採用する2種類を用意し、それぞれ世界限定500本で展開する希少性の高いモデルとなっている。
参考記事:https://www.kigyou.net/company/corp7155
本機は40mm径のラウンドケースに、色合いの落ち着いたシルバー文字盤をセット。この文字盤にあしらわれたレトロ感漂うレイルウェイ分目盛り、ローマ数字のアワーマーカー、ポリッシュ加工が施されたリーフ針、さらにブランドの象徴となる翼のある砂時計のロゴは、ケース素材と同じカラーリングでデザインし、何とも気品ある表情に仕上げられている。立体的で視認性も高いアプライドインデックスのアワーマーカー、シルバー×ゴールドの配色の中で存在感を放つブラックのGMT針など、デザインと実用性を兼ねたディテール群も秀逸だ。
ブランドが得意とするGMT機構を搭載
また、ロンジンは1908年に2つのタイムゾーンを示すポケットウオッチを開発し、1911年と1918年に技術の特許を取得。さらに1925年には第2時間帯表示機構を搭載した腕時計を発表し、GMT時計のパイオニアとして知られている。本機でもその伝統を受け継ぎ、ダイアルのリムに配された24時間目盛りのアラビア数字とGMT針を用いることで、ローカルタイム(現地時間)とホームタイム(GMT)の二つのタイムゾーンの同時表示が可能になっている。また、24時間目盛りの3時から9時の間のアラビア数字は反転させ、視認性を向上させた。
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